ほごログ
緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
少し昔に使われていた道具を実際に手に取ったり、千歯こきを使い脱穀を体験しました。
今は機械で行っている作業も、昔は手作業で時間と労力を使っていたことを実際に感じていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
10月15日(月)榎の囃子神楽が公開されます
榎の囃子神楽は榎地区の香取神社に伝わったものですが、大正3年(1914)に榎地区の香取神社が神間地区の富多神社に合祀されたため、毎年10月15日の富多神社の例大祭でも奉納されます。
当日は、隣接する富多小学校の児童のみなさんも春から練習に取り組んだ舞の成果を披露します。ぜひお出かけください。
日時:平成30年10月15日 (月曜日) 午前10時~
(雨天でも実施)
場所:富多神社(春日部市神間663)
交通機関:朝日バス(春日部駅東口~関宿中央ターミナル行)立野バス停下車、徒歩5分
第27回「埼葛人権を考えるつどい」で神楽を披露
午前の部では、平成14年以来、総合的な学習の時間に『神楽』を取り入れている富多小学校の3~5年生の児童が大勢の来館者を前に堂々とした神楽を披露しました。また、日頃から神楽の指導を行っていただいている市指定無形民俗文化財「榎の囃子神楽」を伝承されている榎囃子神楽連の皆様もお囃子に加わり、大ホールに祭り囃子が小気味よく響きわたりました。
▲「おかめ・ひょっとこ」
▲「獅子舞」
▲「大黒舞」
次週15日(月)には富多小学校の西側、富多神社の祭礼でも子供たちの神楽が披露されますので、秋のひと時、江戸時代から伝承されている民俗芸能を引き継ぐ、子供たちの演舞を楽しんでみてはいかがでしょうか。
子どももお年寄りも「くらしのうつりかわり」展
この展示会は、小学校第三学年の地域学習に即して、少し昔のくらしや道具を展示するものです。小学生だけでなく、一般の方にもお楽しみいただける内容となっています。
会期中、市内の小学校の団体見学もありますが、近年つとに多いのは高齢者施設の方々の見学です。
先日もお見えになり、昔使った道具を前に「懐かしい」「昔はこうやってつかったんだ」などとお話しになっていました。
見学中、話題になったのは、次の道具。
「知ってるでしょ?」「こうやって使うのよ」と得意げに、付き添いの方にお話しされていました。
こたえは、郷土資料館でお確かめください。同展は、平成31年3月24日(日)まで開催しています。
北条氏房朱印状写『新編図録春日部の歴史』ーその64
後北条氏が関東を支配していた天正11年(1583)、北条氏房(うじふさ)が岩槻(岩付)城主になりました。
本日ご紹介する古文書は、天正17年(1589)3月24日、岩付城主北条氏房が、代官深井藤右衛門尉(ふかいとうえもんのじょう)と佐枝若狭守(さえだわかさのかみ)ならびに百姓中に対し、前例とおり諸役(しょやく・労働役)を免除するかわりに、人を集め、耕地の開発に励むようにと命じたものです。
この古文書は後年に写されたもののみが現存していますが、写された印影は「心簡剛(しんかんごう)」と刻まれた円形の印文であることから、氏房が発給した朱印状であったことがうかがえます。本文には
「御領所糟壁(ごりょうしょかすかべ)」とあり、当地の糟壁(春日部)は当時、岩付城の直轄地であり、また「糟壁」と表記されていたこともわかります。
なお、古文書の後段には、大普請(おおぶしん)ならびに棟別銭(むなべつせん・家屋単位で課せられる税)は賦課するとあります。大普請とは、領内の大規模な土木工事にかかる労働役のことですが、この時期には、後北条氏は各地の支城の普請を勧めており、豊臣秀吉との戦いに向けて「糟壁」の人々も軍備増強に動員されていった時代背景もうかがい知ることができます。
「北条氏房朱印状写」『武州文書』国立公文書館内閣文庫
『春日部市史 第二巻 古代中世編』1989
「後北条氏の滅亡」『新編図録 春日部の歴史』56ページ
粕壁宿めぐりが開催されました。
宿場町とは、幕府から宿駅業務を行うように指定された町のことで、粕壁宿は江戸日本橋を起点にする日光道中第4の宿場でした。
かつて粕壁宿の街並みがあった現在のかすかべ大通を、参加者の皆さんと一緒に巡りました。
◆宿内の解説板をたどりながら、近世~近代にかけての歴史について文化財保護課職員がご案内しました。
◆かすかべ大通り沿道周辺は、平成28年度に埼玉県より「歴史のみち景観モデル地区」に指定され景観上重要な地区となっているため、都市計画課の職員が取り組みについてご紹介しました。
◆様々な「こだわり」のもと生み出された春日部ならではの優れた食品を「かすかべフードセレクション」として認定しています。かすかべ大通り周辺にある認定品を取り扱う店舗を観光振興課の職員がご案内しました。
また、田村荒物店さんのご協力で、蔵の中も見学させていただくことができました。参加者からは、「貴重な体験ができた」、「春日部に長く住みながらも、身近な歴史を学ぶ機会がなく、大変有意義なひと時になった」との声が多くありました。9月27日はあいにくの雨となってしまいましたが、ご参加いただきありがとうございました。両日とも無事に終了することができました。
来年度も広報かすかべ等で募集をしますので、ご応募お待ちしています。
総武鉄道の開通『新編図録春日部の歴史』ーその63
東武野田線の起源は、明治44年(1911)に柏駅ー野田町駅(現野田市駅)間に開通した千葉県営鉄道野田線です。大正12年(1923)には、当時の野田町有志が設立した北総鉄道に払い下げられました。北総鉄道は、野田町駅から粕壁駅を経て、大宮駅までを結ぶ新線の敷設(ふせつ)免許を受け、昭和3年(1928)に建設を開始しました。
工事の進行に合わせて部分的に開通し、最後に江戸川を渡る橋の完成をもって全線開通となりました。また、北総鉄道は、昭和4年(1929)に総武鉄道と会社名を変更し、昭和19年(1944)に東武鉄道と合併しました。
写真の庄内古川橋梁(きょうりょう)は、藤の牛島駅、南桜井駅間に、昭和5年に開通したトラス橋で、”プラットトラス”と呼ばれる特徴的な構造で作られています。
「総武鉄道の開通」『新編図録 春日部の歴史』194ページ
豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
平成30年9月28日に豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
時代とともに変わっていった春日部を学芸員から説明を聞いたり、少し昔の生活について、説明を聞くだけでなく、当時使っていた物を触ったりして体験しました。
80年前の8歳の小学生の平均身長のパネルと背比べ♪
郷土資料館では、10月2日(火)から3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。
昔の懐かしい道具や写真を展示し、小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
神明貝塚の巡回展が始まります
さすがに郷土資料館での開催時のボリュームとまではいきませんが、神明貝塚の暮らしの様子を形作ったジオラマやパネルを中心に、先の企画展を”ギュッ”と凝縮した内容となっています。
巡回展の第一弾は、神明貝塚の地元でもあります庄和地区の庄和総合支所にて明日(9月28日)から開催します。是非ご覧いただければと思います!
また現在のところ曜日(休日祝日を除く)は決まっていませんが、神明貝塚の紹介動画を1階イベント情報コーナーで上映します。こちらも是非ご視聴ください。さらに支所に併設されています庄和図書館でも神明貝塚に関わる特集コーナーが開設されています。季節柄、読書の秋として、縄文人にアプローチしてはいかがでしょうか。
場 所:庄和総合支所(春日部市金崎839番地1) 1階エントランス
期 間:平成30年9月28日(金)~平成31年1月22日(火)(予定)
花蔵院の四脚門『新編図録春日部の歴史』ーその62
花蔵院にある四脚門(しきゃくもん)は、江戸時代中期の建立(こんりゅう)と考えられています。「四脚門」とは、2本の本柱のほかに前後に2本ずつ計4本の袖柱がある門の形式です。
花蔵院の四脚門は、多くの装飾や彫刻をもち、彩色(さいしき)が施されていた痕跡が残っています。昭和30年に埼玉県の有形文化財(建造物)に指定されました。
花蔵院は、当初、現在の江戸川の河川敷にあたる位置に建てられましたが、江戸川の改修工事により大正4年(1915)、昭和27年(1952)の2回にわたり、本堂、四脚門が移転しました。
平成19年(2007)~平成21年(2009)にかけて、四脚門は半解体修理を行い、建物のゆがみの改善や瓦屋根の軽量化がはかられました。さらに将来への保存に向けて、彩色の痕跡の剥落(はくらく)止めなども行いました。
「花蔵院の四脚門」春日部市教育委員会サイト
「春日部の寺院」『新編図録 春日部の歴史』105ページ
花蔵院の四脚門
彩色の復元図