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10月27日(木)その2 中村雅俊氏の講演内容から3

<中村雅俊さんの講演内容から 3> その2の続きを書かせていただきます。 
〇俳優となり、結婚した頃・・・・・・オノ・ヨーコ(ジョン・レノンの奥様)と出会う機会がありました。中村雅俊さんは奥さんと二人で待ち合わせのホテルに向かいました。
●「中村雅俊を知っていますか?」とオノ・ヨーコに聞くと、「知らない」と答えたそうです。
「では、どうして中村に会ったのですか?」とまた聞くと、オノ・ヨーコは「運命だと思うから」「私はYESと言って、すべてのものを受け入れるようにしている」と答えたそうです。
中村雅俊は、オノ・ヨーコとの出会いから、「受けたものはYES」と言えるようになったそうです。******中村雅俊さんの人生観、そして仕事観はオノ・ヨーコとの出会いで大きく変わったようです。 「何事もYES」と言える人間。 私のこれまでの仕事も「ほとんどYES」だったように感じています。

●「かっこよさ」とは・・・・・・見た目ではなく、内面的なもの、にじみ出てくるものと思っている。この世界(業界)では、人気者が次々に代わっていく。 役にぶれない「脇役」がいて芝居やドラマは支えられる。 本当の「かっよさ」とは、「脇役」のような人を言うのだと思う。 

●一流の人に出会える・・・・・・この職業(俳優、歌手)になると、一流と言われる人と出会える。話ができる。そして自分が出会いから育ち磨いていけました。 

●文学座に14年間、在籍・・・・・・座長 杉村春子さんに影響を受けました。 それは、楽しいと思って生きていく方がいいかな、ということでした。 中村雅俊さんは楽しいと思ってやっていくと、自分にいいことが舞い込んでくる経験を多くしたそうです。

●石巻市東松島 津波で統合、新設した「桜花(おうか)小学校」の校歌を依頼された・・・・・・校歌を作詞、作曲をするのははじめて。 神聖なものだし、悩みながら完成する。 中村雅俊さんは完成した譜面を持って、「桜花小学校」へ行き、児童の前で校歌を歌ったそうです。すると、児童たちのお返しに、その「校歌」を大きな声で合唱してくれました。 送られた譜面から、短時間で小学校の子供たちが一生懸命練習をしたそうです。 「俺って、いいことしたな」と感じたそうです。

●講演のまとめ・・・・・・自分の人生に影響を与えてくれた人は、オノ・ヨーコさんと杉村春子さんです。 「YESと言って、すべてのものを受け入れる」(オノ・ヨーコ)
そして「楽しいことを思って生きていく」(杉村春子)
自分の性格・・・好奇心が強く、何にでも首をつっこむ。悪いような良いような性格が良かったのかな。 振り返った人生、後悔しない、と話されて講演が終わりました。
******3回に分けて、中村雅俊さんの講演内容を紹介しましたが、全国から集まった中学校長2000人の前で、「役者魂」を感じた90分間でした。 
私には6歳上の「兄貴」のような存在の人なので、より身近により真剣に講演を聞き入ってしみました。 雅俊さんの話された「YES、すべてを受け入れる」「楽しいことを思って」を、私もこれからも実践していこうと思います。  

10月26日(水)その2 中村雅俊氏の講演内容2

<中村雅俊氏の講演内容から 2> 前回に続いて、大学時代からの中村雅俊さんが歩んだ道を書かせていただきます。
〇慶應大学に入学・・・・・・高校時代、五木寛之の本の影響から「外交官」になるという目標を持ちました。
●そこで、大学入学後、英語部(ESS)の「英演劇」に入部します。 1年、2年はスタッフとして仕事をし、3年で「ちょい役」が回ってきます。 この頃、ギターを弾いて曲も作っていたのを劇作家「奈良橋 陽子」さんに認められます。

●大学4年で、「文学座」の研究生の試験(オーディション)に予想外で合格します。 このとき、テレビドラマで「学園もの」の主役の選考があって、見事合格。 
最初の主演作がNTVの「われら青春!」。 そのあと、「青春ど真ん中」、「夕陽が丘の総理大臣」と次々に主演でドラマに出演しました。
***私の年代はこれらのTVドラマを毎週欠かさず観ていましたが、北中のお父さん、お母さん方はご覧になっていたでしょうか!?。

●ドラマ出演の時に、シングルレコード「ふれあい」を出す。 当時、「ふれあい」はオリコン10週連続1位。 レコードが「100万枚」売れたそうです。 

●テレビドラマ「俺たちの旅」では、当時の若者に影響を与えました。 下駄をはき、ジーンズでバイトばかりしている大学生役でした。
 同時に、主題歌「俺たちの旅」のレコードを出すと、オリコンで最高2位。 このドラマで、中村雅俊さんは「俺は役者をやっていこう」と決意したそうです。 
******講演のこの続きは次回に掲載します。 大学時代、演劇と歌、そして俳優として自活していく中村雅俊さんの姿がお分かりと思います。 そして、ドラマの主役抜擢など、ラッキー(幸運)な人生の巡り合わせもあったように感じました。 

10月5日(水)その2 「それって、いじめじゃない月間」

<子育て・親育ちの眼「子ども人権だよりに北中が紹介されました」>栃木県が発行している「子ども人権だより」9月号に、北中の紹介記事が掲載されました。

〇掲載記事内容は・・・・・・「赤ちゃんとのふれあい学習(2年)」と「東小学校へ出向いてのあいさつ運動(生徒会)」、「足尾体験植樹(1年)」の3つの紹介でした。 
北中生徒の人権に配慮したふれ合いや学び合い、他校との交流など、「人権教育」に関わる事業や学習が紹介されまた。 
******この「子ども人権だより」は、県内の小・中・高校等に配布されるので、新たな北中を紹介するには絶好の機会となると考えます。
   

9月5日(月)その2 団長の目から海外派遣11

<団長の目から海外派遣事業を振り返る11> 8月26日(金)に、町中学生海外派遣団員が帰国してから、北中のホームページを利用して、「団長の目から海外派遣を振り返る」というタイトルで書き込みをしてまいりました。 今日は、「海外派遣に参加して」の私の感想や意見をまとめた総括を書いて、最終とさせていただきたいと思います。

〇 「Bula!」、そして「Big Smile」Fijianとの出会いから・・・・・・団長、総括を掲載します。   
●最初に、平成28年度高根沢町中学生海外派遣団が大きな成果を得て、全員が無事に帰町できたことを感謝申し上げます。

●さて、3回の事前研修会の中で・・・私を含めた引率者たちは、団員たちの顔やようす、性格などを確認しながら、多少の不安(3回の研修中、20名、全員そろった日がなかったことなど)もある中で、出発の8月21日(日)を迎えました。
     

●6日間の高根沢町中学生海外派遣事業(以下、海外派遣と言う)の中で、団長の目から感じた(考えた)ことを3点、書かせていただきます。

★1点目は、参加団員20名の素晴らしい態度と姿勢・・・はじめて海外に出る生徒がほとんどでした。海外では細心の注意を払っても、想定外の出来事や事件が起きます。団員全員が、「協働」の気持ちで動けるかがカギでした。
 3日目の朝、事件が起きました。朝食の集合時間に団員数名が姿を現さず、室内電話をかけても音信不通。呼び出し続けるとやっと寝ぼけた声が・・・。遅れた生徒たちに話を聞くと、日本では許されるくらいの理由でした。
ただしここは異国の地、「FIJI」です。私からは、時間前に集合している友達へ、謝罪をするように伝えました。
菊地補佐からも、「ここは外国です。約束やルールは必ず守っていきましょう。」と、全体に話もありました。 それ以降、高根沢町に到着するまで、注意を受ける団員はいませんでした。 
  

★2点目は、今回のプログラム(行程)・・・英語の語学研修と同時に、Fijianとの出会いや文化にふれ合える研修、地元中学生との交流学習、地球規模の環境(公害)の研修・体験など、盛りだくさんの内容でした。
団員生徒は、このプログラムの中で貴重な経験や体験をすることができました。
   

★3点目は、陽気で、世界中で1番笑顔が美しいと言われるFijian(フィジーの人々)に出会えたこと・・・「Big Smile」、会う人会う人に輝く笑顔を見せるFijianがとても印象的でした。
FIJIの人々は、日々、楽しく仕事をし、たくさん食べ、「カバ」を飲んで陽気に語り合いながら眠るというのが日課のようです。たくさんの明るいFijianに出会うことで、日ごとに団員たちも笑顔が多くなり、Happinessになっていきました。
 

●今回の海外派遣を経験できた生徒は・・・世界的な視野が広がり、語学への意慾もかき立てられたものと思います。将来、町のために県のために、日本のために、世界のために必ずや力を発揮してくれるものと期待しています。
   

● 最後に・・・このような機会を与えてくださいました高根沢町、町議会、町教育委員会、町国際交流協会等の皆様に感謝申し上げます。 Vinaka(「Vinaka」はFiji語で「ありがとう」)

******高根沢町の海外派遣団にお手伝いや御支援をいただきましたFIJI政府並びにFiji大使館、Fiji西ブロックの知事様、NADIの教育長様、OISCA、JTB、現地旅行社(ROSIE HOLIDAYS)のスタッフなどに感謝とお礼を申し上げます。 

9月4日(日)その2 団長の目から海外派遣10

<団長の目から町中学生海外派遣を振り返る10> 今日は、行程5日目のOISCA(オイスカ)での活動について書きます。

〇シンガトカ町のOISCA FIJIの活動に協力する・・・・・・シンガトカ町は、宿泊地のNADI市からは車で1時間ぐらい南下した海沿いで、美しい「コーラル・コースト」がある人口約2万3000人ぐらいの町です。
●OISCA FIJIの研修施設・・・シンガトカ町の山の中に、施設と農場、田んぼ、畑が広がっていました。 ここで、Fijiの青年たちは約3ヶ月から6ヶ月間、農業研修をしながら指導技術と経営を学びます。研修を修了した青年たちは、地元にもどり「農業指導者」として、地域の農業の振興に貢献することになっています。 研修生徒の中には、日本の四国にあるOISCAに研修に来たり、筑波大学等の大学農学部に留学する青年もいます。
       

●公益財団法人OISCA JAPANとは・・・・・・すべての人々が、さまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り、育てようとする世界を目指して1961年に設立される。本部は日本に置き、現在34の国や地域に組織する国際NPO法人です。
農業開発や人材育成、海外開発協力、環境保全、子供の森作りなどを行っています。

●OISCA FIJI(シンガトカ町)での研修内容・・・・・・最初に、研修農場内の見学をしました。 日本の豚より2倍大きい豚の飼育のようすを見たり、牛を使って畑の開墾をしているようすなどを見ることができました。
その後、研修室に入り、研修所長代理のジュジュさんから講義(レクチャー)を受けました。「OISCA」の概要や活動内容(海の環境保全、公害への取り組み)などの話がありました。
その後、村の訪問や村民との昼食会にもOISCA職員も同行してくださいました。
昼食後、「コーラルコースト」に移動し、珊瑚の砂浜に「マングローブ」の移植の準備をしてくださいました。
今回、移植する「マングローブ」の苗木をOISCAは、「800本」用意してくださいました。約2時間かけて、スコップで砂浜に穴を掘る人、マングローブを移植する人、苗木を海辺まで運ぶ人、苗木の育苗ポットを集めて片付ける人など、役割を決めて、団員生徒とともに、OISCA職員、村人たち、添乗員や現地ガイドさんまで全員が参加して800本の苗木を移植することができました。
***移植した800本の「マングローブ」は5年後には2mぐらい成長し、10年(15年)先には、5mぐらいの成木になるということです。「OISCA」の研修所長代理のジュジュさんは、「是非、10年後に、このコーラルコーストを訪れ、マングローブの成長の姿をみてください。」と言っておられました。
         
***Mz Jocelyn L.Matunhay.(お世話いただいたジュジュさんへ)  
     Chief Representative OISCA Fiji.
Bula. Good evening.
It had been very kind by a visit of  Takanezawa-machi delegation.
I'll be thankful for attention of OISCA  and correspondence.
I'd like to ask coral Coast again about 10 or 15 years later to see growth of a transplanted mangrove.
Thank you very much. Vinaka.  Sincerly Mz JUJU San
       Head of Delegate in Takanezawa-machi   Toshio Gomibuchi