ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

日光道中粕壁宿を語る墓石(粕壁・源徳寺より)

郷土資料館では、粕壁宿の商家や町並みについて調査をしています。先日、粕壁の源徳寺さんにうかがい、墓石の調査、お寺の由来などについて調査させていただきました。 #かすかべプラスワン

源徳寺さんには、棚倉藩士の石川弥五左衛門の娘のお墓があります。なぜ、陸奥国の棚倉藩(福島県棚倉町)の関係者のお墓があるのでしょうか。このお墓について、源徳寺さんには、次のようなエピソードが伝わっています。

 

安政6年(1859)11月、棚倉藩士の一行は、国元に帰るため、粕壁宿に宿泊しました。一行のなかには郡筑之進という藩士がおり、彼の妻サダこそ、家老の石川弥五左衛門の娘でした。11月5日、筑之進は、妻サダを粕壁宿の旅籠とも女郎屋ともいわれる「ミノヤ」で手討ちにしたといいます。理由は定かではありませんが「不義密通」であるとか。サダの亡骸は、ミノヤの近くの源徳寺に葬られました。

翌年、棚倉藩の石川弥五左衛門は、源徳寺に供養料を納め、さらに、円山応挙の門下生七名が描いた「七草の絵軸」をお寺に奉納したといいます。

源徳寺には、「棚倉藩石川弥五左衛門娘」と刻まれたサダの墓石、七草の絵軸(寺宝・非公開)が今に伝えられています。

写真:源徳寺にある棚倉藩士の妻のお墓

参勤交代制により大名は江戸と国元を行き来し、東北諸藩の大名が日光道中や粕壁宿を通行・宿休泊したことは、知られるところですが、粕壁宿の本陣史料は散逸しており、具体的なことは実はよくわかっていません。通行・宿休泊したのは、参勤交代の大名(お殿様)だけではありません。江戸と国元を常時行き来する人々、藩士や飛脚なども通行したことでしょう。そのことを物語る史料も少ないのです。

事件の真相や詳しい顛末は不明ですが、源徳寺に伝わるエピソードは、宿場町として賑わった粕壁宿の歴史を伝える貴重なお話です。往時の宿場町粕壁に思いをはせながら、訪ねてみてはいかがでしょうか。

※墓石の見学にあたっては、お寺、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。

「ほごログ」ぷちリニューアル

新年度の機構改革に伴い、部署の名称が文化財保護課から「文化財課」になりました。これにより、「ほごログ」もプチリニューアル。 #かすかべプラスワン

文化財「保護」課でないので、皆様に愛されてきた「ほごログ」の名称変更が危ぶまれましたが、「春日部市の文化財保護と活用・郷土資料館のブログ」の「ほごログ」となりました。

ページ上段のバナーを一新しましています。おすすめは、国指定史跡「神明貝塚」の調査風景。

画像:バナー

ほかにも数種類あるので、チェックしてみてくださいね。

圓福寺所蔵の文化財の公開~圓福寺祭~

 さわやかな春の陽射しが降り注ぐ4月2日(日)、一ノ割に所在する古刹圓福寺で3年ぶりに圓福寺祭が開催されました。

曼陀羅堂の公開

 

 

 

 

 

 

 

 

圓福寺本堂の左手、曼陀羅堂は毎年この日に限って市指定文化財が公開されます。

この圓福寺祭は圓福寺、社寺関係者に加え、一ノ割地区や商店街の皆さまのご協力で開催され、まさに地域一体となった文化財の継承と公開が実践されている機会です。

 

 

 

 

 

 

 

(左)木彫当麻曼陀羅図 (右)木彫釈迦涅槃図

 社寺所蔵の版木には、元禄年間に多数の文化財を製作した圓福寺第九世住職の光世上人の経緯や功績に加え、地元でのご開帳はもちろんのこと、宝永元年(1704年)、元文2年(1738年)、明和8年(1772年)に江戸へと出向き、ご開帳(公開)された記録が記されています。木彫当麻曼陀羅図をはじめ、木彫釈迦涅槃図などの木彫文化財は、今日でさえ移動が困難なほど大型で重量のある文化財ですが、交通手段も限られた江戸時代に江戸各所の社寺で公開された経緯からは数多くの人々の援助と労力があったことがうかがい知ることができます。文化財の継承、公開は「ひとから人へ」の原点が、この圓福寺祭での公開で改めて感じることができました。 

 令和6年もこの4月最初の日曜日に宗教美術の優品が公開されますので、ぜひ、お出かけしてみてはいかがでしょうか。

【休館のお知らせ】4月8日(土)午後、9日(日)

令和5年4月9日(日)は教育センターが埼玉県議会議員一般選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

〈休館日〉

令和5年4月8日(土)午後

令和5年4月9日(日)終日

#桜咲くかすかべ #葉桜 だって楽しもう

#春日部市 内の #桜 は #満開 です。見ごろですが、天気が悪しく雨で花が散りつつあり、葉が芽吹いてきている木もあります。まちなみ公園の桜も葉桜になりつつあります。 #かすかべプラスワン

写真:まちなみ公園の桜

桜の花見というと、気象庁の開花予報や桜前線とかいう情報を週末の休みと重ね合わせながら、「今年は開花が早いから葉桜かなー」とか「屋台が出る前に桜散っちゃうなぁー」とか、毎年ヤキモキしている方も多いのではないでしょうか。

郷土資料館では、現在「春の花*春日部」展を開催しています。その準備で展示担当者も初めて知りましたが、現在の桜の開花予報や桜前線は、ソメイヨシノという品種を基準に情報発信をしているそうです。ソメイヨシノが普及する以前、江戸時代末期よりも昔の人たちは、様々な品種の桜が次々に咲き、散っていくのを長いスパンで楽しんだそうです。なかには、葉桜になる季節まで花見を楽しむ人もいて、長ければ開花から一か月くらいは桜の花見をしたそうです。

昔の人たちの精神性に倣い、雨で桜の花が散って、葉桜になっていても、桜の花見を楽しんでみる、というのはいかがでしょうか。 「春の花*春日部」展では、先人たちの春の花の楽しみ方を学び、私たちの花見のあり方を考えるきっかけになれば、と企画したものです。ご期待ください。参考文献:佐藤俊樹『桜が創った「日本」』(岩波新書、2005年)

 

さて、ついでに桜の植わるまちなみ公園の話をしましょう。

まちなみ公園は、かつて粕壁町役場が建っていたところ。役場の庁舎は、大正14年(1925)に建設され、春日部町、春日部市の時代にも使用されました。市役所が現在の庁舎に移転する昭和45年(1970)末まで、春日部市役所の庁舎として使用されていました。下は昭和11年(1936)ごろの粕壁町役場です。

写真:粕壁町役場

昭和46年(1971)6月からは、市立図書館として転用され、昭和58年(1983)5月まで使用されました。その後、公園として利用されるに至っています。下は昭和46年(1971)市立図書館時代の様子です。

写真:昭和46年春日部市立図書館

まちなみ公園という名称は、江戸時代以来の宿場町の通り沿いの字名(あざな)「字町並」に由来しているのでしょう。実は厳密にいえば、旧町役場の旧地番は粕壁町4392番で「字内出」になるので、なぜ「まちなみ」と名付けられたのかは謎です。

古写真をみると、何となく面影が残っていますね。かつては役場や図書館として賑わっていたことを桜の木は知っているのでしょうか。まちなみ公園に桜の木がいつから植えられたのかは、残念ながら不明です。一本一本の木や、木のある場所の歴史や背景を楽しむのも、また郷土資料館的な桜・花見の楽しみ方の一つとなりましょうか。

春の花*春日部展みゅーじあむとーく

3月19日(日)「春の花*春日部」展のみゅーじあむとーくを開催しました。 #かすかべプラスワン #春の花総選挙

午前中は少人数、午後はたくさんの方にお集まりいただきました。

花をテーマにした展示とあって、女性のみなさんが多かった印象です。

桜のみならず、藤、桃、牡丹の花で春日部の歴史が文字通り彩られてきたことを解説しました。

写真:午前のみゅーじあむとーく

写真:午後のミュージアムトーク

 特に評判だったのが、床面に貼り付けている市域の60年前の航空写真。ここに、明治前期の迅速図から読み取った桃林の分布を表示しています。みなさんが普段過ごしている身近な場所が桃林だったことに、驚かれた模様です。担当者も市域の桃林が意外に広かったことに少し驚きました。

写真:春の花*春日部総選挙

展示期間中、展示のテーマとなった4つの花の人気投票を実施しています。題して「春の花*春日部総選挙」。現在、藤が優勢です。ぜひイチオシの花に投票してみてくださいね。

次回のみゅーじあむとーくは、4月22日(土)10時30分~、15時~を予定しています。展示は5月2日(火)までです。

凧作り教室を開催しました

3月18日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、今年度2回目の凧作り教室を開催しました。当日は、小学生を中心に15名に参加いただきました。

第1回目の様子はこちらをご覧ください。

5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。11月に作った人も、今回作った人も、ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。

凧作り教室

今回は、先日、資料館を見学した粕壁小学校の子どもたちにも多く参加していただきました。

骨付け1

骨付け2

骨付け4

凧は和紙と骨(竹ひご)を使った約60㎝の本格的な角凧で、あらかじめ家で凧紙に絵や文字を描いてきてもらい、紙に骨を貼り付けるところから始めます。

骨には、あらかじめ両面テープが貼ってあり、また紙にも骨を貼る位置に鉛筆で線が引いてありますので、簡単に貼ることができます・・・ですが、意外と骨が長いので、お父さんやお母さんに手伝ってもらった子も多かったようです。

凧は、このあと糸目をつけて、上げ糸をつけて完成になります。

資料館の凧

今回は見本用に資料館でも、うめわかくんの凧を製作しました。

さっそく資料館に展示しましたので、ご来館の際はご覧ください。

 

凧作り教室は、また来年度も開催します。どうぞご参加ください。

 

#桜咲くかすかべ 郷土資料館にも #桜 咲きます

3月18日(土)より、春日部ハルのキカクテン「春の花*春日部」展が始まります。本展は春の花咲く春日部で春のお花をもっと楽しむための企画展示です。 #かすかべプラスワン

春日部のゆかりの春の花は、藤だけじゃない。春日部の歴史にとって、桃、藤、牡丹、そして桜は、縁の深い花です。今年も微力ながら「桜咲くかすかべ」を盛り上げんがため(むしろ便乗して)、「春の花*春日部」展から、桜の話題を一つ。

でばりぃ資料館小学校の団体見学で、市内の小学校の児童たちと触れ合うなかで、彼らの身に着ける名札や黄色い帽子に桜、藤があることに気づきました。なんと、桜や藤は、市内の学校の校章のモチーフに取り入れられていたのです。学校要覧や各校のブログ・学校だよりなどを手掛かりに桜と藤の校章をピックアップしたのが下の図です。

画像:桜と藤の校章

桜をモチーフとする校章は新旧合わせて6校、藤は3校見出しました(もしかすると武里南小は桔梗かもしれない説が浮上しています。要検討)。

桜の校章は、まず校名(地名)に「桜」がはいる学校、南桜井小・桜川小にありました。「南桜井村」は明治22年(1889)に成立します。桜川小は昭和50年(1975)に開校する新設校。校名は南桜井と川辺から「桜川」と名付けられました。他方、「桜」の校名ではないですが、粕壁小・幸松小・富多小(江戸川小中学校に統合)にも「桜」をモチーフとした校章が採用されています。3校はいずれも明治時代に開校した伝統校です。卒業・入学の時期に「桜」は学校のはじまりとおわりを象徴する花でもあり、校章にも取り入れやすい花だったということなのでしょうか。また、明治時代半ばに「桜」は「日本らしさ」をイメージするものとして普及しました。そうした時代のなかで桜の校章が創られた可能性もあります。いずれにしても、桜の校章が生まれるのは、古くても明治時代以降のことでしょう。

手元の資料では、校章制定の年次や理由・背景はわからないのですが、粕壁小については、昭和14年(1939)築の旧木造校舎(下の写真)に掲げられていた校章を郷土資料館で保管しています。これと現在の校章を比較すると若干デザインが異なっています。もしかすると、粕壁小の現在の校章は、実は比較的新しい(もしかすると戦後に制定された?)のかもしれません。

藤をモチーフとする学校は、牛島小(昭和50年開校)、藤塚小(昭和54年開校)、春日部南中(令和元年開校)で、いずれも新設校です。藤が校章に取り入れられたのは、おそらく市の花が藤(フジ)だからでしょう。市の花の制定は昭和48年のことです。学区内に牛島のフジがあること、藤のつく地名であること、また市の花が藤であることが制定の理由だと思われます。

校章にみる春の花は、古ければ明治時代までさかのぼれますが、もしかすると意外に新しいものなのかもしれません。校章の成り立ちや制定までの過程は、今後追跡調査したいと思っています。校章からみれば、桜と藤は春日部にとってゆかりのある春の花であるといえるでしょうか。

写真は解体前の粕壁小木造校舎。町のシンボル的な建物だったので、懐かしい方も多いのでは?

「春の花*春日部」展では、屋根付近の建物正面に掲げられている校章(実物)を展示して、郷土資料館に桜を咲かせます。ぜひお楽しみに。

3月19日(日)には、みゅーじあむとーくも開催しますので、ぜひ資料館の桜もお楽しみ下さい。10:30〜、15:00〜(30分程度)

写真:粕壁小学校の木造校舎

【出張授業】「でばりぃ資料館」in八木崎小学校

令和5年3月15日(水)に八木崎小学校へ出向き、第3学年の児童に向けた、『でばりぃ資料館』を開催しました。

『でばりぃ資料館』は、郷土資料館での展示や体験をお届けする出張授業です。令和2年から始動して、今年で3年目。だんだんと学校の先生方にも浸透してきたでしょうか。

 

今回のでばりぃ資料館は、児童会室で「昔の家の道具」、多目的室で「昔の学校の様子」「60年前の春日部の様子」と3つのテーマを分け、3クラスが25分ずつ巡回する形式で開催しました。

 

昔の家庭の道具コーナー

昔の家の道具コーナーでは、昔の家庭で使われていた民具を展示し、さらに手作業での精米の方法にも触れました。

手回し洗濯機などの珍しいものに興味津々!どの児童も、気になったことや、わかったことをしっかりとプリントに書き記していて素晴らしかったです!

 

昔の学校の様子コーナー

昔の学校の様子コーナーでは、昭和30年代の給食の献立表に驚いたようです。それもそのはず、献立にはご飯があまりなく、パンがほとんどだったからです!今当たり前に食べている白いご飯が、昔は貴重なものだったんですね!

自由時間には昔の子供と背比べができるパネルなども人気がある様子でした♪

 

昔の春日部の様子コーナー(千歯扱き体験)

60年前の春日部の様子コーナーでは、八木崎周辺には当時何があったのかなどを学びました。

八木崎小学校が開校したのは1972年の約51年前ことです。今回は約60年前の空中写真を用意したので、八木崎小学校はまだ存在せず、周辺の多くは田んぼでした。

田んぼと関連して、稲の脱穀体験も今回はこちらのコーナーで行いました!

 

今回は各コーナー25分の時間があったため、説明だけでなく、自由見学の時間もしっかり確保でき、児童も満足度も高かったように思います♪

 

郷土資料館は八木崎小学校からさほど遠くないのですが、聞いてみると意外と資料館に来たことがある児童は少ない様子。今日のでばりぃ資料館で興味をもってもらえたでしょうか!土日も開館しているので、ぜひ遊びに来てくださいね♪

春日部「ハル」のキカクテン「春の花*春日部」展

令和5年3月18日(土)から、企画展示「春の花*春日部~もも*ふじ*ぼたん*さくら~」が始まります。おじさんが無理をしてチラシをポップに仕上げてみました。 #かすかべプラスワン

春日部は、春の花とゆかりの深いまちです。とくに、藤(フジ)は、国特別天然記念物「牛島のフジ」が所在することから、市のシンボルとして、広く知られているところです。これまで、藤(フジ)については、ここ数年、藤(フジ)の花咲くこの季節にミニ展示を開催し、ご好評をいただいてきたところです。

今回の展示は、少し欲張って、藤(フジ)を含む、春日部ゆかりの春の花で特徴的な桃(モモ)、牡丹(ボタン)、そしてお花見でおなじみの桜(サクラ)についても紹介します。去年のブログを見ていたら、それをにおわすような記事を書いていました「花のまち春日部」毎年春に恒例のイベント「桜咲くかすかべ」に引き寄せられたところもあります。

「春日部ハルのキカクテン」(春のパン祭りの言い方で)のキャッチコピーは「春の花咲く 春日部で 春のお花をもっと楽しむための 企画展示」

展示をご覧いただければ、春の花、お花見をもっと楽しめるかもしれません。

「春の花*春日部」展、目下、準備中。こうご期待。

写真:ポスター

展  示  名:春の花*春日部~もも*ふじ*ぼたん*さくら~

会  期:令和5年3月18日(火)~5月2日(日) 月曜・祝日休館

会  場:春日部市郷土資料館企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15)

関連事業:

①みゅーじあむとーく 3月19日(日)・4月22日(土)各日10:30~、15:00~ 予約不要。時間までに展示室へ。

②展示解説講座「もも*ふじ*ぼたん*ものがたり」4月30日(日)10:00~12:00 事前申し込み制(定員30名) 申込は4月12日(水)から。