ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

6/19展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します

7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。

 6月19日、展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します。郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

当日は、昭和7年(1932)と昭和48年(1973)に撮影された16mmフィルムもご覧いただく予定です。

このうち、昭和7年の16mmフィルムは「大凧飛揚実況」という題名で、約5分と短いものですが、大凧あげまつりの様子とともに、移転前の宝珠花の街並みや江戸川に設置されていた船橋も撮影されており、大変貴重なものです。

 

お申し込みは等は下記の通りです。直接のお申込み、お電話でのお申し込みのほか、期間中いつでもお申込みできる電子申請でのお申込みも用意しております。ぜひご利用ください。

 

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

<春季企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」>

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

【6月3日】 #今日は何の日? in春日部

今から147年前の明治9年(1876)6月3日は、明治天皇が粕壁で昼食をとられた日です。

明治天皇は、明治9年6月2日、奥羽巡幸のため、東京を発し、陸羽街道(旧日光道中)を北上され、同日は草加の大川家を行在所とされました。同3日、草加を立ち、蒲生(現越谷市)で馬車を停められ、田植えをご覧になりました。その後、大沢町で御小休し、粕壁に到着されたのは、午前10時40分ごろ。粕壁の三枚橋地区の竹内彦右衛門宅で御昼食をとられました。竹内家は、幕末期に本陣をつとめた旅籠高砂屋旅館。春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。ご昼食を済まされた後、午後1時15分ころ粕壁を出発され、杉戸で御小休、幸手の知久家を行在所とされました。

ただ、高砂屋(竹内家)については、埼玉県による聖跡の調査報告書『埼玉県史蹟天然紀念物調査報告書』(大正12年刊)には、明治20年頃に家屋を売却し、当時の現状をとどめていないと報告されています。大正時代でもそうだったのですから、当然、現在は見る影もありません。

わずかに地元に残る資料として知られるのが、粕壁いろはカルタという昭和初期と推定される粕壁町の名所・名物などを紹介するカルタです。このなかの「ほ」の札が、「ほまれも高き高砂屋 君のみゆきを松のはな」となっています。絵札はこちら(『春日部市史近現代資料編1口絵より)。

画像:粕壁いろはかるた

当方も原物をまだみたことがありませんが、昭和初期の当時にはすでに無かったと思われる門が描かれる絵札です。当時の粕壁の人たちのなかには、かつてあった高砂屋が明治天皇の御昼休所(聖跡)であったという記憶が残っていたのかもしれません。

これまで、明治天皇が御昼食をとられたことは、話題になることも少なくありませんでしたが、実は、巡幸に供奉した面々も豪華なのは意外と知られていないようなので、少し蘊蓄を。当時の供奉していた人物として、岩倉具視、木戸孝允、土方久元などがいます。ことに木戸は日記を遺しており、粕壁では区務所で昼食したといいます。また、巡幸の先発隊に大久保利通がいます。ただし、大久保は粕壁で昼食はとりませんでした。

さすが、明治天皇、名立たる明治維新の功績者を連れ従えて巡幸されるのですから、いろいろなエピソードが残っていてもよさそうですね。小生も学芸員として資料調査に勤みたいものです。

147年前の今日6月3日、市域の人たちはどのように巡幸の行列をみたのでしょうか。また、明治天皇や供奉した人たちは春日部をどのようにみていたのでしょうか。そんなことを思い巡らせながら、かつての宿場町粕壁を散策されてみてはいかがでしょうか。

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月28日版9月16日版

川辺小学校3年生「総合的な学習の時間」に縄文体験を行いました!!

 6月1日(水)は今年度最初の出張授業(縄文体験)を行いました。通常は小学校6年生の社会科の歴史の学習が始まるころに出向いていますが、川辺小学校ではこの数年、3年生の「総合的な学習の時間」にお呼ばれしています。今回は『学校付近の昔むかし』と題し、児童のみなさんの自宅がある米島や東中野地区で確認されている縄文時代の貝塚を中心に学習に取り組みました。もちろん、さまざまな体験メニューで「観て」「触れて」「考えて」を実践してみました。

導入 貝塚紹介土器観察

▲ 導入では学区内の貝塚を紹介。熱心にメモを     ▲担任の先生と縄文土器の形、なわめをじっくり

とりつつ、周辺に海原が広がった歴史に驚きが      観察。「ぜんぶ、本物なの?!」『全部です!!』

貝観察    黒曜石切れ味体験

▲縄文時代と12万年前のアカニシと大きさを比較。  ▲6年生にも人気な黒曜石の切れ味体験。みるみるうちに

外郭放水路では12万前の木下層から多種の大きな    段ボールがぼろぼろになるほど、試し切りが楽しくなって

貝種が発見されたことを伝えると皆ビックリ!     しまいます。「こんなに切れるんだ!!」

 6月からは3年生の「総合的な学習の時間」をはじめ、6年生の社会科へ出向きます。授業の様子は本ブログでご紹介していきますのでお楽しみに覗いてください。

【県外の春日部スポット】春日部ゆかりのフランス文学者

先日、資料調査で都内の春日部ゆかりの施設にお邪魔しました。その名も豊島区立鈴木信太郎記念館です。今日は、同館についてご紹介します。 #かすかべプラスワン #書斎 #フランス文学

写真 鈴木信太郎記念館

東京メトロ丸の内線の新大塚駅から徒歩3分ほどの住宅街の中にある鈴木信太郎記念館。

鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究黎明期に活躍したフランス文学者です。鈴木家は、下総国葛飾郡下吉妻村(今の春日部市下吉妻)の農家で、大地主でした。明治期になり、自家で所有する田んぼからあがる小作米を商売の元手とし、神田佐久間町(現東京都千代田区)で米穀問屋を営むようになったいいます。信太郎がフランス文学に打ち込めたのは、米穀問屋、そして地主として経済的な後ろ盾があったからのよう。信太郎自身は東京生まれ、東京育ちですが、先祖の地(下吉妻)に訪れることもあったようです。

現在の記念館の地は、信太郎の父の時代、大正7年に住まいを移したものですが、戦災で一部が焼失してしまいました。焼失した家屋部分には、昭和23年に下吉妻の鈴木本家から明治20年代に建てられた書院座敷が移築されました。ですから、下の写真の和風建築の座敷棟は、春日部ゆかりの近代和風建築なのです。

下吉妻から移築された家屋室内の様子

室内は落ち着いた雰囲気です。記念館の建物は、信太郎が亡くなった後は、息子で建築学の専門家である成文氏が住んだそうです。建築学に通じた方であったことから、古い図面や当時の意匠を保存されたそうです。小生は建築のことは明るくありませんが、春日部の吉妻にあった当時の雰囲気もそのまま遺っているといえそうですね。春日部市内で古民家の内部までを公開している施設はありませんので、古民家をみたいという方には、鈴木信太郎記念館を紹介してもよいのかなと思いました。

鈴木信太郎記念館の見どころは、これだけじゃありません。おすすめは書斎棟です。書斎棟は、信太郎の書庫兼書斎(仕事場)でした。昭和3年に当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造で建てられました。それだけの経済力があったということにも驚かされますが、頑丈な書庫にこだわった理由は稀覯本の収集家でもあった信太郎の悲しい経験に求められるそうです。かつて、フランスに留学していた信太郎は、パリで買い集めた約1000冊の貴重書を日本へ船便に送ったところ、輸送中の船内の火事によりすべて焼失してしまいました。信太郎は大変落胆したそうですが、再び収書をするにあたり、二度と本を失わないように鉄筋コンクリート造の書庫を建てました。

戦中の城北大空襲で母屋などは焼失してしまいましたが、この書斎棟は焼失を免れ、中の本も無事に守られました。下の写真は書斎棟の内部です。

鈴木信太郎の書庫書斎

帝大の先生のこだわりの書庫とだけあって、圧巻されました。写真では伝わりづらいのですが、本当に別世界です。昭和初期の学者の書庫・書斎が、そのまま遺っているようで、和風建築とは180度雰囲気が違います。こんな書庫がほしいなぁと思わず漏らしてしまいました。書庫だけでも見学の価値あり!おすすめです!

ちなみに、書庫の棚は一部は展示ケースとして活用されており、信太郎が集めた貴書や知人の文学者の署名入り本などが展示されています。フランス文学の貴重本は、獨協大学に寄贈され、保管されているそうです。

鈴木信太郎記念館、知る人ぞ知る春日部ゆかりのスポットといったところでしょうか。ぜひ、見学をおすすめします。

なお、鈴木信太郎・鈴木家と春日部の関係については、信太郎の次男でフランス文学者の鈴木道彦氏『フランス文学者の誕生』(筑摩書房、2014年)に詳しく紹介されています。 

所在地
〒170-0013東京都豊島区東池袋5-52-3

電話
03-5950-1737

交通案内
東京メトロ丸ノ内線新大塚駅より徒歩約3分  詳しくはこちら(池袋から) 詳しくはこちら(銀座・茗荷谷方面から)
JR山手線大塚駅南口より徒歩約8分
都電荒川線大塚駅前及び向原停留場より徒歩約8分
(駐車場・駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。)

鈴木信太郎記念館ホームページ

【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】ミュージアムトークを開催しました

7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

 

5月22日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」のミュージアムトークを開催しました。

ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。

前にもお知らせしましたが、展示では、「宝珠花の歴史」、「春日部の大凧」、「大凧会館」、「大凧の歴史」、「各地の凧」の5つテーマで資料を紹介しています。

今回の展示のメインテーマは「大凧」なのですが、大凧あげが続いてきた素地として「宝珠花の歴史」も非常に重要です。展示では、古代の「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦(かいのうちいせきしゅつどしもうさこくぶんじのきひらがわら)」、近世の「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」、「長久記(ちょうきゅうき)」の3点の実物の春日部市指定文化財を展示しております。このほかにも、宝珠花地区ゆかりの指定文化財があり、市内では最も指定文化財が多い地域です。本展の「宝珠花の歴史」コーナーはわずかなのですが、歴史ある地域だからこそ大凧あげが伝わったことをご理解いただければ幸いです。

もちろん大凧あげも、「宝珠花の大凧揚げ」として市指定文化財、「関東の大凧揚げ習俗」として国選択無形民俗文化財となっています。

なお、「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦」は常設展示で展示しておりますが、「小流寺縁起」と「長久記」は普段は展示しておりませんので、この機会にぜひご覧ください。

 ミュージアムトークの様子1

ミュージアムトークの様子2

次回のミュージアムトークは企画展示最終日の7月3日(日)を予定しております。また、6月はミュージアムトークを予定しておりませんが、座学での展示解説講座を開催します。ご参加お待ちしております。

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。

 

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

大凧マラソン大会のパネルが追加されました

7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

展示室に大凧マラソン大会の紹介コーナーを、啓発品のポケットティッシュとともに、スポーツ振興課のご協力のもと設置しました。

大凧マラソン紹介コーナー

大凧マラソンの紹介

大凧マラソン大会は、大凧あげ祭りを全国に発信するための大会として毎年5月4日に行われています。しかしながら、コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和2年、3年、4年と中止しています。

最も長い距離のハーフマラソンは、庄和総合公園東側をスタートし、庄和地区南部まで南下、江戸川の土手に出て北上し、西宝珠花から再度、南下して庄和総合公園でゴールとなる庄和地区をほぼ1周するコースです。田園風景や広大な江戸川など、豊かな自然に囲まれたコースを走ります。

第1回大会は平成元年(1989)5月3日に行われ、広報の記事によると、1,023人が参加されました。最も長い距離は20㎞でした。約300人の市民ボランティアが参加したようです。平成7年(1995)から開催日を5月4日とし、3日と5日の大凧あげ祭りの中日に行われるようになりました。

令和元年(2020)に行われた第31回大会では、エントリー者数が10,779人と第1回大会の10倍以上、ボランティアで構成される競技役員も、第31回大会では約900人と、規模の大きい大会になっています。

令和5年(2022)は、無事、大凧マラソン大会が開催されるよう願っています。

第1回大凧マラソンを伝える広報しょうわ

第1回大凧マラソン大会を伝える「広報しょうわ」平成元年6月号

 

 

ふれあい大学で「春日部市の歴史」を講義しました

5月18日(水)ふれあい大学で「春日部市の歴史」について、話させていただきました。 #かすかべプラスワン

写真:ふれあい大学

ふれあい大学は、春日部市の事業で、主に高齢者の方々が、生活、健康、市の環境や地域活動について学習し、心身の健康を培い、生きがいを高めることを目的としています。

「春日部市の歴史」の講義は、例年、ふれあい大学からご依頼いただいているもので、春日部の地名の成り立ち、春日部のあゆみについてお話しします。「春日部と粕壁の表記がどちらが古いか」という問い、そしてその由来をお話しすると、市内に住んで長い皆さんでも驚かれる方も多いようです。「春日部」と「粕壁」の話題は鉄板ネタです。春日部のあゆみについては、人が春日部に住んでから3万年の話をわずか60分で話します。地形に着目して、人々の生活領域が高いところ(台地)から低いところ(低地)へとだんだんと広がっていくことを軸に話しますが、近現代の市域の変貌に驚かれる方が多い印象です。

なかには「春日部市の歴史」を聞いても退屈に感じ、講義中、夢の中に迷いんこんでしまう方もおられるようですが、地元の歴史文化を見つめ直すことで、見識が広がり、普段何気ない平凡な日常が輝くこともあるのではないでしょうか。あるいは、今・現在を相対化することにもつながるのではないでしょうか。歴史を学び、豊かに生きる。まさに「かすかべプラスワン」だと思いますが、いかがでしょうか。

と、そんな話をしていたところ、受講者の女性の方からあるサイトを紹介されました。ご主人が運営されている「ピンピンコロリ村」というホームページです。庚申塔を紹介しているからぜひ見てくださいとのこと。ホームページを拝見すると、ただの庚申塔サイトではありません。かつて「ふれあい大学」を受講されたご主人は、ふれあい大学で学んだ「ピンピンコロリ」のポリシーを、春日部市内に点在する庚申塔を踏査することで果たしていこうとされるものでした。庚申塔をすべて写真で記録して、文字を解読し、一覧化されています。市では『春日部の庚申塔』『春日部の板碑』『庄和町史資料 石造物Ⅰ』『同Ⅱ』などを刊行しているところですが、この遺漏や誤謬も訂正されているとのことで、大変充実した内容となっています。石造物を一覧するデータベースとしても有用です。地元の歴史を顧みることは、「ピンピンコロリ」にもつながるという考えも、もっともだと思います。まさに「歴史を学び、豊かに生きる」の実践といえそうです。ふれあい大学現役の皆さんも必見です。「ピンピンコロリ村」ぜひご覧ください。

教育委員の皆さまが「宝珠花の歴史と大凧あげ」を見学されました

7月3日まで第65回企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催中です。

 

5月17日(火)、定例教育委員会終了後、教育委員の皆さまに「宝珠花の歴史と大凧あげ」をご見学いただきました。

じっくりとご覧いただき、歴史ある宝珠花と大凧文化をご理解いただけたことかと思います。また多くのご質問もいただき、やはり大凧は地域に根ざす、誇り高い文化であることを再確認しました。

このような大凧文化を未来へ伝えられるよう、微力ながら資料館も活動を継続していきたいと思います。

 教育委員見学

古文書解読ボランティアの活動を再開しました

5月15日(土)、市民の方々が主体となって #春日部市郷土資料館 所蔵の #古文書 を解読する「古文書勉強会」を再開しました。

写真:古文書勉強会の様子

古文書勉強会は、郷土資料館に眠る膨大な古文書を、古文書を解読したい、もっと勉強したいという有志の方たちで、解読し、その成果を館に還元していただこうとする取り組みです。本格的な活動としては、実に約2年ぶりです。今回からは、心機一転、粕壁の旧家から寄贈された記録「宝暦度より酒造用留」という古文書を講読しました。これまで春日部市史や諸研究で利用されたことのない新出史料であり、春日部市域をはじめ、県東部地域の酒造の動向が体系的に追える好史料だと思われます。

久しぶりの再開でしたので、参加者の皆さんも古文書仲間と「再会」された方も多かったようで、始まる前も休憩中も終わった後も話が尽きない様子でした。帰りがけに「楽しかった」と感想をいただきました。

小生も、ひとつひとつの字や史料を丁寧に読みながら、「あーでもない」「こーでもない」と話し合うのは非常に楽しいひと時でした。皆さんの熱意を感じ、パワーをもらったような気がします。関東の酒造業の歴史を一から学ぶ機会として、臨んでいきたいと思っています。

解読した成果は、一定度たまりましたら、ほごログでも紹介したいと思います。

次回は6月19日(日)14時~です。

大凧会館ー7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

5月17日より、春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催しています。会期は7月3日(日)までです。

展示では、「宝珠花の歴史」、「春日部の大凧」、「大凧会館」、「大凧の歴史」、「各地の凧」の4つテーマで資料を紹介しています。

資料の多くは、解体された大凧会館に展示されていた資料です。大凧制作模型や各地の大凧など、大凧会館の展示をご覧になったことがある方には、なつかしい資料と再会することができます。

大凧会館は大凧の常時展示と大凧文化の紹介を目的として、平成2年(1990)に開館した施設です。4階まで吹き抜けの大凧展示室では、15×11mの大凧4面を壁に展示でき、大凧あげ祭り前のシーズンには、床面を使用して大凧の制作をすることができました。建物2階には郷土資料室も設置され、庄和地区(旧庄和町)の郷土資料が展示されていました。

しかしながら、平成23年(2011)の東日本大震災(東北太平洋沖地震)で大きな被害を受け、平成26年(2014)に解体されました。

郷土資料館は、15m×11mの大凧はおろか、6m×4mの小凧でも展示することができません。今回の展示を通じ、大凧の大きさと大凧会館のスケールの大きさを改めて痛感しました。

大凧会館竣工時外観

竣工時の大凧会館

 竣工時大凧展示室

 竣工時の大凧展示室

 

「宝珠花の歴史と大凧あげ」について、会期、関連イベントは下記のとおりです。

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

(会期中のイベント)

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:5月22日(日)、7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」準備中です

5月17日(火)から、春季展示が始まります。展示担当者は目下準備中。今回は、担当者になりかわり、大凧あげについて少し紹介します。

去る5月3日に無観客で実施された大凧あげ。無風状態が続き、大凧の飛揚はなりませんでした。ただ、実に3年ぶりに大凧あげとなりました。下の写真は下若組の大凧文字書きの模様です。

写真:下若組の大凧文字書き

関係者の皆さんは、大凧あげにあたり、準備から当日まで大変に力を注がれています。こうした大凧あげの製作過程を絶えることなく地元で脈々と続けてきたことが、大凧あげの伝統を担保しているといえます。いうまでもないですが、コロナ禍で中止されていた大凧あげが再び実施できたことは、伝統を継承するという意味で大変有意義なこととなりました。

なにかと、大凧が揚がったか、揚がらなかったかに話題が集まりがちですが、少し観点をかえて、大凧が揚がるまでの過程に注目してみることも重要なことでしょう。そこで、今回は、先日の取材で拝見した大凧を揚げる前の模様を少し紹介します。

大凧を揚げる前に、引手となる人たちは安全祈願のため、神社に参拝します。上若組は宝珠花神社へ、下若組は愛宕神社にそれぞれ詣でます。今回、取材は上若組の参拝に立ち合いました。

写真:宝珠花神社参拝の様子

上若組は、神社の裏手右側を回って、神前に集まり、参拝します。このとき、神前の鈴のあたりにお神酒を威勢よくかけます。その後、引手でお神酒と豆腐を飲食します。これをキヨメとよんでいます。神社での参拝が済んだあと、境内に「上若」と刻まれる常夜灯の前で参拝、常夜灯に再びお神酒を威勢よくかけます。地元の方は、常夜灯は上若組の守り神だと話していました。また、なぜ豆腐を食すのかは不明とのこと(『庄和町文化財資料11 埼玉県の大凧揚げ習俗』)。

写真:常夜灯参拝

次の写真は神前にかけたお神酒の跡です。鈴のあたりが濡れています。

写真:神前のお神酒

お神酒のかぐわしい香りが漂っていました。

こうしてみると、地元の方々にとっては、大凧あげに付随するこうした民俗的な儀礼をも後世に継承する機会となったともいえそうです。

今回の大凧あげは無観客で関係者や報道機関など限られた方々のなかで実施されました。また通常に開催された折には、大凧の飛揚だけでなく、前後に行われる慣例や儀礼などにも注目して、大凧あげ祭りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

宝珠花の大凧あげを紹介する春季展示は、5月17日(火)から開催します。普段みられない貴重な資料も数々陳列されますので、ぜひご来館ください。

#特別天然記念物 #牛島のフジ を取り巻く地域の歴史を知る

 令和4年4月30日、展示解説講座「深堀り!牛島のフジ」を開催しました。この講座は5月1日まで開催のミニ展示「NSNM牛島のフジ」展について、より理解を深めていただくための講座です。大型連休真っただ中にも関わらず、多くの皆さまにご参加いただきました。 #藤のまち春日部

写真:講座の風景

講座では、牛島のフジをとりまく地域の歴史を様々な資料からたどるものでした。自然のものと考えられがちな天然記念物は、実は学術的・科学的な価値づけによって存在するのではなく、地域の歴史や暮らしと密接にかかわりながら、その価値づけがされています(と考えるべきです)。

そこで、牛島のフジをめぐる、明治から昭和初期の新聞、紀行文、観光案内などを読みながら、観光客や地元の人々がいかに藤に関わっていたのか、その歴史的な展開を考えてみました。資料は10頁に及び、文字数もかなり分量がありましたので、講師の当方は2時間もたないかなと不安でしたが、楽しんで、理解を深めていただけたようです。

参加者の皆さんからは、「一本の木にここまで深い歴史があったことは知らなかった」「藤の季節は過ぎたので、また来年、牛島のフジをぜひ見に行きたいと思います」など感想をいただきました。

まち全体で「フジ」を盛り上げるのはもっともなことですが、その本丸たる牛島のフジももっと盛り上げていくことが、歴史ある藤の木を後世に伝え、藤のまち春日部をブランディングしてくことになるのだと思います。と、こんな話は、藤の季節の前に話をすればよかったなと少し反省しました。

今年の藤の季節は終わりました。また来年、見事な花を咲かせ、明治・大正・昭和の文化人を楽しませたように、私たちをも楽しませてくれるよう願っています。

観音院で『円空仏』が公開されています!!

 本日5月3日から5日まで、小淵山観音院で埼玉県有形文化財に指定されている7体の円空仏の特別公開が行われています。

 円空は寛永9年に美濃国に生まれ、近畿地方から北海道にかけて行御し、生涯で12万体の仏像を製作した修行僧です。これまで全国で約5千体以上が確認されており、中でも埼玉県は愛知県や岐阜県に次いで160体が伝えられています。

 観音院には一木から彫り出された円空仏としては県内最大194㎝を測る「聖観音菩薩立像」や伝統的な作風では国内でも唯一とされている「蔵王権現立像」など、特徴的な円空仏が伝えられています。通常はさいたま市の埼玉県立歴史と民俗の博物館に収蔵されており、これら一堂をみることができる年一度の機会となっています。  

 円空仏の公開

 

 

 

 

 

 

 

 

▲本日3日は県内外から多数の方がお越しいただきました。観音院本堂

本堂正面には獅子や龍など細かな彫り物が出迎えてくれます。

江戸時代の建造物と一体となった繊細な彫刻、そして円空による豪壮な鉈彫の造仏と、対照的な文化遺産をこの機会に現地でご覧になってはいかがでしょうか。

 

展示解説をしました #藤のまち春日部

4月24日、春日部市郷土資料館のミニ展示「NSNM牛島のフジ」展の展示解説をしました。

牛島のフジも真っ盛りのようで、お陰さまで郷土資料館もこの土・日、大入りとなりました。

教育センターの隣の粕壁小学校に自生する藤の花もいい具合です。

写真:粕壁小のフジ

 往時の記録や紀行文を読むと、昔の人たちは目で藤の花を楽しむだけでなく、香りも楽しんだようです。粕壁小のフジは他の木に寄生するように絡みつき、木のテッペン近くに花をつけていますので、香りは確かめられませんが。。。

さて、ミュージアムトークですが、午前は5名の方、午後はお一人の方にお越しいただきました。

写真:展示解説の様子

あまりに身近すぎるためでしょうか。市民の方でも、牛島のフジに訪れたことのある方は、意外と少ないようです。

午後は、マンツーマンで。

写真:午後の解説

お話しながら解説しましたので、こちらも色々と教えていただきました。

展示は5月1日まで。30日には展示解説講座も開催します。

そして、ぜひ牛島のフジへ。

5/17~7/3「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します

春日部市郷土資料館では、5月17日(火)~7月3日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」と題して、春季企画展示を開催します。

宝珠花の歴史と大凧あげポスター宝珠花の歴史と凧ポスター.pdf(267KB)

大凧あげは元来、養蚕の豊凶を占う行事として始められましたが、端午の節句と同じ時期だったことから地区内の男児の誕生を祝い、子どもが元気に育つようにという意味が込められました。現在では、「春日部大凧あげまつり」として、例年5月3日、5日に行われます。大凧あげまつりは令和2年、3年と新型コロナウイルス感染症の影響により中止しており、令和4年は無観客で行われます。

本展では、大凧あげが伝わった西宝珠花地区の歴史を紹介するとともに、資料館や旧大凧会館所蔵の大凧関係資料をもとに、大凧あげの歴史文化を紹介します。

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

(会期中のイベント)

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:5月22日(日)、7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

【祝!100万アクセス】一度でいいからバズりたい

「ほごログ」は、春日部の歴史・文化財の魅力を発信するブログ。気が付けばアクセスカウンターが100万を超え。市教育委員会のブログでは断トツの一番ノリです。 #拡散希望 #かすかべプラスワン

思い起こせば、春日部市の文化財保護課・郷土資料館のブログ「ほごログ」が誕生したのは、2017年(平成29年)1月23日のこと。記念すべき最初の記事はこちら。苦節(?)5年、地道に(?)更新を続け、多くの皆さんに見ていただきました。「ほごログ」の存在も徐々に浸透しているようで、「いい記事ですね」とか「紹介してくれてありがとう」とか、「こんな資料持っています」とか、よく言われるようになりました。一説には同業者がよく読んでいるとか。

一見、地味で、マニアック、小難しい春日部の歴史・文化財ですが、ブログで全世界に発信し、わかりやすく、ポップに伝えることで、その魅力を多くの方々に知っていただくことは、中の人たちの重要なミッションだと思っています。これからもご愛顧ください。

次の目標は200万!?

いや、良くも悪くも、一度でいいからバズりたい、というのが本音。「ほごログ」の存在をもっと知ってもらえるように、拡散希望です。

#牛島のフジ のミュージアムトーク

4月13日、春のミニ企画展示「NSNM牛島のフジ」展のミュージアムトークを開催しました。平日にもかかわらず、多くの方にお越しいただきました。 #かすかべプラスワン #牛島の藤

写真:会場の様子

ミュージアムトークは、展示室内で展示や資料の見どころを担当の学芸員が解説するものです。

今回は、新出資料や新たに分かったことを中心に、牛島のフジの歴史について解説しました。とりわけ、昭和5年刊『世界一藤のかすかべ』の挿絵の地図に注目し、これをたどりながら、当時の牛島のフジ観覧の行程について詳しく説明しました。この行程については、かつて博物館実習生が資料紹介を準備するなかで発見したものでもあります。詳しくは、移行したての資料紹介ページをご覧ください。

午前の部・午後の部ともに熱心な方々から質問や様々なご意見をいただきました。新たな藤グルメの開発や、資料館のミュージアムグッツのアイデア、『世界一藤のかすかべ』の行程を実際に巡るツアーなどなど。春日部の藤の魅力は、尽きるところありません。

写真:展示室の様子

藤花園さんのホームページによると、4月20日ごろから牛島のフジは見ごろを迎えるそうです。

ミュージアムトークのなかでもお話ししましたが、牛島のフジの歴史はオンリーワン。この歴史こそが牛島のフジが国の特別天然記念物たる由縁でもありますし、ほかのどんな立派な藤棚もかなわない点だと思います。

春日部が世界に誇る、この藤を後世に伝えていくためにも、藤の季節には、ぜひたくさんの皆さんに観覧していただきたいです。

ミュージアムトークは、4月24日(日)10:30~、15:00~も開催予定です。

また、詳しい牛島のフジの歴史は、4月30日(土)10~12時の展示解説講座「深堀り!牛島のフジ」で、史料をねちねちと読んで「深堀り」したいと思っています。

あわせて、ご参加ください。

【本市の伝説がさいたま文学館で紹介されます】

埼玉妖怪見聞録チラシ

令和4年4月27日(水)~6月5日(日)まで、さいたま文学館にて、

企画展「埼玉妖怪見聞録」が開催されます。

(月曜・5月24日(火)休館、入館料あり)

 

また、その企画展に伴い

令和4年5月14日(土)に、さいたま文学館で

記念講演会「もうひとつの『山怪』!? 秩父で集めた妖怪譚」が開催され、

当館の職員 石倉慶子氏 が講師を務めます。

実は当館で貸し出ししている「春日部の伝説の紙芝居」のイラストも石倉が担当しています。

参加費無料の講座ですので、お申込みのうえ是非ご参加ください!

 

【記念講演会「もうひとつの『山怪』!? 秩父で集めた妖怪譚」】

開催日:令和4年5月14日(土) 14:00~15:30

会 場:さいたま文学館1階 文学ホール

    (埼玉県桶川市若宮1-5-9)

講 師:石倉慶子氏

定 員:100名

参加費:無料

申込み:048-789-1515(さいたま文学館)

花のまち春日部 #桜咲くかすかべ

桜の花びらも散り、葉桜もみかける今日この頃。今回は桜の季節が終わっても、 #花のまち春日部 はまだ終わらんよ!という話題です。 #牡丹 #桃 #藤咲くかすかべ

郷土資料館では、イベント「桜咲くかすかべ」に協力し、期間中、本ブログでも市内の桜のスポットを文化財や町の歴史とあわせて紹介してきました。イベントは大変盛況のうちに終わったそうです。おかげさまで、「桜咲くかすかべ」からほごログや郷土資料館を知ってくださった方も少なくないでしょう。関係者の皆様、ありがとうございました。

桜は言うまでもなく、現代の春日部は、藤の花(牛島のフジ・4月下旬~5月上旬)蓮の花(内牧黒沼公園・6月下旬から7月上旬)やヒマワリ(エンゼルドーム前広場・8月)など花に彩られたまちとして、かすかべガイドマップなどにも紹介されるところです。

明治・大正の時代、春日部は、実は花の名所として知られていました。思い浮かぶのは、なんといっても、現在も春日部のシンボルでもある「藤」でしょう。もちろん「藤」も春日部を語る上では欠かすことはできないのですが、それだけじゃないのです。著名なものとしては牡丹(ボタン)、桃の花があります。

牡丹については、以前紹介しましたが、備後の石井立敬が牡丹の栽培技術を開発し、500坪もある庭園には、接ぎ分けを望む人が近隣や東京からも訪れたといいます。その後、「成金」で著名な鈴木久五郎の実家(八丁目)の庭園に牡丹が株分けされ、鈴木家が退転した後も牡丹と庭園は引き継がれ、さらに粕壁・最勝院にも株分けされ、粕壁の牡丹として花の名所となりました。下のような最勝院の牡丹園の写真がのこっています。牡丹園のあった粕壁では地元の方が牡丹の俳句を詠んだり、藤と並んで春日部を象徴する花だったようです。まさに「牡丹のかすかべ」「牡丹咲くかすかべ」ですね!

写真:粕壁の牡丹

次に桃の花について。明治時代の古地図(フランス式迅速測図)をみると、春日部市域には、桃林があったことが読み取れます。具体的には、藤塚、小渕、浜川戸、宝珠花、西金野井、中野(現東中野)、新宿新田のあたりです。

藤塚・小渕・浜川戸は河畔砂丘があり、その砂地を利用して桃畑(林)としていた模様です。写真絵葉書もあります。下は古利根川越しに見る小渕の桃林と題された写真です。

写真:小渕の桃林

新宿新田の桃林に関しては、市内を撮影した最古級の古写真が、宮内庁図書寮文庫に伝来しています。写真は、「各種写真(第6号)」という簿冊に収載されており、データベースでご覧いただけます(126コマ目)。松伏町の築比地や江戸川対岸の岩名・座生沼周辺には桃林が広がっており、「野田八村の桃林」とも称されていました(野田市郷土博物館『野田の桃源郷』)。新宿新田・東中野の桃林は「野田八村の桃林」と一体のものだったのでしょう。

また、(ちょっと記憶があいまいですが)昭和初期の新聞には、豊野の桃花として、観光客をいざなう広告が掲載されています。藤塚の桃林は、一ノ割駅の近くに所在したため、沿線の観光スポットとして宣伝されたのでしょう。「桃のかすかべ」「桃咲くかすかべ」ですね!

ただ、牡丹、桃は、時の移り変わりのなかで、春日部の表舞台から姿を消していきました。牡丹園は閉園し、桃花は埼玉県東部では大林・大房(現越谷市)の「越ケ谷の桃」が著名になっていったようです。郷土にゆかりある花の復活を切に願いますが、今となっては、そもそも牡丹、桃が春日部と関係あることを知る方も少ないのではないでしょうか。

とはいえ、藤は春日部のシンボルとして現代にも継承されています。近代・現代の春日部の歴史は藤と切っても切れない縁があります。それについては、現在開催している「NSNM牛島のフジ」展をご覧いただければと思います。

これから藤の季節です。花のまち春日部は、まだ終わらんよ!

牛島のフジをはじめ、市内のフジの花を引き続きお楽しみください。

【休館のお知らせ】4月16日(土)午後、17日(日)

令和4年4月17日(日)は教育センターが春日部市議会議員一般選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

〈休館日〉

令和4年4月16日(土)午後

令和4年4月17日(日)終日

 

郷土資料館のホームページ整理中です

昨年度の1月31日、春日部市のホームページがリニューアルされました。これに伴い、郷土資料館のホームページもデザイン等が一新されています。

郷土資料館ではホームページのコンテンツを見直しつつ、利用者の皆さまに使いやすく、格好いいページを、現在、鋭意整理・構築中です。

コンテンツの一部ですが、「日光道中粕壁宿~歩いてみよう道しるべ~」を教育委員会のポータルサイト内につくってみました。

また、収蔵資料の紹介も、データベースの形式に作り替えてみました(一部ですが)。

ほごログをご覧の皆さんには見やすくなったのではないかと思います。ぜひご活用ください。

歴代の博物館実習生の皆さんに制作してもらった収蔵資料の紹介など、マニアック(専門的)な内容は、順次、教育員会のポータルサイトに移行していく予定です。実は昨年度の実習生のページが公開できていないのですが、こちらも近日公開予定です。

なお、旧の郷土資料館のホームページは、こちらからご覧いただけます。

ウィズコロナの時代、ICTを用いた情報発信は重要です。バーチャルでも郷土資料館をご愛顧ください。

文化財の解説板を新たに設置しました!!

 市内南東部、国道4号バイパスと中川に挟まれた水角地区には、春日部市の有形民俗文化財に指定された「水角神社の富士塚」があります。この3月に指定文化財を詳しくお知らせする解説板を設置いたしました。

 この文化財は江戸時代後半に盛行した富士信仰の証で市内では計29基の富士塚が確認されています。その中でも「水角神社の富士塚」は春日部市内でも高く築かれる部類にあり、その姿も良好に保たれていること、さらに埼玉県内はもとより、東京都下や千葉県などの広域から寄進された多数の石碑から広域の信仰の範囲を知ることができます。現在でも7月1日に近い日曜日には富士山の山開きとあわせて「初山」の行事が行われております。

 ただいま3月末現在、解説板の周囲、そして富士塚の周りでは満開の桜が出迎えてくれますので、中川の散策と共に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

南平野公園の桜と古隅田川 #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

さいたま市岩槻区の南平野公園(さいたま市岩槻区南平野・Googlemap南平野公園)の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。岩槻区と春日部市の市境に近い南平野公園をご存知の春日部の方も多いのではないでしょうか。

南平野公園の桜1

南平野公園は、南平野土地区画整理事業によって、平成17年3月10日に開設され(さいたま市北部都市・公園管理事務所ご教示)、洪水時には調整池として機能します。

南平野公園は、春日部市にゆかりの深い古隅田川の旧流路に近接して立地しています。

現在の古隅田川は、岩槻東部図書館の北側を起点とし、春日部市方面へ流れ、春日部市梅田から古利根川に注いでいます。しかしながら、江戸時代以前の古隅田川は、春日部の古利根川から梅田あたりで西に流路を変え、蛇行しながら岩槻方面へ向かい、元荒川に注いでいたと推定され、これが現在の利根川の水が流れていた大河川であったと考えられています。

南平野公園の桜2

現在の古隅田川に道口蛭田で合流する、豊春小学校の東~南側を流れる旧古隅田川の流路は、江戸時代以前に利根川本流が流れた流路であると推定できます。南平野公園は、この流路に沿うように設置されています。

 ぜひお出かけいただき、利根川、古隅田川の歴史とともに桜をお楽しみください。

 

参考サイト

古隅田川ー埼玉県総合治水事務所サイト

 

#さくら咲くかすかべ関連記事

旧倉松第二調整池の河津桜  #桜咲くかすかべ

観音院の桜 #桜咲くかすかべ

新方川の桜 #桜咲くかすかべ

 

ほごログ 古隅田川関連記事

古隅田川『新編図録春日部の歴史』からのご紹介37

新方川の桜 #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

武里団地の南側新方川の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。桜は越谷市と春日部市にまたがって咲いていますが、団地の各部屋からも楽しめる桜です。

新方川の桜

春日部と越谷市境を流れる新方川は、古くは千間堀(せんげんぼり)と言われ、春日部市の西部の排水をになっていました。明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて実施された新方領耕地整理事業事業で整備され、「新方領堀」と呼ばれました。その後さらに、昭和2年〜8年(1927〜1933)に県営事業で整備され、合流先が元荒川から中川に変更となり、「新方川」となりました。

新方領耕地整理記念碑

国道4号沿いには、「新方領耕地整理記念碑」が建てられています。

新方領耕地整理については、国会図書館デジタルコレクションで竣工記念で出された冊子が公開されています。

国会図書館デジタルコレクション 埼玉県新方領耕地整理組合竣功記念

 

新方川沿いの桜は、せんげん台駅から歩いてすぐで、電車でのアクセスも便利です。ぜひお出かけいただき、新方川の歴史とともに桜をお楽しみください。

 

#桜咲くかすかべ関連記事

旧倉松第二調整池の河津桜  #桜咲くかすかべ

観音院の桜 #桜咲くかすかべ

観音院の桜 #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

小渕の観音院では、境内の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。

漢音院の桜

観音院は、小淵山正賢寺(しょうけんじ)観音院といい、鎌倉時代、正嘉(しょうか)2年(1258)建立と伝えられる古刹です。本山派修験宗という、春日部市内では唯一の修験のお寺です。

日光道中沿いに立地し、奥の細道の旅に出た松尾芭蕉が宿泊した寺ともいわれます。寺の入口には元禄2年(1689)に建立されたと伝わる仁王門(市指定文化財)があります。また江戸時代の僧、円空が彫った円空仏7体(県指定文化財)が伝わっています。なお円空仏は、ふだんは埼玉県立歴史と民俗の博物館に保管されています。

静かな境内で満開の桜をぜひお楽しみください。

 

 #桜咲くかすかべ関連記事

旧倉松第二調整池の河津桜  #桜咲くかすかべ

観音院に関する関連記事

【3月27日】 #今日は何の日? in春日部

小淵山観音院~県指定文化財~”円空仏”の公開

小渕・観音院の聖徳太子立像

小淵山観音院仁王門『新編図録春日部の歴史』からのご紹介32

「考古学講座ー米島貝塚を探る」を開催しました

3月27日、「考古学講座ー米島貝塚を探る」を開催し、25名の方にご参加いただきました。ありがとうございました。

米島貝塚遠景

調査時の米島貝塚遠景(手前が谷部分の水田で、奥が高台、調査している人が見える。昭和36年か37年(1961か1962))

 

今回の講座では、米島貝塚の昭和36年(1961)および昭和37年(1962)の発掘調査に、國學院大學名誉教授の小林達雄先生が調査に参加され、発掘調査報告書では住居の廃絶と土器・貝殻の廃棄パターンや黒浜式土器の細分が研究されたことなどをご紹介しました。

また、米島貝塚の周辺に縄文時代前期の貝塚が集中していること、現在の江戸川の場所に江戸川開削前に存在したであろう谷にもご注目頂き、米島貝塚が作られた縄文時代の周辺地形についてもお考えいただきました。

米島貝塚は、現在は住宅地となっていますが、谷から高台へ向かう道路が坂になっていて、地形の変化を感じることができます。ぜひ、機会がありましたら現地を歩かれてみることをおすすめします。

講座

 

さて、考古学講座は来年度は、9月から1月に月1回程度、連続講座を開催することを計画しております。開催のお知らせは、こちらのほごログや広報かすかべ(7月号か8月号)でお伝えします。

みなさまのご参加をお待ちしております。 

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和4年3月20日(日)に、郷土資料館体験ワークショップ「発泡スチロールひこうきを作ろう」を開催しました。

 

広報かすかべ3月号に郷土資料館が特集されたこともあってか、いつもより参加される方が多く、特に人数が多かった午前中は密を避けるため、展示室内で二手にわかれて開催しました!

 

まずは蓄音機でレコード鑑賞の時間です。

レコード鑑賞風景

音の出口である開口部を開くと音が大きくなり、びっくりしてしまう子もいるほどの音量になります!

 

発泡スチロールひこうき作製風景

そして今回作る昔のおもちゃは「発泡スチロールひこうき」!

材料は食品トレーや、展示で使用するパネルの切れ端など、なるべく廃材を利用しています。

完成したひこうきは資料館内では飛ばせないので、ホールにでて飛ばしました!

 

ひこうき飛ばし風景

飛ぶって、、、ロマンですよね。。。私だけでしょうか(笑)

 

オリジナル缶バッジ

最後にお土産の缶バッジ作りです!

今回はおもちゃのひこうきに乗るうめわかくんとぐうすけです!背景が空のようになっているのもポイント♪

 

今年度の体験ワークショップはこれにて終了となります!

子供から「来月はなにやるの?」という期待の声をいただいたのですが、来月の開催はないんです。。ごめんね!

また夏ごろに開催を予定していますので、その時はぜひまた来てください!ありがとうございました!

 

旧倉松第二調整池の河津桜  #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

不動院野の旧倉松第二調整池では、河津桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月12日(土)撮影のものです。

旧倉松第二調整池

この桜は平成18年5月に春日部ロータリークラブが植樹したものです。

昨年、かすかべ特派員であった山本さんが春日部ロータリークラブの方にお話を聞いて経緯をまとめてくださっています。

春日部市特派員だより:旧倉松第二調整池の河津桜(令和3年3月9日)山本特派員

 

 

旧倉松第二調節池が設置されている旧倉松川は、もとは倉松落(くらまつおとし)といい、江戸時代初期に整備されました。現在の幸手市にあった志手沼(しでぬま)から、杉戸町を経て春日部市の八丁目で古利根川に排水されました。倉松落は悪水路として水田の排水を担っていましたが、大雨が降ると古利根川の水位が上昇し、倉松落に水が逆流することから、明治24年(1891)、逆流を止めるため、八丁目にめがね橋(埼玉県指定有形文化財・倉松落大口逆除(くらまつおとしおおぐちさかよけ))が設置されました。

その後、排水不良を改善するため、昭和8年から15年(1933〜1940)に行われた河川改修により、倉松川の本流は、杉戸町本郷で分岐し、春日部市牛島で中川(庄内古川)に排水する流路に改められ、旧流路は旧倉松川や旧倉松落と呼ばれるようになりました。

平成12年(2000)、小渕地区と不動院野地区の浸水被害軽減を目的として、旧倉松川の流路をもとに旧倉松第二調整池が設置されました。さらに平成18年(2006)には、旧倉松第二調節池の南側に首都圏外郭放水路第四立坑が設置され、さらなる浸水被害の軽減が図られています。

旧倉松第二調節池は、周囲の堤防上に遊歩道があり、自然豊かな環境でウォーキングが楽しめます。地域の方々を中心に「旧倉松落第二調節池を守る会」が組織され、環境が整えられています。

 

参考文献

埼玉県『中川水系 III 人文』1993年

杉戸町役場(町史編さん室)『杉戸町史 通史編』2005年

 

【3月14日】 #今日は何の日? in春日部

3月14日はホワイトデー。いやいや、春日部市郷土資料館的には硬派に「多田新十郎の日」としましょう。 #かすかべプラスワン

今から453年前の3月14日(旧暦)は、北条氏政が多田新十郎に感状を発給した日です。時は戦国時代。永禄11年(1568)12月、武田信玄は相甲駿の三国同盟を破り、駿河国の今川氏を攻めました。今川氏真の義兄にあたる北条氏政は、氏真救出のため駿河に出陣し、現在の静岡県静岡市の薩た山(たは土篇に垂、以下同じ)付近で武田軍と衝突しました。この合戦を薩た峠の戦いといいます。

多田新十郎は、はじめは甲斐の武田氏に仕えていましたが、主君に諫言して退身し、岩付城主太田資正に従ったという土豪武士です。のちに小田原北条氏に仕え、この時に戦功をあげ、北条氏政から感状を与えられました。

その感状はこちらです。釈文などは、こちらをご覧ください。

「多田新十郎は、春日部と関係ないじゃん」と思った方は鋭いですね。その通り、新十郎と春日部は直接関係はないようです。すでに江戸時代には、新十郎が亡くなった年月や墓所すらも不明とされていますから、春日部に住んでいたのかも、春日部で亡くなったのかもわかっていません。

ただ、新十郎の子どもたち三兄弟がそれぞれ粕壁に住み、江戸時代の初めに宿場町が整備された時に、開発の主導的な役割を果たしました(草分け百姓)。その後、三兄弟の家は、江戸時代には関根姓、明治以降には多田姓を名乗り、近世・近代の粕壁宿・町の名主や町長などを歴任してきました。上の感状は、三兄弟の系譜をひく多田家に伝来したものです。

そういうわけで、多田新十郎のご子孫は粕壁、春日部の歴史に深いかかわりがあるのです。歴史に「たら」「れば」はありませんが、多田新十郎が活躍しなかったら、感状を拝領していなかったら、今日の春日部はなかったかもしれません。

もうひとつ。春日部ゆかりの中世の古文書はほとんどありません。その意味でも大変貴重な地域の資料なのです。 

春日部ゆかりの中世文書は限られていますので、また中世文書シリーズで「今日は何の日」をお知らせしたいと思います。

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月27日版4月28日版9月16日版

【画竜点睛】「牛島のフジ」展におススメ資料が加わりました

「NSNM牛島のフジ」展に新たな資料が加わりました。今回の目玉でもある「北白川宮能久親王所用の草履」(埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵)です。

北白川宮能久親王所要の草履(埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵)

牛島のフジには、明治・大正・昭和の政治家や文化人が多数訪れています。

ただ、江戸時代の状況はよくわかっていません。そうしたなかで、明治10年の史料に伝聞の情報ではありますが、幕末(慶応年間)には輪王寺宮が牛島のフジに訪れ、観覧したことがわかっています。慶応年間の輪王寺宮は、公現法親王という人で、明治3年(1870)に宮家の北白川家を継いだ、北白川宮能久です。明治33年(1900)刊の『藤の紫折』にも北白川宮能久が訪れたことが触れられています(以前紹介しました)。

今回、追加展示した、「北白川宮能久親王所用の草履」は、明治5年(1872)に能久が日光参拝の折に、幸手宿に宿泊した際に使用したと伝えられるものです。牛島のフジの観覧時のものではないのですが、観藤者ゆかりの品として、また、市内の内牧地区の旧家に伝来した春日部ゆかりのものとして展示しました。高貴な方が使った草履とあって、非常に丁寧に作られています。

ぜひ、ご覧ください。

3/27考古学講座「米島貝塚を探る」を開催します

3月27日(日)に、考古学講座「米島貝塚を探る」を開催します。

米島貝塚は、庄和地区の米島に所在し、昭和36年(1961)に住宅地開発に先立つ発掘調査が行われました。調査では、縄文時代前期の「黒浜式土器」が多く発見され、黒浜式土器の移り変わりが研究されました。

米島貝塚の黒浜式土器のうち2点は、「米島貝塚出土黒浜式土器」として、春日部市指定文化財に指定されています。米島貝塚出土黒浜式土器過去の記事:米島貝塚出土黒浜式土器ー指定文化財でめぐる春日部

 

<考古学講座「米島貝塚を探る」>

日時:3月27日(日)午前10時~12時

場所:教育センター2階 視聴覚ホール

定員:30人

申込:郷土資料館に直接、または電話(048-763-2455)または電子申請

*新型コロナウイルス感染症の状況によっては中止することがあります。

春日部市指定文化財米島貝塚出土黒浜式土器

 春日部市指定文化財「米島貝塚出土黒浜式土器」

【体験ワークショップ】発泡スチロールひこうきをつくろう!

3月20日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、蓄音機の上演と昔のおもちゃづくりをします。

今回つくる昔のおもちゃは「発泡スチロールひこうき」です。

 

発泡スチロールひこうき写真

昔、近所の駄菓子屋に発泡スチロール製のかるーいひこうき、売っていませんでしたか?

今回は食品トレイを利用して、そのおもちゃを再現してみました。

 

駄菓子屋も少なくなってきた昨今ですから、今の子はなかなか見る機会も少ないのではないでしょうか。

懐かしの文化を伝える郷土資料館で、一緒に作ってみましょう♪

 

申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意しております!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和4年3月20日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(発泡スチロールひこうき)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※新型コロナウイルス感染防止のため、参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

春のミニ企画展「NSNM牛島のフジ」展やります!

 #牛島のフジは伊達じゃない!! 

企画展示の合間をぬって、そんなメッセージを込めたミニ企画展を開催します。

今回は、昨年度好評だった「渋沢栄一もみた春日部の藤」展を継承しつつ、国特別天然記念物牛島のフジにフィーチャーし、牛島のフジと春日部の町のあゆみを紹介するものです。

展示名称は、国特別天然記念物(National Special Natural Monument)の頭文字をとって、「NSNM牛島のフジ」展です。藤で、国特別天然記念物は牛島のフジが唯一です。けれども、特別天然記念物である自体がスゴイことではなく、牛島のフジをめぐって人々が歩んできた、歴史こそが唯一無二なのです。NSNMや渋沢栄一のネームバリューに頼らずとも、一本立ちの魅力がつまった牛島のフジ。新出資料も出展します。

関連イベントも予定しています。ぜひ、郷土資料館にお立ち寄りください。

画像:チラシ

会期 令和4年3月8日(火)~5月1日(日) *月曜祝日は休館

会場 春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15)

入場 無料

関連イベント(無料)

・展示解説講座「深堀り!牛島のフジ」

 日時:4月30日(土)10時~12時

 場所:春日部市教育センター

 定員:30名(申込制)申込受付4月5日(火)~

・ミュージアムトーク(展示解説)

 日時:4月13日(水)・24日(日)

    両日とも10時30分~、15時~(30分程度)

 場所:郷土資料館企画展示室

 

大沼中のみなさんが郷土資料館の魅力を紹介!

春日部を楽しむためのサイト「はるたび」に、大沼中学校の2年生の総合学習「ココ見て!春日部プロジェクト」の成果が公開されています。 #かすかべプラスワン

中学生のみなさんがまちを取材し、春日部のオススメを紹介しています。全五回にわけて春日部の魅力を紹介するようですが、このなかの第二弾「大沼中生かすかべ旅②」で、郷土資料館の魅力を紹介いただきました。

博物館・資料館は、一般的に中高生をはじめ、若い世代の利用者が少ないので、中学生のみなさんがどんなことに着目し、魅力を感じているのかは、館にとって非常に参考になりました。

館内は雑然といろいろなものがありますが、中学生のみなさんが紹介してくれたことは、日ごろから、私たちが工夫している点だったり、手塩にかけたコンテンツだったりします。それらに注目してくれて、率直にとてもうれしく思いました。

改めて、大沼中のみなさん、先生方、はるたび関係者の方に感謝申し上げます。

大沼中のみなさんがどんなことを紹介しているのか。詳しくは、サイトをご覧ください。

3/5から富士見市で開催される「埼玉の4大貝塚」展に神明貝塚の資料が出品されます 

郷土資料館の神明貝塚展示コーナーで展示している市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」と、同じく神明貝塚の注口土器(ちゅうこうどき)が、富士見市の富士見市立水子貝塚資料館で3月5日(土)から行われる企画展「埼玉の4大貝塚ー水子貝塚 真福寺貝塚 黒浜貝塚 神明貝塚」にて展示されることになりました。埼玉県内の国の史跡に指定されている4つの貝塚を紹介する展示です。概要は下記の通りです。ぜひお出かけください。

<埼玉の4大貝塚ー水子貝塚 真福寺貝塚 黒浜貝塚 神明貝塚>

日時:令和4年3月5日(土)~5月8日(日)

会場:富士見市立水子貝塚資料館(富士見市大字水子2003-1、049-251-9896)

開館時間:午前9時~午後5時

休館日:月曜日(3/21は開館)、3/22(火)、5/6(金)

入館料:無料

水子貝塚資料館サイトへ

ちなみに、富士見市の市の花は、春日部市と同じ「フジ」で、公式サイトには、各ページにフジのイラストがあしらわれています。春日部市郷土資料館では、3/8(火)からミニ展示「NSNM 牛島のフジ」展を開催します。

 さて、貸出しに伴い、縄文土器展示コーナーの一部の展示品を変更し、ご要望が多かった「花積下層式(はなづみかそうしき)」土器の土器片を5点、展示しました。「花積下層式」は市内花積にある花積貝塚の土器をもとに設定され、花積の地名が使われた土器型式です。関東地方の約7,000年前にさかのぼる縄文時代前期の始まりとともに出現します。

郷土資料館ご来館の際は、ぜひご覧ください。

花積下層式土器

花積下層式土器

市の広報誌に #郷土資料館 の特集記事が載りました!

広報かすかべ2022年3月号の2・3面に、特集「「今」を知るために「昔」を知る #学芸員 が教える郷土資料館 のススメ!」が掲載されました。

画像:特集ページ

広報かすかべ3月号 郷土資料館特集ページ

郷土資料館と文化財保護課の学芸員の顔写真入りで、学芸員が推す資料を紹介しています。

それぞれの学芸員のパッションが詰まっている記事になっています。それぞれのパッションは170字程度では語りつくせないのですが、ちょっとむずかしめな専門的な説明をわかりやすく皆さまに届けるため、推敲に推敲を重ね何とか納まりました。170字以上の想いは、今後機会があれば本ブログでお披露目させていただければと思っています。

個々の記事もそうですが、ぜひご注目いただきたいのは、下段の小さな写真。郷土資料館の収蔵庫の様子です。

ご承知の通り、当館の展示室は、それほど広くなく、展示資料も限られていますが、実は、裏方の収蔵庫には、皆さんにまだお披露目したことのない資料が盛りだくさんあります。溢れんばかりの資料で、収蔵庫はぎっしりの様子、目に見えぬ収蔵・保存の現状を知っていただければと思い、写真を載せました。資料の保存に適している中性紙製の資料保存箱が棚いっぱいにつまっている様子お分かりいただけるでしょうか。これだけモノが詰まっているということは、まだ可能性がある。展示室は小さい館ですが、裏に秘めたポテンシャルもあるんですよ。

ともかく、郷土資料館の特集記事を、ぜひご覧あれ。広報誌は郷土資料館でも配布しています。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和4年2月20日(日)に、郷土資料館体験ワークショップ「ペーパーローリングを作ろう」を開催しました。

空間除菌装置作動中 

開催に際して、出入口を開放し、空間除菌装置ももちろん稼働させています。

 

まずは蓄音機でのレコード鑑賞です。

すっかり常連さんになってくれた子もいて、

「まずこれ(蓄音機)聴くんでしょ!今日の主役だ!」と気に入ってくれている様子でした!

 

本来ならここで紙芝居の朗読なのですが、前回と同様にワークショップ開催時間の短縮のため、泣く泣くカットです。

 

 ペーパーローリング作製風景

今回作る昔のおもちゃは「ペーパーローリング」!郷土資料館のワークショップでは初お披露目となる品です。

 ペーパーローリング作製風景2

紙を棒に巻きつけるだけの簡単な仕組みなのですが、伸び縮みする剣のように見えて、子供心をくすぐるおもちゃです♪

 

 オリジナル缶バッジ

そして最後のお楽しみ、缶バッジ作り!今回はペーパーローリングで遊ぶうめわかくんです♪缶バッジ作りも珍しい体験なので毎回大好評です!

 

今回のワークショップはおもちゃも複雑ではなく、親御さんの協力もあり、30分程度でサクッと終えることができました!

「ワークショップが毎月楽しみ!」「次も絶対来ます!」という声もいただきました♪

そう言ってもらえると、こちらもやりがいがあります!ありがとう!

 

次回の体験ワークショップは令和4年3月20日(日)に開催予定です。詳しくは広報誌等でご確認ください。おもちゃは「発泡スチロール飛行機」を作るのでお楽しみに!

郷土資料館は適宜換気や消毒を行っておりますので、お時間の都合の良い方はぜひお越しください。

いらっしゃいませ!上尾市立上平小学校5年生!

令和4年2月15日(火)に上尾市立上平小学校第5学年が、郷土資料館を見学しました。

 

市外の小学校かつ5年生というのは中々のレアケースです!

5年生2クラスが同じ時間に来館するため、資料館の中が密にならないよう、1クラスは資料館見学をしている間、もう1クラスは2階の視聴覚ホールを使用して学習をしました。

 

竪穴住居観察

学芸員の話を聞きながら、竪穴住居を食い入るように見ています。5年生ともなると観察する力や、推測する力がずいぶん育っているように感じます!

縄文時代については6年生で学習すると思いますが、事前に縄文時代の様子を予備知識として覚えておいてもらえると、学習効率があがると思いますよ。

 

視聴覚ホールでの学習

上尾市と春日部市は共通する部分が多く、人口、海・山のない地形、江戸時代に上尾は中山道の、春日部は日光道中の、どちらも宿場町として発展していった町であることなどが挙げられます。春日部はあまり縁がない土地だと思っていたかもしれませんが、たくさんの共通点から親しみをもってくれたのではないでしょうか。

 

スケジュールの都合上あまり時間は取れませんでしたが、時間ぎりぎりまで資料館内を楽しんでくれた様子が印象的でした!

よかったらまた来てくださいね♪

【体験ワークショップ】ペーパーローリングをつくろう!

2月20日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、蓄音機の上演と昔のおもちゃづくりをします。

今回つくる昔のおもちゃは「ペーパーローリング」です。

 

ペーパーローリング写真

大人の方も見たことありませんか?

この紙の巻かれた棒を振ると、、、シュッ!!っと伸びーるアノおもちゃです!

私も子供のころ、縁日のくじ引きではずれの景品としてもらったのですが、思いのほか楽しく遊んだものです。

 

今回作るペーパーローリングは、用意できる材料と時間の関係上、作り方に若干オリジナル要素を加えていますが、十分楽しんでいただけると思います!

 

申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意しております!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和4年2月20日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(ペーパーローリング)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※新型コロナウイルス感染症対策のため、参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。また、当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。楽しく安全な時間を皆さまが過ごせるよう努めますので、皆さまも感染対策にご協力いただきますようお願いいたしします。

「シンポジュウムー神明貝塚ー」オンラインでの公開に向け撮影しました!!

 平成30年に開催しました「シンポジュウムー神明貝塚 『発掘調査から分かる3,800年前の縄文人のくらし』」、そして令和元年には『3,800年前の縄文人の食文化』と題して、神明貝塚の実態と魅力をシンポジュウムをとおして広くお伝えしましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて一昨年、昨年と開催を見合わせていました。

 令和2年3月に国史跡の指定を受けた神明貝塚ですが、令和3年3月に「史跡神明貝塚保存活用計画」を策定し、将来に向けて末永く、保存管理、活用、整備を進めるための基本方針を定めました。

 そこで春日部市のみならず、埼玉県、さらに国内広く、貝塚の魅力、実態を知っていただくことを目的に県内に所在します4史跡の貝塚を一堂に紹介したく「国史跡の貝塚の整備と活用ー水子、黒浜、真福寺、神明の現状とこれからー」と題し、各市教育委員会の担当による講演と討論を令和4年2月6日に開催、撮影し、その成果を春日部市ユーチュブ公式チャンネル”かすかべ動画チャンネル”を用いて公開しようとするものです。

春日部市神明貝塚

春日部市教育委員会の担当からは「神明貝塚の現状と保存活用への課題」と題した講演を。

さいたま市真福寺貝塚

さいたま市教育委員会の担当からは「真福寺貝塚 整備に向けた調査とこれから」と題した講演を。

蓮田市黒浜貝塚

蓮田市教育委員会の担当からは「縄文黒浜 渚と森の記憶」と題した講演を。

富士見市水子貝塚

富士見市教育委員会の担当からは「水子貝塚 国史跡の貝塚の整備と活用」と題した講演を。

  講演後は、4史跡のうち既に公開が進められている富士見市水子貝塚、蓮田市黒浜貝塚での現状の取り組みや課題を、今後将来に向けて整備公開を予定するさいたま市真福寺貝塚と神明貝塚では現状と課題を、さらに今後どのような史跡を目指すのかなど、担当間で熱く討論いただきました。

討論

 この後、映像の編集を経て3月末ごろの公開に向けて作業を進めてまいります。公開日が確定しましたら改めてお知らせします。また、3月からは富士見市水子貝塚資料館で「埼玉の4大貝塚」と題した企画展にて、各史跡の特徴的な土器や石器、装身具などの展示が開催されます。

縄文式土器の3Dデータが公開されました。

昨年の夏休みの「#dokidoki音楽づくり♪」でお世話になった國學院大學栃木短期大学の中村耕作先生が、講座で使用した慈恩寺原南遺跡、坊荒句北遺跡の縄文時代中期の土器4点について、3Dデータを作成し、Sketchfabというサイトで公開されました。

Sketchfab内國學院大學栃木短期大学参考館

Sketchfabとは、3DやVR、ARといった、立体的なコンテンツが公開されているサイトです。いわゆるSNSで、だれでもアカウントをつくり、作成した3Dデータなどを全世界に発信することができます。

土器などの3Dデータは、対象物を様々な方向から撮影し、それをパソコンのソフトで組合せながら作成されます。

近年、こういった3Dデータに関する技術が進歩し、非常に精巧なデータが出来上がります。今回、中村先生に作成頂いたデータも、まるで土器を手に取っているかのように動かすことができ、拡大縮小もなめらかで、細かい部分まで観察することができます。

 Sketchfabでは、國學院大學栃木短期大学だけでなく、さまざまな機関、個人が公開する文化財などの3Dデータを閲覧できます。スマートフォンでも簡単にみられますので、どうぞご覧ください。

【近隣館の紹介】 #白岡市 生涯学習センター #歴史資料展示室

先日、他市町との打ち合わせのため、白岡市生涯学習センター歴史資料展示室にお邪魔しました。繰り返しいいますが、当館のような小さな館は、近隣の博物館さんと助け合い、支え合いながら日々運営しています。今回は近隣館の白岡市生涯学習センター歴史資料展示室さんを紹介してみたいと思います。

白岡市生涯学習センター歴史資料展示室は、生涯学習や地域コミュニティ・文化創造の拠点として、図書館機能、生涯学習機能、そして資料館機能を備える複合施設・白岡市生涯学習センター(愛称「こもれびの森」)内に平成30年10月に開館した施設です。

 写真:こもれびの森外観

歴史資料展示室では、地域文化財の調査・研究に基づく収集・保存・管理・活用を包括的に行い、さらに白岡市の歴史や伝統文化を発信、次代へ継承するため、旧石器時代から現代までの白岡のあゆみを常時展示しています。

 写真:展示室遠景

展示室は小さいながらも、各時代を象徴する重要な資料が展示されています。資料保存の観点から、複製品も多いのですが、複製と言われなければ気づかないほど精巧なレプリカが多く、見劣りはしません。むしろ、見栄えのする立体物が多いので見応えがあります。

近世史を専門とする紹介者が気になるのは、新井白石ゆかりの資料。新井白石といえば、江戸時代6代将軍家宣のもとで侍講として辣腕をふるった歴史上著名な学者です。

彼は、はじめ甲府藩主徳川綱豊(のちの6代将軍家宣)の侍講でしたが、綱豊が将軍綱吉の養子となるや、幕府の直臣に取り立てられ、宝永6年(1709)7月に武蔵国埼玉郡野牛村(現白岡市野牛地区)などを知行所として与えられました。その後、加増をうけ、新たな知行地を与えられる一方、当初の領地であった武蔵国比企郡の地を返上し、その代わりに相給支配(他の領主と分割支配)されていた野牛村の全てを領することになりました。著書「折りたく柴の記」には「ここにおいて、野牛一村の地ことごとく我領となりたり」と綴っていることから、白石の野牛村への強い思いがうかがえます。新井家は以後、野牛村を知行としたため、地域とゆかりが深く、白石の肖像画をはじめ、ゆかりの品が地元に伝わっています。また、新田開発のために掘削した堀を地元では「殿様堀」とか「白石(様)堀」と呼び、領地である野牛村の発展に力を注いだ白石の事蹟を伝えています。近代には白石公顕彰会が組織され、白石の命日にあたる5月19日には毎年、白石の肖像画を掲げ、報恩供養が営まれたそうです。

白石は、犬公方こと5代将軍綱吉時代の悪政を粛正した優れた政治家と評価されます。将軍の側用人間部詮房のもと、白石が政治のブレーンとなって提言した一連の政策は「正徳の治」と称され、白石の思想性に特色づけられています。武家諸法度を全文改定したり、朝鮮からの国書に将軍を「日本国王」と記すようにさせてたり、個人的には一癖ある人のイメージです。

少し春日部の話題に引き付けて言えば、正徳6年(1716)4月15日、日光海道・甲州海道を「海」がないから、日光道中・甲州道中と表記すべきというが法令が令達されました。理にはかなっているのですが、いちゃもんです。以後、公式には「日光道中」の表記が使用されますが、実際は地域に伝わる古文書では「日光海道」と表記する文書も散見されます。この「海道」表記に関する法令については、詳しい政策決定過程は明らかにされておりませんが、文書の表記などにこだわった、当時の政治のブレーン白石が関わっていた可能性が想像されます。知識や能力もあり、体系的で理にかなってはいるのですが、ちょっとうるさい感じ。でも、野牛の地を豊かにするために熱意をもって領民を統治したことが、後世に伝えられ、今も白岡ゆかりの偉人とされていますので、この考え改めなければなりませんかね。彼の著書「折りたく柴の記」を読み直してみようと思わせる展示です。

展示室には、「新井白石の肖像画」をモチーフにした来館記念スタンプが用意されています。ありがたい「白石様」をお持ち帰りいただけます。人物の肖像画があるってうらやましいです!

 画像:白石のスタンプ

毎月第3土曜日には、「ハンズオン・デー」として学芸員による解説をまじえながら、実際に資料に触れるイベントが開催されているそうです。展示室目当てでなくとも、図書館などの利用者も訪れ、大変にぎわうとか。

展示や普及事業のみならず、見習いたい点がもう一つあります。それは、研究紀要を年次刊行していること。学芸員や有識者の方が、白岡の資料に向き合って調査研究した成果が満載です。調査研究があって、はじめて展示・活用ができるお手本のような取り組みです。当館を含め、『紀要』を発行していない県内の地域博物館も見習わなければなりません。

そうした重厚な調査研究に裏打ちされた歴史資料展示室、ぜひ刮目ください。 

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和4年1月23日(日)に、郷土資料館体験ワークショップ「からくり屏風を作ろう」を開催しました。

新型コロナウイルスが気になるところですが、先日、郷土資料館に設置した空間除菌装置にも活躍してもらい、感染拡大防止対策を強化しての開催です。

空間除菌装置1空間除菌装置2

空間除菌装置稼働中!

 

まずは蓄音機でのレコード鑑賞です。

蓄音機上演

こちらの蓄音機は電気を使わず、ゼンマイで動く仕組みになっています。音の出口となる開口部を開閉することで、音量を大きくしたり小さくしたりすることも可能なんですよ!

 

本来であればここで紙芝居の時間なのですが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、滞在時間を短くし感染リスクを低減するために本日はカットしました。

 

おもちゃ作りは「からくり屏風」です。

2枚の板をくるくる回すと、4枚の絵が現れる不思議なおもちゃです!

からくりの仕組みも、覚えてしまえば意外と簡単にできるのでオススメです♪

おもちゃ作り風景

完成!

上手にできましたね♪喜んでもらえたようで何よりです!

 

最後はお土産にオリジナル缶バッジ作りです。

オリジナル缶バッジ

今回のバッジはからくり屏風で遊ぶ“ぐうすけ”です!

からくり屏風の絵が“うめわかくん”になっているのもポイント♪

 

次回の体験ワークショップは令和4年2月20日(日)に開催予定です。詳しくは広報誌等でご確認ください。おもちゃは「ペーパーローリング」を作るのでお楽しみに!

郷土資料館は適宜換気や消毒を行っております。また新型コロナウイルス感染拡大防止のため、場合によっては人数制限や、時間帯をずらして開催するなどの対応を行いますのでご了承ください。次回もお待ちしております!

 

 

西金野井の花蔵院で”文化財防火デー防災訓練”を実施しました

 本日1月22日(土)に市内の江戸時代を代表する建造物、『花蔵院の四脚門』(県指定有形文化財)を対象に防災訓練を行いました。

 昭和24年1月26日に発生した国内最古の木造建造物であった奈良県斑鳩町の法隆寺金堂が火災により焼失したことを受けて、毎年この日を中心に全国各地で文化遺産を対象に防災訓練が実施されてます。

 花蔵院の住職をはじめ、役員、ご近所の皆様が参加され、消防本部への火災発生の通報、文化財の搬出、バケツリレーによる初期消火を機敏に確実に行い、不時の災害への備えとして取り組んでいただきました。

また、消防本部予防課と庄和消防署の協力により、通報訓練や水消火器を用いた消火訓練、煙体験と、実際の火災や災害に備えた訓練も体験いただきました。

 参加された皆様からは、「煙が充満した時の怖さを身をもって体験した」、「消火器を実際に取り扱ってみると噴射時間が短く効率的に操作しなければ」との感想が聞かれ、訓練の体験をとおして災害への備えを改めて考える機会となったようです。

 花蔵院住職、役員の皆様、そして庄和消防署、消防本部予防課のみなさま、寒い中、参加いただきありがとうございました。これからも所有者と地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に残し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします!!

 

初春の獅子舞の公開ー銚子口の獅子舞ー

 穏やかな新春の陽ざしの中、1月16日(日)の午前に銚子口香取神社で市無形民俗文化財「銚子口の獅子舞」が2年ぶりに公開されました。

『家内安全』『疫病退散』『五穀豊穣』を祈願し、例年、新春の舞では5演目以上が披露されますが、このコロナ渦での祭礼のため、三匹獅子による地区内の安泰祈願を祈る「幣掛り(へいがかり)の舞」の1演目となりました。当日は獅子からのご加護をと、多くの皆さまが足を運んでいただき、獅子舞を継承する保存会の皆さまも「多くの演目を披露したいが、感染防止の観点から1演目とした。しかし少しでも地区内のコミュニティに貢献できればと、この機会を設けて良かった」と感想いただきました。

 

 多くの方々に見守っていただいている”獅子舞”はやはり「地域の宝」であることを保存会のみなさまと共に改めて認識しました。

今後も文化財を継承する皆さまへの温かい応援、よろしくお願いします!!

いつも目にする路傍の石仏なんて書いてあるの!?

先日、市民の方よりお問合せいただきました。割と「あるある」なレファレンスなのですが、春日部市では、残念ながら石造物の悉皆的調査ができておりません。即答できるか、内心いつもドキドキしています。 #かすかべプラスワン

問題の石仏は、最近開園した「県営春日部夢の森公園」のすぐそば。下大増新田地区に所在します。

この石造物、以前紹介した『埼葛の道しるべ』に辛うじて収録されており、道しるべとして機能していたことがわかりました。ただ、『埼葛の道しるべ』では道しるべとしての文字を解読するのみであり、石造物の全容がよくわかりません。お問合せも、道しるべではない部分について解読できないというものでした。

館では調べる手立てがないので、現地へ見に行ってきました。

写真:下大増の交差点

交通量もそこそこある交差点にたたずんでいます(赤矢印)。

正面からみるとこのような感じです。

 写真:石造物正面

上の部分には仏さまがあしらわれています。摩滅して委細わかりませんが、おそらく地蔵菩薩ではないかと考えられます。問題の文字は下段の方形部分の正面と両側面に、以下の通り刻まれていました。

(正面)

文化三寅[   ]四日

観壽妙見信女   南 のじま

           こしがや

 

    秩父

奉納  西国 供養塔

    坂東

 

紅月妙童信女   北 かすかべ

享和三亥[   ]廿二日

 

(左側面)

文化三寅四月廿四日

智玉童女     東 よこて

幻夢童女       のミち

文化三寅五月七日

 

(右側面)

文化四卯三月吉日

   下大増邑

     [(施主)]木村氏

 

以上から次のことがわかります。

  1. この石造物は、文化4年(1807)3月、下大増村(下大増新田)の木村氏により造立されたものである。
  2. 基本的な性格は、秩父33か所・西国34か所・坂東33か所の巡礼の供養塔である。
  3. 享和3年(1803)には紅月妙童信女、文化3年(1806)には観壽妙見信女、智玉童女、幻夢童女が亡くなっている。いずれも女性で、「童女」は女児であり、造立者木村氏の縁戚者とみられる。
  4. おそらく、相次いで縁戚者が亡くなったため、木村氏は諸国巡礼をし、供養塔を建てたと考えられる。
  5. 供養塔は村の辻に建てられたため、道しるべも兼ねた。正面には「北 かすかべ」(北方は粕壁宿)、「南 のじま こしがや」(南方は野島村・越ケ谷宿)、左側面には「東 よこて のミち」と方角が刻まれています。

石造物が方位を示す南北の道は、上大増新田、下大増新田のメインストリートで今も旧家が並んでいます。粕壁や越ヶ谷といった町場へ続く道でもありました。

写真:南北の道

ただ、よくわからなかったのが「東 よこて のミち」です。「よこて」とは、漢字では横手と書くのでしょうか。いろいろ調べましたが大増の周辺には横手という地名を見出せませんでした。「のミち」も「野道」なのか、「横手の道」と読むのか、わかりません。横手は「横の方」という意味があるようですので、村から横の方向へ行く(野)道というような意味になりましょうか。お分かりの方がいらっしゃいましたら、そっと教えてください。

写真:石造物の左側面

今回の石造物からは、縁者の女性、女児が立て続けに亡くなるなかで、当時は命がけでもあった諸国巡礼をして彼らを供養しようとする下大増村(下大増新田)の先人の暮らしが読み取れました。「よこてのミチ」については謎ものこりましたが、現在もそこそこ交通量のある道が江戸時代の大増のメインストリートだったことを示しています。

何気なくたたずむ、路傍の石仏ですが、地域の歴史や庶民の暮らしを物語る貴重な資料です。見慣れた風景でも、石造物を丁寧に読み解くことで、また違って見えてくるのではないでしょうか。

市内の石造物を網羅しているわけではありませんが、路傍の石造物を調べる手はずとなる資料は以下の通りです。『埼葛の道しるべ』以外は市の図書館に架蔵されています。

  • 『春日部の庚申塔』(春日部市教育委員会、昭和51年刊)
  • 『春日部の板碑』(春日部市教育委員会、昭和53年刊)
  • 『埼葛の道しるべ』(埼葛地区文化財担当者会、平成8年刊)
  • 『春日部市の神社(上巻・下巻)』(春日部市教育員会、平成14・15年刊)
  • 『庄和町史編さん資料十一 石造物Ⅰ』(庄和町教育員会、平成16年刊)
  • 『庄和町史編さん資料十七 石造物Ⅱ』(春日部市教育員会、平成22年刊)
  • 『庄和の百神~石仏伝説編』『同~石仏信仰編』(庄和高等学校地理歴史研究部、平成4年刊)

新しいおもちゃが増えました♪

郷土資料館には皆さんに遊んでいただける昔のおもちゃコーナーがあります。

新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から数を減らしていますが、紙でっぽうや、ぶんぶんゴマ、万華鏡など懐かしのおもちゃが揃っています。

 

そんなおもちゃたちの中に、本日新たな仲間が加わりました!

それがこちら

ビー玉転がし

ビー玉転がしです!

お菓子の空き箱や使用済みの段ボールなどを利用して、手づくりしてみました。

「こんなのあったな~」なんて思い出してくださる方も多いのではないでしょうか。

 

実際に遊んでみると、実に難しい!大人でも簡単にはクリアできません!

でもその難しさがクセになるんです♪集中して、ゆっくり箱を傾けてビー玉を転がすのがコツですよ。

私も小さい頃、初めてビー玉転がしを遊んだ時には全くクリアできず、悔しい思いをしたものです。今の子にもそんな悔しさや、クリアした時の達成感を味わってもらえたらうれしく思います。

おもちゃを使ったあとは消毒をしますので、使用済みおもちゃのカゴに入れておいてくださいね。

 

外は寒く、コロナの状況もあり、外出を控えていらっしゃる方も多いかと思います。十分に注意していただいた上で、よろしければ新作のおもちゃを遊びにきてください。

【体験ワークショップ】からくり屏風をつくろう!

1月23日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、紙芝居、蓄音機の上演、昔のおもちゃづくりをします。

今回つくる昔のおもちゃは「からくり屏風」です。

 

からくり屏風写真

2枚の板に貼られたかわいらしいパンダの絵♪

 

 

からくり屏風写真

折りたたんで・・・

からくり屏風写真

開いてみると・・・

 

からくり屏風写真

ニャンと!ネコの絵になりました!

 

 

からくり屏風写真からくり屏風写真

さらにはペンギン、ヒツジの絵にもなっちゃいます!

2枚の板から4枚の絵が現れる不思議な“からくり屏風”!みんなで一緒に作ってみましょう♪

 

申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意しております!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和4年1月23日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:紙芝居と蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(からくり屏風)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

 

【謹賀新年】 #寅年 の古文書

新年あけましておめでとうございます。今年も「ほごログ」春日部市郷土資料館をどうぞご贔屓に。新年一発目は、縁起担ぎに「 #寅 」ゆかりの資料を紹介。 #日光道中 #粕壁宿 の成立を考える上で興味深い資料です。 #初詣 #寝正月 の暇つぶしにどうぞ。

写真:高力清長印判状写

この古文書は「武州文書」(国立公文書館の内閣文庫蔵)に収録されているものです。「武州文書」とは、文化年間(1804-18)「新編武蔵風土記稿」の編纂資料として、江戸幕府の役人が調査・模写した中世から近世初期の文書約1400通が収録されている資料です。

「新編武蔵風土記稿」や「武州文書」によれば、この古文書は粕壁宿の九左衛門家に伝来したものであるといいます。現在、判が押されている原本は残念ながら散逸してしまったようですが、郷土資料館では九左衛門家の末裔の方から写しをお預かりして大切に保管させていただいています。

さて、前置きが長くなりましたが、古文書には次のように記されています。

糟壁新宿

任先判故ハ、早々

自前々居住之

者共相集、定

成ケ之儀厳密ニ

可致沙汰者也

 寅九月十二日 高力(印影)

 

    図書

    弾正

(本文読み)かすかべしんじゅく、せんぱんにまかすゆえは、そうそうまえまえよりきょじゅうのものどもあいあつめ、さだめなりかのぎ、げんみつにさたいたすべきものなり(古文書の読みについては『春日部市史古代・中世史料編』による)

この文書は、岩槻城主の高力清長(こうりききよなが)が、寅年九月十二日に図書(ずしょ)と弾正(だんじょう)という人物に宛てたものです。高力は徳川家康が関東に入部した直後の岩槻城主でした。文面から、高力が戦国期に戦災で疲弊した糟壁新宿の再建するため、離散した住民を集め、年貢(定成ケ)を納めるように命じたものと解釈できます。宛名の図書は、元新宿に拠点をもった土豪関根図書助(ずしょのすけ)。弾正は『新編武蔵風土記稿』によれば、市野割(一ノ割)に拠点をもった土豪大熊弾正であると考えられます。すなわち、両名に「糟壁新宿」の復興を命じていることから、当時、人馬を継立する宿駅は、元新宿・一ノ割近辺(現・大池通り)に所在したものと推測されています。

さて、今回の焦点は「寅年」です。古文書の年代の部分を抜き出すと、

写真:寅九月十二日

「九月十二日」の肩にカタカナの「ア」のような字(「刁」)が書かれていますが、これが「寅」(異体字。別の書き方)です。

字は「寅」で間違いないのですが、寅とあるだけで、いつの寅年なのでしょうか。これまで、①天正18寅年(1590)説、②慶長7寅年(1602)説が唱えられ、意見が分かれるところでした。

ただ、高力清長は、所領を慶長4年(1599)に嫡孫の忠房へ譲っていることから、天正18年説が有力であると考えられます。郷土資料館では天正18年説を推しているのですが、未だに慶長7年説だとおっしゃる方もいます。

しかし、最近、粕壁の九左衛門家に伝来する系図に接する機会がありました。系図によれば、戦国期から近世初頭の関根図書助と比定される人物は慶長5年(1600)3月没と記されています。したがって、②慶長7年(1602)説は成り立たず、①天正18寅年(1590)説が最有力であるといえるでしょう。

ちなみに、私たちが粕壁宿と呼んでいる現在の春日部駅東口(春日部大通り)の町並みは、慶長16年(1611)に町割りがされ、六斎市が立てられたとの記録が残っています(『春日部市史近世史料編Ⅱ』p702)。関根図書助の後裔は、おそらく慶長16年以降に元新宿から粕壁宿の新宿に移住し、東八幡神社と真蔵院を現在地に移したと考えられます。ですから、粕壁宿は江戸時代に成立した宿場であり、戦国期には、元新宿や一ノ割に中世的な宿場「糟壁新宿」があったと想像できるのです。

わずか12年の違いですが、「糟壁新宿」が成立した「寅年」を①家康入部直後、②関ケ原戦い以後のどちらかで理解するかは、春日部の歴史にとって大変意義深いことなのです。 

思い返せば、昨年はおととしに引き続く新型コロナウイルスの猛威もあり、大変な一年となりました。上の古文書をみれば、春日部にとって「寅年」は復興・再建元年といえるでしょうか。

今寅年が皆様にとって、実りのある一年でありますように。令和4寅年 元旦

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和3年12月26日(日)に、郷土資料館体験ワークショップ「パタパタ(いた返し)を作ろう」を開催しました。

 

まずは蓄音機でのレコード鑑賞から。

蓄音機上演

ワークショップの時に使用している蓄音機(SPレコード)は、針を1回1回使用するごとに交換しています。SPレコードの針はたった数分で寿命を迎えてしまう贅沢な品。

現代は音楽といえばボタン一つで何度でも再生できることが当たり前で、気軽にBGMとして流す方も多いはず。しかし、当時はきっと、今よりも1曲を味わうように聴いていたのではないでしょうか。

来年1月もワークショップで蓄音機の上演を行う予定ですので、短い時間ですが興味のある方はぜひ音楽を味わいに来てください!

 

続いては紙芝居の朗読です。

紙芝居は春日部に伝わる伝説にちなんだもので、今回は「江戸川を流れてきた獅子」という西金野井にある香取神社の獅子舞に纏わる伝説でした。

 

パタパタ作り

昔のおもちゃ作りでは「パタパタ」を作りました。資料館のおもちゃコーナーでもトップクラスの人気を誇る品です。子供のみならず、大人が見ても不思議に感じるおもちゃです!

からくりの部分が少し複雑なのですが、職員のアドバイスをしっかり聞いて、みんな上手に作り上げました。

パタパタ遊び

みんな夢中になって遊んでくれました♪

 

オリジナル缶バッジ

最後は恒例となった缶バッジ作り!

神明貝塚のイメージキャラクター“ぐうすけ”がパタパタで遊んでいる姿です!

 

次回の体験ワークショップは令和4年1月23日(日)に開催予定です。詳しくは広報誌等でご確認ください。おもちゃは「からくり屏風」を作ります!

郷土資料館は適宜換気や消毒を行っております。今後も注意を払って開催していきたいと思いますので、お時間の都合の良い方はぜひお越しください。

 

 

考古学講座「花積貝塚を探る」を開催しました。

12月25日、「考古学講座ー花積貝塚を探る」を開催し、33名の方にご参加いただきました。ありがとうございました。

今回の考古学講座では、花積貝塚を取り上げました。花積貝塚については、ほごログでも何度かとりあげています。

花積って思いのほか有名な地名です(広報補足その4)

【常設展】花積貝塚の縄文人(復顔模型)

花積貝塚のイルカの頭骨『新編図録春日部の歴史』からーその3

 

花積貝塚は、明治時代の文献にすでに紹介され、昭和3年(1928)に大山柏によってはじめて調査が行われています。その際に、縄文時代中期の土器と、縄文時代前期の土器が、上下に堆積している別々の貝層から発見され、中期の土器と前期の土器の時代順が立証されました。また、「花積下層式」土器は、花積貝塚から発見された縄文時代前期の土器が、その研究の発端になったことから命名されたものです。

このようなことから、昭和34年には市の史跡に指定されました。

昭和43年(1968)の発掘調査では、縄文時代の人骨や、イルカ、ウミガメの骨が発見されています。春日部の地に暮らした縄文人の様子と、イルカやウミガメのような大型の海の生物が採取されていたことがわかります。

現在、春日部では昨年、国史跡に指定された神明貝塚が話題になっていますが、花積貝塚もこれにならんで重要な遺跡です。ちなみに神明貝塚は縄文時代後期の貝塚、花積貝塚は縄文時代前期・中期の貝塚です。

市内の貝塚は、縄文時代前期のものが最も多く、後期は数は少ないですが、神明貝塚のような巨大な貝塚が残されています。

 

講座には花積や上蛭田、下蛭田、道口蛭田にお住いの方も何名か参加いただき、花積貝塚ももっとアピールしてほしいとのご意見をいただきました。資料館でも展示や講座、ほごログなどで、今後も引き続きとりあげていきたいと思います。

 さて、考古学講座につきましては、今年度はもう1回、3月に開催する予定です。開催のお知らせは、こちらのほごログや広報かすかべでお伝えします。みなさまのご参加をお待ちしております。 

 

講座風景

 

郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました

令和3年12月18日(土)、19日(日)に体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました。

しめ縄講座

年末恒例となっているしめ縄作り講座、昨年同様に様々なことがありながらも、本年も無事開催することができました。

 

紙芝居風景

まずはじめの挨拶をさせていただき、春日部に伝わる伝説の紙芝居を上演しました。今回は西金野井の伝説の紙芝居です。

郷土資料館では紙芝居の貸し出しも行っておりますので、お気軽にお問い合わせください!

 

しめ縄作成風景

いよいよしめ縄作りです!作業は大きく3つに分かれています。

①半紙で紙垂(しで)を作る

②藁を撚(よ)って縄を編む“縄ない”の作業

③しめ縄本体の作成

の3工程です。

特に②の工程は、藁を2本同時にねじって組み合わせていくのですが、なかなか初めてだと難しい作業です。

③のしめ縄本体を作る作業は、手できつく藁の束をねじりあげて、ねじった部分を足を使って固定し、次の藁の束をねじりあげるという、もはや全身を使った作業で、「疲れた~」とおっしゃる方もいるほど!冬でもじんわりと汗をかくような力仕事です!

 

見事な仕上がり

苦労の甲斐あって、見事なしめ縄ができました!

 

今年度もお子様からご年配の方まで、幅広くご参加いただきありがとうございました!

いよいよ年の瀬も迫ってまいりましたが、皆さま体には十分お気を付けて、丹精込めたしめ縄で良い新年をお迎えください!

 

 

中央公民館でしめ縄作り講座を開催しました

令和3年12月17日(金)に中央公民館主催、体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました。

中央公民館しめ縄作り講座

今年のしめ縄作り講座は17日(金)に中央公民館、18日(土)、19日(日)に郷土資料館で3日間連続の開催です!(定員に達したため受付は終了しています)

 

しめ縄作成風景

藁で縄を作る“縄ない”はコツを掴むまでが難しく、器用さも必要です。

一方で、しめ縄を見栄えよく仕上げるにはけっこう力が必要という、「技」と「力」が要求される代物です!

みなさん一生懸命取り組んでくださり、素晴らしいしめ縄ができました!

綺麗なしめ縄が仕上がりました

とてもきれいに仕上がっています!

 

講座後のアンケートの結果をみても、皆さまとてもご満足いただけたようでありがたい限りです!

明日、明後日のしめ縄作り講座は郷土資料館で開催しますので、参加予約をいただいた方はお間違えの無いようお気をつけてお越しください!

 

【 #常設展 ぷち #展示替 】春日部流!?展示法

常設展示の桐箪笥に少し細工をしてみました。春日部が誇る伝統的工芸品「桐箪笥」の引き出しをあけると・・・ #あけてびっくり #かすかべプラスワン

写真:引き出しをあける少年

・・・春日部の桐細工ゆかりの資料が!!!

夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展で好評だった、桐材を見極める体験型クイズを引き出しのなかにいれてみました。子どもさんもお楽しみいただけますし、大人の方でも楽しんでいただけます。先日は、市外からご来館いただいた、歴史好きのおじさんたちも大はしゃぎ。桐材は、白くて清潔感があり、軽いのが特徴です。市内の元桐箪笥職人の方は「今の子どもたちにわかるのかなー」と話してらっしゃいました。

写真:桐を見極める少年

写真の市外にお住いの幼稚園児は(勘で?)「桐材」を見極められたようです。春日部市の市の木は「キリ」ですから、市民のみなさんなら当然わかりますよね。挑戦者を求む。

さて、裏話にはなりますが、以前から春日部の伝統工芸品である桐箪笥の引き出しをどうにか活用できないかなーと、頭をひねっていました。で、この展示にたどり着きました。春日部ならではの展示法ですから、この方法を「春日部流展示法」と、勝手に呼ぶことにします。

展示中の桐箪笥は本来は二つ重ねですが、わけあって一つのみ、引き出しは三つ。一つ目は桐材を見極める体験ですが、あとの二つには何が入っているか、常設展示でお楽しみください。

しめ縄講座準備中

郷土資料館では12月18日(土)、19日(日)に開催されるしめ縄作り講座の準備を進めております。(定員に達したため受付は終了しています)

 

今日はそんな準備風景をパシャリッ!

しめ縄準備風景

しめ縄を綺麗に仕上げるには思いのほか力も必要です!

毎年12月のみの開催なので、私どもも毎回久しぶりの作業になってしまいます。若干作成に手こずる職員もいました。

・・・私のことですが(笑)

 

それでも一同、受講される方にスムーズに教えられるよう、準備物・手順・ポイント等を再確認し、当日に備えております!

 

今年は例年にも増して参加希望のご連絡を多くいただき、一部の方はお断りすることになってしまい、申し訳ありませんでした。

しかしそれ以上に、郷土資料館事業に関心を持ってくださることに深く感謝しております。

 

ご参加いただく皆さま、当日まで体調を崩されませんようお過ごしください。

お待ちしております!

 

【12/25考古学講座】「花積貝塚を探る」を開催します

12月25日(土)、考古学講座「花積貝塚を探る」を開催します。

12月10日(金)より、参加募集の受付を開始します。お申し込みは郷土資料館に、直接、またはお電話のほか、市役所の電子申請システムでもお申込みいただけます。電子申請の利用は定員(50名)に達するまで、申込期間内24時間可能です。ぜひご利用ください。

考古学講座「花積貝塚を探る」
講師:資料館学芸員
日時:令和3年12月25日(土)10時~12時
会場:春日部市教育センター2F視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:12月10日(火)8:30~(定員になり次第受付を終了します。)

内容:花積の縄文時代の遺跡、市指定史跡「花積貝塚」について埋蔵文化財発掘調査報告書などを使って学ぶ

ご来場の際はマスクの着用をお願いいたします。また発熱などの風邪症状があるときは、ご来場をご遠慮ください。今後のコロナウイルス感染症の状況により、予定が変更されることもあります。

 

花積貝塚現地

 花積貝塚

 

埼玉ゆかりの偉人井沢弥惣兵衛・見沼代用水と春日部

小学校4年の社会科では「井沢弥惣兵衛と見沼代用水」の学習をするそうです。埼玉県民なら一度は聞いたことがある井沢弥惣兵衛。今回は春日部にも関係あるんだよ、という話です。 #かすかべプラスワン

先日、市内の小学校の先生から、見沼代用水の工事で使った道具を授業で使いたいとご相談をいただきました。ありがとうございます。資料は使ってもらってナンボです。社会科の副読本には、「四人つき」「じょれん」「たたき板」「もっこ」「くわ」のイラストが描かれています。

郷土資料館では、普段、これと同じ道具・農具は、展示室に展示していませんけれども、日の目をみることをまって収蔵されています。以下、貸出予定の資料たちを紹介します。

写真:くわ・じょれん・すき

左から、「ジョレン」「スキ」「クワ(名称不明)」「たたき板(土羽たたき)」です。

「ジョレン」は、水気のある土砂をかくための道具。「スキ」は現在のスコップです。

「クワ」は備中鍬や万能鍬などもありますが、写真の鍬は柄が長く、先端が少し大きくなっています。柄は自然木をつかい曲がっています。どのように使ったのでしょうか。

「たたき板」は、堤防ののり面などを固めるために使った道具です。「土羽たたき」とも言うようです。

写真:タコ

もう一つ、大型ですが、副読本では「四人つき」と説明されている道具もあります。地元の方は「タコ」と呼んでいたようです。土・地盤を固めるために使いました。

ちょっとうるさいことをいうと、見沼代用水の工事はどんな道具を使ったのかは、史料上わからないようです。しかし、江戸時代後期の印旛沼掘割工事の記録「続保定記」に土木工事に従事した人々や道具の挿絵があり、享保時代の見沼代用水の工事でも、これらの道具が使用されたと推測されます。ちなみ、「続保定記」は山形県酒田市立図書館のデジタルアーカイブシステムで見ることができます。また、そうした道具が一般にも広まっていたことは、様々な鍬や「ジョレン」「スキ」の挿絵がある『農具便利論』(画像は国立国会図書館デジタルコレクションより)からも窺えます。

画像:ジョレン画像:すき

収蔵資料の道具が、江戸時代に使われていたのかどうかはわからないのですが、これらの史料を参照するならば、江戸時代に使われた道具と同型のものであることは間違いなさそうです。

ところで、井沢弥惣兵衛は、享保13年(1728)に見沼の開発をしたことで、埼玉県内では偉人として扱われていますが、実は春日部にもゆかりのある人物であることは、意外と知られていないようです。

実は、井沢は、見沼の開発の一環として、見沼と同時期に、春日部の内牧、さいたま市の鹿室・裏慈恩寺・小溝に広がる黒沼という沼地を開発しました。開発の手法は見沼の開発と同様で、黒沼に流入する水路をせき止め、沼の中央部に排水路を整備し、沼地を新田としました。また、開発以前、黒沼の下流の村々は沼の水を用水として利用していたため、黒沼の縁辺に用水路を整備し、見沼代用水から分水して黒沼用水が引かれることになりました。

画像:黒沼の位置(春日部市史通史編1より) 

内牧村では、新田開発を吉郎兵衛という者が請け負ったため、新田を「吉郎兵衛新田」と呼んでいたこともわかっています。吉郎兵衛新田は、ちょうど内牧公園の南側に広がる田んぼです。今も中央と縁辺に水路が流れており、新田の景観がよく残っています。

しかし、残念ながら、黒沼の開発の過程がわかる史料は見つかっていないため、詳しい経緯はよくわかっていません。黒沼の開発は、見沼の事例ほど大規模でダイナミックな新田開発ではなかったようですが、埼玉の偉人・井沢弥惣兵衛が春日部の新田開発にも携わっていたことは間違いありません。

ちょっとマニアックですが、見沼代用水の話とともに、春日部の黒沼や黒沼代用水についても紹介してもらえたらうれしいなぁと思います。

江戸時代の新田開発については、小学校の歴史の単元や中学や高校でも授業があると思いますし、なによりも春日部の歴史の中では重要な出来事であることは間違いありません。

学校の先生方には、広くご活用いただきますようお願い申し上げます。ダメ元でも「こんな資料がほしい」とご要望ください。資料と資料館は利用されてナンボですから。

【体験ワークショップ】パタパタをつくろう!

12月26日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、紙芝居、蓄音機の上演、昔のおもちゃづくりをします。

今回つくる昔のおもちゃは「パタパタ(板返し)」です。

パタパタ

パタパタ遊び方1

こちらが今回作る昔のおもちゃ。

一面朱色の模様ですが、持ち手の棒を捻ると、、、

 

 

パタパタ遊び方2

おっ?

 

パタパタ遊び方3

おぉっ??

 

パタパタ遊び方4

なんということでしょう!緑色に変わりました!

そんな不思議なカラクリおもちゃ、一緒に作ってみませんか?

 

申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意しております!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和3年12月26日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:紙芝居と蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(パタパタ)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

 

 

【展示】なつかしい町の駄菓子屋(資料編)

開催中の「くらしのうつりかわり」展では、少し昔の駄菓子屋について紹介しています。昔の駄菓子屋については資料が遺りにくいため謎が多いのです。

以前、店舗・店先について紹介しましたので、今回は展示資料について紹介します。

展示資料は、以前ご寄贈いただいたもので、昭和40年~50年代の駄菓子屋で売っていたおもちゃ類です。少し懐かしい感じで、販売された状態で残っているのは珍しいと思います。

展示資料は、いくつかあるのですが、今回紹介するのは、「テレビ人気者かるた」です。当時子どもたちに人気のあったテレビの主人公や登場人物が描かれています。札は自分で切り取るタイプで、バラバラにならずに残っています。

画像:テレビ人気者かるた(全体)

絵札をみると、おばけのQ太郎、サイボーグ009、バットマン、ウルトラマンなどが描かれています。多色刷りですが、色が重なっており、出来栄えはそれほどよくありません。「著作権」や「商標」といった権利関係もあいまいだった当時ならではの製品、いわゆる海賊版であり、コンプライアンスが浸透している現代日本では製作するのは困難であると思われます。

画像:カルタ絵札部分

読み札もあり、たとえば「お」は「おばQのはねつき」、「く」は「くにんめのゆうしゃサイボーグ009」といった具合です。以下、上の画像は「やーっペギラのしゅうげき」(ウルトラQ)、「えーいとばかりおのふるワタリ」(大忍術映画ワタリ)、「てきとたたかう遊星仮面」(遊星仮面)、「あなたのおなまえなんざんす」(オバQ)、「みをまもるバットマンカー」(バットマン)、「しょうちゃんのせてそらのさんぽ」(オバQ)、「ひとよんで遊星仮面」(遊星仮面)です。読み札が5・7・5にもなっていないのが特徴的です。

上記のキャラクターやジャングル大帝や鉄人28号などは、1980年代生まれの職員でも分かったのですが、そのほかのキャラクターについてはよくわかりませんでした。そこで読み札に登場するキャラクターを調べてみたところ、カルタは次の作品から構成されていることがわかりました。

  • 鉄人28号 1963年~66年
  • オバケのQ太郎 1965年~67年
  • 遊星仮面 1966年~67年
  • ジャングル大帝 1965年~67年
  • サイボーグ009 1966年(劇場版)
  • 怪鳥人間バットマン(実写) 1966年
  • ウルトラQ(特撮) 1966年
  • ウルトラマン(特撮) 1966年~67年
  • 忍者部隊月光(実写) 1964年~66年
  • 大忍術映画ワタリ(特撮) 1966年
  • マグマ大使(特撮) 1966年~67年

以上から、この「テレビ人気者かるた」は、1967年(昭和45年)ごろに制作されたものではないかと考えられます。

ただ、よくわからなかったのが、「のたうつ カネロン おさえつけ」の札で、ウルトラマンらしきヒーローが角の生えた怪獣を押さえつけている絵札があります。ウルトラQにはガメロンやカネゴンが登場するようですが、ウルトラマンには「カネロン」という怪獣は登場しないようです。

それから、「うちゅうにんじゃ ハチコン隊長」の札です、おそらく「忍者部隊月光」に関連したものだろうと考えられますが、作品を見たわけではないので残念ながら「ハチコン隊長」なる者が何者なのかわかりませんでした。ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

いずれにしても、作品をよく知らない大人が、リサーチをきちんとせずに付け焼刃で作ったのだろうと想像されます。当時の子どもたちは、このカルタをどのように受け止めていたのでしょうか。

子どもたちの社交場である駄菓子屋の歴史は大変遺りにくいものです。先日の講演会でも、粕壁の駄菓子屋についてお話しがありましたが、子どものころの記憶は曖昧でわからなくなってしまいます。

展示資料から、昭和40年代の駄菓子屋を囲む子どもたちの情景を読み取ってみるのも面白いのではないでしょうか。おすすめの資料ですので、ぜひご覧ください。

内牧小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

令和3年12月2日(木)に内牧小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

 

今回は郷土資料館企画展示室の小学校地域学習展を見学する組と、2階の視聴覚ホールで解説を受ける組に分かれて、入れ替わる形での見学です。

 

 

地域学習展解説昔の道具

1階の企画展示室では展示してある昔のくらしの道具を実際に見ながら、配布済みの探検シートを記入して勉強をしました。探検シートは昔の生活道具や、学校・農業に使われていた道具を知ることができる郷土資料館オリジナルの折り込み式ミニ冊子です。

自由時間には、「春日部の人口は昔と比べて増えたんですか?」「春日部にいろんな建物ができたのはいつですか?」などの質問がありました。きっと今日のために質問を考えてきてくれたんですね♪学びの姿勢が素晴らしいです!

 

視聴覚ホールでの解説

2階の視聴覚ホールでも、探検シートをもとに解説を受けました。七輪や石盤(せきばん)など、道具の何点かはこちらに展示をしました。

職員の質問に対し、静かに手を挙げて答えようとしている姿が印象的で感心しました!

 

昔のおもちゃ

常設展示コーナーで人気の昔のおもちゃたちは、今日はこちらで体験してもらいました。写真には映っていませんが、手指用のアルコール消毒も備えたうえで遊んでもらっています。

自由時間がもっと欲しかったようで、中には「また来たい!」「明後日来ます!」という子もチラホラ♪

土曜日、日曜日も開館しているのでぜひ来てくださいね!(12月11日(土)は臨時休館です)

 

「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」は、10月5日(火)から令和4年2月27日(日)まで開催しています。

昔懐かしい民具や勉強道具、おもちゃなどを展示し、お子様からご年配の方まで楽しんでいただける展示となっております。ぜひご来館ください。

 

 

 

講演会ー昭和オリンピックのころの粕壁、昔懐かしい駄菓子屋の世界を開催しました

講演会の様子

11月28日(日)、春日部郷土史研究会の大川明弘先生、山口俊一先生を講師にお招きして、歴史文化講演会を開催しました。当日は、時間を分けて、3部構成でご講演いただきました。

大川先生

ここ数年お願いしている大川先生には、一昨年度の「明治期の粕壁」、昨年度の「関東大震災後の粕壁」に続き、「昭和のオリンピックのころの粕壁」と題してご講演いただきました。

今回は、かつてロビンソン百貨店春日部店(西武百貨店春日部店)で、毎年開催されていた古写真展に関わられた元商店の方にもご協力いただき、豊富な写真とともに、昭和30~40年代の春日部の様子をご紹介いただきました。また、サブのスクリーンで地図を常に投影し、粕壁出身の方でなくても場所がすぐわかるようにご配慮いただきました。

大川先生の調査によると、太平洋戦争後、昭和のオリンピック前の粕壁では、戦前に比べ、洋食店が減少し、菓子・パン店、桐タンス、桐箱、自動車整備・販売、電気器具店が増加しました。洋食店に関しては、それまであった「アポロ」、「佐の屋」、「あか塚」、「千代」、「千代田軒」、「小松軒」、「壽ゞらん」などが、業種を変えたり、廃業しており、原因は明らかではありませんが、戦時中の統制などの影響ではないかとのことでした。

また、戦後、粕壁の先人たちは「modernization(近代化)」をもって復興にあたったのではないかとのこと、これによりインフラの整備や保健衛生の改善など、生活環境の整備が大きくはかられたとのことでした。

山口先生

山口先生からは、ご自身の記憶をもとに描かれた駄菓子屋のイラストを観ながら、昭和30年代に粕壁の北西部にあった「たまや」、「はっとりや」、「あいざわ」、「やまざきや」、「徳力屋」の5軒の駄菓子屋をご紹介いただきました。

一見、同じような駄菓子屋でも、店の明るさや広さにだいぶ違いがあるということ、ほかの駄菓子屋には無いプラモデルを置く店があったことなど、店ごとに違いがあるということなどをご説明頂きました。

昭和30年代以降は、市役所の広報などの発行も始まっており、資料館で所蔵している写真も増加しますが、現在のところ、駄菓子屋を正面から撮った写真はありません。山口さんのイラストは、こういう観点からも非常に貴重なものです。

お客様の中にも実際に子ども時代を粕壁で過ごされた方も多くいらっしゃられ、大川先生が作成された昭和32年の粕壁の街並み図に対するご指摘など、有意義なご意見も多くいただきました。

つい60年ほど前のことでも、思い返してみると様々なことがあり、忘れられていることも 多くあります。些細なことでも、歴史をつなぐ要素として記録するような活動を、郷土資料館でも続けていきたいと思います。

児童あり遠方より来る

令和3年11月26日(金)に新座市立西堀小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

 

本日は珍しいことに市外の小学校の団体見学です!

午前中に龍Q館を見学し、午後に社会科“古い道具と昔のくらし”の一環として郷土資料館に来てくれました。

 

昔の道具解説

約60年前は、今ほど電気が普及しておらず、炊飯器や洗濯機など現代では当然のように使われている機械もほとんど使われていませんでした。羽釜が現在の炊飯器ということは結びつくようですが、手回し洗濯機は一目見ただけでは何の道具なのかわからない児童が多かったようです。

手のアルコール消毒も行いながら、千歯扱き(せんばこき)で脱穀体験もしました。

 

竪穴式解説

縄文時代の竪穴住居の解説も現代のキッチンや生活環境と照らし合わせて学習しました。

メモ取り風景

午前中から移動や見学で疲れていたかと思いますが、頑張って勉強してくれました!ありがとう!

 

スタンプ風景

自由時間には春日部を代表する人気キャラクター「クレヨンしんちゃん」のスタンプを記念に押していく児童がいっぱい!

 

ほとんどの児童が春日部に来るのが初めてとのことでした。いつか「小学生のとき春日部って行ったことあるな~」なんて今日のことを思い出してくれたらうれしく思います!

よかったらまた来てくださいね!

 

学芸員による講演と不動院野の神楽を公開いたしました!!

 11月20日(土)に市内小中学校でご活躍され、退職した校長先生が集まる機会に資料館学芸員、そして市の無形民俗文化財に指定されています「不動院野の神楽」が公開されました。

 

 資料館学芸員からは今年の夏に開催しました「語りだしたらキリがない!『桐のまち春日部』」の展示内容から―江戸時代の粕壁宿と産業―について紹介いたしました。

学芸員講演

▲展示に際しての調査研究によって、これまでの定説の修正や新たな知見を得たことを紹介すると、先生方も熱心に興味津々に聞き入られていました。

つづいて新型コロナウイルスの感染拡大で神楽の練習、そして公開もしばらく見合わせておりました「不動院野の神楽」では、『お囃子』『獅子舞』『種まき』の3演目を披露しました。

獅子舞種まき種まき2

▲練習も中断し、みなさんも自主練習を重ねられていましたが、そこは長年のあうんの呼吸で披露いただきました。また、笛役では高校1年生もソロ演奏で奮闘してくれました。

 今後の活動も感染拡大に引き続き取り組みながらとなりますが、江戸時代においても”疾病退散”のご利益により人びとに広まった伝統芸能ですので、保存会の皆さまも粘り強く、地域の総意で伝統の舞を継承していただいております。

 こうした無形民俗文化財への市民の皆さまからの応援も引き続きよろしくお願いいたします。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和3年11月21日(日)に、郷土資料館体験ワークショップ「紙でっぽう・ぶんぶんゴマを作ろう」を開催しました。

 

まずは蓄音機でのレコード鑑賞から。

蓄音機上演

これは今から約100年くらい前に使われていたものだそうです。蓄音機のレコード盤が1枚で記録できる音楽は4分30秒程度、それでも当時蓄音機は高級品として扱われていました。

 

紙芝居の上演

次に、春日部に伝わる伝説「蛇女房」の紙芝居を朗読です。

「蛇」と聞くと怖い話をイメージしそうですが、鶴の恩返しに少し通じるしんみりとしたお話です。子供たちも熱心に聞いてくれました。

 

そして、最後のおもちゃ作りは紙でっぽうとぶんぶんゴマです。

紙でっぽうは大きめの紙一枚で簡単に作れて、子供にも人気がある優れたおもちゃです!

みんな上手に折って、「パァァンッ!」と快音を響かせていました♪

ぶんぶんゴマ作り

 ぶんぶんゴマは真剣に色塗りをしている姿が印象的でした!なかなかコツを掴むまでが難しいですが、上手に回せている子もたくさんいましたね。

 

最後にはお土産にオリジナル缶バッジ作りをしました。

缶バッジ

今回のバッジはぶんぶんゴマで遊ぶうめわかくんです♪

ワークショップで作るおもちゃに合わせて毎回絵柄を変えています!

 

次回の体験ワークショップは令和3年12月26日(日)に開催予定です。詳しくは広報誌等でご確認ください。おもちゃは「パタパタ(板返し)」を作るのでお楽しみに!

郷土資料館は適宜換気や消毒を行っておりますので、年の瀬で忙しい最中かもしれませんが、お時間の都合の良い方はぜひお越しください。

【近隣館の紹介】蓮田市文化財展示館

先日、他市町との打ち合わせのため、蓮田市文化財展示館にお邪魔しました。当館のような小さな館は、近隣の博物館さんと助け合い、支え合いながら日々運営しています。今回は近隣館の蓮田市文化財展示館さんを紹介してみたいと思います。

蓮田市文化財展示館は、平成22年4月に開館した施設です。蓮田市役所、また市役所周辺に広がる国指定史跡黒浜貝塚に隣接しています。

写真:蓮田市文化財展示館

市役所の敷地には、縄文時代の竪穴住居(復元)もあります。

 写真:竪穴住居

同館では、国史跡黒浜貝塚をはじめとして、蓮田市の様々な文化財を紹介しています。

見どころは、県指定有形文化財の黒浜式土器。学術的な詳しい説明はこちらに譲りますが、考古学素人の私がみてもきれいな形・模様の見事な土器です。展示館は、考古遺物を中心とした資料が展示されており、発掘された一つ一つの資料を丁寧に解説しながら、蓮田の歴史文化の歩みが紹介されています。

写真:黒浜式土器

さまざまな資料から楽しませていただけますが、最近導入されたのが、黒浜貝塚のガイダンスコーナーです。大型のタッチパネルモニターでは、黒浜貝塚の解説映像がみれたり、クイズや竪穴住居の建築ゲームが楽しめます。

写真:大型モニター

それから、VR技術をつかって黒浜貝塚を仮想見学できる機材も用意されていました。物珍しいため、同行した某市の職員が体験してました。要予約だそうです。

写真:VRをする職員

蓮田市さんは、ボランティア学芸員として市民参加を進めており、市民による企画展「縄文人と植物」の展示スペースもありました。文化財や所蔵資料の電子化も進んでおり、蓮田市文化財情報サイトでは、蓮田市の文化財や歴史に触れることができます。 

黒浜貝塚を散策しつつ、最新の技術で蓮田の歴史に触れてみてはいががでしょうか。

詳しくは、蓮田市文化財展示館ホームページ

【歴史文化講演会募集開始】11/28昭和五輪のころの粕壁と粕壁の駄菓子屋

以前お知らせしました11/28(日)開催の歴史文化講演会「昭和五輪のころの粕壁と粕壁の駄菓子屋」の参加応募受付を開始しております。

お申し込みは郷土資料館に、直接、またはお電話のほか、市役所の電子申請システムでもお申込みいただけます。電子申請の利用は定員(50名)に達するまで、申込期間内24時間可能です。ぜひご利用ください。なお、11/16現在、20名程度のお申し込みを頂いております。

春日部市郷土資料館歴史文化講演会「昭和五輪のころの粕壁と粕壁の駄菓子屋」
講師:大川明弘氏 山口俊一氏
日時:令和3年11月28日(日)10時~12時
会場:春日部市教育センター2F視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:11月16日(火)8:30~(定員になり次第受付を終了します。)

ご来場の際はマスクの着用をお願いいたします。また発熱などの風邪症状があるときは、ご来場をご遠慮ください。今後のコロナウイルス感染症の状況により、予定が変更されることもあります。

【御礼】 #春日部の魅力 がつまった本、ご恵贈いただきました

市民の方より郷土資料館に図書の寄贈いただきました。自然・生活・文化・歴史・伝統・イベントなど様々な観点から春日部の魅力を紹介する本です。 #かすかべプラスワン

画像:表紙

書名は『春日部の四季の息吹きを愛おしむ』(私家版)。著者(寄贈者)は、2017年4月から2021年3月まで、市の広報のサポーター「かすかべ特派員」を務めていた方です。取材・執筆された記事は、市のSNS等に公開していましたが、2021年3月をもって「かすかべ特派員」の制度が終了することになったため、記事を再構成して一冊の本にまとめられたそうです。

当館は、市の歴史や文化財を取材していただいた際に、資料の提供やご助言をさせていただきました。その縁で貴重な私家版の冊子をいただくことになったのです。

本書は、春夏秋冬の季節で構成し、春日部の季節の風物詩を一覧できます。季節の花、イベント、歴史・文化財など、ご興味が多岐にわたっており、「文化財」とか「歴史」とか「~祭り」といった行政的な縦割りの目線ではなく、市民の方ならではの視点で春日部の魅力を活写されています。

一頁完結で短文、オールカラーの写真も満載で、読みやすく、楽しみながら読めます。さらに、写真は同じアングルでも、時間をかけて、こだわって撮影されたものも多く、普段は気づかないような季節の変化やまちのうつりかわりを記録しており、春日部の貴重な記録となることは間違いありません。

写真:本書

さらに圧巻されるのは、巻末の地図です。ご自宅の壁面に掲示していたものだそうです。取材で踏査された場所をマーカーで色付けして、網羅的に市域を紹介する計画で、これから庄和地域を取材する予定だったそうです。しかし、かすかべ特派員の制度の終了に伴い、志半ばで地図の印付けも終わってしまいました。「残念だが、取材で様々な方と出会えたのがよかった」とお話しいただきました。おひとりでこれだけ市内各地を回られるのは、なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。

画像:地図

春日部の貴重な記録となるので、市立図書館にご寄贈されることをお勧めしました。図書館での手続きが終わり次第、閲覧ができることになるでしょう。記事は現在も市のSNS等でご覧いただけますが、ぜひ本をお手に取ってご覧いただければと思います。

郷土資料館でも、今後の事業や調査研究のため、貴重な記録として保管させていただきます。末筆ながら、ご寄贈された方に改めて御礼申し上げます。

【体験ワークショップ】紙でっぽうとぶんぶんゴマをつくろう!

11月21日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、紙芝居、蓄音機の上演、昔のおもちゃづくりをします。

今回つくる昔のおもちゃは「紙でっぽう」「ぶんぶんゴマ」の2つです。

 

ぶんぶんゴマ・紙でっぽう

 紙でっぽうは、角を持って振ると「パァンッ!!」と大きな音が鳴るおもちゃ!

ぶんぶんゴマはねじった紐を引っ張ることで、紙の板を「ブゥゥン!ブゥゥン!」と回転させるおもちゃです!うまく遊ぶにはちょっとコツがいるかもしれませんね。

すぐにはうまく遊べないかもしれませんが、作ったおもちゃはお持ち帰りいただけるので、お家でも練習できますよ!

 

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意しておりますのでご安心を!

 

 

【体験ワークショップ】

日時:令和3年11月21日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:紙芝居と蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(紙でっぽう・ぶんぶんゴマ)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

 

【とろりんチャンネル】春日部市郷土資料館が紹介されました

以前、郷土資料館にとろ★りんが遊びにきたことをこちらでご紹介しましたが、11月5日(金)にYouTubeで動画が公開されました。

春日部市郷土資料館にとろ★りんが行ってみた!(YouTube)

 

「とろりんチャンネル」は、NPO法人春日部藤源郷(かすかべとうげんきょう)が運営されています。2020年12月の開始以来、春日部の名所、名店、いいところを次々と紹介されています。また「とろ★りん」は、「春日部やきそば」のキモカワ系ゆるキャラです。

「春日部やきそば」は、あんかけやきそばに市の花「藤」をイメージしたしそふりかけをトッピングしたやきそばで、市内の多くのお店でいただくことができます。

 

今回は、資料館の概要や展示をわかりやすくまとめた動画に仕上げて頂きました。

ぜひご覧ください。

とろ★りん、春日部藤源郷の皆さん、ありがとうございました。

【またきてね】緑小3年生が郷土資料館に来ました

令和3年11月2日、春日部市立緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。社会科見学の一環で、午前中は市内の農園でお芋ほり。午後は東分署(消防署)の見学、そして郷土資料館を見学しました。 #またきてね #かすかべプラスワン

郷土資料館では、昔のくらしや道具について、事前に配布した「たんけんシート」というワークシートに基づいて、お話を聞いてもらいました。皆さん、「となりのトトロ」に登場する洗濯板やたらい、井戸のポンプのことはよくしっていて、今のくらしの道具とどこが違うのか、考えてもらいました。

写真:緑小学校3年生 

見学では恒例の千歯こきの体験。体験の稲の都合と時間の関係で、1クラス5名の子どもたちに脱穀を体験してもらいました。「ぼくもやりたい」「わたしもやりたい」と少しもめましたが、実際の脱穀をみると「おーっ!」と歓声があがりました。体験しなくてもよーく観察するのも大事なことです。

 写真:千歯こきの体験

自由時間では、体験用のおもちゃで遊んだり、神明貝塚の人骨とみつめあったり、ワークシートの残りをやってみたり、それぞれ興味のあるコーナーや資料をみたり、話を聞いたりしていました。それぞれに新たな発見、わかったことがあったならば、とてもうれしいです。

 写真:展示をみる児童

見学時間はわずかに30分間でした。郷土資料館をじっくり堪能するには少し短かったかもしれません。土曜日も日曜日も開館していますので、ぜひおうちの方に「郷土資料館ってところがあるよ!」と教えて、また、おうちの方と一緒に来てください。

11/28に歴史文化講演会を開催します

春日部駅東口(昭和32年)

春日部駅東口(昭和37年・1962年、広報かすかべ古写真・かすかべデジタル写真館

 11月28日(日)午前10時から、歴史文化講演会を開催します。

講師は、粕壁出身の大川明弘先生、山口俊一先生です。今回は「昭和五輪のころの粕壁と粕壁の駄菓子屋」と題し、大川先生には、昭和39年東京オリンピックのころを中心とした粕壁の様子を写真とともに、山口俊一先生には、かつてたくさんあった粕壁地区の駄菓子屋について、イラストともにご紹介いただきます。

山口先生の駄菓子屋のイラストは、現在開催中のくらしのうつりかわり展で展示しています。くらしのうつりかわり展は、少し昔の町やくらしを紹介しています。

大川先生、山口先生は、ここ数年、近現代の粕壁地区の調査を継続的に進められています。調査の成果は、先日開催した桐に関する展示など、郷土資料館の活動に大いに役立っています。

粕壁のなつかしい、楽しいお話になると思います。ご参加をお待ちしております。

 

春日部市郷土資料館歴史文化講演会「昭和五輪のころの粕壁と粕壁の駄菓子屋」
講師:大川明弘氏 山口俊一氏
日時:令和3年11月28日(日)10時~12時
会場:春日部市教育センター2F視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:11月16日(火)8:30~(定員になり次第受付を終了します)

お申し込みは郷土資料館に、直接、またはお電話か、市役所の電子申請システムでもお申込みいただけます。

ご来場の際はマスクの着用をお願いいたします。また発熱などの風邪症状があるときは、ご来場をご遠慮ください。今後のコロナウイルス感染症の状況により、予定が変更されることもあります。

 

武里小3年生、郷土資料館に来る

令和3年10月21日、武里小学校の3年生が春日部市郷土資料館を見学しました。 #かすかべプラスワン

皆さんは、午前中は大宮の県立歴史と民俗の博物館を見学。いろいろな体験をされたあと、午後は地元春日部の博物館。

写真:武里小学校の見学

日光街道や武里小学校のことなど地元密着のお話を聞いたり、「となりのトトロ」に絡めた説明もある特製の昔の暮らしワークシートにチャレンジしてくれました。昔の農業体験では、恒例の千歯扱きの体験だけでなく、今回は脱穀した籾をすり鉢で玄米にする体験もやってもらいました。

時間が押しており、じっくり見学できなかったようですが、「竪穴住居におどろいた」「楽しかった」とも話してくれました。濃厚な時間を過ごしていただけましたでしょうか。

写真:千歯こきの体験

時間がなく物足りなかったひとは、おうちの方と遊びにきて、ぜひじっくり郷土資料館を堪能してください。

お待ちしています。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和3年10月17日(日)に、郷土資料館体験ワークショップ「ピョンピョンかえる・糸でんわを作ろう」を開催しました。

 

まずは蓄音機でのレコード鑑賞です。

蓄音機鑑賞

デジタル音源が当たり前となり、アナログな音に触れる機会も少ない昨今、聴こえてくる音の質の違いに興味を持ってくれているようでした。

 

おもちゃ作り風景

次に、粕壁地区に伝わる伝説「火事よけ天狗」の紙芝居を朗読し、

昔のおもちゃ作りではピョンピョンかえると糸でんわを作りました。

遊び風景

糸でんわの糸の長さは約5メートルです!資料館に糸が張り巡らされたような風景に♪

マスクをしたままでもよく通じる様子で、「ママきこえる~?」と楽しそうに遊んでくれました!

 

バッジ写真 

最後に資料館オリジナルの缶バッジ作りをして、あっという間の1時間弱でした。

次回の体験ワークショップは令和3年11月21日(日)に開催予定です。詳しくは広報誌等でご確認ください。おもちゃは「紙でっぽう」と「ぶんぶんゴマ」を作るのでお楽しみに!

郷土資料館は適宜換気や消毒を行っておりますので、お時間の都合の良い方はぜひお越しください。

【休館します】10月23日(土)午後、24日(日)、30日(土)午後、31日(日)

10月後半の土曜日、日曜日は、春日部市では選挙が行われ、教育センターが選挙の投票所で利用されるため、資料館は休館になります。ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

<休館日>

10月23日(土)午後(前日準備のため12時より休館)

10月24日(日)終日(春日部市長選挙)

10月30日(土)午後(前日準備のため12時より休館)

10月31日(日)終日(衆議院議員選挙)

【展示】なつかしい町の駄菓子屋(店頭編)

「くらしのうつりかわり」展は、少し昔の町やくらしを紹介しています。今回は、展示のみどころの一つでもある、新たに設けた一コーナー「こどもたちの社交場~駄菓子屋のきおく」の展示資料を紹介します。

今回、昭和31年(1956)生まれの粕壁地区の方に、子どもの頃によく通った駄菓子屋の店頭のイラスト(描き下ろしです)を提供いただきました。昭和30年代の粕壁には、いくつもの駄菓子屋があったそうです。

画像:駄菓子屋のイラスト

イラストは、現在の粕壁東1丁目3-18付近にあった「はっとりや」(服部屋)という駄菓子屋です。

入り口はガラス戸が4枚、床はコンクリートの三和土(たたき)。正面のガラス戸の戸棚にはプラモデルが並び、背の低い台には様々な駄菓子が並んでいます。間口奥行きともに2間程度の広さで子供の頃にはとても広く感じたといいます。

よく買った駄菓子は、「ピンク色の麩菓子」「赤いニンジン型の袋に入ったポン菓子」「真っ赤な大根の酢漬け」「きなこ棒」「串に刺した薄っぺらな鈴カステラ」「酢漬けイカ」「試験管に入ったヨーグルトっぽいやつ(竹串で食べる)」「風船ガム」など。夏には「アイス」「かき氷」「ところてん」を食べたそうです。私は世代が違いますが、「赤いニンジン型の袋に入ったポン菓子」「真っ赤な大根の酢漬け」「きなこ棒」「ヨーグルトっぽいやつ(竹串で食べる)」を食べた記憶があります。世代を超える駄菓子も少なくないようです。

玩具類では、「凧」「紙飛行機」「ゴム動力のプロペラ飛行機」「縄跳びの縄」「カラーボール」「銀玉鉄砲」「ゴムパチンコ」「パース」「コマ」「ベイゴマ」「花火類」があったそうです。「パース」というのは、春日部のあたりでは「めんこ」のことを指します(以前紹介したことがあります)。「はっとりや」では、他の駄菓子屋にはないプラモデルも売っており、初めて買ってもらったプラモデルはレーシングカーでとてもうれしかったそうですが、自分では組み立てられず、お父さんに作ってもらったそうです。いい思い出ですね。

駄菓子屋は、大人が立ち入らない「こどもたちの社交場」であり、写真や記録に残ることは稀です。このイラストは、写真などの資料に頼らず、子どもの頃の記憶を呼び起こして、本当に細部まで緻密に丁寧に描いたものです。もちろん絵心がなければここまで描けませんが、よく憶えているなぁと、ただただ感心するばかりです。「はっとりや」以外にも、展示では「たまや」「あいざわ」「やまざきや」のイラストも紹介しています。ぜひご覧ください。

次回は、駄菓子屋で販売されていた懐かしの玩具(展示中)について紹介します。お楽しみに。

明るく楽しく懐かしく

令和3年10月12日(火)市内の高齢者施設の方々が郷土資料館を見学されました。

今日は午前中が小学校の団体、午後が高齢者施設の団体と幅広い年齢層の皆様にご来館いただいきました!

 

くらしのうつりかわり展解説

昔の生活道具をご覧になり、白黒テレビをみて「これはダイヤルが取れちゃうんだよ~」という声がきこえたり、展示物に表記された年代をみて「俺の生まれた年だ」とおっしゃる方もいたりと、昔を思い出して賑わっていました!

宿場模型解説

他にも、宿場の模型をみて「江戸博みたいだな」とおっしゃる方や、なつかしのおもちゃ「けん玉」で遊ぶ方もいらっしゃり、本来予定していた見学時間を上回るくらい楽しんでいただけたようです。

 

郷土資料館はデイサービスなど、高齢者施設の方々の見学も歓迎しています。換気や消毒などの感染対策を行ったうえで、団体見学のご希望もお待ちしておりますので、ぜひご相談ください。

 

豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

令和3年10月12日(火)に豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

 

令和3年10月5日(火)より第38回小学校地域学習展「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」がはじまりました。同展示会には毎年、社会科郷土学習の一環として、小学校3年生の団体見学の依頼を多くいただいています。

豊野小学校は今年のトップバッターです!ちなみに去年も豊野小学校は1番乗りでした!

 

1クラスを2つに分け、企画展示室の小学校地域学習展と常設展を入れ替わる形での見学です。くらしのうつりかわり説明

企画展示室では約60年前の生活の様子や、実際に使われていた道具の説明を受けました。

千歯こき風景

千歯こき(せんばこき)を使った脱穀(だっこく)体験体験では、バラバラを音を立てて落ちていく籾(もみ)の様子に歓声が上がります!

 

竪穴住居説明

常設展の見学では、縄文時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)や、国史跡神明貝塚(くにしせきしんめいかいづか)などの解説を受けました。

神明貝塚説明

本物の人骨におっかなびっくりの様子でした!

 

最近は新型コロナの感染者数が減少傾向にあるようですが、資料館の出入り口を開放し、適宜アルコール消毒をしながら見学会を行いました。今後も安心して楽しく資料館に来てもらえるように努めていきたいと思います。ぜひまた来てくださいね!

 

「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」は、10月5日(火)から令和4年2月27日(日)まで開催しています。

昔懐かしい民具や勉強道具、おもちゃなどを展示し、お子様からご年配の方まで楽しんでいただける展示となっております。ぜひご来館ください。

 

 

【体験ワークショップ】ピョンピョンかえると糸でんわをつくろう!

令和3年10月17日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、紙芝居、蓄音機の上演、昔のおもちゃづくりをします。

今回つくる昔のおもちゃは「ピョンピョンかえる」「糸でんわ」の2つです。

 

昔のおもちゃ

色塗りや折り紙を貼ってオリジナルのおもちゃをつくりましょう!

 

申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意しております!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

小さいお子様でも簡単に作れるおもちゃなので気軽に参加してみてくださいね♪

 

【体験ワークショップ】

日時:令和3年10月17日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:紙芝居と蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(ピョンピョンかえる・糸でんわ)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

 

 

 

【 #トトロ 】くらしのうつりかわり展はじまります【 #SDGs 】

10月5日(火)より「くらしのうつりかわり~なつかしのくらしの道具展」が、はじまります。

画像:地域学習展チラシ

この展示は、小学校第三学年の社会科地域学習にあわせ、例年、昔のくらしや生活で使う道具、春日部のまちのうつりかわりを紹介するものです。昨年度、学習指導要領の改訂に伴って、展示内容を大幅リニューアルし、「昔」の設定を今から約60年前としました。60年前とは、アニメ「となりのトトロ」の世界。「トトロ」の登場人物がつかうホンモノの道具を一堂に会しました。ぜひ、「となりのトトロ」で予習して、郷土資料館に遊びに来てください。

また、少し野心的な取り組みとして、展示の内容をSDGsと関連づけて紹介しています。春日部市は、令和2年(2020)7月にSDGsの達成に向け優れた取り組みを進める「SDGs未来都市」に選定されています。春日部のまちのうつりかわり、昔の春日部について知ることで、未来のわたしたちのまち春日部を考えるきっかけにしてもらいたいと考えました。この点もぜひ注目ください。

 

展示会名 小学校地域学習展(第38回)「くらしのうつりかわり~なつかしのくらしの道具展」

会  期 令和3年10月5日(火)~令和4年2月27日(日) *月曜・祝日・年末年始休館

会  場 春日部市郷土資料館 企画展示室

入  館  料 無料

資料館にとろ★りんが遊びにきました

9月17日(金)、とろ★りんチャンネルの取材をうけました。

「とろ★りん」は、「春日部やきそば」のイメージキャラクターで、キモカワ系ゆるキャラとして、2010年から活動しています。そして「春日部やきそば」は、あんかけやきそばに市の花「藤」をイメージしたしそふりかけをトッピングしたやきそばで、市内の多くのお店でいただくことができます。

 

さて、youtubeとろ★りんチャンネル(youtubeへリンク)の取材に、とろ★りんが資料館へやってきました。

 

「とろ★りんチャンネル」は、NPO法人春日部藤源郷(かすかべとうげんきょう・公式サイトへリンク)のみなさんが運営されています。2020年12月の開始以来、春日部の名所、名店、いいところを次々と紹介されています。

また、NPO法人春日部藤源郷は、「春日部やきそば」と「本格焼酎 かすかべ藤乃彩」を、市内外へ広く広めるために設立された団体です。

とろ★りん玄関前

 

とろ★りん入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とろ★りんには、資料館の縄文時代の竪穴住居の模型と、江戸時代の粕壁宿のジオラマを見てもらいました。

ちなみに、日本でやきそばが現在のように一般に普及するのは昭和時代、終戦後のようです。 

とろ★りん竪穴住居前

とろ★りん宿場模型前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近日公開予定ですのでお楽しみに。

とろ★りんチャンネル 

「須釜遺跡の弥生土器」が埼玉県立歴史と民俗の博物館「埼玉考古50選」に出展

9月15日、埼玉県立歴史と民俗の博物館に須釜遺跡出土の弥生土器を貸し出しました。

埼玉県立歴史と民俗の博物館では、下記のとおり、10月9日(土)より「埼玉考古50選」展が開催されます。

須釜遺跡の弥生土器はこちらの展示会に出展されます。

●博物館開館50周年記念「埼玉考古50選」

埼玉考古50選チラシ

期間:令和3年10月9日(土)から11月23日(火・祝)

時間:9:00から16:30

会場:埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区高鼻町4-219)

*東武アーバンパークライン(野田線)大宮公園駅より徒歩5分

観覧料:一般600円 高校生・学生300円

埼玉考古50選(埼玉県立歴史と民俗の博物館サイト)

 

 

 

 

 

埼玉考古50選チラシ(チラシ画像をクリックするとPDFが開きます) 

 

須釜遺跡は市内北部の倉常に位置します。
「再葬墓」とは、縄文時代の終わりごろから弥生時代の中頃にかけて関東地方から東北地方において広まったお墓の形です。人が亡くなった際、一度、遺体をそのまま土に埋めたりして葬(ほうむ)りますが、一定の時間がたったのち、その遺体を掘り出して、さらに骨だけにし、再び葬るものです。「再び葬る」ことから「再葬墓」と呼ばれています。

この「再葬墓」が須釜遺跡では11基検出され、完全な形に近い弥生土器、総数29点が発見されています。埼玉県東部地域では、弥生時代の遺跡はあまり発見されていないことから、須釜遺跡の遺物は平成17年に「須釜遺跡再葬墓出土遺物一括」として埼玉県指定文化財となりました。

「埼玉考古50選」では、1号再葬墓と2号再葬墓から発見された土器が展示されます。土器の表面に残った稲籾の圧痕の説明などもあるようです。

埼玉県立歴史と民俗の博物館は、東武アーバンパークラインの大宮公園駅が最寄りとなります。コロナ対策を十分とっていただいて、お出かけいただければ幸いです。

須釜遺跡の土器

須釜遺跡再葬墓出土の土器

 

須釜遺跡については過去のブログでも紹介しております。

須釜遺跡再葬墓出土遺物一括-指定文化財でめぐる春日部

【常設展】須釜遺跡出土土器を展示替えしました

 

 

夏季展示が遺したもの

夏季展示「桐のまち春日部」展も終わり、ただいま資料返却の旅の最中です。資料をお貸しいただいた方々から、「いい展示だったね」「お役に立ててよかった」と感謝のお言葉をいただき、本当によかったなと思う毎日です。 #かすかべプラスワン

様々な方に巡り合い、お話しが聞けて、春日部の桐産業の理解が深まったこと、あるいはこれから深めていくきっかけになったことが、資料館として何よりの財産になったわけですが、ほかにも目に見える形で夏季展示を活かしていきます。今日は2点ほど、夏季展示を継承する成果を紹介します。

第一 桐箪笥のリーフレットを一新しました。

画像:新しくなった桐箪笥のリーフレット

今回の調査を受けて、より見やすく充実した内容に一新しました。まだ前の範の残部がありますので、在庫がなくなり次第配布します。小学校の地域学習の課題などにお役立てください。表紙には、桐箪笥から登場する郷土資料館あんない人の「うめわかくん」が!「うめかわくん」でなく「うめわかくん」です。

 

第二 桐箪笥のカンナくずを活用した体験講座の開発に着手しています。

桐箪笥屋さんから廃材となるカンナくずをご提供いただき、これを活かして何かできないかなと、展示期間中、職員一同頭をひねっていました。そして、たどり着いたのがカンナくずでつくったバラのブーケです。

 画像:カンナくずでつくったバラのブーケ

以前、実習生がしれっと紹介していましたが、もっと注目されてもいいモノだと思いますので、紹介させてください。

カンナくずを丁寧に折って花びらにし、これを組み合わせて「バラの花」に仕立てました。教育センターの清掃員の方からも大変好評です。先日、箪笥職人さんにもご披露したところ、大変喜んでくださいました。

春日部の象徴である「桐」の廃材を再利用して、美しいバラにする、まさにSDGs未来都市に相応しいといえましょうか。今はどのように事業化すればよいか思案しているところです。

これからも、展示の成果を郷土資料館の活動に活かしていきたいと思います。

【9月16日】 #今日は何の日? in春日部

今から74年前の9月16日は、カスリン台風による水害が発生した日です。 #かすかべプラスワン

昭和22年(1947)9月14日朝から降り出した雨は、15日には強くなりました。いわゆるカスリン台風(カスリーン・キャサリンとも)による豪雨です。台風そのものは本州に近づいたときにはすでに勢力を弱めつつありましたが、台風の接近に先立って秋雨前線が活発化し、豪雨がもたらされました。この間の雨量は秩父で県内最高611ミリメートルを記録しました。

16日0時20分ごろには利根川流域の栗橋(久喜市)で水位が9メートル以上に達し、その10分後、埼玉県東村(現加須市)の新川通地先で、堤防が350メートルにわたり決壊、洪水は古利根川筋を南下しながら、埼玉県東部(中川低地)を飲み込み、東京都江東区まで進行しました。

当時の状況は『昭和22年9月埼玉県水害誌』(以下、『水害誌』)に詳しくまとめられています。

これによれば、春日部市内に利根川の洪水が実際に達したのは、9月16日の午後から夕方ごろのようです。東村の堤防決壊から半日あまり時間が経過していました。とはいえ、幸松村では、洪水が達する以前、午後2時頃から新倉松落や旧倉松落などの水路が相次いで決壊するなど、大雨による河川の逆流などもあり、被害が出ていたようです。

16日の夕刻を過ぎると、南桜井村・幸松村で浸水がはじまり、午後11時には春日部町境の隼人堀が氾濫し、内牧・梅田でも浸水が始まります。17日午前0時には宝珠花村の水田が濁流で浸水、午前5時には春日部町の川久保地先で古利根川が決壊し、町域の南部・町並の一部が浸水しました。午前10時には古利根川の春日橋が流失、午前11時には豊野村に幸松村方面から押し寄せた濁流により、全村浸水。同刻には武里村の字備後で古利根川が越水(午後1時決壊)。正午には川辺村の字水角・赤崎・飯沼・米崎、米島・中野(現東中野)の一部が濁流に覆われました。

利根川の洪水(濁流)の進行の経過は、『水害誌』所収の図に図示されています。古利根川や庄内古川を画して、濁流の進行状況が異なったことがうかがえます。赤い実線は16日、赤い破線は17日の洪水進行状況を示しています。読み取りづらい部分もありますが、市域では古利根川以東の地域の濁流進行が早く、豊春村・武里村では徐々に浸水が進行していったようです。また、台地や発達した自然堤防などの高台は浸水を免れたこともわかります。

 画像:浸水図

『水害誌』の付録である『附録写真帳』には当時の貴重な写真が掲載されています。下の写真は武里村で撮影されたものです。武里村の水防団が警戒する様子がみえます。このほかの市内の写真は「かすかべデジタル写真館」で紹介しています。

写真:武里村の状況

浸水位(深さ)は幸松村で「床上六尺以上」(床から約180cm)と報告されています。市内では6日以上湛水(水がひかない)地域もあり、高台や水塚(土盛りした建物)の上で生活する方も多く、1か月もの間避難する方もいました。農作物や橋の被害、家屋の浸水、流失・半壊する家も多くあり、大変な被害をもたらす災害となりました。また、水が引いた後の掃除も大変だったとの聞き取り記録もあります。

カスリン台風の発生から70数年が経過し、災害を経験した方も少なくなってきています。カスリン台風時には、明治43年(1910)の水害を経験した方がまだご存命で、その経験で助かった命も少なくないと聞いています。先人の経験をきちんと知り、伝え、それを学ぶことで、私たちやみなさんの暮らしの「備え」にきっとなるのではないかと思います。

春日部市では、最近「災害ハザードマップ」をリニューアルしました。こちらもぜひお目通しください。

 

参考文献 『昭和22年9月埼玉県水害誌』(埼玉県、1950年)、『埼葛・北埼玉の水塚』(東部地区文化財担当者会、2013年)、カスリーン台風70年特集サイト(カスリーン台風70年実行委員会)

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月26日版4月28日版

【常設展】プチ展示替しました【樋籠村の #村絵図 】

今回展示替したのは、常設展示室の最奥「江戸時代の村々」と「水とのたたかい」のコーナー。地味なコーナーですが、現代の春日部の暮らしに直結する重要な展示です。陳列したのは2点。いずれも近世文書です。しぶ~い展示ですが、どちらも新出史料で、史料集などに掲載されても不思議でない良き史料です。 #かすかべプラスワン

写真:展示風景

今回は、そのうちの「水とのたたかい」コーナーに展示した、武蔵国葛飾郡樋籠村の村絵図を少し紹介。地名は「ひろう」と読みます。

展示した資料は寛保元年(1741)9月の絵図です。中川低地に位置した、江戸時代の樋籠村の景観が見て取れ、低地の村落の人々が水害の脅威といかに対峙していたかが読み取れます。また、絵図中には、かつて葛西用水として利用されていた「悪水堀」「小古堀」が描かれ、村の西端に描かれた倉松落には「葛西用水堀」と注記され、江戸時代の中川低地の灌漑を支えた葛西用水の変遷を考える上でも重要な資料だと思います。

樋籠村絵図

大変興味深い資料ではありますが、これまで展示公開されたことがありませんでした。この機会にぜひご覧ください。

機会があれば古文書講座のテキストにして、市民の皆さんと読んでみたいとも思っています。

臨時休館のお知らせ

9月18日(土)から9月21日(火)は、燻蒸作業を行うため郷土資料館は休館いたします。

ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願いいたします。

*18日(土)~20日(月)は、教育センター全館立ち入り禁止になりますのでご注意ください。

*21日(火)は、郷土資料館は休館となりますが、教育委員会事務局は業務を行っております。 

 

 

【動画】「春日部市の昔と今」公開中!

郷土資料館ホームページの「かすかべデジタル写真館」の古写真が活用され、市の公式動画チャンネル「かすかべ動画チャンネル」に、動画「春日部市の昔と今」が公開されています。 #かすかべプラスワン

この動画は、令和3年度の敬老会の中止に伴い、高齢者支援課により制作・公開されたものです。古写真を現在のまちの様子と比較していて、さまざまな世代の皆さんがお楽しみいただけるものと思います。いよいよ、郷土資料館もyoutubeデビューです。出典元の「かすかべデジタル写真館」も合わせてご活用ください。

武里大枝公民館で「神明貝塚の巡回展示」を開催しています

9月7日(火曜日)より武里大枝公民館にて「神明貝塚の巡回展示」を開催しています。

 

武里地区においては県指定無形民俗文化財の「やったり踊り」(大畑)が馴染み深い地区ではありますが、前回の豊野地区同様に「遺跡」は確認されておらず、また神明貝塚の所在する西親野井地区とも市内の中でも遠いところに位置しています。

 しかし、市内にたくましく生きた縄文人のなりわい、食生活、そして国史跡になった大規模な貝塚を多くの市民の皆さまに知っていただきたく、土器や石器、貝類の実物、縮尺1/150のジオラマ、盛りだくさんの解説パネルを用意しました。 

今回の展示場所である武里大枝公民館は、かつて「東洋一の団地」とも称された武里団地の中に所在しています。武里地区での神明貝塚の知名度を上げるべく、是非多くの方々にご覧いただきたいと思いますが、その際には新型コロナウィルス感染拡大防止にご協力いただければと思います。

 

展示の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

展示場所:武里大枝公民館 1階ロビー左手

展示期間:9/7(火)~12/19(日) ※月曜・祝日また選挙投票日等は休館 

開館時間:8:30~17:15

明日 #ミュージアムトーク やります

令和3年9月5日(日)をもって、夏季展示「桐のまち春日部」展もいよいよ最終日。最終日は、展示担当学芸員によりミュージアムトーク( #展示解説 )を開催します。 #かすかべプラスワン

時間は10時30分~と15時~の2回。「語り出したらキリがない」ので60分ほどになるかと思います。解説を聞きたい方、ご自分の体験談を聞いてほしい方、お付き合いいただける方をお待ちしています。もちろん予約不要、費用はかかりません。

元・桐材屋さんから資料を寄贈いただきました

おかげさまで「桐のまち春日部」展もたくさんの方にご覧いただき、なかには関係者の方もちらほら。先日、夏季展示「桐のまち春日部」展をご覧いただいた、市民の方から資料を寄贈いただきました。

お話をうかがったところ、以前、粕壁で桐材店を営んでいた方でした。

その昔、郷土資料館にも、桐材店に関連する道具を寄贈いただき、その一部は「桐のまち春日部」展でも展示しています。展示をご案内したところ、ご来館いただきました。ご来館された方は、桐材店の娘さんでしたので、直接ご家業に携わっていたわけではなかったようですが、展示資料をご覧いただき、「懐かしい」「○○さんという名前聞いたことがある」とお話しいただきました。

ご来館の折、ご持参いただいたのが今回ご紹介する資料です。資料は、昭和50年ごろに夏休みの自由研究の成果(模造紙)です。自由研究のテーマは「春日部桐箪笥のできるまで」。当時、小学生だった桐材店のご子息が家業の仕事の風景を写真で記録し、模造紙に貼り付けまとめたものです。桐材店のご子息が調べた内容もさることながら、とりわけ貴重なのは写真です。そこで、今回その写真を紹介します。

写真:桐の丸太

まずは、桐の丸太の写真です。工場には、大量の丸太が山積されていたそうです。

桐は丸太のまま乾燥させ、そのあと、製材・製板していくことになるようです。

写真:製板された桐材

次は、製板された桐材です。屋根が映り込んでいるので長い板であることがうかがえます。

板を乾燥させているところのようです。桐は雨ざらしにしてアク(シブ)を抜かないと製品になった後に変色してしまうそうです。板を斜めに立て掛ける干し方は、面積をとるため、広い敷地がないとできないと聞いたことがあります。

写真:木取り

つづいて、工場内部の写真。木取りをしている場面のようです。

丸鋸盤で板材を必要な寸法に切ります。木取りが箪笥を製造する上で重要なことは以前紹介しました。

写真:箪笥の枠組み

つづいても工場の中。箪笥のワクを組んでいるところです。

職人さんは、「アツイタ」とよばれる作業台の上で生地を組んでいきます。

ホゾを組むときや、木釘をうちつけるときには、木槌やトンカチ(ゲンノウ)が使用されます。

「トントントン」と、リズミカルで心地よい音が聞こえてくるようです。

ところで、最近の箪笥屋さんは、「箪笥屋さん、儲かるかい?」「トントントントン、トントンのカミ」というそうです。意味は、箪笥を一生懸命「トントン」と組んでも、儲けは「トントン」(差し引きゼロ)だということです。

かつては、「箪笥屋さんかい?神様かい?天皇陛下のオジサマかい?」といったほど、春日部の箪笥産業は盛んでしたが、近年は手間賃が安く箪笥屋さんの景気もあまりよくないとか。聞き取り調査の折に、こんな話をうかがったこともあります。

話は脱線しましたが、「桐のまち春日部」展は9月5日まで。あとわずかですが、春日部の桐産業について、まだまだ、わからないことが沢山ありますので、関係者の方、ぜひ教えてください。

小渕・観音院の聖徳太子立像

夏季展示「桐のまち春日部」展で展示中の聖徳太子立像(小渕・観音院所蔵)は、同展の目玉資料の一つです。今回は春日部の桐細工との関わりについて、ご紹介します。 #かすかべプラスワン

 写真:聖徳太子立像

小渕の観音院は、正式には小淵山正賢寺観音院といい、市内では現存する唯一の本山修験宗の寺院です。鎌倉時代中頃の正嘉2年(1258)建立とされ、市内最多の7躯の円空仏(小渕観音院円空仏群・県指定有形文化財)、元禄年間(1688-1704)建立と伝えられる小渕山観音院仁王門(市指定有形文化財)など、春日部のあゆみを理解する上で貴重な文化財を伝えています。イボ・コブ・アザなどにご利益のある「イボトリ観音」として古くから信仰され、5月の大型連休中に円空仏を開帳する「円空仏祭」や「四万六千日祭」(8月10日)などの年中行事に加え、近年はさまざまな催し物を織り交ぜたイベント「寺フェス」などを催し、寺院の新たな役割を模索しています。 

小渕の観音院に伝わる聖徳太子立像は、木造で厨子におさめられ、普段は本堂に安置されています。太子像は、髪を角髪(みずら)に結い、鳳凰丸紋(ほうおうまるもん)の朱華(はねず)の袍衣(ほうい)に袈裟(けさ)をかけ、柄香炉(えごうろ)を持っています。これは、父の用明天皇の病気平癒を祈った16歳の姿といわれ、孝養太子と呼ばれています。

観音院には、江戸時代、境内に太子堂があり、この中に安置されていたものと考えられます。

天保13年(1842)「小渕太子堂奉加帳」(市指定文化財)によれば、観音院の太子堂は、もともと宝暦5年(1755)に近隣の職人が講銭を集め、粕壁の八幡宮の宝殿に造営されたもののようです。経緯は不明ですが、その後、観音院に太子堂が移されたようです。天保13年、観音院と小渕村の職人たちは、この太子堂を修復するために近隣の職人などに寄付を募りました。この寄付台帳が「小渕太子堂奉加帳」です。奉加帳には、大工・木挽・建具屋など、市域周辺の250名余りの職人の名前が記録されています。このなかに、春日部の桐細工の起源とも考えられる、指物屋・箱屋の署名がみられます。箱屋と指物屋の区別は明確ではありませんが、いずれも木組みをして箱・長持・箪笥類を細工・製造した職人と考えられます。市域では、粕壁宿に箱屋9名、小渕村に箱屋1名・指物屋2名、樋籠村に指物屋1名、牛島村に指物屋3名、藤塚村に箱屋2名、指物屋1名、銚子口村に箱屋2名、備後村に箱屋1名が確認され、広範に職人が存在していたことがわかります。

写真:小渕太子堂奉加帳

聖徳太子は、四天王寺などを建立した事績から、各地で建築や木工の祖として崇められていました。春日部市域では残念ながらたどれませんが、県内では箪笥職人などが「太子講」という聖徳太子を信仰する講が組織される例があります。この「小渕太子堂奉加帳」により、観音院の聖徳太子像は、春日部の桐細工職人らに信仰されていたと考えられ、「講銭」が集められたという記述から、市域でも「太子講」に近い組織が存在していたことがうかがえます。

そういうわけで、観音院の聖徳太子立像は、春日部の桐細工の歴史に深く関わる資料といえます。桐細工の歴史を物語る資料は、紙の資料が大半を占めてしまいますが、数少ない立体の展示資料として、鮮やかな彩色も伴い、展示に華を添えています。

写真:聖徳太子

今回、観音院の「聖徳太子立像」と「小渕太子堂奉加帳」が初めて一同に会しています。展示室の照明の都合から、厨子から出した状態で「聖徳太子立像」を展示しています。像を単体で鑑賞いただけるのは、9月5日まで。あとわずかです。この機会に、ぜひともご覧ください。そういえば、今年は聖徳太子御遠忌1400年だそうです。

春日部の桐細工の起源と伝承について(その2)

気が付けば、夏季展示「桐のまち春日部」展の会期も最後の一週間です。引き続き、春日部の桐細工の起源と伝承について第二弾にして最終回。 #かすかべプラスワン

前回、紹介した通り、昭和50年代以降、桐箱で語られていた「日光東照宮の工匠の移住説」が、桐箪笥の起源としても伝播していきました

こうしたことは展示の企画段階から何となく把握していましたが、調査を進めるなかで新たな資料を見出すことになりました。それが、大正13年(1924)に発表された論文、緑川禄「埼玉の桐箱」です。この論文は、大日本山林会の会誌『大日本山林会報』498号に収載されるものです。ちなみに大日本山林会の会誌のバックナンバーはデジタル化されています。

緑川には『確実なる副業 檪、竹、桐、杞柳の実際的経営』という著書もあり、埼玉県技師であったことがわかっています。会誌『大日本山林会報』には、埼玉県内の林業・林政に関する緑川氏の文章がいくつも収載されており、緑川は埼玉県の林業に深く携わっていた人物であると考えられます。緑川のいう「桐箱」とは、いわゆる桐小箱だけではなく、大型の箱である桐箪笥や長持なども含んだ桐製の指物のことを指しており、関東大震災直後の埼玉の桐産業の状況を伝える貴重な文献です。埼玉の桐箱の起源についても次のように言及されています。表記は原文のママ。誤字は( )で注記した。

桐箱製造の起源は遠く後陽成帝の御宇慶長年間徳川家康江戸に開幕と共に、爾来家具の工匠を武州川越に住ましめ、将軍家の御用を仰付け、其後霊元帝の御代天和年間、に至り桐材を以て家具類を製作せしめたるに創るので、其当時は僅か十数人の工匠が大箱即ち箪笥、刀箪笥累の製作を主とし、尚ほ枕及硯箱をも工作したのであつた。

其後中御門帝の御宇正徳年間、北葛飾郡幸松村の人某川越に於て技術を習得し、自村に帰つて創業せるが、是粕壁地方に於ける桐箱製造の元祖である。(中略)幸松村に於て一般の需要に満たすべく製作を開始せるに、会々(津?)仙台公日光崇拝の途次粕壁町に於て御納戸硯箱を献じて技工の優秀なるを認められ、公儀御用商人住吉屋をして納入せし以来諸大名、家老近卿(郷か)々士にまで供給する様になつたのである。(以下略)

すなわち、埼玉の桐箱づくりは、徳川家康の入部とともに、城下町川越に移住させられた職人が直接の起源であり、春日部の桐細工の起源は、正徳年間に幸松村(明治22年以降の地名)の某氏が川越で技術を習得し、幸松村で創業したことに求められています。その後、諸大名の東照宮参詣などで日光道中の粕壁宿にて硯箱が大名に献上され、幕府の御用商人の住吉屋(おそらく江戸の箪笥問屋)に納入され、江戸の諸大名や武家らが用いるようになったと記されています。

緑川「埼玉の桐箱」は、春日部の桐細工の起源について言及した文献として、現在わかる範囲では最古のものです。最古であるからだけではなく、幸松村や住吉屋といった具体的な固有名詞が出て記述が、大変興味深いものとなっています。幸松村は、現在判明する範囲で最古の箪笥屋が所在する小渕も含まれた地域です。現在の箪笥屋の系譜では天明年間(1781-1788)までしか遡れませんが、幸松はそれよりも古くまで遡れる桐細工産業の発祥の地なのかもしれません。また、日光道中を利用した諸大名の目にとまり、住吉屋に卸されるようになったとの記事も大変興味深いです。住吉屋とは、近世の史料にも登場する江戸の京橋の箪笥商、明治初頭まであった実在する箪笥卸商であったようです。

こうした具体的な記述から、春日部の桐細工が、日光道中を起点にし、巨大都市江戸と関係を結びつきながら、歴史的に展開していったことが想像されます。日光道中沿いにあることから、いつのまにか「日光東照宮の工匠」に関する伝承が生まれていったのかもしれません。

しかし、残念なことに、緑川は明確な典拠を示していません。川越に技術を習いにいった人物も「某」とされており、よくわかりません。しかし、ほかの記事では、農商務省山林局編『木材ノ工芸的利用』(明治45年刊)にも近似する県内の桐箱製造者数のデータも掲載されており、緑川「埼玉の桐箱」は、なんらかの調査や資料に基づいて執筆されたと推察されます。担当者としては、緑川説は、「東照宮の工匠伝説」より、やや具体的であり、執筆者の立場からしても、歴史により桐産業を権威化する意図は感じられないので、信ぴょう性が高いのではないと考えています。

 

このように説明すると、「「東照宮の工匠伝説」は間違っているのか!?」「結局、どっちが正しいのか」「どちらも証拠がないのでは?」「起源なんてどうでもいいのでは?」と叱責されてしまいそうです。いずれも「伝承」「伝説」であり、担当者としては、どちらが正しい、間違っているのかを裁定するつもりは固よりありません。桐細工の起源説の検討から、強調しておきたいことは、以下のことです。

「伝説」「伝承」はさておき、今回の調査では、証拠のある具体的な歴史としては、春日部の桐細工は、古文書により、江戸時代半ばまで遡れる地場産業であること。そして、明治時代後期以降、産業として大きく飛躍し、その頃に、現代に伝統産業として継承される礎が築かれてきたことがわかりました。

今回わかってきた具体的な桐産業の歴史は、「東照宮の工匠伝説」のような華やかで箔をつけたかのような「起源」に比べれば、一見地味かもしれません。ただ、農間余業として始まり、その後に専業化し、春日部を「桐のまち」として支えていった一つ一つの歩みは、現代の私たちから見れば地味かもしれませんが、歴史の当事者や関係者たちにとって決して地味なものではなかったはずです。具体的な歴史をとらえ、それを一つ一つ見つめ直し、理解することこそが、先人たちや関係者の方々に敬意を表すことになる。展示担当者は、様々な資料や関係者への聞き取り調査のなかで、春日部の桐産業は、尚もまちの特徴であり、今後のまちの行く末を考えていく上でも、桐産業の具体的な歴史を考えることは重要だと改めて思いました。

皆様にも、雲をつかむような「東照宮の工匠伝説」ではなく、より具体的な春日部の桐産業の歴史を今一度見つめ直していただきたいと思います。そんな、春日部の桐産業の歴史を具体的に紹介する「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展は9月5日(日)まで。お見逃しなく。

「オンライン土器作り教室」~土器焼きを行いました~

8月25日(水)に「オンライン土器作り教室」最後の工程の”土器焼き”を行いました。

 

当日は小雨が降り、天候が危ぶまれましたが、何とか実施することができました(例年は内牧公園で

にぎやかに焼き上がりを待ちながら、まがたま作りや火おこし体験を行っていましたが・・・)。

土器焼き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縄文土器は野焼きという方法で焼くため、地面に直接火をくべて焼きます。まずは火の遠いところに土器を置き、じっくりと土器の温度を上げていき、十分に温まると土器を火に近づけます。また土器の中に炭を入れ、内側からも土器を温めて最後の乾燥を行います。

土器焼き2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土器の色が変わり、固く焼きしまると、最後に燃えやすい薪をくべ、「赤い炎」の中で焼いていきます。縄文土器の色が赤茶色をしているのも、酸素を十分に送った「赤い炎」で焼いているためです。

この時の温度は約600度以上にも上がります。

完成した土器

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土器が焼きあがりました!精巧に装飾がされたものから、独特の文様や形をもつ土器が出来上がりました。乾燥も十分にでき、失敗もありませんでした。

 参加者の皆さま、作品のお引き取りをお待ちしております。

 

また来年も、この夏休み期間に「オンライン土器作り教室」を継続していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

春日部の桐細工の起源と伝承について(その1)

夏季展示「桐のまち春日部」展が、新聞各紙に取り上げられ、少なからぬ反響をいただきました。そこで数回にわけて春日部の桐細工の起源の伝承について、補足説明させていただきます。 #かすかべプラスワン

以前にも紹介したとおり、春日部の桐細工の起源については、史料的には安永7年(1778)以前には遡ることができません。

現在、『春日部市史 民俗編』が言及するように、江戸時代初期に東照宮造営に加わった工匠たちが、帰りに粕壁に住み着いたことが始まりという伝承がほぼ定説として扱われています。ただ、日光東照宮の工匠を起源とする言説は、あくまで「伝承」「伝説」であり、確固たる証拠がありません。

今回の展示にあたり、この「東照宮の工匠伝説」がいつ頃までさかのぼれるのかを検討してみました。春日部の桐産業が大きくなる明治後期以降の様々な資料を博捜しましたが、管見の限り「東照宮の工匠伝説」の初見は、どうやら『春日部市の史跡と観光』(昭和42年・春日部市観光協会発行)という冊子で、次のような記述がみえます(以下引用。誤字等の表記は原文のママ)。

春日部の桐箪笥  県内の桐タンスは春日部と川越が主産地になっております。春日部のタンスの発祥は遠く徳川時代大名の参勤交代の砌衣装入れとして桐長持を使用していた。その頃京都から移住せる工匠があり長持に工夫をこらして引出しをつけたものを作成した。これが箪笥の初めと伝えられている。(以下略)

桐小箱 徳川時代関西方面から日光山造営に参加した工匠の一部が当地に溜り、小道具の整理箱、箱枕等の製造をタンスの不用材を利用して初められたのが起源であって、明治に至りライオン歯磨本舗考案の桐製歯磨箱の登場により容器箱として新しく飛躍し、(以下略)

しかし、興味深いのは、桐箪笥が「京都からの工匠の移住説」であるのに対し、桐箱は「日光山造営の工匠の移住説」とされている点です。桐箪笥の起源については、同じ昭和40年代の資料にも「京都からの工匠の移住説」が唱えられており、おそらく戦後~高度経済成長期にかけて、桐箪笥業界では「京都からの工匠の移住説」が有力もしくは定説化されていたのだろうと考えられます。

その後、昭和50年3月に春日部市で発行した『春日部の特産品』という冊子では、その起源について、次のように説明されてます。

桐箪笥 春日部タンスといえば東京タンス、東京タンスといえば総桐タンス。いまでこそ全国にその名をとどめているこの春日部のタンスも、発祥の歴史をたどれば300余年前のむかしにさかのぼる。日光東照宮のご造営がおこなわれたおり、全国各地から名うての工匠たちがかり出された。そのころ、京都からやってきた一人の工匠が春日部の桐材を利用して長持ちをつくり、工夫をこらして引出しを加えた。これが大変な好評を博し、その後、春日部にタンスの生産が定着することとなる。(後略)

桐箱木工品 桐材を利用した小箱類などの木工品が春日部に発祥した由来とその時期は、桐タンスと全く同じくする。すなわち、日光東照宮造営の徳川期に工匠の一部木工関係者が春日部に住みつき、桐材でつくる家具調度品の残木を生かして、庶民階級向けの小さな日用品をつくったのである。硯箱、文庫、整理箱、箱枕などがそれである。(後略)

おおざっぱにいえば、昭和50年代以降、桐箱で語られていた「日光東照宮の工匠の移住説」が、桐箪笥の起源としても伝播し、採用されます。図書によっては、3代将軍家光の時であるとか、5代将軍綱吉の時であるとか、説明するものも現れていきます。

なぜ、「東照宮工匠伝説」が伝播していったのか、理由は定かではありませんが、昭和40年代以降、日本人の生活様式が変化していくなかで、桐箪笥の需要が伸び悩み、職人さんたちが桐箪笥づくりの「伝統」を自覚・自負するなかで、「伝説」が語られ、広まっていったのだろうと考えられます。

「東照宮工匠伝説」については、関連史料がないことから、真偽はまったく不明です。ただ、桐細工との関係は不明ですが、市内に東照宮造営の図面を伝える旧家があったことや、伊勢神宮のある伊勢国を本貫地とする旧家があることなど、今後検討されなければならない課題もあります。東照宮の関連史料や旧日光街道沿いに伝わる類似の「伝説」についても、あわせて検証が必要です。

次回は、「東照宮工匠伝説」を揺るがした(!?)、新発見の大正13年の論文について紹介し、春日部の桐細工の起源について、さらに検討してみたいと思います。

関連する企画展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展は9月5日(日)まで。お見逃しなく。

博物館実習6日目

本日の午前中は、「資料の取扱い」について館長からご指導いただきました。まず、資料を取り扱う上での学芸員として重要な考え方を学び、実際に和装本と巻子本と掛軸の取扱いを行いました。

写真:輪になって説明を聞く実習生

貴重な資料を扱うことに緊張しながらも、一つひとつの工程を丁寧に行うことを意識して取り組むことが出来たと思います。

また、実習生の半数は掛軸を扱ったことはありましたが、和装本と巻子本は扱った人がいませんでした。和装本や巻子本も含め、様々な資料の扱い方法を学ぶ貴重な経験となりました。

写真:掛軸の扱い方の説明中

そして午後には、桐の貯金箱の体験講座の準備と講座を受ける方への対応を行いました。受付や検温など、感染防止対策をしながら各自手分けして行い、スムーズに講座ができるような対応ができたと思います。講座では、参加者は熱心に話を聞き、おもいおもいの貯金箱を作ることができました。

写真:桐の貯金箱できました!

写真:熱心に講座を受けています

その後、昨日製作したフトンを使って実際に土器の梱包を行いました。昨日学んだ説明を踏まえ、2人1組で作業を分担して行いました。実際に資料に触れながら、土器に負荷をかけないような梱包の仕方を肌で体験することができました。この経験を土器だけではなく、それぞれの資料に合わせた梱包にも活かしていきたいです。

写真:土器の梱包中

(令和3年度実習生)

博物館実習5日目

午前中は、土器の取扱い方と梱包の仕方ついて学びました。

資料を扱う際の注意点や、布団という梱包材のつくり方を中心に説明を受けて、実際に製作しました。貴重な資料を守るための大切な作業なので、ポイントをしっかりと押さえて臨みました。

写真:布団をつくっている様子

また、午後の講座で使用するものや会場の準備をしました。感染症の流行もあり、道具をひとつひとつ消毒し、対策をしました。

写真:道具を消毒する様子

午後は、縄文文化をもとにした音楽づくりの体験講座を実施し、実習生たちは受講者として参加しました。國學院大學栃木短期大学の中村耕作先生(考古学)と早川冨美子先生(音楽教育)、及び音楽教育の教科指導で著名な石上則子先生のご指導のもと、春日部で出土した土器の文様からイメージした音楽をつくりました。小学生の参加者と共に、土器文様を観察して、縄文時代にあったであろう自然素材を用いて、文様のイメージした音の表現しようとしました。想像を膨らませてたくさんの音を作っていく過程はとても楽しかったです。

写真:文様を観察する様子

写真:使用した道具 

(令和3年度実習生) 

博物館実習四日目

午前では、昨日に引き続き各々が担当している収蔵資料の調査・研究を行いました。

調査をもとに解説文をまとめました。注意した点としては、一般論をふまえつつも、春日部市の周辺の地域的な特徴に留意することです。収蔵資料の魅力を伝えるため、当時の生活や文化が具体的に理解できるように解説文を執筆しました。

写真:調査した内容をパソコンにまとめている様子

 

午後は、資料の整理を行いました。市内の旧家よりお借りした資料を合計67点整理しました。

写真:資料を整理した後まとめた様子 

 

資料の中には、安政2年の『唐詩選』という古典籍や明治時代の児童用読本がありました。資料整理している中で感じたこととしては、古い書物なので風化が進んでおり、めくるたびに粉が出てたりするので、破けないように慎重に取り扱いました。また、虫食いによる穴とページのくっつきがあったため、ハラハラドキドキしながら作業に当たりました。教科書や博物館でしか見たことのない古い資料を実際に触れて読むことができ貴重な体験になりました。

 

写真:資料を整理するために中身を見ている様子

 

写真:保存箱に資料を入れている様子

 

博物館実習も残す日程も半分になりました。

明日も資料の整理や縄文土器の模様を見て音楽をつくる体験講座を行う予定です。引き続き、学芸員さんの活動から様々なことを学びんでいきたいと思います。

(令和3年度実習生) 

博物館実習三日目

 本日は、収蔵資料の紹介のために個別資料の調査・研究を行いました。収蔵資料の採寸や関連資料の調査を行い、展示解説にまとめる作業をしました。

写真:黙々と取り組む実習生

 高村は、現在開催中の「語り出したら、キリがない!桐のまち春日部」にも関連しますが、展示できなかった、桐箪笥の仕上げ職人がつかった道具について調査しました。仕上げ職人の道具は、種類・用途において多岐に渡ります。そのため、解説時に要点が散らばりや資料写真の撮影における画面の収まりを想定しながら、資料の点数を絞りながらも資料同士の繋がりを維持できるように資料の選出を行いました。また、私を含め、写真撮影をしていない収蔵資料も多く、実習生自ら撮影を行いました。

写真:収蔵資料の写真撮影をする実習生の様子

 内木は、武里団地について調査しました。春日部市郷土資料館には、武里団地に関わる沢山の資料があり、資料を読み込むだけでも時間がかかりました。しかし、その作業によって武里団地がいつできたなどの基本情報はもちろん、どのような背景があり、武里団地ができたかなど、様々なことが分かりました。この判明したことをもとに、理解し易い展示解説を作っていきたいと考えています。

写真:武里団地模型の寸法を測定している様子

 明日の午前も実習七日目の発表に向けて、この作業をしていきます。実習生による収蔵資料の紹介はホームページでも公開されますので、是非宜しければご覧下さい。

(令和3年度実習生)

博物館実習二日目

 実習二日目となる今日は、体験学習の研究として「藍の生葉染め」と「かんなくずを利用した花づくり」を行いました。

 春日部市では、少なくとも明治時代には、藍が工芸作物として栽培されていたようです。また、備後・小渕・下柳などでも、かつて紺屋という布や糸を藍で染める仕事がありました。このような「春日部の歴史」を踏まえた上で体験講座は考えられています!

写真:藍葉の剪定

 藍で染めると抗菌・防臭・防火作用が得られるとされます。現在の企画展「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」に展示されている印半纏も藍色に染められています。ご来館の際はぜひ思い出してご覧ください。また、藍の生葉染では、植物性繊維である木綿や化学繊維のポリエステルは染まらず、動物性繊維である絹や羊毛を染めることができます。今回は絹を用いました!

藍の生葉染め体験では、慣れない環境に苦心しながらも、鮮やかな藍色を表現しようと真剣に黙々と作業する実習生の姿を見ることが出来ました。絹を漬けるために、入念に藍の葉をもみ込み、色を出すのが一番大変な工程でした。

写真:藍の生葉染め

写真:染めた布を空気になじませる

生木染めは藍の育つ季節にだけ体験できるもので、一年の中でこの時期にしか体験できない貴重な経験です。

写真:染めた後に干す

 午後のかんなくずを利用した花づくり体験では、崩れやすいかんなくずに悪戦苦闘する実習生の姿が見受けられ、これから体験講座を受ける人がより分かりやすい体験をするにはどうすればよいか想像を膨らませ、改善点を模索していました。

写真:かんなくずを使った工作

参加する受講者がけがをしにくい方法を考える人、出来栄えや作業のやり易さを追求する人と考え方は人それぞれでした。完成したかんなくずの花はどれも個性のある作品となりました!

写真:かんなくずを使った造花

 コロナ禍で当初の予定にあった他館見学は中止になってしまいましたが、未経験のことにチャレンジすることができ、童心に帰ったかのように楽しむことができました。

 残りの実習も楽しみつつ、一生懸命に取り組んでいこうと思います。

(令和三年度博物館実習生)