ほごログ
出張授業「縄文体験教室」 in南桜井小学校
6月14日(金)に南桜井小学校の社会科出張授業にうかがいました。
今回は6年生の2クラスを対象に授業を行いました。
授業の冒頭、「歴史の授業はどのくらい進みましたか?」と聞くと、なんと1時間前の時間に、縄文時代を習ったというクラスがありました!
習ったばかりの状態なので「縄文時代はどんな時代だったの?」と質問にもクラスのあちこちで元気な答えが返ってきました。
出張授業は、歴史の授業の導入としても、また復習としても行っていますが、こんなタイミングが良いことは珍しく、わたしたち学芸員にとっても盛り上がる授業となりました。
さて、授業の前半には、史跡神明貝塚の紹介ビデオをみます。
南桜井小学校は神明貝塚とも比較的に近い位置にあるので、みなさん興味津々です。
続いてパワーポイントを用いて、「学校付近に暮らした縄文時代の生活」について説明します。
最初は春日部が海の底にあったなんて、信じられない様子でしたが、龍Q館を建てるときの工事で、貝殻の層がみつかったことや、発掘調査で縄文時代の遺構からイルカやウミガメの骨がみつかったことを聞くと、だんだんと納得してくれました。
最後にはお待ちかねの縄文体験です。
実際に縄文土器や石器や貝塚の貝殻に触れて、縄文時代の生活を考えてもらいます。
先ほどまで教科書で見ていたものが目の前に置いてあるのは、とても不思議なようです。最初は壊さないか心配が先立つ様子でしたが、緊張がほぐれると、現在の道具と縄文の道具を比較したり、実際に触てみた感想や、「なぜ」「どうして」「どのように作られたのか」などと疑問に思ったことを口にしたりと、積極的に体験をとおして縄文時代の暮らしについて学習を深めてくれました。
南桜井小学校のみなさん、ありがとうございました!
出張授業「縄文体験教室」 in豊春小学校
6月12日(水)に豊春小学校での社会科出張授業にうかがいました。
今回は6年生の3クラスが対象です。
授業の進捗はそれぞれ。歴史の導入として歴史上の人物を調べたクラスから、縄文時代・弥生時代まで学習が進んだクラスまであります。
まずはじめに授業の導入として、春日部市の代表的な縄文時代の遺跡である「史跡神明貝塚」の紹介ビデオを見ます。神明貝塚のある西親野井地区は豊春小学校のある豊春地区とは東西端に位置しますが、メモを取りながら集中してビデオを見てくれました。
続いて、「学校付近に暮らした縄文人の生活」というテーマをもとに、パワーポイントを見ながら、縄文時代の春日部について話をします。実は豊春小付近にある「花積(はなづみ)」という地域には、縄文時代の貝塚やムラが多数広がっている台地が広がっています。
自分の家の近くの知っている地名が出てくると、教室内のあちこちで声があがりました。
最後に縄文体験の時間です。
実際に石器や土器、貝殻を触って縄文人の食生活を体感してもらいます。
いつも土器の感想を聞いているのですが、今回は「パソコンより重い」と答えてくれた児童がいました。
自分の感覚に引き付けた感想を聞けると、うれしいです。
縄文土器の縄に触れながら、この時代の人はどうやって縄を作ったのかと聞いてくれた子もいました。現代に当たり前にある物が、時代を遡って存在していることが不思議なようです。
実は、豊春小学校には昇降口に郷土資料の展示コーナーがあり、その中に花積で実際に出土した土器や石器、魚の骨などが展示してあります。
何気なく通っていた場所に実はすごいものがあったのだと、驚いた様子でした。
豊春小学校のみなさん、ありがとうございました!
人口急増時代の春日部ゆかりの資料
現在、開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示資料を少し紹介。今回は春日部市の人口がぐーんと上がった昭和40年ごろの資料。 #かすかべプラスワン
企画展では、昭和29年(1954)の(旧)春日部市の誕生から、現在の市庁舎が誕生するまでの市政のあゆみを、ギュギュっと紹介しています。なかでも春日部にとって、大きな転機となったのは昭和40年初頭。埼玉県で国民体育大会が開催され、駅西口の風景が大きくかわり、また、武里団地が造成され、市内に1万人規模の街が造られ、春日部の風景は大きくかわっていったのです。
当時の状況を物語る資料は無いかと、収蔵庫から探して並べたのが、下の資料。
手前の大畑小学校の表札は、大畑小学校が平成15年に閉校したときに収集したもの。大畑小学校は、武里団地の中に昭和41年(1966)に開校した小学校で、春日部市にとって、初めての新設小学校でした。団地の中にあるということからわかるように、武里団地が造成され、入居がはじまり、団地の子どもたちが通った小学校なのです。
奥のお人形と、ネズミとアヒルの壁掛けレリーフは、武里診療所旧蔵の資料。閉所した平成7年に収集したものです。武里診療所は、市立病院の出張所として昭和41年に武里団地内に設置されました。これらの資料は団地の子どもたちをあやすため置かれ、飾られたのでしょう。ネズミとアヒルは、世界的に著名なキャラクター。しかし、ちょっと顔が変?診療所設置当時のものか定かではありませんが、昔は類似品や海賊版があふれている時代。ライセンス品ではないのかもしれません。
そして、赤ちゃんの人形。目や髪がクリンとしていて、欧米系の顔つきのようにもみえます。ちょっと苦しそうな体勢で座らせているのは、背中を見ていただきたいため。
背中には「小児科」の文字が。これで、間違いなく診療所で使われていたものであるといえましょう。
いずれも、春日部市の人口が急増したときの資料です。人口の増加はグラフや年表にすれば一目でわかりますが、このような当時のモノからも、当時の世相や雰囲気を感じることができるのではないでしょうか。
展示は、7月7日まで。6月30日には展示解説講座も開催します。ぜひご覧ください。
#常設展 #プチ展示替
郷土資料館の常設展をプチ展示替しました。 #かすかべプラスワン
展示替したのは、毎度おなじみ、展示室の奥の奥の古文書展示のコーナー。
長らく、江戸川開削に関する古文書を展示していましたが、訳あって撤収する必要があり、近年、ご寄贈いただいた市内の不動院野の旧家に伝わる高札を展示しました。
この高札、慶応4年(1868)3月に太政官の名で出されたもの。日本史でも習う(はず)の「五榜の掲示」の一つです。
内容は、キリスト教などを禁止するもの。江戸幕府以来のキリシタン制禁の政策がそのまま踏襲されたものを示す高札です。
面白いのは、この高札の左隅に釘で打ち付けられた穴(写真の赤の矢印)があること。そして打ち付けられた木札(木片といったほうがよいか)も一緒に伝わっていることです。
なぜだか、写真が縦になってしまいましたが、木札には、明治5年(1872)正月付で、埼玉県の名があります。高札の旨を守ることと墨で書かれたもので、内容は何てことないのですが、高札に打ち付けられた木札、珍しいかもしれません。高札はずっしり重い堅木であるのに対し、埼玉県の木札は簡素な杉の木ってところも面白いです。
資料を受領しに、旧家にお邪魔した折り、市内に高札が「まだ」あったことに驚き、またこの珍しい?木札にさらに驚いた記憶があります。
ぜひご覧ください。
【臨時休館のお知らせ】
令和6年6月8日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。
ご迷惑をおかけしますが、ご注意ください。
6月9日(日)は通常通り開館します。
5月の近隣博物館・資料館の考古学情報
5月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」
・6月9日(日)まで 富士見市立資料館水子貝塚資料館・難波田城資料館 「ひらいた 考古館」
・6月23日(日)まで 栃木県立博物館 「栃木の遺跡」
・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」
・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」
・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」
・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」
・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」
・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市) 「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」
・6月8日(土)~7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」
(遺跡発表会)
・6月22日(土) 千葉県立中央博物館 「発掘された関東の遺跡2024」 要事前申し込み(6月7日〆切)
(現地説明会)
・7月20日(土) 台東区教育委員会 「北稲荷町遺跡(旧下谷小学校地点)遺跡発掘調査現場見学会」要事前申し込み(6月14日〆切)
*春日部市郷土資料館では「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です
みゅーじあむとーくを開催しました
5月25日、現在開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示解説を実施しました。
今回の企画展は、ざっくり言えば、旧市庁舎ができてから、閉庁するまでの春日部市政の歩みを紹介するもの。扱う出来事は最近のことで、郷土資料館の展示としては異例の極めて現代史的な内容です。
いらっしゃった方にも、はじめにお断りしましたが、今回の企画展は広報かすかべをたどりながら準備しているので、当時の様子や詳しいことがわからなかったり、最近の出来事を評価するにも難しく、至らない部分も多いです。ご参集いただいた市民の皆さんには、そうした点を様々にご教示、ご感想をいただけました。
珍しいのでは!?とご感想いただいたのが、こちらの資料。
昔、市が軽自動車(軽車両)に交付したナンバープレートです。
法令ができた昭和33年以降のものであるようですが、残念ながら、いつ頃のどんな車両につけていたものなのか、広報かすかべでは辿れません。自動車にお詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
企画展は、いつもと時代の守備範囲が違う内容なので、お越しになる方がいらっしゃるのか、当日までわかりませんでしたが、お集まりいただいた方々は常連の方もいれば、はじめてお話しする方にもお越しいただき、写真の通り、そこそこ盛況のうちに終えることができました。また、知らなかったことをご教示いただけたので、担当者にとっても有意義な時間を過ごせました。
”神楽”の授業がスタート!ー江戸川小中学校ー
5月22日(水)、義務教育学校の江戸川小中学校では、第4学年の総合的な学習の時間に神楽の学習がスタートしました。地域の歴史文化を学ぶ一環で恒例の授業となっています。
市指定無形民俗文化財『榎の囃子神楽』を継承する榎囃子神楽連の会長さんら3名の指導により、11月の「けやき祭り」に向け、初日の本日はタイヤを太鼓に見立てた打ち鳴らしを練習。
お囃子「ニンバ」は『テンツク・テケンツク・テツクツ・・・』と左右のバチを交互に振りおろし、リズムもゆったりと難しい演目です。4人一組のグループ毎にタイヤに向かって小一時間。あっという間にリズムと4人のタイミングが揃うグループがつぎつぎと!会長さんからもお褒めの言葉をいただきました。
今後は様々な調子のお囃子に加えて、『おかめ・ひょっとこ』『大黒舞』などの伝統的な神楽の演目にも取り組みます。練習の成果は、10月の富多神社の祭礼や11月の学校のけやき祭りでお披露目されます。
この経験から伝統芸能の継承に興味関心をもつ児童が出てくることを楽しみにしています。
出張授業「縄文体験教室」 in川辺小学校
5月17日(金)に川辺小学校へ出張授業に行ってきました。
今年度の出張授業第1回目となります。
3年生の2クラスの「総合的な学習の時間」に招かれ、「発見!探検!春日部じまん!川辺小学校ちかくの昔むかしの生活」について、学習しました。みなさん元気いっぱいに挨拶をしてくれました。
3年生では、歴史の授業をまだ習っていませんが、みなさん興味津々です。
授業の前半では小学校はどんな場所にあるのか、氷河時代にさかのぼってお話を聞きます。
縄文人が住んでいたころ市内には海が広がっていたことを勉強しました。
小学校の周辺に広がる台地には、縄文時代の遺跡や貝塚が多くあります。
自分の家の近くで行われた発掘調査の話を聞いて、身近に縄文人が住んでいたことに驚いていました。
授業の後半では、3つの班に分かれて、縄文人の食べ物や道具を触れる体験を行いました。
石器の体験では、黒曜石を用いて段ボールを切るという、切れ味を確かめます。「こんなに切れるんだ!」「カッターよりも切れる!」驚きの声が上がりました。
縄文人の食べ物では、貝塚の貝がらと、川で取れる貝がらを見比べてみます。
貝の種類からも、縄文時代は温かい海が広がっていたことが分かります。史跡神明貝塚では「ヤマトシジミ」中心。「食べているシジミよりも大きい」「おいしいみそ汁ができそう~」と、率直な感想が聞けました。
土器の体験では、市内で出土した縄文土器を実際に見てもらいます。
縄文時代は、これがお鍋のように使われていたと話すと、とても不思議そうにしていました。
実際に縄文体験をして、当時の生活を想像することができたようです。
川辺小3年生のみなさん、ありがとうございました!6月は6年生を対象とした授業を行います。6年生はどんな感想が聞けるのか、楽しみです。また、多くの小・中学校からの出張授業の申し込みをお待ちしています
「さようなら二代目 #春日部市役所 」配布中
本日より、企画展「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」展(7月7日まで)が始まりました。春日部市の旧庁舎の閉庁を記念した企画展示です。 #かすかべプラスワン
展示は、昭和29年(1954)に(旧)春日部市が誕生してから、旧庁舎(二代目市役所)が閉庁するまでの、春日部市の歩みを様々な資料を展示して紹介するものです。旧庁舎が完成するのが昭和46年(1971)1月のことですので、旧庁舎は春日部市政の大半と月日を過ごしてきました。とくに、春日部のまちが駅の西側に広がり、「近代的な都市」へと歩みを進めていく、その市政・まちづくりの中枢にもありましたので、近代的な発展を遂げた市にとって象徴的な建造物ともいえるでしょうか。この旧庁舎(二代目市役所)が昨年12月閉庁したことを記念し、展示を企画するにあたり、今回、「さようなら二代目春日部市役所」と題するリーフレットを作成しました。
一見、地味ですが、そこそここだわっています。
タイトルの「さようなら二代目春日部市役所」の「春日部市役所」の文字は、旧庁舎の玄関に掲げている「春日部市役所」の文字をトレースしています。建築に明るい人に言わせれば、この文字のレタリングが近代建築の風合いを遺しているとか。浅学ながら、旧庁舎は、いわゆる「モダニズム建築」と「ポストモダニズム建築」の狭間に置かれた建造物なのだろうと思います。文字も結構ですが、専門家の方には、まずは建物自体の建築史的な建物の評価をしていただきたいものです。
表紙の写真は、落成当時に「新市庁舎完成記念特集号」として発行された「広報かすかべ」の表紙です。新庁舎の完成が市にとって重要な出来事であったことがうかがえます。展示室では複製版をご覧いただけるようにしていますので、気になる方はぜひご来館ください。
背景は旧庁舎のタイルの画像となっています。リーフレットを開くと、見開きの背景は旧庁舎の内装のタイルの画像だったりもします。
このリーフレットは、ご来館いただいた方に無料で配布しています。旧庁舎や春日部市政をふりかえる機会にしていただければ幸いです。
展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」
会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)
会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室
入 場:無料
関連事業
・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」
と き:令和6年6月30日(日)10時~12時
ところ:教育センター
申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請
・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)
と き:5月25日(土)10時30分~、15時~
ところ:郷土資料館 企画展示室
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旧市庁舎の池
企画展「まちをみつめて50年」では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎(二代目市庁舎)にスポットをあて、市政のあゆみを紹介しています。 #かすかべプラスワン
上の写真は、竣工直後の二代目市庁舎。鳥瞰の写真で周囲の様子もわかる、大変貴重な写真です。先日、市役所内の担当部署から移管されたものです。あたりに田んぼの形跡があるように、二代目市庁舎は、昭和46年(1971)1月落成し、田園のなかからひとり、近代化していく春日部の町の有り様を見守ってきたといえるでしょう。
そんな、たくましさすら感じられる二代目市庁舎について、いろいろと調べているうちに「昔はこうなっていたのかぁ」と、小さな発見がありました。実は、池があったのです。
池はなんと、正面玄関の階段の脇です。スロープになっている段差を利用して、そこを池にしていたようです。図面でも池があることは確認できていたのですが、半信半疑。しかし、下の写真(昭和49年)を発見し、確信にかわりました。
この池、現在は植栽が植えられ、当時の面影は残っていません。いつ、どのような理由から池が植栽に変えられたのか、現時点では不明です。
へぇ~、と思った次第です。
【どこにあるかわかるかな?】目指せ資料館ハンター!
埼玉県鉄道高架建設事務所と郷土資料館が協力して、
令和6年4月1日(月)に、教育センター1Fに鉄道高架PR展示室を開設しました。
教育センターに入って、エレベーターやお手洗いを抜けたガラス扉の先に展示室があります。
以前は教育委員会の執務室として使われていた空間です。
ちょっと分かりにくい場所ですが、勇気をもって入ってみてください(笑)
展示室には駅周辺の古写真のみならず、粕壁宿のペーパークラフト模型や、古利根公園橋、鉄道高架事業の駅周辺の模型なども展示してあります。
そこで!
郷土資料館・鉄道高架PR展示室をよりじっくり味わってもらうために、こんなプリントを作成してみました。
「目指せ資料館ハンター!」
写っている写真は、郷土資料館もしくは鉄道高架PR展示室内に設置された模型の一部分をズームアップしたもので、その場所を探してもらうというゲーム感覚で楽しんでいただけるプリントです!
写真の中に含まれる色や特徴など、様々なものを手掛かりにぜひ探してみてくださいね!
プリントは郷土資料館内に設置してありますのでご自由にお取りいただき、挑戦してみてください♪
#企画展 「まちをみつめて50年」準備中
GWが明け、5月18日(土)から始まる企画展示「まちをみうめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」の設営が本格化してきました。 #かすかべプラスワン
今回の企画展では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎にスポットをあて、その旧市庁舎が誕生し、閉庁するまでの市政のあゆみを紹介するものです。
旧市庁舎が落成したのは、昭和46年(1971)1月。閉庁するまで53年間、春日部市政とともに歩んできました。そんな長い期間の市政をくまなく紹介するのは、せま~い郷土資料館では不可能ですから、今回は、市制の周年事業や特徴的な取り組みを中心に紹介する予定です。市制40周年の「かすかびあん」も登場予定。
初日まで、あと1週間。毎度ながら、果たして間に合うのでしょうか。
展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」
会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)
会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室
入 場:無料
関連事業
・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」
と き:令和6年6月30日(日)10時~12時
ところ:教育センター
申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請
・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)
と き:5月25日(土)10時30分~、15時~
ところ:郷土資料館 企画展示室
県指定文化財”小淵観音院円空仏群”の公開
五月晴れの絶好の行楽日和となりました本日5月3日(金)、小淵山観音院では、埼玉県指定有形文化財“円空仏”が公開され、午前から多くの拝観者でにぎわいました。
『微笑みの円空仏』とも親しまれ、魅了する木像仏を間近で拝観できる年一度の機会、本堂の静寂の中で思い思いの時をお過ごしできたようです。地元小渕地区の方はもちろん、県内外からもこの日を楽しみにしていたという声を聞くことができました。
「聖観音菩薩立像」一木から彫り出された円空仏では県内最大の194㎝を測る。口元には微笑みがこぼれ、頭巾様の宝冠には阿弥陀如来の化仏が配置されている。
「伝毘沙門天立像」四天王の中でも最強の神。竜頭様の兜の左右に唐草文様が彫り込まれている。
「不動明王立像」右手に宝剣をもち、口元には歯牙をあらわす厳しい表情を示す。県内唯一の立像の不動明王像である。
本年の公開は例年より一日延長、5月6日(月)まで、午前10時から午後5時まで。また、特別プログラム「宵会(ヨイノカイ)」もご用意されております。(お問合せ先:小淵山観音院 048-752-3870)
この機会に木像彫刻に生涯を懸けて創りあげた円空の芸術に浸ってみてはいかがでしょうか。
#かすかべ地名の話 (4) 花のつく地名 #花積 #西宝珠花
市内の地名の話題。今回は企画展でも紹介している花のつく地名について。 #かすかべプラスワン #地名の由来
市内の「花」のつく地名は、住居表示でも使用されている「花積」「西宝珠花」です。
花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。
しかし、なぜ「花」という言葉が地名についているのでしょうか。花積・宝珠花の地名の由来については、様々な説があります。諸説については花積と西宝珠花の「地名のはなし」の回に譲ることにしますが、「はな」という言葉の語義を調べてみると、「突端」や「先端」を意味するそうです。それが転じて「はなわ(塙)」は台地などの高くなっている土地を指すそうです。顔の「鼻」も顔のなかで突起している部分、あるいは先端ですし、フラワーの「花」も植物の先端に付きます。つまり、「花」とは「突端」「先端」あるいは「台地」の上を意味すると解せます。
翻って、花積と宝珠花の地形をみると、台地の突端に位置しています。地名の由来の定説を決定づけることは難しいですが、おそらく春日部市の「花」は「突端」「先端」あるいは「台地」を意味するものと理解されます。
ちなみに、庄和地区の金崎には「字花輪下(あざ はなわした)」という地名があります。ちょうど国道16号のハンバーガーチェーン店のあたりとなり、南桜井駅周辺に張り出した台地の縁辺にあたります。おそらく、「花輪」はこの台地を指し、その「下」に位置するので「花輪下」と呼ばれたのでしょう。
なお、「花」の地名は、台地が張り出している市域のみならず、他所にもあります。「鼻」の漢字があてられる場合もあるようです。
西宝珠花では、5月3日、5日大凧揚げ祭りが開催されます。「花」の地形も意識しながら、西宝珠花を散策すると、より大凧揚げ祭りも楽しめるかもしれませんよ。
春日部市史 『自然誌編』の頒布を開始します
自然科学(主に地学)による観点にたち、市域の土地の成り立ちや、河川の流れ、地震や台風の自然災害などが、私たちの暮らしにどのような影響をおよぼしたのかをテーマに編さんした新たな市史「自然史編」を刊行しました。
市内の土地や河川の流れ、埼玉県東部地域特有の地形である河畔砂丘の現地調査、文献や空中写真、古地図の確認による地形の変遷の確認など、6年間の歳月をかけて調査の成果をまとめたものです。
特に自然堤防を越流した痕跡(クレバススプレー)により、今は人の手により管理されている大落古利根川や古隅田川がかつては度々氾濫を繰り返していたこと、イチョウやハクレンなど市内でよく見られる樹木が、太古に栄え、その後自生種が減り現在では生きている化石植物であること、中世から近世にかけて古隅田川の流れが変わった理由について考察した内容など、最新の学問の成果を取り入れた内容となっています。
また、「地学さんぽ」と題し、各章の内容に収まらないもので、コラム的な内容をまとめた章もあります。オールカラーで420ページ、巻末には、用語の解説も掲載しています。
市内の図書館や公民館にも配架しておりますので、ぜひご覧になってください。関心のある方には、春日部市役所本庁舎4階の文化財課や春日部市教育センター1階の春日部市郷土資料館で有償(一冊3,000円)で本日、5月1日(水)から頒布を開始しました。
《頒布している施設》
市役所4階 教育委員会 文化財課
市役所3階 市政情報課
教育センター 郷土資料館
庄和総合支所2階 総務担当
道の駅庄和
ぷらっと春日部
本書を契機に市内の地形の歴史に興味関心を高めていただければ幸いです。
花積の貝殻坂はどこか!?
4月27日(土)、「*花の彩り*春日部*」展の展示解説講座を開催しました。
今回は、春日部ゆかりの花の話題は他に譲り、「花」のつく地名である花積・西宝珠花の歴史にフォーカスをあてました。
花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。
さて、今回は花積の「貝殻坂」について。花積は花積貝塚が所在することで考古学界では著名な地区です。縄文時代には台地の谷あいに海が入り込み、高台に暮らす縄文人が貝を投棄し、それが貝塚となったわけです。花積に豊富な貝が散在していたことは、江戸幕府の官撰の地誌「新編武蔵風土記」の記述にもみえます。記事は次の通り。
塚 高さ四五尺庚塚と云、この外西北に登り、五丈許屈曲せる坂あり、そこより貝殻多くいづれば貝殻坂とよべるなり
花積地区の発掘の報告書にも引用される一節です。解釈してみましょう。当時の花積(花積村)には、庚塚という高さ4~5尺ほどの塚があったそうです。残念ながら塚の位置は不明です。記事は「この外」に坂があると書かれています。「この塚の外側に」ということなのか、「塚の他に」という意味なのか確定ができないのですが、いずれにしても花積村内に5丈(約15m)ばかり屈曲する西北に登る坂道があり、その坂道一帯から貝殻がたくさん出てくるので、地元の人たちは「貝殻坂」と呼んでいる、と解釈できます。
「もし、花積発祥のアイドルグループができたなら、きっとグループ名は貝殻坂46」
そんな妄想を抱きつつ、貝殻坂の場所を特定せんがため、受講者の皆さんと明治9年の花積村地租改正図をから読み解いてみました。今回の講座では受講者の皆さんに下の絵図を配布し、貝殻坂がどこなのか、を一緒に考えていただきました。
前にあげた風土記稿の記事を、花積地内のこれまでの発掘成果に照らしあわせ考えると、花積地内には、貝を含む土層が検出された花積貝塚がありますので、貝殻坂は貝塚周辺と推測されます。花積貝塚は、上の図ではちょうど中央の黄色の枠で囲ったあたりです。たしかに、花積貝塚の石碑が立っている地点の裏手にあたる南側には、細い路地があり、ここが斜面になり、坂道になっています。
この坂道は地租改正絵図にも確認されますので、江戸時代の村の道であることは間違いなさそうです。しかし、絵図でも現況でみても、それほど屈曲しておらず、また「西北」に登る坂というよりは、どちらかといえば東北方面に登る坂道です。貝塚の斜面にあたるので、かつて貝殻が散らばっていた可能性も高いのですが、本当に風土記のいう「貝殻坂」かどうか確定しかねます。
発掘成果を考えずに、「西北」に登り、屈曲する坂道を探してみましょう。花積は、東西寺・二ノ宮神社沿いの南北に縦断する道(越ケ谷道・慈恩寺道)が馬の背、尾根道のように村の標高の頂点になっています。つまり、この道の方向へ東側から交差・接続する道が、西北に登る坂道になるわけです。それを踏まえて、屈曲する道を探すと、図の赤い丸で囲む地点が極端に屈曲しており、また西北にカーブしています。
丸で囲った道を東側に見た写真です。
写真の先が下りの坂になっています。傾斜は5%と急な坂ではありませんが、平坦な春日部市内では珍しい道路標識が設置されています。道路標識で注意を促すカーブと傾斜が、ちょうど丸で囲ったカーブになります。
江戸時代から存在し、西北に登り、屈曲している坂道、ということで「貝殻坂」の要素を満たしています。肝心の貝殻はというと、カーブのあたりは、現時点では遺跡が検出されておらず、貝殻が散っているのかは、舗装されていることもあり、現地では確認できませんでした。
講座では時間がなくお話できませんでしたが、絵図をよく見ると、このカーブには社寺地と同じ色で塗られた土地があります(図では白い丸をつけています)。おそらく、この白い丸の土地に、なんらかの社・祠かあったのではないかと考えられます。詳しいことはわからないのですが、もしかしたら「庚塚」なのかもしれません。推測を重ねれば、このカーブは庚塚の外縁にあたるので、風土記の記事の「この外」とは外側という意味なのかもしれません。
ともかく、花積貝塚の裏の坂道にしても、傾斜5%の道路標識の坂道にしても、どちらも決め手を欠きますので、「貝殻坂」は謎のままです。春日部市内では唯一の名前の付いた坂道「貝殻坂」。今後とも気にかけて追及したいものです。
4月の近隣博物館・資料館の考古学情報
4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」
・5月12日(日)まで 東京国立博物館 特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」
考古学の展示ではありませんが、考古学分野より「国宝 三重県宝塚一号墳出土埴輪」がとりあげられ、ほぼ完全な形の船形埴輪(ふねがたはにわ)が展示されます。
・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」
・6月9日(日)まで 富士見市立資料館水子貝塚資料館・難波田城資料館 「ひらいた 考古館」
・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」
・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」
*春日部市郷土資料館「花の彩り*春日部*」展も5月2日までです。「花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。
常陸型甕と宝珠花―*花の彩り*春日部*
前回の縄文時代の関山式土器に続き、「*花の彩り*春日部*」展で展示している宝珠花は貝の内遺跡から出土した「常陸型甕(ひたちがたかめ)」を紹介します。この甕は7世紀後半の竪穴建物跡から発見されています。
常陸型甕は、土器の粘土に雲母を含み、光が当たると雲母がキラキラと光ります。これは、茨城県南部で採れる粘土を使っていると考えられ、現在の茨城県のあたりが、かつて「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれたことから、考古学では常陸国に特有な甕として常陸型甕と呼んでいます。
武蔵国(むさしのくに)で使われていた長胴の甕とは違い、卵のような形であり、胴部の下方にはヘラミガキと呼ばれるヘラ状の工具で器面を整えた痕跡があります。また口縁部を受け口状につまみ上げるなどの特徴もあります。
常陸甕は、市内では、特に西宝珠花や塚崎などの宝珠花台地の7世紀後半から9世紀ごろまでの遺跡から多く発見されており、当時、市域東部で生活していた人が常陸国の人々と頻繁な関りがあったと考えられています。
展示している常陸型甕は、竪穴建物のカマドの天井を支える「ソデ」と呼ばれる部分から発見されたものです。本来、甕は、現在の鍋のように調理の際の煮沸具として使われるものですが、この甕は、ソデを補強するための材料として使われていました。
前回ご紹介した縄文土器の型式である「関山式」は、蓮田市の関山貝塚で発見された土器をもとに設定された型式でした。花積でも関山式土器が発見されます。7世紀の「常陸型甕」は、常陸国を中心に使われていた土器の型式で、主体的に使われていた地域の地名が型式名となるところに違いがあります。つまり、宝珠花でも常陸型甕は発見されますが、主体的に生産、使用されていたのは常陸国が中心となります。
それぞれの時代の研究において型式の使われ方に違いがあることに注意が必要です。
今年もやってきた藤の季節
桜はとっくに散り、春日部市内の藤の花が見ごろを迎えています。 #かすかべプラスワン #藤 #牛島のフジ
春日部人(かすかびあん)なら、桜よりも藤の花、のはず。粕壁小の敷地に自生している謎の藤の花も見ごろ。郷土資料館から見え、甘い香りがします。
かつて「世界一のフジ」と称された、牛島のフジ(国特別天然記念物)も、この数日間が見ごろのようです。
最近のニュースなどでは、他地域のフジの花が紹介されているのを見かけます。牛島のフジの歴史・文化性は唯一のもの。あの新一万円札男・渋沢栄一も見に来ているのだから、もっと紹介されてもいい、と個人的に思います。
春日部駅西口側では、藤通りの藤棚が見ごろのようで、藤テラス(4月21日)、藤まつり(4月28日)。藤まつりウィークと称し、とイベントが目白押しです。
郷土資料館では「*花の彩り*春日部*」展で、藤をめぐる春日部の歴史も紹介していますので、観藤のついでにお立ち寄りください。
関山式土器と花積ー*花の彩り*春日部*
現在、春日部市郷土資料館で開催中の「*花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代前期の関山式土器を展示しています。
関山式は、蓮田市の関山貝塚から発見された土器をもとに設定された型式です。もとは「蓮田式」と呼ばれていましたが、戦前、昭和初期の研究で、古い順に花積下層式、関山式、黒浜式と分けられました。
花積下層式、関山式、黒浜式土器は、「羽状(うじょう)縄文系土器群」とも呼ばれ、縄文のつけ方に特徴があります。羽状縄文とは右撚りと左撚りの縄文を上下に連続してつけることで、全体として羽や菱形の形にみえるようにする縄文の施文方法です。
また、縄文時代には「繊維土器(せんいどき)」と呼ばれる、材料となる粘土の中に植物の繊維を混ぜて焼き、割れ口に燃えつきた植物の痕跡が残る土器があります。羽状縄文系土器群は、ほとんどが「繊維土器」です。
関山式土器の特徴として、口縁に文様帯が設定され、竹を使用した複雑な文様が描かれることがあげられます。また、縄文原体の端部などに輪(ループ)を作り、それにより付けられた「ループ文」と呼ばれる縄文が多用されます。
関山式土器は埼玉県を中心に関東地方全域で出土します。春日部市では、今回展示の花積内谷耕地遺跡(花積)のほかに、竹之下遺跡(内牧)、貝の内遺跡(西宝珠花)、風早遺跡(西金野井)、鷲前遺跡(東中野)で関山式土器の時代の集落跡が発見されています。約6,500年前の縄文土器型式と考えられており、すでに始まっている縄文海進の影響を受け、貝塚を伴っているものが多いです。
今回展示している花積内谷耕地遺跡の関山式土器は、口縁部の縁に竹でつけられた細かい文様がまわり、円形の粘土粒が貼り付けられます。胴部はループ文や羽状縄文が施されます。
展示でも触れていますが、花積は花積貝塚から出土した土器をもとに設定された「花積下層式」発祥の地です。しかしながら、縄文土器の土器型式は、地名こそ冠していますが、土器の変遷の指標として使われるもので、花積からも「関山式」の土器が出土します。
展示解説を実施しました
4月20日(土)「*花の彩り*春日部*」展のみゅーじあむとーく(展示解説)を実施しました。
午前は4名、午後は2名と少人数でしたので、時折、ご質問いただきながら進めました。
皆さんの興味があつまったものの一つに、昭和27年の西宝珠花移転前の町並みを紹介したパネル(図)があります。この図は、当時大学生だった方が卒業論文で調査・聞き取りしたノートや自ら撮影した写真をもとに作成しています。西宝珠花は、こののち江戸川改修のため、移転してしまいますので、大変貴重な情報となっています。往時の西宝珠花の繁栄がひと目にしてわかるものです。
午後の方は、明治9年花積村地租改正絵図にご興味をお持ちいただきました。土地が錯綜しており、絵図作成にあたって隣接する村の戸長らが署名していることに驚かれたようでした。
展示の会期は、5月2日(木)までとなっています。お見逃しなく。
市指定無形民俗文化財ー不動院野の神楽ーの公開
桜の花びらが散り始めると同時に葉桜が芽吹き、そして夏日となった4月14日(日)には東不動院野地区の大杉神社境内では、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」が公開されました。
昨春は地域の皆さまを対象に集会所で小規模の祭礼でしたが、今春は5年ぶりに特設舞台を設け、広く公開されました。
舞台背景では桜が散り始める中、小気味よい軽やかなお囃子が奏でられ、神楽の公開に足を運ばれた皆さんからも「お祭りが戻ってきた!って実感できるね」という、安堵の声を聞くことができました。
祭礼は「大黒様」「獅子舞」で口火が切られ、今春に進学した大学生が堂々とお囃子を演奏してくれました。続く神楽の「大江山」では、高校一年生が巫女役に。地域の皆さんからも拍手喝采をいただきました。
▲堂々とした巫女の舞を、お囃子でも高らかな笛の音色が不動院野地区に響き渡りました。高校生、そして大学生の後継者が祭礼では活躍いただきました。
また、久しぶりの祭礼でしたが保存会のベテランの皆様は日頃の「あうん」の呼吸で口上を面白可笑しく対話をとおして神楽を盛り上げていただきました。
本年は各所で民俗芸能が公開されますので、”祭り囃子”と”郷土の舞”をぜひご覧ください。
#博物館実習 受け入れています
#春日部市郷土資料館 は、今年度も #博物館実習生 を受け入れています。 #かすかべプラスワン
と、告知すると、博物館がお好きな一般の方からお問い合わせがありそうですが、博物館実習とは、大学で博物館学芸員の資格取得を目指す学生が、一定期間、博物館の現場で実際の業務を経験すること。ですから、基本的に未来の学芸員を志す学生さん(市内在住の方優先)に限られます。
当館の博物館実習は、例年7月末から8月にかけて、実施しています。毎年、実習生に「ほごログ」にて実習の模様を報告してもらうのも恒例になってきました。どんな実習をするのかは、下のタグの「博物館実習」「実習生」「実習生の記録」をクリックしてみてください。
実習の受け入れ・申し込みについて、詳しくは、市ホームページをご覧ください。
#円空仏祭 のチラシ
春日部の #GW の恒例行事「 #円空 仏祭」。今年も小渕・観音院にて、県指定文化財「小渕観音院円空仏群」(7躯)が公開されます。観音院のご住職様のご厚意で、チラシをいただきましたので、郷土資料館で配架・配布させていただきました。
このチラシ、ただのチラシじゃありません。
蛇腹折りになっており、経典などでつかわれる折本の仕様になっています。
ジグザグに折ったまま立てると、あたかも円空仏の屏風のよう。
・・・カッコいい。
写真がうまく撮れず、チラシの良さが伝わりづらいので、ぜひお手にとってみてください。
そして、円空仏祭は、5月3・4・5・6日に開催されます。ぜひ実物の円空仏を間近でご覧ください。
鉄道高架PR展示 駅と街がつづる“かすかべ”の歴史 開設のお知らせ
4月1日(月)に埼玉県鉄道高架建設事務所が教育センター内に移転したことに伴い、同事務所と郷土資料館は、鉄道高架事業や駅周辺の歴史をわかりやすく紹介する展示室を教育センター1階に開設しました。
展示ガイドはこちら → 電子版【駅と街がつづる かすかべ の歴史】展示資料一覧.pdf
春日部駅周辺の歴史的な写真や鉄道高架事業の紹介パネル、各種模型を展示し、過去から未来へつながる“かすかべ”の駅と街の魅力をPRします。
主な展示 〇駅と鉄道の歴史
・粕壁宿の手作り模型・粕壁小学校木造校舎模型
・春日部駅と周辺の古写真
〇鉄道高架PRブース
・事業進捗状況の紹介パネル
・鉄道高架事業の駅周辺の模型
場所 教育センター1F
【 #4月1日 】 #今日は何の日? in春日部
今から30年前、平成6年(1994)4月1日は #かすかびあん 宣言の日です。 #かすかべプラスワン
「かすかびあん」とは、「自然を愛し、文化を愛し、人を愛し、未来を愛し、そしてなによりも春日部を愛する人のこと。春日部をもっと好きになりたい、もっと愛したいと願望し他の人にも春日部を好きになって欲しいと願っている人」のこと。
定義はさておき「かすかびあん」といえば、このマーク。市内のどこかで見覚えがないでしょうか。
マークには意味があることご存じでしょうか。「胴体から発信される3本のラインは、緑で春日部の誇る藤と文化を、赤で太陽と春日部の未来を、そして体全体で、躍動するエネルギーと情念を表しています」
「胴体」「体全体」ということは、動物をモチーフにしている模様です。
平成6年(1994)に市制施行40周年を迎えた旧春日部市が、「より暮らしやすい春日部をつくりたい、より魅力ある春日部にしていきたい」を目標として、CI(コミュニティ・アイデンティティ)手法によるイメージアップ推進事業に着手し、4月1日、「かすかびあん宣言」が宣言されました。宣言は以下の通り。
わたしたちは、あたたかいまち、
誇りと感動のあるまち春日部を愛し、
もっと多くの人たちにも、
この気持ちを持ってもらうために行動することを約束します。
そして、この宣言に基づいた「かすかびあんキャンペーン」事業がはじまります。
イメージ戦略なので、具体的に何をしたのかということは、今となっては追跡しづらいのですが、「かすかびあんマーク」を市の刊行物や案内サインなどに多用し、まちづくりに活かす取り組みを進めました。たとえばTシャツ。
いくつかバージョンがあるようですが、手元の資料によると少なくとも94年度から98年度まで毎年度製作されていたようで、98年度(写真右)は「「祭りだ!ワッショイ!!」をテーマに祭りのあとのセンチメンタルを感じさせるデザイン」にしたとか。
かつて「ほごログ」でも紹介した藤のまち春日部を意識した事業も「かすかびあん」関連の事業として取り組まれ、『藤なんでも百貨』の出版や国特別天然記念物の牛島のフジから接ぎ木した苗木を配布したりする「春日部オンリーワン行動計画」が実施されました。「かすかびあんPress’96」(資料番号001-148)には「藤のかすかびあん大募集」の記事がみえます。
市役所のみならず、町の皆さんにもご協力いただき、たとえば、次の画像は、駅東口にあったショッピングセンターの懸垂幕の写真です。
今でも 「もっと春日部、かすかびあん!」というキャッチフレーズとともに、90年代後半ごろに造られた構造物に、マークがあしらわれているものが残っています。
その後、「かすかびあん」という言葉・マークは、平成17年の庄和町との合併ともあいまって、あまり使われなくなってています。
さて、現在、春日部市では、シティセールス戦略プランを策定し、市のイメージ戦略、イメージアップを進めています。シティセールスとは、「選んでもらえるように、まちの売込みをしていくこと」とのこと。
「かすかびあんキャンペーン」でも掲げていたように、まちの誇りや愛着を感じてもらうとともに、人口減少社会の現代において「今後もここに住んでいたいと思ってもらうこと」を重視するものへと変化し、「かすかびあん」という言葉・マークは使われなくなっても、「+1のあるまちkasukabe」のなかに、その理念は現在にも継承されているのでしょう。
郷土資料館では、次期に旧市庁舎と市政のあゆみをテーマにした企画展示を計画中です。「かすかびあん」も旧市庁舎時代に生まれた市政を代表するマークなので、関連資料も展示する予定です。「かすかびあん」の方は必見です。詳しくは後日お知らせします。
過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版、3月14日版、3月27日版、4月28日版、6月2日版、6月3日版、6月10日版、7月31日版、9月1日版、9月16日版、11月25日版
過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。
#かすかべ地名の話 (3) #粕壁 の #小名
忘れたことにやってくる、市内の地名の話題。今回は粕壁地区の小さな地名について。 #かすかべプラスワン #地名の由来
市内の場合、現在使用されている住居表示は、江戸時代の宿・村の地名であることが多いですが、普段つかっている地名のなかに小さな地名があります。そうした地名は、一般に、小名(こな)とか、小字(こあざ)と呼ばれています。
まずは、昭和11年(1936)に刊行された『粕壁町誌』の付図「粕壁町略図」をみてみましょう。
かつての粕壁町は、現在の粕壁、粕壁東だけでなく、中央、浜川戸、八木崎町、緑町、南、大沼(一部)、南栄町(一部)、豊町(一部)が含まれるエリアでした。上の地図をみると、浜川戸(はまかわど)、八木崎(やぎさき)、馬草場(ばくさば)、内出(うちで)、町並(まちなみ)、町裏(まちうら)、井戸棚居(いどたない)、川久保(かわくぼ)、川久保新田(かわくぼしんでん)、土井(どい)、草刈場(くさかりば)、新宿(しんじゅく)、内谷(うちや)、立沼(たてぬま)という地名がみえます。これらが昭和11年当時の粕壁の小字ということになるでしょう。
明治8~9年の「武蔵国郡村誌」には次のような小字が記載されています。
金山(かねやま)、内出(うちで)、寺町(てらまち)、横町、上町(かみまち)、中町(なかまち)、新宿組(しんじゅくぐみ)、三枚橋(さんまいばし)、新々田(しんしんでん)、下組(しもぐみ)、大砂組(だいすなぐみ)、川久保(かわくぼ)、元新宿(もとしんじゅく)、大池(おおいけ)、内谷(うちや)、太田(おおた)、松の木(まつのき)、裏町(うらまち)、前山中(まえやまなか)、上山中(かみやまなか)、陣屋(じんや)、八木崎(やぎさき)、浜川戸(はまかわど)、土井(どい)、井土棚居(いどだない)、草刈場(くさかりば)、馬草新田(ばぐさしんでん)
小字・小名には、①町・村のなかのコミュニティ(現在の町内会)を意味するもの、②土地を小分けした地名を意味するもの、③①と②の両方が混在しているもの、の3通りがあるようです。
粕壁でいえば、寺町、上町などの「町」の付くもの、新宿組や大砂組など「組」が付くものは、コミュニティの名称として使用されますが、草刈場、馬草新田などは、土地の地名として使われています。しかし、これらも人々の生活の移り変わりとともに、土地の名前がコミュニティの名前として使われるようになったり、あるいは、地名自体が消えてしまったりするものもあります。
粕壁は、江戸時代に日光道中が造られてから宿場町として古利根川縁辺の街道沿い(現在の春日部大通り)が町場となっていました。粕壁の人たちは、街道のことを「オーカン(往還)」などと呼んでいたようで、往還沿いは、古利根川境から、寺町、横町、上町(宿・組)、中町(宿・組)、新宿(組)、三枚橋、新々田、下(組)と称されていました。江戸時代後期には、上町・中町・新宿・三枚橋は「宿内四ケ町」とされ、宿場の業務と取り決めを行う町の中心の組となっていたように、これらの小名はコミュニティとしての名称でした。江戸時代の人々は街道沿いの土地を、昭和11年「粕壁町略図」にもみえる「町並」(まちなみ)と称していたようです。
時代を経て、粕壁の人々の生活領域が広がるなかで、最勝院をはじめ寺院が集まる地帯(寺町)、新町橋の手前の地帯(横町)、東陽寺や源徳寺の周辺(新々田)の往還沿い、さらには町並の裏や往還の脇道にも町場が広がっていきました。おそらく、「山中」「裏町」(現在の元町)「陣屋」「松の木」「大砂組」などの、町並のなか、あるいは町の場末にもあたるこれらの地名は、町場が広がり、新たなコミュニティがつくられていくなかで、徐々に小名として定着したものと考えられます。昭和初期ごろ(正確にはわかりません)には、「東町」「旭町」「富士見町」「宮本町」「本町(新宿組)」「一宮町」「春日町」「元町(裏町)」「幸町」などの町内会が成り立ち、住所として併記されることもありました(昭和の終わり頃までか)。
一方、江戸時代に粕壁地内の土地を示した絵図には次のような地名がみえます。
「川久保耕地」「井戸棚居耕地」「内出耕地」「内谷耕地」「八木崎耕地」「浜川戸耕地」「新宿前耕地」「草苅場耕地」「馬草新田」(「井戸棚居」は「井戸田苗」、「馬草新田」は「馬草場耕地」と記されるものもあります)。
これらの地名は、江戸時代の粕壁宿の土地台帳である元禄10年(1697)の検地帳にもみえる地名です(元禄の検地帳には、「内出」「井土棚居」「川窪」「浜川戸」「内屋」「草刈場」「八木崎」「新宿前」「馬草新田」「内田沼」「油戸沼」「立沼」の小名がみえます)。かつ昭和11年の粕壁町略図の農地が広がる地名にほぼ対応し、「耕地」とされることからも、主に土地の名称、とくに田畑・耕作地を指すものとして使われていた小名であるようです。
小字・小名について、どんな意味があるのか、はたまたいつ頃に生まれた地名なのかは、はっきりとわからないものが多いのですが、小さな地名は、土地に刻まれた歴史に思いをはせる糸口になるのではないかでしょうか。
3月の近隣博物館・資料館の考古学情報
3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・4月21日(日)まで 取手市埋蔵文化財センター 「祈りのかたち―出土品から見る先史時代の祭祀―」
・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」
・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」
なお現在、春日部市郷土資料館で開催中の「花の彩り春日部」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。
「みゅーじあむとーく」開催しました
3月24日(日)、企画展「*花の彩り*春日部*」展のみゅーじあむとーくを実施しました。 #かすかべプラスワン
ご来館いただいたのは、わずか3名と少人数でしたが、時折ご質問いただきなが解説をしました。春日部が桃や牡丹の名所であったことや、西宝珠花や花積の特徴的な歴史についてご理解いただけたようです。
昭和6年のデータをみると、埼玉県内での桃の出荷額第1位・第2位が、幸松村(現・幸松地区)・豊野村(現・豊野地区)なのですが、出荷された桃は、どのような販路にのったのか、というご質問をいただきました。具体的には、同じ県内の千疋村(現・越谷市)を発祥とする某高級フルーツ店に卸されたのか、と。最盛期の幸松や豊野の桃は、水蜜桃という中国原産の桃で、戦後に洋桃も出荷されたようですが、具体的な消費の動向はわかっていません。今後の課題にさせていただきます。
それから、国史跡の神明貝塚について、ご質問もいただきました。神明貝塚は、西宝珠花のお隣の西親野井地内にありますが、それだけ期待が高いということだと思います。史跡の保存と活用を計画的にすすめているところです。これからもご支援のほどよろしくお願いいたします。
ご参加された方には、花積村の地租改正絵図パネル、西宝珠花の町並み図のパネルの印刷物を配布しました。「図をみて花積を散策したいと思います」と話してくださいました。
春の花々をはじめ、「花」の文字にまつわる地元の歴史も楽しんでいただければ幸いです。
次回のみゅーじあむとーくは、4月20日(土曜日)の予定です。人が少ないと淋しいので、よろしくお願いします。
明日3/24に「みゅーじあむとーく」やります
明日3月24日、企画展「*花の彩り*春日部*」のみゅーじあむとーく(展示解説)を実施します。 #かすかべプラスワン
郷土資料館の「みゅーじあむとーく」は展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説するもの。かつては、「ギャラリートーク」と呼び、近年は「ミュージアムトーク」と呼んでいます。展示の解説があったほうが理解が深まるとの声からはじめたものです。
しかし、「ギャラリートーク」は市教育委員会の「市展」でも出品される美術作品の審査員の先生方が解説するものとして実施されるようになり、また、郷土資料館は「ギャラリーなのか」という疑問も生じ、郷土資料館のギャラリートークは「ミュージアムトーク」に改称するに至りました。その後、カタカナよりもひらがなのほうが柔らかさが醸し出されるので「みゅ~じあむと~く」に発展。「みゅ~」を「みゅー」にするか、またはカタカナ表記か、ひらがな表記かは、担当者の好みですが、最近は「みゅーじあむとーく」で定着しつつあります。考えてみれば、「ギャラリートーク」は市展でもできますが、春日部市内にミュージアムは郷土資料館だけですから、市内の「みゅーじあむとーく」は郷土資料館でしか名乗れない事業かもしれませんね。
さて、「みゅーじあむとーく」は10時30分~、15時~、それぞれの時間に実施します。費用や申込は不要です。お買い物のついでに、お散歩のついでに、お時間がありましたら、お立ち寄りください。担当者は、一人で話しすぎる悪い癖があるので、話は控えめにして、堅苦しくなく、皆さんと一緒に、春日部の「花」の歴史と文化について考えたいと思っています。といってもどんな話をしようか、鼻息を荒くして構想しています。
みゅーじあむとーく
日時:令和6年3月24日(日曜日)・4月20日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(各30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
内容:展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説します
費用・申し込みは不要です。所定の時間にお集まりください
「かすかべ人物史」公開しました
本サイト内に市域の歴史的人物を紹介する「かすかべ人物史」を作成・公開しました。 #かすかべプラスワン
このブログの左もしくは下にあるメニュー「郷土資料館」から「かすかべ人物史」をクリックしてください。
現在掲載しているのは、埼玉の偉人として埼玉県が普及啓発している、岩井 弥一郎(いわい やいちろう)・加藤 楸邨(かとう しゅうそん)・栗原 伝三郎(くりばら でんざぶろう)・小島 正重(こじま まさしげ)・ 豊田 三郎(とよだ さぶろう)・原 又右衛門(はら またえもん)・三上 於菟吉(みかみ おときち)・見川 喜蔵(みかわ きぞう)の8名です。
まだ、関連する情報は少ないのですが、地元ならではの関連する資料・スポットなど、今後情報を充実していきたいと考えています。さらには、史料的に事績が明らかにしにくく「偉人」としては括りがたい、春日部ゆかりの歴史的な関連人物も増やしていくつもりです。
あんな人やこんな人も思い浮かびます。ご期待ください。
歴史文化講演会 砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査を開催しました
本日、越谷市の莵原雄大先生をお招きして歴史文化講演会「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」を開催しました。多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。また莵原先生には、大量のスライドを作成いただいて、大変わかりやすくご講演いただきました。ありがとうございました。
海道西遺跡は、3月12日の記事でも触れましたが、北越谷駅の北西側、宮内庁埼玉鴨場近くにあり、令和4年に発掘調査が行われ、平安時代の竪穴建物跡や近世の遺構・遺物が検出されました。遺跡は、大林河畔砂丘上に立地しています。
講義の中でも紹介されました通り、発掘調査報告書は、全国遺跡報告総覧でPDFが公開されています。
海道西遺跡発掘調査報告書(全国遺跡報告総覧)
ご講演では、大林河畔砂丘の範囲が、幅20~30mとかなり限定的であることや、海道西遺跡では9世紀後半~10世紀初頭に少し砂丘の形成が始まった段階で竪穴住居が構築され、その後砂丘が堆積し、15~16世紀の火葬土坑が構築されたころには砂丘の形成が終わっていたとの考察が模式図で紹介されました。
このうち河畔砂丘形成年代の推定について、年代を推定するにあたっては考古遺物や寺社仏閣の立地などが用いられています。たとえば小渕河畔砂丘では、砂丘下から古墳時代後期から奈良時代の須恵器の大甕が発見され、砂丘上には15世紀に開山された浄春院が立地しているので、この間に砂丘が形成されたということはご講演でもご紹介いただきました。
しかしながら、砂丘の形成年代の決定にあたっては、最大の年代幅であることに注意が必要です。つまり小渕河畔砂丘は、古墳時代後期から奈良時代以降のいずれかの時点で砂丘形成が始まり、15世紀以前のいずれかの年代で形成が終わったということです。「形成年代=古墳時代後期~奈良時代」、「終了年代=15世紀」とは言い切れないのです。
本日のテーマであった大林河畔砂丘と海道西遺跡では、「砂丘の形成が少し始まった時点」で竪穴住居が作られたということが、重要な調査成果です。竪穴住居の9世紀後半~10世紀初頭に非常に近い時点で砂丘の形成が始まっていることがよくわかります。砂丘の形成年代の研究に新たな事実をもたらしたことになります。
このほかご講演では、越谷市内の平安時代を代表するものとして国指定文化財「浄山寺の地蔵菩薩立像」(越谷市サイトにリンク)や、大道遺跡、一番遺跡、越谷警察署前遺跡、西口遺跡などが紹介されました。
また海道西遺跡で出土した遺物もおもちいただき、会場で展示しました。
越谷市と春日部市は、自然堤防や河畔砂丘、低地の遺跡など、考古学上のできごとを考える上で共通することがたくさんあります。今後も職員間で情報交換をしながら、連携した事業を展開していきたいと思います。
【出張授業】令和5年度でばりぃ資料館を振り返る
コロナ禍により小学校の団体見学が見込めなくなった年にはじまった「でばりぃ資料館」。おかげさまで、今年度は市内9校、10件のご依頼をいただき、無事終えることができました。
各校の様子については、「ほごログ」で紹介してきたところです。上のメダルは川辺小学校の皆さんからいただいたものです。今回は、お礼の紹介も含めて、今後のために、今年度の「でばりぃ資料館」を振り返りたいと思います。
「でばりぃ資料館」は、郷土資料館に様々な事情で出向けない子どもたちに、資料館にいるのと同じように学習・体験してもらうことをコンセプトにしています。ただ、資料館のすべてのモノを持っていくことはできませんので、普段ケースに入っている資料を触ったり、体験してもらい、春日部の昔を身近に感じてもらえるようにしています。
授業や体験の内容については、小学校の先生方のオファーに可能な限り応えるよう努めていますが、主要な単元は第3学年の社会科「くらしのうつりかわり」です。メニューは、昔の家庭の道具、昔のまち、昔の農業、昔の学校、昔の遊びを柱に立てていますが、オファーは道具、まちの移り変わりが多く、次に学校、農業に集中する傾向にあります。農業については、市街地化が進んだ学校では、カットされる傾向があるようですし、総合的な学習で稲作体験をする学校もあるようなので、「でばりぃ資料館」では敢えてカットされているようです。
先生、そして子どもたちから人気があるのが、昔の家庭の道具。とくに、手回し洗濯機やダイヤル式の黒電話が強く印象にのこるようです。いずれも、自分でまわして動かす、というのが身体的に初めての体験となるため、印象に残るようです。
また、昔の農業のメニューでは、千歯こきをつかった稲の脱穀体験を必ず実施しています。これは稲の本数の都合で全員が体験できるものではないのですが、見学する子どもたちから歓声があがるほど、人気の体験メニューです。「でばりぃ資料館」では、さらに籾摺りの体験をメニューにくわえ、自由時間に籾から玄米にする作業、玄米から白米にする作業を体験してもらっています。これも身体を動かす体験なので、人気です。
昔の学校については、石板、昔の教科書、給食の食器・献立表などを用意し、説明、子どもたちにみたり、さわったりしてもらっています。道具が動いたり、何かできたりする道具とは違い、どちらかといえば、見る・触る体験になるため、なかなか子どもたちの印象に残りにくい模様。ただ、今年度は、3年生の国語の教材「ちいちゃんのかげおくり」を意識して、戦前の子どもたちの暮らしと道具を「ちいちゃんの時代」のモノ・コトと説明してみました。そうした話をすると、戦争の悲惨さについて学んでいた子どもたちは、真剣な面持ちで話を聞いてくれているようでした。また、年度の途中から、小学生の集合写真をパネルにして持参したところ、子どもたちのなかには、昔の小学生の姿や服装をじっくり観察する子も見受けられました。祖父母や父母の世代の子どもたちが自分たちとどんな風に違うのか、興味をもつ子もいたようです。
昔のまちについては、1960年代の空中写真をラミネートにした大きなシートを敷いて、子どもたちに見てもらっています。しかし、地図の見方がまだ覚束ない3年生にとっては少し難しいようです。ただ、自分の学校があるのか、自分の家があるのか、身近なショッピングモールは60年代にあったのか、などわかりやすい問いを立てることで、学校・地区の様子のうつりかわりを考えてくれているようでした。アンケートに「クイズをやってほしい」と書いてくれる子が散見されるのも、「クイズ」がとっつきやすいということなのかもしれません。
今年度、担当者は、昔の学校・昔のまちについて説明する機会が多かったのですが、手回し洗濯機や黒電話、千歯こきに人気負けした印象を強く抱きました。何が面白く感じるのかは人それぞれですが、昔の学校・まちについても、身体をつかって体験・学習できるような方法をもっと鍛えていかなければならないと考えています。これは今後の課題としたいと思っています。
「でばりぃ資料館」を依頼していただいた学校には、「たんけんシート」という学習シートを事前に配布しました。シートの問題を解きながら、学習してもらうもので、「くらしのうつりかわり」の学習に少しは寄与できたように思いますが、わかりづらい箇所もあるので、学校の先生の要望を踏まえて、少しずつ改善していきたいと考えています。子どもたちは「ギガスクール」により、一人一台タブレット端末を使っています。「たんけんシート」的なものも、タブレットで使えたり、見れたりできるとよいなと思いますが、今後研究が必要です。
「でばりぃ資料館」が増える一方、昔と変わらず、団体見学として利用していただく学校もあります。団体見学では「くらしのうつりかわり」展を中心に説明をし、数名の方に千歯こきの体験をしてもらっています。「でばりぃ資料館」では触れることのできる資料がガラスケースに入ってしまっているため、昔の道具などの印象は薄いようです。
しかし、団体見学の小学生たちをみていると、竪穴住居模型や粕壁宿町並模型、昔のおもちゃなどの体験コーナーなど様々な資料に興味をひき、社会科の学習単元以外の学習機会にもなっているようです。また、団体見学に来てくれた子どもたちは、週末などにご家族を連れてもう一度見に来てくれる場合が多いようです。団体見学には、子どもたちの興味関心を広げるメリットがあり、郷土資料館としてもリピーターの獲得のために良いのですが、学校は「でばりぃ資料館」を選択する傾向にあります。されど「でばりぃ資料館」は、所詮「出前」です。郷土資料館の全てをお届けできるわけではありません。団体見学をみて、今後は、「でばりぃ資料館」で出会った子どもたちに郷土資料館に来てもらう取り組みを構築する必要があると確信しました。これも来年度の課題とします。
来年度の備忘ため、課題や所感を長々と書きましたが、博物館と学校教育(博学連携)も取り組んでみるとなかなか奥が深いなぁと思う次第です。学校の先生方からの要望を汲み上げながら、郷土資料館は、今後も春日部でしかできない学びを子どもたちに提供できるよう、精進してまいります。
企画展示、無事にはじまりました
令和6年3月16日より、企画展示「*花の彩り*春日部*」展がはじまりました。 #桜咲くかすかべ2024 #かすかべプラスワン
今回のテーマは、ズバリ「花」。市の花「フジ」だけでなく、春日部は「モモ」「ボタン」の花の名所としても知られていました(知る人ぞ知るですが)。また、「花」のつく地名として「花積」「西宝珠花」の両地区の歴史にスポットをあてます。
資料をならべてみると、お花の歴史の展示というより、「花積」「西宝珠花」の展示になっちゃいました。
ここで、見どころを1、2点。1つめは、明治9年(1876)花積村の地租改正絵図。
これでもかっ!というぐらい大きい絵図で、展示ケース、ギリギリでなんとか陳列できました。花積は現在でもさいたま市岩槻区との境界が錯綜し、飛び地があるのですが、そうした状況がよくわかる絵図になっています。
2つめは、記録映画「宝珠花村の移転」。
映画といっても20分程度の映像ですが、昭和27年・28年に江戸川改修のため全戸移転となった宝珠花村の様子を撮影した貴重な記録です。これまでも、講座や展示で何度も紹介・上映している映像ですが、今回の展示で宝珠花の歴史を調べてから、また見直すと、新たな発見がいくつもありました。学芸員的に美味しい資料です。一度みた方も、何度もご覧ください。写真は移転後初の大凧揚げ。大凧の文字は「移転」と「記念」です。
こんな感じで、お花や花の地名など、春日部は花の彩りのなかで歩んできたことを紹介しています。5月2日(木)まで、お見逃しなく。
ところで、市内では、毎年恒例になっている、桜咲くマルシェというイベントを3月24日(日)やるそうです。「春日部のまちを花いっぱいにしたい」という想いに共感して、桜咲くマルシェともタイアップ。それから、市でも「かすかべSAKURAフェスタ2024」と題して各種イベントをやるそうです。一緒にお楽しみください。
越谷市海道西遺跡の調査と河畔砂丘
3月16日(土)に、春日部市郷土資料館で「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡(かいどうにしいせき)の調査」と題し、越谷市教育委員会生涯学習課の莵原雄大先生にご講演いただきます。
まだ定員に余裕がありますので、ご希望の方は、下記の通りお申し込みください。
●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み
海道西遺跡調査風景(越谷市サイトより)
海道西遺跡については、越谷市のサイトに紹介があります。
また発掘調査報告書は、全国遺跡報告総覧でPDFが公開されています。
海道西遺跡は、北越谷駅の北西側、宮内庁埼玉鴨場近くにあり、令和4年に発掘調査が行われ、平安時代の竪穴建物跡や近世の遺構・遺物が検出されました。
遺跡は、大林河畔砂丘上に立地しています。
河畔砂丘は、埼玉県東部地域に特有の地形で羽生市から越谷市まで24か所に存在します。利根川によって運ばれた大量の砂が河原に堆積し、冬の北西から吹く強い季節風により、川の東岸や南岸の自然堤防上に吹き上げられ形成されたと考えられています。
したがって、現在、砂丘の近くを流れる河川は利根川の旧河道であったということがわかります。春日部市内では、小渕、浜川戸、藤塚に砂丘があります。このうち浜川戸河畔砂丘は古隅田川沿いにありますが、利根川本流は一時期、現在の古利根川から、古隅田川、元荒川へと続く流路であったと推定されています。元荒川が続く越谷市内には、袋山、大林、北越谷、東越谷、大相模のいずれも元荒川沿い5か所に砂丘が存在します。一方、藤塚方面へと続く現在の古利根川の流路にも、藤塚のほかに松伏町の松伏や上赤岩に砂丘がみられます。砂丘は平安時代から室町時代にかけて形成されたと考えられています。
海道西遺跡では、砂丘砂の堆積層から、古代の竪穴建物跡が発見されました。これは、砂丘が形成されている時期も、砂丘上で人々が生活をしていたことを示すものです。春日部市内の砂丘でも、砂丘周辺に浜川戸遺跡や小渕山下遺跡などが立地しており、砂丘と人々の関係を考える上で重要な調査成果といえます。
今回の歴史文化講演会は、調査担当者による最新の調査成果のご報告です。ご興味がある方はぜひお申し込みください。
海道西遺跡出土遺物(越谷市サイトより)
騎西城跡・騎西城武家屋敷跡遺跡 十六間筋兜等特別展_3月の考古学情報(臨時)
加須市より、日程が迫っている情報がありますので臨時にお知らせします。
●3月24日(日)~29日(金) 騎西文化・学習センター(キャッスルきさい)騎西城跡・騎西城武家屋敷跡遺跡 十六間筋兜等特別展
今年度の「発掘された日本列島」にも出展された「十六間筋兜(じゅうろっけんすじかぶと)」を中心に、期間限定で展示されます。3月23日(土)と24日(日)には関連の講演会も行われます。詳細は、加須市のサイトをご覧ください。
【出張授業】でばりぃ資料館in南桜井小学校
令和6年3月5日(火)に南桜井小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
この日は生活科室と図工室を使用して「昔のまちの様子・昔の学校」ブースと「昔の家庭の道具」ブースを設けました。2クラスが各教室で1時間ずつという時間割なので、たっぷりと時間をかけてのお勉強です!
この写真は生活科室の様子。児童は“社会科ワークシート”というメモ用のプリントを持参し、職員の解説から気になった部分をメモします!
自由時間には黒電話や手回し洗濯機が人気で、体験してみたい子たちが行列をなしていました!道具を触って体験しているときの笑顔が弾けんばかり!子どもは楽しむ天才ですね♪
こちらは図工室の様子です。郷土資料館オリジナルの“探検シート”を利用して、昔の学校の道具の名前や、使用方法などを学びました。
ランドセルなどは形状こそ見慣れた形をしているものの、大きさや色が違います。昔は基本的には黒と赤しかありませんでした。しかし時代は変わり、現在は様々な色が選べるようになりました。こういった出来事がまた、何十年、何百年後に、歴史となって誰かが学ぶことになるのでしょう。
今回は、自由見学の時間も十分取れたので、持ち込んだ資料はしっかりと見てもらえたかと思います。
郷土資料館にはもっとたくさんの資料があるので、ぜひ一度足を運んでみてください!
企画展「*花の彩り*春日部*」展、絶賛準備中です
3月16日(土)から開催する企画展示の詳細な情報を公開しました。 #かすかべプラスワン #藤 #花積 #宝珠花
現在、春日部は「藤のまち」として広く知られ、また市の花「藤」を活かし、まちづくりを進めているところですが、春日部が藤のまちとして知られるきっかけとなったのは、フジとしては唯一、国特別天然記念物に指定されている「牛島のフジ」が市内に所在しているためです。「牛島のフジ」が国の紀念物に指定されたのは、昭和3年(1928)のこと。戦後施行された文化財保護法下では、昭和30年(1955)に国特別天然記念物に指定されています。
歴史をひもとくと、かつて春日部はフジの名所だけでなく、ボタン、モモの花の名所としても知られてきました。春先には小渕・藤塚・浜川戸・宝珠花・新宿新田などで桃の花が咲き誇り、牛島のフジが見ごろを迎えたころには、備後の牡丹、粕壁の牡丹が、内外の観光客の目を楽しませました。
以上のことについては、これまで「ほごログ」でも、そして展示でも紹介してきました。
今回は、藤、桃、牡丹といった華やかな植物の花だけでなく、市内の「花積」や「宝珠花」といった「花」の付く地名にも着目し、「花」をキーワードにして、春日部の歴史を彩ってきた花の歴史を展示・紹介します。
みゅーじあむとーくや展示解説講座も準備していますので、あわせてお楽しみください。
- 企画展示「*花の彩り*春日部*」展
- 会期:令和6年3月16日(土)~5月2日(木)
- 会場:郷土資料館企画展示室
- 休館日:月曜・祝日
- 入館料無料
- みゅーじあむとーく
- 日時:令和6年3月24日(日曜日)・4月20日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(各30分程度)
- 場所:郷土資料館企画展示室
- 内容:展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説します
- 費用・申し込みは不要です。所定の時間にお集まりください
- 展示解説講座「春日部の花の彩りー花積と宝珠花」
- 日時:令和6年4月27日(土曜日)午前10時~正午
- 場所:春日部市教育センター
- 内容:展示担当の学芸員と展示資料を読み解きながら、花積・西宝珠花の歴史と魅力に迫ります。
- 費用:無料
- 申し込み:令和6年4月10日(水曜日)から、直接、または電話、電子申請で受け付け
・・・と告知をしてみたものの、いまだ展示資料を選定中。
初日まで残り2週間。果たして間に合うのでしょうか。こうご期待。
#かすかべ地名の話 (2) #粕壁
#かすかべプラスワン #地名の由来
一部の方にご期待いただいている「かすかべ地名のはなし」
第2回目は「春日部」と「粕壁」の話です。
前回、ご紹介したように「春日部」(かすかべ)の地名の由来はいくつかの説がありますが、どれも決定打がなく、ナゾなのです。
市民の方ならばご存じのとおり、「かすかべ」という地名は、「春日部」と「粕壁」の二つの表記が用いられています。「春日部」と「粕壁」の違いは何なのでしょうか。
まずは、「春日部」と「粕壁」の違いを考えるため、古い文献から地名表記の変遷をたどってみましょう。
「かすかべ」の地名の初見は、南北朝時代。延元元年(1336)の後醍醐天皇の綸旨といわれています。この古文書は後醍醐天皇が春日部重行(かすかべ しげゆき)という武士に、「上総国山辺南北」と「下総国春日部郷」の地頭職(じとうしき)を認めるため発給されたものです。当時、春日部重行が「下総国春日部郷」を治めていたことを示すとともに、「春日部郷」(かすかべのごう)という集落が下総国に所在していたことが明らかになります。埼玉県は武蔵一国なんて言われることもありますが、実は埼玉県には下総国も含まれているのです。
次の画像は、延文6年(1361)ないし、応永22年(1415)に作成されたと考えられる「市場之祭文」という史料の一部です(国立公文書館所蔵「武州文書」より)
ここにも「下総州春日部郷可市祭成之」とみえます。
その後も様々な中世の文献に「春日部郷」が散見されます。
中世には「春日部」と表記される地域に、人々が定住していたことが明らかになるのです。「春日部郷」は現在の市域の浜川戸近辺を中心とする集落だったと考えられています。
というわけで、古い文献にみえる「かすかべ」の地名は「春日部」となるのです。
時代が下り、時は戦国時代。
元亀4年(1573)の北条氏繁感状(写)は、関根図書助(ずしょのすけ)の戦功を賞した古文書ですが、このなかに「糟ケ辺」(かすかべ)の地名がみえます。関宿(千葉県野田市)からの軍勢が北条家の軍勢と衝突したのが、この「糟ケ辺」の地だったようです。
さらに時代が少し下り、天正17年(1589)3月の北条氏房朱印状(写)には、「御領所糟壁」と地名がみえます。この古文書は、岩付城主北条氏房が所領である「糟壁」に対して、諸役(労働役)を免除する代わりに、人を集め、耕地の開発に励むよう命じたものです。当時、「糟壁」が岩付城の城付の所領であったことがうかがえるとともに、地名としては「糟壁」という表記が用いられていたことがわかります。
しかし、古くは「春日部」と表記されていた地名が、なぜ「糟ケ辺」や「糟壁」という字句が当てられるようになったのかは残念ながら不明です。
さらに、天正18年(1590)と比定されている高力清長印判状(写)には、「糟壁新宿」という地名がみえます。この古文書は、岩付城主となった徳川譜代家臣の高力清長が、「糟壁新宿」の図書・弾正に対して、諸役を免除するかわりに人を集め年貢を納めるよう命じたものです。
江戸時代には、地名の表記としてはもっぱら「糟壁」が用いられるようになり、17世紀後半以降は「粕壁」という表記が増えていくことになります。ですから、日光道中の宿場町としての「かすかべ」は「糟壁(町)」や「粕壁(宿)」と表記され、時代が下るにつれ、「粕壁(宿)」が定着していくようになりました。
なお「粕壁」の表記は、宿場町の土蔵が「荒壁」であったから、または造り酒屋の「酒粕」に由来するという説もありますが、実際のところはよくわかっていません。
ただ、江戸時代の記録を細かくみると、「粕壁」ではなく「春日部」「春日辺」と表記することもあったようです。戦国時代から江戸時代にかけてみられる「糟ケ辺」「糟壁」「粕壁」という表記は、「かすかべ」という音を、漢字に当て、読みやすくしたものだけであり、漢字の字義は関係ないのかもしれません。
さて、明治時代、町村制が施行されると「粕壁宿」は「粕壁町」となり、東武鉄道を利用して藤の町・麦わら帽子の町・桐たんすの町として賑わいました。
その後、昭和19年(1944)戦時下での町村合併により、粕壁町は隣村の内牧村と合併し、「春日部町」が誕生します。「春日部」は後醍醐天皇を支えた南朝方の武士春日部氏の苗字であったため「春日部」の表記が選択されたようです。
上述の表記の変遷でみてきた通り、地名としては最も古い表記「春日部」が再び使われることになりましたので、地名「春日部」が復活したともいえるでしょう。
そして、昭和29年(1954)春日部町と武里村・豊春村・幸松村・豊野村の1町4町が合併し、春日部市が誕生します。
春日部町・春日部市の成立によって、東武鉄道の粕壁駅は春日部駅、旧制粕壁中学校は春日部高校と、公共的な施設等には「春日部」という地名が使用されるようになりました。今でも春日部市域全体を指す場合は「春日部」という表記が用いられます。
「春日部」が市域を覆う一方、「粕壁」表記も併用されています。粕壁は、江戸時代の宿場町だった区域の地名として使用され、「粕壁地区」「粕壁東」などと表記されます。春日部市立粕壁小学校は、現在は春日部市が設置した粕壁地区の小学校で、両方の表記が併用される伝統の小学校です。
以上のように、表記の変遷としては、「春日部」が最も古く、紆余曲折をへて「粕壁」が生まれ、そして「春日部」が再び登場するという過程をたどり、現在の用法としては「春日部」は市や町全体を指す地名、「粕壁」は春日部のなかの粕壁地区を指す地名として併用されいる、とまとめられます。
長くなりましたので、次回は粕壁のなかの小さな地名について、紹介したいと考えています。不定期ですが、お付き合いください。
「かすかべ地名のはなし」バックナンバー
粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年3月1日(金)に粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
この日は、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展を中心として“昔の生活の様子”を学び、残りの時間を自由時間にして館内全体を見学してもらいました。
企画展示室での昔の生活の解説時には、昔の炊事や洗濯などは手作業によるものが多いことから、児童からも「たいへんだねぇ~」という声が。
時間の流れが速く、複雑化した現代では何事も機械に頼らなければならず、昔と同じ作業をして生活することはとても難しいことでしょう。
千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀は各クラス代表5人に体験してもらいました。
体験の光景を眺める児童の中には“自分もやりたかった~”と残念がる子も普段は多いのですが、「やりたいけどがまん!!」と自分を律する子がいたのには驚きでした!えらい!
自由見学の時間では、かつて粕壁小学校で使っていた机や椅子などに腰掛ける児童や、桐箪笥に興味を持つ児童の姿が!実はこの桐たんすの中にも資料やクイズか仕掛けられていて、発見した児童は楽しそうにチャレンジしていました♪
ちなみに粕壁小は1~4時間目を利用して、1クラスずつ入れ替わりで見学するスタイルでの実施でした。というのも、粕壁小学校と郷土資料館(教育センター)は隣に位置しており、校内で教室移動をするのとさほど変わらない速さで来られてしまうからです!
お家が近い児童も多く、郷土資料館に来たことのある子もほかの学校と比べて多いようです。「この前来た!」と言ってくる子もいるほど!
せっかく近くにある郷土資料館です。これからもたくさん遊びに来てくださいね♪
2月の近隣博物館・資料館の考古学情報
2月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(現地説明会)
・3月8日(金)13:30~ 清水遺跡(茨城県境町) 公益財団法人茨城県教育財団
(展示会_閉会日順)
・3月3日(日)まで 埼玉県立嵐山史跡の博物館 「武蔵武士の食と信仰―食べて 祈って 戦って―」
・3月24日(日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム 「弥生時代の児玉・深谷地域」
・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」
・4月21日(日)まで 取手市埋蔵文化財センター 「祈りのかたち―出土品から見る先史時代の祭祀―」
また3月16日(土)には、春日部市郷土資料館で「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」と題し、越谷市教育委員会生涯学習課の莵原雄大先生にご講演いただきます。
まだ定員に余裕がありますので、ご希望の方は、下記の通りお申し込みください。
●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み
緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年2月29日(木)に緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1組と2組が同時に来館のため、クラスごとに常設展示室と企画展示室に分かれての解説です。今日は社会科の調べ学習ということで、児童たちもメモを取る気満々でした!
常設展示室では、竪穴式住居や日光道中の模型を見ながら学芸員の解説を聞きました。竪穴式住居は原寸大の迫力が、日光道中の模型はミニチュアの繊細さがあり、見るだけでも楽しめますね♪
企画展示室では、昔の家庭で使っていた道具である“羽釜”や“洗濯板”など、現代の電気を動力とした道具との違いを学びました。
たくさんある展示を前に、子どもたちは「めったに見れないものがたくさんある!」と嬉しそうでした!
実はこの日は、同じ時間に他にも団体見学のお客様や、海外からの旅行者の方も来館するなど、午前中の資料館は大賑わいでした!
自由見学の時間には展示品をよく観察したり、スタンプを押したり、おもちゃで遊んだりと満喫してくれました!
見学終了の時間になっても、まだまだ帰りたくない様子の緑小3年生でした♪
郷土資料館は土日も開館しているのでぜひまた遊びに来てください!
凧作り教室を開催しました
2月25日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、3回目の凧作り教室を開催しました。当日は、小学生を中心に17名に参加いただきました。
第1回目、第2回目の様子や凧の作り方はリンク先をご覧ください。
さて、今回は、保存会の方にも教えていただいた凧の「糸目中心」について考えてみます。
今回、凧の糸目(凧とあげ糸を結ぶ糸)は、凧の上側の両角と、凧の中心に3本の糸を結び付け、凧の上から14㎝のところで円板の金具でおさえ、3本を結び合わせました。凧の全長は約60㎝で上半分が30㎝となるので、やや上によった位置に糸目中心を設定したことになります。
この糸目中心の位置によって、飛んでいるとき凧の角度が変わります。より上に中心を設定すれば、上につけた糸目がさらに短くなり、凧は地面と平行に近くなります。逆に、より下に糸目中心を設定すれば、上につけた糸目が長くなり、地面と垂直に近い角度に近づきます。これらにより、凧にあたる風の強さが変わります。
この力と、地面から凧を引っ張る力がうまくつりあえば、凧は安定して飛びますが、ずれるとくるくる回ったりしていしまいます。今回の凧作り教室では、糸目をほどけるように結んでいますので、糸目の中心をいろいろ変えてみて実験してみてくださいと、保存会の方はお話しされていました。
さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。
<大空に夢を飛ばそう!!創作凧あげ大会2024~君の夢が空を舞う>
とき 令和6年5月5日 午前9時から11時
場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷
参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加
【出張授業】でばりぃ資料館in川辺小学校
令和6年2月27日(火)に川辺小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
川辺小学校は郷土資料館からやや遠くに位置しており、なかなか当館への来館が難しい学校の一つかもしれません。
だからこその“でばりぃ資料館”です!以前もでばりぃ資料館を活用していただいたことがあり、今回もご用命をいただきました!
今日は図書室と生活科室を利用しました。
生活科室では昔の学校の様子と、昔の農業(脱穀)体験をしました。
床面に広げた1960年代の空中写真には、まだ存在しいない学校も多いのですが、川辺小学校の開校は1874年(明治7年)のため、写真から探すことができました!
この空中写真の時代には、春日部にはララガーデンもイオンもなく、コンビニもなかったことでしょう。川辺小学校は歴史ある学校なんです!
また、1917年の川辺小学校の写真を保有していたため、児童にみせたところ、“白黒の写真”“机のない教室”“木造作りの校舎”などに驚いたようで「信じられない!!」という声が聞こえてきました(笑)
図書室では昔の家庭の道具を解説です。
炭を動力としたアイロンや七輪、竈でご飯を炊くための羽釜など、今では当然のようにある電気やガスが昔は当たり前ではなかったことを学んでもらいました。
生まれた時から周囲にあるものは、こういった授業などであえて意識しなければ、意外と気づくことができません。昔を知ることで、今の生活のありがたさも、一方で起こる弊害も児童に知ってもらえたらと思います。
今日は各ブース20分と若干短くせわしなかったかと思いますが、その分児童は飽きる暇もなく充実した時間を過ごしてくれた様子でした!
来年もまたでばりぃ資料館のご依頼お待ちしております!
【出張授業】でばりぃ資料館in上沖小学校~延長戦~
令和6年2月22日(木)に上沖小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
つい先日8日にも上沖小にはお邪魔したのですが、実はその時1クラス学級閉鎖になっていたため、でばりぃ資料館を体験することができなかったのです。
そこで今回は、前回体験できなかった1クラスのために出張って来ました!せっかくの特別授業ですから、ぜひ楽しんでいってください!
今回は生活科室を利用して、内容は前回と同じく「昔の学校の道具・60年前の春日部」「昔の家の道具」になります。
「昔の学校の道具・60年前の春日部」のコーナーでは、空中写真から昔の上沖小の周辺の様子を探ったり、昔の学校で使われていた道具に触れる体験をしました。
「昔の家の道具」のコーナーでは、黒電話や手回し洗濯機などの道具の説明や、今と昔との違いについて解説を行いました。
炭火アイロンの説明の時にはこんなやりとりが、
職員「どうして炭を使ってアイロンを温めたのかな?」
児童「電気がなかったから!」
職員「そうですね、電気がまったくなかったわけじゃないけど、あんまり普及してなかったということです。今は、電気のアイロンとかね、アイロンじゃないのもあると思うけど・・・」
児童「ファブ〇ーズ!!」
確かに、シワ取り効果を謳っているものもあるようで、意外かつ現代的な回答でした(笑)
自由時間には見学、体験、そして疑問に思ったことを質問してきてくれました。
話を聞くときはしっかりと聞き、楽しむときは思いっきり楽しむ3年1組でした!
これにて上沖小3年生、4クラスすべてがでばりぃ資料館受講完了です!
先生としては1クラスのためにまた来てもらうのが申し訳ないようでしたが、そんなことはございません!日程の都合等は要相談ではありますが、子どもたちの学習のために、今後もぜひ郷土資料館をお役立てください♪
八木崎小学校の3年生が郷土資料館を見学しました
令和6年2月16日(金)に八木崎小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
今日は校外学習ということで、強風の中、30分くらい歩いて郷土資料館まで来てくれました!
約60年ほど前の生活から現在に至るまでの「くらしのうつりかわり」についての学習がメインということで、今企画展示室の「くらしのうつりかわり~なつかしの暮らしの道具~」展の解説とともに、資料館内にある模型を中心とした解説も併せて行いました。
まずは竪穴式住居の模型を見ながら、約5000年前の縄文時代の生活について解説です。
郷土資料館に入ると目に飛び込んでくるのが、縄文時代の竪穴式住居!子どもたちからも「リアルだ・・・」という声が漏れてきます(笑)
竪穴式住居の中には、「木の実」「魚」「貝」などの当時食べていたものや、「炉(ろ)」「土器」など生活道具が見て取れます。ちなみにこの土器の中で煮られているのは「かき」です。現在でも食卓に並ぶものが5000年前も食べられていることは大きな発見だったようです!
続いては日光道中粕壁宿の模型を見ながら、約200年前の春日部について解説です。
日光道中は江戸時代に日本橋から日光に向かうために作られた道です。その宿場の一つとして作られたのが粕壁宿。おかげで春日部に“まち”ができたんですね!
そして企画展示室では、約60年前の生活についての解説をしました。
洗濯板やアイロンなど、現在は電気で動くものも、当時は手作業であったり、電気以外の動力(炭など)を使用していました。
手作業の一つとして、千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀の体験もしてもらいました!
自由見学の時間には、たくさんの展示と遊べるおもちゃなどで、存分に資料館を満喫している様子!
今日はたくさんの“昔”を学ぶことができましたね♪
今日は風が強くて歩いてくるのが大変だったかもしれませんが、郷土資料館は土日も開館しています(祝日は休館)ので天気のいい日にまた遊びに来てください!
3月3日、16日に歴史文化講演会を開催します
郷土資料館では3月に2本の歴史文化講演会を開催します。
どちらもただいま参加受付中です。お申し込みはお電話、電子申請からどうぞ。
みなさま、お誘いあわせの上ご参加ください。
●郷土資料館歴史文化講演会 平野明夫先生「徳川家康の関東入国と岡部氏」
関東地方の歴史に大きな影響を及ぼした徳川家康の移封と、それに伴い野田に入り、本市域にも所領があった岡部氏について、中世史がご専門の先生にわかりやすく解説していただきます。
日程 令和6年3月3日(日曜日)午後2時~4時
場所 教育センター
講師 平野 明夫(ひらの あきお)先生(國學院大學兼任講師 日本中世史)
募集人数 80人(申し込み順)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み
●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
砂丘から発見された平安時代の遺跡について、調査を担当した越谷市職員を講師に迎え、わかりやすく解説していただきます。
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
募集人数 80人(申し込み順)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み
#かすかべ地名のはなし (1) #春日部 の由来
#かすかべプラスワン #地名の由来
一部の方にご期待いただいている「かすかべ地名のはなし」
第1回目は、地名「春日部」の由来の話です。
「春日部」という地名は、現在でも市の名称、駅の名称、県立高等学校の名称など、公共施設や民間業者の名称にも使われています。自動車のナンバープレートにも採用されているので、「春日部」の地名は県外の方にもお馴染みのようです。
「春日部」の字義や意味については、いくつかの説があります。
第一には、今から1400年以上前、大和時代の安閑天皇(あんかんてんのう)の皇后である「春日山田皇女」(かすがのやまだひめみこ)など、春日の名がつく皇后・皇女に仕える人々が所在した「御名代部」(みなしろべ)であったという説です。「春日」の「御名代部」であるから「春日部」となったというものです。この説は「春日部」という字義を説明している点では、有効ですが、いかんせん大和時代という資料が限られている時代に起源を求める説であるため、様々な疑義が残ります。また、「春日」の「御名代部」は、全国に数十か所あったといわれており、現に兵庫県丹波市(旧春日町)には、「春日部」という地名があり、「春日部小学校」という小学校もあります。埼玉県の春日部が本当に大和時代の「御名代部」だったのか、想像は膨らませられますが、証拠がなく、謎に包まれています。
「春日部」の意味の第二の説は、古くから大きな河川が流れこむ当地の地形や立地にその起源を求める説です。「カス」は水が浸った不毛な土地、「スカ」は川沿いに堆積した微高地、「カワベ」は川のほとり。そうした言葉が組み合わさり、当地が「かすかべ」と呼ばれるようになったというものです。この説は、読み方・音に着目した説となりますが、なぜ「春日部」(あるいは「粕壁」)と漢字で表記するのかは説明できません。ただし、古くから川とともに暮らしてきた当地の歴史的な特徴をとらえており、近隣にも「スカ」(須賀)や「カワベ」(川辺)、あるいは河川に由来する地名もあることから、説得力があるように思えます。
漢字に注目すれば「御名代部」説。読み方や音に注目すれば地形起源説。二者択一で決定づけることはできず、春日部の地名の由来は謎(定説はない)なのです。
さて、地名の由来として、よく言われる「春日部氏」説にも触れておきましょう。
当地には、平安時代末ごろから春日部氏という武士が住んでいました。そのことから、春日部氏を地名の由来に求める説が、かつては唱えられていました。春日部氏は、もともと京都の貴族である紀氏の流れをくむ一族で、大井氏、品川氏ほか、現在の東京都品川区・大田区付近に同族が土着していました。彼らは、その土地に土着するにあたり、自分たちの苗字を「大井」「品川」と名乗った一族でした。春日部氏も一時は「大井」を名乗り、その後「春日部」に苗字を改めたようです。したがって、春日部氏は、すでに「春日部」と呼ばれていた当地にやってきて、「春日部」と名乗ったと考えるべきでしょう。春日部氏を地名の由来とする説は成り立たないということになるのです。
が、いまでも「春日部氏地名起源説」が語られることも少なくありません。この説が根強いのは、老若男女に分かりやすいことと、春日部氏を英雄視する歴史の見方が背景にあるように思えます。また、「御名代部」説、地形起源説に決定力が欠けるということも原因なのかもしれません。
結論的にいえば、
「春日部の地名の由来は謎ですが、「春日部氏地名起源説」だけは違う」
このことだけ、強調しておきたいと思います。
少し長くなりましたので、続きは次回に。次回は、地名かすかべの表記について。
かすかべの地名は現在でも「春日部」「粕壁」の二つの表記が用いられています。
それはなぜでしょうか?
また表記として古いのは、「春日部」or「粕壁」?
そんな話を書きたいと思います。
ヨデハタキって何? #民具 の世界
先日、市民の方から資料をご寄贈いただきました。寄贈資料のなかから民具を一つ紹介します。
この民具は何をする道具でしょうか。
道具の名前は「ヨデハタキ」です。柄の長さは83センチ。すべて木製です。
名前を聞いても、都市化された春日部で生活する我々はピンときませんね。
「ヨデハタキ」は、田んぼの「クロツケ」の時に使う道具です。
「クロ」とは、田んぼと田んぼの間の境にある畝(うね)のことで、「クロツケ」とは畝(畦あぜ)をつくる作業のことです。
ご寄贈いただいた庄和地区の方は「ヨデツケ」ともお話しされていました。春日部あたりでは、畝や畦のことを「ヨデ」とも呼んだようです。
「ヨデハタキ」は、先端の平らな部分で畦をたたいたり押したりして、平らにするための道具のようです。ご寄贈いただいた方(80代)の方によれば、子どものころ「ヨデツケ」を手伝わされたそうです。畦がわれたり、ヒビわれたりしないように、「ヨデハタキ」に水をつけて畦の土を滑らかにしていくそうです。畦を「羊羹みたいにする」とお話しされていました。「羊羹」は、みずみずしく水分が含まれていて滑らかな感じがします。土を「羊羹」のようにするという表現がとても印象的でした。
さて『庄和町史編さん資料13 民俗Ⅲ』によれば、「クロの土に厚いところと薄いところがあるといけない。クロの上部を平らにし、真っすぐにしないといけない。百姓は境(畦境)にうるさい」との聞き取りがあります。「クロツケ」「ヨデツケ」が用水や排水の関係や耕地の境界を整える重要な作業だったことがうかがえます。
しかし、現在はトラクターでできる作業なので、この道具も不要になってしまいました。一見すると、お風呂のかき混ぜ棒(これも見なくなりました)のようですが、春日部の農業の発展の一端を担ってきたものであることには間違いありません。
ただ、ご寄贈いただいた方にこの道具の名前を聞いたとき、はじめは「なんだっけ?」とお話しされていました。とっさに「ヨデハタキ」ですか?と聞いたら、「たしかそう」というご返答。以前、他の方から「ヨデハタキ」をいただき、思い出せたのですが、本当に「ヨデハタキ」と呼んでいたのか、実は不安です。
ご寄贈をいただくとき、その道具(民具)に付随する情報(名称・時代・使用経歴などの情報)をきちんと聞き取り、記録しておかなければ、無用の長物になってしまいます。道具を実際に使っていた方も、道具の名前だったり、いつ頃使っていたか、記憶があいまいになってしまいがちなのですが。。。
民具は時代や地域によって、名称・形状・使い方に差異が生まれます。事例を蓄積して、時代・地域の差異を検討していくことで、民具研究は進展していくといわれています。民具の世界は奥深いです。
これは、本当に「ヨデハタキ」でよいのか。またほかの地域では何と呼んでいるのか。「ヨデハタキ」に関してご存知の方、いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
でばりぃ資料館へのお礼のお手紙をいただきました(豊春小のお手紙)
1月末から2月にかけて、絶賛展開中の「でばりぃ資料館」(出張授業)。 #かすかべプラスワン
学校では体験・経験できない授業だった、授業後も子どもたちは目を輝かせていたと、先生方からも大変ご好評いただいています。うかがった小学校の皆さんからお礼のお手紙をいただくこともしばしばあります。お礼のお手紙を書くことが学習の振り返りになるのでしょうか。学習の一環とはいえ、率直な意見・感想、何が印象に残ったコト・モノだったのかがわかり、大変興味深く拝読させていただいています。今回は、1月23日のでばりぃ資料館で訪れた豊春小学校のみなさんからいただいたお礼のお手紙を紹介します。
皆さん、イラストをまじえながら、お礼を書いていただいています。
60年前の豊春小学校には、豊春中学校が併設されていたこと、きちんと覚えていてくれたようです。また、昔の農業の道具「千歯こき」の画期的な脱穀を目の当たりにし、衝撃を受けた模様です。
当日、でばりぃ資料館の準備のさなか、豊春小学校の校章に「稲穂」があしらわれていることに、私たち担当者どもは気づきました。千歯こきの体験をしたり、昔の豊春小の周りは田んぼばかりだったことを説明しながら、「豊春小のマークにも「稲穂」があるよね!」「みんなの名札や通学帽をみてね」なんてお話ししました。
その話題が心に刺さったのか、豊春小の校章を描いてくれた子もいました。
お手紙の裏面まで、かわいらしいイラストとメッセージを描いてくれた子もいました。
「でばりぃ資料館」という言葉が先行しがちなので、郷土資料館から来たということがわからない子もいるようです。郷土資料館の人たちとわかってくれたようで、よかったです。今度、遊びに来てくださいね。
次のイラストは、 皆さんのお手紙を綴った表紙です。でばりぃ資料館の全体を俯瞰する見事なイラストで、すべての道具や体験したことを網羅したイラストになっています。全部覚えていてくれてありがとう!
今回、もっとも感銘を受けたお手紙を紹介します。
1月23日は、おせわになりました。そして今と昔がよくわかりました。
でばりぃしりょうかんのみなさんが、いっぱいいてほしいです。体に気をつけて行動してください。
ぼくも大人になったらでばりぃしりょうかんになりたいです。昔と今をみせてくれてありがとうございます。
でばりぃ資料館が「いっぱいいてほしい」とは、もっと充実してほしいという要望でしょうか。けれども、物足りなかったというわけではなさそうで、満足してくれたようです。
それは「大人になったらでばりぃ資料館になりたい」という一文からもうかがえます。まさか「でばりぃ資料館になりたい」という感想をいただけるとは!
でばりぃ資料館は、出張授業なので、人ではないのですが、想像を膨らませれば、学芸員になりたいということでしょうか。
昔と今、今と昔。昔が今につながっていて、今も昔につながっているという、えらい大人の人でもわからないことに興味をもち、そうなりたいと感じてくれたならば、でばりぃ資料館の私たちはうれしいです。
でばりぃ資料館になりたい君へ。まずは、郷土資料館に遊びに来てください。
【民俗芸能】公開事業を開催しました
2月4日(日)、庄和地区公民館(正風館)大ホールにて、第10回春日部市民俗芸能公開事業を開催しました。
「不動院野の神楽(市指定無形民俗文化財)」「西金野井の獅子舞(県指定無形民俗文化財)」を披露していただきました。
当日は、午前中に雪がちらつくなど終日寒い日となりましたが、140名の方に来場いただきました。ありがとうございました。
コロナ禍を開けて、4年ぶりの開催となります。今回のテーマは『舞って、笑って、悪霊退散』と、世界的なパンデミックにも関わるテーマとしました。折しも立春を迎える時期で、保存会からも厄を払う舞を演目に入れていただき、民俗芸能が古来から親しまれ、地域のみなさんの心の”よりどころ”にもなる本質を体現していただきました。
第1部は、東不動院野神楽保存会による「不動院野の神楽」です。
はじめは夏のかすかべ夏祭りでも演奏される「囃子」です。
太鼓と笛の音色で、軽やかな曲目を演奏していただきました。
次に、「大江山」では、酒呑童子の鬼退治にちなんだ神楽で、旦那や巫女のほか、通行人が現れて鬼と問答をはじめます。最後は渡辺綱が鬼と立ち回りを披露して、会場からは大きな拍手が沸き上がりました。お囃子の太鼓や鉦(かね)には中学生と高校生と、民俗芸能を担う、頼もしい後継者も参加してくれました。
続く2部は西金野井獅子舞保存会による「西金野井の獅子舞」を披露していただきました。
「出端」では、会場後方から観客席通路を通って、舞台に上がる演出で、観客席のすぐ近くを通る迫力ある獅子たちを見ることができます。
つづく「花見」では、女獅子を二頭の獅子が取り合う舞です。3頭の動きにどんな意味があるのかを保存会の方が解説をしてくださいました。
最後に辻斬りは、天狗を先頭に3頭の獅子が悪霊を払う舞です。本来は村の境界地で行う舞を、今回のテーマに沿って披露していただきました。
普段は限られた日時にしか見ることができない民俗芸能を、この機会に広く公開することができました。市内各所では、春・夏・秋に各種の民俗芸能が公開されますので、是非、現地にも訪れてみてください。
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「不動院野の神楽」(東不動院野神楽保存会)
公開日: ①4月15日に近い日曜日 ②7月の春日部夏まつり
場所:①大杉神社 ②内出町の山車
「西金野井の獅子舞」(西金野井獅子舞保存会)
公開日:7月の海の日に近い日曜日
場所:西金野井香取神社
【出張授業】でばりぃ資料館in上沖小学校
令和6年2月8日(木)に上沖小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
この日は体育館で「昔の学校の道具・60年前の春日部」「昔の家の道具」のお勉強です!
「昔の学校の道具・60年前の春日部」のコーナーでは、昔の学校で使われていた道具を触ってみたり、約60年前の春日部の空中写真を見ながら、上沖小周辺の様子を確認しました。
当時はまだ、上沖小学校は存在せず、周辺は田んぼだらけ。地域の子どもたちは粕壁小まで通っていました。
子どもたちからは「なんで上沖小ができたの?」という、いい質問が!
持参していった春日部の人口増加のグラフを見せながら、人が増えるにつれて子どもの数が増え、学校を増やす必要があったことなどを知ってもらいました。
「昔の家の道具」のコーナーでは、炭火アイロンや黒電話など、道具の使い方や、その動力となるものを解説しました。
道具の説明を一つずつ聞きながら、探検シートを記入したり、しっかりとメモを取る姿が印象的で、最後まで集中を切らさない子が多いように感じました!
道具を実際に触って体験した後には「楽しかった~」と飛び跳ねる子が現れるほど充実した時間を過ごしてくれたようです(笑)
今回は各コーナーの解説時間も十分にあり、しっかりと「なぜ」「どうして」の疑問を解決しながら進められ、学びを深められたかと思います!
なかなか郷土資料館の存在を知らないようで、来たことがない子も多い様子でしたが、でばりぃ資料館終了後には「今度行ってみよう♪」と言ってくれる子が何人もいました!
郷土資料館にはまだまだ見たことのない資料がいっぱいありますよ♪ぜひ来てみてくださいね!
【出張授業】でばりぃ資料館in幸松小学校
令和6年2月7日(水)に幸松小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
3クラスが「昔の家の道具」「昔の農業」「昔の学校の道具・60年前の春日部」の各テーマに分かれた教室に代わる代わる訪れ、見学や体験を行いました。
今回は図書室・理科室・郷土資料室を使用しましたが、図書室・理科室はいつもと違う風景に、また郷土資料室はめったに入ることのない教室なので、子どもたちは新鮮な気持ちだったのではないでしょうか!
「昔の学校の道具・60年前の春日部」の解説をする図書室では、昔の学校の教科書やランドセル、給食の道具などを観察し、直接手で触れてみることで現在との違いを感じてもらいました。
教科書の大きさが違うことや、昔はひらがなより先にカタカナを学んでいたことなど、知らないことがいっぱいです!
「昔の家の道具」を紹介する郷土資料室では、見たこともない道具がズラリ!
手回し洗濯機や羽釜、電気釜など持参していったものを中心に解説をしましたが、郷土資料室にはでばりぃ資料館で使用する車には乗りきらないような大きな民具や資料もあり、部屋全体が展示室の状態です♪
本来なら昨年12月の“幸松っ子くらぶ”で郷土資料室を利用し、「郷土カルタすごろく」をする予定でしたが、残念ながら中止となってしまいました。
やってみると意外と盛り上がる「郷土カルタすごろく」!令和6年度の幸松っ子くらぶで遊べるかもしれないので、そのときはぜひ参加してみてくださいね♪
「昔の農業」を紹介する理科室では、主に昔の米作りと体験を。
昔はどのようにして稲の状態からみんなが食べる白米にしていたのか、その過程を体験を通して学びました。
3年生ともなると体を動かすことが大好き!理科室に入るや否や「あれやりたい!」という元気な声が聞こえてきます♪
千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀体験や、自由時間には簡易的な籾摺り(もみすり)・米つきなども行い、様々な体験ができたことで満足してくれた様子です。
幸松小学校からは毎年のようにでばりぃ資料館のご依頼をいただきます。次年度の3年生の先生に引き継いでもらえている様子。ありがたい限りです!
3年生だけでなく、他の学年でもご相談いただければ随時出張いたしますので是非ご連絡
ください!
展示資料がお馴染みのテレビ番組に登場します
郷土資料館の展示資料が、NHKのEテレ「みいつけた!」に登場します。
サボえもんのクイズコーナーに登場するとか。どんな資料かはクイズの問題にかかわりますので秘密ですが、テレビ局へ旅立つ民具については以前「ほごログ」で触れましたので、お察しが早い方ならわかるかも。
放送は、2月7日(水)、21日(水)の7:30~。午後6:25~。NHKプラス(見逃し1週間)、NHKワールドプレミアム(海外)でも放送予定です。
【出張授業】でばりぃ資料館in桜川小学校
令和6年1月31日(水)に桜川小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今日は生活科室に「昔の学校の道具」「昔の家庭の道具」「約60年前の春日部の様子」「昔の農業」を紹介するブースをすべて詰め込んだ、密度の高い展示になりました。
写真からも分かる通り、子どもたちが教室に入ると、展示物や体験用の道具に囲まれている状態です!
桜川小が開校したのは1975年(昭和50年)、今から49年ほど前になります。
今日持って行った道具たちは、約60年前から物によっては約100年前に実際に使われていたものです。年代を比較しながら紹介したことで、どれだけ古い道具なのかイメージが沸いたでしょうか。
千歯扱き(せんばこき)での脱穀体験では「すげー!気持ちいい!」「ほんとによく取れるんだ!」といった意見が聞かれ、とても楽しんでくれたようです♪
自由時間には実際に昔の道具を触ったり、簡易的な精米の体験などを行いました。もっと色々見ていたそうな子もたくさんいました。ぜひ、今度は資料館に来てみてください!今日とは比べ物にならない資料の数々が待っていますよ♪
最後に感想を発表してくれたこの中には、「電気を使わない機械(道具)にびっくりした」「昔の人は頑張っていた」「今は便利になったんだなと思った」などなど、しっかりと自分の感想を伝えてくれました!
今日のでばりぃ資料館は、1クラスごとに1時間を計3クラス分行ったのですが、それぞれのクラスでカラーが違い、こちらとしても新鮮な気持ちで講義ができました!
豊かな個性を持った桜川小3年生!ララガーデンまで来たら、郷土資料館にも寄ってみてくださいね♪(笑)
考古学講座第5回を開催しました
1月28日に考古学講座第5回を開催しました。
今回は、前回残してしまった1.春日部市の古墳時代の遺跡についてと2.春日部市の奈良・平安時代についてお話しました。やはり、時間が足りなくなってしまいましたので、次回からは時間を延ばすか回数を増やすかで対応したいと思います。
春日部の古墳時代と奈良・平安時代について、簡単にまとめますと以下の通りです。
・古墳時代前期は、著名な遺跡として東中野の権現山遺跡があり、方形周溝墓が発見されている。
・古墳は古墳時代後期になって、内牧に塚内古墳群、東中野に向之内塚山古墳が作られる。
・集落は、古墳時代前期、後期のものが多く、低地でも発見されている。
・奈良・平安時代の遺跡は、市内北東部の宝珠花台地や、小渕、浜川戸で発見されている。
・奈良・平安時代、律令国家の制度下では、古利根川~古隅田川の流れが、武蔵国埼玉郡と下総国葛飾郡を分けていた。
・奈良・平安時代も多くの人は竪穴住居に居住していたが、調理場としてのカマドが一般化する。鉄製品も多用されている。
・奈良・平安時代の火葬墓が浜川戸遺跡で発見されている。
今年度の考古学講座は今回で最後でした。5か月にわたる受講、大変お疲れさまでした。来年度も連続講座を2024年9月ごろから開始したいと思います。時間が足りないので、何らかの形で時間を増やしたいと考えています。いずれにしても、広報やほごログで9月ごろご案内いたします。
さて、考古学講座では、毎回、発掘調査の現地説明会や博物館や資料館の考古学に関する特別展や企画展、講座などを紹介しています。詳細は各所のサイトをご確認いただくか、資料館でポスター掲示やチラシ配架なども行っていますのでご利用ください。考古学講座が無い期間も、毎月28日ごろを目安に、発掘調査現地説明会や考古学関連の展示会情報をお知らせしたいと思います。
(現地説明会)
・2月10日(土)行田市愛宕山古墳(埼玉古墳群)発掘調査現地説明会
(講演会)
・2月15日(木)~22日(木) オンラインセミナー「大木戸遺跡の低湿地調査」ー縄文時代の宝箱
(展示会_閉会日順)
・川口市郷土資料館 11月3日(金)~2月25日(日)「縄文のナニコレコレミテ」
・本庄早稲田の杜ミュージアム 1月10日(水)~3月24日(日)「弥生時代の児玉・深谷地域」
令和5年度の文化財防火デー防災訓練を開催しました
1月27日(土)に小渕地区の浄春院にて令和5年度の文化財防火デー防災訓練を開催しました。 当日は快晴となりましたが、北風が強く吹き、まさに火災の発生しやすい条件下での訓練となりました。
この文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良の法隆寺金堂が火災に遭い、当時世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が損傷したという痛ましい事故を契機に定められました。毎年1月26日前後に、全国各地で歴史的建造物や文化財を保存管理する社寺などで防災訓練が行われています。
本年は訓練会場である浄春院に伝わる、市指定文化財の「円空仏」(不動明王坐像)を対象に訓練を実施しました。本堂より火災が発生したという想定のもと、関係者の皆様を中心に通報訓練、文化財搬出、水消火器による初期消火訓練を行い、消防団による放水訓練で無事、鎮火というシナリオでした。
訓練の第二部では、模擬電話による通報訓練、水消火器による消火訓練、スモークハウス体験を行い、実際の火災の際に備えた訓練を実施しました。参加者の皆様からも「貴重な体験ができた」、「火災や震災の際に役立てたい」などの感想が聞かれ、有意義な訓練となりました。
浄春院のご住職、関係者の皆様、消防団の皆様、消防本部の皆様、寒い中、参加いただきありがとうございました。これからも所有者と地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に残し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします。
【出張授業】でばりぃ資料館in備後小学校
令和6年1月25日(木)に備後小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今日は多目的室を2つに仕切り、2クラスが入れ替わる形式で開催しました!
1つは昔の学校の道具と、60年前の春日部の様子を紹介するブースです。
備後小学校が開校したのは52年前の1972年(昭和47年)です。なので今回持って行った約60年前の空中写真には、備後小はまだ存在しません。
子どもたちは空中写真に身を乗り出しながら、かつては春日部には田んぼが多かったことなど、楽しく昔の備後小周辺の様子を学びました。
もう一方のコーナーでは、昔の家で使われていた道具と、千歯扱きを使った脱穀体験をしました。
初めて見る道具にワクワクしている様子♪
実際に道具を触って、重さや使い方などを確かめながら学びを深めました。
各コーナー20分ずつという短い時間でしたが、その分集中が途切れることなく学んでくれたようです!
職員の説明に対する反応が良く、静かにしっかり聞く姿勢も持ち合わせている備後小3年生!資料館に来た子がない子も多いようなので、ぜひ今度来てみてくださいね♪
子どもたちからも先生方からも好評をいただいている「でばりぃ資料館」!
来週は桜川小に伺います!お楽しみに♪
【出張授業】でばりぃ資料館in豊春小学校
令和6年1月23日(火)に豊春小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
1月18日に開催した牛島小学校と同じく体育館を使用し、3つのブースを1~3組の各クラスが順番に回っていく形式での開催です!
まずは、昔の学校の道具・約60年前の春日部の様子を紹介するブースの様子から。
昔の春日部駅周辺の風景や、学校の周りはどうなっていたのかなど、現在の様子と比較してみてもらいました。
また、昔の学校の道具コーナーに展示した石盤(せきばん)など、今は毎日当たり前のように使っているノートが、70~100年くらい前は全然形の違うものだったことに驚いたみたいです。
昔の農業ブースでは、昔ながらの方法で稲から白米にするための過程をまなびました。
千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀の体験や、唐臼(からうす)を使用する籾摺り(もみすり)の工程を簡易バージョンで体験しました。
籾の殻は固いので、手で剥くのではなく、唐臼のように2つのもの(唐臼の場合は木)で籾を挟んでこすることでもみ殻を外します。今回はすり鉢とボールを使っての疑似体験です。“プチッ!カリッ!”と音を立て殻が外れていくのが楽しいみたいです♪
そして昔の家の道具ブースでは、現在郷土資料館で展示中の資料をいつくかチョイスして、出張展示をしました。
手回し洗濯機などは特に人気で、子どもたちも興味津々!その他にも、昔のアイロンなどを手にもって体感してもらいました。
お話しを聞きながら頑張ってメモを取る様子も印象的でした!どうやらこの後、新聞を作るのだとか。
今日学んだことを生かして素敵な新聞に仕上げてくださいね♪
職員の言ったことをしっかりと聞いて、ルールを守って行動できる豊春小3年生でした!
今週は明後日25日にも備後小に出張ってきます!
3年生に限らず、他の学年の授業でも随時出張いたしますので、お気軽にご相談ください!
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和6年1月21日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「からくり屏風を作ろう」を開催しました。
今回は今年度最後の手作りおもちゃクラブ!
しかし、外はあいにくの雨。寒さも相まって外出するのがおっくうになるようなお天気。
「みんな来てくれるかなぁ。。」などと心配していたのですが・・・
この盛況ぶり!
いつも来てくれる子から初めましての子までたくさん参加してくれました♪
特に午前の部は参加者数が、過去6年間で最大の人数でした!
手作りおもちゃクラブでは、蓄音機の上演、紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3つを行います。
先日、牛島小の3年生を対象にでばりぃ資料館を開催した際に、おもちゃ作りの宣伝をしたことで興味を持ってくれた子も参加してくれました♪
今日のおもちゃは「からくり屏風」です。2枚の板から4枚の絵柄が現れる不思議なおもちゃ!
来てくれた方に対して職員が少ない状態でしたが、保護者の方のご協力のおかげで、みんな上手に作り上げることができました!
そしてお土産の缶バッジ作り!
ちゃんと並んで順番を守ってくれましたね♪えらい!
これをもって今年度の手作りおもちゃクラブは終了です。
来年度も開催を予定していますので、広報かすかべや郷土資料館ブログなど、今後も欠かさずチェックをお願いします!
今年度もたくさんの子どもたちと楽しく過ごすことができました♪またお会いできる日を楽しみにしています!ありがとうございました!
こんな資料の活用、いかがですか?
本サイト内の「学校の先生方へ」を更新しました。 #かすかべプラスワン #教材 #小学校の先生 #館蔵資料総活躍社会
学校の先生方向けに郷土資料館所蔵資料を活用して、学校の授業を充実させてみませんか?と提案する情報を追記したものです。
資料館所蔵資料が最も利用される教科は、ほぼ8割が社会科の教材利用です。ただ、学校の教科書をめくってみると、ほかの教科でも資料が活躍する余地がありそう。執筆者は、わが子の音読を聞いたり、教科書をパラパラめくっていたりして気づいた次第。そんな小さな発見(思い付き)を具体化したのが、この「こんな資料の活用、いかがですか?」のリストです。
リストは、今年度の博物館実習生の協力のもと作成したもので、市内の小学校の教科書(全教科)をひたすらにめくって、授業の単元で資料館の所蔵資料が入り込む「余地がありそうなもの」をリストアップしました。
その後、リストを整理するなかで、郷土資料館所蔵資料は、大きくわけて3通りの活用法に大別できることがわかってきました。
第一に、体験して学びを発展させる。
教科・単元に関わる道具や資料を実際に使ってみたり、触ってみたり、実物を見たりして「体験」することで、学びを深めたり、より高度な学習に発展させたりする活用法です。例えば、小学校4年生の国語「世界にほこる和紙」では、古文書などの和紙の資料を実際に触ったり、古いものであるにも関わらず、状態がよいものが残っていることを見て知ることで、和紙の特徴を実感させることができるのではないでしょうか。また、理科などの教科で、古い図鑑と現在の図鑑を比較することで、今と昔の認識の違いを理解し、科学的な認識の進歩・展開が理解できるようになるのではないでしょうか。
第二に、作品の場面を想像する。
国語や道徳など物語などの作品に登場する道具を実際に使ってみたり、触ってみたりすることで、物語の臨場感や場面の再現性を高め、作品の理解を深める活用法です。実習生の言い方だと「音読空間を創る」とのこと。実際の活用例として代表的なものは、小学校1年生の国語「たぬきの糸車」です。または、戦時中の道具は、戦争の悲惨さを伝える国語の単元の理解を深めるものにもなるのではないでしょうか。
第三に、郷土の事例から学びを発展させる。
教科書に登場するモノ・コトを、郷土春日部のモノ・コトと比較・対照することで、学習を深め、発展させる活用法です。代表的な活用例では、縄文時代の学習単元で、市内出土の土器に触ってみたり、市内の遺跡について学んだりして、教科書的な出来事を身近に感じることができるでしょう。小学校4年の音楽では、地域に伝わる音楽を調べる単元があるようですが、市内の神楽・囃子・獅子舞などのお囃子の音源や映像を鑑賞してもよいのではないでしょうか。これらの方法は、春日部オリジナルの学びにもなると期待されます。
今回のリストは、あくまでも郷土資料館からの提案です。学校の授業現場・教科の指導法を理解していない博物館実習生(大学生)と学芸員が考えたものですので、実現性は低いものかもしれません。ただ、資料の活用法は無限にあるはずで、そうした試みを提示して、百あるうちの一つでも学校の先生に利用・活用していただけたらと願い、恥を顧みず提案するに至りました。
関係者の皆様からご意見をいただき、館蔵資料が活躍する場が増えることを願ってやみません。
【出張授業】でばりぃ資料館in牛島小学校
令和6年1月18日(木)に牛島小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今回は体育館を使用し、1組、2組合同でのでばりぃ資料館です。
3つのブースに分かれ、①昔の家の道具 ②昔の農業・60年前の春日部の様子 ③昔の学校の道具・昔のおもちゃ の展示や紹介をしました。
昔の家の道具ブースでは、郷土資料館から「電気釜」「手回し洗濯機」を持参し、牛島小の郷土資料室から「ダイヤル式電話」「おひつ」「羽釜」「炭火アイロン」「火のし・こて」「七輪」を体育館に運んで展示をしました。運ぶお手伝いをしてくれた子たち、ありがとう♪
ちなみに牛島小の郷土資料室にある民具は牛島地区の方から提供されたもので、まさに郷土学習にはうってつけの資料たちです!
でばりぃ資料館は車で現地に向かう都合上、どうしても持っていく資料の数が限られてしまうため、こんなときは郷土資料室に活躍してもらいます!おかげで充実した展示ができました。
昔の農業・60年前の春日部ブースでは、稲から白米にするための昔ながらの精米方法を、体験を通して学び、また、約60年前の春日部を写した空中写真を床に広げ、当時の様子を観察してもらいました。
昔の学校の道具・昔のおもちゃブースでは、約90年前の教科書や、ノートの代わりに使用した石盤(せきばん)、給食で使用したアルマイト製の食器などを展示・解説しました。
昔のおもちゃはでばりぃ資料館での出張の機会は少なめです。しかしながら、子どもと遊びは切っても切り離せない関係があり、実は時代の変化をもっとも身近に感じるこのとができる良い資料だと思います!
今回は授業時間も十分あり、各ブースで学びを深めてもらえたのではないでしょうか。今日見た資料以外にも、郷土資料館にはたくさんのものが展示してあるので、ぜひ遊びに来てくださいね!
おかげさまで、1月、2月はでばりぃ資料館のご依頼をたくさんいただいております!
でばりぃ資料館以外にも、郷土資料館の団体見学など随時受け付けておりますので、日程等ぜひご相談ください!お待ちしています!
企画展示「花の彩り*春日部」展のチラシができました
次期、企画展示「*花の彩り*春日部*」展のチラシができました。 #かすかべプラスワン
次の企画展示では、春日部ゆかりの「花」をテーマにしました。春には、牛島のフジをはじめ、市の花フジが町を彩ります。展示では、そうした牛島のフジに関わる歴史や、かつては桃の花、牡丹の花の名所でもあった春日部の歴史を紹介します。フジ・モモ・ボタンについては、数年にわたり春先の展示で紹介してきましたが、今回は「花」をもう少し広げてとらえてみたいと思っています。
市内には「花積」や「宝珠花」といった「花」のつく地名があります。「花」の地名は、直接フラワー(花)を意味するものではないようですが、なぜ「花」が地名に付されたのか、両地区にゆかりのある資料を展示し、迫ってみたいと思います。
チラシも、スマートなデザインで上手く仕上がりました。こうご期待。
展示名:春日部「春の花」企画展「*花の彩り*春日部*」展
会 期:令和6年3月16日(土)~5月2日(木)(月曜・祝日休館)
会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室
市民の皆さんと古文書を読みました
1月14日、毎月定期的に市民の皆さんと館蔵の古文書を読む「古文書勉強会」を開催しました。 #かすかべプラスワン
引き続き、粕壁の旧家に伝わる「宝暦度より酒造用留」を講読しています。史料も終盤に入ってきて、皆さん、だいぶ読み慣れてきました。また、事前に有志の方々で読み合わせをする機会も設けているそうで、文字の分量が多くても、円滑に読み進めることができました。
今回は、慶応3年(1867)3月に粕壁宿寄場組合から関東取締出役内山左一郎に提出された酒火入れの願書、内山から寄場組合あての御用状などを読みました。取締出役が願書を受理するまでの組合と出役とのやり取りがわかる史料で、貴重な記録だと思いました。
次回以降の予定は、2月25日(日)、3月17日(日)。いずれも14時から、教育センターの視聴覚研修室で開催します。気になる方は、見学だけでも構いませんのでお越しください。
新春の舞「銚子口の獅子舞」の公開
1月14日(日)春日部市無形民俗文化財に指定されております「銚子口の獅子舞」が披露されました。
前日は雪が降り、天気が心配されていましたが、当日は見事に快晴になりました。
冷たい風が吹く中で、多くの皆さんが新春の獅子舞を見るために集まっていただきました。
「宮参り」「天狗の舞」「小獅子の舞」「幣掛り」の4演目が行われました。
宮参りでは、天狗の先導により境内の外から参道を歩いて入場します。境内を清める意味合いをもち、
箱獅子を被る子どもたちも寒い中でも立派に努めていました。
続く「小獅子の舞」を舞うのは14歳の中学生女子で、今回が初舞台となります。今年21歳を迎えたお姉さんに続いて姉妹での小獅子役です。
皆さんが注目する中でも、練習とおり、元気いっぱい跳ね回る小獅子の舞を披露してくれました。
最後の「幣掛り」は三頭獅子の舞で、親子の情愛を表したものです。
三頭の獅子が頭を揺らしながら、踊るのはとても迫力を感じます。
舞いの後には、太夫獅子が観客を頭の上で御幣を振り清めて一年の健康と家内安全などを祈願、さらに神饌が撒かれました。
新春から獅子に福を授けてもらい、地域の皆さんも笑顔が溢れていました。
今年も各所で民俗芸能が公開されます。当日の情報をブログでお知らせしますので、ご期待ください!
#かすかべ地名のはなし (0)
#かすかべプラスワン #地名の由来
春日部市には、市全体の地名「春日部」、「庄和」「豊春」「南桜井」のような地区名の地名、「粕壁」「藤塚」「西宝珠花」などの住居表示として使われる地名、「三枚橋」「馬草場」「花輪下」などの小名(こな)・小字(こあざ)と呼ばれる土地区画、あるいは自治会・町内会ごとの地名があります。
「なんで「大沼」というの?」とか「春日部と粕壁の二つの表記があるのはなぜ?」など、地名は生活に密着した事柄であることから、市民の方にしばしば尋ねられます。先日も、地名の由来について知りたいという方が来館されました。
今後、「ほごログ」では、地名の成り立ち、由来、歴史について、シリーズ「かすかべ地名のはなし」として、なるべく定期的に(限りなく不定期で)発信していこうと思います。
知っているようで意外と知らない地名の由来。今回はその予告編。第一回目はやはり「春日部」「粕壁」でしょうか・・・こうご期待。
【ロビーに展示中】手押し消防ポンプについて調べてみた
郷土資料館の展示室は狭いので、大型資料は展示できないので、教育センターのロビー展示しています。今回は、ロビー展示の、手押し消防ポンプ(腕用ポンプ・腕用喞筒)にスポットを当ててみましょう。 #かすかべプラスワン
この手押し消防ポンプは、粕壁地区の内出町内会から平成3年(1991)6月に寄託されたものです。
手押しの消防ポンプは、ガソリンなどを動力とする内燃機関が普及する以前のもので、明治時代後半から大正時代にかけて、各地方で主流となった消防ポンプでした。当時の言葉では「腕用喞筒」(わんようそくとう)と呼ばれていました。「腕用」は手動、「喞筒」はポンプの意味です。少しシャレた言い方では「腕用ポンプ」とか「ハンドポンプ」とも。以下、当日の言い方にならって「腕用ポンプ」と呼びたいと思います。
「腕用ポンプ」が台頭する以前、日本ではの放水器具は「龍吐水」(りゅうどすい)とよばれた複数人で動かす手押し式のポンプや、一人で使う水鉄砲型のポンプでした。「龍吐水」については、辰年ゆかりの資料として前に紹介しています。いずれも木製で、給水を水桶で行い、水圧が低かったため、放水量が少なかったとされています。当時の消火方法は、建物を破壊して延焼を防ぐ破壊消防が主流でした。江戸の火消たちが纏や梯子をつかったのも破壊消防のため。火消たちは鳶口や水桶などをもって火災現場に駆け付け、「龍吐水」は火事装束を湿らす程度だったといわれています。郷土資料館には、粕壁地区の内出町で使われた「龍吐水」や「纏」を常設展で展示しています。粕壁宿(町)でも、江戸時代から明治時代半ばにかけて、破壊消防による消火活動が行われていたことがうかがえます。
明治時代の初め、西洋式の腕用ポンプが本格的に輸入されると、国内でも金属製の腕用ポンプの製造がはじまりました。これまでの木製の龍吐水(在来の腕用ポンプ)は、水を桶で汲み、本体に入れなければなりませんでしたが、西洋式の腕用ポンプは、給水用のホースが備えられ、空気の圧力で、放水と給水を同時に行え、また、空気圧により安定した放水を可能としました。
市内に遺される腕用ポンプは、明治時代後半から大正時代にかけて製造されたもので、その時代に、春日部で腕用ポンプが普及していったようです。腕用ポンプの普及により、破壊消防による自然消火から放水による積極的な消火へと、消防のあり方が変わっていきました。
ロビーの腕用ポンプには、次のような銘板が付されています。
「製作所 東京神田通新石町 清水弥七」と刻まれています。清水弥七は、内出町で使用されていた明治17年の龍吐水の焼印にもあった名です。龍吐水に続き、腕用ポンプも内出町に販売していたようです。市内に遺される腕用ポンプは、いずれも「清水弥七」の製造のようですが、清水については今のところ詳しくは不明です(宿題とさせてください)。
台車にのるものがポンプです。
ポンプの側面には「内出町自警団」と記されています。
ポンプの四角い風呂桶のようなものは「水槽」(すいそう)というそうです。水槽のなかの複雑な機械がポンプの主要部分にあたります。真ん中にみえるのが、「空気室」(圧力タンク)です。その両側には「円筒」(シリンダー)があり、上の「搖桿」(ようかん・レバー)を上下することで、圧力がかかり、水を吸い上げるとともに、放水します。
水槽の側面の「警」の字の下には吸口(きゅうこう・吸水口)があり、これに「吸管」(きゅうかん)と呼ばれる給水ホースを取り付け、水源から給水します。
水槽の反対面にも「内出町自警団」とありますが、「警」の字の下のノズルが「放口」(ほうこう・放水口)になります。これに「水管」と呼ばれたホースをつけて、消火対象に放水するのです。
通常、腕用ポンプは、通常3名の消防員と、6~8名の「搖桿手」(ようかんしゅ、レバーを操作する人)が一組になり運用されました。使用にあたっては、台車からポンプ本体をおろし、給水ホース・放水ホースをつけ、「搖桿」(ようかん・レバー)の両先端に「木挺」(もくてい・レバーの持ち手)を1本ずつつけて、3~4名ずつ「木挺」を握り上下することで、圧力がかかり、ポンプが稼働します。
さて、「水槽」の後方には次のような文字がみえます。
「昭和十一年十一月塗替」昭和11年(1936)11月に、塗装をし直し、現在の外装になったようです。残念ながら、もともとの外装や、おそらく書かれていたであろう製造年月日は塗替えのため不明です。
ただ、なぜ昭和11年に塗り替えがされたのでしょうか。調べてみると、内出町のあった粕壁地区(粕壁町)の消防の歴史が、その背景にあるようです。
『消防発達史 第1編 埼玉県』によれば、粕壁町では、かつて町内を10部に分け、腕用ポンプを10台配備していましたが、大正13年(1924)10月24日、町営の消防組を設け、町内を4部編制としました。編制替えがされた背景は、おそらく、直前の関東大震災で県下三大被災地とされた粕壁町の事情があるかもしれません。4部編成の内訳は次の通りです。第一部は、上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山。第二部は、仲町の一部、富士見町、元町、新宿組、三枚橋、新々田、松の木、大砂、大下。第三部は川久保、元新宿、大池、内谷、太田。第四部は内出の一部、八幡前、八木崎、幸町、浜川戸。
すなわち、内出町は、第一部(もしくは第四部)に編成されました。4部編成を前後して、大正12年(1923)3月30日、第一部となる町内会では、ガソリンポンプを購入し、同14年(1925)4月2日には第二部でもガソリンポンプが購入されました。
ガソリンポンプは、その名の通り、ガソリンエンジンを搭載した消防ポンプで、当時の消火用具としては最新鋭のものでした。関東大震災が発生した大正12年9月1日にも、粕壁町では新町橋でガソリンポンプの運転が行われ、粕壁小の子どもたちをはじめ、多くの野次馬が見物をしています。ガソリンポンプの導入によって、手動で動かす腕用ポンプは、追いやられていったようです。また、かつて10部編制の消防組が4部編制となり、腕用ポンプがおのずと余分になっていったようです。そこで、町内会では、町内9か所に自警団を組織し、腕用ポンプを備え、自衛消防に備えるようになりました。
このように、大正時代には、粕壁町では、町営の消防組の組織や、町費で鉄塔の火の見櫓の建設など、町の消防設備・組織が整えられていく時代だったようです。町営の消防組で、消防用具の主力から追いやられた腕用ポンプは、町内会で組織した自警団により、再活用され、継承されていったものと考えられます。
ロビーにある「内出町自警団」の腕用ポンプは、このとき追いやられたものなのかもしれませんが、塗装されているため詳しくは不明です。しかし、いずれにしても、この腕用ポンプの存在は、内出町の自衛消防組織が、昭和時代になっても機能していたことを示すものといえましょう。
これまで、気の利いた説明キャプションもなく、ロビーにたたずんでいた腕用ポンプ。重量物で見栄えもしないので、文字通り「お荷物」だと思っていました。ところが、今回調べてみると、消防の歴史や、地域を自らの手で守り、継承していく町や町内会の歴史を物語る、大変重要な資料であることが(いまさら、恥ずかしながら)わかりました。
詳しいキャプションを付け、生き返らせたいと思いますので、ぜひ実物の腕用ポンプをみてやってください。
主な参考文献 横浜開港資料館編『横浜の大火と消防の近代史』(2019年)/消防発達史刊行協会編『消防発達史 第1編 埼玉県』(1933~1935年)/静岡県警察部保安課編『消防全書』(1926年)/嶋村宗正ほか「手押し式消防ポンプの構造と放水性能」『千葉科学大学紀要』6、2013年
2月25日に凧作り教室を開催します
昨年度開催し好評だった「凧作り教室」を2月25日(日)に開催します。
今回も、講師に春日部市「庄和大凧保存会」の方をお招きし、本格的な和凧を作ります。
凧作り教室(紙に骨をつける)
日程:令和6年2月25日(日曜日)午前10時~正午
講師:春日部市「庄和大凧文化保存会」の講師
募集人数:小学生 30人(申し込み順、保護者同伴、参加可)
材料費:一人500円
申し込み
郷土資料館に直接、電話(電話:763-2455)、春日部市電子申請で申し込み
凧作り教室電子申請入口(別ウインドウで開く)
申し込み後、下記の期間内に郷土資料館にご来館いただき、材料費(500円)をお支払いの上、凧紙をお受け取りください。
凧紙配付期間:令和6年1月10日(水曜日)~2月24日(土曜日)
(月曜日・祝日を除く午前8時30分から午後5時15分)
講座当日までに好きな絵や文字を書いてきてください。講座会場では、骨組みと糸付けを行います。
完成した凧(郷土資料館に展示しています)
【手作りおもちゃクラブ】からくり屏風を作ろう!
1月21日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
今年度最後の手作りおもちゃクラブです!お見逃しなく!
今回作るおもちゃは「からくり屏風」です。
“なにそれ?”と思う方も多いはず。
からくり屏風は2枚の板と紙を組み合わせて作る不思議なおもちゃなんです。
こちらはパンダの絵柄。
この面をたたんで、開くと・・・
ネコの絵柄になりました!
さらに、たたんで開くと・・・
さらにペンギン、ヒツジと2枚の板から合計4枚の絵柄が出現します!
そんな不思議なからくりおもちゃ、みんなで一緒に作ってみましょう♪
本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年1月21日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(からくり屏風)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
謹賀新年 #辰年 ゆかりの資料
本年も春日部市郷土資料館、そして「ほごログ」をよろしくお願いいたします。 #かすかべプラスワン #辰年
新年一発目は、一昨年の寅、昨年の卯に引き続き、今年の干支にちなんで、展示室から #龍 に関するおめでたい資料を紹介します。
辰(龍、竜、ドラゴン)に関する資料あるかなぁと悩んでいたところ、灯台下暗し。常設展示にありました。「竜吐水」(りゅうどすい)です。
「竜吐水」とは、手押しの消防用ポンプ。放水する様子が竜が水を吐き出しているようなので、そのように呼ばれたとか。水鉄砲から発展した小型の手押しポンプを竜吐水と称する場合もあるようですが、小型のポンプよりも、水の勢いがよく、15mほど放水が可能だそうです。木製の手押しポンプは、明和元年(1764)、幕府より江戸の町火消組に下げ渡されて以後、江戸で普及していったといわれます。
常設展示の「竜吐水」には、いくつか銘があり、様々な情報が読み取れます。
まず、本体の水をためる部分には、「打出」「う組」と文字があしらわれています。
この資料は、粕壁地区の内出町会から寄託されているものですので、内出(町)の消防自衛組織を「う組」と呼んでいたものとみられます。
本体の側面には、次のようにあります。
「明治十七年七月」と大きく刻まれています。また写真右手には「テレキスイ」、写真では切れていますが左手には「請合」「本家 東京神田筋違通新石町 細工人清水弥七」の焼印がみえます。
この竜吐水は「テレキスイ」と呼ばれ、明治17年(1884)7月に、東京神田新石町の清水弥七の手によって製造されたことがわかります。「テレキスイ」は「手力水(てりきすい)」から転じて名付けられたといわれます。清水弥七は、神田新石町20番地で消防ポンプの製造・販売する職人だったようで、明治時代後半に普及していく、鉄製の腕用ポンプ(手押しの消防ポンプ車)の製造・販売にも携わっています。教育センターのロビーに展示している腕用喞筒(わんようそくとう)にも「清水弥七」製造の銘盤が付されています。喞筒(そくとう)とは、ポンプのことです。
市内に残されている消防用具をみると、おおよそ明治時代後半から大正時代初めを境に、鉄製の腕用喞筒に替わっていったことがわかります。このころ、各町村では消防組織を再編し、町村の予算で腕用ポンプ購入しているようで、粕壁町では、町内を十部に分けて自衛の消防組を組織していましたが、大正13年10月24日に町営消防の四部編制になり、各部でガソリンで駆動する消防喞筒を備えます。内出町が属した第一部(上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山)では、大正12年(1923)3月30日に「ガソリン喞筒(森田式)一台」を3200円で購入しています(『消防発達史 第1編 埼玉県』、昭和8年~10年刊)。
上に紹介した内出町の龍吐水(テレキスイ)が、どれだけ活躍したのかは詳しく知ることができませんが、ガソリンポンプが購入される大正12年(1923)までのわずか40年ほどの間しか、消防道具の主役として活躍されなかったのかもしれません。
この龍吐水の背景をみると、粕壁町=行政主体で消防を行う以前、つまり、地域主体で自分たちの地域を守るため、備えられた道具といえそうです。今日も、防災は自助、共助、公助の3つが連携しあうことで、災害を予防・軽減できるといわれています。龍吐水は、内出町の共助の歴史の証(あかし)ともなる資料といえましょう。
皆さまにとりましても、龍が勢いよく水を吐くように、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。令和6年卯年 元旦
年末年始のお休み・年明けの開館日
郷土資料館は、12月29日~1月3日まで年末年始の休館日となります。
Kasukabe History Museum will be closed from December 29th to January 3rd.
新年は、1月4日から開館いたします。
Open from January 4th.
本年も「ほごログ」をご覧いただき、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
考古学講座第4回を開催しました
12月24日に考古学講座第4回を開催しました。
今回は、1.年代の決定、2.春日部市の古墳時代の遺跡についてがテーマでしたが、古墳時代のお話はさわり程度で、前回途中になってしまっていた弥生時代についてのお話をしました。古墳時代については、また次回にお話ししたいと思います。
考古学が扱う年代には、大きな概念として「相対年代」と「絶対年代」があります。地層塁重の法則や型式学から導かれる遺構、遺物の新旧のことを相対年代といいます。これに対して、今から○○年前や西暦など、数字で表現される年代を絶対年代といいます。考古学で遺物などから絶対年代を求める場合、多くは科学的な方法が使われます。
現在、数多くの年代測定法が開発されていますが、今回は一番よく知られる放射性炭素年代測定法、年輪年代測定法をご紹介しました。
放射性炭素年代測定法は、アメリカのウィラード・フランク・リビーによって開発された方法で、ベータ線を放出しながら壊れていく炭素14を調べることによって年代を測定します。かつては放出されるベータ線から測定するベータ線計測法が用いられていましたが、近年は、少量の資料でも計測できる加速器質量分析法(AMS法)が主流となっています。AMS法は、炭素12、炭素13、炭素14が加速器により加速され、分析電磁石の中で曲がる際に、重量の違いから生じる遠心力によって曲がる方向が分かれ、3つの炭素がふり分けられます。
また放射性炭素年代測定法で導き出された年代は、炭素14年代の変動を示した暦年較正グラフによって誤差を修正する作業が行われます。グラフの傾きが鋭い部分は年代が絞り込みやすいですが、平らな部分は広い年代となってしまう特性があります。
年輪年代法は、伐採年がわかる複数の木材から作られた年輪の変動パターンを利用して、対象となる木材の年輪が合致する部分を特定し、年代を求める方法です。年輪年代法で年代がわかるのは、木材の伐採年であり、伐採年と資料が使用された年代に開きがある場合や、材木として加工されてしまい、樹皮に近い年輪が残っていない場合などは、年代測定の精度が下がります。
アンケートでは、放射性炭素年代測定の方法は難しくよくわからなかったというお声がありました。私自身もよく理解できていないところがあり、かえって難しく説明してしまったかもしれません。インターネット上でもたくさんの先生が、仕組みなどについての資料を公開していますので、検索してみてください。
さて、考古学講座では、毎回、博物館や資料館の考古学に関する特別展や企画展を紹介しています。詳細は各所のサイトをご確認いただくか、資料館でポスター掲示やチラシ配架なども行っていますのでご利用ください。
(展示会_閉会日順)
・ 埼玉県立歴史と民俗の博物館 11月14日(火)~1月14日(日)「縄文コードをひもとくー埼玉の縄文土器とその世界 」(新年は1/2から開館)
・岩槻郷土資料館 11月21日(火)~1月21日(日)「縄文時代のさいたま」
・川口市郷土資料館 11月3日(金)~2月25日(日)「縄文のナニコレコレミテ」
#春日部市役所 よ、さようなら(写真でみる現庁舎)
先日、春日部市役所の新庁舎が完成し、式典が行われました。いよいよ、新たな庁舎への移転が迫ってきましたが、同時に、現在の市庁舎とのお別れもカウントダウンです。
現在の庁舎での業務は、今年12月28日までです。新しい庁舎での業務開始は、来年1月4日からになります。ですから、現在の庁舎に入れるのは、残り1週間をきりました。
現在の市庁舎の建設の建設が決定したのは、昭和44年(1969)6月。当時の市役所は、大正13年(1924)に粕壁町役場として建築された建物で、庁舎が狭く、老朽化が激しかったと報告されています。今後の市の発展を見込み、春日部駅の西側に建設することになりました。建設予定地の写真(昭和44年当時)がこちら。
かつては、馬草場(ばくさば)と呼ばれていた農地に市役所が建設されることになったのです。
工事が始まったのは、昭和45年(1970)1月19日のこと(起工式)。
当時の春日部市の人口は、およそ8万人。高度経済成長の時代に人口がうなぎ登りに増加する一方、10万都市を目前にひかえ、都市のインフラ整備が市政の大きな課題となっていました。田中俊治市長(当時)は、「躍進する春日部市の象徴として、市民のアイドルとなるような市庁舎建設に努力」「近代的な市役所として窓口の一本化とともに一段と市民のサービスができるものと確信」と、年頭のあいさつで述べているように、「近代的な市役所として窓口の一本化とともに一段と市民サービスができる」庁舎として期待されました。
次の写真は、昭和45年10月、建設中の市役所です。周辺には建物がほとんどありません。
庁舎が完成したのは、昭和45年(1970)12月21日のこと。
翌46年1月8日には、関係者を招き、落成式が開催されました。
落成式では、記念の手ぬぐいが関係者に配布されたようです。その手ぬぐいがこちら。
建物の曲線美を見事に描いたイラストがあしらわれています。記念品が手ぬぐいというのが、当時の牧歌的な春日部市を象徴しているようです。ちなみに、この手ぬぐいのイラストを転用した郷土資料館の記念スタンプもあります。
当時の市の広報には、市庁舎の特徴は次のようにまとめられています(広報かすかべ168号)
建物の外部は、長く美しさが保てる暗褐色のタイルと白で統一し、室内は外部のおちついた色とは対象に、明るい色で装ったデラックス庁舎で、県下でもめずらしい優美な曲面の偉容を誇っています。
庁舎の特徴は、一階の部分に、広々とした市民ホールを設けたのをはじめ、窓口事務を必要とする各課が配置され、窓口にきた市民のみなさんが用件をスムーズに得られるようになっています。
広々とし、近代的な建築であることを誇り、「デラックス庁舎」(豪華な庁舎)と称しています。「デラックス」でありながらも、窓口が一本化され、スムーズな手続きができることも売りだったのです。当時、注目された建造物であったことは、以前の記事で紹介したことがあります。
1月9日、10日には、「お気軽においでください」と銘打って、市民公開がされました。そして、市役所の業務が始まるのは、翌46年(1971)1月18日から。出来立てほやほやの庁舎内の写真がいくつか残っています。
こちらは、市民ホール。
こちらは三階の事務室。現在は、総務部の事務室として使われていますが、当時は教育委員会が入っていたようです。こちらも、まだ雑然としていません。
とある元市職員の方は、近代的な春日部市の庁舎をみて「都会に来たな」と実感したとか。ここで働いてきた市の職員たちの思い出は尽きないでしょう。
庁舎に対する思い出は、職員だけではないでしょう。市民の皆さんも、出生届や婚姻届、転出・転入など一人ひとりの人生の岐路のなかでの諸手続きのため、市役所に訪れているはずです。
春日部市の人口は昭和47年(1972)9月1日に10万人を突破します。10万人の市民となった赤ちゃんは、市内の備後地区で生まれた女の子でした。庁舎の脇には、これを記念し植樹が行われました。下の写真がその時の模様。庁舎にもその周りにも市民・職員の思い、思い出がある、といえるでしょう。
春日部市役所は、市民や職員の思いとともに、春日部市政の歴史を刻み、今日にまで歩んできました。現代の春日部市の礎となった市役所に入れるのも、12月28日までです。それぞれが抱く思いを振り返りながら、市役所を訪ねてみてはいかがでしょうか。
現市庁舎の歴史を振り返ると、奇しくも現在の市庁舎移転と重なる部分もみえたような気がします。そして、歴史的にみると、市庁舎の建設は市政のエポックともいえそうです。市役所が歴史に幕を閉じ、新たな庁舎での業務が始まり、再び市政の転換期を迎えているといえるのかもしれません。
さようなら。そして、お疲れさま。春日部市役所。
郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました
令和5年12月17日(日)の午前・午後に体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました。
今年は会場の都合上、1日で2回開催という職員的には過密スケジュールです(笑)
講座の中でもお伝えしましたが、しめ縄の藁(わら)には事前の下拵えが必要です。
そんな準備風景を少し、、
農家さんにお願いして、9月末頃に稲わらの調達をするところから準備は始まります。
そして教育センターでは、物干しざおに結んだ藁(わら)をひっかけ1~2週間ほど干します。
そこから“藁すぐり”という藁のハカマをとる作業です。
講座で使える量はもらってきた藁(わら)の半分程度の量になります。
講座当日には藁を水につけてやわらかくする藁打ちをして準備完了です!
講座では、当館の館長より挨拶をさせていただいた後、春日部に伝わる伝説の紙芝居を1つ読ませていただきました。
アンケートをみると紙芝居に興味を持ってくれた方もいたようで、うれしい限り♪紙芝居は郷土資料館で貸し出しも行っているのでお気軽にお問い合わせください。
そしていよいよしめ縄作りに入ります。
まずは“紙垂(しで)”の作成から。しめ縄から垂れ下がっている稲妻のような形をしたアレです。半紙を切ったり折ったりしながら、割とスムーズに皆さん作れていました!
そして次が最大の難関“縄ない”です。
藁(わら)を撚(よ)って縄を編んでいくのですが、毎年この作業で皆さん悪戦苦闘します!しかしながら今年は、初めのほうこそ難しそうでしたが、コツをつかむのが早い方が多く、上手になえていました!
しめ縄の本体を作る作業では、ねじった束を組み合わせるときに、ねじりが緩まないようにするのが綺麗なしめ縄を作る秘訣です!
完成した品がこちら!
立派なしめ縄ができました!
講座後のアンケートでは毎年「大変だった」「難しかった」でも「楽しかった!」というご意見を多くいただきます!やりがいのある講座の証でしょうか♪
また来年も開催を予定していますが、しめ縄作りの講座は人気のがあり、募集早々に埋まってしまうこともあるため、募集開始日になりましたらお早めにご連絡ください!
皆さまご参加ありがとうございました♪
#民具 出張しました。
郷土資料館所蔵の民具。先人たちが、生活を営むために造った「身辺卑近」(身近でありふれているの意)の道具です。
本日、そうした民具のなかから、とある一つの民具にスポットがあたり、テレビ出演のために東京へ旅立っていきました。
手回し洗濯機です。今から60年ほど前に発売されました。
手回し洗濯機は、電気で動く洗濯機が販売される以前の洗濯機で、なかにお湯や水と洗剤(洗濯石鹸)を入れて、ふたをしてぐるぐる回すと、密閉して圧力がかかるので、洗濯物がきれいになるそう。
でも、洗濯をする人はちょっと大変です。なぜなら、ずーっと回さなければならないから。
そういうわけで、目新しく、それなりに効果もあったようですが、あまり普及しなかった(または利用されずに箱にしまい、とっておかれた)そうです。 詳しい解説は以前の記事を参照のこと。
当館所蔵の手回し洗濯機は、使用された形跡もあり、ふたが少し錆びています。現在は地域学習展に展示中。小学校の出張授業「でばりぃ資料館」にも出張する人気の道具です。
さて、当館の手回し洗濯機が、どういうわけか、東京のテレビ制作会社の方の目に留まり、本日、東京のテレビ局へと運ばれて行きました。学校の先生向けの資料活用ページがお目に留まったのでしょうか。地道に情報発信をしていてよかったと思える瞬間です。
手回し洗濯機は工業製品で、どこにでもある道具です。ですから、当館だけではなく、他の資料館・博物館でも所蔵されていることも少なくありません。しかし、本日お越しになった制作会社の方は、手回し洗濯機を見るなり、「やっと出会えた!」と感激されていました。貸出を許す博物館がなく困っていたそうなのです。
館蔵の民具の数は、リスト上だと3400件ありますが、実はまだ未整理のものも多くあり、その正確な数はわかりません。古いものでは江戸時代の道具、新しいものは最近のものまで、大きさ、形、重さ、素材、材質もさまざまで、一見、見栄えしませんが、文字・記録ではわからない郷土の人々の生活とその変遷を伝え、考える資料として、現代に生きる私たちにとって、大変重要なものです。
手回し洗濯機は、工業製品なので、厳密にいえば「民具」の定義から外れるかもしれませんが、テレビ出演によって、有名になって地元に帰ってきて、なかなか日の目をみることがない、民具への関心が高まることになれば、うれしいなぁと思っています。
テレビの番組名や放送予定日などは、告知が可能になり次第お知らせしたいと思います。
武里西小学校のみなさんから見学の感想をいただきました
10月31日に、郷土資料館を見学した武里西小学校の3年生のみなさんから、来館の感想を掲示できる形でいただきました。見学の様子はこちら
郷土資料館出口の外に掲示していますので、ごらんください。
武里西小学校のみなさん、ありがとうございました。
みなさんからは次のような感想をお寄せいただきました。
・お手玉がおもしろかった。
・縄文時代のくらしに興味を持った。
・むかしも家がちゃんとあった。
・縄文時代の本物のがいこつがあった。
・江戸時代は自転車や自動車がなかった。
・電気のない生活をイメージできた。
・ダイヤル式電話が気になった。
このほかに、「また行きたい」と書いてくれた人もいました。
ぜひ、ご家族とやお友達とまたいらしてください。
郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました
令和5年12月10日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「パタパタ(板返し)作ろう」を開催しました。
手作りおもちゃクラブでは、蓄音機で音楽の上演、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせ、昔ながらのおもちゃ作りの3つを行います!
蓄音機、紙芝居、おもちゃ作りのどれもが電気を使っていないというちょっとエコなイベントだったりします。
まずは蓄音機でレコードの鑑賞から。
郷土資料館で使用しているレコードは1枚で約5分程度の音楽です。CDのアルバムなどはだいたい10曲以上、時間にして70~80分の音楽が収録されているため、一度音楽を流し始めたらしばらくディスク交換せずに音楽を楽しめますが、レコードはほんの1曲分です。短い時間だからこそ、その分音楽を味わうように楽しんだかもしれません。
紙芝居は「蛇女房」という粕壁地区に伝わるお話。
鶴の恩返しにも似たお話で、聞きやすかったのではないでしょうか。
このお話を聞くと、世の中知らないほうがいいこともあるような、、ないような、、そんな気持ちにさせられます。。
おもちゃは「パタパタ(板返し)」を作りました。
郷土資料館のイベントで作っているおもちゃの中では、おそらく一番難しいのが今回のパタパタです。
一番上の板をひっくり返すだけで、連なっている板も次々にひっくり返るからくりおもちゃ。
からくりの部分は少し複雑な造りになっていますが、みんなお話をよく聞いて最後まで作れていました!
最後はお土産の缶バッジ作り!絵柄は当館オリジナルです♪
今回はリピーターの方も、はじめましての方もたくさん集まってくれました♪
次回は来年1月21日(日)に開催予定です!おもちゃは「からくり屏風」を作ります。
詳しくは広報紙等をご覧ください。お待ちしています!
武里団地着工60周年記念事業と武里団地の石碑
11月19日(日)、武里南公民館において、武里団地着工60周年記念講演会が開催されました。
武里団地着工60周年記念事業(第1弾)開催!(武里南公民館のブログ)
この催しは、昭和38年(1963年)に武里団地が着工してから60周年を記念し、武里南公民館主催で行われました。郷土資料館からは、鬼塚が招かれ「1960年代の武里団地」と題した講演を行いました。
また子どものころ9街区にお住まいで、元群馬大学非常勤講師の巻島隆氏より「武里団地と私 昭和の思い出」と題してご講演をいただきました。
9街区は残念ながら、現在、取り壊し中です。巻島さんは、9街区や武里団地の幼少期の思い出について、こと細かに「ここは武里団地9街区」というブログにまとめられています。先日のご講演についても、複数の記事をあげられていますので、ぜひごらんください。
ところで、武里団地が昭和38年(1963年)に着工したということの根拠は、どこにあるのでしょうか?
団地内、カスミ春日部武里店と武里図書館の間の道沿いにある石碑にそれは記されています。
石碑には次のように刻まれています。(別分は分譲のことを表しています。)
着工 昭和38年11月
竣工 昭和43年1月
戸数 6,119戸
賃貸 5,559戸
別分 560戸
面積 約582,000平方メートル
団地の完成については、入居開始の年代が話題になることが多く、着工の年が資料としてなかなか出てこないことがあります。
武里団地についても、春日部市広報で撮影した写真は、昭和39年(1964年)の造成工事や昭和40年(1965年)の起工式、同じ年の建物建設風景などです。残念ながら昭和38年にどのような工事が行われたかは不明ですが、確かに昭和38年中に工事が開始されたと石碑に刻まれています。
昭和39年武里団地準備工事(広報写真より)
昭和40年武里団地起工式(広報写真より)
ちなみ武里団地の入居開始は、昭和41年(1966年)4月で、こちらは「入居案内」などの資料から知ることができます。そして、石碑にある通り、竣工は昭和43年(1968年)1月となっており、入居が開始されてもなお、建設工事が進められていたことがわかります。
普段は通り過ぎてしまうかもしれない武里団地の石碑ですが、団地の完成時のデータをいまに伝える重要な記録です。
【手作りおもちゃクラブ】パタパタ(板返し)を作ろう!
12月10日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
つい先月までは“体験ワークショップ”というイベントでしたが、ちょっと名称を変更してみました。
理由としては、タイトルをみて何をするイベントなのかをイメージしてもらいやすくするためです。なので、実際の内容は特に変化はありません(笑) これまで通り、蓄音機の上演、紙芝居、おもちゃ作りとなっているので安心してご参加ください!
ということで、12月10日(日)に作るおもちゃの紹介です。
こちらのおもちゃは「パタパタ(板返し)」といいます。
郷土資料館のおもちゃコーナーの中でも人気の高いカラクリおもちゃです!
一番上の板をひっくり返すと、下の板も連動するようにひっくり返っていきます。
江戸時代から遊ばれているおもちゃですが、今の大人が見てもなかなか不思議な動きをしています。
うまく作れるか不安な方も、職員がお手伝いしますのでお気軽にご参加ください!
本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和5年12月10日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(パタパタ)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
【臨時休館のお知らせ】
令和5年12月9日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。
ご迷惑をおかけしますが、ご注意ください。
12月10日(日)は通常通り開館します。
埼玉縄文カードをお配りしています
埼玉県出土の縄文土器をカードにした「埼玉縄文カード」!
春日部市では、「No.12 神明貝塚出土の堀之内式組合せ土器」のカードをお配りしています。配布期間は、令和6年(2024)1月14日(日)までです。
埼玉縄文カードは全部で14種類あり、県内の各館でそれぞれの地域の縄文土器のカードを配布しています。そして、埼玉県立歴史と民俗の博物館で配布しているNo.1~No.6までのどれか1枚と、他の館で配布しているNo.7~No.13か蓮田市文化財展示館の蓮田市歴史カードのうち2枚の合計3枚を、配布館で提示するとNo.14の特典カードがもらえます。配布館は下記のチラシや埼玉県立歴史と民俗の博物館のサイトをご覧ください。
カードの配布は在庫がなくなり次第、期間中でも終了です。お早めにお集めください。
春日部市指定文化財「神明貝塚の堀之内式組合せ土器」については、下記の記事をご参照ください。
「埼玉縄文カード」チラシ.pdf(約5MB)
埼玉県立歴史と民俗の博物館、白岡市生涯学習センター歴史資料室では、カード配布期間中、下記の展示を開催しています。あわせてご覧ください。
・ 埼玉県立歴史と民俗の博物館 11月14日(火)~令和6年1月14日(日)「縄文コードをひもとくー埼玉の縄文土器とその世界 」
・白岡市生涯学習センター歴史資料室 11月14日(火)~令和6年1月14日(日) 季節展示「白岡の縄文土器とその世界〜タタラ山遺跡の〔縄文コード〕〜」
考古学講座第3回を開催しました。
考古学講座第3回を開催しました。
本日は、1.分類と型式学、2.春日部市の弥生時代の遺跡についてがテーマでしたが、弥生時代のお話が途中になってしまっていますので、また次回に補足したいと思います。
考古学における分類について、特に遺跡で発見された遺物は、人工遺物か自然遺物か、人工遺物の素材は何か、機能は何か、デザインや製作技法に違いはあるか、といった複数の基準で分類され、整理されます。そしてデザインや製作技法をもとに分類した指標として「型式」が設定されます。型式は装飾的要素と機能的要素が設定の基準となっており、機能的要素には技術革新により変化するものと、機能の実用性が喪失しているにもかかわらず、装飾などとして残る場合があります。
土器の中でも縄文土器は、遺跡名を付した型式が細かく設定されていますが、これは型式として初めて設定できた土器群の出土した遺跡名をつける場合が多いです。
春日部の弥生時代については、倉常の須釜遺跡で発見されている再葬墓について、再葬とは何か、再葬の根拠などについて、お話ししました。
春日部市も含まれる埼玉県東部地域は、弥生時代の遺跡が非常に少ない地域です。そのような状況の中で、平成13年(2001)に低地に立地する須釜遺跡から、弥生時代の本格的な遺跡が発見されました。また春日部市内では、谷原新田でも、水路の工事中に弥生土器が1点発見されています。
埼玉県東部地域は、現在のところ弥生時代の遺跡数は少ないですが、調査が及んでいない低地の部分に未知の弥生時代の遺跡が存在している可能性があります。
考古学講座では、毎回、博物館や資料館の考古学に関する特別展や企画展を紹介しています。詳細は各所のサイトをご確認いただくか、資料館でポスター掲示やチラシ配架なども行っていますのでご利用ください。
(現地説明会)
12月9日(日)午前10時~11時30分、午後1時30分~3時
史跡真福寺貝塚発掘調査現場(さいたま市岩槻区城南3丁目949番地付近)
(研究会)
・12月2日(土)研究会「埼玉の縄文時代後晩期研究の現状」 埼玉県立歴史と民俗の博物館(申し込み不要)
・1月28日(日)公開セミナー「旧石器から縄文へ」 荏原文化センター大ホール(往復はがきで申し込み要)
(展示会_閉会日順)
・東京都北区飛鳥山博物館 10月24日(火)~12月10日(日)「北区貝塚物語」
・宮代町郷土資料館 10月28日(土)~12月24日(日)「古代のみやしろ-古墳時代の宮代町-」
・久喜市郷土資料館 10月14日(土)~12月27日(水)「大集合!久喜市の遺跡」
・ 埼玉県立歴史と民俗の博物館 11月14日(火)~1月14日(日)「縄文コードをひもとくー埼玉の縄文土器とその世界 」
・岩槻郷土資料館 11月21日(火)~1月21日(日)「縄文時代のさいたま」
・川口市郷土資料館 11月3日(金)~2月25日(日)「縄文のナニコレコレミテ」
【 #11月25日 】 #今日は何の日? in春日部
今から92年前、大正4年(1915)11月25日は #内牧村 から 皇室に #梅田ごぼう が献上された日です。 #かすかべプラスワン
梅田ごぼうは、知る人ぞ知る、春日部固有の在来野菜。栽培が盛んだった市内の梅田地区の地名を冠したゴボウです。市内の梅田女體神社に御買上の記念碑があり、それもあってか地元では、大正天皇が即位されたときに皇室に献上されたことで知られています。梅田ごぼうについては、以前も少し紹介したことがあります(以前の記事のリンク)。
梅田ごぼうが皇室に献上されたのは、大正4年11月に行われた大正天皇の即位礼(大正大礼)に際してのことでした。地方から皇室への献上は、「伝献」(でんけん)と呼ばれる間接的な献上の方法で行われることになっており、実際の献上にあたっては、村役場から、郡庁、県庁を介して、宮内省と調整して進められました。その過程を、埼玉県や宮内省の行政文書から追ってみましょう。
大正4年8月27日、内牧村では臨時村会が行われ、大正大礼の奉祝のため、村の特産物である梅田牛蒡1箱(15本入)宮内省に献上することが決議されました。これを受けて、9月27日、内牧村の村長高橋喜右衛門は、南埼玉郡役所、埼玉県を介して、宮内大臣に献上願を発出します。10月9日、埼玉県は伝献願として、南埼玉郡の糯白米、内牧村の梅田牛蒡、北足立郡七里村の長芋を、大正大礼の奉祝ために伝献したいと出願をします。これを受け、宮内省では、10月21日に伝献の採納通知を埼玉県に発出しました。この文書では、当時の内牧村村長の高橋喜右衛門は赤坂離宮に持参し、現地にいる埼玉県職員に献上品を引き渡すようにと指示されています。
埼玉県から同時に伝献願が出された南埼玉郡の糯白米、内牧村の梅田牛蒡、北足立郡七里村の長芋は、11月4日に赤坂離宮で引き渡しされることになりましたが、梅田牛蒡は収穫時期が尚早であったため、梅田牛蒡に限り、伝献期日が変更されることになります(11月2日)。残された文書によれば、南埼玉郡長が電話で、牛蒡の株取りは11月20日ごろが最も好時期であると申し伝えたようで、直前に延期とされたようです。
おそらく11月20日前後に収穫されたことでしょう。
そして、11月25日、梅田牛蒡は埼玉県内の他の特産物とともに献上(伝献)されました。
梅田牛蒡の皇室への献上は、上にみたように、行政のなかで事務的に進められ、実現することになりました。きわめて淡々と進められていく過程のなかで、収穫はまだ早いと判断され、期日が延期されることになったことは注目されます。詳しいことはわかりませんが、92年前の生産者や地元のこだわりが感じられます。
大正大礼の伝献について、少し詳しく述べましたが、実は、梅田牛蒡、この前後にも皇室に御買上げされていたようです。下の書簡は、大正4年2月9日、南埼玉郡長の鎌倉恒松から、梅田牛蒡の生産者にあてられた宮内省の御買上げの礼状です。
書面からみると、すでに2月の時点で内牧村産の梅田牛蒡が御買上となっており、大正大礼以前に梅田牛蒡が宮内省に買い上げられていたことになります。宮内省の御買上は、産業の奨励のために実施されたもので、厳密にいえば献上・伝献ではありませんが、梅田女體神社の石碑に「大嘗祭御用梅田牛蒡御買上記念」と刻まれるように、地元にとっては、皇室に献上したように認識されたことでしょう。それだけ、梅田牛蒡は、地元の誇るべき特産品であったといえるのです。
しかし、梅田牛蒡は残念ながら、種が途絶えてしまいました。現在は同じ太牛蒡の一種の大浦ごぼうの種が市内で作付けされ、いままさに収穫、店頭に並んでいるところです。当方も先日道の駅で購入し、食べましたが、普通のゴボウよりも香りが強く、柔らかくて美味しかったです。11月末から正月にかけて、太牛蒡は旬です。皆さんも、ぜひご賞味ください。
過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版、3月14日版、3月27日版、4月28日版、6月2日版、6月3日版、6月10日版、7月31日版、9月1日版、9月16日版
過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、のリンクからお読みいただけます。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
令和5年11月14日(火)県民の日・19日(日)の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館体験ワークショップを開催しました。
体験ワークショップでは蓄音機の上演、紙芝居の読み聞かせの他、14日(火)は「吹き上げパイプとぶんぶんゴマ」、19日(日)は「発泡スチロール飛行機」を作って遊びました。
蓄音機の上演では、電気を使わずに音の出る箱を見て「おぉっ!すごーい!」「わぁ~♪」と嬉しそうな声が♪
紙芝居では、14日は西金野井に伝わる伝説「飛んできた仏さま」、19日は粕壁に伝わる「火事よけ天狗」の伝説を読み聞かせしました。春日部にはたくさんの伝説が残っています。皆さんもお住いの地区にはどんな伝説が残っているでしょうか。郷土資料館では春日部に伝わる伝説の紙芝居の貸し出しも行っているので是非ご利用ください。
そして、おもちゃ作りです。
「吹き上げパイプ」は、体験ワークショップでは初お披露目のおもちゃです!ストローに息を吹いて、球を浮かせて遊びます。
息を吐き出す加減が難しいのですが、宙に浮かすことができると思ったより達成感を感じる、地味にハマってしまうおもちゃです(笑)
子どもたちも集中して遊んでくれました!
「発泡スチロール飛行機」は今回でまだ2回目となる、準新作おもちゃです。胴体や羽の部分は展示などで使った材料の廃材を利用しています。
前回は約2年前に作ったのですが、出来上がった飛行機の飛び方に若干のばらつきがみられました。今回は改良を加えて安定感が増しました!
飛ばした飛行機を嬉しそうに拾いにいく姿がカワイイ♪
最後におみやげの缶バッジ作りで終了です!
今月もご参加ありがとうございました!
そしてそして、
来月からちょっと講座のタイトルが変わります。
“体験ワークショップ”から“手作りおもちゃクラブ”に変更になります!
よりキャッチーなタイトルにしてみました♪
内容に変更はありませんので、安心してご参加ください!
次回は12月10日(日)の10:30と14:00からになります。おもちゃは人気の「パタパタ(いた返し)」です!
ご参加お待ちしております♪
ビオスゼリーとは何か?(くらしのうつりかわり展)
2月25日(日)まで第40回小学校地域学習展「くらしのうつりかわり~なつかしのくらしの道具展~」を開催しています。
くらしのうつりかわり展では昭和30年ごろの、市内の内牧小学校の給食献立を展示しています。
献立をご覧いただいた方から「ビオスゼリー」って何ですか?との質問をいただきました。 展示している献立では、1か月の給食19回のうち、9回もビオスゼリーが登場します。
(画像クリックでjpgファイルがダウンロードされます。1252KB)
インターネットで調べた限りですが、ビオスゼリーとは、製薬会社の社長であった竹内寿恵(たけうち すえ)氏が戦前に開発した栄養食品です。
竹内氏のご著書によると、ゼリーと肝油(かんゆ)を混ぜて固めて、糖衣(とうい・糖分をふくむ膜でおおうこと)したものです。肝油とは、サメやエイからとった脂分で、ビタミンを多くふくんでおり、古くから栄養食品として使われていました。
昭和30年ごろの小学校でも、栄養補給のために頻繁に給食のメ二ューとして用いられました。
写真などがなく、実物がどのようなものか残念ながらわからないのですが、もしご存知の方がいらしたら、あるいは食べたことがある方は情報をお寄せください。
(参考文献)竹内寿恵 著『階段を上る女社長』P.67,学風書院,1960. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2976969/1/36 (参照 2023-11-17)*閲覧の際はログインする必要があります。
豊野小学校第3学年が郷土資料館を見学しました
令和5年11月17日(金)に豊野小学校第3学年が郷土資料館を見学しました。
豊野小は毎年郷土資料館に見学に来てくれるお得意さん♪
あいにくのお天気でしたが、今年も社会科校外学習の一環として訪れてくれました!
企画展示室では、昔の家庭で使っていた道具や、学校で使っていた勉強道具などについて職員から解説を受け、見学をしました。
現代では学校でノートを使うのが当たり前ですが、昔は石盤(せきばん)というものが使われていました。まるで一人用の黒板のようなもので、書いては消して使用していたため、記録を残すようなことは出来ません。紙が今よりも貴重だった時代を感じ取ってもらえたでしょうか。
千歯扱きを使って、脱穀の体験もしました!
常設展示室では、竪穴式住居などの説明を受けました。
竪穴式住居の中の炉(ろ)は、どんな役割があったのかなど、クイズのように児童に考えてもらいました。炉は火を燃やすところなので、調理、暖房、明かりなどの役割があり、たくさんの子が手をあげて答えようとしてくれましたね!
よくメモを取る姿も印象的でした!
『ぼくら、遊びじゃなくて“学び”に来てるんで』とでも言わんばかりの熱心さ!
郷土資料館のおもちゃに興味を持ってくれた子は、ぜひ郷土資料館のワークショップに来てください!
11月19日(日)は発泡スチロール飛行機、12月10日(日)はパタパタ(いた返し)を作るよ!(宣伝)
郷土資料館の中では、“走らない・大声をださない”など、最初にした約束をちゃんと守ってくれた、しっかり者の豊野小3年生でした!
また来てくださいね♪
歴史文化講演会 「奥の細道」~旅立ちの風景~ を開催しました!
11月11日(土)、郷土資料館歴史文化講演会を開催しました。
元禄2年(1689)の3月27日(旧暦)に、「奥の細道」の旅程で日光道中粕壁宿に松尾芭蕉が宿泊しました。
本市は芭蕉ゆかりの地であることから、「『奥の細道』~旅立ちの風景~」と題し、國學院大學栃木短期大学教授の塚越義幸(つかごし よしゆき)先生にお話しいただきました。
塚越先生は、俳文学・漢文学がご専門で、芭蕉の人となり、『奥の細道』にちりばめられた古典文学・漢文学の素養、しゃれについて、著名な冒頭と旅立ちの文章を読み進めながら、わかりやすくお話しいただきました。
松尾芭蕉と奥の細道の旅については、不詳な点も多く残っており様々な想像がかきたれてられますが、講演では、紀行文学としての「奥の細道」と松尾芭蕉の作風を中心に解説いただき、文学作品としての「奥の細道」の奥深さ、楽しさを実感することができました。
講演会には50名近い方々に受講いただき、「奥の細道」を読み進めていきたいとの声も多くいただきました。
講演後は、先生に持参いただいた参考資料や郷土資料館所蔵の芭蕉肖像画などについても、解説していただきました。
熱心に質問される方もいらっしゃて、大変盛況でした。
今後も、本市の歴史文化の魅力を多くの皆様に伝えていけるよう、努めてまいります。
市指定無形民俗文化財“東中野の獅子舞”が公開されました
気候が急転し、終日気温がひと桁まで下がった11月12日(日)、東中野香取神社では”東中野の獅子舞”が公開されました。昨年は3年ぶりの公開で神社拝殿の中での奉納舞でしたが、今年は四方に笹竹が囲われた拝殿前で伝統の勇壮な舞が披露されました。
天狗を先頭に拝殿へ向かう「庭入りの舞」を皮切りに、中獅子、小獅子、太夫獅子の順の「奉納舞」、いたずらキツネが獅子を惑わす「花掛けの舞」の3演目を若い舞い手とベテランの融合で激しく勇壮に三匹獅子が舞われました。
また、地域の方々もこの獅子舞が披露される、通常の例大祭を待ちわびており、奉納後の獅子には「厄払い」「家内安全」「健康長寿」など、獅子のコカゲを被せてもらおうと、列を作って祈願されていました。
来年は地区内を巡回し祈願する「辻切り」の復活を望む声も聞かれ、コロナ前の生活と風習が回復してきたことが実感できました。地区、そして保存会の皆さん、大変ありがとうございました!!
「こどもライブフェスタ」~天然記念物がチェックポイントで活用されました~
今年で3回目を迎える「こどもライブフェスタ」が冬の気温に一変しました11月12日に開催、~忍者修行~「かすかべ忍者の冒険」として、ふれあいキューブ4階ぽぽらを出発して、地下道を経由、東口各所のチェックポイントで様々な体験という名の“修行”にトライしていただきました。
古利根川公園橋からほどなく川沿いを散策すると、県指定天然記念物「碇(いかり)神社のイヌグス」に到着。かすかべ郷土かるたにも登場する「イヌグス」は子どもたちにとっては聞きなれた文化財。でも実際にみるのは初めてという。「大きい」「長生きしている」「江戸時代の人たちも見たんだね」様々な感想が聞けました。
個人の屋敷稲荷の境内をお借りした修行の場では、樹木の枝分かれに5人の小人を探し出す修行のほか、観光ボランティアさんの説明で市内を代表する巨木である天然記念物の樹齢や特徴、そして現在、
樹木のお医者(樹木医)さんから治療を受けていることなど、親子一緒に学習していただきました!
当日は、所有者さんからの立入の許可をいただき、また、寒い中、多くのボランティアさんの協力により活気の満ちた市民活動と文化財の活用がみられました。ありがとうございました^^
桐の貯金箱をつくりました!
11月12日(日)、春日部の特産品「 #桐箱 」を製造されている #春日部桐箱工業協同組合 の皆さまを講師にお迎えして、郷土資料館の体験講座「桐のオリジナル貯金箱づくり」を開催しました。
この講座は、桐産業を紹介した企画展示「桐のまち春日部」展(令和3年開催)の関連企画以来の人気講座の一つです。毎年開催し、今回は3回目となります。作ってもらうのは、春日部の伝統的な手工芸品「桐箱」の技術を踏まえた桐の貯金箱です。見本はこんな感じです。
一見、簡素なつくりですが、材料には桐箱にも使われる細かい細工がされており、箱に入れたお金を取り出せるよう、可動式のフタがついていたりもします。
参加者の皆さんは、桐板に丁寧にボンドをつけながら、箱を組み立てていきました。
ボンドを乾かしている間は、輪ゴムで箱を固定して、圧着します。この方法は、実際の桐箱づくりでも採られている方法です。
くみ上げた箱の背板には好きな図柄を書いて、それを組合の職人さんに切り抜いてもらいます。
電のこの作業。切り抜いてもらう子どもたちは、じーっと職人さんの手元を見ていました。まさに羨望の眼差し。
思い描いた形どおりに切り抜いてもらえて大満足!
最後に仕上げ。やすり掛けです。やすりを丁寧にかければかけるほど、職人さんたちがつくった桐箱のようにすべすべでいい仕上がりになります。上の子も一生懸命にやすり掛けをしていました。
そして、完成!(やったー!!!)
今年も人気だったイラストは、ポケモンでした。
みなさん、満足に帰っていかれました。
大人の参加者の方は、自分で作るのもいいけど、出来上がりがいい見本品を売ってほしい、ともおっしゃっていました。
貯金箱を作ったり、見本や製品に接して、春日部の伝統産業に触れる機会になったのではないかと思います。
参加者の皆さま、春日部桐箱工業協同組合の皆さま、どうもありがとうございました。
市民の方たちと読む古文書
11月4日、市民の方たちと郷土資料館所蔵の古文書を読む、古文書勉強会を開催しました。ほごログでの紹介はご無沙汰していますが、古文書勉強会は、月に一度の頻度で、市民の皆さんが主体になって決まったテキストを講読するものです。引き続き「宝暦度より酒造用留」を読み進めています。
上は講読の様子。史料の読み合わせをしているところです。皆さん、机にしがみつくように、テキスト(古文書)を見ています。お互いの顔を見るよりも、古文書を見ているのが、至福の時間な、皆さんです。
だんだんと読むスピードがあがってきており、かなり進捗しましたが、史料の後半は癖のある筆で書かれており、いくつか疑問や疑義の残るものが出てきました。いくつか紹介しまししょう。
「藤次右衛門儀」と書かれていますが、この「儀」という字が読みづらいと意見がありました。
この筆の人物は、「儀」をこんな風にも書くようです。
「御非文之儀」。いずれも人偏の「儀」ですが、皆さんに配布している紙焼きのテキストでは不鮮明でもあり、なかなか読むのが厳しいところもあるようですが、くずし字の字典などでみれば筆順なども間違いないかと思います。
「儀」ではないか、との意見もあった字がこちらです。
「いたし候趣」と読みますが、最後の文字の「趣」が「儀」に似ているとの指摘でした。
しかし、よく見ると、篇にあたる部分に横の筆があり、「土」のようなくずしになっていること、旁の部分が「義」だとすると、画数が少ないことから、「儀」ではなく「趣」という結論に至りました。
このように、話し合いながら、読み進めているのですが、どうにも読めなかった箇所が次の部分です。
「一、借家物置家 壱ケ所
但★から★壱組
右ニ付候道具一式相添
代金 」
と書かれていますが、但し書きの部分は何が一組なのか。
皆さんと一緒に悩み、★の部分が結局埋められませんでした。
今、再考してみて「此から臼」ではどうかなとの結論に至りましたが、いかがでしょうか。
次回、改めて皆さんで検討したいと思います。
シンポジウムー神明貝塚ーを開催しました!
11月5日(土)に教育センターで「地域と共に歩む史跡神明貝塚」をテーマに
シンポジウムを開催、市内、そして県内から約50名の方にご来場いただきました。
文化財課職員による基調報告のほか、そして神明貝塚の保存活用計画でもご指導いただいた
日本大学理工学部の押田佳子准教授、日本工業大学建築学部の佐々木誠先生にご講演をいただき、
最後に討論も行いました。
はじめに文化財課の森山から、
「史跡神明貝塚の現況と古環境」と題し、整備の方向性として縄文時代の環境を来訪者に伝えるために植生や環境を復元し、地域と共に歩む史跡整備を検討していくことが示されました。
発掘調査から得られた縄文人から、神明貝塚に住む縄文人が陸上の動植物を食べていたこと、花粉分析からクリなどを多く用いていたことがわかりましたが、現在の景観からそのような事実を想像するのは難しく、今後、史跡を公園として整備するなかで課題となる部分として挙げられました。
続いて、押田先生から、
「みどりと共生する史跡と観光まちづくり」と題して発表いただきました。
文化財と自治体の事例や課題を紹介しつつ、史跡を魅力ある観光資源とするために、ストーリーを設定すること、さらには来訪者にも自発的な関心を生み出すためのローカルガイドの存在が重要であるなど、多面的なご指摘をいただきました。
佐々木先生からは、「神明貝塚と「共に」~地域と未来への戦略~」と題してご講演いただきました。
「老い」に直面した世の中に必要なものは、取捨選択とリノベーションであり、そのなかで神明貝塚は地域資源として強い武器になること、公民が連携することで、神明貝塚にワクワクした未来をつくっていこうという内容でした。
最後は発表者の3名で「地域と共に歩む史跡の未来」について、討論とシンポジュウムのまとめを行いました。会場からも質問用紙を多数頂戴し、今後の公開に期待する声をいただきました。
神明貝塚は史跡指定され、2年経過しましたが、整備・公開への道のりはスタートしたばかりです。
市民のみなさまと一緒に、神明貝塚の未来に伝え、集い、にぎわい、活動する場の実現に向けて、引き続きの応援をよろしくお願いいたします!
※シンポジウムの様子は、後日YouTube上に動画をアップする予定です。ぜひお楽しみに
郷土資料館体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました
令和5年11月5日(日)に体験講座「かわいいミニぞうりを作ってみませんか」を開催しました。
江戸打ちひもを使用した約10cmほどの小さなぞうりを作る本講座。編み方を覚えれば、藁や布でも作れるようになりますよ♪
講座ではミニぞうり作成前に、郷土春日部により親しんでいただくため、春日部の伝説に纏わる紙芝居を1つ読みました。
そして、いざミニぞうり作り!
編みはじめと、最後の編み終わりをしまい込む部分が大変で、みなさん悪戦苦闘!
しかしながら、編み上げていくうちにいい形に♪2つ目ともなると、さらにクオリティアップしていきました!
こちらは小学生の児童が作り上げたものです!可愛くできてます♪
編むのが難しい部分もありますが、その分出来上がったものには愛着がわくのではないでしょうか!
今日は個人でご参加の方から、ご家族、小学生のお友達同士での参加の方まで、幅広い方が来てくださいました。
郷土資料館では他にも各種イベント、講座を開催しておりますので、ぜひまたご参加ください!
考古学講座第2回を開催しました
10月29日(日)に考古学講座第2回を開催しました。
本日は、1.発掘調査の方法、2.層位学、3.春日部市の縄文時代の遺跡についてお話をしました。前回の反省を生かし、あせらず、できるかぎりゆっくりと進めたつもりでしたが、まだ早かったでしょうか?
発掘調査の方法については、現在日本で行われている発掘調査の多くが、工事などに先立つ調査であることや発掘調査で表土はぎを行うと関東ローム層に遺構の形が現れることを説明しました。
発掘調査の基礎となっている層位学では、地層は積み重なっていき、下のものより上のものが新しいという大原則があることを説明しました。
春日部の縄文時代では、春日部市域にも縄文海進の影響があること、春日部市内では台地上に縄文時代の遺跡が多く発見されていることを説明しました。
縄文時代の醍醐味である貝塚や縄文土器の話は、次回に少し時間を作りお話します。
さて、考古学講座では、毎回、博物館や資料館の考古学に関する特別展や企画展を紹介しています。現在、近隣の宮代町と久喜市の資料館で、特別展として考古学関連の展示を行っているのでご紹介します。また12月9日(日)には、さいたま市岩槻区の真福寺貝塚で、発掘調査現地見学会が開催されます。ぜひお出かけください。
・宮代町郷土資料館 令和5年度特別展「古代のみやしろ-古墳時代の宮代町-」
会期:令和5年10月28日(土曜日)~12月24日(日曜日)
・久喜市郷土資料館 第13回特別展「大集合!久喜市の遺跡」
会期:令和5年10月14日(土曜日)~12月27日(水曜日)
12月9日(日)午前10時~11時30分、午後1時30分~3時
会場 史跡真福寺貝塚発掘調査現場(さいたま市岩槻区城南3丁目949番地付近)
武里西小学校第3学年が郷土資料館を見学しました
令和5年10月31日(火)に武里西小学校第3学年が郷土資料館を見学しました。
今日は楽しい社会科見学のようです♪
最初に羽子板屋さんを見学してから、徒歩で資料館に来てくれました。
企画展示室では、まだ電気が普及しきっていなかった時代の家庭の道具や、農具、勉強道具について職員から解説を受けました。
また、千歯扱き(せんばこき)を使った、脱穀体験もしてもらいました。
脱穀の時、手にプツプツとした感触が伝わり、「楽しかった」「気持ちよかった」という感想が聞かれました。
常設展示室では竪穴式住居の中をのぞき、職員の質問に答えながら、縄文時代の生活を学びました。
自由見学の時間にはおもちゃコーナーがやはり人気です!
また、今年資料館で寄贈を受けた3人用そろばんなども、その珍しさから人だかりができていました!
そんな中、昔の学校給食で使われていた資料や、、、
桐たんすに興味を持つこだわり派も!
入館前からワクワクが隠し切れない様子だった武里西小の児童たち♪もっと時間がほしそうだった子もチラホラ。
郷土資料館は土日も開館しているので、ぜひまた遊びに来てください!
「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」は、令和6年2月25日(日)まで開催しています。
お子様からご年配の方まで楽しんでいただける展示になっていますので、皆さまぜひご来館ください!
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
令和5年10月22日(日)、郷土資料館体験ワークショップ「紙でっぽうと糸でんわを作ろう」を開催しました。
体験ワークショップは予約不要、飛び込み参加歓迎のイベントです!お気軽にどうぞ♪
まずは蓄音機の上演からです。
ークショップで使用している蓄音機はゼンマイ式のもので、電気を使用しません。
子どもからも「電気いらないの?」という声も聞こえ、不思議な箱に思えたようです。
紙芝居は「飯沼の椀貸し伝説」です。
お願いをすると、沼から食器が浮き上がってきて、借りることができるという不思議な伝説。しかしあるとき、悪意のある人が、借りた食器を返さなかったことから、二度と食器は借りられなくなってしまったそう。
借りたものはしっかり返しましょう!
そしておもちゃ作りです。
この日は紙でっぽうと糸でんわを作りました♪
紙でっぽうはしっかりと折り目をつけながら作成し、きれいに仕上がっていました!いい音を響かせていましたね♪
糸でんわは、約5メートルほどある糸を使って作りました。普段、会話をするにはかなり遠い距離ですが、糸を通してしっかり話ができます。
耳に振動が伝わるので、くすぐったいみたいです(笑)
最後に恒例の缶バッジづくりをして終了です!
本日もご参加ありがとうございました!
そして来月の体験ワークショップですが、
なんと2日間開催です!
11月14日(火)県民の日、11月19日(日)のそれぞれ10:30と14:00からになります!
新作おもちゃも登場予定!詳しくは広報誌等をご覧ください。
ご参加お待ちしております♪
幸松小出張授業のお手紙届きました!
10月6日、昨年度に引き続き、幸松小学校で出前授業を行いました。4年生の皆さんは総合的な学習で、地域の地形や災害について学習されているそうで、出張授業(でばりぃ資料館)では、幸松地区の水害の歴史について、お話しさせていただきました。 #かすかべプラスワン
後日、幸松小4年生の皆さんからお礼のお手紙(感想文)をいただきました。総勢80数名もの 感想文をいただいてとてもうれしいです。全部は紹介できませんが、そのなかでも、とても素敵な感想がありましたので、これも昨年度に引き続き、紹介させていただきます。
まずはじめの方は、次のように書いてくれました。
授業では、幸松地区の水害のなかのうち、昭和22年のキャサリン(カスリン)台風の水害について、少し詳しくお話ししました。幸松地区(当時は幸松村)には、水があふれた、濁流が押し寄せた地図(記録)が残されており、身近な地域が水災に遭ったことが克明にわかります。利根川から決壊した濁流が押し寄せたのは、およそ一日後のことで、それ以前に幸松のさまざまな水路で水があふれたことや、死者や避難者の数も伝えました。身近な地域が水害にあっていたこと、「びっくり」して、少し怖かったかもしれませんが、そうした話をいろいろな学校で話してほしいと、感想をくれました。その土地その土地には、固有の歴史があることを何となくわかってくれたのかもしれません。そうした機会ができること、個人的にも望んでいますので、他の学校さんからのオファーもお待ちしています。
次の方は、このように書いてくれました。
昨今、首都圏外郭放水路は防災施設として再注目されています。外郭放水路ができたことで、市内の湛水の機会は大幅に減ったようです。しかし、この子のいうように、災害はいつ起きるのかわかりません。「油だん」は禁物ですね。出張授業が、防災意識を高める機会にもなったのならば、とてもうれしいです。
最後に紹介するのはこちら。
授業では、めがね橋がただの橋ではなく、古利根川からの逆流を防ぐ、レンガ樋門であることを紹介しました。授業の前に校外学習でめがね橋を見学していたので、印象に残る人が多かったようです。全国津々浦々の小学校4年生で「樋門」の意味を理解しているのは、幸松小学校の皆さんだけかもしれませんね。
重要なのは、後半の文章。「親にもあまり教えてもらえなくて、だから私が親たちに教えたいと思います」
地域で語り継がれ、受け継がれてきた歴史・伝統を、子どもたちが学び、そして伝えていくこと。郷土資料館として、こんなに嬉しいことはありません。ぜひ、親御さんにめがね橋のスゴさを話してください。
幸松小4年生の皆さんは、これから地域の地形を学んだり、災害のときにどのように行動すればよいのかを考えたりする学習をするそうです。私が授業で伝えた、水害の怖ろしさ、そして地域の先人がそれを克服してきたことも、改めて考えていただき、ぜひ、地域の防災について学びを深めてください。
実は、幸松小4年生の皆さんには昨年度のでばりぃ資料館でも会っていましたが、憶えている子は少なかったようです。今回の出張授業では、話を聞いてくれたお礼に名刺を渡しました。郷土資料館のこと、もう忘れないでね。それよりも、名刺をたよりに、郷土資料館に遊びに来てくれるとうれしいです。待ってます。
《受講者求ム》世界で一つだけの桐の貯金箱をつくりませんか?
春日部市郷土資料館では、体験講座「桐のオリジナル貯金箱をつくろう」を11月12日(日)に開催します。講座では、まちの伝統産業の #桐箱 づくりのスペシャリストたちに指導していただきます。 #かすかべプラスワン
桐といったら春日部。春日部といったら桐。古くから春日部は桐細工産業のまちとして栄え、今日にいたっています。郷土資料館の体験講座「桐のオリジナル貯金箱をつくろう」では、伝統的な技術を伝える桐箱製造の業者さん、職人さんたちの指導のもと、桐の貯金箱づくりを体験してもらいます。
「伝統的ってなんだか作るのがむずかしそう」と思った方へ。
職人さんたちがやさしく丁寧に指導していただけます。幼稚園のお子さんでも、おつくりいただけますのでご安心を。
「オリジナルってどんなの?」と思った方へ。
貯金箱の背板を当日、職人さんたちが切りぬいてくださいますので、背板は好きな絵や図柄になります。ここがオリジナル。後日色付けをしていただければ、世界で一つだけの桐の貯金箱になるのです。
郷土資料館の「桐の貯金箱づくり」は、もう恒例の講座で今年で3回目になります。昨年の様子はここからご覧いただけます。皆さん、自分の貯金箱ができてうれしそう。
ただいま、受講者絶賛募集中!お子さんだけでなく、大人の方でも歓迎です。電子申請でもお申込みいただけますので、ぜひ。
日時:令和5年11月12日(日)午後2時~4時
場所:春日部市教育センター2階 視聴覚ホール
費用:一人900円(当日徴収)
定員:20名
申込:郷土資料館まで電話(048-763-2455)、もしくは直接、または電子申請。
民俗芸能ー神楽・獅子舞ーが市内各所の秋季例祭で公開されました
早歩きで急な季節の移り変わりが感じられた10月15日(日曜日)には、秋の収穫に感謝をささげる例祭が市内各所で催され、市で指定している無形民俗文化財が公開されました。
富多神社では江戸川小中学校の4年生が、総合的な学習の時間で通年、榎囃子神楽連のみなさんから指導を受けている神楽が公開されました。地域を知る学習の機会として毎年恒例となっています。この日は、祭り囃子の太鼓の演奏と、「オカメヒョットコ」「大黒天」の2曲の神楽を演じました。約半年間の練習成果を地域のみなさん、そして保護者の前で堂々と披露してくれました。大変寒く、激しい降雨の中、応援いただきありがとうございました。
午後には、銚子口香取神社では銚子口の獅子舞が公開されました。三匹獅子の威風堂々とした迫力満点の舞が神社拝殿で披露されました。この日は出端の舞と幣かがりの2曲でしたが、1月新春にはより多くの演目の披露に向けて準備されています。
また、赤沼神社で奉納される赤沼の獅子舞は雨天のため、集会所での公開となりました。小学生低学年の子供獅子に加え、秋の収穫の感謝を機に公開される稲刈りなどの神楽の余興、そしてリズミカルで勇壮な三匹獅子が披露されました。今季は中獅子に女性の舞手が加わり、大柄で堅牢な太夫獅子、勇壮な小獅子に混じり、軽やかで柔和な舞には会場から拍手喝采でした。
年明け2月4日(日曜日)には4年ぶりとなる「春日部市民俗芸能公開事業」の開催に向けて準備を進めておりますので、郷土春日部の伝統の舞を間近でご堪能してみてはいかがでしょうか。