ほごログ(文化財保護課ブログ)

2020年4月の記事一覧

エア博物館 春日部市の埋蔵文化財発掘調査報告書

#エア博物館 #おうちで博物館

今回は、春日部市域の遺跡に関わる発掘調査報告書を紹介します。

日本では、年間8,000件近い遺跡の発掘調査が行われており、発掘調査を行うと調査報告書を刊行することが義務付けられています。発掘調査報告書は、国立奈良文化財研究所による「全国遺跡報告総覧」などでインターネット上に公開されているものもあります。

全国遺跡報告総覧(国立奈良文化財研究所サイト)

春日部市域の遺跡に関わる発掘調査報告書は、下記のようにこれまでに80冊以上が刊行されています。現在のところ、2018年に刊行した『埼玉県春日部市神明貝塚総括報告書』を、全国遺跡報告総覧でPDFファイルで公開しています。この他のものは、文化財保護課や市立図書館で閲覧できるほか、文化財保護課で販売しているものもあります。

発掘調査報告書に掲載することはおおよそ決められており、調査の経過や遺跡の立地、遺構・遺物の説明、また自然科学分析を実施した場合はその結果、さらに調査者の考察などが掲載されます。

発掘調査報告書は発掘調査された遺跡の第1次資料であり、「記録保存」 のための重要な刊行物です。決して読みやすい本ではありませんが、お時間があるときに、まずは神明貝塚の総括報告書からご覧いただければ幸いです。

 

●春日部市域に関わる発掘調査報告書(このリストは今後、随時更新します。)

<埼玉県遺跡調査会報告書>

1970      『花積貝塚発掘調査報告書』埼玉県遺跡調査会報告第15集

 

<埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書>

2002      『八木崎遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第281集

2014      『南台遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第414集

2016      『浅間下遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団第418集

 

<各遺跡調査会報告書>

1979      『風早遺跡』庄和町風早遺跡調査会

1984      『尾ヶ崎遺跡』庄和町尾ヶ崎遺跡調査会

1986      『陣屋遺跡-昭和57年度調査の記録-』庄和町陣屋遺跡調査会

1988      『浅間下遺跡第1地点・第2地点』庄和町浅間下遺跡調査会

1989      『貝の内遺跡』庄和町貝の内遺跡第2地点遺跡調査会

 

<(旧)春日部市埋蔵文化財調査報告書>

1987     『花積台耕地遺跡』春日部市埋蔵文化財調査報告書第1集

1988     『花積33・34・38号遺跡』春日部市埋蔵文化財調査報告書第2集

1989     『春日部市NO.31・39・44号遺跡』春日部市埋蔵文化財調査報告書第3集

1994     『花積台耕地遺跡3次、浜川戸遺跡12・13次』春日部市埋蔵文化財調査報告書第4集

1995     『浜川戸遺跡14・16次、花積内谷耕地遺跡3次、慈恩寺原西遺跡』春日部市埋蔵文化財調査報告書第5集

1997     『浜川戸遺跡18次、小渕山下遺跡、花積内谷耕地遺跡4次』春日部市埋蔵文化財調査報告書第6集

1998     『市内遺跡調査Ⅰ』春日部市埋蔵文化財調査報告書第7集

1999     『小渕山下北遺跡、八木崎遺跡2次、花積内谷耕地遺跡5次』春日部市埋蔵文化財調査報告書第8集

2000     『立山遺跡2次、浜川戸遺跡15、22、23次、小渕山下北遺跡3次、塚内15号墳』春日部市埋蔵文化財調査報告書第9集

2001     『花積内谷耕地遺跡6次、花積台耕地遺跡5次、谷向遺跡、塚内16号墳、塚内17号墳、小渕山下北遺跡4、5次』春日部市埋蔵文化財調査報告書第10集

2003     『浜川戸遺跡5、6、7、24、25、26次』春日部市埋蔵文化財調査報告書第11集

2003     『浜川戸遺跡8、10次、花積台耕地遺跡6次、慈恩寺原南遺跡、塚内18号墳』春日部市埋蔵文化財調査報告書第12集

2004     『八木崎遺跡3次、浜川戸遺跡27、28次、小渕山下北遺跡6次、慈恩寺原南遺跡2次』春日部市埋蔵文化財調査報告書第13集

2005     『浜川戸遺跡1、2、3、4次調査地点』春日部市埋蔵文化財調査報告書第14集

  

<庄和町文化財調査報告>

1965   『米島貝塚』庄和町文化財調査報告第1集

1970   『神明貝塚』庄和町文化財調査報告第2集

1978   『神明遺跡-範囲確認調査-』庄和町文化財調査報告第3集

1996   『香取廻遺跡-第1次・第3次・第4次の発掘調査の記録-』庄和町文化財調査報告第4集、(庄和町遺跡調査会報告書第4集)

2001   『宮前遺跡』庄和町文化財調査報告第6集

2002   『陣屋遺跡-第1・3・4・5・6・7次調査の記録-』庄和町文化財調査報告第7集、庄和町遺跡調査会報告書第10集 

2003   『須釜遺跡』庄和町文化財調査報告第9集

2004   『塚崎遺跡ー第1・2・3・4・5・6次調査の記録』庄和町文化財調査報告第11集

2004   『町道遺跡・町通中遺跡』庄和町文化財調査報告第13集

2005   『浅間下遺跡第3次・香取廻遺跡2.5次・愛宕遺跡第2次・原遺跡第2次・馬場遺跡』庄和町文化財調査報告第14集

2005   『権現山遺跡第1次調査』庄和町文化財調査報告第15集

 

<春日部市遺跡調査会報告書>

1989     『春日部市33号遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第1集

1994     『新寺遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第2集

1995     『新寺遺跡2次』春日部市遺跡調査会報告書第3集

1995     『坊荒句北(1,2次)、坊荒句、立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集

1998     『小渕山下北遺跡2次』春日部市遺跡調査会報告書第5集

1998     『竹之下遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第6集

1999     『浜川戸遺跡21次』春日部市遺跡調査会報告書第7集

1999     『花積台耕地遺跡2次』春日部市遺跡調査会報告書第8集

1999     『大道東遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第9集

1999     『花積台耕地遺跡4次』春日部市遺跡調査会報告書第10集

1999     『浜川戸遺跡11次』春日部市遺跡調査会報告書第11集

2001     『浜川戸遺跡17、19、20次』春日部市遺跡調査会報告書第12集

2004     『坊荒句遺跡2次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第13集

2004     『八木崎遺跡4次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第14集

2004     『小渕山下北遺跡7次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第15集

2005     『慈恩寺原南遺跡3次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第16集

2006     『慈恩寺原北遺跡2次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第17集

2006     『小渕山下遺跡2次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第18集

2006     『小渕山下遺跡3次調査地点』春日部市遺跡調査会報告書第19集

2010     『貝の内遺跡4次地点』春日部市遺跡調査会報告書第20集

2010     『貝の内遺跡12次地点』春日部市遺跡調査会報告書第21集

2011     『権現山遺跡2次地点』春日部市遺跡調査会報告書第22集

2011     『貝の内遺跡9次地点』春日部市遺跡調査会報告書第23集

 

<庄和町遺跡調査会報告書>

1989   『馬場遺跡』庄和町遺跡調査会報告書第1集

1993  『寺屋敷・須釜遺跡発掘調査報告書』庄和町遺跡調査会報告書第2集

1994  『西の宮遺跡』庄和町遺跡調査会報告書第3集

1997   『愛宕遺跡』庄和町遺跡調査会報告書第5集

1998   『新宿新田不動塚遺跡』庄和町遺跡調査会報告書第6集

1999   『吉岡遺跡』庄和町遺跡調査会報告書第7集

2000   『原遺跡第1次・風早遺跡第2次・馬場遺跡第3次』庄和町遺跡調査会報告書第8集

2002   『作之内馬場遺跡・作之内遺跡』庄和町遺跡調査会報告書第9集

2005   『風早遺跡第3次調査・馬場遺跡第4次調査』庄和町遺跡調査会報告書第11集

2005   『吉岡遺跡第2~5次』庄和町遺跡調査会報告書第12集

 

<(新)春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書>

2006     『花積台耕地遺跡7次地点、慈恩原南遺跡4.5次地点、貝の内遺跡11・19次地点、小渕山下北遺跡8次地点、浜川戸遺跡29次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第1集

2007     『塚内14号墳』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第2集

2007     『貝の内遺跡2.20.21.22.23.24次地点、小渕山下遺跡4次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第3集

2008     『神明貝塚4次地点、塚崎遺跡7.8次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第4集

2008     『小渕山下遺跡6次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第5集

2008     『犬塚遺跡6次地点、中野吉岡遺跡1.2次地点、小渕山下遺跡5次地点、小渕山下北遺跡9,10次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第6集

2008     『小渕山下北遺跡14次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第7集

2009     『犬塚遺跡4次地点、貝の内遺跡1.7.14.16次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第8集

2009     『貝の内遺跡26次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第9集

2010     『貝の内遺跡8.13.18次地点、陣屋遺跡8次地点、中屋舗遺跡1次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第10集

2011     『小渕山下北遺跡11、12、13次地点、浜川戸遺跡30次地点、貝の内遺跡25次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第11集

2011     『中屋舗遺跡2次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第12集

2012     『花積貝塚3次地点、米島西宮遺跡1次地点、米島塚山遺跡1次地点、馬場遺跡5次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第13集

2013     『小渕山下遺跡7.8次地点、小渕山下北遺跡15.16.17.18.19次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第14集

2014     『八木崎遺跡5次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第15集

2014     『貝の内遺跡17.27次地点、浜川戸遺跡31.32.33次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第16集

2015     『作之内遺跡3次地点、西ノ宮東遺跡1次地点』春日部市埋蔵文化財調査報告書第17集

2015     『浜川戸遺跡34次地点』春日部市埋蔵文化財調査報告書第18集

2016     『陣屋遺跡9次地点、八木崎遺跡6次地点、貝の内遺跡15次地点』春日部市埋蔵文化財調査報告書第19集

2018     『埼玉県春日部市神明貝塚総括報告書』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第20集

2019     『貝の内遺跡28次地点、馬場遺跡6次地点』春日部市埋蔵文化財発掘調査報告書第21集

2019  『権現山遺跡3次地点』春日部市埋蔵文化財調査報告書第22集

2020 『鷲前遺跡1次地点』春日部市埋蔵文化財調査報告書第23集 

文化財公開の中止のお知らせ

例年、春の風物詩にもなっている文化財の公開が、新型コロナウイルスのまん延防止の措置により、残念ながら中止となりますこと、お知らせいたします。

 ●国内唯一のフジ種目の国特別天然記念物であります『牛島のフジ』では、毎年、可憐で壮大な薄紫色のカーテンを楽しませていただいております。昨今の開花状況は例年とおり、順調な生育状況がみられます。今年は日々更新されています、藤花園のホームページで、是非、ご自宅で楽しんでください。 http://www.ushijimanofuji.co.jp/index.html

牛島のフジ 全景

 

 

 

 

 

 

また、4/14に当プログ上にアップしました、エア博物館「藤のまち春日部」展の紹介(その2)でも藤の歴史を取り上げていますので、ぜひ、のぞいてみてはいかがでしょうか。

●5月の連休、全国各地からの円空仏ファンで連日にぎわう、県指定有形文化財『小渕観音院円空仏群』の公開におきましても中止となりました。7躯が本堂に勢ぞろいする年1回の機会ではございますが、拝観される方々の感染防止のため、お許しください。こちらも小淵山観音院のホームページで芸術的な画像を楽しむことができます。 https://www.kannonin.com/  

円空仏祭

  今年は皆さんに公開できず、所有者の皆さまも落胆されております。穏やか・健やかな日常が回復されましたら、また来年の春の頃、公開をご案内いたします。

【教えます】休館中は何をしているんですか?

#春日部市郷土資料館 は4月4日から臨時休館ですが、休館中も開館を期して準備を進めています。今回は #休館中 の資料館の #裏側 をご紹介します。

広報誌などでお知らせしていたように、新年度4月から、「クレヨンしんちゃん」や市の花「藤」の展示などを予定していたところですが、コロナウイルスの感染拡大を防止するため休館となり、中止・延期となってしまいました。

例年、今の時期には春季・夏季の企画展示に向けた調査に専念しているところですが、現在コロナウイルスの感染の終息に見通しが立たないことから、対面での資料調査・聞き取り調査等も自粛せざるをえず、企画展示の準備もままならない状況にあります。

郷土資料館の展示室はそんなに広くないので、展示物もほどほどといったところですが、実は地下にある資料収蔵庫には、普段は展示しきれないほどの資料が眠っています。教育委員会の職員も意外と知りません。今年度、郷土資料館に異動してきた職員もその数の膨大さに驚いていました!

写真:収蔵庫の様子 

収蔵庫を覗くと、こんな感じです。資料の劣化を防ぐための中性紙の箱で保管している古文書や歴史資料のほか、昔の生活道具・用具など多種多様な資料が棚に並んでいます。上の写真は収まりのよい部分を撮影したものですが、収蔵庫内は溢れんばかりの資料で、もう大変なことになっています。

以上のような状況にありますので、現在郷土資料館では将来への準備として、普段はなかなか落ち着いてできない収蔵資料の整理を進めています。休館中、何をしているのか。その答えは、資料の整理です。

写真:資料整理の風景

資料の整理とは、資料の点検をはじめ、未整理資料の確認・整理、写真の撮影などなど。職員総出で日々格闘しています。

恥ずかしい話ですが、「こんなのあったのか!」とか「久しぶりにみた」とか、なかには「(他所からわざわざ借りてきたけど)ウチ(=当館)にもあったのか!」など、地味ですが、発見に次ぐ発見の毎日です。この発見をすぐにでも、皆さんに実物を通じてお伝えしたいところですが、来るべき時まで温めておきたいと思います。一部はこのブログで「エア博物館」として紹介していきます。

エア博物館 春日部の歴史と火山灰

(2021年7月14日、専門研究者の方からご指摘をいただき、2003年刊行の『新編 火山灰アトラスー日本列島とその周辺』に基いた年代等に修正し、修正箇所はアンダーラインで示しました。)

 

#エア博物館 #おうちでミュージアム ということで、今回は火山灰について考えます。 

関東近県の火山の中では、現在も草津白根山で警戒情報が出されています。

草津白根山(白根山(湯釜付近))の活動状況

草津白根山の平成30年1月の噴火では、春日部市に被害はありませんでしたが、噴火の規模や風向きによっては春日部市にも火山灰が降る可能性があります。

噴火が観測された時は火山灰に注意してください(春日部市公式サイト)

コロナウィルスの影響で外出する機会も少ないかと存じますが、噴火の情報を見聞きしたときは、まず建物内に移動してください。

さて、関東地方の歴史と火山をみてみると、古くは鹿児島県の姶良カルデラの26000~29000年前に噴出した姶良丹沢火山灰(姶良Tn:AT)から、伊豆、箱根方面の火山では西暦1707年の富士宝永火山灰(F-Ho)、群馬・栃木方面の火山では、西暦1783年の浅間A(天明)火山灰(As-A)と多くの火山灰の存在が確認されています。

下に、2003年に刊行された『新編 火山灰アトラス 日本列島とその周辺』という本から、関東地方の火山灰を引用しました。これらの火山灰はすべて春日部市域に降灰しているわけではありません。しかしながら、特に群馬・栃木方面の火山の噴火は、土砂が多く利根川に流れ、春日部市の古利根川や江戸川も河床があがるなどの被害がありました。

また、火山灰は、火口に近い地域の場合、土壌中に土層になって現れることもありますが、春日部市域では、土壌に含まれる火山ガラスなどの特徴と検出層位から、どの火山灰かを特定しています。市域では、姶良丹沢火山灰(AT)や立川ローム上部ガラス質(UG)と推定される火山ガラスが確認されています。 

  以下、火山灰名、火山灰の記号、年代の順に引用しました。年代が不明なものは空欄となっています。

<富士・箱根・北関東:F-HoからAT>
富士宝永 F-Ho 西暦1707年(宝永4年)
富士新期上部(群)F-HoとF-Zoの間には8-9層のsfa(スコリア降下火山灰)があり、富士東麓から横浜・川崎まで分布。泥炭地遺跡で古墳平安時代の指標になる。
富士砂沢 F-Zn 2500~2800年前
富士大室 F-Om 2500~2800年前
富士大沢 F-Os 2500~2800年前
天城カワゴ平 Kg 3126~3145年前
伊豆大室山 Om 5000年前
富士新期下部(群) Kgと富士黒土層の間には仙石sfaなど4層以上のsfaがある。縄文後期から前期末までの遺物包含層と関係
箱根中央火口丘新規(群) 完新世のテフラ(小型火砕流)はK-Ahの下位に1層(神山起源Hk-Km5、約7.5-8Ka)、上位に2層(二子山起源Hk-Ft、約5.5Kaと冠ヶ岳起源Hk-Kn、約3Ka、Kg直上)がある。Hk-Km5、Knはカルデラの外側にも分布(上記年代は暦年較正値)。
鬼界アカホヤ K-Ah 7300年前
立川ローム上部ガラス質 UG(年代不記載)
安房 AG 13000~14000?年前
富士相模野第1 F-SS1 24000~26000年前
箱根中央火口丘中期(群) 含雲母グリース状Gr以後10ka以前の主に神山起源のテフラ(小型火砕流)は6層ある。そのうちAT直上のHk-Km3(約25ka)、Gr直上のHk-Km1(<50Ka)が顕著。
姶良Tn AT 26000~29000年前


<浅間・榛名・赤城・日光・北関東:As-AからAT>
浅間A(天明)As-A 1783(天明3)
浅間B(天仁) As-B 1108(天仁1)
榛名二ッ岳伊香保 Hr-FP 6世紀中葉 古墳時代
榛名二ッ岳渋川 Hr-FA 6世紀初頭 古墳時代
浅間C As-C 4世紀中葉 弥生時代
浅間D As-D 4500~5500年前 縄文中期
鬼界アカホヤ K-Ah 7300年前
浅間小諸2 As-Km2 11000~14000年前
男体七本桜 Nt-S 14000~15000年前
男体今市 Nt-I 14000~15000年前
浅間小諸1 As-Km-1 15000~16000年前
浅間草津 As-K 15000~16500年前
浅間板鼻黄色 As-YP 15000~16500年前
浅間大窪沢2 As-Ok2
浅間大窪沢1 As-OK1
浅間白糸 As-Sr 15000~20000年前
浅間雲場 As-Kb
男体片岡・小川(群) Nt-Kt/Og
浅間板鼻褐色(群) As-BP 20000~25000年前
那須黒森(群)Nas-Kr AT以上に2層、AT~DKP(大山倉吉)に2層、DKP直下に1層。どれも小規模なsfa、afa(降下火山灰)、pfi(小型火砕流堆積物)を伴う場合あり。
姶良Tn  AT  26000~29000年前

参考文献:町田洋・新井房夫 2003『新編 火山灰アトラス-日本列島とその周辺』財団法人東京大学出版会

エア博物館「藤のまち春日部」展の紹介(その2)

中止となった「藤のまち春日部 The wisteria in Kasukabe」展について、前回に引き続き #エア博物館 #おうちでミュージアム として紹介します。牛島のフジ(国特別天然記念物)は、明治時代半ば以降、東京近郊の名所として急速に認知されるようになっていきました。

 

今回紹介する資料は、「牛島のフジ」の手描き彩色写真絵葉書です。

 画像:彩色写真絵葉書

絵葉書には「粕壁の藤花」「M44」と記されています。「M44」は明治44年(1911)と考えられます。明治時代後期の文献では、「牛島の藤」と現地の「牛島」を冠して紹介されるものは少なく、「粕壁の藤」と紹介されるものが多くみられます。ですから、絵葉書の「粕壁の藤花」とは牛島のフジを撮影したものと考えられます。

 

明治初めの記録には「都下ニ遠キヲ以テ知ルモノ稀ナリ」、つまり、東京から遠いため牛島のフジを知る者はあまりいない、と評されています(「大日本国誌」)。牛島のフジが「粕壁の藤」として広く知られるようになるのは、春日部に鉄道が開設されて以降のことのようで、その嚆矢は、明治26年(1893)に千住と粕壁を結ぶ千住馬車鉄道の開通に求められます。

 

明治28年(1895)5月10日には、幸堂得知が、友人の俳人稲見悟友とともに千住茶釜橋より鉄道馬車に乗り、「粕壁の藤花」を観覧した紀行文を新聞紙上に掲載しています(朝日新聞・明治28年5月16・19・22日号)。幸堂の紀行文は、千住馬車鉄道の利用実態を具体的に記したものとしても貴重で、越ケ谷から乗車してきた旅籠屋の女性2名も藤を見に行くといい、「大門」(東八幡神社の参道の入口付近)で下車して、古利根川の橋(八幡橋か)では橋銭を徴収されたことなどが記録されています。同行した稲見悟友は、牛島の園内で「乗出して馬車の早さに引かへて めつそう長き牛じまの藤」と短歌を詠みました。この歌は早い(短い)馬車と花房の長い牛島の藤を対比した歌であり、馬車鉄道は、千住―粕壁間を片道3時間半で運行しましたが、当時の人たちにとって、東京郊外に早くアクセスできる手段だったことがわかります。

 

幸堂らと同様に馬車鉄道を利用して牛島のフジを訪れた著名人に大和田建樹(1857~1910)がいます。大和田は詩人で、「♪汽笛一声新橋を~」の鉄道唱歌の作詞家として知られています。大和田が牛島のフジを訪れた日時は明らかでありませんが、彼の著書『雪月花』(明治30年刊)のなかで、「粕壁の藤」に馬車で訪れ、藤花を「氷柱の如き滝波の如く」と描写しています。また、「客は花を二房三房づゝ請ひ取りて。傘を挿しなどしつゝゆく。さながら藤娘のさまよなど笑ふもあり。」と記しています。現在は国の特別天然記念物に指定され、保存すべき樹木とされていますので、何人たりとも花房を痛めることは許されませんが、当時、訪れた客は、花房を取り、あるいは和傘をさし、藤花の下をくぐりながら観藤する情景がうかがえます。なお、大和田の『雪月花』は国立国会図書館のデジタルコレクションでご覧になれます(粕壁の藤は76コマ~)。

 

明治44年の彩色写真絵葉書にも、池の向こう岸に和傘をさす和装の女性が写っており、大和田の描写を借りれば「さながら藤娘」のようです。

ちなみに、この絵葉書は職員がインターネットオークションで購入したものです。インターネットオークションで「粕壁」と検索すると、牛島のフジの絵葉書がたくさんヒットします。こうした絵葉書が土産物として広まり、さらに多くの人々に「粕壁の藤」は知られるようになっていったのでしょう。展示会では、いくつかの絵葉書を陳列していました。皆さんにご覧いただけず、無念です。

 写真:資料陳列状況

千住馬車鉄道の廃止後、明治32年(1899)東武鉄道が開通すると、「粕壁の藤」はさらに多くの人々に知られるようになっていきますが、その話は、次回の#エア博物館で。

 

なお、今年度の牛島のフジの観覧は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、休園となりました。歴史ある牛島のフジは来年度までお預けとなってしまいましたが、藤花の様子は牛島のフジを管理されている藤花園さんのホームページで紹介されるようです。