ほごログ(文化財課ブログ)

2017年5月の記事一覧

小渕山下北遺跡の漆椀『新編図録 春日部の歴史』からのご紹介-その11

小渕山下北(こぶちやましたきた)遺跡は、小渕地区の北部に位置する遺跡です。この遺跡の井戸跡から「二引両紋(にひきりょうもん)」と呼ばれる家紋が赤漆で描かれた漆椀(うるしわん)が発掘されています。
この二引両紋は室町幕府を開いた足利氏の一族である幸手城主の一色氏(いっしきし)の家紋です。中世の小渕地区は一色氏が支配していた幸手領であったことから、一色氏との関係が深い不動院や浄春院といった寺院がありました。

今は無き不動院は、その開基(かいき)の秀円(しゅうえん)が三河出身で一色氏と同郷であったこと、二代目住職の頼長(らいちょう)の妻が一色氏の一族であったことなど、一色氏との関係が特に深かったようです。
中世以降、
不動院は一色氏を通じて、古河公方や後北条氏と結びつき、関東の修験(しゅげん)を支配していきます。

「不動院と修験」『新編図録 春日部の歴史』 66ページ

小渕山下北遺跡出土遺物

出張・旅行 日光街道を歩くツアーをご案内しました

郷土資料館には、「日光街道を歩く」団体ツアーや個人の方がしばしばお見えになられます。
本日、日本橋~日光まで日光街道を歩くツアーのお客様が来館され、粕壁宿の町並み模型の展示解説をしました。

模型の解説
本日のお客様は、市外・県外の方で、一ノ割から東武動物公園までの道程にお立ち寄りくださいました。17日にわたって日光街道を完歩されるそうです。
模型の解説
展示室では、宿場の景観の特徴や、春日部(粕壁)の地名の秘密などお話しました。なかでも、地名の由来や明治33年(1900)に徳川慶喜が来訪したことについて、皆さんご関心をお持ちいただいたようです。
模型の解説
暑くなってきましたので、旅人の皆さん、道中お気をつけて。

最勝院前から見た粕壁の町並み『新編図録 春日部の歴史』から-その10

明治40年(1970)ごろの粕壁宿を撮影した写真の絵葉書を紹介します。最勝院のご住職が栃木県大田原(おおたわら)にあてたものです。同じ陸羽(りくう)街道の宿駅(しゅくえき)でも、大田原より粕壁の方が道幅が広いと記されています。
東武鉄道が明治32年に北千住-久喜間で開通したことにより、人々の陸路交通は大きく変化しました。江戸時代には本陣(ほんじん)、脇本陣(わきほんじん)と旅籠(はたご)45軒を有した粕壁宿の宿泊施設は、明治35年には旅館3軒まで減少しました。

「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』 160ページ

最勝院前から見た春日部の街並み

にっこり 粕壁南公民館にてペーパークラフトの粕壁宿を展示しました

本日より7月末まで、粕壁南公民館に、手づくりの粕壁宿模型を展示しています。
手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元した模型です。

模型
ペーパークラフトの模型
模型の詳しい解説については、「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。
粕壁南公民館の敷地内には、粕壁宿の歴史と深く関わる赤堀池の跡も残っています。お近くの方は、お立ち寄りいただき、赤堀池ともども、ぜひご覧ください。
今後、各地区公民館を巡回する予定ですので、お楽しみに。

赤堀池

下蛭田の獅子舞『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその9

下蛭田(しもひるた)地区の東光院と花積(はなづみ)の住吉神社で、かつて「下蛭田の獅子舞」が行われていました。

写真をみると、四方に4本柱と花笠をかぶる人が立ち、中央に土俵が作られ、土俵で3頭の獅子による獅子舞が舞われていたことがわかります。
演目は、「きりの舞」、「弓くぐり」、「女獅子隠し」、「お祓(はら)いの舞」が確認されています。またこの獅子舞には「唄い方(うたいかた)」とよばれる役の人がいて、この人たちが歌った歌詞が残っています。歌詞の中に「辻切り」のことを歌った詞があることから、村回りも行われていたようです。

東光院では5月2日、住吉神社では7月15日に舞われ、それぞれ春祈祷(はるきとう)、夏祈祷(なつきとう)と呼ばれていました。

『春日部市史』第5巻民俗編 1993 542ページ

「風流の芸能 獅子舞」『新編図録 春日部の歴史』 117ページ

下蛭田の獅子舞(昭和29年)