校長室より

校長室より

本校卒業生がリオオリンピック出場

 4年に1度のオリンピックが、8月5日からブラジルのリオデジャネイロで開かれます。世界から206の国と地域が参加します。
こんなに大きなイベントは他にはありません。

このオリンピックに実は、我孫子第一小学校出身の先輩が出ることになりました。

平井康翔(やすなり)さんです。現在26歳、朝日ネット所属です。

種目は、「オープンウォータースイミング」です。

ご本人の経歴は、我孫子第一小学校・我孫子中学校・市立船橋高校・明治大学そして社会人となった現在も第一線で活躍している水泳選手です。

インターネットで競泳をどんなに検索しても「オープンウォータースイミング」はヒットしません。

競泳とは全く違うスポーツなのです。

「海のマラソン」と呼ばれ、海や湖、川などを10キロと長く泳ぐ競技なのです。

泳ぐ速さだけではなく、天候や水温の変化、クラゲに刺されたり選手同士が激突したりするアクシデントを乗り越える体と精神力、そして潮の流れを読み取る頭脳、もちろんコースロープはありませんから方向を見失わないようにしなければなりません。

この種目は、2008年の北京オリンピックから正式種目となりました。

平井選手は、前回のロンドンオリンピックで初出場できました。
この時は15位という結果でした。

今年の6月にポルトガルで開催されたリオ五輪世界最終予選会で日本人1位(世界で8位)となり連続出場を決めました。

今回の五輪のプレ大会では、なんと2位に入る好記録を出しています。メダルも夢ではありません。もうメダルに手が届くところまできています。

 

実は、私の手元に平成10年3月24日に作成された「なかよし」という文集があります。

平井選手が本校の1年生だった時に作られた学年文集です。

この文集の中で、オリンピック出場の夢を書いていたのです。

私の前の校長である氏田青津子先生が、1年生の時の彼の担任の先生でした。

貴重な文集を先日持って来て下さいました。

この話は、本校の職員にも読んで伝え、7月の終業式では子ども達にもこの文集を読みました。

「夢は努力すれば実現する」と感じ取った子どもも多かったです。

 

「ぼくは大きくなったら、水えいでオリンピックにでてリレーとじぶんがでるしゅもくで1いになって、しんきろくをだして、金メダルをとりたいです。」(後半略)

 

私は、子ども達に「スポーツで頑張ることは、心を鍛える、心を強くすることです。だから、平井選手は体も心も日本で一番立派に鍛えて、この分野で日本人1位になりました。そして2大会連続でオリンピックに出場できることになりました。」と伝えました。

 

来月8月16日の夜にオープンウォータースイミングの競技が始まります。

是非、本校の先輩である平井選手の活躍を応援したいと思います。

 

郷土愛を育てる

「我孫子のどこが好きですか」

私は7月の全校朝会で子ども達に聞いてみるつもりでいます。

今、4年生は「アイラブあびこ 写真をもとに手賀沼の良さを伝えよう」、5年生は「推薦しよう我孫子ベスト3」で地域学習を熱心に取り組んでいます。本校が研究している総合的な学習と国語科の教科横断的な単元学習です。子ども達に生きてはたらく表現力を身につけさせたいと思っています。

我孫子第一小学校の子ども達が大人になった時、遠く離れた場所に引っ越したり、社会人になって大都会や外国に住むようになったりすると、今住んでいるこの町を「郷土」「ふるさと」と呼ぶようになることでしょう。

明治時代から大正時代は、北の鎌倉とも呼ばれ手賀沼の畔は理想的な別荘地でした。そのため多くの有名人が我孫子に往来し、文化的交流が盛んでした。

白樺派の文人・小説の神様である志賀直哉

柔道の父・日本体育の父である嘉納治五郎(本校には貴重な本人自筆の書あり)

新聞界の先駆者である杉村楚人冠

野口英世の育ての親である血脇守之助

気象学の父である岡田武松

などの有名人が住んで我孫子の名を世に高めました。

 

昭和20年代までカモ猟がさかんで、沼の水を使ってみそ汁を作ったりお茶をわかしたりしていました。昭和30年頃には、漁業で生活を立てている人が800人もいた手賀沼。

その後、日本一汚い沼になってしまった手賀沼。・・・・・

しかし、先人達の必死の努力で夏には毎年トライアスロンが行われるようになりました。又、我孫子は人と鳥が共存する町でもあります。日本で唯一の鳥の博物館もあります。本校も地域学習で見学に出かけることもあります。手賀沼の鳥の生態系を知ることで自然環境の実態が分かります。6年生は、20年以上前から毎年バードカービングを制作しています。日本が誇るバードカービング制作の第一人者である内山春雄先生から直接指導を頂いています。

大人になり何か困難にぶつかったり、傷ついたり、大きな悩みがあったりすると人は、「ふるさと」を思い起こすそうです。子ども達にとっての「ふるさと」が素敵な町で良かったと誇りを持てるような我孫子でありたいと心から思います。

 

避難訓練での話(イマジン)

5月13日(金)の午前、本校では地震を想定しての避難訓練を実施しました。

青空の下、平穏なこの校庭に避難している全校児童に熊本県内で地震被害にあった小学校の事をどうしても想像させたかったのです。

 

ジョンレノンの有名な曲「イマジン」が頭に浮かびました。

「想像してみよう みんなで

 僕らは今日という日のために 生きていることを

 ・・・・・・」

 

子どもは自分のことしか関心がありません。

大人になるということは、人の痛みを想像できることです。

本校の子ども達は、4月14日に九州の熊本県で大きな地震があったことは、テレビや新聞等で知っています。

我孫子に住んでいる私達は経験したことがない点が2つあります。

先ず、地震の揺れです。

一番大きいとされる震度7が2回もあったこと。

次に、大きな地震の後、余震といってその後も地下の岩盤が割れ続け、ずれる小さな地震が1ヶ月間で1400回以上もあったこと。

毎日地震が続いている。舟に乗っているようなものです。

 

私は校庭に避難している子ども達に、校舎と体育館の方を向かせました。

熊本県では大地震が起きた後、学校はどうなったと思いますか。

熊本県の多くの学校では、「休校」といって学校が休みとなっていました。

想像してみましょう。

ここは、熊本県の小学校の校庭です。

校庭で遊べるでしょうか。
多くの避難している人の車が駐車していますね。

テントもいっぱい張っていますね。

体育館の中で遊べるでしょうか。
避難している人が大勢いますね。

教室で勉強できるでしょうか。・
体育館に入りきれない人は教室で生活していますね。

熊本県のある校長先生は、「学校で授業をしたいが、子ども達の安全が一番大事です。」

当分、授業をできる状態ではありません。と言っていました。

あるお母さんは、「道路も穴が開いていて親も心配で、学校には行かせたくない」と言っていました。

熊本の次に、いつどこで大地震がおきるのでしょうか。

今日の新聞にも載っていましたが、今の科学では不可能だそうです。

真剣に本気で備えることしかありません。

「教室はまちがうところだ」の意味すること

 本校は、昨年度よりアクティブ・ラーニングについての研究をしております。アクティブ・ラーニングとは学習者(子ども)が能動的に学習をすることを言います。

教師中心の一斉指導型授業から、子ども中心の学び合い学習へと学習スタイルを変えているところです。学習定着率の結果を見ると、教師中心の講義では5%ですが、子ども同士の教え合いでは90%も覚えていると言われております。子ども自らが主体的に学習に取り組むことがいかに大事なのかが分かります。

 子ども中心の学び合いが成立するには、まず教室内で相手の話をしっかりと聴ける風土がベースにないとダメです。本校では、どの教室にも「聞き方名人 あいうえお」を掲示しています。いてを見て、っしょうけんめい、なずきながら、がをで、わりまで聞く。

 深い学びが成立するには、更に子ども同士の受容的な雰囲気が学級に必要です。

教室では間違ってもいい。自分の意見を恥ずかしがらず言っていい。間違うことを恐れはいけないし、間違った人を絶対に笑ってはいけないのです。

 これからの時代、子どもたちに本当に必要な力とは何でしょうか。

知識の獲得よりも実社会・実生活に生かせる能力が大事になってきます。本校では、自ら考える力・選ぶ力・伝える力を色々な学習場面で身につけさせたいと考えます。

 

教室はまちがうところだ(一部抜粋)

蒔田晋治(まきた しんじ)

 

教室はまちがうところだ

みんながどしどし 手をあげて

まちがった意見を 言おうじゃないか

まちがった答えを 言おうじゃないか

がうことを おそれちゃいけない      

まちがうことを わらっちゃいけない

まちがった意見を まちがった答えを

ああじゃないか こうじゃないかと

みんなで出し合い 言い合うなかで

ほんとのものを 見つけていくのだ

そうしてみんなで 伸びていくのだ

 

いつも正しく まちがいのない

答えをしなくちゃ ならんと思って

そういうところだと 思っているから

まちがうことが こわくてこわくて

手もあげないで 小さくなって

だまりこくって 時間がすぎる

 

しかたないから 先生だけが

勝手にしゃべって 生徒はうわのそら

それじゃちっとも 伸びてはいけない

 

神様でさえ まちがう世の中

ましてこれから 人間になろうとしている

ぼくらが まちがってなにがおかしい

あたりまえじゃないか

 

まちがったって

だれかがなおしてくれるし 教えてくれる

こまった時には 先生がない知恵しぼって 教えるぞ

そんな教室つくろうや

卒業式で伝えたかったこと~未来の世の中~

一週間程前のことですが、将棋だけでなく囲碁の分野でも世界のトッププロが、人工知能に負けたニュースが流れました。人工知能とは、計算だけでなく自ら学ぶことのできるコンピュータだそうです。又、テレビコマーシャルでもよく見るように、車の自動運転も目前に迫っています。小学生の皆さんが大学を卒業する時には、約六割の人が今は存在しない新しい職業に就くだろうと言われています。そして多くの仕事を人工知能が担うようになるとも言われています。今後、社会の変化は、過去に味わった事のない程、劇的なものになってきます。

そのような時代を生き抜いていく皆さんに、本当に大事な事、必要な力とは何でしょうか。 

有名な歴史小説家の司馬遼太郎は、「二十一世紀を生きる君たちへ」の中で次のようなことを言っています。

 

 二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。しかし、科学や技術が、洪水のように人間を呑み込んでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君達のしっかりした自己が、科学と技術を支配し、良い方向に持っていって欲しいのである。

君達は、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

自分に厳しく、相手に優しく、という自己を。

人間は、助け合って生きているのである。

このため、助け合うということが、人間にとっては大きな道徳になっている。

私達は、訓練してそれを身に付けねばならないのである。その訓練とは、簡単なことである。

例えば、友達が転ぶ、「ああ、痛かったろうな。」と感じる気持ちを、その都度自分の中で作りあげていけば良いのである。

 

 先週、私との最後の授業をしたことを6年生は覚えていますか。

なぜ、皆さんは同じ歳である十二歳の少女セバン・スズキさんが地球環境サミットで行ったスピーチに大変感動したのでしょうか。

未来の地球の自然を心配する想像力、お金を貯めてカナダからブラジルの会場まで出かけた行動力、そして何よりも自分も子どもなのに「未来に生きる子ども達」のことをどの大人よりも心配していたからではないでしょうか。

 これから先、どんなに科学技術が発達しても、環境問題が深刻化しても私達人間は、きっと乗り越えることができると信じたいです。

それは、未来ある皆さんの手に委ねられているのです。

我孫子第一小学校で学んだ皆さんを信じています。

 

 

「性を語ることは命を語ること」

1月の授業参観で6年生は、思春期講座「大人に向かって、見つめ直そう こころとからだ」を学習しました。2名の助産師さんが専門的立場から男性と女性の性の違いから、大切にすべきことを分かり易くお話下さいました。大勢の保護者の方も参観して頂きました。

保護者の方は、子どもが性について質問してきたらどうしますか。

保護者の感想からは、「きちんと向き合ってみたい。」「できる限りきちんと応えようと思いました。」「きちんと茶化さずに真剣に話しをしてみたい。」等が多かったです。

親は性の問題から逃げないで、子どもの悩みにきちんと対応できることがいいのです。家庭内で変に意識しないで、お互いに普通に話せる環境を普段から心がけることが大切だと思います。

 学校の「いのち・こころ・からだの学習」では、1年生の時から発達段階に応じた内容を担任と養護教諭が連携しながら実施しています。主な内容は次のとおりです。

1年生・・・男の子 女の子(男女の体の違い)

2年生・・・私の誕生(お父さんお母さんと繋がっている命)

3年生・・・命の始まりと赤ちゃんの誕生(科学的に知る)

4年生・・・自分ってどんな子?気になるな(友達の良いとこ探し)

5年生・・・命を見つめる(災害の作文から大切な命を知る)

6年生・・・大人に向かって(思春期の心身の変化と特徴)

 

 男性と女性の体の違いについては学校でも学習していきますが、男性と女性の心の学習はどうでしょうか。私は昔から気になる言葉あります。

「もっと男らしく・・・」

「それでも男か・・・」

「なんか女みたい・・・」

本当の男らしさとは何でしょうか。

本当の女らしさとは何でしょうか。

男らしく、女らしくとは具体的にはどのようなことを表すのでしょうか。

この男と女の定義の為、どれだけの苦痛を味わった子ども達がいたことでしょうか。

 

私が小学生の頃のランドセルの色は、男は黒、女は赤と決まっていました。それが当たり前であり、男が赤のランドセルで登校してきたら大変な騒ぎになっていたことでしょう。

そういう時代感覚でした。今は個性豊かでバラエティーです。本校の1年生のあるクラスでは、黒・赤・茶・ピンク・青・水色・紫・紺色と全部で8色もありました。水色のランドセルの女の子は、「水色が綺麗で好き。人にはそれぞれ好みがあるから色で男も女もないです。」と言ってくれました。教室で拍手が沸きあがりました。

 男の子は男らしく、女の子は女らしく。昔からよく耳にする言葉です。教室の中で時々、男の子が「男のくせに」「女みたい」と言われている場面を見かけることがあります。男だって泣くし、いじけることもあります。今の時代、女の子が応援団長や児童会長で頑張っている子もいます。男と女の体の違いについては、学校で毎年学習していきます。

大事なことは、自分らしく生きていけるかだと思います。性については個人差があります。私達大人が一人ひとりの子供の心の部分をもっと敏感に感じ取ってあげたいと思います。

 

今の時代、アメリカでは同姓同士の結婚も認める時代になりました。

日本でも東京の区役所では、同姓同士の届け出により様々な制度活用ができるようになってきました。昔なら誤解と偏見で苦しんでいただろう人達も前向きに生きることができます。

学校にも様々な子どもがいます。

大人になり性を意識することは、素直に自分らしく生きることだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

人と猿の違いとは?映画「猿の惑星」から

あけましておめでとうございます。

3学期の始業式、私は全校の子ども達に言いました。

「今年の干支は何でしょう。何年でしょうか。」

「猿・・・」

「そうですね。今年は申(サル)年です。」

「では、人と猿はどこが違うと思いますか。私達人間と動物の猿はどこが違うのかを考えて下さい。

今から1分間あげますので隣や近くの人と話し合ってみて下さい。」

子ども達は直ぐに一所懸命に考えてそれぞれ話し合っていました。

「人は言葉を使える。人は火を台所で使うことができる。道具を使う。二本足で歩ける。・・・」

「では、人と猿とでは、どちらが優れているのでしょうか。どちらが賢いでしょうか。」

今から48年前の1968年、私が小学校5年生の時に「猿の惑星」というアメリカの映画上映されており友達と一緒に見に行きました。

当時、子ども心ながら凄いショックを受けたことを覚えています。

あらすじは次のようなものです。

 

アメリカのケネディー宇宙センターから打ち上げられた宇宙船が、長い宇宙飛行を続けており4人の宇宙飛行士は、光と同じ位に早いスピードの宇宙船に乗っておりました。

そのために、4人は冬眠装置の中に入って冬眠状態で眠っており、地球の時間で言えば約2千年も過ぎてしまっていたのです。

ある時、宇宙船がトラブルに見舞われて近くの惑星に不時着しました。

男性3人は冬眠から覚めて無事でしたが、仲間の女性宇宙飛行士は、冬眠装置がこわれていて既にミイラになってしまっていました。

男性3人の宇宙飛行士は、何とか宇宙船から脱出して初めて見る惑星を歩き続けました。

砂漠地帯をやっと通り過ぎると、緑の森がありました。

しかし、そこで見たものとは・・

猿の兵隊が、馬に乗って裸の人間を鉄砲で撃ちながら、追い詰めて捕まえているのです。

3人も逃げ切れず、2人は猿に殺されます。主人公も首に玉が当たり気を失います。

 

この星では、人間と猿の逆転現象が起こっていたのです。

猿の方が賢くて、弱い人間は捕まると檻の中に入れられてしまっていたのです。

主人公のチャールトン・ヘストンが馬に乗って、波打ち際の海岸線を逃げているとついに彼が見たものとは、

海岸の砂浜に胸まで埋まっていたニューヨークに建っていた自由の女神像でした。

彼は、「オーマイ ゴッド!」と叫び、ここは地球だったのだ。ここは故郷だったのだ。

本当にやってしまった。バカども。このザマは何だ。
皆、地球で苦しめ。

と言って映画は終わります。

 

私は、冬休みにもう一度DVDでこの映画を見ることにしました。

分かっているとは言え、ラストの衝撃はやはり凄いものがありました。

始業式で、子ども達には「どうして人と猿が逆転してしまったのか?考えてみて下さい。」

と言って終わりました。私からは答えらしきものは何も言っていません。

始業式の数日前に、折しも北朝鮮が水爆の実験が成功したという重大ニュースが流れていました。

約50年前に皮肉を込めて寓話として撮った映画が、今も真実味を帯びているとしか言いようがありません。

映画の中では、優秀な猿の科学者が、「人間の知恵は愚かさと同居している。感情が理性を支配し、戦いを好む動物だ。自分を含むすべての者と戦う。」と人間のことを評価しています。

現在、核兵器を持っている国は10ケ国あります。
原子爆弾・水素爆弾等の核弾頭の数は、1万7千発あるそうです。
地球何百個分を破壊する武器を私達人間は持っています。
過去に人間が作った武器は、必ず使用してきた歴史があります。

 

申年に思うこと。

本当に、私達 人間は賢い動物なのでしょうか。

 

今も生きる吉田松陰の教育と言葉

 「今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて、人と成りにし道を踏めかし」

「志を立ててもって万事の源となす」

これらの言葉は、現在も山口県萩市にある市立明倫小学校で、毎朝、各教室で子ども達が全員で朗唱(ろうしょう)をしています。上の言葉はなんと小学校1年生の1学期に声に出して暗記する言葉です。子ども達は学期に一つ朗唱し、卒業するまでに18の言葉を覚えることになります。

江戸時代の末期、長州藩士であり将来を嘱望されながら30歳の若さで亡くなった吉田松陰は、教育に関する言葉を数多く残しています。

 

 私はこの夏に、山陽山陰地方を旅行してきました。

昔から機会があれば一度は行きたかった場所の一つが萩です。

折しも現在放映されているNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台にもなっています。

この番組は毎回欠かさず楽しみに観ています。

 

 城下町の萩を歩くと、必ず訪れる場所が松下村塾です。吉田松陰は、江戸で投獄された後、生まれ故郷の萩に帰されて幽囚生活をしますが、約1年間囚人の身でありながら多くの逸材を育てます。彼の門下生には、高杉晋作・久坂玄端・伊藤博文・山形有朋など明治維新の原動力となった人物がいます。

松下村塾の記念館を訪れて、私が感動してメモを取った言葉があります。

教育の本質として、「学は人たる所以を学ぶなり。」人間としての自覚を促し、更に当時、世界の中の日本人として自覚を高める必要性を説いています。

志を大変に重んじた人で、「士規七則」の中に、特に大事な三つを挙げています。

1 立志(志を立てる)

2 択交(たくこう・多くの人と交わる)

3 読書(多くの本を読み学ぶ)

 

 今、第一小学校ではアクティブラーニングの研究をしているところです。いかにして、教師主導型の教育を子ども中心の学びに変えられるかです。

そんな折、この江戸時代末期にこの松下村塾での教育方針に更に感動したのです。

 立志を核にした個性伸張の実践教育が基本である。

 授業では、会読・対読が中心となる。

 討論会・野外活動を通して対話や意見交換を重んじる。

まさに、私達が取り組もうとしている教育の姿がこの時代に既に実現されていたのだと

驚かされました。

新しいこととは、昔を知ることなのかとつくづく思いました。

温故知新です。

「人を育てる・プロ野球選手と職人」

 今年のプロ野球シーズンも終了し、ストーブリーグに入り小学生の多くが「将来の夢」であるプロ野球の選手になれるドラフト会議も10月に行われました。毎年約100人近くの新人選手が晴れてプロ野球の道に入ります。小学生の頃から全国各地のリトルリーグ等で人一倍練習をして試合でも大活躍をしてやっと掴んだ夢だと思います。

ある新聞の特集テーマで「運命のドラフト会議」を読みました。スカウトは有望な高校生や大学生、社会人野球の金の卵を何年間も追い続けています。特定の選手への思い入れは人一倍だと思います。大会や練習を何度も視察して「本当にプロで活躍できるか」を見定めるそうです。投球フォームや打撃センスなど様々な技術的な面から考察していきます。

しかし、何よりも一番重視するのは、「努力できる才能」を持っているかを見極めることだそうです。例えば、早めにグラウンドに来て練習の準備をしているか、個人練習に取り組んでいるか、帰宅後にランニングをしているかを観察しているそうです。一人で練習できない選手はプロ野球では埋もれてしまう場合が多いからです。後の大スター選手でも学生野球の頃は、陰で人知れず2時間素振りをしているのをスカウトが見て、惚れ直したこともあるそうです。

この秋、ある研修会で感動する講演を聴く機会がありました。

「一流の職人を育てるには、人間性を高めることです。」

それは、入社3~4年目の若い社員が技術オリンピックの大会で金・銀・銅メダルを独占している秋山木工グループ社長の秋山利輝氏の話でした。

秋山木工の特注家具は、国会議事堂や迎賓館、宮内庁、有名ホテル等で使用されている知る人ぞ知る手作り高級家具です。又、秋山社長は若手職人を育てる独自の研修制度でも注目を集めておりテレビで取り上げられ映画も作成されています。

現在でも丁稚(でっち)制度を取り入れ、全員住み込みで携帯電話・恋愛は一切禁止、男子は勿論のこと20歳前後の女子でも丸坊主になります。丁稚の期間中は仕事のみに没頭できる環境を徹底するとのことです。社長自身が入社希望者の実家を訪れ、両親や祖父母等とじっくり話をしながら家族と本人の覚悟を確かめて、入社を決めるそうです。愛情溢れる家庭環境でないと4年間もの辛い修行に我慢できず、辞めてしまうことが多い。大事なお子様を住み込みで預かるのは、相撲部屋にも似ているなと感じました。

秋山社長が考えた「職人心得30箇条」を丁稚奉公人全員が暗記するそうです。

「挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます。」

「明るい人から現場に行かせてもらえます。」

「返事をきっちりできる人から現場に行かせてもらえます。」

「時間を気にできる人から現場に行かせてもらえます。」

「感謝できる人から現場に行かせてもらえます。」

これらのことは技術よりも人として大事なことが中心です。

 人は心が一流になれば、後から技術も必ず一流になれると言われました。このことは、どの道どの職業でも同じことが言えるのかもしれないと思いました。

アクティブラーニングとは何?

数年前、アメリカの学者が未来予測を発表してかなりの衝撃がありました。

「今の小学校に入学した子ども達は、大学卒業時にはなんと、65%の人は今現在、存在していない職業に就くだろう」というセンセーショナルなものでした。

それだけ、現代は劇的な変化をしていく時代に突入したことを改めて実感しました。

現在でも少し前まではなかった文明機器を私達は利用しています。

例えば、お掃除ロボット・音声認識ソフト・電車や車の無人運転(ゆりかもめ)・車の自動運転・スーパーの無人レジ・スマートフォンでの買い物等です。

実に様々なものが機械化されるようになってきています。

では、今の子ども達に本当に必要な力とは何でしょうか。

学校ではどのような学力を付けさせればこれからの時代を生き抜くことができるのかが問われています。

暗記するだけの勉強は、簡単にスマホで検索して調べられる時代になりました。

私自身も今やほとんど辞書を引く機会がなくなりました。

スマホの音声認識アプリを活用して、スマホにボソボソと語りかけることが増えました。

 

これからの社会で求められる人材とは、どういう人でしょうか。

新しいアイデアを出せる人

他の人同士を結び繋げる人

適切に判断できる人

プレゼンが上手い人

論理的に考えて、他者に分かり易く表現できる力、汎用的能力が求められるようになります。

 

本校は今年度より3年間に渡り文部科学省の指定を受けて、「アクティブ・ラーニング」研究を推進していきます。
課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習です。

全国で10地域が指定されました。

千葉県では我孫子市の我孫子第一小学校と我孫子中学校です。

アクティブラーニングの実践フィールド校として「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」を第一小学校のやり方で追究していこうとしているところです。

第一小学校の職員は、私も含めて全員が大変重責を感じているしだいです。

私たち教員は、文部科学省が出す「学習指導要領」に則って、日々の授業をしています。これは、約10年毎に改定をしてきています。時代の変化と共に指導内容も変わってきます。

数年後に学習指導要領が改定されますが、今までと大きく違う所は、今までは何学年では何を教えるといった教科の指導内容が中心でしたが、次は指導方法も明示する点です。

学校の先生方は、授業は自分流での教え方・その学校流の教え方で指導してきました。

これからの我孫子一小では、「子供中心の学び」を中心に授業を展開していきます。

「何を教えるか」「どのように学ぶか」です。

先生方のチョーク&トーク、教師主導の一斉指導とは異なる指導方法になります。

 

アメリカで面白い調査結果があります。

「学習定着率」です。一度覚えた学習内容を半年後にどれくらいの子供が覚えているか。

先生中心の講義は5%、グループでの話し合いは50%、体験活動は75%そして、子供同士の教えあいは90%です。

学んだことを自分だけの知識にしないで、グループや仲間に伝え合うことで飛躍的に学習理解が深まります。
学び合いは大変に優れた学習なのです。

伝え合うには、先ず人の話を最後まできちんと聴けることが大事になります。

そのような「我孫子一小の聞き方名人」あいうえおをしっかりと身につけさせていくことも学力向上の柱になると思います。

この秋は本校でも校内研究会が沢山実施されます。

そして、県内外からも沢山のお客様が参観に来られます。

「全ては子ども達のために」・・・一歩一歩着実に歩みたいと思います。

 

 

家族とは何だろう・・・

  ある教育雑誌の最新号の特集記事のテーマが、「親」でした。

作家の下重 暁子(しもじゅう あきこ)氏は、「親は子を、子は親を知っているか」についての文章を掲載されていました。読み進めるうちにかなりの衝撃を受けてしまいました。殺人事件そのものは減ってきているが、唯一増え続けているのが親子間の事件であるということである。私が生まれた1950年代は年間3千件あった殺人事件の数は、現在は1千件まで減少している。しかし親子間の殺人事件が最も多い現状があるそうです。

 

なぜだろう。そんなにしてまで親子間で憎しみあうのか。

 

下重氏は「家族という病」という本を出しておりベストセラーにもなりました。

私もこの機会にこの本を読んでみました。

テレビやドラマのCMでは親子、家族の愛情ほど深いものはない。家族は仲良くなければならないという錯覚で自分を縛ってしまうものだと下重氏は言っています。

又、下重氏は次のようなことも書いています。

家族間では、親と子の間では全てを分かり合っていると思い込んでいるから始末が悪い。

実はもっとも知っているようで知らないのが家族なのだ。他人なら例えば友達、知人と付き合う時は客観的に観察し理解しようと努力する。ところが、家族間では理より情が先に立って、分かっているものと思っているから努力しようとしない。その結果、誤解がたまりたまってある日爆発する。

私の父母は、既にこの世を去ってしまっていますが、生前どれだけ本当に父と母を理解していたかは甚だ疑問です。今では本当は良く知ってはいなかったのではないかと思います。

自分は両親に沢山甘えて育ち、幼い頃から自分のことをもっと分かってくれ、もっと褒めてくれと自己中心主義で成長したのではないかと感じています。

中学生から高校生の時は、父母にかなり反抗的な態度を取っていたことも事実です。

 

成長とは何かというと、自分の目の前にある権威を一つずつ乗り越えることである。

 

先ず一番身近にある権威が親である。それと戦ってそれを乗り越える。学校の権威は先生である。社会に存在する大人への反発、それを一般に反抗期という。反抗期のない子どもが増えているというが、こんな気持ち悪いことはない。と同じく下重氏は言っています。

 

親は子どものことをもっと知る努力をする。そして、自分の両親のことも知る努力をする。

兄弟がいても一人ひとり個性が違います。同じ家族の一員としても決して比べてはいけないものなのです。それぞれの違いを認めて、個として独立してけるように強く願って育てていければ大きく曲がらないのではないでしょうか。

 学校の子ども一人ひとりを知る努力を保護者の方と共に真剣に続けていきたいと思います。
 家族とは何だろう。子どもとは何だろう。・・・

戦後70年 戦時下の第一小学校

 今年は、戦後70年を迎える節目の年でもあります。

 6月20日には、我孫子市の平和事業の一環として卒業生が6年生に戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぐ授業「リレー講座」を本校で行いました。我孫子市は平和都市宣言をしてから30年が立ちます。その間、「派遣中学生」が長崎や広島を訪れて戦争の恐ろしさを学んできました。今回は、第一小学校の卒業生等が中心となり、自分たちの体験を熱く語ってもらいました。授業を成功させるため、かなりの準備をしてきていることも分かりましたし、一人一人の話も上手でした。

先輩の一人が、授業の最後に「世界平和のために、みんなは何をしなければいけないと思いますか。」と聞きました。6年生男子は、「今日、先輩から習ったことを僕たちが次に伝えていかなければいけないと思う。」と答えました。これぞリレー講座だと実感しました。自分の言葉で人に伝えることの重みを先輩も後輩の6年生も共に学びました。

 

昭和20年、東京も大空襲を受けており庶民の生活も著しく貧しい状態でした。戦時下の学校では、全学徒は夏休みを返上して動員作業をしていまいしたから当然夏休みはありませんでした。

空襲が一層激しさを増してくると、児童の集団疎開が実施されるようになりました。

この我孫子にも疎開児童が増えてきました。戦争末期は、1年間で250名もの児童が第一小学校に転入してきました。この子ども達は、家を焼け出され遠い縁故を頼って来た子が多く、食料難や土地に慣れない為に学校ではかなり多くの困難を味わったようです。
学校では急な児童の増加で、授業も午前組と午後組の二部授業にしなければならない状況でした。我孫子では空襲そのものはありませんでしたが、我孫子駅付近では敵機の機銃掃射を受けたこともありました。空襲警報は頻繁にあったので、学校の側に防空壕を掘ったり、子の神の森へ逃げる訓練をしたりしていました。低学年は田んぼに行ってイナゴを取ったり芋畑を作ったりと毎日の作業がありました。高学年は航空燃料用の松根堀りや農家へ出向いて勤労奉仕をしていました。

 終戦の秋のある日、第一小学校の校庭にアメリカ軍の兵隊さんが乗った車が突然現れました。子ども達は、初めて見るアメリカ兵の姿に肝をつぶしました。校庭を横切って来ると、いきなりパンパンと空に銃を撃ちました。MPの腕章をした背の高い血色の良いピンク色した若い兵隊を先頭に、ぞろぞろと軍隊の靴のまま土足で廊下を歩きました。当時、第一小学校の廊下は、ヌカ拭きまでして丹念にピカピカになるまで磨き上げていました。戦勝国のアメリカ兵が銃を持って、その廊下を泥についた靴のまま傲然と歩いている。

この姿に子ども達はかなりショックを受け、強い印象に残っていました。

<我孫子第一小学校百年史より一部抜粋>

 

 私はこの夏休みに、映画「日本のいちばん長い日」を2度見ました。戦争を終結させるだけで政府や軍部内でもこんなにも葛藤があった事実を改めて知りました。特に、感銘を強く受けたのは、陸軍大臣の阿南惟幾(あなみ これちか)でした。ポツダム宣言を受諾し陸軍内部でも戦争継続派(本土決戦)と和平派とに分かれていました。天皇の玉音放送のあった8月15日未明に自宅で腹を切って自決したのでした。私と同じ58歳です。

鈴木貫太郎総理は、「そうか、腹を切ったのか。阿南というのは本当にいい男だった。」と涙ながらに語ったそうです。合掌。

平和の時代、守ることは何かを真剣に考えた猛暑の夏でした。

命とは何でしょうか。時間とは何でしょうか。

人はこの世に赤ちゃんとして誕生する時、全員に砂時計がプレゼントされるのだそうです。そして、砂時計をひっくり返して中の砂が一定の速さで下へ落ち始めます。この落ちる砂が、その赤ちゃんの命そのものです。砂時計の大きさは一定ではなく、大きな砂時計もあれば小さいものもあります。自分にプレゼントされた砂時計の砂の量は誰にも分かりません。

でも、今も確実に一定の速さで落ち続けています。

小学生の子ども達には、砂時計を見たことがない子も多いかもしれません。

ですから、この話を直接子ども達にしたことはありません。

砂時計の砂が流れ落ちていくのを真面目に黙って、見続けた体験がある大人なら分かります。

自分自身の砂が落ちている事実を真正面から受けとめるなら、時間を無駄にできないと思います。ましてや、自分のせいで他人の砂時計の砂を無駄に落とさせてはいけないのではないでしょうか。

時間を守ることの大切さの一つはここにあるような気がします。

 

今年104歳になった医者である日野原重明先生は、「命とはどこにあると思いますか。」と子ども達に質問しました。

子ども達は、素直に自分の体を指しながら「心臓」「頭」「体ぜんぶ」などの様々な答えがでてきました。

日野原先生は「命とは君たちの持っている時間です。」と言っています。

「これから生きていく時間。それが、君たちの命なのです。」

世の中、お金で買えるものと買えないものがあります。

お金では絶対に買えないものも結構あるものです。

その人の価値観にもよりますが、この命と時間は今のところお金では買えないものだと私は思っています。

 時間を大切にしよう。と人はよく言います。

きっと深い意味ではなくこの言葉を遣っているのだと思います。

人生は永遠に続くものだと思っている人にとっては、時間も永遠にあるような錯覚に陥っているのでしょう。私もそうです。

 過去に死に面したことがある人、病気で死を意識せずにはいられない人、家族で大変重篤な病人がいる人、そのような大変な経験をお持ちの人は、命と時間の重みがまるっきり違うのだと思います。

 

未来ある子ども達、これからは人生100年の時代になっていきます。

小学生にとっては、意識しないでも時間は永遠にあるように思っているのかもしれません。

命とは何でしょう。

時間とは何でしょう。

家族で、この夏休み期間中にこの命題を話題にして頂けるとありがたいです。

アリと集団の話

運動会も終わりいよいよ6月に入りました。夏間近でプール開きも間もなくです。

今回は夏でも良く働くアリの話をします。

暑い夏の日も、木々の下ではアリが行列を作り、一生懸命に餌を運んで働いている光景を目にします。私は、今までアリの全部が黙々と働いていると思っていました。

ところがアリの面白い研究があることを知り驚きました。実は、働かないアリがいるのです。

 

 北海道大学大学院で研究した結果によると、

約2割のアリは、餌を運びもしないで仲間の周りをさも働いているかのように動いているだけだそうです。労働とは無縁なのです。働くことが代名詞のようなアリですが、アリの集団の中にも、必ずサボる奴がいるのです。

 アリの集団を勤勉さの度合いで分けると、働かないアリが2割、普通に働くアリが6割、よく働くアリが2割だそうです。面白いことに、このような働き度別の割合は、集団が違ってもだいたい同じだといいます。

 では、よく働くアリだけを全部集めて一つの集団にすると最強軍団ができそうなものですが、実は違うのです。その集団の中では、やはり働かないアリが2割出てくるのです。

反対にサボっているアリだけを集めてみると、全部がサボってしまい集団の危機が生じてしまうと思われますが、その中から奮起して働くアリが2割出てくると言うから不思議なものです。

 

集団とは何でしょうか。

俗に言う一流企業と呼ばれる会社でも全員がよく働くかといえばどうなのでしょうか。

また、優秀な人材確保が厳しい数多ある零細企業でも素晴らしい実績を上げる人物はいるでしょう。人は自分の存在価値を見いだしたいものです。働く中で自己実現をしたいものです。

ある研究者は、アリも働かないことで、自分の存在意義を示している可能性があると指摘しています。

 学校ではお昼休み後に、清掃活動があります。

一生懸命に黙々と雑巾や箒を持って教室を綺麗にしようとして働く子がいます。

掃除の時間なので、役割分担に従って働く子がいます。

箒を持ってフラフラと歩いて、掃いているふりをしている子もいます。

おしゃべりに夢中になって何もしていない子も時々見かけます。

実に様々です。

 

 アリの世界では労働面でより効率的なのは、色々なグループが混じった混合集団だそうです。公立小学校では、基本的には学区内に住んでいる適齢児童ならば誰でも教育が受けられますから、色々な子どもの集団となります。

小中学校の別、年度の学級編制(クラス分け)、異年齢の部活動、地域スポーツ活動等で、

子ども達は様々な集団に入り、又解散して、新たな集団に入ることを繰り返しています。

是非、集団の中で良い意味で働く(活躍できる)存在になって欲しいと願います。

教師の力

「教師は子どもの心を診断する医者でなければならない。」

我孫子第一小学校で約20年前、私が尊敬している校長先生がお話された言葉です。

当時の校長先生が職員室やPTA会議等で話された内容をノートにメモしていました。

又、教師は子どもの心の教育を一番大切にすることを熱心にお話されていました。

医者ではないのですが、先生と呼ばれる一人として子どもの心をどれだけ本当に理解しているのか胸に突き刺さったことを覚えています。

医者は診断して、患者に処方箋を施します。

教師は子どもの悩みを知り、共感し、学校で具体的対応策を講じてあげなければなりません。

日々、子どもが本当のことを話してくれる信頼関係を築き、場の空気をしっかりと読んで、悩みを解決できる糸口を探してあげたいものです。

 

イギリスの有名な教育学者である、ウィリアム・アーサー・ワードは「優れた教師は」の中で、次のように述べています。

凡庸な教師は、ただしゃべる。

●少しましな教師は、理解させようと努める。

●優れた教師は、自らやってみせる。

●本当に優れた教師は、生徒の心に火を点ける。

 私達教師は、子ども自身がやる気を持てるように仕向ける技術を身につける必要があると思います。それも、その子の個性に合った方法で真剣に語ることが大事です。子どもは、

教師が上辺で言っているのかを見抜きます。

 

 明治生まれの森信三(しんぞう)先生は、「生を教育に求めて」の著書の中で、教師の力について辛口に述べています。

 例えば、校長の挨拶のあり方については、

朝の挨拶は、部下はもとより子ども達にも、否、用務員さんにもこちらから先手を打たねばなるまい。全校朝会などで、「まだ朝の挨拶が良くないから、みんなしっかりやるように。

・・・・」などと間抜けたお説教を繰り返している程度の校長に、一体何が出来るというのであろうか。

なんとも鋭い指摘であります。

 教育について、極めつけの重い言葉があります。

 「教育とは流水に文字を書くような果てない業である。

  だが、それを岩壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」

 

 学校立て直しの定石として、最初に打つべき三つの具体的な事柄もあげています。

①朝のあいさつ

②学校内外の紙クズがなくなること

③靴箱の靴のかかとが一直線に揃うこと

 まさしく、率先垂範のみです。毎日の私達の言動こそが教育だと戒めたいと思います。

 

少年は必要とされてはじめて大人になる

6年生3クラスでと3月の第2週に「校長とのお別れ授業」をしました。

今回のテーマは、「言葉の力」です。

ボランティア発祥の地イギリスで、有名な言葉があります。「少年は、必要とされて、はじめて大人になる。」という言葉です。6年生には、「必要とされて」の部分を提示しないで、

グループごとに自由に創造して書いてもらいました。

・20歳になって ・自立して ・苦労して  ・沢山の経験をして  ・お酒を飲んで等面白い内容を含め色々な言葉がでました。

 

今回はイギリスのジャーナリストの第一人者であるアレック・ディクソンが大事にしている出会いの美しいエピソードを紹介します。

ロンドンの下町にマイコルという無気力で心が荒れ果てている16歳の少年がいました。

他人に暴力を振るい、車や店のショーウィンドーを破壊して、間もなく少年鑑別所に入れる準備をしていました。

そんな時に、あるボランティアコーディネーターがこう言いました。

「実は、あなたと同じ年の目の不自由な女の子がいます。その女の子は、あなたに、是非水泳を教えて欲しいと言っているのです。」

少年の心は少し動きました。目の不自由な女の子が、自分を必要としてくれている。しかも、なんと同じ年の女の子なんだ。水泳を教えることくらいなら、自分にもボランティアはできる。

ところが、コーディネーターは、すでに女の子と会っていたのでした。その少女は、目が不自由で、しかも家族が心配するほどの心が塞ぎがちな性格でした。なぜなら、いつも一人ぼっちで、孤独だったのです。同じ年の女の子達は、友人も多く、自由にパーティーを楽しんだり、男の子にデートに誘われたりしている。自分には誰の誘いもない。誰にも必要とされていない自分が悲しかった。

コーディネーターは、少女に問いかけた。

「実は、あなたと同じ年の男の子がいるのです。彼は友達もできずに孤独な毎日を過ごしています。でも水泳がとっても得意です。あなたは、水泳を教えてもらうボランティアをしてくれませんか。」

少女の心も動いたのです。男の子が心を閉ざし、自分を必要としてくれている。しかも、なんと同じ年の男の子なんだ。水泳を教えてもらうことくらいなら自分にもボランティアはできる。

このようにして、二人は、お互いがボランティアとして出会った。

やがて、二人ともしだいに自分が、他者や社会に必要とされている、かけがえのない存在であることを知っていきます。

「少年は、必要とされて、はじめて大人になる。」

二人は、意味ある他者の出現によって、意味ある自分を発見することができたのである。

 

 この話は、私が40歳代に勤務していた「さわやかちば県民プラザ」で生涯学習センターのボランティア担当として知ったお話です。

自分の存在価値は、周りの他者や社会から「あなたは、必要な人なのです。」と認められてこそ成り立つものだと認識しました。

学校でも教室内でも、「君は、クラスで必要な人です。」と毎日のように先生や友達から何度でも言われる環境を作りたいと思います。

 

 

「幸せとは何だろう?」

3月2日の全校朝会で子ども達に「幸せとは何だろう?」というお話をしました。

最初に、「皆さんに聞きます。幸せという意味を知っていますか?」

国語辞典には、運が良いこと・幸福と書いてあります。

「では、皆さんにとって幸せなことはどんなことでしょうか?」

「目を瞑って、思い浮かんだ幸せなことを指で折りながら五つ考えてみて下さい。」

どんなことが思い浮かんだでしょうか。

例えば、食べている時・寝ている時・好きなスポーツをしている時・ゲームをしている時・趣味の物を集めている時・お友達とおしゃべりをしている時などがあるかもしれませんね。

でもそういう自分自身の好きなことだけで幸せと感じるのは、一瞬であり長くは続かないかもしれません。

今日は、皆さんに次のような言葉を紹介します。

6年生は1学期に職場体験の事前学習会の時にお話をしたので覚えていることでしょう。

「幸せとは、幸せを探し続けることである」

さて、この意味が分かるでしょうか。

例えば、

宝くじに当たって何億円も突然ももらい大金持ちになった人は幸せになったかな?

オリンピックで金メダルを取った人は幸せになったかな?

人間は、突然に大きなお金が入ると幸せになったように思いますが、家族でもめてしまいケンカが起きたり、生活が贅沢になったり、最後はお金が無くなり哀しい結果になることもあります。

又、オリンピックで優勝して金メダルを取って一躍有名になっても、その後、記録が伸びずにどんどん若い人に抜かれてしまい苦しむ人も多いようです。

では、本当に幸せになれるにはどうすればいいのでしょうか?

私は、三つのことがあると思います。

・一つ目は、満足しないことです。

あることを追い求めることです。極めることです。辛いことに勝つことも幸せです。

・二つ目は、自分以外の物に求めないことです。

物は飽きます。キリがないです。いつか壊れるかもしれません。

・三つ目は、人の為に役立つことです。

感謝されます。褒められます。自分のことよりも他人の為に何かをするのです。

人は人として生まれたからには、やはり誰でも不幸になりたいとは思わないでしょう。

幸せは、人によって違うと思います。

三番目の人の役に立つ幸せは、将来の仕事にしてもいいし一番大事なことかもしれません。

一小の皆さんにもぜひ、自分の本当の幸せとは何かを考え続けて欲しいと思います。

開校記念日(142年前の第一小学校) 

2月20日、我孫子第一小学校は開校142周年を迎えました。

開校記念式で、開校当時のことを「第一小学校百年史」を参考にしながら子ども達に話しました。
今から142年前の
明治6年2月20日延寿院(えんじゅいん)とうお寺を使って学校がスタートしました。このお寺は現在のイトーヨーカドーの近くにありました。教師は杉山 英(えい)先生一人で子どもの数は、82名の一クラスでした。

当時は、5歳から14歳までの適齢児童が我孫子小学校に通うことができました。学区は今よりもかなり広く、我孫子宿・高野山村・久寺家村・柴崎村等でした。実は、我孫子第一小学校に通える学区内にいた子どもの数は、約1千人もいたそうです。
では、なぜ1千人の子ども達が学校に通わなかったのでしょうか。
明治初期の小学校では、村からの寄付金や家からの授業料があり、貧しい農家では家の手伝いや子守、留守番等で子どもを学校に通わせる余裕がなかったそうです。我孫子近郊の村は大変に貧しい農家も多く就学率は低かった記録が残っています。

又、杉山英先生のお給料も大変安くて、初めてのお給料が3円50銭だったそうです。軍人(少尉)さんが50円もらっていたそうですから、学校の先生のお給料がいかに安かったが分かります。
授業は、読書・算術・習字がありました。高学年になると地理や歴史等も習いました。その後、音楽や体操もやっと行われるようになりました。
実は、学校の名前も時代と共に変遷しています。
「我孫子小学校」「草麻尋常小学校」「我孫子尋常小学校」「我孫子第一尋常小学校」「我孫子尋常高等小学校」「我孫子町中央国民学校」そして、戦後の昭和22年に「我孫子市立我孫子第一小学校」となりました。
沢山の先人達の素晴らしい努力の上に今の我孫子第一小学校が存在していることがよく分かります。この良き伝統を引継ぎながら、未来に活躍できる子ども達を教えていきたいと思います。


寿命100年の時代をどう生きる

今から30年後、2045年の日本人の平均寿命は100歳になると言われています。

NHKの「ネクストワールド」のテレビ番組でもその話題が取り上げられていました。織田信長の時代は、「人生50年」でした。明治時代でも平均寿命は男女共に45歳位、戦後の1947年初めての全国調査でも男性50歳、女性53歳です。私が生まれた1957年は、男性63歳、女性67歳です。定年までどんなに一生懸命働いてもその後の余生は、数年間という時代でした。本当に哀しい時代だと感じます。昔の人の楽しみは何だったのだろうと思います。短い人生を潔く散っていったのでしょうか。

 2015年の現在、男性80歳、女性86歳の時代となりました。1日平均で5時間ずつ寿命が延びているそうです。60歳定年後、平均寿命までの約20年間、寝る食べる以外の余暇時間は10万時間あるとも言われています。定年後にもう一つの新しい人生が始まると思っていいのかもしれません。生涯現役で働く、生涯学習をする、趣味に生きる、地域貢献する、ボランティア活動をする等の幅広い選択肢があります。定年後、いきなり新しい仕事や趣味は恐らくリスクが高いことが予想されます。現役の時代に少しずつ慣れておくことの方が良いと老後に備える様々な指南書には書かれています。

 長生きが本当の意味で「幸せ」に繋がるには、健康が大前提かもしれません。健康寿命は平均寿命より10歳位前倒しの状態です。どうしたら頭も体も健康でいつづけることができるのでしょうか。若い世代の人にとっては更に大事な問題です。

 6年生を対象にした「思春期講座」を1月に実施しました。講師は、助産師さん2名の方です。「大人に向かって、見つめ直そう体・命・心」のお話をして頂きました。子ども達全員が授業後の感想文を書きました。その中である男子は、「どれだけ命が貴重か分かった」「このようなことを真剣に教えてくれる人達がいるのはありがたいと思った」ある女子は、「赤ちゃんが産まれる時には、自分も母親も頑張っていることを聞いて少し自分が誇らしくなりました。あのビデオを見て私も産みたいと思いました」又、感想で多かったのは、「自分の命は自分の物ではなく、その他にもお父さんお母さんや自分に関わっている人の物なのだと思いました」

子ども達は、命の具体性を今回の性教育で学んだことと思います。

自分のことを好きになり、自分の命を大切にできる子どもに育つような支援を続けていきたいと思います。

自分の命を大切にできることが、他人の命のことも本当に大切にできることに繋がると思います。

 

3人のレンガ職人

新年あけましておめでとうございます。
2015年のスタートです。今年もどうぞよろしくお願いします。
本日の始業式で、私は全校児童に次のような話をしました。
今日から、いよいよ平成27年になり3学期が始まりました。

西暦で言うと2015年になります。

日本が戦争をしてその戦争に負けてどん底の時代から今年で70年になります。

「戦後70年」という言葉を今年は色々なところで聞くことが多いと思います。私達は二度と戦争をしてはいけません。

さて皆さんにとっては、今年はどんな年にしたいですか。

この後、教室に戻ったら担任の先生と是非話し合ってみてください。

 

今日は、イソップ童話から「3人のレンガ職人」のお話をします。

 

世界中を旅している人が、ヨーロッパのある町に来ました。

そこでは、教会の大聖堂を造っていました。

旅人が1人目のレンガを積んでいる男に尋ねました。

「ここで何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「見れば分かるだろう。親方に言われてレンガを積んでいるのさ。

 毎日毎日同じ事をしているだけだ。全くついていない。」

 

旅人がしばらく歩くとまた2人目のレンガを積んでいる男に会いました。

「ここで何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「俺はね、ここで大きな教会の壁を造っているんだよ。

 この仕事でお金をもらい家族を養っているんだ。

 大変だなんて言ったらばちが当たるよ!

 

旅人が更に歩き続けるとまた3人目のレンガを積んでいる男に会いました。

「ここで何をしているのですか?」

すると、男はこう答えました。

「俺は、歴史に残る立派な大聖堂を造っているんだ。

この大聖堂ができれば町中の人が喜ぶだろうな。素晴らしいだろう。

俺は、この仕事を誇りにしているよ。」

 

さて、第一小学校の皆さんは、何番目のレンガ職人でしょうか。

同じレンガ積みの仕事をしているのに、なぜ、こんなにも違うことを言うのでしょうか。

その人の心の持ち方次第で全然意味が違ってしまいます。

皆さんが毎日やっている勉強、掃除、係活動、挨拶、高学年の部活動はどうですか。

どういう気持ちで取り組んでいますか。

「何のためにやっているのか」

「誰のためにやっているのか」

「本気でやっているのか」

やらされているのか。
ただやっているのか。
自信と誇りを持ってやっているのか。

同じことをやるなら、3人目のレンガ職人のように目的意識を持って生き生きとして自分のやっていることに自信と誇りを持ちたいと思います。

 

お手伝いは「できる大人」への第一歩

  最近の様々な研究から、お手伝いがしっかりできるということは「できる大人への第一歩」だと言われるようになってきています。

 私の子ども時代は、お手伝いはどの家庭でも当たり前のことであり自然とやるべきことだと感じていたし抵抗感もそうなかった気がします。風呂洗い、買い物、弟妹の面倒、ガラス磨き、掃除、料理等があったものです。小学生だった私が今でも一番覚えているのが、保育園に通っていた妹をよく迎えに行き引き取ったことです。今なら小学生に渡すことは、あり得ないかもしれませんが、「お兄ちゃんが迎えに来たよ!」と保育士さんが大きな声で妹に言っている場面を思い出します。

 さて、お手伝いを日常的にしていると、失敗もそれを乗り越えて褒められる経験も増えるので、子どもの自信に繋がり少々の失敗は恐れない心の強さを育みます。また、お手伝いは手伝う相手への気遣いも必要です。大人になって周囲への気遣いができるかどうかは、社会人として仕事を円滑に進めるのに欠かせない能力となります。つまり、お手伝いは将来必要となる「仕事力」の原点でもあります。

 更に、お手伝いを通して一度やると決めたら最後までやる「責任感」、お手伝いを継続する「持続性」、お手伝いを終わらせる「計画性」を育てることにも繋がります。この責任感・持続性・計画性は、学力を上げる大切な要素であり、お手伝いの内容によっては応用力や活用力を育みます。与えられた情報や条件を整理して、自分なりに答えを導き出す「考える力」が養えます。

 例えば、「食器を並べる」お手伝いを頼んだとします。すると、子どもは、先ずテーブルの上を片付け、拭いて、食器を並べるという段取りを思い浮かべ(イメージ)なくてはなりません。そうした経験を積み重ねることで、子どもは少しずつ「段取り力」を身につけていくのです。

 特に心を育ててくれるお手伝いは、「食器を並べる」から一歩進んだ「料理」であると思います。料理する時は、家族の好みや健康を考えなければいけません。工夫を凝らし準備をして、食べた家族が喜ぶ顔を見たり感謝されたり、遠慮のない意見を聞いたりして人の心にふれることが出来ます。

 このように、子どもはお手伝いを通して、責任を持ってやり遂げる力や相手を気遣う心、段取りを考えて物事を進める力などを養うことができ、将来の「できる大人」へと成長していくことと思います。

 

【お手伝いをさせる時の心構え】

  良いところは褒める

 よくできたら、きちんと褒めてあげる。それだけで子どもには自信がつき、愛情を確認し、またやろうという気になります。

  待ちの姿勢が大切

 先回りせず、子ども自身が気づくまで待つ。挨拶なら「こんなときは何て言うんだっけ?」と自分で気づかせる言葉かけが大切です。

  「叱る」と「教える」を区別する

 上手にできなかったら叱るのではなく、その都度教えればいいだけです。叱るのは危険なことをした時だけにする。

手賀沼殉難教育者慰霊式

手賀沼殉難教育者慰霊式(70周年)に参加して

 

 平成26年11月22日(土)、我孫子市立湖北小学校にて手賀沼殉難教育者慰霊式が無事に執り行われました。

当日は穏やかな快晴の中、午前9時に関係者一同で中里の慰霊碑に献花をしてきました。

その後、湖北小学校図書室にご遺族を始め我孫子市長・柏市長・両市の教育委員長・我孫子市教育長、両市校長会・教頭会、退職校長会長、県会議員、市会議員等の関係者約70名が参列しました。

私は今回の慰霊式で主催者として、又我孫子市校長会の一人として11月4日の第一小学校の全校朝会で、子ども達にこの哀しい事件のことを話したことを伝えました。本校の千浜宗一郎校長(当時49歳)と中村良子先生(当時17歳)のお二人が私達にとって身近な手賀沼で尊い命を落としたことは本当に辛い事実であると更に実感した日でもありました。

本校の校歌の一番は、次のような歌い始めになっています。

太鼓が鳴るよ青空に 向ヶ原の丘の上

 集えよよい子 我孫子第一 

 学びの庭に 眉上げて」

最初の太鼓が鳴るとは、千浜校長先生が昭和17年5月に満州(今の中国)と朝鮮(今の韓国)に教育視察に行かれたことを記念して造られた大きな太鼓の音のことです。

当時、授業の始まりと終わりはチャイムの代わりに太鼓を叩いて音を鳴らしていたそうです。

作詞家の髙橋菊太郎先生が、戦後に何とか明るい一小校歌を創ろうと栄地区を歩きながら考えていた時、この太鼓の音が突然聞こえてきて歌い始めの言葉に使ったそうです。
            職員玄関に置いてある千浜校長先生の
     海外視察記念の太鼓(昭和17年5月制作)

           

 6年生の子ども達全員が、全校朝会で私の話を聞いた感想を書いてくれました。

当日の慰霊式で読み上げた女の子の文章を原文のまま掲載致します。

(本人と保護者の了解を頂いております)

手賀沼殉難事件の感想

                   6年2組  田中 真愛

 

 私は手賀沼が、昔とても綺麗で、みんなの遊び場だったという事しか知らなかったから、手賀沼でそんな悲しい事があったという事は知りませんでした。

戦争中で苦しい時に、更に、こんな事故があったなんて可哀想と言うよりも、なんて苦しくて切ない時代だったのだろうと思いました。

 今の時代は、命の大切さを理解してきているけれど、この時代の人達にとっては、命とは何だったのだろう?と思いました。もう二度と悲しみで溢れないようになって欲しいです。

 我孫子で育った限り、この事故を忘れずに、命の重みを感じて生きていこうと思いました。

 

6年生の子ども達は真剣にこの事件のことを考えてくれたと思いました。

その他にも数名の子を抜粋して掲載します。

 〇凄く若い女性の方もこの事故で亡くなっていると聞き、とても悲 
  しい日本だと思います。

  戦争などしていなければ若い女性の方が、先生になって働くということもなかったのにとても残念です。

〇事故の二日後に葬儀をする予定が空襲警報が発令されてできなくなったこともとても悲しいことだと思います。そのことからも戦争は絶対にいけないと思います。

〇・・・・・私は千浜校長先生のことも中村良子先生を含む18名の先生方のことも、そしてこの悲しい事件のことも決して忘れません。いつまでもいつまでもこの悲しい事件を忘れません。

私達は、現在、平和な時代に生きて子ども達の教育をいております。70年前に起こった「手賀沼殉難事件」の哀しい出来事を忘れることなく、今後も子ども達に語り継いでいきたいと思います。
 

ご遺族及び関係者の方には、心より哀悼の意をお伝え致します。

手賀沼殉難事件について

昭和19年11月22日、その日は西風の強い日であった。手賀沼はもうすっかり冬景色となっていた。東部女教員相互視察研究会が湖北国民学校と手賀東部国民学校で開かれた。

その頃は若壮年の男子教員はほとんど出征して行って、若い女子教員がどこの学校でも半数以上を占めるといった有様であった。その若い女子教員を対象に研究会は開かれたのであった。

我孫子中央国民学校(現在の我孫子第一小学校)からは、千浜宗一郎校長以下、椎名芳子、湯下光代、浅倉ふさ、香取好子、吉元アツ、中村良子の7名が参加していた。

午前中は湖北校を視察し、授業や閲兵分列を見学したあと、午後は沼向こうの手賀東部校に行くことになっていた。一行40名は、午前11時30分、中里の渡しから船に乗った。

風は強かったが、こちら側は危険を感じさせるほどではなかった。しかし、一艘ずつでは危ないので分乗した三艘の舟を横に並べて綱で結び合わせた。

 沼に出ると風が一層強くなり、波のうねりが高まってきた。湖の真ん中まで来ると、繋ぎ合わせた綱がゆるみ始めた。舟と舟の間があき、そこから水しぶきが吹き上げてきた。若い女性の先生方は着ている着物を気にして声を上げながら体をよける。そのたびに舟はぐらりと傾いた。

「動いてはいけない。動いては危険だから、じっとしていなさい。」

千浜校長がたしなめた。

 舟があと三分の一で対岸に着くところであった。水しぶきが上がり、本能的に皆が身を寄せた時、西からの突風が襲い、あっという間もなく三艘の舟が一緒に波に呑まれ、全員が湖に投げ出された。悲鳴が波に消された。

 沼には農民の藻取り舟が出ていたのだが、丁度昼休みでみんな岸に上がって休んでいた。

それも不幸であった。

 急報はあちこちへ飛んだ。

 我孫子中央国民学校では田口教頭が残っていた。その日、生徒は早めに下校していた。

「千浜校長危篤、すぐ医者を連れてこい」

 田口教頭にもたらされた報せはこのようなものであった。使いの人に聞いても、詳しいことは分からない。田口教頭は直ぐに学校医である山下先生、矢口先生の二人に連絡を取ったが、二人とも不在であった。自転車を飛ばして日立精機の診療所へ行き、診療所の医者を自転車の荷台に乗せて現場へ急いだ。

 対岸へ駆けつけた時は、事件の発生から一時間も経っており、すでに引き揚げられた遺体が土手に並べられていた。その中に我孫子中央国民学校の千浜宗一郎校長と中村良子准訓導の悲しい姿があった。18名の教員や学生等が犠牲になった。殉難者は寒さと厚着のために水中で体の自由を奪われたのであった。

 その夜、全職員が両家に分かれて行き、しめやかに通夜を営んだ。

 11月24日千浜校長の葬儀が行われた。5年生以上の児童と全職員が会葬するため、正午に校庭に集まっていると空襲警報が発令された。そのため全員を下校させ、田口教頭が代表して参列した。

 名校長と仰がれ、我孫子小学校に「千浜時代」を作った校長の戦時教育に殉じた哀しい最後であった。

 26日には中村良子先生の葬儀が柴崎の分教場で行われ、受け持ちの4年生男子組と柴崎青山分教場の4年生以上の児童と職員が参列した。

 児童の一人は、「おっかない先生が死んだ。」と思い、四角いお棺の真っ白な被いをぼんやりと見ていた印象を語る。お棺はリヤカーで墓地まで運ばれた。

 12月2日は、千浜校長と中村先生の町葬が執行された。22日には郡教育会の主催で、殉難教員の合同慰霊祭が行われた。

 手賀沼殉難事件の慰霊碑は、今は干拓農地となっている中里の渡しを見下ろす小高い丘に、ひっそりと建っている。
(我孫子第一小学校 百年史より抜粋)

 

 私達我孫子第一小学校の先輩教員であるお二人の哀しい事件から、今年は丁度70年を迎えることになりました。

 戦争も遠い昔のような感じとなりましたが。この時代に起こった「手賀沼殉難事件」を語り継ぎ、戦争のない平和な時代に感謝し、学校で学んでいる児童の安全を地域の方と共に、しっかりと守っていきたいと切に思います。

 平成26年11月22日(土)、我孫子市立湖北小学校にて手賀沼殉難教育者慰霊式

(殉難70年にあたり)が執り行われる予定です。

我孫子市長・教育長、柏市長・教育長、両校長会・教頭会等の関係者が参列します。

ご遺族の方には心よりご冥福を申し上げます。

 11月4日の全校朝会では、校長の話としてこの哀しい事件のことを児童全員に伝えます。子ども達は、学区にあり身近に感じていた手賀沼で、過去にこのような哀しい事件が起きたことを知る機会になります。合掌。 

手賀沼殉難事件の慰霊碑にて献花
(平成26年10月24日)


 

自然は恐い 御嶽山の噴火

 10月の全校朝会で子ども達に次のようなお話をしました。

皆さんも既にテレビや新聞等で見ているように長野県にある御嶽山(おんたけさん)が、9月27日午前11時52分噴火しました。

この御嶽山は、3067メートルもある高い山で、昔から信仰の山として修行したり初心者も気軽に登れたり近年は特に登山客に人気があったようです。突然の噴火により楽しく山登りをしていた人が50名以上も亡くなったり大けがをしたりしました。

小学校5年生の女子も犠牲になるなど大惨事となりました。

 

自然の怖さについて、私達は色々と経験しています。

身近なものとしては、台風と地震、そして雷や急な大雨等があります。

台風は今年も既に19号が発生し、日本各地に被害をもたらしました。

地震も経験したことありますね。

3年前には東日本大震災があり第一小学校も大きく揺れて体育館の壁が崩れました。

幸いにもケガ人が出なかったことに感謝したいです。

 

 では、火山の噴火を経験したことある人はいますか。

この中には、恐らくいないでしょう。自然災害については、小学生でも多くを経験しているのですが、火山噴火についてはテレビ等のニュースでしかその恐怖はなかなか分かりません。

 

 我達は大きな地球に住んでいます。

この地球が誕生したのが、今から約45億年前であり、宇宙にある隕石という石がぶつかり合って、どんどん温度を上げていき、ついには真っ赤な「炎の星」になりました。

やがて、この地球に雨が降り炎だった地球は「水の星」へと変わりました。

しかし、地球の中はマグマという大変熱くてドロドロしたものがあります。

それが、時々火山などの山で今でも爆発して地表に出てきます。

私達の住んでいるこの日本は、その火山が大変に多く集まっている国です。

いつ噴火してもおかしくない「活火山」が、なんと110もあるそうです。

3776メートルもある日本一高い富士山も実は「活火山」の一つです。

最後の噴火は、今から約300年前です。

江戸時代の1707年、宝永(ほうえい)の大噴火と言って、東京の町まで白い灰は降り平均で約2センチに達し、多いところでは5センチから10センチも積もったそうです。

まるで雪が降っているようだと、当時の人々は日記に書いています。

もし今、富士山が噴火したとしたら東京の町はどうなるのでしょうか。

 

私は、改めて今回の御嶽山の噴火で、地球は生きているのだ。

日本は、火山の国なのだ。

北海道から九州まで至るところに火山があることを再認識しました。

そして、自然の力は偉大であり、恐いものだと思いました。

人間の力では到底どうにもならないものの存在を感じました。

親と教師について・・・二つの詩から

子どもは常に親から学んでいると「子は親の鏡」の作者であるアメリカの詩人ドロシー・ロー・ノルト氏は語っています。子どもは親の言葉ではなく、親の生き方や喜怒哀楽の姿から良いことや悪いことも含めて吸収しています。

次の詩は、戦後の1954年に書かれた詩ですが、世界中で翻訳されています。


  「子は親の鏡」        ドロシー・ロー・ノルト


けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、


子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、


子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思って


しまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉(ほ)めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば

子どもは、この世はいいところだと思えるようになる

 

私達が出来ることは、最後の一行にもある「この世はいいところだ」と子ども達に思ってもらえるような家庭、学校、社会を作ることだと思います。

  子どもを励ましましょう。誉めて育てていきましょう。

 

 

 「優れた教師は」      ウイリアム・アーサー・ワード

 

 凡庸な教師は、ただしゃべる

 少しましな教師は、理解させようと努める

 優れた教師は、自らやってみせる

 本当に優れた教師は、生徒の心に火を点ける

 

私達教師は、学校で様々なことを日々教えています。学習も勿論大事な指導事項です。生活態度や友達への思いやりも教えていきます。でも、一番大事な教えとは、子ども自身が本気でやる気になることです。いつも先生にやらされている感があっては、伸び代に限界があります。「生徒の心に火を点ける」ことは、大前提として先生のことを尊敬して、自分も一生懸命に頑張り、そして先生に認められたいと願っていることです。

 

 

人を以て鏡と為す

7月1日の全校朝会では、私は二つのお話をしました。
 一つ目は、水泳に関することです。
晴れた日はプールで水泳学習をしていますが、子どもである今のうちに25メートルを泳げるように頑張りましょう。泳げることと自転車に乗れることは大変似ています。

最初から自転車に上手に乗れる人はいませんね。みんな必死に練習して、失敗して転んで、やっと自転車を一人で乗れるようになるのです。家族の方の協力があったことでしょう。

自分の体の左右のバランスとスピードコントロールを自然と体が覚えていったのです。

でも一度自転車に心地良く乗れると一生涯乗ることができます。

水泳も同じです。高等動物である人間は、犬などの動物と違って練習をしないと水の中では泳ぐことはできません。腕と足の動かし方のバランス、呼吸の仕方、リラックス等の技術を学べば25メートルは泳ぐことができます。後は、持久力と体力を付ければもっと長く泳ぐことができるようになります。一度泳げると一生涯プールや川や海で泳ぐことができます。

 

 二つ目は、尊敬する人を持ち(目標の人)その人を手本として頑張ることが大事であるということです。

皆さんは、「尊敬する人」はいますか。・・・・・・・・

尊敬する人とは、立派だなと思う人のことです。

心から偉いなと感じる人のことです。

お父さんですか? お母さんですか? 担任の先生ですか?

塾や習い事の先生ですか? 歴史上の人物ですか?

友達にも尊敬する人はいますか?

 

皆さんは柔道というスポーツを知っていますね。

柔道は、日本で生まれて全世界に広まりオリンピック競技までになった立派なスポーツです。

この柔道を作ったのが「柔道の父」とも呼ばれている嘉納治五郎です。

日本人が尊敬する人の一人かもしれません。

江戸時代の末期、1860年に今の兵庫県の神戸で生まれました。

なんと身長は、158センチと大変小柄な男性でした。

小さくてしかも体も丈夫でなかった治五郎は真剣に強い人間になりたいと思い当時の「柔術」を習うようになりました。

運動だけでなく勉強も人一倍頑張ったそうです。

一生懸命勉強して今の東京大学を卒業して、文部科学省に勤めます。

柔術を発展させた柔道を作り、「講道館」という道場を開き世の中に柔道を広めました。

その後、東京高等師範学校(今の筑波大学)の校長先生にもなった嘉納治五郎は、明治44年に、我孫子の手賀沼の畔(アビスタの付近)に別荘を作りました。

そして、近くにあるこの我孫子第一小学校にも訪れて立派な「書」を送られました。

そこには、こう書かれていました。

「人を以って 鏡と 為す」

本物は、職員玄関に掲げてあります。

書道家としても有名だった嘉納治五郎は、全国に様々な書を数多く残しています。

「人を以って 鏡と 為す」

この意味は、分かりますか。

鏡とは鑑であり(お手本・模範)のことです。

尊敬する人を持ち、そして、その人を良きお手本として頑張りなさい

という意味です。

自分が生きていくお手本やモデルとなるべき人を見つけると、生きる意味や理想とする姿が分かります。そして新たな目標が生まれます。

小学生の今から、生きる目標となる人を是非見つけて下さい。

 

 

いじめを許さない(その2)

 6月2日の全校朝会で、私が全校児童に「私の妹」という悲惨ないじめの話をしたことを受けて、各学級で再度いじめについて話し合いました。そして、学年集会を開き「いじめゼロ」の具体的な取り組み(いのちを大切にするキャンペーン)を始めました。 
 以下は、学年ごとに取り組んだ内容です。(報告書を簡単にまとめたものです)

☆1学年

 ・学年目標「なかよし」について・・・友達と仲良くするにはどうし
    たらよいかな?

・ふわふわことば、ちくちくことばをかんがえよう!

 ・いろいろな友達のことを知ろう。「補聴器」「装具」「にこにこ
    教室」って何?

☆2学年

 ・校長先生が読み聞かせしてくれた「私の妹」をもとに話し合お
    う!

 「あの妹があなたのクラスにいたら,どんなことをしてあげたいですか?」

   と学級毎になげかけ、「自分だったらこうする」ということを
      ワークシート
に書いた。

②ワークシートを学年集会に持ち寄り,「あの妹」の友達として
      どうしてあげ
たいのかを話し合った。

③最後に2年生の約束を確認した。

・いじめを見たらだまっていない 

・友だちの気持ちを考えて行動しよう 

・いやなことは「いや」とはっきり言おう

☆3学年

 ・「いじめとは何か」「いじめられたらどうするか」「いじめを見
    たらどうするか」

を学年で話し合った。

・その後,教師が子どもの頃のいじめに関する体験を話した。いじめを防ぐために自分ができることを一人一人紙に記入し,学年掲示板に掲示した。

☆4学年

・各学級でいじめのないクラスにするためにできることを話し合い
    発表した。

 ・その後各担任から話をし、校長先生からも命の尊さについての話
    を頂いた。

☆5学年

 ・事前に各クラスでいじめをしないためにどうしたらよいか話し
    合った。

 ・学年集会では、各クラスの話し合いの内容を発表し合い絶対にい
    じめをしな
い・させない・いじめられないを宣言し合った。

 ・そしていじめをすることは犯罪であることをよく肝に銘じた。
    いじめられて
いる人を見かけたら、声をかける・助ける・先生や
    家の人に相談する。一緒
に遊ぶ、いじめている人を見かけたら、
    止める・やめさせる・大人に相談す
る・・・など勇気をもって取り
    組もうと誓い合った。

☆6学年

 ・各学年で話し合ったことを発表し、学年の3人の教師からそれぞ
    れの経験や
思いを話した。

 ・最後に校長先生から,星野富弘さんの詩集から「いのちより大切
    なもの」を
朗読していただき,いのちについて考える時間をもっ
    た。昨年度行った校長
先生の「いのちについて考える授業」の際
    の卒業生の感想を紹介し、いのち
の重みについて真剣に考える時
    間を全員で共有した。

   本校では、各学級で第1回目のいじめのアンケートを実施してい 
 るところです。
昨年度の秋の調査において、「あなたは今、いじめ 
 られていますか」との最初の質問に
14名の児童が「はい」と答え
 ております。その後、担任が詳しく話を聞いたり、指導したりして
 高学年の1件まで解決することができました。低学年においては、
 ケンカ等のトラブルで少し叩かれたり嫌なことを言われたりしたこ
 とでいじめを受けていると回答している場合もあります。いじめへ
 と発展しないためにもこの初期の段階で問題解決に向けて速やかな
 対応をしていく必要があります。高学年での1件は保護者に詳細に
 説明し謝罪して、継続して学級・学年で解決に向けて取り組んでい
 るところです。
 
  我孫子市全体では、小学校で約6%、中学校で約2%の子ども達
 が「いじめを受けている」との結果が出ています。
小学校で多いい
 じめは、「嫌なことを言われた」「仲間はずれをされた」「暴力を
 受けた」等があります。
又、誰に相談しましたかについては、先生
 が41%、親が33%、友達が24%となり学校の先生に相談して
 いる割合が前年度よりも増えております。

  いじめそのものの数は減少傾向にありますが、いじめを見た子どもは小中学校とも「黙って見ている」「一緒に笑ったりからかったりしている」子の割合は増えています。

  「相手がいやがることはすべていじめ」であり、いじめを見ている周りの子の力が大きく影響することを肝に銘じて、子ども達と一緒に今後も考え続ながら、具体的対応策をしっかりと取っていきたいと思います。

 

 

いじめを許さない

「ばか」「あほ」「ちび」「ぶす」・・・いじめの最初の言葉です。何気なく始まるこの言葉が次に「うざい」「消えろ」となります。そして最後は「死ね」という言葉まで出てくることが多いです。いじめは犯罪と同じです。

6月は全校でいじめゼロを目指す取り組みをします。6月2日の全校朝会では、いじめを題材にした実話「私の妹」というお話をしました。自分の妹が小学校時代に悲惨ないじめに合い、不登校になり最後は命を落とすお話です。妹をいじめた人達はやがて高校生になり窓の外を笑いながらおしゃべりしながら通っていくというストーリーです。

 合唱部の協力を得て、ユーミンの「ひこうき雲」のピアノ伴奏と合唱を披露しながら読み聞かせをしました。黙って聞き終えた子ども達の中で泣いている子もおりました。

子どもの心に本当にいじめは怖いことなのだと実感できたのだと思いました。

いじめの構造は、いじめられる子・いじめる子・はやし立てる子・見て見ぬふりする子がいます。大事なのは、大多数の見て見ぬふりをする子の存在です。

先月下旬の新聞報道で、長崎県の中学3年生の男子生徒がいじめを苦にして自殺した事件が紹介された記事がありました。無料通信アプリ「LINE」(ライン)を使って複数の同級生に自殺意志を伝え、一部の保護者もそのことを知っていたが、誰も自殺した両親や学校に伝えていたかったそうです。子どもを亡くした父親は、「子どもが自殺しようとしていることを知っているのに、死ぬまで誰も私達や学校に教えてくれなかった。それこそが最大のいじめではないか。」と語っています。

いじめを見たら黙っていてはいけないということです。周りからの力が解決するのに大事です。

文部科学省の調査でも、小学4年生から中学3年生までの6年間で約9割の子ども達が「いじめられる側」又は「いじめる側」に少しでも関わっているデータがあります。いじめは本当に人ごとではありません。自分自身の問題としても真剣に考えることが必要です。

去年、国が作成した「いじめ防止対策推進法」の第四条(いじめの禁止)の条項に、

 児童等は、いじめを行ってはならないと明記されています。

いじめはどの学校でも、どの学級でも起きることがあり得ます。本校では、どの学級もいじめを担任教師と共に解決できる集団となるよう真剣に取り組みます。

子供同士のいじめ問題で心配なことがありましたら些細なことでも学校までお知らせ下さい。

失敗学とは?

 私は小さい頃から落ち着きが無く、熟慮せずに行動してよく失敗をしたものでした。そして、先生や親から「もっとちゃんと考えなさい」「落ち着いて行動しなさい」と叱責を受けたものでした。じっとしていられない性分だったことは間違いありません。

大人になり自分が教員となってからは昔の自分を見ているような子供も小学校には多くいるような気がします。

今回はその失敗についてお話をします。この世に「失敗学」という学問があることをご存じでしたか。今から7~8年前に、あるテレビ番組で「失敗学」という言葉を初めて聴いて直ぐに興味を持ちました。それから、機会あるごとにこの学問について色々と本を読み調べてきました。

「失敗学」とは、「失敗を正しく学び、生かす」ことであります。

想像力が必要な現代社会は、多くの失敗も必要となります。この失敗を否定的に捉えるのではなく、むしろプラス面に着目して、有効利用しようとするものであることが分かりました。 

 人は、必ず失敗をします。

これが「失敗学」の基本にあります。

失敗とは隠すものではないという文化をつくることが大切であると「失敗学」を長年に渡り研究されてきた東京大学名誉教授の畑村洋太郎先生は述べております。

畑村先生の様々な著書から失敗について私の心を揺さぶった言葉(キーワード)について簡単に書きました。

 

<失敗学の主なキーワードベスト10> 

 失敗は確率現象である

 ヒヤリ体験の時から真剣に向き合う姿勢が大切である。ハインリッヒの法則

 失敗は放っておくと成長する

 未然の防止策を取らないと、いつか大きくなり破裂する。「知りながら害をなすな」

 途中変更が諸悪の根源になる

 生産現場の失敗はほとんどがこれ。最終計画を常に最終として組織全体が認識する。

 特に運動会・林間学校・修学旅行・入学式・卒業式等は最終の訂正版を配布する。

 失敗には階層がある

 個人の無知・不注意・誤判断からの失敗(個人性)。組織や企業の運営不良、行政や政治の怠慢(社会性)。未知への遭遇(誰も防げない失敗・良い失敗)。

 失敗は予測できる

 失敗を隠さず失敗の体験を積極的に学ぶ。失敗の特性をきちんと分析する。

 失敗情報は時間が経つと急激に減衰する。

 過去に津波の大被害(明治29年にも2万人以上の死者)があった東北の三陸地方にある石碑。「ここから下に家を建てるな」。家が立ち並び今回も大被害に遭った。

 失敗は隠れたがる

 失敗の原因は変りたがる。責任問題等で失敗の本当の情報は組織の上には行かない。

8 リーダーの資質と失敗

 トップが安全管理に意識しているか否かで、罹災率は3倍違ってくる。

9 失敗情報を「知識化」していく

 現実の失敗事例を自分や他人が将来使える知識としてまとめる。

10 「想定外」を想定する

 東日本大震災で行政や専門家は、「想定外」として責任逃れをしてきた。

 

運動会は負ける練習の場

いよいよ新緑の季節である5月になりました。今月の一大イベントはなんと言っても24日に予定されている運動会です。学校行事であり日頃の体育学習の成果を発表する場でありますが、私は「運動会とは負ける体験をする絶好の機会」だと思ってきました。

 だいぶ前のことですが、勤務していたある学校でこんな場面に遭遇しました。運動会の閉会式後、校庭の片隅で6年生女子応援団が10名位丸くなって嗚咽を上げて泣いていました。訳を聞くと総合優勝できず、しかも応援賞も取れず悔し泣きをしていたのです。応援団女子が、今日までいかに真剣に応援練習に向き合ってきたかがその姿から分かり大変感動したことを覚えています。

 練習を一生懸命に積み重ねて、ダンスなどで上手に演技したり徒競走で良い結果を出したりすることは素晴らしいことであります。

子ども達は必要以上に勝ちにこだわります。自分が一番になりたいと願うのは当然です。しかし、現実は誰もが一等賞は取れません。どんなに頑張っても結果が伴わないこともあります。大人になれば、絶対に勝ち続けることはあり得ないと分かります。子どもの時期に、「負ける体験や失敗する体験」をすることで、冷静に自分自身と向き合うことができます。

負けた時にこそ学ぶことが多いものです。その時に教師や保護者の助言が大切であり、そして仲間からの思いやりの言葉が何よりも心の糧になり、大きく成長できる機会にもなると考えます。運動会の時にこそ負けた時の態度も学ばせたいものです。

 

 

挨拶の溢れる学校・挨拶のできる子

平成26年度の我孫子第一小学校が始まりました。

始業式から早くも2週間が過ぎました。今年度、学校経営の重点目標の一番目に「挨拶」をおきました。挨拶とはなぜ大事なのでしょうか。そして、挨拶はどのような心持ちでしていけばいいのでしょうか。挨拶とは、相手の存在を認めていることを相手に積極的に伝える行為であります。

つまりコミュニケーションを取るための最初の大事な手段であるとも言えます。すれ違いざまに相手にお辞儀をすることも立派な挨拶であります。先ずは、子ども達に挨拶の意味をしっかりと教えていきたいと思います。

「おはよう○○さん!今日の洋服とっても素敵だね。」先生との朝の挨拶で学校は始まります。大事なのは、挨拶プラスワンです。「おはよう」だけでは、お互いに次の会話に発展しません。挨拶を交わす瞬間、見たことや感じたことを言葉に出してみると二人の親密度は増してきます。
 我孫子第一小学校を挨拶に溢れる学校にしていきたいと思っています。子どもが挨拶をできるようにしていくのは、大人(教師や保護者)が率先垂範することです。学校では教職員が挨拶を進んで行っていきます。挨拶がしっかりできる子は、やはり学習や生活習慣全般においても立派に頑張れる子が多いです。ご家庭でも朝起きて来た子どもと顔を合わせたら、「おはよう!今日はとってもいい天気だよ。」と毎日のように保護者から先に声を掛け続けて頂きたら有り難いと思います。
 私は3月中にこの挨拶に関して感動する事が二つありました。
 一番目は、3月上旬に起きた正門付近でのできごとです。
 この数日前に皆様もご存じの柏市での通り魔事件が発生し犯人が逃亡しているため、全校一斉での集団登校を実施しておりました。私も正門に立って子どもを迎えておりました。我孫子警察署からも若い警察官が朝になると一緒に校門で警備をしてくれており、大変有り難く心強かったものです。その2日目の朝、登校してきた中学年のある女の子が、私に「おはようございます。」と言った後、
警察官の方へ一人で行き「ありがとうございます。」と言って頭を下げて学校の中に入って行きました。小学生が瞬時にそこまでの挨拶ができたことに感動しました。

 二番目は、3月中旬の卒業式間近のある日のできごとです。毎日地域パトロールをしてくださっている年配の男性が校長室へ来られました。最初は、下校途中に子ども達がご迷惑を掛けてしまったのだろうと思っておりました。「校長先生、6年生の男の子が手紙をくれたのです。本当に嬉しかったのでお持ちしました。」と言うのです。

次のような内容でした。

僕は我孫子第一小学校の6年○組の○○です。6年間、雨の日でも台風が来た日でもどんなに寒くても、暑くても、毎日僕たちを見守って頂きありがとうございました。

皆さんがいたから6年間、安全に登校することができました。

4月から白山中学校へ入学します。そして、中学生になります。なので朝早く家を出ることが多くなると思いますがこれからもよろしくお願いします。

お体に気をつけてこれからも僕たちを見守って下さい。

 

 私は、改めて挨拶とは感謝を表すことだと子ども達から教わりました。こんな素晴らしい子ども達が我孫子第一小学校に居たことを誇りに感じました。

挨拶に溢れる学校を目指していきたいと思います。

 

人生の決定権は子供です(ある詩より)

最近、ある教育関係資料から素敵な詩に出会うことができました。
直ぐに、職員にもこの詩を紹介しました。
作者は、皆様もよくご存じの作詞家 秋元 康 さんです。
秋元さんは、あのAKB48をプロデュースした人でもあります。
ご本人は小さい頃から東大を出て官僚になろうと思っていたが、紆余曲折して私立大学を中退して放送関係のアルバイトをしながら、今は本業として芸能活動を続けている方です。
詩の題名は、「芽の出る早さはちがうから」です。
秋元さん自身の生き方からこの詩が生まれたと思います。
人生にはもちろん正解はありません。
大人は自分の人生が上手く行かなかったことや夢を自分自身の子供に押しつけていないでしょうか。もちろん子供の幸せを十分に考えてのことですが。・・・・・            
「人生の決定権を持っているのは本人だ。」「僕にできるのは少しでも選択肢を増やすこと。」
学校でも家庭でも、子供達自身に「あなたは、どうしたいの?」と問うて、あたながよく考えて決定し、結果についても本人に納得させていく。そうありたいと思います。                 色々と考えさせられた詩ですので、ご紹介します。


   「芽の出る早さは違うから」 作詞家 秋元 康

子供は花の種。
同じ花の種でも芽の出る早さはそれぞれ違う。
小学校の一時期にクラスで何番かなんて
長い人生には関係ない。
妻は娘の勉強に厳しいけれど
僕は「まあ、いいんじゃないの」と見守る。
誰も隣の人を見て息を吸うのが速いとか遅いとか考えない。
皆、自分の体に合わせて勝手に呼吸している。
呼吸するように自分のペースで生きればいい。
人生に正解なんてないんだから。

僕は正解がないような仕事をしているから
正解がないことはすごく大事だと思っている。
親や大人たちはどうしても正解を求めがちだ。
一番やってはいけないと思うのは
子供を親の人生の雪辱戦に使うこと。

自分が甲子園に行けなかったから
本当はサッカー好きな子に野球をやらせたり
親の反対で自分の夢が叶わなかったから
娘を宝塚に入れようとバレエを習わせたり。
それは違うと思う。
逆に失敗したり苦労するのを心配するあまり
子供の夢や希望に耳を傾けないで
親が先回りして無難な道を歩ませようとする。
それも違うと思う。

僕の両親はしつけにとても厳しかったけれど
僕の意思を尊重してくれた。

大学を辞めようが、どんな仕事をしようが
僕が自分で決めて行動したことを
黙って温かく見守ってくれた。
そんな仕事がいつまでも続くわけがないと
茨の道が見えていたのかもしれないけれど
「茨があるから行くな」とは言わなかった。
だから僕もそうしようと思う。

もし娘にやりたいことができて
僕の目には茨の道と映っても、黙って見守ろう。
否、頑張れぐらいは言おうか。
もしかしたら彼女は
たくましく茨を跨いでいくかもしれない。
賢く茨を避けてゆくかもしれない。
茨で傷ついたそのときは
黙って手当てしてあげればいい。

たった一度しかない人生
やりたいことをやらせてあげたい。
人生の決定権を持っているのは本人だ。
僕にできるのは少しでも選択肢を増やすこと。
漫画家の友人も小説家の友人も
その道に入ったきっかけは些細なことだった。
些細なことを子供の周りにたくさん集めれば
ピンボールのようにコンコンと当たって
どこかで必ずチーンと花開くと思うのだ。

 


「夢中になる子」

子供達を見ていて夢中になれることは素晴らしいと思います。

学校の中では日々、様々な子供の姿を目撃します。

「夢中になる子」「熱中する子」「情熱を傾ける子」「打ち込む子」「はまる子」「集中する子」「時間が経つのを忘れる子」「陶酔する子」「無我夢中になる子」「楽しんでいる子」・・・・・

 孔子は、次のようなことを言っています。

「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

(よく知る人も、好む人には勝てない。好む人も、楽しむ人には勝てない)

現代を生き抜く子供には、いかに小さい頃より人と上手に関わる力を身に付けることができるかが大事だと思います。コミュニケーション能力と言っていいかも知れません。では、いかにこの人と関わる力を付けるかは、「体験と感動」が大事であると様々な先人達も述べてきております。私も全くもって同感であります。

 さて、冒頭の「夢中になる子」とは夢中になれる何かをしている状態です。何かに没頭していることです。これこそが楽しんでいることなのでしょう。

孔子の教えのとおりに考えると一番強い状態にあります。

子供達は、小さい頃は色々なことに興味を持てる状態にあります。好きなことに出逢って夢中になっている状態がいかに素晴らしいことかは、大人になれば分かることです。

集中力とは、この幼少時の「夢中になる経験」によって大きく育まれます。

学校での学習や部活動でも、また、習字・絵画・合唱・合奏等でも、集中力のある子供は本当に上手になっていくパターンをしばしば見ます。

 

お天道様が見ている

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

7日の3学期始業式で私は「お天道様が見ている」のお話をしました。今の子供達は恐らくこのお天道様という言葉自体をほとんど耳にしたことはないと思います。

私はこの言葉の影響から幼い頃は、いつもどこにいても空から神様が見ているんだと思っておりました。周りに誰一人いなくても自分なりに良いことをしていると思った時は「どうぞ、神様(お天道様)見ていて下さい。」と口ずさんだものです。また、悪いことをしそうになった時(実は色々と悪戯等は沢山しているのですが・・・)は、「どうぞ、お天道様許して下さいね。」と祈ったこともありました。

 私の体験談は、次のようなことです。

小学生の低学年のある日、田舎のお爺ちゃんの家に泊まりがけで遊びに行った時のことです。お爺ちゃんの家は農家でした。畑で野菜や花を大事に育てていました。私は、昼間夢中になって田舎の広い庭を走り回っていました。翌日の朝ご飯の時、お爺ちゃんから突然に「悟、お前はきのう畑で遊んでいたな。」「遊んでいたよ」「花を踏まなかったか」「うーん、わからない」と言いました。私は本当に花を踏んだかどうかは、夢中に走り回っていただけに自分でも分かりませんでした。そして、静かにこう言ったのでした。「爺ちゃんは見ていなくても、お天道様が見ているんだぞ」

私はお爺ちゃんの言っている意味が分からず、後で母親に聞きました。

「お母さん、お天道様が見ているってどういうこと」

「それはね、人間はみんな良い心と悪い心の両方を持っているのよ。もし、悪いことをした時に周りに誰もいなくても空の上の太陽、つまりお天道様は必ずあなたの行いをしっかりと見ているのよ。お天道様とは神様のことよ

私はこんなに怖いことはないと思いました。私の行いを全て見ているなんて。
 

あれから50年ちかく経ちました。

自分の中にもう一人自分を冷静に見つめる神様を作ることは大事だなと今でも思います。

一小の子供達には、「どんな時も神様が見ているから、神様に恥じない生き方をしていきたいですね」と最後に言って結びました。

 

捨てることも大切<いかだ理論>

12月に入りいよいよ年末に近づくと大掃除をして部屋にある様々な物を整理整頓される人が多いと思います。

整理整頓と言えば、数年前に有名になった「断捨離」が浮かびます。

「断」とは、入ってくる要らないものを断つ。

「捨」とは、家にずっとある要らない物を捨てる。

「離」とは、物への執着から離れる。

さて、今回のお話はある教育雑誌に掲載されていた大事であった物でも捨てることが必要という

内容です。どこまで納得されるかはこの話を読んだ人によって違うとは思いますが、大事な物を捨てることの罪悪感を少しでも消すには一つの有効な考え方だと私は思いました。

 

 「ある人が旅をしていたところ、橋はなく渡し船もない大きな川に行き当たった。もちろん、泳いで渡ることもできない。旅人の目的地は川を渡ったはるか先にあり、どうしてもこの川を渡らなければならなかった。そこで旅人は、付近にあった葦(あし)や木の枝などを集めていかだをつくり、そのいかだに乗って川を渡り、無事に向こう岸に着くことができたのだった。」

 

 さて、旅人はこのいかだをどうすることが正しいのでしょうか。

そのいかだが自分にとって大変役に立った大事な物だとしても、そのいかだを頭に乗せて目的地へ進んで行くべきなのでしょうか。

 これより先は、いかだを捨てて目的地へ向かうことが正しいのです。いかだを大事に持って旅を続けることではなく、いかだに執着しないで捨てることなのです。

 大事な物でも、それがいかだかどうかを考え、いかだと考えた場合は、気楽に捨てることができないでしょうか。

 時代はどんどん進化しています。

 私自身も過去のいかだがまだ押し入れの中にあります。数年間、押し入れの中に入れっぱなしでも困らない物はきっと現実的に必要ない物なのでしょう。しかし、思い出の品としてやはりどうしても残したい物もあります。難しい問題です。

いかだを捨てる時は、手を合わせて「今までありがとう」と感謝していきたいと思います。

 

 

守破離(しゅはり)の意味とは

「守破離(しゅはり)の意味とは」

 

守破離(しゅはり)は、日本での茶道・武道・芸術等における師弟関係のあり方の一つで、日本文化が発展・進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。我孫子市内の中学校の武道場にもこの守破離(しゅはり)を壁に大きく掲げている所もある。

「守る」

最初は、師匠に言われたことを徹底して受け継ぐ。

型を守ることである。型を守る修行を行うことから始めるのが肝心
 である。

「破る」

その後、受け継いだ型を自分と照らし合わせていく。

自分に合ったより良い型を造ることで、既存の型を破る。

自分流の誕生である。

「離れる」

師匠の型を破り、そして自分自身が造りだした型の上に立脚した個
 人は、
型から自由になり型から「離れて」自在になれる。

 

今、どの学校現場にも若い先生方が増えている。

長く培ってきた教育技術も正しく適正に受け継がれていってもらい
 たいと願う。

ベテランの先生方の持っている教育技術を守り(受け継ぐ・盗む)
 そして若い
先生方が自分の技術に造り替え(破り)、自分自身が造
 り出した技術に立脚した
個性的な教員(離れる)に将来なっていっ
 て欲しいものである。

 

我孫子第一小学校の歴史と教育(その1)

千浜宗一郎校長と太鼓・校歌

 

 我孫子第一小学校の南門を出て約5分の場所に、杉村楚人冠記念館があります。

 その記念館が今年度の冬期企画展として10月12日(土)より約3ヶ月間「みんなで育てた我孫子の学校」を開催します。

本校は創立141年目を迎え、明治6年の開校以来の貴重な書や資料があります。

我孫子第一小学校の歴史を見ながら我孫子の教育を考えてみようという趣旨でこの企画展が実施されるのを受け、全面協力することはもちろんのことですが、子供達にも是非この機会に学校の歴史と我孫子の文化を知って欲しいものです。

 今回は、毎年の運動会で使用される大きな太鼓の由来と本校の校歌がいかにして出来たかについて考えてみたいと思います。

太鼓が鳴るよ 青空に 向が原の丘の上 集えよよい子 我孫子第一 学びの庭に眉あげて」これは、我孫子第一小学校校歌の一番の歌詞です。太鼓の音がドーン・ドーンと鳴り響いていたことでしょう。実はこの太鼓が学校に実存しているのです。今でも張りのある低い音色を出します。戦後の昭和25年、作詞された高橋掬太郎氏は、栄町を散歩していると一小から授業の始業を告げる太鼓の音を聞きこのフレーズが浮かんだそうです。軍歌に代わる歌、運動会や遠足などでみんなが明るく元気に歌える校歌が欲しいということから現在の曲が誕生したそうです。太鼓は当時の千浜宗一郎校長が満州に視察されたことを記念して昭和19年に造られたものです。

その千浜校長も戦争末期の昭和19年11月、40名の先生方が湖北校から手賀東部校へ研修に向かうため手賀沼を船で移動中に転覆し、19名の方と共に亡くなりました。丁度、お昼時に3艘の渡し船に乗って漕ぎ出したところ、突然風が強くなり、千浜校長は「動くな!立つな!」と何度も叫んだそうですが若い女性の先生方が多く、着物を着ていたことで身動きが取れず、寒い北風が吹いていたこともあり悲劇が広がりました。

この事件は、手賀沼殉難事件として今でも語り継がれています。

 

子どもを見守るということ

「父さんが いつも言う 今日の学校どうだった 

毎日聞かれるこの一言

 めんどくさいけど ありがたい」

 

この詩は、文部科学省が主催している「親子で話そう!家族のきずな・我が家のルール」三行詩の中で、昨年度の優秀作品の一つです。

書いた人は、広島県に住む中学2年生の女子です。

子どもは身も心も段々と成長していきます。

それに伴い、親子のコミュニケーションの取り方、間合いが難しくなってきます。

学校で担任している先生も同じです。

子どもと大人(親・先生)の上手なコミュニケーションの例えとして、川とそこに置かれている水車の関係が使われることがあります。

川の水は子どもです。時や場所によって水の量や勢いが違います。

水車は大人です。水車の目的は効率的に回転することです。

もし、水の中にどっぷりと水車がまるごと浸かっていたら上手に回転するでしょうか。

また、川の表面にほんの僅かしか接してなかったら回転するでしょうか。

微妙な距離感・接点がポイントになります。

高学年になり大人っぽくなった時、大人があまり干渉しすぎると

「わかったよ。うるさいな。」「もう、いいから。」と子どもは逃げるようになります。

大事なことは、大人が「あなたのことはいつでも、どんな時でも見守っているよ。」のメッセージを出し続けることです

直接的なことを指摘しなくてもいいのです。子どもに安心感を与え続ければ、自力で解決できることもあります。

三行詩のように、子どもは親の心は分かっているものです。

成長途上の子どもには、彼らなりの照れもあるのです。

「親の言っていることは面倒くさいが、心の中では有り難い」と思っているのです。

自己を忘れること

2学期の始業式で子ども達に次のようなお話をしました。

「今年の夏は凄い猛暑でした。我孫子市でも8月11日に39.2度の最高気温を観測しました。今はこんなに暑い日々を送っていますが、1ヶ月後には涼しくなります。日本には四季があります。

この四季があることは、実は素晴らしいことであり日本独特のものなのです。

では、皆さんは春夏秋冬が毎年巡ってくる中でどの季節が好きですか。」

子ども達は、自由に自分の好きな季節に手を挙げました。

鎌倉時代の道元和尚は、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」と短歌に詠んでいます。四季それぞれを楽しみなさい。あまり好きとか嫌いとかは思わない方が人生は楽しいですよ。自分の固定観念を取り除いて物を見ることが大切だと説いています。

学校で子ども達の様子を見てみると、こだわりが強い子が多いです。食べ物やゲーム、そして友達までも好きか嫌いと直ぐに決めてしまいがちです。一つの価値観だけを強く持ち続けていたら新しいものはなかなか入りません。良い意味で頭を空っぽにして2学期から新しい自分づくりをすることも大切です。

「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。

・・・・・・・・・」自分自身を究明することが、自己をならうことであり、書物から学んだことも捨て去ることが大事だとも説いています。

飛ぶ鳥は、飛んだという痕跡を空に残さないところから「鳥道」(ちょうどう)と呼ぶそうです。

教室の中で子ども達は、「自分が○○したんだ。最初にやったのは、私なんだ!」と言う言葉を聞くこともよくあります。自己主張が強い子どももいます。自己を忘れて相手のためにやると、最後は巡り巡って自分の徳になることを少しずつ学ばせてあげたいと感じます。

 

学校での不易と流行

本校は、明治6年2月に我孫子小学校として開校し、今年で創立141周年を迎えます。その後、尋常小学校・中央国民学校・第一小学校と名前を変えながらも我孫子の町の変貌と共に地域の学校教育を担ってきました。

先日、ある方から昔の貴重な教育関係資料を頂きました。

東北地方の宮城県石巻市にあった石巻尋常高等小学校長の錦織玄三郎先生が書き記した「当校教員注意事項」に深く感銘しました。

今から104年前、石巻にある小学校教育における教員の心構えが、平成の現代でも十分に通用し、しかも含蓄のある教えなのです。不易とは千年経っても変わらないという意味だそうですが、100年後の今でもその本質は全く同じとしか言いようがありません。

全部で17項目ありますので、その中でも私が特に感動し感銘を受けた10項目を出します。私の個人的コメントもその後に添えます。

1 手ぶらで教えよ

・指導書や指導案を見ながら授業をするなということです。授業の
    流れ
は全てを頭の中に入れておく。この「手ぶらで」という言葉が
    いいで
す。何かに頼るのは不安や迷いがまだ有るからです。

2 対話的に教えよ

・講義形式の授業ではいけないということです。教師の一方的な説
     明的
授業では子どもは飽きます。主役は子どもです。子ども同士
     の討論的
な発言では大変中身が濃くなります。

3 劣等生を愛せよ

・今は劣等生という言葉はもちろん使いません。この意味するとこ
     ろ
は、勉強の遅れがちな子どもこそ大事にすべきである。原因を
     見極め
なさいとも言っています。先生の教え方に原因がある.
 4 教育のために勤めよ

・教育とは子どもの為に行われるものである。校長や教育委員会等
     から
高い評価を受けようと思ってはいけないとのことだそうで
     す。
 

5 言葉遣いを丁寧にせよ

・軍国時代であったにも関わらず軍隊で使うような威圧的な言葉を
     使って
はいけない。美しい心は美しい言葉から生まれます。 

6 児童と遊べ

・当たり前のようなことですが、子どもと遊ぶことで心が通い合う
     ことが
大事であると言っています。子どもが心を開くには先ず遊
     ぶことです。
 

7 全校に目を注げ

・学級担任であるが組織の一員でもある。常に学校全体を考えて行
     動する。
学級王国はダメであるとこの時代から諭されていたこと
     に感動です。
 

8 品格を保て

・出会う人が自然に尊敬したくなるような気品を持ちなさいとのこ
     とである。
教育で一番大事なことは信頼である。つまり教師の人
     間性である。
 
9 児童に負けるな
  
・この意味するところは、学習も生活習慣も簡単に身に付くもので
      はない。
習慣化するまでは子どもとの根気比べだということで
      す。
 
10 事務は第二にせよ
   ・今も100年前も同じです。教員にも事務仕事は山のようにあり
     ます。
どんなに忙しくても授業が第一であるとの教えです。

 


我孫子について

6月の全校朝会で「我孫子」についてお話をしました。

私は、昨年の夏休みに成田線に乗って我孫子駅に向かう電中で、

次のような会話を聞きました。

70歳位のご夫婦(お爺ちゃんとお婆ちゃん)と40歳位の息子さんが、スーツケースを持っていましたので、恐らく海外旅行から成田空港へ戻り東京方面へ帰る途中だと思いました。

我孫子駅のホームにつく直前に、車内のアナウンスがありました。

「次は、終点の我孫子(あびこ)でございます。」

その時、息子さんが「えー!あびことは読めないな。
どう見ても
ガソンシだ!」
と言いました。

私は、びっくりしました。

普段当たり前にあびこと読んでいたことが当たり前ではないこともあるのだ。

何代か前の我孫子市長さんも東京である会議に出た時に、あびこと呼んでくれずに同様にガソンシと読まれたと言っています。

この我孫子という地名は、全国的にも非常に珍しい名前なのです。

 

次にこの数字を読んでください。

「16」

では、この16という数と我孫子の名前とはどういう関係があると思いますか。

北は秋田県から、南は九州の長崎県まで日本全国に「あびこ」という地名がある場所の数です。

この珍しい「あびこ」の地名はなんと全国でも16カ所もあります。
千葉県では房総半島の長南町に我孫子という地名があるそうです。

 

次にこの数字を読んでください。

「1313」

いつの時代から、我孫子という地名が正式に使われたかです。

鎌倉時代の末期1313年の古文書に「しもふさのくに あひこのむら」と書かれています。

昔は「あびこ」ではなく「あひこ」と読んでいたようです。

本当は、もっと昔から呼ばれていたのかもしれません。

「あびこ」とはどういう意味かを調べてみると、

昔、天皇や貴族などの偉い人に食事係などの仕事をしていた人達を「あびこ氏」と言っていたそうです。

その人達が住んでいた所を「あびこ」と呼んでいたという説もあるそうです。

また、「網を引く、あびき」という職業の名前からついたという説もあります。

様々な説があり、あびこ学として熱心に研究している人もいるくらいです。

 

最後の数字です。次の数字を読んでください。

「3000」

全国にある人の名前で「あびこ」という名字の家族の数です。

約3000軒の家があるそうです。

ちなみに、今の我孫子第一小学校の皆さんの中には、「あびこ」という名前の人はいません。
現在は、我孫子市内でもほんの数軒だけだそうです。

失敗学とは

私達は(私は)、職場でも私生活でも失敗をすることがあります。

でも何を失敗と呼び、何を成功とするか、失敗と成功を区別することは価値観にも関わるので意外と難しいかもしれません。

東京大学の畑村洋太郎先生は、その著書「失敗学のすすめ」の中で次のようなことを言われています。

「失敗学」とは、「失敗を正しく学び、生かす」ことである。失敗には負のイメージがつきまとうが、失敗を否定的に捉えるのではなく、むしろプラス面に着目して、有効利用しようとするものである。 

 人は、必ず失敗をする。これが「失敗学」の基本にある。失敗とは隠すものではないという文化をつくることが大切である。と畑村先生は繰り返し述べています。

 本校の職員にも「失敗は成功のもと」「創造的な仕事をするためには試行錯誤の失敗も時には貴重でありその後の財産にもなる」と話しました。

失敗学の本の中から、私の印象に強く残ったベスト10のキーワードを書きます。 

 失敗は確率現象である

 ヒヤリ体験の時から真剣に向き合う姿勢が大切である。ハインリッ
 ヒの法則。

 失敗は放っておくと成長する

 未然の防止策を取らないと、いつか大きくなって破裂する。

 途中変更が諸悪の根源になる

 生産現場の失敗はほとんどがこれ。最終計画を常に最終として組織
 全体が認識する。

 特に運動会・林間学校・修学旅行・入学式・卒業式等は最終の訂正
 版を配布する。

 失敗には階層がある

 個人の無知・不注意から、組織運営不良、行政や政治の怠慢、未知
 への遭遇へ。

 失敗に対する見方を変える

 「見たくないもの」は「見えなくなる」

 失敗情報は時間が経つと急激に減衰する。

 過去に津波の大被害があった東北地方の石碑付近に現在では家が多
 数建っていた。

 失敗情報は歪曲化される

 失敗の原因は変りたがる。世間への影響を考えて、当たり障りのな
 い結論となる。

8 失敗情報はローカル化し、組織内を上下動しない

 失敗情報は上には登らない。失敗を気軽に報告できない組織体制が
 ある。

9リーダーの資質と失敗

 トップが安全管理に意識しているか否かで、罹災率は3倍違ってく
 る。

10失敗の「知識化」

 現実の失敗事例を自分や他人が将来使える知識としてまとめる。

 

※さて、現実の諸問題と向き合う中で私達は常に多くの選択肢の中か
 ら
瞬時に、時にはじっくりと一つを決定することが求められます。

 学校でも会社でも家庭でも同じです。
 私は失敗に対しての認識が変わりました。

褒めて育てる

一人一人の子どもは全て個性を持っております。その個性の中から良い所を教師や親がしっかりと見つけて褒めてあげる。その場しのぎの褒め言葉でなく、一人の子と日々真剣に向き合う中でしか見いだすことができない長所を探し出すことが何よりも大事になります。

我孫子第一小のPTA役員会や職員に次のような話をしました。

「ほめ言葉のシャワー」を実践している福岡県北九州市の小学校に勤務されている男性教員のことは知っていますか。NHKの人気番組である「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演した人です。4月の読売新聞にも「ほめ言葉で深まる絆」という見出しで特集記事が掲載されておりました。

「ほめ言葉のシャワー」のキーワードは、「自信」と「安心」だそうです。教室内にこの自信と安心がなければ当然子どもも自分らしさが出てこないのです。教師はその子らしさが集団の中で発揮できる環境を作り上げていくことが大事になります。子どもは集中的に褒められる経験はめったにありません。
 毎日の帰りの会等で一人ずつ教室の前に出てきて、クラス全員と担任の先生からその子の良い所をシャワーのように言葉で浴びせてあげる。目立たない子や上手くできない子にも目が行きわたる。褒める観点も分かってくる。そうすることで教室内の絆が深まっていくようになる。

学校でも家庭でも、子どもは褒めて自信をつけさせ、その子らしさをしっかり認めて伸ばしたいものです。
 褒められた心地良さがないと叱られても子どもは聞く耳を持ちません。私たち教師や保護者は、ある意味、叱るためにも褒めておく必要があるのです。

「人生とは習慣である」の意味

今、私が一番大事にしている言葉は、「人生とは習慣である」です。聖路加国際病院で101歳にして現役のお医者さんでもある

日野原重明(ひのはらしげあき)先生が、多くの著書や講演会等で

言われている言葉です。

誰でも否応なく一年一年歳を取っていきます。そして人間歳を取ると

体のあちらこちらが病気に罹ってきます。

昔は、ガンや糖尿病などを「成人病」と言っていました。

日野原先生は、成人だから病気に罹るのではなく、長い間の生活習慣から病気になるのだから「生活習慣病」という名前をつけました。

 体や心に良いことは、毎日続けてこそ本当の意味があります。

小学生の小さい時から良いことを習慣にすると人生の実りも大きい
ものになります。反対に、習慣を侮った人は、むなしい人生に

なってしまうかもしれません。
更に、
習慣が人間の性格や品性をつくる
とも言われています。

私自身は、早寝早起き(午後9時就寝し午前3時起床)と小食(腹6分目)の習慣を長い間続けております。

体重と体脂肪は毎朝決まった時間に同じ条件で量り記録します。

基準値オーバーの時は、ラインマーカーで色を塗ることにしています。

長い間続けると、大変だと感じていたこともそれこそ習慣になってしまい普通にできるものだと感じます。

 子どもは、親の言った通りには動きません。やった通りに動きます。大人が良い習慣を身につけることは大事な教育になると思います。

美しい心は美しい言葉から

「美しい心は美しい言葉から生まれる」

ある教育雑誌のコラム欄に書かれていたタイトルです。

まさにその通りだと思います。

人間は言葉を持って人間となるのですから、言葉は人を育てることになります。

今の時代、小さい子どもや青年もテレビ等の影響により短い言葉・意味不明の言葉が大変流行しています。

「キモイ、ウザイ、カワイイ、超○○○○、神、神ってる等」

では、美しい日本語のしらべはどこにあるのかと言えば、小学校の音楽の教科書にも載っている童謡唱歌もその一つでしょう。

現在使用している音楽の教科書には、「こころのうた」として長い間歌いつがれこれからも歌いついでいきたい歌として紹介されています。

4年生では、「とんび」「まきばの朝」「もみじ」「さくらさくら」

5年生では、「こいのぼり」「子もり歌」「冬げしき」
            「スキーの歌」

6年生では、「おぼろ月夜」「われは海の子」「ふるさと」
            「越天楽今様」

4月のある朝の職員打ち合わせで、

「おぼろ月夜」の歌詞を配り全職員で歌いました。

なんと心地よいリズムと言葉の響きなのでしょうか。

 

菜の花畑に 入り日うすれ

見わたす山のは かすみ深し

春風そよふく 空を見れば

夕月かかりて においあわし

 

里わのほかげも 森の色も

田中の小道を たどる人も

かわずの鳴く音も かねの音も

さながらかすめる おぼろ月夜

 

美しい言葉を育む上で重要となるのが文語文なのです。

子ども達は、この旋律良く響きがいい文語文を

好んで覚えてしまうものです。

子どもの頃に、書き言葉である文語文の素晴らしさを

声に出し,歌って暗記させたいと思います。

その美しい日本語のしらべによって

いつしか美しいこころも育っていって欲しいと願います。

入学式

4月10日 本校創立141周年目の入学式を行いました。

今年度は、94名(当日は95名とお伝えしました)の新1年生が

入学しました。3クラスとなります。

入学式で私が話したことは、次のようなことです。

小学校は楽しい所です。わくわくする所です。

一人一人がとっても活躍できる所です。

皆さんにお友達がいっぱいできて、しかも仲良くできる「魔法の言葉」を二つ校長先生が教えます。

一つ目は、「ありがとう」です。誰かが助けてくれた時、直ぐに笑顔で言いましょう。

二つ目が「ごめんなさい」です。けんかをしたり、何か失敗したりして自分が悪いなと思ったら勇気を出して言いましょう。

次に、教室でお勉強する時にとっても大事なことを一つだけ言います。

それは自分がしゃべるよりも、相手の言うこと、先生の言うことを

しっかりと聞けることです。

我孫子第一小学校には、どの教室にも「聞き方名人あいうえお」

の約束が教室に貼ってあります。

その中で特に大事なことは、あの「相手を見て」と、うの「うなずきながら」と、おの「終わりまで聞く」です。

あとの約束は、明日から担任の先生に聞いてくださいね。

新入生は、大人のお話を聞くときには足をブラブラさせたり

体を揺すってみたり落ち着かない様子もありましたが、

6年生のお兄さんお姉さんの歓迎の挨拶と歌や発表の時は、

全員が体を動かさないで真剣に聞き入っていました。

子どもは、大人よりも子どもの話の方をしっかりと

聞くものだと再認識しました。

着任のご挨拶


着任のご挨拶

4月1日より我孫子第一小学校へ着任しました

太田悟でございます。

どうぞよろしくお願い致します。

私がまだ30歳代の平成3年4月より7年間ほど

我孫子第一小学校に勤務しておりました。

当時は、埼玉県の川口市の自宅からかなりの時間を

かけて通勤しておりました。朝は5時台に自宅を

出ていたと思います。

担任としては2回ほど卒業生を本校から送り出すことが

できました。

卒業生や地域の方、PTA本部役員等の方から

「お帰りなさい」と温かく迎えられたことは何より

嬉しかったです。ありがとうございます。

我孫子第一小学校は、今年で創立141周年になります。

良き伝統を守りつつ、時代の変革にも対応できる教育環境を

整備していきたいと思います。

私の教育理念の一つに、「学校(教室)は負ける練習をする場」

であると考えます。大人になってみれば世の中は、自分の思い

通りに行かないものだと達観できますが、子どもは違います。

何でも自分の思い通りにしたいものです。

我慢させることは、何よりも大切です。

負けることから学ぶことは大変多いものです。

我孫子第一小学校には、「希望の登校・満足の下校」という

スローガンがあります。

子ども達全員が、学校は楽しく面白い所だと感じられるよう

日々努力してまいりたいと思います。