ほごログ(文化財課ブログ)

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4月の考古学関係展示会、イベント情報

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)
・5月3日(土曜日・祝日)~5月25日(日曜日)久喜市立郷土資料館(資料展示)

 

(展示会_閉会日順)

・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」

 

・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)

 令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」



・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」

 

・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」

 

・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
古代DNA-日本人の来た道―


・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」

 

・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」

 

・6月29日(日曜日)まで 佐野市郷土博物館(栃木県佐野市)
令和7年度春の展示「佐野の遺跡展」

 

・6月29日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)
令和7年度春の企画展「キレッきれの黒い石―とちぎの黒曜石―」

 

・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」

 

・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」

 

・8月31日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市)
企画展「わくわく!はにわ体験‘25」


(現地説明会)
・5月17日(土曜日)午前10時30分~11時30分、午後1時30分から2時30分 茅ヶ崎市教育委員会 居村B遺跡現地説明会(神奈川県茅ヶ崎市)

不動院野の神楽(市指定無形民俗文化財)が公開されました

 あいにくの雨の中でしたが、令和7年4月13日(日)、大杉神社の祭礼にあわせ、東不動院野の集会所で、市指定無形民俗文化財の不動院野の神楽が公開されました。                                                        
 お囃子のあと、「天狐(てんこ)の舞」、「お地蔵様」などの神楽が演じられました。
 「天狐の舞」は、神の使いである狐が、人々の願いを神に伝え無病息災、五穀豊穣、家内安全などを祈る狐の舞です。

天狐の舞 

「お地蔵様」は、源頼朝(みなもとのよりとも)の厄年(やくどし)にあたり、厄除(やくよけ)のため、頼朝の家臣の梶原景時(かじわらのかげとき)が石屋の名工である五郎太(ごろうた)に一夜のうちに6尺のお地蔵様をつくるよう命じるストーリーです。困り果てた五郎太は弟子をお地蔵様に扮装させる妙案を考えて実行しました。この結果、世間の評判となり参詣する人がたくさん訪れ、ついには参詣者の武将に見破られ、太刀(たち)で乱闘騒ぎとなる中で幕を終える演目です。

お地蔵様

お神楽は、地区内外の方を問わず見学に訪れた方を交えて、地区のほのぼのとしたコミュニティーの中で演じられました。お囃子の音色、凜とした狐の舞、余興を交えたお地蔵様の演目などのおもてなしにより、皆さん楽しいひとときを過ごしました。

春期展示「中世板碑の世界ー発掘された板碑」を開催します

中世の時代、板碑(板石塔婆)と呼ばれる板状の石を使った石造物がさかんに製作されました。春日部市内でも、これまでに約490基が発見されています。今回の展示では市内で発掘された板碑を中心に紹介します。

 

 

会期:令和7年5月17日(土曜日)から7月6日(日曜日)

休館日:毎週月曜日、祝日、施設点検日

*期間中の休館日:5月19日(月曜日)、5月26日(月曜日)、6月2日(月曜日)、6月9日(月曜日)、6月14日(土曜日・施設点検日)、6月16日(月曜日)、6月23日(月曜日)、6月30日(月曜日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・東武鉄道春日部駅東口より徒歩10分)

 

●関連事業 みゅーじあむとーく

展示室で学芸員による展示解説を行います。申し込み不要、展示室までお越しください。30分程度、各回同じ内容です。

とき 5月17日(土曜日)、6月22日(日曜日)、7月6日(日曜日)10:30~、15:00~
ところ 郷土資料館企画展示室

 

●関連事業 展示解説講座

展示の内容を中心に、春日部市の板碑について、展示担当学芸員が解説します。

とき 6月28日(土曜日)10:00から12:00
ところ 教育センター(郷土資料館と同じ建物)
申し込み 5月8日(木曜日)から、郷土資料館へ直接、電話(048-763-2455)、電子申請でお申し込みください。

みよ!春日部の古き映像を! #彩の国ビジュアルプラザ ( #SKIPシティ )から映像視聴端末が出張中!

4月24日より、郷土資料館・ハルカイト(大凧文化交流センター)に、新たに映像視聴端末が設置されました。

写真:郷土資料館の映像コーナー

写真:ハルカイト設置状況

これは、埼玉県の施設「彩の国ビジュアルプラザ」による移動公開ライブラリー事業に伴うものです。

普段は、川口市のSKIPシティで視聴できる動画や写真(の一部)が、特別に春日部市内の二つの施設で視聴できるもの。

この事業は、令和4年度からこれまで、熊谷市・川越市・秩父市で実施されてきましたが、今年度は春日部市で実施されるはこびとなりました。

本日は、はるばる川口市から端末や周辺機材を運搬していただき、汗をかきつつ組み立て作業が行われました。

写真:画面

モニターは直感的に使いやすいタッチパネル式。

春日部や県東部地域ゆかりの動画が48本、市内の古写真が48点、収録されています。

見たいアイコンに触ると、映像が再生され。

画像:動画の一部

上は、埼玉県のニュース映像で、ちょうど春日部市役所(二代目)が完成したころの映像です。

 

SKIPシティで保存している映像のほか、春日部市で制作し、新たに提供した映像・写真も収録されています。

盛りだくさんで、全部視聴すると、1日では時間が足らないかも!?

設置後、早速、市民の方が視聴されていました。職員からも大変好評です。実は担当者もきちんと見ていない映像もあり、要チェックです。皆様もぜひご覧あれ。

設置期間は、今年度内の令和8年3月中旬(予定)です。

「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく(2回目)開催しました

4月19日、みゅーじあむとーくを開催しました。

午前中は、「東武健康ハイキング」で館内大賑わい。

写真:ハイキングの皆さん

写真:東武ハイキングのみなさん

というわけで、年度跨ぎの「ミニ展示」の「みゅーじあむとーく」にも関わらず、大勢のお客様にご参加いただきました。

 写真:解説の風景

今回は、藤塚地区、小渕地区、そして富士信仰について、市の花フジとともに紹介する展示。

学芸員が好きなことを好きなだけ喋る「とーく」の後、ご来館いただいた皆さんから、様々なお話が聞けました。

生まれてこの方春日部(粕壁)にお住まいの方からは、小渕について、「粕壁小のころ、不二山に遠足にいきました」とか「60年前にはカブトムシ採集にはいったけど、桃林はなかったと記憶している」など教えていただきました。

 

昭和40年代に春日部に越してきた方からは、藤塚の砂丘周辺に桃林があったことを教えていただきました。

また、山梨の大月市のあたり出身の方からは、「山に囲まれていて近くの富士山は意外に見えず、富士山をまじまじとみるのも、富士講や富士信仰を知ったのも、関東地方に出てからのこと」など、教えていただきました。

市内の小中学校の校歌にみる「藤」と「富士」についても、県立高校の元教員の方からは「勤務地だった校歌も「筑波山」と「富士山」が歌詞に入っていた、共通していて面白かった」と感想をいただきました。

 写真:午後のみゅーじあむとーく

「藤」「渕」「富士」の多岐にわたるテーマのため、お伝えしたいことがぼやけてしまうと思いましたが、かえって、幅広い、オムニバスなテーマなので、皆さん各々に刺さることがあり、お楽しみいただけたようなので、展示し甲斐があったよかったと思いました。資料(博物館)が人と人を繋ぐこと、実感した充実した一日でした。

 

この展示は、5月2日まで。お見逃しなく。

 画像:展示チラシ

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

#ハルカイト 見学のススメ(7) #春日部市制20周年 のバースデーケーキ

本日は、ハルカイトへ展示資料の点検に。

ロビーに大きなバースデーケーキが。春日部市の市制20周年をお祝いして造ったものです。

写真:

このバースデーケーキ、なんと和紙でできています。

和紙は、大凧でも使用される小川和紙。大凧を製作したときに出た切れ端を切りそろえ、和紙一枚一枚をバラに加工して、1000個のバラをケーキのように仕立てたものだそうです。

廃材とは思えないほど、細部も凝っていて、なかなか見ごたえがあります。赤いバラはペンキで着色、マカロンは粘土で造ったそうです。

写真:ケーキ

ハルカイトの見学、そして、5月3日・5日の大凧あげ祭りとともにお楽しみください。

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】吉川市中央公民館でリレー展示が開催されています

吉川市中央公民館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。

「東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代-埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します」(吉川市ホームページ)

吉川市中央公民館は、定員509人のホールや図書室を完備するなど規模が大きい公民館です。

リレー展示は、入口を入ったところのロビーで行われています。

吉川市中央公民館 展示状況 展示状況2

吉川市では現在のところ、遺跡は発見されていません。しかしながら市西部の越谷市・八潮市境となる中川流域には、川に沿って広大な自然堤防が形成されており、特に八潮市では、川沿いの自然堤防上に八條遺跡など古代の遺跡が発見されています。対岸の吉川市側にも遺跡が存在する可能性が考えられます。

また、市東部の深井新田、平方新田では、古代の太日川(ふといがわ・おおひがわ)によって基盤が形成されたと考えられる自然堤防が良好に残されています。

 自然探訪もあわせ、この機会にぜひお出かけください。

 

●吉川市中央公民館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

開催期間 令和7年4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日)

開催場所 吉川市中央公民館 ロビー 吉川市大字保577番地(JR武蔵野線吉川駅から1.1㎞、徒歩15分)

開館時間 午前9時から午後9時まで

休館日 期間中の休館日はありません

 

お問い合わせ (048)984-3563(吉川市教育委員会生涯学習課)

 東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示


 

#かすかべ地名の話 (8)#藤塚

春日部市内の地名の話。今回は、現在開催中の企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも取り上げている、藤塚(ふじつか)について。

藤塚は、大落古利根川と中川(庄内古川)に挟まれた地域です。現在は住居表示として藤塚が使用され、また、昭和54年に開校する藤塚小学校、昭和56年に開設された藤塚公民館など公共施設の名称にも使用されています。加えて、市の花「藤」が地名にも入っていることから、「藤塚」の地名は地域の方々から親しまれています。

藤塚の地名の初見は、近世前期の記録にみられる「藤塚村」。当時は、武蔵国葛飾郡松伏領に属しました。藤塚村は、現在の住居表示の藤塚と、六軒町・本田町を含むエリアになります。現在使われている六軒町や本田町という住居表示は、藤塚村の村組である六軒組、本田組を由来にしています。藤塚村は、天保13年(1842)には家数141軒、809人ほどの村でしたが、今の藤塚(六軒町・本田町を含む)には6921世帯の方がお住まいの住宅街となっています(令和5年10月現在)。

藤塚の歴史的特徴ともいえるのが、古利根川の縁辺に形成された内陸型の砂丘(河畔砂丘)です。河畔砂丘は、河道の砂が卓越風で飛ばされ、河道や自然堤防に定着してできた砂の丘のこと。藤塚は藤塚橋や香取神社の付近に帯状の砂丘が確認されます。市内では、浜川戸や小渕にも河畔砂丘が分布しています。

江戸幕府が作成した街道図巻「分間延絵図」によれば、藤塚の河畔砂丘と思われる地帯には樹木が植わり、「百姓林」として利用されてことがわかります。古利根川の対岸の備後村の古文書には、対岸に松林が見えると記述されていますので、江戸時代の河畔砂丘は村人が管理する松林として利用されていたものと考えられます。

明治時代になると、藤塚村の高橋豊吉という人物が、外国種の桃樹(上海水蜜桃)3本を宮内省から譲りうけ、県内で初めて桃を栽植したといわれています。明治10年代に作図されるフランス式彩色迅速測図には、藤塚の河畔砂丘は「桃」の果樹園となっており、桃林として利用されていたことがわかります。さらに、藤塚の遠藤栄太郎は、明治35年(1902)に松林を開墾して、天津水蜜桃、上海水蜜桃を計1200余本栽植し、園芸会社を設立しました。植え付けの本数は最大数万本にものぼり、東京や近県の市場に販路を築き、粕壁や越ケ谷付近の諸村でも水蜜桃の栽培が普及していきました。

東武鉄道の開通後には、藤塚の桃林は「桃花園」と称し、最寄の一ノ割駅から藤塚橋を渡って訪れる観光スポットにもなります。

藤塚の桃林は、昭和40年頃まで往時の面影を残していましたが、東武線の地下鉄乗入れを契機として、昭和42年(1967)ごろから民間の建設会社による分譲住宅の開発が進み、桃林は減少してきました。その代わり、藤塚は春日部市内、屈指の住宅街となり、ニュータウン「藤ケ丘文化村」が造成され、今に至っています。

藤塚の桃林の写真は少ないのですが、今回の展示準備で見つけた写真 がこちら。

写真:昭和39年藤塚橋起工式

昭和39年(1964)3月26日の藤塚橋の起工式の模様。藤塚橋付近で行われた式典で、挨拶をする山口宏市長の後ろには、桃樹らしき樹木が植わっています。おそらく、桃の果樹園ではないかと思われます。

 

さて、本題の地名の由来。藤塚の地名の由来としては、二つの説が唱えられています。一つは、富士浅間を信仰する修験や行者によって造られた塚(富士塚)を意味するという説(『埼玉県地名誌』)。もう一つは、川べりの川底が深くよどんで大きな「渕」となり、その渕の上の砂丘にある板碑や墳丘を指す「渕塚」が転化し、「ふじつか」となったという説(古老の話による)。

藤塚の香取神社には、富士塚は残されていませんが、境内に「忠行院林山」(もしくは忠行林山)と名乗る行者の浅間神を祀る近世後期の石碑が遺されており、かつては富士塚が存立していたのかもしれません。神社一帯は河畔砂丘に立地していますので、砂丘の高まり自体を塚と見立てていた可能性も考えられます。もう一つの「渕塚」という説も、河畔砂丘のある「小渕」の「渕」にも共通しています。「地名の由来はこれだ!」という決定打は欠きますが、いずれの説も、花の「藤」というよりも、川べりにある小高い河畔砂丘を由来としています。

牛島のフジ、藤塚、小渕、富士信仰、ダジャレで繋げたテーマでしたが、ここまで関わるものだとは正直思っておりませんでした。

企画展に陳列する藤塚ゆかりの収蔵品はわずかですが、ぜひご覧いただければと思います。

 企画展チラシ

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されました

4月6日(日)、一ノ割の圓福寺(えんぷくじ)にて「圓福寺まつり」が開催され、大勢の人で賑わいました。

それにあわせて、市指定有形文化財群の、年に一度の公開が行われました。

圓福寺の境内にある曼荼羅堂には、「木彫当麻曼荼羅図(もくちょうたいままんだらず)」「木彫釈迦涅槃図(もくちょうしゃかねはんず)」「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図(もくちょうえんまおうきゅうならびにはちだいじごくず)」が安置されています。これらの作品はすべて、圓福寺の九世住職であった光世上人が元禄年間(1688~1704)に、「木彫当麻曼荼羅図」と「木彫釈迦涅槃図」は6年間、「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図」は2年間の歳月をかけて制作したものになります。

一般的には曼荼羅図は絵画によるものが多く、圓福寺所蔵の曼荼羅図のような木彫・立体のものは非常に珍しいものといわれています。

制作されて320年以上が経過している貴重な文化遺産を今日まで保管し、公開の機会を設けていただいている関係者の皆様に感謝申し上げます。

 

地学さんぽ講座3「大河古隅田川を探ろう」を開催しました

 3月30日(日)、穏やかな春の日差しに恵まれ、地学さんぽ講座の3回目、「大河古隅田川を探ろう」を開催しました。 今回は、古隅田川の流路をたどり、豊春駅から八木崎駅に向かうルート(古隅田野鳥の森、古隅田公園、古隅田川緑道)を散策しました。古隅田川は、下総国と武蔵国の国境であり、中世の頃までは川の流れが現在と逆で、古利根川から古隅田川へ向かって流れていました。また、古隅田川とすでに「古」がつくのに、さらに「旧」がつく旧古隅田川があることなど謎に満ちた川です。こうした謎に迫るため、古隅田川の流れの変遷、かつて暴れ川だった痕跡の押堀(おっぽり)(注1)クレバススプレー(注2)、やじま橋や満蔵寺のお葉附きイチョウなどの文化財、梅若塚の伝承、昭和の河川改修による流路変遷などを数多くの見所のある箇所を散策しました。参加された皆さんは、所々で咲き始めたサクラの花を愛で、講師の先生の案内で、地学の探求者として、古隅田川の滔滔としたかつての流れに想いをはせ、様々な謎にみちた川について意見をかわしながら、長い行程の道のりを歩かれました。次回は、地学さんぽ講座の4回目、生きている化石植物の観察場所としてレジデンシャルパーク(庄和総合公園)、10万年前の地層を展示する龍Q館(地下神殿(調圧水槽)の見学は行いません)などを散策する予定です。参加希望の方は広報かすかべ4月号17面をご覧の上、お申し込みください。

注1:押堀(おっぽり) 川の洪水によって堤防を越えたり、破って氾濫した平野部に水が勢い流れた時に水の圧力で地面が掘られた跡。そのまま水がたまって池になったり、湿地として残ることがありますが、現在は、ほとんどは埋め立てられて目にすることは少なくなっています。

注2:クレバススプレー 川の流れに沿って形成された自然堤防が洪水によって破堤し、勢いよく流出した濁流によって引き起こされた地形です。

旧古隅田川(川面橋)で川の流れの確認

古隅田川堤防跡(古隅田野鳥の森)

古隅田川の堤防跡での解説(古隅田野鳥の森)

やじま橋(市指定文化財)

 

 

 

 

 

 


 

3月の考古学関係展示会、イベント情報

3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)

 

(展示会_閉会日順)
・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」


・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)
令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」


・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」

 

・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」

・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」


・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」


・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
古代DNA-日本人の来た道


・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」


・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」


・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」


・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」

「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく開催しました

3月23日(日)、現在開催中の企画展示のミュージアムトーク(展示解説)を行いました。

みゅーじあむとーく1

今回の展示は、春先に恒例の藤(フジ)の花の展示の派生企画展。フジの花にかけて、地名の「藤塚」「小渕」、そして「富士信仰」の歴史を収蔵品を中心に紹介しています。

今回のみゅーじあむとーくには、郷土資料館常連の皆さんに多くお集まりいただきました。顔見知りの方ばかりで、解説が終わった後にも、様々ご質問いただき、ご教示いただきました。ありがとうございました。

写真:富士信仰のコーナー

午前中には、ナント!富士信仰の研究者の方にもお出でいただきました。今回の展示準備にあたり、ご著書をいつも座右に置き、参照しており、直接お会いするのは初めてでしたが、動画で拝顔していましたので、展示解説の冒頭から「あの方かも!?」と緊張していました。特に富士信仰の概要や資料を説明する時は、今年一番のドキドキ。

担当者のつたない富士信仰の解説の後、研究者の方には様々な資料や情報をご教示いただきました。今回は収蔵品のみの展示でしたので、固定ケース半分にとどまりましたが、あんな資料やこんな資料も借り、あんなところやこんなところも調査すれば、春日部市域の富士信仰は企画展テーマとして柱が立ちそう、であることをお導きいただきました。ありがとうございました。

今回は「藤」「藤塚」「小渕」「富士信仰」と欲張りな企画で、盛沢山ですが、それぞれが中途半端でもあるともいえましょうか。「富士信仰」のテーマもさながら、「藤塚」も「小渕」も特徴的な地域ですので、それぞれ一本立ちするくらい、調査・研究を深めたいものです。

このように、みゅーじあむとーくは、学芸員と企画展の反省・展望を促すイベントにもなっています。

次回は、4月19日(日)。「藤塚」「小渕」「富士信仰」の関係者の方は、ぜひ叱咤激励にお出でください。

 

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

歴史文化講演会 『奥の細道』を読む~草加から日光あたりまで~ を開催しました

令和7年3月22日(土)午前、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。

國學院大學栃木短期大学教授で、漢文学がご専門の塚越義幸先生をお迎えして、「「奥の細道』を読む ~草加から日光あたりまで~」をテーマに、お話ししていただきました。

江戸時代の日光道中の宿場町であった粕壁宿には、たくさんの人々が通行しました。

元禄2年(1689)3月に粕壁に宿泊した俳聖 松尾芭蕉もその一人です。

歴史文化講演会

講演では、『奥の細道』を、芭蕉のしゃれ(洒落) や かろみ(軽み) を感じながら鑑賞するために、大切なことを、『奥の細道』の本文に沿いながら、わかりやすく解説していただきました。

芭蕉が訪ねた歌枕の地や、表現方法としての俳諧の様式などについて、文学の専門的なお立場からお話ししていただき、松尾芭蕉の俳諧の特性についても知ることができました。

歴史文化講演会

歴史文化講演会

受講された80名の皆さまには、熱心にご清聴いただき、たいへん盛況となりました。時間の都合で質疑はお一人のみでしたが、先生には丁寧にお答えしていただきました。

塚越先生、受講された皆さま、ありがとうございました。

春日部には、江戸時代後期に建てられた芭蕉の句碑も存在します。また、近代の俳人水原秋桜子や加藤楸邨のゆかりの地でもあります。今後も本市ゆかりの俳諧・俳句につきまして、紹介してまいります。

 

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】白岡市立歴史資料館でリレー展示が開催されています

白岡市立歴史資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。

「リレー展示「都鳥が見た古代〜埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代〜」開催中です!」(白岡市ホームページ)

白岡市立歴史資料館は、平成30年に開館した白岡市生涯学習センター「こもれびの森」内にあります。「こもれびの森」は、歴史資料館のほか図書館、多目的ホール、集会室などから成る複合施設で、白岡市役所に隣接しています。

リレー展示は、入口を入ったところすぐの企画展示室で行われています。

今回は、白岡市の中妻遺跡の資料も多く展示されています。中妻遺跡は白岡市篠津に所在する縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世の遺跡です。奈良時代・平安時代では、鉄作りの工房跡が発見されており、関連資料も展示されています。

「古代白岡の鉄作りの起源に迫る!(中妻遺跡第10地点)」(白岡市ホームページ)

常設展示室では、旧石器時代からの白岡市の歴史資料が展示されています。白岡市には、縄文時代の遺跡が多く、資料が充実しています。

この機会にぜひお出かけください。

 

●白岡市立歴史資料館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

開催期間 令和7年3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日)

開催場所 白岡市立歴史資料館 企画展示室 白岡市千駄野432番地

開館時間 火曜日から土曜日 午前9時~午後7時、日曜日・祝日 午前9時~午後5時

休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日に当たる場合は、その直後の祝日でない日)

歴史資料館について(白岡市ホームページ)

お問い合わせ 0480-92-1894

 

*リレー展示は、下記日程で開催予定です。

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

 

東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
 

凧作り教室を開催しました

3月15日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、凧作り教室を開催しました。郷土資料館では、今回で4回目の実施となります。当日は、小学生を中心に15名に参加いただきました。

作り方の最後で、凧に反りをつけるために、骨の左右のフックに糸をかけて、引っ張りました。大凧でも「弓張り」と呼ばれて同じように骨をそらせます。大凧では、凧の中央部分で、凧の骨から糸までが約90cmの高さになるようしめあげます。

保存会の先生もおっしゃっていましたが、凧に反りを付けることで、凧が上がった時に風が左右に分かれ、一部は凧の裏面に回り込みます。風が凧を両わきからはさんでいる状態になり、安定して飛ぶようになります。

 

さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。

春日部市市制施行20周年記念イベント【みんなで祝おう春日部オリジナル凧あげ大会】

とき 令和7年5月5日 午前9時から11時

場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷

参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加。入賞者には記念品の贈呈。

文化財の公開(4月)のお知らせ

 桜のつぼみも膨らみ、開花まであとわずか・・・という時節を迎え、市内では江戸時代から伝わる有形、無形の文化財が公開されます。

【圓福寺所蔵の市指定有形文化財の公開】
一ノ割にある圓福寺では、毎年4月一週目の日曜日に開催される「圓福寺祭り」に合わせて、曼陀羅堂に所蔵されている市指定有形文化財が公開されます。
木彫当麻曼陀羅図は、通常、絵画等で描かれていますが、木彫の仏像が配された立体構造が特徴的です。この他、釈迦涅槃図など、江戸時代に制作された仏教美術が一堂に公開されます。
日時:令和7年4月6日(日曜日)午前10時~午後3時
場所:一ノ割一丁目30-17 圓福寺
 ※拝観は有料となります

曼陀羅堂での公開の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当麻曼陀羅図

釈迦涅槃図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲左:木彫当麻曼陀羅図、右:木彫釈迦涅槃図 共に元禄11年(1698年)の作。厨子に納められ江戸各所の寺社にも出向いて公開(出開帳)されていた。


【不動院野の神楽】
東不動院野地区に伝わる市指定無形民俗文化財が公開されます。江戸時代の半ばころ、茨城県稲敷市の大杉神社から伝わった神楽(祭神が安婆天狗であることから別名「安婆神楽」ともいわれる)で、元来、平安時代に宮中での神事として演じられていましたが、江戸時代には「お祓い」の要素をもち、家内安全や五穀豊穣を祈願する民俗芸能として、東不動院野地区で継承されています。
 日時:令和7年4月13日(日曜日)正午~午後2時(予定)
 場所:東不動院野615 東不動院野集会所

お囃子
 

 

 

 

 

 

 

神楽1

神楽2

 

 

 

 

 

 

 

 

▲昨年の祭礼の様子  高校生や大学生の後継者による演舞も見どころのひとつ。軽快な調子の祭り囃子と口上が伴う神楽が特徴的

桜のお花見とともに足を運んでみてはいかがでしょうか

次期企画展のチラシできました

次の企画展は、「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展。

ここ数年春先に開催し、恒例になりつつある市の花「フジ」を主題にした企画展2025年版です。

今回は、市の花フジに加え、「藤」「渕」がつく市域の地名と、「富士信仰」にスポットをあてます。「藤」がつく地名とは、豊野地区の藤塚。「渕」がつく地名とは、幸松地区の小渕、のことです。

まだ、どんなモノが並ぶのか、目下、検討・準備中ですので、詳細は教えられませんが、見どころとなる資料は固まってきましたので、チラシのデザインが確定されました。

画像:藤・渕・富士展示チラシ

淡い色合いで、アンニュイな展示担当者の今の気持ちを表わしているようです(笑)。

果たして間に合うのでしょうか。乞うご期待。

 

[事業の基本情報]

展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展

日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分

関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
     令和7年3月23日(日曜日)、及び4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
     予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料

#かすかべ地名の話 (7)#八木崎

忘れた頃にやってくる、春日部市内の地名の話。今回は、八木崎について。

先日、でばりぃ資料館のため、八木崎小学校に訪れた際に、担任の先生より、「八木崎のいわれについて教えてほしい」と強いご要望がありましたので、今わかる範囲での八木崎について、ほごログで紹介することにしました。

八木崎は、粕壁地区のなかの小名(小さな地名)の一つであることは、前にも紹介しました。元禄10年の検地帳にも登場する耕地名ですから、古くから呼び伝えられてきた地名であることは間違いないでしょう。「八木崎遺跡」という遺跡もあり、古代の遺物も出土していますから、少なくとも奈良・平安時代には人々が拠点としていた痕跡がのこっています。ちなみに「八木崎遺跡」は現代人が名付けた遺跡名ですから、当時はなんと呼んでいたのかは不明です。

江戸時代には、八木崎の一帯は粕壁宿の一部になり、「八木崎耕地」「字八木崎」などとよばれました。八木崎耕地は、田8町8反余、畑29町5反余で、耕地の大半は畑地で、「粕壁宿之内八木崎組」とも書かれた古文書もあり、宿場の人馬継立の役を分担する株を持つ家も存在していました。粕壁宿というと、日光道中沿いの町並みの方に焦点が集まってしまいますが、八木崎は立地的にも古くから人々が暮らしていたことが推察されます。

明治初めに記された「春日部記草」に、次のように書かれています(春日部市史近世史料Ⅲノ2)。

「八木崎と云名ハ遺老の物かたりに、大木の杉八もとありし海辺ゆえしか、名つけたりとそ、こゝも浜川戸にさしつゝきて土地高く、古く干潟と成たる所故、太田の庄にかそへ入たるなるへし」(八木崎という地名は、古老の話によれば、大木の杉が8本あり、海辺だったために、八木崎と名付けられたとのこと。八木崎は浜川戸に地続きで、古くから干潟になった場所なので、中世の太田の庄に含まれていると考えられる)

明治初めの人たちは、春日部八幡神社のある浜川戸に地続きの八木崎が土地が高いと認識していたようです。たしかに、昭和8年(1933)の粕壁町の略図をみると、画像左下の八木崎付近は、西側のあたりに畑が多くみえます。

画像:粕壁町略図

市内には、八木崎のほかにも、米崎・金崎・塚崎・木崎のように「崎」がつく地名があり、いずれも台地等の高台の突端がかかる地域となっています。八木崎は台地ではありませんが、浜川戸の河畔砂丘など、微高地の突端にあたるため、「崎」という地名となったのでしょう。

【 #3月7日 】 #今日は何の日? in春日部

いまから254年前の明和8年(1771)3月7日(旧暦)は、粕壁ゆかりの俳諧師増田眠牛の命日です。

増田眠牛は、今年の大河ドラマ「べらぼう」の時代=江戸時代半ばの江戸の俳諧点者です。粕壁の山中観音は眠牛ゆかりのお堂で、粕壁宿の歴史スポットとして知られています。しかし、当時の歴史資料はほとんどなく、粕壁との関わりは伝承・逸話として伝わるのみです。今回はその伝承・逸話の元になっているものを紹介しましょう。

眠牛について、紹介する文献のうち、最も古いと思われるのが、粕壁尋常高等学校編『郷土の研究』(昭和8年ごろ刊)です。同書は、私家版で発行された小冊子で、個人のお宅に伝来する史料として伝わったものです。担当者も恥ずかしながら、未だかつて原本をみたことがありません。

同書は、当時の粕壁町の社会経済的な統計のほか、伝承・伝説など、大正末から昭和初期にかけての郷土史研究の成果として重要なもので、このなかに「増田眠牛の事」という項目が立てられ、次のように記されています。一部コピーが不鮮明で読めない箇所は【 】で記しました。

増田眠牛とは今より凡そ百六七十年前、六部姿にて背に千手観音を負ひ、風雅の道をもとめて漂然と我が春日部の宿にたどりつきたる俳人の名なり。時は徳川時代の中頃宝暦の頃なりしと伝へらる。当時、今の練木市左衛門の本家なる家を伊勢平といひ、米問屋をなし、一家俳諧を好む。即ち眠牛これを聞きて旅のわらじをこの家の軒にとく。しかして暫しこの家の人々と起居を共にす。それより明和八年三月、六十余才で没するに至るまでの年月を此所に落ち付きて俳味豊かな彼の晩年を送る。

伊勢平当時米問屋にて常に江戸に出でゝ米の仕切勘定をなす。一夜或宿屋にて囲碁をなす。打つ手置く石せはしく石の黒白に天下を争ふうち、その手の思ふやうにならぬ折から思はず「下手だなあ、拙いなあ」を連発すと。隣座敷にて当時俳書【    】俳談に余念なき時なり、近頃ものせるものなりとて

 五月雨や 或る夜ひそかに 松の月 蓼太

なる句を示して、その批評を請ひしに、隣の部屋より「下手だなあ、拙いなあ」の連発が聞こえてくる。これを聞き手嵐雪忽ち血相が【  】部屋にふみ入りて、如何なる点が拙きかと談判に及ぶ。伊勢平【 】に驚きて拙なりとは御身の句の事にあらず、全く碁の手の拙き故なりとしきりに弁明すれど、聞き入れず、困じ果て対に一策を案じ、即ち之を家に奇遇せる眠牛にはからんとせるなり、「然らばそ【 】答を暫くまたれよ」とて暫くその場をのがれて帰宅をなし【  】眠牛に打ちあけてその助力を請う。眠牛やがて嵐雪と会見してその句の非を指摘して伊勢平の難をすくふ。俳聖嵐雪【  】批評も得たるを思へば眠牛は相当の技量と見解をもちたる俳人なる如し

その辞世の句として

 かかれぬぞもういのち毛の土筆

とあり。今尚山中観音(眠牛の背負ひ来れる)の堂前に石にきざみてあり。即ち眠牛は六十余才にてこの地に終りし故、附近の人びとによりその負ひ来れる千手観音は山中観音としてまつられ、眠牛の用ひし杖なども保存せらるゝと。観音堂は今より四十余年前附近の人々無尽講に入りてあたり金を以て建立せるものにて、今毎月十七日には観音経をあげらる。なほ眠牛の墓が伊セ平菩提寺なる成就院にありしによりてもその史実は証せらる。

上の文章からは、次のことがわかります。(1)俳諧師の眠牛は、粕壁宿の米問屋伊勢平に寄宿し、晩年を過ごし、粕壁で亡くなったこと。(2)伊勢平が別の俳諧師と口論になった折りに、眠牛が俳諧の評価を下し、間を取り持ったことで伊勢平が助かったとこと(途中は読めない部分があるので、事実関係は検討が必要ですが)。(3)眠牛が背負ってきた観音は、粕壁の山中観音として祀られ、今にいたること。(4)かつて、眠牛の墓は伊勢平の墓所にあったこと。(5)山中観音のお堂は40年ほど前(明治末期か)に地域の人たちの無尽講により建てられたもので、観音経を唱える講中(観音講か)が組織されたこと。

ところで、増田眠牛は、どのような俳諧師だったのでしょうか。断片的ですが、江戸の俳諧書を辿ってみると、眠牛の名は割と多くみえます。近現代に出版される俳諧の系統図にも、眠牛は談林派の俳諧師として、笠家旧室の系統をひく者としてみえます。俳諧書の「西山家連俳系図」には、談林派俳諧の笠家旧室の弟子として眠牛の名がみえ、「増田匍匐庵、明和八年辛卯三月六日没、歳五十三、葬武州糟壁駅成就院」とあります。また、明和5年(1768)刊とされる「誹諧觽初篇」には、「当時旅行」「蒼狐門」とありますので、笠家旧室の系統を組む小菅蒼狐の門となり、すでに江戸を離れていたようです。同書には「強弱交るべし、恩愛の句に手柄あり、とかく短句に高点多し、是はといへる道具なし、句を軽く仕立べし」と、点者としての評判も記述されています。俳諧に親しんだ江戸の人びとに、俳諧の点者として知られていたことがわかります。

『郷土の研究』では、没年を「六十余才」としていますが、同時期の俳諧書では没年を「五十三才」としています。命日は、江戸俳諧書では「三月六日」としますが、山中観音の墓石には「三月七日」と刻まれています。

また、『郷土の研究』は、伊勢平が中心となって眠牛と関わり、その後地域の無尽講によりお堂が建てられたと読めますが、戦後に粕壁と眠牛について記されたものには、「やまご」を商標にする清水家が眠牛を世話したとの言説がみられます。

たとえば、『春日部市史通史編』では、春日部市教育委員会編『春日部市の文化財』(昭和54年初版)を引用し、「この堂(山中観音)は、伊勢平に代わって眠牛の世話をしていた醤油醸造家清水家(やまご)が眠牛の菩提を弔うために建立したものである」と記しています。同様の言説は、岩井幸作『春日部秘史』(昭和46年刊・私家版)にもみられます。清水家は、伊勢平の後に眠牛を世話し、宅地の隅に居宅を用意した(『春日部市の文化財』)とも、伊勢平なきあとにお堂を管理した(『春日部秘史』)とも、眠牛やお堂との関わりは曖昧です。清水家は、栃木屋勝右衛門を代々名乗る江戸時代以来の粕壁(仲町)の商家です。通称「栃勝」と呼ばれました。醤油醸造家とされていますが、諸資料から確認すれば、醤油醸造をはじめたのは明治時代以降とみられ、もともとは木綿買次商を営んでいました。

私見ですが、醤油醸造の栃勝は極めて近代的なイメージとみられますので、清水家が山中観音と深く関わるのは、明治以降のことではないかと考えらえます。とはいえ、『郷土の研究』の逸話をはじめ、没年や命日、清水家との関わりなど、関連史料がないため、今となっては確かめるすべがないのが現状です。

さて、眠牛が背負ってきた観音の軸は、現在も山中観音の本尊として祀られているそうです。昭和初期には成就院にあったという眠牛の墓石は観音堂の敷地に移設されています。

画像:眠牛の墓石

墓石には、眠牛の戒名「諦誉華岳眠牛居士」と命日「明和八辛卯年三月七日」、そして「かかれぬぞもういのち毛の土筆」という辞世の句が刻まれています。

現在の山中観音堂は平成初めの区画整備事業により、平成4年に元のお堂の一部を移築されています。

画像:山中観音

当館では、移築に伴い、お堂のなかのものの一部、眠牛が背負ってきたという笈(下の画像)などを保管しています。

画像:山中観音笈

浅学な担当者は、これまで増田眠牛について、それほど著名ではない俳人と勝手に思い込んでいましたが、デジタルアーカイブなどで各機関の関係史料を瞥見するなかで、意外に著名であることにたどり着きました。史料の関係で、粕壁でのエピソードを深めるのは難しそうですが、粕壁宿や山中観音の価値を高める上で、眠牛についてもう一度見直し、再評価する必要があるのかもしれないと、眠牛の命日に思うのでした。

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月1日版4月28日版6月2日版6月3日版6月10日版7月31日版9月1日版9月16日版10月15日版11月25日版

過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。

歴史文化講演会 合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 を開催しました

令和7年3月2日(日)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。

國學院大學栃木短期大学教授で、日本近世史がご専門の坂本達彦先生をお迎えして、「合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 ~日光道中の宿場と周辺村落~」をテーマに、お話ししていただきました。

江戸時代の春日部は、江戸から日光までを結ぶ日光道中が南北に通り、宿場町であった粕壁宿は、江戸の影響を受けながら、地域の経済・文化の中心となっていました。

3/2歴史文化講演会

 

講演では、天保10年・11年(1839・1840)に日光例幣使道合戦場宿(にっこうれいへいしどう かっせんばしゅく 現栃木県栃木市)で発生した、贈収賄事件を手がかりに、広範囲にわたった処罰者や、当時の粕壁宿の状況なども交えて、宿場や農村に暮らした人びとの、社会、生活や風俗を紹介されました。江戸時代の後期から幕末期にかけての時代背景として、幕府の政治・政策の変化、江戸の町の繁栄と、関東地方の宿場や農村の治安と風紀・風俗の問題をとりあげ、それに対する幕府の対応(統治や統制)をわかりやすく解説されました。

3/2歴史文化講演会

 

 

 受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただきました。質疑では複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。坂本先生、受講された皆さま、ありがとうございました。

江戸時代は、宿場・農村を問わず、さまざまな事がらが、現代と関わりを持っています。今後も本市をはじめとする埼玉東部地区の歴史や文化について、紹介してまいります。