子どもを見守るということ
「父さんが いつも言う 今日の学校どうだった
毎日聞かれるこの一言
めんどくさいけど ありがたい」
この詩は、文部科学省が主催している「親子で話そう!家族のきずな・我が家のルール」三行詩の中で、昨年度の優秀作品の一つです。
書いた人は、広島県に住む中学2年生の女子です。
子どもは身も心も段々と成長していきます。
それに伴い、親子のコミュニケーションの取り方、間合いが難しくなってきます。
学校で担任している先生も同じです。
子どもと大人(親・先生)の上手なコミュニケーションの例えとして、川とそこに置かれている水車の関係が使われることがあります。
川の水は子どもです。時や場所によって水の量や勢いが違います。
水車は大人です。水車の目的は効率的に回転することです。
もし、水の中にどっぷりと水車がまるごと浸かっていたら上手に回転するでしょうか。
また、川の表面にほんの僅かしか接してなかったら回転するでしょうか。
微妙な距離感・接点がポイントになります。
高学年になり大人っぽくなった時、大人があまり干渉しすぎると
「わかったよ。うるさいな。」「もう、いいから。」と子どもは逃げるようになります。
大事なことは、大人が「あなたのことはいつでも、どんな時でも見守っているよ。」のメッセージを出し続けることです。
直接的なことを指摘しなくてもいいのです。子どもに安心感を与え続ければ、自力で解決できることもあります。
三行詩のように、子どもは親の心は分かっているものです。
成長途上の子どもには、彼らなりの照れもあるのです。
「親の言っていることは面倒くさいが、心の中では有り難い」と思っているのです。