ほごログ
中野小学校の皆さんが郷土資料館を見学しました
縄文時代の竪穴住居の模型の見学。
中野小学校の周りにも縄文時代の家があったことを話すと、とても驚いていました。
千歯こきの体験では「モミがとれて、すっきりした」と感想を話してくれました。体験が終わった後、千歯こきは何する道具ですか?と聞くと「米を散らかす道具!」と元気に答えてくれる子もいました。本当は板や筵(むしろ)などを引いて集めやすくするのです。
このほか、体験できる昔のおもちゃや道具等に興味津々。スケッチやメモなどを一生懸命とっていました。展示資料のなかでは、今の遊びと直結するファミコンとゲームボーイが人気のようでした。
1月から2月にかけて、郷土資料館の社会科見学も本格的になり、資料館がにぎやかになります。
出張展示 庄和図書館 三上於菟吉と春日部展
庄和図書館と三上於菟吉顕彰会による連続講座「三上於菟吉と春日部」が開催されましたことから、関連として展示するものです。連続講座は、第2回まで終了、第3回は2月3日(日)に、三上於菟吉顕彰会代表新井義昭先生による「『百万両秘聞』の生まれた背景」が行われます。お問合せは、庄和図書館(048-718-0200)まで。
展示内容は、於菟吉の粕壁中学校(現春日部高等学校)時代の作品や、昭和10年刊の唯一の随筆集『随筆 わが漂泊』にみえる故郷と中学校の思い出話の紹介と、『モントクリスト伯爵』のほか、意外と知られていない於菟吉の翻訳小説を中心としております。寄贈者のご厚意で、直接ご覧いただける著書もございますので、皆さまぜひご覧ください。
東部地区の交通ー交通の発展と三郷ー(三郷市立郷土資料館)
三郷市立郷土資料館にて、1月11日(金)から2月11日(月・祝)まで、「東部地区の交通ー交通の発展と三郷」が開催されています。
この展示会は、東部地区文化財担当者会の「東部地区の交通」巡回展の一つで、三郷市では、近世・近代からの河川・道路・鉄道による交通の歩みについて、実物資料・写真を用いて紹介しています。春日部市郷土資料館からも、内国通運(ないこくつううん)株式会社西宝珠花取扱所の半てんなどを貸し出しています。
常磐自動車道や東京外環道、つくばエキスプレスなど、近年も新しい交通が次々と整備されている三郷の交通の歩みを展示資料と共に学ぶことができます。みなさまお誘いあわせの上、ぜひお出かけください。
なお、東部地区文化財担当者会発行の研究報告書『東部地区の交通』(1,500円)は、残部が大変少なくなっております。購入ご希望の方は、春日部市教育委員会文化財保護課(土日は郷土資料館)までお問い合わせください。
<東部地区の交通ー交通の発展と三郷ー>
日時:平成31年1月11日(金)~2月11日(月・祝)平日:9時半~19時 土日祝日:9時半~17時
休館日:毎週月曜日(1/14(月・祝)・2/11(月・祝)を除く)、1月15日(火)、1月24日(木)
場所:三郷市立郷土資料館(三郷市谷口618-1三郷市わくわくライブラリー内)
※つくばエクスプレス「三郷中央駅」から徒歩約10分
入館料:無料
郷土資料館企画展「埼玉県東部地区の交通―交通の発展と三郷―」開催のお知らせ(三郷市立郷土資料館)
東中学校『新編図録春日部の歴史』ーその73
新校舎は木材をふんだんに使い、冷暖房を完備、太陽光発電と雨水利用の設備やミニコンサートが開ける「パティオ」という中庭も設置されました。
今年の1月3日に行われた箱根駅伝第9区には、平成25年に東中学校卒業で国士舘大学の石川智康選手が出場しました。
東中学校ブログ「卒業生が箱根駅伝を走ります」
No.148 東中学校新校舎落成式典が開催されました(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP))
「教育施設の拡充」『新編図録 春日部の歴史』286ページ
郷土資料館利用のご案内
●休館日:毎週月曜日、祝祭日(月曜日が祝祭日と重なる場合は、火曜日も休館となります) そのほか、選挙投票日、施設点検日など臨時休館日あり
●入館料:無料
●アクセス
住所:春日部市粕壁東3-2-15(春日部市教育センター内)
電話番号:(048)763-2455
春日部駅東口(東武スカイツリーライン・東武アーバンパークライン)から徒歩10分
東北自動車道岩槻ICから国道16号線春日部・野田方面、「小渕」交差点を国道4号線東京方面へ、国道4号線「女子高入口」交差点を春日部駅方面へ、「粕壁小」交差点南東角。
駐車場は教育センターと共用。
グーグルマップ 春日部市郷土資料館
郷土資料館案内図
御産御祈目録『新編図録春日部の歴史』ーその72
南北朝時代の武将、春日部重行(かすかべしげゆき)は、建武記(けんむき)や後醍醐天皇綸旨(ごだいごてんのうりんじ)などの古文書にその名が登場することをこれまで紹介しましたが、今回の御産御祈目録(おさんおいのりもくろく)もその一つです。
御産御祈目録とは、天皇の妃が妊娠している期間に、その安産祈願のために行われる様々な祈祷を目録にしたものです。
建武2年(1335)の御産御祈目録には、重行の官職名である「滝口左衛門尉」(たきぐちさえもんのじょう)の名が記され、後醍醐天皇の妃の安産祈願に、西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)第十九番札所の行願寺(ぎょうがんじ)に重行が派遣されたことがわかります。
行願寺は革堂(こうどう)とも呼ばれ、現在は京都市中京区(なかぎょうく)に所在します。南北朝時代は現在の上京区(かみぎょうく)にあたる場所にありました。
『続群書類聚』997巻 国立公文書館所蔵
「春日部氏と建武の新政」『新編図録 春日部の歴史』48ページ
御産御祈目録(赤線部分に「行願寺 滝口左衛門尉重行」とある
最近の郷土資料館
【その1】12月8日・15日・19日、市内の高齢者施設の皆さんが団体でお見えになりました。
展示室では、回想法ボランティア「ふれあい幸齢倶楽部」さんのご協力をえて、回想法に基づいた映像の上映をしていただきました。回想法と言うと、敷居が高く聞こえますが、簡単にいえば、高齢者の方に懐かしい物事を思い出して、話し合っていただき、活き活きとしてもらおう、という取り組みのことです。回想法の映像では、昭和30年代の県内の風景や国内で起きた主な出来事が紹介されました。
また、「くらしのうつりかわり」展で紹介している昔の道具を手に取って御覧いただきました。ご来館いただいたみなさんは、映像や懐かしい道具を御覧になり、楽しんでいただけたようです。「とても楽しかった」「この道具使っていたよ、懐かしい」などとご感想をいただきました。またのご利用をお待ちしています。
【その2】大学生の卒業研究の資料調査がありました。
日本工業大学の学生さんが、館蔵の木製の椅子・机の調査のため来館されました。
この学生さん、小中学校で戦前に使用された木製の椅子・机をテーマに卒業研究をまとめている方で、JIS(日本工業規格)が確立される以前の椅子や机に規格があったのかを原物の資料を測量しながら調べているんだそうです。
当館には、粕壁小学校の木製椅子・机、葛飾中学校の木製椅子が収蔵されていますので、調査していただきました。わずかな点数ですが、半日がかりで写真に撮り、丁寧に実測されていました。「児童の体型や安全性などに配慮して設計・製作されていたのではないか」と考察されていました。近隣の博物館の資料とも比較するそうなので、研究の成果、楽しみにしています。ちなみ、粕壁小の木製椅子・机は展示中ですので、いつでもご覧いただけます。
【その3】またまた、常設展示を一部更新しました。
今回は、近現代の市域の歴史について展示を一新しました。新たに設置したのは、「関東大震災と春日部」「近代の交通・流通」「ベッドタウンとしての春日部」の3テーマです。「近代の交通・流通」は、江戸川の舟運や鉄道関係の資料も展示しています。
先日、近隣にお住まいの方が、「久しぶりに立ち寄ってみましたが、少しずつ変わっているんですね!」と感想をもらしてくださいました。
日々かわっていく郷土資料館の展示室をぜひともご覧ください。
小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕『新編図録春日部の歴史』ーその71
今回ご紹介する須恵器の大甕(おおがめ)は昭和31年(1956)に、小渕地区の小渕河畔砂丘(こぶちかはんさきゅう)の一部を崩す工事の際に発見されました。
口の部分の直径は33.8㎝、高さは54.6㎝と、空の状態でも一人で持ち運ぶには難しい大きさです。作り方や粘土の特徴から、古墳時代後期から奈良時代の初めに、群馬県方面で生産されたものと推定されています。
重要な点は、この頃作られた須恵器大甕が河畔砂丘の砂の中に埋まっていたことです。これは、小渕河畔砂丘の形成が開始された年代が奈良時代にさかのぼることを示します。
須恵器大甕は河畔砂丘の歴史を考えるうえで重要な意味をもつことから、平成21年に春日部市の文化財に指定されました。
春日部市の指定文化財「小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕」(春日部市教育委員会サイト)
春日部市教育委員会『春日部市史第1巻 考古資料編』1986 577ページ
「古代の生活と文化」『新編図録 春日部の歴史』38ページ
平成最後のしめ縄づくり
紙垂(しで)をつくった後に縄ないをして、しめ縄をつくりました。
今回も例年参加している方が多く、初めての方も、筋がよく、あっという間に完成しました。
参加した小学2年生と年中さんの姉妹。お姉さんは一人で、妹さんはお母さんに手伝ってもらいながら立派なしめ縄を作り上げました。お正月にお父さん・お母さんの実家に里帰りして、両方のおじいさん・おばあさんにそれぞれプレゼントする、と話してくれました。お孫さんが作った立派なしめ縄をもらって、おじいさん、おばあさんは驚くのではないでしょうか。
よく考えたら、「平成最後」のしめ縄づくりですね。受講者の皆さん、「平成最後」のしめ縄で、「平成最後」の新年をお迎えください。
春日部実景父子が自害した法華堂の跡『新編図録春日部の歴史』ーその70
春日部実景(かすかべさねかげ)は、甲斐守(かいのかみ)など鎌倉幕府の要職をつとめた御家人で、幕府内の地位も髙かったものと推定されます。
しかしながら宝治元年(1247)、有力御家人であった三浦泰村(みうらやすむら)が執権の北条時頼(ほうじょうときより)と対立し、宝治合戦(ほうじかっせん)が起こります。この際、三浦氏方についた春日部実景父子は、敗走した三浦氏一族とともに、法華堂(神奈川県鎌倉市)にあった源頼朝の画像前で自決しました。
『吾妻鏡』巻38 宝治元年6月10日条・6月22日条 国立公文書館内閣文庫
春日部市郷土資料館『中世の武士 春日部氏(夏季展示第35回展示図録)』2007
「下河辺氏・太田氏・春日部氏」『新編図録 春日部の歴史』160ページ
法華堂跡(源頼朝墓・神奈川県鎌倉市)
『吾妻鏡』宝治元年6月10日条
10日条には春日部実景の子どもが武蔵国で捕らえられ、鎌倉に到来したことが記される。
『吾妻鏡』宝治元年6月22日条
22日条には自殺・討死した武将の名前の中に「春日部実景」と子息「太郎」「次郎」「三郎」がみえる。