ほごログ(文化財課ブログ)

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豊野村消防団のオート三輪消防車『新編図録春日部の歴史』ーその60

消防組織は、明治以来、警察の管轄下にありましたが、アジア・太平洋戦争(第二次世界大戦)を経て、GHQにより警察と消防の分離が勧告されました。
昭和22年(1947)4月に、当時の内務省は消防団令を公布し、新たに全国の市町村に自主、民主的な消防団が組織されました。

豊野村でも、約30名からなる消防団が組織され、オート三輪(三輪のトラック)の消防車が使用されました。写真のオート三輪の消防車は、荷台に座席と手すりが設置され団員が乗車しています。

昭和29年(1954)、1町4村の合併による春日部市の誕生と共に消防団も合併し、春日部市消防団となりました。

「警察と消防の改革」『新編図録 春日部の歴史』239ページ
『豊野村誌』1954年

2豊野村消防団のオート三輪車

動画で解説!神明貝塚(5回目)

本日(9/5)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の5回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。
まずは、動画の上映。著名な先生方が登場して、神明貝塚の重要性をお話しします。日本考古学の泰斗・小林達雄先生は「神明貝塚が伝える4000年前の人々のメッセージを我々は積極的に受け止めて、生活のなかに取り入れて活用していく必要がある」と語ります。文化財行政に携わる私たちにとって大変重みのあるお言葉です。参加された皆さんはどう受け止められたでしょうか。
写真:動画の上映

その後、展示室に移動して、学芸員が展示解説をします。
写真:ジオラマをのぞく参加者たち
時折、参加者の方から投げかけられる質問に受け答えしながら、終始なごやかな雰囲気で展示解説がすすみました。特製のジオラマや様々な資料をご覧いただきながら、学芸員の分かりやすい説明をきき、縄文時代のムラと当時の人々の暮らしの情景が目に浮かんできたのではないでしょうか。

「動画で解説!神明貝塚」は、残すところ9/12(水)の10:30と15:00だけです。また、展示最終日の9/16(日)にはギャラリートークも開催します。展示会終了まで残り二週間をきりました。お見逃しなく!!

記念シンポジウムを開催しました

平成30年9月2日(日)春日部市郷土資料館夏季展示を記念して、シンポジウム「発掘調査から分かる3800年前の縄文人のくらし」を開催しました。今回は、市教育委員会の発掘担当者による調査報告に加え、貝塚の調査についてご指導いただいた専門家の3名の先生方をお招きして、市内西親野井地区の神明貝塚の発掘の成果からみえてきた縄文時代の食文化をテーマにご講演いただきました。
はじめに、基調報告として、市教育委員会の文化財保護課学芸員が、発掘現場の写真や図版などを多用して、神明貝塚の発掘調査の成果と特徴をわかりやすく説明しました。
写真:森山氏報告

次に、米田穣先生(東京大学総合研究博物館・教授)からは「骨の化学分析からみる神明貝塚と東京湾沿岸の縄文時代人の食生活」と題して、縄文人の人骨の科学分析から、縄文人の食生活が多様であったことや、神明貝塚で発掘された縄文人は、内陸の資源を食している特徴があったことなどを、お話しいただきました。
写真:米田先生の講演

続いて、吉田邦夫先生(東京大学総合研究博物館・特招研究員)からは「炭化物から分かる神明貝塚の土器で煮炊きしたもの」と題して、土器に付着した炭化物(おこげ)から、縄文人の食生活を探る新しい科学分析の方法とその可能性について、お話しいただきました。
写真:吉田先生の講演

さらに、阿部芳郎先生(明治大学文学部・教授)からは、「神明貝塚の塩作り」と題して、東京湾沿岸の貝塚で確認された灰の中に含まれる焼けた微小生物の殻に着目して縄文時代の塩づくりにアプローチされ、神明貝塚の豊富な資料とその分析によって、新たな製塩活動の歴史を切り拓く可能性について、お話しいただきました。
写真:阿部先生の講演

最後は、登壇者4名によるパネルディスカッション。
会場からの質問を交えて討論し、人類学・考古学の連携によって明らかになったきたこと、これからの調査研究の課題、そして、神明貝塚を末永く後世に伝えていくことの意義など、意見が交わされてました。
写真:パネルディスカッション

会場は定員間際の190名の参加者でにぎわい、高名な先生の講演とあって、遠方の富山県からお越しの方もいらっしゃいました。シンポジウムは4時間もの長丁場でしたが、受講者の方からは、「専門的で難しいところもあったが、ますます興味を抱きました」「身近なところに貴重な遺跡があることに驚いた」「神明貝塚の国指定史跡を楽しみにしています」などのご感想をいただきました。

受講者の方々にとっても、春日部市にとっても、大変有意義な時間になったかと思います。
次年度も異なるテーマで、シンポジウムを開催する予定ですので、ぜひともご期待ください。

縄文体験を開催しました!!


平成30年9月1日(土)、午前と午後の2回、8月10日に続いて2日目の「さわってみよう!縄文体験」を開催しました。春日部市郷土資料館で開催中の「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベントです。
まず企画展示室で神明貝塚の時代の環境や調査で発見された女性の人骨、いろいろな模様のついた土器について、担当の学芸員が解説しました。

縄文体験 展示の解説

わかりやすい解説で、参加の子どもたちは、遺跡から発見された様々な遺物に興味をもってくれたようです。
その後は、粘土を使った土偶のマスコットづくり。楽しく作業して、皆さん上手に作ることができました。

縄文体験 土偶づくり

最後は、神明貝塚から出土した土器にふれる体験です。実際に持ってもらい、記念撮影も!

縄文体験 土器にふれる(1)

縄文体験 土器にふれる(2)

子供たちも、大人の方も、楽しく体験できました。

明日のシンポジウム、毎週水曜日の動画解説、最終日(9/16・日)のギャラリートークなど、まだまだ展示関係のイベントがございます。皆さまのご参加をお待ちしております。


建武記『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその59

『建武記(けんむき)』は、後醍醐(ごだいご)天皇によって開始された建武の新政に関わる法令や各機構の結番(けちばん・順番を決めて交代で出仕すること)をまとめたものです。
『建武記』には、建武3年(1336)4月、春日部氏一族の春日部重行が、後醍醐天皇より、京都市中の治安、警備をつかさどる武者所(むしゃどころ)の第6番に結番されたことが記されています。

春日部重行は、建武記に先立つ建武3年1月、足利尊氏との戦いに勝利しました。その勲功(くんこう)により同年3月22日、上総国山辺南郡(かずさのくにやまのべみなみぐん)と現在の春日部市域あたりの下総国下河辺荘春日部郷(しもうさのくにしもこうべのしょうかすかべごう)の地頭の職を与えられたことが、後醍醐天皇綸旨に記されています。


『建武記』国立公文書館内閣文庫所蔵
「春日部氏と建武の新政」『新編図録 春日部の歴史』48ページ

建武記
『建武記』部分(国立公文書館内閣文庫所蔵)
赤枠内に「春日部瀧口左衛門尉  紀重行」とある(下は拡大画像)


紀重行部分

動画で解説! 神明貝塚(4回目)

本日(8/29)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の4回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。

動画解説
市外の参加者のなかには、「春日部市にある神明貝塚の存在を初めて知った」と言われる方もおり、皆さん興味深々で動画を見ていました。

展示解説
動画上映終了後に企画展示室に移り、展示品をみながら学芸員が解説。
学芸員の丁寧で分かりやすい説明と、展示されている様々なものを見て、頭の中に神明貝塚の風景が広がったのではないでしょうか。


見学の様子
富多小学校の児童も先生と一緒に参加してくれました。

解説風景
「動画で解説!神明貝塚」は、展示会期中の毎週水曜日9/5・9/12の10:30と15:00に開催しています。お見逃しなく!!

神明貝塚キャラクター名、投票受付中

春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人の暮らし」展のオリジナルキャラクター。DVDパッケージや、限定の来館スタンプ(画像)にも登場し、様々な表情をみせてくれて、大変好評です。ですが、実は名前がありません。
画像:限定来館記念スタンプ
今回の展示では、来場の皆さまに、キャラクターの名前を投票していただいています。
女の子は、縄文時代の女の子で、神明貝塚で発見された女性の縄文人をモチーフにしています。好きな食べ物はヤマトシジミ。
土偶は、神明貝塚の縄文人のお墓にあった土偶をモチーフにしています。腰の袋にはクリの実が入っています。好きな食べ物はウサギ。
女の子は、①めいちゃん(神メイ貝塚だから)、②めいかちゃん(神メイカい塚だから)、③もんちゃん(縄モンだから)、④どきみちゃん(土器だから)
土偶は、①しんくん(シン明貝塚だから)、②しんちゃん(シン明貝塚だから)、③ぐうすけ(土グウだから)、④おやっきー(西オヤ野井だから)
のなかから、投票していただくことになっています。
皆さんも、名付け親の一人になってみませんか。
写真:名前をつけよう

幌墓『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその58

銚子口の古利根川沿いにある「幌墓(ほろはか)」は、この地で亡くなった武士を供養するため、嘉永7年(1854)に建てられたものです。
この石碑が「幌墓」と呼ばれるのは、亡くなった武士が幌と呼ばれる防具を身に着けていたことからです。

「幌墓」の由来として石碑には次のようなことが彫られています。
昔この地で命を落とした武者(幌武者:ほろむしゃ)を村人が葬(ほうむ)り、塚を築き、その後、幌墓と呼ばれるようになりました。武者の姓名も年も古い話のため伝わらず、いつごろの出来事か定かではありません。この古塚の周辺で闇夜(やみよ)にリンのようなものが見えることから、村人が怖がり、里正(りせい:名主)の川鍋氏が幌墓のことを調べて、上記の話を知り、嘉永七年仲春に供養のために建てたものです。(『春日部昔むかし』)

本文に続いて、葛飾蕉門(かつしかしょうもん)という俳諧(はいかい)の一門の人々が寄せた句が12句彫られており、18世紀中ごろから19世紀にかけて市域で盛んになった俳諧文化を示す資料としても貴重なものです。

*石に刻まれている「ほろ」の字は、「糸へんに晃」です。機種依存文字のため異体字で表示しています。

春日部市教育委員会『春日部市 昔むかし』1995 80ページ
春日部市教育委員会『図録 春日部の歴史』1998 109ページ
「俳諧の交わり」『新編図録 春日部の歴史』120ページ

幌墓

幌墓碑文拓本
本文部分の拓本

土器たちのその後②・・・

8月19日(日)は土器つくり教室の2日目。
参加者の皆さんが作成した土器たちは、野焼きの日を待っていました。

◇野焼きを待つ土器たち!約1ヵ月間の乾燥で茶色から色白に、また約1割程度、小さくなりました。


◇学芸員が土器焼きの準備!気温30℃超えにもかかわらず・・・



◇まずは火力で土器を温め、最後の乾燥を!はじめチョロチョロ・・・ご飯の炊き方と同じです!!


◇お昼過ぎからはカマに土器を入れ、本格的に焼きます。約2時間かけて600~800度まで火力をあげます。少し黒っぽくなってしまいましたが、ほぼすべてが割れずに焼きあがりました。完成!!



縄文人の技術を見習い、立派な土器ができました。今年は多数の方のご応募をいただき、抽選で47名の参加となりました。
また来年も行いますので、是非ともご家族での参加をおまちしております!!

土器つくり教室を開催しました!!

8月19日(日)に土器作り教室の2日目を開催しました。
今年は、連日の猛暑が続いているため午前中のみと短縮して実施しました。


△野焼きのカマでは火が入り、既に高温。カマの周りに土器を並べ最後の乾燥を。

開講式では1ヵ月ぶりに作成した土器や土鈴・土偶と再会し、野焼きの手順を説明。その後、観光振興課と農業振興課の職員が引率し、希望者はさっそく斉藤ブドウ園さんでブルーベリーの収穫体験を行いました。参加者からは「甘くておいしい」「春日部市内でこのような体験ができるとは・・・」という声を聞くことができました。

△黒や濃紺のブルーベリーがたくさん実っていました。どれを取ろうか迷ってしまいます。

収穫体験の後は、勾玉作りを行いました。
ろう石を紙やすりで削り形を作るので、皆さん手を真っ白にしながら夢中で作業していました。

△家族みんなで集中!!石が柔らかいのでゆっくりと削りました。

その後、閉講式を行い、解散となりました。
終了後は、職員が午後3時過ぎまで土器を焼きました。”火”焼けにもめげず、破損も少なくほぼ100%成功しました!
今回は、日程を変更しての実施となってしまいましたが、無事に終了することができました。暑い中、またスケジュールの変更もありましたが、参加いただき、ありがとうございました。
来年度も広報かすかべや市ホームページ等で参加者の募集を行いますので、ご応募お待ちしています。