ほごログ(文化財課ブログ)

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【歴史文化講演会】人間と昆虫の文化を考えてみませんか?

みなさんは昆虫に対してどんな印象をおもちですか?

農村に伝来した古い資料をひもとくと、しばしば「畜昆虫除守護」「昆虫災之御祓」などと印字された、虫除けの護符を目にすることがあります。郷土資料館にも、市内の旧家に伝来した「虫除」の護符を収蔵しています。
写真:護符
「御嶽権現 深秘禁厭 苗稼等之鳥獣波府虫災異撥止守護攸」と印字されています。
「御嶽権現」の神社は特定できませんが、「波府虫」(はふむし)とは昆虫のことで、このお札は農業の害鳥・害獣・害虫を払い除けることを祈念したもののようです。

市内の下大増では、平成初めごろまで、悪霊と一緒に害虫を追い払う「虫追い」という年中行事が行われていました。
下大増の虫追い
前近代の人々にとって、昆虫は愛玩する対象になることもありましたが、農業を生業とする人々にとっては、養蚕や養蜂など生産活動を支えた生き物であるとともに、農作物に被害をもたらす害虫でもありました。害虫を退けるために、上に示したような呪術やまじないに頼ったり、年中行事が営まれたりしたのでしょう。

さて、今回の歴史文化講演会では、「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える~」と題して、昆虫芸術研究家の柏田雄三先生をお招きします。柏田先生は、全国各地の昆虫を慰霊した供養碑・記念碑・虫塚(むしづか)を巡り、考察され、『虫塚紀行』(創森社、2016年)を著されております。
虫塚は人のために働き、あるいは駆除された昆虫に対する先人の思いを伝える興味深い資料です。今のところ、市内には虫塚の所在は確認できないそうですが、全国各地の事例から、人間と昆虫がはぐくんだ文化について考える機会となることは間違いありません。
ご興味のある方は、ぜひ、講演会にご参加ください。
画像:チラシ
歴史文化講演会「供養碑・虫塚を巡る楽しみ~人と昆虫のかかわりを考える~」
日時:平成30年2月24日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター 2F 視聴覚ホール
費用:無料 定員:100名(申込順)
お申込みは郷土資料館まで(℡048-763-2455)

武州銀行粕壁支店『新編図録春日部の歴史』からのご紹介34

明治28年(1895)12月、粕壁町に粕壁銀行が設立され、翌年1月3日に開業しました。資本金は10万円で、幸手、岩槻、大宮、草加支店を開設しました。

大正7年(1918)11月には、浦和町に現在の埼玉りそな銀行の前身となる武州銀行が資本金500万円で設立されました。当時、埼玉県内には58の小規模の銀行がありましたが、武州銀行は埼玉県の中央銀行として、県内銀行と合併を繰り返し規模を拡大していきました。

その後、粕壁銀行は大正9年(1920)に武州銀行と合併し、武州銀行粕壁支店となりました。

粕壁商工会『粕壁町誌』1936
「粕壁銀行と宝珠花銀行」『新編 図録 春日部の歴史』217ページ

武州銀行粕壁支店
武州銀行粕壁支店(左一番手前の建物。街灯下の看板に武州銀行の文字がみえます。)

教育センター『新編図録春日部の歴史』からのご紹介33

明けましておめでとうございます。
今年も<ほごログ>をよろしくお願いいたします。

春日部市教育委員会文化財保護課と郷土資料館がある春日部市教育センターは、28年前、平成2年1月4日に開所しました。現在も、春日部市の教育の中核施設として、教育委員会各課と教育相談センター、郷土資料館、視聴覚センターが設置されています。

  当時の広報記事からは、最先端の設備を備え、大きな期待をもって開所した施設であったことが読み取れます。すでに開所から30年近くが経過しましたが、施設のほとんどが開所当時に期待された機能を保っており、未来まで見通した設計であったといえます。

視聴覚センターでは、教育センター内の研修室やホール、また視聴覚機材の貸し出しを行っています。また生涯学習推進担当として生涯学習の拠点を担っており、「出前講座」や生涯学習関連の様々な事業を展開しておりますので、ぜひご利用ください。

「教育施設の充実」『新編 図録 春日部の歴史』286ページ

教育センター


広報かすかべ平成元年12月号
広報かすかべ平成元年12月号

小淵山観音院仁王門『新編図録春日部の歴史』からのご紹介32

 小渕地区にある小淵山観音院(こぶちざんかんのんいん)では、春日部市指定文化財の仁王門が参詣者を出迎えてくれます。元禄2年(1689)に建てられたといわれる、お寺の門としては市内で最も古い建造物です。

仁王門は、正面から見ると、4本の柱によって三つの柱の間がつくられるので「三間(さんげん)」、そのうち一つの間が通路となることから「一戸(いっこ)」となっています。また2階部分に回廊(かいろう)が巡る門を「楼門(ろうもん)」と分類するので、これらをまとめて「三間一戸形式の楼門」と呼ばれます。
仁王門の屋根は、現在は瓦葺きですが、創建当初は茅葺き(かやぶき)でした。また、門の内部には鐘(かね)がつるされ、鐘楼(しょうろう:鐘つき堂)の役割もありました。

平成23年の東日本大震災で、仁王門に柱のゆがみなどが生じたため、平成25~26年度に半解体をし、修理工事を行いました。修理工事では、ジャッキアップをして鉄骨の仮柱を設置し、ゆがみを直しました。また柱の最も下の痛みがひどい部分を、根継ぎ(ねつぎ)という方法で、新しい部材に交換しました。

お正月の三ヶ日には境内がライトアップされます。小淵山観音院に初詣にお出かけの際は、ぜひ仁王門もじっくりとご覧ください。

*小淵山観音院は、寺の名前を示す際は地名の「小」ではなく、「小」という漢字を使用します。

「小渕山観音院仁王門」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ
小渕山観音院仁王門

手作り季節展示を展示してます

もういくつねるとお正月~♪
資料館も小さな手作り門松をかざり、新年を迎える準備をしました。
ぜひ、見にきてください。
資料館は、12月29日(金)から1月3日(水)まで休館させていただきます。
門松

イチゴの出荷『新編図録春日部の歴史』からのご紹介31

12月も終わりが近づき、イチゴがおいしい季節になりました。
今回ご紹介する写真は、昭和48年ごろの庄和農業協同組合でのイチゴの出荷作業の様子です。

昭和30年ごろから、米の生産調整や農業経営の転換が呼びかけられたことにより、米以外の作物を生産する農家の方が増えました。市内では、フリージアの花やトマト、ナス、キュウリ、モモなどが作られました。
イチゴの栽培は、最初は水田の裏作として露地栽培で始まり、トンネル状のビニールをかけての栽培から、ビニールハウスでの栽培に変化しました。作られたイチゴは、春日部市内や東京、横浜の市場に出荷されました。イチゴ狩りができる観光農園が始まったのは平成に入ってからです。

市内で昭和40~50年ごろ生産されたイチゴの品種は、写真の出荷箱に表示されているように「埼玉ダナー」です。「イチゴといえば埼玉ダナー」というほど、全国的に知名度が高い品種でした。現在流通している品種と比べると酸味が強く、牛乳と砂糖をかけてつぶして食べたことをご記憶の方も多いかと思います。現在は「女峰」や「とちおとめ」の品種が主に作られています。

今回ご紹介した写真のように、昭和時代の写真でも、市内の当時の様子を記録したものとして非常に貴重な資料になる場合があります。大掃除でアルバムなどを処分をする際は、文化財保護課、郷土資料館にご提供いただければ幸いです。

「イチゴの出荷」『新編 図録 春日部の歴史』260ページ
イチゴの出荷

体験講座しめ縄づくりを開催しました

「よいお年を!」という挨拶が飛び交う季節になりましたね。
先週に引き続き、平成29年12月16日(土)、郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました。
はじめに、半紙をつかって紙垂(しで)をつくった後、稲わらから縄をつくる縄ない。実は、この作業が今日一番の難しいところ。しかし、大人も子どもも、参加された皆さん、縄がなえました。
写真:縄ない
お子さんの縄ないをお母さんがパチリ。「はじめての縄ない」記念になりますよね。

そして最後に稲束を三つ編みにする「ごぼうじめ」(しめ縄)をつくりました。写真:しめなわづくり
ご家族や隣の方と皆さん、力を合わせて、立派なしめ縄をつくっていただけたようです。
写真:しめ縄をもって記念撮影
参加者からは、「よい年が迎えられそう」「すべて手作りで感激しました」と感想をいただきました。
郷土資料館主催の年内行事も今日で最後。よいお年を。
・・・でもブログは更新しますよ。

豊春駅前で市内の古写真展

昨日、豊春駅に併置している東武ストア豊春店さんにうかがいました。
東武ストア豊春店さんで、開店30周年を記念として「いにしへ写真館」という催しものを開催しています。
写真:いにしへ写真館のチラシ
この「写真展」には、郷土資料館で所蔵する市内の古写真を展示していただいています。
写真:古写真の展示
古写真を展示するだけでなく、「30年後の東武ストア」として宮川小学校の児童の皆さんが予想して描いた未来の「東武ストア」も展示されていました。
写真:宮川小学校の皆さんの描いた絵
夕食前でお忙しい時間帯でしたが、この催しものを企画された店長さんにお話をうかがったところ、お客様の反響がよく、大変好評とのことでした。
この「いにしへ写真館」は年内いっぱいは開催するそうです。
東武ストア豊春店さんは、豊春駅構内改札口を出てすぐです。
お近くの方はお立ち寄りいただければと思います。

細石器『新編図録春日部の歴史』からのご紹介30

細石器(さいせっき、細石刃(さいせきじん))は、今から約1万5千年前、日本列島の旧石器時代最終末期に使われた石器です。日本だけではなく世界各地で発見されており、英語では、microlith(マイクロリス)と呼ばれています。
細石刃は長さが1~1.5㎝と、大変小型で厚さも2㎜程度で、あたかもカミソリの刃のような石器です。春日部市内では、米島地内の「米島貝塚」や西金野井地内の「風早遺跡」で発掘されています。この他、細石刃核(さいせきじんかく)と呼ばれる、細石器を作り出す素材の石器も見つかっており、細石刃核に残る溝状の跡から、連続して剥ぎ取りながら細石器が作られた技術がわかります。

細石器は、動物の骨や木などに複数埋め込まれ、全体として大きな刃を作って、槍の先やナイフとして用いられたと考えられています。海外の遺跡では、木製や骨角製の柄についたままの細石器が発見されています。また、刃の欠損した細石器のみを取り換えながら使われていたと考えられ、石器の作り方に技術の大きな進歩がうかがえます。これらの一部は郷土資料館の常設展示で公開しています。
 

「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ

1は米島貝塚、2~5は風早遺跡出土。1、2が細石刃核、3~5が細石器。

収蔵資料の紹介更新しました

郷土資料館の収蔵資料の紹介ページを更新しました。
今回は追加したのは、
北条氏政の感状三峰神社の眷属箱西金野井回漕店の板木、の3点です。

北条氏政の感状は、春日部市の指定有形文化財の中世文書です。
わかっている限りでは、市内に現在ある中世文書としては唯一のものです。
昨年度、市内個人の方から郷土資料館にご寄贈いただきました。

三峰神社の眷属箱は、以前このブログでも少し紹介したものです。
三木一彦先生の講演会をうけて、いろいろわかったことを解説に書き加えさせていただきました。

西金野井回漕店の板木は、出前講座の準備で、当館で所蔵している資料群を見直していたときに発見した、収蔵庫の掘り出し物です。
西金野井は江戸川の河岸場としてにぎわいましたが、残念ながら史資料があまり残っておらず、詳しいことがよくわかっておりません。
この板木は回漕業の一端を伝えるものとして貴重な資料です。

詳しい解説は各ページをご覧ください。