3年生は社会で地域の昔について調べています。
2月8日、パルテノン多摩歴史ミュージアムの学芸員をお招きして
鶴牧や唐木田(落合村)の昔の様子についてお話を伺いました。
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子どもにも地域のイメージがつかみやすいように
子どもが普段利用している鶴牧西公園を起点にしながら話が進みました。
上の写真は鶴牧西公園の北東入口(農家風休憩所がある入口)近くにある
シダレザクラが咲いている写真です。
川井家のシダレザクラは市の天然記念物で樹齢200年。
豊ヶ丘にある吉祥院にあった樹齢600年のシダレザクラの子孫といわれています。
知らない子どもが多かったので、今年の4月には、ぜひ、見に行ってください。
川井家は落合の名主です。
江戸時代の名主「川井五兵衛」さんの話をもとにして話は続きます。
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今は鹿児島県出水市に飛来するナベツルが、江戸時代には全国に飛来していました。
江戸時代、禁鳥だったナベツルを死なしてしまった民を
「お鍋をもつ場所(つる)を作った」の間違いだと五兵衛が役人に話して助けた
という伝説が残っているということ。
山王下の瘡守稲荷には民話伝説の鶴が祭られている祠があります。
このあたりが「鶴牧」と呼ばれる一説になっているとのことでした。
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上の写真は今の鶴牧西公園にあるビャク山から出てきた古銭です。
「びゃく」とは土砂崩れや崖を表す南関東の方言です。
大正12年9月1日の関東大震災で今は鶴牧西公園になる二反田の山が崩れて
そこから1万枚もの戦国時代の古銭が出てきたのです。
二反田という地名は今でも二反田公園として残っています。
古くから人が生活していたことが分かります。
上の写真は現存する50種449枚の古銭の一部です。
残りの9千枚余りは太平洋戦争で金属として拠出したそうです。
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最後は唐木田駅に行く途中にある「笠地蔵」の話です。
鶴牧西公園の唐木田の谷戸に沿ったところには乞田川から分かれた
唐木田川が流れていて、ちょうど鶴牧西公園の入り口で開渠から暗渠になります。
暗渠を鶴牧西公園に沿って上流に向かっていくと、
唐木田駅の方に行く道(上右写真右方向)と唐木田児童館の方に行く道(上右写真左方向)
の二股に分かれる場所があり、その真ん中に笠地蔵があります。
(上の写真の黄色い円の中、下の写真)
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そこには長坂橋がかかっていて唐木田の方に行く道沿いの唐木田川と
東京国際ゴルフ倶楽部に向かう道沿いの長坂川の分岐点でした。
(今は川は暗渠になっているのではないかと思います。)
笠地蔵は庚申塔で、元禄13年(1700年)11月16日建立の銘があります。この年は庚申の年です。
庚申信仰は、庚申の日は体に住む3匹の虫が寝ている間に天に昇って
悪いことをしたことを告げ口するといわれていたため
庶民は夜通し起きているという民間信仰です。
そのお地蔵さんの上に立派なツゲの木が笠のようにあるので笠地蔵と呼ばれているようです。
昔の写真では周りは現在の住宅地とは違って田んぼになっています。
この笠地蔵の位置は昔と変わっていないことが分かっています。
村の辻の場所で村を守っているためです。
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最後に、3年生が質問をして1時間の授業を終えました。