郷土資料館の収蔵資料

収蔵資料の紹介

資料名 大正十年七月十五日粕壁町八坂神社祭典記念絵葉書(たいしょうじゅうねんしちがつじゅうごにちかすかべまちやさかじんじゃさいてんきねんえはがき)
年代 大正10年(1921年)7月15日
法量 9.1×14.2 cm
資料種別 歴史資料
文化財指定 未指定
収蔵番号等 556-1~556-10
資料写真
解説 この資料は、大正時代に行われた八坂神社祭典の写真絵葉書です。絵葉書は表面下部に、「大正十年七月十五日粕壁町八坂神社祭典記念」の題があり、絵葉書ごとにカッコ書きで、「神輿渡御」「旭町」「新町」「内出町陣屋組」「上町」(2枚)「仲町」「新宿組」「三枚橋」「新々田」と書かれた計10枚です。カッコ書きで書かれた文字は、撮影した場所ではなく、写真に映る山車を牽く町内や、組のことであると提灯や扇子、法被の文字から考えられます。
裏面には、「TOKYO DESIGN PRINTING◎」「TRADE MARK 千鳥印」「商標登録 KANDA TOKYO」「CARTE POSTALE」「MADE IN JAPAN」「郵便はかき」(『か』は変体仮名)といった文字が印刷されています。
写真からは、神輿や山車が町内を練り歩く様子とともに、町内ごとに揃いの扇子や浴衣を身に着けている姿や、笠を被っている様子、沿道には提灯と紙垂が飾られたことが確認でき、当時かなりの賑わいがあったことが伺えます。
新町の写真(図1)では、山車を牽く人たちが新町橋を渡る様子が写っています。また、上町の写真(図2)は写っている「開山眼科醫院」あるいは「關山眼科醫院」という文字から、停車場通り付近の街道沿いを写したのではないかと考えられます。
八坂神社の祭典の起源は、江戸時代日光道中粕壁宿の市神を祀る牛頭天王社(現在の八坂神社)で毎年行われていた祭礼であり、明治時代に牛頭天王社が八坂神社に改称されたあとの祭典の記録が見つかっていませんが、この絵葉書は山車を用いた祭典の様子が伝えられる貴重な資料となっています。
八坂神社の祭典は、戦後一時中断しましたが、その後再開し、春日部市政20周年記念の昭和48年から現在の市民夏まつりとして改組されました。
図1
図2
図3
図4
語注
参考文献 『春日部市史 第六巻 通史編Ⅰ』(春日部市教育委員会、1994年)
『春日部市の神社(下巻)』(春日部市教育委員会、2003年)
『復刻 埼玉県営業便覧』(埼玉新聞社出版局、1977年)
その他 (このページの製作者 令和3年度博物館実習生 安西颯斗)