ほごログ
細石器『新編図録春日部の歴史』からのご紹介30
細石刃は長さが1~1.5㎝と、大変小型で厚さも2㎜程度で、あたかもカミソリの刃のような石器です。春日部市内では、米島地内の「米島貝塚」や西金野井地内の「風早遺跡」で発掘されています。この他、細石刃核(さいせきじんかく)と呼ばれる、細石器を作り出す素材の石器も見つかっており、細石刃核に残る溝状の跡から、連続して剥ぎ取りながら細石器が作られた技術がわかります。
細石器は、動物の骨や木などに複数埋め込まれ、全体として大きな刃を作って、槍の先やナイフとして用いられたと考えられています。海外の遺跡では、木製や骨角製の柄についたままの細石器が発見されています。また、刃の欠損した細石器のみを取り換えながら使われていたと考えられ、石器の作り方に技術の大きな進歩がうかがえます。これらの一部は郷土資料館の常設展示で公開しています。
「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ
1は米島貝塚、2~5は風早遺跡出土。1、2が細石刃核、3~5が細石器。
収蔵資料の紹介更新しました
今回は追加したのは、北条氏政の感状、三峰神社の眷属箱、西金野井回漕店の板木、の3点です。
北条氏政の感状は、春日部市の指定有形文化財の中世文書です。
わかっている限りでは、市内に現在ある中世文書としては唯一のものです。
昨年度、市内個人の方から郷土資料館にご寄贈いただきました。
三峰神社の眷属箱は、以前このブログでも少し紹介したものです。
三木一彦先生の講演会をうけて、いろいろわかったことを解説に書き加えさせていただきました。
西金野井回漕店の板木は、出前講座の準備で、当館で所蔵している資料群を見直していたときに発見した、収蔵庫の掘り出し物です。
西金野井は江戸川の河岸場としてにぎわいましたが、残念ながら史資料があまり残っておらず、詳しいことがよくわかっておりません。
この板木は回漕業の一端を伝えるものとして貴重な資料です。
詳しい解説は各ページをご覧ください。
郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました
最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。2人が両端を持ち、ねじって作成したしめ縄は、新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
参加者からは、「手作りのしめ縄は、感激です」「難しかったけど楽しかった」と感想をいただきました。2回目のしめ縄作りは、12月16日(土)に行います(事前申込必)。
不動院の図『新編図録春日部の歴史』からのご紹介29
このような不動院は、徳川幕府からも100石(こく)という寺領を認められた大寺院でした。
江戸時代に隆盛をきわめた修験宗は、明治5年(1872)の修験禁止令によって衰退します。不動院は、明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて、東京の砂村(現:江東区南砂)へ移転しました。この砂村の不動院は、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和23年(1948)に正法院(現:東京都台東区竜泉)に合併されました。
今回ご紹介する「不動院の図」は、文政元年(1818)に記された『日光巡拝図誌』という書物に掲載されているものです。不動院入口からの広大な境内地と、巨大な本堂、また小渕砂丘と考えられる山の上には、祠(ほこら)とともに「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)の祠 役ノ行者ナリ」と記され、最も高いところには修験宗の宗祖である役行者がまつられている様子がわかります。
出典:『日光巡拝図誌』国立公文書館内閣文庫所蔵
「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ
武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。
ちょうど武里小学校が見学している時に、ご年配の方が郷土資料館に来館してくださり、児童たちと一緒に展示を見学して、楽しそうにお話しをされていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
第7回春日部市民俗芸能公開事業が開催されました。
今年度は、「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」をテーマに神楽囃子を継承する3団体(榎囃子神楽連、倉常神楽ばやし保存会、東不動院野神楽保存会)の方々が素晴らしい神楽囃子を披露されました。
第1部は各団体の神楽を、第2部では3団体が一堂に舞台に上がり、団体ごとにお囃子(五人囃子)をメドレーし、迫力のあるお囃子の音色が会場を包みました。各団体からは小学生の出演者を交え、日頃の練習の成果を発揮し、堂々とした神楽囃子を披露いただきました。通常は地域の祭礼に限って披露される民俗芸能を、舞台で観覧できる貴重な機会ですので、ぜひ来年度には多くの皆さまのお越しをおまちしております。(開催については、広報やホームページでお知らせします。)
【第1部】
倉常の神楽「ヒョットコ」
不動院野の神楽「種蒔き」
【第2部】
お囃子メドレー
庄和図書館で作家三上於菟吉展開催中
夏季展示「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展のダイジェスト版です。
展示では、三上於菟吉と夫人長谷川時雨の写真や、於菟吉の代表的な著作など69点を紹介しております。写真は今回初めて紹介させていただくものもあります。また、著作は、一部お手に取ってご覧いただけるものもございます。
小さなスペースではありますが、大正から昭和前期にかけて文壇で活躍した、郷土ゆかりのベストセラー作家である三上於菟吉について、ぜひご観覧ください。
会期は12月25日(月)までとなっております。文学ファンの方は、お見逃しなく。
神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~
春日部市指定文化財の榎の囃子神楽(はやしかぐら)、倉常の神楽ばやし、不動院野の神楽を一度に見られる舞台となっております。特に3つの保存団体の皆様による「祭り囃子」のリレーが見どころです。
皆様のご来場をお待ちしております。
開催日時:平成29年12月3日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所 在 地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定員:500人
費用:入場無料
申込:不要。直接会場へお越しください。
※駐車場に限りがありますので公共交通機関のご利用をお願いいたします。
第7回春日部市民俗芸能公開事業開催のおしらせ
歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」
講演のテーマは「三峰信仰と関東平野」です。
講演では、江戸時代に流行した代参講の三峰講の実相、三峰山の眷属数(配札数)の歴史的な変遷、関東地方や埼玉県東部における三峰信仰の分布などを示され、江戸時代には、関東地方のみならず、埼玉東部、そして春日部の人々も、火防や盗難除けなど現世利益の神様として広く信仰していたことを、わかりやすくお話しいただきました。
当館所蔵の江戸時代の三峰山のお札や、お札を入れる木箱について、受講者の皆さんに示しながら、お話しいただきました。資料館の所蔵資料について、より深く理解することができました。
個人的にも、お札を入れる木箱が「眷属箱」と呼ばれていたこと、ご著書『三峰信仰の展開と地域的基盤』を拝読させていただき、初めて知りました。
ちなみに、講演にも登場した、元治元年(1864)三峰山の表参道の丁目石を寄進した粕壁宿の国田屋七右衛門は、三枚橋に所在した旅籠屋です。三枚橋というのは、今の市民文化会館あたりになります。今回のお話が、意外に身近なところにリンクしていているんですね。
受講された皆さまからも、とてもわかりやすかったとのご感想を多くいただき、大変有意義な講演会となりました。
足利氏満御判御教書写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介28
太田荘花積郷の元荒川、古隅田川には、御厩瀬の渡(みまやせのわたし)が設けられ、慈恩寺(現・さいたま市岩槻区)に、この渡の管理が任されていました。慈恩寺は当時、鶴岡八幡宮(現・鎌倉市)の遍照院頼印(へんしょういんらいいん)という僧侶が管轄していました。
ご紹介する文書は、この渡が、渋江郷(しぶえごう、現・さいたま市岩槻区)の渋江加賀入道(しぶえかがにゅうどう)に押領された際、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏満(あしかがうじみつ)が、鎌倉府奉行人(かまくらふぶぎょうにん)の壱岐弾正大夫入道希広(いきだんじょうだいふにゅうどうきこう)に対し、現地におもむき、渋江加賀入道から渡を取り戻すよう命じたものです。永徳3(1383)年4月11日の出来事です。
翌月の5月8日には渡を取り戻し、現地の当事者に引き渡したことを記す文書も別に残っています。
『相州文書』鎌倉郡文書 所収 国立公文書館内閣文庫所蔵
「利根川流域と鎌倉府」『新編 図録 春日部の歴史』50ページ
中学生社会体験事業3日目
一日かけて、体験講座「しめ縄づくり」の準備をしてもらいました。
社会体験事業では、準備だけでなく、実際に「しめ縄」を作るまで体験してもらいました。
まずは、稲わらをわらすぐり。
わら細工に不要な葉やわらくずを取り除いていきます。
世間話をしながらの作業で、今時の中学生の流行りがわかって楽しかったです。
もちろん、手は動かしながら。皆さん、真剣に取り組んでいました。
午前中に松戸市から団体見学がみえたので、昨日と同様に古写真やパネルを説明してもらいました。
午後は、いよいよ「しめ縄」づくりです。
わら打ちをして、わらを柔らかくしてから、まずは縄ないの練習。
それから、しめ縄を編み込んでいきます。半紙でつくった「紙垂」(しで)をつけて完成。そのあと、輪飾りもつくりました。
みなさんの作った「しめ縄」は大変出来栄えがよかったので、市のHPの体験講座しめ縄づくりのページの写真に使わせていただく予定です。最後は並べて写真にとってもらいました(展示業務の体験ということで)。
あわただしい3日間、いろいろなことを体験して、大変だったかもしれませんが、最後に楽しかったとの感想を話してくれました。
少しでも、春日部の歴史や文化に少しでも興味をもってもらえたのならば、喜ばしい限りです。3日間、お疲れさまでした。
めがね橋(倉松落大口逆除)『新編図録春日部の歴史』からのご紹介27
八丁目のめがね橋は、正式名称を倉松落大口逆除(くらまつおとしおおぐちさかよけ)といい、春日部市指定有形文化財です。
倉松落は普段は悪水路として、水田の排水を古利根川へ流す役割を担っています。しかし大雨が降ると古利根川の水位が上昇することにより、倉松落に水が逆流し、周辺に被害をおよぼすことから、逆流を止めるために設置されたのが、このめがね橋(倉松落大口逆除)です。
明治23(1890)年の洪水で、もともとあった木製の逆除が流されたため、明治24年6月、工期3か月、工費3,630円で、めがね橋は完成しました。焼しめられた様々な色のレンガで築かれ、また装飾性の高いアーチがその特徴となっています。
川と用水路や悪水路を結ぶ水路を樋門(ひもん)と呼びますが、めがね橋は県内に残るレンガ造りの樋門では、明治24(1891)年4月に竣工(しゅんこう)した越谷市の谷古田元圦(やこたもといり)に続き、2番目に古いものです。ちなみに同じくレンガ造りの樋門である水角地区の五ヶ門樋(ごかもんひ)は、めがね橋の翌年明治25(1892)年竣工で、県内で4番目に古いものとなっています。
めがね橋は、貴重な文化遺産であることから、日本土木学会により、「日本の近代土木遺産」にも認定されています。
現在は、倉松落の水は大部分が庄内古川に流れ、またほかの排水施設が稼働していることから、めがね橋は本来の逆流防止の役割を終え、道路橋として使われています。
さて、めがね橋は、11月18日(土)、午前8時30分からテレビ埼玉の「いまドキッ!埼玉」という番組で紹介されます。当日11月18日は日本土木学会の定める「土木の日」で、県内のほかの近代土木遺産とともにとりあげられます。
ぜひご覧ください。
県政広報テレビ番組 「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」サイト
「庄内古川をめぐる苦悶」『新編 図録 春日部の歴史』178ページ
中学生社会体験事業2日目
本日は、団体見学のお客様向けの展示解説の補助をしてもらいました。
日光道中粕壁宿の解説の補助資料として、それぞれが粕壁の町の古写真を説明しました。
お客様が帰られた後、「本番は緊張した」と感想をもらしていましたが、
みなさんしっかりと自分の役割を果たしていました。お客様も大変満足されようです。
本日のメインは、市内の旧家からいただいた資料の整理です。
古書のほこりをはらって、1つ1つ封筒に収めます。
そののち、資料を解読しながら、資料調書をとってもらいました。
当時の人たちが、版木で出版された本を読んでいたことや、筆で本を書き写していたことに大変驚いていました。「伊蘇保物語」(イソップ物語)や葛飾北斎の画集「北斎漫画」なども取り扱い、古い本からも親しみを感じ取ってくれたようです。
最後に、粕壁の町の商家の双六(すごろく)について、調査してもらいました。
この双六は昭和初期に印刷されたもので、商店の広告がマスに見立てられています。
中学生のみなさんには、双六の商店がどの位置にあったのか、様々な文献資料を比較しながら、現在の地図上に落とし込んでもらいました。
なくなってしまった商店も多く、探すのに苦労していましたが、「ウォーリーをさがせ」ならぬ、春日部の「商店をさがせ」のようで、楽しみながら作業をしてくれました。
みなさんの調査の成果は、ゆくゆくは展示に反映する予定です。
今日は盛りだくさんでした。明日の最終日は、しめ縄づくりの準備・練習です。
庄和高齢者憩いの家の歴史講座に出張しました
演題は「庄和高齢者憩いの家周辺の歴史」で、同施設の南側には西金野井の香取神社が所在しますので、香取神社と西金野井の歴史についてお話ししました。庄和高齢者憩いの家が完成した昭和49年(1973)ころの話、江戸川が開削される前は西金野井と東金野井(現野田市)が一体だったこと、西金野井は河岸場のある集落として大変栄えていたこと、などなど。
講演の途中、地元のご高齢の方より、昔は船が通っていたことや、古くからの屋敷があったことなどをご教示いただきました。本当は講座の話をやめて、お話をじっくり伺いたかったのですが、時間がなく残念でした。
地元のみなさんのお話を伺える意味でも、出前講座は大変貴重な機会です。
ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。
中学生社会体験事業1日目
初日の本日は、郷土資料館の収蔵庫の整理整頓や資料の取り扱いを体験してもらいました。
資料の取り扱いでは、市内で発見された弥生式土器を手にとって観察したり、古い巻物を開いてみたり、江戸時代の絵図から春日部を探してみたりしました。
郷土資料館や学芸員の業務についてみなさん理解いただけましたでしょうか。
資料の取り扱いの時はもちろん、初日だったので、みなさん、終始緊張した面持ちでした。
東中野の獅子舞、赤沼の獅子舞の公開
市指定無形民俗文化財『東中野の獅子舞』は午前中に地域の無病息災・悪魔祓いなどを祈願した辻切りが、午後には東中野神社境内で奉納舞が行われました。
花掛りの舞―いたずら狐と三匹獅子の掛け合いが特徴的です
赤沼神社では『赤沼の獅子舞伝承300年祭』が伝承元の「下間久里の獅子舞(越谷市)」(県指定無形民俗文化財)と兄獅子である「銚子口の獅子舞」(市指定無形民俗文化財)の2団体を迎え、盛大に行われました。
銚子口の獅子舞―年明け1/21の春例祭では70年ぶりとなる「ウヅメの舞」の公開が予定されています
下間久里の獅子舞―華麗で堂々とした伝承元の舞に会場がうっとりしました
赤沼の獅子舞ー保存会の熱意で復活した神楽「種まきの舞」。神楽獅子とも呼ばれる赤沼の獅子舞では年次的に神楽の演目の復活に取り組んでいます。
赤沼の獅子舞ー300年祭のフィナーレをかざる「弓くぐりの舞」。例年7月に、豊作を祈願して太夫獅子が弓をくぐります。
「銚子口の獅子舞」は次回、1月21日(日)に、「下間久里の獅子舞」は例年7月、「赤沼の獅子舞」は7月・10月に公開されます。
ぜひ、現地で郷土の文化遺産をご覧になってみませんか。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ました。
紙てっぽうの音と、子供たちの笑い声が響いた楽しい時間になりました。
次回ワークショップは、平成30年1月20日(土)に「パタパタ(板がえし)」を作ります。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です! ! ご参加をお待ちしています。
第7回春日部市民俗芸能公開事業開催のおしらせ
今年度は「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」をテーマに、神楽を継承する3団体(榎囃子神楽連、倉常神楽ばやし保存会、東不動院野神楽保存会)の方々が一堂に会し、神楽囃子の魅力を皆さまに広くご紹介します。
特に地域の伝統文化を担う子供たちによる神楽やお囃子、そして3団体による「祭り囃子」のリレーが見どころです。
ぜひご来場ください。
開催日時:平成29年12月3日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所 在 地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定 員:500人
費 用:入場無料
申 込:不要。直接会場へお越しください。
※駐車場に限りがあります。
11月12日に東中野の獅子舞、赤沼の獅子舞が公開されます
11月12日(日)は、いずれも春日部市指定文化財である『東中野の獅子舞』、『赤沼の獅子舞』が公開されます。ぜひ、皆さまお誘いあわせの上、お出かけください。
○東中野の獅子舞
日時:平成29年11月12日 (日曜日) 午前9時~午後4時
雨天の場合は19日(日曜日)に順延
午前9時~正午は地区内を辻切り、午後2時から神社境内で奉納舞
場所:東中野香取神社(春日部市東中野366)
南桜井駅から徒歩30分
○赤沼の獅子舞300年祭
獅子舞伝承300年を記念して、獅子舞や神楽が奉納される他、「下間久里の獅子舞」と「銚子口の獅子舞」が特別出演します。
日時:平成29年11月12日 (日曜日) 午前10時45分~午後3時30分
(10月29日(日)から再順延となりました。)
場所:赤沼神社(春日部市赤沼770)
茨城急行自動車バス(せんげん台駅東口~大正大学・松伏町役場・まつぶし緑の丘公園行)赤沼バス停下車、徒歩5分
東中野の獅子舞
歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」受講者募集中です!
平成29年11月25日(土)、三木一彦先生(文教大学准教授)をお招きして歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」を開催します。
・日時:平成29年11月25日(土)14時~16時
・場所:春日部市教育センター4階研修室2
・費用:無料
・定員:100名(申込順)
・申込方法:郷土資料館に直接、または電話で(℡048-763-2455)
三峰信仰とは、埼玉県秩父地方の三峰山に対する信仰のことです。三峰山の山上には三峰権現を祀る三峰神社が鎮座しています。三峰権現の眷属である大口真神(おおぐちのまがみ)は俗に「お犬様」などと呼ばれ、ニホンオオカミを神格化したもので、江戸時代には庶民に火難・盗難除けとして信仰されました。
市域でも、江戸時代より、三峰神社と呼ばれる祠や石造物が祀られ、また、三峰講と呼ばれる代参講などが組織されていました。
郷土資料館にも、市内の旧家から寄贈された、「お犬様」のお札やお札を入れる木箱などを収蔵しています。
三木先生は、歴史地理学の視角から、江戸時代の三峰信仰の歴史的な展開をご研究されている著名な研究者です。
どなたでも受講いただけますので、ご興味のある方は郷土資料館までお問合せください。