校長室より
「教室はまちがうところだ」の意味すること
本校は、昨年度よりアクティブ・ラーニングについての研究をしております。アクティブ・ラーニングとは学習者(子ども)が能動的に学習をすることを言います。
教師中心の一斉指導型授業から、子ども中心の学び合い学習へと学習スタイルを変えているところです。学習定着率の結果を見ると、教師中心の講義では5%ですが、子ども同士の教え合いでは90%も覚えていると言われております。子ども自らが主体的に学習に取り組むことがいかに大事なのかが分かります。
子ども中心の学び合いが成立するには、まず教室内で相手の話をしっかりと聴ける風土がベースにないとダメです。本校では、どの教室にも「聞き方名人 あいうえお」を掲示しています。あいてを見て、いっしょうけんめい、うなずきながら、えがをで、おわりまで聞く。
深い学びが成立するには、更に子ども同士の受容的な雰囲気が学級に必要です。
教室では間違ってもいい。自分の意見を恥ずかしがらず言っていい。間違うことを恐れはいけないし、間違った人を絶対に笑ってはいけないのです。
これからの時代、子どもたちに本当に必要な力とは何でしょうか。
知識の獲得よりも実社会・実生活に生かせる能力が大事になってきます。本校では、自ら考える力・選ぶ力・伝える力を色々な学習場面で身につけさせたいと考えます。
教室はまちがうところだ(一部抜粋)
蒔田晋治(まきた しんじ)
みんながどしどし 手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
がうことを おそれちゃいけない
まちがうことを わらっちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出し合い 言い合うなかで
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ
いつも正しく まちがいのない
答えをしなくちゃ ならんと思って
そういうところだと 思っているから
まちがうことが こわくてこわくて
手もあげないで 小さくなって
だまりこくって 時間がすぎる
しかたないから 先生だけが
勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
それじゃちっとも 伸びてはいけない
神様でさえ まちがう世の中
ましてこれから 人間になろうとしている
ぼくらが まちがってなにがおかしい
あたりまえじゃないか
まちがったって
だれかがなおしてくれるし 教えてくれる
こまった時には 先生がない知恵しぼって 教えるぞ
そんな教室つくろうや
卒業式で伝えたかったこと~未来の世の中~
一週間程前のことですが、将棋だけでなく囲碁の分野でも世界のトッププロが、人工知能に負けたニュースが流れました。人工知能とは、計算だけでなく自ら学ぶことのできるコンピュータだそうです。又、テレビコマーシャルでもよく見るように、車の自動運転も目前に迫っています。小学生の皆さんが大学を卒業する時には、約六割の人が今は存在しない新しい職業に就くだろうと言われています。そして多くの仕事を人工知能が担うようになるとも言われています。今後、社会の変化は、過去に味わった事のない程、劇的なものになってきます。
そのような時代を生き抜いていく皆さんに、本当に大事な事、必要な力とは何でしょうか。
有名な歴史小説家の司馬遼太郎は、「二十一世紀を生きる君たちへ」の中で次のようなことを言っています。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。しかし、科学や技術が、洪水のように人間を呑み込んでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君達のしっかりした自己が、科学と技術を支配し、良い方向に持っていって欲しいのである。
君達は、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
自分に厳しく、相手に優しく、という自己を。
人間は、助け合って生きているのである。
このため、助け合うということが、人間にとっては大きな道徳になっている。
私達は、訓練してそれを身に付けねばならないのである。その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達が転ぶ、「ああ、痛かったろうな。」と感じる気持ちを、その都度自分の中で作りあげていけば良いのである。
先週、私との最後の授業をしたことを6年生は覚えていますか。
なぜ、皆さんは同じ歳である十二歳の少女セバン・スズキさんが地球環境サミットで行ったスピーチに大変感動したのでしょうか。
未来の地球の自然を心配する想像力、お金を貯めてカナダからブラジルの会場まで出かけた行動力、そして何よりも自分も子どもなのに「未来に生きる子ども達」のことをどの大人よりも心配していたからではないでしょうか。
これから先、どんなに科学技術が発達しても、環境問題が深刻化しても私達人間は、きっと乗り越えることができると信じたいです。
それは、未来ある皆さんの手に委ねられているのです。
我孫子第一小学校で学んだ皆さんを信じています。
「性を語ることは命を語ること」
1月の授業参観で6年生は、思春期講座「大人に向かって、見つめ直そう こころとからだ」を学習しました。2名の助産師さんが専門的立場から男性と女性の性の違いから、大切にすべきことを分かり易くお話下さいました。大勢の保護者の方も参観して頂きました。
保護者の方は、子どもが性について質問してきたらどうしますか。
保護者の感想からは、「きちんと向き合ってみたい。」「できる限りきちんと応えようと思いました。」「きちんと茶化さずに真剣に話しをしてみたい。」等が多かったです。
親は性の問題から逃げないで、子どもの悩みにきちんと対応できることがいいのです。家庭内で変に意識しないで、お互いに普通に話せる環境を普段から心がけることが大切だと思います。
学校の「いのち・こころ・からだの学習」では、1年生の時から発達段階に応じた内容を担任と養護教諭が連携しながら実施しています。主な内容は次のとおりです。
1年生・・・男の子 女の子(男女の体の違い)
2年生・・・私の誕生(お父さんお母さんと繋がっている命)
3年生・・・命の始まりと赤ちゃんの誕生(科学的に知る)
4年生・・・自分ってどんな子?気になるな(友達の良いとこ探し)
5年生・・・命を見つめる(災害の作文から大切な命を知る)
6年生・・・大人に向かって(思春期の心身の変化と特徴)
男性と女性の体の違いについては学校でも学習していきますが、男性と女性の心の学習はどうでしょうか。私は昔から気になる言葉あります。
「もっと男らしく・・・」
「それでも男か・・・」
「なんか女みたい・・・」
本当の男らしさとは何でしょうか。
本当の女らしさとは何でしょうか。
男らしく、女らしくとは具体的にはどのようなことを表すのでしょうか。
この男と女の定義の為、どれだけの苦痛を味わった子ども達がいたことでしょうか。
私が小学生の頃のランドセルの色は、男は黒、女は赤と決まっていました。それが当たり前であり、男が赤のランドセルで登校してきたら大変な騒ぎになっていたことでしょう。
そういう時代感覚でした。今は個性豊かでバラエティーです。本校の1年生のあるクラスでは、黒・赤・茶・ピンク・青・水色・紫・紺色と全部で8色もありました。水色のランドセルの女の子は、「水色が綺麗で好き。人にはそれぞれ好みがあるから色で男も女もないです。」と言ってくれました。教室で拍手が沸きあがりました。
男の子は男らしく、女の子は女らしく。昔からよく耳にする言葉です。教室の中で時々、男の子が「男のくせに」「女みたい」と言われている場面を見かけることがあります。男だって泣くし、いじけることもあります。今の時代、女の子が応援団長や児童会長で頑張っている子もいます。男と女の体の違いについては、学校で毎年学習していきます。
大事なことは、自分らしく生きていけるかだと思います。性については個人差があります。私達大人が一人ひとりの子供の心の部分をもっと敏感に感じ取ってあげたいと思います。
今の時代、アメリカでは同姓同士の結婚も認める時代になりました。
日本でも東京の区役所では、同姓同士の届け出により様々な制度活用ができるようになってきました。昔なら誤解と偏見で苦しんでいただろう人達も前向きに生きることができます。
学校にも様々な子どもがいます。
大人になり性を意識することは、素直に自分らしく生きることだと思います。
人と猿の違いとは?映画「猿の惑星」から
あけましておめでとうございます。
3学期の始業式、私は全校の子ども達に言いました。
「今年の干支は何でしょう。何年でしょうか。」
「猿・・・」
「そうですね。今年は申(サル)年です。」
「では、人と猿はどこが違うと思いますか。私達人間と動物の猿はどこが違うのかを考えて下さい。
今から1分間あげますので隣や近くの人と話し合ってみて下さい。」
子ども達は直ぐに一所懸命に考えてそれぞれ話し合っていました。
「人は言葉を使える。人は火を台所で使うことができる。道具を使う。二本足で歩ける。・・・」
「では、人と猿とでは、どちらが優れているのでしょうか。どちらが賢いでしょうか。」
今から48年前の1968年、私が小学校5年生の時に「猿の惑星」というアメリカの映画が上映されており友達と一緒に見に行きました。
当時、子ども心ながら凄いショックを受けたことを覚えています。
あらすじは次のようなものです。
アメリカのケネディー宇宙センターから打ち上げられた宇宙船が、長い宇宙飛行を続けており4人の宇宙飛行士は、光と同じ位に早いスピードの宇宙船に乗っておりました。
そのために、4人は冬眠装置の中に入って冬眠状態で眠っており、地球の時間で言えば約2千年も過ぎてしまっていたのです。
ある時、宇宙船がトラブルに見舞われて近くの惑星に不時着しました。
男性3人は冬眠から覚めて無事でしたが、仲間の女性宇宙飛行士は、冬眠装置がこわれていて既にミイラになってしまっていました。
男性3人の宇宙飛行士は、何とか宇宙船から脱出して初めて見る惑星を歩き続けました。
砂漠地帯をやっと通り過ぎると、緑の森がありました。
しかし、そこで見たものとは・・
猿の兵隊が、馬に乗って裸の人間を鉄砲で撃ちながら、追い詰めて捕まえているのです。
3人も逃げ切れず、2人は猿に殺されます。主人公も首に玉が当たり気を失います。
この星では、人間と猿の逆転現象が起こっていたのです。
猿の方が賢くて、弱い人間は捕まると檻の中に入れられてしまっていたのです。
主人公のチャールトン・ヘストンが馬に乗って、波打ち際の海岸線を逃げているとついに彼が見たものとは、
海岸の砂浜に胸まで埋まっていたニューヨークに建っていた自由の女神像でした。
彼は、「オーマイ ゴッド!」と叫び、ここは地球だったのだ。ここは故郷だったのだ。
本当にやってしまった。バカども。このザマは何だ。
皆、地球で苦しめ。
と言って映画は終わります。
私は、冬休みにもう一度DVDでこの映画を見ることにしました。
分かっているとは言え、ラストの衝撃はやはり凄いものがありました。
始業式で、子ども達には「どうして人と猿が逆転してしまったのか?考えてみて下さい。」
と言って終わりました。私からは答えらしきものは何も言っていません。
始業式の数日前に、折しも北朝鮮が水爆の実験が成功したという重大ニュースが流れていました。
約50年前に皮肉を込めて寓話として撮った映画が、今も真実味を帯びているとしか言いようがありません。
映画の中では、優秀な猿の科学者が、「人間の知恵は愚かさと同居している。感情が理性を支配し、戦いを好む動物だ。自分を含むすべての者と戦う。」と人間のことを評価しています。
現在、核兵器を持っている国は10ケ国あります。
原子爆弾・水素爆弾等の核弾頭の数は、1万7千発あるそうです。
地球何百個分を破壊する武器を私達人間は持っています。
過去に人間が作った武器は、必ず使用してきた歴史があります。
申年に思うこと。
本当に、私達 人間は賢い動物なのでしょうか。
今も生きる吉田松陰の教育と言葉
「今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて、人と成りにし道を踏めかし」
「志を立ててもって万事の源となす」
これらの言葉は、現在も山口県萩市にある市立明倫小学校で、毎朝、各教室で子ども達が全員で朗唱(ろうしょう)をしています。上の言葉はなんと小学校1年生の1学期に声に出して暗記する言葉です。子ども達は学期に一つ朗唱し、卒業するまでに18の言葉を覚えることになります。
江戸時代の末期、長州藩士であり将来を嘱望されながら30歳の若さで亡くなった吉田松陰は、教育に関する言葉を数多く残しています。
私はこの夏に、山陽山陰地方を旅行してきました。
昔から機会があれば一度は行きたかった場所の一つが萩です。
折しも現在放映されているNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台にもなっています。
この番組は毎回欠かさず楽しみに観ています。
城下町の萩を歩くと、必ず訪れる場所が松下村塾です。吉田松陰は、江戸で投獄された後、生まれ故郷の萩に帰されて幽囚生活をしますが、約1年間囚人の身でありながら多くの逸材を育てます。彼の門下生には、高杉晋作・久坂玄端・伊藤博文・山形有朋など明治維新の原動力となった人物がいます。
松下村塾の記念館を訪れて、私が感動してメモを取った言葉があります。
教育の本質として、「学は人たる所以を学ぶなり。」人間としての自覚を促し、更に当時、世界の中の日本人として自覚を高める必要性を説いています。
志を大変に重んじた人で、「士規七則」の中に、特に大事な三つを挙げています。
1 立志(志を立てる)
2 択交(たくこう・多くの人と交わる)
3 読書(多くの本を読み学ぶ)
今、第一小学校ではアクティブラーニングの研究をしているところです。いかにして、教師主導型の教育を子ども中心の学びに変えられるかです。
そんな折、この江戸時代末期にこの松下村塾での教育方針に更に感動したのです。
立志を核にした個性伸張の実践教育が基本である。
授業では、会読・対読が中心となる。
討論会・野外活動を通して対話や意見交換を重んじる。
まさに、私達が取り組もうとしている教育の姿がこの時代に既に実現されていたのだと
驚かされました。
新しいこととは、昔を知ることなのかとつくづく思いました。
温故知新です。
「人を育てる・プロ野球選手と職人」
今年のプロ野球シーズンも終了し、ストーブリーグに入り小学生の多くが「将来の夢」であるプロ野球の選手になれるドラフト会議も10月に行われました。毎年約100人近くの新人選手が晴れてプロ野球の道に入ります。小学生の頃から全国各地のリトルリーグ等で人一倍練習をして試合でも大活躍をしてやっと掴んだ夢だと思います。
ある新聞の特集テーマで「運命のドラフト会議」を読みました。スカウトは有望な高校生や大学生、社会人野球の金の卵を何年間も追い続けています。特定の選手への思い入れは人一倍だと思います。大会や練習を何度も視察して「本当にプロで活躍できるか」を見定めるそうです。投球フォームや打撃センスなど様々な技術的な面から考察していきます。
しかし、何よりも一番重視するのは、「努力できる才能」を持っているかを見極めることだそうです。例えば、早めにグラウンドに来て練習の準備をしているか、個人練習に取り組んでいるか、帰宅後にランニングをしているかを観察しているそうです。一人で練習できない選手はプロ野球では埋もれてしまう場合が多いからです。後の大スター選手でも学生野球の頃は、陰で人知れず2時間素振りをしているのをスカウトが見て、惚れ直したこともあるそうです。
この秋、ある研修会で感動する講演を聴く機会がありました。
「一流の職人を育てるには、人間性を高めることです。」
それは、入社3~4年目の若い社員が技術オリンピックの大会で金・銀・銅メダルを独占している秋山木工グループ社長の秋山利輝氏の話でした。
秋山木工の特注家具は、国会議事堂や迎賓館、宮内庁、有名ホテル等で使用されている知る人ぞ知る手作り高級家具です。又、秋山社長は若手職人を育てる独自の研修制度でも注目を集めておりテレビで取り上げられ映画も作成されています。
現在でも丁稚(でっち)制度を取り入れ、全員住み込みで携帯電話・恋愛は一切禁止、男子は勿論のこと20歳前後の女子でも丸坊主になります。丁稚の期間中は仕事のみに没頭できる環境を徹底するとのことです。社長自身が入社希望者の実家を訪れ、両親や祖父母等とじっくり話をしながら家族と本人の覚悟を確かめて、入社を決めるそうです。愛情溢れる家庭環境でないと4年間もの辛い修行に我慢できず、辞めてしまうことが多い。大事なお子様を住み込みで預かるのは、相撲部屋にも似ているなと感じました。
秋山社長が考えた「職人心得30箇条」を丁稚奉公人全員が暗記するそうです。
「挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます。」
「明るい人から現場に行かせてもらえます。」
「返事をきっちりできる人から現場に行かせてもらえます。」
「時間を気にできる人から現場に行かせてもらえます。」
「感謝できる人から現場に行かせてもらえます。」
これらのことは技術よりも人として大事なことが中心です。
人は心が一流になれば、後から技術も必ず一流になれると言われました。このことは、どの道どの職業でも同じことが言えるのかもしれないと思いました。
アクティブラーニングとは何?
数年前、アメリカの学者が未来予測を発表してかなりの衝撃がありました。
「今の小学校に入学した子ども達は、大学卒業時にはなんと、65%の人は今現在、存在していない職業に就くだろう」というセンセーショナルなものでした。
それだけ、現代は劇的な変化をしていく時代に突入したことを改めて実感しました。
現在でも少し前まではなかった文明機器を私達は利用しています。
例えば、お掃除ロボット・音声認識ソフト・電車や車の無人運転(ゆりかもめ)・車の自動運転・スーパーの無人レジ・スマートフォンでの買い物等です。
実に様々なものが機械化されるようになってきています。
では、今の子ども達に本当に必要な力とは何でしょうか。
学校ではどのような学力を付けさせればこれからの時代を生き抜くことができるのかが問われています。
暗記するだけの勉強は、簡単にスマホで検索して調べられる時代になりました。
私自身も今やほとんど辞書を引く機会がなくなりました。
スマホの音声認識アプリを活用して、スマホにボソボソと語りかけることが増えました。
これからの社会で求められる人材とは、どういう人でしょうか。
新しいアイデアを出せる人
他の人同士を結び繋げる人
適切に判断できる人
プレゼンが上手い人
論理的に考えて、他者に分かり易く表現できる力、汎用的能力が求められるようになります。
本校は今年度より3年間に渡り文部科学省の指定を受けて、「アクティブ・ラーニング」の研究を推進していきます。
課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習です。
全国で10地域が指定されました。
千葉県では我孫子市の我孫子第一小学校と我孫子中学校です。
アクティブラーニングの実践フィールド校として「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」を第一小学校のやり方で追究していこうとしているところです。
第一小学校の職員は、私も含めて全員が大変重責を感じているしだいです。
私たち教員は、文部科学省が出す「学習指導要領」に則って、日々の授業をしています。これは、約10年毎に改定をしてきています。時代の変化と共に指導内容も変わってきます。
数年後に学習指導要領が改定されますが、今までと大きく違う所は、今までは何学年では何を教えるといった教科の指導内容が中心でしたが、次は指導方法も明示する点です。
学校の先生方は、授業は自分流での教え方・その学校流の教え方で指導してきました。
これからの我孫子一小では、「子供中心の学び」を中心に授業を展開していきます。
「何を教えるか」「どのように学ぶか」です。
先生方のチョーク&トーク、教師主導の一斉指導とは異なる指導方法になります。
アメリカで面白い調査結果があります。
「学習定着率」です。一度覚えた学習内容を半年後にどれくらいの子供が覚えているか。
先生中心の講義は5%、グループでの話し合いは50%、体験活動は75%そして、子供同士の教えあいは90%です。
学んだことを自分だけの知識にしないで、グループや仲間に伝え合うことで飛躍的に学習理解が深まります。
学び合いは大変に優れた学習なのです。
伝え合うには、先ず人の話を最後まできちんと聴けることが大事になります。
そのような「我孫子一小の聞き方名人」あいうえおをしっかりと身につけさせていくことも学力向上の柱になると思います。
この秋は本校でも校内研究会が沢山実施されます。
そして、県内外からも沢山のお客様が参観に来られます。
「全ては子ども達のために」・・・一歩一歩着実に歩みたいと思います。
家族とは何だろう・・・
作家の下重 暁子(しもじゅう あきこ)氏は、「親は子を、子は親を知っているか」についての文章を掲載されていました。読み進めるうちにかなりの衝撃を受けてしまいました。殺人事件そのものは減ってきているが、唯一増え続けているのが親子間の事件であるということである。私が生まれた1950年代は年間3千件あった殺人事件の数は、現在は1千件まで減少している。しかし親子間の殺人事件が最も多い現状があるそうです。
なぜだろう。そんなにしてまで親子間で憎しみあうのか。
下重氏は「家族という病」という本を出しておりベストセラーにもなりました。
私もこの機会にこの本を読んでみました。
テレビやドラマのCMでは親子、家族の愛情ほど深いものはない。家族は仲良くなければならないという錯覚で自分を縛ってしまうものだと下重氏は言っています。
又、下重氏は次のようなことも書いています。
家族間では、親と子の間では全てを分かり合っていると思い込んでいるから始末が悪い。
実はもっとも知っているようで知らないのが家族なのだ。他人なら例えば友達、知人と付き合う時は客観的に観察し理解しようと努力する。ところが、家族間では理より情が先に立って、分かっているものと思っているから努力しようとしない。その結果、誤解がたまりたまってある日爆発する。
私の父母は、既にこの世を去ってしまっていますが、生前どれだけ本当に父と母を理解していたかは甚だ疑問です。今では本当は良く知ってはいなかったのではないかと思います。
自分は両親に沢山甘えて育ち、幼い頃から自分のことをもっと分かってくれ、もっと褒めてくれと自己中心主義で成長したのではないかと感じています。
中学生から高校生の時は、父母にかなり反抗的な態度を取っていたことも事実です。
成長とは何かというと、自分の目の前にある権威を一つずつ乗り越えることである。
先ず一番身近にある権威が親である。それと戦ってそれを乗り越える。学校の権威は先生である。社会に存在する大人への反発、それを一般に反抗期という。反抗期のない子どもが増えているというが、こんな気持ち悪いことはない。と同じく下重氏は言っています。
親は子どものことをもっと知る努力をする。そして、自分の両親のことも知る努力をする。
兄弟がいても一人ひとり個性が違います。同じ家族の一員としても決して比べてはいけないものなのです。それぞれの違いを認めて、個として独立してけるように強く願って育てていければ大きく曲がらないのではないでしょうか。
学校の子ども一人ひとりを知る努力を保護者の方と共に真剣に続けていきたいと思います。
家族とは何だろう。子どもとは何だろう。・・・
戦後70年 戦時下の第一小学校
今年は、戦後70年を迎える節目の年でもあります。
先輩の一人が、授業の最後に「世界平和のために、みんなは何をしなければいけないと思いますか。」と聞きました。6年生男子は、「今日、先輩から習ったことを僕たちが次に伝えていかなければいけないと思う。」と答えました。これぞリレー講座だと実感しました。自分の言葉で人に伝えることの重みを先輩も後輩の6年生も共に学びました。
昭和20年、東京も大空襲を受けており庶民の生活も著しく貧しい状態でした。戦時下の学校では、全学徒は夏休みを返上して動員作業をしていまいしたから当然夏休みはありませんでした。
空襲が一層激しさを増してくると、児童の集団疎開が実施されるようになりました。
この我孫子にも疎開児童が増えてきました。戦争末期は、1年間で250名もの児童が第一小学校に転入してきました。この子ども達は、家を焼け出され遠い縁故を頼って来た子が多く、食料難や土地に慣れない為に学校ではかなり多くの困難を味わったようです。
学校では急な児童の増加で、授業も午前組と午後組の二部授業にしなければならない状況でした。我孫子では空襲そのものはありませんでしたが、我孫子駅付近では敵機の機銃掃射を受けたこともありました。空襲警報は頻繁にあったので、学校の側に防空壕を掘ったり、子の神の森へ逃げる訓練をしたりしていました。低学年は田んぼに行ってイナゴを取ったり芋畑を作ったりと毎日の作業がありました。高学年は航空燃料用の松根堀りや農家へ出向いて勤労奉仕をしていました。
終戦の秋のある日、第一小学校の校庭にアメリカ軍の兵隊さんが乗った車が突然現れました。子ども達は、初めて見るアメリカ兵の姿に肝をつぶしました。校庭を横切って来ると、いきなりパンパンと空に銃を撃ちました。MPの腕章をした背の高い血色の良いピンク色した若い兵隊を先頭に、ぞろぞろと軍隊の靴のまま土足で廊下を歩きました。当時、第一小学校の廊下は、ヌカ拭きまでして丹念にピカピカになるまで磨き上げていました。戦勝国のアメリカ兵が銃を持って、その廊下を泥についた靴のまま傲然と歩いている。
この姿に子ども達はかなりショックを受け、強い印象に残っていました。
<我孫子第一小学校百年史より一部抜粋>
私はこの夏休みに、映画「日本のいちばん長い日」を2度見ました。戦争を終結させるだけで政府や軍部内でもこんなにも葛藤があった事実を改めて知りました。特に、感銘を強く受けたのは、陸軍大臣の阿南惟幾(あなみ これちか)でした。ポツダム宣言を受諾し陸軍内部でも戦争継続派(本土決戦)と和平派とに分かれていました。天皇の玉音放送のあった8月15日未明に自宅で腹を切って自決したのでした。私と同じ58歳です。
鈴木貫太郎総理は、「そうか、腹を切ったのか。阿南というのは本当にいい男だった。」と涙ながらに語ったそうです。合掌。
平和の時代、守ることは何かを真剣に考えた猛暑の夏でした。
命とは何でしょうか。時間とは何でしょうか。
人はこの世に赤ちゃんとして誕生する時、全員に砂時計がプレゼントされるのだそうです。そして、砂時計をひっくり返して中の砂が一定の速さで下へ落ち始めます。この落ちる砂が、その赤ちゃんの命そのものです。砂時計の大きさは一定ではなく、大きな砂時計もあれば小さいものもあります。自分にプレゼントされた砂時計の砂の量は誰にも分かりません。
でも、今も確実に一定の速さで落ち続けています。
小学生の子ども達には、砂時計を見たことがない子も多いかもしれません。
ですから、この話を直接子ども達にしたことはありません。
砂時計の砂が流れ落ちていくのを真面目に黙って、見続けた体験がある大人なら分かります。
自分自身の砂が落ちている事実を真正面から受けとめるなら、時間を無駄にできないと思います。ましてや、自分のせいで他人の砂時計の砂を無駄に落とさせてはいけないのではないでしょうか。
時間を守ることの大切さの一つはここにあるような気がします。
今年104歳になった医者である日野原重明先生は、「命とはどこにあると思いますか。」と子ども達に質問しました。
子ども達は、素直に自分の体を指しながら「心臓」「頭」「体ぜんぶ」などの様々な答えがでてきました。
日野原先生は「命とは君たちの持っている時間です。」と言っています。
「これから生きていく時間。それが、君たちの命なのです。」
世の中、お金で買えるものと買えないものがあります。
お金では絶対に買えないものも結構あるものです。
その人の価値観にもよりますが、この命と時間は今のところお金では買えないものだと私は思っています。
時間を大切にしよう。と人はよく言います。
きっと深い意味ではなくこの言葉を遣っているのだと思います。
人生は永遠に続くものだと思っている人にとっては、時間も永遠にあるような錯覚に陥っているのでしょう。私もそうです。
過去に死に面したことがある人、病気で死を意識せずにはいられない人、家族で大変重篤な病人がいる人、そのような大変な経験をお持ちの人は、命と時間の重みがまるっきり違うのだと思います。
未来ある子ども達、これからは人生100年の時代になっていきます。
小学生にとっては、意識しないでも時間は永遠にあるように思っているのかもしれません。
命とは何でしょう。
時間とは何でしょう。
家族で、この夏休み期間中にこの命題を話題にして頂けるとありがたいです。