ほごログ(文化財課ブログ)

カテゴリ:郷土資料館

次回 #企画展 のチラシが完成しました

次回は毎年恒例の「くらしのうつりかわり」展。一昨年度から同時開催の「なぞとき郷土資料館」も開催します! #かすかべプラスワン

 画像:くらしのうつりかわり2024チラシ

チラシはデザインを一新。「なぞとき郷土資料館」とのコラボチラシです。

「くらしのうつりかわり」は、古くて100年前の生活道具などを展示し、昔のくらしの様子を知ってもらう企画展です。陳列予定の資料は、かつてはありふれたモノでしたが、今はなかなか見ることができないものも並ぶ予定です。今年は、春日部の特産品について展示しようと画策していますが、どうなることやら。いずれにしても、チラシはシンプルなデザインにしました。

打って変わって、「なぞとき郷土資料館」の紙面はカラフルです。担当者力作のデザインです。天使のうめわかくん、悪魔のぐうすけも可愛らしい。絶賛準備中なので、後報をお待ちください。

 

事業名:くらしのうつりかわりーなつかしのくらしの道具展ー・なぞとき郷土資料館THE THIRD MISSION

会 期:令和6年10月8日(火)~令和7年3月2日(日)

費 用:無料

 

 

 

【講演会中止】館蔵資料にみる #台風

9月1日に開催予定だった「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」は、台風接近・影響を鑑みて、中止となりました。担当者・職員一同、皆さんにお会いすること、最新の成果が紹介されることを楽しみにしていたので、大変残念です。

今回の台風10号により、市内では「春日部コミュニティ夏まつり」をはじめ、各種イベントが軒並み中止となっています。一種の喪失感を感じ、やるせない思いが募るばかりですね。

しかし、台風を侮るなかれ。春日部の歴史においても、台風は様々な被害をもたらしてきました。今回は、相次ぐイベント中止によるやるせない感情を穴埋めすべく、春日部における台風の歴史を館蔵資料から瞥見してみましょう。

台風に関する館蔵資料は、江戸時代の古文書などもありますが、多くは現代になってからのもの。特筆すべき台風としては、やはり昭和22年(1947)のカスリン台風でしょう。被害の写真も残っていますし、カスリン台風については、以前紹介したことがありますので、今回は割愛します(知らない方はぜひご覧ください)。

今回は、この資料から。

 写真:出資証券

資料は、昭和23年9月に発行された「春日部町六三制教育施設組合出資証券」。当時、国内では、六三制の義務教育制度が実施されましたが、新制中学校の校舎や教室が不足し、社会問題となっていました。春日部町も同様で、中学校の校舎建設が渇望されましたが、戦後財政状況が困難を極めるなかでの資金の工面が課題となっていました。そこで、春日部町では、中学校校舎建築のための資金調達として、町民に資金の出資を募りました。出資者には、この証券が発行されることになったのです。出資証券は、旧春日部町域(粕壁地区・内牧地区)の旧家の方からご寄贈いただくことが多く、総額1000万円を集金したといいますから、かなり広範に出資・発行されたものとみられます。

この資金などを元手に、粕壁浜川戸の地に新制中学校の校舎が建設されましたが、完成目前の昭和24年(1949)8月にキティ台風により北校舎が倒壊してしまい、その後の復旧工事を経て、昭和26年(1951)8月にようやく落成式を迎えたそうです。実は、建設途中にキティ台風の被害があったこと、資料寄贈者の聞き取り調査で教えていただきました。

 

このほか、広報誌の古写真のなかにも台風被害の様子を撮影したものがみられます。下は、昭和34年(1959)9月の写真。

写真:昭和34年9月の被害

当時の広報誌(昭和34年10月・33号)には、「台風のツメあと」「今月もゆだんできない」の記事が掲載されています。広報誌によれば、台風15号の被害により、水稲被害により収穫量が1割減、秋ナスは全滅に近く、市内の屋根・看板や瓦は吹き飛ばされ、トタンぶき屋根、塀の被害は無数で、新築中の家屋が1棟倒れた、と報告されています。写真は、この時に撮影されたものと思われます。奥の木造校舎は粕壁小学校でしょうか。校庭の木々が根元からなぎ倒されています。

 次の写真は、昭和47年(1972)8月の広報誌(187号)に掲載された写真ネガから。

写真:昭和47年

奥にみえる建物には「中屋クリーニング」の看板がみえます。当時、同店は、現在の春日部郵便局付近にありましたので、写真は現在の市役所通り、ちょうど旧庁舎の前のあたりを撮影した写真とみられます。台風によるものかは不明ですが、雨により道路が冠水してしまっています。この辺りは、かつて馬草場と呼ばれた後背湿地でしたので、急激な都市化が進み、排水機能が不十分だとこのような状況になってしまいました。現在は、首都圏外郭放水路や「新方川、会之堀川流域における浸水被害軽減プラン」などによって、排水環境が向上し、市役所通りの冠水は見かけなくなりました。

館蔵資料により、台風は、たびたびこの春日部の地に爪痕を遺してきたことがわかります。台風が接近してきたら、風水害に備え、予定していた楽しみも少し我慢して、災害を未然に防ぐ必要があること、いま一度、再確認する機会となれば幸いです。

<中止>9月1日講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」は中止します

9月1日(日)開催予定の講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」は台風10号の接近により、中止とさせていただきます。

今後、リレー展示開催期間中の別会場での開催を検討しております。

 

リレー展示は、下記日程で開催予定です。

9月7日から9月29日 杉戸町カルスタ杉戸 パネル展示

10月4日から10月28日 松伏町役場 パネル展示

11月2日から12月1日 羽生市立郷土資料館 パネル展示

12月14日から令和7年1月13日 越谷市立図書館展示室 パネル展示

1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

#校歌 についてのお問い合わせ

先日、実習生に作業してもらった市内の小中学校校歌の調査してもらいました。本日、ほごログの記事をご覧になった方から、校歌の歌詞を調べたいとのお問い合わせがありました。 #レファレンス

「ほごログを読んだのですが...」というお問い合わせは、マスコミや市民の方からそこそこあるのですが、わずか2週間前の記事に対するタイムリーなお問い合わせだったので、少しびっくりしました。

お問い合わせの内容は、市内の現在の小中学校と義務教育学校の校歌の歌詞に登場する「ある題材」を確認したいとのこと。ホームページに校歌を掲載している学校もありますが、すべての学校の校歌がネット上に掲載されているわけではないようで、調べるのに苦慮されていたそうです。

学校の校歌、どうやって調べたらよいのか。郷土資料館は、展示や講座だけでなく、こうしたレファレンスにも陰ながらお応えしています。レファレンスといえば図書館ですが、図書館から問い合わせもあることも少なくありません。春日部の郷土の歴史文化を支える最後の砦と言っても過言ではない(と自負しています)。

さて、春日部市内の小中学校(義務教育学校)の校歌は、『学校要覧』という各学校(教育委員会)が毎年度発行する冊子に掲載されています。『学校要覧』は、市立中央図書館にありますが、蔵書検索上は平成18年度が一番新しいようです。最新の『学校要覧』は市役所の市政情報室でご覧いただけるそうです。

先日の実習生にも、『学校要覧』を参照してもらいながら、統廃合して現在は存在しない小中学校の校歌のテキスト化を進めてもらいました。

ちなみに、8月にオープンした「ハルカイト」(大凧文化交流センター)の1階宝珠花サロンには、宝珠花小学校と富多小学校の校歌の額を展示して、ハルカイト全体の展示の導入・象徴展示に位置付けています。

 写真:ハルカイト宝珠花サロン

今後のレファレンスのため、実習生の成果の披露として、宝珠花小学校・富多小学校の校歌を掲載しておきましょう。

宝珠花小学校 校歌
作詞 栗原 文美
作曲 日向 雅男

一、年ごとあける 大だこが
  五月の空に 競うよう
  ぼくもわたしも むね張って
  いつも 健やか
  元気に育つ

二、わか草もえる江戸川の
  つつみを行けば さわやかに
  ぼくもわたしも うで組んで
  いつも 楽しく
  足どりかるい

三、大きくゆめをみなもって
  町づくりする 宝珠花
  歌声ひびく まなびやに
  いつも 明るく
  心がはずむ

(平成17年度学校要覧による)

 

富多小学校 校歌
作詞 昭和四十二年教職員一同
補作 松崎 祐存
作曲 土肥 泰

一、東の空に 筑波嶺を
  高く仰いで 胸張って
  進め学びの この道を
  われらの富多小学校

二、緑の堤 江戸川の
  清い流れの 限りなく
  伸ばせ力を この夢を
  われらの富多小学校

三、葦の葉繁る 荒れた地を
  開いた祖先(おや)の 精神(こころ)継ぎ
  励み鍛えん この園に
  われらの富多小学校

(平成17年度学校要覧による)

大凧あげの背景 #ハルカイト 展示室より

いまや春日部の代名詞でもある大凧あげ。5月に大凧あげを開催する地元=西宝珠花は大凧の里として知られています。そうした大凧の里に、今月にオープンしたのが、大凧文化交流センター(愛称:ハルカイト)です。

ハルカイトの展示室では、大凧文化や、郷土の歴史・文化の発信をしています。春日部の「ハル」、凧の「カイト」の愛称の通り、大凧あげに関する展示が一つの主題・見どころになっています。2階の大凧文化展示室では、パネルや模型を展示し、大凧の歴史文化についてコンパクトにまとまっています。大凧揚げのトリックアート、記念撮影もでき、楽しみながら大凧あげの理解が深まります。

ところで、大凧あげは何故、西宝珠花の地ではじまったのでしょうか。

地元に伝わる話によれば、天保12年(1841)に浄信(じょうしん)という巡礼の僧がこの地にやってきたとき、凧を揚げて養蚕の豊凶を占うことを勧めたのがきっかけで、凧が「舞い上がる」と「繭が上がる」に通じることによったものとされています。以後、西宝珠花の上町(かみまち)と下町(しもまち)の二組が競って凧を揚げ、次第に凧の大きさが大きくなり、現在の大凧揚げに至ったといわれています。

大凧揚げの起源には、養蚕が関係している。そして、西宝珠花の町の人たちが凧を大きくしていった。この2つのポイントがミソです。

大凧揚げの歴史のポイントを紹介しているのが、2階の歴史民俗の展示室(展示は郷土資料館担当)です。

大凧揚げの起源としての養蚕、そして西宝珠花の町の歴史・特徴を展示室3で紹介しています。しかし、実は、宝珠花地区における養蚕の資料(民具や文書・記録)は伝わっておらず、庄和地域の農家に伝わる養蚕の道具を展示しています。大凧揚げの起源であるのに、養蚕が起源というのが本当なのかと疑ってしまうほど資料が少ないという、何とも学芸員泣かせです。

写真:養蚕のコーナー

先日、展示をご覧いただいた元教員の方に、養蚕の展示が貧弱だとご叱正いただき、少しでも養蚕のリアリティーの足しになればと、繭を大量に寄贈いただきました。繭は学校の教材用に大量に譲り受けたものだそうで、今日は、蚕が繭をつくる上蔟網に繭をひっかけてきました。

写真:繭

もう少しマシマシでひっかければよかったかな。。。

郷土資料館で担当した歴史民俗展示室は、大凧文化展示室に比べれば、一見地味で、見栄えはしないかもしれませんが、知る人ぞ知る、大凧文化の発信にも寄与しているはずの展示なのです。大凧揚げのもう一つのポイント、西宝珠花の歴史については後日にしましょう。

 

平日の展示室には施設を利用する地元の方がチラホラ。

写真:映像をご覧になる皆さん

1階の展示室(宝珠花サロン)のタッチパネルシステムでは、動画や古写真もご覧いただきます。

オープンから1か月経ち、郷土資料館のお客さんからも「ハルカイト見に行ってきたよ」なんて、ご感想をいただいています。ぜひお立ち寄りください。