校長室より

校長室より

守破離(しゅはり)の意味とは

「守破離(しゅはり)の意味とは」

 

守破離(しゅはり)は、日本での茶道・武道・芸術等における師弟関係のあり方の一つで、日本文化が発展・進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。我孫子市内の中学校の武道場にもこの守破離(しゅはり)を壁に大きく掲げている所もある。

「守る」

最初は、師匠に言われたことを徹底して受け継ぐ。

型を守ることである。型を守る修行を行うことから始めるのが肝心
 である。

「破る」

その後、受け継いだ型を自分と照らし合わせていく。

自分に合ったより良い型を造ることで、既存の型を破る。

自分流の誕生である。

「離れる」

師匠の型を破り、そして自分自身が造りだした型の上に立脚した個
 人は、
型から自由になり型から「離れて」自在になれる。

 

今、どの学校現場にも若い先生方が増えている。

長く培ってきた教育技術も正しく適正に受け継がれていってもらい
 たいと願う。

ベテランの先生方の持っている教育技術を守り(受け継ぐ・盗む)
 そして若い
先生方が自分の技術に造り替え(破り)、自分自身が造
 り出した技術に立脚した
個性的な教員(離れる)に将来なっていっ
 て欲しいものである。

 

我孫子第一小学校の歴史と教育(その1)

千浜宗一郎校長と太鼓・校歌

 

 我孫子第一小学校の南門を出て約5分の場所に、杉村楚人冠記念館があります。

 その記念館が今年度の冬期企画展として10月12日(土)より約3ヶ月間「みんなで育てた我孫子の学校」を開催します。

本校は創立141年目を迎え、明治6年の開校以来の貴重な書や資料があります。

我孫子第一小学校の歴史を見ながら我孫子の教育を考えてみようという趣旨でこの企画展が実施されるのを受け、全面協力することはもちろんのことですが、子供達にも是非この機会に学校の歴史と我孫子の文化を知って欲しいものです。

 今回は、毎年の運動会で使用される大きな太鼓の由来と本校の校歌がいかにして出来たかについて考えてみたいと思います。

太鼓が鳴るよ 青空に 向が原の丘の上 集えよよい子 我孫子第一 学びの庭に眉あげて」これは、我孫子第一小学校校歌の一番の歌詞です。太鼓の音がドーン・ドーンと鳴り響いていたことでしょう。実はこの太鼓が学校に実存しているのです。今でも張りのある低い音色を出します。戦後の昭和25年、作詞された高橋掬太郎氏は、栄町を散歩していると一小から授業の始業を告げる太鼓の音を聞きこのフレーズが浮かんだそうです。軍歌に代わる歌、運動会や遠足などでみんなが明るく元気に歌える校歌が欲しいということから現在の曲が誕生したそうです。太鼓は当時の千浜宗一郎校長が満州に視察されたことを記念して昭和19年に造られたものです。

その千浜校長も戦争末期の昭和19年11月、40名の先生方が湖北校から手賀東部校へ研修に向かうため手賀沼を船で移動中に転覆し、19名の方と共に亡くなりました。丁度、お昼時に3艘の渡し船に乗って漕ぎ出したところ、突然風が強くなり、千浜校長は「動くな!立つな!」と何度も叫んだそうですが若い女性の先生方が多く、着物を着ていたことで身動きが取れず、寒い北風が吹いていたこともあり悲劇が広がりました。

この事件は、手賀沼殉難事件として今でも語り継がれています。

 

子どもを見守るということ

「父さんが いつも言う 今日の学校どうだった 

毎日聞かれるこの一言

 めんどくさいけど ありがたい」

 

この詩は、文部科学省が主催している「親子で話そう!家族のきずな・我が家のルール」三行詩の中で、昨年度の優秀作品の一つです。

書いた人は、広島県に住む中学2年生の女子です。

子どもは身も心も段々と成長していきます。

それに伴い、親子のコミュニケーションの取り方、間合いが難しくなってきます。

学校で担任している先生も同じです。

子どもと大人(親・先生)の上手なコミュニケーションの例えとして、川とそこに置かれている水車の関係が使われることがあります。

川の水は子どもです。時や場所によって水の量や勢いが違います。

水車は大人です。水車の目的は効率的に回転することです。

もし、水の中にどっぷりと水車がまるごと浸かっていたら上手に回転するでしょうか。

また、川の表面にほんの僅かしか接してなかったら回転するでしょうか。

微妙な距離感・接点がポイントになります。

高学年になり大人っぽくなった時、大人があまり干渉しすぎると

「わかったよ。うるさいな。」「もう、いいから。」と子どもは逃げるようになります。

大事なことは、大人が「あなたのことはいつでも、どんな時でも見守っているよ。」のメッセージを出し続けることです

直接的なことを指摘しなくてもいいのです。子どもに安心感を与え続ければ、自力で解決できることもあります。

三行詩のように、子どもは親の心は分かっているものです。

成長途上の子どもには、彼らなりの照れもあるのです。

「親の言っていることは面倒くさいが、心の中では有り難い」と思っているのです。

自己を忘れること

2学期の始業式で子ども達に次のようなお話をしました。

「今年の夏は凄い猛暑でした。我孫子市でも8月11日に39.2度の最高気温を観測しました。今はこんなに暑い日々を送っていますが、1ヶ月後には涼しくなります。日本には四季があります。

この四季があることは、実は素晴らしいことであり日本独特のものなのです。

では、皆さんは春夏秋冬が毎年巡ってくる中でどの季節が好きですか。」

子ども達は、自由に自分の好きな季節に手を挙げました。

鎌倉時代の道元和尚は、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」と短歌に詠んでいます。四季それぞれを楽しみなさい。あまり好きとか嫌いとかは思わない方が人生は楽しいですよ。自分の固定観念を取り除いて物を見ることが大切だと説いています。

学校で子ども達の様子を見てみると、こだわりが強い子が多いです。食べ物やゲーム、そして友達までも好きか嫌いと直ぐに決めてしまいがちです。一つの価値観だけを強く持ち続けていたら新しいものはなかなか入りません。良い意味で頭を空っぽにして2学期から新しい自分づくりをすることも大切です。

「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。

・・・・・・・・・」自分自身を究明することが、自己をならうことであり、書物から学んだことも捨て去ることが大事だとも説いています。

飛ぶ鳥は、飛んだという痕跡を空に残さないところから「鳥道」(ちょうどう)と呼ぶそうです。

教室の中で子ども達は、「自分が○○したんだ。最初にやったのは、私なんだ!」と言う言葉を聞くこともよくあります。自己主張が強い子どももいます。自己を忘れて相手のためにやると、最後は巡り巡って自分の徳になることを少しずつ学ばせてあげたいと感じます。

 

学校での不易と流行

本校は、明治6年2月に我孫子小学校として開校し、今年で創立141周年を迎えます。その後、尋常小学校・中央国民学校・第一小学校と名前を変えながらも我孫子の町の変貌と共に地域の学校教育を担ってきました。

先日、ある方から昔の貴重な教育関係資料を頂きました。

東北地方の宮城県石巻市にあった石巻尋常高等小学校長の錦織玄三郎先生が書き記した「当校教員注意事項」に深く感銘しました。

今から104年前、石巻にある小学校教育における教員の心構えが、平成の現代でも十分に通用し、しかも含蓄のある教えなのです。不易とは千年経っても変わらないという意味だそうですが、100年後の今でもその本質は全く同じとしか言いようがありません。

全部で17項目ありますので、その中でも私が特に感動し感銘を受けた10項目を出します。私の個人的コメントもその後に添えます。

1 手ぶらで教えよ

・指導書や指導案を見ながら授業をするなということです。授業の
    流れ
は全てを頭の中に入れておく。この「手ぶらで」という言葉が
    いいで
す。何かに頼るのは不安や迷いがまだ有るからです。

2 対話的に教えよ

・講義形式の授業ではいけないということです。教師の一方的な説
     明的
授業では子どもは飽きます。主役は子どもです。子ども同士
     の討論的
な発言では大変中身が濃くなります。

3 劣等生を愛せよ

・今は劣等生という言葉はもちろん使いません。この意味するとこ
     ろ
は、勉強の遅れがちな子どもこそ大事にすべきである。原因を
     見極め
なさいとも言っています。先生の教え方に原因がある.
 4 教育のために勤めよ

・教育とは子どもの為に行われるものである。校長や教育委員会等
     から
高い評価を受けようと思ってはいけないとのことだそうで
     す。
 

5 言葉遣いを丁寧にせよ

・軍国時代であったにも関わらず軍隊で使うような威圧的な言葉を
     使って
はいけない。美しい心は美しい言葉から生まれます。 

6 児童と遊べ

・当たり前のようなことですが、子どもと遊ぶことで心が通い合う
     ことが
大事であると言っています。子どもが心を開くには先ず遊
     ぶことです。
 

7 全校に目を注げ

・学級担任であるが組織の一員でもある。常に学校全体を考えて行
     動する。
学級王国はダメであるとこの時代から諭されていたこと
     に感動です。
 

8 品格を保て

・出会う人が自然に尊敬したくなるような気品を持ちなさいとのこ
     とである。
教育で一番大事なことは信頼である。つまり教師の人
     間性である。
 
9 児童に負けるな
  
・この意味するところは、学習も生活習慣も簡単に身に付くもので
      はない。
習慣化するまでは子どもとの根気比べだということで
      す。
 
10 事務は第二にせよ
   ・今も100年前も同じです。教員にも事務仕事は山のようにあり
     ます。
どんなに忙しくても授業が第一であるとの教えです。

 


我孫子について

6月の全校朝会で「我孫子」についてお話をしました。

私は、昨年の夏休みに成田線に乗って我孫子駅に向かう電中で、

次のような会話を聞きました。

70歳位のご夫婦(お爺ちゃんとお婆ちゃん)と40歳位の息子さんが、スーツケースを持っていましたので、恐らく海外旅行から成田空港へ戻り東京方面へ帰る途中だと思いました。

我孫子駅のホームにつく直前に、車内のアナウンスがありました。

「次は、終点の我孫子(あびこ)でございます。」

その時、息子さんが「えー!あびことは読めないな。
どう見ても
ガソンシだ!」
と言いました。

私は、びっくりしました。

普段当たり前にあびこと読んでいたことが当たり前ではないこともあるのだ。

何代か前の我孫子市長さんも東京である会議に出た時に、あびこと呼んでくれずに同様にガソンシと読まれたと言っています。

この我孫子という地名は、全国的にも非常に珍しい名前なのです。

 

次にこの数字を読んでください。

「16」

では、この16という数と我孫子の名前とはどういう関係があると思いますか。

北は秋田県から、南は九州の長崎県まで日本全国に「あびこ」という地名がある場所の数です。

この珍しい「あびこ」の地名はなんと全国でも16カ所もあります。
千葉県では房総半島の長南町に我孫子という地名があるそうです。

 

次にこの数字を読んでください。

「1313」

いつの時代から、我孫子という地名が正式に使われたかです。

鎌倉時代の末期1313年の古文書に「しもふさのくに あひこのむら」と書かれています。

昔は「あびこ」ではなく「あひこ」と読んでいたようです。

本当は、もっと昔から呼ばれていたのかもしれません。

「あびこ」とはどういう意味かを調べてみると、

昔、天皇や貴族などの偉い人に食事係などの仕事をしていた人達を「あびこ氏」と言っていたそうです。

その人達が住んでいた所を「あびこ」と呼んでいたという説もあるそうです。

また、「網を引く、あびき」という職業の名前からついたという説もあります。

様々な説があり、あびこ学として熱心に研究している人もいるくらいです。

 

最後の数字です。次の数字を読んでください。

「3000」

全国にある人の名前で「あびこ」という名字の家族の数です。

約3000軒の家があるそうです。

ちなみに、今の我孫子第一小学校の皆さんの中には、「あびこ」という名前の人はいません。
現在は、我孫子市内でもほんの数軒だけだそうです。

失敗学とは

私達は(私は)、職場でも私生活でも失敗をすることがあります。

でも何を失敗と呼び、何を成功とするか、失敗と成功を区別することは価値観にも関わるので意外と難しいかもしれません。

東京大学の畑村洋太郎先生は、その著書「失敗学のすすめ」の中で次のようなことを言われています。

「失敗学」とは、「失敗を正しく学び、生かす」ことである。失敗には負のイメージがつきまとうが、失敗を否定的に捉えるのではなく、むしろプラス面に着目して、有効利用しようとするものである。 

 人は、必ず失敗をする。これが「失敗学」の基本にある。失敗とは隠すものではないという文化をつくることが大切である。と畑村先生は繰り返し述べています。

 本校の職員にも「失敗は成功のもと」「創造的な仕事をするためには試行錯誤の失敗も時には貴重でありその後の財産にもなる」と話しました。

失敗学の本の中から、私の印象に強く残ったベスト10のキーワードを書きます。 

 失敗は確率現象である

 ヒヤリ体験の時から真剣に向き合う姿勢が大切である。ハインリッ
 ヒの法則。

 失敗は放っておくと成長する

 未然の防止策を取らないと、いつか大きくなって破裂する。

 途中変更が諸悪の根源になる

 生産現場の失敗はほとんどがこれ。最終計画を常に最終として組織
 全体が認識する。

 特に運動会・林間学校・修学旅行・入学式・卒業式等は最終の訂正
 版を配布する。

 失敗には階層がある

 個人の無知・不注意から、組織運営不良、行政や政治の怠慢、未知
 への遭遇へ。

 失敗に対する見方を変える

 「見たくないもの」は「見えなくなる」

 失敗情報は時間が経つと急激に減衰する。

 過去に津波の大被害があった東北地方の石碑付近に現在では家が多
 数建っていた。

 失敗情報は歪曲化される

 失敗の原因は変りたがる。世間への影響を考えて、当たり障りのな
 い結論となる。

8 失敗情報はローカル化し、組織内を上下動しない

 失敗情報は上には登らない。失敗を気軽に報告できない組織体制が
 ある。

9リーダーの資質と失敗

 トップが安全管理に意識しているか否かで、罹災率は3倍違ってく
 る。

10失敗の「知識化」

 現実の失敗事例を自分や他人が将来使える知識としてまとめる。

 

※さて、現実の諸問題と向き合う中で私達は常に多くの選択肢の中か
 ら
瞬時に、時にはじっくりと一つを決定することが求められます。

 学校でも会社でも家庭でも同じです。
 私は失敗に対しての認識が変わりました。

褒めて育てる

一人一人の子どもは全て個性を持っております。その個性の中から良い所を教師や親がしっかりと見つけて褒めてあげる。その場しのぎの褒め言葉でなく、一人の子と日々真剣に向き合う中でしか見いだすことができない長所を探し出すことが何よりも大事になります。

我孫子第一小のPTA役員会や職員に次のような話をしました。

「ほめ言葉のシャワー」を実践している福岡県北九州市の小学校に勤務されている男性教員のことは知っていますか。NHKの人気番組である「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演した人です。4月の読売新聞にも「ほめ言葉で深まる絆」という見出しで特集記事が掲載されておりました。

「ほめ言葉のシャワー」のキーワードは、「自信」と「安心」だそうです。教室内にこの自信と安心がなければ当然子どもも自分らしさが出てこないのです。教師はその子らしさが集団の中で発揮できる環境を作り上げていくことが大事になります。子どもは集中的に褒められる経験はめったにありません。
 毎日の帰りの会等で一人ずつ教室の前に出てきて、クラス全員と担任の先生からその子の良い所をシャワーのように言葉で浴びせてあげる。目立たない子や上手くできない子にも目が行きわたる。褒める観点も分かってくる。そうすることで教室内の絆が深まっていくようになる。

学校でも家庭でも、子どもは褒めて自信をつけさせ、その子らしさをしっかり認めて伸ばしたいものです。
 褒められた心地良さがないと叱られても子どもは聞く耳を持ちません。私たち教師や保護者は、ある意味、叱るためにも褒めておく必要があるのです。

「人生とは習慣である」の意味

今、私が一番大事にしている言葉は、「人生とは習慣である」です。聖路加国際病院で101歳にして現役のお医者さんでもある

日野原重明(ひのはらしげあき)先生が、多くの著書や講演会等で

言われている言葉です。

誰でも否応なく一年一年歳を取っていきます。そして人間歳を取ると

体のあちらこちらが病気に罹ってきます。

昔は、ガンや糖尿病などを「成人病」と言っていました。

日野原先生は、成人だから病気に罹るのではなく、長い間の生活習慣から病気になるのだから「生活習慣病」という名前をつけました。

 体や心に良いことは、毎日続けてこそ本当の意味があります。

小学生の小さい時から良いことを習慣にすると人生の実りも大きい
ものになります。反対に、習慣を侮った人は、むなしい人生に

なってしまうかもしれません。
更に、
習慣が人間の性格や品性をつくる
とも言われています。

私自身は、早寝早起き(午後9時就寝し午前3時起床)と小食(腹6分目)の習慣を長い間続けております。

体重と体脂肪は毎朝決まった時間に同じ条件で量り記録します。

基準値オーバーの時は、ラインマーカーで色を塗ることにしています。

長い間続けると、大変だと感じていたこともそれこそ習慣になってしまい普通にできるものだと感じます。

 子どもは、親の言った通りには動きません。やった通りに動きます。大人が良い習慣を身につけることは大事な教育になると思います。

美しい心は美しい言葉から

「美しい心は美しい言葉から生まれる」

ある教育雑誌のコラム欄に書かれていたタイトルです。

まさにその通りだと思います。

人間は言葉を持って人間となるのですから、言葉は人を育てることになります。

今の時代、小さい子どもや青年もテレビ等の影響により短い言葉・意味不明の言葉が大変流行しています。

「キモイ、ウザイ、カワイイ、超○○○○、神、神ってる等」

では、美しい日本語のしらべはどこにあるのかと言えば、小学校の音楽の教科書にも載っている童謡唱歌もその一つでしょう。

現在使用している音楽の教科書には、「こころのうた」として長い間歌いつがれこれからも歌いついでいきたい歌として紹介されています。

4年生では、「とんび」「まきばの朝」「もみじ」「さくらさくら」

5年生では、「こいのぼり」「子もり歌」「冬げしき」
            「スキーの歌」

6年生では、「おぼろ月夜」「われは海の子」「ふるさと」
            「越天楽今様」

4月のある朝の職員打ち合わせで、

「おぼろ月夜」の歌詞を配り全職員で歌いました。

なんと心地よいリズムと言葉の響きなのでしょうか。

 

菜の花畑に 入り日うすれ

見わたす山のは かすみ深し

春風そよふく 空を見れば

夕月かかりて においあわし

 

里わのほかげも 森の色も

田中の小道を たどる人も

かわずの鳴く音も かねの音も

さながらかすめる おぼろ月夜

 

美しい言葉を育む上で重要となるのが文語文なのです。

子ども達は、この旋律良く響きがいい文語文を

好んで覚えてしまうものです。

子どもの頃に、書き言葉である文語文の素晴らしさを

声に出し,歌って暗記させたいと思います。

その美しい日本語のしらべによって

いつしか美しいこころも育っていって欲しいと願います。