ほごログ
古文書勉強会の成果(その9)
今回は、延宝3年(1675)3月「神間村屋敷御検地御水帳写」(史料番号332)と文久2年(1862)3月「入置申一札之事」(史料番号42)を講読しました。
延宝3年「検地帳写」は、代官南條金左衛門による総検地の時に作成されたものであり、神間村にとっては、開発直後の慶安3年(1650)の検地に引き続いて2度目の検地になります。今回は、当村の屋敷地の持ち主や広さなどが記載されている屋敷分を読みました。以前、講読した慶安3年の屋敷地と比較すると、全体的に屋敷地の面積が拡大していること、高入れしていない藪地が屋敷地に付属していること、藪地は屋敷の面積を合わせると全体の4分の1程度であることが明らかになりました。おそらく藪地は屋敷林(防風林)のことと考えられます。事実上、村が成立した慶安3年から25年の間に、耕地の開発がすすみ、そこに暮らす人々が屋敷に屋敷林などを備えて、村に定着していったことがうかがえます。
また、参加者からは、他の村には「藪」があったのか、と疑問が投げかけられました。当日もお見せしましたが、神間村と同じ下総国葛飾郡庄内領の水角村の延宝3年検地帳(当館蔵)にも屋敷地に藪が付属しています。防風林をそなえた屋敷が点在する中川低地の農村の風景は、このころに形成されていったと考えられます。
ところで、みなさん、古文書を読むのに慣れてきましたが、その一方で「検地帳や人別帳は読みやすいが単調」という意見も出始めました。そこで、今回は続けて、一紙文書の文久2年(1862)3月「入置申一札之事」を読んでみました。この文書は、土地を質入れして金5両を借用したことを証明する質地証文について、その作成を十二月まで引き延ばすことを取り決めた文書です。以下、釈文です。
【史料番号42】
入置申一札之事
一、其御組合御水帳面傳左衛門名前屋敷畑
壱反歩、私義年来所持致居候処、追々
身上向不如意ニ罷成、勝手合を以親類相談仕、
此度貴殿江立而御無心申入、質地代金五両也、
不残御聞済被下、書面之金子證人立会、
慥ニ請取申処実証ニ御座候、然ル処我等勝手
合を以質地證文取極メ候儀は、当戌十二月
迄引延、就而は貴殿方ニ而御聞済被下質地證文
対談之通り期月ニ至り候ハヽ、貴殿方ニ而被仰
付次第無違変御組合一同我等ニ而相頼、質
地證文取極メ可仕候、若其節右地面二付
横合より少も変乱申もの御坐候ハヽ、加印
之もの引請急度埒明、貴殿江少も御苦
難相掛ケ不申、質地證文書替可申候、為後日
一札入置申処如件
庄内領神間村
出石地主
文久二年 文右衛門㊞
三月 親類
亀蔵㊞
源兵衛殿
前書取極メ対談仕候上ハ、当年より
公議様御年貢諸夫銭共貴殿方ニ而
御勤可被成候、依之奥書相添一札入
置申処如件
出石地主文右衛門㊞
親類
亀蔵㊞
源兵衛殿
次回の勉強会は、年をまたいで1月12日(土)14時~を予定しています。
原本をみながら、古文書を講読できるのは、春日部でたぶんココだけです。ご興味のある方のご参加をお待ちしています。
年末恒例の体験講座
この講座は、郷土に古くから伝わる風習についての理解のため、稲わらを細工して、正月飾りになるオリジナルのしめ縄をつくっていただくものです。受講者のみなさん、わらの扱いに苦労されながらも、立派なしめ縄を拵えていただけたようです。
講座では、はじめに、しめ縄に垂らす「紙垂」(しで)をつくり、その後、しめ縄をしばる縄をつくるため縄ないをしました。
そして、しめ縄づくり。郷土資料館でつくるのは「ゴボウジメ」と呼ばれる、わらを3つ編み状にしたしめ縄です。単純に3つ編みにするのではなく、3つ編みにするのと反対方向にわらをよりながら編み込んでいきます。
リピーターで毎年参加されている熟練の方は、一人で作ってしまいますが、皆さんには二人一組で協力してつくっていただきました。下の写真は、ご家族総出での製作の模様です。
家族で作ったオリジナルのしめ縄で、よいお年をお迎えいただけますよう、お祈り申し上げます。
郷土資料館のしめ縄づくり体験講座は、今週末12月15日(土)にも開催いたします。定員はわずかです。ご興味のある方はお早めにお申し込みください。
修善寺・熱海温泉紀行『新編図録春日部の歴史』ーその69
『修善寺・熱海温泉紀行』には、約1か月の行程が詳細に記されており、下柳から粕壁を経て、馬車、人力車、鉄道を乗り継いで伊豆に行った交通事情の様子がわかります。
当時、浅草から宇都宮間には1日3便、旅客10人の馬車が運行されており、浅草と粕壁間の運賃は一人63銭でした。
『修善寺・熱海温泉紀行』春日部市郷土資料館
「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』160ページ
第8回民俗芸能公開事業を開催しました
▲赤沼の獅子舞「弓くぐり」
夏の祭礼で五穀豊穣を願って弓をくぐる迫力のある舞です
▲東中野の獅子舞「花掛り」
三匹獅子に加え、道化きつねが絡むストーリー性のある舞です
第2部では地域の家内安全、疫病退散を祈願し、地域の辻つじで演じられる「辻きり」「追い出し」と呼ばれ、舞台上で初めて舞っていただきました。
▲赤沼の獅子舞「悪魔払い」
太夫獅子が模造刀で邪気を追い出す演目で、平成26年に復活させました
▲東中野の獅子舞「大祓(おおばらい)」
神職姿の役員さんが祝詞を唱え、幣束を模造刀で断ち切る「辻きり」の一場面
当日は多くの皆さまに郷土春日部の伝統の舞を堪能いただきました。来年も開催いたしますので、ご期待ください!!
また両団体の皆さま、ご熱演いただき、ありがとうございました。
12/2(日)「伝承300年の舞」が開催されます
春日部市指定文化財の赤沼の獅子舞(あかぬまのししまい)、東中野の獅子舞(ひがしなかののししまい)が舞台で披露されます。
今回出演する2つの獅子舞は享保(きょうほう)3年(1718)、享保5年(1720)に、ともに現在の越谷市下間久里(しもまくり)から伝承されたものです。
実に300年という長い歳月にわたって、今日まで地域のみなさまが守り継承されてきた郷土春日部の獅子舞を、ぜひご堪能ください。
開催日時:平成30年12月2日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所 在 地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定員:500人
費用:入場無料
申込:不要。直接会場へお越しください。
※駐車場に限りがありますので公共交通機関のご利用をお願いいたします。
古文書勉強会の成果(その8)
まず、慶安3年(1650)「神間村新田屋敷御検地御水帳写」(史料番号334)は、神間が開発され、はじめて検地の時に作成されたもので、元文4年(1739)に書写されて、今日に伝わったものです。今回は五冊のうち、住民の屋敷を書き上げた一冊を読みました。参加された方が内容を表にまとめてくださいました。
住民に屋敷の大小があること、「〇〇分」の記載から、いわゆる分付主という存在がいたこと、検地の案内人には除地が与えられていることなどを読み解きました。また、史料の写し間違えがあり、屋敷地の合計が計算上合っていないことも明らかになりました。
次に、享保21年(1736)「下総国庄内領神間村宗旨人別帳」(史料番号339)を講読しました。
こちらも内容を表にまとめていただきました。
家族構成や年齢、旦那寺、本百姓でない「地守」「水呑」という肩書の農民の存在など、当時の神間村の住民構造を読み解きました。神間村には寺院がなかったため、各家は他村の寺院を旦那寺としており、とくに西宝珠花村の宝蔵寺を旦那寺とする家が多いことから、近世前期の新田開発にあたって、台地上の宝珠花から入植があったことがうかがえます。また、この宗門人別帳には「本家立三間、横弐間半」というような記述がみえます。「本家」の厳密な意味はわかりませんが、おそらく各家の母屋の面積を示したものと推察されます。
ある参加者の方は、この面積の数値と家族人数を合わせて、分析してくださいました。
検地帳、宗門人別帳を講読して、当時の神間村の人々のくらしがイメージできましたでしょうか。
また、前回の11月17日(土)には、講読後に新規受け入れ資料の加藤楸邨・水原秋櫻子の短冊を熟覧していただきました。楸邨・秋櫻子は春日部ゆかりの俳人ですが、近世の古文書とはまた違った草書を読んで、昭和の俳句の世界に思いをはせていただきました。
次回の勉強会は、12月1日(土)14時~、次々回は1月12日(土)14時~です。一緒に古文書を読んでみたいという方も大歓迎です。
春日部中学校図書館『新編図録春日部の歴史』ーその68
昭和41年(1966)に春日部中学校で火災がありましたが、図書館は鉄筋コンクリート製であったために、その被害は免れました。
「落成した春中図書館」『春日部市政だより』昭和34年12月10日号
「公共施設の整備」『新編図録 春日部の歴史』252ページ
高齢者施設の皆さんにご来館いただきました
「くらしのうつりかわり」展では、昔のおもちゃや道具に触っていただきました。こての使い方やベイゴマの回し方を教えていただきました。
個人的に驚いたのは、アルマイトの弁当箱のこと。梅干しをのせた日の丸弁当を毎日食べていると、梅干し酸によって、弁当箱のフタの真ん中に穴が開いてしまうんだそうです。「ただでさえモノがない時代だったのに困った」と昔を思い出されていました。
映像コーナーでは、回想法ボランティア「ふれあい幸齢倶楽部」にご協力いただき、回想法の映像を上映しました。昭和33年の皇太子殿下のご成婚の映像や昭和30年代の県内の映像をご覧いただき、クイズや会話を通して、昔のことを回想していただけたようです。
皆さん、笑顔でお帰りいただきました。またのご来館をお待ちしております。
テレビ局の取材と帰ってきた埴輪
一つ目。
テレビ埼玉の番組「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」の取材があり、リポーターとして活躍されている小堺翔太さんにご来館いただきました。
小堺さんと一緒に春日部大通りを歩いて、日光道中粕壁宿の昔の町並みをご案内しました。一見気づかない昔の面影をご覧いただき、喜ばれていました。写真は、当館の宿場町の模型をご覧になる小堺さん。ちゃっかりサインもいただいちゃいました(資料として保管します)。
この模様は、11月24日(土)8時30分~9時にテレビ埼玉(地デジ3チャンネル)で放送されます。宿場の町並みだけでなく、市内の伝統手工芸品やスイーツなども紹介されるそうです。お楽しみに。
話題の2つ目。埴輪(はにわ)が帰ってきました。
県立さきたま史跡の博物館の企画展示に出展するため、行田市に旅立っていた人物埴輪が、常設展示に無事に帰ってきました。春日部唯一の人型の埴輪です。ところで、この埴輪がかたどった人物は男性?女性?どちらでしょうか?答えは収蔵資料紹介のページをご覧ください。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
平成30年11月18日(日)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
蓄音機による音楽鑑賞が行われ、やわらかく温かみのある音に皆さん聞きいっていました。
電気を使わず再生することや、レコード1枚で約5分間しか聞けないということに驚かれ、郷土資料館で、少し昔にタイムスリップを体験してもらいました。
次回は、平成31年1月20日(日)を予定しております。
事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。ご参加をお待ちしています。
萬葉集・東国の世界に想いをはせるひと時となりました
この講演会は、春日部市郷土資料館の歴史文化講演会で、郷土春日部にに親しんでいただくため、専門家をお招きして市や県東部ゆかりの歴史・文化についてお話しいただくものです。
今回は、県立高校の国語科の先生として長く教鞭をふるい、また市内で萬葉集を学ぶサークルを主宰されている堀越令子先生をお招きして、埼玉ゆかりの文学、特に萬葉集の武蔵国や下総国ゆかりの東国の歌について、解説していただきました。
堀越先生には、一首一首、歌人の想いや当時の風景を丁寧にお話していただき、東国の万葉の世界の情景に思いをはせるひと時となりました。
個人的には、「小埼の沼の鴨」(行田市周辺)の話が、水鳥が飛来する現代の県東部地区の環境にも通じているようで、大変興味深く拝聴しました。
受講者の方々からは、「萬葉集を独学したいが、おすすめの本を教えてほしい」「今回限りでは残念。また次回も開催してほしい」「埼玉の文学についてもっと知りたい」などのご感想をいただき、有意義な講演会となりました。
次回の歴史文化講演会は、年度内3月末に幕末明治維新の歴史をテーマとして先生をお招きして開催する予定です。追ってお知らせしますので、後報をお待ちください。
庄内領の用水・排水概略図『新編図録春日部の歴史』ーその67
水田に引かれた水は、領内の諸水路を通り、水角村から庄内古川へと排水されました。
庄和地域の南部にあたる下庄内領(しもしょうないりょう)と呼ばれる地域には、基幹となるような用水路がありませんが、渇水のときは、沼の水などをかんがい用水として利用していたようです。
「用水と悪水の利用と管理」『新編図録 春日部の歴史』131ページ
庄内領の用水路・悪水路概略図
庄内領用水(中用水)の現況路(椚地区)
かすかべ弁、追加しました
郷土資料館の常設展示室の一番奥の壁展示に、「かすかべ弁」のコーナーがあります。
来館者の方々に割と好評のようなので、このたびパネルを補充しました。
また、くらしのうつりかわり展でも、昔のおもちゃを「かすかべ弁」で紹介しています。
言葉の意味はパネルをめくってみるとわかります。答えを知りたい方は、ぜひ郷土資料館にお越しください。
中学生に学芸員を体験してもらいました
縄目の模様づけの実演(練習風景)
黒曜石の解説(練習風景)
特に、時間をかけたのは、富多・宝珠花小学校の社会科見学のために準備した、昔の小学生の日記の紹介です。
見学の前におよそ1日かけて、郷土資料館所蔵の大正14年(1925)の宝珠花尋常小学校2年生のノートから、日記の記事を解読して、解説をつけてもらいました(実は人前でしゃべることよりも、この作業が学芸員!)。
カタカナや旧仮名遣いに苦戦しながら、文字や意味を読み取ってもらいました。ちなみに、本文はこんな感じです。読んだなかでは、割ときれいなほうです。中学生は、昔の小学2年生の悪筆に苦戦していました…
さて、今や大凧揚げが有名な西宝珠花ですが、大正14年(1925)の小学生たちは日常の遊びとして凧揚げをしていたことが日記から読み取れます。さらに、「オレノタコヲアゲベ」といった当時の言葉遣いや、「センゲンサマノウラ」(浅間様=宝珠花神社)で凧揚げをしたこと、凧の糸を「カマトク」(釜徳)で買ったことなど、戦後の江戸川改修によって移転する以前の西宝珠花の町並みが子どもの目線で記されており、大変貴重な日記といえます。内容については大変興味深いので、またの機会に紹介したいと思います。
そして、本番当日。小学生と引率の先生方の前で解読した日記を読み上げて、90年前の地元の小学生のくらしについて紹介しました。
富多小・宝珠花小のみなさん、中学生の解説を真剣に聞いてくれました。日記の面白さが伝わりましたでしょうか。
中学生の皆さんは、いろいろ盛りだくさんで大変でしたでしょうが、郷土資料館の業務の体験を通じ、郷土春日部を再認識してもらえれば、うれしいです。
中学生の皆さんが解読した成果は、すべて紹介できたわけではありませんので、これから解読の成果を活用していきたいと思います。
春日部中学校のみなさん、3日間お疲れさまでした。
富多小学校と宝珠花小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
春日部の移り変わりの展示品や、少し前のおもちゃや学用品・家庭で使われていた道具・農具を見ながら、生活の変化を理解していました。
社会体験事業で郷土資料館のお仕事をお手伝いしてくれていた中学生が、小学生の質問などに答えたり、千歯こきによる脱穀体験では補助をしてくれました。
駕籠の乗り心地はどうかな?
児童も先生も一緒に体験をしてくれました。
11月11日(日)東中野の獅子舞が公開されます
11月11日(日)は、春日部市指定文化財である東中野の獅子舞が公開されます。年に一度の神社での公開です。ぜひ、皆さまお誘いあわせの上、お出かけください。
東中野の獅子舞
日時:平成30年11月11日 (日曜日) 午前9時~午後4時
雨天の場合は18日(日曜日)に順延
午前9時~正午は地区内を辻切り、午後2時から神社境内で奉納舞
場所:東中野香取神社(春日部市東中野366)
南桜井駅から徒歩30分
幸松小学校放課後子ども教室で「神楽・お囃子教室」の開催
年を重ねるごとに子供たちの中でもすっかりと定着し、本日11月5日の練習では1年生から4年生の6人が参加しました。
△榎原さん、清水さんの指導のもと、タイヤでウォーミングアップ。
△3・4年生はすっかり熟練の「ニンバ」のお囃子を奏でることができます。また保存会の練習にも参加され、立派な後継者です!
△7月からは実行委員さんと鈴木会長さんの発案により、練習の記録が作成されました。回数と達成度が会長さんから記入されるため、練習後のサインも楽しみ。
次回は、保存会が揃えていただいた子供用の”神楽面”を被ることも企画されています。
実行委員会による子供の居場所作りと共に地域の皆さんの協働・連携により、伝統芸能の大切な後継者養成にも連動しており、引き続きの活動に期待しています!!
市内最古の住居跡ー坊荒句遺跡『新編図録春日部の歴史』ーその66
特に縄文時代早期の住居跡は、いずれも台地の縁辺部に築かれ、住居跡の形は角が丸い長方形や楕円形(だえんけい)で、最も大きいものは長軸が約6mですが、大半は長軸約4m、短軸約3m程度と、縄文時代の住居の中では小型なものです。床面からは、焼けた土が広がる炉跡(ろあと)や、柱を立てるための柱穴(ちゅうけつ)などが確認されています。住居跡からは「撚糸文系土器群(よりいともんけいどきぐん)」と呼ばれる土器が発見されています。
坊荒句遺跡の縄文時代早期の住居跡は、春日部市内では最古の住居跡であることはもちろん、県内でも発見例が非常に少ないものです。これらの住居跡は、壊されることなく埋め戻され、現地で保存されています。
春日部市教育委員会「第二節 坊荒遺跡」『春日部市史第一巻 考古資料編』 1988
春日部市遺跡調査会『坊荒句北1.2次 坊荒句 立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1995
春日部市遺跡調査会『坊荒句遺跡2次地点』春日部市遺跡調査会報告書第13集 2004
「縄文時代の生活」『新編図録 春日部の歴史』16ページ
坊荒句遺跡で発見された市内で最も古い時代の住居跡
桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
常設展示室と、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展の説明を受けた後は・・
自由に展示室内を見学!
「あら?私達の方が、60年前の同年代の平均よ背が高い」と、言ってるのでしょうか?
兜をかぶり、先生に記念撮影を取ってもらったりして、色々な体験をしていました。
なんと、千歯こき体験のあとは、お掃除もしてくれました。どうもありがとう♪
【常設展展示替】地区の信仰を伝える
市内各地の神社には、地域の信仰にゆかりのある資料が伝来しているほか、特色のある民俗芸能や祭礼行事も伝承されています。しかし、近年の少子高齢化に伴い、町内会や地域での神社経営や祭礼行事の存続が危ぶまれているものもあります。
陣屋稲荷は、今年の8月、町内会の解散にともない遷座の儀式を行い、解体された稲荷社です。郷土資料館では、博物館実習生に協力してもらいながら、陣屋稲荷を調査し、ゆかりの資料の寄贈を受けました。資料の受け入れや整理については、前に実習生が本ブログで紹介してくれています(調査について/整理について)。
さて、地元の方によれば、初午の祭礼の日には、子どもたちは太鼓を打ち鳴らし、「アンドンヤブリ」(「チョウチンヤブリ」とも)という遊びをするなど、大変にぎわったそうです。
昭和7年(1932)の粕壁尋常高等小学校編『郷土の研究』によれば、三月十日の初午について次のように記述されています(以下原文・句読点は補った)。
三月十日 初午(陸軍記念日)
赤飯、すみつかれ、甘酒、豆腐、油あげを稲荷様へ供へる。組合の人は酒宴をひらく。年に依り火祭りをなす。掛行灯へ俳句を書いて出す。子供は部内の稲荷様へこもり太鼓をたゝく。こもつて太鼓をたゝいてゐる子供、又遊びに来た子供には稲荷様上つて居るものを御馳走する。他の部内に行つて、そこに供へてあるもの(油あげ菓子豆腐)を取り、又掛行灯を破つて来る。沢山破つた方が勝。破られた方が負。
この記録からは、町全体が初午でにぎわっていた様子がうかがえます。陣屋稲荷の資料は、陣屋地区のみならず粕壁の町内の往時のにぎわいを伝える資料といえます。
地元の方と共に歩んできたお社は、さまざまな事情により、残念ながらなくなってしまいました。しかし、地域の信仰の記憶は、郷土資料館に引き継がれました。後世に伝えられるように、しっかりと保存していきたいと思います。
皆さまには、展示をご覧いただき、地域の記憶・歴史の行く末について、思いを巡らせていただければ幸いです。