校長室より
中学校の卒業式
校長と教頭が手分けをして、春日部中学校と大沼中学校の卒業証書授与式に参列してきました。八木崎小学校を卒業して3年。心も身体も大きく成長した姿に感激しました。特に、答辞の中に組み込まれた呼びかけで、担任の先生へメッセージを贈っていた場面は、感動!!!でした。
モヤモヤカフェ
PTA会長さんから情報提供を受けたので紹介します。子育てのモヤモヤを誰かに聞いて欲しい方、我が子の学校生活に何かしらの悩みや不安を感じている方・・・コーヒーを飲みながら気軽に会話しませんか?2月5日は終わってしまったので、次回は、3月5日です。
いただいたチラシには、「小学生の子をもつ親」とありますが、就学前のお子さんがいる方でも大丈夫。ぜひ、1度、顔を出してみませんか?
【チラシ表 ↓ 】
【チラシ裏面 ↓ 】
いただいたチラシには、「小学生の子をもつ親」とありますが、就学前のお子さんがいる方でも大丈夫。ぜひ、1度、顔を出してみませんか?
【チラシ表 ↓ 】
【チラシ裏面 ↓ 】
親への提言 10か条
平成30年度春日部地区学校警察連絡協議会に参加してきました。後半に、元東京家庭教育研究所の方の講演があり、「子どもは、奇跡の積み重ねによって生まれてきてくれた尊い命」「1年計画なら穀物を植える。10年計画なら樹木を植える。終身計画なら人を植える(=育てる)」「我が子が小さいうちに、努力を続ける力、我慢すること、を身に付けさせなさい」等々、光る言葉にたくさん触れることができました。以下に、親への提言というチラシをいただいたので紹介します。
なお、掲載にあたり東京家庭教育研究所から許可をいただいています。参考まで、HPのアドレスも掲載します。(http://www.kateikyoiku.jp/)
なお、掲載にあたり東京家庭教育研究所から許可をいただいています。参考まで、HPのアドレスも掲載します。(http://www.kateikyoiku.jp/)
視察3
福島第1原子力発電所に到着。一人一人専用のID付き名札を渡され、金属探知機を通過。さらに、ID名札をタッチパネルにかざし、パスワードを入力し、ようやく中へ。線量計を渡され、専用バスに乗り換え出発。
テレビの画面で見ていたあの建物が目の前に。丁度、本校の中庭をバスで走ると、管理棟付近に3号機が、教室棟付近に2号機があるような距離で見ることができた。安全な数値内であるがバスの中の線量計がドンドン上がっていった。外はその10倍から20倍の値を示していた。
今回の視察で、この7年の間、粛々と作業を進め着実に改善に向けて努力している企業の姿を見ることができた。しかし、完全に安全な場所にするのは、まだ先の話。50年や100年のスパンが必要なのかもしれない。
この中で、約4000人の方が働いてるという。課題は、後継者。この原発問題を終息させるには、今の技術を引き継いでいく人、更なる先進技術を開発していく人が絶対に必要なのだ。収束ではなく終息するまでの道のりは、長く果てしない。
テレビの画面で見ていたあの建物が目の前に。丁度、本校の中庭をバスで走ると、管理棟付近に3号機が、教室棟付近に2号機があるような距離で見ることができた。安全な数値内であるがバスの中の線量計がドンドン上がっていった。外はその10倍から20倍の値を示していた。
今回の視察で、この7年の間、粛々と作業を進め着実に改善に向けて努力している企業の姿を見ることができた。しかし、完全に安全な場所にするのは、まだ先の話。50年や100年のスパンが必要なのかもしれない。
この中で、約4000人の方が働いてるという。課題は、後継者。この原発問題を終息させるには、今の技術を引き継いでいく人、更なる先進技術を開発していく人が絶対に必要なのだ。収束ではなく終息するまでの道のりは、長く果てしない。
視察その2
原発に向かっている途中、何か変だな?と感じた。道を歩いている人がいないのだ。視察した富岡町でさえ、外を歩いている人が、ほとんどいない。
さらに原発に近づくと、避難区域に入った。建物があるのに人がいない地域。国道6号線沿いの車販売店は、大きなショーウインドが割れたままで車もそのまま。紳士服店は、洋服がかかったまま。草木に覆われてしまった建物も。その様子は、7年という月日が流れたことを物語っている。時折、バリケードが現れ、警備員や警察官の姿が。映画のワンシーンのような感覚である。震災から7年たったが、この辺りの人々にとっては、時計は止まったままなのかもしれない。
さらに原発に近づくと、避難区域に入った。建物があるのに人がいない地域。国道6号線沿いの車販売店は、大きなショーウインドが割れたままで車もそのまま。紳士服店は、洋服がかかったまま。草木に覆われてしまった建物も。その様子は、7年という月日が流れたことを物語っている。時折、バリケードが現れ、警備員や警察官の姿が。映画のワンシーンのような感覚である。震災から7年たったが、この辺りの人々にとっては、時計は止まったままなのかもしれない。