ほごログ(文化財課ブログ)

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中学校の生徒が、郷土資料館を見学しました

平成30年6月22日に、市内の中学校の生徒が郷土資料館を見学しました。
貝塚より発掘された人骨や、竪穴式住居・粕壁宿の模型などを学芸員の説明を聞きながら見て、郷土の歴史や変化を身近に感じていました。
生徒達は、とても熱心にメモを取ったり、疑問に思ったことを色々と質問したりして、だいぶ興味をもってくれたようです。

見学の様子

南桜井小学校伝統芸能クラブの獅子舞練習

6月20日、南桜井小学校「伝統芸能クラブ」の4~6年生(計15名)が、西金野井獅子舞保存会の会長さんらの指導のもと、獅子舞の練習を行いました。伝統芸能クラブの活動は、今年度で8年目を迎えます。
5月に取材した時には、笛の音は弱々しく、バラバラな印象を受けましたが、練習の積み重ねによって笛の音は大きくなり、染谷会長の笛の音色と一つになっていました。また、舞の練習では、足腰の動きの細かい指導があり、7月22日(日)西金野井香取神社で行われる祭礼に向けて一段と練習が進んでいます。西金野井の獅子舞は、県の無形民俗文化財に指定されています。子供たちの練習の成果もお披露目されますので、ぜひ一春日部市の伝統芸能をご覧になってみてください。



     ~大きな笛の音が教室に響きました~


   ~保存会の方の説明を真剣に聴いていました~

当日は、クラブ活動終了後に「市長とわがまち未来トーク」の懇談も行われました。生徒の皆さんは緊張した様子で、市長からの質問に答え、自分が描く春日部と将来の夢を話してくれました。

「やったり踊り」公開に向けて練習に取り組んでいます!

 来月の7月14日(土)には、埼玉県から指定されています、無形民俗文化財の「やったり踊り」が武里駅からほど近い、大畑香取神社で午後8時から公開されます。
 6月17日(日)には小学生1年生から中学生の30名の小若が祭礼当日に舞う『練りこみ(ねりこみ)』、『扇子踊り』、『手踊り』の3曲の練習に取り組みました。本日で5回目の練習ということもあり、上級生は下級生を引っ張り、元気良い掛け声が練習会場の集会所に響きわたりました。低学年の子供たちは踊りの所作の難しさはあるものの、地域の上級生や指導者である若衆と触れ合う貴重な機会にもなっており、何度も繰り返す練習にも真剣に向き合う様は見学されていたお父さんやお母さんにとっても嬉しい光景にもなっていました(教育委員会の担当にとってもまさに感動!!)。

今年も郷土の伝統の舞が、こうした練習の積み重ねによって確実に伝承されておりますので、ぜひ、1年に一度の祭礼の機会に郷土の伝統芸能をご堪能してみてください。
扇子踊り
 ▲上半身を後ろへ反らし「ヤッタリナー」の掛け声が特徴的な「扇子踊り」。
手踊り
 ▲哀愁的な唱と囃子による「手踊り」。埼玉県でも数少ない『念仏踊り』の一つに位置づけられています。


宝珠花大凧宣伝のチラシ『新編図録春日部の歴史』からのご紹介50

今年の宝珠花の大凧上げは、天候不良のために5月3日は残念ながら中止となりましたが、5月5日には下若組の「平成」、上若組の「感謝」がともに大空に舞い上がりました。

今回ご紹介するのは、大正15年(1926)から昭和8年(1933)ごろに配られた大凧を宣伝するチラシです。
まず目を引くのは一番右に書いてある実施日が「6月5日、6日」になっています。現在と違い、昭和29年(1954)以前は旧暦5月5日の「旧端午の節句(きゅうたんごのせっく)」に近い、6月に凧上げが行われていました。ちなみに平成30年の「旧端午の節句」は、6月18日です。

チラシでは他に、凧の大きさや会場までの鉄道や乗合自動車の運賃なども記されています。
凧の大きさは、『世界無比』といったタイトルがつけられ、長さ8間(約14.4m)、幅6間半(約11.7m)、重量200貫(約750㎏)で、現在の大きさとほぼ変わりません。
また交通運賃は、浅草雷門から粕壁駅(現春日部駅)までの鉄道運賃が1円20銭、粕壁駅から宝珠花までの乗合自動車運賃が30銭、往復で50銭と、往復利用で割安となっていたようです。

大正15年には、このようなチラシ10,000枚とポスター500枚を用意し、東京市(現東京都)、千葉県、茨城県、栃木県などへ2班の自動車隊を編成し、配布したという記録が残っています。


『埼玉県の大凧揚げ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧揚げ』1993 庄和町教育委員会
『埼玉県の大凧揚げ習俗写真・資料集ー庄和町西宝珠花の大凧揚げ』1994 庄和町教育委員会
「祭礼と芸能」『新編 図録 春日部の歴史』114ページ

宝珠花大凧上げのチラシ

興奮・ヤッター! (7月8日まで)春日部市郷土資料館の企画展示

本日、文化財マップ講座(宝珠花編)(主催:かすかべ案内人の会)があり、講座の途中に現在開催中の企画展示の資料解説が行われました。
受講者のみなさんで展示室がごった返しました。

写真:展示室の様子1

写真:展示室の様子2

講師の学芸員により、展示資料のうち、西宝珠花にゆかりのあるものについて説明がありました。西宝珠花関係では「西宝珠花の回漕店の半てん」や県内でも珍しい江戸川に架かる船橋「宝橋」の関係資料が陳列しています。
受講者のみなさん、現物を目の前にして真剣に解説を聞いていらっしゃいました。

そんな「近代の交通・流通」展、会期は7月8日(日)まで。同展では、近代に登場した鉄道をはじめ、舟運や陸運の歴史について紹介しています。
7月7日(土)には解説講座「春日部の舟運」も開催します(詳細は広報誌で)。
こちらもあわせて、お見逃しなく。

塚崎遺跡のカマド『新編図録春日部の歴史』からのご紹介49

春日部市の北東部、塚崎地区にある塚崎遺跡は、古墳時代後期から奈良時代(今から1500~1200年前ころ)にかけてのムラが発掘されています。
この時代の住まいである竪穴住居には、”カマド”と呼ばれる、調理を行う施設が設けられています。カマドは、住居の壁に接した部分に粘土などをドーム状に押し固め、火を焚く部分を作り、ドームの天井部分に調理器具である甕(かめ)を設置する穴があけられます。
カマドをもつ住居跡の発掘調査では、甕を設置する天井部分を左右から支える袖(そで)という部分がよく残っている場合があります。

平成19年度の調査では、現在の茨城県などを中心に製作、使用された常陸型甕(ひたちがたかめ)を袖を支える芯材(しんざい)として使用したカマドが発見されました。
市内では、宝珠花地区をはじめとした市の東部に所在する遺跡で常陸型甕が比較的多く用いられていたようで、当時の人々が、茨城県方面の人々と交流をもっていたことがわかります。
さらに、塚崎遺跡で発見されたカマドの芯材に常陸型甕を使用している事例は、住居施設の資材として使われるほど、常陸型甕が日常にとけこんでいたことを示すものです。

「古墳時代の生活と文化」『新編 図録 春日部の歴史』30ページ

塚崎遺跡のカマド
塚崎遺跡で発見されたカマド
袖の粘土を除去すると、常陸型甕が左右2個体ずつ口を下に設置されていた

カマドから発見された常陸型甕
カマドから発見された常陸型甕
袖に使われた4個体の他に、調理に使われたと思われるものが1個体発見された

了解 いろいろぷちリニューアル。春日部市郷土資料館常設展。

季節の移り変わりとともに、こまめに展示替している季節展示。
季節展示だけじゃありません。
このたび、常設展をいろいろぷちリニューアルしましたので、まとめて紹介します。

【その1】来館記念スタンプを一新。
長らく愛されてきた、竪穴住居、駕籠のスタンプ。
愛されすぎて、摩滅してきましたので、図柄を一新。
資料館のシンボルの花積貝塚の竪穴住居、宿場町を象徴する国登録文化財の浜島家住宅土蔵をモチーフにした図柄にしてみました。
ぜひ、おしてみてください。

画像:スタンプ見本


【その2】江戸川の開削のパネルを追加。
江戸時代以降の市域の交通や流通の歴史、開発の歴史を考えるうえで重要な江戸川の開削について、展示パネルを追加しました。
奥まった場所にあるので、探してみてください。

写真:江戸川の開削パネル

【その3】DVDが見られるようになりました。
市域の歴史を紹介する映像を鑑賞していただくスペースがありますが、映像の上映はVHSビデオで再生してきました。今となっては古い機材なので、見学にきた小学生から「これはいつの時代の機械ですか?」と聞かれることもあります。
このたび、DVDプレーヤーを導入しましたので、神明貝塚の紹介動画(youtubeで公開)や庄和地区の歴史散歩(視聴覚センターで小学校向けに制作した映像)を上映できることになりました。ぜひ、ご観覧ください。

画像:神明貝塚DVDパッケージ

なお、6月の郷土資料館は、毎週月曜と、建物の設備点検のため
6/16(土)が休館となりますので、ご注意ください。

手作り季節展示を展示してます

雨の日が多くなる季節になってきました。
アジサイや蛙などを眺めながら、季節の移り変わりを郷土資料館で
感じてみませんか?

季節展示あじさい

なお、6月の郷土資料館は、毎週月曜と、建物の設備点検のため
6/16(土)が休館となりますので、ご注意ください。

母子健康センターの開設『新編図録春日部の歴史』48

58年前の昭和35年(1960)6月1日、当時県内で4ヶ所目となる母子健康センター(庄和保健センター)が開設されました。庄和地域では乳幼児の健康維持が課題となっており、この施設の開設にあたっては庄和村議会などで紆余曲折がありましたが、当時の庄和村長、島田正八郎氏の強い要望もあり開設が実現しました。

母子健康センターで行われた事業は、妊婦健診、乳幼児健診、栄養学級、衛生教育、家族計画指導、母親学級などでした。
開設当初の利用者は、年間約50人でしたが、昭和39年(1964)には約200人まで増えました。

開設を伝える埼玉新聞の記事によれば、母子健康センターは、「産気づいたらハダシのまま、何の用意もなくかけ込めばよい」、「妊娠、分べん、育児をする女性たちのオアシス」と紹介されています。

「埼玉新聞」昭和35年6月1日
「保健衛生の改善」『新編 図録 春日部の歴史』254ページ

母子健康センター
母子健康センター(昭和40年ごろ)

市ゆかりの文化人 加藤楸邨『新編図録春日部の歴史』からのご紹介47

著名な俳人、加藤楸邨(かとうしゅうそん)は、明治38年(1905)5月26日、東京で生まれました。そして昭和4年(1929)春、東京高等師範学校を卒業後、粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)に赴任(ふにん)しました。
粕壁中学校時代、同僚教員のすすめで俳句を始め、月2回粕壁医院に診察に来ていた医師であり俳人の水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)に師事しました。

「棉(わた)の実を摘(つま)みゐてうたふこともなし」に代表される粕壁中学校時代に詠まれた多くの句は、昭和14年(1939)に刊行された句集『寒雷』(かんらい)に「古利根抄」としておさめられています。

「市ゆかりの文化人」『新編 図録 春日部の歴史』214ページ
郷土資料館来館時の加藤楸邨氏
郷土資料館来館時の加藤楸邨氏(平成3年)

加藤楸邨氏直筆の色紙
楸邨氏直筆の「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」色紙

お知らせ 常設展示に新コーナー新パネルを設置

展示室の奥にある扉。なんとなく暗くて、奥まっていて、来館者のみなさんにはなじみ深いものではありません。
そこで、マグネットでパネルを貼り付け、「春日部壁展示」のコーナーを新設しました。
壁展示
「このコーナーでは、資料館の壁(かべ)の空きスペースを利用して、春日部市内の古写真や、歴史・文化・自然のちょっとした小ネタ、資料館のイベント、指定文化財の紹介などを掲示・展示・紹介します」
厳密には、壁でなく扉ですが、駄洒落を言いたくてこの名前にしました。
適宜、パネルを入れ替えますので、お楽しみに。

ついでに。入口付近のパネルも入れ替えました。
写真:春日部の地形
新たなパネルでは「春日部の地形」について紹介しています。
こちらもあわせてご覧ください。

古文書解読勉強会の成果(その6)

去る5月19日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
写真:勉強会の風景
引き続き、市内の神間地区に伝わった神間村文書(館蔵)を解読しています。
次回は、6月30日(土)14時~16時。教育センター4階にて、以前に配布した神間村文書の史料番号№40、№49を解読する予定です。

【史料番号14】
   差上申詫書一札之事
此度私身上困窮ニおよび御年貢ハ不及申ニ諸払方ニ

差詰、無拠本家一同相談之上借金方江我等家持田地方

質物ニ差出し候処、御組合衆中ニ而夫々金主方江

御詫入引請被成下候処、右家田地売払申義不便ニ

御思召有之、本家りい方右地所家財共買置呉候様

又ハ本家組合出金致呉候歟、両様ニも御懸合

被成下候処、同人方ニ而一円取敢不申、無拠

組合一同相談之上御知行所取締之方迄伺

之上、有夫之家田地売払配分之趣ニ相成候処、此

節ニ至り、本家当人申合之上勝手合申出候処、

御組合一同より厚御利解御申被聞、一言返答無御座候、

依之同村名主源蔵殿唯々取縋歎相頼、厚御詫申入

候処、早速御聞済被成下忝存候、以来右躰

不埒之儀ハ堅相慎、此以後御組合御世話被成下候、右儀催促之儀ニ付而は

何様之御取斗ニ御座候共一言之儀申上間敷候、

依之為後日詫書差入申処如件

            当人

            本家

写真:神間村文書14
【ひとことメモ】
この史料は詫証文(わびしょうもん)といわれる種類の文書で、甲のある行為により乙が被害を受けたとき、甲が乙へ謝罪の意を表すために提出した文書である。下書であるため、いつ作成されたのか、差出の「当人」が誰なのか、宛所は誰なのかが判然とせず、文面も書き直されており意味は取りにくい。困窮のため経営が傾いた「当人」が「金主方」に田地を質に入れたところ、「当人」の組合の者が不憫に思い、「当人」の本家りい方に買い戻しを掛け合ったが、取り計らってもらえなかった。組合では、知行所(旗本の役所)にも伺ったりもしたが、最終的に名主源蔵に(金主方と当人との間を?)調停をしてもらった。この証文では、今後「不埒」な行いを慎むとしているので、「当人」は日頃の悪い素行によって田地を失ってしまったのかもしれない。

【史料番号22】
   入置申替地議定証文之事

一、別紙本書証文之質地此度御請戻しニ相成候ニ付、

 右地内に有之候我等居宅鋪何程之場所年来

 住来候義ニ付、拝借致し度相願候処、格別之御慈悲

 を以御相談御聞済被下忝存候、然ル上は替地

 として右畝歩丈之外地所貴殿江相渡し置申候、

 若向後何ヶ年過候とも右御地所御入用之節は

 早速相戻、預ケ置御地所御請取可申御約

 談、少も相違有之間鋪候、為後日組合

 請印証文入置申候処、仍而如件

  弘化四未年  下総国葛飾郡

    十二月     神間村

             久左衛門

            同村 請人

             源次郎

        同国同郡同村

          源太郎殿
写真:神間村文書22
(ひとことメモ)
神間村の源太郎は代金を支払って質地を取り戻した。同村の久左衛門は源太郎が取り戻した土地に屋敷を構え、長く暮らしていたので、その土地を源太郎から拝借することになった。この文書は、久左衛門が拝借する土地の代替地を、源太郎に預けることを契約したもの。冒頭に「別紙本書証文」とあるので、証文本紙の添付書類(添え証文)だったとみられる。

星 夏季展示の予告

平成30年8月4日(土)~9月16日(日)に「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展を開催します。
写真:空からみた神明貝塚
神明貝塚(しんめいかいづか)は市内西親野井に位置する、3800年前の縄文時代の貝塚です。市では、この神明貝塚を後世へ伝えていくため、平成21年度から8年にわたり調査を実施しました。
写真でみるように、馬の蹄(ひづめ)のような形で貝がらや動物の骨が分布しています(写真は加工してあります)。
本展示会は、発掘された土器や装身具、人骨などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
ただいま、埋蔵文化財担当の学芸員さんが、絶賛準備中です。お楽しみに。
夏季展示(第59回)「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展

展示会概要


発見された縄文人の女性。右手首に腕輪を、右耳に耳飾りをしていました

市北東部の西親野井地区には、3,800年前につくられた縄文人のムラの跡である「神明(しんめい)貝塚」があります。
市では、この神明(しんめい)貝塚を末永く、後世へと伝えていくため、平成21年度から8年にわたり、調査を実施しました。その結果、神明(しんめい)貝塚は、クリやクルミなどの植物を盛んに利用した内陸的な貝塚として、縄文文化の多様性を示す貴重な遺跡であることが分かりました。また、腕輪や耳飾をつけた縄文人の骨や、貴重なヒスイの玉などが発見されています。
本展示会は、発掘調査の写真や発見された土器や装身具、人骨、動植物遺体などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明(しんめい)貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
この夏は、郷土資料館で、3,800年前の先人の暮らしをのぞいてみませんか。


神明(しんめい)貝塚の土器

会期

平成30年8月4日(土曜日)~9月16日(日曜日)
月曜日・祝日休館

会場

郷土資料館 企画展示室
(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)

南桜井小学校「伝統芸能クラブ」が始まりました

5月16日、南桜井小学校では今年度のクラブ活動が本格的に始動しました。「伝統芸能クラブ」では4年生~6年生まで計15名(男子4名・女子11名)の生徒さんたちが、西金野井獅子舞保存会の染谷会長他2名の指導のもと練習に励みました。7月22日の獅子舞の公開や2月のクラブ発表会に一年間で習得した舞が披露されます。


◆女子は囃子役に。まずは指の動きをレクチャー。


◆保存会の鈴木さんの指の動きをじっくりと観察!すんだ音色が教室中に響きました。


◆男子4名は染谷会長の笛に合わせて『芝舞』の練習。年間20回ほどの練習の積み重ねで例年「芝舞」を舞うことができるようになります。

本年も保存会のみなさま、ご指導よろしくお願いします。

貝の内遺跡出土の瓦と出土状況『新編図録春日部の歴史』からのご紹介46

西宝珠花(にしほうしゅばな)の宝珠花小学校周辺にひろがる貝の内遺跡では、下総国分寺軒平瓦(しもうさこくぶんじのきひらがわら)が出土し、春日部市有形文化財に指定されています。

瓦は、竪穴住居跡で煮炊きを行うカマドから発見され、長さ38.5㎝、重さ4.9㎏を測ります。軒平瓦は、屋根の一番下の軒(のき)の部分に、瓦の一辺が見えるように葺(ふ)かれますが、その部分に宝相華文(ほうそうげもん)と呼ばれる特徴的な模様がみられます。
この模様は、現在の千葉県市川市に奈良・平安時代に存在した下総国分寺の建物に使われた瓦と同じ文様で、文様を付けるために使用されている范型(はんがた)が下総国分寺で見つかっているものと共通します。

この瓦は、奈良・平安時代、貝の内遺跡と約40㎞離れた下総国分寺との間につながりがあったことを物語る貴重なで資料です。

「国分寺の造営と貝の内遺跡」『新編 図録 春日部の歴史』36ページ

貝の内遺跡出土の下総国分寺瓦
貝の内遺跡出土の下総国分寺瓦

瓦の出土状況
出土状況(文様部分を上にして縦に設置されている)

旧庄和村役場『新編図録春日部の歴史』からのご紹介45

今からさかのぼること59年前の昭和34年(1959)5月10日、新しい庄和村役場で業務が開始されました。

庄和村は昭和29年(1954)7月1日、川辺村、南桜井村、富多村、宝珠花村の四村が合併して、人口14,725人をもって誕生しました。新村名の「庄和村」は「古来庄内領と称していたので、庄内領の一致和合、将来の発展を望む」として決定しました。

新しい役場は木造洋式2階建てで、正面中央に庄和村章を掲げました。新役場ができる前は、下柳にあった旧南桜井役場を役場として使用していました。

新しい役場で業務を開始した5年後の昭和39年(1964)、庄和村は町制施行し、庄和町となりました。

昭和の大合併」『新編 図録 春日部の歴史』250ページ

旧庄和村役場
旧庄和村役場(撮影年不詳)

庄和村章
庄和村章

武里大枝公民館に手作りジオラマを展示しました

本日、武里大枝公民館に手作りの粕壁宿ペーパークラフトを展示しました。一昨年度から各地の公民館を巡回して展示しているジオラマです。

写真:大枝公民館の展示風景

手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元したジオラマです。
模型の詳しい解説については、
「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。

「粕壁宿の模型?武里・大枝には関係ないや」っと思った方、そんなことありません。
当時、公用の通行などで宿場町で提供する人馬が不足すると、周辺の農村に人馬の提供が求められていました。宿場町に人馬を提供する村を助郷(すけごう)といいます。
武里地区の村々、具体的にいえば、一ノ割・備後・薄谷・中野・大場・大畑・大枝村は延宝8年(1680)に粕壁宿の「大助」(大助郷:臨時に動員された助郷)でしたし、享保8年(1723)には一ノ割・備後・薄谷・中野・大場村が定助郷(じょうすけごう)に指定されていました(『春日部市史通史編Ⅰ』570~571頁)。助郷の村から動員された人馬は、宿場町の問屋場というところに集められ、隣の宿場町まで人や荷物を運びました。
粕壁宿の問屋場は、現在の埼玉りそな銀行のあたりあったといわれています。手作りのジオラマには馬が放牧されています。

写真:問屋場
江戸時代、武里・大枝から問屋場に向かった先人たちに思いをはせて、ぜひ手作りジオラマをご覧いただければと思います。7月上旬まで展示予定です。

小淵山観音院で円空仏祭が開催されております

 前夜からの荒天から風雨が静まった5月3日、小淵山観音院では埼玉県有形文化財である「小渕観音院円空仏群」の公開が始まりました。
 境内には市民ボランティアの皆様によるカフェの出店のほか、円空仏の案内コーナーが設けられ、円空や作像された作品についてお答えしております。3日の午後1時からは県内外の修験寺院による護摩焚きも行われ、本堂では”円空”の空間がよみがえりました。
 

 ▲新緑に覆われた境内には五月の爽やかな風が吹き抜けています。

▲円空仏が公開されている本堂。護摩焚きと共に時空を超えた円空が造像した江戸時代に時がさかのぼったような静寂に包まれました。

▲市民ボランティアの皆様による”円空仏”に関する案内コーナーもあります。親切・丁寧に解説していただけます。
円空仏の公開は6日まで行われます。
年1度の貴重な機会ですので、是非とも足を運んでみてはいかがでしょうか!

ゴールデンウィーク中の指定文化財公開

このゴールデンウィーク中、春日部市内では、『牛島のフジ』や、『大凧あげ祭り』、『小淵山観音院の円空仏』と各種の文化遺産が続々公開されます。
郷土の宝の見学に出かけみてはいかがでしょうか。

藤花園の開園
「牛島のフジ」国指定特別天然記念物)
日時:
平成30年4月14日(土)~5月6日(日)8:00~18:00 
場所:藤花園(春日部市牛島786)
入園料:
大人1,000円 、子供500円(4歳以上小学生まで)
詳細は下記ページをご覧ください。
藤花園サイト
 
大凧あげ祭り
「宝珠花大凧揚げ」春日部市指定無形民俗文化財・国選択無形民俗文化財)
日時:平成30年5月3日(木)、5日(土)
場所:西宝珠花江戸川河川敷
大凧は3日、5日とも午後2時ごろにあげられます。
詳細は下記ページをご覧ください。
大凧あげ祭り(春日部市公式サイト)

円空仏祭
「小渕観音院円空仏群埼玉県指定有形文化財)
「小渕山観音院仁王門」(春日部市指定文化財)
日時:平成30年5月3日(木)~6日(日)10:00~17:00
場所:小淵山観音院(春日部市小渕1634)
拝観料:500円(お1人様1日限り、中学生以下無料)
詳細は下記ページをご覧ください。
小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開(春日部市公式サイト)
観音院公式サイト

古文書解読勉強会の成果(その5)

平成30年4月14日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
引き続き、郷土資料館所蔵の神間村文書を解読しました。
次回は、5月19日(土)14時~16時(場所:視聴覚センター4階研修室1)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。
※前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご参照ください。

 【史料番号3】

   米借用一札之事

 一、米 六俵   但し 四斗入

     両ニ 八斗七升五合がへ
右は摏米ニ御無心借用仕、慥ニ請取申所

実正ニ御座候、然上ハ月五合のべ之勘定を

以当十一月ニ相成候ハヽ右米代金無相違

不残御勘定仕候、為念米借用一札入置申所

仍而如件
  嘉永二酉ノ年

    閏四月    宝珠花村

              釜屋次兵衛(印墨抹消)
(後筆)「不用書」

         神間村

            源兵衛殿

神間村文書3
(ひとことメモ)
本史料は宝珠花の商人釜屋次兵衛が神間村源兵衛に搗米(つきごめ・白米)6俵を借用した証文。ひと月に五合の利息を加え、十一月に米の代金(1両につき白米8斗7升5合の相場)を返済すると契約している。おそらく返済を終え、この証文は失効したため釜屋次兵衛の印が墨で抹消され、後筆で「不用書」と記したものとみられる。

 

  【史料番号5】

   当辰御年貢米永皆済目録
一、米七拾五俵五合三勺九才  但し四斗入

   内

   米弐俵         名主給米被下候

   同三斗弐升      人足扶持被下候

   同壱斗六升八勺   堀式引

   同壱俵         大豆代米

 〆米四俵八升八勺

残而

   米七拾俵三斗弐升四合五勺九才

    此内

     米拾三俵弐斗   源兵衛御扶持高被下候

 残米

   五拾七俵壱斗壱升九合壱勺九才

           両九斗五升かへ

   此永弐拾四貫百弐拾五文四分

   畑方

一、永九貫九百七拾六文壱分

一、同五百文        大豆弐俵之

                  代両石六斗かへ

一、同七百九拾文     夫給金

一、鐚壱貫八拾文     竹莚縄之代

     此永百六拾四文七分  
右は当辰御年貢米永小物成共、書面

之通り御上納仕候所相違無御座候以上


                 葛飾郡神間村

天保三年辰閏十一月      名主 山崎源兵衛㊞

 能勢十次郎様御内

       御役人中様

 

(裏書)

「表書之通相違無之もの也

  能十(朱印・印文「福徳」)」
神間村文書5
(ひとことメモ)
神間村のうち、旗本能勢氏の知行所の分の、天保3年(1832)の年貢皆済目録。年貢皆済目録とは、一般に、江戸時代、村方が年貢を完納した際に領主側が出す年貢の領収書をいうが、本史料からは、旗本能勢氏知行所では、村の名主が能勢氏の役所に年貢の上納を報告し、これを受けて旗本能勢十次郎が自ら「皆済目録」の裏面に署名捺印をして、名主あてに返却し、年貢完納の証明としたことがわかる。裏書の能勢氏の印は、江戸時代には特に高貴な身分の者しか用いれなかったとされる朱印であり、珍しい事例と思われる。
神間村文書5裏書