郷土愛を育てる
「我孫子のどこが好きですか」
私は7月の全校朝会で子ども達に聞いてみるつもりでいます。
今、4年生は「アイラブあびこ 写真をもとに手賀沼の良さを伝えよう」、5年生は「推薦しよう我孫子ベスト3」で地域学習を熱心に取り組んでいます。本校が研究している総合的な学習と国語科の教科横断的な単元学習です。子ども達に生きてはたらく表現力を身につけさせたいと思っています。
我孫子第一小学校の子ども達が大人になった時、遠く離れた場所に引っ越したり、社会人になって大都会や外国に住むようになったりすると、今住んでいるこの町を「郷土」「ふるさと」と呼ぶようになることでしょう。
明治時代から大正時代は、北の鎌倉とも呼ばれ手賀沼の畔は理想的な別荘地でした。そのため多くの有名人が我孫子に往来し、文化的交流が盛んでした。
白樺派の文人・小説の神様である志賀直哉
柔道の父・日本体育の父である嘉納治五郎(本校には貴重な本人自筆の書あり)
新聞界の先駆者である杉村楚人冠
野口英世の育ての親である血脇守之助
気象学の父である岡田武松
などの有名人が住んで我孫子の名を世に高めました。
昭和20年代までカモ猟がさかんで、沼の水を使ってみそ汁を作ったりお茶をわかしたりしていました。昭和30年頃には、漁業で生活を立てている人が800人もいた手賀沼。
その後、日本一汚い沼になってしまった手賀沼。・・・・・
しかし、先人達の必死の努力で夏には毎年トライアスロンが行われるようになりました。又、我孫子は人と鳥が共存する町でもあります。日本で唯一の鳥の博物館もあります。本校も地域学習で見学に出かけることもあります。手賀沼の鳥の生態系を知ることで自然環境の実態が分かります。6年生は、20年以上前から毎年バードカービングを制作しています。日本が誇るバードカービング制作の第一人者である内山春雄先生から直接指導を頂いています。
大人になり何か困難にぶつかったり、傷ついたり、大きな悩みがあったりすると人は、「ふるさと」を思い起こすそうです。子ども達にとっての「ふるさと」が素敵な町で良かったと誇りを持てるような我孫子でありたいと心から思います。