ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

博物館実習がはじまりました。

本日7月25日から、博物館実習が始まりました。
博物館実習は、大学の博物館学芸員の資格課程の一環として行うもので、郷土資料館では、今年度5人の大学生のみなさんを実習生として受け入れています。
今日は、収蔵庫やバックヤードを含む館内を見学したり、文化財保護行政の実態について講義を受けたり、資料の取り扱いについて実技演習をしました。


(文化財行政の講義)


(実物の資料の取り扱い)
初日だったので、みなさん緊張した面持ちでした。
8月1日までの1週間、みなさんがんばってください。

夏季展示がはじまりました。

7月22日(土)、夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展の初日を迎えました。
夏季展示風景
この展示会は、春日部ゆかりの大衆作家・三上於菟吉を紹介する展示会です。
三上於菟吉は、「雪之丞変化」などの作品で著名な昭和初期の作家です。明治24年(1891)市内の木崎に生まれ、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)に進学し、晩年は市内の八丁目に疎開し、昭和19年(1944)当地で53年の生涯を閉じました。
今回の展示では、地元に伝わる三上於菟吉関係の資料をはじめ、希少本や自筆の短冊・書簡などの貴重な品々が、所狭しと展示されています。
初日には、展示担当者による解説講座「三上於菟吉と春日部」を開催しました。また午後3時からは展示室で資料を解説する
ギャラリートークを開催します。
解説講座
展示会は、9月3日(日)まで開催しています。来場された方には無料で展示パンフレットを差し上げておりますので、ご興味のおもちのかたはぜひご来場ください。

神明貝塚の人骨が常設展に登場!

7月22日(土)から、神明貝塚で発掘された縄文人の人骨を展示しています。
縄文コーナー展示替
神明貝塚は、今から約3800~3500年前(縄文時代後期前半)の貝塚で、市内の西親野井地区に所在しています。
平成28年度の調査で、3体の縄文人骨が新たに発見され、話題になりました。
縄文時代の人の骨が残るケースは、非常に稀なことで、神明貝塚には縄文人が食べた貝殻が大量にたい積し、酸性土壌が中和され、奇跡的に現代まで残ったものと考えられています。
今回、展示した人骨(頭蓋骨)は、30歳~60歳の縄文時代の女性のものです。身に着けていた装飾品や、縄文時代の骨格と比較するために江戸時代の人骨(頭蓋骨)なども展示し、解説パネルもリニューアルしました。

博物館などでは、レプリカの人骨を目にすることはあっても、本物・原物の人骨を目にすることはあまりありません。本物の人の頭蓋骨だけあって、なかなか迫力がありますし、少しゾッとします(個人の感想です)。

縄文時代の人骨
この暑さを吹き飛ばすため、よく冷えた展示室で、縄文人と見つめあってみてはいかがでしょうか。

なお、今回の展示替については、
産経新聞さん、ヤフーニュースさんにもとりあげていただきました。

にっこり 図書の寄贈を受けました

栄東中学・高等学校の理科研究部の皆さんから、『歴史地震』第32号の寄贈をうけました。
歴史地震32表紙
本誌は、歴史地震研究会が発行する学術雑誌で、本号には、以前、同校の理科研究部の皆さんが市内や当館所蔵資料を調査した成果が掲載されています。
①「埼玉県春日部市に残る1923年関東地震に関する石碑」では、市内の寺社、小学校に残る関東大震災にかかわる石造物を踏査し、碑文を翻刻、当地震の被害状況を考察するものです。すでに『春日部市史』に紹介されているもののみならず、地道な調査のなかから見出したものもあり、春日部の歴史をひもとくうえで大変貴重な成果といえます。
②「埼玉県春日部市郷土資料館に残る1923年関東地震に関する記録~大震災記念児童文集と大正12年粕壁町震災写真帳~」では、当館で保管している粕壁小学校
「大震災記念児童文集」「震災写真帖」の内容を一部紹介するものです。当館では、両資料ともにすでに展示会等で紹介しているところですが、学術雑誌上で紹介されるのは初めてです。今後、詳しい検討がまたれます。

栄東中学・高等学校の理科研究部の皆さんの成果を、今後郷土資料館の活動に活かしていきたいと思います。
皆さん、ありがとうございました。

企画展示室を撤収しました。

7月9日(日)まで開催していた、春季展示(収蔵品展14)「あなたの家にも眠っていませんか?」展が終わり、展示されてた資料を片付けました。
展示ケースがからっぽになると、なぜだかさみしい気持ちになるのはわたしだけでしょうか。


いよいよ、夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」がはじまります。
初日の7月22日(土)に向けて絶賛準備中です。乞うご期待。

7月15日(土)、16日(日)の指定文化財(民俗芸能)の公開

7月15日(土)、16日(日)は、指定文化財の民俗芸能が数多く公開されます。
どうぞお出かけください。
(詳細は上の「文化財保護課からのお知らせ」よりリンク先をご覧ください)

●不動院野の神楽(春日部市指定無形民俗文化財)
7月15日(土)、16日(日)
春日部夏まつり会場
春日部夏まつりの際に曳き回しをされる山車()の上で奉納されます。今年は幸松小学校の児童もお囃子に加わります。

●やったり踊り(埼玉県指定無形民俗文化財)
7月15日 (土) 午後8時~9時30分
大畑香取神社(春日部市大畑230)

●赤沼の獅子舞(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後1時~3時 奉納舞
赤沼神社(春日部市赤沼770)

●西金野井の獅子舞(埼玉県指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後2時、4時、5時より奉納舞
西金野井香取神社(春日部市西金野井1053)
 
南桜井小学校の伝統芸能クラブの児童による子供獅子の舞も披露されます。

●銚子口の獅子舞(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後2時~4時 奉納舞
銚子口香取神社(春日部市銚子口551)

●榎の囃子神楽(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後2時~3時 奉納舞
榎集会所(春日部市榎522)

●倉常の神楽囃子(春日部市指定無形民俗文化財)
7月16日 (日) 午後6時~8時 奉納舞
倉常神社(春日部市倉常118)

幸松小学校「放課後こども教室」での神楽の練習

幸松小学校の放課後こども教室の時間には、東不動院野神楽保存会の指導の下に「神楽」が取り入れられています。小学1年生~6年生の約10名の児童が、鈴木会長の笛の音色に合わせ熱心に太鼓や鉦(かね)の練習に励みました。太鼓の代わりにタイヤを使って練習していた1年生は、大粒の汗を流しながら懸命に上級生とリズムを合わせていました。
本日参加した6年生や3年生の中には、夏祭りに参加する児童もいるそうで、祭り本番に向けた最後の仕上げともなりました。今年の夏まつりには、内出町・八丁目下組の山車の上で神楽や囃子が上演されます。

幸松小神楽練習1

やったり踊り練習の様子

7月15日の祭礼に向け、埼玉県無形民俗文化財のやったり踊りの練習が仕上げに入っています。本日8日と明日は大畑香取神社境内で若衆、小若共に扇子踊り、手踊りの確認を行ないます。
祭礼当日は午後8時に西光寺を練り込みで出発、午後8時30分過ぎから香取神社で勇壮な舞が披露されます。

浜川戸遺跡出土の板碑 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介15

昭和62年に浜川戸遺跡で行われた発掘調査では、浜川戸砂丘の頂上部分に中世墓が確認され、3体分の焼かれた人骨、土器類とともに板碑(いたび)が発見されました。
板碑に刻まれた年号は、古いものから弘安6年(1283年)、徳治3年(1308年)、正和元年(1312年)、嘉暦2年(1327年)、応安2年(1369年)となります。これはこの墓地が、1283年から1369年まで86年間使用されたことを示すとともに、砂丘の頂上部分で発見されていることから、古い年代の1283年や1308年頃には、既に砂丘の形成が終了していたことを示す根拠ともなります。
これらの板碑は「浜川戸遺跡出土板石塔婆」として春日部市有形文化財に指定されて、春日部市郷土資料館に展示しています。さらに平成28年3月には、春日部八幡神社や八幡公園一帯に広がる砂丘が「中川低地の河畔砂丘群 浜川戸砂丘」として埼玉県天然記念物にも指定されました。

「館跡とくらし」『新編図録春日部の歴史』62ページ
『浜川戸遺跡8 10次 花積台耕地遺跡6次 慈恩寺原南遺跡 塚内18号墳』春日部市埋蔵文化財調査報告書第12集 2002

砂丘上の墓地
砂丘上の墓地


発見された板碑

笑う 市民の方から資料の寄贈をうけました。

市内在住の方から、昭和12年(1937)5月~昭和18年(1943)10月「南桜井村報」を寄贈していただきました。
「南桜井村報」は、北葛飾郡南桜井村の村民向けに発行された村の広報誌です。
これまで、「南桜井村報」の存在は知られており、当館では昭和13年4月~昭和16年6月の一部を所蔵していましたが、欠号が多く全容がわかっていませんでした。

今回、ご寄贈をいただいたものは、「南桜井村報」の第一巻第一号から、第九巻第四十四号までほぼ欠号がなく綴りこまれています。


第一号の巻頭の辞によれば、「紙上を通じて村の皆様に、村の希望、注意指導等を、お伝へする」ために毎月一回発行したことがわかります。また「読者欄」が設けられ、村民「体験、抱負、希望等」を発表する場を兼ねていたようです。
南桜井村報巻頭の辞
実際に、発行初期には「小学校で今度養鶏をやつて居る様ですが、種卵は譲って戴けるのでしょうか」などの農産業に関するQ&Aや、「南桜井村和楽音頭」(作詞:石原江風)という郷土の歌が掲載されるなど、地域の産業・文化の情報発信・伝達の場として機能していました。
しかし、日中戦争が深刻化すると、出征者からの報告の手紙を紹介する「戦場便り」や、出征者が戦没すると追悼や村葬儀の案内等、「銃後奉公」や戦地に関する情報が、村報の紙面を占めるようになっていくことがわかります。



戦前・戦時期の南桜井村、県東部の農村の状況を示す大変貴重な資料といえます。
今後、調査研究して、活用させていただきたいと存じます。
改めて、寄贈いただいた方にはお礼を申し上げます。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成29年7月1日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ ぶんぶん駒を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぶんぶん駒」を一生懸命に作り、”ぶーん・ぶーん”と音を鳴らしながら遊んでいました。
ワークショップは、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、平成29年8月5日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。

ワークショップの様子
ワークショップの様子

富士塚の分布 『新編図録春日部の歴史』からのご紹介14

7月1日には各地で富士山の山開きを祝う初山の行事が行われます。
江戸時代、富士山を信仰の対象とした富士信仰(ふじしんこう)が盛んになり、この信仰のための集まりである富士講(ふじこう)が各地に作られました。
富士講では、富士塚(ふじつか)という富士山を模した人工の山を地域内の神社に作り、実際に富士山に行かなくてもお参りができるようにしました。市内には現在でも29ヶ所の富士塚が確認され、このうち水角神社の富士塚は、市の有形民俗文化財に指定されています。

「身近な庶民信仰」『新編 図録 春日部の歴史』112ページ


出張・旅行 幸松地区公民館「むかしの遊び教室」に資料が出張しました

平成29年6月24日(土)、幸松地区公民館で開催された「むかしの遊び教室」に資料を提供しました。
「むかしの遊び教室」は、地域の方々に協力していただき、子どもたちに、一昔前の遊びを体験してもらうイベントです。
郷土資料館からは、昔の道具やおもちゃなどを提供して、来場した子どもたちに昔のおもちゃ・道具を体験してもらいました。
今年度は、市民ボランティアの皆さんがおもちゃ・道具の扱い方を丁寧に指導され、子どもたちは大変楽しんでいる様子でした。

会場のようす

富多小学校の「総合的な学習の時間」での神楽の練習

富多小学校では、平成14年から第3・4学年の「総合的な学習の時間」に榎囃子神楽連の指導の下、『神楽』が取り入れられています。今年は、今日の練習で4回目となり、3年生3名、4年生9名の計12名が、演目「大黒様」の練習に励みました。前回までの練習では、古いタイヤを使った太鼓の打ち鳴らしでしたが、今回、初めて本物の太鼓を使いました。3年生は、少し緊張した様子でしたが、舞とお囃子共に4年生をお手本にしながら、金子会長の熱心な指導を受けていました。

初めて太鼓を使う練習の様子
初めて太鼓を使う練習の様子
演目「大黒様」の練習の様子
「大黒様」の練習の様子
 今後は10月下旬に開催される「けやき祭り」での披露に向け、「大黒様」「おかめひょっとこ」の習得に励みます。

尋常小学校の教科書『新編図録春日部の歴史』その13

明治5年(1872)、明治政府は学制を発布(はっぷ)しました。
春日部市域では、19か所で寺院などを利用した小学校が開かれました。
設立当初は学年が8年制で、下等小学4年、上等小学4年と分けられていました。明治19年の小学校令の交付により、尋常(じんじょう)小学校(4年制)と高等小学校(4年制)という名称が使われ始め、尋常小学校の4年間、6歳から14歳までは義務教育とされました。

教科書は、当時の文部省が作成し、全国の小学生が共通したものを使用しました。
明治9年6月14日には、埼玉県小学校教則の改定によって全県共通の時間割が定められました。教科には、読物や書取、問答、習字、算術などが並び、月曜日から土曜日まで同じ時間帯に同じ教科が割り振られました。また、第ニ土曜日は、それぞれの授業時間を半分の時間とし、半日授業としたたようです。
全ての子どもを対象とした開かれた小学校でしたが、教科書代や学用品、授業料、学校経費などを保護者が負担しなくてはならないこと等により、子どもを通学させることが困難な家庭もありました。

「国民皆学への道」『新編図録春日部の歴史』156ページ



尋常小学校読書教本と小学校日本歴史の教科書


尋常小学校読書教本

南桜井小学校”伝統芸能クラブ”での獅子舞練習

6月14日、南桜井小学校では今年度4回目のクラブ活動が行われ”伝統芸能クラブ”では早くも「笛」と「舞い」の練習が進んでいました。
現在、6年生6名、5年生3名、4年生8人と総勢17名が西金野井獅子舞保存会の染谷会長の熱い指導の下、地域に伝わる『西金野井の獅子舞』の会得に取組んでいます。


笛の練習 
会長さんの指の動きを見ながらの笛の練習風景~伝統芸能には楽譜はなく、先輩の指と音色で覚えます~

男子6名は笛の音色にのせて、「芝舞い」を練習中!~腰を落とし、激しい舞のために汗がしたたり落ちる~

7月16日の西金野香取神社でお祭りでは、保存会の勇壮な舞と共に、子どもたちの舞も披露されますので、ご期待ください。

土器作り教室と産直の里内牧体験 参加者募集!


縄文人の技術を用いて土器をつくります。
皆さんのご応募をお待ちしています。

日時:7月30日(日曜日)、8月20日(日曜日)全2回
(8月20日が雨天の場合は、8月27(日曜日)に順延)
いずれも、午前10時~午後4時
会場:教育センター(7/30)、内牧公園・内牧公園近隣農園(8/20)
※8/20の土器焼き、勾玉製作・火おこし体験のほか、近隣農園で収穫体験のメニューもご用意しております。
募集人数:50名(応募者多数の場合は、抽選。小学生以下は保護者同伴)
参加費:200円(予定、材料費)※収穫体験の費用は別途

【申し込み方法】
7月14日(金曜日・必着)までに直接(土・日曜日は、郷土資料館で受付)、はがき、またはメールで、参加者全員の住所・氏名・電話番号・生年月日・収穫体験参加の有無を記入し、下記あてにお申し込みください。
〒344-0062 粕壁東3-2-15 春日部市教育委員会文化財保護課
メールアドレス:
bunkazai@city.kasukabe.lg.jp
抽選結果は、7月21日(金曜日)までに応募者全員に通知します。

東不動院野神楽保存会が「地域の伝統文化分野」で助成が採択されました

市の無形民俗文化財に指定され、日頃、文化遺産の保存と継承に努められている「東不動院野神楽保存会」が、このたび、公益財団法人 明治安田クオリティオブライフ文化財団から平成29年度の助成が採択され、6月8日に目録贈呈式に出席されました。

贈呈式 
同保存会では、平成26年度から幸松小学校の放課後子ども教室にて月2回の頻度で”神楽教室”を開催しており、後継者養成と児童の地域学習にもご尽力されています。
今回、こうした後継者養成を目的とした太鼓類の新調や修繕への要望が認められ、助成の採択となりました。この教室では太鼓の代わりに古タイヤを使って練習していましたが、これで本物の音色が打ち響きわたることが期待されます。 
放課後子ども教室
東不動院野神楽保存会の皆さんは、7月15・16日に開催される春日部夏まつりでも山車の上でお囃子を奏でますので、是非、ご覧ください。

須恵器生産地別の特徴『新編図録 春日部の歴史』からのご紹介-その12

奈良時代、平安時代には”須恵器”と呼ばれる日常の食器がみられます。、現代のロクロのような回転する機械を使って成形され、密閉された登り窯で1200度という高温で焼かれた土器です。色は灰色のものが多く、硬い仕上がりとなり、たたくと金属音に近い音がします。

須恵器はその形や作り方、使われている粘土に含まれている物質の違いなどから、生産地が限定されることがあります。
春日部市内の奈良時代、平安時代の遺跡からは、茨城県土浦市周辺の新治窯跡(にいはりかまあと)や埼玉県寄居町周辺の末野窯跡(すえのかまあと)、鳩山町周辺の南比企窯跡(みなみひきかまあと)などの製品が確認されています。
そして同じ春日部市内でも、庄和地域の遺跡では新治窯跡などの春日部よりも東に位置する窯の須恵器が、春日部地域の遺跡では、末野窯跡や南比企窯跡などの西に位置する窯の須恵器が発見される割合が高くなります。

現在、庄和総合支所のエントランスで産地別の須恵器を紹介する展示を行っています。是非ご覧ください。

「土器の交易」『図録春日部の歴史』35ページ




新治窯産の須恵器(陣屋(じんや)遺跡;西宝珠花)
キラキラと光る雲母(うんも)という岩石の粒が含まれます



末野窯産の須恵器(小渕山下(こぶちやました)遺跡;小渕)
片岩(へんがん)という岩石の粒が含まれます。



南比企窯産の須恵器(小渕山下(こぶちやました)遺跡;小渕)
白色針状物質(はくしょくしんじょうぶっしつ)と呼ばれる針状の物質が含まれます

市民の方から資料を寄贈していただきました

「あなたの家にも眠っていませんか?」展で呼びかけているため?
・・・かどうかわかりませんが、
本日も市民の方から貴重な資料を寄贈していただきました。
武州粕壁町商売繁栄双六

いただいた資料は、「武州粕壁町商売繁栄双六」。
粕壁の町中の商店をマスにしたオリジナルの双六(すごろく)です。
年代は記されていませんが、内容から昭和初期に版行されたものと推定されます。
双六には、当時の商店や医院、銀行などの広告がマスに配され、
今でいうチラシとして、得意先などに配付されたもののようです。

実は、数年前、古書店の売り立て目録で、同様の粕壁町内の双六を目にしたことがあり、
本日、資料をみせていただいたとき、感激のあまり、声をあげてしまいました。
売り立て目録に掲載されていたものは、今回寄贈されたものとはまた別の図柄でした。
いくつかのバリエーションがあるようです。

この双六は、町や商家の歴史はもとより、当時の風俗を知るうえでも大変貴重な資料です。
双六なので、子どもたちに遊んでもらえます(もちろん複製物で)。

今後、調査研究して、ながく活用させていただきたいと存じます。
改めて、寄贈いただいた方にはお礼を申し上げます。

皆さんのお宅にも、こうした資料が眠っていませんか?