カテゴリ:郷土資料館
「都鳥が見た古代」展示解説講座を開催しました
7月28日日曜日、夏季展示解説講座を開催しました。
当日は、ホールで開催する予定だったのですが、空調に不備があり、急遽、研修室での開催となりました。ご参加いただいた方にはご迷惑をおかけしました。
講座では、展示内容に沿って、なるべく春日部で発見された奈良時代・平安時代の遺物を多くとり上げて解説しました。
春日部の奈良時代・平安時代の遺跡は、台地上では、宝珠花地区の貝の内遺跡や陣屋遺跡、低地では、春日部駅から八木崎駅の東武アーバンパークライン(野田線)北側の自然堤防上に広がる浜川戸遺跡や八木崎遺跡などが代表的です。
春日部市域は大部分が中川低地という低地ですが、低地の中には、自然堤防と呼ばれる川によって作られた微高地があります。川は、洪水のように多くの水が流れた時に、同時に流されてきた土砂を川の両岸に積み上げ、あたかも堤防のように川に沿って微高地が形成されます。この自然堤防を地図上に落としていくと、現在の河川が、現在とは違う流れになっていることや、現在全く川が流れていない地区にも、かつては川が流れていたことを推測することができます。自然堤防の分布は、国土地理院の「地理院地図」→「治水地形分類図」などでお確かめください。(地理院地図)
川は、奈良時代・平安時代、船を使って、荷物を運んだり、人が行き来するための重要な交通手段であったと考えられます。浜川戸遺跡や八木崎遺跡は、こういった舟運の拠点であった可能性もあります。
ちなみに、今回の夏季展示では、平成9年、埼玉県立春日部高校の新校舎建設の際に行われた発掘調査で発見された八木崎遺跡の遺物を多く展示しています。
郷土資料館の夏季展示は以下の通りです。またこの後も、イベントも予定しておりますので、どうぞご参加ください。
春日部市郷土資料館 第70回企画展示
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)
開館時間:午前9時から午後4時45分
休館日:毎週月曜日・祝日
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)
共催:東部地区文化財担当者会
(関連イベント)
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。
講師:鬼塚知典(春日部市)、守屋健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
日時:9月1日(日)13:30から17:00
場所:教育センター視聴覚ホール
定員:100人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●ミュージアムトーク
企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。
日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用:無料
申し込み:不要
手づくりおもちゃクラブを行いました #博物館実習
7月28日(日)は、午前、午後に手づくりおもちゃクラブを行いました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
今回のおもちゃクラブでは、私たち博物館実習生の3人も設営・補助に加わりました。私たち実習生は、参加いただいた皆さまに、春日部市飯沼にまつわる伝説の紙芝居を読み聞かせを行いました。読み聞かせは前日から練習を行った成果が出て、話すスピードや声量、読み聞かせ最中の目線の意識など参加した皆さまに最も良い結果で披露できたのではないかと思います。
その後の手づくりおもちゃ・缶バッジの作成では、参加した皆さまは、みんな笑顔でケガをすることなく無事に終えることができました。重ねまして、本日ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
#かすかべ地名の話 (6)#武里 その2
前回、武里は明治22年に誕生する、それほど古くない地名であることを紹介しました。 #かすかべプラスワン
また、明治17年には、備後村に聯合戸長役場が置かれ、地域・行政の中心的位置にあったにもかかわらず、22年の合併の際には、備後村の地名が採用されず、むしろ反対運動が起こったことを紹介しました。
反対運動があったことは、合併直前の明治21年の大枝村の議定書から明らかになります(『春日部市史近現代資料編Ⅰ』№14)。当時の南埼玉郡長は、近隣の「大村」であるとの理由をして、備後村を合併後の新村の名称にすると想定していたようですが、これに対して、大枝村では次のように反発しています。
何ントナレバ従来一ケ村ニ名ケラレ、備後村ノ称ヲ以テ、数ケ村ヨリ成レル新制区画ニ被ラシムルノ実ハ、新ニ他ニ数ケ村ヲ併呑センカ如キノ名アレバナリ聞ク、或村ノ人民ハ郡長ノ仮定スル所ヲ是レ認シ、七ケ村ヲ己ガ村名ノ下ニ立タシメン事ヲ希望セバト、夫レ或村人民ノ希望ハ我々他村人民ノ彼カ村名ヲ頂ヲ欲セザル所以ノ情実ヲ徴スベキ反応的ノ現象ナリトス、苟モ如斯ンバ、彼我相睥睨スルノ原流ヲ今日開キ、長ク名義上ノ争ヲ以テ実際交渉ノ円滑ヲ害フノ結果ヲ生セン、是レ我々人民カ永久ニ迎フベキ幸福アル自治ノ新天地ニ惜ムナキ能ハザル所トス、
すでに村名として使われていた「備後村」を合併後の名称とするのは、他の村を併合する場合だと聞いている。ある村の人は「備後村」の案を認め、またある村の人は「備後村」となることをよく思わない状況になっている。新たな村の誕生にあたり、村名をめぐって、住民が見下したり、軽蔑したりすることは、今後の自治の弊害となってしまう、と。
したがって、新村は「新撰ノ村名」を用いなければならない、と議定書に記されています。
備後村以外の七か村(大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村)では、村名について協議する委員を設置し、議論を重ねたようです。がしかし、議論は暗礁に乗り上げたようです。
のちに埼玉県でまとめられた「町村編制理由書」には、武里村の村名の選定の理由として次のように記されています。
大村名若シクハ各村名ヲ参互折衷シテ新村名ヲ付セント欲スルモ、協議整ハス、而シテ各村皆武里村ト称センコトヲ切望シテ止マス、其文字ノ依ル所ナシト雖トモ、之ヲ採ラサレハ、合併シ能ハサルニ至ル故ニ之ヲ採ル(『春日部市史近現代資料編Ⅰ』№17)
大きな村であった備後村は旧来の地名であり避けられ、また、新村を構成する村名の文字なども取り入れない方針がとられた模様で、「武里」の案が推されました。「武里」とは「武蔵野里旧称」によるものとされています(大正2年「武里村郷土誌」)。かつて、武里の地は、武蔵国埼玉郡に属していたため「武蔵野」、「里」は田んぼやお社のある農村という意味でしょうか。「武里」は、のどかな田園地帯が広がる当時の風景が思い起こされます。
この「武里」という地名を発案したのは、備後村の医師・石井立敬という人だったといわれています(武里中学校創立50周年記念誌『三色旗』、1996年)。確たる古記録はなく、地元に伝わる口伝のようですが、はじめは「武野里」と命名されたが、中野村(現武里中野)の「野」と重ならないように最終的に「武里」になったそうです(『三色旗』)。旧村の地名に重ならないように「野」を取ったというあたりが、上述した新村の名称をめぐる動向ともマッチしています。
さて、石井立敬は、幕末から明治後期の人で、在村医としてのみならず、国学・漢学も嗜んだ在村知識人でした(石井敬三「東武地方武里の俳人石井文竜翁について」『武蔵野史談』1-2、1952年)。晩年は牡丹の栽培に傾倒し、自らを「牡丹老人」と称しました。立敬の牡丹園は、明治中頃に備後の石井の牡丹園として知られ、東京から千住馬車鉄道で観光客が多く来客したといわれています。
郷土資料館では、立敬の肖像を所蔵しています。備後村の人でありながら、他の村の人たちも納得させる「武里」という地名を生み出したのですから、立敬が知識人として、いかに頼りにされていたのかが想像されます。以前の展示では、立敬を「春日部の牡丹の父」として紹介したことがありましたが、「武里の生みの親」でもあるのです。
何気なく普段つかっている「武里」という地名は、旧村の序列することなく、8か村が納得して合併するために生み出された造語の地名であったといえるでしょう。
ちなみに、「武里」は確かに武蔵国であり、武蔵野ともいえますが、それは江戸時代のこと。戦国時代以前は下総国であったはずです(それは香取神社の分布からよく主張される)。明治期の在村知識人の郷土の歴史認識が窺える地名ともいえましょうか。明治の造語とはいえ、様々な歴史的な背景・経緯のなかで、当時の人たちが考えた地名ですから、地元の皆さんはこれからも誇りにして伝えていただきたいなぁ、と思う次第です。
令和6年度博物館実習初日の活動
令和6年度の博物館実習が始まりました。今回のブログは実習生が担当いたします。
実習初日の午前中は、明日の子供向けワークショップに向けての準備を行いました。他の実習生や指導してくださった郷土資料館の学芸員の方と共におもちゃの作成や明日行う紙芝居の練習をしました。
特にぶんぶんゴマの遊び方には意外と苦戦しましたが、明日のワークショップでは子どもたちのいい体験になるように楽しんで帰れるように頑張りたいと思います。
午後には、まず、収蔵庫の見学を行い、資料の収蔵までのプロセスや保管方法について説明して頂きました。
収蔵庫には、実際に春日部郷土資料館の展示でみられる資料よりも多くの資料が保管されており、なかなか見られることのない資料館の裏側が見られてとても貴重な体験になったと思います。
その後は、博物館に関するディスカッションを行いました。
ディスカッションでは、理想の博物館について、そして春日部郷土資料館についてどう考えるかというテーマで話し合いました。
理想の博物館については、「地域を身近に感じることができる館」が理想であるという考えが多く出ました。
一方で、春日部市郷土資料館については、「体験的なワークショップが行われている点が良い」「狭いスペースでありながらも地域についてわかりやすい展示がされている」といった意見が出ました。
郷土資料館での実習期間を通して、地域を身近に感じられる、地域を知ることができる博物館とはどのような博物館であるのか。そのような博物館を作り上げていくには自分たちはどのようにしていくべきなのかを考えられたらと考えています。
#かすかべ地名の話 (5)#武里 その1
久しぶりの春日部市内の地名の話題。今回は武里について。 #かすかべプラスワン #地名の由来
「武里」(たけさと)という地名は、小学校・中学校、市民センター(公民館)、団地の名称、それから東武鉄道の駅名として使用されており、春日部市の南部を構成する地域名称として、今も幅広く、そして根強く使われている地名の一つです。しかし、実は「武里」という地名は、それほど古くはない、というと驚く方も多いかもしれません。
「武里」が生まれたのは、明治22年(1889)4月の市制・町村制の施行(江戸時代以来の町村の合併)に伴う武里村の誕生をきっかけとしています。武里村は、備後村、大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村の8か村が合併して成立しました。現在も武里地区内で、住居表示で用いられている備後東・備後西、大畑、一ノ割、武里中野、大枝、薄谷、増田新田、大場は、江戸時代以来の地名ということになります。
武里村の誕生する以前、明治17年(1884)には、備後村聯合戸長役場が設置されました。備後村聯合戸長役場が管轄する村は、備後村、大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村で、のちの武里村の範囲を同じくするものでした。このなかで、当時、戸数・人口が最も多かったのは備後村でした。備後村に聯合戸長役場が設置されたのは、周辺村の中心的な村であったのかもしれません。以下は、備後村聯合戸長役場の文書(明治18年1月地誌編修)。
そして、明治22年に武里村の誕生を迎えるわけですが、村名は聯合戸長役場時代に中心的な位置を占めた備後の地名が採用されると思いきや、そうはならなかったのです。合併し、備後村となる事を、反対する動きがみられました。
・・・少し、長くなりそうなので、続きは後日にすることにします。
「都鳥が見た古代」開幕ーミュージアムトークを行いました
夏季展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」が開幕しました。
7月20日(土)は、午前、午後にミュージアムトークを行いました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
今回の展示のポスターでは、八木崎遺跡で発見された紡錘車(ぼうすいしゃ)をメインにしました。ポスターでは30㎝を超える大きさに拡大していますが、実際には5㎝にも満たない小さなものです。紡錘車は糸をつむぐ際に、中央の穴に棒をさしこみ、コマのように回して使われた道具です。
この紡錘車には、針のような工具で、6文字の文字が刻まれています。時計回りに「奉念随□道足」と書かれます。□としている文字は「佛」に近い字(”にんべん”が”しんにょう”)です。
読み下せば、「念(ねん)じ奉(たてまつ)り、仏(ほとけ)に随(したが)う 道足(みちたり)」となり、仏に何かを祈願することが想像され、仏教的な意味合いを持つのではと考えられています。(宮瀧交二 2002「3.八木崎遺跡第6号住居跡出土の刻書紡錘車について」『八木崎遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第281集)
なぜ、紡錘車にこのような文字を刻む必要があったのかは謎ですが、文字が刻まれた紡錘車は多く発見されており、単に糸をつむぐ以外にも、何らかの意味を持った道具であった可能性があります。
ミュージアムトークは、このあと8月15日(木)と8月25日(日)に予定しています。どうぞご来館ください。
春日部市郷土資料館 第70回企画展示
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)
開館時間:午前9時から午後4時45分
休館日:毎週月曜日・祝日
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)
共催:東部地区文化財担当者会
(関連イベント)
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。
講師:鬼塚知典(春日部市)、守屋健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
日時:9月1日(日)13:30から17:00
場所:教育センター視聴覚ホール
定員:100人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●展示解説講座「春日部の奈良時代・平安時代」
春日部市の奈良時代・平安時代の遺跡を中心に、郷土資料館学芸員が解説します。
講師:郷土資料館学芸員
日時:7月28日(日)10:00から12:00
場所:教育センター視聴覚研修室
定員:50人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●ミュージアムトーク
企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。
日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用:無料
申し込み:不要
#夏休み #自由研究 のお手伝い
いよいよ夏休み。多くの子どもたちが初日を迎えた7月20日。早速、郷土資料館に夏休みの自由研究のお問い合わせが。。。宿題をすぐにやるタイプですね。素晴らしい。 #かすかべプラスワン
問い合わせの一つは、自分の先祖調べ。身近な歴史を調べるという、学校の夏休みの宿題が出されたそう。昔の地図や絵図の調べ方、先祖の調べ方について、簡単にレクチャーしました。
もう一つは、自分の住んでいる地区の形(境界)がなぜそのようになっているのか、というもの。非常に難しいのですが、多くの場合は、江戸時代の検地(土地丈量・測量)に境界が定められ、こんにちに至っていると考えられます。水路や道が境界となったり、村に属する人(家)の所持地が境界となる場合もあります。近代や現代の開発などによって、境界が再設定されることもあるようですが、個別のケースを追跡するのは、限界があります。が、境界について考える資料を提供することができました。
夏休みの自由研究は、理科的分野がテーマとして設定されることが多いようです。たしかに、実験とか観察とか楽しいですからね。
けれども、夏休みにおうちの方といっしょに、自分のルーツ、住んでいる土地のルーツを調べてみるのも、悪くないと思います。そうした学習は「調べ学習」とか「郷土学習」とか言われ、地味で、大変そうですが、自分のルーツについて深く知ることで、ルーツについて誇りをもち、2学期を迎えることができるのではないでしょうか。
そうした「調べ学習」「郷土学習」に対するお問い合わせ、レファレンスに、郷土資料館は力を惜しみませんので、自由研究を何にしようか悩んでいるあなた、ぜひ挑戦してみてください。ただし、資料がなく、わからないこともあります(それが人文学の醍醐味ですが)。その点、ご了解ください。
【手作りおもちゃクラブ】ぶんぶんゴマと吹き上げパイプを作ろう!
7月28日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。
「手作りおもちゃクラブって何?」「どういうことをやるの?」と思われる方にちょっとご説明。
“手作りおもちゃクラブ”は、
①約100年くらい前に使われていた蓄音機を使って音楽鑑賞
②春日部に伝わる様々な伝説の紙芝居の読み聞かせ
③みんなで手作りのおもちゃ作り
の3つを取り入れた、お子様にっこりのイベントです!
作るおもちゃによって終了時間は異なりますが、全部で1時間満たない程度の時間なので、お気軽にご参加ください♪
今回作るおもちゃは「ぶんぶんゴマ」と「吹き上げパイプ」です。
皆さんも遊んだ記憶があるのではないでしょうか?
こどもだった頃、楽しく遊び、
大人になり、懐かしく振り返るもの。
そんなおもちゃをこれからの世代にも伝えていきたいですね!
本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年7月28日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
おもちゃづくり(ぶんぶんゴマ・吹き上げパイプ)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
#展示替 100年前の春日部夏祭り
週末は、夏の恒例 #春日部夏祭り というわけで、常設展の一部を展示替しました。 #かすかべプラスワン
といっても、せま~いので、ケース一つ分です。企画展示の展示替えもあり、急遽、スペースができたので、構想と準備は半日、という突貫展示です。
春日部夏祭りは、もともと、粕壁宿(町)の牛頭天王社(八坂神社)の祭礼を起源とします(詳しくは以前の記事参照)。古くは江戸時代の記録もありますが、資料館収蔵品には、大正10年(1921)の古写真や記録があり、すでに知られている写真絵葉書も一同に会します。そして、初公開の資料も。
この写真は、大正10年の上町の子どもたちの集合写真です。みな、着飾って、女の子は化粧をしています。
上町の「油米」「永庄」「厚見本店」などの半纏を着た保護者(?)が後方に立っており、粕壁町を代表とする上町の商家の子息たちのようです。初公開です。
夏季の期間には展示していますので、夏祭りを楽しむ方(事後・楽しんだ方)は要チェック。資料館に涼みに来たついでにご覧ください。
企画展が終わりました(反省)。そして、次期展示へ。
7月7日(日)で「まちをみつめて50年」展が終了しました。次期の企画展示がまもなく始まりますので、企画展示室を早速撤収しました。 #かすかべプラスワン #展示の反省
設営のときは、あーでもない、こーでもないと試行錯誤をしながら時間に追われ展示していくのですが、撤収はあっという間に終わります。
撤収作業のなかで、今回の企画展について、いろいろと顧みながら、反省もしました。
今回は、旧春日部市の市制施行70周年の区切りの年であり、新しい庁舎で業務が始まった年でありましたので、おおよそ70年間の市政の歩みについて紹介する企画でした。とくに、昨年度閉庁した旧庁舎にスポットをあて、市制の周年事業を柱にたてながら、展示を構成しました。
郷土資料館としては、企画展「1960年代の春日部」以来の現代史の展示になりましたが、1960年代の春日部にも重なる部分も多く、展示資料に苦労しましたし、昭和30年代から平成初頭に至るまでの資料が限られ、『広報かすかべ』の縮刷版が頼りであることや、縮刷版が出ていない平成10年代は資料がさらに限られており、現代史としての市政の歴史を見ていく限界を感じながら、展示をつくりました。
市政の歩みについては、油断すれば、市役所の建設に象徴されるように、建物(ハコモノ)やインフラの整備が進んだこと自体に目が移りがちになってしまいます。市が作成した市政の各種の年表も、おおざっぱにいえば、ハコモノやインフラの建設年表になっています。
資料館の展示としての目指すべき理想像は、市政に関わる人・人の顔がわかるような展示ですが、これも広報縮刷版や、わずかな行政資料では限界があり、また現代の方々のプライバシーなどに配慮すべきこともあり、展示ではうまく表現ができませんでした。また、何よりも市政の歴史的に歴史的な評価を下すことが難しい。現在にモロに直結する現代史の難しさを痛感しました。
そういうわけで展示は、旧庁舎と周年事業を柱立てにして構成しました。というより、せざるを得なかったというべきでしょう。暗澹たる思いで準備をはじめましたが、腹をくくって、市制40周年の「かすかびあん」にスポットを当てようと密かに画策して展示を設営しました。
「かすかびあん」については、前にも触れた通りですが、今年で「かすかびあん」誕生からちょうど30年の年でもありました。様々なグッズがあるなかで、実際に展示するなかで、おっ!と思ったのはこちら。
市制施行40周年で特産品協議会が制作したこのティッシュボックス。
正面には「かすかびあん」が。
この箱は、当然、春日部市の特産品である桐箱です。
だけど、ポピュラーな印籠蓋ではない。背面をみると・・・
なんと、茶道具や木彫などを入れる「オトシド」と呼ばれる技法の蓋になっています。
手がかかっているといえるでしょう。
さらに、天板と側面もよくみると・・・
ティッシュの出し口は麦わら帽子の形で、縁には麦わら真田が付されています。
「かすかびあん」もよくみると、少しモッコリしています。これは、押絵羽子板の押絵の技法で作られています。
いわずもがな、麦わら帽子も押絵羽子板も、春日部市の特産品です。
何気ない周年グッズだと思いきや、特産品の技術が集約されたティッシュボックス。市制の資料としても、伝統工芸の資料としても、春日部市を象徴するとても良い資料です。展示室が広ければ、常設展示に出してもおかしくない、「優品」です。
といった具合に、展示の準備をしながら、様々な発見が今回もありました。資料を実見していると、当時の人たちの思いや考えがヒシヒシと伝わってきます。市政の歩みとは、過去の人たちの様々な思いの積み重なりである、と改めて実感しました。展示で、その思いが皆さんに伝わったかどうかはわかりませんが、ご覧いただいた方には、過去の市政の歩みを振り返りながら、今の春日部市について考えていただく機会に少しでもなったのならば幸甚です。ただ、現代史の展示は、しばらくは勘弁してほしいなぁというのが本音ですが。
長くなりましたが、次期展示は絶賛準備中。ご期待ください。
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の販売を開始しました
埼玉県東部の市町で組織される東部地区文化財担当者会より、『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代』が刊行されました。東部地区の奈良時代、平安時代を考古学調査の成果から紹介します。郷土資料館、図書館等でご覧いただけるほか、販売もしております。
東部地区文化財担当者会:春日部市・越谷市・久喜市・八潮市・三郷市・蓮田市・幸手市・吉川市・白岡市・宮代町・杉戸町・松伏町・行田市・加須市・羽生市の文化財担当者で構成
(書名)『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代』東部地区文化財担当者会報告書第9集
(価格) 1冊2,000円
(購入方法) 直接、次の頒布場所で購入できます。
春日部市役所本庁舎4階文化財課
春日部市郷土資料館
宮代町郷土資料館(宮代町西原289)
(目次)
<プロローグ>
<1 東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡の概要>
はじめに
対象とする時代
対象とする地域と地形
東部地区に関係する代表的な河川
河川が作った地形
行田市の概要
羽生市の概要
加須市の概要
久喜市の概要
幸手市の概要
杉戸町の概要
宮代町の概要
白岡市の概要
蓮田市の概要
春日部市の概要
越谷市の概要
松伏町の概要
吉川市の概要
八潮市の概要
三郷市の概要
<2 住まいと建物>
竪穴建物
役所と掘立柱建物
<3 道具>
古代の土器
須恵器の流通
墨書土器
土師器焼成坑
鉄の道具と鉄作り
織物生産と紡錘車
<4 いのり>
仏教関連遺物
火葬墓
コラム
吉川市深井新田の自然堤防
万葉遺跡
屋敷裏遺跡の鉄製口琴
小敷田遺跡の木簡
条里
<エピローグ>
調査の経緯
スポットガイド
用語集
遺跡一覧
文献集
とあるおもちゃの開発記録
郷土資料館では例年7,8、10、11、12、1月に“手作りおもちゃクラブ”という、こども向けのワークショップを開催しています。
当日は蓄音機で音楽の上演、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3本立てです。
作るおもちゃは、昔から親しまれているものや、電気を使わずに遊べるものに限定しており、だいだい6~7種類ほど。作るおもちゃは毎回1~2種類なので、年間を通して参加すると、全種類のおもちゃを作ったことになります。
なかなか同じおもちゃを2度作りに来てくれる子は少ないので、担当としてはおもちゃの種類を増やそうと、日々新作の開発に余念がありません。とはいっても年に1種類増やせるかどうかですが。。。
現在は郷土資料館のおもちゃコーナーにも設置してある、人気の「アレ」をミニサイズにして簡易的に作れないか模索中です。
作成可能であれば講座で作りたいのですが、材料を揃え、どの程度まで準備しておくかなどの検討も必要なため、お披露目の予定はまだたっていません。現在も開発を進めていますので楽しみに待っていてください♪
“手作りおもちゃクラブ”の開催日は広報かすかべや郷土資料館のブログでお知らせしますので、ぜひチェックしてくださいね!
昭和は遠くなりにけり
6月30日、企画展「まちをみつめて50年」の展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」を開催しました。タイトルは受講者の方の感想です #かすかべプラスワン
講座では、昭和29年(1954)7月に成立した旧春日部市の市政の歩みを、広報かすかべの縮刷版や、郷土資料館に収蔵されている広報誌の古写真をスライドなどでみながら、振り返りました。
昭和30年代の広報誌には、赤痢や伝染病の注意を促す記事や、自動電話の開設、ネズミくじなどの記事があり、受講者の皆さんと当時の春日部市の状況を想像していただきました。
なかでも、担当者が気に入っている記事は、「なくそう春日部時間」というもの。
昭和34年6月の広報第29号の記事です。以下、引用してみましょう。
六月十日は「時の記念日」です。むかしの時刻は寺院などの時の鐘を鳴らして知らせていました。本市では二十年前の町役場当時からサイレンを正午にならして正しいときを知らせてきましたが集会の時間はなかなか守られず、市教育委員会の会議が比較的よいといわれるだけで、市議会でさえ五月までの成績によると本会議が三、四十分おくれ、委員会など一時間おくれが多いといわれます。公の会議がこのようですから一般の集会などは一時間おくれがあたりまえのように考えている方が多く、いつになっても「春日部時間」の追放ができないのはこまったことです。ラジオの時報に合わせて休みなくたあわただしいサイレンに恥を与えないようお互いのため「時間の励行」を新生活運動の一環として実行しようではありませんか。みなさまの代表新市議会議員によってこんどこそこの悪い習慣を打破していただくよう期待しています。この時間励行は全市民のことしの実践課題としてとりあげられぜひご協力をお願いいいたします。
当時の春日部では、時間を守る人が少なかった。そうした悪習を「春日部時間」と俗称していたようです。市議会をはじめとする公の会議ですらも、一時間遅れが当たり前。現代の私たちにはとても想像に及びませんが、まだ、ゆったりとし、牧歌的であった春日部の様子がうかがえ、むしろ微笑ましくも思えます。当時の春日部市は「田園都市」の建設を目指していました。「田園都市」とは、中心となる市街地が発展しつつも、その周りには農村部が残り、市街地と農村部とが有機的に絡み合うような都市、を意味しているようです。
しかし、昭和40年代ともなると、武里団地の入居開始、地下鉄日比谷線の延伸、埼玉国体会場となる大沼グラウンドの建設、そして、春日部駅の西側の開発などを経て、春日部市が目指す都市像が、「衛星都市」「近代都市」にすり替わっていくことになります。そうした「衛星都市」「近代都市」への「躍進」を象徴するものとして、昭和46年(1971)1月に前の市庁舎(二代目市役所)が完成することになるのです。二代目市役所の建設は、春日部市政にとって画期的な出来事だったのです。
昨年、二代目市役所が役割を終え、旧春日部市の市制施行から70年目の節目の年である今年に、新市庁舎(三代目市役所)が業務を開始しました。牧歌的、かつ近代都市として発展してきた「昭和」という時代が、遠くなり、時代が転換していくのが、まさに今なのかもしれません。
6月の近隣博物館・資料館の考古学情報
6月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」
・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」
・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」
・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」
・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」
・7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」
・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市)「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」
・7月13日(土)~9月1日(日)埼玉県立さきたま史跡の博物館「埼玉の考古おひろめ展―地中からのメッセージ」
(講演会・講座)
・7月28日(日)遺跡報告会 埼玉県立さきたま史跡の博物館 さきたま史跡の博物館 講堂(申込不要・先着順)
・8月24日(土)さきたま講座 埼玉県立さきたま史跡の博物館 黒坂禎二氏 「加須市長竹縄文盛土集落の復元」(要申込、7/6から7/29まで往復はがき、電子申請で申込)
(現地見学会)
・7月13日(土)港区高輪二丁目発掘調査現場 東京都埋蔵文化財センター
*春日部市郷土資料館では7月7日まで「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です
7月20日からは「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します
第70回企画展示「都鳥が見た古代」開催のお知らせ
7月20日から夏季展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します。
この展示では、埼玉県東部地区15市町からなる東部地区文化財担当者会と共催し、春日部市を中心に埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡から、当時の人々の暮らしを探ります。
春日部市郷土資料館 第70回企画展示
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」
会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)
開館時間:午前9時から午後4時45分
休館日:毎週月曜日・祝日
会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)
共催:東部地区文化財担当者会
(関連イベント)
●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」
埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。
講師:鬼塚知典(春日部市)、守屋健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)
日時:9月1日(日)13:30から17:00
場所:教育センター視聴覚ホール
定員:100人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●展示解説講座「春日部の奈良時代・平安時代」
春日部市の奈良時代・平安時代の遺跡を中心に、郷土資料館学芸員が解説します。
講師:郷土資料館学芸員
日時:7月28日(日)10:00から12:00
場所:教育センター視聴覚研修室
定員:50人(申込順)
費用:無料
申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請
●ミュージアムトーク
企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。
日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用:無料
申し込み:不要
人口急増時代の春日部ゆかりの資料
現在、開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示資料を少し紹介。今回は春日部市の人口がぐーんと上がった昭和40年ごろの資料。 #かすかべプラスワン
企画展では、昭和29年(1954)の(旧)春日部市の誕生から、現在の市庁舎が誕生するまでの市政のあゆみを、ギュギュっと紹介しています。なかでも春日部にとって、大きな転機となったのは昭和40年初頭。埼玉県で国民体育大会が開催され、駅西口の風景が大きくかわり、また、武里団地が造成され、市内に1万人規模の街が造られ、春日部の風景は大きくかわっていったのです。
当時の状況を物語る資料は無いかと、収蔵庫から探して並べたのが、下の資料。
手前の大畑小学校の表札は、大畑小学校が平成15年に閉校したときに収集したもの。大畑小学校は、武里団地の中に昭和41年(1966)に開校した小学校で、春日部市にとって、初めての新設小学校でした。団地の中にあるということからわかるように、武里団地が造成され、入居がはじまり、団地の子どもたちが通った小学校なのです。
奥のお人形と、ネズミとアヒルの壁掛けレリーフは、武里診療所旧蔵の資料。閉所した平成7年に収集したものです。武里診療所は、市立病院の出張所として昭和41年に武里団地内に設置されました。これらの資料は団地の子どもたちをあやすため置かれ、飾られたのでしょう。ネズミとアヒルは、世界的に著名なキャラクター。しかし、ちょっと顔が変?診療所設置当時のものか定かではありませんが、昔は類似品や海賊版があふれている時代。ライセンス品ではないのかもしれません。
そして、赤ちゃんの人形。目や髪がクリンとしていて、欧米系の顔つきのようにもみえます。ちょっと苦しそうな体勢で座らせているのは、背中を見ていただきたいため。
背中には「小児科」の文字が。これで、間違いなく診療所で使われていたものであるといえましょう。
いずれも、春日部市の人口が急増したときの資料です。人口の増加はグラフや年表にすれば一目でわかりますが、このような当時のモノからも、当時の世相や雰囲気を感じることができるのではないでしょうか。
展示は、7月7日まで。6月30日には展示解説講座も開催します。ぜひご覧ください。
#常設展 #プチ展示替
郷土資料館の常設展をプチ展示替しました。 #かすかべプラスワン
展示替したのは、毎度おなじみ、展示室の奥の奥の古文書展示のコーナー。
長らく、江戸川開削に関する古文書を展示していましたが、訳あって撤収する必要があり、近年、ご寄贈いただいた市内の不動院野の旧家に伝わる高札を展示しました。
この高札、慶応4年(1868)3月に太政官の名で出されたもの。日本史でも習う(はず)の「五榜の掲示」の一つです。
内容は、キリスト教などを禁止するもの。江戸幕府以来のキリシタン制禁の政策がそのまま踏襲されたものを示す高札です。
面白いのは、この高札の左隅に釘で打ち付けられた穴(写真の赤の矢印)があること。そして打ち付けられた木札(木片といったほうがよいか)も一緒に伝わっていることです。
なぜだか、写真が縦になってしまいましたが、木札には、明治5年(1872)正月付で、埼玉県の名があります。高札の旨を守ることと墨で書かれたもので、内容は何てことないのですが、高札に打ち付けられた木札、珍しいかもしれません。高札はずっしり重い堅木であるのに対し、埼玉県の木札は簡素な杉の木ってところも面白いです。
資料を受領しに、旧家にお邪魔した折り、市内に高札が「まだ」あったことに驚き、またこの珍しい?木札にさらに驚いた記憶があります。
ぜひご覧ください。
【臨時休館のお知らせ】
令和6年6月8日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。
ご迷惑をおかけしますが、ご注意ください。
6月9日(日)は通常通り開館します。
5月の近隣博物館・資料館の考古学情報
5月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」
・6月9日(日)まで 富士見市立資料館水子貝塚資料館・難波田城資料館 「ひらいた 考古館」
・6月23日(日)まで 栃木県立博物館 「栃木の遺跡」
・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」
・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」
・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」
・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」
・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」
・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市) 「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」
・6月8日(土)~7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」
(遺跡発表会)
・6月22日(土) 千葉県立中央博物館 「発掘された関東の遺跡2024」 要事前申し込み(6月7日〆切)
(現地説明会)
・7月20日(土) 台東区教育委員会 「北稲荷町遺跡(旧下谷小学校地点)遺跡発掘調査現場見学会」要事前申し込み(6月14日〆切)
*春日部市郷土資料館では「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です
みゅーじあむとーくを開催しました
5月25日、現在開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示解説を実施しました。
今回の企画展は、ざっくり言えば、旧市庁舎ができてから、閉庁するまでの春日部市政の歩みを紹介するもの。扱う出来事は最近のことで、郷土資料館の展示としては異例の極めて現代史的な内容です。
いらっしゃった方にも、はじめにお断りしましたが、今回の企画展は広報かすかべをたどりながら準備しているので、当時の様子や詳しいことがわからなかったり、最近の出来事を評価するにも難しく、至らない部分も多いです。ご参集いただいた市民の皆さんには、そうした点を様々にご教示、ご感想をいただけました。
珍しいのでは!?とご感想いただいたのが、こちらの資料。
昔、市が軽自動車(軽車両)に交付したナンバープレートです。
法令ができた昭和33年以降のものであるようですが、残念ながら、いつ頃のどんな車両につけていたものなのか、広報かすかべでは辿れません。自動車にお詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。
企画展は、いつもと時代の守備範囲が違う内容なので、お越しになる方がいらっしゃるのか、当日までわかりませんでしたが、お集まりいただいた方々は常連の方もいれば、はじめてお話しする方にもお越しいただき、写真の通り、そこそこ盛況のうちに終えることができました。また、知らなかったことをご教示いただけたので、担当者にとっても有意義な時間を過ごせました。