ほごログ
【体験ワークショップ】ペーパーローリングを作ろう!
1月22日(日)に体験ワークショップを開催します。
体験ワークショップでは、蓄音機の上演、紙芝居、昔のおもちゃづくりをします。
今回作る昔のおもちゃは「ペーパーローリング」です。
「ペーパーローリングって何?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、写真を見ていただければお分かりいただけると思います!
これです!
他にも、ペーパーヨーヨー、シュート棒などの呼び方があるそうです。
遊び方は簡単♪
持ち手を掴んで、シュッ!っと振ると・・・
こんな風にビヨ~ンと伸び、手元にシュルシュルッと戻ってきます!
昨年からワークショップで作り始めたペーパーローリングですが、使用する材料などに変更を加えて、より遊びやすく改良しました!
遊びだすとついついクセになるペーパーローリング!一緒に作ってみましょう!
申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。
当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!
【体験ワークショップ】
日時:令和5年1月22日(日)午前10時30分~・午後2時~
場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)
内容:蓄音機と紙芝居の上演
昔のおもちゃづくり(ペーパーローリング)
費用:無料
申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)
※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。
#博物館の年賀状 謹賀新年
本年も春日部市郷土資料館、そして「ほごログ」をよろしくお願いいたします。 #かすかべプラスワン #卯年
新年一発目は、今年の干支にちなんで、収蔵庫から #ウサギ に関するおめでたい資料を紹介します。
波の上を兎が走るこの文様は、「波兎(なみうさぎ)」と呼ばれる、日本の伝統的な意匠の一つです。波兎は、謡曲「竹生島(ちくぶじま)」に由来する文様で、別名「波乗り兎」とか「竹生島文様」とも呼ばれるそうです。「竹生島」は室町時代に成立した謡曲で、醍醐天皇の廷臣が琵琶湖の竹生島に舟で参詣するシーンで、舟から眺める風景の美しさを「魚木に上る気色あり、月海上に浮かんでは兎も波を走るか面白の島のけしきや」(魚が木に登るようだ。月が海上に浮かぶときは兎も波を走るようだ。この島の景色は実に面白い)と謡われる一節があります。この一節から、「波兎」は創作され、桃山時代末期から、江戸時代前期にかけて大変流行ったといわれています。ウサギは多産であることやその所作から繁栄や飛躍の象徴として扱われ、工芸品や建造物のほか、現代でも湯呑や手ぬぐいなどにもしばしばあしらわれています。
この資料は、西親野井の在村の絵師の旧家に伝来したものです。344×246mmの和紙に彩色の波兎模様が描かれています。四辺が骨を入れるためか少しおられており、和凧の図案として描かれたものだと考えられます。西親野井の絵師は、史料からみる限りでは明治時代に活動した人物のようで、さまざまな伝統的な図柄や挿絵、看板などのデザインの下絵を残しています。
当時(明治22年以降)は西親野井は宝珠花村の一部でした。宝珠花といえば、江戸川の河岸として栄えた集落で、現在も大凧あげ習俗を伝える特徴的な地区の一つです。想像を膨らませば、凧揚げが盛んな宝珠花の人たちのニーズに応えて、縁起の良い「波兎」を和凧に描いたのかもしれません。
今年は卯年。皆さまにとりましても「波兎」のように、繁栄・飛躍の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。令和5年卯年 元旦
郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました
令和4年12月17日(土)、18日(日)に体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を、25日(日)に中央公民館で子ども体験教室「しめ縄づくり」を開催しました。
今年もやってまいりました“しめ縄作り”!参加者の皆さんに楽しんでいただくため、職員一同準備をさせていただきました。
稲わらを調達し、わらの“ハカマ”を取り、当日はわら打ちをするなど、講座開催までには実に様々な工程を踏んでいます。
講座準備中
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そして講座当日です。12月の寒い中お越しいただきありがとうございます!
講座ではまず当館の館長より挨拶をさせていただき、春日部に伝わる伝説の紙芝居を上演しました。今回は粕壁地区に伝わる「火事よけ天狗」という伝説の紙芝居です。冬の乾燥した時期ですので、皆さまも火事など火元にはお気をください。
しめ縄作りは、半紙で紙垂(しで)を作る作業、わらを撚(よ)って縄を編む“縄ない”の作業、しめ縄本体の作成、と大きく3つの作業があります。
中でも特に難しいのが“縄ない”です!合計で3本作っていただくのですが、どうしても最初の1本は形が少し崩れてしまう方も多いようです。しかし、3本作っていくと次第に慣れていき、最初の1本目をやり直してクオリティアップを図る方もたくさんいらっしゃいました!
しめ縄本体を作る作業は、根元からしっかりとわらをねじるのがポイント!縄ないとは打って変わって力のいる作業です。
「疲れた!」「こりゃ大変だ!」という声があがるのですが、「楽しかった!」という感想をたくさんいただきます!大変だからこその達成感を味わっていただけるようです♪
出来上がりはご覧のとおり!立派に仕上がっています!
皆さま今年も郷土資料館の講座にご参加いただきありがとうございました!来年も様々な講座や企画展を開催していきますのでお見逃しなく!
それでは、よい新年をお迎えください!
考古学講座第4回を開催しました
12月24日、春日部市郷土資料館では午前中から考古学講座を開催しました。
本日は、年代の決定と春日部の古墳時代をテーマとしました。
年代の決定では、絶対年代を求める方法として、放射線炭素年代法と年輪年代法をとりあげました。放射性炭素年代測定法は、1970年代に開発された加速器質量分析法によって、考古学で得られる少量の試料でも年代を測定できるようになり、また暦年較正曲線が頻繁に見直されており、より精緻な分析が進められています。
株式会社パレオ・ラボ様より頂いた加速器分析装置の資料を使いながら、炭素12、炭素13、炭素14が分析電磁石の中で曲がる際に、重量の違いによって曲がる方向が分かれ、3つの炭素が分けられることなどを学びました。
春日部の古墳時代では、東中野の権現山遺跡と内牧の塚内古墳群をとりあげました。権現山遺跡では、古墳時代前期の方形周溝墓が発見され、底部穿孔壺形土器が発見されていること、塚内古墳群では、4号墳のみで墳丘の調査が行われていて、下総系と武蔵系の円筒埴輪が出土していることをお話ししました。
本日は、塚内4号墳から出土した埴輪を会場に展示し、武蔵系、下総系の埴輪の違い、特に使われている土の違いを見ていただきました。
講座中で、埴輪に使われている粘土の話ばかりしてしまい、説明が足りませんでしたが、内牧地区に武蔵と下総の粘土を持ってきて埴輪を作ったのではなく、武蔵地方と下総地方で作られた埴輪がそれぞれ内牧地区に運び込まれているということですので、補足します。
講座終了後のお話のなかで、埴輪にあけられた穴のことや弥生時代の戦争のことについて質問がありました。次回、最終回の考古学講座で、考えてみたいと思います。
年末の風物詩・粕壁の酉の市
12月14日、粕壁の神明社で酉の市が開かれました。 #かすかべプラスワン #学芸員の胸熱
帰り道に遠くのほうから聞こえるお囃子の音色が。
仲町の皆さんがお囃子を演奏されていました。音色につられて集まる人も多くいたのではないでしょうか。
神明通りには、屋台が並び、すれ違うのが大変なほど、中高生や親子連れでにぎわっていました。
夏祭りでは屋台が出ませんでしたから、若者たちは屋台が楽しみなのでしょう。
屋台がどんな流行を取り入れているか、興味もあるところですが、学芸員はたこ焼きを横目に境内に向かいました。
境内には、酉の市恒例の、縁起物の熊手の屋台が並んでいました。熊手の屋台は、その高さに圧倒されます。
お社には、獅子頭がお祀りされていました。
獅子頭は、角がある獅子(左)と頭に宝珠を載せる獅子(右)の二頭です。現在まで続く東部地区の獅子舞は、三頭の獅子で舞われるもの主流ですので、この獅子頭は獅子舞に使ったものなのかどうか不明です。
本殿は、扉が開かれて、ご内陣を開帳していました。中にはご神像が。普段の神明社の風景とは異なり、まさに「ハレ」の空間でした。学芸員的には、このあたりが胸熱です。
参詣された皆さんは、「今年もありがとうございました」とつぶやきながら参拝されていました。もう、年の瀬ですね。
さて、粕壁の神明社、そして酉の市は古くから続く神社・祭礼です。そこで、粕壁の神明社について、ヤホーではなく、諸資料で調べてみました。
神明社の起源については、記録等がなく詳しくは不明です。ただ、伝承によれば、天明年間(1781-89)に九法四郎兵衛という人がこの地を開墾したところ、地中からご神体と鏡が出てきたので祠を祀ったといわれています(『春日部市の神社』)。神明社については、長らく、この伝承が語られるのみでしたが、最近、収蔵庫から神明社に関する史料を見出しました。
表紙には、「神明宮御本社建立 勧化幉 粕壁宿世話人」とあります。神明社の本殿を建てたときに寄付を募った帳簿です。「寅九月」とあるのは文政13年(1830)9月のこと。
本文には、次のようにつづられています。古くより鎮座している神明宮は、いまだ仮宮殿であり、今回壊れてしまったので、新規に本社を建てることになった。ただし、自力では難しいので、近郷隣村の助成を請いたい、と。
勧進の世話人(発起人)は次のように記されています。
「綿屋市兵衛」(鹿間市兵衛か)、「笊屋半蔵」、「伊勢や市左衛門」(練木市左衛門)、「油屋勘六」(永田勘六)、「八百屋藤七」(小林藤七)、「同重右衛門」、「肴屋権八」、「青木屋清次郎」。
名前がわかる商人は、いずれも粕壁の上町(かみまち)の人たちですので、神明社が上町の人々に信仰されていたものと考えられます。実際にどんな人たちから寄付金が集められたのかは不明です。
また、天保3年(1832)には、神明宮の道が潰地になっており、不便なので、屋敷地を道の敷地にするという取り決めもされています(春日部市史近世史料編Ⅲの2、986ページ)。
これらの史料には、名だたる粕壁の商人の名が!ここも学芸員の胸熱です。
肝心の酉の市がいつから始まったのかは残念ながらわからないのですが、地元の方によれば、神明様の酉の市は、八坂神社の祭礼(春日部夏祭り)よりも賑やかだったそうです。
粕壁の宿場町とともに、神明社、そして酉の市も歩んできたのですね。屋台で楽しむ若者たちも、そんなことを思いながら、大判焼きを食べてくれるといいのになぁと思いました。