我孫子について
6月の全校朝会で「我孫子」についてお話をしました。
私は、昨年の夏休みに成田線に乗って我孫子駅に向かう電中で、
次のような会話を聞きました。
70歳位のご夫婦(お爺ちゃんとお婆ちゃん)と40歳位の息子さんが、スーツケースを持っていましたので、恐らく海外旅行から成田空港へ戻り東京方面へ帰る途中だと思いました。
我孫子駅のホームにつく直前に、車内のアナウンスがありました。
「次は、終点の我孫子(あびこ)でございます。」
その時、息子さんが「えー!あびことは読めないな。
どう見てもガソンシだ!」と言いました。
私は、びっくりしました。
普段当たり前にあびこと読んでいたことが当たり前ではないこともあるのだ。
何代か前の我孫子市長さんも東京である会議に出た時に、あびこと呼んでくれずに同様にガソンシと読まれたと言っています。
この我孫子という地名は、全国的にも非常に珍しい名前なのです。
次にこの数字を読んでください。
「16」
では、この16という数と我孫子の名前とはどういう関係があると思いますか。
北は秋田県から、南は九州の長崎県まで日本全国に「あびこ」という地名がある場所の数です。
この珍しい「あびこ」の地名はなんと全国でも16カ所もあります。
千葉県では房総半島の長南町に我孫子という地名があるそうです。
次にこの数字を読んでください。
「1313」
いつの時代から、我孫子という地名が正式に使われたかです。
鎌倉時代の末期1313年の古文書に「しもふさのくに あひこのむら」と書かれています。
昔は「あびこ」ではなく「あひこ」と読んでいたようです。
本当は、もっと昔から呼ばれていたのかもしれません。
「あびこ」とはどういう意味かを調べてみると、
昔、天皇や貴族などの偉い人に食事係などの仕事をしていた人達を「あびこ氏」と言っていたそうです。
その人達が住んでいた所を「あびこ」と呼んでいたという説もあるそうです。
また、「網を引く、あびき」という職業の名前からついたという説もあります。
様々な説があり、あびこ学として熱心に研究している人もいるくらいです。
最後の数字です。次の数字を読んでください。
「3000」
全国にある人の名前で「あびこ」という名字の家族の数です。
約3000軒の家があるそうです。
ちなみに、今の我孫子第一小学校の皆さんの中には、「あびこ」という名前の人はいません。
現在は、我孫子市内でもほんの数軒だけだそうです。