ほごログ(文化財保護課ブログ)

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#春日部の桐箱 あなどるなかれ!

8月4日(水)、桐のまち春日部展の #ミュージアムトーク (展示解説)を行いました。うだるような暑さの平日にも関わらず、ご関心をお持ちの皆さまにお集まりいただきました。 #かすかべプラスワン

写真:桐箱の説明 

写真は、春日部の桐箱の品質について解説しているところです。春日部の桐箱をあなどるなかれ。一般の桐箱と比べると、春日部の桐箱の品質のよさは一目瞭然です。箱を比べるコーナーも用意していますので、ぜひお手に取ってご覧ください。ひとつひとつ職人さんの技術で丁寧につくっている春日部の桐箱。これからは大切なものは春日部の桐箱にしまうことにいたしましょう。

展示解説の後、参加者の方から様々なご質問をいただきました。今日もおじいさん・お父さんが桐箱職人だったという方がいらっしゃいました。へその緒の箱やにんべんの鰹節の箱を作っていたそうです。来館者の方に新たな情報を教えていただくこともミュージアムトークのだいご味だったりもします。

 写真:展示解説

次回の、ミュージアムトークは残すところあと1回。展示会の最終日9月5日(日)です。

イベントはともかく、この夏、桐細工の展示をお見逃しなく。

#ミュージアムトーク 展示解説をしました

7月31日(土)桐のまち春日部展のミュージアムトーク(展示解説)を実施しました。多くの皆さまにお集まりいただき、解説は30分を予定していましたが、約60分お付き合いいただきました。

 写真:展示解説のもよう

午前の部には、お父さんが桐箪笥職人だった方がご来館され、板削りを手伝ったお話や、親戚の箪笥職人の方のお話を教えていただきました。展示準備の聞き取り調査では、桐箱職人が血縁関係から広がっていったことが明らかになりましたが、箪笥職人もまた、血縁関係のなかで広がりをみせていったことがうかがえる貴重なお話でした。

 

午後の部には、調査の折に大変お世話になった桐箪笥職人さんがご来館されました。

写真:桐箪笥の資料解説

職人さんの前で桐箪笥の構造や鑑賞の仕方について解説をしました。まさに釈迦に説法。かなり緊張しました。解説の後、職人さんからは色々とアドバイスをいただき、「展示はよくまとまっている」とお褒めの言葉をいただきました。展示会が開催できてよかったと思えた瞬間でした。

また、午後には桐箪笥の元職人さんとご友人という方もおり、元職人さんにお取り次ぎいただきました。まだまだ調査を継続し、色々なお話を集めなければならない、と実感した一日でもありました。

皆さま、ご来館いただきありがとうございました。

次回のミュージアムトークは、8月4日(水)10:30~、15:00~となります。桐箪笥・桐小箱にゆかりのある方も、ぜひおいでください。

郷土資料館は開館しております

新型コロナウイルス感染拡大防止に向け、政府の緊急事態宣言に伴う埼玉県の協力要請を受けた対応として、8月3日(火曜日)以降も徹底した感染防止対策を講じた上で制限付き開館を継続し、イベントも開催します。

なお体験コーナーは一部利用できません。 

<来館時のお願い>
・大人数での来館は控えてください。館内の状況により、入場制限を行う場合があります
・発熱などの風邪症状のある人は入館できません
・皆さんの安全確保のために、入館時に氏名・緊急連絡先の記入をお願いします
・入館時の手指の消毒にご協力をお願いします
・館内ではマスクの着用をお願いします
・滞在時間は、30分を目安にしてください
・会話を控えるとともに、他の来館者との十分な距離(おおむね2メートルを目安)をとってください

 

9月5日まで「語りだしたらキリがないー桐のまち春日部」展を開催しています。

 

夏季展示はじまりました。展示解説講座も

#かすかべプラスワン 7月20日より夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展がはじまっています。ご来館いただいた方には展示パンフレットを差し上げています。ぜひご来館ください。

写真:展示室風景

7月25日には、展示解説講座「史料にみる春日部の桐産業」も開催しました。

写真:展示解説講座の様子

展示担当の学芸員による今回の解説講座では、近世から現代の春日部の桐産業に関する史料を読み解きました。これまでの春日部の桐産業の歴史は、どちらかといえばあいまいにされてきた部分も多くありましたので、今回は史料に基づいて、近世から近代の桐産業の展開をたどってみました。史料とは文献・文字資料のことで、上の写真のスライドにもみえるように、くずし字の古文書も含まれます。ちょっと小難しかったかもしれませんが、受講者も講師もレジュメと終始にらめっこ。一言一句解説をしながら、受講者の皆さまと史料を解釈しました。

内容については夏季展示でも紹介しているところですが、少しだけ講座の内容を紹介。

春日部の桐産業の起源は、史料的には、天明元年(1781)までしか遡れません。天明元年の銚子口村年貢割付状(埼玉県立文書館収蔵銚子口区有文書)に、「一、戌新規 永百文 箱指冥加永」(ひとつ いぬしんき えいひゃくもん はこさしみょうがえい)とある記事が、現在判明する限りで最も古い桐産業の起源を示すものとなります。

「戌新規」とは、安永7年(1778)の戌年から新規にという意味。銚子口村では安永7年から「箱指冥加永」を「永百文」を毎年幕府に上納しているという記述です。「冥加永」とは、営業税の一種で、「箱指」とは箱・指物づくりをする職人のことを指しています。「箱指冥加永」を別の史料では「箱屋運上」と言い換えている史料もあります。同様に「箱指冥加永」を支払っている市内の村は、粕壁宿・備後村(当初は藤塚村も)であったこともわかっており、粕壁宿では、「永五十文」を毎年幕府に上納していたことが、市指定有形文化財の粕壁宿文書(埼玉県立文書館収蔵)から判明します。また、粕壁宿・備後村・銚子口村の箱指(箱差)はいずれも「農間箱指」「農業之間指物細工」などと表現された農業の合間の生業として、箱・指物づくりに従事していたこともわかります。

 実は桐細工であるかどうかはわからないのですが、このように桐箪笥・桐箱づくりの起源は、史料的には天明元年(1781)のものが最古で、安永7年(1778)より以前、市域において「箱指」がどのように存在していたのか、わからないのです。

となると、よくいわれている「江戸時代の日光東照宮に加わった工匠たちが春日部に移り住んで桐箪笥や桐箱の製造をはじめた」という起源の話は、いったいどうなるのでしょうか。解説講座では、この東照宮の工匠伝説についても言及しました。この点については夏季展示でも紹介しいるところですし、ミュージアムトーク(展示解説)でもお話する予定です。

気になる方は、ぜひ展示を見に来てください。

【プレ夏季展示最終回】常設展とロビーにハミ出し展示

いよいよ7月20日から始まる夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展のプレ展示第3弾(事実上の最終回)です。まもなく、夏季展示が始まるので、今回は大きくハミ出しました。まず、常設展の展示ケースを展示替えです。夏季展示の関連資料を陳列しました。

写真:常設展のケース

 テーマは「桐箪笥・桐箱の流通・消費を考える」です。

今回の企画展示では、製造の工程や春日部の桐産業の展開を中心に紹介しています。これまでの成果も基本はその大枠を出るものではなかったと思います。生産量が増え、「桐のまち」へと成長していくのは自明のことですが、ではその需要はどこにあったのか。このハミ出し展示では、桐箪笥・桐箱の流通・消費のあり方を考える様々な史料を展示しました。ハミ出しており、一見、企画展示の本筋ではないようですが、実は本展示の核心的なテーマだったりします。資料の都合上、明治以降が中心となりますが、江戸時代にも遡って考えられるのではないか、と考えています。お見逃しなきよう。

もう一つは、ロビーのパネル展。

写真:ロビーのパネル展

ここには、「語り出したらキリがない、けど語らせて」と題し、今回の聞き取り調査、資料調査で得た「小咄」をコラム的に紹介しています。以前、紹介した藤塚橋の桐の木など、ちょっとした小ネタを余すところなく紹介しています。ミュージアムトークのネタが無くなってしまうかもしれません。企画展示室内にも同様のコーナーがありますが、パネルに貼りきれなかったので、ハミ出しました。

今回は、職人さんをはじめ、色々な方にご協力をいただいたので、手前味噌ですが本当に充実しています。展示は7月20日(火)から、いよいよ始まります。ご期待ください。

なお、開会後、最初の催し物として、展示解説講座「史料にみる春日部の桐産業」を以下の通り開催します。あわせてご利用ください。

日時:令和3年7月25日(日)午前10時~12時

会場:春日部市教育センター2階 視聴覚ホール

定員:30名

費用:無料

申込:郷土資料館へ直接、または電話。

縄文体験教室 in 豊野小学校♪

 7月14日(水)は豊野小学校の6年生の2クラスを対象に「縄文体験教室」の出張授業に伺いました。

今学期6校目の実施となりました。

 どちらのクラス共に飛鳥時代まで授業が進められていましたので、”縄文時代”は振り返りの学習です。

授業の導入では「神明貝塚」のYoutubeにもアップしている動画を観た後、レジュメに沿って春日部の縄文時代の遺跡を写真や図を用いて紹介しました。

 ▲講義の一コマ。手にしているのは、なんと12万年前の地層から発見された「カキ」の化石。

現在、私たちが食卓で食べるカキに比べ大きいですね!

このことから春日部は12万年前に、ある状態であったことが分かります。

 

その後、

「石器」「食料」「土器」の三ブースに分かれて、グループで体験学習に取り組みました。

▲「食料」ブースでの体験。はたして何の骨でしょう?

 

 ▲イラストを用いた解説。はたして縄文人は「どのように」土器を作っていたのでしょうか?

 

 豊野小学校のみなさん、ありがとうございました。

これからも様々な学習にお手伝いにうかがいます。

県指定無形民俗文化財”やったり踊り”の写真展示のお知らせ

 本日、7月14日(水)から7月末まで、埼玉りそな銀行 武里支店・せんげん台支店(せんげん台駅西口 徒歩3分)で写真展示が行われています。

 

 昨日のほごログでもお知らせしましたが、新型コロナウイルスの影響により、伝統芸能の公開が全国的にも見合わせが多くなっています。しかしながら、地域で代々継承され、ひとからひとへとバトンが引き継がれる貴重な伝統の舞を多くの皆さまへ知っていただこうと、銀行のフロアーで公開していただいております。

展示コーナー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲「やったり踊り」と越谷市の「下間久里の獅子舞」が紹介されております。

やったり踊り展示

 

 

 

 

 

 

 

▲「やったり踊り」では扇子踊りで使われる『扇子』とお囃子の篠笛の実物も展示されています

 

 下間久里の獅子舞

 

 

 

 

 

 

▲「下間久里の獅子舞」では、地区を巡る『辻回り』と各所での奉納舞の写真が展示されています

 

 

 梅雨終盤の暑い中ですが、銀行利用と併せて郷土が誇る伝統芸能について多くの皆さまに知っていただける機会となりましょう。お近くにお出かけされた折には、お立ち寄りください。

夏季に行われる”伝統芸能”の公開の中止について

 例年、7月第3週目の「海の日」前後には、埼玉県や春日部市で指定されております伝統芸能(無形民俗文化財)が市内各所で公開されております。

 本年につきましては、昨年に引き続き、残念ながら新型コロナウイルスの感染拡大により、やったり踊りや西金野井の獅子舞など、獅子舞や神楽を継承しております6団体の公開が中止となりました。

 

 各団体ともに伝統の舞の継承のため、個人や少人数による自主練習が重ねられております。

コロナ渦の終息後には、賑やかな祭り囃子と華麗な舞の公開がされますよう、もう少し、おまちください!

 

やったり踊り西金野井の獅子舞

【プレ夏季展示第2弾】常設展の桐タンスの解説がグレードアップ!?

7月20日から始まる夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展プレ展示第2弾です。今回も夏季展示をハミ出して、常設展に展示中の桐箪笥・用箪笥の解説パネルを更新しました。

写真:常設展の桐箪笥・用箪笥

これまで、常設展示の桐箪笥の解説パネルには、資料名「桐箪笥」と使用推定年代だけ表示していましたが、これを一新。今回の夏季展示の調査で、職人さんや関係者の方に教えていただいた箪笥の見方を踏まえて、キャプションを記述してみました。

写真下段の箪笥は、上段に板戸付きの箪笥、下段には2つ抽斗(ひきだし)の箪笥の二つ重ねの箪笥で、「二つ重ね上開き箪笥」(戸開二重箪笥)と呼ばれています。この形は、近世の草双紙にも描かれるもので、関東地方では近世から明治時代にかけて多く製作されたようです。

画像:二つ重ね上開き箪笥が描かれる近世の版本

この挿絵は、寛政元年(1789)刊『炉開噺口切』(国立国会図書館デジタルコレクションより)に掲載されるもので、武家の屋敷に戸開きの箪笥がみえます。

展示中の箪笥は、粕壁の旧家(商家)から寄贈されたものです。形からみて、幕末から明治時代頃の箪笥だと考えられれます。箪笥は使用される部材によって等級や価格が変わるのですが、この箪笥は厚さ六分(18mm)の板を使っていますが、人目につかない部分は薄い板になっています。こうした製法を「上羽(うわば・上端)」といいます。どこが薄いのかは原物をぜひ見てください。「材をまけて、見栄えがよいように作る」職人のワザなんだと思います。

もうひとつ。箪笥の上に置いている小型の箪笥は、用箪笥(ようだんす)といいます。「ヨウダンス」という言葉は、一部の国語辞典にも掲載される「洋箪笥」(洋服をつるして収める箪笥)と同じ発音・イントネーションでもあり、また製造数も少ないため、「用箪笥」は過去の遺物になりつつあります。用箪笥は「サカ」と呼ばれ、引戸(ひきど)のないものを「一寸サカ」。引戸(ひきど)があるものを「二寸サカ」といい、この用箪笥は七つの抽斗(ひきだし)があるので「七ツ割」であり、製造する職人は「七ツ割一寸坂」と呼んだのではないと考えられます。用箪笥は、桐箱よりも大きく、箪笥や長持(ながもち)よりも小ぶりなため、本箱や硯箱(すずりばこ)とともに「中箱(ちゅうばこ)」ともいわれました。明治時代後期、粕壁周辺には「中箱」製造を得意とする職人「中箱師」が300人もいたといいます。現在は、春日部の特産品の桐製品は、桐箪笥、桐箱に二極化していますが、元来は、箪笥と箱の中間があったようです。なぜ、用箪笥を「サカ」と呼んだのか、わかりませんでしたので、どなたか知っている方がいたら教えてください。

作った職人が違うとはいえ、桐箪笥も用箪笥も、前面がきれいに整った柾目(まさめ)の板材を使っています。柾目とは平行で均質に整った木目のことで、箪笥等の家具に好まれる部材です。一本の丸太からとれる柾目の板は限られているため、希少な部材です。どのように柾目の板をつくるのか、箪笥が作られるのか、これについては夏季展示でも解説するところですので、展示の「予習」として桐箪笥や用箪笥をぜひご覧ください。もちろん、夏季展示の会期中にも展示する予定です。

 奥深いぞ!春日部の桐産業

新収蔵品展のパンフレットを掲載します

春日部市郷土資料館かすかべの宝もの18新収蔵品展パンフレット.pdf(582KB)

7月7日ギャラリートークの様子

7月7日のミュージアムトーク

7月7日(水)をもちまして、「第63回企画展示 かすかべの宝もの18 新収蔵品展」は終了しました。期間中は、多くの方にご来館いただき、誠にありがとうございました。また、資料をご寄贈、ご寄託いただいた方、ご協力者の方に深くお礼を申し上げます。

会期中のイベント、展示解説講座「春日部の板碑」、ミュージアムトークにつきましても、盛況のうちに開催することができました。

通常の日程ですと、当館の企画展示は、日曜日までの会期が多いのですが、今回は、7月7日に春日部で聖火リレーが行われるということで、会期を7月7日水曜日までとしました。聖火リレーも無事行われ、ご来場いただいたお客様の中には、帰りに資料館にお立ち寄り頂いた方もいらっしゃいました。

さて、会期中、展示室でお配りした企画展示のパンフレットのPDFを掲載します。

春日部市郷土資料館新収蔵品展パンフレット.pdf(582KB)

(掲載資料:小流寺縁起、木造小島庄右衛門正重坐像、聖徳太子像、板碑、小学読本巻四、尋常小学習字本、粕壁中学校通知表、粕壁中学校会報、葛飾中学校椅子、上蛭田村高札、南桜井村議会議案、南桜井村報、亀田鵬斎カネコ薬局看板、5玉そろばん、往診用薬箱と道具、一円紙幣、田畑小作取立簿、粕壁町八坂神社祭典記念絵葉書、一般用米穀類購入通帳、1964年オリンピック審判補助員制服、日本オリンピック委員会バッジ、東京五輪ピンバッジ、1964年東京五輪組織委員会参加記念バッジ、1980年モスクワオリンピック公式記念メダル、プリントゴッコ)

 

7月20日(火)からは、「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展を開催します。引き続き換気・消毒等新型コロナウイルス感染症対策を実施しながら開館いたしますので、皆さまぜひご来館ください。

語り出したらキリがない!桐のまち春日部展チラシ

 

【プレ夏季展示】常設展の粕壁宿模型が桐のまちに!?

7月20日から春日部市郷土資料館の夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展がはじまります。

画像:展示チラシ

今回の展示は、桐箪笥や桐箱の業者さんに聞き取り調査をし、その成果を紹介し、秘蔵の資料や資料館の収蔵品を展示するものです。調査を進めていく過程で、本当にいろいろなお話しがうかがえ、春日部の桐産業の奥深さが徐々にわかってきました(現在進行形です)。常設展示にも桐箪笥・桐箱が展示されていますが、これまでの展示方法、解説のキャプションは何も説明できていないことを痛感させられた次第です。担当者が思ったのは、「桐のまち」と言われるだけあり、本当に語り出したらキリがありません。ですから、おそらく当館の手狭な企画展示室には収まりきらないでしょう。

ということで、今回の夏季展示では、常設展示にも桐に関連する資料を陳列することが濃厚です。チラシの「展示室をハミ出して桐のまちの魅力をお届けします」とは、これを所以としています。

さて、今回はハミ出し展示の第一弾、展示を先取りした「プレ夏季展示」として、江戸時代の粕壁宿推定復元模型に、桐箪笥や桐箱の職人・問屋がいた地点に表示を立ててみました。

写真:粕壁宿の模型

模型のなかで特に密集しているのが、源徳寺の周辺で三枚橋や新々田と呼ばれたあたり。昭和32年の『商工名鑑』によると箱屋さん、箪笥屋さんが数件集まっています。ここには、老舗の箪笥問屋として島村箪笥製作所が所在します。同店は、創業者の島村忠太郎が大正7年(1918)に粕壁に転住し、箪笥製造と仲買を始めた店とされており、後の島忠家具(島忠ホームズ)の前身にもなります。現在の学校通り沿いに店舗があったことをご記憶の方も多いと存じますが、粕壁における最初の店舗は三枚橋に所在したようです。

このほかにも、日光街道沿いのこの模型の中に確認できる場所に立て札を置いています。桐箪笥職人や問屋の所在地が確認できるのは、明治時代以降となりますので、模型の想定年代とはずれるのですが、いかに春日部(粕壁)が桐のまちであったかがよくわかるのではないかと思います。

皆様には展示の前の「予習」としてご覧いただければ幸いです。もちろん、会期中も展示予定です。

【7/7まで新収蔵品展】1964年東京オリンピック時に使用した横断幕

新収蔵品展は、いよいよ7月7日(水)までです。最終日7月7日には、展示室内の展示解説「ミュージアムトーク」を開催します。開催要項は以下のとおりです。ぜひご参加ください。

◆ミュージアムトーク
日時:7月7日(水)
各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用無料、申込不要

みなさまのご来館をお待ちしております。

 

さて、新収蔵品展では、市民の方からいただいた1964年東京オリンピック時に使用した横断幕を展示しております。1964年東京オリンピック横断幕

 この横断幕は、幅約40㎝、長さ約520㎝、オリンピックの5色のライン上に白で抜く形で「WELCOME TO TOKYO 1964」の文字が書かれます。1964年の東京オリンピック時、オリンピックの海外選手の練習会場となった東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区)に掲げられたものです。

駒場キャンパスでは、現在もある陸上競技場や野球場、ラグビー場が、全面的に陸上競技の練習会場になりました。またキャンパス内の現在「トレーニング体育館」と呼ばれる施設では、当時はまだめずらしかったウエイトトレーニングをすることができました。駒場キャンパスは、オリンピックによって、スポーツ施設の整備が急速に進められました。

横断幕の特に裏側をみてみると、布にペンキのようなもので5色のラインを引いています。既製品ではなく、手作りの横断幕で海外からの選手を歓迎したことがわかります。 

  

参考

教養学部報第561号 1964年東京五輪と駒場キャンパス(東京大学サイト)

日本のオリンピックを支えた東京大学の施設|オリパラと東大。(東京大学サイト)

【7/7まで新収蔵品展】兌換制度と一円札

新収蔵品展は、いよいよ7月7日(水)までです。みなさまのご来館をお待ちしております。

さて、新収蔵品展では、市民の方から寄贈頂いた武内宿禰(たけうちのすくね)の肖像と「日本銀行兌換銀券(だかんぎんけん)」と印字された1円札を展示しています。

武内宿禰1円札

貨幣(かへい)は、商品の交換手段であり、それ自体が価値をもつ金、銀が金貨、銀貨として使われていました。しかし商品の流通が拡大すると、貨幣が不足します。これに対応するため、中央銀行が、金貨、銀貨の準備金を用意し、兌換(だかん・紙幣と金銀の交換)をおこなうことを保証することで、紙幣が金銀と同じ価値をもち、信用力が上がります。兌換紙幣(だかんしへい)はいっせいには金銀に交換されないため、準備金を超える紙幣が発行でき、その増減をはかることができます。金に兌換する紙幣が流通することを金本位制、銀に兌換する紙幣が流通することを銀本位制といいます。

日本の明治時代から昭和時代はじめまでは、近代的な兌換制度が採り入れられた時代であり、明治22(1889)年からから昭和17(1942)年まで発行された武内宿禰(たけうちのすくね)の銀兌換の一円紙幣はその象徴的な存在でした。

明治政府は、明治4(1871)年、近代的な貨幣制度を整えるため、大阪に造幣局(ぞうへいきょく)を作り、新貨条例(しんかじょうれい)を発布(はっぷ)して、金1.5gを1円と定め、円、銭(せん)、厘(りん)の単位による十進法(じっしんほう)の通貨制度を採用、金貨、銀貨、銅貨を発行しました。明治5(1872)年、国立銀行条例が制定され、金兌換(きんだかん)の国立銀行券が発行されました。

ところで、この貨幣制度と国立銀行を準備して整えたのは、当時明治政府の大蔵省で働いていた渋沢栄一です。こうした縁もあり、渋沢栄一は令和6(2024)年から一万円札の肖像として採用されています。なお、このとき成立した国立銀行は、国の法律や制度によって成立した民間の銀行といった意味で、今の日本銀行ではなく、第一銀行から第百五十三銀行まで番号を付されていました。

明治15(1882)年、松方正義(まつかたまさよし)により日本銀行が設立し、明治18(1885)年、日本銀行から銀兌換(ぎんだかん)紙幣が発行されました。当時、中国や東南アジア諸国、メキシコ等、銀本位国との貿易が盛んになっており、日本も準備金を銀で用意していたことから、銀本位制が採用されました。明治22(1889)年には、武内宿禰があしらわれた銀兌換の一円紙幣が発行され、番号が漢数字で書かれます。

日清戦争(にっしんせんそう)後、多額の賠償金を得た日本政府は、明治30(1897)年、貨幣法を交付し、金本位制を採用しました。世界的に金の価値が高まっていたことから、これまでの倍の価値となる金0.75gが1円に変更されました。しかしながら、一円紙幣については、兌換される金貨が製造されなかったため、銀兌換券の発行が続けられることになりました。大正5(1916)年から発行された一円紙幣は、それまでの一円紙幣と武内宿禰を用いたデザインは共通するものの、番号がアラビア数字で書かれ、昭和17(1942)年まで発行されました。実に53年間、同じデザインの1円紙幣が発行されました。

このころ、写真技術の発達とともに紙幣の偽造が横行し、その対策として、すかし技術や写真に撮影しづらい淡い色合いで印刷する技術が発展しました。

 昭和6(1931)年、金貨兌換停止、昭和17(1942)年金本位制廃止、翌昭和18年、不換紙幣の発行により、日本は管理通貨制度へ移行しました。

 参考文献

新出隆久2019 「近代の貨幣制度と銀本位制の確立まで」『日本史かわら版』第7号 帝国書院

新出隆久2019 「金本位制の確立と展開」『日本史かわら版』第8号 帝国書院

松村記代子2012「日本紙幣の沿革」『日本印刷学会誌』第49巻第2号

 ○7月7日(水)は、展示室内の展示解説「ミュージアムトーク」を開催します。開催要項は以下のとおりです。ぜひご参加ください。

◆ミュージアムトーク
日時:7月7日(水)
各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用無料、申込不要

 

"オンライン土器作り教室"の応募を締め切ります

昨日より申し込みの受付を開始した「オンライン土器作り教室」ですが、予想を大きく上回るご応募をいただき、本日、定員に達したため、応募を締め切ります。

 

たくさんのご応募ありがとうございました。

 

またこれから応募しようとされていた方々、ご家族で検討されていた皆様につきましては、大変申し訳ありませんが、またの機会にお待ちしていますので、よろしくお願いします。

”オンライン土器作り教室”参加者を募集しております!

毎年、夏休みの恒例イベントとしておなじみの「土器作り教室」をオンラインで開催します!

 

ポスター

 

昨年は新型コロナウィルスの感染拡大により、中止せざるを得ない状況でしたが、何とか開催できないものかと考えた結果、新たな取り組みとしてオンラインでの開催といたしました。

 

主な内容としては、配信される土器作り動画を参照のもと、各ご家庭での土器作り体験です。詳しい内容及び日程については市ホームページをご覧ください。

 

本日7月1日より受付を開始していますが、すでに7名の方々から申し込みがありました。先着20名となりますので、是非参加してみたいという方はお早めにお申し込みください。このブログでも逐次、申し込み状況を発信してまいります。

 

【申込方法】

参加者の住所・氏名・年齢・電話番号を記入のうえ、メールにてお申し込みください。

(宛先)bunkazai@city.kasukabe.lg.jp

【7/7まで新収蔵品展】米穀類購入通帳

ミュージアムトーク6月27日(日)、新収蔵品展2回目のミュージアムトークを開催しました。ミュージアムトークは、7月7日(水)展示最終日にも開催いたします。10時30分~、15時~の2回で、いずれも30分程度の予定です。申込み不要ですので、お気軽にご来館ください。

 

 

 

 

 

 

 

さて、新収蔵品展では、市民の方から寄贈頂いた一般用米穀類購入通帳(べいこくるいこうにゅうつうちょう)を展示しています。

米穀類購入通帳

太平洋戦争中は、食料や物資のさまざまなものが不足し、割り当てられた量しか買うことができない配給制や切符制となりました。米などの米穀類は昭和17年(1942)2月、食料管理法が定められ、配給される米を購入するときには、米穀類購入通帳を提示し、購入する量などを記入、市町村長の印を受ける形となりました。戦時中の米の大人1人の1日の配給量は330gでした。
戦後、すぐは食糧難が続き、配給制も続けられました。しばらくすると好転し、昭和30年ごろには米穀類購入通帳が無くても米が買えるようになっていたそうです。

 

お米のキロ単位配給

昭和34年(1959)2月号の広報かすかべには、「お米のキロ単位配給」の記事が掲載されています。これは、当時1日1人365グラム、月あたり5キロ475グラムであった配給を5キロか6キロの配給とし、年間を通じてキログラム未満部分を調整して配給するものです。

展示している米穀類購入通帳の昭和44年(1969)の時点では、大人1人、1か月の配給量が15㎏でした。すでに通帳がなくても米は買えたようですが、米穀類購入通帳は、市町村長の公印が押されていることで、身分証明書としても使用されました。

米穀類購入通帳は、昭和44年に自主流通米制度が創設されると形骸化し、昭和56年(1981)に廃止されました。

ところで、7月3日(土)13:30より、新収蔵品展で展示している貞治6年の板碑を中心に、市内の板碑の概要などについての展示解説講座を教育センターで開催します。また繰り返しになりますが、7月7日(水)は、展示室内の展示解説「ミュージアムトーク」を開催します。開催要項は以下のとおりです。ぜひご参加ください。

◆展示解説講座「春日部の板碑」
日時:7月3日(土)13:30~
場所:教育センター
対象:定員50人(申し込み順)
費用:無料
申し込み:直接、または電話(048-763-2455)で郷土資料館まで。

◆ミュージアムトーク
日時:7月7日(水)
各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用無料、申込不要

市の木「キリ」はどこにある?

「春日部は桐細工が盛んだけれど、桐の木はどこにあるのか」と、よく聞かれます。桐の木(キリ)は、市の木として春日部市のシンボルの一つでもありますが、たしかに、市内で桐の木を目にすることはほとんどありません。

現在、いくつかの公園や市内の学校などにキリが植樹されているようです。春日部市役所の敷地内にも、枝が選定され貧相ですがキリが植わっています。下の写真は、五月初旬に花を咲かせた様子を職員が撮影したものです。

写真:市役所敷地のキリ

果たして、春日部には桐の木が繁茂していたのでしょうか。

企画展「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展の調査のなかで、戦前生まれの桐箪笥職人、桐箱職人の方にお話しをうかがうことができました。

粕壁にお住まいの桐箪笥職人さんによれば、昭和22年以前、最勝院の裏から古隅田川の縁辺にかけての敷地はみな桐林だったとのことです。ですから、現在の春日部中学校が桐林だったらしいです。また、幸松にお住まいの桐箱職人さんによれば、樋籠の柳原団地と呼ばれる住宅地は、その昔桐林だったそうです。昭和22年撮影の航空写真をみると、すでに畑地もしくは更地になっており、残念ながら写真では確認できませんでした。『春日部市史』によれば、戦後の食糧増産政策により、多くの桐の木が切り倒されていったとされます。

大正時代の資料によれば、埼玉県の南部にあたる入間・比企・北足立・南埼玉・北葛飾5郡には優良な桐材の産地だったとされています。県南部なので「南部桐」と称し、岩手・青森県の南部桐とも混同・混用されてたともされています。多くの桐材が産出されていたことは確実のようです。ただし、職人さんにいわせれば、県内の桐の質はあまりよくなく、桐の木があっても使うことはなかっただろうともお話しいただきました。

調査を続けるなかで春日部市内の古い桐林の写真が見つけました!これについては企画展示でお披露目したいと思います。

さて、キリの木の情報を方々から聞き取るなかで、一風変わったキリの話を教えてもらいました。なんでも藤塚橋の人道橋の水道管の上に生えたキリの木があるとのこと。早速、確認しにいってみました。

写真:藤塚橋のキリ

教えていただいた方によれば、キリが生えてから15年は経過しているとのこと。春先には花も咲かせているそうです。キリは苗ほどの大きさまで成長してしまえば、強く育つ植物のようで、藤塚橋の水道管の隙間に積もった土で生きるようです。ただ、土が少なく根を広げることができないので、これ以上は大きくならないとか。

アスファルトに咲く花ならぬ、「橋桁に植わるキリ」として注目してはいかがでしょうか。そんな話題も踏まえて、企画展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展、目下準備中です。お楽しみに。

縄文体験教室 in 緑小学校♪

6月28日(月)は緑小学校の6年生を対象に「縄文体験教室」の出張授業に伺いました。

クラスは全2クラス。

 導入では令和2年3月に国史跡になった「神明貝塚」の紹介動画を見てもらいました。どの学校でも動画13分間は静寂に包まれ、皆さんが集中してくれます。

 その後は学校近くの遺跡の紹介。緑小の地区内では古代の八木崎遺跡と浜川戸遺跡がありますが、縄文時代遺跡が無いことも地形と縄文海進から謎解きを・・・・

 ▲講義の様子。皆さん集中して聞いてくれてます。

 

その後、

「石器」「食料」「土器」の三ブースに分かれて、グループで体験してもらいました。

▲「食料」ブースでの体験。はたして何の骨でしょう?

 

 

 ▲「石器」ブースでの体験。鋭い黒耀石製の石器の切れ味に段ボールもご覧のとおり!

実体験をとおして縄文の技術の高さが一層わかります。

 

 緑小学校のみなさん、ありがとうございました。

これからも縄文時代の学習にお手伝いを進めてまいります。

縄文体験教室 in 桜川小学校♪

 6月25日(金)は桜川小学校の6年生を対象に「縄文体験教室」の出張授業に出向きました。

クラスは全3クラス。

 導入で「神明貝塚」のyoutubeにもアップしている動画を観た後、レジュメに沿って学校の近くにも縄文時代の遺跡があることを写真や図を用いて紹介しました。

 

 

▲講義の様子。縄文人が食べた「とある哺乳類」の頭の骨です。皆さんは何の骨か分かりますか?

これにより縄文時代の春日部が「ある状態」であったことが分かります。

(ヒントは今、世界で問題になっている〇〇化現象です)

 

その後、

「石器」「食料」「土器」の三ブースに分かれて、グループでほんものに触れる体験を。

 

▲「土器ブース」での体験。古代人が使用した「土師器と須恵器」を直に触ってみて歓声をあげる6年生。

「なぜ?」を軸に、縄文人、古代人がどのように生活をしていたのか、を考えてもらいました。

 

 桜川小学校のみなさん、ありがとうございました。

これからも縄文時代の学習にお手伝いを進めてまいります。

【出張授業】「でばりぃ資料館」in桜川小学校

令和3年6月24日(木)に桜川小学校出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。

 

今回は社会科“わたしたちのまち みんなのまち”の授業の一環として、桜川小周辺にある文化財の紹介や、航空写真を利用して町の様子を学習しました。

 

 文化財解説

桜井小のすぐ近くにある県指定有形文化財の花蔵院の四脚門や、同じく県指定有形文化財の香取神社本殿を写真で紹介させてもらいました。

児童からも「見たことある!」「知ってる!すぐそこ!」などの声が聞こえ、身近に文化財があることを知ってもらえた様子。児童にとって「文化財」という言葉はまだ聞きなれないものですが、歴史のある貴重なものだということは伝えられたかと思います。

 

紙芝居

紙芝居では“生きている彫り物”という花蔵院の四脚門に纏わる伝説の読み聞かせをしました。みんなじっくりと集中して聞いてくれましたね。

 

地図での学習

航空写真を広げて、桜川小や自宅、周辺の施設など色々なものを探しました。航空写真を読み取るために方角を意識するようにもしましたね!

目印となるところにシールをペタペタ貼るのも楽しかったようです。

 

自由時間

自由時間には児童自ら紙芝居の読み聞かせ!

なかなか感情を込めて読む児童もいました。将来は役者さんでしょうか♪

みんな楽しそうに学習してくれたようで何よりです!

 

多くの学校からご好評いただき、おかげさまで“でばりぃ資料館”もだんだんと認知度が増してまいりました!

これからも随時ご依頼、ご相談お待ちしております!