ほごログ
赤沼の獅子舞300年祭は11月12日に再延期となりました
10月29日に開催が予定されておりました『赤沼の獅子舞伝承300年祭』が天候不順により再延期となりました。
【変更日】11月12日(日曜日)
なお、公開時間(午前10:45~午後3:20)、場所(赤沼770 赤沼神社)の変更はございません。

赤沼の獅子舞は、享保3年(1718)に越谷下間久里の香取神社に伝わる「雨下無双角兵衛」系統の獅子舞が伝承され、今年で300年の節目を迎えます。
当日は伝承元であります越谷市の「下間久里の獅子舞」(県指定無形民俗文化財)と兄弟獅子の「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の伝統の舞をみることができます。
秋のひと時、ぜひ、郷土春日部の伝統芸能をご堪能してはいかがでしょうか。
【変更日】11月12日(日曜日)
なお、公開時間(午前10:45~午後3:20)、場所(赤沼770 赤沼神社)の変更はございません。
赤沼の獅子舞は、享保3年(1718)に越谷下間久里の香取神社に伝わる「雨下無双角兵衛」系統の獅子舞が伝承され、今年で300年の節目を迎えます。
当日は伝承元であります越谷市の「下間久里の獅子舞」(県指定無形民俗文化財)と兄弟獅子の「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の伝統の舞をみることができます。
秋のひと時、ぜひ、郷土春日部の伝統芸能をご堪能してはいかがでしょうか。
竪穴式住居が学習マンガに紹介されました
よく学べ みんなの郷土 資料館
かすかべ郷土カルタでもおなじみの、竪穴式住居の原寸復元模型。
カルタの図柄になっているので、郷土資料館に来たことのない方も知っているようです。
郷土資料館のシンボルといっても、言い過ぎではないと思います。
春日部では、野原しんのすけ一家の次に有名な家族かもしれません。
さて、このたび、竪穴式住居模型が子供向け学習マンガに紹介されました。
河合敦監修『縄文世界へタイムワープ』(朝日新聞出版、2017年10月30日発行)
一昔前の学習マンガはとっつきにくい感じの絵が多かったように記憶していますが、現代の学習マンガはカラフルで楽しく学べそうですね。
内容が気になる方はお近くの本屋さんでチェックしてみてくださいね。
宝珠花小・富多小学校3年生が郷土資料館を見学しました
平成29年10月24日に宝珠花小学校・富多小学校の第3学年が合同で、郷土資料館を見学しました。

昔の小学生の格好や教科書を見て、「くらしのうつりかわり」について、興味をもってもらえましたでしょうか。3学期の社会科の学習に役に立つといいですね。

少人数とあって、体験コーナーなど堪能できたようです。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示していますので、おうちの方とまた遊びに来てくださいね。
昔の小学生の格好や教科書を見て、「くらしのうつりかわり」について、興味をもってもらえましたでしょうか。3学期の社会科の学習に役に立つといいですね。
少人数とあって、体験コーナーなど堪能できたようです。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示していますので、おうちの方とまた遊びに来てくださいね。
内牧小学校選挙事務所 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介24
10月22日(日)は、衆議院選挙、春日部市長選挙が行われます。
昭和29年(1954)7月1日、春日部町、豊春村、武里村、幸松村、豊野村が合併し春日部市(旧)となり、同年8月7日、初の市長選挙が行われました。
写真は、その時の選挙で内牧小学校に設置された投票所の一コマです。現在と同じく、投票立会人の前に投票箱が置かれている様子がわかります。
なお、投票所内の撮影は、公職選挙法第60条「投票所における秩序保持」に抵触する恐れがありますのでご遠慮ください。
「自治制度の再出発」『新編 図録 春日部の歴史』48ページ
昭和29年(1954)7月1日、春日部町、豊春村、武里村、幸松村、豊野村が合併し春日部市(旧)となり、同年8月7日、初の市長選挙が行われました。
写真は、その時の選挙で内牧小学校に設置された投票所の一コマです。現在と同じく、投票立会人の前に投票箱が置かれている様子がわかります。
なお、投票所内の撮影は、公職選挙法第60条「投票所における秩序保持」に抵触する恐れがありますのでご遠慮ください。
「自治制度の再出発」『新編 図録 春日部の歴史』48ページ
緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
平成29年10月19日に緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
昭和期に使われていた冷蔵庫やテレビなどを実際に触ったりして、今との違いに驚いていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。

昭和期に使われていた冷蔵庫やテレビなどを実際に触ったりして、今との違いに驚いていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。
赤沼の獅子舞伝承300年祭の順延
10月22日に開催が予定されておりました『赤沼の獅子舞伝承300年祭』が天候不順で延期となりました。
【変更日】10月29日(日曜日)
なお、公開時間(午前10:45~午後3:20)、場所(赤沼770 赤沼神社)の変更はございません。

赤沼の獅子舞は、享保3年(1718)に越谷下間久里の香取神社に伝わる「雨下無双角兵衛」系統の獅子舞が伝承され、今年で300年の節目を迎えます。
当日は伝承元であります越谷市の「下間久里の獅子舞」(県指定無形民俗文化財)と兄弟獅子の「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の伝統の舞をみることができます。
秋のひと時、ぜひ、郷土春日部の伝統芸能をご堪能してはいかがでしょうか。
【変更日】10月29日(日曜日)
なお、公開時間(午前10:45~午後3:20)、場所(赤沼770 赤沼神社)の変更はございません。
赤沼の獅子舞は、享保3年(1718)に越谷下間久里の香取神社に伝わる「雨下無双角兵衛」系統の獅子舞が伝承され、今年で300年の節目を迎えます。
当日は伝承元であります越谷市の「下間久里の獅子舞」(県指定無形民俗文化財)と兄弟獅子の「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の伝統の舞をみることができます。
秋のひと時、ぜひ、郷土春日部の伝統芸能をご堪能してはいかがでしょうか。
武里西小学校・豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
平成29年10月18日に武里西小学校・豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
明治から昭和期の民具・農具を見たり、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験しました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。

明治から昭和期の民具・農具を見たり、実際に千歯こきを使い脱穀し、少し前の農家の仕事を体験しました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。ぜひ遊びに来てください。
民俗文化財の公開
10月15日(日)に「榎の囃子神楽」、「銚子口の獅子舞」の公開が行われました。
当日はあいにくの降雨でしたが、富多神社の秋例大祭では、富多小学校の日曜公開授業の一環で、日頃の総合的な学習の時間で神楽や囃子に取り組まれている3、4学年の児童のみなさんの練習成果が披露されました。授業で指導されている『榎囃子神楽連』の皆さんも子供たちの堂々とした舞に目を細めて見守っていただきました。
★元気よく口上を唱える「大黒様」
銚子口香取神社では、勇壮な三匹獅子が神社拝殿で所狭しと舞われ、秋の収穫に感謝が捧げられました。銚子口の獅子舞は年明けの1月中旬にも公開され、『銚子口獅子舞保存会』の皆さんは約70年ぶりとなる「ウズメの舞」の復活に向けて練習を重ねております。

★勇壮な三匹獅子による「千島の舞」
当日はあいにくの降雨でしたが、富多神社の秋例大祭では、富多小学校の日曜公開授業の一環で、日頃の総合的な学習の時間で神楽や囃子に取り組まれている3、4学年の児童のみなさんの練習成果が披露されました。授業で指導されている『榎囃子神楽連』の皆さんも子供たちの堂々とした舞に目を細めて見守っていただきました。
★元気よく口上を唱える「大黒様」
銚子口香取神社では、勇壮な三匹獅子が神社拝殿で所狭しと舞われ、秋の収穫に感謝が捧げられました。銚子口の獅子舞は年明けの1月中旬にも公開され、『銚子口獅子舞保存会』の皆さんは約70年ぶりとなる「ウズメの舞」の復活に向けて練習を重ねております。
★勇壮な三匹獅子による「千島の舞」
10月15日に榎の囃子神楽と銚子口の獅子舞が公開されます
10月15日(日)に、榎の囃子神楽、銚子口の獅子舞が公開されます。
場所、日程は下記の通りです。いずれも雨天でも実施します。
ぜひお出かけください。
○榎の囃子神楽
日時:10月15日午前10時から
場所:富多神社(春日部市神間663)
*雨天でも実施します。
○銚子口の獅子舞
日時:10月15日午後2時から
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)
*雨天でも実施します。(神社拝殿内で舞います。)

榎の囃子神楽

銚子口の獅子舞
場所、日程は下記の通りです。いずれも雨天でも実施します。
ぜひお出かけください。
○榎の囃子神楽
日時:10月15日午前10時から
場所:富多神社(春日部市神間663)
*雨天でも実施します。
○銚子口の獅子舞
日時:10月15日午後2時から
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)
*雨天でも実施します。(神社拝殿内で舞います。)
榎の囃子神楽
銚子口の獅子舞
郷土資料館体験講座「ミニぞうりを作ろう」を開催しました
平成29年10月8日(日)、郷土資料館体験講座「ミニぞうりを作ろう」が開催されました。
長さ3mの江戸打ち紐を3本使い、10cmほどの大きさのミニぞうりを作りました。ぞうり本体は、江戸打ち紐を互い違いに編んで作り、最後に鼻緒を、かぎ針を使い本体に編み込んで完成させます。
参加された皆さんは、「可愛い、友達に自慢したい」「家で、もっと小さな物を作ってみよう」「難しかったけど楽しかった」と喜んでいました。
次回体験講座「しめ縄を作ろう」は、12月10日(日)・12月16日(土)です。ご参加をお待ちしています(事前申込必要・広報かすかべ11月号でご案内いたします)。

長さ3mの江戸打ち紐を3本使い、10cmほどの大きさのミニぞうりを作りました。ぞうり本体は、江戸打ち紐を互い違いに編んで作り、最後に鼻緒を、かぎ針を使い本体に編み込んで完成させます。
参加された皆さんは、「可愛い、友達に自慢したい」「家で、もっと小さな物を作ってみよう」「難しかったけど楽しかった」と喜んでいました。
次回体験講座「しめ縄を作ろう」は、12月10日(日)・12月16日(土)です。ご参加をお待ちしています(事前申込必要・広報かすかべ11月号でご案内いたします)。
後醍醐天皇綸旨写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介23
元弘3年(1333)、後醍醐天皇は鎌倉幕府追討の命令を全国に発し、足利尊氏は京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻略、新田義貞は鎌倉を攻めて、ついに鎌倉幕府は滅びました。同年6月(建武元年)、後醍醐天皇は建武の新政を開始しました。しかし足利尊氏はこれに反して室町幕府を開き、南北朝時代が始まりました。
この時代の歴史に春日部氏の一族である春日部重行が登場します。重行は後醍醐天皇方で足利尊氏と対立し、一時は尊氏を破りました。
後醍醐天皇綸旨写は、これら春日部重行の一連の活躍に対して、建武3年(1336)、現在の千葉県東金市あたりの上総国山辺南郡(かずさのくにやまのべみなみぐん)と春日部市あたりの下総国下河辺荘春日部郷(しもうさのくにしもこうべのしょうかすかべごう)の地頭の職を、後醍醐天皇が重行に与えたことを示す資料となっています。
出典:『武州文書』国立公文書館内閣文庫所蔵
「春日部市と建武の新政」『新編 図録 春日部の歴史』48ページ
この時代の歴史に春日部氏の一族である春日部重行が登場します。重行は後醍醐天皇方で足利尊氏と対立し、一時は尊氏を破りました。
後醍醐天皇綸旨写は、これら春日部重行の一連の活躍に対して、建武3年(1336)、現在の千葉県東金市あたりの上総国山辺南郡(かずさのくにやまのべみなみぐん)と春日部市あたりの下総国下河辺荘春日部郷(しもうさのくにしもこうべのしょうかすかべごう)の地頭の職を、後醍醐天皇が重行に与えたことを示す資料となっています。
出典:『武州文書』国立公文書館内閣文庫所蔵
「春日部市と建武の新政」『新編 図録 春日部の歴史』48ページ
粕壁宿めぐりが開催されました。
9月26日(火)、9月28日(木)に粕壁宿めぐりが開催されました。
現在のかすかべ大通りは、かつての日光道中「粕壁宿」の町並みがあったところです。文化財保護課、都市計画課、商工観光課の職員が、春日部市の歴史や景観資源、フードセレクションを案内しながら、粕壁宿の名所・旧跡と大落古利根川沿いを巡りました。
ご興味のある方は、来年度のご参加お待ちしております。
(広報かすかべ、ホームページ等でお知らせします。)


現在のかすかべ大通りは、かつての日光道中「粕壁宿」の町並みがあったところです。文化財保護課、都市計画課、商工観光課の職員が、春日部市の歴史や景観資源、フードセレクションを案内しながら、粕壁宿の名所・旧跡と大落古利根川沿いを巡りました。
ご興味のある方は、来年度のご参加お待ちしております。
(広報かすかべ、ホームページ等でお知らせします。)
やじま橋『新編図録春日部の歴史』からのご紹介22
江戸時代、日光道中の脇往還(わきおうかん)として、粕壁宿と岩槻城を結ぶ「岩槻道」がありました。この道の古隅田川にかけられていた橋がやじま橋です。昭和60年に春日部市指定有形文化財に指定されています。
やじま橋は、元文(げんぶん)2年(1737)に作られた現存する石橋では県内最古の橋です。18枚の大石からなる橋面は長さ約5.6m、幅約2.5m、橋脚から橋面までの橋の高さは約1.9mです。橋脚の下には、松の丸太5本が井桁(いげた)に組まれていて、昭和59年に河川改修に伴って現在の古隅田公園に移されるまで、丸太はしっかりと橋を支えていました。
橋面に使われている大石のうち、中央列の1枚の下面には次のように刻まれています。
「元文二巳ノ夏 永井氏のため志 鶴のハシタテ 亀のカウラン」
この一文から、元文2年の夏に、当時の岩槻藩主であった永井氏のために作った橋であったことが推定できます。
「城と宿を結ぶ」『新編 図録 春日部の歴史』96ページ

現在のやじま橋

移設前のやじま橋
やじま橋は、元文(げんぶん)2年(1737)に作られた現存する石橋では県内最古の橋です。18枚の大石からなる橋面は長さ約5.6m、幅約2.5m、橋脚から橋面までの橋の高さは約1.9mです。橋脚の下には、松の丸太5本が井桁(いげた)に組まれていて、昭和59年に河川改修に伴って現在の古隅田公園に移されるまで、丸太はしっかりと橋を支えていました。
橋面に使われている大石のうち、中央列の1枚の下面には次のように刻まれています。
「元文二巳ノ夏 永井氏のため志 鶴のハシタテ 亀のカウラン」
この一文から、元文2年の夏に、当時の岩槻藩主であった永井氏のために作った橋であったことが推定できます。
「城と宿を結ぶ」『新編 図録 春日部の歴史』96ページ
現在のやじま橋
移設前のやじま橋
藤塚小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
平成29年9月26日(火)に藤塚小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し昔に使われていた道具を実際に手に取ったり、千歯こきを使い脱穀を体験しました。
郷土資料館では、10月3日(火)から3月18日(日)まで、昔の懐かしい道具や写真を展示する「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。

少し昔に使われていた道具を実際に手に取ったり、千歯こきを使い脱穀を体験しました。
郷土資料館では、10月3日(火)から3月18日(日)まで、昔の懐かしい道具や写真を展示する「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。
内牧塚内4号墳から発掘された直刀『新編図録春日部の歴史』から21
内牧に所在する内牧塚内古墳群は、19基の古墳からなる古墳群です。
このうち4号墳は昭和52年8月16日から9月17日まで、市史編さんのために発掘調査が行われました。
発見された様々な副葬品は全て春日部市指定文化財に指定されています。
今回はその中から直刀(ちょくとう)をご紹介します。直刀は反りがない刀のことです。反りのあるいわゆる「日本刀」は、このあと平安時代ごろから使われるようになります。
直刀は3振りが発掘され、それぞれ全長が32.5㎝、100.3㎝、95.6㎝をはかります。いずれも木の残存物が付着していたことから、副葬された当時は、木製の柄(つか)が付けられ、木製の鞘(さや)におさめられていたものと考えられます。
直刀の郷土資料館での実物の展示は不定期です。
「大和王権の地方支配」『新編 図録 春日部の歴史』27ページ
このうち4号墳は昭和52年8月16日から9月17日まで、市史編さんのために発掘調査が行われました。
発見された様々な副葬品は全て春日部市指定文化財に指定されています。
今回はその中から直刀(ちょくとう)をご紹介します。直刀は反りがない刀のことです。反りのあるいわゆる「日本刀」は、このあと平安時代ごろから使われるようになります。
直刀は3振りが発掘され、それぞれ全長が32.5㎝、100.3㎝、95.6㎝をはかります。いずれも木の残存物が付着していたことから、副葬された当時は、木製の柄(つか)が付けられ、木製の鞘(さや)におさめられていたものと考えられます。
直刀の郷土資料館での実物の展示は不定期です。
「大和王権の地方支配」『新編 図録 春日部の歴史』27ページ
元禄下総国絵図『新編図録春日部の歴史』からのご紹介20
正式名称を「元禄国絵図下総国」といい、元禄15年(1702年)に関宿藩と古河藩によって作られ、幕府に献上された絵図です。
郡ごとに色分けされた小判型の枠内に村名と村の石高をはじめ、河川や主要交通路、一里塚などが描かれています。
寛永12年(1635年)に描かれた「正保下総国絵図」と比べると、新しい村名が出現しており、約70年の間に江戸川の開削により新田が開発され、多くの村が増えたことがわかります。
この絵図は、原本は国立公文書館の内閣文庫に所蔵されており、同館のデジタルアーカイブで高精細な画像を見ることができます。
国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図下総国」
「台地や自然堤防周辺の開発」『新編 図録 春日部の歴史』84ページ
郡ごとに色分けされた小判型の枠内に村名と村の石高をはじめ、河川や主要交通路、一里塚などが描かれています。
寛永12年(1635年)に描かれた「正保下総国絵図」と比べると、新しい村名が出現しており、約70年の間に江戸川の開削により新田が開発され、多くの村が増えたことがわかります。
この絵図は、原本は国立公文書館の内閣文庫に所蔵されており、同館のデジタルアーカイブで高精細な画像を見ることができます。
国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図下総国」
「台地や自然堤防周辺の開発」『新編 図録 春日部の歴史』84ページ
手作り季節展示を展示してます
十五夜・十三夜をテーマとした手作り季節展示を展示中です。
可愛い”うさぎ”が月見団子を前に月見をしています。
一緒に月見をしませんか?
今年の十三夜の11月1日まで展示しております。
可愛い”うさぎ”が月見団子を前に月見をしています。
一緒に月見をしませんか?
今年の十三夜の11月1日まで展示しております。
くらしのうつりかわり展のポスターができました
平成29年10月3日(火)~平成30年3月18日(日)に、小学校地域学習展(第34回)「くらしのうつりかわりー懐かしの暮らしと道具展」を開催します。
少し昔の道具などを展示して、懐かしの暮らしを再現する展示会です。小学校第3学年の社会科地域学習に対応した内容となっており、毎年市内の小学校が団体見学で訪れます。昔の道具や写真から、子どものころを懐かしく思い出していただけるようで、お子さんだけでなく、ご年配の方にも好評な展示会です。
利用者のニーズに応じて、今回は学校向けのチラシ、一般向けのチラシの2パターンを作成し、完成しました。ここで、お披露目したいと思います。

少し昔の道具などを展示して、懐かしの暮らしを再現する展示会です。小学校第3学年の社会科地域学習に対応した内容となっており、毎年市内の小学校が団体見学で訪れます。昔の道具や写真から、子どものころを懐かしく思い出していただけるようで、お子さんだけでなく、ご年配の方にも好評な展示会です。
利用者のニーズに応じて、今回は学校向けのチラシ、一般向けのチラシの2パターンを作成し、完成しました。ここで、お披露目したいと思います。
日光街道埼玉六宿スタンプラリーはじまりました
9月1日(金)から11月30日(木)まで、日光街道埼玉六宿スタンプラリーがはじまりました。

このスタンプラリーは、県内の日光街道六宿(草加・越ケ谷・粕壁・杉戸・幸手・栗橋)をめぐっていただくものです。スタンプラリー実施期間中に、各宿で開催する観光ガイドによるツアーへの参加、対象イベントへの参加、自身による自由散策を行い、六宿のうち四宿以上のスタンプを集めると、抽選で日光街道埼玉六宿にちなんだ品をプレゼントがいただけるそうです。詳しくはこちら。
当館は「粕壁宿」のスタンプ設置場所となっています。
また、当館では宿場町の案内地図を配布していますので、スタンプラリーのついでに、宿場町のジオラマを御覧いただき、往時の町並みを感じながら、町を散策していただければ幸いです。

余談ですが、「埼玉六宿」という言葉について。
宿場町が機能していた当時(江戸時代)の人たちの言葉では、六つの宿場町を数える場合、六宿(ろくしゅく)でなく、「六ケ宿」(ろっかしゅく)と表記したようです。もっとも、埼玉県内の宿場については、越ケ谷宿の間の宿(あいのしゅく)の大沢町を宿場町として数える場合もありました。実際に、粕壁宿・大沢町・越ケ谷宿を「三ケ宿」(さんかしゅく)と数える古文書もあります。
「埼玉」については、江戸時代には、当然「埼玉県」という枠組みはありませんが、古代律令制以来の「埼玉郡」という領域がありました。現在「埼玉六宿」のうち「埼玉郡」だったのは越ケ谷宿・粕壁宿で、草加宿は「足立郡」、杉戸宿・栗橋宿は「葛飾郡」に属していました。草加~栗橋の六ケ宿が「六ケ宿」としてまとまり、古文書などの歴史の表舞台に登場することは、管見の限り目にしたことはありません。
ですから、スタンプラリーの「埼玉六宿」は、ともすると”江戸時代っぽい”言葉に聞こえますが、実はきわめて現代的な言葉です。埼玉県の六つの宿場町が一つにまとまったという意味で、「埼玉六宿スタンプラリー」は歴史的にも興味深い取り組みだと思います。
このスタンプラリーは、県内の日光街道六宿(草加・越ケ谷・粕壁・杉戸・幸手・栗橋)をめぐっていただくものです。スタンプラリー実施期間中に、各宿で開催する観光ガイドによるツアーへの参加、対象イベントへの参加、自身による自由散策を行い、六宿のうち四宿以上のスタンプを集めると、抽選で日光街道埼玉六宿にちなんだ品をプレゼントがいただけるそうです。詳しくはこちら。
当館は「粕壁宿」のスタンプ設置場所となっています。
また、当館では宿場町の案内地図を配布していますので、スタンプラリーのついでに、宿場町のジオラマを御覧いただき、往時の町並みを感じながら、町を散策していただければ幸いです。
余談ですが、「埼玉六宿」という言葉について。
宿場町が機能していた当時(江戸時代)の人たちの言葉では、六つの宿場町を数える場合、六宿(ろくしゅく)でなく、「六ケ宿」(ろっかしゅく)と表記したようです。もっとも、埼玉県内の宿場については、越ケ谷宿の間の宿(あいのしゅく)の大沢町を宿場町として数える場合もありました。実際に、粕壁宿・大沢町・越ケ谷宿を「三ケ宿」(さんかしゅく)と数える古文書もあります。
「埼玉」については、江戸時代には、当然「埼玉県」という枠組みはありませんが、古代律令制以来の「埼玉郡」という領域がありました。現在「埼玉六宿」のうち「埼玉郡」だったのは越ケ谷宿・粕壁宿で、草加宿は「足立郡」、杉戸宿・栗橋宿は「葛飾郡」に属していました。草加~栗橋の六ケ宿が「六ケ宿」としてまとまり、古文書などの歴史の表舞台に登場することは、管見の限り目にしたことはありません。
ですから、スタンプラリーの「埼玉六宿」は、ともすると”江戸時代っぽい”言葉に聞こえますが、実はきわめて現代的な言葉です。埼玉県の六つの宿場町が一つにまとまったという意味で、「埼玉六宿スタンプラリー」は歴史的にも興味深い取り組みだと思います。
三上於菟吉ウォークが開催されました
本日、夏季展示「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか」展の最終日です。
それに合わせて、三上於菟吉顕彰会主催・春日部市教育委員会後援の「三上於菟吉ウォーク」が開催されました。

協力いただきました、かすかべ案内人の会によるご案内のもと、郷土資料館、三上於菟吉の下宿先跡(粕壁東)、終焉の地(八丁目)、八幡山(浅間山・浜川戸)、県立春日部高等学校(八木崎)ほか粕壁界隈の関係地をめぐりました。約2時間のゆっくりとした行程でしたが、天気にも恵まれ、於菟吉ゆかりの地を楽しく散策できました。

案内人の会と顕彰会の皆さん、参加者の皆さんお疲れさまでした。市内には例えば俳人加藤楸邨先生ゆかりの地など、文学ゆかりのスポットがいくつかございます。皆さまも、これから秋にかけて、宿場巡りなどとも合わせて、巡ってごらんになってはいかがでしょうか?
それに合わせて、三上於菟吉顕彰会主催・春日部市教育委員会後援の「三上於菟吉ウォーク」が開催されました。
協力いただきました、かすかべ案内人の会によるご案内のもと、郷土資料館、三上於菟吉の下宿先跡(粕壁東)、終焉の地(八丁目)、八幡山(浅間山・浜川戸)、県立春日部高等学校(八木崎)ほか粕壁界隈の関係地をめぐりました。約2時間のゆっくりとした行程でしたが、天気にも恵まれ、於菟吉ゆかりの地を楽しく散策できました。
案内人の会と顕彰会の皆さん、参加者の皆さんお疲れさまでした。市内には例えば俳人加藤楸邨先生ゆかりの地など、文学ゆかりのスポットがいくつかございます。皆さまも、これから秋にかけて、宿場巡りなどとも合わせて、巡ってごらんになってはいかがでしょうか?