ほごログ(文化財課ブログ)

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小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

小渕河畔砂丘(こぶちかはんさきゅう)は、小渕の古利根川沿いに形成された砂丘です。古代から中世の時期、利根川本流を流れてきた砂が河原にたまり、北西からの強い季節風によって巻き上げられ形成されたと考えられています。
須恵器大甕(すえきおおがめ)は、昭和31年(1956)に小渕河畔砂丘の下部から発見されました。口の直径33.8㎝、高さ54.6㎝、底の直径20.5㎝の大きなもので、ほぼ欠けることなく発掘されました。須恵器に使われた粘土の特徴から群馬県方面の窯で作られた製品と推定されています。
砂丘下部から出土していることから、河畔砂丘の形成時期を考える上で重要な資料です。
小渕河畔砂丘出土須恵器大甕

小渕河畔砂丘出土須恵器大甕

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、小渕河畔砂丘出土須恵器大甕などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

かすかべの牡丹と成金鈴久

春日部市郷土資料館にて、令和元年7月23日(火)から開催予定の「元祖!成金鈴木久五郎」展の準備を進めています。今回は展示資料を少しご紹介します。

春日部は古くから「藤のかすかべ」と称されてきたように、国特別天然記念物の「牛島の藤」を筆頭として、藤の花は市のシンボルとして現在も親しまれています。今回は「藤だけじゃなかった!」というお話です。

「粕壁の牡丹」といっても、今は知る方もほとんどいないのかもしれませんが、戦前には東京近郊の名所として知られていました。
はじめに、市域で牡丹が有名になったのは、備後村の医師石井家です。石井家は牡丹栽培で著名な人で、明治14・15年に牡丹の接木技法を発明したといい、同家の庭園では、接ぎ分けを望む人が近隣や東京からも訪れたといいます。
この牡丹を株分けしたのが、幸松村の鈴木兵右衛門(久五郎の実兄)です。邸宅に造られた牡丹園は政治家を招く社交の場として利用されました。五月からその末にかけては、毎日のように、粕壁の町に用はなくても、牡丹園があるがために東京から「政客」がやってきたそうです。警察の定員が増え、町にいいお茶ができたのも、鈴木邸の牡丹園のおかげだといわれました。鈴木邸は粕壁町の近在であったため、「粕壁の牡丹園」と呼ばれました。
しかし、鈴木銀行が破たんに追い込まれ、大正7年(1918)に屋敷・牡丹園は売却されると、粕壁の古刹最勝院に牡丹が株分けされ、境内に牡丹園が開園しました。
最勝院の牡丹園は、一般の客でも自由に出入りができたようで、「粕壁町春日部牡丹園」と呼ばれます。最勝院の牡丹園は古い写真絵葉書があり、当時の様子がうかがえます。

写真:粕壁の牡丹園
絵葉書の裏面には「大正七年五月」とメモ書があり、牛島の藤とセットで巡った方の持ち物だったようです。
その後の牡丹園の足跡はよくわかりません。しかし、かすかべの観光名所には藤だけでなく牡丹があり、そして牡丹には成金鈴久の生家鈴木家が深くかかわっていたこと、牡丹の栽培名人が武里にいたことも「粕壁の牡丹園」の成立の背景にあったことが、鈴木久五郎を調べるなかで明らかになってきました。

そんな、鈴木久五郎について紹介する、展示会は、令和元年7月23日(火)~9月8日(日)まで。乞うご期待。

塚内4号墳出土遺物ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

内牧の小字「塚内」には、19基の古墳からなる古墳群があり、内牧塚内古墳群と呼んでいます。春日部市指定文化財「塚内4号墳出土遺物」は、昭和52年(1977)に行なわれた内牧塚内4号墳の墳丘部分の発掘調査で出土したもので、鉄刀、鉄鏃、ガラス小玉、須恵器壺、人物埴輪、円筒埴輪、朝顔形埴輪からなります。
鉄刀は3振りが出土し、それぞれ全長が32.5㎝、100.3㎝、95.6㎝の長さです。埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した有名な「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」は、諸刃(もろは)の「剣」ですが、塚内4号墳のものは片刃の「刀」です。また長いものは、平安時代ごろ登場する反りがある「日本刀」ではなく、反りがない直刀(ちょくとう)です。
いずれも木の残存物が付着しているので、副葬された当時は、木製の柄(つか)が付けられ、木製の鞘(さや)におさめられていたものと考えられます。

4号墳出土直刀
塚内4号墳出土の刀

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、塚内古墳群などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」

 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

米島貝塚出土黒浜式土器ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

米島貝塚(こめじまかいづか)は、市域東部の米島地区、下総(しもうさ)台地上に立地します。
昭和36年(1961)に、住宅地造成に先立って行われた発掘調査では、12軒の竪穴住居跡が発見され、住居跡が埋まっていく際に、貝が捨てられたことにより、貝塚をともなっているものもありました。
これらの住居跡からは、蓮田市の黒浜貝塚出土土器をもとに設定された黒浜式土器と同型式の土器が多く出土しました。米島貝塚では、黒浜式土器の中でも、古い要素をもつ一群と新しい要素をもつ一群が出土していたことから、報告書では、黒浜式土器の時間的な移り変わりが研究され、学史に貢献しています。

米島貝塚昭和36年調査風景
昭和36年発掘調査の状況

10号住居跡の貝層
米島貝塚10号住居跡の貝層

米島貝塚出土黒浜式土器
米島貝塚出土黒浜式土器

展示解説講座「春日部と円空」を開催しました

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

6月23日(日)、展示解説講座「春日部と円空」を開催しました。
現在開催している第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」では、郷土資料館でお預かりしている円空仏3体を展示しています。

講座では、円空仏の中でもその大きさと完成度の高さで知られる小淵山観音院の円空仏や円空の生涯、修験寺院と円空のかかわりなどについて解説しました。
市内の方だけではなく、市外からも大変多くの方にご参加いただき、円空の人気を再確認いたしました。

講座の様子

「やったり踊り」の練習が進んでいます

 6月21日(土)、梅雨半ばの不安定な天候の中、武里地区の大畑会館では児童生徒の高らかな「ヤッタリナー、ヤッタリナー」の掛け声が響きわたっていました。
 7月13日(土)午後8時から大畑香取神社で例祭が開催される、埼玉県指定無形民俗文化財『やったり踊り』の練習です。今期5回目の小若の練習が行われ、取材に伺ってきました。

大太鼓と笛を先頭に大畑香取神社へ向かう『練り込み』

扇子を携え躍動感のある『扇子踊り』
手踊り
哀愁をおびた念仏調のお囃子で舞われる『手踊り』
 この日は小学生1年生から中学生1年生までの約30名が保存会の若衆方の指導のもと、元気な掛け声と躍動感のある舞をめざし、大粒の汗を流しつつ一生懸命に取り組みました
また、『大畑いきいきクラブ』の大先輩の見学もあり、陣中見舞のお菓子の差し入れには大きな歓声があがりました。
練習は毎週土日に行われ、祭礼当日には江戸時代から引き継がれる伝統の舞が披露されるよう、期待しています!!

展示解説講座「春日部の弥生時代ー須釜遺跡」を開催しました

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

6月16日(日)、展示解説講座「春日部の弥生時代ー須釜遺跡」を開催しました。
春日部市内の弥生時代の遺跡は現在のところ、北部の倉常(くらつね)地区にある須釜(すがま)遺跡のみです。「再葬墓(さいそうぼ)」と呼ばれるお墓のあとが発見され、約30個体の完全な形に近い弥生土器が出土しています。また土器に稲もみが付着していた痕(あと)が残されていて、春日部の地でも弥生時代に稲作が伝わっていたことがわかります。

なぜ、春日部の地に墓を営んだのかなどまだわからないことが多く、疑問は尽きませんが、皆さんに熱心に聴講いただきました。

6月16日展示解説講座

6月23日(日)には、円空仏(えんくうぶつ)について展示解説講座を行います。ご興味がある方はぜひご参加ください。

展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 講師:当館館長
 定員:50名
 費用:無料
郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

【未来の先生たち】文教大の皆さんが見学にきました

6月14日(金)文教大学教育学部の学生さんたちが、見学にきました。
学生の皆さんは現在3年生で社会科の教員を目指しているそうです。地域教材の発掘や活用法の習得のため、ゼミでご来館され、先生のご指導のもと、常設展示室の展示資料を解説し合いながら、展示を見学していました。
快く顔出しOKで、解説中の模様を撮影させていただきました。
写真:文京大の皆さん
学生のうちも、学校の先生になっても、またのご利用をお待ちしております!

音楽 市民の皆さんと古文書を読んでいます。

令和元年6月9日(日)春日部市郷土資料館で古文書勉強会を実施しました。
この会では、市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(当館所蔵)を解読しています。
今回も前回に引き続いて、寛政7年「御鹿狩ニ付御触書之写」を文字と意味を確認しながら読んでいます。今回担当だった皆さんはこの会が立ち上がった時から参加されているベテランの方々でスムーズに読み進めることができました。内容としては、触書写のパートが終わり、日記形式の記事に入っていきました。「右之通りニ御座候」の解釈をめぐって、激論が交わされました。
あと、1・2回ですべて読み終える予定です。
写真:勉強会の様子
次回は7月13日(土)14時~となります。
ご興味ある方のご参加もお待ちしています。

臨時休館のお知らせ

6月15日(土)は施設点検のため、春日部市郷土資料館は休館いたします。なお6月15日(土)が雨天の場合、6月22日(土)も休館いたします。誠に申し訳ございません。

円空仏群ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

円空仏は、江戸時代の修験僧(しゅげんそう)、円空によって作られた仏像、神像です。春日部市内では、円空仏が22体確認されています。これらは、円空が日光道中や日光御成道(にっこうおなりみち)を使って旅をした際に、彫ったものといわれています。

今回の企画展示では、かつて寺院だったお宅に伝わった迦楼羅(かるら)像と護法神(ごほうじん)像2体の計3体を展示しています。

「護法神」は仏法を護(まも)る神という意味で、梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)、四天王、十二神将、十六善神、二十八部衆などを総称したものです。「護法神像」は、円空の作品に多く、さまざまな姿で登場します。
「迦楼羅」は、インド神話に登場するガルダをもとにしたといわれる鳥の姿をした仏教の守護神です。「護法神」とされる二十八部衆にも加えられています。口から炎を吐き、龍を食べる大きな鳥で、迦楼羅が変化して天狗になったという説もあります。

また、迦楼羅像と25.7㎝の護法神像には、背面に墨書があります。特に護法神像の墨書は、「護世童子(ごせどうじ)」と肉眼でも読み取ることができます。円空の像には、背面などに円空が書いた墨書を残すものが多くあります。

迦楼羅像迦楼羅像16.1㎝


御法神像護法神像25.7cm

御法神像護法神像14.5cm

円空仏について6月23日(日)に展示解説講座を行います。ご興味がある方はぜひご参加ください。

展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 講師:当館館長
 定員:50名
 費用:無料
郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

【情報求む】元祖成金鈴木久五郎をご存じ?

鈴木久五郎(きゅうごろう)は、春日部の八丁目出身の実業家で、明治時代「成金」として名をはせた人物です。今夏、春日部市郷土資料館では、鈴木久五郎(通称:鈴久)の半生を紹介する展示会を企画しています。鈴久の事、知らなかった方は、顔と名前だけでも覚えていってください。ご存じの方は、情報を求めています。種々ご教示いただけると幸いです。
明治41年鈴木久五郎(大磯町郷土資料館所蔵)
今回は、展示会でも出品される久五郎の貴重な肖像写真(大磯町郷土資料館所蔵)と、その事績を紹介します。
鈴木久五郎については、『埼玉人物事典』(埼玉県、平成10年)に次のように紹介されています。
明治10年生。昭和18年8月16日没。
株仲買商・衆議院議員。獅子文六『大番』のモデル。八丁目村(春日部市)生まれ。酒造業6代目鈴木兵右衛門の2男。5代目兵右衛門の弟中村清蔵の許で築地商業学校を卒業。兄の7代目兵右衛門が家を継いで明治30年(1897)越ケ谷町(越谷市)に鈴木銀行を設立、同36年久五郎は同銀行草加支店長となった。日露戦争中の37年、株の売買を始めて大儲けをし、成金王の一人となった。中でも、鐘紡の株をめぐる中国人との勝負は、取引所始まって以来のすさまじさといわれた。この年東京小網町(東京都中央区)に同行東京支店が開設されたが、翌38年日比谷焼打ち事件で株式は暴落したため、東京支店の預金を使い、取付け騒ぎが起こった。その後株価は上昇し、39年兜町に株仲買店丸吉を開業、滝沢吉三郎を店主に置き、株式界に本格的に乗り出した。東京鉄道の株を買い占めた後、株式取引所株を買い占めるため、「丙午会」を組織し、増資に成功した。次いで日本精糖株を買い占め、会社役員を辞任に追い込み、監査役に就任、大日本精糖と社名を改称した。このほか、豊鉱石油、日本坩堝各取締役を兼ねた。しかし、40年の日露戦争後反動恐慌によって株式は大暴落し、没落に追い込まれた。41年群馬県高崎市選挙区から中央倶楽部に所属して、衆議院議員に当選、1期務めた。中国の孫文を始め、大隈重信・犬養毅・桂太郎等政界にも交友関係があった。当時の日本を代表する「相場師」の一人である。享年67歳。(参考文献:『一代記鈴木久五郎』

以上の事典の記事は、鈴久の本格的な調査研究はないにもかかわらず、ここまで端的に彼の半生を書いているのは素晴らしいです。しかし、今回展示会開催のための調査を進めていくと、いくつかの新たな事実を確認することができました。今後も、鋭意調査を進めて、展示内容を充実させていきます。

展示会は令和元年7月23日(火)~9月8日(日)を予定しています。乞うご期待。

須釜遺跡再葬墓出土遺物一括-指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

今回は埼玉県指定有形文化財「須釜遺跡再葬墓出土遺物一括」をご紹介します。
須釜遺跡再葬墓出土土器
須釜遺跡再葬墓出土の土器

須釜遺跡は市内北部の倉常に位置します。
「再葬墓」とは、縄文時代の終わりごろから弥生時代の中頃にかけて関東地方から東北地方において広まったお墓の形です。人が亡くなった際、一度、遺体をそのまま土に埋めたりして葬(ほうむ)りますが、一定の時間がたったのち、その遺体を掘り出して、さらに骨だけにし、再び葬るものです。「再び葬る」ことから「再葬墓」と呼ばれています。

今回の展示では、3号再葬墓(A・B)から出土している土器4点、さらに常設展示に、1号再葬墓出土土器を展示しております。
須釜遺跡の弥生土器のうち、特に壺形土器の文様は、縄で付けた縄文や棒状の工具を引いてつけた沈線(ちんせん)と呼ばれる線、棒状の工具で突き刺すようにつけた刺突(しとつ)と呼ばれる穴などの文様要素から構成されます。
特に「刺突」は、つけられる土器とつけられない土器が遺構ごとにはっきりと分かれて出土しています。展示したものでは、1号再葬墓と3号再葬墓Aのものは刺突されますが、3号再葬墓Bのものは刺突されません。

須釜遺跡について、6月16日(日)に展示解説講座を行います。ご興味がある方はぜひご参加ください。

展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
 日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 講師:当館学芸員
 定員:50名
 費用:無料
郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

企画展示記念講演会のお知らせ

現在開催している第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」の記念講演会を開催します。
今回は、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きして、市内の史跡・考古資料の指定文化財についてお話しいただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

そのほか、当館職員による下記の講座も、参加者を受け付けております。いずれも郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
 日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 定員:50名
 費用:無料
 県指定文化財が出土した須釜遺跡と弥生時代について解説します。

展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 場所:教育センター
 定員:50名
 費用:無料
 市域に多く伝来する円空仏について解説します。

ギャラリートーク・古文書勉強会などなど

令和元年5月25日(土)は、いろいろイベントがありました。

【その1】ギャラリートークを開催しました。
第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」について、担当の学芸員が資料を解説しました。小学校2年生の男の子も参加して、興味深そうに資料を見つめていました。次回のギャラリートークは、6月9日(日)、7月7日(日)です。ぜひともご参加ください。
写真:ギャラリートークの様子

【その2】古文書勉強会
引き続き、「寛政七年御鹿狩ニ付御触書之写」(神間村文書№344)を講読しています。
まだ、読了しないので成果は後日。本日も新たに参加される方が2名加わりました。出席者は18名でした。とくに「竹貝」や「悉」の読み方で、皆さん議論を交わし、史料の内容について理解を深めるひと時になりました。次回は6月9日(日)14時~です。
写真:古文書勉強会

【その3】団体見学
旅行会社の「日光街道をめぐる」ツアーの団体のお客さんのほか、日本工業大学のゼミナールの学生さんが粕壁の町並みの景観について研究するため来館されました。
写真:日本工業大学の皆さん

春日部の旧石器時代―指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

今回は、企画展示で展示中の春日部市指定文化財、「坊荒句(ぼうあらく)遺跡出土旧石器時代旧石器時代石器群」、「慈恩寺原北(じおんじばらきた)遺跡出土旧石器時代石器群」、「風早(かざはや)遺跡出土旧石器時代局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)」を中心に、春日部市域の旧石器時代をご紹介します。
風早遺跡の局部磨製石斧
風早遺跡の局部磨製石斧

これらの石器が使われた約3万年前、地球は最終氷期にあたり、現在よりも気温が6~7℃低く、海水面も80mほど低かったと考えられています。北海道はサハリンを通じてユーラシア大陸とつながっていました。

春日部市域では、展示されている3遺跡とともに、10遺跡から旧石器時代の石器が発見されています。いずれも関東ローム層と呼ばれる土の中から石器のみが出土しています。
さらに、約2万8000年前に噴火した鹿児島県の姶良(あいら)カルデラの火山灰は広域に飛散し、この火山灰の堆積層(AT層)を境に、旧石器時代の新旧が分けられています。
坊荒句遺跡出土の旧石器
坊荒句遺跡の旧石器

展示されている春日部市域の石器群は、AT層よりも下層から出土したもので、約3万年前のものと考えられています。またAT層よりも上層からは、ナイフ形石器や細石器と呼ばれる石器が出土しています。

石器に使われる石材は、黒曜石やチャート、珪質頁岩など様々です。慈恩寺原北遺跡では、玉髄やガラス質黒色安山岩など実に6種類の石材が使われています。
石材の中で特に黒曜石は、産地の研究が進んでおり、春日部市域の遺跡で発見された石器には、栃木県の高原山や長野県の和田峠、伊豆諸島の神津島などの石が使われていることが判明しています。
慈恩寺原北遺跡の旧石器
慈恩寺原北遺跡の旧石器


風早遺跡の局部磨製石斧『新編図録春日部の歴史』からのご紹介53

ベールに包まれたこれ。何でしょうか。

企画展示「指定文化財でめぐる春日部」展、絶賛開催中です。
今日は、資料を展示するまでの裏側を少しだけ紹介します。
次の写真、何だかわかりますか?
写真:梱包された資料
今回展示した資料は、いずれも普段は、収蔵庫で大切に保管されています。移動時には、前の写真のような感じで、薄様紙(うすばがみ・うすようし)や綿布団(わたぶとん)をつかって、移動中の衝撃などで資料に傷がつかないように、また光・ホコリなどで劣化したり、汚れないよう、梱包します。また、虫やカビから資料を守るために、密閉性が高く、適切な温湿度管理がされた収蔵庫で保管しています。

上の白い物体。展示の準備の最後の最後に、荷解きをし、設置しました。以下、その模様です。
写真:荷解きの様子1
梱包は、ただ薄葉紙やクッションの役割を果たす綿布団で単純にくるんでいるのではなく、デリケートな部位は丁寧にケアしながら、何重のも薄葉紙で包まれています。
写真:荷解きの様子2
荷解きをして、徐々に資料の姿があらわになります。

白い物体の正体は、江戸川の開削や庄内領の新田開発で功績をあげた、小島庄右衛門さんの座像でした(「小島庄右衛門坐像」小流寺寄託)。第49回「江戸川!」展のとき以来、展示させていただき、お預かりしてから、実に約4年ぶりの公開です。
写真:設置の様子
この「小島庄右衛門坐像」は、実は指定文化財ではありません。市指定文化財「小流寺縁起」の関連資料として参考展示させていただきました。「小島庄右衛門坐像」も「小流寺縁起」も、著名な資料で、県立歴史と民俗の博物館をはじめ、各地の博物館にはレプリカが展示されています。江戸時代の人物の肖像を木像にしたものとして貴重ですし、「江戸川を造った男」=郷土の偉人ですから、春日部にとってはなお貴重です。行政による文化財指定を受けていなくても、一つ一つの文化財はかけがえのないものなのです。
話が少しそれていますが。ぜひ、普段は収蔵庫で控えている”本物”の資料を間近にご覧いただければ幸いです。

企画展示「指定文化財でめぐる春日部」展は、郷土資料館の収蔵(寄託も含む)する指定文化財などの貴重な資料を一同に公開しています。会期は7月7日(日)までです。お見逃しなく。関連イベントもあります。

神明貝塚巡回展 絶賛開催中!

巡回展「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」が中央公民館にて絶賛開催中です。

市役所庄和支所から始まり、正風館(庄和地区公民館)と巡回し、今回はじめて庄和地域を離れ、春日部地域へとやってきました。

神明貝塚は西親野井(にしおやのい)に営まれた縄文時代のムラで、春日部市内でも北東部に位置しています。春日部地域の方にとってはあまり馴染みのない地域かもしれませんが、今回の巡回展を通じて、市内に縄文時代を代表するような貝塚が存在することをお伝えできればと思います。ミニ展示ですが、縄文のムラを復元したジオラマが見どころです。
公民館にお立ちよりの際には是非ともご覧になってみてはいかがでしょうか。

巡回展の様子

期間:令和元年5月11日(土)~6月30日(日)
場所:中央公民館(粕壁6918-1) 1階ロビー



古文書勉強会の模様

平成31年4月27日(土)、郷土資料館古文書勉強会を開催しました。
今回も新たに参加される方が加わり、17名の参加がありました。

写真:勉強会の様子
今回は、前回に引き続いて、神間村伝来の寛政7年「御鹿狩ニ付御触書之写」を講読しています。一字一句丁寧に文字と意味を確認しながら、読んでいますので、まだまだ読み終えません。読んだ成果はまとめてご披露したいと思います。

次回は5月25日(土)14時~となります。ご興味のあるかたのご参加もお待ちしています。

企画展準備中。関連イベントも

令和元年5月18日(土)~7月7日(日)まで開催する企画展「指定文化財でめぐる春日部」展は目下準備中。写真は県指定文化財の土器の展示を準備している模様です。
写真:展示作業中

さて、今回は、盛りだくさんの関連イベントをご紹介します。

①記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きして、市内の史跡・考古資料の指定文化財についてお話しいただきます。要申し込み。

②展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
 日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
 展示担当の当館学芸員による解説講座。県指定文化財が出土した須釜遺跡と弥生時代について解説します。要申し込み。

③展示解説講座(その2)「春日部と円空」
 日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
 当館館長による解説講座。市域に多く伝来する円空仏について解説します。要申し込み。

④ギャラリートーク
 日時:令和元年5月25日(土)、6月9日(日)、7月7日(日)
    各日2回(10時30分~、15時~ 各回30分程度)
 展示担当学芸員が展示を解説します。時間までに展示室お集まりください。申し込み不要です。

いずれも会場は春日部市教育センター(郷土資料館)、費用は無料です。ぜひご参加ください。

60回目の企画展示!

次の展示は記念すべき60回目の企画展示。円空仏や小流寺縁起など普段は見られない貴重な指定文化財が並びます!ポスターが完成しましたので、お披露目します。
画像:展示ポスター
展示会名:企画展示(第60回)収蔵品展16「指定文化財でめぐる春日部」
展示会期:令和元年5月18日(土)~7月7日(日) 月曜日休館
     午前9時~午後4時45分まで
展示会場:春日部市郷土資料館企画展示室

会期中は、講演会・講座・ギャラリートークなど関連イベントも満載です!追ってお知らせしますので、お見逃しなく!

ミニ展示は4月28日(日)まで

平成最後の企画展示「幕末・明治維新と春日部」の最後の告知です。
最後の告知では、平成最後、令和の改元にふさわしい(?)資料を紹介します。

今回紹介するのは、明治の恩赦に関する資料です。
この資料によれば、某村の音五郎は、慶応3年(1867)幕府役人に博打に携わったとして捕えられ、八丈島に遠島を命じられましたが、「朝廷御元服御大礼」が執り行われたことにより、罪を赦されることになり、市内の某村に身柄が引き渡された、というものです。「朝廷御元服御大礼」とは、明治天皇の元服、即位の礼を指しています。

現代では、10月の新天皇即位をうけ、今秋に軽微な犯罪の刑罰を消失もしくは減刑させる「恩赦」の実施が検討されているそうです。
改元や新天皇の即位は、今も昔も時代の節目を象徴する出来事として、人々に受け入れられているのかもしれません。
「恩赦」の資料の展示は、平成31年4月28日(日)まで。
郷土資料館は4月29日(月)~5月6日(月)が休館日になりますので、ご注意ください。

写真:展示風景(古文書ばかり並んでいます)

勝海舟と春日部

今回は、4月28日(日)まで開催中のミニ展示「幕末・明治維新と春日部」のなかから、幕末明治の有名人勝海舟と春日部の接点を紹介します。

勝海舟は、幕臣・政治家として、とくに西郷隆盛と交渉した江戸無血開城で著名な人物ですが、実は春日部ともつながりがあります。
春日部マニアの方ならご存じかもしれませんが、大場香取神社には、勝の直筆の幟(のぼり)と額が奉納されています。
ミニ企画展示では、新たに発見された、大場村の人々が勝海舟に揮毫(きごう・文字や絵を書くこと)を依頼した経緯に関する記録を展示しています。
この記録によると、明治27年(1893)3月7日に大場村の人々は、勝海舟に村の鎮守香取神社の幟の揮毫を依頼したところ、面会を断られました。面会はダメだが、「揮毫ハ許容アリタリ」(揮毫の脈はありそう)なので、どう交渉したらよいのか、大場村の人々は、隣村の備後村の医師・知識人の石井氏に相談します。石井氏は、勝海舟の著書『流芳遺墨』の感想を和歌にして勝に呈上し、もう一度「誠心」(まごころ)をこめて依頼してみたらどうかと提案したようです。
大場の人々が、和歌を詠んだかどうかわかりませんが、明治27年3月付の直筆の幟が現在神社に伝わっていますので、きっと誠意を示して、念願の幟を入手できたのでしょう。

こんな小噺を紹介するのもミニ企画展示ならでは?
ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」展は4月28日まで。
お見逃しなく。
写真:展示室風景

ミニ展示に東山道鎮撫総督布告を追加しました。

平成31年4月28日(日)まで開催しているミニ展示「幕末・明治維新と春日部」展に、市民の方から寄贈いただいた資料を追加展示しました。

今回ご寄贈いただいた資料は、慶応4年(1868)正月の東山道鎮撫総督による布告です。旧幕府軍の追討軍のうち、東山道(中山道)を進軍した軍隊の総指揮官(東山道鎮撫総督)による沿道の人々に通達したもので、内容はこれまでの旧領主の苛政(厳しい政治)があれば訴え出るようにと知らしめたものです。
内容から、市内の伝来史料ではないようですが、参考資料として展示させていただきました。

写真:東山道鎮撫総督の布告
ご寄贈いただいた市民の方は、古文書等の古物を収集されることをご趣味にされており、3月30日の箱石先生のご講演に感化されて、このたびご寄贈いただくことになりました。
このたびは貴重な資料をご寄贈いただき、どうもありがとうございました。この場をかりてお礼申し上げます。

看護専門学校が郷土資料館を見学しました

平成31年4月11日(木)に、看護専門学校の新入生が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

竪穴式住居や粕壁宿の模型などを学芸員の説明を聞きながら見て、郷土の歴史や変化を身近に感じていました。
生徒達は、疑問に思ったことを質問したりして、春日部市について興味をもってくれたようです。
お時間があればまたお越しください。

見学の様子

古文書勉強会の成果(その12)

平成31年3月23日(土)に古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
今回は、神間村文書のほか、現在開催中のミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」展での陳列資料を解読しました。
写真:勉強会の様子
 まずは、神間村文書から。
【史料番号35】

    質物ニ相渡シ申田地証文之事

 一中畑壱反六歩        茨田耕地

 一下畑四反壱畝拾歩      右同断

 一屋鋪弐反八畝弐拾四歩

   田畑屋敷合八反拾歩 御水帳面六左衛門名前

右は当卯御年貢其外払方ニ差詰リ申候ニ付、右

田地貴殿江質物ニ相渡シ金子弐拾三両弐分・永七文借用仕、

只今慥ニ受取申所実正也、但シ返済之儀ハ来辰ノ十二月ニ

相成申候ハヽ本金不残返済可致候間、右田地不残御戻シ

可被下候、若其節金子調達相成兼請返シ申義不罷

成候ハヽ流シ可申候間、 御年貢諸入用貴殿方ニ御勤

被成、此証文を以貴殿御所持可成候、又ハ御勝手ニ

而何方へ何程之質物ニ御渡シ被成候とも、われ等加判之

者致印形質物ニ為入替可申候、此田地ニ付横合より

故障申もの無御座候、万一何様之六ケ鋪義出来

いたし候共、加判之者何方迄も罷出、急度埒明貴

殿質物ニ可致候、為其五人組加判質地証文相渡シ申候

所如件

              神間村

   文化四卯十二月     地主

                藤右衛門㊞

               五人組

                佐助㊞

               同

                重右衛門㊞

               与頭

                太兵衛㊞

         同村名主

           源右衛門殿
(ひとことメモ)
文化4年(1807)の質地証文。地主藤右衛門が名主源右衛門に田畑屋敷8反余を23両余で質入れした証文。


続いて、樋籠の古文書を読みました。
写真:樋籠田中家文書
【樋籠・田中家文書№642】
(包紙)

「          薩州
           陣営より
 大急達書          
  武州粕壁宿在
              廣尾村名主方へ」      
       武州粕壁宿在
        廣尾村名主
         又兵衛

右は急御用談之趣有之間
村役人差添早々江戸小川町
陣営へ可罷出、若同所陣替
之節は芝本営へ可相届
可申、於不参は急度可申付
者也
      薩州陣営
 辰四月廿四日 器械掛
 

       右村
        役人中へ


【樋籠・田中家文書№643】

別紙急御用向粕壁宿
在廣尾村名主迄申達間
千住宿宿継早々可相届事

  辰四月廿四日 薩州陣営

        千住より粕壁迄
         宿々
           役人中へ


(ひとことメモ)
慶応4(1868)辰年4月24日、薩摩藩陣営の器械掛より樋籠村名主又兵衛に対して、「急御用談」があるので、村役人を付添えて、江戸小川町の陣営に出頭するようにと命じた書付。№642は、包紙に包まれて回送された。№643はその添え状で、千住宿から粕壁宿に書付(№642)の宿継を命じたもの。当時は戊辰戦争の最中で、江戸から北関東や東北地方に新政府軍が派兵されていた。薩摩藩は軍資金の調達のために市域屈指の地主樋籠村の名主又兵衛を召還したものと考えられる。地名の樋籠(ひろう)を「廣尾」(ひろお)という字を当て書いていることから、薩摩藩と又兵衛の面識はなかったと考えられます。

写真:展示風景
田中家文書については、現在ミニ企画展で展示中です。ぜひ皆さんの解読の成果をご覧ください。

次回の勉強会は、4月27日(土)に開催予定です。

講演会「戊辰戦争と埼玉東部地域」とミニ企画展

平成31年3月30日(土)春日部市郷土資料館歴史文化講演会を開催しました。また、ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」もオープンしました。

歴史文化講演会では、東京大学史料編纂所の箱石 大(はこいし ひろし)先生をお招きして、「戊辰戦争と埼玉東部地域―東山道総督府の鎮撫活動期間を中心に」と題して、ご講演いただきました。

写真:講演会の様子
関東地方にやってきた新政府軍(東山道総督府)の組織や進軍の動向、埼玉東部地域における鎮部活動や軍政の実態について、豊富な史料を背景にして詳しくお話しいただきました。埼玉県東部地域は、下野梁田戦争や羽生領の打ちこわし、あるいは官軍通行による人馬負担の増加など、地域の支配行政や治安が不安定になりました。市域は、東山道総督府の軍政下に置かれ、県内に所在する岩槻藩や忍藩が局地的に治安を取締まっていましたが、戊辰戦争の戦局が推移するなかで、武蔵知県事などの知県事支配体制が確立されていきました。箱石先生は、武蔵知県事に任命される山田一太夫が忍藩士であったことや、東山道総督府の軍政が知県事支配に引き継がれていったことを指摘されました。
写真:箱石先生
新政府軍の組織や統治の過程について、最先端の成果がうかがて、勉強になりました。

ところで、質疑応答の時間には、受講者から「地域の実態について、教えてほしい」との質問がありました。実は、戊辰戦争期の市域の実態については、ほとんど明らかにされていません。
郷土資料館では、箱石先生のご講演にあわせて、戊辰戦争期の地元春日部の様子をうかがえる古文書を展示するミニ企画展「幕末・明治維新と春日部」展を開催しています。
所蔵資料のみ、かつ展示室の半分という限界はありますが、古文書から新たに明らかになったことなどを詳しく・細かく解説し、読み応えのあるパネルを並べています。
箱石先生の講演のなかでも、「貴重な地元の史料が展示されている」と紹介していただき、講演後には展示室がにぎわいました。
写真:展示室の様子
展示は4月28日(日)まで(月曜日休館)開催しています。ぜひ、ご覧ください。
今後、ブログでも展示資料について紹介したいとおもいます。

上喜蔵河岸場跡『新編図録春日部の歴史』ーその81

古利根川にかかる新町橋のたもとには、江戸時代、上喜蔵河岸(かみきぞうがし)という河岸場がありました。現在も長方形に整形された石を積む「切込みハギ」という工法による石垣が2~3段、現地でみることができます。
河岸場はこのほかに、碇神社(いかりじんじゃ)付近に下喜蔵河岸(しもきぞうがし)があったといわれ、いずれも江戸時代中ごろに粕壁宿の名主であった見川喜蔵(みかわきぞう)の名前が由来とされています。

粕壁宿は、このような河岸場を利用して、日光道中の陸路と古利根川の舟運の結節地として発達しました。

幕府により江戸川が開削、整備されると、江戸への物資の輸送には江戸川が使われるようになりました。古利根川は、流域の新田開発が進み、途中に溜井(ためい)などの利水施設が設けられたため、江戸へ直接、荷物を運ぶことが難しくなり、地域間の舟運路として使われました。

「春日部の河川と水上交通」『新編図録 春日部の歴史』102ページ
上喜蔵河岸
上喜蔵河岸跡(左側は新町橋)

上喜蔵河岸の石垣
石垣(新町橋の粕壁側のたもとに石垣が残る。表面は長方形、裏面は先細りに整形されている)

武里村の矯正会規約『新編図録春日部の歴史』ーその80

戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は明治41年(1908)、明治天皇の名で、第2次桂太郎内閣により発布されました。国民に勤勉と節約を説き、国家主義的な道徳の標準を国民に示しました。これとともに、町村の財政基盤の強化や風俗改良などを目標とした地方改良運動が、当時の内務省で進められました。
これらの一環で、武里村大字大枝では、大正4年(1915)9月、農村自治の発達、土地風習の矯正などを掲げて矯正会(きょうせいかい)を結成し、37名が加盟しました。具体的な会員の仕事には、出兵、帰郷の送迎、道路、用排水路の改修などがありました。
大正8年(1919)には、粕壁町でも矯正会が結成されました。


春日部市教育委員会1991『春日部市史 第4巻 近現代資料編I』280ページ
春日部市教育委員会1995『春日部市史 第6巻 通史II』
「第一次世界大戦前後の社会」『新編図録 春日部の歴史』173ページ

武里村矯正会規約

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成31年3月23日(土)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「紙てっぽう」を作りました。


ワークショップの様子

初めて見る蓄音機にはワークショップに参加した子供たちは興味津々でしたよ。

ワークショップの様子

最後は、自分で作った紙てっぽうを振り下ろし、”ぱんっ!!”とういう音を響かせ遊びました。
新聞紙でも作ることができるので、家でも作ってみてくださいね。

関宿道の追分と道しるべ『新編図録春日部の歴史』ーその79

江戸時代には日光道中などの五街道とともに、「脇往還(わきおうかん)」と呼ばれる主要な道がありました。粕壁宿周辺では、岩槻城と粕壁宿を結ぶ「岩槻道」、関宿城と粕壁宿を結ぶ「関宿道」が重要な脇往還でした。

関宿道は、粕壁宿から新町橋を渡り日光道中を進んだ小渕村の追分(おいわけ)から北東へ分岐します。
追分には現在も写真の道しるべが残ります。右は宝永6年(1709)に建てられた道標で、「左 あふしう(奥州)道、右せきやと(関宿)道」と記されます。左は宝暦4年(1754)に建てられた庚申塔(こうしんとう)ですが、「左 日光道」と側面に記されます。
関宿道は、その距離が約16㎞であることから、「四里八丁(よりはっちょう)」という通称もありました。

埼葛地区文化財担当者会 1996 『埼葛の道しるべ』
「城と宿とを結ぶ」『新編図録 春日部の歴史』96ページ
関宿道の道しるべ

古墳時代前期の集落「尾ヶ崎遺跡」『新編図録春日部の歴史』ーその78

尾ヶ崎遺跡は、西金野井地区に所在する遺跡です。
昭和52年(1977)に調査され、縄文時代前期(約6,000年前)の住居跡7軒、古墳時代前期(約1,600年前)の住居跡15軒、古墳時代後期(約1,400年前)の住居跡3軒(うち1軒は滑石製模造品(かっせきせいもぞうひん)の工房跡)が発見されています。

古墳時代前期の住居跡は15軒のうち、10軒に火災を受けた痕跡があります。火災を受けた住居跡に残された炭化した建築材を分析したところ、コナラやクヌギなどが使われていたことがわかりました。

「古墳時代の生活と文化」『新編図録 春日部の歴史』30ページ
昼間孝次ほか1984『尾ヶ崎遺跡』埼玉県庄和町・尾ヶ崎遺跡調査会

尾ヶ崎遺跡空撮写真
尾ヶ崎遺跡空撮写真

尾ヶ崎遺跡の古墳時代前期の住居跡
尾ヶ崎遺跡の古墳時代前期の住居跡

幕末維新期のミニ企画展開催します

春日部市郷土資料館の企画展示室で、平成31年3月30日(土)から、ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」を開催します。ポスターが完成しましたので、ご披露します。
画像:ミニ企画展示ポスター

展示会では、嘉永6年(1853)のペリー来航から、明治10年(1877)の西南戦争直前まで、資料館収蔵の幕末維新期の古文書・歴史資料を展示します。
主な展示資料としては、元治元年(1864)の水戸天狗党浪士の借金証文や関宿県や葛飾県など新政府の直轄県時代の古文書などのほか、新規収蔵品も展示します。
収蔵資料を改めて読み直すと、これまで知られていなかった記事が見いだされます。下のものは、八丁目村の御廻米(年貢米)を東京に回送する際に、菊の御紋の御用の建幟をたてるよう命じられたものです。
写真:八丁目村文書

展示会では、古文書や歴史資料にみられる時代・世相を象徴するキーワードに着目して、幕末・明治維新の市域の歴史を紹介します。目下、準備中です。お楽しみに。

展示名:ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」
会期:平成31年3月30日(土)~4月28日(日)
会場:春日部市郷土資料館企画展示室

粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年3月5日に粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子
昭和期に実際に粕壁小学校で使われていた机や椅子をさわったり、木造校舎の粕壁小の写真を見たりしました。

見学の様子
見学していて疑問に思ったことは、すぐに質問!!したり

見学の様子
昔の道具を手に取り実際に使ってみたりもしました。
”そろばん”を初めて見た児童もいて、人生初の”そろばん”体験をしていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください

昭和47年(1972)3月 公害パトロールカー導入ー広報かすかべ182号

昭和46年(1971)、春日部市では公害パトロールカーを導入しました。排気ガスや騒音の測定器を常備した公害対策の専用車です。
この当時、公害は社会問題になっており、昭和42年(1967)に国は公害対策基本法を制定、春日部市でも昭和46年度より「安全対策課」という課を新設し、市内の公害の対応にあたりました。


広報紙では、昭和46年8月号から昭和47年1月号で「生活と公害」というシリーズが連載され、社会の関心の高さがうかがえます。

広報かすかべ182号(昭和47年3月号)
広報かすかべ176号(昭和46年9月号)

公害パトロールカー
公害パトロールカー

公害と生活
「生活と公害」(広報かすかべ176号(昭和46年9月号))

豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月26日(火)に豊春小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

昭和期に実際に市内小学校で使われていた机や椅子をさわったり、お手玉・ゲームボーイ・リカちゃん人形などを見ながら、自分が日常遊んでいる物とは違う”おもちゃ”に興味津々でした。

見学の様子

方言のような、かすかべの郷土の言葉では、質問が提示してあり児童たちは一生懸命考えていました。
例えば「げいろ」は今の言葉で言うと何? 皆さん、わかりますか?

見学の様子

答えは「かえる(蛙)」です!!  難しいですね~

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

武里団地入居者のしおり『新編図録春日部の歴史』ーその77

武里団地は、昭和41年(1966)より入居が開始されました。
総工費100億円、60ヘクタールに7街区からなる180棟以上の日本最大の団地には、学校や保育所、診療所、ショッピングセンター、市役所の出張所も併設されました。

ご紹介するのは、「公団住宅の住いのしおり」です。入居説明会で配布され、入居までの手続きや入居後の約束事、団地生活の手引きが掲載されています。浴室の説明のページには、清掃方法をはじめ、点火方法、換気の際の注意などがイラストでわかりやすく説明されています。

「武里団地の誕生と住宅団地の開発」『新編図録 春日部の歴史』92ページ
武里団地入居者のしおり
「公団住宅の住いのしおり」表紙

住まいのしおり浴槽の使い方
「公団住宅の住いのしおり」ガス風呂の上手な使い方

庄和総合支所ロビーに「みに展示」

庄和総合支所の1階ロビーに、江戸川と庄和地域の歴史についてのパネル展示をしました。江戸川の古写真や舟運に関するパネルなどを掲示しています。
写真:ロビー展示の様子
総合支所においでいただいた折に、ぜひご覧ください。

南桜井小学校伝統芸能クラブの皆さんが舞を披露しました。

2月21日に南桜井小学校の体育館にて、ミニクラブ発表会が行われ「伝統芸能クラブ」の皆さんが2演目(芝舞、辻切)の舞を披露しました。6年生4名、5年生8名、4年生3名の計15名が、年間20日間あるクラブ活動での練習の成果を発表しました。今回初めて獅子を被った4年生の女子生徒さんは、「獅子頭は重たくて、前は何となく見えた。」と笑顔で話してくれました。また、4年生の男子生徒さんは、「動くのが大変。でも今日は楽しかった。」と感想を話してくれました。
4、5年生には、引き続き来年度もクラブ活動での活躍を期待しています。



▲3年生を前に堂々とした「芝舞」



▲部長さんを筆頭に「辻切」

昨日には3年生のクラブ活動の体験があり、7名が法被を着たり、活動の様子をDVDで観たそうです。4月からのクラブ活動では1人でも多くの生徒さんが参加してくれること、校長先生をはじめ、指導されている西金野井獅子舞保存会のみなさんも期待しています。
また、保存会会長さんをはじめ、保存会の皆様にはいつも熱心なご指導、誠にありがとうがざいました。

立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月20日(水)に立野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
見学の様子

少し前に使われていた学用品や、農具等についての説明を聞き、実際に千歯こきの体験をしました。
体験後には「すっきりした♪」「きれいに取れて気持ちいい」など感想をいただきました。

見学の様子
初めて見る一昔前の生活用品や、おもちゃなどの実物を見て今との生活の違いに児童たちは驚いていました。

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

小学校3年生社会科の出張授業を行いました

平成31年2月19日(火)武里南小学校にて出張授業を行いました。
写真:武里南小出張授業

今回、郷土資料館では、3年生の社会科単元に合わせて、「昔のくらしの道具」「昔の子どものくらし」の2つのテーマを用意し、実物の道具に触ってもらいながら、学習してもらいました。
写真:武里南小出張授業

「昔の子どものくらし」では、昔の小学校で使った教科書・学用品を見たり触ったり、70年前の小学3年生の漢字テストを解いてもらいました。「氣持」「樂しい」などのように、旧漢字で書かれた答案用紙をみて、「今よりも難しい」と驚いていました。また、昔の子どもはどんな遊びをしたのかについて、昔のおもちゃ遊び、紙でっぽうづくりを通じて、学習してもらいました。
写真:紙でっぽうづくり

「昔のくらしの道具」では、おじいさん・おばあさんが子どもだった時代に、家庭で使われていた道具について説明を聞き、郷土資料館ではケースのなかに入っている昔の道具を見たり、触ったり、使ったりしてもらいました。また、農家で使っていた千歯こき、唐箕(とうみ)の使い方を体験してもらいました。唐箕の羽根を回して、籾が選別されると、大きな歓声があがりました。
写真:唐箕の体験

「昔の道具の使い方がよくわかった」「郷土資料館に遊びに行きたい」などと感想を話してくれました。
武里南小学校の皆さん、ぜひ遊びに来てくださいね。

幸松小学校の放課後子ども教室で双六をやりました

平成31年2月18日(月)、幸松小学校の放課後子ども教室に出張しました。幸松ルームで、郷土資料館オリジナルの幸松郷土カルタ双六を行いました。春日部郷土カルタを使って郷土資料館で作成した双六です。児童14名と指導者4名が参加し、大いに盛り上がりました。

ユリカモメ、梅若くん、在原業平、ぐうすけ、などのチームを決めます


特製 巨大春日部サイコロを振ります。サイコロは、大凧など春日部ゆかりの物が、描かれています


途中、チャンスクイズや幸松チャンスなど、ポイントアップも可能。クイズの答えを考えているところです


クイズに正解して、ポイントが入ると盛り上がります


遊びながら、楽しく春日部のことを学びました。また、郷土カルタにも関心を持てたようです。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成31年2月17日(日)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。

ワークショップの様子

春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。

ワークショップの作業風景

裏と表の2面しかないように見えるのに、4種類の絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップ風景

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。

ワークショップの様子
 
次回ワークショップは、平成31年3月23日(土)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています♪♪♪

ワークショップの様子

総武鉄道開業後の粕壁駅『新編図録春日部の歴史』ーその76

東武アーバンパークライン(野田線)は、明治44年(1911)に開通した柏駅と野田町駅間の千葉県営鉄道野田線を起源とします。北総(ほくそう)鉄道に払い下げられた後、埼玉県域では、昭和4年(1929)に大宮駅と粕壁駅(現在の春日部駅)間が、昭和5年(1930)には粕壁駅と清水公園駅間が開通し、大宮駅と柏駅間の直通電車の運転が開始されました。昭和4年には北総鉄道の社名が「総武(そうぶ)鉄道」に改められました。

ご紹介する写真は、総武鉄道が全線開業した後の粕壁駅の様子です。一番右側が東武鉄道の上りホーム、中央に東武鉄道の下りホーム、左に総武鉄道のホームがみえます。東武鉄道の下りホームには、蒸気機関車にひかれた貨物列車が入線しています。

さて、総武鉄道の経緯も詳しく触れている東部地区文化財担当者会発行の研究報告書『東部地区の交通』(1,500円)は、残部が10冊程度となっております。購入ご希望の方は、春日部市教育委員会文化財保護課(土日は郷土資料館)までお問い合わせください。

粕壁商工会『粕壁町誌』1936
「東武鉄道の電化」『新編図録 春日部の歴史』92ページ

総武鉄道開業後の粕壁駅
総武鉄道開業後の粕壁駅

川辺小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月15日に川辺小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
学芸員から昔の春日部について説明を聞いたあと、資料館内を自由に見てまわりました。


見学の様子
用水路から田んぼに水をいれる農機具である「水車(水ぐるま)」に触れたり、

見学の様子
「千歯こき」で稲からモミを取ることもしました。

見学の様子
学芸員の説明には、メモを取りながら真剣に聞いてくれました。

見学の様子
昔の乗り物や、おもちゃで遊びながら昔の生活も体験しました。

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月14日に八木崎小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

少し昔のくらしを展示した企画展示室では、
実際に日常で使われていた生活用品や学用品等を、見たり触れたりしました。


見学の様子

昔の春日部の写真を見て、春日部の移り変わりを実感したり


見学の様子

隣の常設展示室では、もっと昔である江戸時代の粕壁宿の模型を見たりして、昔を身近に感じていました。

※郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

鷹番廃止の高札『新編図録春日部の歴史』ーその75

御鷹場(おたかば)は、寛永5年(1628)、江戸城を中心に設けられました。
江戸城の五里四方を、将軍自らが鷹狩りに行く御拳場(おこぶしば)、その外縁部に徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)が鷹狩りを行う拝領鷹場(はいりょうたかば)、さらにその外側には将軍の鷹を訓練する御捉飼場(おとらえかいば)が設けられ、現在の春日部市域は御捉飼場に属していました。

御捉飼場に住む人たちには様々な規則や役割が課せられました。写真の高札は、泊まり込みで鷹の見張りを行う鷹番(たかばん)という役割が、負担軽減のために享保6年(1721)に廃止される際に掲示されたものです。

『最後の将軍がみた春日部‐野鳥と御鷹場・御猟場』2013 春日部市郷土資料館
「鷹場と負担」『新編図録 春日部の歴史』92ページ

鷹番廃止の高札

古文書勉強会の成果(その11)

平成31年2月2日(土)と古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
写真:勉強会の模様
2月は4点の史料を解読しました。成果は以下の通りです。

【史料番号26】
    質物ニ相渡申畑地証文之事

 

一上畑壱反壱畝弐歩    町田耕地

能勢十次郎様御知行所御水帳面利兵衛名前也

 右は当巳御年貢金其外要用差詰リ申候ニ付

 貴殿江御無心申、右之畑地壱反壱畝弐歩質物ニ

 相渡金四両壱分借用仕只今慥ニ請取申処

 実正也、但し年季儀之ハ当巳十二月より来申十二月迄

 中三ケ年季ニ相定申候、此畑地ニ付諸新(親)類等不申及

 横合より少も構無御座候、若何如様之六ケ敷儀出来

 致候とも、我等加印之もの何方迄も罷出急度埒明、貴

 殿之質物ニ可致候、聊御苦労ニ相掛ニ申間敷候

一御公儀様御年貢諸役之義ハ貴殿方ニ而御勤被成

 べく候、尤年季目之申十二月中ニ罷成候ハヽ、本金四両

 壱分急度返金致候ハヽ右之畑地不残御返し

 可被下候、若受返し申儀不罷成候ハヽ、流可申候間、此証文

 を以右之畑地貴殿所持被成べく候、自然御

 縄入等御座候ハヽ、貴殿名前ニ御請可被成候、又は御勝

 手ニ而何方へ何程之質物ニ御渡し被成候とも

 我等儀ハ不及申右加印之もの印形致為質物ニ

 入替可申候、其節違儀申間敷候、勿論此証文

 を以貴殿御所持被成候内は、何年過候とも少も

 違乱無御座候、為念組中印形致質物証文入

 置申処如件               

   安政五年     下総国葛飾郡

     午三月       神間村

               出石地主

                甚五兵衛㊞

               五人組

                兵左衛門㊞

               同

                源次郎㊞

               同

                林蔵㊞

                名主           

               久左衛門㊞

 

                  同国同郡同村


          源兵衛殿
(ひとことメモ)
安政5年(1858)の質地証文。地主甚五兵衛が、旗本能勢氏知行所の上畑1反余を質に入れ、金4両1分を借用したもの。

写真:神間村文書26

【史料番号28】

 


   質物ニ相渡申畑地証文之事
一上畑三反歩      町田耕地
    此分米三石
   能勢十次郎様御知行所 御水帳利兵衛名前
右は当巳御年貢其外諸仏(払)方ニ差支貴殿迄無心
申右之畑地三反歩質物ニ相渡し金拾五両借用
仕、只今慥ニ請取申処実正也、但シ年季之儀は
当巳十一月より来ル申十一月迄中三ケ年季ニ相定メ申候、
此畑地ニ付諸新(親)類は不及申、横合より少も構無御座候、
若何方より何如様之六ケ敷儀出来致候とも、我等
加判之もの何方迄も罷出急度埒明、貴殿江質
物ニ可致候、聊御苦労相掛申間敷候
一御公儀様御年貢諸役之儀は貴殿方ニ而御勤可被成候、
 尤年季月之申十一月ニ本金拾五両急度返金
 致候ハヽ、右之畑地不残御返し可被下候、若請返し
 申儀不罷成候ハヽ流可申候間、此証文ヲ以右畑地貴殿
 所持可被成候、自然御縄入御座候ハヽ貴殿名前ニ御請
 可被成候、又は御勝手ニ而何方江何程之質物ニ御渡し
 被成候共、我等義ハ不及申ニ右加判之もの印形
 致し為質物ニ入替可申候、其節違義申間敷候、勿論
 此証文貴殿御所持被成候内は何年過候とも少も
 違乱無御座候、為念組中印形致質物証文
 入置申処依而如件
   安政四年      下総国葛飾郡神間村
    巳十一月        地主
                 甚五兵衛㊞
                五人組
                 兵左衛門㊞
                同
                 源次郎㊞
                同
                 林蔵㊞
                名主
                 久左衛門㊞
            同国同郡
                源兵衛殿

 

(ひとことメモ)
安政4年(1857)の質地証文。地主甚五兵衛が、旗本能勢氏知行所の上畑3反余を質に入れ、金15両を借用したもの。

写真:神間村文書28


【史料番号31】
   質物相渡シ申田地証文之事
一上田五畝歩        八丁通り
一下田壱反五畝歩      同
一中畑九畝歩        同
一下畑弐反六畝歩      同
一屋敷五畝歩        同
  此高四石五升八合 御水帳面新左衛門名前
一上田七畝拾歩       茨田耕地
一中田壱反壱畝歩      同
一下田壱反壱畝弐拾歩    同
一上畑七畝歩        同
一中畑五畝歩        同
一下畑壱反八畝歩      同
  此分米五石九升弐合壱勺
            御水帳面久松名前
右は当亥ノ御年貢其外払方差詰申候ニ付、
書面之田畑貴殿江質物ニ相渡シ金子三拾両
借用仕、只今慥ニ請取申候処実正也、但シ
年季之儀は当亥十二月より来ル寅ノ十二月迄
中三年ニ相定、田畑質物ニ入置申候間
一御年貢諸役之儀は貴殿方ニ而被成御勤作徳并
立木等貴殿近(進)退可被成候、年季明キ寅十二月ニ
相成候ハヽ、金子返済可仕間地所御返シ可被下候、
若其節請返兼候砌田畑無甲乙其時之相場ニ而
相渡シ可申候、此地所ニ付御年貢未進拝借等外江
借金書入等不仕、組合并親類相談之上質地相渡シ
候間、外より故障之筋無御座候間、流地以後御検地
入ニ相成候ハヽ何様御名前ヲ請被成候共申分無
御座候、依之為後証質地証文相渡シ申処
如件        下総国葛飾郡神間村
   天保十年         地主
      亥ノ十二月      源兵衛㊞
          (切取抹消)[      ]
                名主
                 兼右衛門(印墨抹消)
         同国同郡同村
            組頭
                           栄治郎殿

(ひとことメモ)
天保10年(1839)の質地証文。地主源兵衛のほか、二名が連署していたが一名は署名部分を切り取り、兼右衛門は印を墨で抹消している。金子が返済されて反故になったため、このような処置がなされたと考えられる。
写真:神間村文書31の切り取り部分

【史料番号36】

   差上申一札之事
御知行所豆州武州総州先年御先納金
被仰付、村々一同御請仕御上納奉差上候処
今般村々江深ク御憐察を以前書御
先納金不残御下ケ済被下置一同立会
慥ニ奉請取候、依之為後日一同連印之
一札奉差上候処仍如件
  元次(治)二年丑二月     御知行所
 (後筆)             豆州田方郡
「御知行所            間宮村
    武総葛飾郡           名主
      神間村            吉田隼太郎
       名主           右後見名主
        源兵衛            惣四郎㊞
      芦橋村       
        利右衛門      下総国葛飾郡
      千塚村          永沼村
        孫右衛門        名主
      永沼村            野口孝右衛門
       名主
        野口孝右衛門     神間村
    豆州田方郡           名主
      間宮村              源兵衛㊞
       後見名主        芦橋村
      間宮村           名主
        吉田惣四郎          利右衛門㊞
       名主          千塚村
        吉田隼太郎 」     名主
                       孫右衛門㊞


   御地頭所様御内
      御役人中様

(ひとことメモ)
元治2年(1865)に旗本能勢氏の知行所(伊豆国・武蔵国・下総国)の村々が能勢氏に上納した先納金を残らず「御下ケ」(返金)とし、これを知行所村々の村役人らが受け取り、能勢家の下僚あてに提出した文書。差出人は下段に判を押しているが、提出する前に連署の順に支障があったらしく、上段に差出人を書き直している。実際に提出されたものではないようである。
写真:神間村文書36

写真:神間村文書36の差出人の部分

次回は、3月23日(土)14時~を予定しています。

古文書勉強会の成果(その10)

平成31年1月・2月と古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
写真:1月勉強会の様子
新年1月からは、新たに3名の方が加わり、大所帯となりました。今回は、1月12日(土)に解読した成果を披露します。

【史料番号313】

写真:313
(表紙)

「   松平五郎左衛門様御知行所御内                          

神間邑百姓持高帳

元文五申三月改之       」

   (反古)

   「上田四町五反壱畝歩  

    中田五町六反七畝拾三歩

    下田七町弐反拾五歩

    上畑五町八反三歩

    中畑          」

 

十二 上田四町五反壱歩     五斗五升取

十  中田五町六反七畝拾歩   五斗取

八  下田七町弐反拾五歩    四斗八升取

十  上畑六町九反六畝四歩   百三拾七文取

八  中畑五町八反三歩     百弐拾弐文取

六  下畑拾弐町九畝八歩    百六文取

   下々畑三畝廿四歩     七拾文取

十  屋敷弐町六反弐畝拾壱歩  百拾文取

   田合拾七町三反八畝廿八歩

   畑合弐拾四町八反九畝九歩

  田畑屋敷合四拾四町九反拾八歩

  此高三百八拾三石三斗壱升六合

 

       此訳ケ

一 高拾四石五斗八升八合六勺                     半兵衛

                椿村弥三郎分

一 同三拾壱石八升四合九勺                         門右衛門

一 同拾石八斗三升六合                      同人

                野田金乘院分

一 同弐拾七石九斗三升                         忠兵衛

                椿村弥三郎分

一 同三拾石四斗五升壱合                            藤兵衛

                当村仁右衛門分

一 同弐拾弐石八斗六合                                又右衛門

                屏風庄左衛門分

一 同拾四石五斗三升三合                            角右衛門

                椿村庄次郎分

一 同拾六石壱斗五升九合                            惣右衛門

                五左衛門八右衛門安右衛門三人分寄高也

一 同三石九斗四升六合七勺                         源次郎

一 同六石六升                                    彦兵衛

一 同六石壱斗七升七合                      吉左衛門

一 同三石壱斗六升七合                      八右衛門

一 同五石九斗弐升                             彦八

一 同弐石弐斗三升三合                      市右衛門

一 同五石八斗五升弐合                      助右衛門

一 同拾石三斗四升六合                      甚左衛門

一 同四石壱斗壱升四合                      浅右衛門

立野村八左衛門分

一 同九石八斗四升七合                                同人

                          内四石八升三合甚左衛門分分ケ高入

   二十二石三斗一升     金野井村孫右衛門分

一 同弐拾弐石三斗壱升                                又七             

一 同拾石四斗弐升弐合弐勺               孫八

一 同弐石五斗弐升                        

一 同五石九斗六升三合弐勺               吉右衛門

一 同拾壱石弐斗四升八合八勺           門左衛門

一 同拾八石壱斗壱升七合七勺           伝五右衛門

一 高五石四升六合                             茂兵衛

一 同七石弐斗弐升弐合六勺               藤七

一 同壱石九斗三升五合                      安左衛門

一 同四石弐斗四升                             文右衛門

                金野井村孫右衛門分

一 同三拾五石八斗弐升六合六勺                  定右衛門

一 同拾弐石三斗三升六合六勺           園右衛門

                金野井孫右衛門分

一 同五石八斗九升六合                               

一 同拾四石弐斗四合                                   兵左衛門

内弐石九斗壱升源兵衛分高入

   右惣高合

一高百六石六斗八升五合五勺               椿村

一同六拾七石七斗四升壱合三勺           小平村


(ひとことメモ)
元文五年(1740)の神間村のうち松平五郎左衛門知行所内の百姓の所持高をまとめた記録。松平五郎左衛門は諱(いみな)を正員(まさかず)といい、下総国葛飾郡・伊豆国田方郡・加茂郡に1100石を知行する旗本です(『寛政重修諸家譜』)。

【史料番号32】
写真:32
   御請書之事

一永百六貫七百七拾六文四分  豆州

一永百八貫百六拾弐文三分   武総五ケ村

右は年来御過納上納ニ相成候分相違無御座候、然ル処

当年御暮方御仕法も相立兼候ニ付、前書上納之金子

当寅年より無利足永年賦ニ被 仰付奉畏候、御下ケ金

之義は来ル辰年より年々御収納之内ニ而御下ケ金ニ相成候様

被 仰付一同奉畏候、左候ハヽ此上御過納之儀被 仰付

間敷と是又奉畏候、依之御請書奉差上候、以上

                            御知行所

               豆州間宮村

  嘉永七寅年二月       吉田伊右衛門代

                    藤兵衛

               武総五ケ村

                      代

                  千塚村

                   名主 孫右衛門

                  永沼村

                   名主 孝右衛門

  御地頭所様御内

     渡辺宗輔様

(ひとことメモ)
嘉永七年(1854)二月に旗本能勢氏知行所の伊豆・武蔵・下総の村々が能勢氏の用人渡辺宗輔あてに提出した請書。村々が上納した「過納」分を無利息の年賦金として借用するものとし、来辰年より「御収納」(村が納付する年貢)の内から差し引いて返済することとなった。これを命じた下知書は以前読んだ史料番号1にあたります。近世後期には旗本の家政は悪化し、知行所の村々に対し上納金を命じられることが広く行われました。

【史料番号350】
写真:350
(表紙)

「  嘉永六年             

御鷹御捉飼場締御請証文

  丑八月

        神間村  」

   差上申御請証文之事

一御鷹場村々従 御公儀様被 仰出候通

 御條目之趣堅相守可申候、御鷹鳥は不及

 申諸鳥ニ至迄殺生為致申間鋪候事

一当村ニは四季打鉄砲無御座候事

一御鷹匠様方当村方江御泊人馬継と御先触

 参候ハヽ早速御届ケ可申候、勿論犬猫繋置   

 御鷹之障ニ不相成様可仕候事

      宿被仰付節は火之元入念大切可仕候事 

   附御鷹匠様方御旅宿被 仰付候節

   火之元入念大切ニ可仕候事

一疑鋪相見江候御鷹匠様方御出御鷹遣

 候ハヽ御焼印引合可申候事

   附合札御焼印違候歟、所持不致候ハヽ

   御鷹為遣不申早々御届ケ可申候事

一鶴雁鴨之類追立申間敷候、勿論番屋抔

 仕立道具等為持追立申間鋪候、若相背追

 立御場廻之節御見附被成候ハヽ何様ニも可

 被 仰立候、殊病鳥落鳥御座候ハヽ隠置

 不申御届ニ可申候事

一八月より翌春三月迄之内人寄ケ間敷儀一切仕

 間鋪候、勿論無拠神事仏事一日之祭礼御座

 候共已前御届御下知を請可申候事

一沼川通用悪水堀々堅殺生仕間敷候、勿論八         

 月朔日 御制禁之建札可仕候事

一川鳥売買仕候もの当村ニは一切無御座候、仮

 令脇村より参売買仕候共捕置早速御届可申

候事

一鉄炮其外何ニ而も殺生仕候もの見付候ハヽ捕

 置早々御届可申候事

一八月より三月迄之内用悪水堀先規より掛来

 候場所仮橋無御差支懸置可申候、勿論

 御鷹御用不相済内は囲堀亦は外之堀々ニ至

 迄無拠普請御座候ハヽ早速為御知可申候事

一田船之儀当十月より来春迄御用不相済内

 は用悪水堀々通壱艘も差置申間敷候、縦令

 川通渡場ニ候共渡船計差置外小船差

 置申間敷候事

一御鷹匠様方他村江御止宿被遊御捉飼ニ御

 出村内野場御通行掛り之節御用等居合候農

 人亦は百姓家江御立寄御用之趣被 仰付候共

 無遅々相勤御用御間ニ合候様可仕候、勿論常々

 村中惣百姓並水吞小供ニ至迄申付置御鷹

 御用無御差支可仕候事

一飼鳥之儀水鳥は不及申小鳥ニ至迄飼鳥為

 致申間敷候事

一堀筋通段木伐透下草刈払御捉飼

 御差支無之様可仕候事

一従 御公儀様より被遊御渡候御焼印餌

 鳥合判鏡ニ仕餌鳥人参候ハヽ合判可仕候事

 右箇條之趣被 仰渡得其意村中惣百姓

 寺社領門前百姓并地借店借末々召遣之者

 迄堅為相守可申候、若背仕候者御座候ハゝ何様

 ニも可被 仰立候、為後日御請證文差

 上申候処仍而如件

 

          松平健之助  

          中根鎗次郎

          能勢十次郎   知行所

          久野伊三郎  

          武嶋内蔵助

           下総国葛飾郡

                神間村

嘉永六年            右五組惣代

   丑八月           名主

                  久左衛門㊞

                 組頭

                  源太郎㊞

                 百姓代

                  兵左衛門㊞

 

戸田五介様御組

    野廻役

      関口栄助殿

 (ひとことメモ)
嘉永六年(1853)八月の幕府の鷹場にあたる村々が提出した証文。神間村をはじめ春日部市域は幕府で飼育する鷹の訓練場(捉飼場・とらえかいば)であった。捉飼場の村々には鷹の訓練に支障が生じないようにさまざまな生活規制が強いられた。



次回は3月23日(土)14時~を予定しています。
近いうちに、2月の成果も更新しますのでお楽しみに。

小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成31年2月5日に小渕小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

昭和から平成の暮らしのうつりかわりについての説明を聞いた後、自由時間には郷土資料館を自由に見学したり、昭和期に使われていた冷蔵庫や水車などを実際に触ったりして、今との違いに驚いていました

見学の様子

見学の様子

郷土資料館では、3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。