ほごログ
ベールに包まれたこれ。何でしょうか。
今日は、資料を展示するまでの裏側を少しだけ紹介します。
次の写真、何だかわかりますか?
今回展示した資料は、いずれも普段は、収蔵庫で大切に保管されています。移動時には、前の写真のような感じで、薄様紙(うすばがみ・うすようし)や綿布団(わたぶとん)をつかって、移動中の衝撃などで資料に傷がつかないように、また光・ホコリなどで劣化したり、汚れないよう、梱包します。また、虫やカビから資料を守るために、密閉性が高く、適切な温湿度管理がされた収蔵庫で保管しています。
上の白い物体。展示の準備の最後の最後に、荷解きをし、設置しました。以下、その模様です。
梱包は、ただ薄葉紙やクッションの役割を果たす綿布団で単純にくるんでいるのではなく、デリケートな部位は丁寧にケアしながら、何重のも薄葉紙で包まれています。
荷解きをして、徐々に資料の姿があらわになります。
白い物体の正体は、江戸川の開削や庄内領の新田開発で功績をあげた、小島庄右衛門さんの座像でした(「小島庄右衛門坐像」小流寺寄託)。第49回「江戸川!」展のとき以来、展示させていただき、お預かりしてから、実に約4年ぶりの公開です。
この「小島庄右衛門坐像」は、実は指定文化財ではありません。市指定文化財「小流寺縁起」の関連資料として参考展示させていただきました。「小島庄右衛門坐像」も「小流寺縁起」も、著名な資料で、県立歴史と民俗の博物館をはじめ、各地の博物館にはレプリカが展示されています。江戸時代の人物の肖像を木像にしたものとして貴重ですし、「江戸川を造った男」=郷土の偉人ですから、春日部にとってはなお貴重です。行政による文化財指定を受けていなくても、一つ一つの文化財はかけがえのないものなのです。
話が少しそれていますが。ぜひ、普段は収蔵庫で控えている”本物”の資料を間近にご覧いただければ幸いです。
企画展示「指定文化財でめぐる春日部」展は、郷土資料館の収蔵(寄託も含む)する指定文化財などの貴重な資料を一同に公開しています。会期は7月7日(日)までです。お見逃しなく。関連イベントもあります。
神明貝塚巡回展 絶賛開催中!
市役所庄和支所から始まり、正風館(庄和地区公民館)と巡回し、今回はじめて庄和地域を離れ、春日部地域へとやってきました。
神明貝塚は西親野井(にしおやのい)に営まれた縄文時代のムラで、春日部市内でも北東部に位置しています。春日部地域の方にとってはあまり馴染みのない地域かもしれませんが、今回の巡回展を通じて、市内に縄文時代を代表するような貝塚が存在することをお伝えできればと思います。ミニ展示ですが、縄文のムラを復元したジオラマが見どころです。
公民館にお立ちよりの際には是非ともご覧になってみてはいかがでしょうか。
期間:令和元年5月11日(土)~6月30日(日)
場所:中央公民館(粕壁6918-1) 1階ロビー
古文書勉強会の模様
今回も新たに参加される方が加わり、17名の参加がありました。
今回は、前回に引き続いて、神間村伝来の寛政7年「御鹿狩ニ付御触書之写」を講読しています。一字一句丁寧に文字と意味を確認しながら、読んでいますので、まだまだ読み終えません。読んだ成果はまとめてご披露したいと思います。
次回は5月25日(土)14時~となります。ご興味のあるかたのご参加もお待ちしています。
企画展準備中。関連イベントも
さて、今回は、盛りだくさんの関連イベントをご紹介します。
①記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きして、市内の史跡・考古資料の指定文化財についてお話しいただきます。要申し込み。
②展示解説講座(その1)「春日部の弥生時代―須釜遺跡」
日時:令和元年6月16日(日)10時~11時30分
展示担当の当館学芸員による解説講座。県指定文化財が出土した須釜遺跡と弥生時代について解説します。要申し込み。
③展示解説講座(その2)「春日部と円空」
日時:令和元年6月23日(日)10時~11時30分
当館館長による解説講座。市域に多く伝来する円空仏について解説します。要申し込み。
④ギャラリートーク
日時:令和元年5月25日(土)、6月9日(日)、7月7日(日)
各日2回(10時30分~、15時~ 各回30分程度)
展示担当学芸員が展示を解説します。時間までに展示室お集まりください。申し込み不要です。
いずれも会場は春日部市教育センター(郷土資料館)、費用は無料です。ぜひご参加ください。
60回目の企画展示!
展示会名:企画展示(第60回)収蔵品展16「指定文化財でめぐる春日部」
展示会期:令和元年5月18日(土)~7月7日(日) 月曜日休館
午前9時~午後4時45分まで
展示会場:春日部市郷土資料館企画展示室
会期中は、講演会・講座・ギャラリートークなど関連イベントも満載です!追ってお知らせしますので、お見逃しなく!
ミニ展示は4月28日(日)まで
最後の告知では、平成最後、令和の改元にふさわしい(?)資料を紹介します。
今回紹介するのは、明治の恩赦に関する資料です。
この資料によれば、某村の音五郎は、慶応3年(1867)幕府役人に博打に携わったとして捕えられ、八丈島に遠島を命じられましたが、「朝廷御元服御大礼」が執り行われたことにより、罪を赦されることになり、市内の某村に身柄が引き渡された、というものです。「朝廷御元服御大礼」とは、明治天皇の元服、即位の礼を指しています。
現代では、10月の新天皇即位をうけ、今秋に軽微な犯罪の刑罰を消失もしくは減刑させる「恩赦」の実施が検討されているそうです。
改元や新天皇の即位は、今も昔も時代の節目を象徴する出来事として、人々に受け入れられているのかもしれません。
「恩赦」の資料の展示は、平成31年4月28日(日)まで。
郷土資料館は4月29日(月)~5月6日(月)が休館日になりますので、ご注意ください。
勝海舟と春日部
勝海舟は、幕臣・政治家として、とくに西郷隆盛と交渉した江戸無血開城で著名な人物ですが、実は春日部ともつながりがあります。
春日部マニアの方ならご存じかもしれませんが、大場香取神社には、勝の直筆の幟(のぼり)と額が奉納されています。
ミニ企画展示では、新たに発見された、大場村の人々が勝海舟に揮毫(きごう・文字や絵を書くこと)を依頼した経緯に関する記録を展示しています。
この記録によると、明治27年(1893)3月7日に大場村の人々は、勝海舟に村の鎮守香取神社の幟の揮毫を依頼したところ、面会を断られました。面会はダメだが、「揮毫ハ許容アリタリ」(揮毫の脈はありそう)なので、どう交渉したらよいのか、大場村の人々は、隣村の備後村の医師・知識人の石井氏に相談します。石井氏は、勝海舟の著書『流芳遺墨』の感想を和歌にして勝に呈上し、もう一度「誠心」(まごころ)をこめて依頼してみたらどうかと提案したようです。
大場の人々が、和歌を詠んだかどうかわかりませんが、明治27年3月付の直筆の幟が現在神社に伝わっていますので、きっと誠意を示して、念願の幟を入手できたのでしょう。
こんな小噺を紹介するのもミニ企画展示ならでは?
ミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」展は4月28日まで。
お見逃しなく。
ミニ展示に東山道鎮撫総督布告を追加しました。
今回ご寄贈いただいた資料は、慶応4年(1868)正月の東山道鎮撫総督による布告です。旧幕府軍の追討軍のうち、東山道(中山道)を進軍した軍隊の総指揮官(東山道鎮撫総督)による沿道の人々に通達したもので、内容はこれまでの旧領主の苛政(厳しい政治)があれば訴え出るようにと知らしめたものです。
内容から、市内の伝来史料ではないようですが、参考資料として展示させていただきました。
ご寄贈いただいた市民の方は、古文書等の古物を収集されることをご趣味にされており、3月30日の箱石先生のご講演に感化されて、このたびご寄贈いただくことになりました。
このたびは貴重な資料をご寄贈いただき、どうもありがとうございました。この場をかりてお礼申し上げます。
看護専門学校が郷土資料館を見学しました
竪穴式住居や粕壁宿の模型などを学芸員の説明を聞きながら見て、郷土の歴史や変化を身近に感じていました。
生徒達は、疑問に思ったことを質問したりして、春日部市について興味をもってくれたようです。
お時間があればまたお越しください。
古文書勉強会の成果(その12)
平成31年3月23日(土)に古文書勉強会を開催しました。市民の方々が主体的に市内神間地区ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読しています。これまでの成果はこちらからさかのぼって御覧になれます。
今回は、神間村文書のほか、現在開催中のミニ企画展示「幕末・明治維新と春日部」展での陳列資料を解読しました。
まずは、神間村文書から。
【史料番号35】
質物ニ相渡シ申田地証文之事
一中畑壱反六歩 茨田耕地
一下畑四反壱畝拾歩 右同断
一屋鋪弐反八畝弐拾四歩
田畑屋敷合八反拾歩 御水帳面六左衛門名前
右は当卯御年貢其外払方ニ差詰リ申候ニ付、右
田地貴殿江質物ニ相渡シ金子弐拾三両弐分・永七文借用仕、
只今慥ニ受取申所実正也、但シ返済之儀ハ来辰ノ十二月ニ
相成申候ハヽ本金不残返済可致候間、右田地不残御戻シ
可被下候、若其節金子調達相成兼請返シ申義不罷
成候ハヽ流シ可申候間、 御年貢諸入用貴殿方ニ御勤
被成、此証文を以貴殿御所持可成候、又ハ御勝手ニ
而何方へ何程之質物ニ御渡シ被成候とも、われ等加判之
者致印形質物ニ為入替可申候、此田地ニ付横合より
故障申もの無御座候、万一何様之六ケ鋪義出来
いたし候共、加判之者何方迄も罷出、急度埒明貴
殿質物ニ可致候、為其五人組加判質地証文相渡シ申候
所如件
神間村
文化四卯十二月 地主
藤右衛門㊞
五人組
佐助㊞
同
重右衛門㊞
与頭
太兵衛㊞
同村名主
源右衛門殿
(ひとことメモ)
文化4年(1807)の質地証文。地主藤右衛門が名主源右衛門に田畑屋敷8反余を23両余で質入れした証文。
続いて、樋籠の古文書を読みました。
【樋籠・田中家文書№642】
(包紙)
「 薩州
陣営より
大急達書
武州粕壁宿在
廣尾村名主方へ」
武州粕壁宿在
廣尾村名主
又兵衛
右は急御用談之趣有之間
村役人差添早々江戸小川町
陣営へ可罷出、若同所陣替
之節は芝本営へ可相届
可申、於不参は急度可申付
者也
薩州陣営
辰四月廿四日 器械掛
右村
役人中へ
【樋籠・田中家文書№643】
別紙急御用向粕壁宿
在廣尾村名主迄申達間
千住宿宿継早々可相届事
辰四月廿四日 薩州陣営
千住より粕壁迄
宿々
役人中へ
(ひとことメモ)
慶応4(1868)辰年4月24日、薩摩藩陣営の器械掛より樋籠村名主又兵衛に対して、「急御用談」があるので、村役人を付添えて、江戸小川町の陣営に出頭するようにと命じた書付。№642は、包紙に包まれて回送された。№643はその添え状で、千住宿から粕壁宿に書付(№642)の宿継を命じたもの。当時は戊辰戦争の最中で、江戸から北関東や東北地方に新政府軍が派兵されていた。薩摩藩は軍資金の調達のために市域屈指の地主樋籠村の名主又兵衛を召還したものと考えられる。地名の樋籠(ひろう)を「廣尾」(ひろお)という字を当て書いていることから、薩摩藩と又兵衛の面識はなかったと考えられます。
田中家文書については、現在ミニ企画展で展示中です。ぜひ皆さんの解読の成果をご覧ください。
次回の勉強会は、4月27日(土)に開催予定です。