ほごログ
牛島のフジのゆかりの歴史的な資料を展示しています
藤は春日部市のシンボルとして親しまれています。藤の花が春日部の象徴となったのは、市内幸松地区にある国の特別天然記念物「牛島のフジ」が伝統的な観光地だったためです。
郷土資料館では、藤の花が見ごろなこの季節に合わせまして、常設展示の一部を展示替し、牛島のフジゆかりの歴史的な資料を展示しています。
春日部が観光地となり、町がどうかわっていったのか、どのような人が訪れたのか、については絶賛開催中の春季展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展で紹介しています。
牛島のフジの古写真は、郷土資料館HPのかすかべデジタル写真館でもご覧になれます。
あわせてお楽しみください。
手作り季節展示を展示してます
端午の節句をテーマとした季節展示を展示中です。
皆さま、ぜひご来館ください。
なお、郷土資料館は、毎週月曜と、祝日の4月29日(日)と5月3日(木)から5日(土)まで休館となりますので、ご注意ください。
観音院の円空仏『新編図録春日部の歴史』からのご紹介44
このうち小渕の観音院には、7体の円空仏が伝わっています。
円空仏の聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)は、高さ194㎝と円空仏の中でも大きく、円空の神髄ともいえる”ほほえみ”の表情が特徴的です。
観音院の円空仏7体は、5月3日~6日に行われる円空仏祭で公開されます。年一度の限られた機会ですのでぜひご来場いただき、円空の大胆な彫りの芸術をご堪能ください。
<円空仏祭>
開催日時:平成30年5月3日(祝日)~6日(日曜日) 午前10時~午後5時
開催場所:小淵山正賢寺観音院(春日部市小渕1634)
交通機関:東武伊勢崎線(スカイツリーライン)「春日部駅」「北春日部駅」東口からいずれも徒歩約20分
費用:500円(拝観料)
春日部市公式サイトイベントカレンダー「小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開」
小淵山観音院公式サイト
「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ
聖観音立像(観音院提供・前田邦臣氏撮影)
国特別天然記念物「牛島のフジ」の公開が始まりました
例年、薄紫色の壮大なカーテンを演出する古木は樹齢1200年を超すといわれ、フジでは国内唯一の特別天然記念物として昭和30年に国指定となりました。
4月18日(水)にはフジの生育を祈願する「鎮花祭(ちんかさい)」が太く絡み合う古木の根元で行われました。
また、古くから幾多の文化人がフジの開花にあわせて足を運んでおり、詩人三好達治が「牛島古藤花」という詩を残しています。
▲明治44年の消印が押された絵葉書からは春の名所であることがわかります。
根元周囲は4メートル余り、藤棚は600平方メートルにもおよぶ国内最大級に加え、可憐な花房から漂う甘美な香りが園内を包んでおりますので、国を代表する天然記念物を間近に楽しんでみてはいかがでしょうか。
▲4月18日の園内の様子
藤花園の詳細・アクセスは
http://www.ushijimanofuji.co.jp/forecast.html#02ja
春季展示初日。展示資料を少し紹介
本展示会は交通・流通に関する収蔵品や市域に伝来する貴重な資料を展示し、近代の交通・流通の歴史を紹介するものです。それほど広くない展示室ですが、実物資料101点、写真や図など53点の計154点が並びました。
今回は、展示資料のなかから、展示会の見どころともなる、貴重な資料を紹介させていただきます。
まずは、荷札です。
大正~昭和初期に西金野井の河岸場(かしば)で使われていたものです。西金野井は、江戸時代以来の河岸場として賑わった地域であり、明治時代以降には蒸気船が停泊しました。この荷札は、蒸気船で東京の青果市場などに発送された白菜や甘藷苗(サツマイモの苗)などに付けられたのでしょう。荷札は大量にあり、河岸に周辺の農産物が大量に集荷されたことがうかがえます。
次に、桃の出荷用の木箱です。
詳しい伝来はわかりませんが、豊野地区の藤塚で昭和30年ごろに使われていたものと考えられます。河畔砂丘という内陸性の砂丘が分布する藤塚では、古くから果樹園があり、桃を栽培していました。高度経済成長期になると、道路の舗装やトラックの普及があって、東京の中央卸売市場に出荷されるようになります。この木箱は、東京に出荷された桃を梱包したもので、市域の交通・流通の歴史の一端を物語る貴重な資料といえます。古写真もあるので合わせてご覧ください。
普段は藤塚小学校の郷土資料室で展示しているものなのですが、とても珍しいものなので展示させていただきました。
このほかにも、現在では想像もつかない、失われつつある市域の交通・流通の歴史の一コマを紹介しています。春日部の新たな一面を発見できるかもしれません。
7月8日(日)まで開催しておりますので、ぜひご覧ください。
不動院野の神楽が公開されました
午前中には地区内の五穀豊穣、無病息災を祈願する「辻切り」が6箇所でお神輿と獅子舞の奉納が行われました。
午後はあいにくの降雨により、地区集会場で神楽が公開されました。お囃子では保存会の皆さんが指導されている地元幸松小学校の児童や中学生による堂々とした笛や太鼓の演奏が披露され、大きな拍手をいただきました。
神楽では五穀豊穣・家内安全を祈願する「大黒様」、そして保存会の見事な掛け合いで会場を楽しませていただいた「大江山」の2演目が公開されました。
不動院野の神楽は、地元のこの春例祭のほか、春日部夏祭りでもみることができます。郷土の文化遺産を間近に感じることができる貴重な機会ですので、ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。
4月15日(日)不動院野の神楽が公開されます
茨城県稲敷市(いなしきし)にある大杉神社は「あんばさま」と呼ばれ、現在、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。江戸時代、船を守る神、また疱瘡(ほうそう・天然痘:てんねんとう)から人々を守る神として信仰されました。
不動院野の大杉神社は、江戸時代に稲敷市の大杉神社から勧請(かんじょう)された神社です。不動院野の
不動院野の神楽は、毎年4月15日に近い日曜日に地元の大杉神社の祭礼の際に奉納されるほか、7月に開催される春日部夏まつりの際に
開催日時:平成30年4月15日 (日曜日) 午前9時~地区内で辻切り、午後1時30分~境内舞台で神楽の奉納が行われます(雨天時は集会所内で公開されます)。
開催場所:大杉神社(東不動院野集会所・春日部市不動院野615番地)
【交通機関】
最寄の公共交通機関はありません
国道16号バイパス八丁目(東)交差点を西宝珠花方面に折れ、埼葛広域農道との交差点にある1つ目の信号を杉戸方面へ、400メートル程度進むと左手に集会所あり
筆子塚『新編図録春日部の歴史』からのご紹介43
筆子塚は、寺社や墓地などにおかれ、「筆子中」や「筆子三十人」といった銘文や、時にはその師匠の経歴も書かれています。
市域には、下柳に所在する薬師堂の明和二年(1765)のものをはじめ、約20基の筆子塚が確認できます。地域別では粕壁宿が7基と多く、他に、中曽根、大衾、椚、米島、金崎、西宝珠花、永沼、木崎などの地域に所在しています。
「学び」『新編 図録 春日部の歴史』118ページ
下柳 薬師堂の筆子塚(明和2年)
4月1日(日)圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されます
圓福寺(えんぷくじ)には、江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)に光世上人(こうせいしょうにん)が作成した木彫当麻曼陀羅図(もくちょうたいままんだらず)、釈迦涅槃図(しゃかねはんず)、閻魔王宮(えんまおうきゅう)ならびに八大地獄図(はちだいじごくず)が伝えられています。
一般的に曼陀羅図は絵画によるものが多く、本例のように木彫りで立体的な曼陀羅図は、非常に珍しいものです。大きさは、縦287.85㎝、横242.4㎝と大型です。共に伝えられている版木(はんぎ)には、光世上人が2~6年をかけて、これら仏教美術の大作を作成したことが記録されています。
開催日時:平成30年4月1日(日曜日) 午前10時~午後3時(雨天決行)
開催場所:圓福寺(えんぷくじ・春日部市一ノ割一丁目30番17号)
交通機関
東武伊勢崎線(スカイツリーライン)一ノ割駅下車、踏切または地下道を渡り、徒歩5分
(一ノ割駅の改札は東口のみ、圓福寺は駅の西側になります)
圓福寺サイト
「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展、目下準備中です
目下準備中ですが、特に展示担当者がこだわり、重点をおきたいのは、舟運の歴史です。技術革新にともない近代に登場した鉄道や自動車におされて、衰退していったといわれる舟運業。ファンが多く、華やかな鉄道の歴史に対して、近代の歴史のなかではなかなか光が当てられません。
今回は、収蔵資料の西金野井の河岸問屋の資料を再検証して、新たに見えてきた近代の舟運業の実態から、市域や周辺地域の農産業・手工業などについても考えてみたいと思っています。西金野井は西宝珠花とともに、蒸気船通運丸が停泊する「汽船宿」でした。では、西金野井では蒸気船でどこに、どんなもの、どれほどを運んでいたのでしょうか。実は、最近、蒸気船で運搬していたものがわかる新たな史料を見出しました!準備しながら担当者も新たな発見にワクワクしています。詳細は下記の展示会で。お楽しみに。
展示会名:春季企画展示(第58回)「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」
会期:平成30年4月17日(火曜日)~7月8日(日曜日)、月曜日・祝日休館
会場:郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)
観覧料:無料
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。
電気を使わず再生する蓄音機の、やわらかく温かみのある音を楽しみ、自分で作ったおもちゃで嬉しそうに遊んでいました。
郷土資料館の体験ワークショップは、平成30年度にも開催する予定です。申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。どうぞ、お気軽にご参加ください。
3月28日(水)埼玉県指定有形文化財「板石塔婆」が公開されます
大王寺別院(だいおうじべついん) の板石塔婆は、年号は刻まれていませんが、南北朝時代(1336年~1392年)に製作されたのものと推定されます。表面には、大日如来(だいにちにょらい)や倶利伽羅不動(くりからふどう)などが刻まれています。これらは「弘法大師が爪で掻(か)いた」との伝承があり、「爪掻き不動(つめかきふどう)」とも呼ばれています。
開催日時:平成30年3月28日 (水曜日) 午後2時~午後4時(雨天決行)
・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)春日部駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル・はやま工業団地」行きで約30分、大凧公園入口で下車、徒歩約12分
・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)東武動物公園駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル」行きで約23分、塚崎入口で下車、徒歩約5分
*バス時刻などのお問い合わせは、朝日自動車 株式会社 境営業所(電話:0280-87-0780)
坊荒句遺跡出土の板碑『新編図録春日部の歴史』からのご紹介42
平成4年9月に内牧公園の造成に先立って、公園予定地内の坊荒句(ぼうあらく)遺跡で発掘調査が行われました。調査では、縄文時代の住居跡や貝塚とともに、中世から近世までの墓のあとが44基も発見されました。
11号土壙(どこう)からは、板碑(いたび)7基が墓に対してふたをするように折り重なる状態で発掘され、これらの板碑の下からは青年男子の頭蓋骨が見出されました。遺体を板碑で覆っていたものと想定されます。
板碑に刻まれた年代は、延文2年(1357)、貞治7年(1368)、応安7年(1370)、康暦2年(1380)、応永16年、25年(1409、1418)、永享9年(1437)です。
板碑は明らかに二次的に利用されているので、これらの年代以降に内牧周辺で活動していた人物が葬られた墓と考えられます。
『坊荒句北(1,2次).坊荒句.立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1996年
「中世の石造物」『新編 図録 春日部の歴史』68ページ
古文書解読勉強会の成果(その4)
今回も、郷土資料館所蔵の神間村文書を読みました。
前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご覧ください。
次回は、4月14日(土)10時~12時(場所:視聴覚センター4F研修室3)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。
【史料番号37】
入置申一札之事
私親九平代より数拾年已来厚思召ニ預り、
彼地江住居罷在候処、此度酒狂之上
用意不成義申出し、心得違之兼々
被仰聞一言之申訳ケ無御坐候ニ付、当村へ
御先達様江相歎き御詫仕候処、早速
御勘弁被成下難有仕合ニ奉存候、然ル上は
向後右様之義無之様相慎、已来不埒
之義仕出し候節は何時成共我等引請、
貴殿江御苦労相掛ケ申間敷候、為後日詫書
入置申処、仍而如件
神間村
安政三年 当人
辰十二月 作左衛門㊞(墨抹消)
古布内村
引請人
金左衛門㊞(墨抹消)
神間村
立入人
弥右衛門㊞(墨抹消)
〔(切取抹消)〕
同村
源兵衛殿
(ひとことメモ)
本史料は、神間村の作左衛門が酒に酔って迷惑をかけてしまい、源兵衛に謝罪した詫び証文。もともとの署名者は4名だったとみられ、奥の1名は切り取りで抹消されている。ほかの3名の印判も墨により消されており、文書の効力を反故にしたことがわかる。古布内村は、現在の千葉県野田市古布内。
大凧会館の被災『新編図録春日部の歴史』からのご紹介41
大凧あげ祭りであげられる縦15m、横11mの実物大の大凧4張をはじめ、日本のみならず世界各地の凧や郷土資料などを展示していた施設です。
しかしながら、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災により被災し、1~4階まで吹き抜けの展示室に設置されていた大凧や他の展示品が破損しました。
建物本体にも大きな被害があったことから、平成26年、大凧会館は解体され、跡地は大凧公園として利用されています。
(大凧公園は現在整備工事中で、3月下旬からの一般開放を予定しています。)
「春日部市の景観1」『新編 図録 春日部の歴史』294ページ
◆東日本大震災で被災した展示室の様子
第6回民俗文化財講習会を開催しました。
民俗芸能には楽譜がなく、先輩方の笛の指先の所作を見たり、奏でられる音色を耳で覚える方法でお囃子などが伝承されています。そのため近年では、伝承方法に限界があり、各団体でお囃子の音色の変化が危惧されています。こうしたことから、音声を録音し、記録することで後継者の養成にお役立ていただくものです。
改まって舞台での音声の録音ということもあり、終始、緊張した空気が流れていました。皆様のご協力のお陰で、無事録音が終了しました。各団体の皆様には、お忙しい中ご出席いただき大変ありがとうございました。
今後の後継者の養成や地域で育まれた伝統の技の継承の一助になればと思っております。
【銚子口獅子舞保存会では12曲を録音しました】
【やったり踊り保存会では3曲を録音しました】
【赤沼民俗文化財保存会では神楽を含め14曲を録音しました】
【東中野獅子舞保存会では獅子舞10曲を録音しました】
粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
昭和期に実際に粕壁小学校で使われていた机や椅子をさわったり、木造校舎の粕壁小の写真を見たりして、今との違いに驚いていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
市場之祭文写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介40
延文6年(1361)の奥付がある「市場之祭文」には、応永22年(1415)に追記で武蔵、下総にかけての33か所の市の開催地が書かれています。
この中に「下総州春日部郷市祭成之」とあり、春日部でも市が開かれていたことがわかります。市域の周辺では、現在のさいたま市岩槻区内に推定される「末田市」、「かゝさねかふ道いち」、「ふち宿市」、「くほ宿市」、宮代町内に推定される「久米原市」、「須賀市」、白岡市内に推定される「野田市」などがあげられます。
また、開催地の33か所は、戦国時代、岩付太田氏の勢力圏にあったとする説もあります。
「市場之祭文写」『武州文書』国立公文書館内閣文庫
「川と陸の道」『新編 図録 春日部の歴史』60ページ
「市場之祭文」の市開催地
赤枠内には「下総州春日部郷市祭成之」の記載がみられます。
「人と昆虫のかかわりを考える」有意義な時間に
今回は、柏田雄三先生をお招きして、「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える」と題して、ご講演いただきました。柏田先生は、昆虫芸術研究家で、全国各地の「虫塚」(昆虫を慰霊した供養碑・記念碑等)を巡り、研究されている方です。
今回、受講された方は4分の1が市外の方で、遠くは長野県・山梨県からもおいでになられた方もいらっしゃいました。
講演では、虫塚の話題の前提として、犬・鯨・蛙など様々な動物や、文房具・石橋・道路などさまざまなモノの供養碑が存在することを紹介されました。春日部には、今のところ虫塚は発見されていないようですが、猫・魚・鳥・石橋の供養碑があることが紹介され、会場からは「知らなかった」と声があがっていました。
次に、ご専門の昆虫の世界に話題をうつし、多様な昆虫が私たちの身近にいることや、「益虫」「害虫」とは何かなど、人と昆虫の歴史を概観され、虫塚の始まり・種類について、各地を踏査され、収集された様々なエピソードを交えながら、楽しくお話しいただきました。
最後に、虫塚を巡り、研究することは、人文学的な視点から昆虫をとらえる意義があるとともに、調査先で認知度が低く、忘れられているケースが多いことを踏まえ、失われかねない伝統・歴史を掘り起こし、後世に伝えていく意味がある、と位置付けられました。
会場からは、「虫」のつく地名についてどう考えたらよいのか、など身近な昆虫の文化についての質問がでるなど、受講されたみなさんも「人と昆虫のかかわりを考える」有意義な時間をお過ごしいただけたのかと思います。
個人的にも、農業生物学をご専門とされている先生だけあって、昆虫愛に溢れたエピソードや、関連する音源などを交えてのお話だったので、大変興味深く拝聴させていただきました。
「また、お母さんやお父さんといっしょに見に来たい」立野小感想文より
せっかくいただいたので、感想文をいくつか紹介させていただきます(名前は伏せています)。
「なんと、れいぞうこにれいとうこがないなんて、はじめてしりました」
昭和30年代の電気冷蔵庫を実際に開けて、気づいてくれたようです。
「なんと」の表現が、とても驚いた気持ちを伝えてくれて、いいですね。
常設展示の木製冷蔵庫とも比較してもらえたでしょうか。
「また、お母さんやお父さんといっしょに見に来たいと思いました。」
小学校の団体見学のあった週末の土・日は、家族連れのお客さんが意外と多くいらっしゃいます。その多くは、見学した3年生がおうちの方に頼んで来るリピーターです。小学生が見学して学んだことを家族の方に説明したり、家族の方が「昔はこうだった」と子どもたちに伝えたり、家族のコミュニケイションの場になるようです。
昔の道具やくらしを学習するのに一番よい教材になるのは、ご家族の経験・体験談だと思いますので、まだ一緒にいらしていないなら、ぜひご家族と来てください。
皆さん、昔のくらし・道具について、楽しんで学んでいただいたようで何よりです。皆さんの感想は、今後の展示・解説の参考にしていきたいと思います。