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【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】幸手市郷土資料館でリレー展示が開催されています
幸手市郷土資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「埼玉東部と古代の幸手」が開催されています。
令和7年度企画展『埼玉東部と古代の幸手』(幸手市ホームページ)
幸手市郷土資料館は、幸手市大字下宇和田にあります。平成30年にオープンした資料館です。
企画展示は、歴史展示室内の企画展示のコーナーで開催されているほか、ロビーにパネルが展示されています。
特大の東部地区の地形図を、今後のリレー展示開催館の場所とともに展示しています。
幸手市ではこれまで、下総台地上の槇野地北遺跡で、奈良時代の竪穴建物跡11軒、平安時代の竪穴建物跡2軒が確認されています。今回の展示では、槇野地北遺跡から出土した代表的な資料をまとめて展示しています。
幸手市郷土資料館には、昭和24年(1949)5月に竣工した旧吉田村立吉田中学校の木造校舎が残されており、民具展示室として使われています。あわせてご見学ください。
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
展示の詳細は下記の通りです。6月29日には、関連した内容で市史講座も開催されます。
●幸手市郷土資料館会場「埼玉東部と古代の幸手」
開催期間 令和7年6月3日(火曜日)~7月21日(月曜日・祝日)
開催場所 幸手市郷土資料館 幸手市大字下宇和田58番地4
(東武スカイツリーライン 東武動物公園駅下車朝日バス 境車庫行き「吉田橋」下車徒歩約5分)
開館時間 午前9時から午後5時まで
休館日 毎週月曜日(7月21日は開館)
お問い合わせ (0480)47-2521
(関連事業)第23回市史講座日時 : 令和7年6月29日(日曜日) 午後1時30分~午後3時30分
内容 :『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡』
講師 : 鬼塚 知典 (春日部市郷土資料館学芸員、埼玉県東部地区部文化財担当者会考古部会部会長)
場所 : 幸手市郷土資料館 2階講座室
定員 : 30名(先着順)
申込 : 令和7年6月10日(火曜日)午前9時から 電話にて受付
*リレー展示「都鳥が見た古代」は、下記日程で開催予定です。
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
古文書勉強会、館蔵の古文書を定期的に講読しています。
6月1日、古文書勉強会を開催しました。郷土資料館では、市民の皆さんと館蔵の古文書を読む「古文書勉強会」を定期的に実施しております。
今、講読している史料は、元治2年(1865)「御神忌日記」というものです。
この年は、徳川家康の二百五十回忌にあたり、家康の命日の4月17日の日光山で大規模な回忌法要が実施されました。この史料は、武蔵国埼玉郡中野村(現武里中野地区)の翁助という人物が書き残したもので、この年の2月から4月までの記事が日記仕立てで記されているものです。翁助は、代官から御神忌の祭礼の裏方(下役)に命じられ、日光に向かい御用を果たしました。翁助が携わった具体的な御用の中身はよくわからないのですが、中野村から日光まで往路には様々な事を見聞きしたこと、日光山内に入ってからも近隣を見分したことを記録しており、道中記としても面白い記事です。
本史料は今年の1月から読み始め、途中、難解な文字、解釈が難しい部分がありましたが、どうにか山場は越え、終盤にはいってきました。
今回、講読したところは、御神忌の祭礼に参席した京の公卿の名前、泊まった宿坊、翁助と同様に関東地方の農村から下役として動員された人名、地名が列記されている部分でした。
固有名詞を読むほうが却って大変で、皆さん苦戦されていました。ただ、地名事典や人名事典、また関連史料を確認して、入念に調べていただいた方もおり、どうにか地名・人名を確定することができました。
本史料・参考史料の記述が絶対に正しいというわけでもないので、比較検討をし、地名・人名をきちんと事実を確定しながら、史料を読む必要性を感じていただけたように思えます。
「調べてまでして読まないとダメなのですか」と弱音を吐く方もおられましたが、実はそれが史料(古文書)を読む、ということなのだと思います。
次回は、7月5日(土)14時~です。
上映会とトークショーのダイジェスト動画が公開されました
先日、3月1日(土)に、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ(川口市)で開催した、令和6年度映像公開ライブラリー上映会とトークショー「春日部大凧あげの魅力」の模様が、ダイジェスト版でYouTubeに公開されました。
映像の製作・保存管理を専門とする、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザの制作・編集とあって、とてもよく仕上がっています。動画は、西宝珠花の歴史のこと、大凧あげにかける保存会の皆さんの思いが伝わるものになっています。ぜひご覧ください。
出張授業「縄文体験教室」 in川辺小学校
5月27日(火)に川辺小学校3年生の「総合的な学習の時間」へ出張授業に行ってきました。
今年度の第1回目の出張授業です。その内容は「発見!探検!春日部じまん!」をテーマに”川辺小学校ちかくの昔むかしの生活”について、学習しました。
授業の前半では、最も冷涼な頃であった2万年前の氷河時代に暮らした旧石器時代のひとびとの生活と環境と、土器を作り、定住しムラを築いた縄文時代の暮らしを取り上げました。
氷河時代には関東地方にも今や絶滅してしまったマンモスがいたことや日本列島が大陸とも陸続きであったこと、そして地球規模の温暖化が進んだ6,000年前の縄文時代には市内に海が広がっていたことなどをスライドで学びました。
現在、海なし県に住んでいるわたしたちですが、学校付近にはかつて「大海原」が広がり、その証として貝塚遺跡からは複数の貝類やウミガメやイルカの骨が見つかっていることを聞いて驚いていました。
授業の後半では、3つの班に分かれて、縄文人の食べ物や道具に触れる体験を行いました。
石器の体験では、実際に黒曜石で段ボールを切る体験をしました。鋭い切れ味に歓声があがり、慣れてくると段ボールを裁断するまで切れ味を試した児童も現れました。
縄文人の食べ物では、貝塚の貝がらと川で取れる貝がらを比べてみます。
現在は南九州や東南アジアの国々からしか取れない貝も貝塚からは発見されており、縄文時代は市内に温かい海が広がっていたことがわかります。「これは何の貝だろう?」と興味津々でした。
土器の体験では、市内で出土した縄文土器や色々な破片を実際に見て触ってもらいました。
「外側がザラザラしてる」「ちょっと重いかも」と、率直な感想が聞けました。「はにわ」の破片を見て「はにわ知ってるよ!」と教えてくれる生徒さんたちもいました。
3年生の皆さんは目をキラキラさせながら本物の道具や貝に触れていました。最後は丁寧にお礼を言ってくれました。川辺小3年生のみなさん、ありがとうございました!今後は6年生を対象とした授業も行います。6年生からどんな感想が聞けるのか、楽しみです。
たくさんの生徒さんたちに「本物に触れる」体験をしてもらえると嬉しいです。多くの小・中学校からの出張授業のお申し込みをお待ちしています!
ふれあい大学の皆さん、郷土資料館を見学。旧宿場町を町歩きされました
5月27日・28日、ふれあい大学の皆さんが春日部案内人の会の皆さんの案内で来館されました。
今回は、ふれあい大学のカルキュラムの一環で、粕壁宿の町並み巡りをされるそうです。
実は、先日、ふれあい大学の皆さんには「春日部の歴史」と題して、お話をしたところでした。「はじめまして」ではなく、むしろ「先日はありがとうございました」「楽しかったです」なんて、お声がけいただいた方もいらっしゃいました。「先日は眠くなる話で恐縮でした」と挨拶からはじめて、“つかみはOK”
館内では、宿場町並み模型について解説しました。詳しい説明は、現地のガイドさんに譲りましたが、松尾芭蕉をはじめ、伊能忠敬、徳川慶喜など歴史的な著名人が訪れ、泊まった歴史があるのは、やはり市域では唯一の町だからです。
先日の「春日部の歴史」の講義では、時間の都合で近世・近現代の話題をかなり省略してしまいましたので、“きいてないよー”状態だったかもしれませんが、「江戸時代の宿場町は市内のどこを探してもここだけ!」とお話しすると、深くうなずく方がいらっしゃいました。
しかし、郷土資料館の見学はわずか7分のみ。しかも、模型の解説を聞くだけで時間一杯です。
ぜひ、後日ゆっくりとご観覧にきていただけるとうれしいです。
5月の考古学関係展示会、イベント情報
5月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・6月3日(火曜日)~7月21日(月曜日・祝日)幸手市郷土資料館(資料展示)
(展示会_閉会日順)
・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
「古代DNA-日本人の来た道―」
・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」
・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」
・6月29日(日曜日)まで 佐野市郷土博物館(栃木県佐野市)
令和7年度春の展示「佐野の遺跡展」
・6月29日(日曜日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)
令和7年度春の企画展「キレッきれの黒い石―とちぎの黒曜石―」
・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」
・7月6日(日曜日)まで 熊谷市立図書館郷土資料展示室
令和7年度市立熊谷図書館・立正大学博物館連携展示「立正大学を掘ってみたー熊谷校地内遺跡発掘調査の記録」
・7月6日(日曜日)まで 杉戸町文化財展示室(杉戸町エコ・スポいずみ内)
令和7年度企画展「モノ云うモノ」
・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」
・8月31日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市)
企画展「わくわく!はにわ体験‘25」
(現地説明会)
・6月8日(日曜日)10:00~14:00 沢口上古墳・八木上遺跡(狭山市) 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団(要申込)
【資料寄贈】武里駅前の清酢工場のチラシ
郷土資料館には、年に数十件ほど資料の寄贈のお話しをいただきます。
今回は、市外の方ですが、古書店で次のような広告を見つけたといい、快くお譲りいただきました。
資料は、かつて武里駅前にあった武里清酢醸造所の広告です。景品を付けて、清酢(食用酢)を大売り出ししたときのもののようで、売出・景品交換期間は大正15年(1940年・12月に昭和に改元)とありますので、大正時代の終わりごろに印刷・配布されたものでしょう。
武里駅前にかつて酢の工場があったこと、地元の古老の方や郷土史家の方に聞いたことがありますが、具体的な資料が、少なくとも館蔵の資料にはなく、たまにお問い合わせいただきますが、よくわからないと答えるばかりでした。
いま一度、調べてみると、清酢工場は、武里村の大字大畑に所在していた工場で、今の武里駅の東側に所在していました。工場の創業は大正7年1月とされています(『埼玉県工場通覧 昭和10年』)。別の文献では、屋号を「酢屋」といい、酢屋田中栄次郎商店ともいいました。工場の創業は大正7年のようですが、酢の醸造の創業年は江戸時代後期の天保年間ともされています。
…江戸時代まで遡るのか。担当者の目の色が少し変わってきました。
田中栄次郎という人は、安政元年(1854)生まれ。赤沼村(豊野地区)出身の方のようで、赤沼在住の時代には酢の醸造だけでなく、醤油の販売もしていたようです(『埼玉県南埼玉北葛飾二郡公民必携名家鑑』)。残念ながら、江戸時代の赤沼村の醸造についての史料は見出されていませんが、天保14年(1843)、隣村の銚子口村では「豆腐・油揚・醤油・酢・ぞふり(草履)・わらし(草鞋)」を商う農家があったことが確認されますので(『春日部市史 近世史料編 5』p656)、近郷で酢の醸造をしていた家があってもおかしくはないでしょう。
武里の酢屋は、おそらく、明治32年(1899)に東武鉄道が開通し、交通・流通の便を考え、工場を武里駅前に創業したのではないか、と考えられます。
桐箪笥・麦わら帽子など春日部の地場産業は、農村部で産業が勃興すると、明治時代末期から大正期にかけて、その担い手が粕壁町などの地域都市に進出していく傾向がみられます。おそらく、酢屋もその歴史過程と軌を一にしたものと理解できるでしょうか。
具体的なことがわからないにも関わらず、推論に推論を重ねてしまいました。関係者の方、詳しいことをご存じの方がおられましたら、ご教示いただけますと幸いです。
末尾ですが、資料をご寄贈いただいた方に、改めて感謝申し上げます。
麦稈真田からはじまった。。。麦わら帽子の産業の歴史について調べています
今夏の企画展のテーマは、春日部の特産品「麦わら帽子」をテーマにします。
題して、「麦わらの春日部~帽都いま・むかし」展です。
市内の麦わら帽子は、明治時代から続く、伝統の地場産業です。昨今は麦わら帽子だけなく、製帽産業自体も厳しく、平成初めには8つほどあった帽子製造所ですが、市内には2つほど。かつては、帽子製造や帽子の材料となる真田紐を集荷・製造する業者が67者もありました(大正4年)。かすかべは、帽子の都、すなわち「帽都」(ぼうと)とも称されました。「帽都」の語は、戦前の地理教育学系の雑誌『デルタ』1-2(1937年)の執筆者による造語のようですが、帽子産業に彩られた「かすかべ」を形容しており、副題として採用してみました。
郷土資料館にも、かつて帽子製造所からご提供いただいた、麦わら帽子・経木帽子・ストローバックを特産品として常設展示しております。がしかし、これだけでは企画展示になりませんので、市内の製造所の皆さん、かつて帽子製造に携わっておられた方にご協力いただき、帽子の作り方をはじめ、産業の盛衰について取材させていただき、麦わら帽子のあゆみを調査しています。
今日は、調査で得たことを少しだけご紹介。といっても、初歩の初歩の話。
そもそも、麦わら帽子って、何で出来ているか知っていますか?
「麦わら」と答えた方は、惜しい。
単なる「麦わら」からは、麦わら帽子は作れない。「麦づくりをしているから、麦わら帽子ができる」という言い方は少し飛躍しています。
改めて、麦わら帽子をよく見ていただくとわかります。下の写真は帽子のてっぺんのところ。
よくみると、麦わら帽子は、ウズ状の構造をしていることがわかります。たしかに、麦の茎=麦わらが素材(原料)ではあるのですが、ウズの元になっているのは、数本の麦わらを編んだ紐です。この紐は、麦稈真田(ばっかんさなだ)と呼ばれています。麦稈とは、麦わらの意ですから、平易に麦わら真田という場合もあります。
麦稈真田は、原料の麦わらの太さや本数によって、様々な太さ・形状のものがあります。
職人さんは、麦稈真田のことを「ブレード」と呼びます。「ブレード」は、太さ・編み方・色合いが多様で、帽子にあった「ブレード」を選び、あるいは組み合わせて、それを縫製することで麦わら帽子ができるのです。
現在の「ブレード」は、ほぼ中国製です。麦稈真田は、機械で編むことはできないため、中国では今も手作業で真田を編んでるそう。麦わらは、自然素材ですから、わらの出来具合によって、色合いが違ったり、切れやすくなってしまう部分もでてくるそうです。職人さんに教えていただきましたが、「ブレード」にも表と裏があるそうで、わらの茎の継ぎはじめがみえる側が裏、比較的綺麗な編みの側が表になるそう。当然、表側が帽子の表面になるように縫製していくそうです。
色がついている真田は、中国から輸入された真田を晒や染色専門の業者に一旦預け、染色してもらったものです。どんな業者でも染色ができるわけではなく、麦稈真田特有の染め方の技術があるそうです。上の写真は青色ですが、色は色々です。
帽子の素材はこの麦稈真田如何で決まってくるわけです。
日本で麦稈真田が作られるようになるのは、明治4年(1871)のことといわれています。帽子は、洋装とともに広まっていった、極めて近代的なアイテムですが、その原料となる国産の麦稈真田も明治以降のこと。ですから、日本における麦わら帽子の歴史は、どう遡っても明治時代からです。
市内に一次史料は残されていませんが、どうやら、春日部の麦わら帽子製造の起源は、明治時代に「麦稈真田」づくりから。かつては、市域周辺の農家の女性たちが、副業として麦稈真田を編んでいたのです。そして、この「ブレード」と呼ばれる材料をめぐって、市内の帽子産業の歴史はうねりをみせていくのですが、そのあたりのことは、次の機会に。
麦わら帽子、麦稈真田について、情報がありましたら、ご教示いただけると幸いです。
「麦わらのかすかべ」展、ご期待ください。
春期展示「発掘された板碑」がはじまりました
春日部市市制施行20周年記念、第71回企画展示「中世板碑の世界ー発掘された板碑」がはじまりました。
市内の遺跡から発掘調査で発見された板碑35点を展示しました。ぱっと見るとどれも同じような板碑ですが、表面に書かれている文字や図像などは一つ一つ違います。
ぜひ、資料館で実物の板碑をごらんください。
会期:令和7年5月17日(土曜日)から7月6日(日曜日)
休館日:毎週月曜日、祝日、施設点検日
*期間中の休館日:5月19日(月曜日)、5月26日(月曜日)、6月2日(月曜日)、6月9日(月曜日)、6月14日(土曜日・施設点検日)、6月16日(月曜日)、6月23日(月曜日)、6月30日(月曜日)
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・東武鉄道春日部駅東口より徒歩10分)
●関連事業 みゅーじあむとーく
展示室で学芸員による展示解説を行います。申し込み不要、展示室までお越しください。30分程度、各回同じ内容です。
とき 5月17日(土曜日)、6月22日(日曜日)、7月6日(日曜日)10:30~、15:00~
ところ 郷土資料館企画展示室
●関連事業 展示解説講座
展示の内容を中心に、春日部市の板碑について、展示担当学芸員が解説します。
とき 6月28日(土曜日)10:00から12:00
ところ 教育センター(郷土資料館と同じ建物)
申し込み 5月8日(木曜日)から、郷土資料館へ直接、電話(048-763-2455)、電子申請でお申し込みください。
看護学校の皆さん、ふれあい大学の皆さんが見学
新年度となり1か月が過ぎ、暖かく過ごしやすい季節になってきましたので、郷土資料館には、連日団体見学のお客様たちが大勢みえています。
5月13日、春日部市立看護専門学校の新入生の皆さんが、郷土資料館を見学されました。
未来の看護士のみなさんは、市立医療センターで研修・奉職されることになるので、患者さんたちとのコミュニケ―ションとして、春日部市のことを知ってもらいたい。そうした観点から、毎年、看護学校のカルキュラムとして、郷土資料館にご来館いただき、春日部の歴史・文化について学んでいただきました。
学芸員の説明の後、自由に見学していただきました。県東部地区の方言を紹介する「かすかべ弁」のコーナーでは、友達どうしで方言クイズをしたり、楽しんでいただけたようです。小学生の時に団体見学で来たという方もおり、実際の米俵を持ち上げる体験コーナーが撤収されてしまったことを嘆いていました。
5月14日、ふれあい大学の皆さんが春日部観光ボランティアの皆さんの案内で来館されました。
ふれあい大学のカルキュラムの一環で、粕壁宿の町並み巡りをされる皆さん。
郷土資料館の宿場町並み模型をご覧いただき、往時の宿場町に思いを馳せていただきました。
詳しい説明は、現地での観光ガイドさんに譲りましたが、ご参加された方からは「春日部夏祭りが八坂神社の祭礼を起源としているとは知らなかった。もっと歴史をPRしてほしい」と、至極まっとうなご意見をいただきました。
郷土資料館は微力ながら、市の魅力を歴史という観点からPRしていきますので、どうぞご支援ください。
連日の団体見学で、半世紀ほど年の離れたお客様たちでしたが、宿場の模型をみるまなざしは同じだったように思えました。また、あそびにきていただけるとうれしいです。
地学さんぽ講座4「生きている化石植物と10万年前の地層探検」を開催しました
5月11日(日)、日差しに恵まれ汗ばむ陽気の中、地学さんぽ講座の4回目、「生きている化石植物と10万年前の地層探検」を開催しました。
今回は庄和地区で約10万年前の地層や貝化石、生きている化石植物を見学するコースでした。
はじめに庄和総合支所に集合して、龍Q館まで歩いて向かいました。片道約1㎞の道中には水塚や金野井用水路もあり、地域の歴史も学びながら歩きました。
龍Q館には首都圏外郭放水路建設工事の際に出現した約12.5万年前の地層の剥ぎ取り標本(地層タワー)が展示されています。案内者の先生に地層タワーの見方を教えていただき、約15万年前から現在までの自然環境の変遷を辿りました。地層タワーを見ると、この地域に約12.5万年前の木下貝層、約6000年前の縄文時代前期の貝層があることがわかります。ここでは実際に貝化石も見ながら木下貝層などの貝に関する知識を深めました。
その後、江戸川の堤防から景色を眺め、江戸時代の絵図を見ながら現在の地形の成り立ちも探りました。
そして最後にレジデンシャルパークSHOWA(庄和総合公園)に戻り、生きている化石植物であるメタセコイアやユリノキを観察しました。
盛り沢山な内容となりましたが、参加者の皆さまは先生方の専門的なお話に耳を傾け、質問をされたりメモを取られたりしながら熱心に散策されました。
改めて、ご参加くださった皆さま、ご案内くださった先生方、ありがとうございました。
この地学さんぽは、2024年2月に刊行された『春日部市史 自然誌編』の連動企画として全4回が実施されました。
今回をもって一段落となりますが、続編をご希望されるお声も複数いただいておりますので、また次の講座も検討してまいります。
『春日部市史 自然誌編』では春日部市の地形や地質について詳しく説明されていますので、ぜひこちらもご覧いただければ幸いです。『春日部市史 自然誌編』は文化財課窓口のほか、庄和総合支所、道の駅しょうわ、ぷらっと春日部でも販売しておりますので、お気軽にお問い合わせください。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】久喜市立郷土資料館でリレー展示が開催されています
久喜市立郷土資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。
「東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥(みやこどり)が見た古代-埼玉県東部区の奈良時代・平安時代」を開催します」(久喜市ホームページ)
久喜市立郷土資料館は、久喜市鷲宮にあり、鷲宮図書館との複合施設です。
資料館は2階にあり、リレー展示はロビーの一角で開催されています。
展示では、都鳥ーユリカモメに関して、長唄や能楽の『隅田川』の文献、永井荷風の小説『すみだ川』、城之内早苗の楽曲『都鳥』のカセットテープなど充実したコレクションが展示されています。
また、奈良時代、平安時代の遺物として、市内の神明神社東遺跡や地獄田遺跡の土器が展示されています。
久喜市立郷土資料館の近くには、鷲宮催場楽神楽(わしみやさいばらかぐら)が催されることで有名な鷲宮神社もあります。どうぞあわせてお出かけください。
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
●久喜市立郷土資料館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
開催期間 令和7年5月3日(土曜日)~5月25日(日曜日)
開催場所 久喜市立郷土資料館 久喜市鷲宮5丁目33番1号(東武伊勢崎線鷲宮駅東口から徒歩15分、1.1㎞、または同駅より東鷲宮駅西口行バス図書館入口下車、徒歩2分)
開館時間 午前10時から午後6時まで
休館日 毎週月曜日
お問い合わせ (0480)57-1200
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
#かすかべ地名の話 (9)#小渕
春日部市内の地名の話。今回は、本日5月2日が千秋楽の企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも取り上げている、小渕(こぶち)について。
小渕は、現在の住居表示では「小渕」と書きますが、「渕」の字は「淵」の異体字だそうで、かつては「小淵」と書かれる場合もありました。
小渕の地名の由来については、『新編武蔵風土記』に次のような記述があります。
「村内百余尊権現の縁起に拠れば、当時今の古利根川殊に大河にして、当所は水底深き大淵なりしゆへ、巨淵と号せしより、地名にをはせしを、後に文字を仮借して小淵と書改といへり」
百余尊権現とは、小渕村の鎮守で、現在は鷲神社と呼ばれています。江戸時代の祭神は詳しくわかりませんが、別当は村内にある本山派修験の宮本院でした。明治時代には、鷺神社となるようですので、修験に関わるご祭神だったのかもしれません。この神社の縁起によれば、かつて、古利根川は大河であり、当地は水底が深い大きな淵になっていたため、「巨淵」と呼ばれていたという。地名に大きな淵という意味を背負い、その後、文字(表記を仮借して「小淵」に改めた、あるそうです。
「巨淵」という地名が表記された文献は、残念ながら遺っておらず、真偽は不明です。ただ、企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも紹介したように、「渕」は淵・縁とも書き、水が流れずよどんで深いところ(淵)や、物のまわりの部分・めぐる端(縁)という意味があります。
小渕は、古利根川が緩やかにカーブする東の縁に位置し、川沿いには、自然の摂理で形成された河畔砂丘が分布しています。カーブの部分が大きな「淵」となり、また川縁の陸地には川の土砂や砂が堆積しました。「小渕」がかつて「巨淵」だったというのも、あながち間違いではないのかもしれません。
さて、企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展は、小渕地区にゆかりのある資料を展示しました。小渕には、小渕山下遺跡、小渕山下北遺跡という遺跡が認められており、古くは古墳時代後期から、奈良・平安時代に人々が暮らし、中世には地域の拠点となっていたと考えられる遺物が見つかっています。今回、市指定有形文化財の「小渕河畔砂丘出土須恵器大甕」や、小渕山下北遺跡出土の漆腕を展示しました。それぞれ、小渕地区、さらには春日部市域の歴史を考える上で非常に貴重な資料です。
小渕の砂丘は、地元では、「不二山」(ふじやま)と呼ばれました。春日部音頭には「♪桃の不二山~」という歌詞があるように、桃の栽培地として、さらには桃の花の名所としても知られました。粕壁小学校では低学年の児童の遠足先としてよく利用されました。昭和前期と考えられる粕壁小の遠足の写真が残っています。
今も国道(旧日光道中)沿いには円空仏祭でこのGWに賑わう観音院をはじめ、河畔砂丘周辺には、朱印寺院でもある浄春院、現存はしませんが、かつて関東の修験寺院を統括していた幸手不動院など、小渕は春日部市域でも特徴的な歴史を伝える地区でもあります。
「小渕」の地名表記は、江戸時代前期の文献まで遡れますが、それ以前は「巨淵」と書いたのか、それともまた別の表記だったのか、残念ながらわかりません。
近年、豊臣政権期に作図されたと推定されている「下総之国図」(船橋市西図書館所蔵)は、まだ下総国に属していた小渕周辺の様子が描かれており、「利根川」(現古利根川筋)沿いに「藤山」の表記がみえます。北側には「本郷」(現杉戸町本郷)の地名がみえるので、おそらくこの「藤山」が小渕あたりで、小渕の「不二山」に通ずるものとも推測されますが、「下総之国図」の史料批判も必要であり、今後、さらなる検討が必要です。
小渕の「渕」、藤塚の「藤」、「不二山」の「藤」、そして、それぞれが富士信仰にも関わっている(かもしれない)という点は、なかなか興味深いなぁと、企画展示の最終日に展示担当者は回顧するのでした。
次期、展示も絶賛準備中です。お楽しみに。
新たに文化財に指定されました「旧石器時代の石器」を公開します!!
令和7年4月17日付けで新たに春日部市の有形文化財に指定されました「馬場遺跡旧石器時代石器群」について、教育センター1階エントランスホールで展示・公開を開始しました。
▲教育センターエントランスでの展示状況
馬場遺跡は、西金野井地区に所在し、国道16号と江戸川が交差する金野井大橋の北側に広がる台地上に立地します。これまでの発掘調査では縄文時代7,000年前のいろりや4,500年前の住居跡、平安時代のムラなどを確認した遺跡でしたが、平成29、30年の調査で旧石器時代の石器製作の跡が発掘されました。今回の文化財指定で、市指定51件(国指定5件・県指定15件)、総数71件となりました。
《文化財の特徴 その1》
馬場遺跡では現在の地表から90㎝ほど掘り下げた関東ローム層から119点の石器が発掘されました。関東ローム層は富士山、浅間山、榛名山、赤城山など関東周辺の火山から噴出された鉱物類が風化した土壌です。特に3万年前に大噴火を起こし日本列島一帯に噴出物をもたらした鹿児島県姶良(あいら)火山の噴出物に含まれる「火山ガラス」(AT)は関東ローム層の年代確定の目印になっています。石器はその下のローム層から発掘されたことから、埼玉県内でも旧石器時代の初期の約3.4万年前にあたるという、最古級の石器です。
▲石器の発掘状況~まとまりをもって同じローム層の中から発見された~
《文化財の特徴 その2》
馬場遺跡は、標高13.5mを測る下総台地の西縁に立地します。東方50mには江戸川堤防下に埋もれた谷があり、緩やかな東向きの斜面地で旧石器時代の石器製作の場が発掘されました。この石器製作の場は南北23m、東西17mの範囲に広がり、4か所の集中区からなる旧石器時代初期の石器製作の集合体です。こうした石器製作の場は、埼玉県内の下総台地にあたる幸手市・杉戸町・春日部市、そして松伏町では初めての検出であり、旧石器時代の文化の示標となります。
《文化財の特徴 その3》
発掘された石器は、狩猟具の「台形様(だいけいよう)石器」や石器を製作する「ハンマー」「砥石」(といし)、植物の加工具である「磨石」(すりいし)と、道具類は極めて少なく、完成品を携えて移動生活を繰り返したものと推定することができます。石器の材料は、関東周縁から採取できる8種類の石材が用いられました。なかでも流紋岩(りゅうもんがん)やガラス質黒色安山岩の2種が全体の7割を占め、いずれも群馬県や長野県境の山地、利根川上流で産出される石材が中心でした。また、旧石器時代から縄文時代の長きにわたって人びとが愛用した利器に加工しやすい「黒耀石」は科学的な分析により、栃木県矢板市の高原山産であることが判明し、北関東地方と春日部周辺のモノとひとの交流がうかがい知ることができます。
▲主な石器(上:台形様石器、下:ハンマー、磨石、砥石)
実物の石器に加え、写真やイラスト、北海道白滝産の黒耀石を用いて展示しておりますので、郷土資料館や教育センターにお立ち寄りの際はご覧ください。
【市ホームページでも紹介しています「新指定文化財」のお知らせ】
4月の考古学関係展示会、イベント情報
4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)
・5月3日(土曜日・祝日)~5月25日(日曜日)久喜市立郷土資料館(資料展示)
(展示会_閉会日順)
・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」
・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」
・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」
・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」
・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
「古代DNA-日本人の来た道―」
・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」
・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」
・6月29日(日曜日)まで 佐野市郷土博物館(栃木県佐野市)
令和7年度春の展示「佐野の遺跡展」
・6月29日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)
令和7年度春の企画展「キレッきれの黒い石―とちぎの黒曜石―」
・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」
・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」
・8月31日(日曜日)まで かみつけの里博物館(群馬県高崎市)
企画展「わくわく!はにわ体験‘25」
(現地説明会)
・5月17日(土曜日)午前10時30分~11時30分、午後1時30分から2時30分 茅ヶ崎市教育委員会 居村B遺跡現地説明会(神奈川県茅ヶ崎市)
不動院野の神楽(市指定無形民俗文化財)が公開されました
あいにくの雨の中でしたが、令和7年4月13日(日)、大杉神社の祭礼にあわせ、東不動院野の集会所で、市指定無形民俗文化財の不動院野の神楽が公開されました。
お囃子のあと、「天狐(てんこ)の舞」、「お地蔵様」などの神楽が演じられました。
「天狐の舞」は、神の使いである狐が、人々の願いを神に伝え無病息災、五穀豊穣、家内安全などを祈る狐の舞です。
「お地蔵様」は、源頼朝(みなもとのよりとも)の厄年(やくどし)にあたり、厄除(やくよけ)のため、頼朝の家臣の梶原景時(かじわらのかげとき)が石屋の名工である五郎太(ごろうた)に一夜のうちに6尺のお地蔵様をつくるよう命じるストーリーです。困り果てた五郎太は弟子をお地蔵様に扮装させる妙案を考えて実行しました。この結果、世間の評判となり参詣する人がたくさん訪れ、ついには参詣者の武将に見破られ、太刀(たち)で乱闘騒ぎとなる中で幕を終える演目です。
お神楽は、地区内外の方を問わず見学に訪れた方を交えて、地区のほのぼのとしたコミュニティーの中で演じられました。お囃子の音色、凜とした狐の舞、余興を交えたお地蔵様の演目などのおもてなしにより、皆さん楽しいひとときを過ごしました。
春期展示「中世板碑の世界ー発掘された板碑」を開催します
中世の時代、板碑(板石塔婆)と呼ばれる板状の石を使った石造物がさかんに製作されました。春日部市内でも、これまでに約490基が発見されています。今回の展示では市内で発掘された板碑を中心に紹介します。
会期:令和7年5月17日(土曜日)から7月6日(日曜日)
休館日:毎週月曜日、祝日、施設点検日
*期間中の休館日:5月19日(月曜日)、5月26日(月曜日)、6月2日(月曜日)、6月9日(月曜日)、6月14日(土曜日・施設点検日)、6月16日(月曜日)、6月23日(月曜日)、6月30日(月曜日)
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・東武鉄道春日部駅東口より徒歩10分)
●関連事業 みゅーじあむとーく
展示室で学芸員による展示解説を行います。申し込み不要、展示室までお越しください。30分程度、各回同じ内容です。
とき 5月17日(土曜日)、6月22日(日曜日)、7月6日(日曜日)10:30~、15:00~
ところ 郷土資料館企画展示室
●関連事業 展示解説講座
展示の内容を中心に、春日部市の板碑について、展示担当学芸員が解説します。
とき 6月28日(土曜日)10:00から12:00
ところ 教育センター(郷土資料館と同じ建物)
申し込み 5月8日(木曜日)から、郷土資料館へ直接、電話(048-763-2455)、電子申請でお申し込みください。
みよ!春日部の古き映像を! #彩の国ビジュアルプラザ ( #SKIPシティ )から映像視聴端末が出張中!
4月24日より、郷土資料館・ハルカイト(大凧文化交流センター)に、新たに映像視聴端末が設置されました。
これは、埼玉県の施設「彩の国ビジュアルプラザ」による移動公開ライブラリー事業に伴うものです。
普段は、川口市のSKIPシティで視聴できる動画や写真(の一部)が、特別に春日部市内の二つの施設で視聴できるもの。
この事業は、令和4年度からこれまで、熊谷市・川越市・秩父市で実施されてきましたが、今年度は春日部市で実施されるはこびとなりました。
本日は、はるばる川口市から端末や周辺機材を運搬していただき、汗をかきつつ組み立て作業が行われました。
モニターは直感的に使いやすいタッチパネル式。
春日部や県東部地域ゆかりの動画が48本、市内の古写真が48点、収録されています。
見たいアイコンに触ると、映像が再生され。
上は、埼玉県のニュース映像で、ちょうど春日部市役所(二代目)が完成したころの映像です。
SKIPシティで保存している映像のほか、春日部市で制作し、新たに提供した映像・写真も収録されています。
盛りだくさんで、全部視聴すると、1日では時間が足らないかも!?
設置後、早速、市民の方が視聴されていました。職員からも大変好評です。実は担当者もきちんと見ていない映像もあり、要チェックです。皆様もぜひご覧あれ。
設置期間は、今年度内の令和8年3月中旬(予定)です。
「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく(2回目)開催しました
4月19日、みゅーじあむとーくを開催しました。
午前中は、「東武健康ハイキング」で館内大賑わい。
というわけで、年度跨ぎの「ミニ展示」の「みゅーじあむとーく」にも関わらず、大勢のお客様にご参加いただきました。
今回は、藤塚地区、小渕地区、そして富士信仰について、市の花フジとともに紹介する展示。
学芸員が好きなことを好きなだけ喋る「とーく」の後、ご来館いただいた皆さんから、様々なお話が聞けました。
生まれてこの方春日部(粕壁)にお住まいの方からは、小渕について、「粕壁小のころ、不二山に遠足にいきました」とか「60年前にはカブトムシ採集にはいったけど、桃林はなかったと記憶している」など教えていただきました。
昭和40年代に春日部に越してきた方からは、藤塚の砂丘周辺に桃林があったことを教えていただきました。
また、山梨の大月市のあたり出身の方からは、「山に囲まれていて近くの富士山は意外に見えず、富士山をまじまじとみるのも、富士講や富士信仰を知ったのも、関東地方に出てからのこと」など、教えていただきました。
市内の小中学校の校歌にみる「藤」と「富士」についても、県立高校の元教員の方からは「勤務地だった校歌も「筑波山」と「富士山」が歌詞に入っていた、共通していて面白かった」と感想をいただきました。
「藤」「渕」「富士」の多岐にわたるテーマのため、お伝えしたいことがぼやけてしまうと思いましたが、かえって、幅広い、オムニバスなテーマなので、皆さん各々に刺さることがあり、お楽しみいただけたようなので、展示し甲斐があったよかったと思いました。資料(博物館)が人と人を繋ぐこと、実感した充実した一日でした。
この展示は、5月2日まで。お見逃しなく。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
#ハルカイト 見学のススメ(7) #春日部市制20周年 のバースデーケーキ
本日は、ハルカイトへ展示資料の点検に。
ロビーに大きなバースデーケーキが。春日部市の市制20周年をお祝いして造ったものです。
このバースデーケーキ、なんと和紙でできています。
和紙は、大凧でも使用される小川和紙。大凧を製作したときに出た切れ端を切りそろえ、和紙一枚一枚をバラに加工して、1000個のバラをケーキのように仕立てたものだそうです。
廃材とは思えないほど、細部も凝っていて、なかなか見ごたえがあります。赤いバラはペンキで着色、マカロンは粘土で造ったそうです。
ハルカイトの見学、そして、5月3日・5日の大凧あげ祭りとともにお楽しみください。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】吉川市中央公民館でリレー展示が開催されています
吉川市中央公民館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。
「東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代-埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します」(吉川市ホームページ)
吉川市中央公民館は、定員509人のホールや図書室を完備するなど規模が大きい公民館です。
リレー展示は、入口を入ったところのロビーで行われています。
吉川市では現在のところ、遺跡は発見されていません。しかしながら市西部の越谷市・八潮市境となる中川流域には、川に沿って広大な自然堤防が形成されており、特に八潮市では、川沿いの自然堤防上に八條遺跡など古代の遺跡が発見されています。対岸の吉川市側にも遺跡が存在する可能性が考えられます。
また、市東部の深井新田、平方新田では、古代の太日川(ふといがわ・おおひがわ)によって基盤が形成されたと考えられる自然堤防が良好に残されています。
自然探訪もあわせ、この機会にぜひお出かけください。
●吉川市中央公民館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
開催期間 令和7年4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日)
開催場所 吉川市中央公民館 ロビー 吉川市大字保577番地(JR武蔵野線吉川駅から1.1㎞、徒歩15分)
開館時間 午前9時から午後9時まで
休館日 期間中の休館日はありません
お問い合わせ (048)984-3563(吉川市教育委員会生涯学習課)
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
#かすかべ地名の話 (8)#藤塚
春日部市内の地名の話。今回は、現在開催中の企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展でも取り上げている、藤塚(ふじつか)について。
藤塚は、大落古利根川と中川(庄内古川)に挟まれた地域です。現在は住居表示として藤塚が使用され、また、昭和54年に開校する藤塚小学校、昭和56年に開設された藤塚公民館など公共施設の名称にも使用されています。加えて、市の花「藤」が地名にも入っていることから、「藤塚」の地名は地域の方々から親しまれています。
藤塚の地名の初見は、近世前期の記録にみられる「藤塚村」。当時は、武蔵国葛飾郡松伏領に属しました。藤塚村は、現在の住居表示の藤塚と、六軒町・本田町を含むエリアになります。現在使われている六軒町や本田町という住居表示は、藤塚村の村組である六軒組、本田組を由来にしています。藤塚村は、天保13年(1842)には家数141軒、809人ほどの村でしたが、今の藤塚(六軒町・本田町を含む)には6921世帯の方がお住まいの住宅街となっています(令和5年10月現在)。
藤塚の歴史的特徴ともいえるのが、古利根川の縁辺に形成された内陸型の砂丘(河畔砂丘)です。河畔砂丘は、河道の砂が卓越風で飛ばされ、河道や自然堤防に定着してできた砂の丘のこと。藤塚は藤塚橋や香取神社の付近に帯状の砂丘が確認されます。市内では、浜川戸や小渕にも河畔砂丘が分布しています。
江戸幕府が作成した街道図巻「分間延絵図」によれば、藤塚の河畔砂丘と思われる地帯には樹木が植わり、「百姓林」として利用されてことがわかります。古利根川の対岸の備後村の古文書には、対岸に松林が見えると記述されていますので、江戸時代の河畔砂丘は村人が管理する松林として利用されていたものと考えられます。
明治時代になると、藤塚村の高橋豊吉という人物が、外国種の桃樹(上海水蜜桃)3本を宮内省から譲りうけ、県内で初めて桃を栽植したといわれています。明治10年代に作図されるフランス式彩色迅速測図には、藤塚の河畔砂丘は「桃」の果樹園となっており、桃林として利用されていたことがわかります。さらに、藤塚の遠藤栄太郎は、明治35年(1902)に松林を開墾して、天津水蜜桃、上海水蜜桃を計1200余本栽植し、園芸会社を設立しました。植え付けの本数は最大数万本にものぼり、東京や近県の市場に販路を築き、粕壁や越ケ谷付近の諸村でも水蜜桃の栽培が普及していきました。
東武鉄道の開通後には、藤塚の桃林は「桃花園」と称し、最寄の一ノ割駅から藤塚橋を渡って訪れる観光スポットにもなります。
藤塚の桃林は、昭和40年頃まで往時の面影を残していましたが、東武線の地下鉄乗入れを契機として、昭和42年(1967)ごろから民間の建設会社による分譲住宅の開発が進み、桃林は減少してきました。その代わり、藤塚は春日部市内、屈指の住宅街となり、ニュータウン「藤ケ丘文化村」が造成され、今に至っています。
藤塚の桃林の写真は少ないのですが、今回の展示準備で見つけた写真 がこちら。
昭和39年(1964)3月26日の藤塚橋の起工式の模様。藤塚橋付近で行われた式典で、挨拶をする山口宏市長の後ろには、桃樹らしき樹木が植わっています。おそらく、桃の果樹園ではないかと思われます。
さて、本題の地名の由来。藤塚の地名の由来としては、二つの説が唱えられています。一つは、富士浅間を信仰する修験や行者によって造られた塚(富士塚)を意味するという説(『埼玉県地名誌』)。もう一つは、川べりの川底が深くよどんで大きな「渕」となり、その渕の上の砂丘にある板碑や墳丘を指す「渕塚」が転化し、「ふじつか」となったという説(古老の話による)。
藤塚の香取神社には、富士塚は残されていませんが、境内に「忠行院林山」(もしくは忠行林山)と名乗る行者の浅間神を祀る近世後期の石碑が遺されており、かつては富士塚が存立していたのかもしれません。神社一帯は河畔砂丘に立地していますので、砂丘の高まり自体を塚と見立てていた可能性も考えられます。もう一つの「渕塚」という説も、河畔砂丘のある「小渕」の「渕」にも共通しています。「地名の由来はこれだ!」という決定打は欠きますが、いずれの説も、花の「藤」というよりも、川べりにある小高い河畔砂丘を由来としています。
牛島のフジ、藤塚、小渕、富士信仰、ダジャレで繋げたテーマでしたが、ここまで関わるものだとは正直思っておりませんでした。
企画展に陳列する藤塚ゆかりの収蔵品はわずかですが、ぜひご覧いただければと思います。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されました
4月6日(日)、一ノ割の圓福寺(えんぷくじ)にて「圓福寺まつり」が開催され、大勢の人で賑わいました。
それにあわせて、市指定有形文化財群の、年に一度の公開が行われました。
圓福寺の境内にある曼荼羅堂には、「木彫当麻曼荼羅図(もくちょうたいままんだらず)」「木彫釈迦涅槃図(もくちょうしゃかねはんず)」「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図(もくちょうえんまおうきゅうならびにはちだいじごくず)」が安置されています。これらの作品はすべて、圓福寺の九世住職であった光世上人が元禄年間(1688~1704)に、「木彫当麻曼荼羅図」と「木彫釈迦涅槃図」は6年間、「木彫閻魔王宮並びに八大地獄図」は2年間の歳月をかけて制作したものになります。
一般的には曼荼羅図は絵画によるものが多く、圓福寺所蔵の曼荼羅図のような木彫・立体のものは非常に珍しいものといわれています。
制作されて320年以上が経過している貴重な文化遺産を今日まで保管し、公開の機会を設けていただいている関係者の皆様に感謝申し上げます。
地学さんぽ講座3「大河古隅田川を探ろう」を開催しました
3月30日(日)、穏やかな春の日差しに恵まれ、地学さんぽ講座の3回目、「大河古隅田川を探ろう」を開催しました。 今回は、古隅田川の流路をたどり、豊春駅から八木崎駅に向かうルート(古隅田野鳥の森、古隅田公園、古隅田川緑道)を散策しました。古隅田川は、下総国と武蔵国の国境であり、中世の頃までは川の流れが現在と逆で、古利根川から古隅田川へ向かって流れていました。また、古隅田川とすでに「古」がつくのに、さらに「旧」がつく旧古隅田川があることなど謎に満ちた川です。こうした謎に迫るため、古隅田川の流れの変遷、かつて暴れ川だった痕跡の押堀(おっぽり)(注1)やクレバススプレー(注2)、やじま橋や満蔵寺のお葉附きイチョウなどの文化財、梅若塚の伝承、昭和の河川改修による流路変遷などを数多くの見所のある箇所を散策しました。参加された皆さんは、所々で咲き始めたサクラの花を愛で、講師の先生の案内で、地学の探求者として、古隅田川の滔滔としたかつての流れに想いをはせ、様々な謎にみちた川について意見をかわしながら、長い行程の道のりを歩かれました。次回は、地学さんぽ講座の4回目、生きている化石植物の観察場所としてレジデンシャルパーク(庄和総合公園)、10万年前の地層を展示する龍Q館(地下神殿(調圧水槽)の見学は行いません)などを散策する予定です。参加希望の方は広報かすかべ4月号17面をご覧の上、お申し込みください。
注1:押堀(おっぽり) 川の洪水によって堤防を越えたり、破って氾濫した平野部に水が勢い流れた時に水の圧力で地面が掘られた跡。そのまま水がたまって池になったり、湿地として残ることがありますが、現在は、ほとんどは埋め立てられて目にすることは少なくなっています。
注2:クレバススプレー 川の流れに沿って形成された自然堤防が洪水によって破堤し、勢いよく流出した濁流によって引き起こされた地形です。
3月の考古学関係展示会、イベント情報
3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)
・4月12日(土曜日)~4月29日(火曜日・祝日) 吉川市中央公民館(パネル展示)
(展示会_閉会日順)
・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」
・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)
令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」
・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」
・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」
・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」
・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」
・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
「古代DNA-日本人の来た道」
・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」
・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」
・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」
・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」
「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展みゅーじあむとーく開催しました
3月23日(日)、現在開催中の企画展示のミュージアムトーク(展示解説)を行いました。
今回の展示は、春先に恒例の藤(フジ)の花の展示の派生企画展。フジの花にかけて、地名の「藤塚」「小渕」、そして「富士信仰」の歴史を収蔵品を中心に紹介しています。
今回のみゅーじあむとーくには、郷土資料館常連の皆さんに多くお集まりいただきました。顔見知りの方ばかりで、解説が終わった後にも、様々ご質問いただき、ご教示いただきました。ありがとうございました。
午前中には、ナント!富士信仰の研究者の方にもお出でいただきました。今回の展示準備にあたり、ご著書をいつも座右に置き、参照しており、直接お会いするのは初めてでしたが、動画で拝顔していましたので、展示解説の冒頭から「あの方かも!?」と緊張していました。特に富士信仰の概要や資料を説明する時は、今年一番のドキドキ。
担当者のつたない富士信仰の解説の後、研究者の方には様々な資料や情報をご教示いただきました。今回は収蔵品のみの展示でしたので、固定ケース半分にとどまりましたが、あんな資料やこんな資料も借り、あんなところやこんなところも調査すれば、春日部市域の富士信仰は企画展テーマとして柱が立ちそう、であることをお導きいただきました。ありがとうございました。
今回は「藤」「藤塚」「小渕」「富士信仰」と欲張りな企画で、盛沢山ですが、それぞれが中途半端でもあるともいえましょうか。「富士信仰」のテーマもさながら、「藤塚」も「小渕」も特徴的な地域ですので、それぞれ一本立ちするくらい、調査・研究を深めたいものです。
このように、みゅーじあむとーくは、学芸員と企画展の反省・展望を促すイベントにもなっています。
次回は、4月19日(日)。「藤塚」「小渕」「富士信仰」の関係者の方は、ぜひ叱咤激励にお出でください。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
歴史文化講演会 『奥の細道』を読む~草加から日光あたりまで~ を開催しました
令和7年3月22日(土)午前、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。
國學院大學栃木短期大学教授で、漢文学がご専門の塚越義幸先生をお迎えして、「「奥の細道』を読む ~草加から日光あたりまで~」をテーマに、お話ししていただきました。
江戸時代の日光道中の宿場町であった粕壁宿には、たくさんの人々が通行しました。
元禄2年(1689)3月に粕壁に宿泊した俳聖 松尾芭蕉もその一人です。
講演では、『奥の細道』を、芭蕉のしゃれ(洒落) や かろみ(軽み) を感じながら鑑賞するために、大切なことを、『奥の細道』の本文に沿いながら、わかりやすく解説していただきました。
芭蕉が訪ねた歌枕の地や、表現方法としての俳諧の様式などについて、文学の専門的なお立場からお話ししていただき、松尾芭蕉の俳諧の特性についても知ることができました。
受講された80名の皆さまには、熱心にご清聴いただき、たいへん盛況となりました。時間の都合で質疑はお一人のみでしたが、先生には丁寧にお答えしていただきました。
塚越先生、受講された皆さま、ありがとうございました。
春日部には、江戸時代後期に建てられた芭蕉の句碑も存在します。また、近代の俳人水原秋桜子や加藤楸邨のゆかりの地でもあります。今後も本市ゆかりの俳諧・俳句につきまして、紹介してまいります。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】白岡市立歴史資料館でリレー展示が開催されています
白岡市立歴史資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。
「リレー展示「都鳥が見た古代〜埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代〜」開催中です!」(白岡市ホームページ)
白岡市立歴史資料館は、平成30年に開館した白岡市生涯学習センター「こもれびの森」内にあります。「こもれびの森」は、歴史資料館のほか図書館、多目的ホール、集会室などから成る複合施設で、白岡市役所に隣接しています。
リレー展示は、入口を入ったところすぐの企画展示室で行われています。
今回は、白岡市の中妻遺跡の資料も多く展示されています。中妻遺跡は白岡市篠津に所在する縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世の遺跡です。奈良時代・平安時代では、鉄作りの工房跡が発見されており、関連資料も展示されています。
「古代白岡の鉄作りの起源に迫る!(中妻遺跡第10地点)」(白岡市ホームページ)
常設展示室では、旧石器時代からの白岡市の歴史資料が展示されています。白岡市には、縄文時代の遺跡が多く、資料が充実しています。
この機会にぜひお出かけください。
●白岡市立歴史資料館会場「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
開催期間 令和7年3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日)
開催場所 白岡市立歴史資料館 企画展示室 白岡市千駄野432番地
開館時間 火曜日から土曜日 午前9時~午後7時、日曜日・祝日 午前9時~午後5時
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日に当たる場合は、その直後の祝日でない日)
歴史資料館について(白岡市ホームページ)
お問い合わせ 0480-92-1894
*リレー展示は、下記日程で開催予定です。
3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示
4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示
5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示
6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示
7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら
凧作り教室を開催しました
3月15日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、凧作り教室を開催しました。郷土資料館では、今回で4回目の実施となります。当日は、小学生を中心に15名に参加いただきました。
作り方の最後で、凧に反りをつけるために、骨の左右のフックに糸をかけて、引っ張りました。大凧でも「弓張り」と呼ばれて同じように骨をそらせます。大凧では、凧の中央部分で、凧の骨から糸までが約90cmの高さになるようしめあげます。
保存会の先生もおっしゃっていましたが、凧に反りを付けることで、凧が上がった時に風が左右に分かれ、一部は凧の裏面に回り込みます。風が凧を両わきからはさんでいる状態になり、安定して飛ぶようになります。
さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。
春日部市市制施行20周年記念イベント【みんなで祝おう春日部オリジナル凧あげ大会】
とき 令和7年5月5日 午前9時から11時
場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷
参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加。入賞者には記念品の贈呈。
文化財の公開(4月)のお知らせ
桜のつぼみも膨らみ、開花まであとわずか・・・という時節を迎え、市内では江戸時代から伝わる有形、無形の文化財が公開されます。
【圓福寺所蔵の市指定有形文化財の公開】
一ノ割にある圓福寺では、毎年4月一週目の日曜日に開催される「圓福寺祭り」に合わせて、曼陀羅堂に所蔵されている市指定有形文化財が公開されます。
木彫当麻曼陀羅図は、通常、絵画等で描かれていますが、木彫の仏像が配された立体構造が特徴的です。この他、釈迦涅槃図など、江戸時代に制作された仏教美術が一堂に公開されます。
日時:令和7年4月6日(日曜日)午前10時~午後3時
場所:一ノ割一丁目30-17 圓福寺
※拝観は有料となります
▲左:木彫当麻曼陀羅図、右:木彫釈迦涅槃図 共に元禄11年(1698年)の作。厨子に納められ江戸各所の寺社にも出向いて公開(出開帳)されていた。
【不動院野の神楽】
東不動院野地区に伝わる市指定無形民俗文化財が公開されます。江戸時代の半ばころ、茨城県稲敷市の大杉神社から伝わった神楽(祭神が安婆天狗であることから別名「安婆神楽」ともいわれる)で、元来、平安時代に宮中での神事として演じられていましたが、江戸時代には「お祓い」の要素をもち、家内安全や五穀豊穣を祈願する民俗芸能として、東不動院野地区で継承されています。
日時:令和7年4月13日(日曜日)正午~午後2時(予定)
場所:東不動院野615 東不動院野集会所
▲昨年の祭礼の様子 高校生や大学生の後継者による演舞も見どころのひとつ。軽快な調子の祭り囃子と口上が伴う神楽が特徴的
桜のお花見とともに足を運んでみてはいかがでしょうか
次期企画展のチラシできました
次の企画展は、「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展。
ここ数年春先に開催し、恒例になりつつある市の花「フジ」を主題にした企画展2025年版です。
今回は、市の花フジに加え、「藤」「渕」がつく市域の地名と、「富士信仰」にスポットをあてます。「藤」がつく地名とは、豊野地区の藤塚。「渕」がつく地名とは、幸松地区の小渕、のことです。
まだ、どんなモノが並ぶのか、目下、検討・準備中ですので、詳細は教えられませんが、見どころとなる資料は固まってきましたので、チラシのデザインが確定されました。
淡い色合いで、アンニュイな展示担当者の今の気持ちを表わしているようです(笑)。
果たして間に合うのでしょうか。乞うご期待。
[事業の基本情報]
展示名:企画展「藤・渕・富士 ふじのかすかべ」展
日時:令和7年3月22日(土曜日)~5月2日(金曜日)月曜日・祝日休館。開館時間午前9時~午後4時45分
関連事業:みゅーじあむとーく(展示担当学芸員による展示解説)
令和7年3月23日(日曜日)、及び4月19日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(30分程度)
予約不要。時間までに展示室へお集まりください。費用無料
#かすかべ地名の話 (7)#八木崎
忘れた頃にやってくる、春日部市内の地名の話。今回は、八木崎について。
先日、でばりぃ資料館のため、八木崎小学校に訪れた際に、担任の先生より、「八木崎のいわれについて教えてほしい」と強いご要望がありましたので、今わかる範囲での八木崎について、ほごログで紹介することにしました。
八木崎は、粕壁地区のなかの小名(小さな地名)の一つであることは、前にも紹介しました。元禄10年の検地帳にも登場する耕地名ですから、古くから呼び伝えられてきた地名であることは間違いないでしょう。「八木崎遺跡」という遺跡もあり、古代の遺物も出土していますから、少なくとも奈良・平安時代には人々が拠点としていた痕跡がのこっています。ちなみに「八木崎遺跡」は現代人が名付けた遺跡名ですから、当時はなんと呼んでいたのかは不明です。
江戸時代には、八木崎の一帯は粕壁宿の一部になり、「八木崎耕地」「字八木崎」などとよばれました。八木崎耕地は、田8町8反余、畑29町5反余で、耕地の大半は畑地で、「粕壁宿之内八木崎組」とも書かれた古文書もあり、宿場の人馬継立の役を分担する株を持つ家も存在していました。粕壁宿というと、日光道中沿いの町並みの方に焦点が集まってしまいますが、八木崎は立地的にも古くから人々が暮らしていたことが推察されます。
明治初めに記された「春日部記草」に、次のように書かれています(春日部市史近世史料Ⅲノ2)。
「八木崎と云名ハ遺老の物かたりに、大木の杉八もとありし海辺ゆえしか、名つけたりとそ、こゝも浜川戸にさしつゝきて土地高く、古く干潟と成たる所故、太田の庄にかそへ入たるなるへし」(八木崎という地名は、古老の話によれば、大木の杉が8本あり、海辺だったために、八木崎と名付けられたとのこと。八木崎は浜川戸に地続きで、古くから干潟になった場所なので、中世の太田の庄に含まれていると考えられる)
明治初めの人たちは、春日部八幡神社のある浜川戸に地続きの八木崎が土地が高いと認識していたようです。たしかに、昭和8年(1933)の粕壁町の略図をみると、画像左下の八木崎付近は、西側のあたりに畑が多くみえます。
市内には、八木崎のほかにも、米崎・金崎・塚崎・木崎のように「崎」がつく地名があり、いずれも台地等の高台の突端がかかる地域となっています。八木崎は台地ではありませんが、浜川戸の河畔砂丘など、微高地の突端にあたるため、「崎」という地名となったのでしょう。
【 #3月7日 】 #今日は何の日? in春日部
いまから254年前の明和8年(1771)3月7日(旧暦)は、粕壁ゆかりの俳諧師増田眠牛の命日です。
増田眠牛は、今年の大河ドラマ「べらぼう」の時代=江戸時代半ばの江戸の俳諧点者です。粕壁の山中観音は眠牛ゆかりのお堂で、粕壁宿の歴史スポットとして知られています。しかし、当時の歴史資料はほとんどなく、粕壁との関わりは伝承・逸話として伝わるのみです。今回はその伝承・逸話の元になっているものを紹介しましょう。
眠牛について、紹介する文献のうち、最も古いと思われるのが、粕壁尋常高等学校編『郷土の研究』(昭和8年ごろ刊)です。同書は、私家版で発行された小冊子で、個人のお宅に伝来する史料として伝わったものです。担当者も恥ずかしながら、未だかつて原本をみたことがありません。
同書は、当時の粕壁町の社会経済的な統計のほか、伝承・伝説など、大正末から昭和初期にかけての郷土史研究の成果として重要なもので、このなかに「増田眠牛の事」という項目が立てられ、次のように記されています。一部コピーが不鮮明で読めない箇所は【 】で記しました。
増田眠牛とは今より凡そ百六七十年前、六部姿にて背に千手観音を負ひ、風雅の道をもとめて漂然と我が春日部の宿にたどりつきたる俳人の名なり。時は徳川時代の中頃宝暦の頃なりしと伝へらる。当時、今の練木市左衛門の本家なる家を伊勢平といひ、米問屋をなし、一家俳諧を好む。即ち眠牛これを聞きて旅のわらじをこの家の軒にとく。しかして暫しこの家の人々と起居を共にす。それより明和八年三月、六十余才で没するに至るまでの年月を此所に落ち付きて俳味豊かな彼の晩年を送る。
伊勢平当時米問屋にて常に江戸に出でゝ米の仕切勘定をなす。一夜或宿屋にて囲碁をなす。打つ手置く石せはしく石の黒白に天下を争ふうち、その手の思ふやうにならぬ折から思はず「下手だなあ、拙いなあ」を連発すと。隣座敷にて当時俳書【 】俳談に余念なき時なり、近頃ものせるものなりとて
五月雨や 或る夜ひそかに 松の月 蓼太
なる句を示して、その批評を請ひしに、隣の部屋より「下手だなあ、拙いなあ」の連発が聞こえてくる。これを聞き手嵐雪忽ち血相が【 】部屋にふみ入りて、如何なる点が拙きかと談判に及ぶ。伊勢平【 】に驚きて拙なりとは御身の句の事にあらず、全く碁の手の拙き故なりとしきりに弁明すれど、聞き入れず、困じ果て対に一策を案じ、即ち之を家に奇遇せる眠牛にはからんとせるなり、「然らばそ【 】答を暫くまたれよ」とて暫くその場をのがれて帰宅をなし【 】眠牛に打ちあけてその助力を請う。眠牛やがて嵐雪と会見してその句の非を指摘して伊勢平の難をすくふ。俳聖嵐雪【 】批評も得たるを思へば眠牛は相当の技量と見解をもちたる俳人なる如し
その辞世の句として
かかれぬぞもういのち毛の土筆
とあり。今尚山中観音(眠牛の背負ひ来れる)の堂前に石にきざみてあり。即ち眠牛は六十余才にてこの地に終りし故、附近の人びとによりその負ひ来れる千手観音は山中観音としてまつられ、眠牛の用ひし杖なども保存せらるゝと。観音堂は今より四十余年前附近の人々無尽講に入りてあたり金を以て建立せるものにて、今毎月十七日には観音経をあげらる。なほ眠牛の墓が伊セ平菩提寺なる成就院にありしによりてもその史実は証せらる。
上の文章からは、次のことがわかります。(1)俳諧師の眠牛は、粕壁宿の米問屋伊勢平に寄宿し、晩年を過ごし、粕壁で亡くなったこと。(2)伊勢平が別の俳諧師と口論になった折りに、眠牛が俳諧の評価を下し、間を取り持ったことで伊勢平が助かったとこと(途中は読めない部分があるので、事実関係は検討が必要ですが)。(3)眠牛が背負ってきた観音は、粕壁の山中観音として祀られ、今にいたること。(4)かつて、眠牛の墓は伊勢平の墓所にあったこと。(5)山中観音のお堂は40年ほど前(明治末期か)に地域の人たちの無尽講により建てられたもので、観音経を唱える講中(観音講か)が組織されたこと。
ところで、増田眠牛は、どのような俳諧師だったのでしょうか。断片的ですが、江戸の俳諧書を辿ってみると、眠牛の名は割と多くみえます。近現代に出版される俳諧の系統図にも、眠牛は談林派の俳諧師として、笠家旧室の系統をひく者としてみえます。俳諧書の「西山家連俳系図」には、談林派俳諧の笠家旧室の弟子として眠牛の名がみえ、「増田匍匐庵、明和八年辛卯三月六日没、歳五十三、葬武州糟壁駅成就院」とあります。また、明和5年(1768)刊とされる「誹諧觽初篇」には、「当時旅行」「蒼狐門」とありますので、笠家旧室の系統を組む小菅蒼狐の門となり、すでに江戸を離れていたようです。同書には「強弱交るべし、恩愛の句に手柄あり、とかく短句に高点多し、是はといへる道具なし、句を軽く仕立べし」と、点者としての評判も記述されています。俳諧に親しんだ江戸の人びとに、俳諧の点者として知られていたことがわかります。
『郷土の研究』では、没年を「六十余才」としていますが、同時期の俳諧書では没年を「五十三才」としています。命日は、江戸俳諧書では「三月六日」としますが、山中観音の墓石には「三月七日」と刻まれています。
また、『郷土の研究』は、伊勢平が中心となって眠牛と関わり、その後地域の無尽講によりお堂が建てられたと読めますが、戦後に粕壁と眠牛について記されたものには、「やまご」を商標にする清水家が眠牛を世話したとの言説がみられます。
たとえば、『春日部市史通史編』では、春日部市教育委員会編『春日部市の文化財』(昭和54年初版)を引用し、「この堂(山中観音)は、伊勢平に代わって眠牛の世話をしていた醤油醸造家清水家(やまご)が眠牛の菩提を弔うために建立したものである」と記しています。同様の言説は、岩井幸作『春日部秘史』(昭和46年刊・私家版)にもみられます。清水家は、伊勢平の後に眠牛を世話し、宅地の隅に居宅を用意した(『春日部市の文化財』)とも、伊勢平なきあとにお堂を管理した(『春日部秘史』)とも、眠牛やお堂との関わりは曖昧です。清水家は、栃木屋勝右衛門を代々名乗る江戸時代以来の粕壁(仲町)の商家です。通称「栃勝」と呼ばれました。醤油醸造家とされていますが、諸資料から確認すれば、醤油醸造をはじめたのは明治時代以降とみられ、もともとは木綿買次商を営んでいました。
私見ですが、醤油醸造の栃勝は極めて近代的なイメージとみられますので、清水家が山中観音と深く関わるのは、明治以降のことではないかと考えらえます。とはいえ、『郷土の研究』の逸話をはじめ、没年や命日、清水家との関わりなど、関連史料がないため、今となっては確かめるすべがないのが現状です。
さて、眠牛が背負ってきた観音の軸は、現在も山中観音の本尊として祀られているそうです。昭和初期には成就院にあったという眠牛の墓石は観音堂の敷地に移設されています。
墓石には、眠牛の戒名「諦誉華岳眠牛居士」と命日「明和八辛卯年三月七日」、そして「かかれぬぞもういのち毛の土筆」という辞世の句が刻まれています。
現在の山中観音堂は平成初めの区画整備事業により、平成4年に元のお堂の一部を移築されています。
当館では、移築に伴い、お堂のなかのものの一部、眠牛が背負ってきたという笈(下の画像)などを保管しています。
浅学な担当者は、これまで増田眠牛について、それほど著名ではない俳人と勝手に思い込んでいましたが、デジタルアーカイブなどで各機関の関係史料を瞥見するなかで、意外に著名であることにたどり着きました。史料の関係で、粕壁でのエピソードを深めるのは難しそうですが、粕壁宿や山中観音の価値を高める上で、眠牛についてもう一度見直し、再評価する必要があるのかもしれないと、眠牛の命日に思うのでした。
過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版、3月14日版、3月27日版、4月1日版、4月28日版、6月2日版、6月3日版、6月10日版、7月31日版、9月1日版、9月16日版、10月15日版、11月25日版
過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。
歴史文化講演会 合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 を開催しました
令和7年3月2日(日)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催いたしました。
國學院大學栃木短期大学教授で、日本近世史がご専門の坂本達彦先生をお迎えして、「合戦場宿一件にみる庶民生活の一側面 ~日光道中の宿場と周辺村落~」をテーマに、お話ししていただきました。
江戸時代の春日部は、江戸から日光までを結ぶ日光道中が南北に通り、宿場町であった粕壁宿は、江戸の影響を受けながら、地域の経済・文化の中心となっていました。
講演では、天保10年・11年(1839・1840)に日光例幣使道合戦場宿(にっこうれいへいしどう かっせんばしゅく 現栃木県栃木市)で発生した、贈収賄事件を手がかりに、広範囲にわたった処罰者や、当時の粕壁宿の状況なども交えて、宿場や農村に暮らした人びとの、社会、生活や風俗を紹介されました。江戸時代の後期から幕末期にかけての時代背景として、幕府の政治・政策の変化、江戸の町の繁栄と、関東地方の宿場や農村の治安と風紀・風俗の問題をとりあげ、それに対する幕府の対応(統治や統制)をわかりやすく解説されました。
受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただきました。質疑では複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。坂本先生、受講された皆さま、ありがとうございました。
江戸時代は、宿場・農村を問わず、さまざまな事がらが、現代と関わりを持っています。今後も本市をはじめとする埼玉東部地区の歴史や文化について、紹介してまいります。
【出張授業】でばりぃ資料館in宮川小学校
令和7年2月26日(水)に宮川小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
宮川小の3年生は1クラスのみ。この日は1クラスを2つに分けた少人数制のでばりぃ資料館を開催できました。
視聴覚室を仕切りで2つに分け、「60年前の市の様子・昔の学校の道具」「昔の家庭の道具」について解説をしました。
1ブースに付き20分程度の時間でしたが、児童がよく話を聞いてくれたことや、少人数ならではの作業の進めやすさもあり、資料に触れる時間も確保できてコンパクトながら充実した時間を過ごせたようです!
各ブースを入れ替わるタイミングで、児童同士が
「こっちめっちゃ面白かったよ!」
「こっちも面白かったよ!」
と、自分の方が楽しんだ自慢がはじまったり(笑)
事前に先生から伺っていた話によると、児童たちは“でばりぃ資料館”をずっと楽しみに待っていてくれていたとのこと♪
仕事と言えど、そう言われるとやはり嬉しいもので出張のしがいがあります!
ぜひ今度は“待ち”ではなく、保護者の方と郷土資料館に“来て”みてくださいね!
さて、これにて本年度のでばりぃ資料館は一段落となりました。
出張回数は市内小学校14校15回を数え、過去最多!でばりぃ資料館ではなく団体見学にきてくれる学校もあるため、本年度は多くの学校に郷土学習を体験してもらえたかと思います。
でばりぃ資料館は3年生の社会科のみならず、学年・内容・時期などを相談させていただければ随時ご利用いただけます。児童にとってちょっと特別な授業を提供できるようこれからも努めてまいりますので、今後もどうぞ郷土資料館をご活用ください!
【出張授業】豊野小学校inでばりぃ資料館
2月25日(火)豊野小学校に、でばりぃ資料館で出張りました。
当日は、午前は立野小、午後は豊野小のダブルヘッダー。気分はメジャーリーガーです。
豊野小学校では、図書室と視聴覚室の2教室を間借りして、3年生の皆さんに、昔の家の道具や学校の道具、昔の春日部のまちや豊野小の周りの様子についてお話ししました。
豊野小学校には、地元の民具などを展示する郷土資料室が置かれていますので、資料室から道具を持ち寄って、説明。そして、自由に触ったり、体験してもらいました。
こちらは定番の黒電話。写真の様子からもわかるように、まさに電話を取り合っています。小学校の郷土資料室にも1台ありましたので、事後学習にぜひご利用ください。
かたや、視聴覚室では、春日部のまちは昔は田んぼや畑だったことを写真をみながら考えてもらいました。
60年前には、普段つかっている大型ショッピングモールや、学校の周り、自分たちのおうちがあるのか、じっくり探してもらいました。「コンビニはどこ?」「ワンワンランド(?)は?」とか、現代のランドマークになる建物がないため、探すのに苦労していました。
また、こちらでも郷土資料室の道具も体験。昔の農業について考えてもらいました。
鍬や田こすりなど、どうやって使うのか、重いのか、軽いのか。昔の豊野地区の農家の人たちの汗がしみ込んだ農具の柄を握って昔の農業を感じてもらいました。児童のなかには、おじいさんやおばあさんが農家の方がちらほら。「おじいちゃんちにある」とか、「今度手伝いたい」なんて話す子もいました。
ところで、帰り際、校長先生から「先日学校訪問に来た外国人の方が郷土資料室を気に入ってくださった」「出入りができるようにして活用をしたい」とお話しくださいました。豊野小の郷土資料室は、地元の方が集めたものもあり、郷土資料館でも展示したい養蚕の郷ぐ「蚕棚」も展示している、市内屈指の郷土資料室です。今回のでばりぃ資料館だけなく、日常的に見学・体験・活用していただけると助かります。
でばりぃ資料館の後、3年生たちは下校。帰り際に「今日はありがとうございました」と声をかけてくれました。今度は郷土資料館に遊びにきてくださいね。
【出張授業】でばりぃ資料館in立野小学校
令和7年2月25日(火)の午前に立野小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
1月後半から始まった怒涛のでばりぃ資料館ラッシュもいよいよ終盤です!
この日は3階の学習室3・4を使用しての開催。
それぞれ昔の学校の道具・家庭の道具を紹介する部屋と、昔の町の様子・昔の農業について紹介する部屋とに分かれて勉強をしました。
立野小には郷土資料室を設置しており、そこから周辺地域で実際に使用されていた農具などを持ち出して児童に観察してもらいました。
約60年前の市域を映した空中写真では、立野小の姿はまだありません。
児童からは「田んぼばっかりや!」と、立野小が設立される以前の様子を感じ取ってくれたみたいです。
中には地図をみて「スカスカ!」と言う児童も。田んぼや畑が“ある”ではなく、建物が“ない”という感覚のようで、いかに建物に溢れた世界が常識になっているかがうかがい知れます。
今日は都合上3クラスを2つに分けて開催したため、1部屋当たりの人数が多くなってしまいましたが、児童が騒がず静かに話を聞いてくれたため問題なく終えることができました!
立野小の児童は郷土資料室にも興味を持ってくれたみたいなので、先生にお願いしてぜひ郷土資料室にも入ってみてください!見たことのない道具がたくさん待っていますよ♪
郷土資料館体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました
令和7年2月22日(土)に体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました。
本来、本講座は昨年の10月末に開催する予定でしたが、その時は衆議院議員総選挙で会場が使用できなくなってしまったため中止となってしまいました。ご予約をいただいていた方に中止となった旨をお伝えしたときは、皆さんとても残念そうで、こちらとしても心苦しい限りでした。
そして何とか日程を調整して、今回の「ミニぞうり作り」の開催にこぎつけました!
例年は定員20名に対して参加者10名前後なのですが、今年はある意味で2回告知をできたおかげか、募集定員満員となりました!
講座では江戸打ち紐を使って、小さなぞうりを編んでいきます。
特に編みはじめの部分が難しく、テキストを見てもなかなか思うようにいきません。
ちなみに、編み方が合っていても“なんだか間違っている気がする・・・”と感じるのも『ミニぞうり作りあるある』だったりします。編み進めていくとだんだんとぞうりの姿が見えてきて一安心といった感じです(笑)
作ったばかりのミニぞうりをバッグに付けてお帰りになる方も!
どうやら手作りしたアイテムでバッグを飾ってらっしゃるそうで、ミニぞうりもその仲間入りができました♪
参加者の人数に対して、どうしても職員の手が足りず、ご不便をかけたかと思いますが、講座後のアンケートでは「またやりたい!」「自宅でも作ってみます!」といった声をいただき、多くの方にご満足いただけたようで何よりです!
郷土資料館では他にも各種イベント、講座を開催しておりますので、ご興味のあるものがございましたら、またぜひご参加ください!
2月の考古学関係展示会、イベント情報
2月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・3月15日(土曜日)~4月8日(火曜日) 白岡市立歴史資料館(資料展示)
(展示会_閉会日順)
・5月6日(火曜日)まで 朝霞市博物館(朝霞市)
第38回企画展「根岸古墳群と内間木古墳群~朝霞の古墳時代」
・5月25日(日曜日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和6年度テーマ展 埼玉の遺跡「小敷田遺跡―低地集落に生きた人びと」
・5月25日(日曜日)まで 藤岡歴史館(群馬県藤岡市)
令和6年度春季企画展「群馬県指定史跡指定記念 ムラと歩んだ古代の寺―牛田廃寺の時代」
・6月15日(日曜日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
「古代DNA-日本人の来た道―」
・4月20日(日曜日)まで 取手市埋蔵文化財センター(茨城県取手市)
埋蔵文化財センター第54回企画展 「近世を掘る―地下からわかる取手宿―」
・4月20日(日曜日)まで 桶川市歴史民俗資料館(桶川市)
令和6年度企画展示「ようこそ はるばる おけがわへ~縄文時代のモノと移動~」
・5月25日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)
企画展「古代エジプトの棺と埋葬」
・6月15日(日曜日)まで 水子貝塚資料館(富士見市)
「縄文文化のはじまり ~八ヶ上遺跡全部見せます~」
・6月15日(日曜日)まで 飛鳥山博物館(東京都北区)
春期企画展「丸木舟ラボー縄文の舟にまつわる4つのはてなー」
・7月6日(日曜日)まで 宮代町郷土資料館(宮代町)
企画展 「発掘された地蔵院~テーマで探る人々の姿~」
・8月30日(土曜日)まで 帝京大学総合博物館(東京都八王子市)
企画展「ホネホネワンダーランド-骨の不思議を探る-」
南桜井小学校の皆さんが団体見学に来ました
2月20日、南桜井小学校の特別支援学級の皆さんが、郷土資料館に見学に来てくれました。
竪穴住居や粕壁宿の模型をみたり、千歯こき体験をしたり、春日部駅の鉄道高架の展示をみたり。
来館しなければ味わえない体験・経験をたくさんしてもらえたようです。
特に大人気だったのが、昔のおもちゃコーナー。
自由時間をかなりとりましたが、皆さん、この場から離れません。とくに人気だったのが、ダイヤル式電話、ビー玉ころがし、パタパタ(板がえし)、紙鉄砲でした。
最後には「帰りたくない」と涙をこらえて訴えてくれる子もいました。
ここのところ、郷土資料館では、でばりぃ資料館(出張授業)ばかりで、久しぶりの団体見学でした。
でばりぃ資料館はお陰様で大好評で、「楽しかった」と満足気に語る児童たちはいても、「帰らないでほしい」とは言われたことはまだありません。でばりぃ資料館は「所詮、郷土資料館の切り売り」にすぎませんが、団体見学のは郷土資料館を体全体で感じることができます。ヴァーチャルや切り売りではなく、実物のいろいろなものに、自らの興味・関心で触れにいき、楽しめることが、来館することの醍醐味なんだ、と改めて気づかされました。「帰りたくない」という感想はあり得ても、「帰らないでほしい」はきっとない感想なのかもしれません。
「帰りたくなかった」あなたは、ぜひ、おうちの方とまた遊びにきてくださいね。
【出張授業】中野小学校inでばりぃ資料館
2月14日、中野小学校にて、でばりぃ資料館を開催しました。
今回も3年生の社会科の市やくらしのうつりかわりの学習の出張依頼です。
わけあって、報告が遅くなってしまましたので、後日いただいた児童の皆さんの感想ととともに当日の様子を紹介しましょう。
中野小学校の皆さんは、すでに昔の道具やくらしのうつりかわりについて、学習がはじまってたようで、「道具の名前や使い方知っていますか?」と質問すると、「火のし」「昔のアイロン」というように、答えてくれた子がたくさんいました。しかし、どうやって火のしを使うのか、どのようにして先端の金属の部分を温めるのかは、まだ知らない子が多かったよう。実物の火のしと木炭(炭)をみせながら説明したところ、皆さん得心してくれました。だけど、それでも時間が足らなかったかな、と思う感想を書いてくれた子もいました。
熱くなるのは、先端の金属(真鍮?)の部分で、取っ手は木製です。触って確かめてもらえたでしょうか。
こどもたちに大人気のダイヤル式電話。他の小学校では「電話にでんわ」と紹介され、教育センターの一部の方に好評だったので、同じように電話を紹介しましたが。。。全体的にはしーん。ただ、一人の子には大うけしました。今後も果敢に挑戦していきます。
もう一つの話題。
「中野小学校がなんでできたのか知っていますか?」というような、町の様子のうつりかわりのお話。こちらについても、すでに学習していたようで、「川辺小学校がいっぱいになっちゃったから、中野小学校ができた」と明答してくれた子もいました。
けれども、「中野小学校ができる前には、ここは何だったのか」と聞くと、「田んぼかな?」「畑かな?」「海かな?」「川かな?」と意見が分かれました。そこで、60年前の春日部の航空写真を見てみよう、と案内したところ、自由時間には、、、
われ先にと争うようにのぞき込んでくれました。
感想でも、
自分たちの小学校だけでなく、よく使う近所のショッピングモールがなかったことに驚きをおぼえてくれた子もいたようです。
今回は、学習の「導入」ではなく、「展開」として位置づけられていたようでした。「導入」でも「展開」でも、はたまた「まとめ」でも、いかなるご要望にもお応えしますので、今後も幅広いオファーをお待ちしております。
中野小学校の皆さん、どうもありがとうございました。次は、郷土資料館に来てくださいね。
歴史文化講演会 天正18年の岩付、糟壁とその周辺 を開催しました
令和7年2月15日(土)午後、教育センター視聴覚ホールにおいて歴史文化講演会を開催いたしました。
元さいたま市の専門職員で中世史研究者の青木文彦先生をお迎えして、「天正18年の岩付、糟壁とその周辺」をテーマにお話しいただきました。
天正18年(1590)は、関東地方の歴史にとって大きな画期となった年です。関東地方の戦国大名の雄であった小田原北条氏(後北条氏)が天下人豊臣秀吉の小田原攻めによって滅ぼされ、関東は江戸を本拠に置く徳川氏の領国となりました。これは、今日まで続く、東京(江戸)を中心とした関東地方・日本の発展の歴史へと連なる、大変大きな出来事といえます。
講演では、天正18年3月から9月まで、豊臣秀吉が京都から関東へ着陣し会津仕置(しおき)を経て京都へ戻る期間の秀吉の動静と、岩付城の落城や春日部とその周辺の住民の動向を詳しくお話ししていただきました。
受講された70名近くの皆さまには熱心にご清聴いただき、最後には複数のご質問もあり、たいへん盛況となりました。青木先生、受講された皆さま、ありがとうございました。
今後も、春日部や埼玉東部、関東地方の歴史文化と関わる講演会を企画し、現代との関わり、つながりを紹介して参ります。
【出張授業】でばりぃ資料館in南桜井小学校
令和7年2月18日(火曜日)、南桜井小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
南桜井小学校では、3時間目と4時間目の2時間を使い、昔の農業、昔の生活道具、60年前の春日部、昔の学校、昔の遊びと、一クラスずつ時間をかけて、5つのテーマについて学びました。
図書室では、昔の学校、60年前の町、昔の遊びについて学びました。
60年前の町では、航空写真をみて、南桜井小学校の近くにある国道4号バイパスや国道16号、イオンモール春日部などが60年前にはまだ無かったことや葛飾中学校が現在の桜川小学校の場所にあったことなどを学びました。また、60年前は市内のほとんどが田んぼだったことを見てもらいました。
南桜井小学校は、明治6年(1873)に開校し、150周年を迎えています。昔の学校では、南桜井小学校の100年前の生徒の集合写真をみて、着物姿の子どもたちとひげを生やした先生に気づいてもらいました。150周年記念式典の時にも同じ写真が飾られていたことを教えてくれた子もいました。
児童会室では昔の生活道具、昔の農業について学びました。
昔の生活道具は一通り説明を聞いた後、手回し洗濯機や火のし、黒電話などに触れ、感触を確かめました。
昔の農業では、代表の子に千歯こきの体験をしてもらいました。
南桜井小学校の周りも、最近、特に国道沿いにいろいろな建物が次々と建ち、とても速いスピードで町の景観が変わっています。3年生の皆さんには、そういった学校の近くの町のうつりかわりに、少しでも気がついてもらえたらうれしいです。
令和6年度の文化財防火デー防災訓練を実施しました
2月16日(日)、富多地区に所在する市指定有形文化財「立野天満宮本殿」を対象に、立野集会所並びに立野天満宮にて令和6年度文化財防火デー防災訓練を実施しました。
今年度は立野区の自主防災訓練の一環として、地区と共同で開催し、50名を超える多くの皆様にご参加いただきました。
この文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良の法隆寺金堂が火災に遭い、現存では世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が焼失したという痛ましい事故を契機に定められました。毎年1月26日前後に、全国各地で歴史的建造物や文化財を保存管理する社寺などで防災訓練が行われています。
この日の第1部は文化財防火デー防災訓練です。今回は、集会所に設置されたゴミステーションが放火され、出火という想定のもとで訓練を実施しました。実際の119番通報から模擬文化財の搬出、水消火器による初期消火で鎮火というシナリオです。皆さん息のあった連携で模擬文化財搬出と初期消火をスムーズに行っていただきました。
続いて第2部の訓練は自主防災訓練のメニューである、水消火器訓練と起震車「ゆらりん」による地震体験を行いました。消火器の持ち運び方や「掃く」ように放水するなど、消防本部予防課の職員による実践的なレクチャーを受け、実施しました。また起震車「ゆらりん」では震度6強の地震を体験しました。春日部市域で予想されている最大震度は震度6強と考えられていますが、机や柱にしがみついているのがやっと、という感想を聞くことができました。
訓練に参加された方からは、「こんな身近に文化財があるとは思わなかった」や「地域の文化財を知ることができてよかった」といった感想をいただきました。我々、そして地域の方々にとっても有意義な訓練となりました。
最後になりますが、立野区の皆様並びに消防本部、危機管理防災課の皆様、ご参加いただきありがとうございました。これからも地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に保存し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします。
豊野小学校「獅子舞授業」~銚子口の獅子舞 第2回目~を行いました
2月13日(木)、豊野小学校第3学年の「総合的な学習の時間」では獅子舞授業が行われました。
先週の赤沼の獅子舞に引き続き、通算で4回目の授業となり、銚子口の獅子舞は2回目の授業になります。
当日は強風吹きすさぶ中、銚子口獅子舞保存会から6名お越しいただき、ご指導いただきました。
2月6日の赤沼の獅子舞と同じく授業テーマは「舞に挑戦してみよう!!」ということで、『辻切り(つじきり)の舞』に挑戦しました。『辻切りの舞』は集落の境界で行われる舞で、家内安全を願い、集落に悪いものが入ってこないように追い払う意味合いをもつ舞です。
最初は舞のリズムを全員で口ずさみます。リズムを文字にすると「ヒン トロロ~ ヒ~レ~・・・」と、これを『自言(じごと)』と呼んでいます。このリズムが『自言』として体に染みついていれば、笛や太鼓の音がなくとも舞が舞えるようになるそうです。
続いて、全体で舞の練習です。先週の授業の効果があるのでしょうか、違う振り付けではありますが、3年生の皆さんは戸惑うことなく舞うことができています。
全体での練習の後は2グループに分かれての練習です。今回は舞と小太鼓をステージ上で披露します。笛に合わせての練習となりましたが、やはり先週の経験が活きているようで、みんな飲み込みが早いです。
みんな真剣に練習に取り組んでくれました!!さあ、いよいよステージでの発表です。
発表は全員が舞と小太鼓をローテーションで行いました。保存会皆さんのお手本を見ながらではありましたが、腰を落とす姿勢や小太鼓のリズムも上手にできていました。舞い手は「銚子口の獅子舞」の法被を羽織り、様になっていました。
最後に子ども達からは「思ったより舞がわかりやすかった」や「リズムよく太鼓が叩けた」といった感想がありました。みんな集中して授業を受けて、とても有意義な獅子舞授業となりました。先週末の民俗芸能公開事業に引き続き、銚子口獅子舞保存会の皆様、どうもありがとうございました。
今年度の獅子舞授業はこれで終了となります。銚子口獅子舞保存会並びに赤沼民俗文化財保存会の皆様、ご指導いただきありがとうございました。来年度も引き続き楽しく郷土を学び獅子舞に触れる学習をよろしくお願いします。
【出張授業】でばりぃ資料館in藤塚小学校
令和7年2月13日(木)に藤塚小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
3日連続でばりぃ資料館の2日目です!
風の吹きすさぶ中、資料を抱え、児童のために出張してきました!
この日は図書室と視聴覚室を利用して、「昔の家庭の道具・昔の遊び」と「昔の市の様子・学校の道具・農業」を学んでもらいました。
「昔の家庭の道具・昔の遊び」を学ぶ図書室では、昔の炊事や洗濯に使用されていた道具を展示し、解説しました。
でばりぃ資料館のメニューの中では、ご要望の少ない“昔の遊び”ですが、児童からは大人気です!遊びが印象に残ってしまい、他の道具の印象を薄くしてしまうという側面もありますが、遊びもデジタル化している昨今、電気を使わないおもちゃで楽しく遊ぶというのも貴重な経験ではないでしょうか。
「昔の市の様子・学校の道具・農業」を学ぶ視聴覚室では、約60年前の春日部市の様子や、学校で使われていた学用品を学び、さらには千歯扱きを使った脱穀体験も行いました。
今日は時間も十分に確保でき、内容も盛りだくさんだったと思います!
でばりぃ資料館では児童の座るテーブルや、長机にあらかじめ資料をセッティングしておくため、会場に入ってきた児童はついつい興奮して資料を触りだしてしまうことが多いのですが、藤塚小の児童は興味津々の目で見つめつつも、勝手に触りだす児童がほとんどいないという、こどもらしさと行儀のよさを兼ね備えていました!
帰路につく車内でも、“しっかりしてたね~”と話題に(笑)
しっかり者の藤塚小の児童さんたち、お家から少し遠いかもしれませんが、ぜひ郷土資料館にも来てみてくださいね!
地学さんぽ講座2(ミクロの世界からの地学探究)
2月2日(日)、「春日部市史 自然史編」を活用した連続講座の第2回目、『地学さんぽ講座2』を開講しました。今回の講座では、市内で採取した関東ロームや河畔砂丘の砂を顕微鏡で観察して、ミクロの世界から春日部の成り立ちを探りました。
市内で採取した関東ローム層や市内古利根川や古隅田川沿いに分布する河畔砂丘とのその形成について、自然史編を執筆された講師から説明をいただきました。
今回観察する6~6.5万年前の箱根火山が大噴火し関東平野に降り積もった東京軽石(TP)と呼ばれる火山灰や火砕流(東京軽石流)、火山灰中に含まれる鉱物の色や、形の特徴など映像をみながら座学しました。
観測機器は、双眼実態顕微鏡です。一人1台、各自が春日部の地質や地形を探る観測者となっていただきました。試料は、東中野で採取した関東ローム層や小渕河畔砂丘の砂、さらに2.8万年前に日本列島に広く降った(現.鹿児島湾の海底火山)姶良火山の火山灰(AT)など計7種類を用意しました。
観察前には、採取した土壌や火山灰から鉱物を洗い出すという基礎的な作業をまずは体験。試料の一つは現在の川崎市生田に降り積もった箱根火山の火山灰(約6万年~6.5万年前)を含む土壌を、もう一つは、春日部市東中野付近に堆積した関東ローム層(約3万年前~1万年前)です。各自、採取した土を皿にあけ、水を入れて、指で押し潰して土壌を細かくし、上澄みを捨てるという作業を何度か繰り返し、鉱物をとりだしました。
▲上澄みを捨てる作業を何度も繰り返すと、黒色などの砂粒を取り出すことができました
いよいよ顕微鏡で観察です。ミクロの世界の探求の始まりです。
顕微鏡で観察した状況です。各自スマホなどのライトをあてて砂丘に含まれる鉱物の観察を行いました。
無色透明、まさにガラスの結晶の火山ガラスは(兵庫県春日町(現丹波市)七日町遺跡採取のAT火山灰)、鹿児島県の姶良カルデラから噴出された火砕物で、約2.8万年前と推定されています。形態は板状のガラスでバブルウオール型と呼ばれています。春日部市内の高台に広がる関東ローム層内にも含まれていますが、1350キロも離れた鹿児島湾からの噴出物であるため、肉眼では確認できません。これも顕微鏡の性能のおかげです!
九州から本州一帯、そして津軽海峡もわたって北海道の南部、さらには朝鮮半島と、広域で確認されていることから、この火山ガラスが含まれる層がどこでも同一の時期であることがわかる”指標”となっています。地学だけでなく、考古学の年代探査のカギともなっている貴重な火山からの贈り物です。
観察後は、春日部の地形と地質について説明を受け、土地の成り立ちの考察を深めることができました
次回の「地学さんぽ3」は3月30日(日)、古代の国境であった”古隅田川”沿いを歩きながら川の歴史やはん濫の痕跡、そして、かつては流れが逆流だったというメカニズムを探ってみます。興味がある方は広報3月号をご覧ください。
第11回民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」が行われました!
2月9日(日)に第11回民俗芸能公開事業「伝える、つなげる、獅子舞の未来」が行われ、210名の方にご来場いただきました!
今回は、平成25年の第2回開催以来12年ぶりに中央公民館にて開催されたため、職員も保存会の皆さんも戸惑う部分も多くありましたが、皆さまのおかげで無事公演を終了することができました。
ご来場いただいた皆さま、関係者の皆さま、本当にありがとうございました。
当日の様子をご紹介します。
公演1:銚子口の獅子舞①
解説は、銚子口獅子舞保存会会長の川鍋保様から獅子舞の歴史と舞の由縁を説明いただきました。
会長の「道中流しスタート」の掛け声とともに幕が上がると、舞台上には囃子方のみ。『獅子舞はどこに?』と舞台上を探す観客の皆さんの予想を裏切って、会場後方から入場が始まり、会場も一気に盛り上がりました。
客席の前を通って「道中流し」スタートです
舞台上に天狗と三匹獅子が並びます
「天狗の舞」では、天狗様により舞台が清められます。
いよいよ獅子による舞がはじまります。獅子は3匹、女獅子、中獅子(若い獅子)、太夫獅子(壮年の獅子)は獅子頭の外観だけでなく舞の所作が異なります。
「出端の舞」では女獅子が演舞し、獅子舞にも柔らかい仕草がみられます。
続く「中の舞」では中獅子が舞います。舞手が一度は舞いたいと憧れるという解説にも納得!ダイナミックで力強さを感じさせる舞で、女獅子の舞との差は一目瞭然です!また、首を細く振る動作も特徴的でした。
角がある中獅子による「中の舞」
最後の「三切りの舞」は太夫獅子による舞、どっしりとしていて、180度も身体を回転させて踊る勇壮な所作が特徴的です。
公演2:赤沼の獅子舞
解説は、赤沼獅子舞社中 会長の島田定夫様から舞の特徴と由縁を説明いただきました。
本日の演目は舞台仕様で、赤沼神社の祭礼での舞を短縮し、見所を損なわないよう、特徴を見せてくれました。
「宮入り」では大人から子どもまでたくさんの参加していただきました。一番若い子はなんと3歳!小学生や中学生も熱演いただきました。
猿田彦によるお清め
「三番叟」では女獅子と中獅子による舞、続く「太夫獅子の出端」では太夫獅子の登場です!同じ獅子舞でも、銚子口の獅子舞との違いがよくわかります。
「神楽 さかなつり」
通常は夏に披露される演目です。鍾馗様と道化が魚釣りをしているところ、鍾馗様が釣った魚を道化が横取りしようとして退治されてしまいます。そこにピートコとっちゃんが登場して道化を助けます。
赤沼では知らない人はいないという「ピートことっちゃん」。最後には子ども獅子も混ざって楽しく踊りました。
鍾馗様と道化が一緒に釣りをしています
「太夫獅子の練り」
女性舞手で構成された三匹獅子の舞です。女獅子、中獅子、太夫獅子の所作を十分に魅せてくれました。
女性舞手による三匹獅子
「弓くぐり」
秋の演目で舞われる舞です。今回は演目の中でも最大の見せ場シーンを本舞台でも披露してくれました。
竹で作った弓は当日の朝に刈り取り、縁起が良い左巻きの弦を使っています。
こんなに大きい獅子が本当にくぐれるのか?
会場の注目を一心に集めていざその瞬間がやってきました。
太夫獅子が弓をくぐる瞬間
弓くぐりが成功すると会場からも大きな歓声が!
最後の「ぶっきり・さんぎり」は舞台を清めるための舞です。子ども獅子の皆さんが舞ってくれました!
舞が終わると、会長から一人ずつ名前が読み上げられた後、会場の皆さんと心をひとつに三本締めを行いました。
赤沼民俗文化財保存会の皆さん、素敵な公演をありがとうございました!
公演3:銚子口の獅子舞2
銚子口獅子舞保存会の皆さんにより、引き続き舞が披露されます。前半の舞手と交替し、改めて獅子頭を被り直ししました。
「津島の舞」は縁起の良い時には欠かせない、最後に飾るのにふさわしい舞です。
三匹獅子舞による息の合った舞が披露されました。視野の狭い獅子頭を被って三匹獅子を合わせるのは至難。日頃の練習のたまものです。
三匹獅子による津島の舞
最後には本日舞台を作り上げてくださった保存会の皆さんの紹介の後、会場の皆さんと一緒に手締めを行いました。
同じ(現越谷市)下間久里から伝わった兄弟獅子ですが、赤沼とはテンポが違う、両団体の違いを間近にみられて感動したという感想をいただきました。
銚子口獅子舞保存会の皆さん、見ごたえたっぷりの舞を披露いただき、ありがとうございました!
今回ご来場いただいた観客の皆さんからは、「初めてみたので新鮮だった」「解説つきでわかりやすかった」「銚子口と赤沼の獅子舞が全然違くてびっくりした」などのお声をいただきました。
ご来場いただきまして、本当にありがとうございました。
興味を持った方は、ぜひ実際に地元で披露される祭礼にも足を運んでみてくださいね!
*毎年の公開日はこちら
銚子口獅子舞保存会…1月23日に近い日曜日、7月15日に近い日曜日、10月23日に近い日曜日
赤沼獅子舞保存会…7月15日に近い日曜日、10月19日に近い日曜日
*関連ページ
【赤沼獅子舞社中公認】赤沼の獅子舞のホームページ
https://sites.google.com/view/akanumanoshishimai/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
3/1(土)大凧あげの映像上演会とトークショー(SKIPシティ)
3月1日(土)に、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ(川口市)において、令和6年度映像公開ライブラリー上映会とトークショー「春日部大凧あげの魅力」を開催します。
この講座は、埼玉県の施設「彩の国ビジュアルプラザ」が収蔵する映像を上映し、その映像について、ゆかりのある方がお話しする、映像と講演の二部構成になっており、今回、春日部市の大凧あげにスポットが当てられることとなりました。
映像は、平成の初めに制作されたものが上映される予定です。大凧揚げの作り方から、あげるまでの過程を大変よくまとめている記録映像です。これを踏まえて、大凧文化保存会の会長さんに、郷土資料館の学芸員がお話しを聞くかたちで、大凧あげの魅力や見どころ、今と昔の違いなど、様々なテーマでお話しをうかがいます。
宝珠花の大凧あげを見たことがある方も、ない方も、参加費は無料となっておりますので、ぜひご参会ください。
申込みや施設の情報については、彩の国デジタルアーカイブーのHPをご覧ください。
チラシ→チラシPDF.pdf
イベント名:令和6年度第7回上映会とトークショー「春日部 大凧あげの魅力」
日時:令和7年3月1日(土)14時~16時
会場:彩の国ビジュアルプラザ4階 映像ホール(300人定員)入場無料
申込:デジタルSKIPステーション(〒333-0844 埼玉県川口市上青木3-12-63)
TEL:048-260-7777 FAX:048-265-2628
【出張授業】でばりぃ資料館in八木崎小学校
令和7年2月12日(水)に八木崎小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
八木崎小の3年生は全4クラスで人数は100人を超えます。
今日は4クラス合同で体育館を利用しての開催です!
体育館の前方で「昔の家庭の道具」を、後方では「昔の市の様子・学校の道具」を展示し、学芸員が解説をしました。
「火のし」という服のシワを伸ばすために使われた道具には“炭”が使われます。他にも炭は調理や暖房の燃料として使用され、生活に欠かせないものでした。
児童たちに炭の用途を尋ねると「バーベキュー!」という声があがりますが、その他の使い道はなかなかでこないようで、現在の生活における炭の役割の違いに驚いた様子でした。
八木崎小が開校したのは1972年(昭和47年)です。八木崎小ができる前は、周辺のこどもたちは粕壁小に通っていました。
現在も八木崎小の校庭に残る築山(つきやま)は、開校当時の6年生が作るのを手伝ったそうです。50年以上前の卒業生が残していったものだと知った児童からは「え~!?」という声が!まさに八木崎小の歴史を刻む宝の山といってもよいのではないでしょうか!
今日はじっくりと学習時間が確保でき、探検シートを使った学習も進めることができました!自由時間にも探検シートをクリアしようと、質問をしてくる児童が多く見られ、学習意欲を高めてくれた様子でした。
八木崎小のみなさん、今度はみなさんが郷土資料館に遊びに来てくださいね♪
またお会いしましょう!