ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

7月14日、15日、16日の指定文化財公開

今週末の7月14日、15日、16日には、市内各地で指定無形民俗文化財が公開されます。
年1度の公開となる文化財もございますので、皆様お誘いあわせの上、ぜひ郷土春日部の伝統の舞をご覧ください。

7月14日(土)
20:00~21:30 埼玉県指定無形民俗文化財「やったり踊り」の公開 大畑香取神社(春日部市大畑230)

7月14日(土)~15日(日)
春日部市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」の公開 春日部夏祭り会場

7月15日(日)
13:00~15:00 春日部市指定無形民俗文化財「赤沼の獅子舞」の公開 赤沼神社(春日部市赤沼770)

14:00~16:00 春日部市指定無形民俗文化財「銚子口の獅子舞」の公開 銚子口香取神社(春日部市銚子口551)

7月16日(月・祝)
10:00~15:00 春日部市指定無形民俗文化財「榎の囃子神楽」の公開 榎集会所(春日部市榎522)

「西金野井の獅子舞」子供たちの練習

暑さも日に日に高まる7月9日からは、県無形民俗文化財に指定されている『西金野井の獅子舞』では7月22日(日)の公開に向けて西金野井香取神社での練習が始まりました。
 練習3日目の7月11日、江戸川からの心地よい風が吹く夕暮れにお邪魔しました。午後7時からは南桜井小学校で活動されている「伝統芸能クラブ」の児童に加え、同校卒業生の中学生や高校生、今年、小学校に入学した1年生の総勢20名が大粒の汗を流しながら練習に励みました。

▲クラブ活動ではまだ取り組んでいない演目の「辻切り」の舞も染谷会長の指導により、早くも3日目で三匹獅子の形が完成しつつあります。

▲昨年度までクラブ活動に参加していた卒業生の中学生1年生と新1年生による「芝舞」。1年生の鈴木くんは先輩の所作と保存会員のお父さんの指導を受けながら汗いっぱいに女獅子を舞っていました。近いうちにお父さんとの共演が楽しみです。
女子児童は篠笛を卒業生の中学生や高校生の先輩に導かれ、少しずつ境内に響く音色を発することができるようになりました。
連日、保存会の皆さまの指導と校長先生の暖かい見守りで、当日の披露が楽しみです。
 当日午前10時から午後5時まで神社周辺で公開されますので、ぜひとも郷土春日部の伝統芸能を堪能ください!

風早遺跡の局部磨製石斧『新編図録春日部の歴史』からのご紹介53

西金野井地区にある風早遺跡は、旧石器時代、縄文時代、古墳時代を中心とした遺跡です。埼玉県立庄和高等学校東側の台地上に広がります。

風早遺跡では、「局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)」と呼ばれる、今から約3万年前に使われた市内最古級の石器が発見され、春日部市指定文化財になっています。
この局部磨製石斧は、おおよその形は打ち欠いて作られますが、刃となる部分は、両面から磨いて仕上げられています。長さ7.9㎝、幅4.6㎝、重量49.1gを測り、埼玉県内でも発見例の少ない石斧の一つとなっています。

風早遺跡からは、同じ旧石器時代でも縄文時代に移り変わる約1万5千年前頃に作られた「細石器」も発見されており、旧石器時代の人々が度々、暮らしの場として用いていたことがうかがい知ることができます。
いずれも郷土資料館の常設展示で公開されています。

春日部市の指定文化財「風早遺跡出土旧石器時代局部磨製石斧」
細石器『新編図録春日部の歴史』からのご紹介30
「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ

風早遺跡出土局部磨製石斧

 

富多小学校で「神楽」の授業が行われました

 富多小学校では平成14年から総合的な学習の時間に地域で大切に代々伝承されている「神楽」を学ぶ取り組みが続いています。
 7月4日(水)には市指定無形民俗文化財「榎の囃子神楽」を伝え守っている『榎囃子神楽連』の指導の下、今年度初めて半被や装束を身に着け、3年生と4年生8名がお囃子と大黒舞に取り組みました。


△保存会の小島さんの笛にあわせて大太鼓と締め太鼓によるお囃子も
 順調に仕上がっています

△本番と同じ装束を身にまとい、「大黒舞」の通し練習。
 難しい口上もしっかりと覚えました。
7月16日には榎地区、7月22日には倉常地区での夏祭りでそれぞれ地域に伝わる神楽が公開され、児童による舞も加わります。また、10月11日に開催される「人権のつどい」では、富多小学校の児童の皆さんによる神楽やお囃子がオープニングを飾る予定です。
それまで数演目の練習に取り組み、郷土春日部の伝統の舞がしっかりと伝授されることを期待しています!!

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年7月1日(日)、郷土資料館展示室で 「体験ワークショップ ぶんぶん駒を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぶんぶん駒」を作りました。
自分で選んだ色鉛筆で台紙に色を塗り、ハサミ・のりを使って一生懸命作り、最後は出来上がった駒で”ぶーん・ぶーん”と音を鳴らしながら遊んでいました。

ワークショップ風景

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です♪

ワークショップ風景

 次回ワークショップは、平成30年8月18日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています

粕壁郵便局『新編図録春日部の歴史』からのご紹介52

146年前の明治5年(1872)7月1日、郵便制度が始まり、全国一斉に郵便線路が開設されました。
市域には「東京ー青森間郵便線路」と「松戸ー小山間郵便線路」が通り、粕壁郵便取扱所、西宝珠花郵便取扱所が設置されました。初期の郵便物の運搬は徒歩で行われ、幹線道の一部では馬車輸送が主に担っていました。

明治8年(1875)には、「郵便局」の名称が用いられ、同年には郵便貯金の制度も始まりました。また明治26年(1893)には、粕壁郵便局で電信(電報)の取り扱いが始まりました。
明治32年(1899)年に東武鉄道が北千住ー久喜間に開通すると、これまでの馬車輸送から鉄道輸送へと移行しました。


粕壁局消印のある郵便物『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその5
「郵便制度の始まり」『新編 図録 春日部の歴史』167ページ  
粕壁郵便局
粕壁郵便局 昭和16年(1941)ごろ
『粕壁町誌』粕壁商工会より

虫眼鏡 春日部農産物直売所「はくれん」の伝統の七夕飾りづくり

春日部農産物直売所「はくれん」では、7月1日(日)イベント「はくれん夏祭り」を開催し、このイベントの準備として、会員の方々によるマコモ馬づくりの実演がありましたので、農業振興課と郷土資料館で取材しました。
マコモ馬は、古くから市域の農家で作られてきた、七夕飾りの一種です。
水辺に生えるマコモ(真菰)を刈ってきて、1週間ほど干してから製作します。
写真:まこも
一束のマコモを折り曲げたり、組み合い合わせたりしながら、雄・雌の2頭馬をつくります。雄・雌は、鬣(たてがみ)のつくりが異なります(下の写真は雄)。
写真:造作のようす
はじめに、頭と前足になる部分をつくり、頭に鬣(たてがみ)となるマコモを巻き付け、次に胴体と尾をつくります。胴体から後ろ足になるマコモを出して、最後に「ケショウ」(不要な部分をはさみで整えます)。昔は子どもが作るものだったそうです。
製作をはじめること、40分~50分で完成しました。
2頭の馬を、棒の上に向かい合わせにしてまたがせ、マコモでなった縄で雄・雌を結び付け、飾りつけも完成。
写真:マコモと笹
同じく七夕飾りの笹竹の横に飾られました(ガラス窓の前に飾られています)。
昔の農家では、マコモ馬の前に「シマダイ」と呼ばれるお供え物を置く台を置き、そのうえに小麦饅頭やスイカをお供えしたそうです。
ちょうど「はくれん」で小麦饅頭が販売されていました。
写真:小麦饅頭
皆さんとても手際よくマコモ馬を作られていて、あっという間の50分でした。個人的にはマコモ馬を間近にみたこともなく、マコモ馬づくりをみせていただいたのも初めてのことで、大変貴重なの経験となりました。また、市域の農家の昔の生活や民俗信仰など、さまざまな貴重なお話しもうかがえましたので、郷土資料館で記録させていただき、今後の活動に活用させていただきたいと思います。
実演していただいた皆様、どうもありがとうございました。

7月1日(日)9時30分~14時、「はくれん夏祭り」では、今回作ったマコモ馬もご覧いただけますし、おまけに市内の農産物が10%OFFだそうです。
皆さんも、伝統の七夕飾りをご覧いただき、新鮮な農産物もご賞味いただければと思います。

写真展「昭和の春日部」が開催されています

平成30年7月10日(火)まで、教育センター1階学習情報サロンにおいて、ギャラリー写真展「昭和の春日部」が開催されています。
この写真展は、
生涯学習市民塾「豊かなシニアを過ごすために」の回想法入門講座の併設展示として開催されるもので、郷土資料館でも、回想法のボランティアとしてご協力いただいているふれあい幸齢倶楽部が主催されるものです。
写真:写真展のようす
写真展には、郷土資料館所蔵の市内の古写真が展示されていますので、郷土資料館にお立ち寄りの際にはあわせてご覧いただければとおもいます。また、写真展にお立ち寄りの際は郷土資料館もあわせてご覧ください。
郷土資料館では、古写真のパネルや画像を貸し出していますので、ご興味のある方は気軽にご相談ください。

出張・旅行 【資料の出張】幸松地区公民館「むかしの遊び教室」へ

平成30年6月23日(土)、幸松地区公民館主催の「むかしの遊び教室」に、郷土資料館の資料を貸し出しました。
貸し出したものは、大人の方が少し懐かしいと感じる、おもちゃや身の回りにある道具などです。
参加した幸松地区の子どもたちは、普段は遊ぶことのないカルタやすごろくで遊んだり、今では見かけなくなったダイヤル式の電話や炭火アイロンなどを触ったりして、楽しんでいました。なかでも人気だったのは、かすかべ郷土カルタを活用して製作した
「幸松郷土カルタ双六」でした。
写真:会場のようす
楽しんだのは、子どもたちだけではありません。ボランティアとして道具の使い方の指導にあたられた大人のみなさんも、子どもたちと一緒になって遊んでいらっしゃいました。写真は、参加者の親子とボランティアさんで盛り上がった、郷土カルタのようすです。
写真:会場のようす2
郷土資料館では、学校や高齢者施設向けに昔の道具やおもちゃの貸し出しもしています。学校向けの教材用貸出についてはこちら。ご興味のある方はご相談ください。

不動院頼長書状写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介51

戦国時代、当時盛んだった修験の関東の中心となったのが小田原の玉滝坊(ぎょくろうぼう)と小渕にあった不動院でした。不動院は、文亀年間(1501~1504)に開山され、幸手領に属したことや幸手城主の一色氏(いっしきし)とのつながりから、幸手不動院とも呼ばれました。

今回ご紹介するのは「不動院頼長書状写(ふどういんらいちょうしょじょううつし)」です。
頼長(らいちょう)は、不動院2代目の住職で幸手城主の一色氏から妻を迎えました。
この史料は、頼長が現在の鴻巣市にあった足立郡大行院にあてた書状で、大行院配下の山伏は、年始の行を講じたり、山に修行に入る際は大行院のしきたりに従わせるよう命じたものです。
大行院は、現在のさいたま市浦和区にあった玉林院と、上足立郡、下足立郡の境界をめぐって争いが絶えなかったようです。不動院の本山である京都聖護院門跡(しょうごいんもんせき)の奉行人と連名で、境界争いについては、岩付(いわつき)城主の指示に従うよう命じた文書も伝えられています。


小渕山下北遺跡の漆椀『新編図録 春日部の歴史』からのご紹介11
『武州文書』国立公文書館内閣文庫蔵
「639 不動院頼長書状写」1989『春日部市史 第二巻 古代中世資料編』649ページ

「不動院と修験」『新編 図録 春日部の歴史』66ページ

不動院頼長書状写

中学校の生徒が、郷土資料館を見学しました

平成30年6月22日に、市内の中学校の生徒が郷土資料館を見学しました。
貝塚より発掘された人骨や、竪穴式住居・粕壁宿の模型などを学芸員の説明を聞きながら見て、郷土の歴史や変化を身近に感じていました。
生徒達は、とても熱心にメモを取ったり、疑問に思ったことを色々と質問したりして、だいぶ興味をもってくれたようです。

見学の様子

南桜井小学校伝統芸能クラブの獅子舞練習

6月20日、南桜井小学校「伝統芸能クラブ」の4~6年生(計15名)が、西金野井獅子舞保存会の会長さんらの指導のもと、獅子舞の練習を行いました。伝統芸能クラブの活動は、今年度で8年目を迎えます。
5月に取材した時には、笛の音は弱々しく、バラバラな印象を受けましたが、練習の積み重ねによって笛の音は大きくなり、染谷会長の笛の音色と一つになっていました。また、舞の練習では、足腰の動きの細かい指導があり、7月22日(日)西金野井香取神社で行われる祭礼に向けて一段と練習が進んでいます。西金野井の獅子舞は、県の無形民俗文化財に指定されています。子供たちの練習の成果もお披露目されますので、ぜひ一春日部市の伝統芸能をご覧になってみてください。



     ~大きな笛の音が教室に響きました~


   ~保存会の方の説明を真剣に聴いていました~

当日は、クラブ活動終了後に「市長とわがまち未来トーク」の懇談も行われました。生徒の皆さんは緊張した様子で、市長からの質問に答え、自分が描く春日部と将来の夢を話してくれました。

「やったり踊り」公開に向けて練習に取り組んでいます!

 来月の7月14日(土)には、埼玉県から指定されています、無形民俗文化財の「やったり踊り」が武里駅からほど近い、大畑香取神社で午後8時から公開されます。
 6月17日(日)には小学生1年生から中学生の30名の小若が祭礼当日に舞う『練りこみ(ねりこみ)』、『扇子踊り』、『手踊り』の3曲の練習に取り組みました。本日で5回目の練習ということもあり、上級生は下級生を引っ張り、元気良い掛け声が練習会場の集会所に響きわたりました。低学年の子供たちは踊りの所作の難しさはあるものの、地域の上級生や指導者である若衆と触れ合う貴重な機会にもなっており、何度も繰り返す練習にも真剣に向き合う様は見学されていたお父さんやお母さんにとっても嬉しい光景にもなっていました(教育委員会の担当にとってもまさに感動!!)。

今年も郷土の伝統の舞が、こうした練習の積み重ねによって確実に伝承されておりますので、ぜひ、1年に一度の祭礼の機会に郷土の伝統芸能をご堪能してみてください。
扇子踊り
 ▲上半身を後ろへ反らし「ヤッタリナー」の掛け声が特徴的な「扇子踊り」。
手踊り
 ▲哀愁的な唱と囃子による「手踊り」。埼玉県でも数少ない『念仏踊り』の一つに位置づけられています。


宝珠花大凧宣伝のチラシ『新編図録春日部の歴史』からのご紹介50

今年の宝珠花の大凧上げは、天候不良のために5月3日は残念ながら中止となりましたが、5月5日には下若組の「平成」、上若組の「感謝」がともに大空に舞い上がりました。

今回ご紹介するのは、大正15年(1926)から昭和8年(1933)ごろに配られた大凧を宣伝するチラシです。
まず目を引くのは一番右に書いてある実施日が「6月5日、6日」になっています。現在と違い、昭和29年(1954)以前は旧暦5月5日の「旧端午の節句(きゅうたんごのせっく)」に近い、6月に凧上げが行われていました。ちなみに平成30年の「旧端午の節句」は、6月18日です。

チラシでは他に、凧の大きさや会場までの鉄道や乗合自動車の運賃なども記されています。
凧の大きさは、『世界無比』といったタイトルがつけられ、長さ8間(約14.4m)、幅6間半(約11.7m)、重量200貫(約750㎏)で、現在の大きさとほぼ変わりません。
また交通運賃は、浅草雷門から粕壁駅(現春日部駅)までの鉄道運賃が1円20銭、粕壁駅から宝珠花までの乗合自動車運賃が30銭、往復で50銭と、往復利用で割安となっていたようです。

大正15年には、このようなチラシ10,000枚とポスター500枚を用意し、東京市(現東京都)、千葉県、茨城県、栃木県などへ2班の自動車隊を編成し、配布したという記録が残っています。


『埼玉県の大凧揚げ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧揚げ』1993 庄和町教育委員会
『埼玉県の大凧揚げ習俗写真・資料集ー庄和町西宝珠花の大凧揚げ』1994 庄和町教育委員会
「祭礼と芸能」『新編 図録 春日部の歴史』114ページ

宝珠花大凧上げのチラシ

興奮・ヤッター! (7月8日まで)春日部市郷土資料館の企画展示

本日、文化財マップ講座(宝珠花編)(主催:かすかべ案内人の会)があり、講座の途中に現在開催中の企画展示の資料解説が行われました。
受講者のみなさんで展示室がごった返しました。

写真:展示室の様子1

写真:展示室の様子2

講師の学芸員により、展示資料のうち、西宝珠花にゆかりのあるものについて説明がありました。西宝珠花関係では「西宝珠花の回漕店の半てん」や県内でも珍しい江戸川に架かる船橋「宝橋」の関係資料が陳列しています。
受講者のみなさん、現物を目の前にして真剣に解説を聞いていらっしゃいました。

そんな「近代の交通・流通」展、会期は7月8日(日)まで。同展では、近代に登場した鉄道をはじめ、舟運や陸運の歴史について紹介しています。
7月7日(土)には解説講座「春日部の舟運」も開催します(詳細は広報誌で)。
こちらもあわせて、お見逃しなく。

塚崎遺跡のカマド『新編図録春日部の歴史』からのご紹介49

春日部市の北東部、塚崎地区にある塚崎遺跡は、古墳時代後期から奈良時代(今から1500~1200年前ころ)にかけてのムラが発掘されています。
この時代の住まいである竪穴住居には、”カマド”と呼ばれる、調理を行う施設が設けられています。カマドは、住居の壁に接した部分に粘土などをドーム状に押し固め、火を焚く部分を作り、ドームの天井部分に調理器具である甕(かめ)を設置する穴があけられます。
カマドをもつ住居跡の発掘調査では、甕を設置する天井部分を左右から支える袖(そで)という部分がよく残っている場合があります。

平成19年度の調査では、現在の茨城県などを中心に製作、使用された常陸型甕(ひたちがたかめ)を袖を支える芯材(しんざい)として使用したカマドが発見されました。
市内では、宝珠花地区をはじめとした市の東部に所在する遺跡で常陸型甕が比較的多く用いられていたようで、当時の人々が、茨城県方面の人々と交流をもっていたことがわかります。
さらに、塚崎遺跡で発見されたカマドの芯材に常陸型甕を使用している事例は、住居施設の資材として使われるほど、常陸型甕が日常にとけこんでいたことを示すものです。

「古墳時代の生活と文化」『新編 図録 春日部の歴史』30ページ

塚崎遺跡のカマド
塚崎遺跡で発見されたカマド
袖の粘土を除去すると、常陸型甕が左右2個体ずつ口を下に設置されていた

カマドから発見された常陸型甕
カマドから発見された常陸型甕
袖に使われた4個体の他に、調理に使われたと思われるものが1個体発見された

了解 いろいろぷちリニューアル。春日部市郷土資料館常設展。

季節の移り変わりとともに、こまめに展示替している季節展示。
季節展示だけじゃありません。
このたび、常設展をいろいろぷちリニューアルしましたので、まとめて紹介します。

【その1】来館記念スタンプを一新。
長らく愛されてきた、竪穴住居、駕籠のスタンプ。
愛されすぎて、摩滅してきましたので、図柄を一新。
資料館のシンボルの花積貝塚の竪穴住居、宿場町を象徴する国登録文化財の浜島家住宅土蔵をモチーフにした図柄にしてみました。
ぜひ、おしてみてください。

画像:スタンプ見本


【その2】江戸川の開削のパネルを追加。
江戸時代以降の市域の交通や流通の歴史、開発の歴史を考えるうえで重要な江戸川の開削について、展示パネルを追加しました。
奥まった場所にあるので、探してみてください。

写真:江戸川の開削パネル

【その3】DVDが見られるようになりました。
市域の歴史を紹介する映像を鑑賞していただくスペースがありますが、映像の上映はVHSビデオで再生してきました。今となっては古い機材なので、見学にきた小学生から「これはいつの時代の機械ですか?」と聞かれることもあります。
このたび、DVDプレーヤーを導入しましたので、神明貝塚の紹介動画(youtubeで公開)や庄和地区の歴史散歩(視聴覚センターで小学校向けに制作した映像)を上映できることになりました。ぜひ、ご観覧ください。

画像:神明貝塚DVDパッケージ

なお、6月の郷土資料館は、毎週月曜と、建物の設備点検のため
6/16(土)が休館となりますので、ご注意ください。

手作り季節展示を展示してます

雨の日が多くなる季節になってきました。
アジサイや蛙などを眺めながら、季節の移り変わりを郷土資料館で
感じてみませんか?

季節展示あじさい

なお、6月の郷土資料館は、毎週月曜と、建物の設備点検のため
6/16(土)が休館となりますので、ご注意ください。

母子健康センターの開設『新編図録春日部の歴史』48

58年前の昭和35年(1960)6月1日、当時県内で4ヶ所目となる母子健康センター(庄和保健センター)が開設されました。庄和地域では乳幼児の健康維持が課題となっており、この施設の開設にあたっては庄和村議会などで紆余曲折がありましたが、当時の庄和村長、島田正八郎氏の強い要望もあり開設が実現しました。

母子健康センターで行われた事業は、妊婦健診、乳幼児健診、栄養学級、衛生教育、家族計画指導、母親学級などでした。
開設当初の利用者は、年間約50人でしたが、昭和39年(1964)には約200人まで増えました。

開設を伝える埼玉新聞の記事によれば、母子健康センターは、「産気づいたらハダシのまま、何の用意もなくかけ込めばよい」、「妊娠、分べん、育児をする女性たちのオアシス」と紹介されています。

「埼玉新聞」昭和35年6月1日
「保健衛生の改善」『新編 図録 春日部の歴史』254ページ

母子健康センター
母子健康センター(昭和40年ごろ)

市ゆかりの文化人 加藤楸邨『新編図録春日部の歴史』からのご紹介47

著名な俳人、加藤楸邨(かとうしゅうそん)は、明治38年(1905)5月26日、東京で生まれました。そして昭和4年(1929)春、東京高等師範学校を卒業後、粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)に赴任(ふにん)しました。
粕壁中学校時代、同僚教員のすすめで俳句を始め、月2回粕壁医院に診察に来ていた医師であり俳人の水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)に師事しました。

「棉(わた)の実を摘(つま)みゐてうたふこともなし」に代表される粕壁中学校時代に詠まれた多くの句は、昭和14年(1939)に刊行された句集『寒雷』(かんらい)に「古利根抄」としておさめられています。

「市ゆかりの文化人」『新編 図録 春日部の歴史』214ページ
郷土資料館来館時の加藤楸邨氏
郷土資料館来館時の加藤楸邨氏(平成3年)

加藤楸邨氏直筆の色紙
楸邨氏直筆の「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」色紙

お知らせ 常設展示に新コーナー新パネルを設置

展示室の奥にある扉。なんとなく暗くて、奥まっていて、来館者のみなさんにはなじみ深いものではありません。
そこで、マグネットでパネルを貼り付け、「春日部壁展示」のコーナーを新設しました。
壁展示
「このコーナーでは、資料館の壁(かべ)の空きスペースを利用して、春日部市内の古写真や、歴史・文化・自然のちょっとした小ネタ、資料館のイベント、指定文化財の紹介などを掲示・展示・紹介します」
厳密には、壁でなく扉ですが、駄洒落を言いたくてこの名前にしました。
適宜、パネルを入れ替えますので、お楽しみに。

ついでに。入口付近のパネルも入れ替えました。
写真:春日部の地形
新たなパネルでは「春日部の地形」について紹介しています。
こちらもあわせてご覧ください。

古文書解読勉強会の成果(その6)

去る5月19日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
写真:勉強会の風景
引き続き、市内の神間地区に伝わった神間村文書(館蔵)を解読しています。
次回は、6月30日(土)14時~16時。教育センター4階にて、以前に配布した神間村文書の史料番号№40、№49を解読する予定です。

【史料番号14】
   差上申詫書一札之事
此度私身上困窮ニおよび御年貢ハ不及申ニ諸払方ニ

差詰、無拠本家一同相談之上借金方江我等家持田地方

質物ニ差出し候処、御組合衆中ニ而夫々金主方江

御詫入引請被成下候処、右家田地売払申義不便ニ

御思召有之、本家りい方右地所家財共買置呉候様

又ハ本家組合出金致呉候歟、両様ニも御懸合

被成下候処、同人方ニ而一円取敢不申、無拠

組合一同相談之上御知行所取締之方迄伺

之上、有夫之家田地売払配分之趣ニ相成候処、此

節ニ至り、本家当人申合之上勝手合申出候処、

御組合一同より厚御利解御申被聞、一言返答無御座候、

依之同村名主源蔵殿唯々取縋歎相頼、厚御詫申入

候処、早速御聞済被成下忝存候、以来右躰

不埒之儀ハ堅相慎、此以後御組合御世話被成下候、右儀催促之儀ニ付而は

何様之御取斗ニ御座候共一言之儀申上間敷候、

依之為後日詫書差入申処如件

            当人

            本家

写真:神間村文書14
【ひとことメモ】
この史料は詫証文(わびしょうもん)といわれる種類の文書で、甲のある行為により乙が被害を受けたとき、甲が乙へ謝罪の意を表すために提出した文書である。下書であるため、いつ作成されたのか、差出の「当人」が誰なのか、宛所は誰なのかが判然とせず、文面も書き直されており意味は取りにくい。困窮のため経営が傾いた「当人」が「金主方」に田地を質に入れたところ、「当人」の組合の者が不憫に思い、「当人」の本家りい方に買い戻しを掛け合ったが、取り計らってもらえなかった。組合では、知行所(旗本の役所)にも伺ったりもしたが、最終的に名主源蔵に(金主方と当人との間を?)調停をしてもらった。この証文では、今後「不埒」な行いを慎むとしているので、「当人」は日頃の悪い素行によって田地を失ってしまったのかもしれない。

【史料番号22】
   入置申替地議定証文之事

一、別紙本書証文之質地此度御請戻しニ相成候ニ付、

 右地内に有之候我等居宅鋪何程之場所年来

 住来候義ニ付、拝借致し度相願候処、格別之御慈悲

 を以御相談御聞済被下忝存候、然ル上は替地

 として右畝歩丈之外地所貴殿江相渡し置申候、

 若向後何ヶ年過候とも右御地所御入用之節は

 早速相戻、預ケ置御地所御請取可申御約

 談、少も相違有之間鋪候、為後日組合

 請印証文入置申候処、仍而如件

  弘化四未年  下総国葛飾郡

    十二月     神間村

             久左衛門

            同村 請人

             源次郎

        同国同郡同村

          源太郎殿
写真:神間村文書22
(ひとことメモ)
神間村の源太郎は代金を支払って質地を取り戻した。同村の久左衛門は源太郎が取り戻した土地に屋敷を構え、長く暮らしていたので、その土地を源太郎から拝借することになった。この文書は、久左衛門が拝借する土地の代替地を、源太郎に預けることを契約したもの。冒頭に「別紙本書証文」とあるので、証文本紙の添付書類(添え証文)だったとみられる。

星 夏季展示の予告

平成30年8月4日(土)~9月16日(日)に「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展を開催します。
写真:空からみた神明貝塚
神明貝塚(しんめいかいづか)は市内西親野井に位置する、3800年前の縄文時代の貝塚です。市では、この神明貝塚を後世へ伝えていくため、平成21年度から8年にわたり調査を実施しました。
写真でみるように、馬の蹄(ひづめ)のような形で貝がらや動物の骨が分布しています(写真は加工してあります)。
本展示会は、発掘された土器や装身具、人骨などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
ただいま、埋蔵文化財担当の学芸員さんが、絶賛準備中です。お楽しみに。
夏季展示(第59回)「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展

展示会概要


発見された縄文人の女性。右手首に腕輪を、右耳に耳飾りをしていました

市北東部の西親野井地区には、3,800年前につくられた縄文人のムラの跡である「神明(しんめい)貝塚」があります。
市では、この神明(しんめい)貝塚を末永く、後世へと伝えていくため、平成21年度から8年にわたり、調査を実施しました。その結果、神明(しんめい)貝塚は、クリやクルミなどの植物を盛んに利用した内陸的な貝塚として、縄文文化の多様性を示す貴重な遺跡であることが分かりました。また、腕輪や耳飾をつけた縄文人の骨や、貴重なヒスイの玉などが発見されています。
本展示会は、発掘調査の写真や発見された土器や装身具、人骨、動植物遺体などを展示し、最新の調査成果をもとに、神明(しんめい)貝塚に暮らした縄文人の生活や文化、当時のムラの様子などを紹介します。
この夏は、郷土資料館で、3,800年前の先人の暮らしをのぞいてみませんか。


神明(しんめい)貝塚の土器

会期

平成30年8月4日(土曜日)~9月16日(日曜日)
月曜日・祝日休館

会場

郷土資料館 企画展示室
(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)

南桜井小学校「伝統芸能クラブ」が始まりました

5月16日、南桜井小学校では今年度のクラブ活動が本格的に始動しました。「伝統芸能クラブ」では4年生~6年生まで計15名(男子4名・女子11名)の生徒さんたちが、西金野井獅子舞保存会の染谷会長他2名の指導のもと練習に励みました。7月22日の獅子舞の公開や2月のクラブ発表会に一年間で習得した舞が披露されます。


◆女子は囃子役に。まずは指の動きをレクチャー。


◆保存会の鈴木さんの指の動きをじっくりと観察!すんだ音色が教室中に響きました。


◆男子4名は染谷会長の笛に合わせて『芝舞』の練習。年間20回ほどの練習の積み重ねで例年「芝舞」を舞うことができるようになります。

本年も保存会のみなさま、ご指導よろしくお願いします。

貝の内遺跡出土の瓦と出土状況『新編図録春日部の歴史』からのご紹介46

西宝珠花(にしほうしゅばな)の宝珠花小学校周辺にひろがる貝の内遺跡では、下総国分寺軒平瓦(しもうさこくぶんじのきひらがわら)が出土し、春日部市有形文化財に指定されています。

瓦は、竪穴住居跡で煮炊きを行うカマドから発見され、長さ38.5㎝、重さ4.9㎏を測ります。軒平瓦は、屋根の一番下の軒(のき)の部分に、瓦の一辺が見えるように葺(ふ)かれますが、その部分に宝相華文(ほうそうげもん)と呼ばれる特徴的な模様がみられます。
この模様は、現在の千葉県市川市に奈良・平安時代に存在した下総国分寺の建物に使われた瓦と同じ文様で、文様を付けるために使用されている范型(はんがた)が下総国分寺で見つかっているものと共通します。

この瓦は、奈良・平安時代、貝の内遺跡と約40㎞離れた下総国分寺との間につながりがあったことを物語る貴重なで資料です。

「国分寺の造営と貝の内遺跡」『新編 図録 春日部の歴史』36ページ

貝の内遺跡出土の下総国分寺瓦
貝の内遺跡出土の下総国分寺瓦

瓦の出土状況
出土状況(文様部分を上にして縦に設置されている)

旧庄和村役場『新編図録春日部の歴史』からのご紹介45

今からさかのぼること59年前の昭和34年(1959)5月10日、新しい庄和村役場で業務が開始されました。

庄和村は昭和29年(1954)7月1日、川辺村、南桜井村、富多村、宝珠花村の四村が合併して、人口14,725人をもって誕生しました。新村名の「庄和村」は「古来庄内領と称していたので、庄内領の一致和合、将来の発展を望む」として決定しました。

新しい役場は木造洋式2階建てで、正面中央に庄和村章を掲げました。新役場ができる前は、下柳にあった旧南桜井役場を役場として使用していました。

新しい役場で業務を開始した5年後の昭和39年(1964)、庄和村は町制施行し、庄和町となりました。

昭和の大合併」『新編 図録 春日部の歴史』250ページ

旧庄和村役場
旧庄和村役場(撮影年不詳)

庄和村章
庄和村章

武里大枝公民館に手作りジオラマを展示しました

本日、武里大枝公民館に手作りの粕壁宿ペーパークラフトを展示しました。一昨年度から各地の公民館を巡回して展示しているジオラマです。

写真:大枝公民館の展示風景

手づくりの粕壁宿模型は、粕壁宿再現プロジェクトに参加した子どもたちが造ったペーパークラフト模型をもとに、江戸時代の粕壁宿の町並みを復元したジオラマです。
模型の詳しい解説については、
「ペーパークラフトでめぐる粕壁宿」(郷土資料館ホームページ)をご覧下さい。

「粕壁宿の模型?武里・大枝には関係ないや」っと思った方、そんなことありません。
当時、公用の通行などで宿場町で提供する人馬が不足すると、周辺の農村に人馬の提供が求められていました。宿場町に人馬を提供する村を助郷(すけごう)といいます。
武里地区の村々、具体的にいえば、一ノ割・備後・薄谷・中野・大場・大畑・大枝村は延宝8年(1680)に粕壁宿の「大助」(大助郷:臨時に動員された助郷)でしたし、享保8年(1723)には一ノ割・備後・薄谷・中野・大場村が定助郷(じょうすけごう)に指定されていました(『春日部市史通史編Ⅰ』570~571頁)。助郷の村から動員された人馬は、宿場町の問屋場というところに集められ、隣の宿場町まで人や荷物を運びました。
粕壁宿の問屋場は、現在の埼玉りそな銀行のあたりあったといわれています。手作りのジオラマには馬が放牧されています。

写真:問屋場
江戸時代、武里・大枝から問屋場に向かった先人たちに思いをはせて、ぜひ手作りジオラマをご覧いただければと思います。7月上旬まで展示予定です。

小淵山観音院で円空仏祭が開催されております

 前夜からの荒天から風雨が静まった5月3日、小淵山観音院では埼玉県有形文化財である「小渕観音院円空仏群」の公開が始まりました。
 境内には市民ボランティアの皆様によるカフェの出店のほか、円空仏の案内コーナーが設けられ、円空や作像された作品についてお答えしております。3日の午後1時からは県内外の修験寺院による護摩焚きも行われ、本堂では”円空”の空間がよみがえりました。
 

 ▲新緑に覆われた境内には五月の爽やかな風が吹き抜けています。

▲円空仏が公開されている本堂。護摩焚きと共に時空を超えた円空が造像した江戸時代に時がさかのぼったような静寂に包まれました。

▲市民ボランティアの皆様による”円空仏”に関する案内コーナーもあります。親切・丁寧に解説していただけます。
円空仏の公開は6日まで行われます。
年1度の貴重な機会ですので、是非とも足を運んでみてはいかがでしょうか!

ゴールデンウィーク中の指定文化財公開

このゴールデンウィーク中、春日部市内では、『牛島のフジ』や、『大凧あげ祭り』、『小淵山観音院の円空仏』と各種の文化遺産が続々公開されます。
郷土の宝の見学に出かけみてはいかがでしょうか。

藤花園の開園
「牛島のフジ」国指定特別天然記念物)
日時:
平成30年4月14日(土)~5月6日(日)8:00~18:00 
場所:藤花園(春日部市牛島786)
入園料:
大人1,000円 、子供500円(4歳以上小学生まで)
詳細は下記ページをご覧ください。
藤花園サイト
 
大凧あげ祭り
「宝珠花大凧揚げ」春日部市指定無形民俗文化財・国選択無形民俗文化財)
日時:平成30年5月3日(木)、5日(土)
場所:西宝珠花江戸川河川敷
大凧は3日、5日とも午後2時ごろにあげられます。
詳細は下記ページをご覧ください。
大凧あげ祭り(春日部市公式サイト)

円空仏祭
「小渕観音院円空仏群埼玉県指定有形文化財)
「小渕山観音院仁王門」(春日部市指定文化財)
日時:平成30年5月3日(木)~6日(日)10:00~17:00
場所:小淵山観音院(春日部市小渕1634)
拝観料:500円(お1人様1日限り、中学生以下無料)
詳細は下記ページをご覧ください。
小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開(春日部市公式サイト)
観音院公式サイト

古文書解読勉強会の成果(その5)

平成30年4月14日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
引き続き、郷土資料館所蔵の神間村文書を解読しました。
次回は、5月19日(土)14時~16時(場所:視聴覚センター4階研修室1)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。
※前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご参照ください。

 【史料番号3】

   米借用一札之事

 一、米 六俵   但し 四斗入

     両ニ 八斗七升五合がへ
右は摏米ニ御無心借用仕、慥ニ請取申所

実正ニ御座候、然上ハ月五合のべ之勘定を

以当十一月ニ相成候ハヽ右米代金無相違

不残御勘定仕候、為念米借用一札入置申所

仍而如件
  嘉永二酉ノ年

    閏四月    宝珠花村

              釜屋次兵衛(印墨抹消)
(後筆)「不用書」

         神間村

            源兵衛殿

神間村文書3
(ひとことメモ)
本史料は宝珠花の商人釜屋次兵衛が神間村源兵衛に搗米(つきごめ・白米)6俵を借用した証文。ひと月に五合の利息を加え、十一月に米の代金(1両につき白米8斗7升5合の相場)を返済すると契約している。おそらく返済を終え、この証文は失効したため釜屋次兵衛の印が墨で抹消され、後筆で「不用書」と記したものとみられる。

 

  【史料番号5】

   当辰御年貢米永皆済目録
一、米七拾五俵五合三勺九才  但し四斗入

   内

   米弐俵         名主給米被下候

   同三斗弐升      人足扶持被下候

   同壱斗六升八勺   堀式引

   同壱俵         大豆代米

 〆米四俵八升八勺

残而

   米七拾俵三斗弐升四合五勺九才

    此内

     米拾三俵弐斗   源兵衛御扶持高被下候

 残米

   五拾七俵壱斗壱升九合壱勺九才

           両九斗五升かへ

   此永弐拾四貫百弐拾五文四分

   畑方

一、永九貫九百七拾六文壱分

一、同五百文        大豆弐俵之

                  代両石六斗かへ

一、同七百九拾文     夫給金

一、鐚壱貫八拾文     竹莚縄之代

     此永百六拾四文七分  
右は当辰御年貢米永小物成共、書面

之通り御上納仕候所相違無御座候以上


                 葛飾郡神間村

天保三年辰閏十一月      名主 山崎源兵衛㊞

 能勢十次郎様御内

       御役人中様

 

(裏書)

「表書之通相違無之もの也

  能十(朱印・印文「福徳」)」
神間村文書5
(ひとことメモ)
神間村のうち、旗本能勢氏の知行所の分の、天保3年(1832)の年貢皆済目録。年貢皆済目録とは、一般に、江戸時代、村方が年貢を完納した際に領主側が出す年貢の領収書をいうが、本史料からは、旗本能勢氏知行所では、村の名主が能勢氏の役所に年貢の上納を報告し、これを受けて旗本能勢十次郎が自ら「皆済目録」の裏面に署名捺印をして、名主あてに返却し、年貢完納の証明としたことがわかる。裏書の能勢氏の印は、江戸時代には特に高貴な身分の者しか用いれなかったとされる朱印であり、珍しい事例と思われる。
神間村文書5裏書

お知らせ 牛島のフジのゆかりの歴史的な資料を展示しています

藤の花が見ごろな季節となりました。そして、4月22日(日)は第37回「春日部藤まつり」。
藤は春日部市のシンボルとして親しまれています。藤の花が春日部の象徴となったのは、市内幸松地区にある国の特別天然記念物「牛島のフジ」が伝統的な観光地だったためです。
郷土資料館では、藤の花が見ごろなこの季節に合わせまして、常設展示の一部を展示替し、牛島のフジゆかりの歴史的な資料を展示しています。

春日部が観光地となり、町がどうかわっていったのか、どのような人が訪れたのか、については絶賛開催中の
春季展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展で紹介しています。
牛島のフジの古写真は、郷土資料館HPのかすかべデジタル写真館でもご覧になれます。
あわせてお楽しみください。

手作り季節展示を展示してます

手作りの可愛らしい兜や、鯉のぼりなど
端午の節句をテーマとした季節展示を展示中です。
皆さま、ぜひご来館ください。

なお、郷土資料館は、毎週月曜と、祝日の4月29日(日)と5月3日(木)から5日(土)まで休館となりますので、ご注意ください。

季節展示

観音院の円空仏『新編図録春日部の歴史』からのご紹介44

春日部市内では、江戸時代の修験僧、円空が彫った円空仏が22体確認されています。これらは、円空が日光道中や日光御成道(にっこうおなりみち)を使って旅をした際に、彫ったものといわれています。

このうち小渕の観音院には、7体の円空仏が伝わっています。

円空仏の聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)は、高さ194㎝と円空仏の中でも大きく、円空の神髄ともいえる”ほほえみ”の表情が特徴的です。

観音院の円空仏7体は、5月3日~6日に行われる円空仏祭で公開されます。年一度の限られた機会ですのでぜひご来場いただき、円空の大胆な彫りの芸術をご堪能ください。

<円空仏祭>
開催日時:平成30年5月3日(祝日)~6日(日曜日) 午前10時~午後5時
開催場所:小淵山正賢寺観音院(春日部市小渕1634)
交通機関:東武伊勢崎線(スカイツリーライン)「春日部駅」「北春日部駅」東口からいずれも徒歩約20分
費用:500円(拝観料)

春日部市公式サイトイベントカレンダー「小淵山観音院仁王門と円空仏群の公開」
小淵山観音院公式サイト

「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ

聖観音立像
聖観音立像(観音院提供・前田邦臣氏撮影)

国特別天然記念物「牛島のフジ」の公開が始まりました

 市内の文化遺産の中で唯一、「特別」が冠される国天然記念物である『牛島のフジ』の公開が4月14日(土)から始まりました。
例年、薄紫色の壮大なカーテンを演出する古木は樹齢1200年を超すといわれ、フジでは国内唯一の特別天然記念物として昭和30年に国指定となりました。
4月18日(水)にはフジの生育を祈願する「鎮花祭(ちんかさい)」が太く絡み合う古木の根元で行われました。

また、古くから幾多の文化人がフジの開花にあわせて足を運んでおり、詩人三好達治が「牛島古藤花」という詩を残しています。

▲明治44年の消印が押された絵葉書からは春の名所であることがわかります。

根元周囲は4メートル余り、藤棚は600平方メートルにもおよぶ国内最大級に加え、可憐な花房から漂う甘美な香りが園内を包んでおりますので、国を代表する天然記念物を間近に楽しんでみてはいかがでしょうか。

▲4月18日の園内の様子

藤花園の詳細・アクセスは
http://www.ushijimanofuji.co.jp/forecast.html#02ja

春季展示初日。展示資料を少し紹介

本日、4月17日(火)より春季企画展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」がはじまりました。
本展示会は交通・流通に関する収蔵品や市域に伝来する貴重な資料を展示し、近代の交通・流通の歴史を紹介するものです。それほど広くない展示室ですが、実物資料101点、写真や図など53点の計154点が並びました。
今回は、展示資料のなかから、展示会の見どころともなる、貴重な資料を紹介させていただきます。
まずは、荷札です。
写真:荷札
大正~昭和初期に西金野井の河岸場(かしば)で使われていたものです。西金野井は、江戸時代以来の河岸場として賑わった地域であり、明治時代以降には蒸気船が停泊しました。この荷札は、蒸気船で東京の青果市場などに発送された白菜や甘藷苗(サツマイモの苗)などに付けられたのでしょう。荷札は大量にあり、河岸に周辺の農産物が大量に集荷されたことがうかがえます。

次に、桃の出荷用の木箱です。
写真:桃の木箱
詳しい伝来はわかりませんが、豊野地区の藤塚で昭和30年ごろに使われていたものと考えられます。河畔砂丘という内陸性の砂丘が分布する藤塚では、古くから果樹園があり、桃を栽培していました。高度経済成長期になると、道路の舗装やトラックの普及があって、東京の中央卸売市場に出荷されるようになります。この木箱は、東京に出荷された桃を梱包したもので、市域の交通・流通の歴史の一端を物語る貴重な資料といえます。古写真もあるので合わせてご覧ください。
写真:昭和37年藤塚の桃の出荷風景
普段は藤塚小学校の郷土資料室で展示しているものなのですが、とても珍しいものなので展示させていただきました。

このほかにも、現在では想像もつかない、失われつつある市域の交通・流通の歴史の一コマを紹介しています。春日部の新たな一面を発見できるかもしれません。
7月8日(日)まで開催しておりますので、ぜひご覧ください。

不動院野の神楽が公開されました

4月15日(日)に東不動院野の大杉神社の祭礼にあわせて、市指定無形民俗文化財『不動院野の神楽』が公開されました。
午前中には地区内の五穀豊穣、無病息災を祈願する「辻切り」が6箇所でお神輿と獅子舞の奉納が行われました。

午後はあいにくの降雨により、地区集会場で神楽が公開されました。お囃子では保存会の皆さんが指導されている地元幸松小学校の児童や中学生による堂々とした笛や太鼓の演奏が披露され、大きな拍手をいただきました。

神楽では五穀豊穣・家内安全を祈願する「大黒様」、そして保存会の見事な掛け合いで会場を楽しませていただいた「大江山」の2演目が公開されました。

不動院野の神楽は、地元のこの春例祭のほか、春日部夏祭りでもみることができます。郷土の文化遺産を間近に感じることができる貴重な機会ですので、ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。

4月15日(日)不動院野の神楽が公開されます

茨城県稲敷市(いなしきし)にある大杉神社は「あんばさま」と呼ばれ、現在、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。江戸時代、船を守る神、また疱瘡(ほうそう・天然痘:てんねんとう)から人々を守る神として信仰されました。

不動院野の大杉神社は、江戸時代に稲敷市の大杉神社から勧請(かんじょう)された神社です。不動院野の神楽も、この時に同時に伝えられたと考えられており、「三番叟(さんばそう)」や「種蒔(たねまき)」などの曲目が継承されています。

不動院野の神楽は、毎年4月15日に近い日曜日に地元の大杉神社の祭礼の際に奉納されるほか、7月に開催される春日部夏まつりの際に山車(だし))の上でも奉納されます。

開催日時:平成30年4月15日 (日曜日) 午前9時~地区内で辻切り、午後1時30分~境内舞台で神楽の奉納が行われます(雨天時は集会所内で公開されます)。


開催場所:大杉神社(東不動院野集会所・春日部市不動院野615番地)


【交通機関】
最寄の公共交通機関はありません
国道16号バイパス八丁目(東)交差点を西宝珠花方面に折れ、埼葛広域農道との交差点にある1つ目の信号を杉戸方面へ、400メートル程度進むと左手に集会所あり


不動院野の神楽


筆子塚『新編図録春日部の歴史』からのご紹介43

江戸時代、人々は生活や生業のために、文字や計算を学びました。学ぼうとする人々の存在は、学んだ人たちが亡くなった師匠のために建てた筆子塚(ふでこづか/筆子塔:ふでことう)とよばれる石造物から確認できます。
筆子塚は、寺社や墓地などにおかれ、「筆子中」や「筆子三十人」といった銘文や、時にはその師匠の経歴も書かれています。
市域には、下柳に所在する薬師堂の明和二年(1765)のものをはじめ、約20基の筆子塚が確認できます。地域別では粕壁宿が7基と多く、他に、中曽根、大衾、椚、米島、金崎、西宝珠花、永沼、木崎などの地域に所在しています。

「学び」『新編 図録 春日部の歴史』118ページ
筆子塚
下柳 薬師堂の筆子塚(明和2年)

4月1日(日)圓福寺所蔵の市指定有形文化財が公開されます

4月1日(日)一ノ割の圓福寺では『圓福寺まつり』が開催され、曼陀羅堂内に所蔵されている市指定有形文化財の年1回の公開が併せて行われます。

圓福寺(えんぷくじ)には、江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)に光世上人(こうせいしょうにん)が作成した木彫当麻曼陀羅図(もくちょうたいままんだらず)、釈迦涅槃図(しゃかねはんず)、閻魔王宮(えんまおうきゅう)ならびに八大地獄図(はちだいじごくず)が伝えられています。
一般的に曼陀羅図は絵画によるものが多く、本例のように木彫りで立体的な曼陀羅図は、非常に珍しいものです。大きさは、縦287.85㎝、横242.4㎝と大型です。共に伝えられている版木(はんぎ)には、光世上人が2~6年をかけて、これら仏教美術の大作を作成したことが記録されています。

開催日時:平成30年4月1日(日曜日) 午前10時~午後3時(雨天決行)
開催場所:圓福寺(えんぷくじ・春日部市一ノ割一丁目30番17号)
交通機関
東武伊勢崎線(スカイツリーライン)一ノ割駅下車、踏切または地下道を渡り、徒歩5分
(一ノ割駅の改札は東口のみ、圓福寺は駅の西側になります)

圓福寺サイト

【厨子入木彫当麻曼陀羅図】
  

急ぎ 「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」展、目下準備中です

江戸時代の春日部は、日光道中の宿場町粕壁、江戸川の河岸場西宝珠花・西金野井が交通の要衝地、地域流通の結節点としてにぎわっていきました。次回の展示会「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」では、近現代の交通・流通をテーマに、収蔵資料を中心に展示して、春日部市や周辺地域の街道・鉄道・舟運の歴史について紹介します。

目下準備中ですが、特に展示担当者がこだわり、重点をおきたいのは、舟運の歴史です。技術革新にともない近代に登場した鉄道や自動車におされて、衰退していったといわれる舟運業。ファンが多く、華やかな鉄道の歴史に対して、近代の歴史のなかではなかなか光が当てられません。
今回は、収蔵資料の西金野井の河岸問屋の資料を再検証して、新たに見えてきた近代の舟運業の実態から、市域や周辺地域の農産業・手工業などについても考えてみたいと思っています。西金野井は西宝珠花とともに、蒸気船通運丸が停泊する「汽船宿」でした。では、西金野井では蒸気船でどこに、どんなもの、どれほどを運んでいたのでしょうか。実は、最近、蒸気船で運搬していたものがわかる新たな史料を見出しました!準備しながら担当者も新たな発見にワクワクしています。詳細は下記の展示会で。お楽しみに。

展示会名:春季企画展示(第58回)「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」
会期:平成30年4月17日(火曜日)~7月8日(日曜日)、月曜日・祝日休館
会場:郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)
観覧料:無料
展示会ポスター

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年3月24日(土)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。
電気を使わず再生する蓄音機の、やわらかく温かみのある音を楽しみ、自分で作ったおもちゃで嬉しそうに遊んでいました。

ワークショップ風景

ワークショップ風景

郷土資料館の体験ワークショップは、平成30年度にも開催する予定です。申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。どうぞ、お気軽にご参加ください。

3月28日(水)埼玉県指定有形文化財「板石塔婆」が公開されます

3月28日(水)、西親野井の大王寺別院では、埼玉県指定有形文化財の「板石塔婆(いたいしとうば)」が公開されます。

大王寺別院(だいおうじべついん) の板石塔婆は、年号は刻まれていませんが、南北朝時代(1336年~1392年)に製作されたのものと推定されます。表面には、大日如来(だいにちにょらい)や倶利伽羅不動(くりからふどう)などが刻まれています。これらは「弘法大師が爪で掻(か)いた」との伝承があり、「爪掻き不動(つめかきふどう)」とも呼ばれています。

開催日時:平成30年3月28日 (水曜日) 午後2時~午後4時(雨天決行)
開催場所:大王寺別院内不動堂(春日部市西親野井464番地)
交通機関
・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)春日部駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル・はやま工業団地」行きで約30分、大凧公園入口で下車、徒歩約12分

・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)東武動物公園駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル」行きで約23分、塚崎入口で下車、徒歩約5分


*バス時刻などのお問い合わせは、朝日自動車 株式会社 境営業所(電話:0280-87-0780)



大王寺別院の板石塔婆

坊荒句遺跡出土の板碑『新編図録春日部の歴史』からのご紹介42

平成4年9月に内牧公園の造成に先立って、公園予定地内の坊荒句(ぼうあらく)遺跡で発掘調査が行われました。調査では、縄文時代の住居跡や貝塚とともに、中世から近世までの墓のあとが44基も発見されました。
11号土壙(どこう)からは、板碑(いたび)7基が墓に対してふたをするように折り重なる状態で発掘され、これらの板碑の下からは青年男子の頭蓋骨が見出されました。遺体を板碑で覆っていたものと想定されます。
板碑に刻まれた年代は、延文2年(1357)、貞治7年(1368)、応安7年(1370)、康暦2年(1380)、応永16年、25年(1409、1418)、永享9年(1437)です。

板碑は明らかに二次的に利用されているので、これらの年代以降に内牧周辺で活動していた人物が葬られた墓と考えられます。

『坊荒句北(1,2次).坊荒句.立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1996年
「中世の石造物」『新編 図録 春日部の歴史』68ページ
坊荒句遺跡出土の板碑

古文書解読勉強会の成果(その4)

平成30年3月10日(土)に古文書解読勉強会を行いました。
今回も、郷土資料館所蔵の神間村文書を読みました。
前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご覧ください。
次回は、4月14日(土)10時~12時(場所:視聴覚センター4F研修室3)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。

【史料番号37】

   入置申一札之事

私親九平代より数拾年已来厚思召ニ預り、

彼地江住居罷在候処、此度酒狂之上

用意不成義申出し、心得違之兼々

被仰聞一言之申訳ケ無御坐候ニ付、当村へ

御先達様江相歎き御詫仕候処、早速

御勘弁被成下難有仕合ニ奉存候、然ル上は

向後右様之義無之様相慎、已来不埒

之義仕出し候節は何時成共我等引請、

貴殿江御苦労相掛ケ申間敷候、為後日詫書

入置申処、仍而如件

           神間村

   安政三年     当人

   辰十二月       作左衛門㊞(墨抹消)

           古布内村

            引請人

              金左衛門㊞(墨抹消)

           神間村

            立入人

              弥右衛門㊞(墨抹消)

           〔(切取抹消)〕

       同村

        源兵衛殿
(ひとことメモ)
本史料は、神間村の作左衛門が酒に酔って迷惑をかけてしまい、源兵衛に謝罪した詫び証文。もともとの署名者は4名だったとみられ、奥の1名は切り取りで抹消されている。ほかの3名の印判も墨により消されており、文書の効力を反故にしたことがわかる。古布内村は、現在の千葉県野田市古布内。
神間村文書37

大凧会館の被災『新編図録春日部の歴史』からのご紹介41

大凧会館は、西宝珠花(にしほうしゅばな)に平成2年(1990)に開館しました。
大凧あげ祭りであげられる縦15m、横11mの実物大の大凧4張をはじめ、日本のみならず世界各地の凧や郷土資料などを展示していた施設です。
しかしながら、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災により被災し、1~4階まで吹き抜けの展示室に設置されていた大凧や他の展示品が破損しました。
建物本体にも大きな被害があったことから、平成26年、大凧会館は解体され、跡地は大凧公園として利用されています。
(大凧公園は現在整備工事中で、3月下旬からの一般開放を予定しています。)

「春日部市の景観1」『新編 図録 春日部の歴史』294ページ
大凧会館1階展示室の被災
◆東日本大震災で被災した展示室の様子

第6回民俗文化財講習会を開催しました。

3月4日(日)教育センターの視聴覚ホールにて、「第6回民俗文化財講習会」を開催しました。例年、市内の指定無形民俗文化財の保持団体を対象に講習会を開催しています。今回は、「お囃子」などの音声の保存を目的に、銚子口獅子舞保存会、やったり踊り保存会、赤沼民俗文化財保存会、東中野獅子舞保存会の計4団体の参加をいただきました。

民俗芸能には楽譜がなく、先輩方の笛の指先の所作を見たり、奏でられる音色を耳で覚える方法でお囃子などが伝承されています。そのため近年では、伝承方法に限界があり、各団体でお囃子の音色の変化が危惧されています。こうしたことから、音声を録音し、記録することで後継者の養成にお役立ていただくものです。
改まって舞台での音声の録音ということもあり、終始、緊張した空気が流れていました。皆様のご協力のお陰で、無事録音が終了しました。各団体の皆様には、お忙しい中ご出席いただき大変ありがとうございました。
今後の後継者の養成や地域で育まれた伝統の技の継承の一助になればと思っております。

【銚子口獅子舞保存会では12曲を録音しました】


【やったり踊り保存会では3曲を録音しました】



赤沼民俗文化財保存会では神楽を含め14曲を録音しました


【東中野獅子舞保存会では獅子舞10曲を録音しました】

粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年3月2日に粕壁小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

昭和期に実際に粕壁小学校で使われていた机や椅子をさわったり、木造校舎の粕壁小の写真を見たりして、今との違いに驚いていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

市場之祭文写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介40

今回は、戦国時代、市が開かれるときに修験者(しゅげんじゃ)が市の繁栄を祈祷(きとう)するために、神前で読み上げた「市場之祭文(いちばのさいもん)」をご紹介します。
延文6年(1361)の奥付がある「市場之祭文」には、応永22年(1415)に追記で武蔵、下総にかけての33か所の市の開催地が書かれています。
この中に「下総州春日部郷市祭成之」とあり、春日部でも市が開かれていたことがわかります。市域の周辺では、現在のさいたま市岩槻区内に推定される「末田市」、「かゝさねかふ道いち」、「ふち宿市」、「くほ宿市」、宮代町内に推定される「久米原市」、「須賀市」、白岡市内に推定される「野田市」などがあげられます。
また、開催地の33か所は、戦国時代、岩付太田氏の勢力圏にあったとする説もあります。

「市場之祭文写」『武州文書』国立公文書館内閣文庫
「川と陸の道」『新編 図録 春日部の歴史』60ページ

市場之祭文
「市場之祭文」の市開催地
赤枠内には「下総州春日部郷市祭成之」の記載がみられます。

「人と昆虫のかかわりを考える」有意義な時間に

本日、2月24日(土)歴史文化講演会を開催しました。
今回は、柏田雄三先生をお招きして、「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える」と題して、ご講演いただきました。柏田先生は、昆虫芸術研究家で、全国各地の「虫塚」(昆虫を慰霊した供養碑・記念碑等)を巡り、研究されている方です。
柏田先生
今回、受講された方は4分の1が市外の方で、遠くは長野県・山梨県からもおいでになられた方もいらっしゃいました。

講演では、虫塚の話題の前提として、犬・鯨・蛙など様々な動物や、文房具・石橋・道路などさまざまなモノの供養碑が存在することを紹介されました。春日部には、今のところ虫塚は発見されていないようですが、猫・魚・鳥・石橋の供養碑があることが紹介され、会場からは「知らなかった」と声があがっていました。
講演会2
次に、ご専門の昆虫の世界に話題をうつし、多様な昆虫が私たちの身近にいることや、「益虫」「害虫」とは何かなど、人と昆虫の歴史を概観され、虫塚の始まり・種類について、各地を踏査され、収集された様々なエピソードを交えながら、楽しくお話しいただきました。

最後に、虫塚を巡り、研究することは、人文学的な視点から昆虫をとらえる意義があるとともに、調査先で認知度が低く、忘れられているケースが多いことを踏まえ、失われかねない伝統・歴史を掘り起こし、後世に伝えていく意味がある、と位置付けられました。

会場からは、「虫」のつく地名についてどう考えたらよいのか、など身近な昆虫の文化についての質問がでるなど、受講されたみなさんも「人と昆虫のかかわりを考える」有意義な時間をお過ごしいただけたのかと思います。
個人的にも、農業生物学をご専門とされている先生だけあって、昆虫愛に溢れたエピソードや、関連する音源などを交えてのお話だったので、大変興味深く拝聴させていただきました。
講演会1

「また、お母さんやお父さんといっしょに見に来たい」立野小感想文より

1月31日に見学にきた立野小学校3年生の皆さんから感想文をいただきました。
立野小感想文表紙
せっかくいただいたので、感想文をいくつか紹介させていただきます(名前は伏せています)。
立野小感想文1
「なんと、れいぞうこにれいとうこがないなんて、はじめてしりました」
昭和30年代の電気冷蔵庫を実際に開けて、気づいてくれたようです。
「なんと」の表現が、とても驚いた気持ちを伝えてくれて、いいですね。
常設展示の木製冷蔵庫とも比較してもらえたでしょうか。

立野小感想文2
「また、お母さんやお父さんといっしょに見に来たいと思いました。」
小学校の団体見学のあった週末の土・日は、家族連れのお客さんが意外と多くいらっしゃいます。その多くは、見学した3年生がおうちの方に頼んで来るリピーターです。小学生が見学して学んだことを家族の方に説明したり、家族の方が「昔はこうだった」と子どもたちに伝えたり、家族のコミュニケイションの場になるようです。
昔の道具やくらしを学習するのに一番よい教材になるのは、ご家族の経験・体験談だと思いますので、まだ一緒にいらしていないなら、ぜひご家族と来てください。

皆さん、昔のくらし・道具について、楽しんで学んでいただいたようで何よりです。皆さんの感想は、今後の展示・解説の参考にしていきたいと思います。