校長室より

校長室より

昔と今の運動会

  今月末の9月24日、我孫子第一小学校は運動会を実施します。

例年は春(5月下旬)に行っていますが、アクティブ・ラーニングの公開研究会を6月に開催したため、今年度に限り秋の開催となりました。

 

今回のテーマは、昔と今の運動会です。

本校で最初に運動会を行ったのは、明治41年11月でした。今から100年以上も前のことです。当時は、校庭が運動目的に整備されてなかったので利根川の河川敷(青山河原)で実施されました。しかも本校だけでなく近隣の富勢小や湖北小との連合運動会でした。

地面には、草が生い茂りその中を子ども達は、着物に裸足で競い合いました。主な種目は、徒競走・障害物競走・玉ころがし・おたまじゃくし競争であったと「一小百年史」に記載されています。

明治時代から始められた運動会。文部大臣が全国の学校に実施する旨の訓令を出した事で校庭がなかった多くの学校はピンチに立たされました。そこで、学校は地域にある神社やお寺等の広い境内を借りて運動会を行ったそうです。境内を借りるためには、氏子や檀家等の理解と協力が必要となり、一緒に子ども達と楽しんでもらうために娯楽性の高い「パン食い競争」や「大玉ころがし」等を行いました。運動会は最初から子ども達だけの競技ではなく、参加するお祭りの要素があったわけです。又、運動会の場所が学校や家から遠い所もあり、お弁当を作って持って行くスタイルになったようです。遠足気分の面もありました。

 本校の運動会種目に「かっぱ音頭」があります。毎年、午前の部最後に校庭の真ん中に太鼓を出して子ども達と保護者・地域の方が一緒になって大きな輪を作り踊ります。農作業が盛んだった昔、運動会当日に夏祭りや秋祭り等の盆踊りも一緒に行いました。その名残が今でもあるのです。きっと日本全国の地域によって踊りも様々なのでしょう。

 

さて、今の運動会です。今年のスローガンは「全力 団結 運動会 努力と希望のバトンパス」です。児童会が中心となって決めました。教師側の指導の重点は、「勝ち負けよりも態度が大事」です。これには私の強い想いがあります。運動会は、「負ける練習の場(教育の場)」の一つと捉えています。大人になれば当然分かることですが、人生は勝つことよりも負けることの方が多いのがふつうです。挫折体験は小さいうちから経験して、そこから子どもがどう乗り越えるかが大事なことです。負け方を本当に身に付けた人は、他人の悲しみや苦しみを心の底から理解できる優しく温かい人になれます。競技に勝った子どもが、どういう態度を取ればより立派なのか。負けた子・転んだ子・失敗した子が、どういう態度を取れば立派なのか。学校は心を教える場所でもあります。運動会は、子ども達が必死に練習し、全員ができれば全部に勝ちたいと思う真剣勝負の場でもあります。こういう機会こそ、「人としての道」を大人は教えたいと考えます。

負けた時こそ学ぶことは山ほどあります。数年前、6年生の応援団の女子が閉会式後、校庭の片隅で肩を寄せ合って号泣していました。感動的な光景でした。本当に今まで頑張ってきたことが十分に分かります。貴重な体験をしたと思います。世の中、どんなに頑張っても時として結果が残せないこともあるのだという事実を学んだ瞬間です。

さて、今年の運動会は紅白のどちらが優勝し応援賞を取るのでしょうか。

私は、当日までの練習過程を一緒に見届けることで、子ども達の想いを少しでも共有したいと思います。今週は長雨で外での練習はあまりできませんでした。

子ども達の努力が何らかの形で報われることを願います。

運動会の日、晴天の下で実施できるよう祈ります。

天気だけはどうしようもありません。

 

絵本から学ぶこと

 私は全校朝会で「読み聞かせ」をしています。私の思いを絵本に託して、全校の子ども達と思いを共有できる時間です。前の学校の時から学期に数回目標にして、自分が気に入った絵本・自分が好きな作家の絵本・こんな話をしたいと思わせる絵本にピアノ伴奏を付けて読んできました。

本校でも読み聞かせボランティア団体「おひさま」が、子ども達の為に一生懸命活動しております。木曜日の朝、約10分の時間ですがどのクラスを覗いても子ども達は真剣に聴いています。身を乗り出して、頷きながら笑いながら驚きながら聴いています。素晴らしい時間だと思います。

 8月23日、我孫子市の教職員の講演会がありました。今回は第一小学校が当番校なので会場準備から講師依頼等、裏方を運営委員や本校職員とやりながら当日を迎えました。

今年は有名な絵本作家こんのひとみ先生の貴重なお話なので、個人的にも本当に楽しみにしておりました。勿論、先生の代表作「くまのこうちょうせんせい」を読んだことはあります。

その絵本の中で、特に好きな言葉の一節があります。

 

「先生ね、病気になって分かったことがあるんだよ。大きな声を出そうと思っても、出せない時があるんだね。出来なくなって、初めて分かったんだ。ひつじ君、大きな声を出そうねって、いっぱい言って、本当に悪かったね。」

 

私達大人は、子どもは明るく元気が一番と思い込んでいます。しかし、子どもは小さくて弱いものです。様々な家庭環境に置かれている子ども達が登校してきます。私が朝、校門に立って子ども達に挨拶しても全員が元気に返事をしてくれるとは限りません。泣いて来る子、走って通り過ぎる子、家での話をする子、子どもは様々です。3年掛かってやっとある女の子が小さい声で「おはよう。」と言ってくれたこともあります。嬉しくて担任の先生には、直ぐにお話をしました。

子ども達の痛みを分かることが大人の役目なのかもしれません。

明日から、2学期が始まります。全員が明るく元気で登校して欲し
 いですが、きっと心の中は複雑で様々なのだと思います。子ども達
  の心に少しでも寄り添いたいです。

本校卒業生がリオオリンピック出場

 4年に1度のオリンピックが、8月5日からブラジルのリオデジャネイロで開かれます。世界から206の国と地域が参加します。
こんなに大きなイベントは他にはありません。

このオリンピックに実は、我孫子第一小学校出身の先輩が出ることになりました。

平井康翔(やすなり)さんです。現在26歳、朝日ネット所属です。

種目は、「オープンウォータースイミング」です。

ご本人の経歴は、我孫子第一小学校・我孫子中学校・市立船橋高校・明治大学そして社会人となった現在も第一線で活躍している水泳選手です。

インターネットで競泳をどんなに検索しても「オープンウォータースイミング」はヒットしません。

競泳とは全く違うスポーツなのです。

「海のマラソン」と呼ばれ、海や湖、川などを10キロと長く泳ぐ競技なのです。

泳ぐ速さだけではなく、天候や水温の変化、クラゲに刺されたり選手同士が激突したりするアクシデントを乗り越える体と精神力、そして潮の流れを読み取る頭脳、もちろんコースロープはありませんから方向を見失わないようにしなければなりません。

この種目は、2008年の北京オリンピックから正式種目となりました。

平井選手は、前回のロンドンオリンピックで初出場できました。
この時は15位という結果でした。

今年の6月にポルトガルで開催されたリオ五輪世界最終予選会で日本人1位(世界で8位)となり連続出場を決めました。

今回の五輪のプレ大会では、なんと2位に入る好記録を出しています。メダルも夢ではありません。もうメダルに手が届くところまできています。

 

実は、私の手元に平成10年3月24日に作成された「なかよし」という文集があります。

平井選手が本校の1年生だった時に作られた学年文集です。

この文集の中で、オリンピック出場の夢を書いていたのです。

私の前の校長である氏田青津子先生が、1年生の時の彼の担任の先生でした。

貴重な文集を先日持って来て下さいました。

この話は、本校の職員にも読んで伝え、7月の終業式では子ども達にもこの文集を読みました。

「夢は努力すれば実現する」と感じ取った子どもも多かったです。

 

「ぼくは大きくなったら、水えいでオリンピックにでてリレーとじぶんがでるしゅもくで1いになって、しんきろくをだして、金メダルをとりたいです。」(後半略)

 

私は、子ども達に「スポーツで頑張ることは、心を鍛える、心を強くすることです。だから、平井選手は体も心も日本で一番立派に鍛えて、この分野で日本人1位になりました。そして2大会連続でオリンピックに出場できることになりました。」と伝えました。

 

来月8月16日の夜にオープンウォータースイミングの競技が始まります。

是非、本校の先輩である平井選手の活躍を応援したいと思います。

 

郷土愛を育てる

「我孫子のどこが好きですか」

私は7月の全校朝会で子ども達に聞いてみるつもりでいます。

今、4年生は「アイラブあびこ 写真をもとに手賀沼の良さを伝えよう」、5年生は「推薦しよう我孫子ベスト3」で地域学習を熱心に取り組んでいます。本校が研究している総合的な学習と国語科の教科横断的な単元学習です。子ども達に生きてはたらく表現力を身につけさせたいと思っています。

我孫子第一小学校の子ども達が大人になった時、遠く離れた場所に引っ越したり、社会人になって大都会や外国に住むようになったりすると、今住んでいるこの町を「郷土」「ふるさと」と呼ぶようになることでしょう。

明治時代から大正時代は、北の鎌倉とも呼ばれ手賀沼の畔は理想的な別荘地でした。そのため多くの有名人が我孫子に往来し、文化的交流が盛んでした。

白樺派の文人・小説の神様である志賀直哉

柔道の父・日本体育の父である嘉納治五郎(本校には貴重な本人自筆の書あり)

新聞界の先駆者である杉村楚人冠

野口英世の育ての親である血脇守之助

気象学の父である岡田武松

などの有名人が住んで我孫子の名を世に高めました。

 

昭和20年代までカモ猟がさかんで、沼の水を使ってみそ汁を作ったりお茶をわかしたりしていました。昭和30年頃には、漁業で生活を立てている人が800人もいた手賀沼。

その後、日本一汚い沼になってしまった手賀沼。・・・・・

しかし、先人達の必死の努力で夏には毎年トライアスロンが行われるようになりました。又、我孫子は人と鳥が共存する町でもあります。日本で唯一の鳥の博物館もあります。本校も地域学習で見学に出かけることもあります。手賀沼の鳥の生態系を知ることで自然環境の実態が分かります。6年生は、20年以上前から毎年バードカービングを制作しています。日本が誇るバードカービング制作の第一人者である内山春雄先生から直接指導を頂いています。

大人になり何か困難にぶつかったり、傷ついたり、大きな悩みがあったりすると人は、「ふるさと」を思い起こすそうです。子ども達にとっての「ふるさと」が素敵な町で良かったと誇りを持てるような我孫子でありたいと心から思います。

 

避難訓練での話(イマジン)

5月13日(金)の午前、本校では地震を想定しての避難訓練を実施しました。

青空の下、平穏なこの校庭に避難している全校児童に熊本県内で地震被害にあった小学校の事をどうしても想像させたかったのです。

 

ジョンレノンの有名な曲「イマジン」が頭に浮かびました。

「想像してみよう みんなで

 僕らは今日という日のために 生きていることを

 ・・・・・・」

 

子どもは自分のことしか関心がありません。

大人になるということは、人の痛みを想像できることです。

本校の子ども達は、4月14日に九州の熊本県で大きな地震があったことは、テレビや新聞等で知っています。

我孫子に住んでいる私達は経験したことがない点が2つあります。

先ず、地震の揺れです。

一番大きいとされる震度7が2回もあったこと。

次に、大きな地震の後、余震といってその後も地下の岩盤が割れ続け、ずれる小さな地震が1ヶ月間で1400回以上もあったこと。

毎日地震が続いている。舟に乗っているようなものです。

 

私は校庭に避難している子ども達に、校舎と体育館の方を向かせました。

熊本県では大地震が起きた後、学校はどうなったと思いますか。

熊本県の多くの学校では、「休校」といって学校が休みとなっていました。

想像してみましょう。

ここは、熊本県の小学校の校庭です。

校庭で遊べるでしょうか。
多くの避難している人の車が駐車していますね。

テントもいっぱい張っていますね。

体育館の中で遊べるでしょうか。
避難している人が大勢いますね。

教室で勉強できるでしょうか。・
体育館に入りきれない人は教室で生活していますね。

熊本県のある校長先生は、「学校で授業をしたいが、子ども達の安全が一番大事です。」

当分、授業をできる状態ではありません。と言っていました。

あるお母さんは、「道路も穴が開いていて親も心配で、学校には行かせたくない」と言っていました。

熊本の次に、いつどこで大地震がおきるのでしょうか。

今日の新聞にも載っていましたが、今の科学では不可能だそうです。

真剣に本気で備えることしかありません。

「教室はまちがうところだ」の意味すること

 本校は、昨年度よりアクティブ・ラーニングについての研究をしております。アクティブ・ラーニングとは学習者(子ども)が能動的に学習をすることを言います。

教師中心の一斉指導型授業から、子ども中心の学び合い学習へと学習スタイルを変えているところです。学習定着率の結果を見ると、教師中心の講義では5%ですが、子ども同士の教え合いでは90%も覚えていると言われております。子ども自らが主体的に学習に取り組むことがいかに大事なのかが分かります。

 子ども中心の学び合いが成立するには、まず教室内で相手の話をしっかりと聴ける風土がベースにないとダメです。本校では、どの教室にも「聞き方名人 あいうえお」を掲示しています。いてを見て、っしょうけんめい、なずきながら、がをで、わりまで聞く。

 深い学びが成立するには、更に子ども同士の受容的な雰囲気が学級に必要です。

教室では間違ってもいい。自分の意見を恥ずかしがらず言っていい。間違うことを恐れはいけないし、間違った人を絶対に笑ってはいけないのです。

 これからの時代、子どもたちに本当に必要な力とは何でしょうか。

知識の獲得よりも実社会・実生活に生かせる能力が大事になってきます。本校では、自ら考える力・選ぶ力・伝える力を色々な学習場面で身につけさせたいと考えます。

 

教室はまちがうところだ(一部抜粋)

蒔田晋治(まきた しんじ)

 

教室はまちがうところだ

みんながどしどし 手をあげて

まちがった意見を 言おうじゃないか

まちがった答えを 言おうじゃないか

がうことを おそれちゃいけない      

まちがうことを わらっちゃいけない

まちがった意見を まちがった答えを

ああじゃないか こうじゃないかと

みんなで出し合い 言い合うなかで

ほんとのものを 見つけていくのだ

そうしてみんなで 伸びていくのだ

 

いつも正しく まちがいのない

答えをしなくちゃ ならんと思って

そういうところだと 思っているから

まちがうことが こわくてこわくて

手もあげないで 小さくなって

だまりこくって 時間がすぎる

 

しかたないから 先生だけが

勝手にしゃべって 生徒はうわのそら

それじゃちっとも 伸びてはいけない

 

神様でさえ まちがう世の中

ましてこれから 人間になろうとしている

ぼくらが まちがってなにがおかしい

あたりまえじゃないか

 

まちがったって

だれかがなおしてくれるし 教えてくれる

こまった時には 先生がない知恵しぼって 教えるぞ

そんな教室つくろうや

卒業式で伝えたかったこと~未来の世の中~

一週間程前のことですが、将棋だけでなく囲碁の分野でも世界のトッププロが、人工知能に負けたニュースが流れました。人工知能とは、計算だけでなく自ら学ぶことのできるコンピュータだそうです。又、テレビコマーシャルでもよく見るように、車の自動運転も目前に迫っています。小学生の皆さんが大学を卒業する時には、約六割の人が今は存在しない新しい職業に就くだろうと言われています。そして多くの仕事を人工知能が担うようになるとも言われています。今後、社会の変化は、過去に味わった事のない程、劇的なものになってきます。

そのような時代を生き抜いていく皆さんに、本当に大事な事、必要な力とは何でしょうか。 

有名な歴史小説家の司馬遼太郎は、「二十一世紀を生きる君たちへ」の中で次のようなことを言っています。

 

 二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。しかし、科学や技術が、洪水のように人間を呑み込んでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君達のしっかりした自己が、科学と技術を支配し、良い方向に持っていって欲しいのである。

君達は、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

自分に厳しく、相手に優しく、という自己を。

人間は、助け合って生きているのである。

このため、助け合うということが、人間にとっては大きな道徳になっている。

私達は、訓練してそれを身に付けねばならないのである。その訓練とは、簡単なことである。

例えば、友達が転ぶ、「ああ、痛かったろうな。」と感じる気持ちを、その都度自分の中で作りあげていけば良いのである。

 

 先週、私との最後の授業をしたことを6年生は覚えていますか。

なぜ、皆さんは同じ歳である十二歳の少女セバン・スズキさんが地球環境サミットで行ったスピーチに大変感動したのでしょうか。

未来の地球の自然を心配する想像力、お金を貯めてカナダからブラジルの会場まで出かけた行動力、そして何よりも自分も子どもなのに「未来に生きる子ども達」のことをどの大人よりも心配していたからではないでしょうか。

 これから先、どんなに科学技術が発達しても、環境問題が深刻化しても私達人間は、きっと乗り越えることができると信じたいです。

それは、未来ある皆さんの手に委ねられているのです。

我孫子第一小学校で学んだ皆さんを信じています。

 

 

「性を語ることは命を語ること」

1月の授業参観で6年生は、思春期講座「大人に向かって、見つめ直そう こころとからだ」を学習しました。2名の助産師さんが専門的立場から男性と女性の性の違いから、大切にすべきことを分かり易くお話下さいました。大勢の保護者の方も参観して頂きました。

保護者の方は、子どもが性について質問してきたらどうしますか。

保護者の感想からは、「きちんと向き合ってみたい。」「できる限りきちんと応えようと思いました。」「きちんと茶化さずに真剣に話しをしてみたい。」等が多かったです。

親は性の問題から逃げないで、子どもの悩みにきちんと対応できることがいいのです。家庭内で変に意識しないで、お互いに普通に話せる環境を普段から心がけることが大切だと思います。

 学校の「いのち・こころ・からだの学習」では、1年生の時から発達段階に応じた内容を担任と養護教諭が連携しながら実施しています。主な内容は次のとおりです。

1年生・・・男の子 女の子(男女の体の違い)

2年生・・・私の誕生(お父さんお母さんと繋がっている命)

3年生・・・命の始まりと赤ちゃんの誕生(科学的に知る)

4年生・・・自分ってどんな子?気になるな(友達の良いとこ探し)

5年生・・・命を見つめる(災害の作文から大切な命を知る)

6年生・・・大人に向かって(思春期の心身の変化と特徴)

 

 男性と女性の体の違いについては学校でも学習していきますが、男性と女性の心の学習はどうでしょうか。私は昔から気になる言葉あります。

「もっと男らしく・・・」

「それでも男か・・・」

「なんか女みたい・・・」

本当の男らしさとは何でしょうか。

本当の女らしさとは何でしょうか。

男らしく、女らしくとは具体的にはどのようなことを表すのでしょうか。

この男と女の定義の為、どれだけの苦痛を味わった子ども達がいたことでしょうか。

 

私が小学生の頃のランドセルの色は、男は黒、女は赤と決まっていました。それが当たり前であり、男が赤のランドセルで登校してきたら大変な騒ぎになっていたことでしょう。

そういう時代感覚でした。今は個性豊かでバラエティーです。本校の1年生のあるクラスでは、黒・赤・茶・ピンク・青・水色・紫・紺色と全部で8色もありました。水色のランドセルの女の子は、「水色が綺麗で好き。人にはそれぞれ好みがあるから色で男も女もないです。」と言ってくれました。教室で拍手が沸きあがりました。

 男の子は男らしく、女の子は女らしく。昔からよく耳にする言葉です。教室の中で時々、男の子が「男のくせに」「女みたい」と言われている場面を見かけることがあります。男だって泣くし、いじけることもあります。今の時代、女の子が応援団長や児童会長で頑張っている子もいます。男と女の体の違いについては、学校で毎年学習していきます。

大事なことは、自分らしく生きていけるかだと思います。性については個人差があります。私達大人が一人ひとりの子供の心の部分をもっと敏感に感じ取ってあげたいと思います。

 

今の時代、アメリカでは同姓同士の結婚も認める時代になりました。

日本でも東京の区役所では、同姓同士の届け出により様々な制度活用ができるようになってきました。昔なら誤解と偏見で苦しんでいただろう人達も前向きに生きることができます。

学校にも様々な子どもがいます。

大人になり性を意識することは、素直に自分らしく生きることだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

人と猿の違いとは?映画「猿の惑星」から

あけましておめでとうございます。

3学期の始業式、私は全校の子ども達に言いました。

「今年の干支は何でしょう。何年でしょうか。」

「猿・・・」

「そうですね。今年は申(サル)年です。」

「では、人と猿はどこが違うと思いますか。私達人間と動物の猿はどこが違うのかを考えて下さい。

今から1分間あげますので隣や近くの人と話し合ってみて下さい。」

子ども達は直ぐに一所懸命に考えてそれぞれ話し合っていました。

「人は言葉を使える。人は火を台所で使うことができる。道具を使う。二本足で歩ける。・・・」

「では、人と猿とでは、どちらが優れているのでしょうか。どちらが賢いでしょうか。」

今から48年前の1968年、私が小学校5年生の時に「猿の惑星」というアメリカの映画上映されており友達と一緒に見に行きました。

当時、子ども心ながら凄いショックを受けたことを覚えています。

あらすじは次のようなものです。

 

アメリカのケネディー宇宙センターから打ち上げられた宇宙船が、長い宇宙飛行を続けており4人の宇宙飛行士は、光と同じ位に早いスピードの宇宙船に乗っておりました。

そのために、4人は冬眠装置の中に入って冬眠状態で眠っており、地球の時間で言えば約2千年も過ぎてしまっていたのです。

ある時、宇宙船がトラブルに見舞われて近くの惑星に不時着しました。

男性3人は冬眠から覚めて無事でしたが、仲間の女性宇宙飛行士は、冬眠装置がこわれていて既にミイラになってしまっていました。

男性3人の宇宙飛行士は、何とか宇宙船から脱出して初めて見る惑星を歩き続けました。

砂漠地帯をやっと通り過ぎると、緑の森がありました。

しかし、そこで見たものとは・・

猿の兵隊が、馬に乗って裸の人間を鉄砲で撃ちながら、追い詰めて捕まえているのです。

3人も逃げ切れず、2人は猿に殺されます。主人公も首に玉が当たり気を失います。

 

この星では、人間と猿の逆転現象が起こっていたのです。

猿の方が賢くて、弱い人間は捕まると檻の中に入れられてしまっていたのです。

主人公のチャールトン・ヘストンが馬に乗って、波打ち際の海岸線を逃げているとついに彼が見たものとは、

海岸の砂浜に胸まで埋まっていたニューヨークに建っていた自由の女神像でした。

彼は、「オーマイ ゴッド!」と叫び、ここは地球だったのだ。ここは故郷だったのだ。

本当にやってしまった。バカども。このザマは何だ。
皆、地球で苦しめ。

と言って映画は終わります。

 

私は、冬休みにもう一度DVDでこの映画を見ることにしました。

分かっているとは言え、ラストの衝撃はやはり凄いものがありました。

始業式で、子ども達には「どうして人と猿が逆転してしまったのか?考えてみて下さい。」

と言って終わりました。私からは答えらしきものは何も言っていません。

始業式の数日前に、折しも北朝鮮が水爆の実験が成功したという重大ニュースが流れていました。

約50年前に皮肉を込めて寓話として撮った映画が、今も真実味を帯びているとしか言いようがありません。

映画の中では、優秀な猿の科学者が、「人間の知恵は愚かさと同居している。感情が理性を支配し、戦いを好む動物だ。自分を含むすべての者と戦う。」と人間のことを評価しています。

現在、核兵器を持っている国は10ケ国あります。
原子爆弾・水素爆弾等の核弾頭の数は、1万7千発あるそうです。
地球何百個分を破壊する武器を私達人間は持っています。
過去に人間が作った武器は、必ず使用してきた歴史があります。

 

申年に思うこと。

本当に、私達 人間は賢い動物なのでしょうか。

 

今も生きる吉田松陰の教育と言葉

 「今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて、人と成りにし道を踏めかし」

「志を立ててもって万事の源となす」

これらの言葉は、現在も山口県萩市にある市立明倫小学校で、毎朝、各教室で子ども達が全員で朗唱(ろうしょう)をしています。上の言葉はなんと小学校1年生の1学期に声に出して暗記する言葉です。子ども達は学期に一つ朗唱し、卒業するまでに18の言葉を覚えることになります。

江戸時代の末期、長州藩士であり将来を嘱望されながら30歳の若さで亡くなった吉田松陰は、教育に関する言葉を数多く残しています。

 

 私はこの夏に、山陽山陰地方を旅行してきました。

昔から機会があれば一度は行きたかった場所の一つが萩です。

折しも現在放映されているNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台にもなっています。

この番組は毎回欠かさず楽しみに観ています。

 

 城下町の萩を歩くと、必ず訪れる場所が松下村塾です。吉田松陰は、江戸で投獄された後、生まれ故郷の萩に帰されて幽囚生活をしますが、約1年間囚人の身でありながら多くの逸材を育てます。彼の門下生には、高杉晋作・久坂玄端・伊藤博文・山形有朋など明治維新の原動力となった人物がいます。

松下村塾の記念館を訪れて、私が感動してメモを取った言葉があります。

教育の本質として、「学は人たる所以を学ぶなり。」人間としての自覚を促し、更に当時、世界の中の日本人として自覚を高める必要性を説いています。

志を大変に重んじた人で、「士規七則」の中に、特に大事な三つを挙げています。

1 立志(志を立てる)

2 択交(たくこう・多くの人と交わる)

3 読書(多くの本を読み学ぶ)

 

 今、第一小学校ではアクティブラーニングの研究をしているところです。いかにして、教師主導型の教育を子ども中心の学びに変えられるかです。

そんな折、この江戸時代末期にこの松下村塾での教育方針に更に感動したのです。

 立志を核にした個性伸張の実践教育が基本である。

 授業では、会読・対読が中心となる。

 討論会・野外活動を通して対話や意見交換を重んじる。

まさに、私達が取り組もうとしている教育の姿がこの時代に既に実現されていたのだと

驚かされました。

新しいこととは、昔を知ることなのかとつくづく思いました。

温故知新です。