ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和5年8月20日(日)の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館体験ワークショップ「ストロー弓矢を作ろう」を開催しました。

体験ワークショップは、①蓄音機の上演、②春日部に伝わる伝説の紙芝居の上演、③おもちゃ作りの3本立てです!

作るおもちゃの種類によって、所要時間は40分から1時間程度となっています。

 

蓄音機の上演(午前)

蓄音機の上演(午後)

今日のワークショップは夏休みということもあってか、通常よりもたくさんの子どもたちが集まってくれました!

ワークショップで使用している蓄音機は100年ほど前に使われていたもので、今や貴重な一品。みなさん耳を傾けて、懐かしく珍しい音色を楽しんでいました!

 

紙芝居朗読

本日の紙芝居は西金野井に伝わる伝説「江戸川を流れてきた獅子」です。みんな静かにしっかりと聞いてくれましたね♪

 

おもちゃ制作風景(午前)

おもちゃ制作風景(午後)

おもちゃは「ストロー弓矢」を作りました。ストロー弓矢は今年の新作おもちゃです!

ご家庭にある材料で簡単に作れます!今回は頑丈に作るために、弓の部分に分厚いラップの芯を使いましたが、ご家庭ではキッチンペーパーやトイレットペーパーの芯で代用可能です。

郷土資料館の企画展示室で土器をたくさん並べているので、ちょっと縄文時代や弥生時代を意識して“狩り体験”♪

おもちゃ遊び風景

よーく狙って・・・ドヒュンッ!

かなり勢いよく飛びます!

 

缶バッジづくり

最後におまけの缶バッジづくり体験!

これが結構人気です♪毎回異なる絵柄をしているのでリピーターの子も喜んでくれます。

 

本日も暑い中お越しくださりありがとうございました!

次回の体験ワークショップは10月に開催予定です。詳しくは広報誌等でご覧ください。

お待ちしています!

 

体験講座みて!さわって!dokidoki音楽づくりを開催しました

8月12日(土)、春日部市郷土資料館恒例の体験講座「みて!さわって!dokidoki音楽づくり」を開催しました。

 

この講座は、国立歴史民俗博物館の中村耕作先生と國學院大學栃木短期大学の早川冨美子先生のご協力により、毎年夏休みに、郷土資料館で開催しており、今年で3回目になります。

縄文土器を観察し、文様のパターンやイメージなどをみたりさわったりしながら、縄文時代にも存在した自然素材を使って音で表し、グループで音楽を作る講座です。

中村先生と土器

縄文土器と中村先生

 

当日は、縄文時代の衣装を着て講座にのぞみました。

縄文時代の衣装

縄文時代の衣装

 

はじめに、時代の長さを紙の長さで表した年表で、縄文時代がいかに長い時代かをみんなで確認しました。

年表を見ている様子

時代の長さを表した年表

 

その後、資料館の展示室で、竪穴住居模型や春日部の貝塚、縄文土器の展示を見学し、縄文時代について学びました。

展示室見学

展示室見学

 

講座会場に戻り、音楽づくりに使う自然素材を選びました。

縄文時代にもあった自然素材1

縄文時代にあった自然素材2 

用意された自然素材

 

早川先生に音の出し方や音楽の作り方をおしえてもらいました。

早川先生に音楽を教えてもらっている様子

音楽の作り方を教えてもらっている様子

 

また実際の縄文土器をみて、文様の付け方を観察し、縄文を実際に粘土につけてみました。

もようの付け方をまねしている様子

縄文を粘土につけいている様子

 

最後にグループで2回音楽を作り、発表しました。

みんなの前で発表

音楽を発表している様子

 

縄文土器をみながら、縄文時代にもあった自然素材を使って音を出してみるという、一風変わった講座でしたが、いかがだったでしょうか?

参加していただいたみなさん、ありがとうございました。

昨年度のものですが、講座の様子は下の動画でもみられますのでご覧ください。

 

「オンライン土器作り教室」ただいま土器乾燥中です 

今年度も多くの皆様にご参加をいただいている「オンライン土器作り教室」の途中経過をお知らせします。

今年も参加者皆様の思い思いの個性あふれた作品が集まりました。

まず、お預かりした土器は屋内でゆっくりと乾燥させます。その後、屋外にて陰干し、天日干しになりますが、台風や急な雷雨など天候不順が続き、本日よりやっと陰干しをスタートしています。

 土器を乾燥させている様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土器が乾燥すると一回り小さくなり、粘土も濃い茶色から白っぽい黄土色に変化していきます。

焼き上がりは現在の様子とは違った風合いになります。

どんな土器に焼き上がるのでしょうか、楽しみにお待ちください。

 

 

【令和5年夏季展示_あなのあいた壺】杉戸町豊明神社古墳の底部穿孔壺

今回の「あなのあいた壺」では、周辺の底部穿孔壺形土器として、杉戸町豊明神社古墳で発見された底部穿孔壺形土器をお借りしています。

杉戸町大塚の豊明神社では、平成6年(1994)、擁壁(ようへき)工事などの際に古墳時代前期の底部穿孔土器が採集されたことにより、神社の敷地が古墳時代前期の方形周溝墓のような墳丘墓、あるいは古墳であると指摘され、「豊明神社古墳」と呼ばれるようになりました。

豊明神社古墳の底部穿孔壺(杉戸町教育委員会提供)

豊明神社古墳出土底部穿孔土器(杉戸町教育委員会所蔵・提供)

豊明神社古墳底部穿孔壺の穴(杉戸町教育委員会所蔵)

豊明神社古墳出土底部穿孔土器の穴(杉戸町教育委員会所蔵・提供)

はじめに採集された穿孔土器は、高さ28cm、底径6.6cmの首から上を失った壺で、底面に焼成前穿孔されています。

杉戸町豊明神社古墳底部穿孔壺破片1(杉戸町教育委員会所蔵)

豊明神社古墳出土底部穿孔土器片1(杉戸町教育委員会所蔵)

杉戸町豊明神社古墳底部穿孔壺破片2(杉戸町教育委員会所蔵)

豊明神社古墳出土底部穿孔土器片2(杉戸町教育委員会所蔵)

杉戸町豊明神社古墳底部穿孔壺破片3(杉戸町教育委員会所蔵)

豊明神社古墳出土底部穿孔土器片3(杉戸町教育委員会所蔵)

杉戸町豊明神社古墳底部穿孔壺破片4(杉戸町教育委員会所蔵)

豊明神社古墳出土底部穿孔土器片4(杉戸町教育委員会所蔵)

豊明神社古墳では、ほかに4点の焼成前底部穿孔がみられる底部の土器片が採集されています。権現山遺跡と同じように複数の底部穿孔土器が存在していることがわかります。

 

杉戸町豊明神社古墳遠景(杉戸町教育委員会提供)

 杉戸町豊明神社古墳(杉戸町教育委員会提供)

 豊明神社古墳は、権現山遺跡からは直線距離で北西に約6km、中川低地の自然堤防上に立地します。この自然堤防は北東から南西にのびており、古墳時代当時、現在の渡良瀬川にあたる河川が、古利根川の方向へ流れていたことにより形成された自然堤防と推定できます。

この自然堤防の上流方面には、弥生時代の須釜(すがま)遺跡(春日部市倉常)、下流方面には古墳時代前期の東上(ひがしかみ)遺跡(杉戸町本郷)があり、遅くとも古墳時代前期には自然堤防上で人々が生活していたことがわかります。

 

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)~9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

 

(関連イベント)

<募集中>記念講演会「権現山遺跡の底部穿孔土器と葬送祭祀」

権現山遺跡出土底部穿孔土器について、古墳時代に見られる葬送祭祀がご専門の古屋氏をお招きし、ご講演いただきます。

講師:古屋紀之氏(横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター所長)

日時:9月2日(土)14:00~16:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員100人(申込順)

費用:無料

申し込み:受付中です!電話(048-763-2455)、直接、電子申請のいずれか

 

<参加自由>ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:8月19日(土)、9月3日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要です!時間までに、企画展示室へお越しください。

【体験ワークショップ】ストロー弓矢を作ろう!

8月20日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、蓄音機の上演、紙芝居、昔のおもちゃづくりをします。

今回作る昔のおもちゃは「ストロー弓矢」です。

ストロー弓矢

ストロー弓矢は今年の新作おもちゃです!

 

今夏、郷土資料館では土器をたくさんならべた企画展示を開催しています。縄文時代や弥生時代には、イノシシやシカなどの動物を狩っていました。そこで、ワークショップでもちょっとした“狩り体験”ということで今回のおもちゃを作成してみました!

ストロー弓矢で的あて!

楽しく遊べるように的も用意してあります!

みんなうまく当てられるでしょうか♪

 

ワークショップは申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和5年8月20日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機と紙芝居の上演

   おもちゃづくり(ストロー弓矢)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

【令和5年夏季展示_あなのあいた壺】野田市宮前遺跡の底部穿孔壺

野田市宮前遺跡の方形周溝墓(野田市教育委員会提供)

宮前遺跡第1号方形周溝墓(野田市教育委員会提供)

今回の展示では、おとなりの野田市より、宮前遺跡で発見された底部穿孔壺形土器をお借りし展示しています。

宮前遺跡は、権現山遺跡からは、直線距離で南東に約10㎞、下総台地上に立地します。古墳時代前期の7基の方形周溝墓が確認され、このうち第1号方形周溝墓から2点の焼成後穿孔された底部穿孔壺形土器が出土しています。

いずれも口縁部は、粘土を帯状に用いて段をつくり出す複合口縁で、高さは約34㎝と約40㎝、土器の表面が赤彩されています。穿孔は、外側から打ち欠くようにあけられています。底面ではなく、胴部の最下方にあけているようです。周辺地域での同様なあなのあけ方として千葉県松戸市の富山遺跡で発見された底部穿孔壺形土器が挙げられます。(松戸市立博物館2021『古墳時代のマジカルワールド』)

 

宮前遺跡の底部穿孔壺1(野田市教育委員会所蔵)

宮前遺跡1号方形周溝墓の底部穿孔壺1(野田市教育委員会所蔵)

宮前遺跡の底部穿孔壺1のあな(野田市教育委員会所蔵)

宮前遺跡1号方形周溝墓の底部穿孔壺1のあな

宮前遺跡の底部穿孔壺2(野田市教育委員会所蔵)

宮前遺跡1号方形周溝墓の底部穿孔壺2(野田市教育委員会所蔵)

宮前遺跡の底部穿孔壺2のあな(野田市教育委員会所蔵)

 宮前遺跡1号方形周溝墓の底部穿孔壺2のあな

 野田市域では、この宮前遺跡のほかにも、堤台松山(つつみだいまつやま)遺跡、桜台高崎家前(さくらだいたかさきけまえ)遺跡で古墳時代前期の底部穿孔壺形土器が発見されています。特に堤台松山遺跡は、権現山遺跡から直線距離で南東に約3㎞の位置に所在し、2基の方形周溝墓が発見されています。権現山遺跡と同じく、「方形周溝墓」という用語が誕生する前に調査された遺跡です。

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)~9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

 

(関連イベント)

<募集中>記念講演会「権現山遺跡の底部穿孔土器と葬送祭祀」

権現山遺跡出土底部穿孔土器について、古墳時代に見られる葬送祭祀がご専門の古屋氏をお招きし、ご講演いただきます。

講師:古屋紀之氏(横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター所長)

日時:9月2日(土)14:00~16:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員100人(申込順)

費用:無料

申し込み:受付中です!電話(048-763-2455)、直接、電子申請のいずれか

 

<参加自由>ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:8月19日(土)、9月3日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要です!時間までに、企画展示室へお越しください。

博物館実習6日目資料調書・ディスカッション

本日は資料調書・整理と実習を振り返ったディスカッションを行いました。

午前は資料調書・整理をしました。

まず初めに資料整理と簡単な情報を書き出す作業をしました。紙が脆くなっているものや、結んである紐を解くと元に戻せなさそうな資料が多くあったので慎重に作業しました。

写真:箱を見ている

次に調書の封筒を筆記する作業をしました。

資料の絵や写真をよく見て情報を細かく記入します。資料と向き合う時間が楽しく、集中を欠かずに作業出来ました。

写真:封筒を書いているところ

 

最後に実習を振り返ったディスカッションを行いました。

写真:みんなが座っている

1日ずつ実習を振り返りました。また、5日間を振り返って春日部市郷土資料館をよりよくするにはどうすればいいのかを討論しました。初日も同じ内容で討論しましたが、今日の方が学芸員視点的に成長したと感じた討論でした。5日間で様々な学芸員が日々行っている業務を体験させてもらいました。とても良い学習であったとともに、この経験を忘れず邁進して行きたいです。

今年度の実習生による「ほごログ」はこれで最後ですが、8月12日体験講座と9月2日の第68回企画展示記念講演会にも参加します。残り僅かになりましたが、最後まで気を抜かずに頑張りたいです。

(令和5年度実習生)

博物館実習5日目・資料整理、教材研究

本日は市内の資料保管施設での資料整理、権現山遺跡の見学、教材研究を行いました。

午前は資料が収蔵されている施設に行き、今後展示に使われる予定の資料を運びました。昔の消火器から水車(みずぐるま)まで様々な資料が収蔵されていました。見たことのない資料がいくつもあり、どんな使われ方をしていたのかと思わず考えてしまいました。

写真:資料を運ぶ様子

その後、権現山遺跡に行きました。今は涼しげで気持ちのいい公園になっていました。ここから出土した穿孔(せんこう)土器は資料館に展示されているので、ぜひじっくりとみてみたいと思います。

写真:鬼塚さん説明風景

 

午後は教材研究を行いました。

様々な教科の教科書から、資料を活用できそうな単元を探して活用法を考えました。理科や数学など、一見歴史資料と遠い関係にありそうな教科も、みんなで頭を捻って案を出していました。今日考えたものが、実際に使われる機会があればうれしく思います。

 写真:教材研究、作業風景

 

実習も後半に差し掛かってきました。残りの日も気を引き締めてしっかりと学んでいきたいと思います。

(令和5年度実習生)

博物館実習4日目・他館見学

本日は、他館見学として、草加市立歴史民俗資料館と八潮市立資料館の見学を行いました。

 

午前は草加市立歴史民俗資料館を見学しました。

非常に丁寧に解説をして頂き、小学生の利用者が多く、実際に触れて体験することが出来る展示方法を行っていることや、パネルの制作にも力を入れていることが分かりました。

写真:草加市立歴史民俗資料館で展示の解説を受けている様子

 

午後に見学した八潮市立資料館では、古民家やマイクロフィルムの資料等、あまり触れたことがない資料についても詳しくお話を伺いました。また、水害や藍染に関する展示スペースからは、地域の特色を強く感じました。

皆、積極的に質問をしており、有意義で学びの多い時間を過ごすことが出来ました。

 写真:八潮市立資料館で展示の解説を受けている様子

二つの資料館を見学したことで、地域について伝えるために意識していることや展示方法ついて学ぶことが出来ました。

 

実習もほぼ折り返しとなりました。残りの実習も一生懸命取り組んでいきたいと思います。

 

(令和5年度博物館実習生)

博物館実習3日目・資料取扱い実習

本日は資料の取扱いについて学びました。

午前は掛軸と巻物。学校の授業で実際に触ったことがある人も多かったようですが、持ち方や注意する点などはその時々によるため、慎重に扱わなければなりません。

実際に扱ってみると、しまい方の手順を飛ばしてしまったり、うまく巻けなかったりとなかなか難しく、皆真剣に手元を観察していました。

写真:掛軸取扱い実習の様子

午後は考古資料、今回は資料を外に持ち出す想定で土器の梱包を行いました。

まずは梱包に必要な綿布団を用意します。そして、それを使って土器を包んでいくのですが、土器の形はものによってさまざま。大きいものもあれば、小さいものもあります。それらに合わせて適切な梱包方法を考え、丁寧に包んでいきます。

梱包・運送の際、どんな状態だと資料を傷つけてしまうのか、想像力の必要な作業であると思いました。

写真:土器梱包の様子

実習はまだまだ続きます。楽しみながらしっかり学んでいきたいと思います。

(令和5年度実習生)

実習2日目はワークショップと教材研究を行いました!

実習2日目は、お子様向けワークショップの補助と見学、そして小学校の教科書を用いた教材研究を行いました。

 

ワークショップでは、紙芝居「牛島の藤の伝説」の上演を3人ずつに分かれて行いました。紙芝居の読み聞かせは初めての経験でしたが、子どもたちは興味津々な様子で聞いてくれて、やりがいを感じました。おもちゃ作りにも楽しく参加していただき、無事にワークショップを終えることが出来ました。

また、蓄音機の上演を見学させていただきました。私自身、レコードから流れる音楽を生で聞く初めての経験だったので非常に印象に残りました。

 写真:紙芝居の様子

写真:おもちゃ作り体験の様子

教材研究では、小学校の全科目の教科書をじっくりと読み、博物館所蔵の資料と関連付ける方法を個人で考えまとめました。中には、アイディアの出づらい科目もあり、苦戦する場面もありました。博物館が学校と連携することにより、学びの幅を広げる博学連携の難しさを実感しました。

 

(令和5年度博物館実習生)

【臨時休館のお知らせ】8月5日(土)午後、6日(日)

令和5年8月6日(日)は、教育センターが埼玉県知事選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。

〈臨時休館日〉

令和5年8月5日(土)午後

令和5年8月6日(日)終日

※令和5年8月7日(月)は通常の休館日となります。

実習1日目「オリエンテーション」

令和5年度の博物館実習が始まりました。今年度は6人の実習生が参加しています。

 

初日の今日は、オリエンテーションを行いました。

午前中は、館内や収蔵庫の見学を行い、展示の仕方や展示内容、収蔵庫での保管法の工夫等を説明していただきました。常設展示では、春日部市のあゆみを知ることができ、来館者の方々に人気がある竪穴式住居や宿場町の模型も見ることができました。

また、初めて入った収蔵庫では、ドアの内側に網戸があること、書物の保管には中性紙の封筒が使われていることを学びました。スペースいっぱいに資料が置かれている光景は驚きでした。

写真:収蔵庫

 

午後は、まず明日行われる子ども向けのワークショップの準備を行いました。紙芝居の練習やペーパーローリングの作り方の確認をしました。明日は子どもたちが喜んでくれるように頑張りたいです。

写真:おもちゃの製作

写真:紙芝居の練習

その後は、博物館についてのディスカッションとして、理想の博物館や春日部市郷土資料館のメリット・デメリットについて意見を交わしました。理想の博物館としては、「学芸員が研究できる環境が整った館」や「自分の地域を知ることができる館」という意見が出ました。春日部市郷土資料館のメリットは「竪穴式住居が子どもにも印象深い」、「狭いスペースをうまく利用して展示している」という意見があり、デメリットとしては「パネルと展示物の順路に少しばらつきがある」、「パネルによって文字が読みづらいところがあった」という意見がありました。様々な意見が出て、とても有意義な時間になりました。

 

実習は計8日間あるので、体調には気をつけながら、たくさんの学びを得ていきたいと思います。

(令和5年度実習生)

【令和5年夏季展示_あなのあいた壺】展示解説講座をおこないました

展示解説講座

本日は展示解説講座を開催し、30名の方にご来館いただきました。誠にありがとうございました。

展示解説講座では、一口に底にあなが開いているといっても、土器として焼かれる前にあなをあける焼成前穿孔(しょうせいぜんせんこう)と焼成後穿孔(しょうせいごせんこう)があることや、権現山遺跡の底部穿孔壺は、土器を横から見た時の形が2種類ある話などをしました。また「底にあなをあける」行為は、考古学では「非実用的なものとするため」といった説明がされますが、だれもが納得するような理由はまだ解明されていないことなどをお話ししました。展示後は、展示室で実物をみながら、解説をさせていただきました。

いただいた感想では、昔の人にも死者に対する深い思いがあったのではないか、穿孔壺のあなは壺にたましいが残らないようにあけたのではないか、などのご意見をいただきました。なぜ、あなをあけたのかについては、ぜひ皆さんも悩んでいただければと思います。

 

さて、展示の関連イベントは、このあとミュージアムトークと記念講演会が予定されています。どうぞご参加ください。

(関連イベント)

<募集中>記念講演会「権現山遺跡の底部穿孔土器と葬送祭祀」

権現山遺跡出土底部穿孔土器について、古墳時代に見られる葬送祭祀がご専門の古屋氏をお招きし、ご講演いただきます。

講師:古屋紀之氏(横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター所長)

日時:9月2日(土)14:00~16:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員100人(申込順)

費用:無料

申し込み:受付中です!電話(048-763-2455)、直接、電子申請のいずれか

 

<参加自由>ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:8月19日(土)、9月3日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要です!時間までに、企画展示室へお越しください。

【令和5年夏季展示_あなのあいた壺】昭和38年4月5日埼玉新聞の記事

権現山遺跡の第1次調査は、昭和38年4月2日から4日に行われました。埼玉新聞の取材を受け、翌4月5日には、旧大滝村(現・秩父市)三十場(みそば)で調査された遺跡と合わせ、紙面に大きく掲載されました。

記事では「底にあながあけられている」ことは明記されていませんが、「ハニワ(埴輪)ツボ」と表現され、実用のものではなく、埴輪のように祭祀に使われたものだと書かれています。

また、米島や西親野井、松伏町の築比地(ついひじ・記事中の「ついへじ」は誤り)、杉戸町豊岡でも遺跡が発見されていることが書かれており、これは米島は米島貝塚、西親野井は神明貝塚、杉戸町豊岡は目沼浅間塚古墳(めぬませんげんづか古墳)の調査を示しています。松伏町築比地の「昨年石オノ」との記述はどの遺跡かわかりませんが、築比地地区では、昭和29年(1954)に、栄光院貝塚の調査が行われています。

昭和38年4月5日埼玉新聞

昭和38年4月5日埼玉新聞

 

(記事全文)

考古資料各地からぞくぞく 庄和村から発掘 土器など原型のままで

 北葛庄和村で古墳時代の土器多数がほとんど原型のまま発掘され、考古学研究に貴重な資料がそろったと関係者を喜ばせている。出土したのは同村中野通称”権現山台地”で、同所農業、横川四郎さん(五五)ら六人の所有地六千平方メートルを畑にするため、さる三月末からブルドーザーでけずりとっていたところ、地表下一メートル前後のところから土器数個が出てきたので工事関係者が同村葛飾中、横川好富教諭(二五)=国学院大日本史学専攻=に連絡、国学院大の学生と同中学生数人の協力を得て、三日から現場の下調べをかねて出土品をとり集めた。

 この結果四日までに土器と什(じゅう)器など二十余点がみつかったが、土器、什器とも素焼きのウツワで、大きいのは直径一〇センチ、平均七、八センチあり、ほとんど原型のまま出土した。同教諭はこれを県文化財保護委の柳田敏司係長にみせたが、土器は三、四世紀の古墳時代(今から千五、六百年前)のもので、土器のうちハニワ(埴輪)ツボは当時の住民が祭し(祀)用に使ったものと推定され、県下では松山についで二度目の出土器だという。

 この近くの同村米島と西親野井では、さきに縄文(じょうもん)土器、松伏村築比地(ついへじ)では昨年石オノ、杉戸町豊岡では数年前に前方後円墳が発掘されており、住民がいたので、このほかにも考古学の資料が出土するのではないかと期待されている。

(昭和38年4月5日埼玉新聞)

 

<開催中>春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)~9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

 

(関連イベント)

<募集中>記念講演会「権現山遺跡の底部穿孔土器と葬送祭祀」

権現山遺跡出土底部穿孔土器について、古墳時代に見られる葬送祭祀がご専門の古屋氏をお招きし、ご講演いただきます。

講師:古屋紀之氏(横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター所長)

日時:9月2日(土)14:00~16:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員100人(申込順)

費用:無料

申し込み:受付中です!電話(048-763-2455)、直接、電子申請のいずれか

 

<参加自由>ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:8月19日(土)、9月3日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要です!時間までに、企画展示室へお越しください。

 

【体験ワークショップ】ペーパーローリングを作ろう!

7月30日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、蓄音機の上演、紙芝居、昔のおもちゃづくりをします。

今回作る昔のおもちゃは「ペーパーローリング」です。

 

ペーパーローリング

昨年度の最後(令和5年1月)のワークショップで作ったおもちゃもペーパーローリングだったのですが、今年度は初回で作ることにしました。

というのも、ペーパーローリングは1980年代頃にお祭りや縁日で販売され大流行した商品とのことで、“お祭り”といえば“夏”という安直な発想から、この時期に作ってみようと思いました!

ペーパーローリング遊び方

私も子供のころ、「不思議なおもちゃだなぁ~」と思いながらよく遊びました。

部屋の照明から垂れ下がっている紐を狙って“シュッ”っと。この感覚、今の子どもたち果たして伝わるでしょうか(笑)

 

簡単な作りなのに、ついついハマって遊んでしまうペーパーローリング!

一緒に作って遊んでみましょう♪

 

申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和5年7月30日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機と紙芝居の上演

   昔のおもちゃづくり(ペーパーローリング)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

【令和5年夏季展示】あなのあいた壺はじまりました

7月22日(土)より、権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」展が始まりました。

第68回企画展示チラシ

 

開催初日の本日は、午前、午後とミュージアムトークを行いました。ご参加いただいた方、ありがとうございました。

ポスターやチラシに載せている赤い壺は、権現山遺跡の底部穿孔の壺で、高さは13.7㎝です。ポスターやチラシでは、一見、大きそうに見えてしまうこともあり、実際、会場で実物をご覧いただいた方からは「かわいい壺」との感想を頂きました。ミュージアムトークはこのあと、8月19日(土)と9月3日(日)に予定しています。

ミュージアムトーク

 

また、「小さな壺に色を塗って大きな壺にはろう」というコーナーを設けています。実際の権現山遺跡の底部穿孔壺の実測図のコピーに、好きな色を塗って、同じ壺の大きな実測図に貼っていただくものです。

初日だけで、カラフルな壺がたくさん貼られました。

小さな壺に色を塗って大きな壺に貼ろう作業

小さな壺に色を塗って大きな壺に貼ろう

「あなのあいた壺」展は、9月3日(日)までです。関連イベントも実施します。 ぜひご来館いただき、あなのあいた壺の実物をご覧ください。

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)~9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

(関連イベント)

●記念講演会「権現山遺跡の底部穿孔土器と葬送祭祀」

権現山遺跡出土底部穿孔土器について、古墳時代に見られる葬送祭祀がご専門の古屋氏をお招きし、ご講演いただきます。

講師:古屋紀之氏(横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター所長)

日時:9月2日(土)14:00~16:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員100人(申込順)

費用:無料

申し込み:受付中です!電話(048-763-2455)、直接、電子申請のいずれか

 

●展示解説講座

古墳時代の権現山遺跡出土底部穿孔土器を中心に、弥生時代の須釜遺跡の資料などについて、郷土資料館学芸員が解説します。

講師:郷土資料館学芸員

日時:7月29日(土)10:00~12:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員50人(申込順)

費用:無料

申し込み:受付中です!電話(048-763-2455)、直接、電子申請のいずれか

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:7月22日(土)、8月19日(土)、9月3日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

不動院野の神楽~鷲香取神社夏まつりでの公開~

  夏休みまであとわずか・・・・小学生や中学生の浴衣姿が多数みられた内牧地区の鷲香取神社で夏まつりが7月18日に開催されました。例年、春日部夏まつりの後、そして夏休み直前という日程ですが、かき氷、金魚すくいなど、なじみの出店と提灯が境内に並び、懐かしい雰囲気を醸し出していました。

 

 その中で、境内南側にある神楽殿で市指定の伝統芸能、不動院野の神楽が公開され、祭り囃子をはじめ、おかめひょっとこ、大黒様、獅子舞などの演目が演じられ拍手喝采をいただいていました。

 

 

 

 

 

 

 特に縁起物の獅子に頭をかじられると無病息災になると伝えられているため、新生児をはじめ小学生が列をなし、代わる代わる、また中にはこわごわと頭を出す児童もみられました。

民俗芸能を継承する団体は地元のお祭りに限らず、他地域のお祭りにも出演し活躍しております。

暑い中、ありがとうございました。

市内各地域で伝統芸能が公開されました!!

 連日の猛暑が続いていますが、7月15日(土)、16日(日)には市内各所で埼玉県や春日部市の指定文化財(無形民俗文化財)が公開されました。コロナ渦でほぼ4年ぶりの公開となる伝統芸能もあり、地域の皆さまの不断のご協力とご支援のもと次世代の子供たちへ伝統の舞が継承されております。

 埼玉県の文化財に指定されているやったり踊りは15日午後8時スタート。大畑香取神社で小中学生の小若、成人の若衆による扇子踊りと手踊りが奉納されました。小若の中学生にとっても4年前は小学生低学年。当時の経験を思い起こしながら若衆の指導のもと、本番に臨むことができました。若衆のみなさんも連日の指導に加え自らの舞を仕上げてくれました。

 

市内東部、江戸川沿いの西金野井香取神社では、県指定の西金野井の獅子舞が16日(日)に公開されました。

 

午前からさんさんと照り付ける日差しでしたが、今年出産された女児双子ちゃんが太夫獅子からのお祓いをいただいていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西金野井の獅子舞では、春から練習を重ねている南桜井小学校の伝統芸能クラブの皆さまも祭礼に加わり、練習の成果を披露。暑い中、初めて獅子頭を被り、熱演してくれました。保存会の皆さまは午前10時前から夕刻までの長丁場、数々の演目を披露、最後には神社拝殿で注連縄を切る「注連切り」を舞い、終演となりました。

榎区の集会所では、市指定の榎の囃子神楽が公開され、軽快な祭り囃子と共に、女性の大黒さまと高校1年生による獅子舞が披露されました。獅子役の高校生はお父さんと役替りし太鼓を、祖父は笛を奏でると、親子三代で共演いただきました。

 

 豊野地区では、越谷市下間久里の獅子舞から伝承された2つの獅子舞が同日に奉納舞が行われました。4年ぶりの公開となった赤沼の獅子舞では、子ども獅子と女性の舞手が勇壮な舞に加わりました。そして太夫獅子による弓くぐりも行われ、五穀豊穣、疾病退散が祈願されました。

 

 そして赤沼と同系列の銚子口の獅子舞でも勇壮可憐な三匹獅子が披露。今夏でも女性の舞手が小獅子役を担い、優美な舞を演じていただきました。

市内の伝統芸能の夏季の公開はこの二日間、10月にも各所で奉納舞が公開されます。子供たち、そして女性と新たな世代の後継者が伝統の舞を受け継いでいますので、ぜひ、現地へ足を運んでみてはいかがでしょうか。  

 

 

【令和5年夏季展示予告その6】須釜遺跡の底部穿孔土器

須釜遺跡3号再葬墓出土底部穿孔土器

3号再葬墓出土底部穿孔土器の底

須釜遺跡3号再葬墓出土底部穿孔土器

 

須釜遺跡は、倉常の中川(庄内古川)左岸の水田地帯で、周りより1~2mほど標高が高い自然堤防と呼ばれる微高地に立地します。これまでに3回の発掘調査が行われ、1・2次調査では、古墳時代前期の竪穴状遺構や包含層、近世の屋敷跡が確認されています。3次調査は、平成13年(2001)に土地所有者が耕作作業をしている際に弥生土器が発見されたことがきっかけとなり行われました。弥生時代中期の11基の再葬墓と呼ばれる墓跡と、それに伴って約30点の完全な形に近い弥生土器が発見されました。須釜遺跡の出土遺物は平成17年に埼玉県の有形文化財に指定されました。

 

須釜遺跡の底部穿孔土器は3号、4号、6号、7号再葬墓から出土しています。壺以外に、甕や筒形の土器も穿孔されています。いずれも焼成後の穿孔です。底の外面(下側)に何かを当てた痕跡がないことから、内面(上側)からあなをあけているものと考えられます。

須釜遺跡7号再葬墓出土土器

須釜遺跡7号再葬墓出土土器底部

須釜遺跡7号再葬墓出土土器内面

須釜遺跡7号再葬墓出土土器(側面、底面、内面)

 

ほかの再葬墓の遺跡でも底部穿孔土器が出土することはあるものの、須釜遺跡のように多くの土器が穿孔されることはありません。須釜遺跡の再葬墓は、お墓の形が再葬墓から方形周溝墓に移り変わる時期に営まれたと考えられており、そういった時代背景から底部穿孔土器が多く出土している可能性も考えられます。

 

須釜遺跡については、下記の記事などもご覧ください。

【常設展】須釜遺跡出土土器を展示替えしました

須釜遺跡再葬墓出土遺物一括-指定文化財でめぐる春日部

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

【令和5年夏季展示予告その2】第68回企画展示ーあなのあいた壺

 

#納涼 ミュージアム #スタンプラリー

暑い日が続きますね。暑い日は、お近くの博物館に涼みに。そして、ぜひご家族で近隣の博物館巡りをしてはいかがでしょうか。 #博物館 #かすかべプラスワン #クールオアシス #夏休み

画像:スタンプラリー台紙

7月15日から始まった「彩の国東部・北部ミュージアムスタンプラリー」は、春日部市郷土資料館を含む博物館24館園のスタンプラリー。中学生以下の方のみ参加可で、スタンプ3つ集めれば粗品。6つ集めればオリジナル埴輪貯金箱をプレゼント。最西端は神川町から、最南端は三郷市まで24館園が参加しています。24館園のなかには、まちのクールオアシスとして協力している博物館もありますので、涼みながら、各地域の特色を知り、学べます。 

スタンプの台紙はこちらからR5_埼博連スタンプラリー台紙.pdfダウンロード・ご利用できます。春日部市郷土資料館は、多種多様なスタンプを用意していますが、台紙におすのは1つまでなのでご注意を。

 

事業名:彩の国東部・北部ミュージアムスタンプラリー

主催:埼玉県博物館連絡協議会東・北部地域連絡協議会

期間:令和5年7月15日(土)から10月1日(日)景品がなくなり次第終了

参加加盟館園:埼玉県東・北部の博物館24館園

対象:中学生以下の方

【令和5年夏季展示予告その5】権現山遺跡の大口径羽口

奈良時代~平安時代の竪型炉に伴う大口径羽口

権現山遺跡で発見された大口径羽口(写真のように置いた時の縦の長さ19㎝)

 

昭和63年(1988)に行われた権現山遺跡の第2次調査では、奈良時代から平安時代の大口径羽口(だいこうけいはぐち)が発見されています。羽口とは、鉄を加工する炉の内部に、火の力を強めるために空気を送り込むための送風管のことです。粘土で作られており、火を受けた跡や溶けた鉄が付着していることが確認できます。

今回ご紹介する羽口はとても大きいもので、大口径羽口と呼ばれています。大口径羽口は、砂鉄から鉄を作るための竪型炉(たてがたろ)に装着されたものです。権現山遺跡では、このほかにも、製鉄(製錬・せいれん)にともなう炉壁(ろへき)や鉄滓(てっさい)が、総量34435.2g出土しています。

 

竪型炉の本体は発見されておらず、資料が集中して出土した場所は、廃材を捨てる排滓場(はいさいば)であったと考えられます。大口径羽口などの特徴から、時代は、8世紀後半から9世紀前半と推定されています。

春日部市周辺では、製鉄(製錬)の工程に関する遺跡は現在のところ、この権現山遺跡のみです。鍛冶(鉄を製品にしあげる)の工程の遺跡は、松伏町の本郷遺跡や市内米島の吉岡遺跡、宝珠花の町道遺跡、小渕の小渕山下遺跡で発見されています。

この大口径羽口の出土により、権現山遺跡周辺で、砂鉄を原料とした製鉄を行っていたことが推定できます。

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

【令和5年夏季展示予告その2】第68回企画展示ーあなのあいた壺

春日部市郷土資料館7月の休館日

休館日にご注意ください。Please note 请注意 주의해 주세요  #Closed #休馆日 #휴관일

7月の休館日は、3日(月)・10日(月)・17日(月・祝)・18日(火・祝日の翌日)・24日(月)・31日(月)です。

Closed Mondays and July 18

休馆日 周一 7月18日

휴관일 월요일 7월18일,

休館日に、外国の方がスタンプラリーで来館されていると聞いています。ご注意ください。

画像:うめわかおじぎ

伝統芸能の公開にむけて-やったり踊りの練習にうかがいました!!

 いよいよ夏季の例祭が各地で催されますが、7月8日(土)は埼玉県無形民俗文化財に指定されている”やったり踊り”の練習にうかがいました。

 

令和元年の公開以降、3年ぶりに小若の元気な舞と若衆による伝統を継承する勇壮な舞が戻ってきました。

 

 この日は本番同様、練り込みと呼ばれる西光寺から奉納舞を行う大畑香取神社境内まで、道中の所作をはじめ、小若低学年、高学年、若衆の順で「扇子踊り」と「手踊り」の仕上げが行われました。

 

 小若の低学年(小学生1~3年生)は初めての参加、さらに高学年の皆さんも3年のブランクを取り戻そうと、低学年時の経験を一生懸命に思い起こしています。境内での練習は本日が初めてで当初は戸惑いもみられましたが、若衆みなさんのアドバイスや励ましにより、低学年を引っ張ろう、舞を合わせようと、頑張ってくれました。

 この練習時には、小若は揃いの半被ですが、若衆は白地に鮮やかな青の染め抜きの浴衣、赤の鉢巻き、赤の鼻緒の草履という、特徴的な装束も見どころの「念仏踊り」とされる県内でも希少な無形民俗文化財です。

 全国的にもコロナ渦で中断が余儀なくされていた伝統芸能の再興にご苦労されています。是非、この夏の祭礼に足を運んで地域の伝統芸能を応援ください!

※やったり踊りの公開は、次週土曜日、7月15日(土)午後8時に西光寺を出発、約20分の練り込みにより大畑香取神社へ。午後8時30分ごろから奉納舞が公開されます。

 7月16日(日)は、西金野井の獅子舞、赤沼の獅子舞、銚子口の獅子舞、榎の囃子神楽も公開されます。詳しくは市公式ホームページをご覧ください。

展示替はじまっています

7月2日までの企画展の資料を撤収しました。素丸書の松尾芭蕉の肖像画の軸を巻き、まさにしまおうとしたところ、軸の表紙に目がとまりました。

軸の表紙

墨書や蔵書印があるのですが、注目は次の蔵書印です。

画像:蔵書印

鼎(かなえ)を模している印なのでしょうか。やかんでしょうか。形はよくわかりませんが、文字はちょっと読みづらいかもしれませんが、印には「宜春園(ぎしゅんえん)」と印刻されているようです。

宜春園とは、江戸中期の備後の文人・石井文龍が、師匠の溝口素丸から与えられた号です。素丸も宜春園を名乗っていたといい、文龍にとっては誉れ高き名跡だったはず。その後、宜春園の名跡は、地元の文人に継承されていきました。

詳しくは、松尾芭蕉の肖像が春日部に伝来した理由を参照してください。

つまり、芭蕉の肖像の軸に「宜春園」の蔵書印が捺されているということは、まぎれもなく石井文龍の持ち物だったといえるわけです。今後、「宜春園」の蔵書印に注目しながら、他の資料を検討していけば、何か新たな発見があるかもしれません。撤収のさなか気づいた今後の課題です。終わりは始まりなのです。

さて、撤収後、次の企画展示「あなのあいた壺」展の設営が始まりました。

写真:展示の設営

前の展示は、紙ものばかりでしたが、今度はうってかわって立体的な土器が並びます。資料の種別や特性によって、取り扱い方も全く違います。倒れないように、土器専用の台やテグスなどでしっかり固定しています。立体的な資料なのでどの部分を見せたいのか、担当の学芸員の個性が出るところでしょう。

終わりは始まり、ですが、展示の設営が始まったということは、これもいつか終わりを迎えるのです。

終わりは始まり、始まりは終わりなのです。

企画展示は期間限定ですので、お見逃しなく。

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

【令和5年夏季展示予告その4】権現山遺跡の縄文時代晩期の土器

権現山遺跡晩期土器

 

権現山遺跡から出土した縄文時代晩期の土器(土器の高さ48.2㎝)

 

権現山遺跡では、これまでに3回の発掘調査が行われています。今回は「あなのあいた壺」展で展示予定の権現山遺跡の縄文時代晩期の土器を紹介します。

縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6時期に区分されていますが、春日部市域でもっとも遺跡数が多いのが縄文時代前期です。東京湾が北に広がった縄文海進がもっとも進んだ時期で、低地は海となり、陸地であった台地で人々は生活し、貝塚を残しました。縄文時代中期の遺跡も比較的多くみられます。縄文時代後期になると、遺跡数は少なくなりますが、神明貝塚のような大きな遺跡が確認されています。

縄文時代晩期は今から約3,300~2,500年前で、市内では今回ご紹介する権現山遺跡の深鉢形土器が、ほぼ唯一の資料です。

この土器は、昭和63年(1988)に行われた権現山遺跡の第2次調査で、古墳時代前期までに埋まったとみられる埋没谷から発見されました。縄文時代晩期後半、中部地方から東北地方にみられる浮線文系土器群に属するものと考えられています。

口径(復元)34.5㎝、推定の高さ48.2㎝の大型のもので、口縁には、2個1組と1個の山形の突起を交互に5個つけています。浮線文系土器の文様は、網状文(あみじょうもん)とよばれる網目のような模様がよく見られますが、権現山の土器は、竹などの工具で平行に線が引かれる平行沈線(へいこうちんせん)が描かれており、浮線文系土器群のなかでも新しい特徴とみられています。

縄文時代早期の土器に続き、この晩期の土器も大変貴重な資料です。 

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

【令和5年夏季展示予告その2】第68回企画展示ーあなのあいた壺

 

海外の方にも大人気! #クレヨンしんちゃん スタンプ

4月ごろから、郷土資料館に海外からのお客さんが見受けられるようになりました。「クレヨンしんちゃん 春日部スタンプ巡り」に参加されている皆さんです。

実は、4月16日(日)から2か月以上連続で海外の方の来館が続いており、ある日は来館者の半数以上が海外の方ということもありました。

春日部市郷土資料館で提供するしんちゃんのスタンプは、国指定特別天然記念物である牛島のフジ、国選択無形民俗文化財である大凧あげ、日光道中の宿場町、伝統工芸である桐ダンス・桐小箱をデザインした、春日部の魅力が詰まっているオリジナルスタンプです。

 

思いがけない反響に、資料館では、外国の方向けに多言語の案内表示を掲示しました。

画像:多言語化案内

また、常設展示のクレヨンしんちゃんの展示コーナーには、感謝の言葉も表示しました。

画像:感謝の多言語

これをきっかけに、江戸時代の宿場町や縄文人の家の模型を見学して、クレヨンしんちゃんが住む春日部の歴史文化に触れていただき、春日部市の魅力を知っていただきたいと、願うところです。

#家康 と春日部

#徳川家康 と春日部の関わりを紹介する春季展示は7月2日(日)まで。展示では家康が実は春日部に来ていたかも!?と紹介しています。 #かすかべプラスワン

展示も終盤なので、ネタバレで紹介します。家康が春日部に在陣することを示すのは、江戸幕府による官撰の系譜「寛政重修諸家譜」。戦国期には古河公方足利家の家来だった一色氏の系譜の記事のなかに見出せます。下の画像はその部分(国立公文書館所蔵)。

画像:寛政重修諸家譜

戦国末からの当主一色義直の記事は、次の通りです。

(前略)五年会津に御発向のとき、粕壁の駅に至りて拝謁し、台駕にしたがひたてまつらむ事を請といへとも、年老たるをもつて許し給はす、男照直を俱せらる、関原凱旋のゝち、参府して御気色をうかかふのところ、御前にめされ、義直老年ながら会津御陣の供奉をこひし事健気なりとの御感ありて、養老の料として下総国和歌領にをいて、千石の地をたまふ(後略)

慶長5年(1600)、家康は会津の上杉景勝の征伐のため、江戸城を立ちました。その途次「粕壁の駅」で一色義直は家康に拝謁し、軍勢に加わりたいと請願しますが、老齢のため家康の許しを得ることができず、嫡男の照直が供奉することになりました。

一色氏は、かつて幸手領(幸手市域から杉戸町・春日部市域の一部)を所領にしていた在地領主です(後に下総国相馬郡に所領を替えられ、現在の野田市の木野崎村に居住)。家康が関東に入部した後は、幸手に知行地5160石余を与えられ、徳川家の旗下となりました。慶長5年当時、義直は隠居の身でしたが、おそらく家康の軍勢が自らの所領幸手領を通行する直前の「粕壁の駅」で、挨拶のため拝謁したものと考えられます。

家康は、会津に向かう途中、小山で江戸に引き返したといい(小山評定)、そのまま関ケ原に向かいました(関ケ原の戦い)。

「諸家譜」はさらに続けて、関ケ原の戦いの後、一色義直は江戸城で家康に拝謁し、老年ながら会津征討に供奉したいと請願を「健気なり」と褒賞され、隠居料として下総国和歌領(現茨城県八千代町)に1000石の知行所を与えられました。

一色義直の「粕壁の駅」での拝謁については、残念ながら同時代の史料は残されていません。「諸家譜」のほか、一色家諸系譜(幸手市史編さん室編『幸手一色氏』)にも記されており、家に伝来した出来事であったと考えられますが、当時いわゆる「日光道中」が成立していたかは疑義が残り、「粕壁の駅」の位置や実態について詳しくはわかりません(後述)。

上杉征伐~小山評定~関ケ原の戦いは、大変ドラマチックな展開であり、その途次に「粕壁の駅」が登場するわけですが、近年は「小山評定はなかった」説も唱えられており、江戸からの行程、江戸までの行程も詳しくはわかりません。このあたりが大河ドラマでがどのように描かれるのか、注目されるところでもあります。

さて、肝心の「粕壁の駅」とは、何か。先日の「みゅーじあむとーく」でも、「粕壁の駅」とはどこなのか、当時粕壁に宿場町があったのか、など観覧者から鋭い質問をいただいたところです。

粕壁宿の名主文書によれば、いわゆる「日光道中粕壁宿」(現在の春日部大通り)の町割りがされたのは、慶長16年(1611)のこととされています。一方、天正18年(1590)9月には、岩槻城主高力清長が「糟壁新宿」に人を集め年貢を納めることを命じています。「糟壁新宿」はのちに元新宿と呼ばれた地区(現南・緑町)であり、いわゆる「日光道中粕壁宿」の成立以前の馬継場は同所にあったと考えられています(詳しくは以前紹介記事参照)。会津征伐の慶長5年は、この間の出来事。果たしてどこに「粕壁の駅」があったのか。はたまた、「粕壁の駅」はそもそもこの時期に存在したのか、今後の検討が必要です。

結論はでませんが、そうした家康と春日部の関わりを紹介している春季展示「かすかべ人物誌」は7月2日(日)まで。家康の朱印状も展示していますので、お見逃しなく。

 

出張授業in川辺小学校 その2

6月28日(水)は再び川辺小学校に行きました。

前回の6月9日は3年生の「総合的な学習の時間」でしたが、今回は6年生2クラス、社会科の授業です。

6年生は歴史の授業で弥生~古墳時代を勉強中だと教えてくれました。

3年生の授業とは内容が少し変わって、国史跡「神明貝塚」について具体的に学んだあとに、春日部市や川辺小学校周辺の縄文時代について発掘調査の成果を素材に学習に取組みました。

 

その後は「石器」「貝」「土器」に分かれての縄文体験です。

貝コーナーでは、遺跡から出土した貝を実際に触ってもらいました。

授業の冒頭に紹介した神明貝塚では、川や河口付近に生息するヤマトシジミがほとんで貝塚が作られたことが特徴です。

 

一方、学校周辺の貝塚はアサリやハマグリなど、海に生息する貝であり、神明貝塚の貝とを比べてみると、その違いがよく理解してもらえました。「縄文人は採集をしていた」ことを目に見えて実感してもらえたのではないでしょうか。

 

最初は縄文なんてよく分からないと言っていた子どもたちも、

終わってみると、楽しかった、おもしろかったと教えてくれました。

体験に使われる土器や石、貝は春日部市内の遺跡から見つかったものになります。

自分の住んでいる地域にも教科書で学んだことが起きていたということを、楽しかった記憶とともに覚えてもらえたら嬉しいです。

 

今月の出張授業は一区切りとなります。

川辺小学校のみなさん、ありがとうございました!引き続き、市内の子供たちに縄文時代の学習を深めてもらえるよう出張授業に取組みます!!

郷土資料館の顔~その2 怒っている!?人物埴輪

郷土資料館の顔の第二回目は、常設展示の内牧の塚内4号墳の人物埴輪です。

写真:人物埴輪

人物埴輪の出土事例として、顔・かたちがわかるものは、市内ほぼ唯一のもののようです。また、人の顔のある考古遺物としても、市内でも稀有な資料。

人物埴輪の解説については、前に博物館実習生に記述してもらったことがあります。詳しくはこちらをご覧ください。

解説にもあるように、完全な形はとどめていませんが、この埴輪は男性をかたどったものです。首には玉の首飾り、髪型はかけていますが耳の横に美豆良(みずら)を下げています。顔には赤い模様も施されており、春日部に住んでいた(?)古代人の姿がうかがえます。

顔の表情をみると、目と口は直線状の穴で表現されています。鼻筋も通っており、切れ長の目で東洋人的な「しょうゆ顔」でしょうか。

そんなこの人物埴輪、面白いのが角度を替えて鑑賞すると全く違う表情を見せてくれるところです。

写真:上からみた人物埴輪

写真のように上から見ると、切れ長の目がつりあがり怒っている表情に見えます。ケースを下から見あげると、目が垂て悲しんでいる表情の様。あたかも、千円札を折って表情を変える野口英世のようです。

記述者が最初にみた写真は少し上から撮っていた写真だったようで、目がつりあがって怒っているイメージをもっていました。ところが、カメラの角度を替えると全く違う表情。埴輪に怒っているのかと語りかければ、「キレてないですよ」「俺をキレさせたらたいしたもんだ」と言われてしまいそうです。

人物埴輪を制作した人は、どういう表情を思い浮かべ、制作したのでしょうか。そんなことに思いを巡らせると、お馴染みの資料でも、まだ十分に楽しめる余地が生まれてきますし、資料にとっての正面とは何か、を考えさせる一品でもあります。

ぜひ原物の人物埴輪に会いに来て、さまざまな角度からお楽しみいただければと思います。

市内の指定文化財については、本ページのメニューからもご覧いただけます。

・市指定史跡・内牧塚内古墳群についてはこちら

・市指定有形文化財・塚内4号墳出土遺物についてはこちら

出張授業in桜川小学校

6月27日(火)、今年度3校目の出張授業として桜川小学校にうかがいました。

今回は6年生を対象にした「学校付近に暮らした縄文人の生活」の授業です。

3クラスへの授業は今年度初となるため、職員も気合が入ります。

縄文時代の印象を聞くと「竪穴」「狩りや採集で食料を取った」と、きちんと覚えてくれているようです。でも、縄文時代の人びとが春日部にいたのかなと聞かれると、頭をひねる皆さん。中には「春日部にはいなかった」と答えてくれる子もいました。いやいや実は…と始まった今回の授業では、学校付近での縄文時代の遺跡を交えながら史跡神明貝塚と学校付近の縄文人の暮らしを説明しました。

 

桜川小学校は台地の上にあるため、縄文時代に海進がおよんでも陸地であった場所です。休み時間には目の前の海に泳ぎに行けたかもしれない、なんてわくわくする話です。

神明貝塚のビデオ、そして学校付近の縄文時代の生活について話を聞いたあとは、3班に分かれて体験の時間です。

 

1コーナー5分ほど、実際に石や貝、土器に触れる時間を設けています。

今回は土器コーナーの紹介です。土器の名前の由来となった「縄文」に触り、土器の煤など縄文人の実生活に際してついた痕跡を一緒に探します。

また、土器クイズも開催しました。一人一つ土器片を選んでもらい、自分の土器が何時代のものかを考えてもらいます。ヒントを見ながら、「縄文土器」「土師器」「須恵器」「埴輪」を当てる4択問題です。実は正解者が多いこの問題、土器に違いがあることを実感してもらう良い機会になりました。

さて、今月の出張授業も残すところ1校となりました。

教科書の文章をより身近なものに感じてもらえるよう工夫を続けていきます。

 

桜川小学校のみなさん、ありがとうございました!

郷土資料館の顔~その1 石井文龍

春日部市郷土資料館の展示室は、とってもせま~いのですが、展示を見渡すと様々な「顔」があることに気づきました。絵やイラストでも、顔と認識されるモノは、人間の本能なのか目を引くようです。そんな郷土資料館の顔を紹介する新シリーズ。 #かすかべプラスワン

第一回目は、現在、春季展示「かすかべ人物誌」で展示中の、江戸時代の地域文人石井文龍の「顔」です。

画像:石井文龍の顔

石井文龍については、先日紹介しましたので、それに譲ります。

描かれた文龍は、74歳、晩年の時のもの。享年が74歳なので、亡くなる直前か、生前の姿を描いたもののようです。

文龍は、医者であり、若い時分から俳諧に傾倒してきた地域の文化人でもありました。白髪で穏やかなお顔付きで、やさしい眼差しをしています。好きなことを追究され、穏やかな晩年を過ごしたのではないか、そんなことが想像される「顔」です。

不定期ですが、郷土資料館の「顔」シリーズ。次回をお楽しみに。

#松尾芭蕉 の肖像画が #春日部 に伝来した理由

松尾芭蕉の肖像画などを展示する春季展示「かすかべ人物誌」も残すところあと1週間になりました。 #かすかべプラスワン

写真:展示風景

芭蕉の肖像画が、なぜ春日部に伝わったのか、前の記述では来てのお楽しみとしていましたが、ここで少し解説します。ネタバレですので、楽しみにされている方はご注意ください。

今回展示している松尾芭蕉の肖像の掛け軸は、備後の旧家と八丁目の仲蔵院に伝わったものです。

備後の旧家とは、代々在村医をつとめてきた石井家です。江戸時代中頃の石井家の当主文龍は、葛飾蕉門という江戸を中心とする俳諧の一派に加わり、当時の宗匠溝口素丸(幕臣)に師事し、俳諧に傾倒しました。葛飾蕉門は芭蕉の高弟山口素堂の系統を引く一派です。文龍の居住した備後村や周辺の村々では、18世紀半ばごろには地域の俳諧が盛んであり、この環境で幼少期・青年期を過ごした文龍が俳諧に傾倒したのは必然的であったのかもしれません。

文龍は素丸や兄弟子筋にあたる地域の俳人から俳諧を学び、師匠素丸の別号「宜春園」を継承して宗匠となり、地域の俳人に師事しました。その門人は数百人いたといわれています(石井敬三「東武地方武里の俳人石井文龍翁について」『武蔵野史談』1-2)。

前に紹介した芭蕉の肖像は、石井家に伝来したものです。文龍の師匠にあたる素丸自筆の芭蕉の句が書き込まれています。詳しい史料がなく、想像ですが、この肖像は、おそらく点取り俳諧などでよい成績を残した文龍に、師匠素丸が与えたものなのかもしれません。

文龍の生きた時代は、松尾芭蕉が「俳聖」として神格化される時代であり、「蕉風」を自称する俳諧サークルの活動が各地で活発になる時代でもありました。地域の文人たちは、芭蕉の命日を「芭蕉忌」として俳諧の場とし、これを俳題にもしながら、俳諧を創作したそうです。文龍の俳諧一派葛飾蕉門も「蕉門」と称しているように、芭蕉を敬慕し、その俳諧を継承していることを自負していました。文龍自身も西国巡礼の旅の途次に芭蕉の墓のある近江・義仲寺に立ち寄っていることから、「俳聖」芭蕉を敬慕していたものと考えられます。

文龍の肖像も遺されています(展示中です)。

画像:文龍肖像

晩年の文龍の姿ですが、茶人帽に頭陀袋。芭蕉に似せて描かれているようです。肖像の上には「散る柳 紅葉をねたむ 色もなし」は辞世の句です。彼の墓石にも彫られていました。この句は、師匠素丸から秀作と評されたもののようです。このように、文龍は、芭蕉を敬い、師匠からおそらく与えられたであろう芭蕉の肖像を大切に保管し、これが現代に伝わったのです。

実は、 八丁目の仲蔵院に伝来した芭蕉の肖像も同様です。時代は下りますが、明治から大正期にかけて、仲蔵院の住職平原寛圓は、雪中庵という俳諧一派に加わっていました。雪中庵は芭蕉の高弟服部嵐雪の系統を引く俳諧サークルです。詳しい履歴は調査が必要ですが、寛圓は竹堂凡子と号し、地域俳諧の宗匠であったようです。また、仲蔵院には近代の雪中庵歴代の宗匠が訪れていたことも分かっています(増田竜雨『竜雨俳話』昭和8年)。近代の地域の俳諧の拠点となった仲蔵院、そして竹堂の元に芭蕉の肖像が遺され、今に伝わったと考えられるのです。

江戸時代中頃以降、地域の俳諧・文人の交流のなかで芭蕉の肖像が生まれ、伝えられてきたこと。展示の担当者は、この点を強調しておきたいのです。

 展示では、芭蕉の肖像画のみならず、石井文龍の作品などを一堂に会しています。文龍は俳諧のみならず詩や画も遺しました。下の画像はその一つ。

写真:文龍の俳画

左手には猿回しの画とともに「世の中は つなてかなしも 猿回し」と詠んでいます。おそらく文龍の作品でしょう。

世の中は綱に繋がれた猿回しのようだ、という意味でしょうか。身分を超え俳諧に親しみながらも、身分制社会の桎梏を詠んでいるのでしょうか。本展の目玉資料の一つです。

展示はあと1週間。お見逃しなく。

【令和5年夏季展示予告その3】権現山遺跡の縄文時代早期の土器

権現山遺跡では、これまでに3回の発掘調査が行われています。今回は「あなのあいた壺」展で展示予定の権現山遺跡の縄文時代早期の土器を紹介します。

昭和63年(1988)に行われた第2次調査では、縄文時代早期(7,000~12,000年前)の屋外で煮炊きをしたと推定される炉穴(ろあな・ファイヤーピットとも言う)が10基発見され、全体の形がわかる深鉢(ふかばち)が出土しています。貝殻で土器の表面を調整した条痕文(じょうこんもん)と呼ばれる文様が見られ、条痕文系土器群とも呼ばれます。

土器の底部は非常に小さく、そのまま置いただけでは安定しないことから、炉穴などで底の先を土に埋めて使用したのではないかと考えられています。

縄文時代早期の条痕文系土器群は、破片では市内の遺跡から多く発見されますが、権現山遺跡で出土しているような、全体形がわかる個体は少なく、大変貴重な資料です。 

 

茅山上層式の土器1茅山上層式の土器2茅山上層式の土器3茅山上層式の土器4

権現山遺跡から出土した縄文時代早期の土器(土器の高さ28~45㎝)

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓で使われた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

 【令和5年夏季展示予告その2】第68回企画展示ーあなのあいた壺

 

出張授業in小渕小学校

6月23日(金)は小渕小学校へ出張授業にうかがいました。

今回は6年生の2クラスを対象にした「春日部に暮らした縄文人の生活」の授業です。

 

社会科の学習ではすでに古墳時代まで進んでいるため、6年生にとっては復習になりますが、

はじめに縄文時代がどんな時代か聞くと、「狩り!」「採集!」と元気に答えてくれました。

出張授業では、国指定史跡となった”神明貝塚”の紹介動画をみたあと、小渕小学校周辺の遺跡の存在と縄文時代の様子を画像を交えて紹介しました。

学校周辺には縄文時代の遺跡は確認されていません。縄文時代の6,000年前、縄文海進の頃は、小渕小学校付近は海原にあり、貝塚の調査によると春日部の海の様子はイルカやウミガメが泳いでいた…という話を興味津々で聞いてくれました。

小渕では古墳時代以降に人々が暮らしたことがわかっています。

近くにある砂丘の砂の中から大きな須恵器の甕が発見された話では、驚きの声が上がっていました。

 

その後は班ごとに分かれて「石器の用途」「貝の種別をはじめ縄文の食糧」「いろいろな土器」に実際に触れる体験をしました。

   黒曜石で段ボールを切る    食料となったイノシシの骨      縄文土器をさわる

  

 教科書でみた歴史が自分の住んでいる地域でもあったことを実感してくれたようです。

同じ春日部市内でも地域によって人が住んだ時期に違いがあることも、面白さの一つだと思います。

小渕小学校のみなさん、ありがとうございました!

みゅーじあむとーく開催しました

6月18日(日)に春季展示「かすかべ人物誌」のみゅーじあむとーく(展示解説)を開催しました。 #かすかべプラスワン

午前の部、午後の部ともに、郷土の歴史に高い関心をお持ちの皆さんにお集まりいただき、質問を交えながら展示解説をしました。

西金野井香取神社に伝わる天正19年(1591)の徳川家康の朱印状については、実物を見ながら史料の内容や形状を解説。写真では家康の朱印が見づらいのですが、実物では家康の朱印が確かに捺されていることがわかります。皆さんには、2代将軍の徳川秀忠の朱印状(の写真)と比べて、家康の朱印状と何が違うのかを考えていただきました。

写真:みゅーじあむとーくの様子

「色が違う!」と答える方がいらっしゃいましたが、写真の色が悪かったようで・・・すみません。

大きく異なる点は、家康の朱印状は、料紙を横半分に折った「折紙」という形態であるのに対し、秀忠のそれは、料紙全体を使用した「竪紙」という形態です。また、写真ではわかりにくいのですが、秀忠の朱印状は大高檀紙(おおたかだんし)とよばれる皴(しわ)の入った料紙を使っています。

一般的に「竪紙」という形態は「折紙」よりも厚礼な書式といわれています。天正19年の家康の寺社宛の朱印状は、①家康の花押が捺された竪紙のものと、②西金野井香取神社の例と同じ折紙で朱印が捺されるものの二通りに分けられます。①の例は領地100石を超える寺院宛のもので、より有力な寺社には厚礼な①の形式で朱印状を発給したようです。西金野井香取神社は、朱印状の形式から考えれば、広い地域まで勢力を及ぼす大きな寺社ではないが、北条氏の時代からの地域の有力な神社であったといえることができましょう。

天正19年(1591)、朱印状を発給した家康は、まだ豊臣政権下で関東地方の一大名にすぎませんでしたが、家康は、地域の有力な中小規模の寺社にも朱印状を与え、関東地方の地域支配を盤石なものにしていったのでしょう。

一方、秀忠の朱印状で使用される大高檀紙(おおたかだんし)は、豊臣秀吉が自らの朱印状で採用した料紙であり、天下人を象徴する料紙でした。秀忠の朱印状は、先代家康が寄進した領地を安堵(保障)する継目安堵の意味を持ちましたが、有力な寺院とともに西金野井香取神社のような地域の有力神社にも、竪紙の大高檀紙が使用されました。秀忠が朱印状を発給した元和3年(1617)は、豊臣氏は滅び、秀忠はすでに征夷大将軍となっていましたが、各地には有力な大名もあり、徳川政権を盤石なものにしていく過渡期でもありました。将軍の発給する文書の形式を整えて、政権・領国支配を安定させていく時期にあったので、継目の安堵もより厚礼なものにしていったのでしょう。

西金野井香取神社に伝わる家康の朱印状からは、当時の家康の政治的な立場を読み取ることができるのです。

本当は、秀忠の朱印状と並べて展示しようかと構想していたのですが、スペースの都合でお披露目は見送りました。またの機会をお楽しみに。とはいえ、家康の朱印状が見られるのも7月2日(日)まで。お見逃しなく。

【令和5年夏季展示予告その2】第68回企画展示ーあなのあいた壺

令和5年の夏季展示についてお知らせします。

春日部市東中野の権現山遺跡で、昭和38年(1963)に発掘調査が行われ、方形周溝墓から底部穿孔土器が出土しました。これらは「権現山遺跡方形周溝墓出土底部穿孔土器」の名称で埼玉県の有形文化財に指定されています。

今回の展示は、発掘調査60周年を記念し、普段は埼玉県立歴史と民俗の博物館で展示されている権現山遺跡の底部穿孔土器を中心に墓から出土した土器を展示します。

*埼玉県立歴史と民俗の博物館は、施設改修工事のため秋まで休館中です。

  

夏季展示チラシ

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓で使われた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

 

(関連イベント)

●記念講演会「権現山遺跡の底部穿孔土器と葬送祭祀」

権現山遺跡出土底部穿孔土器について、古墳時代に見られる葬送祭祀がご専門の古屋氏をお招きし、ご講演いただきます。

講師:古屋紀之氏(横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター所長)

日時:9月2日(土)14:00から16:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員100人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月11日(火)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●展示解説講座

古墳時代の権現山遺跡出土底部穿孔土器を中心に、弥生時代の須釜遺跡の資料などについて、郷土資料館学芸員が解説します。

講師:郷土資料館学芸員

日時:7月29日(土)10:00から12:00

場所:教育センター視聴覚ホール

対象:定員50人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月11日(火)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:7月22日(土)、8月19日(土)、9月3日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

 

権現山遺跡の底部穿孔土器については下記の記事もご覧ください。

【令和5年夏季展示予告その1】底にあながあけられた壺

 

春日部に伝来した #松尾芭蕉 の肖像

元禄2年(1689)3月27日、奥州の歌枕を訪ねる「奥の細道」の旅に出立した芭蕉は、その夜、弟子の曽良とともに「カスカヘ」に泊まりました。 #かすかべプラスワン

現在開催中の春季展示「かすかべ人物誌」では、春日部ゆかりの歴史上の人物として、徳川家康・松尾芭蕉について展示紹介しています。展示は7月2日(日)まで。6月18日(日)には展示解説(みゅーじあむとーく)を開催します。

今回は、展示中の松尾芭蕉ゆかりの資料を紹介します。松尾芭蕉と粕壁の関係についてはこちら

画像:松尾芭蕉肖像

上の画幅は、市内に伝来した松尾芭蕉肖像です。肖像自体は、芭蕉の墓所・近江の義仲寺で刷られたものです。近世中期ごろから、芭蕉を偲ぶ「芭蕉忌」という句会が芭蕉の命日に各地で開かれるようになりました。この肖像画も「芭蕉忌」に際して義仲寺で刷られたものなのかもしれませんが、担当者が調べる限りでは同じ肖像の資料は見つかってなさそうですので、詳しくは不明です。

注目されるのは画像の上の墨書です。「稲つまに悟らぬ人のたうとさよ」と芭蕉の著名な句が記されています。署名は「素丸書」とあります。墨書は、溝口素丸という人物が書いたものであることがわかります。

この素丸、近世中期にそこそこ名の知れた俳諧の宗匠。葛飾蕉門と呼ばれる江戸周辺の俳諧の一派のドン、其日庵(三世)の名跡を名乗ります。彼の自筆の芭蕉の句が記された芭蕉の肖像の軸がなぜ春日部に伝来したのでしょうか。

 

6月18日(日)の「みゅーじあむとーく」では、その事情について詳しく解説する予定です。上の写真の資料のほかにも芭蕉の肖像が2幅と1冊並んでいます。展示は7月2日(日)まで。お見逃しなく。

 

展示名:春日部市郷土資料館(第67回)春季展示「かすかべ人物誌」

会 期:令和5年5月20日(土)~7月2日(日) 開館時間:9時~16時45分

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15教育センター内)

休館日:会期中の月曜日

入場料:無料

関連事業:みゅーじあむとーく 6月18日(日)10時30分~、15時~

出張授業in川辺小学校

6月9日(金)は川辺小学校へ出張授業にうかがいました。

3年生みなさんの「総合的な学習の時間」をつかって、学校付近の歴史をテーマに”縄文体験”をチャレンジしてもらいました。

 

3年生ではまだ歴史の授業はまだ習っていないということで、

縄文時代小学校付近まで海があった話をするとあちこちから驚きの声が!

台地が入り組んだ地形で、坂が多い地区のみなさんだからこそ、地形と海の話もすぐ理解してくれたようです。

付近の発掘調査からみつかった縄文時代の貝塚や、人々が住んでいた竪穴住居の話も

クイズをしながら楽しく聞いてくれました。

 

その後は班ごとに「石器の用途」、「貝の種別をはじめ縄文の食糧」、「いろいろな土器」を実物に触れる体験をしました。

実際に重さや手触りを確かめてみたり、さらにはにおいを嗅いでみたり、発見したことをたくさん教えてくれました。

 

縄文人が食べた貝殻や実際に使った石器や土器などを観察する機会を得て、みなさんの住んでいる土地の歴史を身近に感じてもらえたようでとてもうれしいです。

今後もほかの小学校への出張授業を通して、春日部の良さを広めていきます。

川辺小学校のみなさんありがとうございました!

展示替の裏話

絶賛、市指定有形文化財「北条氏政の感状」を常設展示に出展中ですが、その裏話をちょこっと。 #かすかべプラスワン #博物館の裏話 #博物館の裏事情

展示のきっかけは、市の広報誌の「かすかべ今昔絵巻」の記事でした。入稿時の文章の末尾は「郷土資料館でもパネルで紹介しています」的な文章でしたが、せっかくだから「期間限定で」原本を出しちゃおう、というノリで今回の出品に至りました。こうして、郷土資料館は日々かわってゆくのです。

もう一つ。今回出品したものがあるということは、それと引替えに展示から撤収したものもあるということです。

北条氏政の感状を入れたケースには、もともと江戸時代の道中双六(レプリカ)が展示されていました。双六は残そうということになり、別のケースへ。双六を展示したケースに入っていた粕壁宿の絵図(レプリカ)が押し出されることになりました。粕壁宿の絵図(レプリカ)は、長く展示していたもので、粕壁宿の推定復元模型のジオラマと比較してみていただこうと、展示していたものです。日光道中粕壁宿を一見できる良質な資料なので惜しいのですが、仕方ありません。

ところで、資料(レプリカ)を回収したところ、うっすらと長方形の跡が!

 写真:レプリカの色落ち

展示では、くずし字の文字を解読したキャプションを資料の上においていたのですが、長い年月展示していたたため、キャプションのの跡がついてしまったようです。照明は紫外線カットのフィルター付きのもの、LEDライトを当てているのですが、レプリカとはいえ、印刷物の一種ですから、長い時間照明を当てていると色落ちしてしまうのですね。

資料館にいらっしゃるお客様から、たまに「展示室が暗い」「もっと明るくならないのか」とご意見をいただくこともあります。展示を見やすくすることは大事なのですが、私たちの努めは、資料を後世に伝えるということでもあります。今回の例で明らかなように、光に曝されると、目視できませんが資料は傷んでしまうのです。観覧される皆様もその旨、ご理解いただけると幸いです。

写真:照明をおとしています

 

【臨時休館のお知らせ】

令和5年6月10日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。

ご迷惑をおかけしますが、ご注意ください。

6月11日(日)は通常通り開館します。

常設展示にあの戦国大名が登場!?

市の広報紙に「北条氏政の感状」(市指定有形文化財)が紹介されたので、期間限定で常設展示に展示しています。 #かすかべプラスワン

写真:展示風景

市指定有形文化財「北条氏政の感状」は、永禄12年(1569)3月14日に多田新十郎に与えられたものです。古文書の中身については別に譲ることにしますが、春日部市としては、市内に伝わる数少ない中世(戦国時代)の古文書の原本の一つです。

おすすめは、氏政の花押(かおう)です。本文の文字は、おそらく大名の書記官にあたる家臣が書いている可能性が高いですが、花押は本人の自筆(のはず)です。

写真:氏政の花押

前近代の人たちにとって、文書に自署することは、自分自身を文書に投影させることを意味することもありました(ちょっと言い過ぎかもしれませんが)。北条氏政の感状は、まさに戦国大名北条氏政自身といえるわけです。写真では伝わらない古文書の風合いを、この機会に心ゆくまでご堪能ください。

展示期間は7月末までを予定しています。

北条氏政の感状については、こちらをご参照ください。

 

【 #6月2日 】 #今日は何の日?in春日部

今から378年前の正保2年(1645)6月2日(旧暦)は、江戸川が完成し通水をした日です。 #かすかべプラスワン

埼玉県と千葉県境を流れる江戸川は、江戸幕府による関東地方の河川改修の一環で開削された人工の河川です。

江戸川がいつ成立したのか。これは古くから学術的な見解がわかれる問題です。成立の年代の諸説として、寛永12年(1635)説(吉田東伍)、寛永17年(1640)説(根岸門蔵)、寛永18年(1641)説(清宮秀堅)、寛永12年起工・18年竣工説(栗原亮輔)が唱えられてきました。江戸時代前期の寛永時代の基本的な文献が少なく、参照する史料の性格の相違や、江戸川の上流と下流でも時期がずれることも説が分かれる理由の一つです。

ところで、市域の江戸川流域、かつて庄内領と呼ばれた地域には、開削当時の伝承を伝える江戸時代の記録が伝わっています。著名なものでは市指定有形文化財でもある「小流寺縁起」もその一つです。「小流寺縁起」は明暦3年(1657)に小流寺の開基・開山の由来について記した寺の縁起で、そのなかに寛永17年(1640)2月に幕府代官伊奈忠治の家来が利根川(江戸川)の改修工事のため川を見分したことが記されています。開削された時代のわずか十数年後に具体的な工事についての記述がされているため、歴史研究の世界ではよく知られた史料として扱われてきました。

また、同じく市指定有形文化財でもある元禄12年(1699)閏9月「西金野井香取神社領替地につき覚書」にも、寛永17年(1640)に「新利根川」(江戸川)の堀り替え工事が行われたことが記されています。

江戸時代の後期、地域の有力者(村役人)などに共有された手控え「庄内領三拾五ケ村高反別控帳」(郷土資料館所蔵)には、次のような記述がみえます。

庄内新田古来之事
右庄内新田之儀 寛永寅年より伊奈半重郎様御家来小嶌庄右衛門様御取立
寛永十七辰年より江戸川関宿より今上村堀迄、親野台辰より午迄三ヶ年、夫より正保二酉年六月二日新川村成就  水流し申候、正保元申年庄内領何村 名除いたし、草訳相成、戌亥慶安元子丑五ヶ年之間無年貢、其節之御役人左之通り(後略)

これによれば、庄内領の新田は、寛永15年(1638)に代官伊奈半十郎の家来小島庄右衛門によ
り取立られ、同17年(1640)から関宿から今上村(現野田市)まで江戸川が開削、「親野台」(現市内西親野井、野田市東親野井か)では開削に3か年を要した。

正保2年(1645)6月2日に江戸川が通水。同元年(1644)には「名除」(名附の誤写か)し、同3年(1646)から慶安2年(1649)の5年間(ママ)の年貢免除を経て、新田村が成立した、という。

本史料は文化年間(1804-1818)ごろに書写されたもので、記述に疑問が残る部分もありますが、他史料にも同様の記事もみえることから、19世紀の庄内領における開削・開発の記憶・伝承を記した記録といえます。江戸川の開削は、庄内領の人々にとって、自分たちが住む村の成り立ちとも関わる関心事でした。地元の人たちは、寛永17年(1640)に関宿から今上の開削が終わり、正保2年(1645)6月2日に通水をしたと考えていたようです。ほかの史料とも共通するのは寛永17年。おそらく、春日部近辺では、寛永17年ごろに江戸川が開削されたのでしょう。

そして興味深いのが、正保2年(1645)6月2日の通水。なぜこの年のこの日付なのか、十分な説明はできませんが、寛永17年の開削と同様、通水した出来事・日付を地元で脈々と伝えてきたのではないかと考えられます。別の史料では正保3年(1646)に舟渡しが命ぜられたとあるので、正保時代に江戸川は整えられたことになりましょう。

江戸川は、流通を支えた川として、自動車の物流が盛んになる戦後まで、人々の暮らしを支えてきました。

写真:昭和11~13年頃江戸川西金野井辺りポンポン船

写真は、昭和11~13年ごろの西金野井の河川敷で撮影されたもの。ポンポン船がはしっています。

郷土資料館では、現在、江戸川の開削を伝える資料を展示しています。ぜひご覧いただければと思います。

 

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月28日版6月3日版6月10日版7月31日版9月16日版

【春季展示】みゅーじあむとーくを開催しました

5月20日(土)から始まった「かすかべ人物誌」展の初日、学芸員による展示解説(みゅーじあむとーく)を開催しました。 #かすかべプラスワン

午前、午後ともに多くの皆さまにお集まりいただき、徳川家康や松尾芭蕉など歴史的な著名人物の人気ぶりがうかがわれました。

写真:展示解説の様子

解説では、家康の朱印状の形式や、家康が粕壁に来ていたことを伝える後世の史料、松尾芭蕉の肖像画幅、葛飾蕉門とよばれる俳諧一派の活動について、重点的にお話しました。

とくに俳諧・文芸について紹介していることもあり、普段とはちがって、文化文芸に関心の高い皆さんにご参加いただけた模様です。

次回のみゅーじあむとーくは、6月18日(日)を予定しています。ご興味あれば、ご参集ください。

【事務職員は見た】展示はこうして作られる!

春日部市郷土資料館では、年間4回程度の企画展を開催しています。

今回は、その作業風景を少しご紹介したいと思います。

 

展示が開催されるまでには、実はたくさんの苦労があります。

テーマを決め、構成を考え、必要な資料を集め、他館に依頼してお借りする場合などは資料運搬に伴う各種事務作業、キャプションを作り、担当者は意図をもって展示品を並べます。また、パンフレット・チラシ・ポスターを作成し、期間中の各種講座の準備もしなければなりません。

ライティング作業

また、パンフレットやキャプションを作るには、当然ながら知識の集積・研鑽も欠かせません。

研究風景

 

正直、“展示ってただ物を並べてればいいんでしょ?”と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、展示テーマ・展示品の選定はもとより、展示品の数、使用するもののサイズ、レイアウトなど、実は展示は担当者の個性が映る発表会の場でもあるのです。当館だけでなく他館においてもきっとそうだと思います。

展示のテーマに興味を持たれてお越しくださる方も多いと思いますが、そういった個性の違いも味わってみてはいかがでしょうか!

 

春日部市郷土資料館春季展示『かすかべ人物誌』は7月2日(日)まで開催中!

7月下旬には弥生時代から古墳時代をテーマにした企画展を予定しています!

ぜひ、郷土資料館に足を運んでみてください!

 

春季展示「かすかべ人物誌」はじまります

週末5月20日(土)から春季展示が始まります。 #かすかべプラスワン

春日部ゆかりの人物に焦点をあて「かすかべ人物誌」展と題した新シリーズの第一弾。

今回は、大河ドラマの主人公で話題の徳川家康、近世前期の俳人松尾芭蕉を中心とした近世の人物に焦点をあて、ゆかりの資料を展示します。

初日の5月20日(土)と6月18日(日)には、学芸員による展示解説「みゅーじあむとーく」も開催します。

ご覧ください。

画像:ポスター

展示名:春日部市郷土資料館(第67回)春季展示「かすかべ人物誌」

会 期:令和5年5月20日(土)~7月2日(日) 開館時間:9時~16時45分

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15教育センター内)

休館日:会期中の月曜日

入場料:無料

関連事業:みゅーじあむとーく 5月20日(土)、6月18日(日)各日とも10時30分~、15時~

南桜井小学校伝統芸能クラブ“獅子舞”の練習が行われました

 5月17日(水)、南桜井小学校の6時間目の授業はクラブ活動。平成23年以降、このクラブ活動に地域の伝統芸能である、県指定無形民俗文化財『西金野井の獅子舞』を継承している西金野井獅子舞保存会から直接指導を受け、地域学習、伝承学習の機会になっています。

本日は練習2回目。4、5、6年生の計9名が伝統の舞いとササラの演奏に取組みました。特に5、6年生は前年からの経験と練習成果を生かし、早くも「辻切り」「芝舞い」の2演目を立派に舞えるようになってきました。

 

 

 

 

 

 

 

▲6年生による三匹獅子舞(辻斬り)と5年生の「芝舞い」

 今夏7月の獅子舞の祭礼、そして11月に開校150周年の式典でも舞の披露が予定されています。次世代へ着実に地域の伝統芸能が引き継がれおり、平日の貴重な時間に指導していただいている保存会の皆さまに感謝!!ありがとうございます。子供たちはクラブ活動の時間に加え、祭礼が近づく7月には香取神社拝殿で舞いを仕上げていきます。

 なお、本年は7月16日(日)に保存会の皆さまによる勇壮な三匹獅子舞と共に子供獅子が披露されますので、是非とも県指定を冠した伝統の舞いをご覧になってはいかがでしょうか。

【結果発表】春の花総選挙

5月2日で幕を閉じた「春の花*春日部」展において、ひっそりと開催していた春の花総選挙。集計作業が終わりましたので結果発表をします。 #かすかべプラスワン

画像:投票パネル

桜:20票

藤:43票

桃:15票

牡丹:8票

序盤は花見の王道「桜」勢が票を伸ばしましたが、桜が散るとともに藤が優勢になっていきました。藤のまち春日部では、市のシンボルでもある藤が根強い人気!小淵や藤塚にゆかりの深い「桃」は地元の根強い人気がありましたが、惜しくも落選(!?)。牡丹は知名度が劣り、票を伸ばすことはできませんでした。

市の公式ツイッターでも同様のアンケートをとっていましたが、そちらでは桃が最下位でした。リアル総選挙では、桃が善戦したので、展示をご覧いただき、春日部と桃の深いつながりをご理解いただけたのかもしれません。

健康ハイキングやスタンプラリーの効果もあって、例年よりも入館者は多かったのですが、投票率は伸び悩みました。投票を促す普及啓発も今後の課題です。

次回は来春の予定です。ぜひ、ご参加ください。

埼玉県指定有形文化財-小渕観音院円空仏群-公開

 初夏を感じさせる5月の連休も終盤となりましたが、5月3日から5日までの期間限定で埼玉県の有形文化財に指定されている”円空仏の特別公開が小淵山観音院で行われています。

  静寂な本堂では凛とした冷厳な雰囲気の中、江戸時代前期の約330年前に生涯12万体の木像を制作したと云われる修行僧円空作の「円空仏」を間近に拝観することができます。5月2日に新聞紙面で公開が報じられたこともあり、県内外から多くの方々が鉈彫りの素朴な木像を拝観しようと訪れていただいています。

 観音院では修験宗にまつわる蔵王権現像をはじめ7躯が伝わり、像高194㎝と一木造りでは関東地方でも指折りの大きさを誇る聖観音菩薩立像、頭上に大きな龍を抱く伝毘沙門天立像と、威風堂々した像が揃っています。一方、円空仏の特徴でもある鉈(なた)による一刀彫の鋭い表現に加え、口元に表現される微笑みの柔和さも人々を引き付ける魅力となっています。

 

▲像高194㎝の聖観音菩薩立像と像頭に龍を抱く伝毘沙門天立像

 年一度の公開も明日5月5日が最終日です。午前10時から午後5時まで、そして要予約の「ヨイノカイ」の特別公開も設けられています。円空仏と共に皐月のひと時をどうでしょうか。

 

 

 

考古学講座の現地視察をおこないました

4月23日、令和4年度の考古学講座を受講していただいたみなさんと、郷土資料館から浜川戸遺跡周辺まで、地形などを確認しながら歩いてみました。

もともと3月26日に実施する予定でしたが、雨天だったため、順延しての開催です。4月23日は、とても良い天気で、絶好のウォーキング日和でした。

 

郷土資料館見学

朝は、郷土資料館に集合し、展示されている浜川戸遺跡の出土品を確認しました。郷土資料館の常設展示には、浜川戸遺跡に関係する資料が意外とたくさんあります。

 

日枝神社横で自然堤防確認

粕壁東の日枝神社では、宿場に向かって標高が上がっていく地形を確認しました。粕壁宿から浜川戸地区は、古利根川などによって形成された広大な自然堤防が広がっています。

 

碇神社横で江戸時代の土地利用を確認

埼玉県指定天然記念物「碇神社のイヌグス」がある碇神社では、江戸時代の粕壁宿周辺の土地利用を、昔の地図と比較しながら確認しました。

 

梅田地区で過去の古隅田川流路を確認

梅田地区では、現在とは違う流路で、かつてこの辺りを流れたと考えられる古隅田川について確認しました。

八幡公園で浜川戸遺跡を体感

最終目的地、浜川戸の八幡公園では、浜川戸遺跡の広がりや浜川戸砂丘、春日部稲荷神社や春日部八幡神社の成り立ちを確認しました。

 

全長約3㎞の行程でしたが、脱落者はなく、無事ゴールすることができました。

ご参加された皆様、ありがとうござました。

 

考古学講座は、今年度も9月から1月まで、毎月1回の連続講座を予定しています。ほごログでもご案内しますので、ご興味がある方はぜひご参加ください。

最先端の技術で、神明貝塚の人骨が調査されました

先日、南山大学の中尾央准教授のもと、「神明貝塚」出土の人骨の調査が行われました。 #かすかべプラスワン

中尾准教授は、文部科学省科学研究費助成による「出ユーラシアの総合的人類史学」の研究の一環で、様々な時代の古人骨の三次元計測を進められているそうです。

今回、春日部市が世界に誇る文化遺産の一つ、「神明貝塚」出土の縄文人骨、常設展示で展示している江戸時代の人骨も計測されました。計測って、巻き尺を使ってやるのかと思いきや!

写真:三次元撮影

な、なんと!様々な角度から写真撮影をして、パソコン上で立体画像にするんだそうです。

写真は60コマ程度を角度をかえて撮影すれば、十分なんだそうです。

もともとは工業製品の生産にかかわる技術なんだとか。出来上がった立体画像はこんな感じだそうです。

写真:立体画像

もっと精密に撮るカメラ・機材もあるそうです。最新鋭の調査技術で、いとも簡単に計測ができて大変驚きました。

県内では、同じく国史跡指定の水子貝塚(富士見市)の縄文人骨も同様に計測調査されるそうです。

今回の調査によって、神明貝塚(の人骨)は、人類のルーツを明らかにする研究資料として活用されることでしょう。また、計測によって資料の現況を記録する大変有意義な機会となりました。

「神明貝塚って何!?」って思った、そこのあなたは、こちらの動画をご覧下さいね。

郷土資料館からみえる藤が咲いています。

#牛島のフジ も先日開園し、週末は4年ぶりの #春日部藤まつり 。 #春日部の藤 、今まさに満開です。 #かすかべプラスワン

写真:粕壁小のフジ

郷土資料館(教育センター)からみえる藤は、粕壁小学校に自生するものです。フジはツル性なので、他の樹木に巻き付いて、高いところに花をつけます。時折り、風にあおられ、ゆらゆらと花房を揺らします。万葉の人たちは、風で波のようにゆれる藤の花を「藤波」と形容しました。「藤波」、美しい言葉ですが、担当者はどうしても某プロレスラー、あるいは某メジャーリーガーを連想してしまいます。

昔の人たちがフジをどのように楽しんだか、親しんだのか。現在、郷土資料館では、春日部と藤の歴史を紹介し、春日部の藤をより楽しむための企画展を開催しています。

画像:春の花春日部展ポスター

ぜひ、牛島のフジ、藤まつり、そして、春日部の藤波と一緒にお楽しみください。クレヨンしんちゃんのお母さんみさえとフジのスタンプも用意していますよ。

顔ハメ、記念にどうぞ

クレヨンしんちゃんスタンプラリーの効果もあり、市外・県外からもお客さんが見えています。先日、県外からお越しのご家族も、しんちゃんのスタンプラリーを目当てにご来館。 #かすかべプラスワン #顔ハメ

スタンプついでに、館内をご見学いただきました。お子様は体験コーナー、大人の方は様々な展示を見て、楽しんでいただけたようです。

記念にオリジナルの押絵羽子板の顔ハメを兄妹でやってくれました。

写真:顔ハメパネルの兄妹

お兄ちゃんは、歌舞伎役者ばりの睨みのきいた顔でポーズ。撮影の前に「どんな顔すればいいの?」「笑顔がいいのかな?」と聞いてくれました。本物の弁慶の押絵羽子板(写真後方)を観てもらったところ、押絵の表情を真似してくれたようです。「本物と一緒に撮りたい」と話してくれたのでこちらで撮影。妹ちゃんも、かわいい藤娘になれました!

押絵羽子板の顔ハメは、春日部市郷土資料館だけ(たぶん)!

クレヨンしんちゃんのスタンプとともに、ぜひ記念に使ってください。

【令和5年夏季展示予告その1】底にあながあけられた壺

令和5年7月22日(土)から9月3日(日)まで開催する第68回夏季展示では、権現山遺跡(古墳時代前期)や須釜遺跡(弥生時代中期)の底にあながあけられた壺を紹介する予定です。

詳細が決まりましたら、ほごログでもお知らせします。

 

今回は、展示予定の権現山遺跡から出土した、底にあながあけられた土器を紹介します。

権現山遺跡については、過去の記事もご参照ください。

権現山遺跡の底部穿孔壺形土器『新編図録春日部の歴史』からーその8

 

権現山遺跡は、春日部市の南東、東中野地区の下総台地上にあります。昭和38年の発掘調査で、「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」と呼ばれる古墳時代のお墓から、底にあながあけられた土器が13点出土しました。これらの土器は、昭和62年に埼玉県指定文化財に指定され、普段はさいたま市にある埼玉県立歴史と民俗の博物館(令和5年秋まで休館)で展示されています。

「底部穿孔(ていぶせんこう)土器」と呼ばれています。

「孔」は”あな”とも読み、一般的な「穴」の字とほぼ同じ意味です。また「穿孔」とは「孔を穿つ(うがつ)」、すなわち「穴をあける」ということです。

 底部穿孔土器1

<底部穿孔土器(実測図番号1)>

底部穿孔壺1の底部(焼成前穿孔)

<底部穿孔土器(実測図番号1)の底>

 

底部穿孔土器13点のうち、12点は壺形の土器です。ほぼ同じ大きさ、形も似かよった12点が発見されています。

これらは骨などを収めた蔵骨器ではなく、葬儀を行ったり死者を埋葬する方形周溝墓を飾りたてるために設置されたと考えられています。

底の部分は穴があけられ、何かを入れても底から抜けてしまいます。死者に供える土器として、通常の使用ができないようにされたものと推測されています。

 

権現山遺跡底部穿孔壺実測図

<12点の壺形土器の実測図>

 

12点のうち11点の土器は、焼く前に底に穴があけられています。これを「焼成前穿孔(しょうせいぜん(まえ)せんこう)」と呼んでいます。

焼成前にあけられた穴は、まだ粘土のうちに、粘土を切り取るように穴をあけるので、縁が整えられています。

また、焼く前に底に穴をあけてしまうということは、お墓に使うためだけの土器をわざわざ作っているということです。古墳時代ごろには、こういった文化も芽生えたようです。

 

底部穿孔壺12

<底部穿孔土器(実測図番号12)>

底部穿孔壺12の底部

< 底部穿孔土器(実測図番号12)の底>

12点のうち、1点だけ、土器が焼かれたあとに穴をあけている「焼成後穿孔(しょうせいごせんこう)」の壺があります。大きさは他のものとほぼ同じなものの、この壺のみ全体が赤く塗られています。

底の穴の部分をよく見てみると、外側から硬いものでたたくように穴をあけている痕跡があります。

穴アップ

<底部穿孔土器(実測図番号12)の底の穴>

なぜ、1点だけ焼成後の穿孔なのか?、土器を焼いてすぐに穴をあけたのか、それとも亡くなった方のそばで、生前使われていた土器に穴をあけたのか?、疑問は尽きません。

 

権現山遺跡の底部穿孔土器は、近隣では類例が少なく、とても珍しいものであるとともに、とても丁寧に作られたきれいな土器です。

令和5年7月22日(土)から開催する第68回夏季展示で、ぜひ実物をご覧ください。

市指定無形民俗文化財”不動院野の神楽” 3年ぶりの開催

 令和5年4月9日(日)に不動院野(集会所)において大杉神社の春季例大祭で神楽が奉納され、五穀豊穣・家内安全が祈念されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【大杉神社とお神輿】

例大祭で「不動院野の神楽」が奉納されるのは、実に3年ぶりとなります。

当日は快晴にもかかわらず冷たい風が吹きつけていましたが、集会所の中に設けられたステージで「翁(おきな)の舞」「大黒天と獅子舞」など3演目が披露され、地域の皆さまを楽しませてくれました。

【神楽の奉納とにぎわいをみせる集会所の様子】

     

【寝てしまった獅子を起こす場面】          【お囃子の演奏】

  「大黒天と獅子舞」は大黒天が呼んだ獅子が福をもたらす様子を表しています。媼(おうな)が寝てしまった獅子を起こす場面では、一同が固唾を飲んで見つめていました。実はこの場面は今回即興で作られたストーリーであり、観客を楽しませるべく上演にあたって様々な趣向を凝らしていることが副会長さんからの解説で理解できました

保存会では、江戸時代から続く神楽を次世代へつなげる取り組みがなされています。今回は久しぶりの開催ということで初めて参加する子どもたちも多く、めずらしい光景に目を輝かせていました。また、幸松小学校の放課後子ども教室でお囃子に参加してくれた児童が、はや、高校3年生に。この日も堂々と篠笛を奏でてくれました。コロナ渦で練習や公開が思うように進まなかった3年間でしたが、地域の宝として保存会の皆さま、そして、活動を支える地域の皆さまの総意により、神楽の公開が実現できました。ありがとうございました。

はるばる大阪からお越し

先日、郷土資料館所蔵の資料(古文書)の調査のため、大阪在住の学生が調査に訪れました。 #かすかべプラスワン

この学生さん、戦国時代の後北条氏について調査研究されているそうで、各地にのこる後北条氏ゆかりの古文書を実見しているそうです。春日部でのお目当ては、当館所蔵の天正14年(1586)の金野井郷の検地書出の写しです。後北条氏の検地書出は全国に19点あるそうで、その内の1つがなんと春日部にあるのです。金野井郷とは、いうまでもなく、市内の西金野井、野田市の東金野井に相当します。

写しとはいえ、印判を丁寧に模写していたり、筆跡も原本を真似ている可能性もある文書です。『春日部市史』でも利用されてきましたが、史料を深く読み切れていない部分もあり、課題もありました。

学生さんは、検地書出を比較されているだけあって、細部の文言や表現を丁寧に検討しているようでした。金野井郷の検地書出は、ほかのものよりも詳しい記述なんだそうです。いろいろ教えていただき大変勉強になりました。何よりも、この一点をみるために大阪からいらした研究熱に関心させられました。

ご研究の発展を祈念しております。

写真:史料を調査する学生

【海外の方にも大人気!】 #クレヨンしんちゃん 春日部スタンプ巡り

春日部市観光協会の企画で「クレヨンしんちゃん春日部スタンプ巡り」を実施しています。郷土資料館を含む、市内施設にの「クレヨンしんちゃん」のスタンプを押して楽しむものです。 #かすかべプラスワン

写真:スタンプ巡りの台紙

郷土資料館では、これまで、企画展示などに合わせて、しんちゃん、しんちゃんの家族のオリジナルスタンプを作ってきたところでした。このような形で活用いただき、担当者としてうれしい限りです。

かわいらしいオリジナルの台紙をご用意いただいたので、これが好評の模様。はじまってから早速、市外の方、海外の方が大勢いらっしゃっています。みなさん、スタンプをおして喜んで、館を後にされました。先日はタイご出身の20代の女性グループがいらっしゃいました。通常の郷土資料館では、あまりない客層です。おそるべし「クレヨンしんちゃん」。

「クレヨンしんちゃん」は世界各国で翻訳されているそうで、とくに、中国、台湾、韓国で人気があるそうです。呼び方も様々で、中国語では「蜡笔小新」(ラービーシャオシン)、韓国語では「짱구는 못말려」(チャングヌン モンマルリョ)、タイ語では「เครยอนชินจัง」(クレヨンシンチャン)などなど。韓国版のしんちゃん一家は、ソウルに住んでいる設定なんだとか。日本人一般の「しんちゃんといえば春日部」というイメージは、作品がグローバル展開するなかで、ガラパゴス的思考に陥ってしまったともいえそうです。けれども、韓国の首都ソウルとして描かれても、春日部の風景は見劣りしないということでしょうか。なんとも複雑。いずれにしても、海外版のクレヨンしんちゃんのなかで「春日部」がどのように扱われているのか、今後検討する余地がありそうです。

オリジナルの台紙は、郷土資料館や、ぷらっとかすかべなどで配布しています。景品は今のところありませんが、スタンプを押した台紙が記念になること間違いなし。春日部にお越しの折、ぜひ記念に押して回ってください。

日光道中粕壁宿を語る墓石(粕壁・源徳寺より)

郷土資料館では、粕壁宿の商家や町並みについて調査をしています。先日、粕壁の源徳寺さんにうかがい、墓石の調査、お寺の由来などについて調査させていただきました。 #かすかべプラスワン

源徳寺さんには、棚倉藩士の石川弥五左衛門の娘のお墓があります。なぜ、陸奥国の棚倉藩(福島県棚倉町)の関係者のお墓があるのでしょうか。このお墓について、源徳寺さんには、次のようなエピソードが伝わっています。

 

安政6年(1859)11月、棚倉藩士の一行は、国元に帰るため、粕壁宿に宿泊しました。一行のなかには郡筑之進という藩士がおり、彼の妻サダこそ、家老の石川弥五左衛門の娘でした。11月5日、筑之進は、妻サダを粕壁宿の旅籠とも女郎屋ともいわれる「ミノヤ」で手討ちにしたといいます。理由は定かではありませんが「不義密通」であるとか。サダの亡骸は、ミノヤの近くの源徳寺に葬られました。

翌年、棚倉藩の石川弥五左衛門は、源徳寺に供養料を納め、さらに、円山応挙の門下生七名が描いた「七草の絵軸」をお寺に奉納したといいます。

源徳寺には、「棚倉藩石川弥五左衛門娘」と刻まれたサダの墓石、七草の絵軸(寺宝・非公開)が今に伝えられています。

写真:源徳寺にある棚倉藩士の妻のお墓

参勤交代制により大名は江戸と国元を行き来し、東北諸藩の大名が日光道中や粕壁宿を通行・宿休泊したことは、知られるところですが、粕壁宿の本陣史料は散逸しており、具体的なことは実はよくわかっていません。通行・宿休泊したのは、参勤交代の大名(お殿様)だけではありません。江戸と国元を常時行き来する人々、藩士や飛脚なども通行したことでしょう。そのことを物語る史料も少ないのです。

事件の真相や詳しい顛末は不明ですが、源徳寺に伝わるエピソードは、宿場町として賑わった粕壁宿の歴史を伝える貴重なお話です。往時の宿場町粕壁に思いをはせながら、訪ねてみてはいかがでしょうか。

※墓石の見学にあたっては、お寺、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。

「ほごログ」ぷちリニューアル

新年度の機構改革に伴い、部署の名称が文化財保護課から「文化財課」になりました。これにより、「ほごログ」もプチリニューアル。 #かすかべプラスワン

文化財「保護」課でないので、皆様に愛されてきた「ほごログ」の名称変更が危ぶまれましたが、「春日部市の文化財保護と活用・郷土資料館のブログ」の「ほごログ」となりました。

ページ上段のバナーを一新しましています。おすすめは、国指定史跡「神明貝塚」の調査風景。

画像:バナー

ほかにも数種類あるので、チェックしてみてくださいね。

圓福寺所蔵の文化財の公開~圓福寺祭~

 さわやかな春の陽射しが降り注ぐ4月2日(日)、一ノ割に所在する古刹圓福寺で3年ぶりに圓福寺祭が開催されました。

曼陀羅堂の公開

 

 

 

 

 

 

 

 

圓福寺本堂の左手、曼陀羅堂は毎年この日に限って市指定文化財が公開されます。

この圓福寺祭は圓福寺、社寺関係者に加え、一ノ割地区や商店街の皆さまのご協力で開催され、まさに地域一体となった文化財の継承と公開が実践されている機会です。

 

 

 

 

 

 

 

(左)木彫当麻曼陀羅図 (右)木彫釈迦涅槃図

 社寺所蔵の版木には、元禄年間に多数の文化財を製作した圓福寺第九世住職の光世上人の経緯や功績に加え、地元でのご開帳はもちろんのこと、宝永元年(1704年)、元文2年(1738年)、明和8年(1772年)に江戸へと出向き、ご開帳(公開)された記録が記されています。木彫当麻曼陀羅図をはじめ、木彫釈迦涅槃図などの木彫文化財は、今日でさえ移動が困難なほど大型で重量のある文化財ですが、交通手段も限られた江戸時代に江戸各所の社寺で公開された経緯からは数多くの人々の援助と労力があったことがうかがい知ることができます。文化財の継承、公開は「ひとから人へ」の原点が、この圓福寺祭での公開で改めて感じることができました。 

 令和6年もこの4月最初の日曜日に宗教美術の優品が公開されますので、ぜひ、お出かけしてみてはいかがでしょうか。

【休館のお知らせ】4月8日(土)午後、9日(日)

令和5年4月9日(日)は教育センターが埼玉県議会議員一般選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

〈休館日〉

令和5年4月8日(土)午後

令和5年4月9日(日)終日

#桜咲くかすかべ #葉桜 だって楽しもう

#春日部市 内の #桜 は #満開 です。見ごろですが、天気が悪しく雨で花が散りつつあり、葉が芽吹いてきている木もあります。まちなみ公園の桜も葉桜になりつつあります。 #かすかべプラスワン

写真:まちなみ公園の桜

桜の花見というと、気象庁の開花予報や桜前線とかいう情報を週末の休みと重ね合わせながら、「今年は開花が早いから葉桜かなー」とか「屋台が出る前に桜散っちゃうなぁー」とか、毎年ヤキモキしている方も多いのではないでしょうか。

郷土資料館では、現在「春の花*春日部」展を開催しています。その準備で展示担当者も初めて知りましたが、現在の桜の開花予報や桜前線は、ソメイヨシノという品種を基準に情報発信をしているそうです。ソメイヨシノが普及する以前、江戸時代末期よりも昔の人たちは、様々な品種の桜が次々に咲き、散っていくのを長いスパンで楽しんだそうです。なかには、葉桜になる季節まで花見を楽しむ人もいて、長ければ開花から一か月くらいは桜の花見をしたそうです。

昔の人たちの精神性に倣い、雨で桜の花が散って、葉桜になっていても、桜の花見を楽しんでみる、というのはいかがでしょうか。 「春の花*春日部」展では、先人たちの春の花の楽しみ方を学び、私たちの花見のあり方を考えるきっかけになれば、と企画したものです。ご期待ください。参考文献:佐藤俊樹『桜が創った「日本」』(岩波新書、2005年)

 

さて、ついでに桜の植わるまちなみ公園の話をしましょう。

まちなみ公園は、かつて粕壁町役場が建っていたところ。役場の庁舎は、大正14年(1925)に建設され、春日部町、春日部市の時代にも使用されました。市役所が現在の庁舎に移転する昭和45年(1970)末まで、春日部市役所の庁舎として使用されていました。下は昭和11年(1936)ごろの粕壁町役場です。

写真:粕壁町役場

昭和46年(1971)6月からは、市立図書館として転用され、昭和58年(1983)5月まで使用されました。その後、公園として利用されるに至っています。下は昭和46年(1971)市立図書館時代の様子です。

写真:昭和46年春日部市立図書館

まちなみ公園という名称は、江戸時代以来の宿場町の通り沿いの字名(あざな)「字町並」に由来しているのでしょう。実は厳密にいえば、旧町役場の旧地番は粕壁町4392番で「字内出」になるので、なぜ「まちなみ」と名付けられたのかは謎です。

古写真をみると、何となく面影が残っていますね。かつては役場や図書館として賑わっていたことを桜の木は知っているのでしょうか。まちなみ公園に桜の木がいつから植えられたのかは、残念ながら不明です。一本一本の木や、木のある場所の歴史や背景を楽しむのも、また郷土資料館的な桜・花見の楽しみ方の一つとなりましょうか。

春の花*春日部展みゅーじあむとーく

3月19日(日)「春の花*春日部」展のみゅーじあむとーくを開催しました。 #かすかべプラスワン #春の花総選挙

午前中は少人数、午後はたくさんの方にお集まりいただきました。

花をテーマにした展示とあって、女性のみなさんが多かった印象です。

桜のみならず、藤、桃、牡丹の花で春日部の歴史が文字通り彩られてきたことを解説しました。

写真:午前のみゅーじあむとーく

写真:午後のミュージアムトーク

 特に評判だったのが、床面に貼り付けている市域の60年前の航空写真。ここに、明治前期の迅速図から読み取った桃林の分布を表示しています。みなさんが普段過ごしている身近な場所が桃林だったことに、驚かれた模様です。担当者も市域の桃林が意外に広かったことに少し驚きました。

写真:春の花*春日部総選挙

展示期間中、展示のテーマとなった4つの花の人気投票を実施しています。題して「春の花*春日部総選挙」。現在、藤が優勢です。ぜひイチオシの花に投票してみてくださいね。

次回のみゅーじあむとーくは、4月22日(土)10時30分~、15時~を予定しています。展示は5月2日(火)までです。

凧作り教室を開催しました

3月18日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、今年度2回目の凧作り教室を開催しました。当日は、小学生を中心に15名に参加いただきました。

第1回目の様子はこちらをご覧ください。

5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。11月に作った人も、今回作った人も、ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。

凧作り教室

今回は、先日、資料館を見学した粕壁小学校の子どもたちにも多く参加していただきました。

骨付け1

骨付け2

骨付け4

凧は和紙と骨(竹ひご)を使った約60㎝の本格的な角凧で、あらかじめ家で凧紙に絵や文字を描いてきてもらい、紙に骨を貼り付けるところから始めます。

骨には、あらかじめ両面テープが貼ってあり、また紙にも骨を貼る位置に鉛筆で線が引いてありますので、簡単に貼ることができます・・・ですが、意外と骨が長いので、お父さんやお母さんに手伝ってもらった子も多かったようです。

凧は、このあと糸目をつけて、上げ糸をつけて完成になります。

資料館の凧

今回は見本用に資料館でも、うめわかくんの凧を製作しました。

さっそく資料館に展示しましたので、ご来館の際はご覧ください。

 

凧作り教室は、また来年度も開催します。どうぞご参加ください。

 

#桜咲くかすかべ 郷土資料館にも #桜 咲きます

3月18日(土)より、春日部ハルのキカクテン「春の花*春日部」展が始まります。本展は春の花咲く春日部で春のお花をもっと楽しむための企画展示です。 #かすかべプラスワン

春日部のゆかりの春の花は、藤だけじゃない。春日部の歴史にとって、桃、藤、牡丹、そして桜は、縁の深い花です。今年も微力ながら「桜咲くかすかべ」を盛り上げんがため(むしろ便乗して)、「春の花*春日部」展から、桜の話題を一つ。

でばりぃ資料館小学校の団体見学で、市内の小学校の児童たちと触れ合うなかで、彼らの身に着ける名札や黄色い帽子に桜、藤があることに気づきました。なんと、桜や藤は、市内の学校の校章のモチーフに取り入れられていたのです。学校要覧や各校のブログ・学校だよりなどを手掛かりに桜と藤の校章をピックアップしたのが下の図です。

画像:桜と藤の校章

桜をモチーフとする校章は新旧合わせて6校、藤は3校見出しました(もしかすると武里南小は桔梗かもしれない説が浮上しています。要検討)。

桜の校章は、まず校名(地名)に「桜」がはいる学校、南桜井小・桜川小にありました。「南桜井村」は明治22年(1889)に成立します。桜川小は昭和50年(1975)に開校する新設校。校名は南桜井と川辺から「桜川」と名付けられました。他方、「桜」の校名ではないですが、粕壁小・幸松小・富多小(江戸川小中学校に統合)にも「桜」をモチーフとした校章が採用されています。3校はいずれも明治時代に開校した伝統校です。卒業・入学の時期に「桜」は学校のはじまりとおわりを象徴する花でもあり、校章にも取り入れやすい花だったということなのでしょうか。また、明治時代半ばに「桜」は「日本らしさ」をイメージするものとして普及しました。そうした時代のなかで桜の校章が創られた可能性もあります。いずれにしても、桜の校章が生まれるのは、古くても明治時代以降のことでしょう。

手元の資料では、校章制定の年次や理由・背景はわからないのですが、粕壁小については、昭和14年(1939)築の旧木造校舎(下の写真)に掲げられていた校章を郷土資料館で保管しています。これと現在の校章を比較すると若干デザインが異なっています。もしかすると、粕壁小の現在の校章は、実は比較的新しい(もしかすると戦後に制定された?)のかもしれません。

藤をモチーフとする学校は、牛島小(昭和50年開校)、藤塚小(昭和54年開校)、春日部南中(令和元年開校)で、いずれも新設校です。藤が校章に取り入れられたのは、おそらく市の花が藤(フジ)だからでしょう。市の花の制定は昭和48年のことです。学区内に牛島のフジがあること、藤のつく地名であること、また市の花が藤であることが制定の理由だと思われます。

校章にみる春の花は、古ければ明治時代までさかのぼれますが、もしかすると意外に新しいものなのかもしれません。校章の成り立ちや制定までの過程は、今後追跡調査したいと思っています。校章からみれば、桜と藤は春日部にとってゆかりのある春の花であるといえるでしょうか。

写真は解体前の粕壁小木造校舎。町のシンボル的な建物だったので、懐かしい方も多いのでは?

「春の花*春日部」展では、屋根付近の建物正面に掲げられている校章(実物)を展示して、郷土資料館に桜を咲かせます。ぜひお楽しみに。

3月19日(日)には、みゅーじあむとーくも開催しますので、ぜひ資料館の桜もお楽しみ下さい。10:30〜、15:00〜(30分程度)

写真:粕壁小学校の木造校舎

【出張授業】「でばりぃ資料館」in八木崎小学校

令和5年3月15日(水)に八木崎小学校へ出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。

『でばりぃ資料館』は、郷土資料館での展示や体験をお届けする出張授業です。令和2年から始動して、今年で3年目。だんだんと学校の先生方にも浸透してきたでしょうか。

 

今回のでばりぃ資料館は、児童会室で「昔の家の道具」、多目的室で「昔の学校の様子」「60年前の春日部の様子」と3つのテーマを分け、3クラスが25分ずつ巡回する形式で開催しました。

 

昔の家庭の道具コーナー

昔の家の道具コーナーでは、昔の家庭で使われていた民具を展示し、さらに手作業での精米の方法にも触れました。

手回し洗濯機などの珍しいものに興味津々!どの児童も、気になったことや、わかったことをしっかりとプリントに書き記していて素晴らしかったです!

 

昔の学校の様子コーナー

昔の学校の様子コーナーでは、昭和30年代の給食の献立表に驚いたようです。それもそのはず、献立にはご飯があまりなく、パンがほとんどだったからです!今当たり前に食べている白いご飯が、昔は貴重なものだったんですね!

自由時間には昔の子供と背比べができるパネルなども人気がある様子でした♪

 

昔の春日部の様子コーナー(千歯扱き体験)

60年前の春日部の様子コーナーでは、八木崎周辺には当時何があったのかなどを学びました。

八木崎小学校が開校したのは1972年の約51年前ことです。今回は約60年前の空中写真を用意したので、八木崎小学校はまだ存在せず、周辺の多くは田んぼでした。

田んぼと関連して、稲の脱穀体験も今回はこちらのコーナーで行いました!

 

今回は各コーナー25分の時間があったため、説明だけでなく、自由見学の時間もしっかり確保でき、児童も満足度も高かったように思います♪

 

郷土資料館は八木崎小学校からさほど遠くないのですが、聞いてみると意外と資料館に来たことがある児童は少ない様子。今日のでばりぃ資料館で興味をもってもらえたでしょうか!土日も開館しているので、ぜひ遊びに来てくださいね♪

春日部「ハル」のキカクテン「春の花*春日部」展

令和5年3月18日(土)から、企画展示「春の花*春日部~もも*ふじ*ぼたん*さくら~」が始まります。おじさんが無理をしてチラシをポップに仕上げてみました。 #かすかべプラスワン

春日部は、春の花とゆかりの深いまちです。とくに、藤(フジ)は、国特別天然記念物「牛島のフジ」が所在することから、市のシンボルとして、広く知られているところです。これまで、藤(フジ)については、ここ数年、藤(フジ)の花咲くこの季節にミニ展示を開催し、ご好評をいただいてきたところです。

今回の展示は、少し欲張って、藤(フジ)を含む、春日部ゆかりの春の花で特徴的な桃(モモ)、牡丹(ボタン)、そしてお花見でおなじみの桜(サクラ)についても紹介します。去年のブログを見ていたら、それをにおわすような記事を書いていました「花のまち春日部」毎年春に恒例のイベント「桜咲くかすかべ」に引き寄せられたところもあります。

「春日部ハルのキカクテン」(春のパン祭りの言い方で)のキャッチコピーは「春の花咲く 春日部で 春のお花をもっと楽しむための 企画展示」

展示をご覧いただければ、春の花、お花見をもっと楽しめるかもしれません。

「春の花*春日部」展、目下、準備中。こうご期待。

写真:ポスター

展  示  名:春の花*春日部~もも*ふじ*ぼたん*さくら~

会  期:令和5年3月18日(火)~5月2日(日) 月曜・祝日休館

会  場:春日部市郷土資料館企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15)

関連事業:

①みゅーじあむとーく 3月19日(日)・4月22日(土)各日10:30~、15:00~ 予約不要。時間までに展示室へ。

②展示解説講座「もも*ふじ*ぼたん*ものがたり」4月30日(日)10:00~12:00 事前申し込み制(定員30名) 申込は4月12日(水)から。

粕壁小第3学年が郷土資料館を見学しました

令和5年3月1日(水)に粕壁小学校第3学年が郷土資料館を見学しました。

 

粕壁小学校第3学年は全部で4クラス。1~4校時を使って1クラスずつ見学に来てくれました。

 

企画展示室見学風景

企画展示室では、昔の家庭で使われていた道具や学校で使用していた勉強道具などについて職員から解説を聞きました。

昔の粕壁小学校は今の郷土資料館資料館の位置にあったことなどを伝えると、「え~!そうだったんだ!」と、いい反応です(笑)

たくさん見た道具の名前もしっかり覚えて帰ってくださいね。

 

千歯扱き体験

続いては千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀体験です。

体験した児童はマスク越しでも楽しそうな表情がうかがえました♪それでも楽しさだけではなく、手作業の大変さも感じ取ってもらえたようです。

 

宿場説明風景

宿場の模型を見ながら江戸時代の春日部の様子も学びました。粕壁小は粕壁宿の近くに位置しており、児童も宿場の通りをイメージしやすかったようで、現在の様子と比較して驚いている様子でした!

 

館内自由見学①

館内自由見学②

職員の話を聞く姿勢や、反応の良さなど、メリハリのある姿が印象的な粕壁小第3学年の児童さんたち!

郷土資料館は土曜日、日曜日も開館しています。粕壁小のすぐ隣にあるので、お休みの日にぜひ遊びに来てくださいね♪

歴史文化講演会 「直木賞の歴史と作家三上於菟吉」を開催しました!

令和5年2月25日(土)、午後2時から4時まで、視聴覚ホールにおいて、歴史文化講演会を開催しました。

令和5年2月25日 歴史文化講演会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年度本館では、鎌倉武士春日部氏と江戸時代末期の粕壁宿の住民について、それぞれ講演会を開催いたしました。

今回は趣向を変えて、明治24年(1891)に本市木崎地区に生まれ、昭和19年(1944)に幸松地区八丁目で亡くなった、大正~昭和前期の大衆作家、三上於菟吉についてをテーマに講演していただきました。

三上於菟吉は、市民や愛好家の方々による顕彰活動が熱心に行われている郷土ゆかりの作家です。

令和5年2月25日 歴史文化講演会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特に今回は、現代の文学賞の中でもっとも著名な賞と思われる直木賞と三上於菟吉との関係を、直木賞の由来となった直木三十五と三上於菟吉との親交を中心にお話ししていただきました。

講師にお迎えしたのは、ウェブサイト「直木賞のすべて」を運営し、『直木賞物語』(文春文庫)などのご著書もある、川口則弘先生です。先生には直木三十五と三上於菟吉の親交について、共同の出版事業や二人の個性などを説明されながら、詳しく解説していただきました。直木三十五の死後、三上於菟吉は菊池寛らとともに昭和10年の直木賞創設に関わり、初代の選考委員を務めました。

昭和9年 三上於菟吉・直木三十五との共著

 

 

 

 

 

 

当日は、50名近くの方々が熱心に受講され、市内のゆかりの場所などについての質疑がありました。

三上於菟吉顕彰会の方々による生誕130周年記念誌『三上於菟吉再発見』-会員のおひとりである川口先生のご寄稿もあります-の紹介もあり、たいへん実りある講演会となりました。

三上於菟吉顕彰会編集の本

郷土資料館では、今後も三上於菟吉をはじめ郷土ゆかりの人物について、展示や講演会を通じて皆様に紹介してまいります。

ぽぽらフェスティバルの展示で郷土資料館が紹介されています。

3月5日(日)まで、春日部市市民活動センター(ふれあいキューブ4階)で「春日部・?・クエスチョン」という展示がされています。この展示は、ぽぽらフェスティバル2022実行委員会が企画されたものです。 #かすかべプラスワン

わたしたちのまち「春日部」の現状や課題を多様な角度から見つめ、一緒に考える、参加型の展示です。

まちの現状や課題はさまざまですが、このなかで「かすかべ再発見」として、まちの歴史、移り変わりが紹介されています。郷土資料館に行けば、詳しくわかる!といったように、当館の配布物なども掲示いただいています。

写真:掲示物

この企画の面白いところは、掲示物が参加型になっているところ。自分が共感したり、面白いとおもったコト、話題に対して、ハンコをおしてイイネ!と投票する仕掛けになっています。

写真:まちと人の年表

上の写真は、春日部の歴史と自分の生涯を重ね合わせられる年表。自分がいつ生まれたのか、ハンコをおして表示できるようになっています。写真では伝わりにくいのでぜひ見てみてください。

写真:町のイイネ

この掲示物は、春日部の宝ものは何ですか?という問いかけに対する書き込みです。

あなたにとって、家族にとって、地域・春日部にとっての宝ものは?

いろいろな価値観があって、共感するものには、スタンプがたくさん押されています。

地域・春日部にとって、「文化財」が宝ものだと書いている方もいました。私はここにスタンプを押しました。

 

書き込みができるこの取り組みは、展示主催者が一方的に発信するのではなく、見ている観覧者も参加できる双方向型の展示になっていて、いわばアナログ型のツイッターといった感じです。SNSでバズったっといったような派手さはありませんが、手作りで、作った人、掲示した人や見ている人のぬくもりが感じられ、野心的な展示だと見受けました。個人的にインスパイアされましたので、この手法を郷土資料館の展示にも活かしたいと思案しています。

スペースが限られている展示にもかかわらず、郷土資料館を取り上げていただき、関係者の方には、感謝申し上げます。

ぜひお近くにお立ち寄りの際にはご覧ください。

【出張授業】「でばりぃ資料館」in藤塚小学校

令和5年2月16日(木)に藤塚小学校出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。

藤塚小学校でばりぃ資料館

今回のでばりぃ資料館は、図書室で「昔の家の道具」「昔の学校の様子」、視聴覚室で「昔の農業」と3つのテーマを分け、児童がグループ毎に巡回する形式で開催しました。

 

昔の家の道具コーナー

昔の家の道具コーナーでは、昔の家庭で使われていた民具を展示しました。

手回し洗濯機や黒電話が人気を集めていました!時間が足りず、もっと見たがる子もいた様子。ぜひ、郷土資料館に足を運んでみてくださいね♪

 

昔の学校の様子コーナー

昔の学校の様子コーナーでは、当時の教科書をはじめとした勉強道具や給食の食器などを展示しました。

第一回の藤塚小卒業式の写真も用意していったところ、子供たちは釘付け!先生方も興味深そうにご覧になられていました!

 

昔の農業コーナー

昔の農業コーナーでは、主に手作業での米作りの学習と体験を行いました。

手作業での脱穀、籾摺り、米つきなど、当時使っていた道具や、簡素化したものを利用して実際に体験してもらいました。

初めてやる作業に楽しさを覚えながらも、同時に手作業による苦労も味わってもらえたようです。

 

各コーナー15分満たない短い時間ではありましたが、その分体験を含め、ギュッと詰め込んだ内容となり、児童も飽きることなく学んでらえたかと思います!

 

でばりぃ資料館は継続して開催しておりますので、各学校の先生方も、日程、会場、内容など、ご相談ください!

また、「くらしのうつりかわり」展も2月26日(日)まで開催しておりますので、団体見学のご依頼もお持ちしています!

 

古文書勉強会を開催しました。

2月12日(日)春日部市郷土資料館の収蔵史料(古文書)を、有志の市民の皆さんと読む会「古文書勉強会」を開催しました。 #かすかべプラスワン

写真:古文書勉強会

引き続き、「宝暦度より酒造用留」を講読しています。

皆さん、だんだんと慣れてこられたようで、読むスピードも上がってきています。

が、虫損も多く、読みづらい箇所もちらほら。

たとえば、次のよう。

写真:古文書

一行目は、「是ハ米壱石ニ付水九斗之割ヲ以仕込如斯」

「如斯」が虫損で読みづらいですが。

二行目は、「是ハ米糀之内より垂酒壱割出祖ニ付組込」とあります。

毎度毎度、解釈する時間がないのですが、「垂酒」とは今でいうアルコールのことであるとか。この記述から、この酒のアルコール度数は大体10%ということになります。

「如斯」はまだ読める範囲ですが、次のは手ごわいです。

写真:古文書

武州埼玉郡粕壁宿

  百姓勝之丞死去跡親

    酒造人 五郎兵衛

と書いてあるようです。

これも虫食いが重なって読みづらく、特に「去」「跡」が厳しいのですが、読んでこられた方がいらっしゃいました。

参加者には写真の紙焼きを配っているので、ここまで鮮明に字がみえません。前後の関係などを加味して字をお読みいただきました。ほかの参加者からは「よく読みましたね~」と感心する声が漏れました。

執念というか、皆さんの情熱を感じましたよ。

 

と、こんなふうに2時間みっちり古文書を読んでいます。

 

次回は、3月12日(日)14時~ です。

引き続き、よろしくお願いします。

 

郷土資料館体験講座「凧作り教室」を開催します

前回11月に開催し好評だった「凧作り教室」について、2回目を3月に開催します。

今回も、講師に春日部市「庄和大凧保存会」の方をお招きし、本格的な和凧を作ります。

  凧作り教室(紙に骨をつける)
凧作り教室(紙に骨をつける)

 

日程:令和5年3月18日(土曜日)午前10時~正午
講師:春日部市「庄和大凧文化保存会」の講師
募集人数:小学生 30人(申し込み順、保護者同伴、参加可)
材料費:一人500円
申し込み
令和5年2月8日(水曜日)より郷土資料館に直接、電話(電話:763-2455)、春日部市電子申請で申し込み

凧作り教室電子申請入口(別ウインドウで開く)

 

申し込み後、下記の期間内に郷土資料館にご来館いただき、材料費(500円)をお支払いの上、凧紙をお受け取りください。

凧紙配付期間:令和5年2月8日(水曜日)~3月17日(金曜日)

(月曜日・祝日を除く午前8時30分から午後5時15分)

講座当日までに好きな絵や文字を書いてきてください。講座会場では、骨組みと糸付けを行います。

でばりぃ資料館in小渕小

2 月8日(水)小渕小学校3年生の総合的な学習の時間に出張授業をしてきました。 #かすかべプラスワン

小渕小のみなさんは、事前にグループに分かれ、①昔の学校・給食、②昔の食べ物、③昔の生活道具、④昔の町の様子、⑤昔の遊び、⑥戦争のころの暮らし、のテーマで、それぞれ調べ学習をしたそうです。

でばりぃ資料館(出張授業)では、各テーマに関する資料を持参し、学芸員が説明をしました。

写真:資料について説明

戦争のお話しでは、国語の教材「ちいちゃんのかげおくり」にも登場する、出征のときのタスキや日の丸の寄せ書きについて説明しました。また、当時の子どもたちが書いた手紙も紹介しました。戦争の話題になると、より真剣な表情で話を聞いてくれました。

写真:たすきの説明

説明のあと、小渕小の皆さんは、自分たちで調べて、わからなかったこと、疑問に思ったことを、学芸員にぶつけてくれました。

「昔の給食のメニューで一番人気があったものはなんですか?」「昔の子どもたちは、おもちゃをつかわない遊びはしたのですか?」「昔の食べ物で特別なメニューはどんなものがあったのですか?」「冷蔵庫がない時代は食べ物をどうやって保存したのですか?」「戦争のリュックサックにファスナーがないのはなぜですか?」「戦争で金属が供出されてもベイゴマ遊びはできたのですか?」など。

なかなか鋭い質問もあり、受け答えしたこちらも、刺激的なひと時でした。

最後は、自由時間。

持参した資料をよく観察したり、さわってみたり、もってみたり。

やはり一番人気は昔のおもちゃでした。遊べるから楽しいですよね。

写真:道具にふれる

写真:道具をつかう

実は、展示した資料の一部は、小渕小学校の郷土資料室に保管してあるものだったりもします。

郷土資料館には、大型で持参できなかった資料や楽しいおもちゃがたくさんあります。ぜひ遊びにきてください。

でばりぃ資料館は、学芸員と郷土資料が学校に出張する出前授業です。

今回は3年生の総合的な学習でしたが、戦時期の道具は、6年生の社会科(歴史)学習だったり、戦時期の作品を扱う国語科などでも活用いただけます。

写真:戦時期の資料

学校の先生方には、ぜひご活用いただければと思います。

緑小学校、郷土資料館を見学!

2月7日(火)緑小3年生のみなさんが郷土資料館を見学しました。 #かすかべプラスワン

 写真:竪穴住居

社会科見学として、郷土資料館、消防署東分署を見学。

資料館では、縄文時代の竪穴住居のくらし、江戸時代の日光道中宿場町、そして、およそ60年前のくらし・まちのうつりかわりについて、学びました。

 写真:せんばこきの説明

自由時間には、昔のおもちゃコーナーで遊んだり、展示資料の昔の生活道具をメモしたり、スケッチしたり、はたまた60年前の航空写真をのぞき込んで、緑小学校や自宅を探していたりしました。

 写真:民具スケッチ

写真:航空写真をのぞく

見学時間が限られており、少しあわただしかったですが、十分に楽しめたでしょうか。「たくさんメモを書けた」と話してくれる子もいました。楽しかった人も、物足りなかった人も、土日も郷土資料館は開いています。週末にまた会おう。

【出張授業】でばりぃ資料館in幸松小学校

令和5年2月3日(金)に幸松小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 

今回は幸松ルーム・理科室・図書室を使用し、それぞれ「昔の家の道具」「昔の農業」「60年前の春日部・学校」のテーマに分けて行いました。

教室で受ける授業とは異なり、3クラスが入れ替わりながら3部屋を訪れる形式なので、児童のウキウキした気持ちが伝わってきました(笑)

 

幸松ルーム授業風景①幸松ルーム授業風景②

昔の家の道具の解説は幸松ルームで。

幸松ルームには郷土資料室として多くの民具が設置されており、昔の家の道具だけでなく、各種解説パネル、農家で使われていた道具など、お宝がたくさん!実物に触れることで学びを深めていってください!

 

理科室授業風景①理科室授業風景②

理科室では昔の農業、特に米作りについてです。

昔と今、機械化される前と後の米作りの様子について比較しながら学習しました。さらに昔の米作り作業の一部を疑似体験し、体を使って印象に残るような経験を積んでもらえるような授業にしてあります♪

 

図書室授業風景①図書室風景②

図書室では60年前の春日部や学校の様子について。

昔の春日部の様子を写した大きな航空写真を見てもらい、当時の春日部市域の様子や、幸松小学校の位置、周辺の様子などを観察しました。また、昔の学校で使われていた勉強道具と今自分たちが使っている勉強道具を比較したり、当時の子供の等身大イラストなどを利用して背比べをして楽しく学びました!

 

幸松小学校は教育センターとさほど遠くない距離に位置しているためか、児童の中には郷土資料館に来たことがある子もちらほら。昔のおもちゃや楽しめる企画を用意してますので、ぜひお友達を誘って来てみたくださいね♪

 

学校の先生方にもご好評をいただいております“でばりぃ資料館”!第3学年だけでなく、日程、内容などご相談いただければ、各学年対応いたします。これからもぜひ、郷土資料館をご活用ください!

【近隣館の紹介】「小谷三志」展とベーゴマ【川口市立文化財センター分館郷土資料館】

先日、川口市の郷土資料館にお邪魔しました。目的は、春日部にもかかわる、富士信仰(不二道)の先覚者・小谷三志の企画展示を開催しているからです。チラシは以下の通り。

小谷三志展チラシ

週刊誌風のデザインで、洒落ています。なかなか、きわどい表現もあり、興味をそそられます。

展示は、小谷三志の生涯とその事績について、わかりやすく紹介するもので、三志や富士講ゆかりの資料が所せましと陳列され、圧巻されます。

春日部市内では、西宝珠花の宝珠花神社の扁額の題字を小谷三志が書いており、三志の主導する不二道が、市内にも広まっていたことがわかっています。三志の書跡は、「天地振り替りの筆法」と呼ばれる独特な書体で、宝珠花神社の扁額(市指定有形文化財)も独特な字体で書かれています(展示でも紹介されていました)。展示では三志の独特の書体の資料がたくさん並んでおり、お腹いっぱいになるまで楽しめます。

また、展示では三志没後の富士信仰や、近代の三志の顕彰についても紹介していました。個人的によかったと思うのは、郷土史家の故・岡田博さんについての展示です。岡田さんは鳩ケ谷の方で、三志に魅せられ、町工場を営む傍ら小谷三志や富士信仰の研究に取り組まれた方です。その分野では大変高名な方です。岡田さんの研究業績に依拠して構成された展示は一見の価値あり。必見です。展示は、3月21日まで。

 

ところで、同館では、昨年、川口市内にあったベーゴマ資料館から譲り受けた資料も展示しています。なんでも、川口市にはベーゴマを専門に製造する唯一の工場があり、譲り受けたものであるとか。

展示室の一区画は、ベーゴマのコーナーになっており、珍しいベーゴマのみならず、実際にベーゴマで遊べるようになっています。騒がしい私の子どもたちに、職員の方がベーゴマの回し方をレクチャーしてくださいました。子どもたちは初めてのベーゴマに大興奮。ベーゴマの回し方については、動画をユーチューブに公開しているそう。閉館間際まで遊んだ子どもたちは、また練習して来たいと話していました。自宅でベーゴマのユーチューブをずっと見ていました。

ベーゴマで遊ぶ少年たち

川口市の郷土資料館は、旧鳩ケ谷市の郷土資料館で市立文化財センターの分館扱いではありますが、小規模ながらも、展示を工夫され、所せましと川口の歴史文化をPRしています。とっつきにくい郷土の歴史の展示もポップに平易に見せ、糸車を回す体験、小豆を量る体験、足踏みミシンの体験など、誰でも楽しめる展示をしています。ぜひ、「小谷三志」展と合わせて、遊びにいかれてはいかがでしょうか。

詳しくは、同館ホームページをご覧下さい。

考古学講座第5回を開催しました 

1月28日(土)、考古学講座第5回を開催しました。9月から月1回のペースで開催した本講座も、本日で最終回となりました。

本日のテーマは、春日部の奈良時代、平安時代と考古学講座のまとめでした。

奈良時代、律令国家になると、全国に現在の都道府県のような国が設定されますが、現在の春日部市の範囲は、武蔵国(むさしのくに)と下総国(しもうさのくに)に分かれます。国の境は、現在の古利根川から古隅田川へ続く流れで、内牧や豊春、花積などは武蔵国、小渕や浜川戸から東側の地区は、下総国とされました。

市内では西宝珠花や小渕、浜川戸の地区から、比較的規模が大きい奈良時代、平安時代の集落跡が発見されています。西宝珠花は下総台地上ですが、小渕、浜川戸は低地の自然堤防上に立地しており、現代と同じように低地でも人々の生活や活動が始まっていたことがわかります。また小渕や浜川戸は古利根川や古隅田川に近いので、河川を使った交通の要所であった可能性も考えられます。

奈良時代や平安時代の竪穴住居跡は、カマドが設置してあり、強力な火力での調理が可能になりました。出土する土器は土師器や須恵器です。特に須恵器は、使われている粘土に含まれている物質などから、どこの窯で作られたものかを推定することができます。また鉄製品も多く確認されます。

考古学講座のまとめでは、市内の遺跡の時代別の動向や、前回、テーマとして出た、なぜ埴輪には穴が開いているのか、弥生時代の戦争と現在の戦争は違うのかなどについてお話をしました。

考古学と戦争を考える際に参考になる文献を以下にあげておきます。いずれも市立図書館にもあるようですのでご興味がある方はご一読ください。

佐原真 2005 『戦争の考古学 (佐原真の仕事 4)』岩波書店

松木武彦 2001 『人はなぜ戦うのかー考古学からみた戦争』講談社選書メチエ

 

考古学講座は来年度も今年度と同じような連続講座として開催する予定です。みなさまのご参加をお待ちしております。

考古学講座

 

 

古文書勉強会を開催しました

1月22日(日)、郷土資料館所蔵の古文書を市民の皆さんと読む「古文書勉強会」を開催しました。

今回も引き続き、粕壁の旧家に伝えられた「酒造用留」を講読。参加者の方には釈文を用意いただき、これを読みながら、字を検討しています。

史料の分量が多いので、なかなか解釈を深める時間がとれず、惜しいのですが、今回は字の解読だけでなく、語句の意味や、人名・地名などの固有名詞について疑義が生じることとなりました。参加者のなかでも意見が分かれ、皆さんとともに悩みました。以下、この勉強会では、日々どんなことに悩み、執心しているのか、少しご紹介をしたいと思います。

資料写真1

まず、意見が分かれたのが上の文。

担当の方は、「米怔合不宜受痛ニ相成候」と読んできましたが、「受痛」とはどういう意味か、他の古文書では「更痛」と書いてあるのを見たことがある、とご意見される方がいらっしゃいました。では「更痛」の意味は???

という具合に、検討を要しました。「受」と「更」は非常によく似たくずし字になりますが、この文章の前後に、次のような文があります。

写真2

これは「又兵衛江引受させ」と読むことになります。先ほどの字とこの「受」が同じ筆遣いをしていることから、前文の語句は「受痛」と読むことに至りました。

後日、調べてみると、神奈川県の寒川町の史料にも「受痛」の語の用例があるようですから、「受痛」が妥当になりましょうか。史料の文脈を踏まえて、次回、皆さんともう一度確認したいと思います。

 

もう一つ

写真3

「阿部恵三郎知行同国比企郡土渡村 名主八十次郎 百姓代次兵衛」

と読みましたが、武蔵国比企郡には「土渡村」あるいは「土後村」という村はなく、「土塩村」が存在するようです。ただ、どう読んでも「塩」には読めないと、皆さんと検討しました。

後日、お調べになった方からメールをいただき、阿部氏の知行所に比企郡土塩村があることがわかりましたので、おそらく書き手が写し間違えたものと考えられます。

ただ、新たな問題点も。調べていただいた方によると、阿部恵三郎ではなく阿部甚三郎ではないかというご指摘が。活字の史料には「阿部恵三郎」、または「阿部甚三郎」と書き起こすものもあるようです。これも決着はついていませんので、次回、皆さんと再検証したいと考えています。

 

というように、こんなことを繰り返しながら、一字一字丁寧に解読しています。字を読むだけでなく、やはり史料を解釈しながら進めなければならないことを実感しました。予習も大事です。参加者の市民の皆さんは、とても熱心に調べて臨まれているので、私たちにとっても本当に刺激的な勉強会になっています。

古文書勉強会、次回は2月12日(日)14時~を予定しています。

文化財防火デー防災訓練を行いました~赤沼 常楽寺~

1月22日(日)には赤沼の常楽寺で「文化財防火デー防災訓練」を開催しました。

74年前の昭和24年1月26日に奈良法隆寺の金堂が火災に遭い、当時世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が損傷したという痛ましい事故が起こりました。これを契機に例年1・2月が最も火災が発生しやすい時期でもあることから昭和30年に1月26日を『文化財防火デー』と定められたことから、春日部市でも文化財を対象とした防火訓練を毎年行っています。

 

 今年は市内でも中世、室町時代に作られた銅造仏では唯一となります「常楽寺の銅造阿弥陀如来坐像」を所蔵する常楽寺の本堂の本堂から火災が発生したという想定のもと、常楽寺の関係者や地域の皆さま、そして消防団の協力により様々な訓練に取り組んでいただきました。

 

バケツリレー

▲常楽寺の関係者や地域の皆さまによる模擬文化財の搬出、初期消火としてバケツリレーに取り組んでいただきました

▼消防団による放水も機敏に行っていただきました

 

 

 

 

 

 

 

 


▲訓練の第2部では消防本部予防課が中心となって通報訓練、消火器訓練、煙体験を行いました

参加いただいた皆さまからも「備えあれば患いなし」といった感想のほか、地域の貴重な文化財を地域の想いとして協力して守らねばといった感想もお聞きすることができました。

 時が流れても、伝承する文化財の価値は不変です。そして火災は一瞬のできごと、日常時からの備えによって貴重な文化財の保存を、皆さまからのご協力をくれぐれもお願いします。

 

 

 

 

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和5年1月22日(日)の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館体験ワークショップ「ペーパーローリングを作ろう」を開催しました。

 

蓄音機上演風景

まずは蓄音機の上演からです。

蓄音機は電気を使わないで音楽を聴くことができます。レコードを替え、静かに針を落とし、長くはない曲に耳を傾けるという“手間をかける”ことが、近年丁寧に音楽を楽しむ人たちに人気となっているそうですよ♪

 

紙芝居朗読風景

次は春日部に伝わる伝説の紙芝居を1つ。今日は「蛇女房」というお話です。

鶴の恩返しにも近いお話で、小さい子でも馴染みやすい内容だったかと思います。

 

ペーパーローリング見本

そしておもちゃ作りは「ペーパーローリング」です!

実はこのペーパーローリング、郷土資料館のおもちゃコーナーには置いていません。振ることで剣のように伸びるというおもちゃの性質上、資料館内で振り回すのは若干の危険が伴うため、設置には検討を要します。

なので、ペーパーローリングで遊べるのは今のところ体験ワークショップだけ、という珍しい一品です!

おもちゃ作り風景

シュルンッ!と戻ってくるのがクセになります。

みんなとても気に入ってくれた様子でした♪

 

缶バッジ写真

最後は恒例の缶バッジ作りをしました!

自分で作ってみるという体験が楽しいですよね♪

 

これにて今年度の体験ワークショップは終了です。

来年度も開催を予定しています。開催日が決まったら告知をいたしますので、郷土資料館ブログや広報誌等、ぜひチェックしてみてください!

ご参加いただきありがとうございました♪また起こしください!

 

2月25日(土)川口則弘先生「直木賞の歴史と作家三上於菟吉」を開催します

1月19日(木)、第168回直木賞・芥川賞が発表されました。直木賞は、小川哲氏『地図と拳』と千早茜氏『しろがねの葉』、芥川賞は佐藤厚志氏の『荒地の家族』と井戸川射子氏の『この世の喜びよ』に決定し、いずれも2作が受賞しました。おめでとうございます。

 直木賞(直木三十五賞)は、昭和9年(1934)に亡くなった作家、直木三十五(なおきさんじゅうご)を顕彰するため、昭和10年に設けられました。直木三十五は早稲田大学で、春日部出身の作家、三上於菟吉の1年後輩にあたります。二人は親交が深く、直木が亡くなった際には、追悼と顕彰に尽力し、昭和18年(1943)まで直木賞の選考委員をつとめました。

 

さて、春日部市郷土資料館では、直木賞研究家の川口則弘先生をお招きし、直木賞の歴史と初代選考委員であった作家、三上於菟吉に関する講演会を開催します。皆様のご参加をお待ちしております。

●郷土資料館歴史文化講演会 「直木賞の歴史と作家三上於菟吉」

日時:令和5年2月25日(土曜日)午後2時~4時
会場:春日部市教育センター(春日部市粕壁東3-2-15)
講師:川口 則弘(かわぐち のりひろ)先生(直木賞研究家)
募集人数:80人(申し込み順)
申し込み
郷土資料館に直接、電話(電話:048-763-2455)または、春日部市電子申請で申し込み

川口則弘先生「直木賞の歴史と作家三上於菟吉」電子申請入口

三上於菟吉

 

 

新春の獅子舞公開-銚子口の獅子舞-

1月15日(日)には銚子口香取神社にて市指定無形民俗文化財「銚子口の獅子舞」の新春の舞が公開されました。当日は薄曇りで気温が低い中でも銚子口地区をはじめ、県内外から多数の皆さまが伝統の舞に駆けつけていただきました。

宮参り

 

 

 

 

 

 

 ▲天狗を先頭に小学生による箱獅子、太夫獅子、中獅子、小獅子が後を続く

 天狗を先頭に神社境内を練り歩く「宮参りの儀」、奉納する場を清める「天狗の舞」といった慣例の儀式後は、近年に復活することができた演目、「宇津女の舞」(鈿女-うずめ-とも書く)、「幣かがりの舞」が披露されました。宇津女の舞は「花だまし」とも呼ばれ、花の妖艶な香りで中獅子をだまし孤立させ、太夫獅子と小獅子が仲良く演舞するといったストーリーです。

宇津女の舞

宇津女の舞

 今回は中獅子、小獅子には二十歳を迎えたお二人の女性が初めて担うといった、元禄10年(1697)に伝承以来、初めての試みとなりました。お二人は中学生の頃からお囃子にも参加され、練習を重ねた成果を十分に発揮され、太夫獅子を取り囲み、軽快かつ華麗な舞を披露いただきました。ご観覧いただいた地域の皆さまをはじめ、保存会、当番さんからも拍手喝采をいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

▲太夫獅子により幣束で「家内安全」「五穀豊穣」「無病息災」を祈願。良い一年になりますように祈願されました

 今後は女性三名で三匹獅子が担えるよう、中学生らの後継者養成に力点が置かれ、一人でも多くの後継者を育て演舞できるように取り組まれるとのこと、大いに期待されます。次回の公開は7月、夏祈祷となります。

【体験ワークショップ】ペーパーローリングを作ろう!

1月22日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは、蓄音機の上演、紙芝居、昔のおもちゃづくりをします。

今回作る昔のおもちゃは「ペーパーローリング」です。

 

「ペーパーローリングって何?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、写真を見ていただければお分かりいただけると思います!

ペーパーローリング見本

これです!

他にも、ペーパーヨーヨー、シュート棒などの呼び方があるそうです。

 

遊び方は簡単♪

持ち手を掴んで、シュッ!っと振ると・・・

遊び方①

遊び方②

遊び方③

遊び方④

こんな風にビヨ~ンと伸び、手元にシュルシュルッと戻ってきます!

 

昨年からワークショップで作り始めたペーパーローリングですが、使用する材料などに変更を加えて、より遊びやすく改良しました!

 

遊びだすとついついクセになるペーパーローリング!一緒に作ってみましょう!

 

申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和5年1月22日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機と紙芝居の上演

   昔のおもちゃづくり(ペーパーローリング)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

#博物館の年賀状 謹賀新年

本年も春日部市郷土資料館、そして「ほごログ」をよろしくお願いいたします。 #かすかべプラスワン #卯年

新年一発目は、今年の干支にちなんで、収蔵庫から #ウサギ に関するおめでたい資料を紹介します。

 画像:波兎の絵

波の上を兎が走るこの文様は、「波兎(なみうさぎ)」と呼ばれる、日本の伝統的な意匠の一つです。波兎は、謡曲「竹生島(ちくぶじま)」に由来する文様で、別名「波乗り兎」とか「竹生島文様」とも呼ばれるそうです。「竹生島」は室町時代に成立した謡曲で、醍醐天皇の廷臣が琵琶湖の竹生島に舟で参詣するシーンで、舟から眺める風景の美しさを「魚木に上る気色あり、月海上に浮かんでは兎も波を走るか面白の島のけしきや」(魚が木に登るようだ。月が海上に浮かぶときは兎も波を走るようだ。この島の景色は実に面白い)と謡われる一節があります。この一節から、「波兎」は創作され、桃山時代末期から、江戸時代前期にかけて大変流行ったといわれています。ウサギは多産であることやその所作から繁栄や飛躍の象徴として扱われ、工芸品や建造物のほか、現代でも湯呑や手ぬぐいなどにもしばしばあしらわれています。

この資料は、西親野井の在村の絵師の旧家に伝来したものです。344×246mmの和紙に彩色の波兎模様が描かれています。四辺が骨を入れるためか少しおられており、和凧の図案として描かれたものだと考えられます。西親野井の絵師は、史料からみる限りでは明治時代に活動した人物のようで、さまざまな伝統的な図柄や挿絵、看板などのデザインの下絵を残しています。

当時(明治22年以降)は西親野井は宝珠花村の一部でした。宝珠花といえば、江戸川の河岸として栄えた集落で、現在も大凧あげ習俗を伝える特徴的な地区の一つです。想像を膨らませば、凧揚げが盛んな宝珠花の人たちのニーズに応えて、縁起の良い「波兎」を和凧に描いたのかもしれません。

今年は卯年。皆さまにとりましても「波兎」のように、繁栄・飛躍の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。令和5年卯年 元旦

郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました

令和4年12月17日(土)、18日(日)に体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を、25日(日)に中央公民館で子ども体験教室「しめ縄づくり」を開催しました。

集合写真

 

今年もやってまいりました“しめ縄作り”!参加者の皆さんに楽しんでいただくため、職員一同準備をさせていただきました。

稲わらを調達し、わらの“ハカマ”を取り、当日はわら打ちをするなど、講座開催までには実に様々な工程を踏んでいます。

しめ縄準備風家

講座準備中

 

Now Loading…

 

そして講座当日です。12月の寒い中お越しいただきありがとうございます!

館長挨拶

紙芝居朗読

講座ではまず当館の館長より挨拶をさせていただき、春日部に伝わる伝説の紙芝居を上演しました。今回は粕壁地区に伝わる「火事よけ天狗」という伝説の紙芝居です。冬の乾燥した時期ですので、皆さまも火事など火元にはお気をください。

 

縄ない風景

しめ縄作りは、半紙で紙垂(しで)を作る作業、わらを撚(よ)って縄を編む“縄ない”の作業、しめ縄本体の作成、と大きく3つの作業があります。

中でも特に難しいのが“縄ない”です!合計で3本作っていただくのですが、どうしても最初の1本は形が少し崩れてしまう方も多いようです。しかし、3本作っていくと次第に慣れていき、最初の1本目をやり直してクオリティアップを図る方もたくさんいらっしゃいました!

 

しめ縄作り風景

しめ縄本体を作る作業は、根元からしっかりとわらをねじるのがポイント!縄ないとは打って変わって力のいる作業です。

「疲れた!」「こりゃ大変だ!」という声があがるのですが、「楽しかった!」という感想をたくさんいただきます!大変だからこその達成感を味わっていただけるようです♪

 

しめ縄完成①

しめ縄完成②

しめ縄完成③

出来上がりはご覧のとおり!立派に仕上がっています!

 

皆さま今年も郷土資料館の講座にご参加いただきありがとうございました!来年も様々な講座や企画展を開催していきますのでお見逃しなく!

それでは、よい新年をお迎えください!

考古学講座第4回を開催しました

12月24日、春日部市郷土資料館では午前中から考古学講座を開催しました。

本日は、年代の決定と春日部の古墳時代をテーマとしました。

年代の決定では、絶対年代を求める方法として、放射線炭素年代法と年輪年代法をとりあげました。放射性炭素年代測定法は、1970年代に開発された加速器質量分析法によって、考古学で得られる少量の試料でも年代を測定できるようになり、また暦年較正曲線が頻繁に見直されており、より精緻な分析が進められています。

株式会社パレオ・ラボ様より頂いた加速器分析装置の資料を使いながら、炭素12、炭素13、炭素14が分析電磁石の中で曲がる際に、重量の違いによって曲がる方向が分かれ、3つの炭素が分けられることなどを学びました。

春日部の古墳時代では、東中野の権現山遺跡と内牧の塚内古墳群をとりあげました。権現山遺跡では、古墳時代前期の方形周溝墓が発見され、底部穿孔壺形土器が発見されていること、塚内古墳群では、4号墳のみで墳丘の調査が行われていて、下総系と武蔵系の円筒埴輪が出土していることをお話ししました。

塚内4号墳の埴輪を見ていただく

本日は、塚内4号墳から出土した埴輪を会場に展示し、武蔵系、下総系の埴輪の違い、特に使われている土の違いを見ていただきました。

講座中で、埴輪に使われている粘土の話ばかりしてしまい、説明が足りませんでしたが、内牧地区に武蔵と下総の粘土を持ってきて埴輪を作ったのではなく、武蔵地方と下総地方で作られた埴輪がそれぞれ内牧地区に運び込まれているということですので、補足します。

講座終了後のお話のなかで、埴輪にあけられた穴のことや弥生時代の戦争のことについて質問がありました。次回、最終回の考古学講座で、考えてみたいと思います。

年末の風物詩・粕壁の酉の市

12月14日、粕壁の神明社で酉の市が開かれました。 #かすかべプラスワン #学芸員の胸熱

帰り道に遠くのほうから聞こえるお囃子の音色が。

仲町の皆さんがお囃子を演奏されていました。音色につられて集まる人も多くいたのではないでしょうか。

写真:お囃子

神明通りには、屋台が並び、すれ違うのが大変なほど、中高生や親子連れでにぎわっていました。

夏祭りでは屋台が出ませんでしたから、若者たちは屋台が楽しみなのでしょう。

写真:神明通りの屋台

屋台がどんな流行を取り入れているか、興味もあるところですが、学芸員はたこ焼きを横目に境内に向かいました。

境内には、酉の市恒例の、縁起物の熊手の屋台が並んでいました。熊手の屋台は、その高さに圧倒されます。

写真:熊手の屋台

お社には、獅子頭がお祀りされていました。

写真:獅子頭

獅子頭は、角がある獅子(左)と頭に宝珠を載せる獅子(右)の二頭です。現在まで続く東部地区の獅子舞は、三頭の獅子で舞われるもの主流ですので、この獅子頭は獅子舞に使ったものなのかどうか不明です。

本殿は、扉が開かれて、ご内陣を開帳していました。中にはご神像が。普段の神明社の風景とは異なり、まさに「ハレ」の空間でした。学芸員的には、このあたりが胸熱です。

参詣された皆さんは、「今年もありがとうございました」とつぶやきながら参拝されていました。もう、年の瀬ですね。

さて、粕壁の神明社、そして酉の市は古くから続く神社・祭礼です。そこで、粕壁の神明社について、ヤホーではなく、諸資料で調べてみました。

神明社の起源については、記録等がなく詳しくは不明です。ただ、伝承によれば、天明年間(1781-89)に九法四郎兵衛という人がこの地を開墾したところ、地中からご神体と鏡が出てきたので祠を祀ったといわれています(『春日部市の神社』)。神明社については、長らく、この伝承が語られるのみでしたが、最近、収蔵庫から神明社に関する史料を見出しました。

写真:勧化帳

表紙には、「神明宮御本社建立 勧化幉 粕壁宿世話人」とあります。神明社の本殿を建てたときに寄付を募った帳簿です。「寅九月」とあるのは文政13年(1830)9月のこと。

本文には、次のようにつづられています。古くより鎮座している神明宮は、いまだ仮宮殿であり、今回壊れてしまったので、新規に本社を建てることになった。ただし、自力では難しいので、近郷隣村の助成を請いたい、と。

勧進の世話人(発起人)は次のように記されています。

写真:勧化の世話人

「綿屋市兵衛」(鹿間市兵衛か)、「笊屋半蔵」、「伊勢や市左衛門」(練木市左衛門)、「油屋勘六」(永田勘六)、「八百屋藤七」(小林藤七)、「同重右衛門」、「肴屋権八」、「青木屋清次郎」。

名前がわかる商人は、いずれも粕壁の上町(かみまち)の人たちですので、神明社が上町の人々に信仰されていたものと考えられます。実際にどんな人たちから寄付金が集められたのかは不明です。

また、天保3年(1832)には、神明宮の道が潰地になっており、不便なので、屋敷地を道の敷地にするという取り決めもされています(春日部市史近世史料編Ⅲの2、986ページ)。

これらの史料には、名だたる粕壁の商人の名が!ここも学芸員の胸熱です。

肝心の酉の市がいつから始まったのかは残念ながらわからないのですが、地元の方によれば、神明様の酉の市は、八坂神社の祭礼(春日部夏祭り)よりも賑やかだったそうです。

粕壁の宿場町とともに、神明社、そして酉の市も歩んできたのですね。屋台で楽しむ若者たちも、そんなことを思いながら、大判焼きを食べてくれるといいのになぁと思いました。

【 #常設展 】 #プチ展示替 しました

春日部市郷土資料館の常設展は、常設ですが、常に少しずつ変わっています。今回は二か所「プチ展示替」をしました。 #かすかべプラスワン

一つ目は、常設展にケースを増設し、粕壁宿の商家ゆかりの資料を展示しています。

かすかべ郷土かるたには「蔵造り 面影残す 宿場町」という札がありますが、粕壁は日光道中の宿場町であり、かつては蔵造りの建物が軒を連ねていました。現在でも、所々に老舗の商家さんなどに蔵造りの建物が残っています。今回は、上町の老舗の米問屋永嶋庄兵衛商店さんからご寄贈いただいた、蔵造りの建物の部材を展示しました。かつての粕壁の街並みの写真も合わせて展示しています。蔵造りの建物の見学は、どうしても遠目でみることになるので、部材を間近でご覧いただくと、思っていたよりも大きく感じるかもしれません。川越に行かずとも、蔵造りをお楽しみいただけるはずです。

写真:蔵造りの展示

二つ目は、展示室の最奥の古文書の展示です。長らく、詫び証文を展示していましたが、今回は江戸川の開削、そして流域の庄内領の新田開発の史料を解説しています。収蔵庫のなかで長く眠っていた古文書を点検するなかで、見出したもので、一応新出史料です。江戸川の開削や流域の開発については、同時代の史料が限られており、具体的なことがわかっていません。今回展示した史料も、近世後期の記録であり、同時代の史料とはいえませんが、江戸川の開削年代や「親野台」(親野井周辺か)で工事が難航して3か年を要したことなど、既出の関連史料と比較することで、考察が深められる史料だと思います。庄内領開発に携わった小島庄右衛門の名もみえます。江戸川の通水は6月2日だそうです!

春日部の歴史、埼玉県の歴史にとって河川の変遷は重要で、皆さんの関心も高いところですので、少しマニアックな展示ですが、ご覧いただければと思います。

写真:江戸川の古文書展示

少しずつ変わる郷土資料館。たまーに訪れると新たな発見があるかもしれませんよ。

 

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和4年12月11日(日)の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館体験ワークショップ「からくり屏風を作ろう」を開催しました。

 

今回はリピーターの子が多く、「この前もきた!」「これで4回目!」といった声が聞こえました。気に入ってもらえているようで何よりです♪

 

蓄音機上演

まずは蓄音機でレコード鑑賞から。

およそ130年くらい前の蓄音機で、資料館で動くものは現在この1台しかありません。ワークショップの日だけ特別にお披露目しています。蓄音機の上演は大人の方の参加も大歓迎ですので、ぜひ懐かしい音楽に浸りに来てください。

 

紙芝居朗読

次は「火伏の龍の伝説」という西宝珠花に伝わる伝説の紙芝居です。

米問屋に宿泊させてもらった旅のお坊さんが、お礼にお札を書き、そのお札が米問屋を火事から救ったというお話です。“情けは人の為ならず”という言葉が当てはまるような紙芝居です。

 

そして、おもちゃ作りでは“からくり屏風”を作りました。難しそうなからくりに見えるのですが、意外と複雑な工程はありません。

からくり屏風作り

2枚の板から4枚の絵が現れる不思議さに目を輝かせる子もいました♪

おもちゃが完成

出来上がりをみてみんな嬉しそう!

 

そしてお土産の缶バッジづくり。

小さなお子さんにとっては力のいる作業です。

缶バッジ作り

“うりゃぁ!”と気合の掛け声!

 

本年も体験ワークショップにご参加いただきありがとうございました!

次回は令和5年1月22日(日)に開催予定。おもちゃは「ペーパーローリング」です。

広報誌等でも告知をいたしますのでご確認いただき、ぜひご参加ください!

 

 

「子ども大学かすかべ」2日目で縄文時代へタイムスリップ!!体験授業を行いました

12月3日(土)は、共栄大学を会場に、子どもの知的好奇心を刺激する学びの場を提供する「子ども大学かすかべ 第11期」で“かすかべにも海があった!?”を題材に市内小学生と『ふるさと学・はてな学』に取組みました。受講生は市内小学生の4年生から6年生18名。一学期には6年生を対象とした社会科出張授業に伺っていますので、今回は異なる引き出しで縄文体験を行いました。

導入座学

  

黒曜石体験はいつでも驚きの連続。切れ味に加え、遠方からの資源であること、消費地春日部にたどりつくまでには多くのムラとの交流と交易がないと手に入れられないことも確認。

冒頭は座学で、春日部に暮らした最初の住人として、約3万年前の旧石器時代の暮らしと遺跡を紹介。主な道具である黒耀石で作られたナイフを用いて切れ味を体験。ダンボールが簡単に切れてしまうほどの刃先の鋭さに驚きの声があがりました。

 

 

 

 

 

 

 

▲土器の名の由来である「縄目」のほか、貝塚の存在を示す貝殻や竹を使って粘土で観察。実際の縄文土器にはどんな道具で、どのような模様がつけられているのか、拓本で観察しました。

 続いて縄文時代に海が押し寄せた市内の様子をスライドや史跡神明貝塚の動画で学びを深めました。貝塚から発見された貝殻も土器の模様を付ける道具になっていることを粘土で体験。縄や竹で作られた工具でも様々な模様を付けることができること、実際の土器のかけらを使った拓本では鮮明な模様を観察することができました。

 

 参加された小学生をはじめ、各テーブルでお手伝い役を担った教育学部の学生さんたちからも驚きの声と体験をとおして、縄文人のくらしと縄文時代の海の時代の存在が伝えられた機会になりました。

【体験ワークショップ】からくり屏風をつくろう!

12月11日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは蓄音機の上演や昔のおもちゃ作りをします。

作る昔のおもちゃは「からくり屏風」です。今回が今年最後のワークショップになります。

 

からくり屏風は2枚の板と、4枚の横長の紙を組み合わせて作る不思議なおもちゃです。

からくり屏風

こちらのパンダの絵を・・・・

 

からくり屏風 回転①

くるりん・・・

 

からくり屏風 回転②

からくり屏風 回転③

からくり屏風 回転④

くるりんくるりん・・・

 

からくり屏風 猫

パッ!!

ネコの絵に大変身!

 

からくり屏風 ペンギン

からくり屏風 羊

さらにくるりんし続けると、ペンギンやヒツジの絵にもなります!

そんな不思議なからくり屏風!いっしょに作ってみませんか♪

 

体験ワークショップは申し込み不要です。おもちゃの材料も用意してあります!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和4年12月11日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機の上演

   紙芝居(春日部の昔話)

   昔のおもちゃづくり(からくり屏風)

対象:幼児~小学生(保護者同伴可)、蓄音機の上演は大人のみの参加可

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

 

【臨時休館のお知らせ】

令和4年12月10日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。

ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

12月11日(日)は通常通り開館します。

考古学講座第3回を開催しました

11月26日(土)、考古学講座第3回を開催しました。

本日は、1.分類と型式学、2.春日部市の弥生時代の遺跡についてお話をしました。分類と型式については、遺跡から出土した遺物はまず分類されて評価されること、型式には装飾的要素と機能的要素が型式設定の基準となっており、機能的要素には技術革新により変化するものと、機能の実用性が喪失して生物の痕跡器官のように装飾などとして残る場合があるなどのお話をしました。

春日部市の弥生時代については、弥生時代という時代設定について簡単に触れたうえで、弥生時代の再葬墓(さいそうぼ)が営まれた倉常地区の須釜(すがま)遺跡についてお話ししました。

さて、今回もアンケートに多くの質問をいただきました。そのなかのいくつかをとりあげます。

考古学講座第3回

●神明貝塚出土の人骨から検出されているDNA型、パブログループN9b2は、大陸のどこにみられるのか。

N9b2型は大陸にみられるということではなく、これまで発見されているDNA型のなかで珍しいものとのことです。安達登氏のご研究によると、近年、東北地方で発見された縄文時代の人骨から確認されているそうです。

全国遺跡報告総覧『埼玉県春日部市 神明貝塚総括報告書』 P.214~216)

 

●型式名は誰が提唱して誰かが認定するのか?

型式名は、研究者が他の型式と分類できる一群の遺物を見出した時に提唱されます。提唱されても、さらに研究が深められ、細分されたりすることもあり、多くの研究者が使い始めるのには時間がかかります。生物学の学名のように型式名を「認定」するという公式な手続きはなく、通常は、研究者の支持の多い型式名が使われます。

 

●向ヶ丘弥生町貝塚ではなぜ、壺が完全な形で見つかったのか?現在、貝塚は消えてしまっているのか?

「完全な形」で見つかったのは、土器が埋まっていた深さまで、工事などの影響を受けなかったからです。ちなみに壺の首から口縁の部分は失われています。

1884年(明治17年)、有坂鉊蔵(しょうぞう)、坪井正五郎、白井光太郎が連れ立って、向ヶ丘弥生町の貝塚に出かけ、有坂が「弥生式土器第1号」を発見します。この5年後の1889年、坪井が「帝国大学の隣地に貝塚の痕跡有り」と題する報告を雑誌上で行いますが、この報告は周辺の地ならし工事が盛んになって貝塚が失われようとしていることへの危惧によるものでした。

(石川日出志2008『「弥生時代」の発見・弥生町遺跡』シリーズ「遺跡を学ぶ」050 新泉社)

東京大学構内など周辺地区は「本郷台遺跡群」として埋蔵文化財包蔵地、また国指定史跡「弥生二丁目遺跡」となっています。貝塚としての登録もあります。

東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス

 

●弥生時代の再葬墓について、福島県須賀川市牡丹平遺跡の再葬墓の人骨はなぜそろっていないのか?再葬される骨はどの部位が多いか?地域で残される骨に差はあるか?

牡丹平遺跡の再葬墓人骨は、解体・選別から壺に収納する過程で選別されたものと考えられます。設楽博己氏のご研究によると、東北地方の再葬墓では、全身の骨を部分ごとにくまなく選択して土器に納める傾向があり、関東から中部高地地方では、大腿骨など下半身の大きな骨や歯だけなど部分の骨を納めた例が多いようです。いずれにしても、二次葬の遺跡から発見される人骨は確認例が少ないので、遺跡の新発見により、この傾向が変わる可能性もあります。

(設楽博己2008『弥生再葬墓と社会』 塙書房)

 

●弥生時代の再葬は一部の人(支配していた人)がされるものか?

残された墓の形態や規模に差別化が少ないことなどから、再葬墓の文化圏では、一部の人ではなく、多くの人が再葬墓に埋葬されたと推測できます。

【出動!出張授業】「でばりぃ資料館」in武里南小学校

令和4年12月1日(木)に武里南小学校出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。

 

でばりぃ資料館風景

教室と3年生フロアを使用し、昔の学校の道具、昔の家庭の道具、約60年前の武里について、の3ブースを展開して開催です。

 

昔の武里ブース

約60年前の武里についてのブースでは、空中写真を眺めてもらいました。

実はこの空中写真は武里南小学校(旧校舎:大畑小学校)がまだできていない頃の写真です。学校ができていない当時はどんな土地だったのか知ることができたでしょうか。

 

昔の学校の道具ブース

昔の学校の道具についてのブースでは、児童にとっても身近な教科書や給食の食器など、見慣れたものの比較でした。現在、給食の飲み物といえば個々に配られる牛乳ですが、当時は脱脂粉乳をポットから注ぐ形式だったので、ポットは珍しく感じたようです。ちなみに、地域の方から昔の暮らしについて伺う機会があったようで、“脱脂粉乳=まずい”というイメージが出来上がっていました(笑)

 

昔の家庭の道具ブース

昔の家庭の道具についてのブースでは、羽釜や洗濯板、火のしなどを展示して、実際に触ってもらいました。見たことがあるという道具も多く、用途を知っている児童もいたのですが、手動式の洗濯機は初めて見る子が多かったようでたくさん質問を受けました。

現代の電気で動く家電と、昔の電機以外を動力とした道具について、エネルギーの変化についても学ぶいい機会になったのではないでしょうか。

 

武里南小は郷土資料館からやや距離があり、なかなか学校として訪れるのが大変なようで、先生方からも“来ていただけて本当に助かります”と感謝の言葉をいただきました!

 

第3学年の郷土学習はもとより、それ以外の学年でも内容等打ち合わせをさせていただければ、随時出張いたしますので、ぜひ“でばりぃ資料館”をご活用ください!

 

「幸松っ子くらぶ」郷土カルタすごろくで遊ぼう

令和4年11月28日(月)に幸松小学校で行われた、放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」で“郷土カルタすごろくで遊ぼう”を開催しました。

幸松っ子くらぶは図書室・図工室・音楽室・幸松ルーム・体育館を使用し、各部屋で異なるイベントが開催され、子どもが自分の興味があるイベントに参加する方式です。(郷土カルタすごろくは幸松ルームでした)

 

開始のご挨拶

今回は1年生から5年生まで合計9名の児童が訪れてくれました。

紙芝居の朗読

すごろくの前に、ひとつ「牛島の藤の伝説」という紙芝居を読みました。牛島の藤は幸松小学校からもほど近く、知っている子も多いようです。そこにはいったいどんな伝説が伝わっているのか、みんな真剣になって聞いてくれました。

 

郷土カルタすごろく

続いては郷土カルタすごろく!

郷土カルタすごろくは、春日部郷土カルタをモチーフにした郷土資料館オリジナルのすごろくです。一般的なすごろくとは異なり、サイコロの出目の数だけ進むのではなく、出目に割り当てられたマスにワープしながら進みます。

 

大きなサイコロを振ります

大きなサイコロ!

みんな溢れんばかりのパワーで投げていました(笑)

 

すごろく風景

止まるマスによってはクイズに答え、ポイントをゲットしながら進行していくのですが、これが大盛り上がり!低学年から高学年まで楽しそうに遊んでくれました♪

 

手作りおもちゃ遊び

最後に郷土資料館から持参した手作りおもちゃでも遊んでもらいました!

郷土資料館に置いてあるから、遊び足りなかった子はいつでも遊びに来てね♪

 

子どもたちからは「世界一面白かった!!」との感想が(笑)

想定した以上にみんな夢中になって楽しんでくれて、私たちも笑顔で帰路につきました。

幸松小のみなさん、またお会いしましょうね!

放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」~お囃子教室~

 11月28日(月)、幸松小学校では放課後子ども教室「第3回幸松っ子くらぶ」が開催されました。

当日は、お囃子教室をはじめ、多くのボランティアさんにより5つの教室が催され、66名の児童が参加してくれました。

 お囃子教室では、地元で伝統芸能の市無形民俗文化財に指定されている「不動院野の神楽」を伝承されている東不動院野神楽保存会から4名が指導者としてお出でいただきました。

 幸松小学校の1年生2名、3年生1名、4年生1名に加え、ボランティアとしてお手伝いいただいている共栄大学教育学部から1名の計5名がお囃子に取組みました。

保存会のお囃子の様子

 

 

 

 

 

 保存会の皆さまによる模範演奏

 円熟した伝統芸能の軽快な祭り囃子です

 

最初に保存会の皆さまによる基本的な祭りばやしをじっくりと見聞き。太鼓・締め太鼓・笛・鉦による軽快なリズムに踊り出す児童も。続いてタイヤを用いた練習、最後に祭りばやしの演奏にもチャレンジしました。

練習風景

お囃子にチャレンジ

 

初めて体験する児童も終始集中、一心不乱に太鼓を叩きました。また次回2月に第4回目の開催が予定されていますので、この機会に興味を深め、伝統芸能を担う後継者が誕生すること期待しています。

 ご多用の中、保存会の皆さま方には感謝するばかりです!

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

令和4年11月27日(日)の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館体験ワークショップ「紙でっぽう・ぶんぶんゴマを作ろう」を開催しました。

 

ワークショップで作成しているおもちゃは現在8種類ほどあり、リピートして来てくれる子も多いのですが、今日は初めて参加の子が多い日でした!

 

蓄音機上演風景

まず初めに蓄音機でレコード鑑賞です。今回は「口笛吹きと子犬」という曲です。テレビCMにも使われている曲で、曲名は知らなくても聴いたらピンとくる人も多いと思います♪

 

紙芝居朗読風景

次は「火事よけ天狗」という秋葉神社の夫婦松に纏わる伝説の紙芝居を朗読しました。

起承転結がわかりやすく、読みやすい紙芝居を探している方にはおすすめですよ!

 

今日作ったおもちゃは2つ。まずは、紙でっぽうからです。

新聞紙など長方形の紙を1枚用意するだけで作れる紙でっぽう。折り方もさほど複雑ではなく、折り紙で遊んだ経験があれば小さな子でも簡単に作れちゃいます!

おもちゃ作り風景

ぶんぶんゴマ作成風景

2つ目はぶんぶんゴマです。

これも作り方は簡単!板に2つ穴をあけ、糸を通して結んだら完成です。糸を引っ張って、緩めるタイミングを見極めることが遊び方のコツ!コツさえ掴めれば永遠に回していられますよ。

 

缶バッジ作り風景

そしてお土産の缶バッジづくり。初めて参加してくれた子は興味津々!

嬉しそうに持ち帰ってくれて、こちらも嬉しくなります♪

 

次回の体験ワークショップは令和4年12月11日(日)に開催予定。おもちゃは「からくり屏風」です。

年内最後のワークショップとなります。2週間という短い間隔での開催となりますが、お時間がありましたらぜひお越しください!

広報誌等でも告知をいたしますので、詳しくはそちらをご確認ください。

 

 

 

豊野小学校第3学年が郷土資料館を見学しました

令和4年11月22日(火)に豊野小学校第3学年が郷土資料館を見学しました。今日は楽しい社会科見学の日だそうです!

常設展示解説風景

2クラスを常設展示室、企画展示室を入れ替わる形式での見学です。

 

竪穴住居解説風景

常設展示では、竪穴式住居や粕壁宿の解説を受けました。

竪穴式住居解説の時に、“住居内の道具がどうやってできてるのか知りたい”とのリクエストがあり、学芸員が磨製石斧(ませいせきふ・切れませんのでご安心ください)の複製を取り出して、みんなに触ってもらいました!

実は竪穴式住居内の道具を触ってもらうことはめったにありません!いっぱい質問してみると、こんな風にいいことがあるかもしれませんね♪

 

企画展示室解説風景

企画展示室では、昔の学校の教科書や、石盤(せきばん)といった現在のノートのかわりに使われていたものを、今のみんなの学校生活と比べてもらいました。

千歯扱き体験風景

千歯扱き体験では「綱引きみたい」「ざらざらする」といった、自分の手に伝わる感触を感想として話してくれました!まさに体験学習ですね!

 

明日11月23日は祝日のため休館となりますが、土曜日、日曜日は開館しているのでぜひ来てくださいね!(12月10日(土)は臨時休館です)

 

現在、郷土資料館企画展示室では「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」を令和5年2月26日(日)まで開催しています。

昔懐かしい民具や勉強道具、おもちゃなどを展示し、お子様からご年配の方まで楽しんでいただける展示となっております。ぜひご来館ください。

【 #春日部の特産品 】オリジナル桐の貯金箱づくり【 #桐箱 】

11月20日(日)郷土資料館体験講座でオリジナル桐の貯金箱づくりをしました。講師は、市内で桐箱・桐製品製造をされている春日部桐箱工業協同組合の皆さまです。 #かすかべプラスワン

写真:講師の皆さま

ご承知の通り、春日部の桐箱づくりは、江戸時代からの地場産業です。桐箱は特産品の一つとして数えれられています。板を圧着するときには万力(かつては縄)で固定したり、仕上げの工程は丁寧にやすり掛けをしたり、様々な工程を経て、質の高い春日部の桐箱が製造されています。

今回の貯金箱づくりは、桐板に糊(ボンド)をつけながら、箱をつくりました。作業自体は、講師のみなさんの丁寧なご指導もあり、難しくありませんが、ボンドが乾くまで、輪ゴムで固定したり、丁寧にやすり掛けしたり、落し蓋の仕掛けがあったり、実は、春日部伝統の桐箱づくりの「わざ」が凝縮されているのです(と見ていて思いました!)。

講師の皆さんは、子どもたちに、効率よく、かつ丁寧に、そして楽しんで箱をつくることを教えていらっしゃいました。伝統の技を受け継ぐ皆さんに指導してもらうこと、大変貴重な体験だったんですよ!

写真:指導される子どもたち

貯金箱は、背板の部分をアレンジできるようになっており、好きなイラスト・デザインを描いて、職人さんに電ノコで切り抜いていただきます。

子どもたちは、アニメだったり、ゲームだったり、好きなキャラクターを描いていました。ポケモンが多かった様子。大人の方は、最後まで何を描こうか迷っていらっしゃいました。

兄弟で完成品とともに記念撮影。お兄ちゃんはにゃんこ大戦争、弟くんはポケモンのモンスターボールだそうです。

写真:兄弟で完成品

もう一人、袋に隠れていますが、お金のマークを描いてくれました。お金が貯まるといいですね!

写真:完成品(お金の貯金箱)

おうちに帰って、よくやすり掛けをしてもらって、色つけ、絵付けをすれば完成です。

職人さんから、おうちに帰ってツルツルになるまでやすり掛けをするように教えられた男の子は、見本の貯金場や桐箱製品を触って「すげー、ツルツルだ!」と感動していました。

講座を通じて、春日部の桐箱のスゴさも同時に知る機会になれば、大変うれしいです。

写真:桐箱をさわる子どもたち

アンケートでは、「難しかったけど、とても楽しかった!」「やすりで磨いたら桐の美しさがでてきれいにできた」「桐の特性がわかりました」などの感想をいただきました。引き出しや、ティッシュケースなど、ほかの桐箱製品も作ってみたいという声もあがりました。

講師の皆さま、参加者の皆さま、ありがとうございました。

最後に宣伝です。春日部駅東口にて、3年ぶりに「押絵羽子板と特産品まつり」を12月22日、23日に開催するそうです。桐箱工業協同組合のみなさんも出店されるそうです。ぜひ、お手にとって桐箱の良さを感じていただけれと思います。

チラシ画像