八木崎小学校 校長室より

校長室より

ディープラーニング

昨年3月に話題となったグーグルが2015年に開発した『アルファ碁』が、再び、世界トップ棋士である中国の柯潔(カ・ケツ)九段と勝負をしたというニュースが流れた。前回と違うのは、「難なく勝利」「驚異的な速さで進化し続けるAIの異次元の強さ」「アルファ碁の弱みを見つけられなかった」などの論調から、人間とアルファ碁の力の差がかなり開いた感がある。
囲碁は局面の数が「10の360乗」に達し、難易度がチェス、将棋をはるかに上回ることから、人間に勝つのは「あと10年はかかる」とされていた。しかし、昨年3月、韓国のプロ棋士に圧勝。ニュースや新聞の活字に「AI」の文字を毎日のように見ることとなった。
アルファ碁の圧倒的な強さの秘密は、人間の脳をまねた「ディープラーニング」と呼ばれる情報処理技術にある。過去に打たれた無数の対局の棋譜をもとに打つ手の善し悪しを自ら学習することに加え、進化したアルファ碁は、膨大な数の自己対局を重ねる「強化学習」の比率を拡大。自らの勝ち負けの経験から、判断力を磨き、勝ち方を身につけていったという。

こうしたディープラーニングは、自動車の自動運転技術の開発に欠かせない画像認識技術や、会話型AIの普及を可能にした音声認識技術の精度向上などにも大いに貢献しているそうだ。
これからも、アルファ碁の進化は続く。この技術が、我々人間の100年ライフを可能にしてくれるのかもしれない。今後の進化が楽しみだ。

名前を大切にする指導

廊下ですれ違うと笑顔で「福岡秀晴校長先生、おはようございます!」と挨拶をしてくれるクラスがある。管理職になると「教頭先生!」「校長先生!」と呼ばれることが多い中、フルネームに校長先生をつけて呼んでくれるこのクラス。担任の先生の配慮にいつも感謝している。きっと、このクラスには、いじめの「い」の字もないくらい人権がしっかり守られているんだろうなと思う。

名前は親から我が子への最初の贈り物。親の願いや想いがい~っぱい詰まった大切なもの。その背景を感じながら、我々教師は子どもたちの名前を呼ばなければならないと、常に心して校内を歩く毎日である。

今週は・・・

今週は、月曜日から色々なことがあった。保護者との話し合いも複数あった。厳しい言葉を聞くこともあった。学校と家庭は同じ目標をもつ仲間ではないのか?なぜ、感情にまかせ鋭利な言葉を発するのか理解に苦しむ場面もあった。今まで以上に学校と家庭との情報交換をしっかりやっていかなければと感じた1週間であった。
一方、ワクワクすることもあった。八木崎小サポーターズの話題や放課後子ども教室第1回実行委員会が開かれ今後の八木崎小の教育活動への新たな支援体制が着々と進んでいることにうれしさがこみ上げてきた。
すでに、クラブ活動への支援、休み時間の逆上がり支援なども始まった。金管バンドクラブの練習に来てくれることになった方、科学クラブやパソコンクラブの支援に来てくださる方も現れた。
漢字検定や郷土カルタ大会へ向けた事前の学習や練習を放課後子ども教室で実施してくれることもうれしい話題である。
その他にも、地域のスポーツチームやガールスカウト、大学のOB会、中央公民館、アイムジャパンなどの企業が八木崎小学校の教育活動や行事にかかわってくれることになった。子どもたちがワクワクするような活動が実現しそうである。今後の展開が楽しみだ。

信じられないニュースが・・・

5月14日午後3時ごろ、大阪府和泉市にある11階建ての集合住宅の敷地内で、近所の住人がボウリングの球1個が落ちているのを見つけ、110番通報した。球は一部が破損した状態で、通報した住民は直前に衝撃音を聞いていたということ。警察は、何者かが上の階から球を投げ落としたとみて捜査していたが、防犯カメラの映像などから小学生3人が浮上したとのこと。近く殺人未遂の非行内容で児童相談所に書類送致する方針。高い所から物を落とすとどうなるのか?下に人がいたらと考えないのか?信じられない行動をする小学生の事件である。

仏様の指

本日の午後、PTA総会が実施された。無事、すべての案件が承認され、布川丸が船出した。
総会の際の校長あいさつの中で、5月の学校だよりで記載した「仏様の指」の話を紹介した。以下、その内容である。
 
大村さんにとっていちばんこわい先生から、「大村さんは、生徒に好かれているか?」と尋ねられ、「嫌われてはいないと思う」と答えたときの話です。そのこわい先生が「仏様の指」の話をしました。
『仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。』という話です。
「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して,遂に引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」こういうふうにおっしゃいました。そして「生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。
私は考えさせられました。日がたつにつれ、年がたつにつれて、深い感動となりました。そうして、もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それにははるかに及ばなかっただろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
 当時を思い出して、大村さんはいいます。
「私は仏さまの指のような存在でありたいと思った。だから、子どもたちが卒業して、私のことをみんな忘れても、別に構わない。子どもたちは、後ろを振り向かないで、どんどん行ってもらいたい」
 大村さんは、決して見返りを求めることのない大きな愛情で、生徒たちの心に生きる力を育むことを誓ったそうです。