ほごログ
#ハルカイト 見学のススメ(4) 大型改良農機具
ハルカイト(大凧文化交流センター)の展示室には、郷土資料館では展示できない大型の民具が並んでいます。
今日は、その一つ「籾摺り機」に焦点をあててみましょう。2階の展示室3では、改良された大型農機具を陳列しています。
動力は人力や家畜(馬・牛)ではなく、石油で動く発動機です。エンジンを動かし、歯車を回して、ベルトを動かします。
大型で重量のある民具ですが、展示する機会もなく、皆さまに披露する場がありませんでした。資料館や博物館では、古い道具を展示する機会が多く、動力で動く改良された農機具を正面から展示することは、それほど多くないようです。そういう意味で、この籾摺り機はとても貴重だと思います。
展示の趣旨としては、産業技術が合理化・効率化され、社会が豊かになっていく。「農村から町へ」というイメージですが、パネルがなく言葉足らずな感じもします。
さて、展示設置にあたっては、階段やエレベーターで持ち上げることが難しい重量物だったので、
業者さんにクレーンで吊って搬入していただきました(今年の夏ごろ)。空飛ぶ籾摺り機です。レアな写真です。
さて、館で資料を取り扱っていたところ、ハルカイトの籾摺り機と同型の農機具のチラシを発見しました。
残念ながら、資料の年代が不明ですが、下の販売店が三輪野江村(昭和30年合併し吉川町となる)とありますので、昭和20年代ではないかと思われます。
「鬼に金棒」という言葉は、あまり使わなくなりましたが、発動機の自動籾摺り機が、当時いかに画期的な籾摺り機であったことがわかるチラシです。
現状、ベルトが紛失し、発動機とつなぐことができず、また発動機も動かすことが叶いませんが、町の農産業を支えてきたことを物語る道具です。
戦後の農機具は、博物館や資料館ではあまり展示されない、珍しいものだと思います。ぜひご覧ください。
【講座ができるまで(後編)】“しめ縄づくり”はこうして開かれる
先日のブログで、しめ縄づくりの講座が開催されるまでの道のりについてお話させていただきましたが、今回はその後半戦です。
稲わらを干して、青の色味が抜けてきた11月某日。
藁すぐりという“ハカマ”を取って、藁の茎だけにする作業を行いました。
乾燥してゴワゴワした稲わらの下葉を丁寧に取っていくと、ピンとした茎が現れます。体感ですが、体積的には1/2~1/3くらいに減る印象です。
4人で3時間程度作業し、できるのは25束くらいでしょうか。実際には“縄ない”の工程にも稲わらを使用するため、しめ縄20本分程度になります。今年は粕壁市民センター(中央公民館)でもしめ縄作りを開催するため、この倍量は必要です!
講座当日の朝には、藁打ちを行います。
稲わらを水で濡らし、木槌で叩いて繊維をほぐしていきます。
12月の冷たい水にも負けず、講座を楽しみにしてご来場くださる皆さんのために朝から頑張ります!
こうしてしめ縄作り講座は開催されます!
どうしても準備に要する時間や当日の人員確保の都合のため募集人数が増やせず、定員オーバーにより参加をお断りすることもあり大変心苦しいのですが、毎年受講者の方からは“非常に満足”とのお声を多くいただき、主催者側としてもありがたく、やりがいのある講座です!
今年のご予約も満員となりました。
講座ご予約済みの方、当日お待ちしております!
ブログを読んで興味を持ってくださった方、次年度も開催予定ですので是非チェックしてみてください!
放課後子ども教室 幸松っ子くらぶ「郷土カルタすごろくで遊ぼう」
令和6年11月18日(月)に幸松小学校で行われた放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」で、“郷土カルタすごろくで遊ぼう”を開催しました。
幸松小学校の各部屋で、児童たちがそれぞれ興味のある活動に参加するイベントです。
昨年度も郷土カルタすごろくを携えて幸松小に伺う予定だったのですが中止になってしまったので、2年ぶりの開催となりました!
すごろくの前にはひとつ紙芝居を読みました。
「牛島の藤の伝説」というお話で、紙芝居の内容は知らないまでも、牛島の藤なら知っているという子はチラホラ。
お話の中に、この後のすごろくを有利に進めるヒントがあると伝えると、みんな真剣なまなざしで聞いてくれました(笑)
いよいよメインイベントの郷土カルタすごろくです!
サイコロの出目の数だけ進む通常のすごろくとは違い、出目に割り当てられたマスにワープするオリジナル仕様です!
大きなサイコロを振ります!
これだけでも楽しそう♪
すごろくのマスの中には「幸松チャンス」というクイズに答えてポイントをゲットできるマスがあり、それが大盛り上がり!
じっくり時間をかけて考え、思い出し、相談するという、勝負にかける真剣な思いが伝わってきます!こども達にとってはすごろくと言えど、もはや遊びではないのです!
すごろくの後には、郷土資料館の紹介を兼ねて、持参した昔のおもちゃでも遊んでもらいました!
毎回“すごろくでどの程度楽しんでもらえるだろうか”と、ちょっと心配な部分もあるのですが、そんな心配を吹き飛ばしてくれるこども達のはしゃぎっぷりでした!
今度はぜひ郷土資料館にも遊びに来てください!
幸松小学校 放課後子ども教室で「おはやし教室」を開催しました
学校付近のカエデやイチョウの木々もようやく色鮮やかな紅葉時期を迎えた11月18日(月)の放課後、幸松小学校放課後子ども教室『幸松っこくらぶ』が校内各所で開催されました。当日は、郷土資料館による”郷土カルタすごろくで遊ぼう”のほか、先生OBによる紙飛行機づくりなどの様々な催しと共に、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を継承する東不動院野神楽保存会の皆さまから指導いただく「おはやし教室」の第4回目も行われました。
1年生を中心に6年生までの10名が参加。今回初めて参加するという1年生は緊張した表情で両手に太鼓のバチを握り、一生懸命、お囃子の基本曲である『ニンバ』に取り組みました。
まずは太鼓代わりにタイヤを取り囲み、「天/スク/ステ/スク/天・ツク/ツ/スク」のリズムを体感し、順番で実物の太鼓と締太鼓を叩きました。途中、今回不在の保存会会長さんの篠笛の音色をスマートフォンからBGMで流しながら祭り囃子を奏でました。
この教室の参加を契機に、今や高校生や大学生となり保存会では立派な囃子手や舞手として後継者を担っている方もいらっしゃいます。前回のおはやし教室の参加者では、3名が保存会の練習にも参加されたとお聞きすることができました。地域の伝統芸能がこうした機会を契機に着実に継承されますよう、よろしくお願いいたします。
#桜川小 の皆さんから見学のお礼のお手紙をもらいました
10月18日に郷土資料館などの社会科見学に来た桜川小学校3年生の皆さんから、お礼のお手紙をいただきました。
大きな模造紙にポストイットで一人一人、イラストを交えながら、印象に残ったこと・モノを知らせてくれています。一般のお客さんにもご覧いただけるように、出口の扉に掲示させていただきました。
感想とイラストで一番多かったのは、縄文時代の竪穴住居(原寸大模型)です。約5000年前の暮らしがどうだったのか、イメージしやすく、当館の人気の展示資料の一つです。上に紹介した子は、竪穴住居とともに、市内を縦断した江戸時代の街道「日光道中」というキーワードも忘れずに帰ってくれたようです。
団体見学では常設展示の模型ばかりでなく、3年生が3学期に学習する昔のくらし・道具についても解説しました。
平成末期に生まれた子どもたちにとって、「昭和」は遠い過去のようです。
古い道具から、彼らなりの「昭和」を感じ取ってくれたようです。
また、昔のアイロンにあたる「こて」の説明も印象に残ったようで、イラストも描いてくれた子もいます。
おしいのは、竪穴住居の5000年前と印象が混ざってしまったこと。短時間での見学になると、「時代錯誤」が生じてしまうようです。ぜひ、お家の方といらして、じっくり見学する機会をつくって、「復習」してみてください。
最後に「うめわかくん」のイラストを描いてくれた子もいました。
当日、時間もなく「うめわかくん」まで説明が至らないのですが、展示室のあらゆる所に散りばめられています。念のため説明すると、「うめわかくん」は、市内の古隅田川沿いの新方袋の伝承「梅若塚」の梅若丸をモチーフにした、二頭身キャラです。設定は、平安時代の少年ですが、大凧を揚げたり、桐たんすに入ってみたり、「なぞとき」では探偵になったり、天使になったり、いろいろなバリエーションもあり、隠れ支持者も多いようです。「うめわかくん」に注目してくれて、どうもありがとう。これからも「うめわかくん」を応援してくださいね。
#春日部市 郷土資料館 #体験講座 「桐の貯金箱づくり」を実施しました
11月16日、体験講座「桐の貯金箱づくり」を実施しました。
この講座は、春日部桐箱工業協同組合の皆さんのご協力のもと、令和3年から継続して実施しています。今年は、定員を超過する申込みもあり、資料館の体験講座のなかでも不動の人気を誇る講座です。
今回は、普段は市内で桐箱製造などに取り組まれている5名の職人さんにご指導いただき、オリジナルの桐の貯金箱づくりを体験していただきました。
講座用にご用意いただいた、製作キットの中身を確認して、まずは、箱を組んでいきます。
「のり」は、水性の木工用ボンドです。桐材の木っ端をヘラにして、糊付けしていきます。
参加者の皆さん、はじめは、手に付かないよう恐る恐る糊付けをしていましたが、職人さんの指導をうけ、最後は指で塗っている方もいました。また、二枚あわせて糊を塗るコツも伝授されていました。繁忙期にはとても忙しい春日部の桐箱製造。大量生産のために作業効率を上げることも「技術」の一つです。
糊を付けた後、枠組みにします。
糊を付け、枠組みにして、この後、圧着させるために輪ゴムをかけるのですが、小さいお子さんは、少し難しかった模様。ご家族に助けてもらいながら、集中して作業をしていました。
段々、箱型になってきたら、次は「オリジナル」の部分。
箱の背板にあたる部分にオリジナルの図柄・デザインを描きます。この後、職人さんに切り抜いていただくので、下絵を描いています。皆さん、どんな貯金箱にしたいか、事前に考えてきてくれていました。今年も、ポケモン、にゃんこ大戦争、推しの子などアニメやゲームのキャラクター。絵本のパンどろぼう、オリジナルのデザインを描いていた子もいました。
下絵が描けたら、職人さんに電鋸で切り抜いていただきます。
一般の方、ましてやお子さんでは、柔らかい桐材(板)といえども、細かい細工で切り抜くことはできません。普段から木工をされている、職人さんに、普段はあまりみない電鋸をつかって、オリジナルのデザインに切り抜いていただける。ここがこの講座のポイントです。
今年は二台編制で進めていただきましたので、待ち時間も長くなく、スムーズに進行しました。
自分で描いたデザインの形に切り抜いていただける、子どもたちは職人さんを羨望のまなざしでみていました。子どもたちだけではありません。
大人の参加者の方も、スマホで切り抜きを動画撮影。
こうした実演を目の当たりにすることで、何気なく消費しているモノの有難みや、「ものづくり」の素晴らしさを実感することができたのではないでしょうか。電鋸の切り抜きの時間は、「ものづくり」を担う職人の皆さんが、最も輝いている時間でした。
切り抜きの後、背板と表の板を糊付けします。
ズレないように、また背板はお金を取り出せるフタの細工があるので、慎重に糊付けをします。
職人さんにやさしく、丁寧に教えてもらいながら作ります。
お子さんだけでなく、ご年配の参加者の方も。
この男性は「春日部市のためにマスクを取ろう!」といって撮影に応じていただきました。「広報誌に載せてくれ」とご要望いただきましたが、「ほごログ」でご勘弁ください。
そして、完成。
姉妹で参加してくれた二人は、仲良く丁寧に造っていました。
色付けはご自宅で。水性やアクリル絵の具などでできるようです。
こちらも姉妹で参加。
イラストをプリントした紙を貼りつけて完成。紙やシールをはれば、色を塗る手間も省け、クオリティーの高い仕上がりになります。これもオリジナルです。
アンケートでは、「職人さんが丁寧に教えてくれて子どもでも作ることができた。また開催してほしい」「ただの板がだんだん箱になっていくのが楽しかった」「板に溝をつけるところを見てみたい」など、皆さん、満足のいく貯金箱がつくれたようです。春日部の伝統の桐箱づくりを肌で感じていただけたようです。
貯金箱完成後も、展示用の多種多様な桐箱に親しむ子どもたちがみられました。
貯金箱をつくったり、見本や製品に接して、春日部の伝統産業に触れる機会になったのではないかと思います。
参加者の皆さま、春日部桐箱工業協同組合の皆さま、どうもありがとうございました。
秋季例祭ー東中野の獅子舞ーが公開されました
木々がようやく色づきだした11月10日(日)には、市指定無形民俗文化財「東中野の獅子舞」の年一度の公開が行われました。
三週間前の10月20日(日)には、現在の越谷市下間久里が伝授された同じ系統の「銚子口の獅子舞」、「赤沼の獅子舞」の秋季例祭に続き、五穀豊穣の収穫を感謝し、無病息災、家内安全が祈願されました。
当日は境内鳥居から香取神社拝殿に天狗さまを先頭に場を清める「庭入り」から、「序の舞」「女獅子の舞」「中獅子の舞」、そして三匹獅子が威風堂々と舞う「太夫の舞」、さらに勇壮華麗な「千島の舞」が公開されました。また、終演後には太夫獅子のコウガケを頭に被せ無病息災を祈願する地域のみなさまが立ち並び盛況となりました。
そのほか、境内には地元中野小学校の第三学年の総合的な学習の時間に『獅子舞』を学び体験した児童みなさんの感想が掲示されていました。この後、12月には保存会の皆さんのご指導による出張授業を行い予定です。ひとりでも多くの児童が地域の伝統芸能に興味関心を抱いていただけるよう、楽しい授業をお願いいたします。
【 #常設展 ミニ展示】 #東武鉄道 開業前夜の #春日部駅 前
常設展示の近代のコーナーの展示替えをしました。 #かすかべプラスワン
テーマは、題して「東武鉄道ができる直前の春日部駅周辺」です。
現在、春日部駅周辺は鉄道高架工事の真っ最中。最近では、東武スカイツリーラインの古い登りホームの土台の解体工事が進み、さら地になってきています。おそらく、ホームの土台は、大谷石で築かれたもので、東武鉄道開業当初からのホームだったものとみられます。東武鉄道が明治32年(1899)に開業してから、駅周辺は駅前の市街地として開発されていきました。
下の画像は、昭和8年(1933)の粕壁町字内出の耕地図です。駅舎の所在する土地の名称は内出。線路が横断し、耕地を分断するかたちで鉄道が敷設され、駅の東側(現在の東口)は市街地化され、停車場道(現ブロンズ通り)をはじめとする駅と旧日光道中の町並みをつなぐ道が整然と区画されています。反対に、西口側は細長い土地割りの田畑ばかりで、道も細い畦道であったことがわかります。
その後、昭和46年(1971)12月には西口改札が開設され、農地が区画整備され、西口も市街地化していくことになり、今日に至ります。「鉄道で春日部の町(街)が分断されている」とよく言いますが、歴史的にとらえれば、そもそも町は東口側だけであり、高度経済成長期に東口の開発が飽和状態になり、西口側に市街地を広げていったため、「分断」されたようになってしまった、というように理解すべきでしょう。鉄道「分断」の問題は、現在の問題ではなく、高度経済成長期に生起していた、春日部市にとって古くて新しい問題なのです。
さて、駅が開設される以前の駅前の様子は、おそらく田んぼや畑であったことは、江戸時代の粕壁宿の時代の資料などで明らかですが、これまで街路や土地割りの様子などは、よくわかっていませんでした。
今回、展示した資料は、粕壁町の字内出の耕地絵図です。資料の年紀は明治35年(1902)ですが、描かれた内容は、東武鉄道が敷設される以前の状況のようです。最近、市民の方からご寄贈いただいた、近代の粕壁町の商家資料群から見出されたものです。
この絵図を先の昭和8年の絵図と比較してみると、私たちが当たり前にみている駅前もまた、当時は粕壁町のはずれにあり、街路や土地割りは、駅開業後に造成されたことが明らかになります。詳細は展示で。
駅ができ、駅前が造成され、西口ができ、西口に市街地が広がり、そして今「分断」を解消するための鉄道高架が始まる。粕壁の字内出の土地に刻まれた駅前の歴史を、ぜひ展示室でご覧ください。
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和6年11月10日(日)と14日(木)「県民の日」 の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブを開催しました。
今月の手作りおもちゃクラブは2回開催!
10日(日)は「発泡スチロール飛行機」、14日(木)は「からくり屛風」を作りました。
まずは恒例の蓄音機の上演です。10日と14日は連続してきてくれる子もいましたので、それぞれ別の曲をかけてみました。
10日は“口笛吹きと犬”、14日は“かっこうのワルツ”を選曲。どちらも一度は聞いたことがある有名な曲・・・だと思ったのですが、こども達からは「初めて聞く」との声が。。
大人は多くの人が聞いたことがあると思うのですが、いったい大人になるまでのどの段階で知ったのか、私は思い出せません(笑)
紙芝居は10日「火伏の龍」、14日「火事よけ天狗」を読みました。
どちらも、火事から家を守ってもらったという伝説のお話です。乾燥してくる季節になってきましたので、皆さんも火の元にはご注意を!
おもちゃ作りは10日「発泡スチロール飛行機」、14日「からくり屛風」を作りました。
今回で3度目となる発泡スチロール飛行機。毎回の反省点を踏まえ、実はちょっとずつアップグレードしています。
その甲斐あってか少し飛ばす練習をしたら、みんな上手に飛ばせていました。
こどもたちからも「見た目より飛ぶ!」という嬉しい感想を聞くことができました!
こちらはからくり屛風作りの風景。
発泡スチロール飛行機が動きの大きい“動”のおもちゃなら、からくり屛風は仕掛けを楽しむ“静”のおもちゃといったところでしょうか。
2枚の組み合わせた板をクルクル回すと、4枚の絵柄がでてくる不思議なおもちゃです!
そして、最後にお土産の缶バッジ作り!
こどもにとっては結構力のいる作業だったりします。何年か前はまだ小さくて自分の力ではできなかった子が、成長して自力でできるようになった姿をみると、なんだが感激してしまいます(笑)
皆さま今回もご参加ありがとうございました!
次回の手作りおもちゃクラブは12月8日(日)に開催予定です。
詳しくは広報紙等に掲載いたします。年内最後になりますので是非ご参加ください!
【講座ができるまで(前編)】体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」受付中です
郷土資料館では毎年12月に“しめ縄”を作る講座を開催しています。
令和6年度分は現在予約受付中です(12月22日(日)教育センター分は定員に達しましたので受付終了)
本年は12月15日(日)にハルカイトで、22日(日)に教育センターで開催します。15日(日)のハルカイト分はまだ僅かに空きがございますので参加希望の方はお急ぎください!
さて、今日はしめ縄作りの講座準備風景を紹介します。
こちらは9月末の稲わらの調達風景です(ごめんなさい、写真は去年のものです)。
8月中には農家さんに稲刈りの際に稲わらをいただくお願いをしています。これを忘れると講座そのものが開催できないので油断厳禁です!
いただいた稲わらは公用車に積んで持ち帰るのですが、後部座席がいっぱいになるほど(笑)
稲穂の香りを漂わせながら教育センターに戻ります。
続いては、稲わらを干す作業です。
教育センターに持ち帰った稲わらは適度な大きさにまとめて縛り、可能な限り天日で干します。
退庁前に建物内に取り込み、物干し竿に掛け、数週間かけて乾燥させます。青かった稲わらが乾燥して、少しずつ色が抜けていきます。
調達から乾燥のために干すまで、ほぼ一日がかりです。
今回のブログではここで一旦終了、後編では乾燥させた稲わらが講座当日の姿になるまでをご紹介します!
#古文書解読勉強会 #一ノ割 村の古文書を読んでいます #松伏溜井 付近の洗堰をめぐる出入
郷土資料館では、市民の方たちと郷土資料館所蔵の古文書を読む、古文書勉強会を開催しています。ほごログでの紹介はご無沙汰していますが、月に一度の頻度で、市民の皆さんが主体になって決まったテキストを講読するものです。
2022年5月から長らく翻刻をしてきた「宝暦度より酒造用留」が2024年6月に読み終わり(只今見直し中)、引き続き館蔵の一ノ割村関係の古文書を読み進めています。
一ノ割村の古文書は、古書店で購入された竪冊3点で、詳しい出所は不明ですが、館蔵資料として伝来しています。すでに、嘉永7年2月「頼一札(日光道中定助郷増惣代頼み証文)」、慶応2年9月「議定書(村役人跡役議定)」は読み終え、現在は天明期の出入(訴訟)一件留を講読しています。
史料によれば、出入りの内容は「悪水吐場切流諸入用并諸色代滞出入」、すなわち増林村(現越谷市増林)にあった「悪水吐場」(排水地点)の「字新違堤」の維持管理・訴願に関わる費用をめぐるものです。字新違堤とは、古利根川の堰である松伏溜井のそば(南西)にあった洗堰・堤防のことで、『明治以前日本土木史』によれば、寛保の大洪水後に「増林村新違堤へ水流十間・横十間竹洗堰を新設し、其上に〆切を為し、洪水の時に之を取払ひ、悪水吐の用意を為す」と記されています。松伏溜井の堰と同様に、下流の灌漑のための堰であるとともに、増水・洪水時には堰を取り払って、水を「切流」がして上流の湛水を防ぐ役割をもつ当該地域の用排水にとって重要な水利構造物だったようです。
新違堤と洗堰については、船橋市デジタルミュージアムで公開されている「江戸川筋の図」でご覧いただけます。
絵図をみると、「新違」「洗堰」はちょうど、松伏溜井の堰枠から南西に流れる「西葛西用水」沿いにあったことがわかります。「西葛西用水」は古利根川の流れを元荒川につないだ水路(鷺後〈さぎしろ〉用水)であり、現在「逆川(さかさがわ)」と呼ばれている水路です。逆川の呼び名からも明らかなように、普段は古利根川から元荒川へと水が流れていますが、時によっては元荒川から古利根川(松伏溜井)の方向へと逆流することもあったようです。かつ、新違堤の下流には、排水路の千間堀(現在の新方川に相当)が流れ込んでおり、逆川が逆流すると、千間堀の排水にも支障が生じたことが想像されます。
史料にみる天明5年の争論は、この「新違」「洗堰」をめぐる維持管理・訴願費用の割り当てをめぐるものであり、平方村・向畑村の村役人が、市野割(一ノ割)村の村役人を相手取って出訴したものです。増林村の「新違」「洗堰」は、一ノ割から遠く離れていますが、先の絵図からもわかるように千間堀や合野川を経て、「新違」「洗堰」付近まで水が落ちており、訴訟方は、この維持管理費用を負担を要求したようです。
この古文書は相手方(被告側)の一ノ割村の文書のみ書き留められているため、訴訟方の言い分やその背景がうかがえる記述は乏しく、出入の内容が掴みにくく皆さん解読・解釈に苦労されているようです。また、問題となる「新違」「洗堰」が市外(越谷市)にあるということもあり、土地勘がイメージしづらいのかもしれません。
古文書を読むなかで、参加者の方が松伏溜井周辺を散策されてきた、と周辺の写真を送ってきてくださいました。松伏溜井をはじめ、千間堀など、明治末から大正期にかけての耕地整理事業や現代の圃場整備などによって、景観が大きく変わっていますが、しかし、現地でないとわからないこともあります。フィールドワークは重要なのです。以下、いただいた写真を紹介しましょう。
松伏溜井の堰は、現在「古利根堰」と呼ばれています。かつての堰枠は「増林堰」または「大吉堰」と呼ばれ、土橋を兼ねた土堰で、猿島街道の往来道になっていました。その後の昭和期の増林村絵図や古写真をみても堰は橋にかなり近い位置に設置されていたことがわかります。現在の堰は、橋やかつての位置よりも上流に設置されており、毎年4月上旬から9月中旬までゲートを下げて、古利根川の水位を上げ、農業用水として灌漑されています。
「古利根堰」の上流は、今の季節は水位が下がっているものの、かつて松伏溜井と呼ばれた名残りがうかがえます。
続いて、逆川の写真。当時(近世)には掛かっていなかった橋から、元荒川方面をみた写真だそうです。
写真の右手がかつての弥十郎村・大吉村、左手がかつての増林村・花田村ということになります。現地でご覧になられて、右側のほうが土地(標高)が低くなっているそうです。であれば、千間堀が落ち込んでくる弥十郎村・大吉村の人々は、増水時の千間堀の排水や「新違」「洗堰」の取り払いに執心したのではないか、と想像されます。溜井の上郷(大吉村など)と下郷(増林村など)との対立は、実際に、安政6年の水害時に大吉村の人々が堤防の切割りを実力行使したことにはじまる「逆川切割り騒動」へと発展しています(『越谷市史通史編上』)。
読み始めた頃は「新違堤」が何なのか全く想像もできませんでしたが、関連資料や現地の写真・踏査などにより、段々とわかってきた(ような)気がします。今後も、実地の写真や関連資料を踏まえながら、古文書を解読・解釈していきたいと思います。
ちなみに、次回の古文書勉強会は11月17日(日)14時~を予定しています。ご関心がある方は見学でも構いませんのでお待ちしています。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】羽生市立郷土資料館でパネル展が開催されています
12月1日まで、羽生市立郷土資料館で、「都鳥がみた古代」のパネル展が開催されています。
羽生市立図書館 郷土資料館
羽生市立郷土資料館は東武伊勢崎線羽生駅から東南方向へ約1.8㎞の位置にあります。羽生市立図書館との複合施設です。
「都鳥が見た古代」のパネル展示は、郷土資料館の常設展示室の一角で行われています。
常設展示室の展示は、「羽生の文学と歴史」と銘打ち、羽生を舞台とした小説『田舎教師』を書いた田山花袋(たやま かたい)や羽生市出身の詩人宮澤章二(みやざわ しょうじ)の資料とともに、羽生市内から出土した考古資料などを展示しています。
なかでも、羽生市内で出土している縄文時代晩期の「土面(どめん)」は、原品は東京国立博物館に収蔵されていますが、羽生市立郷土資料館には精巧に作られたレプリカが展示されており、細部までじっくり見ることができます。
「土面」(羽生市発戸出土)国立文化財機構所蔵品統合検索システム
公共交通機関でのアクセスする場合、東武伊勢崎線羽生駅から徒歩で約25分です。
この機会にぜひお出かけください。
開催期間 令和6年11月2日(土曜日)~12月1日(日曜日)
開催場所 羽生市立郷土資料館 常設展示室 羽生市下羽生948番地
開館時間 午前9時から午後4時30分まで
休館日 火曜日、毎月第4木曜日(館内整理日)
お問い合わせ 048-562-4341
リレー展示は、下記日程で開催予定です。
11月2日から12月1日 羽生市立郷土資料館 パネル展示
12月14日から令和7年1月13日 越谷市立図書館展示室 パネル展示
1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
#ハルカイト 見学のススメ(3) タッチパネルシステム
引き続き、ハルカイト(大凧文化交流センター)の見どころをご紹介。
第3弾は、1階宝珠花サロンの一角にある大きな画面に注目してみましょう。
宝珠花サロンは、1階に所在します。ここでは、宝珠花小・富多小の歴史や、郷土の作家三上於菟吉の事績の展示、地域のコミュニティについて展示紹介しています。
同時に、ハルイカイト全体のガイダンス的、導入的な部屋になれば、という企画のもと、どなたでも入りやすく、ふらっと立ち寄り、くつろげるように、椅子とテーブルが設置されています。部屋に入った正面にみえるのが、大きな画面のタッチパネルシステムです。
普段は神明貝塚の映像がエンドレス(ループ)で上映されていますが、タッチパネルに触ると、上のような画面に。
①ハルカイトを起点に周辺を散策いただき、歴史文化を感じていただけるスポットを紹介する「周辺散策」。
②二階の大凧文化展示室や歴史民俗展示室の展示概要を紹介する「施設紹介」。
③宝珠花周辺の動画や映像、古写真を閲覧できる「宝珠花アーカイブ」。
の3つのメニューを立てています。
③をタッチしてみると、
このようなメニューが出てきます。昭和27年に町が全戸移転した宝珠花村の記録映画をはじめ、国史跡の神明貝塚の動画、宝珠花小・富多小の古写真をご覧いただけます。
富多小学校の思い出をタッチすると、
こんな感じです。学校に遺されていた最古級の写真を中心に、懐かしい小学校の写真を詰め込んでみました。
古い写真は資料性が高いので、今後、このブログや他の方法でも公開していきたいと思います。
さて、メインメニューに戻ると、①「周辺散策」はこんな感じ。
大凧揚げを継承する地区としての西宝珠花を紹介する、「大凧の里を歩く」
西親野井に所在sる国史跡の神明貝塚を紹介する、「神明貝塚を歩く」
江戸川の河岸の町として繁栄した西宝珠花を紹介する、「宝珠花の町を歩く」
埼玉県・千葉県境を流れる江戸川の歴史文化を紹介する、「江戸川を歩く」
木崎地区出身の昭和の大衆作家三上於菟吉を紹介する、「三上於菟吉を歩く」
庄和地域の指定文化財を紹介する、「文化財をめぐる」
の6本立てとなっています。
それぞれのコンテンツは、写真と簡単な文章で様々なことを紹介しています。
例えば、三上於菟吉の概要は、下の通り、「三上於菟吉とは」というコンテンツにまとめられています。
こうした個別のページは全部で70余コンテンツ用意しました。古写真は宝珠花小で50点、富多小で50点となりますので、全部合わせると、約180のコンテンツがこのタッチパネルに入っているのです(重複するものもありますが)。
見どころがタッチパネルシステム、というのもなんだかなぁ、と思いますが、郷土資料館には備えられていない最新鋭の機械ですし、約180のコンテンツをつくった「中の人」も、さぞや大変だったことでしょう。
ぜひ、ハルカイトにお越しの際には、施設やその周辺の道先案内人としてタッチパネルシステムをつかってみてください。
武里西小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年11月5日(火)に武里西小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1~3組を2つに分け、常設展示室と企画展示室を見学しました。
常設展示室では竪穴建物の説明をうけ、約5000年前の縄文人の生活の様子を学びました。
模型の中央にある炉(ろ)は、電気のない時代の照明や、暖房、料理の役割を担っていました。火を使う道具なので、火災には注意を払っていたことでしょう。みんなも火の取り扱いには注意しましょうね!
企画展示室では約60年前の暮らしの道具について説明をうけました。
洗濯に使われていた“洗濯板”や、アイロンとして使用された“こて”など、電気がまだ普及しきっていなかった時代の家庭の道具がたくさん!
黒電話は使ったことがなくても、存在を知っている児童は多いようで「おぉ~レトロ~」との声が。私が小学生の頃はまだ「レトロ」という言葉に馴染みがありませんでしたが、昨今の昭和レトロブームなどが起きてからレトロという言葉が一般化してきたような気がします。それぞれ生きる時代によって、当たり前の言葉も変化していくのだなぁと感じました。
自由見学の時間には、展示を見学しながら、配布してあった「探検シート」で学びを深めたり、おもちゃコーナーで存分に遊んだりと、思い思いの時間を過ごしました。
見学時間が短めだったので、展示の説明も少し駆け足になってしましたが、充実した時間を過ごしてくれたようで何よりです!
今度はお友達や保護者の方と、たっぷり遊びに来てください!
【手作りおもちゃクラブ】11月の手作りおもちゃクラブは!
11月10日(日)と14日(木)(県民の日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
11月はなんと2days!
それぞれ違うおもちゃを作りますよ♪
11月10日(日)は「発泡スチロール飛行機」
手作りおもちゃクラブで作るのはまだ3度目という比較的新顔のおもちゃです。
動画を見ていただくとおわかりいただけるとおり、勢いよく飛んでいきます!
11月14日(木)(県民の日)は「からくり屛風」
こちらも動画をみていだだくとわかりやすいのですが、屏風をクルクルとまわすと、4面の色が現れるという不思議なからくりおもちゃです!
からくりがあるため作成に少し手間と時間が必要ですが、職員がお手伝いしますのでご安心ください♪
おもちゃの紹介はコチラ
手作りおもちゃクラブは申込不要、おもちゃの材料も資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年11月10日(日)・14日(木)
各日 午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(10日(日)発泡スチロール飛行機・14日(木)からくり屛風)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
#総選挙 「第一回むかしのどうぐ人気投票」投票用紙を覗く
「くらしのうつりかわり」展の企画「第一回むかしのどうぐ人気投票」。おかげさまで投票箱がいっぱいになってきましたので、いったん投票箱を整理し、中身を開けてみました。
投票用紙は100票以上。整理してみると、8歳、9歳の方の投票が多く、社会科見学で来館した小学校3年生が積極的に投票してくれているようです。
投票の対象はさまざま。理由は、家にあるから、見たことないから、古くてカッコいいからなどなど、本当に様々です。たとえば、武里小学校の遠足のしおりに投票してくれた子は、
今との違いが気になって、投票してくれたみたいです。
今年収集し、初出品した資料なので、票を得られてよかったです。
つづいて、毎年定番の資料「白黒テレビ」に投票してくれた子は、
「ザ・レトロ!だから」と理由に書いています。「ザ」が付く言葉は、「ザ・ベストテン」か「ザ・ウルトラマン」しか思い浮かびませんが、レトロのなかのレトロ、という意味でしょうか。
白黒テレビを使ったことのない世代にもかかわらず、「レトロである」と理由にしていることが、何とも趣があります。
また、絹綿に投票してくれた子は、
「もこもこふわふわそうだから」と書いてくれています。「もこもこ」「ふわふわ」がイイ、という感覚は、展示担当者はまったくありませんでした。資料をみるまなざしや感性は本当に様々で、大人では思いもよらない言語、表現に接することができ、展示担当者として大変刺激的です。
このほかにも一般の大人の方の投票も散見されます。
24歳の方は、手回し洗濯機に1票。形が面白い、と直感的に選んでくださいました。確かに面白い形で、インパクトがあります。定番の資料でもあり、かつ割とレアな資料でもあり、テレビの出演経験もあり、人気が高くなりそうです。
投票は、来館された方ならどなたでもOK。市内在住在勤を問わず、外国の方、赤ちゃんでも、何度投票しても構いません。結果により、展示資料の入れ替えも検討していく重要な選挙になりますので、ぜひご参加ください。
開票の集計は、後日行い、中間発表は12月17日を予定しています。
#体験 ! #春日部 #桐 のオリジナル #貯金箱づくり(11月16日開催。若干名定員あり)
毎秋、恒例の桐の貯金箱づくり。春日部は、桐箱・桐たんすをはじめ、江戸時代以来の桐細工が伝統的な手工芸として根付いています。この体験講座は、伝統に触れつつ、工作体験ができるとあって、大変人気です。
当館でも、材料をお譲りいただき、数か年計画で見本となる貯金箱を組み立ててみました。背板は当日、組合の方に切り抜いていただけます。白くて加工や着色がしやすい桐材なので、背板だけでなく、箱の本体にイラストを描いて着色したり、紙やシールを貼ると、好きなデザインのオリジナル貯金箱になります。見本は、資料館のオリジナルキャラクター「うめわかくん」(金の亡者バージョン)です。
今年は、すでに定員を超過していますが、春日部桐箱工業協同組合のご厚意により、定員を若干増やして開催いたします。定員はあと数人です。お子さんはもちろん、大人の方もぜひご参加ください。
日 時 令和6年11月16日(土)午後2時~4時
講 師 春日部桐箱工業協同組合の皆さん
定 員 20人
材料費 1人900円
申 込 郷土資料館に直接、電話(☎048-763-2455)、電子申請(こちらをクリック)で申込み
緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年10月30日(水)に緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1組と2組が同時に来館し、常設展示室と企画展示室に分かれて解説を受けました。
縄文時代の竪穴建物をみながら、当時の生活の様子を学びます。
縄文時代の人は、木の実やイノシシ、シカなどの動物、そして魚や貝も食べていました。
児童から「春日部に海ないよ?」という、いい疑問があったため、なぜ魚や貝がとれたのかをみんなで考えてみました!
実は約6000年前をピークとする縄文海進によって、春日部のあたりにも海が入り込んでいた、という事実を知って驚いたようです。
企画展示室では昔の家庭で使われていた道具の解説や、千歯扱き(せんばこき)で脱穀の体験をしました。
千歯扱きで稲から籾が“バラバラッ”と外れていくときには「うぉ~!」「スゲェ!」と言い反応♪
それに反して、外れた籾を我先にと触ろうとする子は少なく、行儀のよさも持ち合わせていました!
自由時間が少し短めになってしまったため、まだまだ遊びたそうな様子。
緑小から郷土資料館は遠い場所ではないので、ぜひまた遊びに来てください!
続・ #校歌 のはなし
実習生の調査から始まり、それがレファレンスを生み、さらに庄和市民大学の学習へと繋がった、校歌の話題。
先日、正善小学校の校歌をお披露目したところ、市民の方から、作詞者についてご教示をいただきました。
正善小学校の校歌の作詞者は、詩人の門倉詇(かどくら さとし)氏。戦後のうたごえ運動の定番曲「たんぽぽ」の作詞者であるそうです。
ご教示くださった市民の方は、「「たんぽぽ」は学生のときによく歌った歌の一つ」。まさか、「たんぽぽ」の作詞者が市内の小学校の校歌を作詞していたとは、と驚かれていました。
市内の学校の校歌で著名なところでは、春日部中学校校歌を下総皖一が、中野小学校校歌を古関裕而が作曲しています。下総は加須市出身の作曲家で、童謡「ゆうやけこやけ」などを作曲しています。古関も著名な作曲者で、高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」や阪神タイガースの球団歌「阪神タイガースの歌(通称:六甲おろし)」などを作曲し、NHKの朝ドラ「エール」の主人公のモデルとなった人物です。
古関裕而記念館によれば、古関のもとには全国の学校から校歌作曲の依頼がきていたそうです。事実、中野小学校をはじめ、全国の小学校・中学校などの校歌の作曲をしています。北海道のとある小学校では、校長が「小さな学校で予算もないが、古関先生に作曲してもらいたい」と手紙で依頼したところ、古関は「お礼はいらない」と返事をし、作曲をしたそうです。校歌の完成後、学校の生徒たちが一人一握りずつ持ち寄った小豆を古関にお礼として贈ったという逸話も残っています(古関裕而記念館HPより)。
中野小学校が小豆を贈ったのかどうかはわかりません。しかし、校歌制定にあたって、校長先生や学校関係者のみなさんが奔走・尽力されたことには違いないでしょう。
それぞれの業界で活躍する著名人が、なぜ春日部市内の学校の校歌を作詞・作曲することになったのか。残念ながら、校歌制定までの過程を追える資料が残っていないため、わからないのが現状です。
なお、古関裕而記念館によれば、市内の豊野小学校の校歌も古関裕而作曲とされていますが、手元の学校要覧によれば、同校の校歌の作曲は「豊野小学校職員」となっています。今後、検討が必要がかもしれません。
詳しい情報をご存じの方がおられましたら、教えてください。
富多神社で江戸川小中学校4年生による神楽の舞が披露されました!
10月15日㈫に、春日部市神間の富多神社の例祭が開催され、
江戸川小中学校の皆さんによる神楽の舞とお囃子が披露されました。
神楽を披露してくれたのは、江戸川小中学校の第4学年24名の生徒さんです。
総合的な学習の時間に榎囃子神楽連の皆さんより教えを受け
5月から練習を重ねて、初めて晴れ舞台を踏みました。
当日は、ひょっとこ、おかめ、大黒天の演目が披露されました。
囃子方も主に小学生で構成され、それぞれ大太鼓、小太鼓、鉦(かね)の演奏を担当しました。
大黒天は演目の中で、口上を述べるのが特徴で、声を揃えて元気よく発声されていました。口上には普段は使わない難しい用語も混じっていますが、みなさん直ぐに覚えられ、保存会のみなさんものみ込みの早さには驚いてました。
最後には、記念写真をパシャリ
境内も神楽を見に来た観客と保護者の皆さん、各神社の総代さんからも応援いただきました。
日々の練習の成果を発揮してくれた4年生の皆さんお疲れ様でした!