ほごログ(文化財課ブログ)

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8/15ミュージアムトークを開催しました

8月15日(木)、企画展示「都鳥が見た古代」のミュージアムトークを開催しました。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

ミュージアムトーク

 

名にしおはば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

この歌は、平安時代に書かれた伊勢物語の東下りの章で、在原業平が武蔵国と下総国をへだてる隅田川をわたる船で詠んだ歌です。川面に見慣れない鳥が見えたので船頭にたずねたところ、都鳥(みやこどり)と答えたのを聞き、都に残した恋人のことを思った歌です。

春日部市内を流れる古隅田川は、かつて武蔵国と下総国の国境であり、都鳥の歌の舞台であるという考えは江戸時代からみられました。粕壁宿の名主であった関根孝煕(せきねこうき)は、業平の故事にちなみ、「都鳥の碑」を春日部八幡神社内に建てました。

都鳥は、学名をユリカモメといい、春日部市の市の鳥に指定されています。赤黒いクチバシと足、耳のあたりの黒いブチが目印です。愛くるしい表情から、関東から九州にかけて8つの自治体で市の鳥などに指定されています。

ユリカモメは夏の間はロシアやアラスカにいて、10~11月ごろから冬を越すために日本やインドなどに渡ってきます。北に戻る前の2~3月ごろ夏羽となり、頭部の毛が黒くなります。

群れで生活し、春日部周辺で見られるユリカモメは、昼間は川の周囲で過ごし、雑食で何でも食べます。夜は川に沿って東京湾に戻ります。

 

ミュージアムトークでは、都鳥=ユリカモメは正しいのか?という話題や、春日部の古隅田川と東京都の葛飾区、足立区境を流れる古隅田川、墨田区の隅田川の関係について、みなさんと意見を交換しました。あらためて「都鳥」や「隅田川」を考え直す機会になりました。

ミュージアムトークは、残り1回、8月25日(日)に開催予定です。ミュージアムトークは申し込み不要です。お時間までに企画展示室にお越しください。

 

また9月1日開催のリレー講演会は残席がわずかとなっています。お早めにお申し込みください。

 

●春日部市郷土資料館 第70回企画展示

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

共催:東部地区文化財担当者会

 

(関連イベント)

(残席わずかですーお早めにお申し込みください)

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

日時:9月1日(日)13:30から17:00

場所:教育センター視聴覚ホール

定員:100人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

春日部市立の小学校・校歌歌詞調査( #博物館実習生 の記録)

本日の実習では春日部市立小学校の学校要覧を用いて各小学校の校歌を調べ、その歌詞を書き出す作業を行いました。
これを行うきっかけとしては、実習生の私が既に無くなってしまった中野中学校の卒業生であり、その中野中学校の校歌がどうしても思い出せなかったということにあります。
私以外にも、自分が卒業した学校がもう無くなってしまったために校歌を知りたくても知ることができない人がいるのではないかと考えて、この作業をさせていただけることになりました。
旧庄和町も含めた春日部市立の小学校の校歌歌詞をすべて書き出してみたところ、いくつかの共通点が見つかりました。
まず、その小学校がある土地で感じられる自然にまつわる歌詞がどの校歌にも入っていたことです。最も多かったのは緑、川、山、風などでした。また、その土地の歴史に関係する歌詞も多かったです。例えば、春日部市が位置する埼玉県東部地区が武蔵国であったことから「むさしの」という歌詞が使われていたり、宝珠花小学校では、過去に大規模な町おこしが行われたことから、「そのときのご先祖様たちのように大きな夢や精神を持とう」といった歌詞が使われていたりなどです。
さらに、自然のことだけでなく、学校に通う児童たちがそれらの自然の中で学び、希望を持って健やかに育っていくようにという願いが込められた歌詞がすべての校歌に発見できました。
小学校の校歌は、すべての子どもたちがその土地の自然や歴史を受け継ぎ、自らの知恵を磨きながら健康に育っていってほしいという教員たちのメッセージを表しているのだと言えそうです。
最後に、私が最も印象に残った校歌を紹介します。それは、正善小学校校歌です。

画像:正善小学校校歌
この校歌は一番の最後の歌詞が二番の歌詞の最初に、二番の歌詞の最後が三番の歌詞の最初につながっていて物語性が感じられます。また、一、二、三番すべてに同じフレーズが三回繰り返されている部分があるのですが、強い意志が伝わってくる良い校歌だなと思いました。

体験講座みて!さわって!dokidoki音楽づくりを開催しました

8月10日(土)、春日部市郷土資料館恒例の体験講座「みて!さわって!dokidoki音楽づくり」を開催しました。

 

この講座は、国立歴史民俗博物館の中村耕作先生と國學院大學栃木短期大学の早川冨美子先生のご協力により、毎年夏休みに、郷土資料館で開催しており、今年で4回目になります。縄文土器を観察し、文様のパターンやイメージなどをみたりさわったりしながら、縄文時代にも存在した自然素材を使って音で表し、グループで音楽を作る講座です。

 

今年度は、筑波大学付属小学校の高倉弘光先生にもご協力いただきました。

 

今回のdokidoki音楽づくりはおおまかに次のような流れで行いました。

1.縄文時代の人のくらしを学ぶ

2.土器のもようのつけ方を学ぶ

3.音楽の作り方を学ぶ

4.縄文時代にもあった素材を使って音を出す

5.土器のもようなどをもとにグループで音楽を作る

 

今回は、高倉先生の音楽の作り方のお話がとても楽しく、各グループ楽しんで音楽を作ることができました。

土器の説明

↑縄文土器と現代の鍋を比べ、さらに縄文土器の時期の違いを学びました。

年表

↑ 國學院栃木短期大学の学生さん作成の年表をつかって縄文時代の長さを知りました。

音楽づくり

↑みんなで体を使ってリズムをとってみました。

素材選び1

素材選び2

↑縄文時代にもあったさまざまな自然素材で音を出してみました。

素材を使って演奏

↑自然素材で、みんなでリズムをとってみました。

このあと、博物館実習生も含めた4つのグループに分かれて、音楽を作り発表しました。また今回は、アンケートとともに土器の観察カードを記入してもらい、夏休みの思い出として持ち帰っていただきました。

 

暑い中、お越しいただいた先生方、ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

来年の夏休みにも実施しますので、土器が好きな人や音楽が好きな人はぜひ参加してください。

#ハルカイト で #ミュージアムトーク

8月8日、大凧文化交流センターこと「ハルカイト」で、ミュージアムトークを実施しました。 #かすかべプラスワン

今回は、小学生を中心としたお子さんたちが対象で、前半は大凧文化展示室、後半は歴史民俗展示室を案内しました。

前半は、大凧文化交流センターの職員が、大凧揚げの概要や展示室を説明。ドローンで撮影した大凧揚げの様子をビデオで視聴したり、大凧の材料として使用される小川和紙を実際に触ったり、ちぎったりして和紙=大凧の強度を確かめたりしました。

写真:展示室の様子

後半は、資料館の学芸員の出番。

写真:見学の様子

先日、博物館実習生が作成してくれた「ハルカイトマスターへの道」というリーフレットを用いながら、郷土資料館で手掛けた展示室を一巡り。リーフレットはクイズつきのワークシート。

たとえば、「宝珠花小学校で飼育していた動物はなに?」のように、卒業生はわかるかもしれないが、そうでないと知らない問題も、展示資料や展示室・施設内にある様々なモノを探し、よく観察すれば、だれでも解けるものになっています。参加者は、2階の展示室、1階の宝珠花サロン、はたまた、旧昇降口、あるいは建物の外をくまなく、楽しんで(?)見学していただけました。

なかでも、学芸員の特別メニューとして実施した「唐箕の体験」はそこそこ好評だったようです。普段は展示台に陳列され触れない道具を、実際に触って、動かしてもらいました。

写真:唐箕の体験

わずか小一時間、ワークシートに取り組むだけで、本当に、宝珠花地区の歴史を理解するひと時になったのか、心もとないのですが、楽しんでいただけたのでしたら、よかったと思います。

9月には、大人の方を対象にしてミュージアムトークを開催するそうです。お楽しみに。

【手作りおもちゃクラブ】紙でっぽうと筒型飛行機を作ろう!

8月18日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。

 

今回作るおもちゃは「紙でっぽう」と「筒型飛行機」です。

 

紙でっぽうは郷土資料館のおもちゃコーナーにも設置してあり、手作りおもちゃクラブでもおなじみの品です!

紙でっぽう

簡単な折り方で、何度でも作りたくなる、
誰もが一度は通るおもちゃと言っても過言ではないでしょう(笑)

 

そして今回は
“手作りおもちゃクラブ”で作るのは初となるおもちゃがあります!
それがこちらの筒型飛行機です。

筒型飛行機

羽根のないバージョンなどもあるようですが、羽根がついている方が飛び方がかわいいのでこちらを採用しました♪
三角形の紙飛行機は勢いよく遠くまで飛ぶイメージですが、これはゆっくりと時間をかけて滑空するといったイメージです。

 

動画はコチラ♪

どちらのおもちゃも複雑なからくりがあるわけではないので、お気軽にご参加下さい!

 

本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年8月18日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
   おもちゃづくり(紙でっぽう・筒型飛行機)

 

宮代町郷土資料館見学と体験講座の準備を行いました

本日の午前は宮代町郷土資料館を訪問し、館内を見学させていただきました。

写真:宮代町郷土資料館入口
宮代町は台地ということもあって資料が多く残っており、常設展は迫力のある展示となっていました。個人的には日本独自の技法で作られた仏像が印象に残っています。やわらかい雰囲気をまとっていて、死後の極楽の世界はどんなところなのかという想像がふくらみました。
企画展では宮代町出身の島村盛助について、広報で連載した記事を中心に展示されていました。彼は岩波英和辞典を編集・刊行した人物で、彼がいなければ私たちは今ほど英語が分からなかったかもしれません。
資料館の敷地内にある旧加藤家住宅・旧斎藤家住宅・進修館も見学し、当時の名主が住んでいた家の内部を見ることができました。そこに住んでいた人がいると考えると不思議な気持ちでした。

写真:旧加藤家住宅

写真:旧齋藤家住宅

写真:旧進修館
また、収蔵庫の中も見せていただきました。収蔵能力を超えるほどある資料をどうするかが課題とのことだったのですが、これは春日部市郷土資料館にも共通する点でした。

午後には春日部に戻って、8月10日に行われる体験講座の事前準備を行いました。

写真:準備の様子
縄文土器の文様を使って音楽を作るという珍しい体験講座であり、当日は私たち実習生も参加予定です。
その後は今日までの実習を通して感じたこと、理想の博物館について考え方が変わった部分について話し合いました。

写真:話し合い風景
私自身は、理想を実現するためには現実の様々な試練を乗り越えていかなければならないことを痛感しました。

資料の調書作成・取り扱いについて学びました #博物館実習

本日は午前に寄贈された資料の調書作成、午後には博物館資料の取り扱いと写真撮影について学びました。
調書作成では、先の大凧文化交流センター「ハルカイト」オープンの動きに合わせて以前大凧あげを行う下若組として活動していた市民の方からいただいた資料の調書を作成しました。

調書作成の様子

午後には博物館資料の取り扱い方を実際の美術品や資料を用いて展示の仕方から写真の撮影、資料の梱包方法に至るまで様々なことを学びました。

写真:掛軸の取り扱いについて
写真:巻物の取り扱いについて

写真:資料撮影の様子
写真:資料梱包の様子

本日行った実習は博物館の資料を正確に把握することと、所蔵している資料をいかに美しく見せるか、保存状態を損ねることなく未来へ残せるかという部分につながる重要な事柄であるため、今回実習で学ぶことができて本当に良かったです。
写真:一眼レフで撮影した資料

#大凧文化交流センター 「 #ハルカイト 」オープン

本日8月1日より、旧宝珠花小学校跡地に「ハルカイト」がオープンしました。 #かすかべプラスワン

市民の皆さん、地域の皆さんが交流する施設として、また、西宝珠花に伝わる大凧揚げを紹介する大凧会館の後継機能をもつ施設として、期待されています。

郷土資料館では、西宝珠花や旧庄和地域の歴史民俗を紹介する展示室の設営に関わりました。郷土資料館では展示しきれない大型の資料や、旧大凧会館でも展示していた考古資料や民俗資料、庄和北部地域の木崎出身の大衆作家三上於菟吉のこと、また、国史跡神明貝塚について、資料を余すところなく展示・紹介しています。

展示室の状況は、一昨日昨日の博物館実習生のブログにも一部紹介されています。思いがけず、先を越されてしまった感が強いので、展示室の紹介については、後日展示設営の秘話を交えながら、追々詳しく紹介したいと思います。

今回のミソは、この施設がかつて宝珠花小学校として使われていたこと。

写真:かつての宝珠花小学校

宝珠花小学校は、明治初期に開校した伝統ある小学校でしたが、平成31年(令和元年)に江戸川小中学校に統廃合されました。

大凧文化交流センターには、小学校の名残り、形跡が各所にみられます。全部なかったことにして、施設を綺麗にしてしまう。綺麗な施設、使いやすい施設に造り替えることは、望ましいことで、簡単ではありますが、子どもたちが通い、賑わっていたことを知れば知るほど、どこかむなしく、そして悲しく思います。むしろ、小学校であったことを活かさない手はない、というのが郷土資料館のスタンスです。

ということで、小学校であったことを感じられ、楽しんでいただける仕掛けもありますので、小難しい歴史が苦手な方もお楽しみいただけるものとなっています。

ぜひ、遊びにいらしてください。

写真:現在のハルカイト

彩の国東・北部ミュージアムスタンプラリーはじまる

今年もやります。ミュージアムスタンプラリー。埼玉県東部・北部の博物館をめぐって、オリジナルグッズをもらおう。

埼玉県博物館連絡協議会の加盟館のうち、埼玉県の東部地区、北部地区の博物館(開催館は以下の通り)でスタンプラリーを実施します。

R6_埼博連スタンプラリー台紙(両面印刷用).pdf画像:スタンプラリー台紙

期間は、令和6年8月1日(木曜日)~令和6年9月29日(日曜日)(期間中でも景品がなくなり次第、終了します)。

夏休みの企画なので、参加は中学生以下の方に限りますのでご注意を。

スタンプの台紙は、実施館で配布するほか、こちら(R6_埼博連スタンプラリー台紙(両面印刷用).pdf)から印刷して参加しても大丈夫。
景品は、スタンプ3個で、シャープペンシル。スタンプ5個で、オリジナルトートバック。

開催館は次の25館です。
春日部市郷土資料館、三郷市立郷土資料館、宮代町郷土資料館、ミニ博物館”地球&宇宙”、草加市立歴史民俗資料館、八潮市立資料館、久喜市立郷土資料館、日本工業大学工業技術博物館、白岡市立歴史資料館、蓮田市文化財展示館、幸手市郷土資料館、行田市郷土博物館、埼玉県立さきたま史跡の博物館、さいたま水族館、(公財)長島記念館、立正大学博物館、羽生市立郷土資料館、埼玉県立川の博物館、鉢形城歴史館、熊谷市立熊谷図書館 美術・郷土資料展示室、本庄早稲田の杜ミュージアム、早稲田大学考古資料館、上里町立郷土資料館、神川町文化財展示室 

ハルカイトでの展示検討を行いました

本日7月31日は、昨日に引き続き大凧文化交流センター「ハルカイト」を訪れました。
昨日のディスカッションでは、「ハルカイトでの展示をより良いものにするために、どのような工夫をすればいいか」について話し合いましたが、今日はこのディスカッションの内容をもとに、展示に関連するリーフレットの制作を進めました。

大凧文化交流センターの建物は、現在は江戸川小中学校に統廃合した宝珠花小学校のものです。ここでは、旧宝珠花小学校の跡地を活用し、春日部市にゆかりのある文化や歴史について詳しく発信しています。
写真:神明貝塚の模型
写真:神明貝塚の剥ぎ取り標本

また、ハルカイトは、宝珠花小学校の校舎を活かした展示がなされているため、施設の内外にかつての卒業生たちが残した多様な卒業制作が散りばめられています。
写真:平成3年度の卒業生による制作
写真:平成17年度の卒業生による制作

実習生による制作では、歴史・文化の展示や卒業生たちの卒業制作に来館者の方がたがより触れ合えるように意識しました。
まだ完成には至っていませんが、我々のリーフレットの制作を通して少しでも春日部市の歴史・文化に触れあえる機会に繋がってほしいと思っています。

実習3日目は宝珠花地区を訪問しました

本日7月30日は宝珠花地区にある大凧文化交流センターを訪問しました。
1階の宝珠花サロンには宝珠花小学校と富多小学校の校歌や校旗のほか、このセンターの近くにある神明貝塚についての展示などがしてありました。

写真:宝珠花小学校と富多小学校の校歌や校旗

写真:神明貝塚のはぎとり模型
また、貝塚で発見されたヤマトシジミは自由に触ることもできるようです。

写真:神明貝塚のヤマトシジミ
2階には、宝珠花名物である大凧について解説する大凧文化展示室をはじめ、宝珠花小学校の歩みを知ることができる展示室、旧庄和町の歴史について知ることができる展示室、宝珠花地区と川とのかかわりを知ることができる展示室がありました。

写真:大凧文化展示室

写真:大凧文化展示室

旧庄和町の歴史展示室

写真:旧庄和町歴史展示室

小学校の机を残した展示室
展示室には民具が多く展示してありましたが、どれも実際に触ることができ、体験を通して地域について学ぶことができるようになっていました。小学校の歩みを知ることができる展示室は教室をそのまま使用していて、小学校時代を思い出させる雰囲気が魅力的でした。
3階には、民具や郷土資料が保管されていました。
最後にディスカッションを行い、「より良い展示になるには他にどこを工夫すべきか」をテーマに実習生同士でアイデアを出し合いました。

写真:話し合いの様子
様々な意見がありましたが、キャプションの補足を記した冊子配布、施設内に散らばった卒業制作を見つけるゲームを作る、市内の校歌を集めてその歌詞と楽譜を置くという意見が印象に残りました。
開館した後もこれらの点において工夫が続けられると思うので、ぜひ皆さんお越しください。

7月の近隣博物館・資料館の考古学情報

7月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・8月3日(土)、4日(日)そごう大宮店3階連絡通路「ほるたま展2024_古墳時代の祈り」埼玉県埋蔵文化財調査事業団

・8月31日(土)まで 杉戸町文化財展示室(杉戸町大字木津内524エコ・スポいずみ内)「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」*幸手市ホームページ

・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(群馬県前橋市)「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」

・9月1日(日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館「埼玉の考古おひろめ展―地中からのメッセージ」

・9月1日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)「出土したカオ・かお・顔」

・9月16日(月・祝)まで 千葉市立加曽利貝塚博物館(千葉県千葉市)「市原歴史博物館×加曽利貝塚博物館2024―縄文時代の土偶の顔―」

(講演会・講座)

 ・8月24日(土)さきたま講座3 埼玉県立さきたま史跡の博物館 黒坂禎二氏 「加須市長竹縄文盛土集落の復元」(要申込)

・9月14日(土)さきたま講座4 埼玉県立さきたま史跡の博物館 篠川賢氏 「稲荷山鉄剣銘を読む」(要申込)

 

(現地見学会)

・9月7日(土)塚原南遺跡(東松山市) 埼玉県埋蔵文化財調査事業団(事前申込制)

 

*春日部市郷土資料館では「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催中です。9月1日(日)に関連のリレー講演会も開催します。

「都鳥が見た古代」展示解説講座を開催しました

7月28日日曜日、夏季展示解説講座を開催しました。

当日は、ホールで開催する予定だったのですが、空調に不備があり、急遽、研修室での開催となりました。ご参加いただいた方にはご迷惑をおかけしました。

展示解説講座

講座では、展示内容に沿って、なるべく春日部で発見された奈良時代・平安時代の遺物を多くとり上げて解説しました。

春日部の奈良時代・平安時代の遺跡は、台地上では、宝珠花地区の貝の内遺跡や陣屋遺跡、低地では、春日部駅から八木崎駅の東武アーバンパークライン(野田線)北側の自然堤防上に広がる浜川戸遺跡や八木崎遺跡などが代表的です。

春日部市域は大部分が中川低地という低地ですが、低地の中には、自然堤防と呼ばれる川によって作られた微高地があります。川は、洪水のように多くの水が流れた時に、同時に流されてきた土砂を川の両岸に積み上げ、あたかも堤防のように川に沿って微高地が形成されます。この自然堤防を地図上に落としていくと、現在の河川が、現在とは違う流れになっていることや、現在全く川が流れていない地区にも、かつては川が流れていたことを推測することができます。自然堤防の分布は、国土地理院の「地理院地図」→「治水地形分類図」などでお確かめください。(地理院地図

川は、奈良時代・平安時代、船を使って、荷物を運んだり、人が行き来するための重要な交通手段であったと考えられます。浜川戸遺跡や八木崎遺跡は、こういった舟運の拠点であった可能性もあります。

ちなみに、今回の夏季展示では、平成9年、埼玉県立春日部高校の新校舎建設の際に行われた発掘調査で発見された八木崎遺跡の遺物を多く展示しています。

郷土資料館の夏季展示は以下の通りです。またこの後も、イベントも予定しておりますので、どうぞご参加ください。

 

春日部市郷土資料館 第70回企画展示

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

共催:東部地区文化財担当者会

 

(関連イベント)

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

日時:9月1日(日)13:30から17:00

場所:教育センター視聴覚ホール

定員:100人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

”神明貝塚”ボランティア講座を開催しました

 広報7月号で募集しました”神明貝塚ボランティア講座”を7月26日(金)午後に開催しました。

今回は教育センターで初めての顔合わせの会、市内各所から14名の皆さまが参加いただきました。

 「何をするの?!」「どんなことをやらせるの?」「わたしでできるのかしら」、という不安と期待を抱きながら応募された方々ばかり。この機会に何らかの形で”神明貝塚”に携わっていただきたい、広めていただきたいという、文化財課からの趣旨説明を皮切りに、これまでの神明貝塚のあゆみと現在の進捗状況、そして神明貝塚の実態と特徴をパワーポイントにより共有しました。

趣旨説明

導入

 

▲先ずは座学で神明貝塚が縄文時代のムラ貝塚として知られる経緯と現在の状況、発掘調査から得られた神明貝塚の特徴と国史跡に指定されるに至った実態と魅力を講義。


その後は懇談と交流。「遺跡に興味があったので、神明貝塚に携わりたかった」、「長年、春日部は眠りに帰ってくる場。埼玉都民だったので、自分の住む地域を知りたい」、「もっと歴史を学びたい、調査し、深めたい」という、積極的な応募理由と多様な興味関心を伺うことができました。

交流

交流

▲自己紹介や応募の経緯などの交流をとおして和やかに。「こんなことができれば」「こうしたい!あぁしたい!」がたくさん出るよう、様々なメニューを準備していきます。

 次回は『土器のふれあい体験』として、貝塚から発掘された土器や石器の道具と、貝類や獣骨などの縄文人の食料資源を見て・触っての機会に。11月には神明貝塚現地の散策を予定しています。
 10月号広報紙でも改めて募集を行いながら、史跡神明貝塚の輪を広げてまいります。興味関心のある方は随時の応募をお待ちしております。

手づくりおもちゃクラブを行いました #博物館実習

7月28日(日)は、午前、午後に手づくりおもちゃクラブを行いました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
蓄音機を聞いている場面


今回のおもちゃクラブでは、私たち博物館実習生の3人も設営・補助に加わりました。私たち実習生は、参加いただいた皆さまに、春日部市飯沼にまつわる伝説の紙芝居を読み聞かせを行いました。読み聞かせは前日から練習を行った成果が出て、話すスピードや声量、読み聞かせ最中の目線の意識など参加した皆さまに最も良い結果で披露できたのではないかと思います。

写真:読み聞かせしているところ
その後の手づくりおもちゃ・缶バッジの作成では、参加した皆さまは、みんな笑顔でケガをすることなく無事に終えることができました。重ねまして、本日ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
写真:手づくりおもちゃの制作

写真:缶バッチの制作

#かすかべ地名の話 (6)#武里 その2

前回、武里は明治22年に誕生する、それほど古くない地名であることを紹介しました。 #かすかべプラスワン

また、明治17年には、備後村に聯合戸長役場が置かれ、地域・行政の中心的位置にあったにもかかわらず、22年の合併の際には、備後村の地名が採用されず、むしろ反対運動が起こったことを紹介しました。

反対運動があったことは、合併直前の明治21年の大枝村の議定書から明らかになります(『春日部市史近現代資料編Ⅰ』№14)。当時の南埼玉郡長は、近隣の「大村」であるとの理由をして、備後村を合併後の新村の名称にすると想定していたようですが、これに対して、大枝村では次のように反発しています。

何ントナレバ従来一ケ村ニ名ケラレ、備後村ノ称ヲ以テ、数ケ村ヨリ成レル新制区画ニ被ラシムルノ実ハ、新ニ他ニ数ケ村ヲ併呑センカ如キノ名アレバナリ聞ク、或村ノ人民ハ郡長ノ仮定スル所ヲ是レ認シ、七ケ村ヲ己ガ村名ノ下ニ立タシメン事ヲ希望セバト、夫レ或村人民ノ希望ハ我々他村人民ノ彼カ村名ヲ頂ヲ欲セザル所以ノ情実ヲ徴スベキ反応的ノ現象ナリトス、苟モ如斯ンバ、彼我相睥睨スルノ原流ヲ今日開キ、長ク名義上ノ争ヲ以テ実際交渉ノ円滑ヲ害フノ結果ヲ生セン、是レ我々人民カ永久ニ迎フベキ幸福アル自治ノ新天地ニ惜ムナキ能ハザル所トス、

すでに村名として使われていた「備後村」を合併後の名称とするのは、他の村を併合する場合だと聞いている。ある村の人は「備後村」の案を認め、またある村の人は「備後村」となることをよく思わない状況になっている。新たな村の誕生にあたり、村名をめぐって、住民が見下したり、軽蔑したりすることは、今後の自治の弊害となってしまう、と。

したがって、新村は「新撰ノ村名」を用いなければならない、と議定書に記されています。

備後村以外の七か村(大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村)では、村名について協議する委員を設置し、議論を重ねたようです。がしかし、議論は暗礁に乗り上げたようです。

のちに埼玉県でまとめられた「町村編制理由書」には、武里村の村名の選定の理由として次のように記されています。

大村名若シクハ各村名ヲ参互折衷シテ新村名ヲ付セント欲スルモ、協議整ハス、而シテ各村皆武里村ト称センコトヲ切望シテ止マス、其文字ノ依ル所ナシト雖トモ、之ヲ採ラサレハ、合併シ能ハサルニ至ル故ニ之ヲ採ル(『春日部市史近現代資料編Ⅰ』№17)

大きな村であった備後村は旧来の地名であり避けられ、また、新村を構成する村名の文字なども取り入れない方針がとられた模様で、「武里」の案が推されました。「武里」とは「武蔵野里旧称」によるものとされています(大正2年「武里村郷土誌」)。かつて、武里の地は、武蔵国埼玉郡に属していたため「武蔵野」、「里」は田んぼやお社のある農村という意味でしょうか。「武里」は、のどかな田園地帯が広がる当時の風景が思い起こされます。

この「武里」という地名を発案したのは、備後村の医師・石井立敬という人だったといわれています(武里中学校創立50周年記念誌『三色旗』、1996年)。確たる古記録はなく、地元に伝わる口伝のようですが、はじめは「武野里」と命名されたが、中野村(現武里中野)の「野」と重ならないように最終的に「武里」になったそうです(『三色旗』)。旧村の地名に重ならないように「野」を取ったというあたりが、上述した新村の名称をめぐる動向ともマッチしています。

さて、石井立敬は、幕末から明治後期の人で、在村医としてのみならず、国学・漢学も嗜んだ在村知識人でした(石井敬三「東武地方武里の俳人石井文竜翁について」『武蔵野史談』1-2、1952年)。晩年は牡丹の栽培に傾倒し、自らを「牡丹老人」と称しました。立敬の牡丹園は、明治中頃に備後の石井の牡丹園として知られ、東京から千住馬車鉄道で観光客が多く来客したといわれています。

 画像:石井立敬肖像

郷土資料館では、立敬の肖像を所蔵しています。備後村の人でありながら、他の村の人たちも納得させる「武里」という地名を生み出したのですから、立敬が知識人として、いかに頼りにされていたのかが想像されます。以前の展示では、立敬を「春日部の牡丹の父」として紹介したことがありましたが、「武里の生みの親」でもあるのです。

何気なく普段つかっている「武里」という地名は、旧村の序列することなく、8か村が納得して合併するために生み出された造語の地名であったといえるでしょう。

ちなみに、「武里」は確かに武蔵国であり、武蔵野ともいえますが、それは江戸時代のこと。戦国時代以前は下総国であったはずです(それは香取神社の分布からよく主張される)。明治期の在村知識人の郷土の歴史認識が窺える地名ともいえましょうか。明治の造語とはいえ、様々な歴史的な背景・経緯のなかで、当時の人たちが考えた地名ですから、地元の皆さんはこれからも誇りにして伝えていただきたいなぁ、と思う次第です。

令和6年度博物館実習初日の活動

令和6年度の博物館実習が始まりました。今回のブログは実習生が担当いたします。
実習初日の午前中は、明日の子供向けワークショップに向けての準備を行いました。他の実習生や指導してくださった郷土資料館の学芸員の方と共におもちゃの作成や明日行う紙芝居の練習をしました。

写真:ぶんぶんゴマの作成の様子

特にぶんぶんゴマの遊び方には意外と苦戦しましたが、明日のワークショップでは子どもたちのいい体験になるように楽しんで帰れるように頑張りたいと思います。

午後には、まず、収蔵庫の見学を行い、資料の収蔵までのプロセスや保管方法について説明して頂きました。

写真:収蔵庫見学の様子

収蔵庫には、実際に春日部郷土資料館の展示でみられる資料よりも多くの資料が保管されており、なかなか見られることのない資料館の裏側が見られてとても貴重な体験になったと思います。

その後は、博物館に関するディスカッションを行いました。

写真:ディスカッションの様子

ディスカッションでは、理想の博物館について、そして春日部郷土資料館についてどう考えるかというテーマで話し合いました。
理想の博物館については、「地域を身近に感じることができる館」が理想であるという考えが多く出ました。
一方で、春日部市郷土資料館については、「体験的なワークショップが行われている点が良い」「狭いスペースでありながらも地域についてわかりやすい展示がされている」といった意見が出ました。
郷土資料館での実習期間を通して、地域を身近に感じられる、地域を知ることができる博物館とはどのような博物館であるのか。そのような博物館を作り上げていくには自分たちはどのようにしていくべきなのかを考えられたらと考えています。

#かすかべ地名の話 (5)#武里 その1

久しぶりの春日部市内の地名の話題。今回は武里について。 #かすかべプラスワン #地名の由来

「武里」(たけさと)という地名は、小学校・中学校、市民センター(公民館)、団地の名称、それから東武鉄道の駅名として使用されており、春日部市の南部を構成する地域名称として、今も幅広く、そして根強く使われている地名の一つです。しかし、実は「武里」という地名は、それほど古くはない、というと驚く方も多いかもしれません。

「武里」が生まれたのは、明治22年(1889)4月の市制・町村制の施行(江戸時代以来の町村の合併)に伴う武里村の誕生をきっかけとしています。武里村は、備後村、大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村の8か村が合併して成立しました。現在も武里地区内で、住居表示で用いられている備後東・備後西、大畑、一ノ割、武里中野、大枝、薄谷、増田新田、大場は、江戸時代以来の地名ということになります。

武里村の誕生する以前、明治17年(1884)には、備後村聯合戸長役場が設置されました。備後村聯合戸長役場が管轄する村は、備後村、大畑村、市ノ割村、中野村、大枝村、薄谷村、増田新田、大場村で、のちの武里村の範囲を同じくするものでした。このなかで、当時、戸数・人口が最も多かったのは備後村でした。備後村に聯合戸長役場が設置されたのは、周辺村の中心的な村であったのかもしれません。以下は、備後村聯合戸長役場の文書(明治18年1月地誌編修)。

 画像:備後村聯合戸長役場の文書

そして、明治22年に武里村の誕生を迎えるわけですが、村名は聯合戸長役場時代に中心的な位置を占めた備後の地名が採用されると思いきや、そうはならなかったのです。合併し、備後村となる事を、反対する動きがみられました。

・・・少し、長くなりそうなので、続きは後日にすることにします。

「都鳥が見た古代」開幕ーミュージアムトークを行いました

夏季展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」が開幕しました。

7月20日(土)は、午前、午後にミュージアムトークを行いました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

ミュージアムトーク

今回の展示のポスターでは、八木崎遺跡で発見された紡錘車(ぼうすいしゃ)をメインにしました。ポスターでは30㎝を超える大きさに拡大していますが、実際には5㎝にも満たない小さなものです。紡錘車は糸をつむぐ際に、中央の穴に棒をさしこみ、コマのように回して使われた道具です。

この紡錘車には、針のような工具で、6文字の文字が刻まれています。時計回りに「奉念随□道足」と書かれます。□としている文字は「佛」に近い字(”にんべん”が”しんにょう”)です。

八木崎遺跡の文字が刻まれている紡錘車

読み下せば、「念(ねん)じ奉(たてまつ)り、仏(ほとけ)に随(したが)う 道足(みちたり)」となり、仏に何かを祈願することが想像され、仏教的な意味合いを持つのではと考えられています。(宮瀧交二 2002「3.八木崎遺跡第6号住居跡出土の刻書紡錘車について」『八木崎遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第281集)

なぜ、紡錘車にこのような文字を刻む必要があったのかは謎ですが、文字が刻まれた紡錘車は多く発見されており、単に糸をつむぐ以外にも、何らかの意味を持った道具であった可能性があります。

 

ミュージアムトークは、このあと8月15日(木)と8月25日(日)に予定しています。どうぞご来館ください。

 

春日部市郷土資料館 第70回企画展示

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

共催:東部地区文化財担当者会

 

(関連イベント)

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

日時:9月1日(日)13:30から17:00

場所:教育センター視聴覚ホール

定員:100人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●展示解説講座「春日部の奈良時代・平安時代」

春日部市の奈良時代・平安時代の遺跡を中心に、郷土資料館学芸員が解説します。

講師:郷土資料館学芸員

日時:7月28日(日)10:00から12:00

場所:教育センター視聴覚研修室

定員:50人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

 

土器作り教室を開催ー1日目ー形づくりにチャレンジ!

 7月21日(日曜日)、市役所1階のひだまりホールで土器作り教室を開催しました。コロナ禍の令和3~5年はご自宅でオンラインによる制作でしたが、今年は5年ぶりに対面で実施。広報7月号の募集では、早々に募集定員を超える人気講座はコロナ感染前と同様、大変好評です。
 開講式ではビデオの視聴をとおして、土器作りと野焼きの手順を確認し、家族単位で制作を開始。

土器作り動画説明

 

 

 

 

 

 

▲動画をみながら土器作りの流れをみていただきました。作り方のポイントが確認できました

 

 

 今回の粘土は瀬戸・美濃焼にも使われている愛知県産の陶芸用粘土ですが、機械練りのため、まずは粘土を手で練り込む作業から開始。練れば練るほど粘りが出て粘土中の鉱物も均一になり、積み上げ易くなるため、一仕事。空調が効いたホールですが、うっすらと汗をかきつつ、次の工程は底づくり。球状にまとめた粘土を両手で押し潰し、厚さ1㎝ほどの円盤を作りました。その後は、粘土紐の積み上げ、考古学では「輪積み」技法と呼んでいますが、粘土紐を一段ずつ積み、底や下段と馴染ませるよう整形していきます。ここでの注意点は積み上げた粘土紐がわからないよう指先を使って痕跡を消す作業です。粘土ひもはあたかも粘土工作のヘビに似ているため、土器の表面にヘビがいなくなるよう、丁寧にヘビを消す作業が最大のポイント。

土器の制作にチャレンジ

 

 

 

 

 

 

 

 

▲二時間ほど制作に集中。大人の皆さんも久しぶりに一心不乱にモノ作りにできた!との感想をいただきました

 

 職員からの再三の注意が功を奏したようで、粘土のヘビを残す作品はほぼありませんでした。2時間ほどかけて思い思いの形の作品が無事完成!参加された皆さんも笑顔で会場を後にされました。

完成作品1

完成作品2

▲43名の参加者の作品。思い思いの土器が完成!「貯金箱」にしたいから埴輪型にという、既に用途を決められた方もいました。

 このあとは約1ヶ月間、作品を預かり、ゆっくりと日陰干しを行います。水分を含んだ茶褐色の土器は徐々に水分が抜けて乾燥し、土器の表面は白色へと変化していきます。お盆の頃は最後の乾燥に向けて直射日光による日干しを行います。

8月18日に大凧文化交流センターでの野焼きによって作品は完成となります。


野焼きの様子は改めてブログで報告します!参加者の皆さん、2日目もよろしくお願いします。

夏祈祷「西金野井の獅子舞」の公開

各地で猛暑が続いていますが、7月14日(日)に引き続き、郷土の伝統の舞が公開されました。

7月21日(日)には、埼玉県無形民俗文化財に指定されています「西金野井の獅子舞」が西金野井香取神社とその周辺地で、悪疫退散・家内安全・五穀豊穣を祈願する夏祈祷が舞われました。
神社拝殿での神事後、三匹獅子による「芝廻り」に加え、保存会の皆さまがてしおにかけて指導した南桜井小学校の伝統芸能クラブの子ども獅子の「芝廻り」、猛暑をしのぎやすいよう保存会三匹獅子の「雨乞い」などの演目を披露。その後は、神社正面の大鳥居や、江戸川堤の改修の歴史を伝えるかつての参道に配された鳥居(裏参道鳥居)の2か所で「辻切り」により地域の家内安全が祈願されました。

子ども獅子「辻廻り」

子ども獅子「辻切り」
▲南桜井小学校の伝統芸能クラブの「辻廻り」と「辻切り」の演舞。5月から7月の練習成果を発揮。6学年はこれまでの積み重ねを舞いに表現。素晴らしい舞に地域の皆さまからも盛大な拍手をいただきました。 

 この日は、5年生が林間学校と重なってしまったため、4,6年生の参加となりましたが、クラブ活動や神社で練習を繰り返した成果が素晴らしい演舞となって地域の皆さまに披露されました。また、このクラブ活動を経験した高校生、大学生の卒業生2名が笛役で参加いただきました。数年の空白期間がありましたが、身体で覚えた音色は褪せることなく、境内に鳴り響きました。引き続き参加いただけそうで、頼もしい後継者になりそうと、保存会会長さんも大粒の汗と共に満遍の笑顔がみられました。

花見の舞

 

 


 

 

 

 

 

▲保存会の三匹獅子「花見の舞」

 激しさの中にストーリー性のある演目で今年も演目の解説も加えていただきました。

 

注連切り1

注連切り2

▲祭礼の締めの演目「注連切り」。太夫獅子による注連縄を切ることにより悪疫払いを表現。中獅子、女獅子もそれぞれ華麗の中でも激しさ、厳しさをみる伝統の演舞の代表演目です。

 西金野井の獅子舞は年に一度、海の日に近い日曜日が公開日となっています。市内の伝統芸能は10、11月に秋祈祷の舞が公開されますので、近づきましたらお知らせいたします。

 

#夏休み #自由研究 のお手伝い

いよいよ夏休み。多くの子どもたちが初日を迎えた7月20日。早速、郷土資料館に夏休みの自由研究のお問い合わせが。。。宿題をすぐにやるタイプですね。素晴らしい。 #かすかべプラスワン

問い合わせの一つは、自分の先祖調べ。身近な歴史を調べるという、学校の夏休みの宿題が出されたそう。昔の地図や絵図の調べ方、先祖の調べ方について、簡単にレクチャーしました。

もう一つは、自分の住んでいる地区の形(境界)がなぜそのようになっているのか、というもの。非常に難しいのですが、多くの場合は、江戸時代の検地(土地丈量・測量)に境界が定められ、こんにちに至っていると考えられます。水路や道が境界となったり、村に属する人(家)の所持地が境界となる場合もあります。近代や現代の開発などによって、境界が再設定されることもあるようですが、個別のケースを追跡するのは、限界があります。が、境界について考える資料を提供することができました。

夏休みの自由研究は、理科的分野がテーマとして設定されることが多いようです。たしかに、実験とか観察とか楽しいですからね。

けれども、夏休みにおうちの方といっしょに、自分のルーツ、住んでいる土地のルーツを調べてみるのも、悪くないと思います。そうした学習は「調べ学習」とか「郷土学習」とか言われ、地味で、大変そうですが、自分のルーツについて深く知ることで、ルーツについて誇りをもち、2学期を迎えることができるのではないでしょうか。

そうした「調べ学習」「郷土学習」に対するお問い合わせ、レファレンスに、郷土資料館は力を惜しみませんので、自由研究を何にしようか悩んでいるあなた、ぜひ挑戦してみてください。ただし、資料がなく、わからないこともあります(それが人文学の醍醐味ですが)。その点、ご了解ください。

【手作りおもちゃクラブ】ぶんぶんゴマと吹き上げパイプを作ろう!

7月28日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。

 

「手作りおもちゃクラブって何?」「どういうことをやるの?」と思われる方にちょっとご説明。

“手作りおもちゃクラブ”は、
①約100年くらい前に使われていた蓄音機を使って音楽鑑賞
②春日部に伝わる様々な伝説の紙芝居の読み聞かせ
③みんなで手作りのおもちゃ作り
の3つを取り入れた、お子様にっこりのイベントです!
作るおもちゃによって終了時間は異なりますが、全部で1時間満たない程度の時間なので、お気軽にご参加ください♪

 

7月作成おもちゃ

今回作るおもちゃは「ぶんぶんゴマ」と「吹き上げパイプ」です。

皆さんも遊んだ記憶があるのではないでしょうか?

 

こどもだった頃、楽しく遊び、
大人になり、懐かしく振り返るもの。
そんなおもちゃをこれからの世代にも伝えていきたいですね!

 

本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【手作りおもちゃクラブ】
日時:令和6年7月28日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
   おもちゃづくり(ぶんぶんゴマ・吹き上げパイプ)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

市内各所で伝統芸能ー市指定無形民俗文化財ーが公開されました

7月14日(日)には、榎、赤沼、銚子口の3地区で伝統芸能が公開されました。


榎地区では、榎の囃子神楽が公開、午前の小雨の中、地区の役員さんによる辻切りが行われ、集会所に戻ると神楽の奉納へ。

神楽

お囃子

▲狐役と大太鼓は江戸川小中学校の5年生が担当、4年生で経験した神楽の授業がきっかけで今夏の祭礼に参加してくれました。授業で指導を受けた保存会のみなさんと肩を並べ堂々とした太鼓の打ち鳴らしでした。

保存会の皆さんが週一度、江戸川小中学校へ神楽の指導に対応されている中、5年生の二人が例祭に参加してくれました。昨年、4年生時に学校での授業を契機に囃子と神楽に興味を抱いてくれたようで、本日は大太鼓を担当。もう一人は授業で覚えた大黒天を堂々と演じてくれました。
 大黒舞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この例祭では、神楽の演目は小学生と高校生が演じてくれました。長年の学校での授業での指導が実りつつあるようです。

 赤沼地区では、赤沼の獅子舞が公開されました。今夏は子ども獅子を担う小学生が11名と、大きく増えたところも見どころです。昨年秋に地元豊野小学校開校150周年で舞ったことが契機?と社中会長も手応えを感じていたようで、地区の皆さまも愛らしい子ども三匹獅子に期待が高まっていました。また、祭礼冒頭の庭入では天狗役を先頭に奉納舞の場を清める所作がありましたが、さまざまと検証した結果、『猿田彦』に行き着きました。衣装の新調も相まって新たな役が加わりました。

猿田彦の舞

女獅子

衣装や面の修繕を契機に「天狗?」検証を重ねた結果、『猿田彦』と解釈したという。また、今夏も女性による女獅子が活躍。激しさの中でも優雅な舞には拍手喝采。近いうちに三匹獅子を女子が担う機会がありそうだ。

また、三匹獅子のうち、女獅子(めじし)には女性が加わり、激しい演舞の中、女獅子らしい優雅さを兼ねそなえる舞が披露されました。

弓くぐり

 

▲赤沼の特徴である子ども獅子。今夏は小学生1年生から総勢11名が愛らしい獅子舞を披露してくれました。高学年、そして中学生、高校生になっても継承に期待したい。また、祭礼の終盤には迫力ある「弓くぐり」。降雨で室内での公開となったが、見事に弓の弦を通過してくれました。

そして例祭最後には五穀豊穣を祈願する「弓くぐり」が舞われ、通常は境内地であるものの、降雨のため集会場室内と限られた空間の中で太夫獅子が見事に弓をくぐり抜け、秋の豊作が占われました。

 

 銚子口地区では、銚子口の獅子舞が公開されました。今夏の見どころは、元禄10年(1697)の伝承以来初めて三匹獅子の太夫、中、女獅子を女性が担う三匹獅子です。これまで三匹のうち、一役を女性が担ってきた経緯はありますが、練習を重ね三匹獅子の奉納となりました。祭礼開始の午後2時には雨が止み、急遽、境内地での公開へと変更されましたが、天狗を先頭に庭入りから、出端では女獅子が、中獅子の舞では中獅子が、さんぎりの舞では太夫獅子が、それぞれの一演目を堂々と演舞され、地区の皆さんからも盛大な拍手をいただきました。

天狗の舞

女獅子と中獅子

▲天狗を先頭に三匹獅子が境内を清める「天狗の舞」と女獅子による「出端の舞」と中獅子の「中獅子の舞」に転換するタイミングもスムーズに。優雅な演舞に地域の皆さまからも大きな拍手をいただきました。

 弊がかりの舞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲祭礼の締めは「弊がかりの舞」。天候が回復し、境内での奉納舞となったため、コロナ後、初めての獅子頭の被り直し。女性3人から急遽、若衆の出番になったが、同世代の息のあった勇壮な舞が披露され、御幣によって「家内安全」「五穀豊穣」が祈願された。

伝統芸能に携わる皆さんが長年にわたって守り・悩まれてきた伝統や慣例が時代の流れと共に、継承を第一に受容されてきました。今秋の祭礼でもさらなる伝統の舞の継承に向けた活躍が期待されます。

7月21日(日曜日)には、西金野井地区の香取神社で県指定無形民俗文化財の西金野井の獅子舞が公開されます。南桜井小学校の児童が練習を重ね、保存会の皆さんともども、江戸時代から継承される伝統の舞を是非ともご覧ください。

やったり踊りの公開ー県指定無形民俗文化財ー

 天候不順が続いた祝日海の日を絡めた週末には、市内各所で伝統芸能の公開がありました。    その初日、7月13日(土曜)には、武里駅からほど近い大畑香取神社境内では、埼玉県無形民俗文化財に指定されている「やったり踊り」が公開されました。

 午後8時、香取神社から南東方向400mほどの西光寺から太鼓と笹笛の囃子に合わせて「練り込み」を開始、約50分かけて奉納舞の会場に到着。

小若練り込み

若衆練り込み

▲西光寺から大畑香取神社にかけての道中はゆったりとした「練り込み」で向かう。地域の皆さまの歓声で小若も祭り気分が高揚する場面である。

 小学生低学年、そして高学年の小若から「扇子踊り」。先月の練習の成果が出せたようで、元気な掛け声、大きな舞が披露されました。
 若衆では、高校生と大学生が加わり、若手の後継者も奮闘。ベテラン組にしっかりと追随した大きく迫力のある舞でした。

小若扇子踊り

若衆扇子踊り


 ▲小若は赤の鉢巻きと半被、若衆も赤の鉢巻きに薄藍色の浴衣を片袖掛け、赤の鼻緒の草履という装束。上下動の激しい「扇子踊り」は屈伸と強い反り返りが特徴になっている。

続く「手踊り」でも最後まで小若は練習で指導を受けた、手のひらから指先までの細かな動き、足さばきと、一生懸命な姿をみることができました。

手踊り

若衆手踊り

▲哀愁を帯びた唱に合わせ、手は蓮の花を表現。県内でも数少ない念仏踊りとも称される「手踊り」。それでも身体の動きが激しく勇壮な舞でもある。

 今夏の伝統芸能の参加が一時ではなく、後継者として引き継がれることに期待しています。

#展示替 100年前の春日部夏祭り

週末は、夏の恒例 #春日部夏祭り というわけで、常設展の一部を展示替しました。 #かすかべプラスワン

写真:展示ケース

といっても、せま~いので、ケース一つ分です。企画展示の展示替えもあり、急遽、スペースができたので、構想と準備は半日、という突貫展示です。

春日部夏祭りは、もともと、粕壁宿(町)の牛頭天王社(八坂神社)の祭礼を起源とします(詳しくは以前の記事参照)。古くは江戸時代の記録もありますが、資料館収蔵品には、大正10年(1921)の古写真や記録があり、すでに知られている写真絵葉書も一同に会します。そして、初公開の資料も。

写真:大正10年上町子どもたち

この写真は、大正10年の上町の子どもたちの集合写真です。みな、着飾って、女の子は化粧をしています。

上町の「油米」「永庄」「厚見本店」などの半纏を着た保護者(?)が後方に立っており、粕壁町を代表とする上町の商家の子息たちのようです。初公開です。

夏季の期間には展示していますので、夏祭りを楽しむ方(事後・楽しんだ方)は要チェック。資料館に涼みに来たついでにご覧ください。

企画展が終わりました(反省)。そして、次期展示へ。

7月7日(日)で「まちをみつめて50年」展が終了しました。次期の企画展示がまもなく始まりますので、企画展示室を早速撤収しました。 #かすかべプラスワン #展示の反省

設営のときは、あーでもない、こーでもないと試行錯誤をしながら時間に追われ展示していくのですが、撤収はあっという間に終わります。

写真:からっぽの展示ケース

撤収作業のなかで、今回の企画展について、いろいろと顧みながら、反省もしました。

今回は、旧春日部市の市制施行70周年の区切りの年であり、新しい庁舎で業務が始まった年でありましたので、おおよそ70年間の市政の歩みについて紹介する企画でした。とくに、昨年度閉庁した旧庁舎にスポットをあて、市制の周年事業を柱にたてながら、展示を構成しました。

郷土資料館としては、企画展「1960年代の春日部」以来の現代史の展示になりましたが、1960年代の春日部にも重なる部分も多く、展示資料に苦労しましたし、昭和30年代から平成初頭に至るまでの資料が限られ、『広報かすかべ』の縮刷版が頼りであることや、縮刷版が出ていない平成10年代は資料がさらに限られており、現代史としての市政の歴史を見ていく限界を感じながら、展示をつくりました。

市政の歩みについては、油断すれば、市役所の建設に象徴されるように、建物(ハコモノ)やインフラの整備が進んだこと自体に目が移りがちになってしまいます。市が作成した市政の各種の年表も、おおざっぱにいえば、ハコモノやインフラの建設年表になっています。

資料館の展示としての目指すべき理想像は、市政に関わる人・人の顔がわかるような展示ですが、これも広報縮刷版や、わずかな行政資料では限界があり、また現代の方々のプライバシーなどに配慮すべきこともあり、展示ではうまく表現ができませんでした。また、何よりも市政の歴史的に歴史的な評価を下すことが難しい。現在にモロに直結する現代史の難しさを痛感しました。

そういうわけで展示は、旧庁舎と周年事業を柱立てにして構成しました。というより、せざるを得なかったというべきでしょう。暗澹たる思いで準備をはじめましたが、腹をくくって、市制40周年の「かすかびあん」にスポットを当てようと密かに画策して展示を設営しました。

「かすかびあん」については、前にも触れた通りですが、今年で「かすかびあん」誕生からちょうど30年の年でもありました。様々なグッズがあるなかで、実際に展示するなかで、おっ!と思ったのはこちら。

画像:ティッシュボックス

市制施行40周年で特産品協議会が制作したこのティッシュボックス。

正面には「かすかびあん」が。

この箱は、当然、春日部市の特産品である桐箱です。

だけど、ポピュラーな印籠蓋ではない。背面をみると・・・

写真:背面

なんと、茶道具や木彫などを入れる「オトシド」と呼ばれる技法の蓋になっています。

手がかかっているといえるでしょう。

さらに、天板と側面もよくみると・・・

写真:天板と側面

ティッシュの出し口は麦わら帽子の形で、縁には麦わら真田が付されています。

「かすかびあん」もよくみると、少しモッコリしています。これは、押絵羽子板の押絵の技法で作られています。

いわずもがな、麦わら帽子も押絵羽子板も、春日部市の特産品です。

何気ない周年グッズだと思いきや、特産品の技術が集約されたティッシュボックス。市制の資料としても、伝統工芸の資料としても、春日部市を象徴するとても良い資料です。展示室が広ければ、常設展示に出してもおかしくない、「優品」です。

 

といった具合に、展示の準備をしながら、様々な発見が今回もありました。資料を実見していると、当時の人たちの思いや考えがヒシヒシと伝わってきます。市政の歩みとは、過去の人たちの様々な思いの積み重なりである、と改めて実感しました。展示で、その思いが皆さんに伝わったかどうかはわかりませんが、ご覧いただいた方には、過去の市政の歩みを振り返りながら、今の春日部市について考えていただく機会に少しでもなったのならば幸甚です。ただ、現代史の展示は、しばらくは勘弁してほしいなぁというのが本音ですが。

 

長くなりましたが、次期展示は絶賛準備中。ご期待ください。

春日部市郷土資料館 第70回企画展示

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

共催:東部地区文化財担当者会

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の販売を開始しました

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代表紙

埼玉県東部の市町で組織される東部地区文化財担当者会より、『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代』が刊行されました。東部地区の奈良時代、平安時代を考古学調査の成果から紹介します。郷土資料館、図書館等でご覧いただけるほか、販売もしております。

東部地区文化財担当者会:春日部市・越谷市・久喜市・八潮市・三郷市・蓮田市・幸手市・吉川市・白岡市・宮代町・杉戸町・松伏町・行田市・加須市・羽生市の文化財担当者で構成

 

(書名)『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代』東部地区文化財担当者会報告書第9集

(価格) 1冊2,000円

(購入方法) 直接、次の頒布場所で購入できます。

春日部市役所本庁舎4階文化財課
春日部市郷土資料館

宮代町郷土資料館(宮代町西原289)

 

(目次)

<プロローグ>

<1 東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡の概要>

はじめに

対象とする時代

対象とする地域と地形

東部地区に関係する代表的な河川

河川が作った地形

行田市の概要

羽生市の概要

加須市の概要

久喜市の概要

幸手市の概要

杉戸町の概要

宮代町の概要

白岡市の概要

蓮田市の概要

春日部市の概要

越谷市の概要

松伏町の概要

吉川市の概要

八潮市の概要

三郷市の概要

<2 住まいと建物>

竪穴建物

役所と掘立柱建物

<3 道具>

古代の土器

須恵器の流通

墨書土器

土師器焼成坑

鉄の道具と鉄作り

織物生産と紡錘車

<4 いのり>

仏教関連遺物

火葬墓

コラム

吉川市深井新田の自然堤防

万葉遺跡

屋敷裏遺跡の鉄製口琴

小敷田遺跡の木簡

条里

<エピローグ>

調査の経緯

スポットガイド

用語集

遺跡一覧

文献集

 

 

県指定無形民俗文化財「やったり踊り」公開に向けた練習

 7月13日(土)の祭礼での公開に向け、やったり踊りの練習も仕上げとなった、7月7日(日)は午後4時を過ぎたにも拘わらず、気温は34℃。茹だる 外気ではありましたが、小・中学生の小若、そして成人の若衆の気勢の上がる掛け声の下、境内の大銀杏の木陰では、祭礼当日、西光寺から舞を奉納する大畑香取神社に向けて練り歩く「練り込み」、そして神社境内で奉納する「扇子踊り」「手踊り」の3演目を幾度となく繰り返しました。

 練り込み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       ▲大太鼓と笛を先頭に西光寺から大畑香取神社までは

         「練り込み」と呼ばれる舞で移動

 

 

 

 6月から重ねた練習により、小学生低学年の小若も可愛らしい所作を、高学年は堂々とした大きな舞に仕上がってきました。また、小中学生に舞に参加してくれた大学生3名も若衆の呼びかけに応じて久しぶりに復帰し、小若の指導にも手伝ってくれていました。地域の伝統の舞の継承が各世代で引き継がれること、期待しています。

小若 扇子踊り

若衆 扇子踊り

▲扇子を持ち身体を大きく反る躍動感が特徴的な「扇子踊り」

手踊り 小若

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲哀愁の曲調の中で大きな屈伸や跳躍が入る激しさが入り交じる「手踊り」

 祭礼当日は天候が不安の予報ですが、保存会の皆さんも昨年以上の舞が披露できるよう総意で準備を進めております。春日部東口の日光道中で開催される春日部夏まつりと共に、郷土春日部の恒例の夏の行事を現地で観覧してはいかがでしょうか。

とあるおもちゃの開発記録

郷土資料館では例年7,8、10、11、12、1月に“手作りおもちゃクラブ”という、こども向けのワークショップを開催しています。
当日は蓄音機で音楽の上演、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3本立てです。

 

作るおもちゃは、昔から親しまれているものや、電気を使わずに遊べるものに限定しており、だいだい6~7種類ほど。作るおもちゃは毎回1~2種類なので、年間を通して参加すると、全種類のおもちゃを作ったことになります。
なかなか同じおもちゃを2度作りに来てくれる子は少ないので、担当としてはおもちゃの種類を増やそうと、日々新作の開発に余念がありません。とはいっても年に1種類増やせるかどうかですが。。。

 

資料館のおもちゃコーナー

現在は郷土資料館のおもちゃコーナーにも設置してある、人気の「アレ」をミニサイズにして簡易的に作れないか模索中です。

おもちゃ開発中

作成可能であれば講座で作りたいのですが、材料を揃え、どの程度まで準備しておくかなどの検討も必要なため、お披露目の予定はまだたっていません。現在も開発を進めていますので楽しみに待っていてください♪

 

“手作りおもちゃクラブ”の開催日は広報かすかべや郷土資料館のブログでお知らせしますので、ぜひチェックしてくださいね!

出張授業「縄文体験教室」 in川辺小学校 その2

7月3日(水)川辺小学校へ出張授業「縄文体験教室」を行ってきました。

5月17日は、3年生の総合的な学習の時間で地域を学ぶ学習で学校近くに住んだ縄文人の暮らしについて授業をしましたが、今回は6年生2クラスの授業になります。
歴史の授業は飛鳥時代まで進んだそうです。縄文時代がどんな時代であったか聞くと、なかなか思い出すのが大変な様子。復習の時間にぴったりですね。

パワーポイントに注目する生徒たち

はじめに、春日部市の代表的な縄文時代の遺跡である神明貝塚のビデオをみていただき、次に小学校周辺の歴史についてパワーポイントで説明をしていきます。
今年度の縄文体験出張授業は、現時点で本日が最後…。講師の声にも力が入ります。

 

川辺小学校の周辺は急な坂道が多く、高台の上には縄文時代の貝塚が点在しています。
坂道があるという話にうんうんと頷く生徒たちでしたが、さらに身近な話がでてきました。

吉岡遺跡出土の土器

飛び入りで授業に参加してくれた、縄文土器の登場です!
実はこれは、6年生教室の廊下に飾られていたもので、遺跡から出土した本物の土器。

レプリカの土器とともに並んでおり、職員も大変驚きました。
出土地は学校のすぐそばに位置する「吉岡遺跡(よしおかいせき)」で、縄文時代の貝塚とムラが確認されています。
まさに今日の授業にピッタリですね。この土器の登場には、クラスの皆さんも、先生までもがびっくり!まさか本物だとは思っていなかったそうです。縄文時代を身近に感じるきっかけになりました。

 

続いて、体験コーナーに移ります。

貝殻について説明を受ける生徒たち

石器について説明を受ける生徒たち

土器をのぞき込む生徒たち

体験コーナーは教室前の広い廊下を使って行いました。

実際に縄文時代の石器や、土器や貝殻を触って体験をするのですが、鋭い観察力や着眼点に職員も驚かされています。
土器コーナーでは、みんなに土器を観察し、桜川小学校でも体験してもらった縄目の模様づけも熱心に取り組んでいただきました。また、「土器の黒い部分は火があたったからじゃない?」と、土器の色について考察してくれた児童もいました。

川辺小学校のみなさん、ありがとうございました。


出張授業「縄文体験教室」は、まだまだ授業の受付をしています。
ぜひお気軽にご相談ください!

出張授業「縄文体験教室」 in桜川小学校

6月27日(木)に桜川小学校6年生の出張授業「縄文体験教室」を行いました。

教室内で講師の話をきく生徒たち

今日は6年生の3クラスが縄文体験の授業を受けてくれます。


まずはじめに神明貝塚の動画を見た後に、パワーポイントを用いて、学校周辺の遺跡について紹介。

今日の授業は縄文時代がメインなので、授業の復習となりましたが、みなさん縄文時代の内容をよく覚えていました。
最後にお待ちかねの縄文体験。

 

縄文時代の貝について説明を受ける生徒たち

黒曜石を使って、段ボールを切る様子

今回は縄文土器のコーナーでは、実際に縄目など土器に付けられた文様づけの体験をしてみました。

前回、土器についた縄もようについて質問をもらいましたが、実際にやってみてもらおうということで、はじめての試みです。
紙をよったり、麻縄をよった縄と油粘土を使います。学校の先生にお願いして、粘土を用意してもらいました。先生、ありがとうございます。

まずは職員が実演します。縄の説明をしつつ、それを粘土の上に押し付け転がしていきます。
子どもたちの反応はというと、実際に縄を粘土の上で転がして浮かびあがった模様に、「こんな模様が浮き上がるんだ!」と驚いた様子。

続いて実際に体験をしてもらうと、我先にと手を伸ばして積極的に参加してくれました。

粘土の上で縄を転がす様子

ある児童からは、体験した後に土器をもう一度見て「縄文人は器用なんだね」と一言。

はじめての試みでしたが、土器に対する理解も深めることができたようでよかったです。

桜川小学校のみなさん、ありがとうございました!

昭和は遠くなりにけり

6月30日、企画展「まちをみつめて50年」の展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」を開催しました。タイトルは受講者の方の感想です #かすかべプラスワン

写真:講座のようす

講座では、昭和29年(1954)7月に成立した旧春日部市の市政の歩みを、広報かすかべの縮刷版や、郷土資料館に収蔵されている広報誌の古写真をスライドなどでみながら、振り返りました。

昭和30年代の広報誌には、赤痢や伝染病の注意を促す記事や、自動電話の開設、ネズミくじなどの記事があり、受講者の皆さんと当時の春日部市の状況を想像していただきました。

なかでも、担当者が気に入っている記事は、「なくそう春日部時間」というもの。

昭和34年6月の広報第29号の記事です。以下、引用してみましょう。

六月十日は「時の記念日」です。むかしの時刻は寺院などの時の鐘を鳴らして知らせていました。本市では二十年前の町役場当時からサイレンを正午にならして正しいときを知らせてきましたが集会の時間はなかなか守られず、市教育委員会の会議が比較的よいといわれるだけで、市議会でさえ五月までの成績によると本会議が三、四十分おくれ、委員会など一時間おくれが多いといわれます。公の会議がこのようですから一般の集会などは一時間おくれがあたりまえのように考えている方が多く、いつになっても「春日部時間」の追放ができないのはこまったことです。ラジオの時報に合わせて休みなくたあわただしいサイレンに恥を与えないようお互いのため「時間の励行」を新生活運動の一環として実行しようではありませんか。みなさまの代表新市議会議員によってこんどこそこの悪い習慣を打破していただくよう期待しています。この時間励行は全市民のことしの実践課題としてとりあげられぜひご協力をお願いいいたします。

当時の春日部では、時間を守る人が少なかった。そうした悪習を「春日部時間」と俗称していたようです。市議会をはじめとする公の会議ですらも、一時間遅れが当たり前。現代の私たちにはとても想像に及びませんが、まだ、ゆったりとし、牧歌的であった春日部の様子がうかがえ、むしろ微笑ましくも思えます。当時の春日部市は「田園都市」の建設を目指していました。「田園都市」とは、中心となる市街地が発展しつつも、その周りには農村部が残り、市街地と農村部とが有機的に絡み合うような都市、を意味しているようです。

しかし、昭和40年代ともなると、武里団地の入居開始、地下鉄日比谷線の延伸、埼玉国体会場となる大沼グラウンドの建設、そして、春日部駅の西側の開発などを経て、春日部市が目指す都市像が、「衛星都市」「近代都市」にすり替わっていくことになります。そうした「衛星都市」「近代都市」への「躍進」を象徴するものとして、昭和46年(1971)1月に前の市庁舎(二代目市役所)が完成することになるのです。二代目市役所の建設は、春日部市政にとって画期的な出来事だったのです。

昨年、二代目市役所が役割を終え、旧春日部市の市制施行から70年目の節目の年である今年に、新市庁舎(三代目市役所)が業務を開始しました。牧歌的、かつ近代都市として発展してきた「昭和」という時代が、遠くなり、時代が転換していくのが、まさに今なのかもしれません。

 

無形民俗文化財公開のお知らせ

赤沼の獅子舞ポスター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『広報かすかべ7月号』でもお知らせしているとおり、7月は地域のお祭りや神社の夏季例祭で、埼玉県や春日部市で指定されています無形民俗文化財(伝統芸能)が各地で公開されます。

年間をとおして限られた機会ですので、春日部市内で受け継がれてきた”五穀豊穣”、”家内安全”、”疫病退散”を祈願した郷土の伝統の舞を肌で体感してみてはいかがでしょうか。

 

●やったり踊り(県指定)   日時/7月13日(土)20時~  場所/大畑香取神社

●不動院野の神楽(市指定)  日時/7月13(土)、14(日)   場所/春日部夏まつり会場

●榎の囃子神楽(市指定)   日時/7月14日(日)11時~  場所/榎集会所

●赤沼の獅子舞(市指定)   日時/7月14日(日)13時~  場所/赤沼神社

●銚子口の獅子舞(市指定)  日時/7月14日(日)14時~  場所/銚子口香取神社

●西金野井の獅子舞(県指定) 日時/7月21日(日)10時~  場所/西金野井香取神社

●倉常の神楽囃子(市指定)  日時/7月21日(日)9時半~  場所/倉常地区※辻切りのみ

 

 当日は、猛暑が予想されます。水分補給を十分に行った上、熱中症など体調に配慮いただきながらご覧ください。

6月の近隣博物館・資料館の考古学情報

6月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」

・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」

・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」

・7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」

・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市)「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」

・7月13日(土)~9月1日(日)埼玉県立さきたま史跡の博物館「埼玉の考古おひろめ展―地中からのメッセージ」

 

(講演会・講座)

・7月28日(日)遺跡報告会 埼玉県立さきたま史跡の博物館 さきたま史跡の博物館 講堂(申込不要・先着順)

・8月24日(土)さきたま講座 埼玉県立さきたま史跡の博物館 黒坂禎二氏 「加須市長竹縄文盛土集落の復元」(要申込、7/6から7/29まで往復はがき、電子申請で申込)

 

(現地見学会)

・7月13日(土)港区高輪二丁目発掘調査現場 東京都埋蔵文化財センター

 

*春日部市郷土資料館では7月7日まで「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です 

7月20日からは「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します

第70回企画展示「都鳥が見た古代」開催のお知らせ

7月20日から夏季展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します。

この展示では、埼玉県東部地区15市町からなる東部地区文化財担当者会と共催し、春日部市を中心に埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡から、当時の人々の暮らしを探ります。

 

春日部市郷土資料館 第70回企画展示

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

共催:東部地区文化財担当者会

ポスター 

「都鳥が見た古代」チラシ(PDF:1.5MB)

 

(関連イベント)

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

日時:9月1日(日)13:30から17:00

場所:教育センター視聴覚ホール

定員:100人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●展示解説講座「春日部の奈良時代・平安時代」

春日部市の奈良時代・平安時代の遺跡を中心に、郷土資料館学芸員が解説します。

講師:郷土資料館学芸員

日時:7月28日(日)10:00から12:00

場所:教育センター視聴覚研修室

定員:50人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

文字が刻まれている紡錘車

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

「幸松っ子クラブ」でのお囃子練習

幸松小学校の放課後こども教室である「幸松っ子クラブ」の第1回目が開催され、地区に江戸時代から伝承されている市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を継承する「東不動院神楽保存会」の皆さんが講師としてお招きされました。

下は1年生から上は5年生まで、総勢10名でのお囃子教室となり、今回は「ニンバ」というお囃子の太鼓を叩く練習です。まずは保存会の皆さんのお手本。初めてお囃子を聞く子ども達は興味津々です。

お囃子のお手本

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  保存会の皆さんの指導の下、太鼓に見立てたタイヤをリズムよく叩いていきます。バチで叩く力加減やリズムの取り方が難しいようでした。

タイヤを叩く練習

太鼓を叩く練習

 

 

 

 

 

 

 

 

 

練習の後半では、本物の太鼓を叩きました。タイヤでは出なかった音や感触の違いを感じ、子ども達もタイヤを叩く時よりも真剣に、そして楽しそうに叩いていました。

お囃子の練習は今後も継続して行われ、子ども達もどこまで上達するか楽しみです。この中から神楽やお囃子に興味関心をもってくれる児童が現れることに期待しています。

保存会の皆さん、ありがとうございました。

南桜井小学校ー伝統芸能クラブーの練習!

 6月19日(水)の6限目、4年生から6年生はクラブ活動の時間。

 県指定無形民俗文化財「西金野井の獅子舞」を継承する西金野井獅子舞保存会の会長さんをはじめ、4名の皆さまの指導の下、総勢12名が獅子舞、お囃子、ササラの練習に取り組みました。

出端の舞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


4月、5月と、月1回の練習を重ね、本日で3回目。それにもかかわらず「出端」「辻切り」の2演目の舞はほぼ形になってきました。児童のみなさんの吸収力には驚かされました。

お囃子

辻ぎり

 

4年生から継続して伝統芸能クラブに参加している6年生は3回目の練習で勇壮に舞うことができ、夏祭礼での舞を楽しみにしているとの声には頼もしく感じられます。

7月は神社拝殿で舞とお囃子の仕上げを連日行い、7月21日の西金野井香取神社での公開にのぞみます。西金野井の獅子舞は年1回の公開となりますので、南桜井小学校の児童による可憐な舞と、保存会の勇壮な伝統の舞を是非ご覧ください。

出張授業「縄文体験教室」 in南桜井小学校

6月14日(金)に南桜井小学校の社会科出張授業にうかがいました。

今回は6年生の2クラスを対象に授業を行いました。
授業の冒頭、「歴史の授業はどのくらい進みましたか?」と聞くと、なんと1時間前の時間に、縄文時代を習ったというクラスがありました!
習ったばかりの状態なので「縄文時代はどんな時代だったの?」と質問にもクラスのあちこちで元気な答えが返ってきました。
出張授業は、歴史の授業の導入としても、また復習としても行っていますが、こんなタイミングが良いことは珍しく、わたしたち学芸員にとっても盛り上がる授業となりました。

図書室にてスクリーンに映ったビデオをみる様子

さて、授業の前半には、史跡神明貝塚の紹介ビデオをみます。
南桜井小学校は神明貝塚とも比較的に近い位置にあるので、みなさん興味津々です。

続いてパワーポイントを用いて、「学校付近に暮らした縄文時代の生活」について説明します。
最初は春日部が海の底にあったなんて、信じられない様子でしたが、龍Q館を建てるときの工事で、貝殻の層がみつかったことや、発掘調査で縄文時代の遺構からイルカやウミガメの骨がみつかったことを聞くと、だんだんと納得してくれました。

 

最後にはお待ちかねの縄文体験です。
実際に縄文土器や石器や貝塚の貝殻に触れて、縄文時代の生活を考えてもらいます。

縄文土器を触る様子

黒曜石を用いて段ボールを切る体験をする様子

動物の骨を見て話を聞く様子

先ほどまで教科書で見ていたものが目の前に置いてあるのは、とても不思議なようです。最初は壊さないか心配が先立つ様子でしたが、緊張がほぐれると、現在の道具と縄文の道具を比較したり、実際に触てみた感想や、「なぜ」「どうして」「どのように作られたのか」などと疑問に思ったことを口にしたりと、積極的に体験をとおして縄文時代の暮らしについて学習を深めてくれました。

南桜井小学校のみなさん、ありがとうございました!

出張授業「縄文体験教室」 in豊春小学校

6月12日(水)に豊春小学校での社会科出張授業にうかがいました。

今回は6年生の3クラスが対象です。
授業の進捗はそれぞれ。歴史の導入として歴史上の人物を調べたクラスから、縄文時代・弥生時代まで学習が進んだクラスまであります。

まずはじめに授業の導入として、春日部市の代表的な縄文時代の遺跡である「史跡神明貝塚」の紹介ビデオを見ます。神明貝塚のある西親野井地区は豊春小学校のある豊春地区とは東西端に位置しますが、メモを取りながら集中してビデオを見てくれました。

教室でパワーポイントを用いた授業を聞く様子

続いて、「学校付近に暮らした縄文人の生活」というテーマをもとに、パワーポイントを見ながら、縄文時代の春日部について話をします。実は豊春小付近にある「花積(はなづみ)」という地域には、縄文時代の貝塚やムラが多数広がっている台地が広がっています。
自分の家の近くの知っている地名が出てくると、教室内のあちこちで声があがりました。

 

最後に縄文体験の時間です。
実際に石器や土器、貝殻を触って縄文人の食生活を体感してもらいます。

石器を用いた体験を説明を聞く様子

土器を両手で持ち上げる様子

貝塚から出てきた貝がらの説明を聞く様子

いつも土器の感想を聞いているのですが、今回は「パソコンより重い」と答えてくれた児童がいました。
自分の感覚に引き付けた感想を聞けると、うれしいです。
縄文土器の縄に触れながら、この時代の人はどうやって縄を作ったのかと聞いてくれた子もいました。現代に当たり前にある物が、時代を遡って存在していることが不思議なようです。

 

実は、豊春小学校には昇降口に郷土資料の展示コーナーがあり、その中に花積で実際に出土した土器や石器、魚の骨などが展示してあります。
何気なく通っていた場所に実はすごいものがあったのだと、驚いた様子でした。

昇降口で展示されている縄文土器

昇降口にある資料展示の様子

豊春小学校のみなさん、ありがとうございました!

人口急増時代の春日部ゆかりの資料

現在、開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示資料を少し紹介。今回は春日部市の人口がぐーんと上がった昭和40年ごろの資料。 #かすかべプラスワン

企画展では、昭和29年(1954)の(旧)春日部市の誕生から、現在の市庁舎が誕生するまでの市政のあゆみを、ギュギュっと紹介しています。なかでも春日部にとって、大きな転機となったのは昭和40年初頭。埼玉県で国民体育大会が開催され、駅西口の風景が大きくかわり、また、武里団地が造成され、市内に1万人規模の街が造られ、春日部の風景は大きくかわっていったのです。

当時の状況を物語る資料は無いかと、収蔵庫から探して並べたのが、下の資料。

画像:資料展示風景

 手前の大畑小学校の表札は、大畑小学校が平成15年に閉校したときに収集したもの。大畑小学校は、武里団地の中に昭和41年(1966)に開校した小学校で、春日部市にとって、初めての新設小学校でした。団地の中にあるということからわかるように、武里団地が造成され、入居がはじまり、団地の子どもたちが通った小学校なのです。

奥のお人形と、ネズミとアヒルの壁掛けレリーフは、武里診療所旧蔵の資料。閉所した平成7年に収集したものです。武里診療所は、市立病院の出張所として昭和41年に武里団地内に設置されました。これらの資料は団地の子どもたちをあやすため置かれ、飾られたのでしょう。ネズミとアヒルは、世界的に著名なキャラクター。しかし、ちょっと顔が変?診療所設置当時のものか定かではありませんが、昔は類似品や海賊版があふれている時代。ライセンス品ではないのかもしれません。

そして、赤ちゃんの人形。目や髪がクリンとしていて、欧米系の顔つきのようにもみえます。ちょっと苦しそうな体勢で座らせているのは、背中を見ていただきたいため。

画像:赤ちゃん人形の背中

背中には「小児科」の文字が。これで、間違いなく診療所で使われていたものであるといえましょう。

いずれも、春日部市の人口が急増したときの資料です。人口の増加はグラフや年表にすれば一目でわかりますが、このような当時のモノからも、当時の世相や雰囲気を感じることができるのではないでしょうか。

展示は、7月7日まで。6月30日には展示解説講座も開催します。ぜひご覧ください。

#常設展 #プチ展示替

郷土資料館の常設展をプチ展示替しました。 #かすかべプラスワン

展示替したのは、毎度おなじみ、展示室の奥の奥の古文書展示のコーナー。

画像:展示ケース

長らく、江戸川開削に関する古文書を展示していましたが、訳あって撤収する必要があり、近年、ご寄贈いただいた市内の不動院野の旧家に伝わる高札を展示しました。

この高札、慶応4年(1868)3月に太政官の名で出されたもの。日本史でも習う(はず)の「五榜の掲示」の一つです。

内容は、キリスト教などを禁止するもの。江戸幕府以来のキリシタン制禁の政策がそのまま踏襲されたものを示す高札です。

面白いのは、この高札の左隅に釘で打ち付けられた穴(写真の赤の矢印)があること。そして打ち付けられた木札(木片といったほうがよいか)も一緒に伝わっていることです。

画像:木札

なぜだか、写真が縦になってしまいましたが、木札には、明治5年(1872)正月付で、埼玉県の名があります。高札の旨を守ることと墨で書かれたもので、内容は何てことないのですが、高札に打ち付けられた木札、珍しいかもしれません。高札はずっしり重い堅木であるのに対し、埼玉県の木札は簡素な杉の木ってところも面白いです。

資料を受領しに、旧家にお邪魔した折り、市内に高札が「まだ」あったことに驚き、またこの珍しい?木札にさらに驚いた記憶があります。

ぜひご覧ください。

5月の近隣博物館・資料館の考古学情報

5月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」

・6月9日(日)まで  富士見市立資料館水子貝塚資料館難波田城資料館 「ひらいた 考古館」

・6月23日(日)まで 栃木県立博物館 「栃木の遺跡」

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」

・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」

・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」

・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市) 「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」

・6月8日(土)~7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」

 

(遺跡発表会)

・6月22日(土) 千葉県立中央博物館 「発掘された関東の遺跡2024」 要事前申し込み(6月7日〆切)

 

(現地説明会)

・7月20日(土) 台東区教育委員会 「北稲荷町遺跡(旧下谷小学校地点)遺跡発掘調査現場見学会」要事前申し込み(6月14日〆切)

 

*春日部市郷土資料館では「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です

みゅーじあむとーくを開催しました

5月25日、現在開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示解説を実施しました。

今回の企画展は、ざっくり言えば、旧市庁舎ができてから、閉庁するまでの春日部市政の歩みを紹介するもの。扱う出来事は最近のことで、郷土資料館の展示としては異例の極めて現代史的な内容です。

画像:みゅーじあむとーく(午前)

いらっしゃった方にも、はじめにお断りしましたが、今回の企画展は広報かすかべをたどりながら準備しているので、当時の様子や詳しいことがわからなかったり、最近の出来事を評価するにも難しく、至らない部分も多いです。ご参集いただいた市民の皆さんには、そうした点を様々にご教示、ご感想をいただけました。

珍しいのでは!?とご感想いただいたのが、こちらの資料。

画像:ナンバープレート

昔、市が軽自動車(軽車両)に交付したナンバープレートです。

法令ができた昭和33年以降のものであるようですが、残念ながら、いつ頃のどんな車両につけていたものなのか、広報かすかべでは辿れません。自動車にお詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。

写真:みゅーじあむとーく(午後)

企画展は、いつもと時代の守備範囲が違う内容なので、お越しになる方がいらっしゃるのか、当日までわかりませんでしたが、お集まりいただいた方々は常連の方もいれば、はじめてお話しする方にもお越しいただき、写真の通り、そこそこ盛況のうちに終えることができました。また、知らなかったことをご教示いただけたので、担当者にとっても有意義な時間を過ごせました。

展示は7月7日まで。6月30日には展示解説講座も予定していますので、ぜひご観覧・ご参加いただけますと幸いです。

”神楽”の授業がスタート!ー江戸川小中学校ー

 5月22日(水)、義務教育学校の江戸川小中学校では、第4学年の総合的な学習の時間に神楽の学習がスタートしました。地域の歴史文化を学ぶ一環で恒例の授業となっています。

市指定無形民俗文化財『榎の囃子神楽』を継承する榎囃子神楽連の会長さんら3名の指導により、11月の「けやき祭り」に向け、初日の本日はタイヤを太鼓に見立てた打ち鳴らしを練習。

ニンバのリズム

バチの持ち方

 お囃子「ニンバ」は『テンツク・テケンツク・テツクツ・・・』と左右のバチを交互に振りおろし、リズムもゆったりと難しい演目です。4人一組のグループ毎にタイヤに向かって小一時間。あっという間にリズムと4人のタイミングが揃うグループがつぎつぎと!会長さんからもお褒めの言葉をいただきました。

練習風景1

練習風景2

 

 今後は様々な調子のお囃子に加えて、『おかめ・ひょっとこ』『大黒舞』などの伝統的な神楽の演目にも取り組みます。練習の成果は、10月の富多神社の祭礼や11月の学校のけやき祭りでお披露目されます。

 この経験から伝統芸能の継承に興味関心をもつ児童が出てくることを楽しみにしています。
 

出張授業「縄文体験教室」 in川辺小学校


5月17日(金)に川辺小学校へ出張授業に行ってきました。

今年度の出張授業第1回目となります。

3年生の2クラスの「総合的な学習の時間」に招かれ、「発見!探検!春日部じまん!川辺小学校ちかくの昔むかしの生活」について、学習しました。みなさん元気いっぱいに挨拶をしてくれました。

 

3年生では、歴史の授業をまだ習っていませんが、みなさん興味津々です。
授業の前半では小学校はどんな場所にあるのか、氷河時代にさかのぼってお話を聞きます。

 

 縄文人が住んでいたころ市内には海が広がっていたことを勉強しました。

小学校の周辺に広がる台地には、縄文時代の遺跡や貝塚が多くあります。
自分の家の近くで行われた発掘調査の話を聞いて、身近に縄文人が住んでいたことに驚いていました。

 

授業の後半では、3つの班に分かれて、縄文人の食べ物や道具を触れる体験を行いました。

石器の体験では、黒曜石を用いて段ボールを切るという、切れ味を確かめます。「こんなに切れるんだ!」「カッターよりも切れる!」驚きの声が上がりました。

 

縄文人の食べ物では、貝塚の貝がらと、川で取れる貝がらを見比べてみます。
貝の種類からも、縄文時代は温かい海が広がっていたことが分かります。史跡神明貝塚では「ヤマトシジミ」中心。「食べているシジミよりも大きい」「おいしいみそ汁ができそう~」と、率直な感想が聞けました。

土器の体験では、市内で出土した縄文土器を実際に見てもらいます。
縄文時代は、これがお鍋のように使われていたと話すと、とても不思議そうにしていました。

 

実際に縄文体験をして、当時の生活を想像することができたようです。
川辺小3年生のみなさん、ありがとうございました!6月は6年生を対象とした授業を行います。6年生はどんな感想が聞けるのか、楽しみです。また、多くの小・中学校からの出張授業の申し込みをお待ちしています

「さようなら二代目 #春日部市役所 」配布中

本日より、企画展「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」展(7月7日まで)が始まりました。春日部市の旧庁舎の閉庁を記念した企画展示です。 #かすかべプラスワン

展示は、昭和29年(1954)に(旧)春日部市が誕生してから、旧庁舎(二代目市役所)が閉庁するまでの、春日部市の歩みを様々な資料を展示して紹介するものです。旧庁舎が完成するのが昭和46年(1971)1月のことですので、旧庁舎は春日部市政の大半と月日を過ごしてきました。とくに、春日部のまちが駅の西側に広がり、「近代的な都市」へと歩みを進めていく、その市政・まちづくりの中枢にもありましたので、近代的な発展を遂げた市にとって象徴的な建造物ともいえるでしょうか。この旧庁舎(二代目市役所)が昨年12月閉庁したことを記念し、展示を企画するにあたり、今回、「さようなら二代目春日部市役所」と題するリーフレットを作成しました。

画像:展示リーフレット

一見、地味ですが、そこそここだわっています。

タイトルの「さようなら二代目春日部市役所」の「春日部市役所」の文字は、旧庁舎の玄関に掲げている「春日部市役所」の文字をトレースしています。建築に明るい人に言わせれば、この文字のレタリングが近代建築の風合いを遺しているとか。浅学ながら、旧庁舎は、いわゆる「モダニズム建築」と「ポストモダニズム建築」の狭間に置かれた建造物なのだろうと思います。文字も結構ですが、専門家の方には、まずは建物自体の建築史的な建物の評価をしていただきたいものです。

表紙の写真は、落成当時に「新市庁舎完成記念特集号」として発行された「広報かすかべ」の表紙です。新庁舎の完成が市にとって重要な出来事であったことがうかがえます。展示室では複製版をご覧いただけるようにしていますので、気になる方はぜひご来館ください。

背景は旧庁舎のタイルの画像となっています。リーフレットを開くと、見開きの背景は旧庁舎の内装のタイルの画像だったりもします。

このリーフレットは、ご来館いただいた方に無料で配布しています。旧庁舎や春日部市政をふりかえる機会にしていただければ幸いです。

 

展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」

会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室

入 場:無料

関連事業

・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」

 と き:令和6年6月30日(日)10時~12時

 ところ:教育センター

 申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請

・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)

 と き:5月25日(土)10時30分~、15時~

 ところ:郷土資料館 企画展示室

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「#春日部市役所 よ、さようなら(写真でみる現庁舎)」(2023年12月23日)

旧市庁舎の池

企画展「まちをみつめて50年」では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎(二代目市庁舎)にスポットをあて、市政のあゆみを紹介しています。 #かすかべプラスワン

写真:竣工直後の二代目市庁舎

上の写真は、竣工直後の二代目市庁舎。鳥瞰の写真で周囲の様子もわかる、大変貴重な写真です。先日、市役所内の担当部署から移管されたものです。あたりに田んぼの形跡があるように、二代目市庁舎は、昭和46年(1971)1月落成し、田園のなかからひとり、近代化していく春日部の町の有り様を見守ってきたといえるでしょう。

そんな、たくましさすら感じられる二代目市庁舎について、いろいろと調べているうちに「昔はこうなっていたのかぁ」と、小さな発見がありました。実は、池があったのです。

池はなんと、正面玄関の階段の脇です。スロープになっている段差を利用して、そこを池にしていたようです。図面でも池があることは確認できていたのですが、半信半疑。しかし、下の写真(昭和49年)を発見し、確信にかわりました。

写真:昭和49年市役所玄関前の池

この池、現在は植栽が植えられ、当時の面影は残っていません。いつ、どのような理由から池が植栽に変えられたのか、現時点では不明です。

へぇ~、と思った次第です。

【どこにあるかわかるかな?】目指せ資料館ハンター!

埼玉県鉄道高架建設事務所と郷土資料館が協力して、
令和6年4月1日(月)に、教育センター1Fに鉄道高架PR展示室を開設しました。

教育センターに入って、エレベーターやお手洗いを抜けたガラス扉の先に展示室があります。

以前は教育委員会の執務室として使われていた空間です。

ちょっと分かりにくい場所ですが、勇気をもって入ってみてください(笑)
鉄道高架PR展示室
展示室には駅周辺の古写真のみならず、粕壁宿のペーパークラフト模型や、古利根公園橋、鉄道高架事業の駅周辺の模型なども展示してあります。

 

そこで!
郷土資料館・鉄道高架PR展示室をよりじっくり味わってもらうために、こんなプリントを作成してみました。
「目指せ資料館ハンター!」
プリント
写っている写真は、郷土資料館もしくは鉄道高架PR展示室内に設置された模型の一部分をズームアップしたもので、その場所を探してもらうというゲーム感覚で楽しんでいただけるプリントです!
写真の中に含まれる色や特徴など、様々なものを手掛かりにぜひ探してみてくださいね!

 

郷土資料館写真

鉄道高架PR展示室写真
プリントは郷土資料館内に設置してありますのでご自由にお取りいただき、挑戦してみてください♪

#企画展 「まちをみつめて50年」準備中

GWが明け、5月18日(土)から始まる企画展示「まちをみうめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」の設営が本格化してきました。 #かすかべプラスワン

今回の企画展では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎にスポットをあて、その旧市庁舎が誕生し、閉庁するまでの市政のあゆみを紹介するものです。

旧市庁舎が落成したのは、昭和46年(1971)1月。閉庁するまで53年間、春日部市政とともに歩んできました。そんな長い期間の市政をくまなく紹介するのは、せま~い郷土資料館では不可能ですから、今回は、市制の周年事業や特徴的な取り組みを中心に紹介する予定です。市制40周年の「かすかびあん」も登場予定。

初日まで、あと1週間。毎度ながら、果たして間に合うのでしょうか。

画像:企画展示チラシ

展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」

会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室

入 場:無料

関連事業

・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」

 と き:令和6年6月30日(日)10時~12時

 ところ:教育センター

 申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請

・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)

 と き:5月25日(土)10時30分~、15時~

 ところ:郷土資料館 企画展示室

県指定文化財”小淵観音院円空仏群”の公開

五月晴れの絶好の行楽日和となりました本日5月3日(金)、小淵山観音院では、埼玉県指定有形文化財“円空仏”が公開され、午前から多くの拝観者でにぎわいました。

観音院全景

本堂の様子

『微笑みの円空仏』とも親しまれ、魅了する木像仏を間近で拝観できる年一度の機会、本堂の静寂の中で思い思いの時をお過ごしできたようです。地元小渕地区の方はもちろん、県内外からもこの日を楽しみにしていたという声を聞くことができました。

聖観音菩薩立像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖観音菩薩立像」一木から彫り出された円空仏では県内最大の194㎝を測る。口元には微笑みがこぼれ、頭巾様の宝冠には阿弥陀如来の化仏が配置されている。

 

 

伝毘沙門天立像 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伝毘沙門天立像」四天王の中でも最強の神。竜頭様の兜の左右に唐草文様が彫り込まれている。 

 

不動明王立像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不動明王立像」右手に宝剣をもち、口元には歯牙をあらわす厳しい表情を示す。県内唯一の立像の不動明王像である。

 

 

本年の公開は例年より一日延長、5月6日(月)まで、午前10時から午後5時まで。また、特別プログラム「宵会(ヨイノカイ)」もご用意されております。(お問合せ先:小淵山観音院 048-752-3870)

この機会に木像彫刻に生涯を懸けて創りあげた円空の芸術に浸ってみてはいかがでしょうか。

#かすかべ地名の話 (4) 花のつく地名 #花積 #西宝珠花

市内の地名の話題。今回は企画展でも紹介している花のつく地名について。 #かすかべプラスワン #地名の由来

市内の「花」のつく地名は、住居表示でも使用されている「花積」「西宝珠花」です。

花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。

しかし、なぜ「花」という言葉が地名についているのでしょうか。花積・宝珠花の地名の由来については、様々な説があります。諸説については花積と西宝珠花の「地名のはなし」の回に譲ることにしますが、「はな」という言葉の語義を調べてみると、「突端」や「先端」を意味するそうです。それが転じて「はなわ(塙)」は台地などの高くなっている土地を指すそうです。顔の「鼻」も顔のなかで突起している部分、あるいは先端ですし、フラワーの「花」も植物の先端に付きます。つまり、「花」とは「突端」「先端」あるいは「台地」の上を意味すると解せます。

翻って、花積と宝珠花の地形をみると、台地の突端に位置しています。地名の由来の定説を決定づけることは難しいですが、おそらく春日部市の「花」は「突端」「先端」あるいは「台地」を意味するものと理解されます。

ちなみに、庄和地区の金崎には「字花輪下(あざ はなわした)」という地名があります。ちょうど国道16号のハンバーガーチェーン店のあたりとなり、南桜井駅周辺に張り出した台地の縁辺にあたります。おそらく、「花輪」はこの台地を指し、その「下」に位置するので「花輪下」と呼ばれたのでしょう。

なお、「花」の地名は、台地が張り出している市域のみならず、他所にもあります。「鼻」の漢字があてられる場合もあるようです。

西宝珠花では、5月3日、5日大凧揚げ祭りが開催されます。「花」の地形も意識しながら、西宝珠花を散策すると、より大凧揚げ祭りも楽しめるかもしれませんよ。

春日部市史 『自然誌編』の頒布を開始します

春日部市史自然誌編

 自然科学(主に地学)による観点にたち、市域の土地の成り立ちや、河川の流れ、地震や台風の自然災害などが、私たちの暮らしにどのような影響をおよぼしたのかをテーマに編さんした新たな市史「自然史編」を刊行しました。

 市内の土地や河川の流れ、埼玉県東部地域特有の地形である河畔砂丘の現地調査、文献や空中写真、古地図の確認による地形の変遷の確認など、6年間の歳月をかけて調査の成果をまとめたものです。

 特に自然堤防を越流した痕跡(クレバススプレー)により、今は人の手により管理されている大落古利根川や古隅田川がかつては度々氾濫を繰り返していたこと、イチョウやハクレンなど市内でよく見られる樹木が、太古に栄え、その後自生種が減り現在では生きている化石植物であること、中世から近世にかけて古隅田川の流れが変わった理由について考察した内容など、最新の学問の成果を取り入れた内容となっています。

 また、「地学さんぽ」と題し、各章の内容に収まらないもので、コラム的な内容をまとめた章もあります。オールカラーで420ページ、巻末には、用語の解説も掲載しています。

 市内の図書館や公民館にも配架しておりますので、ぜひご覧になってください。関心のある方には、春日部市役所本庁舎4階の文化財課や春日部市教育センター1階の春日部市郷土資料館で有償(一冊3,000円)で本日、5月1日(水)から頒布を開始しました。

《頒布している施設》

 市役所4階 教育委員会 文化財課

 市役所3階 市政情報課

 教育センター 郷土資料館

 庄和総合支所2階 総務担当

 道の駅庄和

 ぷらっと春日部

  本書を契機に市内の地形の歴史に興味関心を高めていただければ幸いです。

 

 

 

口絵1 首都圏外郭放水路建設時に現れた露頭と木下貝層から算出した化石口絵11 生きている化石植物第1章第3河道・旧河道、クレバススプレー第3章第8節 図3-53 現在の古隅田川

花積の貝殻坂はどこか!?

4月27日(土)、「*花の彩り*春日部*」展の展示解説講座を開催しました。

今回は、春日部ゆかりの花の話題は他に譲り、「花」のつく地名である花積・西宝珠花の歴史にフォーカスをあてました。

写真:講座の様子

花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。

さて、今回は花積の「貝殻坂」について。花積は花積貝塚が所在することで考古学界では著名な地区です。縄文時代には台地の谷あいに海が入り込み、高台に暮らす縄文人が貝を投棄し、それが貝塚となったわけです。花積に豊富な貝が散在していたことは、江戸幕府の官撰の地誌「新編武蔵風土記」の記述にもみえます。記事は次の通り。

塚 高さ四五尺庚塚と云、この外西北に登り、五丈許屈曲せる坂あり、そこより貝殻多くいづれば貝殻坂とよべるなり

花積地区の発掘の報告書にも引用される一節です。解釈してみましょう。当時の花積(花積村)には、庚塚という高さ4~5尺ほどの塚があったそうです。残念ながら塚の位置は不明です。記事は「この外」に坂があると書かれています。「この塚の外側に」ということなのか、「塚の他に」という意味なのか確定ができないのですが、いずれにしても花積村内に5丈(約15m)ばかり屈曲する西北に登る坂道があり、その坂道一帯から貝殻がたくさん出てくるので、地元の人たちは「貝殻坂」と呼んでいる、と解釈できます。

「もし、花積発祥のアイドルグループができたなら、きっとグループ名は貝殻坂46」

そんな妄想を抱きつつ、貝殻坂の場所を特定せんがため、受講者の皆さんと明治9年の花積村地租改正図をから読み解いてみました。今回の講座では受講者の皆さんに下の絵図を配布し、貝殻坂がどこなのか、を一緒に考えていただきました。

画像:花積村地租改正図

 前にあげた風土記稿の記事を、花積地内のこれまでの発掘成果に照らしあわせ考えると、花積地内には、貝を含む土層が検出された花積貝塚がありますので、貝殻坂は貝塚周辺と推測されます。花積貝塚は、上の図ではちょうど中央の黄色の枠で囲ったあたりです。たしかに、花積貝塚の石碑が立っている地点の裏手にあたる南側には、細い路地があり、ここが斜面になり、坂道になっています。

写真:花積貝塚の裏の道

 この坂道は地租改正絵図にも確認されますので、江戸時代の村の道であることは間違いなさそうです。しかし、絵図でも現況でみても、それほど屈曲しておらず、また「西北」に登る坂というよりは、どちらかといえば東北方面に登る坂道です。貝塚の斜面にあたるので、かつて貝殻が散らばっていた可能性も高いのですが、本当に風土記のいう「貝殻坂」かどうか確定しかねます。

発掘成果を考えずに、「西北」に登り、屈曲する坂道を探してみましょう。花積は、東西寺・二ノ宮神社沿いの南北に縦断する道(越ケ谷道・慈恩寺道)が馬の背、尾根道のように村の標高の頂点になっています。つまり、この道の方向へ東側から交差・接続する道が、西北に登る坂道になるわけです。それを踏まえて、屈曲する道を探すと、図の赤い丸で囲む地点が極端に屈曲しており、また西北にカーブしています。

画像:地租改正図(注記)

丸で囲った道を東側に見た写真です。

写真:斜面の看板

 写真の先が下りの坂になっています。傾斜は5%と急な坂ではありませんが、平坦な春日部市内では珍しい道路標識が設置されています。道路標識で注意を促すカーブと傾斜が、ちょうど丸で囲ったカーブになります。

江戸時代から存在し、西北に登り、屈曲している坂道、ということで「貝殻坂」の要素を満たしています。肝心の貝殻はというと、カーブのあたりは、現時点では遺跡が検出されておらず、貝殻が散っているのかは、舗装されていることもあり、現地では確認できませんでした。

講座では時間がなくお話できませんでしたが、絵図をよく見ると、このカーブには社寺地と同じ色で塗られた土地があります(図では白い丸をつけています)。おそらく、この白い丸の土地に、なんらかの社・祠かあったのではないかと考えられます。詳しいことはわからないのですが、もしかしたら「庚塚」なのかもしれません。推測を重ねれば、このカーブは庚塚の外縁にあたるので、風土記の記事の「この外」とは外側という意味なのかもしれません。

ともかく、花積貝塚の裏の坂道にしても、傾斜5%の道路標識の坂道にしても、どちらも決め手を欠きますので、「貝殻坂」は謎のままです。春日部市内では唯一の名前の付いた坂道「貝殻坂」。今後とも気にかけて追及したいものです。

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」

・5月12日(日)まで 東京国立博物館 特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」

考古学の展示ではありませんが、考古学分野より「国宝 三重県宝塚一号墳出土埴輪」がとりあげられ、ほぼ完全な形の船形埴輪(ふねがたはにわ)が展示されます。

・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」

・6月9日(日)まで  富士見市立資料館水子貝塚資料館・難波田城資料館 「ひらいた 考古館」

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」

 

*春日部市郷土資料館「花の彩り*春日部*」展も5月2日までです。「花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。

常陸型甕と宝珠花―*花の彩り*春日部*

前回の縄文時代の関山式土器に続き、「*花の彩り*春日部*」展で展示している宝珠花は貝の内遺跡から出土した「常陸型甕(ひたちがたかめ)」を紹介します。この甕は7世紀後半の竪穴建物跡から発見されています。

常陸型甕

常陸型甕は、土器の粘土に雲母を含み、光が当たると雲母がキラキラと光ります。これは、茨城県南部で採れる粘土を使っていると考えられ、現在の茨城県のあたりが、かつて「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれたことから、考古学では常陸国に特有な甕として常陸型甕と呼んでいます。

武蔵国(むさしのくに)で使われていた長胴の甕とは違い、卵のような形であり、胴部の下方にはヘラミガキと呼ばれるヘラ状の工具で器面を整えた痕跡があります。また口縁部を受け口状につまみ上げるなどの特徴もあります。

常陸甕は、市内では、特に西宝珠花や塚崎などの宝珠花台地の7世紀後半から9世紀ごろまでの遺跡から多く発見されており、当時、市域東部で生活していた人が常陸国の人々と頻繁な関りがあったと考えられています。

展示している常陸型甕は、竪穴建物のカマドの天井を支える「ソデ」と呼ばれる部分から発見されたものです。本来、甕は、現在の鍋のように調理の際の煮沸具として使われるものですが、この甕は、ソデを補強するための材料として使われていました。

前回ご紹介した縄文土器の型式である「関山式」は、蓮田市の関山貝塚で発見された土器をもとに設定された型式でした。花積でも関山式土器が発見されます。7世紀の「常陸型甕」は、常陸国を中心に使われていた土器の型式で、主体的に使われていた地域の地名が型式名となるところに違いがあります。つまり、宝珠花でも常陸型甕は発見されますが、主体的に生産、使用されていたのは常陸国が中心となります。

それぞれの時代の研究において型式の使われ方に違いがあることに注意が必要です。

 

今年もやってきた藤の季節

桜はとっくに散り、春日部市内の藤の花が見ごろを迎えています。 #かすかべプラスワン #藤 #牛島のフジ

春日部人(かすかびあん)なら、桜よりも藤の花、のはず。粕壁小の敷地に自生している謎の藤の花も見ごろ。郷土資料館から見え、甘い香りがします。

写真:粕壁小の藤

かつて「世界一のフジ」と称された、牛島のフジ(国特別天然記念物)も、この数日間が見ごろのようです。

最近のニュースなどでは、他地域のフジの花が紹介されているのを見かけます。牛島のフジの歴史・文化性は唯一のもの。あの新一万円札男・渋沢栄一も見に来ているのだから、もっと紹介されてもいい、と個人的に思います。

春日部駅西口側では、藤通りの藤棚が見ごろのようで、藤テラス(4月21日)、藤まつり(4月28日)。藤まつりウィークと称し、とイベントが目白押しです。

郷土資料館では「*花の彩り*春日部*」展で、藤をめぐる春日部の歴史も紹介していますので、観藤のついでにお立ち寄りください。

関山式土器と花積ー*花の彩り*春日部*

現在、春日部市郷土資料館で開催中の「*花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代前期の関山式土器を展示しています。

花積内谷耕地遺跡関山式土器

関山式は、蓮田市の関山貝塚から発見された土器をもとに設定された型式です。もとは「蓮田式」と呼ばれていましたが、戦前、昭和初期の研究で、古い順に花積下層式、関山式、黒浜式と分けられました。

花積下層式、関山式、黒浜式土器は、「羽状(うじょう)縄文系土器群」とも呼ばれ、縄文のつけ方に特徴があります。羽状縄文とは右撚りと左撚りの縄文を上下に連続してつけることで、全体として羽や菱形の形にみえるようにする縄文の施文方法です。

また、縄文時代には「繊維土器(せんいどき)」と呼ばれる、材料となる粘土の中に植物の繊維を混ぜて焼き、割れ口に燃えつきた植物の痕跡が残る土器があります。羽状縄文系土器群は、ほとんどが「繊維土器」です。

関山式土器の特徴として、口縁に文様帯が設定され、竹を使用した複雑な文様が描かれることがあげられます。また、縄文原体の端部などに輪(ループ)を作り、それにより付けられた「ループ文」と呼ばれる縄文が多用されます。

関山式土器は埼玉県を中心に関東地方全域で出土します。春日部市では、今回展示の花積内谷耕地遺跡(花積)のほかに、竹之下遺跡(内牧)、貝の内遺跡(西宝珠花)、風早遺跡(西金野井)、鷲前遺跡(東中野)で関山式土器の時代の集落跡が発見されています。約6,500年前の縄文土器型式と考えられており、すでに始まっている縄文海進の影響を受け、貝塚を伴っているものが多いです。

 今回展示している花積内谷耕地遺跡の関山式土器は、口縁部の縁に竹でつけられた細かい文様がまわり、円形の粘土粒が貼り付けられます。胴部はループ文や羽状縄文が施されます。

 展示でも触れていますが、花積は花積貝塚から出土した土器をもとに設定された「花積下層式」発祥の地です。しかしながら、縄文土器の土器型式は、地名こそ冠していますが、土器の変遷の指標として使われるもので、花積からも「関山式」の土器が出土します。

展示解説を実施しました

4月20日(土)「*花の彩り*春日部*」展のみゅーじあむとーく(展示解説)を実施しました。

午前は4名、午後は2名と少人数でしたので、時折、ご質問いただきながら進めました。

写真:午前の様子

皆さんの興味があつまったものの一つに、昭和27年の西宝珠花移転前の町並みを紹介したパネル(図)があります。この図は、当時大学生だった方が卒業論文で調査・聞き取りしたノートや自ら撮影した写真をもとに作成しています。西宝珠花は、こののち江戸川改修のため、移転してしまいますので、大変貴重な情報となっています。往時の西宝珠花の繁栄がひと目にしてわかるものです。

写真:午後

午後の方は、明治9年花積村地租改正絵図にご興味をお持ちいただきました。土地が錯綜しており、絵図作成にあたって隣接する村の戸長らが署名していることに驚かれたようでした。

展示の会期は、5月2日(木)までとなっています。お見逃しなく。

市指定無形民俗文化財ー不動院野の神楽ーの公開

 桜の花びらが散り始めると同時に葉桜が芽吹き、そして夏日となった4月14日(日)には東不動院野地区の大杉神社境内では、市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」が公開されました。

 昨春は地域の皆さまを対象に集会所で小規模の祭礼でしたが、今春は5年ぶりに特設舞台を設け、広く公開されました。

 

 舞台背景では桜が散り始める中、小気味よい軽やかなお囃子が奏でられ、神楽の公開に足を運ばれた皆さんからも「お祭りが戻ってきた!って実感できるね」という、安堵の声を聞くことができました。

 祭礼は「大黒様」「獅子舞」で口火が切られ、今春に進学した大学生が堂々とお囃子を演奏してくれました。続く神楽の「大江山」では、高校一年生が巫女役に。地域の皆さんからも拍手喝采をいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲堂々とした巫女の舞を、お囃子でも高らかな笛の音色が不動院野地区に響き渡りました。高校生、そして大学生の後継者が祭礼では活躍いただきました。

  また、久しぶりの祭礼でしたが保存会のベテランの皆様は日頃の「あうん」の呼吸で口上を面白可笑しく対話をとおして神楽を盛り上げていただきました。

 本年は各所で民俗芸能が公開されますので、”祭り囃子”と”郷土の舞”をぜひご覧ください。

#博物館実習 受け入れています

#春日部市郷土資料館 は、今年度も #博物館実習生 を受け入れています。 #かすかべプラスワン

と、告知すると、博物館がお好きな一般の方からお問い合わせがありそうですが、博物館実習とは、大学で博物館学芸員の資格取得を目指す学生が、一定期間、博物館の現場で実際の業務を経験すること。ですから、基本的に未来の学芸員を志す学生さん(市内在住の方優先)に限られます。

当館の博物館実習は、例年7月末から8月にかけて、実施しています。毎年、実習生に「ほごログ」にて実習の模様を報告してもらうのも恒例になってきました。どんな実習をするのかは、下のタグの「博物館実習」「実習生」「実習生の記録」をクリックしてみてください。

実習の受け入れ・申し込みについて、詳しくは、市ホームページをご覧ください。

 

#円空仏祭 のチラシ

春日部の #GW の恒例行事「 #円空 仏祭」。今年も小渕・観音院にて、県指定文化財「小渕観音院円空仏群」(7躯)が公開されます。観音院のご住職様のご厚意で、チラシをいただきましたので、郷土資料館で配架・配布させていただきました。

画像:円空仏祭パンフレット

このチラシ、ただのチラシじゃありません。

蛇腹折りになっており、経典などでつかわれる折本の仕様になっています。

ジグザグに折ったまま立てると、あたかも円空仏の屏風のよう。

写真:屏風のようなチラシ

・・・カッコいい。

写真がうまく撮れず、チラシの良さが伝わりづらいので、ぜひお手にとってみてください。

そして、円空仏祭は、5月3・4・5・6日に開催されます。ぜひ実物の円空仏を間近でご覧ください。

詳しくは観音院のサイトへ。

鉄道高架PR展示 駅と街がつづる“かすかべ”の歴史 開設のお知らせ

 4月1日(月)に埼玉県鉄道高架建設事務所が教育センター内に移転したことに伴い、同事務所と郷土資料館は、鉄道高架事業や駅周辺の歴史をわかりやすく紹介する展示室を教育センター1階に開設しました。

 

展示ガイドはこちら → 電子版【駅と街がつづる かすかべ の歴史】展示資料一覧.pdf

 

 

 春日部駅周辺の歴史的な写真や鉄道高架事業の紹介パネル、各種模型を展示し、過去から未来へつながる“かすかべ”の駅と街の魅力をPRします。

主な展示 〇駅と鉄道の歴史

      ・粕壁宿の手作り模型・粕壁小学校木造校舎模型

      ・春日部駅と周辺の古写真      

     〇鉄道高架PRブース

      ・事業進捗状況の紹介パネル

      ・鉄道高架事業の駅周辺の模型

 

場所 教育センター1F

 

【 #4月1日 】 #今日は何の日? in春日部

今から30年前、平成6年(1994)4月1日は #かすかびあん 宣言の日です。 #かすかべプラスワン

「かすかびあん」とは、「自然を愛し、文化を愛し、人を愛し、未来を愛し、そしてなによりも春日部を愛する人のこと。春日部をもっと好きになりたい、もっと愛したいと願望し他の人にも春日部を好きになって欲しいと願っている人」のこと。

定義はさておき「かすかびあん」といえば、このマーク。市内のどこかで見覚えがないでしょうか。

 画像:かすかびあん

マークには意味があることご存じでしょうか。「胴体から発信される3本のラインは、緑で春日部の誇る藤と文化を、赤で太陽と春日部の未来を、そして体全体で、躍動するエネルギーと情念を表しています」

「胴体」「体全体」ということは、動物をモチーフにしている模様です。

平成6年(1994)に市制施行40周年を迎えた旧春日部市が、「より暮らしやすい春日部をつくりたい、より魅力ある春日部にしていきたい」を目標として、CI(コミュニティ・アイデンティティ)手法によるイメージアップ推進事業に着手し、4月1日、「かすかびあん宣言」が宣言されました。宣言は以下の通り。

わたしたちは、あたたかいまち、

誇りと感動のあるまち春日部を愛し、

もっと多くの人たちにも、

この気持ちを持ってもらうために行動することを約束します。

そして、この宣言に基づいた「かすかびあんキャンペーン」事業がはじまります。

イメージ戦略なので、具体的に何をしたのかということは、今となっては追跡しづらいのですが、「かすかびあんマーク」を市の刊行物や案内サインなどに多用し、まちづくりに活かす取り組みを進めました。たとえばTシャツ。

写真:かすかびあんTシャツ

いくつかバージョンがあるようですが、手元の資料によると少なくとも94年度から98年度まで毎年度製作されていたようで、98年度(写真右)は「「祭りだ!ワッショイ!!」をテーマに祭りのあとのセンチメンタルを感じさせるデザイン」にしたとか。

かつて「ほごログ」でも紹介した藤のまち春日部を意識した事業も「かすかびあん」関連の事業として取り組まれ、『藤なんでも百貨』の出版や国特別天然記念物の牛島のフジから接ぎ木した苗木を配布したりする「春日部オンリーワン行動計画」が実施されました。「かすかびあんPress’96」(資料番号001-148)には「藤のかすかびあん大募集」の記事がみえます。

市役所のみならず、町の皆さんにもご協力いただき、たとえば、次の画像は、駅東口にあったショッピングセンターの懸垂幕の写真です。

写真:東口のニチイの懸垂幕

今でも 「もっと春日部、かすかびあん!」というキャッチフレーズとともに、90年代後半ごろに造られた構造物に、マークがあしらわれているものが残っています。

その後、「かすかびあん」という言葉・マークは、平成17年の庄和町との合併ともあいまって、あまり使われなくなってています。

さて、現在、春日部市では、シティセールス戦略プランを策定し、市のイメージ戦略、イメージアップを進めています。シティセールスとは、「選んでもらえるように、まちの売込みをしていくこと」とのこと。

「かすかびあんキャンペーン」でも掲げていたように、まちの誇りや愛着を感じてもらうとともに、人口減少社会の現代において「今後もここに住んでいたいと思ってもらうこと」を重視するものへと変化し、「かすかびあん」という言葉・マークは使われなくなっても、「+1のあるまちkasukabe」のなかに、その理念は現在にも継承されているのでしょう。

郷土資料館では、次期に旧市庁舎と市政のあゆみをテーマにした企画展示を計画中です。「かすかびあん」も旧市庁舎時代に生まれた市政を代表するマークなので、関連資料も展示する予定です。「かすかびあん」の方は必見です。詳しくは後日お知らせします。

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月28日版6月2日版6月3日版6月10日版7月31日版9月1日版9月16日版11月25日版

過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、上のリンクからお読みいただけます。

#かすかべ地名の話 (3) #粕壁 の #小名

忘れたことにやってくる、市内の地名の話題。今回は粕壁地区の小さな地名について。 #かすかべプラスワン #地名の由来

市内の場合、現在使用されている住居表示は、江戸時代の宿・村の地名であることが多いですが、普段つかっている地名のなかに小さな地名があります。そうした地名は、一般に、小名(こな)とか、小字(こあざ)と呼ばれています。

まずは、昭和11年(1936)に刊行された『粕壁町誌』の付図「粕壁町略図」をみてみましょう。

画像:粕壁町略図

かつての粕壁町は、現在の粕壁、粕壁東だけでなく、中央、浜川戸、八木崎町、緑町、南、大沼(一部)、南栄町(一部)、豊町(一部)が含まれるエリアでした。上の地図をみると、浜川戸(はまかわど)、八木崎(やぎさき)、馬草場(ばくさば)、内出(うちで)、町並(まちなみ)、町裏(まちうら)、井戸棚居(いどたない)、川久保(かわくぼ)、川久保新田(かわくぼしんでん)、土井(どい)、草刈場(くさかりば)、新宿(しんじゅく)、内谷(うちや)、立沼(たてぬま)という地名がみえます。これらが昭和11年当時の粕壁の小字ということになるでしょう。

明治8~9年の「武蔵国郡村誌」には次のような小字が記載されています。

金山(かねやま)、内出(うちで)、寺町(てらまち)、横町、上町(かみまち)、中町(なかまち)、新宿組(しんじゅくぐみ)、三枚橋(さんまいばし)、新々田(しんしんでん)、下組(しもぐみ)、大砂組(だいすなぐみ)、川久保(かわくぼ)、元新宿(もとしんじゅく)、大池(おおいけ)、内谷(うちや)、太田(おおた)、松の木(まつのき)、裏町(うらまち)、前山中(まえやまなか)、上山中(かみやまなか)、陣屋(じんや)、八木崎(やぎさき)、浜川戸(はまかわど)、土井(どい)、井土棚居(いどだない)、草刈場(くさかりば)、馬草新田(ばぐさしんでん)

小字・小名には、①町・村のなかのコミュニティ(現在の町内会)を意味するもの、②土地を小分けした地名を意味するもの、③①と②の両方が混在しているもの、の3通りがあるようです。

粕壁でいえば、寺町、上町などの「町」の付くもの、新宿組や大砂組など「組」が付くものは、コミュニティの名称として使用されますが、草刈場、馬草新田などは、土地の地名として使われています。しかし、これらも人々の生活の移り変わりとともに、土地の名前がコミュニティの名前として使われるようになったり、あるいは、地名自体が消えてしまったりするものもあります。

粕壁は、江戸時代に日光道中が造られてから宿場町として古利根川縁辺の街道沿い(現在の春日部大通り)が町場となっていました。粕壁の人たちは、街道のことを「オーカン(往還)」などと呼んでいたようで、往還沿いは、古利根川境から、寺町、横町、上町(宿・組)、中町(宿・組)、新宿(組)、三枚橋、新々田、下(組)と称されていました。江戸時代後期には、上町・中町・新宿・三枚橋は「宿内四ケ町」とされ、宿場の業務と取り決めを行う町の中心の組となっていたように、これらの小名はコミュニティとしての名称でした。江戸時代の人々は街道沿いの土地を、昭和11年「粕壁町略図」にもみえる「町並」(まちなみ)と称していたようです。

時代を経て、粕壁の人々の生活領域が広がるなかで、最勝院をはじめ寺院が集まる地帯(寺町)、新町橋の手前の地帯(横町)、東陽寺や源徳寺の周辺(新々田)の往還沿い、さらには町並の裏や往還の脇道にも町場が広がっていきました。おそらく、「山中」「裏町」(現在の元町)「陣屋」「松の木」「大砂組」などの、町並のなか、あるいは町の場末にもあたるこれらの地名は、町場が広がり、新たなコミュニティがつくられていくなかで、徐々に小名として定着したものと考えられます。昭和初期ごろ(正確にはわかりません)には、「東町」「旭町」「富士見町」「宮本町」「本町(新宿組)」「一宮町」「春日町」「元町(裏町)」「幸町」などの町内会が成り立ち、住所として併記されることもありました(昭和の終わり頃までか)。

一方、江戸時代に粕壁地内の土地を示した絵図には次のような地名がみえます。

「川久保耕地」「井戸棚居耕地」「内出耕地」「内谷耕地」「八木崎耕地」「浜川戸耕地」「新宿前耕地」「草苅場耕地」「馬草新田」(「井戸棚居」は「井戸田苗」、「馬草新田」は「馬草場耕地」と記されるものもあります)。

これらの地名は、江戸時代の粕壁宿の土地台帳である元禄10年(1697)の検地帳にもみえる地名です(元禄の検地帳には、「内出」「井土棚居」「川窪」「浜川戸」「内屋」「草刈場」「八木崎」「新宿前」「馬草新田」「内田沼」「油戸沼」「立沼」の小名がみえます)。かつ昭和11年の粕壁町略図の農地が広がる地名にほぼ対応し、「耕地」とされることからも、主に土地の名称、とくに田畑・耕作地を指すものとして使われていた小名であるようです。

小字・小名について、どんな意味があるのか、はたまたいつ頃に生まれた地名なのかは、はっきりとわからないものが多いのですが、小さな地名は、土地に刻まれた歴史に思いをはせる糸口になるのではないかでしょうか。

3月の近隣博物館・資料館の考古学情報

3月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・4月21日(日)まで 取手市埋蔵文化財センター 「祈りのかたち―出土品から見る先史時代の祭祀―」

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」

 

なお現在、春日部市郷土資料館で開催中の「花の彩り春日部」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。

「みゅーじあむとーく」開催しました

3月24日(日)、企画展「*花の彩り*春日部*」展のみゅーじあむとーくを実施しました。 #かすかべプラスワン

写真:みゅーじあむとーくの様子 

ご来館いただいたのは、わずか3名と少人数でしたが、時折ご質問いただきなが解説をしました。春日部が桃や牡丹の名所であったことや、西宝珠花や花積の特徴的な歴史についてご理解いただけたようです。

昭和6年のデータをみると、埼玉県内での桃の出荷額第1位・第2位が、幸松村(現・幸松地区)・豊野村(現・豊野地区)なのですが、出荷された桃は、どのような販路にのったのか、というご質問をいただきました。具体的には、同じ県内の千疋村(現・越谷市)を発祥とする某高級フルーツ店に卸されたのか、と。最盛期の幸松や豊野の桃は、水蜜桃という中国原産の桃で、戦後に洋桃も出荷されたようですが、具体的な消費の動向はわかっていません。今後の課題にさせていただきます。

それから、国史跡の神明貝塚について、ご質問もいただきました。神明貝塚は、西宝珠花のお隣の西親野井地内にありますが、それだけ期待が高いということだと思います。史跡の保存と活用を計画的にすすめているところです。これからもご支援のほどよろしくお願いいたします。

ご参加された方には、花積村の地租改正絵図パネル、西宝珠花の町並み図のパネルの印刷物を配布しました。「図をみて花積を散策したいと思います」と話してくださいました。

春の花々をはじめ、「花」の文字にまつわる地元の歴史も楽しんでいただければ幸いです。

次回のみゅーじあむとーくは、4月20日(土曜日)の予定です。人が少ないと淋しいので、よろしくお願いします。

明日3/24に「みゅーじあむとーく」やります

明日3月24日、企画展「*花の彩り*春日部*」のみゅーじあむとーく(展示解説)を実施します。 #かすかべプラスワン

郷土資料館の「みゅーじあむとーく」は展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説するもの。かつては、「ギャラリートーク」と呼び、近年は「ミュージアムトーク」と呼んでいます。展示の解説があったほうが理解が深まるとの声からはじめたものです。

しかし、「ギャラリートーク」は市教育委員会の「市展」でも出品される美術作品の審査員の先生方が解説するものとして実施されるようになり、また、郷土資料館は「ギャラリーなのか」という疑問も生じ、郷土資料館のギャラリートークは「ミュージアムトーク」に改称するに至りました。その後、カタカナよりもひらがなのほうが柔らかさが醸し出されるので「みゅ~じあむと~く」に発展。「みゅ~」を「みゅー」にするか、またはカタカナ表記か、ひらがな表記かは、担当者の好みですが、最近は「みゅーじあむとーく」で定着しつつあります。考えてみれば、「ギャラリートーク」は市展でもできますが、春日部市内にミュージアムは郷土資料館だけですから、市内の「みゅーじあむとーく」は郷土資料館でしか名乗れない事業かもしれませんね。

さて、「みゅーじあむとーく」は10時30分~、15時~、それぞれの時間に実施します。費用や申込は不要です。お買い物のついでに、お散歩のついでに、お時間がありましたら、お立ち寄りください。担当者は、一人で話しすぎる悪い癖があるので、話は控えめにして、堅苦しくなく、皆さんと一緒に、春日部の「花」の歴史と文化について考えたいと思っています。といってもどんな話をしようか、鼻息を荒くして構想しています。

画像:企画展チラシ

みゅーじあむとーく

日時:令和6年3月24日(日曜日)・4月20日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(各30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
内容:展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説します
費用・申し込みは不要です。所定の時間にお集まりください

「かすかべ人物史」公開しました

サイト内に市域の歴史的人物を紹介する「かすかべ人物史」を作成・公開しました。 #かすかべプラスワン

このブログの左もしくは下にあるメニュー「郷土資料館」から「かすかべ人物史」をクリックしてください。

現在掲載しているのは、埼玉の偉人として埼玉県が普及啓発している、岩井 弥一郎(いわい やいちろう)・加藤 楸邨(かとう しゅうそん)・栗原 伝三郎(くりばら でんざぶろう)・小島 正重(こじま まさしげ)・ 豊田 三郎(とよだ さぶろう)・原 又右衛門(はら またえもん)・三上 於菟吉(みかみ おときち)・見川 喜蔵(みかわ きぞう)の8名です。

まだ、関連する情報は少ないのですが、地元ならではの関連する資料・スポットなど、今後情報を充実していきたいと考えています。さらには、史料的に事績が明らかにしにくく「偉人」としては括りがたい、春日部ゆかりの歴史的な関連人物も増やしていくつもりです。

あんな人やこんな人も思い浮かびます。ご期待ください。

歴史文化講演会 砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査を開催しました

本日、越谷市の莵原雄大先生をお招きして歴史文化講演会「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」を開催しました。多くの方にご来場いただき、誠にありがとうございました。また莵原先生には、大量のスライドを作成いただいて、大変わかりやすくご講演いただきました。ありがとうございました。

砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査

海道西遺跡は、3月12日の記事でも触れましたが、北越谷駅の北西側、宮内庁埼玉鴨場近くにあり、令和4年に発掘調査が行われ、平安時代の竪穴建物跡や近世の遺構・遺物が検出されました。遺跡は、大林河畔砂丘上に立地しています。

講義の中でも紹介されました通り、発掘調査報告書は、全国遺跡報告総覧でPDFが公開されています。

海道西遺跡発掘調査報告書(全国遺跡報告総覧)

 

ご講演では、大林河畔砂丘の範囲が、幅20~30mとかなり限定的であることや、海道西遺跡では9世紀後半~10世紀初頭に少し砂丘の形成が始まった段階で竪穴住居が構築され、その後砂丘が堆積し、15~16世紀の火葬土坑が構築されたころには砂丘の形成が終わっていたとの考察が模式図で紹介されました。

このうち河畔砂丘形成年代の推定について、年代を推定するにあたっては考古遺物や寺社仏閣の立地などが用いられています。たとえば小渕河畔砂丘では、砂丘下から古墳時代後期から奈良時代の須恵器の大甕が発見され、砂丘上には15世紀に開山された浄春院が立地しているので、この間に砂丘が形成されたということはご講演でもご紹介いただきました。

しかしながら、砂丘の形成年代の決定にあたっては、最大の年代幅であることに注意が必要です。つまり小渕河畔砂丘は、古墳時代後期から奈良時代以降のいずれかの時点で砂丘形成が始まり、15世紀以前のいずれかの年代で形成が終わったということです。「形成年代=古墳時代後期~奈良時代」、「終了年代=15世紀」とは言い切れないのです。

本日のテーマであった大林河畔砂丘と海道西遺跡では、「砂丘の形成が少し始まった時点」で竪穴住居が作られたということが、重要な調査成果です。竪穴住居の9世紀後半~10世紀初頭に非常に近い時点で砂丘の形成が始まっていることがよくわかります。砂丘の形成年代の研究に新たな事実をもたらしたことになります。

 

このほかご講演では、越谷市内の平安時代を代表するものとして国指定文化財「浄山寺の地蔵菩薩立像」(越谷市サイトにリンク)や、大道遺跡、一番遺跡、越谷警察署前遺跡、西口遺跡などが紹介されました。

また海道西遺跡で出土した遺物もおもちいただき、会場で展示しました。

海道西遺跡遺物展示

越谷市と春日部市は、自然堤防や河畔砂丘、低地の遺跡など、考古学上のできごとを考える上で共通することがたくさんあります。今後も職員間で情報交換をしながら、連携した事業を展開していきたいと思います。

【出張授業】令和5年度でばりぃ資料館を振り返る

コロナ禍により小学校の団体見学が見込めなくなった年にはじまった「でばりぃ資料館」。おかげさまで、今年度は市内9校、10件のご依頼をいただき、無事終えることができました。

画像:川辺小学校のプレゼント

各校の様子については、「ほごログ」で紹介してきたところです。上のメダルは川辺小学校の皆さんからいただいたものです。今回は、お礼の紹介も含めて、今後のために、今年度の「でばりぃ資料館」を振り返りたいと思います。

「でばりぃ資料館」は、郷土資料館に様々な事情で出向けない子どもたちに、資料館にいるのと同じように学習・体験してもらうことをコンセプトにしています。ただ、資料館のすべてのモノを持っていくことはできませんので、普段ケースに入っている資料を触ったり、体験してもらい、春日部の昔を身近に感じてもらえるようにしています。

授業や体験の内容については、小学校の先生方のオファーに可能な限り応えるよう努めていますが、主要な単元は第3学年の社会科「くらしのうつりかわり」です。メニューは、昔の家庭の道具、昔のまち、昔の農業、昔の学校、昔の遊びを柱に立てていますが、オファーは道具、まちの移り変わりが多く、次に学校、農業に集中する傾向にあります。農業については、市街地化が進んだ学校では、カットされる傾向があるようですし、総合的な学習で稲作体験をする学校もあるようなので、「でばりぃ資料館」では敢えてカットされているようです。

先生、そして子どもたちから人気があるのが、昔の家庭の道具。とくに、手回し洗濯機やダイヤル式の黒電話が強く印象にのこるようです。いずれも、自分でまわして動かす、というのが身体的に初めての体験となるため、印象に残るようです。

また、昔の農業のメニューでは、千歯こきをつかった稲の脱穀体験を必ず実施しています。これは稲の本数の都合で全員が体験できるものではないのですが、見学する子どもたちから歓声があがるほど、人気の体験メニューです。「でばりぃ資料館」では、さらに籾摺りの体験をメニューにくわえ、自由時間に籾から玄米にする作業、玄米から白米にする作業を体験してもらっています。これも身体を動かす体験なので、人気です。

昔の学校については、石板、昔の教科書、給食の食器・献立表などを用意し、説明、子どもたちにみたり、さわったりしてもらっています。道具が動いたり、何かできたりする道具とは違い、どちらかといえば、見る・触る体験になるため、なかなか子どもたちの印象に残りにくい模様。ただ、今年度は、3年生の国語の教材「ちいちゃんのかげおくり」を意識して、戦前の子どもたちの暮らしと道具を「ちいちゃんの時代」のモノ・コトと説明してみました。そうした話をすると、戦争の悲惨さについて学んでいた子どもたちは、真剣な面持ちで話を聞いてくれているようでした。また、年度の途中から、小学生の集合写真をパネルにして持参したところ、子どもたちのなかには、昔の小学生の姿や服装をじっくり観察する子も見受けられました。祖父母や父母の世代の子どもたちが自分たちとどんな風に違うのか、興味をもつ子もいたようです。

昔のまちについては、1960年代の空中写真をラミネートにした大きなシートを敷いて、子どもたちに見てもらっています。しかし、地図の見方がまだ覚束ない3年生にとっては少し難しいようです。ただ、自分の学校があるのか、自分の家があるのか、身近なショッピングモールは60年代にあったのか、などわかりやすい問いを立てることで、学校・地区の様子のうつりかわりを考えてくれているようでした。アンケートに「クイズをやってほしい」と書いてくれる子が散見されるのも、「クイズ」がとっつきやすいということなのかもしれません。

今年度、担当者は、昔の学校・昔のまちについて説明する機会が多かったのですが、手回し洗濯機や黒電話、千歯こきに人気負けした印象を強く抱きました。何が面白く感じるのかは人それぞれですが、昔の学校・まちについても、身体をつかって体験・学習できるような方法をもっと鍛えていかなければならないと考えています。これは今後の課題としたいと思っています。

「でばりぃ資料館」を依頼していただいた学校には、「たんけんシート」という学習シートを事前に配布しました。シートの問題を解きながら、学習してもらうもので、「くらしのうつりかわり」の学習に少しは寄与できたように思いますが、わかりづらい箇所もあるので、学校の先生の要望を踏まえて、少しずつ改善していきたいと考えています。子どもたちは「ギガスクール」により、一人一台タブレット端末を使っています。「たんけんシート」的なものも、タブレットで使えたり、見れたりできるとよいなと思いますが、今後研究が必要です。

 

「でばりぃ資料館」が増える一方、昔と変わらず、団体見学として利用していただく学校もあります。団体見学では「くらしのうつりかわり」展を中心に説明をし、数名の方に千歯こきの体験をしてもらっています。「でばりぃ資料館」では触れることのできる資料がガラスケースに入ってしまっているため、昔の道具などの印象は薄いようです。

しかし、団体見学の小学生たちをみていると、竪穴住居模型や粕壁宿町並模型、昔のおもちゃなどの体験コーナーなど様々な資料に興味をひき、社会科の学習単元以外の学習機会にもなっているようです。また、団体見学に来てくれた子どもたちは、週末などにご家族を連れてもう一度見に来てくれる場合が多いようです。団体見学には、子どもたちの興味関心を広げるメリットがあり、郷土資料館としてもリピーターの獲得のために良いのですが、学校は「でばりぃ資料館」を選択する傾向にあります。されど「でばりぃ資料館」は、所詮「出前」です。郷土資料館の全てをお届けできるわけではありません。団体見学をみて、今後は、「でばりぃ資料館」で出会った子どもたちに郷土資料館に来てもらう取り組みを構築する必要があると確信しました。これも来年度の課題とします。

来年度の備忘ため、課題や所感を長々と書きましたが、博物館と学校教育(博学連携)も取り組んでみるとなかなか奥が深いなぁと思う次第です。学校の先生方からの要望を汲み上げながら、郷土資料館は、今後も春日部でしかできない学びを子どもたちに提供できるよう、精進してまいります。

企画展示、無事にはじまりました

令和6年3月16日より、企画展示「*花の彩り*春日部*」展がはじまりました。 #桜咲くかすかべ2024 #かすかべプラスワン

今回のテーマは、ズバリ「花」。市の花「フジ」だけでなく、春日部は「モモ」「ボタン」の花の名所としても知られていました(知る人ぞ知るですが)。また、「花」のつく地名として「花積」「西宝珠花」の両地区の歴史にスポットをあてます。

写真:展示室の風景

資料をならべてみると、お花の歴史の展示というより、「花積」「西宝珠花」の展示になっちゃいました。

ここで、見どころを1、2点。1つめは、明治9年(1876)花積村の地租改正絵図。

これでもかっ!というぐらい大きい絵図で、展示ケース、ギリギリでなんとか陳列できました。花積は現在でもさいたま市岩槻区との境界が錯綜し、飛び地があるのですが、そうした状況がよくわかる絵図になっています。

写真:花積村地租改正絵図

2つめは、記録映画「宝珠花村の移転」。

映画といっても20分程度の映像ですが、昭和27年・28年に江戸川改修のため全戸移転となった宝珠花村の様子を撮影した貴重な記録です。これまでも、講座や展示で何度も紹介・上映している映像ですが、今回の展示で宝珠花の歴史を調べてから、また見直すと、新たな発見がいくつもありました。学芸員的に美味しい資料です。一度みた方も、何度もご覧ください。写真は移転後初の大凧揚げ。大凧の文字は「移転」と「記念」です。

写真:宝珠花村の移転

こんな感じで、お花や花の地名など、春日部は花の彩りのなかで歩んできたことを紹介しています。5月2日(木)まで、お見逃しなく。

ところで、市内では、毎年恒例になっている、桜咲くマルシェというイベントを3月24日(日)やるそうです。「春日部のまちを花いっぱいにしたい」という想いに共感して、桜咲くマルシェともタイアップ。それから、市でも「かすかべSAKURAフェスタ2024」と題して各種イベントをやるそうです。一緒にお楽しみください。

越谷市海道西遺跡の調査と河畔砂丘

3月16日(土)に、春日部市郷土資料館で「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡(かいどうにしいせき)の調査」と題し、越谷市教育委員会生涯学習課の莵原雄大先生にご講演いただきます。

まだ定員に余裕がありますので、ご希望の方は、下記の通りお申し込みください。

●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

  海道西遺跡調査風景

 海道西遺跡調査風景(越谷市サイトより)

 

海道西遺跡については、越谷市のサイトに紹介があります。

埋蔵文化財法蔵地 海道西遺跡(越谷市サイト)

また発掘調査報告書は、全国遺跡報告総覧でPDFが公開されています。

海道西遺跡発掘調査報告書(全国遺跡報告総覧)

 

海道西遺跡は、北越谷駅の北西側、宮内庁埼玉鴨場近くにあり、令和4年に発掘調査が行われ、平安時代の竪穴建物跡や近世の遺構・遺物が検出されました。

遺跡は、大林河畔砂丘上に立地しています。

河畔砂丘は、埼玉県東部地域に特有の地形で羽生市から越谷市まで24か所に存在します。利根川によって運ばれた大量の砂が河原に堆積し、冬の北西から吹く強い季節風により、川の東岸や南岸の自然堤防上に吹き上げられ形成されたと考えられています。

したがって、現在、砂丘の近くを流れる河川は利根川の旧河道であったということがわかります。春日部市内では、小渕、浜川戸、藤塚に砂丘があります。このうち浜川戸河畔砂丘は古隅田川沿いにありますが、利根川本流は一時期、現在の古利根川から、古隅田川、元荒川へと続く流路であったと推定されています。元荒川が続く越谷市内には、袋山、大林、北越谷、東越谷、大相模のいずれも元荒川沿い5か所に砂丘が存在します。一方、藤塚方面へと続く現在の古利根川の流路にも、藤塚のほかに松伏町の松伏や上赤岩に砂丘がみられます。砂丘は平安時代から室町時代にかけて形成されたと考えられています。

海道西遺跡では、砂丘砂の堆積層から、古代の竪穴建物跡が発見されました。これは、砂丘が形成されている時期も、砂丘上で人々が生活をしていたことを示すものです。春日部市内の砂丘でも、砂丘周辺に浜川戸遺跡や小渕山下遺跡などが立地しており、砂丘と人々の関係を考える上で重要な調査成果といえます。

今回の歴史文化講演会は、調査担当者による最新の調査成果のご報告です。ご興味がある方はぜひお申し込みください。

海道西遺跡出土遺物

海道西遺跡出土遺物(越谷市サイトより)

騎西城跡・騎西城武家屋敷跡遺跡 十六間筋兜等特別展_3月の考古学情報(臨時)

加須市より、日程が迫っている情報がありますので臨時にお知らせします。

●3月24日(日)~29日(金) 騎西文化・学習センター(キャッスルきさい)騎西城跡・騎西城武家屋敷跡遺跡 十六間筋兜等特別展

今年度の「発掘された日本列島」にも出展された「十六間筋兜(じゅうろっけんすじかぶと)」を中心に、期間限定で展示されます。3月23日(土)と24日(日)には関連の講演会も行われます。詳細は、加須市のサイトをご覧ください。

【出張授業】でばりぃ資料館in南桜井小学校

令和6年3月5日(火)に南桜井小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
この日は生活科室と図工室を使用して「昔のまちの様子・昔の学校」ブースと「昔の家庭の道具」ブースを設けました。2クラスが各教室で1時間ずつという時間割なので、たっぷりと時間をかけてのお勉強です!

 

生活科室での解説風景

存分に楽しむ児童たち

この写真は生活科室の様子。児童は“社会科ワークシート”というメモ用のプリントを持参し、職員の解説から気になった部分をメモします!
自由時間には黒電話や手回し洗濯機が人気で、体験してみたい子たちが行列をなしていました!道具を触って体験しているときの笑顔が弾けんばかり!子どもは楽しむ天才ですね♪

 

図工室での解説風景

始めてみる道具に興味津々

こちらは図工室の様子です。郷土資料館オリジナルの“探検シート”を利用して、昔の学校の道具の名前や、使用方法などを学びました。
ランドセルなどは形状こそ見慣れた形をしているものの、大きさや色が違います。昔は基本的には黒と赤しかありませんでした。しかし時代は変わり、現在は様々な色が選べるようになりました。こういった出来事がまた、何十年、何百年後に、歴史となって誰かが学ぶことになるのでしょう。

 

今回は、自由見学の時間も十分取れたので、持ち込んだ資料はしっかりと見てもらえたかと思います。
郷土資料館にはもっとたくさんの資料があるので、ぜひ一度足を運んでみてください!

企画展「*花の彩り*春日部*」展、絶賛準備中です

3月16日(土)から開催する企画展示の詳細な情報を公開しました。 #かすかべプラスワン #藤 #花積 #宝珠花

画像:チラシ

現在、春日部は「藤のまち」として広く知られ、また市の花「藤」を活かし、まちづくりを進めているところですが、春日部が藤のまちとして知られるきっかけとなったのは、フジとしては唯一、国特別天然記念物に指定されている「牛島のフジ」が市内に所在しているためです。「牛島のフジ」が国の紀念物に指定されたのは、昭和3年(1928)のこと。戦後施行された文化財保護法下では、昭和30年(1955)に国特別天然記念物に指定されています。

歴史をひもとくと、かつて春日部はフジの名所だけでなく、ボタン、モモの花の名所としても知られてきました。春先には小渕・藤塚・浜川戸・宝珠花・新宿新田などで桃の花が咲き誇り、牛島のフジが見ごろを迎えたころには、備後の牡丹、粕壁の牡丹が、内外の観光客の目を楽しませました。

以上のことについては、これまで「ほごログ」でも、そして展示でも紹介してきました。

今回は、藤、桃、牡丹といった華やかな植物の花だけでなく、市内の「花積」や「宝珠花」といった「花」の付く地名にも着目し、「花」をキーワードにして、春日部の歴史を彩ってきた花の歴史を展示・紹介します。

みゅーじあむとーくや展示解説講座も準備していますので、あわせてお楽しみください。

  • 企画展示「*花の彩り*春日部*」展
    • 会期:令和6年3月16日(土)~5月2日(木)
    • 会場:郷土資料館企画展示室
    • 休館日:月曜・祝日
    • 入館料無料
  • みゅーじあむとーく
    • 日時:令和6年3月24日(日曜日)・4月20日(土曜日)午前10時30分~、午後3時~(各30分程度)
    • 場所:郷土資料館企画展示室
    • 内容:展示担当の学芸員が、展示室で展示内容を解説します
    • 費用・申し込みは不要です。所定の時間にお集まりください
  • 展示解説講座「春日部の花の彩りー花積と宝珠花」
    • 日時:令和6年4月27日(土曜日)午前10時~正午
    • 場所:春日部市教育センター
    • 内容:展示担当の学芸員と展示資料を読み解きながら、花積・西宝珠花の歴史と魅力に迫ります。
    • 費用:無料
    • 申し込み:令和6年4月10日(水曜日)から、直接、または電話、電子申請で受け付け

・・・と告知をしてみたものの、いまだ展示資料を選定中。

初日まで残り2週間。果たして間に合うのでしょうか。こうご期待。

#かすかべ地名の話 (2) #粕壁

#かすかべプラスワン #地名の由来

一部の方にご期待いただいている「かすかべ地名のはなし」

第2回目は「春日部」と「粕壁」の話です。

前回、ご紹介したように「春日部」(かすかべ)の地名の由来はいくつかの説がありますが、どれも決定打がなく、ナゾなのです。

市民の方ならばご存じのとおり、「かすかべ」という地名は、「春日部」と「粕壁」の二つの表記が用いられています。「春日部」と「粕壁」の違いは何なのでしょうか。

まずは、「春日部」と「粕壁」の違いを考えるため、古い文献から地名表記の変遷をたどってみましょう。

「かすかべ」の地名の初見は、南北朝時代。延元元年(1336)の後醍醐天皇の綸旨といわれています。この古文書は後醍醐天皇が春日部重行(かすかべ しげゆき)という武士に、「上総国山辺南北」と「下総国春日部郷」の地頭職(じとうしき)を認めるため発給されたものです。当時、春日部重行が「下総国春日部郷」を治めていたことを示すとともに、「春日部郷」(かすかべのごう)という集落が下総国に所在していたことが明らかになります。埼玉県は武蔵一国なんて言われることもありますが、実は埼玉県には下総国も含まれているのです。

 

次の画像は、延文6年(1361)ないし、応永22年(1415)に作成されたと考えられる「市場之祭文」という史料の一部です(国立公文書館所蔵「武州文書」より)

画像:市場之祭文写

ここにも「下総州春日部郷可市祭成之」とみえます。

その後も様々な中世の文献に「春日部郷」が散見されます。

中世には「春日部」と表記される地域に、人々が定住していたことが明らかになるのです。「春日部郷」は現在の市域の浜川戸近辺を中心とする集落だったと考えられています。

というわけで、古い文献にみえる「かすかべ」の地名は「春日部」となるのです。

時代が下り、時は戦国時代。

元亀4年(1573)の北条氏繁感状(写)は、関根図書助(ずしょのすけ)の戦功を賞した古文書ですが、このなかに「糟ケ辺」(かすかべ)の地名がみえます。関宿(千葉県野田市)からの軍勢が北条家の軍勢と衝突したのが、この「糟ケ辺」の地だったようです。

さらに時代が少し下り、天正17年(1589)3月の北条氏房朱印状(写)には、「御領所糟壁」と地名がみえます。この古文書は、岩付城主北条氏房が所領である「糟壁」に対して、諸役(労働役)を免除する代わりに、人を集め、耕地の開発に励むよう命じたものです。当時、「糟壁」が岩付城の城付の所領であったことがうかがえるとともに、地名としては「糟壁」という表記が用いられていたことがわかります。

しかし、古くは「春日部」と表記されていた地名が、なぜ「糟ケ辺」や「糟壁」という字句が当てられるようになったのかは残念ながら不明です。

さらに、天正18年(1590)と比定されている高力清長印判状(写)には、「糟壁新宿」という地名がみえます。この古文書は、岩付城主となった徳川譜代家臣の高力清長が、「糟壁新宿」の図書・弾正に対して、諸役を免除するかわりに人を集め年貢を納めるよう命じたものです。

江戸時代には、地名の表記としてはもっぱら「糟壁」が用いられるようになり、17世紀後半以降は「粕壁」という表記が増えていくことになります。ですから、日光道中の宿場町としての「かすかべ」は「糟壁(町)」や「粕壁(宿)」と表記され、時代が下るにつれ、「粕壁(宿)」が定着していくようになりました。

なお「粕壁」の表記は、宿場町の土蔵が「荒壁」であったから、または造り酒屋の「酒粕」に由来するという説もありますが、実際のところはよくわかっていません。

ただ、江戸時代の記録を細かくみると、「粕壁」ではなく「春日部」「春日辺」と表記することもあったようです。戦国時代から江戸時代にかけてみられる「糟ケ辺」「糟壁」「粕壁」という表記は、「かすかべ」という音を、漢字に当て、読みやすくしたものだけであり、漢字の字義は関係ないのかもしれません。

さて、明治時代、町村制が施行されると「粕壁宿」は「粕壁町」となり、東武鉄道を利用して藤の町・麦わら帽子の町・桐たんすの町として賑わいました。

その後、昭和19年(1944)戦時下での町村合併により、粕壁町は隣村の内牧村と合併し、「春日部町」が誕生します。「春日部」は後醍醐天皇を支えた南朝方の武士春日部氏の苗字であったため「春日部」の表記が選択されたようです。

上述の表記の変遷でみてきた通り、地名としては最も古い表記「春日部」が再び使われることになりましたので、地名「春日部」が復活したともいえるでしょう。

そして、昭和29年(1954)春日部町と武里村・豊春村・幸松村・豊野村の1町4町が合併し、春日部市が誕生します。

春日部町・春日部市の成立によって、東武鉄道の粕壁駅は春日部駅、旧制粕壁中学校は春日部高校と、公共的な施設等には「春日部」という地名が使用されるようになりました。今でも春日部市域全体を指す場合は「春日部」という表記が用いられます。

「春日部」が市域を覆う一方、「粕壁」表記も併用されています。粕壁は、江戸時代の宿場町だった区域の地名として使用され、「粕壁地区」「粕壁東」などと表記されます。春日部市立粕壁小学校は、現在は春日部市が設置した粕壁地区の小学校で、両方の表記が併用される伝統の小学校です。

以上のように、表記の変遷としては、「春日部」が最も古く、紆余曲折をへて「粕壁」が生まれ、そして「春日部」が再び登場するという過程をたどり、現在の用法としては「春日部」は市や町全体を指す地名、「粕壁」は春日部のなかの粕壁地区を指す地名として併用されいる、とまとめられます。

長くなりましたので、次回は粕壁のなかの小さな地名について、紹介したいと考えています。不定期ですが、お付き合いください。

「かすかべ地名のはなし」バックナンバー

粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年3月1日(金)に粕壁小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。

この日は、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展を中心として“昔の生活の様子”を学び、残りの時間を自由時間にして館内全体を見学してもらいました。

 

企画展示室での解説風景

企画展示室での昔の生活の解説時には、昔の炊事や洗濯などは手作業によるものが多いことから、児童からも「たいへんだねぇ~」という声が。
時間の流れが速く、複雑化した現代では何事も機械に頼らなければならず、昔と同じ作業をして生活することはとても難しいことでしょう。

 千歯扱き体験!

千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀は各クラス代表5人に体験してもらいました。
体験の光景を眺める児童の中には“自分もやりたかった~”と残念がる子も普段は多いのですが、「やりたいけどがまん!!」と自分を律する子がいたのには驚きでした!えらい!

 

昔の粕壁小の机と椅子を体感

桐箪笥 開けるとそこには・・・

自由見学の時間では、かつて粕壁小学校で使っていた机や椅子などに腰掛ける児童や、桐箪笥に興味を持つ児童の姿が!実はこの桐たんすの中にも資料やクイズか仕掛けられていて、発見した児童は楽しそうにチャレンジしていました♪

 

ちなみに粕壁小は1~4時間目を利用して、1クラスずつ入れ替わりで見学するスタイルでの実施でした。というのも、粕壁小学校と郷土資料館(教育センター)は隣に位置しており、校内で教室移動をするのとさほど変わらない速さで来られてしまうからです!
お家が近い児童も多く、郷土資料館に来たことのある子もほかの学校と比べて多いようです。「この前来た!」と言ってくる子もいるほど!
せっかく近くにある郷土資料館です。これからもたくさん遊びに来てくださいね♪

2月の近隣博物館・資料館の考古学情報

2月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(現地説明会)

・3月8日(金)13:30~ 清水遺跡(茨城県境町) 公益財団法人茨城県教育財団

 

(展示会_閉会日順)

・3月3日(日)まで  埼玉県立嵐山史跡の博物館 「武蔵武士の食と信仰―食べて 祈って 戦って―」
・3月24日(日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム 「弥生時代の児玉・深谷地域」

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」
・4月21日(日)まで 取手市埋蔵文化財センター 「祈りのかたち―出土品から見る先史時代の祭祀―」

 

また3月16日(土)には、春日部市郷土資料館で「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」と題し、越谷市教育委員会生涯学習課の莵原雄大先生にご講演いただきます。

まだ定員に余裕がありますので、ご希望の方は、下記の通りお申し込みください。

●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年2月29日(木)に緑小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。
1組と2組が同時に来館のため、クラスごとに常設展示室と企画展示室に分かれての解説です。今日は社会科の調べ学習ということで、児童たちもメモを取る気満々でした!

 

常設展示室での解説風景

常設展示室では、竪穴式住居や日光道中の模型を見ながら学芸員の解説を聞きました。竪穴式住居は原寸大の迫力が、日光道中の模型はミニチュアの繊細さがあり、見るだけでも楽しめますね♪

 

企画展示室での解説風景

企画展示室では、昔の家庭で使っていた道具である“羽釜”や“洗濯板”など、現代の電気を動力とした道具との違いを学びました。
たくさんある展示を前に、子どもたちは「めったに見れないものがたくさんある!」と嬉しそうでした!

 

見学者多数で賑わう展示室

実はこの日は、同じ時間に他にも団体見学のお客様や、海外からの旅行者の方も来館するなど、午前中の資料館は大賑わいでした!

 

自由見学の時間

ここぞとばかりに楽しむ子どもたち

自由見学の時間には展示品をよく観察したり、スタンプを押したり、おもちゃで遊んだりと満喫してくれました!


見学終了の時間になっても、まだまだ帰りたくない様子の緑小3年生でした♪
郷土資料館は土日も開館しているのでぜひまた遊びに来てください!

凧作り教室を開催しました

2月25日(土)、春日部市「庄和大凧文化保存会」の方々を講師にお招きし、3回目の凧作り教室を開催しました。当日は、小学生を中心に17名に参加いただきました。

最初の説明

骨付け

 

第1回目第2回目の様子や凧の作り方はリンク先をご覧ください。

糸目中心を合わせる

さて、今回は、保存会の方にも教えていただいた凧の「糸目中心」について考えてみます。

今回、凧の糸目(凧とあげ糸を結ぶ糸)は、凧の上側の両角と、凧の中心に3本の糸を結び付け、凧の上から14㎝のところで円板の金具でおさえ、3本を結び合わせました。凧の全長は約60㎝で上半分が30㎝となるので、やや上によった位置に糸目中心を設定したことになります。

この糸目中心の位置によって、飛んでいるとき凧の角度が変わります。より上に中心を設定すれば、上につけた糸目がさらに短くなり、凧は地面と平行に近くなります。逆に、より下に糸目中心を設定すれば、上につけた糸目が長くなり、地面と垂直に近い角度に近づきます。これらにより、凧にあたる風の強さが変わります。

この力と、地面から凧を引っ張る力がうまくつりあえば、凧は安定して飛びますが、ずれるとくるくる回ったりしていしまいます。今回の凧作り教室では、糸目をほどけるように結んでいますので、糸目の中心をいろいろ変えてみて実験してみてくださいと、保存会の方はお話しされていました。

 

さて、5月3日と5日に行われる大凧あげまつりでは、5日の午前中に、創作凧揚げ大会として会場で自分で作った凧をあげることができるそうです。ぜひ5月5日の午前中に大凧あげ祭りの会場で凧をあげてみてください。

大空に夢を飛ばそう!!創作凧あげ大会2024~君の夢が空を舞う

とき 令和6年5月5日 午前9時から11時

場所 春日部市西宝珠花江戸川河川敷

参加方法 自作オリジナル凧にて自由参加

【出張授業】でばりぃ資料館in川辺小学校

令和6年2月27日(火)に川辺小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 生活科室での展示

図書室での展示

川辺小学校は郷土資料館からやや遠くに位置しており、なかなか当館への来館が難しい学校の一つかもしれません。
だからこその“でばりぃ資料館”です!以前もでばりぃ資料館を活用していただいたことがあり、今回もご用命をいただきました!

 

今日は図書室と生活科室を利用しました。
生活科室では昔の学校の様子と、昔の農業(脱穀)体験をしました。

 昔の川辺小周辺についての解説

学校の道具を自由に見学

床面に広げた1960年代の空中写真には、まだ存在しいない学校も多いのですが、川辺小学校の開校は1874年(明治7年)のため、写真から探すことができました!
この空中写真の時代には、春日部にはララガーデンもイオンもなく、コンビニもなかったことでしょう。川辺小学校は歴史ある学校なんです!
また、1917年の川辺小学校の写真を保有していたため、児童にみせたところ、“白黒の写真”“机のない教室”“木造作りの校舎”などに驚いたようで「信じられない!!」という声が聞こえてきました(笑)

 

図書室では昔の家庭の道具を解説です。

 昔の家庭の道具解説

昔の家庭の道具を自由に見学

炭を動力としたアイロンや七輪、竈でご飯を炊くための羽釜など、今では当然のようにある電気やガスが昔は当たり前ではなかったことを学んでもらいました。
生まれた時から周囲にあるものは、こういった授業などであえて意識しなければ、意外と気づくことができません。昔を知ることで、今の生活のありがたさも、一方で起こる弊害も児童に知ってもらえたらと思います。

 

今日は各ブース20分と若干短くせわしなかったかと思いますが、その分児童は飽きる暇もなく充実した時間を過ごしてくれた様子でした!
来年もまたでばりぃ資料館のご依頼お待ちしております!

【出張授業】でばりぃ資料館in上沖小学校~延長戦~

令和6年2月22日(木)に上沖小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

生活科室展示風景①

生活科室展示風景②

つい先日8日にも上沖小にはお邪魔したのですが、実はその時1クラス学級閉鎖になっていたため、でばりぃ資料館を体験することができなかったのです。

そこで今回は、前回体験できなかった1クラスのために出張って来ました!せっかくの特別授業ですから、ぜひ楽しんでいってください!

 

今回は生活科室を利用して、内容は前回と同じく「昔の学校の道具・60年前の春日部」「昔の家の道具」になります。

昔の学校で使われていた道具解説風景

モノクロ写真の給食風景をみながら説明を受けます

「昔の学校の道具・60年前の春日部」のコーナーでは、空中写真から昔の上沖小の周辺の様子を探ったり、昔の学校で使われていた道具に触れる体験をしました。

 

「昔の家の道具」のコーナーでは、黒電話や手回し洗濯機などの道具の説明や、今と昔との違いについて解説を行いました。

昔の家庭の道具の解説風景

テレビにも映った手回し洗濯機を体験!

炭火アイロンの説明の時にはこんなやりとりが、

職員「どうして炭を使ってアイロンを温めたのかな?」

児童「電気がなかったから!」

職員「そうですね、電気がまったくなかったわけじゃないけど、あんまり普及してなかったということです。今は、電気のアイロンとかね、アイロンじゃないのもあると思うけど・・・」

児童「ファブ〇ーズ!!」

確かに、シワ取り効果を謳っているものもあるようで、意外かつ現代的な回答でした(笑)

 

自由時間には見学、体験、そして疑問に思ったことを質問してきてくれました。

話を聞くときはしっかりと聞き、楽しむときは思いっきり楽しむ3年1組でした!

 

これにて上沖小3年生、4クラスすべてがでばりぃ資料館受講完了です!

先生としては1クラスのためにまた来てもらうのが申し訳ないようでしたが、そんなことはございません!日程の都合等は要相談ではありますが、子どもたちの学習のために、今後もぜひ郷土資料館をお役立てください♪

八木崎小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年2月16日(金)に八木崎小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。

 

今日は校外学習ということで、強風の中、30分くらい歩いて郷土資料館まで来てくれました!

約60年ほど前の生活から現在に至るまでの「くらしのうつりかわり」についての学習がメインということで、今企画展示室の「くらしのうつりかわり~なつかしの暮らしの道具~」展の解説とともに、資料館内にある模型を中心とした解説も併せて行いました。

 

竪穴式住居模型の見学風景

まずは竪穴式住居の模型を見ながら、約5000年前の縄文時代の生活について解説です。

郷土資料館に入ると目に飛び込んでくるのが、縄文時代の竪穴式住居!子どもたちからも「リアルだ・・・」という声が漏れてきます(笑)

竪穴式住居の中には、「木の実」「魚」「貝」などの当時食べていたものや、「炉(ろ)」「土器」など生活道具が見て取れます。ちなみにこの土器の中で煮られているのは「かき」です。現在でも食卓に並ぶものが5000年前も食べられていることは大きな発見だったようです!

 

粕壁宿模型の見学風景

続いては日光道中粕壁宿の模型を見ながら、約200年前の春日部について解説です。

日光道中は江戸時代に日本橋から日光に向かうために作られた道です。その宿場の一つとして作られたのが粕壁宿。おかげで春日部に“まち”ができたんですね!

 

企画展示室での解説風景

そして企画展示室では、約60年前の生活についての解説をしました。

洗濯板やアイロンなど、現在は電気で動くものも、当時は手作業であったり、電気以外の動力(炭など)を使用していました。

手作業の一つとして、千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀の体験もしてもらいました!

 

戦時中の絵手紙を読む子どもたち

クロックノールで遊ぶ子どもたち

自由見学の時間には、たくさんの展示と遊べるおもちゃなどで、存分に資料館を満喫している様子!

今日はたくさんの“昔”を学ぶことができましたね♪

 

今日は風が強くて歩いてくるのが大変だったかもしれませんが、郷土資料館は土日も開館しています(祝日は休館)ので天気のいい日にまた遊びに来てください!

3月3日、16日に歴史文化講演会を開催します

郷土資料館では3月に2本の歴史文化講演会を開催します。

どちらもただいま参加受付中です。お申し込みはお電話、電子申請からどうぞ。

みなさま、お誘いあわせの上ご参加ください。

●郷土資料館歴史文化講演会 平野明夫先生「徳川家康の関東入国と岡部氏」
関東地方の歴史に大きな影響を及ぼした徳川家康の移封と、それに伴い野田に入り、本市域にも所領があった岡部氏について、中世史がご専門の先生にわかりやすく解説していただきます。
日程 令和6年3月3日(日曜日)午後2時~4時
場所 教育センター
講師 平野 明夫(ひらの あきお)先生(國學院大學兼任講師 日本中世史)
募集人数 80人(申し込み順)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

 

●莵原雄大先生「砂丘と遺跡ー大林河畔砂丘と越谷市海道西遺跡の調査」
砂丘から発見された平安時代の遺跡について、調査を担当した越谷市職員を講師に迎え、わかりやすく解説していただきます。
日程 令和6年3月16日(土曜日)午前10時~正午
場所 教育センター
講師 莵原 雄大(うはら ゆうた)先生(越谷市教育委員会生涯学習課職員)
募集人数 80人(申し込み順)
参加費 無料
申し込み 直接、電話(048-763-2455)、電子申請(別ウインドウで開く)で申し込み

 

#かすかべ地名のはなし (1) #春日部 の由来

#かすかべプラスワン #地名の由来

一部の方にご期待いただいている「かすかべ地名のはなし」

第1回目は、地名「春日部」の由来の話です。

「春日部」という地名は、現在でも市の名称、駅の名称、県立高等学校の名称など、公共施設や民間業者の名称にも使われています。自動車のナンバープレートにも採用されているので、「春日部」の地名は県外の方にもお馴染みのようです。

「春日部」の字義や意味については、いくつかの説があります。

第一には、今から1400年以上前、大和時代の安閑天皇(あんかんてんのう)の皇后である「春日山田皇女」(かすがのやまだひめみこ)など、春日の名がつく皇后・皇女に仕える人々が所在した「御名代部」(みなしろべ)であったという説です。「春日」の「御名代部」であるから「春日部」となったというものです。この説は「春日部」という字義を説明している点では、有効ですが、いかんせん大和時代という資料が限られている時代に起源を求める説であるため、様々な疑義が残ります。また、「春日」の「御名代部」は、全国に数十か所あったといわれており、現に兵庫県丹波市(旧春日町)には、「春日部」という地名があり、「春日部小学校」という小学校もあります。埼玉県の春日部が本当に大和時代の「御名代部」だったのか、想像は膨らませられますが、証拠がなく、謎に包まれています。

「春日部」の意味の第二の説は、古くから大きな河川が流れこむ当地の地形や立地にその起源を求める説です。「カス」は水が浸った不毛な土地、「スカ」は川沿いに堆積した微高地、「カワベ」は川のほとり。そうした言葉が組み合わさり、当地が「かすかべ」と呼ばれるようになったというものです。この説は、読み方・音に着目した説となりますが、なぜ「春日部」(あるいは「粕壁」)と漢字で表記するのかは説明できません。ただし、古くから川とともに暮らしてきた当地の歴史的な特徴をとらえており、近隣にも「スカ」(須賀)や「カワベ」(川辺)、あるいは河川に由来する地名もあることから、説得力があるように思えます。

漢字に注目すれば「御名代部」説。読み方や音に注目すれば地形起源説。二者択一で決定づけることはできず、春日部の地名の由来は謎(定説はない)なのです。

 さて、地名の由来として、よく言われる「春日部氏」説にも触れておきましょう。

当地には、平安時代末ごろから春日部氏という武士が住んでいました。そのことから、春日部氏を地名の由来に求める説が、かつては唱えられていました。春日部氏は、もともと京都の貴族である紀氏の流れをくむ一族で、大井氏、品川氏ほか、現在の東京都品川区・大田区付近に同族が土着していました。彼らは、その土地に土着するにあたり、自分たちの苗字を「大井」「品川」と名乗った一族でした。春日部氏も一時は「大井」を名乗り、その後「春日部」に苗字を改めたようです。したがって、春日部氏は、すでに「春日部」と呼ばれていた当地にやってきて、「春日部」と名乗ったと考えるべきでしょう。春日部氏を地名の由来とする説は成り立たないということになるのです。

が、いまでも「春日部氏地名起源説」が語られることも少なくありません。この説が根強いのは、老若男女に分かりやすいことと、春日部氏を英雄視する歴史の見方が背景にあるように思えます。また、「御名代部」説、地形起源説に決定力が欠けるということも原因なのかもしれません。

結論的にいえば、

「春日部の地名の由来は謎ですが、「春日部氏地名起源説」だけは違う」

このことだけ、強調しておきたいと思います。

 

少し長くなりましたので、続きは次回に。次回は、地名かすかべの表記について。

かすかべの地名は現在でも「春日部」「粕壁」の二つの表記が用いられています。

それはなぜでしょうか?

また表記として古いのは、「春日部」or「粕壁」?

そんな話を書きたいと思います。

ヨデハタキって何? #民具 の世界

先日、市民の方から資料をご寄贈いただきました。寄贈資料のなかから民具を一つ紹介します。

この民具は何をする道具でしょうか。

画像:ヨデハタキ

道具の名前は「ヨデハタキ」です。柄の長さは83センチ。すべて木製です。

名前を聞いても、都市化された春日部で生活する我々はピンときませんね。

「ヨデハタキ」は、田んぼの「クロツケ」の時に使う道具です。

「クロ」とは、田んぼと田んぼの間の境にある畝(うね)のことで、「クロツケ」とは畝(畦あぜ)をつくる作業のことです。

ご寄贈いただいた庄和地区の方は「ヨデツケ」ともお話しされていました。春日部あたりでは、畝や畦のことを「ヨデ」とも呼んだようです。

「ヨデハタキ」は、先端の平らな部分で畦をたたいたり押したりして、平らにするための道具のようです。ご寄贈いただいた方(80代)の方によれば、子どものころ「ヨデツケ」を手伝わされたそうです。畦がわれたり、ヒビわれたりしないように、「ヨデハタキ」に水をつけて畦の土を滑らかにしていくそうです。畦を「羊羹みたいにする」とお話しされていました。「羊羹」は、みずみずしく水分が含まれていて滑らかな感じがします。土を「羊羹」のようにするという表現がとても印象的でした。

さて『庄和町史編さん資料13 民俗Ⅲ』によれば、「クロの土に厚いところと薄いところがあるといけない。クロの上部を平らにし、真っすぐにしないといけない。百姓は境(畦境)にうるさい」との聞き取りがあります。「クロツケ」「ヨデツケ」が用水や排水の関係や耕地の境界を整える重要な作業だったことがうかがえます。

しかし、現在はトラクターでできる作業なので、この道具も不要になってしまいました。一見すると、お風呂のかき混ぜ棒(これも見なくなりました)のようですが、春日部の農業の発展の一端を担ってきたものであることには間違いありません。

ただ、ご寄贈いただいた方にこの道具の名前を聞いたとき、はじめは「なんだっけ?」とお話しされていました。とっさに「ヨデハタキ」ですか?と聞いたら、「たしかそう」というご返答。以前、他の方から「ヨデハタキ」をいただき、思い出せたのですが、本当に「ヨデハタキ」と呼んでいたのか、実は不安です。

ご寄贈をいただくとき、その道具(民具)に付随する情報(名称・時代・使用経歴などの情報)をきちんと聞き取り、記録しておかなければ、無用の長物になってしまいます。道具を実際に使っていた方も、道具の名前だったり、いつ頃使っていたか、記憶があいまいになってしまいがちなのですが。。。

民具は時代や地域によって、名称・形状・使い方に差異が生まれます。事例を蓄積して、時代・地域の差異を検討していくことで、民具研究は進展していくといわれています。民具の世界は奥深いです。

これは、本当に「ヨデハタキ」でよいのか。またほかの地域では何と呼んでいるのか。「ヨデハタキ」に関してご存知の方、いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

でばりぃ資料館へのお礼のお手紙をいただきました(豊春小のお手紙)

1月末から2月にかけて、絶賛展開中の「でばりぃ資料館」(出張授業)。 #かすかべプラスワン

学校では体験・経験できない授業だった、授業後も子どもたちは目を輝かせていたと、先生方からも大変ご好評いただいています。うかがった小学校の皆さんからお礼のお手紙をいただくこともしばしばあります。お礼のお手紙を書くことが学習の振り返りになるのでしょうか。学習の一環とはいえ、率直な意見・感想、何が印象に残ったコト・モノだったのかがわかり、大変興味深く拝読させていただいています。今回は、1月23日のでばりぃ資料館で訪れた豊春小学校のみなさんからいただいたお礼のお手紙を紹介します。

皆さん、イラストをまじえながら、お礼を書いていただいています。

画像:手紙1

60年前の豊春小学校には、豊春中学校が併設されていたこと、きちんと覚えていてくれたようです。また、昔の農業の道具「千歯こき」の画期的な脱穀を目の当たりにし、衝撃を受けた模様です。

当日、でばりぃ資料館の準備のさなか、豊春小学校の校章に「稲穂」があしらわれていることに、私たち担当者どもは気づきました。千歯こきの体験をしたり、昔の豊春小の周りは田んぼばかりだったことを説明しながら、「豊春小のマークにも「稲穂」があるよね!」「みんなの名札や通学帽をみてね」なんてお話ししました。

その話題が心に刺さったのか、豊春小の校章を描いてくれた子もいました。

画像:豊春小の校章

お手紙の裏面まで、かわいらしいイラストとメッセージを描いてくれた子もいました。

「でばりぃ資料館」という言葉が先行しがちなので、郷土資料館から来たということがわからない子もいるようです。郷土資料館の人たちとわかってくれたようで、よかったです。今度、遊びに来てくださいね。

画像:お礼のお手紙裏面

次のイラストは、 皆さんのお手紙を綴った表紙です。でばりぃ資料館の全体を俯瞰する見事なイラストで、すべての道具や体験したことを網羅したイラストになっています。全部覚えていてくれてありがとう!

画像:手紙の表紙

 

今回、もっとも感銘を受けたお手紙を紹介します。

画像:手紙

1月23日は、おせわになりました。そして今と昔がよくわかりました。

でばりぃしりょうかんのみなさんが、いっぱいいてほしいです。体に気をつけて行動してください。

ぼくも大人になったらでばりぃしりょうかんになりたいです。昔と今をみせてくれてありがとうございます。

でばりぃ資料館が「いっぱいいてほしい」とは、もっと充実してほしいという要望でしょうか。けれども、物足りなかったというわけではなさそうで、満足してくれたようです。

それは「大人になったらでばりぃ資料館になりたい」という一文からもうかがえます。まさか「でばりぃ資料館になりたい」という感想をいただけるとは!

でばりぃ資料館は、出張授業なので、人ではないのですが、想像を膨らませれば、学芸員になりたいということでしょうか。

昔と今、今と昔。昔が今につながっていて、今も昔につながっているという、えらい大人の人でもわからないことに興味をもち、そうなりたいと感じてくれたならば、でばりぃ資料館の私たちはうれしいです。

でばりぃ資料館になりたい君へ。まずは、郷土資料館に遊びに来てください。

【民俗芸能】公開事業を開催しました

2月4日(日)、庄和地区公民館(正風館)大ホールにて、第10回春日部市民俗芸能公開事業を開催しました。

「不動院野の神楽(市指定無形民俗文化財)」「西金野井の獅子舞(県指定無形民俗文化財)」を披露していただきました。

 

当日は、午前中に雪がちらつくなど終日寒い日となりましたが、140名の方に来場いただきました。ありがとうございました。

 

コロナ禍を開けて、4年ぶりの開催となります。今回のテーマは『舞って、笑って、悪霊退散』と、世界的なパンデミックにも関わるテーマとしました。折しも立春を迎える時期で、保存会からも厄を払う舞を演目に入れていただき、民俗芸能が古来から親しまれ、地域のみなさんの心の”よりどころ”にもなる本質を体現していただきました。

 

第1部は、東不動院野神楽保存会による「不動院野の神楽」です。

 

はじめは夏のかすかべ夏祭りでも演奏される「囃子」です。

太鼓と笛の音色で、軽やかな曲目を演奏していただきました。

 

次に、「大江山」では、酒呑童子の鬼退治にちなんだ神楽で、旦那や巫女のほか、通行人が現れて鬼と問答をはじめます。最後は渡辺綱が鬼と立ち回りを披露して、会場からは大きな拍手が沸き上がりました。お囃子の太鼓や鉦(かね)には中学生と高校生と、民俗芸能を担う、頼もしい後継者も参加してくれました。

 

 

続く2部は西金野井獅子舞保存会による「西金野井の獅子舞」を披露していただきました。

「出端」では、会場後方から観客席通路を通って、舞台に上がる演出で、観客席のすぐ近くを通る迫力ある獅子たちを見ることができます。

 

つづく「花見」では、女獅子を二頭の獅子が取り合う舞です。3頭の動きにどんな意味があるのかを保存会の方が解説をしてくださいました。

最後に辻斬りは、天狗を先頭に3頭の獅子が悪霊を払う舞です。本来は村の境界地で行う舞を、今回のテーマに沿って披露していただきました。

 

普段は限られた日時にしか見ることができない民俗芸能を、この機会に広く公開することができました。市内各所では、春・夏・秋に各種の民俗芸能が公開されますので、是非、現地にも訪れてみてください。

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「不動院野の神楽」(東不動院野神楽保存会)

公開日: ①4月15日に近い日曜日  ②7月の春日部夏まつり

場所:①大杉神社 ②内出町の山車

 

「西金野井の獅子舞」(西金野井獅子舞保存会)

公開日:7月の海の日に近い日曜日

場所:西金野井香取神社

 

【出張授業】でばりぃ資料館in上沖小学校

令和6年2月8日(木)に上沖小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

全体挨拶風景

この日は体育館で「昔の学校の道具・60年前の春日部」「昔の家の道具」のお勉強です!

 

「昔の学校の道具・60年前の春日部」コーナー風景

後ろから前から資料に集まる子どもたち

「昔の学校の道具・60年前の春日部」のコーナーでは、昔の学校で使われていた道具を触ってみたり、約60年前の春日部の空中写真を見ながら、上沖小周辺の様子を確認しました。

当時はまだ、上沖小学校は存在せず、周辺は田んぼだらけ。地域の子どもたちは粕壁小まで通っていました。

子どもたちからは「なんで上沖小ができたの?」という、いい質問が!

持参していった春日部の人口増加のグラフを見せながら、人が増えるにつれて子どもの数が増え、学校を増やす必要があったことなどを知ってもらいました。

 

「昔の家の道具」コーナー風景

「昔の家の道具」のコーナーでは、炭火アイロンや黒電話など、道具の使い方や、その動力となるものを解説しました。

道具の説明を一つずつ聞きながら、探検シートを記入したり、しっかりとメモを取る姿が印象的で、最後まで集中を切らさない子が多いように感じました!

道具を実際に触って体験した後には「楽しかった~」と飛び跳ねる子が現れるほど充実した時間を過ごしてくれたようです(笑)

 

今回は各コーナーの解説時間も十分にあり、しっかりと「なぜ」「どうして」の疑問を解決しながら進められ、学びを深められたかと思います!

なかなか郷土資料館の存在を知らないようで、来たことがない子も多い様子でしたが、でばりぃ資料館終了後には「今度行ってみよう♪」と言ってくれる子が何人もいました!

郷土資料館にはまだまだ見たことのない資料がいっぱいありますよ♪ぜひ来てみてくださいね!

【出張授業】でばりぃ資料館in幸松小学校

令和6年2月7日(水)に幸松小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

 

3クラスが「昔の家の道具」「昔の農業」「昔の学校の道具・60年前の春日部」の各テーマに分かれた教室に代わる代わる訪れ、見学や体験を行いました。

今回は図書室・理科室・郷土資料室を使用しましたが、図書室・理科室はいつもと違う風景に、また郷土資料室はめったに入ることのない教室なので、子どもたちは新鮮な気持ちだったのではないでしょうか!

 

図書室での解説風景

カタカナから始まる教科書を見学

「昔の学校の道具・60年前の春日部」の解説をする図書室では、昔の学校の教科書やランドセル、給食の道具などを観察し、直接手で触れてみることで現在との違いを感じてもらいました。

 教科書の大きさが違うことや、昔はひらがなより先にカタカナを学んでいたことなど、知らないことがいっぱいです!

 

郷土資料室での解説風景

人気の手回し洗濯機

「昔の家の道具」を紹介する郷土資料室では、見たこともない道具がズラリ!

手回し洗濯機や羽釜、電気釜など持参していったものを中心に解説をしましたが、郷土資料室にはでばりぃ資料館で使用する車には乗りきらないような大きな民具や資料もあり、部屋全体が展示室の状態です♪

本来なら昨年12月の“幸松っ子くらぶ”で郷土資料室を利用し、「郷土カルタすごろく」をする予定でしたが、残念ながら中止となってしまいました。

やってみると意外と盛り上がる「郷土カルタすごろく」!令和6年度の幸松っ子くらぶで遊べるかもしれないので、そのときはぜひ参加してみてくださいね♪

 

理科室での解説風景

簡易版籾摺り体験

「昔の農業」を紹介する理科室では、主に昔の米作りと体験を。

昔はどのようにして稲の状態からみんなが食べる白米にしていたのか、その過程を体験を通して学びました。

3年生ともなると体を動かすことが大好き!理科室に入るや否や「あれやりたい!」という元気な声が聞こえてきます♪

千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀体験や、自由時間には簡易的な籾摺り(もみすり)・米つきなども行い、様々な体験ができたことで満足してくれた様子です。

 

幸松小学校からは毎年のようにでばりぃ資料館のご依頼をいただきます。次年度の3年生の先生に引き継いでもらえている様子。ありがたい限りです!

3年生だけでなく、他の学年でもご相談いただければ随時出張いたしますので是非ご連絡

ください!

展示資料がお馴染みのテレビ番組に登場します

郷土資料館の展示資料が、NHKのEテレ「みいつけた!」に登場します。

サボえもんのクイズコーナーに登場するとか。どんな資料かはクイズの問題にかかわりますので秘密ですが、テレビ局へ旅立つ民具については以前「ほごログ」で触れましたので、お察しが早い方ならわかるかも。

放送は、2月7日(水)、21日(水)の7:30~。午後6:25~。NHKプラス(見逃し1週間)、NHKワールドプレミアム(海外)でも放送予定です。

写真:民具

 

【出張授業】でばりぃ資料館in桜川小学校

令和6年1月31日(水)に桜川小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

今日は生活科室に「昔の学校の道具」「昔の家庭の道具」「約60年前の春日部の様子」「昔の農業」を紹介するブースをすべて詰め込んだ、密度の高い展示になりました。

生活科室での開催

子どもたちの四方を資料が囲む

写真からも分かる通り、子どもたちが教室に入ると、展示物や体験用の道具に囲まれている状態です!

 

時代のイメージをつかむ子どもたち

昔の道具を紹介

桜川小が開校したのは1975年(昭和50年)、今から49年ほど前になります。

今日持って行った道具たちは、約60年前から物によっては約100年前に実際に使われていたものです。年代を比較しながら紹介したことで、どれだけ古い道具なのかイメージが沸いたでしょうか。

 

千歯扱き体験

千歯扱き(せんばこき)での脱穀体験では「すげー!気持ちいい!」「ほんとによく取れるんだ!」といった意見が聞かれ、とても楽しんでくれたようです♪

 

自由時間風景①

自由時間風景②

自由時間には実際に昔の道具を触ったり、簡易的な精米の体験などを行いました。もっと色々見ていたそうな子もたくさんいました。ぜひ、今度は資料館に来てみてください!今日とは比べ物にならない資料の数々が待っていますよ♪

 

最後に感想を発表してくれたこの中には、「電気を使わない機械(道具)にびっくりした」「昔の人は頑張っていた」「今は便利になったんだなと思った」などなど、しっかりと自分の感想を伝えてくれました!

 

今日のでばりぃ資料館は、1クラスごとに1時間を計3クラス分行ったのですが、それぞれのクラスでカラーが違い、こちらとしても新鮮な気持ちで講義ができました!

豊かな個性を持った桜川小3年生!ララガーデンまで来たら、郷土資料館にも寄ってみてくださいね♪(笑)

考古学講座第5回を開催しました

1月28日に考古学講座第5回を開催しました。

 考古学講座の様子

今回は、前回残してしまった1.春日部市の古墳時代の遺跡についてと2.春日部市の奈良・平安時代についてお話しました。やはり、時間が足りなくなってしまいましたので、次回からは時間を延ばすか回数を増やすかで対応したいと思います。

春日部の古墳時代と奈良・平安時代について、簡単にまとめますと以下の通りです。

 

・古墳時代前期は、著名な遺跡として東中野の権現山遺跡があり、方形周溝墓が発見されている。

・古墳は古墳時代後期になって、内牧に塚内古墳群、東中野に向之内塚山古墳が作られる。

・集落は、古墳時代前期、後期のものが多く、低地でも発見されている。

・奈良・平安時代の遺跡は、市内北東部の宝珠花台地や、小渕、浜川戸で発見されている。

・奈良・平安時代、律令国家の制度下では、古利根川~古隅田川の流れが、武蔵国埼玉郡と下総国葛飾郡を分けていた。

・奈良・平安時代も多くの人は竪穴住居に居住していたが、調理場としてのカマドが一般化する。鉄製品も多用されている。

・奈良・平安時代の火葬墓が浜川戸遺跡で発見されている。

 

今年度の考古学講座は今回で最後でした。5か月にわたる受講、大変お疲れさまでした。来年度も連続講座を2024年9月ごろから開始したいと思います。時間が足りないので、何らかの形で時間を増やしたいと考えています。いずれにしても、広報やほごログで9月ごろご案内いたします。

 

さて、考古学講座では、毎回、発掘調査の現地説明会や博物館や資料館の考古学に関する特別展や企画展、講座などを紹介しています。詳細は各所のサイトをご確認いただくか、資料館でポスター掲示やチラシ配架なども行っていますのでご利用ください。考古学講座が無い期間も、毎月28日ごろを目安に、発掘調査現地説明会や考古学関連の展示会情報をお知らせしたいと思います。

(現地説明会)

・2月10日(土)行田市愛宕山古墳(埼玉古墳群)発掘調査現地説明会

(講演会)

・2月15日(木)~22日(木) オンラインセミナー「大木戸遺跡の低湿地調査」ー縄文時代の宝箱

(展示会_閉会日順)

・川口市郷土資料館 11月3日(金)~2月25日(日)「縄文のナニコレコレミテ」

・本庄早稲田の杜ミュージアム 1月10日(水)~3月24日(日)「弥生時代の児玉・深谷地域」

令和5年度の文化財防火デー防災訓練を開催しました

1月27日(土)に小渕地区の浄春院にて令和5年度の文化財防火デー防災訓練を開催しました。 当日は快晴となりましたが、北風が強く吹き、まさに火災の発生しやすい条件下での訓練となりました。

 

 この文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良の法隆寺金堂が火災に遭い、当時世界最古の木造建造物と共に貴重な壁画が損傷したという痛ましい事故を契機に定められました。毎年1月26日前後に、全国各地で歴史的建造物や文化財を保存管理する社寺などで防災訓練が行われています。

 

本年は訓練会場である浄春院に伝わる、市指定文化財の「円空仏」(不動明王坐像)を対象に訓練を実施しました。本堂より火災が発生したという想定のもと、関係者の皆様を中心に通報訓練、文化財搬出、水消火器による初期消火訓練を行い、消防団による放水訓練で無事、鎮火というシナリオでした。

 初期消火訓練文化財の搬出訓練

 

 

 

 

 

 

 

 

放水訓練の様子

スモークハウス体験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練の第二部では、模擬電話による通報訓練、水消火器による消火訓練、スモークハウス体験を行い、実際の火災の際に備えた訓練を実施しました。参加者の皆様からも「貴重な体験ができた」、「火災や震災の際に役立てたい」などの感想が聞かれ、有意義な訓練となりました。

 

 浄春院のご住職、関係者の皆様、消防団の皆様、消防本部の皆様、寒い中、参加いただきありがとうございました。これからも所有者と地域の皆様との連携・協働をとおして貴重な文化遺産を未来に確実に残し伝えられるよう、ご協力をお願いいたします。

【出張授業】でばりぃ資料館in備後小学校

令和6年1月25日(木)に備後小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

今日は多目的室を2つに仕切り、2クラスが入れ替わる形式で開催しました!

昔の学校の道具・60年前の春日部ブース

昔の家の道具・千歯扱き体験ブース

 

1つは昔の学校の道具と、60年前の春日部の様子を紹介するブースです。

備後小が何年前に開校したか、計算してみよう!

空中写真で学校の周辺の様子を探る子供たち 

備後小学校が開校したのは52年前の1972年(昭和47年)です。なので今回持って行った約60年前の空中写真には、備後小はまだ存在しません。

子どもたちは空中写真に身を乗り出しながら、かつては春日部には田んぼが多かったことなど、楽しく昔の備後小周辺の様子を学びました。

 

もう一方のコーナーでは、昔の家で使われていた道具と、千歯扱きを使った脱穀体験をしました。

昔の道具を触ってみよう!

千歯扱きで脱穀体験

初めて見る道具にワクワクしている様子♪

実際に道具を触って、重さや使い方などを確かめながら学びを深めました。

 

各コーナー20分ずつという短い時間でしたが、その分集中が途切れることなく学んでくれたようです!

職員の説明に対する反応が良く、静かにしっかり聞く姿勢も持ち合わせている備後小3年生!資料館に来た子がない子も多いようなので、ぜひ今度来てみてくださいね♪

 

子どもたちからも先生方からも好評をいただいている「でばりぃ資料館」!

来週は桜川小に伺います!お楽しみに♪

【出張授業】でばりぃ資料館in豊春小学校

令和6年1月23日(火)に豊春小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。

1月18日に開催した牛島小学校と同じく体育館を使用し、3つのブースを1~3組の各クラスが順番に回っていく形式での開催です!

全体風景

 

まずは、昔の学校の道具・約60年前の春日部の様子を紹介するブースの様子から。

60年前の春日部ブース風景

実物を触って学びを深めます

昔の春日部駅周辺の風景や、学校の周りはどうなっていたのかなど、現在の様子と比較してみてもらいました。

また、昔の学校の道具コーナーに展示した石盤(せきばん)など、今は毎日当たり前のように使っているノートが、70~100年くらい前は全然形の違うものだったことに驚いたみたいです。

 

昔の農業ブースでは、昔ながらの方法で稲から白米にするための過程をまなびました。

昔の農業ブース風景

籾摺り体験!

千歯扱き(せんばこき)を使った脱穀の体験や、唐臼(からうす)を使用する籾摺り(もみすり)の工程を簡易バージョンで体験しました。

籾の殻は固いので、手で剥くのではなく、唐臼のように2つのもの(唐臼の場合は木)で籾を挟んでこすることでもみ殻を外します。今回はすり鉢とボールを使っての疑似体験です。“プチッ!カリッ!”と音を立て殻が外れていくのが楽しいみたいです♪

 

そして昔の家の道具ブースでは、現在郷土資料館で展示中の資料をいつくかチョイスして、出張展示をしました。

昔の家の道具ブース風景

昔のアイロン替わりの“火のし”

手回し洗濯機などは特に人気で、子どもたちも興味津々!その他にも、昔のアイロンなどを手にもって体感してもらいました。

お話しを聞きながら頑張ってメモを取る様子も印象的でした!どうやらこの後、新聞を作るのだとか。

今日学んだことを生かして素敵な新聞に仕上げてくださいね♪

 

職員の言ったことをしっかりと聞いて、ルールを守って行動できる豊春小3年生でした!

 

今週は明後日25日にも備後小に出張ってきます!

3年生に限らず、他の学年の授業でも随時出張いたしますので、お気軽にご相談ください!

郷土資料館【手作りおもちゃクラブ】を開催しました

令和6年1月21日(日) の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館手作りおもちゃクラブ「からくり屏風を作ろう」を開催しました。

 

今回は今年度最後の手作りおもちゃクラブ!

しかし、外はあいにくの雨。寒さも相まって外出するのがおっくうになるようなお天気。

「みんな来てくれるかなぁ。。」などと心配していたのですが・・・

手作りおもちゃクラブ風景

この盛況ぶり!

いつも来てくれる子から初めましての子までたくさん参加してくれました♪

特に午前の部は参加者数が、過去6年間で最大の人数でした!

 

手作りおもちゃクラブでは、蓄音機の上演、紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3つを行います。

蓄音機の上演風景

紙芝居の読み聞かせ風景

先日、牛島小の3年生を対象にでばりぃ資料館を開催した際に、おもちゃ作りの宣伝をしたことで興味を持ってくれた子も参加してくれました♪

 

今日のおもちゃは「からくり屏風」です。2枚の板から4枚の絵柄が現れる不思議なおもちゃ!

おもちゃ作り風景

自力でやり遂げるタイプのお嬢さん!真剣です!

来てくれた方に対して職員が少ない状態でしたが、保護者の方のご協力のおかげで、みんな上手に作り上げることができました!

 

缶バッジづくり風景

そしてお土産の缶バッジ作り!

ちゃんと並んで順番を守ってくれましたね♪えらい!

 

これをもって今年度の手作りおもちゃクラブは終了です。

来年度も開催を予定していますので、広報かすかべや郷土資料館ブログなど、今後も欠かさずチェックをお願いします!

今年度もたくさんの子どもたちと楽しく過ごすことができました♪またお会いできる日を楽しみにしています!ありがとうございました!

こんな資料の活用、いかがですか?

本サイト内の「学校の先生方へ」を更新しました。 #かすかべプラスワン #教材 #小学校の先生 #館蔵資料総活躍社会

学校の先生方向けに郷土資料館所蔵資料を活用して、学校の授業を充実させてみませんか?と提案する情報を追記したものです。

画像:提案リスト

資料館所蔵資料が最も利用される教科は、ほぼ8割が社会科の教材利用です。ただ、学校の教科書をめくってみると、ほかの教科でも資料が活躍する余地がありそう。執筆者は、わが子の音読を聞いたり、教科書をパラパラめくっていたりして気づいた次第。そんな小さな発見(思い付き)を具体化したのが、この「こんな資料の活用、いかがですか?」のリストです。

リストは、今年度の博物館実習生の協力のもと作成したもので、市内の小学校の教科書(全教科)をひたすらにめくって、授業の単元で資料館の所蔵資料が入り込む「余地がありそうなもの」をリストアップしました。

その後、リストを整理するなかで、郷土資料館所蔵資料は、大きくわけて3通りの活用法に大別できることがわかってきました。

第一に、体験して学びを発展させる。

教科・単元に関わる道具や資料を実際に使ってみたり、触ってみたり、実物を見たりして「体験」することで、学びを深めたり、より高度な学習に発展させたりする活用法です。例えば、小学校4年生の国語「世界にほこる和紙」では、古文書などの和紙の資料を実際に触ったり、古いものであるにも関わらず、状態がよいものが残っていることを見て知ることで、和紙の特徴を実感させることができるのではないでしょうか。また、理科などの教科で、古い図鑑と現在の図鑑を比較することで、今と昔の認識の違いを理解し、科学的な認識の進歩・展開が理解できるようになるのではないでしょうか。

第二に、作品の場面を想像する。

国語や道徳など物語などの作品に登場する道具を実際に使ってみたり、触ってみたりすることで、物語の臨場感や場面の再現性を高め、作品の理解を深める活用法です。実習生の言い方だと「音読空間を創る」とのこと。実際の活用例として代表的なものは、小学校1年生の国語「たぬきの糸車」です。または、戦時中の道具は、戦争の悲惨さを伝える国語の単元の理解を深めるものにもなるのではないでしょうか。

写真:戦時期資料の例

第三に、郷土の事例から学びを発展させる。

教科書に登場するモノ・コトを、郷土春日部のモノ・コトと比較・対照することで、学習を深め、発展させる活用法です。代表的な活用例では、縄文時代の学習単元で、市内出土の土器に触ってみたり、市内の遺跡について学んだりして、教科書的な出来事を身近に感じることができるでしょう。小学校4年の音楽では、地域に伝わる音楽を調べる単元があるようですが、市内の神楽・囃子・獅子舞などのお囃子の音源や映像を鑑賞してもよいのではないでしょうか。これらの方法は、春日部オリジナルの学びにもなると期待されます。

 

今回のリストは、あくまでも郷土資料館からの提案です。学校の授業現場・教科の指導法を理解していない博物館実習生(大学生)と学芸員が考えたものですので、実現性は低いものかもしれません。ただ、資料の活用法は無限にあるはずで、そうした試みを提示して、百あるうちの一つでも学校の先生に利用・活用していただけたらと願い、恥を顧みず提案するに至りました。

関係者の皆様からご意見をいただき、館蔵資料が活躍する場が増えることを願ってやみません。