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子育て・親育ちの眼「県スポーツ調査から」

<子育て・親育ちの眼「県教委 小学生のスポーツ活動に関する調査」結果から> 県教委は1996年から5年ごとに、同調査を実施しています。その結果を公表しました。
〇小学生のスポーツ活動に関する調査 結果から・・・・・・特徴的な結果は、調査開始した20年前と比べて、「野球」(学童野球)へのン入部数が半減したことです。
●少子化の影響で学童野球チーム数も減少していることが、本県児童の「ボール投げ」(全国体力テスト)の成績と相関していると考えられます。

●プロ野球BCリーグに参入する「栃木ゴールデンブレーブス」の練習拠点となる予定の小山市絹地区では、児童・生徒数の減少から小中学校の統廃合が進んでいます。同地区の学童野球チームは数年前に複数のチームが合併し、「絹学童」という一つのチームになりました。

●県野球連盟によると、学童野球のチーム数はこの5年間で、「2割」減少したそうです。同連盟幹部の話では、親子でキャッチボールをする機会も減っています。遠征や練習試合など、親の負担が大きいこともチーム数減少の一因と考えています、と。 

●逆に水泳(スイミング)への参加児童数は、年々微増しています。競泳の五輪メダリスト 萩野公介選手の影響が大きいようです。宇都宮市内のスイミングクラブではこの10年間、入会児童の変動はないと言います。少子化の中、萩野選手らの活躍で、注目を浴び会員の減少を食い止めているのかもしれません、と話しています。
******参考文献「読売新聞」(H29,2,28)31面から引用

2月3日(金)その2 夢見る授業「紺野美沙子講演会」

<夢見る授業「紺野美沙子 講演会に参加」> 今日、午後2時から、阿久津中と北中の1年生、2年生全員が、町民ホールに集まり、「紺野美沙子さんの講演会」に参加しました。
 

〇夢見る授業 紺野美沙子講演会・・・・・・松谷正光ドリーム事業の一つとして、高根沢町内の中学1年生、2年生を」対象に、「夢」について学ぶ学習を教委が企画してくださいました。
●講演の内容・・・最初に「自己紹介」をされました。 女優のきっかけは、小5の時、入部した「演劇部」。 神奈川の演劇コンクールで「山椒大夫」の安寿役を演じたことからだそうです。
18歳で女優デビューしますが、他の人と比べて20代は自分に自信がもてなかったそうです。
20代後半、本を書く仕事をもらったことで、「世界でたった一人の自分を応援してあげたい。自分を好きになろう。」と、考えが変わったそうです。

●国連のUNDPの親善大使になって・・・世界の人口約73億人のうち、約8億人が経済的に貧しい人たちがいます。 貧しいとは、1日に1,25ドル(約150円)以下で生活している人を言いいます。
親善大使で、カンボジアを訪問したとき、ある小学校を訪問する。 小1のクラスには130人の子どもたちがいました。机や椅子もなく地べたに座り、木のノートで学習していました。 次に小6のクラスに行くと生徒は30人しかいません。 どうしてクラスの子どもが6年になると100人減ってしまうのか? その理由は、お金がなく、生活が苦しく学校を辞めてしまっていました。
学校に登校できない子どもが世界には5,700万人います。 小学校へ行けない子は、文字が読めない、書けない。社会のことが分からないなど、大人になっても負の連鎖が続きます。 
******講演内容の続きは後日、掲載します。

10月27日(木)その2 中村雅俊氏の講演内容から3

<中村雅俊さんの講演内容から 3> その2の続きを書かせていただきます。 
〇俳優となり、結婚した頃・・・・・・オノ・ヨーコ(ジョン・レノンの奥様)と出会う機会がありました。中村雅俊さんは奥さんと二人で待ち合わせのホテルに向かいました。
●「中村雅俊を知っていますか?」とオノ・ヨーコに聞くと、「知らない」と答えたそうです。
「では、どうして中村に会ったのですか?」とまた聞くと、オノ・ヨーコは「運命だと思うから」「私はYESと言って、すべてのものを受け入れるようにしている」と答えたそうです。
中村雅俊は、オノ・ヨーコとの出会いから、「受けたものはYES」と言えるようになったそうです。******中村雅俊さんの人生観、そして仕事観はオノ・ヨーコとの出会いで大きく変わったようです。 「何事もYES」と言える人間。 私のこれまでの仕事も「ほとんどYES」だったように感じています。

●「かっこよさ」とは・・・・・・見た目ではなく、内面的なもの、にじみ出てくるものと思っている。この世界(業界)では、人気者が次々に代わっていく。 役にぶれない「脇役」がいて芝居やドラマは支えられる。 本当の「かっよさ」とは、「脇役」のような人を言うのだと思う。 

●一流の人に出会える・・・・・・この職業(俳優、歌手)になると、一流と言われる人と出会える。話ができる。そして自分が出会いから育ち磨いていけました。 

●文学座に14年間、在籍・・・・・・座長 杉村春子さんに影響を受けました。 それは、楽しいと思って生きていく方がいいかな、ということでした。 中村雅俊さんは楽しいと思ってやっていくと、自分にいいことが舞い込んでくる経験を多くしたそうです。

●石巻市東松島 津波で統合、新設した「桜花(おうか)小学校」の校歌を依頼された・・・・・・校歌を作詞、作曲をするのははじめて。 神聖なものだし、悩みながら完成する。 中村雅俊さんは完成した譜面を持って、「桜花小学校」へ行き、児童の前で校歌を歌ったそうです。すると、児童たちのお返しに、その「校歌」を大きな声で合唱してくれました。 送られた譜面から、短時間で小学校の子供たちが一生懸命練習をしたそうです。 「俺って、いいことしたな」と感じたそうです。

●講演のまとめ・・・・・・自分の人生に影響を与えてくれた人は、オノ・ヨーコさんと杉村春子さんです。 「YESと言って、すべてのものを受け入れる」(オノ・ヨーコ)
そして「楽しいことを思って生きていく」(杉村春子)
自分の性格・・・好奇心が強く、何にでも首をつっこむ。悪いような良いような性格が良かったのかな。 振り返った人生、後悔しない、と話されて講演が終わりました。
******3回に分けて、中村雅俊さんの講演内容を紹介しましたが、全国から集まった中学校長2000人の前で、「役者魂」を感じた90分間でした。 
私には6歳上の「兄貴」のような存在の人なので、より身近により真剣に講演を聞き入ってしみました。 雅俊さんの話された「YES、すべてを受け入れる」「楽しいことを思って」を、私もこれからも実践していこうと思います。  

10月26日(水)その2 中村雅俊氏の講演内容2

<中村雅俊氏の講演内容から 2> 前回に続いて、大学時代からの中村雅俊さんが歩んだ道を書かせていただきます。
〇慶應大学に入学・・・・・・高校時代、五木寛之の本の影響から「外交官」になるという目標を持ちました。
●そこで、大学入学後、英語部(ESS)の「英演劇」に入部します。 1年、2年はスタッフとして仕事をし、3年で「ちょい役」が回ってきます。 この頃、ギターを弾いて曲も作っていたのを劇作家「奈良橋 陽子」さんに認められます。

●大学4年で、「文学座」の研究生の試験(オーディション)に予想外で合格します。 このとき、テレビドラマで「学園もの」の主役の選考があって、見事合格。 
最初の主演作がNTVの「われら青春!」。 そのあと、「青春ど真ん中」、「夕陽が丘の総理大臣」と次々に主演でドラマに出演しました。
***私の年代はこれらのTVドラマを毎週欠かさず観ていましたが、北中のお父さん、お母さん方はご覧になっていたでしょうか!?。

●ドラマ出演の時に、シングルレコード「ふれあい」を出す。 当時、「ふれあい」はオリコン10週連続1位。 レコードが「100万枚」売れたそうです。 

●テレビドラマ「俺たちの旅」では、当時の若者に影響を与えました。 下駄をはき、ジーンズでバイトばかりしている大学生役でした。
 同時に、主題歌「俺たちの旅」のレコードを出すと、オリコンで最高2位。 このドラマで、中村雅俊さんは「俺は役者をやっていこう」と決意したそうです。 
******講演のこの続きは次回に掲載します。 大学時代、演劇と歌、そして俳優として自活していく中村雅俊さんの姿がお分かりと思います。 そして、ドラマの主役抜擢など、ラッキー(幸運)な人生の巡り合わせもあったように感じました。 

10月5日(水)その2 「それって、いじめじゃない月間」

<子育て・親育ちの眼「子ども人権だよりに北中が紹介されました」>栃木県が発行している「子ども人権だより」9月号に、北中の紹介記事が掲載されました。

〇掲載記事内容は・・・・・・「赤ちゃんとのふれあい学習(2年)」と「東小学校へ出向いてのあいさつ運動(生徒会)」、「足尾体験植樹(1年)」の3つの紹介でした。 
北中生徒の人権に配慮したふれ合いや学び合い、他校との交流など、「人権教育」に関わる事業や学習が紹介されまた。 
******この「子ども人権だより」は、県内の小・中・高校等に配布されるので、新たな北中を紹介するには絶好の機会となると考えます。
   

9月5日(月)その2 団長の目から海外派遣11

<団長の目から海外派遣事業を振り返る11> 8月26日(金)に、町中学生海外派遣団員が帰国してから、北中のホームページを利用して、「団長の目から海外派遣を振り返る」というタイトルで書き込みをしてまいりました。 今日は、「海外派遣に参加して」の私の感想や意見をまとめた総括を書いて、最終とさせていただきたいと思います。

〇 「Bula!」、そして「Big Smile」Fijianとの出会いから・・・・・・団長、総括を掲載します。   
●最初に、平成28年度高根沢町中学生海外派遣団が大きな成果を得て、全員が無事に帰町できたことを感謝申し上げます。

●さて、3回の事前研修会の中で・・・私を含めた引率者たちは、団員たちの顔やようす、性格などを確認しながら、多少の不安(3回の研修中、20名、全員そろった日がなかったことなど)もある中で、出発の8月21日(日)を迎えました。
     

●6日間の高根沢町中学生海外派遣事業(以下、海外派遣と言う)の中で、団長の目から感じた(考えた)ことを3点、書かせていただきます。

★1点目は、参加団員20名の素晴らしい態度と姿勢・・・はじめて海外に出る生徒がほとんどでした。海外では細心の注意を払っても、想定外の出来事や事件が起きます。団員全員が、「協働」の気持ちで動けるかがカギでした。
 3日目の朝、事件が起きました。朝食の集合時間に団員数名が姿を現さず、室内電話をかけても音信不通。呼び出し続けるとやっと寝ぼけた声が・・・。遅れた生徒たちに話を聞くと、日本では許されるくらいの理由でした。
ただしここは異国の地、「FIJI」です。私からは、時間前に集合している友達へ、謝罪をするように伝えました。
菊地補佐からも、「ここは外国です。約束やルールは必ず守っていきましょう。」と、全体に話もありました。 それ以降、高根沢町に到着するまで、注意を受ける団員はいませんでした。 
  

★2点目は、今回のプログラム(行程)・・・英語の語学研修と同時に、Fijianとの出会いや文化にふれ合える研修、地元中学生との交流学習、地球規模の環境(公害)の研修・体験など、盛りだくさんの内容でした。
団員生徒は、このプログラムの中で貴重な経験や体験をすることができました。
   

★3点目は、陽気で、世界中で1番笑顔が美しいと言われるFijian(フィジーの人々)に出会えたこと・・・「Big Smile」、会う人会う人に輝く笑顔を見せるFijianがとても印象的でした。
FIJIの人々は、日々、楽しく仕事をし、たくさん食べ、「カバ」を飲んで陽気に語り合いながら眠るというのが日課のようです。たくさんの明るいFijianに出会うことで、日ごとに団員たちも笑顔が多くなり、Happinessになっていきました。
 

●今回の海外派遣を経験できた生徒は・・・世界的な視野が広がり、語学への意慾もかき立てられたものと思います。将来、町のために県のために、日本のために、世界のために必ずや力を発揮してくれるものと期待しています。
   

● 最後に・・・このような機会を与えてくださいました高根沢町、町議会、町教育委員会、町国際交流協会等の皆様に感謝申し上げます。 Vinaka(「Vinaka」はFiji語で「ありがとう」)

******高根沢町の海外派遣団にお手伝いや御支援をいただきましたFIJI政府並びにFiji大使館、Fiji西ブロックの知事様、NADIの教育長様、OISCA、JTB、現地旅行社(ROSIE HOLIDAYS)のスタッフなどに感謝とお礼を申し上げます。 

9月4日(日)その2 団長の目から海外派遣10

<団長の目から町中学生海外派遣を振り返る10> 今日は、行程5日目のOISCA(オイスカ)での活動について書きます。

〇シンガトカ町のOISCA FIJIの活動に協力する・・・・・・シンガトカ町は、宿泊地のNADI市からは車で1時間ぐらい南下した海沿いで、美しい「コーラル・コースト」がある人口約2万3000人ぐらいの町です。
●OISCA FIJIの研修施設・・・シンガトカ町の山の中に、施設と農場、田んぼ、畑が広がっていました。 ここで、Fijiの青年たちは約3ヶ月から6ヶ月間、農業研修をしながら指導技術と経営を学びます。研修を修了した青年たちは、地元にもどり「農業指導者」として、地域の農業の振興に貢献することになっています。 研修生徒の中には、日本の四国にあるOISCAに研修に来たり、筑波大学等の大学農学部に留学する青年もいます。
       

●公益財団法人OISCA JAPANとは・・・・・・すべての人々が、さまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り、育てようとする世界を目指して1961年に設立される。本部は日本に置き、現在34の国や地域に組織する国際NPO法人です。
農業開発や人材育成、海外開発協力、環境保全、子供の森作りなどを行っています。

●OISCA FIJI(シンガトカ町)での研修内容・・・・・・最初に、研修農場内の見学をしました。 日本の豚より2倍大きい豚の飼育のようすを見たり、牛を使って畑の開墾をしているようすなどを見ることができました。
その後、研修室に入り、研修所長代理のジュジュさんから講義(レクチャー)を受けました。「OISCA」の概要や活動内容(海の環境保全、公害への取り組み)などの話がありました。
その後、村の訪問や村民との昼食会にもOISCA職員も同行してくださいました。
昼食後、「コーラルコースト」に移動し、珊瑚の砂浜に「マングローブ」の移植の準備をしてくださいました。
今回、移植する「マングローブ」の苗木をOISCAは、「800本」用意してくださいました。約2時間かけて、スコップで砂浜に穴を掘る人、マングローブを移植する人、苗木を海辺まで運ぶ人、苗木の育苗ポットを集めて片付ける人など、役割を決めて、団員生徒とともに、OISCA職員、村人たち、添乗員や現地ガイドさんまで全員が参加して800本の苗木を移植することができました。
***移植した800本の「マングローブ」は5年後には2mぐらい成長し、10年(15年)先には、5mぐらいの成木になるということです。「OISCA」の研修所長代理のジュジュさんは、「是非、10年後に、このコーラルコーストを訪れ、マングローブの成長の姿をみてください。」と言っておられました。
         
***Mz Jocelyn L.Matunhay.(お世話いただいたジュジュさんへ)  
     Chief Representative OISCA Fiji.
Bula. Good evening.
It had been very kind by a visit of  Takanezawa-machi delegation.
I'll be thankful for attention of OISCA  and correspondence.
I'd like to ask coral Coast again about 10 or 15 years later to see growth of a transplanted mangrove.
Thank you very much. Vinaka.  Sincerly Mz JUJU San
       Head of Delegate in Takanezawa-machi   Toshio Gomibuchi

9月3日(土)その3 団長の目かr海外派遣を9

<団長の目から町中学生海外派遣事業を振り返る9「FIJIの学校制度」> 9回目の今日は、FIJI(フィジー)共和国の学校制度についてお話します。

〇FIJIの学校制度・・・・・・日本は6(小学校)・3(中学校)・3(高校)・4(大学)制です。義務教育は小・中学校まで。 さて、FIJIの学校制度は日本とは、大きく違います。

●Primary(プライマリー)・School(スクール)・・・8年制(Class1~8)です。日本では、小学校1年から中学2年までです。 入学金、授業料は無料です。制服代や教材費は保護者負担です。 
●Secondary(セコンダリー)・School・・・5年制(Form3~7)です。日本での中学3年から大学1年までです。 Form4終了で「認定試験」。試験に合格するとForm5へ進学し、文系と理系を選択します。 Form6~7の進級の時、「修了認定試験」。「修了認定試験」合格者は大学1年次が免除の扱いになります。 中等教育Form7を学ばなかった者は大学1年からはじめます。 これらの2回の「試験」に合格しないと大学に進学できません。進学できない生徒は専門学校へ進学します。 
●厳しい「試験」に合格した者のみが、大学に進学します。もちろん、大学の入学金や授業料もFIJI政府の方針で、無料だそうです。ただし、大学への進学率は低いようです。  
                                        

●今回、交流訪問した、サンベト・ディスクトリクト・スクールは、サンベト町立のPrimaryスクールでした。各学年1クラスの小規模校ですが、幼稚園が敷地内に併設。遠方の生徒には、「寄宿舎」も完備してありました。
広い敷地に、平屋建ての古い校舎が点在し、校庭は2つあり、1つはラグビー場でした。
NADI市の教育長の指示で、親和的・融和的に高根沢町の生徒たちに交流してくれていました。  

9月2日(金)その3 団長の目から海外派遣を8

<団長の目から町中学生海外派遣をr振り返る7> 「カバ」と言われて、何を思い浮かべますか? 私は最初に思い浮かべたのは、「動物園のカバ」でした。 しかし、FIJI(フィジー)の「カバ」は全然、違いました。
 

〇「カバ」の島FIJI・・・・・・「カバ」の説明をします。「カバ」とは、コショウ科の灌木の根を乾燥させ、細かく砕き水でこした飲み物です。 
●来客や来賓者があると、お土産に「カバの根」(4,5本まとめてしばったもの。約3000円ぐらいの値段)を持参します。
その来客や来賓のために、「カバの儀式」はどこの村でも学校でも家でも、とり行われます。 日本での「茶道」のようなものかもしれません。
●FIJIでは、「カバ」のことを「ヤンゴナ」と呼び、家や村では毎日のように「タノア」という木製の器に「カバ」を作り、円座になって順に「カバ」を入れたココナッツの皿を順に回しのみをします。 ただし、子どもは「カバ」は飲みません。
●私は海外派遣中に1回は訪問sた学校で、2回はレオネ先生のお友達と「カバ」に挑戦しました。色は茶色で無味無臭でした。「龍角散」に似たような味とも言われていますが、アルコール分は「0%」です。この「カバ」は鎮静作用があり、10杯、20杯と飲めば飲むほど心が落ち着き、ぐっすり眠れるようです。 ***FIJI人は、あまりお酒(高価で)は飲まないようです。
●「カバ」のルールとして、一番最初にその中の一番偉い人から飲んで皿を回し、最初に飲んだ人まで皿が回るまでは帰ることは許されないそうです。 
●「カバ(ヤンゴナ)」の中でも、一番味の良い良質のものがとれる場所は、レオネ先生のふるさと、「バツレレ島」だそうです。 
         

***私はお土産に、「カバ」の粉末を5000g買ってきましたが、100gで約300円から800円ぐらいで、価格には幅がありました。 
******私は体質的には「カバ」に合っているようです。2日間、2時間ぐらいの間に8杯~10杯「カバ」をいただいて、ベットに入ると熟睡できました。 逆に、小林先生は合わなかったようです。飲んだあと、体が真っ赤にほてり、次の日は気分が下がったままだったと言っていましたので・・・。 

9月1日(木)その3 団長の目から海外派遣を7

<団長の目から町中学生海外派遣事業を振り返る7> 今回の「高根沢町の海外派遣プログラム」とFIJI(フィジー)政府との関係をコメントしたいと思います。
〇高根沢町の今回のプログラムとFIJIの関係・・・・・・昨年度からスタートした「高根沢町中学生海外派遣事業」には、FIJI政府は、大きな期待と希望を持っています。
その表れが、2日目の夕食時にコミッショナー・ウェスタン(FIJI西地区のトップ)であるマナサ知事が多忙な公務を割いて団員生徒たちに歓迎のあいさつに来られました。ゆっくりとした英語で、3分ぐらいのスピーチをいただきました。知事が来られたこの日は、「公休日」となり首都スバ市で7人制ラグビーチーム金メダルの祝賀会を開催していた時でした。日本の高根沢町の中学生の来訪を政府が第1に考えている証拠のように感じました。
           

●海外派遣3日目の夜、NADI(ナンディ)市の教育長と学校訪問した市内サンベト・ディスクリクト・スクールの校長の2人が宿泊しているホテルに来られました。理由は、今回の学校訪問での高根沢生徒との交流プログラムについて、レオーネ先生と「カバ」を飲みながら、反省と検討をしたいということでした。 ナンディ市の教育長さんは、レオーネ先生がFIJIのハイスクールで教頭していたときの優秀な部下だったそうです。 私は、ロビーで御挨拶のみさせていただきましたが、2時間ぐらい、3人で「カバ・パーティ」が続いていました。 

***FIJIでは、お酒の代わりに、「カバの根」の粉を水で溶いた「カバ」を10杯、20杯と飲み交わすのが風習のようです。教育長が入って交流プログラムの検証及び、今後、高根沢のプログラムがスタンダード・プログラムとして、日本各地の市町村、中学、高校に紹介していくそうです。  

8月31日(水)その3団長の目から海外派遣を6

<団長の目から海外派遣を振り返る6> 今日は、海外派遣で出会ったたくさんのFIJI(フィジー)人の気質についてお話します。

〇FIJI人の気質、特徴などについて・・・・・・引率した町ALTのレオーネ先生のふるさとは、FIJI共和国の首都スバ市のあるビチレブ島の南、バツレレ島です。 ビチレブ島からバツレブ島まで、船で約4時間かかるそうです。
レオーネ先生と6日間、一緒に行動させていただき、FIJI人の面白い、驚くべき性格や気質が分かりました。
1 FIJI人は子だくさん・・・レオーネ先生も含めて、FIJI人は子だくさんで10名以上います。新政府の政策で、病院の治療費は無料。出産費用も無料です。小学校から大学まで授業料も無料ということで、FIJIでは、多くの子どもが育てられる環境があります。

2 FIJI人はFIJI語が話せる人は皆、兄弟?!・・・NADI(ナンディ)空港に到着して、最初に驚いたのは、誰でも誰にでも「BULA(ブラ)」(こんにちは)が飛び交います。
レオーネ先生の話では、「FIJI語が話せる人は、皆、兄弟姉妹です。」と言っていました。レオーネ先生は、市内で会う人、会う人、「BULA、BULA」と挨拶をしながら、親しげに話をします。「レオーネ先生、親戚ですか?」と尋ねると、「いいえ。」「でも、FIJI人はみんな親戚です」と応えます。 
環境プログラムの修了証を頂いたマナ島の「Mana Island Resort &Spa」 で働いているの日本人の「CHIKAKO」さんの話では、「FIJIでは、従兄弟まで兄弟姉妹なんですよ」と言っていました。 
また、レオーネ先生のふるさと「バツレレ島」では、島の人は「皆、親戚」という考え方があるようです。 FIJIのは、昔の日本の「村」意識や江戸時代長屋の「向こう三軒両隣」の意識が強く残っている気質が残っているようです。

3 毎日、たくさん食べて楽しく生きる・・・FIJI人を見ていると、失礼ですが5人に3人ぐらいが体格がよくお腹周りが太い人が多いように感じました。 レオーネ先生は、FIJI人は「たくさん食べて、夜はカバを飲み、眠る」と、言っていました。 毎日、成人病など気にせずに、楽しくたくさん食べて一生を終えると言うような考え方がFIJI人もはあるように感じました。 

4 笑顔は世界一・・・「FIJI人の笑顔は世界一」と言われます。 FIJIの笑顔は、「Big Smile」と言われるくらい、こころの底から顔いっぱいにうれしさを表します。 日本人には、真似のできないSmileでした。
 
5 バイリンガル(Bilingual)なFIJI人・・・イギリスの植民地になっていたFIJIですが、このために主要言語が英語とFIJI語とインド語の3言語です。 小学校から、小・中学校では教科担任は英語で授業し、インド語を第二言語で学びます。 休み時間は、友達とはFIJI語です。 Bilingualな人間に教育することで、FIJI人は、アメリカや西欧、日本を含む東南アジアに留学するとか職業を見つけて、世界で活躍しています。  
     

8月30日(火)その3 団長の目から海外派遣を5

<団長の目から町中学生海外派遣事業を5> 今日は、団員が訪問したFIJI共和国について話をします。
〇FIJI共和国、ご存じですか?・・・・・・FIJI共和国は、南太平洋諸島の中のひとつの国です。
1966年に出版された森村 桂の旅行記「天国にいちばん近い島」で、南太平洋のニューカレドニア(FIJIの隣の島)が紹介されました。その後、森村桂の作品を原作に1968年、映画「天国に一番近い島」が放映されました。主役が原田知世でした。この頃から、日本人を含めた外国人観光客が、南太平洋の島々に訪れるようになりました。 現在、年間60万人以上の外国人が観光に訪れています。 
***私の知り合い2人は、20年以上前に、新婚旅行先は「FIJI」でした。
      

〇FIJIの歴史・・・・・・南太平洋の島々の中でも、最も古くから人が入居した島の一つでした。1800年代には、部族間の争いが続きます。1874年、FIJIは英国の植民地になります。この時、特産の「サトウキビ」労働のために約6万人のインド人が入植します。 インド人の入植で、現在はFIJI総人口の約5割が「FIJI人」。約4割が「インド人」。その他アジア系など「1割」が住んでいます。 
1987年以降、相次ぐ「クーデター」が起こり、1997年「新憲法」公布。2007年に新政府が出来上がりました。 

8月29日(月)その4 団長の目から町中学生海外派遣を

<団長の目から町中学生海外派遣事業を振り返る2>今日から、1学期後半がスタートしました。引率の小林先生は熱も下がり出勤してきました。参加団員生徒の一人が疲れからか、お休みです。 私は、28日(土)、29日(日)の2日間、団長の気疲れでしょうか終日、ぐうたら(でれでれ)していたので、今日は少しは元気が出ました。

〇成田空港から旅立ち、フィジー共和国へ向かいました・・・・・・バスは10時30分前に、成田空港北ウイングに到着しました。 東関東道から成田空港へ高速道路がつながり、以前の首都高のような渋滞もなく時間どおりに到着、ありがたく感じました。
港内の搭乗券カウンターまで、小堀教育長さんと戸井田生涯学習課長さん、今平社教主事が一緒にバスに同乗し見送りをしてくださいました。
***私は2つの他の市で3回海外派遣で引率しまたが、教育長が自ら成田空港までお見送りいただいたのは、はじめてでした。
さて、問題です。日本からフィジー共和国までの距離はどのくらいだと思いますか? 答え1 約5000km   2 約8000km   3 約10,000km  正答は「2 約8000kmです。
飛行時間としては、9時間から11時間でが、数年前から採算面で日本からフィジーへの直送便がなくなってしまいました。 そこで、韓国のハブ空港である仁川(インチョン)空港で、コーリア・エアラインを乗り継いでフィジーに向かいました。
ただし、ここでまた問題です。成田から仁川まで約2時間30分、乗り換え時間が約2時間30分。仁川(19時25分発)からフィジーのNADI(ナンディ)空港到着(朝の8時20分 日本時間では5時20分)まで、約10時間30分かかりました。
           
***行きの飛行機に乗っている総時間は約13時間。 椅子に座ったままで、仁川空港を飛び立ち「ゴーゴー・・・」と連続する大きなジェット音を聞きながら、団員生徒たちや引率職員は、寝つけないままの機中泊で海外派遣2日目を迎えました。引率したフィジー出身のレオーネ先生は、「来年、日本からフィジーへの直送便が計画されています」と言っていました。
***以前の海外派遣の教訓で、「搭乗」「検閲」「出国」手続きまで、「パスポート」保持の確認を何回も行いました。「パスポートは外国では、自分を証明する唯一の証明書だよ。命の次に大切なものだよ。」などと、何回も言いながら、どの生徒もトラブルなく出国、フィジー共和国に入国することができました。 
***次回の団員生徒は、椅子に座って寝る経験を海外派遣の前に家で1回、2回体験しておくことが必要だなと感じました。

8月28日(日)その2 団長の目から海外派遣を1

<団長の目から町中学生海外派遣事業を振り返る1>平成28年8月21日(日)から26日(金)までの4泊6日の「町中学生海外派遣事業」(以下、海外派遣と言う)が実施されました。
団員として参加した町内在住の20名の生徒及び引率者が、全員、大きな事故や病気、けがもなく帰町できたことを心から嬉しく感じております。
北中のホームページのブログを使いながら、団長の目から見たエピソードなども加えながら海外派遣のようすを振振り返ってみたいと思います。 団員生徒やその保護者以外にも、現在1年生やその保護者の皆様にもご覧いただけると幸いです。

〇団員選考試験・・・・・・今年度は募集人員を大幅に超える36名から、選考試験(作文、面接、簡単な英会話)を経て、20名が決定しました。 私見が入らない配慮から、私や阿久津中の校長は選考試験には加わりません。 どうしても、当落が出てしまうので、「落選」の生徒にはかわいそうになってしまいました。
***次年度、期待することとして、チャレンジ心旺盛な男子たちの応募が増えてほしいです。 

〇3回の事前研修会・・・・・・7月末から2回の土曜日と山の日の午後(13時から17時まで)に、3回の事前研修がありました。 この3回の事前研修に親子で参加することになります。 団員生徒は、海外派遣の6日間と事前研修の3日間を会わせた「9日間」が研修の時間となります。 
3回の事前研修会の中で、旅行の心得や準備品の確認、英会話・フィジー語の学習、だ出し物の練習、交流時のプレゼントや品物の作成などを行っていきます。団員の保護者は、生徒の送迎と同時に、海外派遣(旅行)に関する内容の話を聞いていただきます。都合で事前研修に参加できない場合は、後日、生涯学習課に来校していただき、研修内容を聞いて確認していただきました。 
私の目からは、この3回の事前研修で、他校生徒同士の人間関係ができていったように感じました。
       
***引率する2名の先生と私、そしてレオーレ先生、菊地補佐も、都合をつけて3回の研修会に参加しました。どの引率者も 8月21日からの海外派遣に向けて「休めない研修会」と受け止めて、プレッシャーがかかる3回の事前研修会でした。
***今回は、出し物として「よさこいソーラン」を練習し、交流したサンベト・ディスクリクト・スクールで力強く踊ってきました。     

7月17日(日)その2 校長室コラム「町中学生海外派遣・・・」

<校長室コラム「町中学生海外派遣事業 団員等決定しました」> 先週末の15日(金)、16時から町改善センターで「町中学生派遣事業実施委員会」が開催されました。この中に、8月21日(日)から実施される派遣団員等が決定されましたので報告いたします。
なお、団員の氏名を掲載する関係で、「グループスペース」内の「北高根沢中学校(ブログ・保護)」にアップしますので、保護者の皆さんは「ログイン」をクリックしログインID「guest」、パスワードを入力してご覧ください。
 

7月5日(火)その2 第1回清掃コンクール 結果

<第1回清掃コンクール 結果> 6月30日(木)の放課後、生徒会環境緑化専門委員会主催で「清掃コンクール」を行いました。 チェック点検項目を見せていただきましたが、「黒板がきれい」「椅子が整っている」「窓のレールがきれい」など、20項目の厳しいチェックの結果、次のクラスが入賞しました。
〇第1位・・・・・・3年2組
〇第2位・・・・・・・・・3年1組 と 2年1組
〇第4位・・・・・・・・・・・・2年2組  と言う結果報告がありました。「さすが、上位は3年生2クラスでした!」 第1位と2位の差は、1ポイントという僅差だったようです。 後日、集会時に賞状が授与されます。

6月14日(科)その3 体育祭「生徒の活躍 その4」

<体育祭「生徒の活躍 その4」> 「体育祭」の写真を3回続けて掲載してまいりました。今日で4回目、最終となります。
○種目21「竹取物語」から「閉会式」、後片付けまでの写真を掲載・・・・・・
                                                    
******今年度の「体育祭」での生徒たちの熱く、輝くようすをたくさんの写真でお伝えしました。 「新たな北中」「Happinessな体育祭」「進化した体育祭」を目指して、生徒そして職員スタッフが、一体となって取り組みました。「閉会式」で成績発表があり、負けた紅組の生徒の数人が涙を流していた姿が、私には最高に感動した場面でした。

6月13日(月)雨 その1 体育祭その3「生徒の活躍写真」

<体育祭その3「生徒の活躍写真」>」今日は、「体育祭」の振替休日でした。朝からあいにくの雨で、一日降り続いていました。
昨日のホームページには、「226件」のアクセスをいただきました。感謝申し上げます。 今回の「体育祭」での私のカメラでの写真撮影は、教育実習の菊地先生と見目先生に依頼しました。撮影した写真を種目ごとに紹介しています。
〇種目12「磨け女子力」(全女)から種目20「たんたんリレー」(3年男女)までを紹介します。
                                               

6月12日(日)晴れ その1 体育祭その2

<体育祭その2「生徒の躍動の姿」>昨日に続いて、「体育祭」の生徒たちの活躍、躍動のようすを写真で紹介します。
〇プログラム3番「Red or White」から7番「北中ハリケーン」まで・・・・・・
                                                   

5月24日(火)晴れ その1 PTA理事会「5月19日に開催」

<PTA理事会第1回「5月19日に開催されました」> 19時00分からPTA企画委員そして、各地区から選出された理事さん、学年部員さん方にも参加をいただき、第1回PTA理事会を開催しました。
〇協議内容・・・・・・
1 推薦理事の発表及び承認
2 各専門部長の発表
3 各部所属の発表
4 各部会に分かれて、副部長の選出及び今年度の年間事業計画の作成、PTA研修事業への参加者の決定等
5 全体会で、各部から今年度の年間事業計画の報告
その後、企画委員全員で集合写真撮影をして、終了しました。
***北中の進化のために、PTAそして保護者の皆様にも、学校つくりのスタッフとしてご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます。 
        

5月15日(日)晴れ その1 1年遠足「写真でダイジェスト」

<1年遠足「写真でダイジェスト」> 風は吹いていましたが、暑い一日でした。先週の金曜日に1年は東京上野公園への遠足に行きました。 上野公園内は、たくさんの人で大混雑状態だったようです。 班ごとに、計画・予定していたところや場所に移動するにも大変だったようです。
〇1年遠足のようすを写真で紹介・・・・・・榎本学年主任が撮影した写真のデータをいただきましたので、紹介します。
              

5月12日(木)その2 1年球技大会 開催

<1年 球技大会開催>昨日の11日(水)に、1年は学級対抗「球技大会」を行いました。
〇球技大会 結果・・・・・・外野の人数で勝敗を決定とあるので、種目は「ドッチボール」でしょうか。結果をお知らせします。
総合 優勝・・・3組
 男子優勝・・・1組
 女子優勝・・・3組 でした。「3組の皆さん、おめでとうございます。」
***「球技大会」の風景写真は、明日、アップいたします。
    

4月23日(土)晴れ 校長室コラム「県北大会 応援に」

<校長室コラム「県北大会の応援に行きました」>今日は、最高気温24度という予報でした。「夏日」で、暑いくらいの一日でした。 
今日は、柔道とソフトボールの県北大会がありました。
〇柔道大会・・・・・・今日、大田原市の県北体育館内の武道場で予選リーグが開催されました。9時40分から開会式がありました。 男子13チーム、女子6チームが参加していました。 10時からA・Bブロックに分かれて予選リーグが行われました。
北中男子は、2年、3年で5名の団体チームが組めました。予選リーグ、3チームの総当たり線を行い、結果は「1勝1分け」。 湯津上中と決勝トーナメントをかけた代表決定戦で、惜しくも負けてしまいました。
決勝トーナメントに進出できなかったのは、残念でしたが、次の地区中体連春季大会につながる大会になったと感じています。
  


〇ソフトボール大会・・・・・・県北大会は、大田原グリーンパークで行われました。北中ソフトボールチームは、第2回戦が初戦で、対戦相手は東陽中でした。
1回裏、ノーアウト満塁から1点を先取しましたが、東陽中が3回表に2アウト満塁から右中間に3塁打を打たれ逆転、3点をとられてしましました。
そのまま、7回終了し、惜敗となってしまいました。 選手たちは、一投、一打の難しさを十分に自覚できたことと思います。 次回の大会では勝ってくれると期待しています。 親の会の保護者の方々の他、祖父母の方々も応援に来ていただいていました。ありがとうございます。