校長室より

校長室より

「人を育てる・プロ野球選手と職人」

 今年のプロ野球シーズンも終了し、ストーブリーグに入り小学生の多くが「将来の夢」であるプロ野球の選手になれるドラフト会議も10月に行われました。毎年約100人近くの新人選手が晴れてプロ野球の道に入ります。小学生の頃から全国各地のリトルリーグ等で人一倍練習をして試合でも大活躍をしてやっと掴んだ夢だと思います。

ある新聞の特集テーマで「運命のドラフト会議」を読みました。スカウトは有望な高校生や大学生、社会人野球の金の卵を何年間も追い続けています。特定の選手への思い入れは人一倍だと思います。大会や練習を何度も視察して「本当にプロで活躍できるか」を見定めるそうです。投球フォームや打撃センスなど様々な技術的な面から考察していきます。

しかし、何よりも一番重視するのは、「努力できる才能」を持っているかを見極めることだそうです。例えば、早めにグラウンドに来て練習の準備をしているか、個人練習に取り組んでいるか、帰宅後にランニングをしているかを観察しているそうです。一人で練習できない選手はプロ野球では埋もれてしまう場合が多いからです。後の大スター選手でも学生野球の頃は、陰で人知れず2時間素振りをしているのをスカウトが見て、惚れ直したこともあるそうです。

この秋、ある研修会で感動する講演を聴く機会がありました。

「一流の職人を育てるには、人間性を高めることです。」

それは、入社3~4年目の若い社員が技術オリンピックの大会で金・銀・銅メダルを独占している秋山木工グループ社長の秋山利輝氏の話でした。

秋山木工の特注家具は、国会議事堂や迎賓館、宮内庁、有名ホテル等で使用されている知る人ぞ知る手作り高級家具です。又、秋山社長は若手職人を育てる独自の研修制度でも注目を集めておりテレビで取り上げられ映画も作成されています。

現在でも丁稚(でっち)制度を取り入れ、全員住み込みで携帯電話・恋愛は一切禁止、男子は勿論のこと20歳前後の女子でも丸坊主になります。丁稚の期間中は仕事のみに没頭できる環境を徹底するとのことです。社長自身が入社希望者の実家を訪れ、両親や祖父母等とじっくり話をしながら家族と本人の覚悟を確かめて、入社を決めるそうです。愛情溢れる家庭環境でないと4年間もの辛い修行に我慢できず、辞めてしまうことが多い。大事なお子様を住み込みで預かるのは、相撲部屋にも似ているなと感じました。

秋山社長が考えた「職人心得30箇条」を丁稚奉公人全員が暗記するそうです。

「挨拶のできた人から現場に行かせてもらえます。」

「明るい人から現場に行かせてもらえます。」

「返事をきっちりできる人から現場に行かせてもらえます。」

「時間を気にできる人から現場に行かせてもらえます。」

「感謝できる人から現場に行かせてもらえます。」

これらのことは技術よりも人として大事なことが中心です。

 人は心が一流になれば、後から技術も必ず一流になれると言われました。このことは、どの道どの職業でも同じことが言えるのかもしれないと思いました。

アクティブラーニングとは何?

数年前、アメリカの学者が未来予測を発表してかなりの衝撃がありました。

「今の小学校に入学した子ども達は、大学卒業時にはなんと、65%の人は今現在、存在していない職業に就くだろう」というセンセーショナルなものでした。

それだけ、現代は劇的な変化をしていく時代に突入したことを改めて実感しました。

現在でも少し前まではなかった文明機器を私達は利用しています。

例えば、お掃除ロボット・音声認識ソフト・電車や車の無人運転(ゆりかもめ)・車の自動運転・スーパーの無人レジ・スマートフォンでの買い物等です。

実に様々なものが機械化されるようになってきています。

では、今の子ども達に本当に必要な力とは何でしょうか。

学校ではどのような学力を付けさせればこれからの時代を生き抜くことができるのかが問われています。

暗記するだけの勉強は、簡単にスマホで検索して調べられる時代になりました。

私自身も今やほとんど辞書を引く機会がなくなりました。

スマホの音声認識アプリを活用して、スマホにボソボソと語りかけることが増えました。

 

これからの社会で求められる人材とは、どういう人でしょうか。

新しいアイデアを出せる人

他の人同士を結び繋げる人

適切に判断できる人

プレゼンが上手い人

論理的に考えて、他者に分かり易く表現できる力、汎用的能力が求められるようになります。

 

本校は今年度より3年間に渡り文部科学省の指定を受けて、「アクティブ・ラーニング」研究を推進していきます。
課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習です。

全国で10地域が指定されました。

千葉県では我孫子市の我孫子第一小学校と我孫子中学校です。

アクティブラーニングの実践フィールド校として「深い学び」「対話的な学び」「主体的な学び」を第一小学校のやり方で追究していこうとしているところです。

第一小学校の職員は、私も含めて全員が大変重責を感じているしだいです。

私たち教員は、文部科学省が出す「学習指導要領」に則って、日々の授業をしています。これは、約10年毎に改定をしてきています。時代の変化と共に指導内容も変わってきます。

数年後に学習指導要領が改定されますが、今までと大きく違う所は、今までは何学年では何を教えるといった教科の指導内容が中心でしたが、次は指導方法も明示する点です。

学校の先生方は、授業は自分流での教え方・その学校流の教え方で指導してきました。

これからの我孫子一小では、「子供中心の学び」を中心に授業を展開していきます。

「何を教えるか」「どのように学ぶか」です。

先生方のチョーク&トーク、教師主導の一斉指導とは異なる指導方法になります。

 

アメリカで面白い調査結果があります。

「学習定着率」です。一度覚えた学習内容を半年後にどれくらいの子供が覚えているか。

先生中心の講義は5%、グループでの話し合いは50%、体験活動は75%そして、子供同士の教えあいは90%です。

学んだことを自分だけの知識にしないで、グループや仲間に伝え合うことで飛躍的に学習理解が深まります。
学び合いは大変に優れた学習なのです。

伝え合うには、先ず人の話を最後まできちんと聴けることが大事になります。

そのような「我孫子一小の聞き方名人」あいうえおをしっかりと身につけさせていくことも学力向上の柱になると思います。

この秋は本校でも校内研究会が沢山実施されます。

そして、県内外からも沢山のお客様が参観に来られます。

「全ては子ども達のために」・・・一歩一歩着実に歩みたいと思います。

 

 

家族とは何だろう・・・

  ある教育雑誌の最新号の特集記事のテーマが、「親」でした。

作家の下重 暁子(しもじゅう あきこ)氏は、「親は子を、子は親を知っているか」についての文章を掲載されていました。読み進めるうちにかなりの衝撃を受けてしまいました。殺人事件そのものは減ってきているが、唯一増え続けているのが親子間の事件であるということである。私が生まれた1950年代は年間3千件あった殺人事件の数は、現在は1千件まで減少している。しかし親子間の殺人事件が最も多い現状があるそうです。

 

なぜだろう。そんなにしてまで親子間で憎しみあうのか。

 

下重氏は「家族という病」という本を出しておりベストセラーにもなりました。

私もこの機会にこの本を読んでみました。

テレビやドラマのCMでは親子、家族の愛情ほど深いものはない。家族は仲良くなければならないという錯覚で自分を縛ってしまうものだと下重氏は言っています。

又、下重氏は次のようなことも書いています。

家族間では、親と子の間では全てを分かり合っていると思い込んでいるから始末が悪い。

実はもっとも知っているようで知らないのが家族なのだ。他人なら例えば友達、知人と付き合う時は客観的に観察し理解しようと努力する。ところが、家族間では理より情が先に立って、分かっているものと思っているから努力しようとしない。その結果、誤解がたまりたまってある日爆発する。

私の父母は、既にこの世を去ってしまっていますが、生前どれだけ本当に父と母を理解していたかは甚だ疑問です。今では本当は良く知ってはいなかったのではないかと思います。

自分は両親に沢山甘えて育ち、幼い頃から自分のことをもっと分かってくれ、もっと褒めてくれと自己中心主義で成長したのではないかと感じています。

中学生から高校生の時は、父母にかなり反抗的な態度を取っていたことも事実です。

 

成長とは何かというと、自分の目の前にある権威を一つずつ乗り越えることである。

 

先ず一番身近にある権威が親である。それと戦ってそれを乗り越える。学校の権威は先生である。社会に存在する大人への反発、それを一般に反抗期という。反抗期のない子どもが増えているというが、こんな気持ち悪いことはない。と同じく下重氏は言っています。

 

親は子どものことをもっと知る努力をする。そして、自分の両親のことも知る努力をする。

兄弟がいても一人ひとり個性が違います。同じ家族の一員としても決して比べてはいけないものなのです。それぞれの違いを認めて、個として独立してけるように強く願って育てていければ大きく曲がらないのではないでしょうか。

 学校の子ども一人ひとりを知る努力を保護者の方と共に真剣に続けていきたいと思います。
 家族とは何だろう。子どもとは何だろう。・・・

戦後70年 戦時下の第一小学校

 今年は、戦後70年を迎える節目の年でもあります。

 6月20日には、我孫子市の平和事業の一環として卒業生が6年生に戦争の悲惨さや平和の尊さを語り継ぐ授業「リレー講座」を本校で行いました。我孫子市は平和都市宣言をしてから30年が立ちます。その間、「派遣中学生」が長崎や広島を訪れて戦争の恐ろしさを学んできました。今回は、第一小学校の卒業生等が中心となり、自分たちの体験を熱く語ってもらいました。授業を成功させるため、かなりの準備をしてきていることも分かりましたし、一人一人の話も上手でした。

先輩の一人が、授業の最後に「世界平和のために、みんなは何をしなければいけないと思いますか。」と聞きました。6年生男子は、「今日、先輩から習ったことを僕たちが次に伝えていかなければいけないと思う。」と答えました。これぞリレー講座だと実感しました。自分の言葉で人に伝えることの重みを先輩も後輩の6年生も共に学びました。

 

昭和20年、東京も大空襲を受けており庶民の生活も著しく貧しい状態でした。戦時下の学校では、全学徒は夏休みを返上して動員作業をしていまいしたから当然夏休みはありませんでした。

空襲が一層激しさを増してくると、児童の集団疎開が実施されるようになりました。

この我孫子にも疎開児童が増えてきました。戦争末期は、1年間で250名もの児童が第一小学校に転入してきました。この子ども達は、家を焼け出され遠い縁故を頼って来た子が多く、食料難や土地に慣れない為に学校ではかなり多くの困難を味わったようです。
学校では急な児童の増加で、授業も午前組と午後組の二部授業にしなければならない状況でした。我孫子では空襲そのものはありませんでしたが、我孫子駅付近では敵機の機銃掃射を受けたこともありました。空襲警報は頻繁にあったので、学校の側に防空壕を掘ったり、子の神の森へ逃げる訓練をしたりしていました。低学年は田んぼに行ってイナゴを取ったり芋畑を作ったりと毎日の作業がありました。高学年は航空燃料用の松根堀りや農家へ出向いて勤労奉仕をしていました。

 終戦の秋のある日、第一小学校の校庭にアメリカ軍の兵隊さんが乗った車が突然現れました。子ども達は、初めて見るアメリカ兵の姿に肝をつぶしました。校庭を横切って来ると、いきなりパンパンと空に銃を撃ちました。MPの腕章をした背の高い血色の良いピンク色した若い兵隊を先頭に、ぞろぞろと軍隊の靴のまま土足で廊下を歩きました。当時、第一小学校の廊下は、ヌカ拭きまでして丹念にピカピカになるまで磨き上げていました。戦勝国のアメリカ兵が銃を持って、その廊下を泥についた靴のまま傲然と歩いている。

この姿に子ども達はかなりショックを受け、強い印象に残っていました。

<我孫子第一小学校百年史より一部抜粋>

 

 私はこの夏休みに、映画「日本のいちばん長い日」を2度見ました。戦争を終結させるだけで政府や軍部内でもこんなにも葛藤があった事実を改めて知りました。特に、感銘を強く受けたのは、陸軍大臣の阿南惟幾(あなみ これちか)でした。ポツダム宣言を受諾し陸軍内部でも戦争継続派(本土決戦)と和平派とに分かれていました。天皇の玉音放送のあった8月15日未明に自宅で腹を切って自決したのでした。私と同じ58歳です。

鈴木貫太郎総理は、「そうか、腹を切ったのか。阿南というのは本当にいい男だった。」と涙ながらに語ったそうです。合掌。

平和の時代、守ることは何かを真剣に考えた猛暑の夏でした。

命とは何でしょうか。時間とは何でしょうか。

人はこの世に赤ちゃんとして誕生する時、全員に砂時計がプレゼントされるのだそうです。そして、砂時計をひっくり返して中の砂が一定の速さで下へ落ち始めます。この落ちる砂が、その赤ちゃんの命そのものです。砂時計の大きさは一定ではなく、大きな砂時計もあれば小さいものもあります。自分にプレゼントされた砂時計の砂の量は誰にも分かりません。

でも、今も確実に一定の速さで落ち続けています。

小学生の子ども達には、砂時計を見たことがない子も多いかもしれません。

ですから、この話を直接子ども達にしたことはありません。

砂時計の砂が流れ落ちていくのを真面目に黙って、見続けた体験がある大人なら分かります。

自分自身の砂が落ちている事実を真正面から受けとめるなら、時間を無駄にできないと思います。ましてや、自分のせいで他人の砂時計の砂を無駄に落とさせてはいけないのではないでしょうか。

時間を守ることの大切さの一つはここにあるような気がします。

 

今年104歳になった医者である日野原重明先生は、「命とはどこにあると思いますか。」と子ども達に質問しました。

子ども達は、素直に自分の体を指しながら「心臓」「頭」「体ぜんぶ」などの様々な答えがでてきました。

日野原先生は「命とは君たちの持っている時間です。」と言っています。

「これから生きていく時間。それが、君たちの命なのです。」

世の中、お金で買えるものと買えないものがあります。

お金では絶対に買えないものも結構あるものです。

その人の価値観にもよりますが、この命と時間は今のところお金では買えないものだと私は思っています。

 時間を大切にしよう。と人はよく言います。

きっと深い意味ではなくこの言葉を遣っているのだと思います。

人生は永遠に続くものだと思っている人にとっては、時間も永遠にあるような錯覚に陥っているのでしょう。私もそうです。

 過去に死に面したことがある人、病気で死を意識せずにはいられない人、家族で大変重篤な病人がいる人、そのような大変な経験をお持ちの人は、命と時間の重みがまるっきり違うのだと思います。

 

未来ある子ども達、これからは人生100年の時代になっていきます。

小学生にとっては、意識しないでも時間は永遠にあるように思っているのかもしれません。

命とは何でしょう。

時間とは何でしょう。

家族で、この夏休み期間中にこの命題を話題にして頂けるとありがたいです。

アリと集団の話

運動会も終わりいよいよ6月に入りました。夏間近でプール開きも間もなくです。

今回は夏でも良く働くアリの話をします。

暑い夏の日も、木々の下ではアリが行列を作り、一生懸命に餌を運んで働いている光景を目にします。私は、今までアリの全部が黙々と働いていると思っていました。

ところがアリの面白い研究があることを知り驚きました。実は、働かないアリがいるのです。

 

 北海道大学大学院で研究した結果によると、

約2割のアリは、餌を運びもしないで仲間の周りをさも働いているかのように動いているだけだそうです。労働とは無縁なのです。働くことが代名詞のようなアリですが、アリの集団の中にも、必ずサボる奴がいるのです。

 アリの集団を勤勉さの度合いで分けると、働かないアリが2割、普通に働くアリが6割、よく働くアリが2割だそうです。面白いことに、このような働き度別の割合は、集団が違ってもだいたい同じだといいます。

 では、よく働くアリだけを全部集めて一つの集団にすると最強軍団ができそうなものですが、実は違うのです。その集団の中では、やはり働かないアリが2割出てくるのです。

反対にサボっているアリだけを集めてみると、全部がサボってしまい集団の危機が生じてしまうと思われますが、その中から奮起して働くアリが2割出てくると言うから不思議なものです。

 

集団とは何でしょうか。

俗に言う一流企業と呼ばれる会社でも全員がよく働くかといえばどうなのでしょうか。

また、優秀な人材確保が厳しい数多ある零細企業でも素晴らしい実績を上げる人物はいるでしょう。人は自分の存在価値を見いだしたいものです。働く中で自己実現をしたいものです。

ある研究者は、アリも働かないことで、自分の存在意義を示している可能性があると指摘しています。

 学校ではお昼休み後に、清掃活動があります。

一生懸命に黙々と雑巾や箒を持って教室を綺麗にしようとして働く子がいます。

掃除の時間なので、役割分担に従って働く子がいます。

箒を持ってフラフラと歩いて、掃いているふりをしている子もいます。

おしゃべりに夢中になって何もしていない子も時々見かけます。

実に様々です。

 

 アリの世界では労働面でより効率的なのは、色々なグループが混じった混合集団だそうです。公立小学校では、基本的には学区内に住んでいる適齢児童ならば誰でも教育が受けられますから、色々な子どもの集団となります。

小中学校の別、年度の学級編制(クラス分け)、異年齢の部活動、地域スポーツ活動等で、

子ども達は様々な集団に入り、又解散して、新たな集団に入ることを繰り返しています。

是非、集団の中で良い意味で働く(活躍できる)存在になって欲しいと願います。

教師の力

「教師は子どもの心を診断する医者でなければならない。」

我孫子第一小学校で約20年前、私が尊敬している校長先生がお話された言葉です。

当時の校長先生が職員室やPTA会議等で話された内容をノートにメモしていました。

又、教師は子どもの心の教育を一番大切にすることを熱心にお話されていました。

医者ではないのですが、先生と呼ばれる一人として子どもの心をどれだけ本当に理解しているのか胸に突き刺さったことを覚えています。

医者は診断して、患者に処方箋を施します。

教師は子どもの悩みを知り、共感し、学校で具体的対応策を講じてあげなければなりません。

日々、子どもが本当のことを話してくれる信頼関係を築き、場の空気をしっかりと読んで、悩みを解決できる糸口を探してあげたいものです。

 

イギリスの有名な教育学者である、ウィリアム・アーサー・ワードは「優れた教師は」の中で、次のように述べています。

凡庸な教師は、ただしゃべる。

●少しましな教師は、理解させようと努める。

●優れた教師は、自らやってみせる。

●本当に優れた教師は、生徒の心に火を点ける。

 私達教師は、子ども自身がやる気を持てるように仕向ける技術を身につける必要があると思います。それも、その子の個性に合った方法で真剣に語ることが大事です。子どもは、

教師が上辺で言っているのかを見抜きます。

 

 明治生まれの森信三(しんぞう)先生は、「生を教育に求めて」の著書の中で、教師の力について辛口に述べています。

 例えば、校長の挨拶のあり方については、

朝の挨拶は、部下はもとより子ども達にも、否、用務員さんにもこちらから先手を打たねばなるまい。全校朝会などで、「まだ朝の挨拶が良くないから、みんなしっかりやるように。

・・・・」などと間抜けたお説教を繰り返している程度の校長に、一体何が出来るというのであろうか。

なんとも鋭い指摘であります。

 教育について、極めつけの重い言葉があります。

 「教育とは流水に文字を書くような果てない業である。

  だが、それを岩壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。」

 

 学校立て直しの定石として、最初に打つべき三つの具体的な事柄もあげています。

①朝のあいさつ

②学校内外の紙クズがなくなること

③靴箱の靴のかかとが一直線に揃うこと

 まさしく、率先垂範のみです。毎日の私達の言動こそが教育だと戒めたいと思います。

 

少年は必要とされてはじめて大人になる

6年生3クラスでと3月の第2週に「校長とのお別れ授業」をしました。

今回のテーマは、「言葉の力」です。

ボランティア発祥の地イギリスで、有名な言葉があります。「少年は、必要とされて、はじめて大人になる。」という言葉です。6年生には、「必要とされて」の部分を提示しないで、

グループごとに自由に創造して書いてもらいました。

・20歳になって ・自立して ・苦労して  ・沢山の経験をして  ・お酒を飲んで等面白い内容を含め色々な言葉がでました。

 

今回はイギリスのジャーナリストの第一人者であるアレック・ディクソンが大事にしている出会いの美しいエピソードを紹介します。

ロンドンの下町にマイコルという無気力で心が荒れ果てている16歳の少年がいました。

他人に暴力を振るい、車や店のショーウィンドーを破壊して、間もなく少年鑑別所に入れる準備をしていました。

そんな時に、あるボランティアコーディネーターがこう言いました。

「実は、あなたと同じ年の目の不自由な女の子がいます。その女の子は、あなたに、是非水泳を教えて欲しいと言っているのです。」

少年の心は少し動きました。目の不自由な女の子が、自分を必要としてくれている。しかも、なんと同じ年の女の子なんだ。水泳を教えることくらいなら、自分にもボランティアはできる。

ところが、コーディネーターは、すでに女の子と会っていたのでした。その少女は、目が不自由で、しかも家族が心配するほどの心が塞ぎがちな性格でした。なぜなら、いつも一人ぼっちで、孤独だったのです。同じ年の女の子達は、友人も多く、自由にパーティーを楽しんだり、男の子にデートに誘われたりしている。自分には誰の誘いもない。誰にも必要とされていない自分が悲しかった。

コーディネーターは、少女に問いかけた。

「実は、あなたと同じ年の男の子がいるのです。彼は友達もできずに孤独な毎日を過ごしています。でも水泳がとっても得意です。あなたは、水泳を教えてもらうボランティアをしてくれませんか。」

少女の心も動いたのです。男の子が心を閉ざし、自分を必要としてくれている。しかも、なんと同じ年の男の子なんだ。水泳を教えてもらうことくらいなら自分にもボランティアはできる。

このようにして、二人は、お互いがボランティアとして出会った。

やがて、二人ともしだいに自分が、他者や社会に必要とされている、かけがえのない存在であることを知っていきます。

「少年は、必要とされて、はじめて大人になる。」

二人は、意味ある他者の出現によって、意味ある自分を発見することができたのである。

 

 この話は、私が40歳代に勤務していた「さわやかちば県民プラザ」で生涯学習センターのボランティア担当として知ったお話です。

自分の存在価値は、周りの他者や社会から「あなたは、必要な人なのです。」と認められてこそ成り立つものだと認識しました。

学校でも教室内でも、「君は、クラスで必要な人です。」と毎日のように先生や友達から何度でも言われる環境を作りたいと思います。

 

 

「幸せとは何だろう?」

3月2日の全校朝会で子ども達に「幸せとは何だろう?」というお話をしました。

最初に、「皆さんに聞きます。幸せという意味を知っていますか?」

国語辞典には、運が良いこと・幸福と書いてあります。

「では、皆さんにとって幸せなことはどんなことでしょうか?」

「目を瞑って、思い浮かんだ幸せなことを指で折りながら五つ考えてみて下さい。」

どんなことが思い浮かんだでしょうか。

例えば、食べている時・寝ている時・好きなスポーツをしている時・ゲームをしている時・趣味の物を集めている時・お友達とおしゃべりをしている時などがあるかもしれませんね。

でもそういう自分自身の好きなことだけで幸せと感じるのは、一瞬であり長くは続かないかもしれません。

今日は、皆さんに次のような言葉を紹介します。

6年生は1学期に職場体験の事前学習会の時にお話をしたので覚えていることでしょう。

「幸せとは、幸せを探し続けることである」

さて、この意味が分かるでしょうか。

例えば、

宝くじに当たって何億円も突然ももらい大金持ちになった人は幸せになったかな?

オリンピックで金メダルを取った人は幸せになったかな?

人間は、突然に大きなお金が入ると幸せになったように思いますが、家族でもめてしまいケンカが起きたり、生活が贅沢になったり、最後はお金が無くなり哀しい結果になることもあります。

又、オリンピックで優勝して金メダルを取って一躍有名になっても、その後、記録が伸びずにどんどん若い人に抜かれてしまい苦しむ人も多いようです。

では、本当に幸せになれるにはどうすればいいのでしょうか?

私は、三つのことがあると思います。

・一つ目は、満足しないことです。

あることを追い求めることです。極めることです。辛いことに勝つことも幸せです。

・二つ目は、自分以外の物に求めないことです。

物は飽きます。キリがないです。いつか壊れるかもしれません。

・三つ目は、人の為に役立つことです。

感謝されます。褒められます。自分のことよりも他人の為に何かをするのです。

人は人として生まれたからには、やはり誰でも不幸になりたいとは思わないでしょう。

幸せは、人によって違うと思います。

三番目の人の役に立つ幸せは、将来の仕事にしてもいいし一番大事なことかもしれません。

一小の皆さんにもぜひ、自分の本当の幸せとは何かを考え続けて欲しいと思います。

開校記念日(142年前の第一小学校) 

2月20日、我孫子第一小学校は開校142周年を迎えました。

開校記念式で、開校当時のことを「第一小学校百年史」を参考にしながら子ども達に話しました。
今から142年前の
明治6年2月20日延寿院(えんじゅいん)とうお寺を使って学校がスタートしました。このお寺は現在のイトーヨーカドーの近くにありました。教師は杉山 英(えい)先生一人で子どもの数は、82名の一クラスでした。

当時は、5歳から14歳までの適齢児童が我孫子小学校に通うことができました。学区は今よりもかなり広く、我孫子宿・高野山村・久寺家村・柴崎村等でした。実は、我孫子第一小学校に通える学区内にいた子どもの数は、約1千人もいたそうです。
では、なぜ1千人の子ども達が学校に通わなかったのでしょうか。
明治初期の小学校では、村からの寄付金や家からの授業料があり、貧しい農家では家の手伝いや子守、留守番等で子どもを学校に通わせる余裕がなかったそうです。我孫子近郊の村は大変に貧しい農家も多く就学率は低かった記録が残っています。

又、杉山英先生のお給料も大変安くて、初めてのお給料が3円50銭だったそうです。軍人(少尉)さんが50円もらっていたそうですから、学校の先生のお給料がいかに安かったが分かります。
授業は、読書・算術・習字がありました。高学年になると地理や歴史等も習いました。その後、音楽や体操もやっと行われるようになりました。
実は、学校の名前も時代と共に変遷しています。
「我孫子小学校」「草麻尋常小学校」「我孫子尋常小学校」「我孫子第一尋常小学校」「我孫子尋常高等小学校」「我孫子町中央国民学校」そして、戦後の昭和22年に「我孫子市立我孫子第一小学校」となりました。
沢山の先人達の素晴らしい努力の上に今の我孫子第一小学校が存在していることがよく分かります。この良き伝統を引継ぎながら、未来に活躍できる子ども達を教えていきたいと思います。