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たんけん郷土資料館 めざせ!キッズ学芸員を開催しました
8月27日(土)、小学生向けの講座「めざせ!キッズ学芸員」を開催しました。この講座は、現在開催中の「明治天皇と春日部」展の内容を普及講座で、春日部の歴史をよく知って、キッズ学芸員をめざすイベントです。 #かすかべプラスワン
講座では、まず博物館や学芸員はどんな仕事をしているのか、を説明した後、展示室でナゾトキゲームをしてもらいました。展示資料にゆかりのある問題をスタンプを押しながら考えてもらいました。
参加者は小学校1年生から6年生までいましたが、高学年の子どもたちは「簡単!」といいながら、スタンプを探すのに手間取っていました。1年生の子は兄弟やおうちのひとに手伝ってもらいながらナゾトキをしていました。
すべてできたら特製の「キッズ学芸員専用資料館たんけんバッチ」をつくり、身に着けて、資料館の裏側探検へ。
春日部の郷土資料館は展示室が大変狭いですが、実は展示室よりも広い大きな収蔵庫があります。
キッズ学芸員たちは、恐る恐る収蔵庫へ。「変なにおいがする」とか「物がたくさんある」と言いながらも、収蔵庫の資料数を聞くと、驚いた様子。保存箱のふたを開けて、250年前の古文書を見て、触れて、目を輝かせていました。収蔵庫では最後に脚立をのぼって、収蔵棚の最上層を覗いてもらいました。クイズなどを交えながら、楽しく郷土資料館の裏側を探検してもらえたようです。
休憩をはさんで、後半はビンゴゲームで遊びました。ただのビンゴじゃない。郷土資料館オリジナルの鳥ビンゴです。
「明治天皇と春日部」展のテーマのひとつ「御猟場」に関わらせて、春日部にいる(または、昔いた)鳥をビンゴのマスにしてみました。春日部の鳥にかかわる歴史について、クイズやお話しをして、ゲームのヒントとし、25のマスに好きな鳥のシールをはって、ビンゴカードを作ってもらいました。
ビンゴには「景品があります」と伝えると、みんな真剣に鳥の配列を考えました。子どもたちよりも、同伴された保護者の方が真剣にもみえました。
いざ始まると、皆、真剣です。スズメやカラスなどよく見かける鳥だけでなく、現在でもオオタカやサカツラガンなど珍しい鳥もみられます。また、歴史的にはツルも来ていたとか。「春日部にこんな鳥がいるんだぁ」と少しでも思ってもらいながら、楽しんでくれたなら幸いです。
景品は、特製のマグネット。優勝は金のマグネット、準優勝は銀のマグネット、三位は銅のマグネット。参加賞もあります。
優勝した女の子は1年生でした。初めて開催したゲームなので、記念すべき鳥ビンゴ初代王者です。
学芸員や資料館のお仕事や普段みられない資料館の裏側を見学したり、オリジナルのゲームで遊んだり、盛りだくさんでしたが、郷土資料館や学芸員のことが少しはわかったでしょうか。「普段は入れない裏側に入れてうれしかった」とか「鳥ビンゴ楽しかった」など感想をいただきました。
ここから未来の学芸員が出てきてくれたら、なんて考えると、感慨もひとしおです。
今回の「たんけん郷土資料館めざせ!キッズ学芸員」は、初めての催しでした。改善すべき点も少なくありませんでしたが、受講者の皆さんにはおおむねご好評のようでした。終了後には「またやってほしい」とか「次はいつですか」などうれしい反響もいただきました。次回は、たぶん来年の夏かもしれません。またの機会をお楽しみに。
【 #8月27日 】 #今日は何の日? in春日部
明治32年(1899)8月27日、北千住駅ー久喜駅間に東武鉄道が開通しました。
貨車1両と客車3両を連結した混合列車が、毎日、上り、下り7本の運行を開始しました。開通時の駅は、北千住、西新井、草加、越ヶ谷(現・北越谷)、粕壁(現・春日部)、杉戸(現・東武動物公園)、久喜でした。1等から3等までの客車種別が設けられ、北千住駅ー久喜駅間の運賃は3等客車で33銭でした。粕壁駅の明治33年(1900)の年間乗降客数は20万人程度(『埼玉県統計書』1900年)、単純計算で1日に約300人が粕壁駅を利用していたと考えられます。
明治32年12月には、新田駅、蒲生駅、武里駅、和戸駅、明治33年には竹ノ塚駅が開設されました。明治35年(1902)には、吾妻橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)から北千住駅、明治43年(1910)には新伊勢崎駅から伊勢崎駅間が開通し、吾妻橋駅から伊勢崎駅間全線開通となりました。この間、明治38年(1905)には、根津嘉一郎氏が初代社長に就任し、一時営業不振に陥った東武鉄道の立て直しを図ります。
明治29年(1896)東武鉄道線路平面図(国立公文書館所蔵:クリックで画像ファイルがダウンロードされます)
さて、明治29年(1896)に作成された東武鉄道線路平面図が残されています。
この図には、千住から足利間に予定線路が書かれています。この図面が書かれた当初、すでに開業していた両毛鉄道足利停車場(現・両毛線足利駅)に乗り入れ、終点とする予定でした。しかしながら渡良瀬川架橋について地元の同意が得られず、明治39年(1906)に足利は渡良瀬川南岸に足利町停車場(現・足利市駅)をもうけ、日本鉄道伊勢崎停車場(現・伊勢崎駅)に終点が変更されました。
また、この図には、当時の市街地が 細かく書かれています。当然のことながら、宿場町として栄えた粕壁も大きい市街地として書かれています。そしてよく見ると、駅(停車場予定地)が、宿場町の東側に書かれています。
どのような意図であったかはわかりませんが、予定線路通りのルートをたどると、粕壁駅の手前と杉戸駅の先で大落古利根川を渡ることとなり、橋が余計に必要になることなどが理由として考えられます。
東武鉄道線路平面図(拡大。草加、越ヶ谷、粕壁、杉戸の停車場予定地をいずれも宿場町の東側に書いている)
東武鉄道はこの後、大正11年(1922)に浅草駅(現とうきょうスカイツリー駅)から久喜駅間の複線化、大正15年(1926)までに同区間の電化が完成し、電車の運行で乗車時間が大幅に短縮されました。
参考文献
東武鉄道株式会社『東武鉄道百年史』1998年
春日部市教育委員会『新編図録 春日部の歴史』2016年
今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版、3月14日版、3月27日版、4月28日版、6月3日版、6月10日版、7月31日版、9月16日版
オンライン土器作り教室“野焼き”を行いました
本日8/26(金)に待ちに待った土器作り教室の“野焼き”を行いました。早い方は7月中にご自宅で作り上げた土器を文化財保護課までお届けいただき、小1ヵ月ほど、じっくりと乾燥させました。
当初、うす茶色だった土器は乾燥によって乳白色へ、重さも大きさも約1割ほど縮みました。
野焼きは温度調整が難しく、燃料である木材を火の様子をみながら加えるという、まさに学芸員の経験で焼き上げています。
最初は土器を火のまわりに並べ、遠火で温めること小一時間。 軍手でももてないくらい熱くなったら、さらに火に近づけます。
土器の表面が赤茶色に変色してきたら、オキ(炭)を土器の中へ。オキの熱で土器を温めます。ここまでで二時間経過。
オキの熱で土器の底が徐々に変色してくると、軍手では土器を持つことができなくなるほど、熱がこもってきます。
そこまで土器を温めてカマの中に投入。「はじめチョロチョロ・・・なかパッパ・・」とお米を炊き上げるように徐々に火力をあげ、本焼きへ。火力があがるように良く乾燥した木材を少しずつ投入していくと、透けたような真っ赤な土器に。この時の火力は600度以上ともといわれています。
その後、火を落とし、土器を横倒しし、まんべんなく焼いて完成!
でも、小一時間程度、放置しないと熱がさめず、カマから引き上げることもできません。
今年も家庭で作られた思い思いの土器や土偶が完成しました!
令和4年度のオンライン土器作り教室では40名の方が参加いただきました。来夏も開催いたしますので、ご興味ある方、またご家族での参加をお待ちしております!
ララガーデン春日部で「はじめてのおしごと~学芸員編~」を開催しました!!
ララガーデン春日部で、体験をとおして将来の夢を描いてみようと小学生を対象にした事業「はじめてのおしごと」が7月30日から8月21日の土日計6日間、12種の職業体験が行われました。その中で「学芸員」は8月20日(土)午前午後の2回を分担し、土器作りも体験していただきました。
導入では「学芸員はどこで、なにをしているの?」について写真を用いて解説。また、博物館だけではなく、美術館や科学館、水族館、動物園など、さまざまな館で活躍していることを紹介しました。特に県内には鉄道に特化した鉄道博物館をはじめ、歴史に問わず、自然系の博物館でも学芸員が配置され、その領域を広めていることを案内しました。
続いて体験プログラムとして、教材粘土を使って土器作りを体験。遠巻きで写真撮影していた保護者の皆さんも最後にはお子さんの手伝いに加わり、家族総出の体験を楽しんでいただきました。
市Youtubeチャンネルに掲載している「土器づくり」の動画で作る手順を確認
約1時間集中したひと時。その後、保護者も参加され家族総出の土器づくりとなりました!
学芸員という職があることや、1900名以上いる市職員の中で学芸員は僅か8名であることを初めて耳にしたという保護者の感想も聞かれる中、参加されたお子さんからは「白衣を着ていないの」とか、「学芸員のお仕事は大変そうだけでやってみたい」といううれしい声も聞かれました。
資料館でのキッズ学芸員講座をはじめ、「学芸員」という職と仕事内容がより発信できるよう、皆で創意工夫しながら努めます!!
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
令和4年8月21日(日)の午前と午後各1回ずつ、郷土資料館体験ワークショップ「ミニ空気砲を作ろう」を開催しました。
まずは蓄音機でのレコード鑑賞から。ここ数年は「かっこうのワルツ」を流していたのですが、今日はちょっと趣向を変えて「ミッキーマウスの木琴」にしてみました。
ミッキーマウスマーチとは別の曲ですが、遊園地で流れていそうな陽気な曲です♪
蓄音機はレコードの回転速度を変えることで、音を早くしたりゆっくりにしたりできます。音の変化に驚いた子供たちは「もう一回やって!」と嬉しそうでした!
次に、春日部の昔話「飯沼の椀貸し伝説」の紙芝居を朗読しました。
食器を貸してほしいという祈りを叶える不思議な沼の伝説。しかし、心無い者が借りた食器を沼に返さなかったため、二度と食器を借りることができなくなってしまったというお話です。
ずっと借りっぱなしのアレコレ、誰しもあるのではないでしょうか?私だけではないはず・・・。ちゃんと返したいものですね!
おもちゃはミニ空気砲を作りました!
科学実験などでよく見る空気砲は段ボールを使った大きなサイズのものが多いですが、ペットボトルを使ったミニ空気砲は手軽に持ち帰ってもらえるサイズです♪
作った空気砲で的あて遊び!目に見えない空気の弾の軌道を読みながら狙います!
現在開催中の企画展示「明治天皇と春日部~巡行・御猟場・梅田ごぼう~」展の中で紹介されている“御猟場での鷹狩り”を模して、空気砲に鷹の絵を貼り、的には獲物となる鳥の絵を貼ってみました。
最後に恒例の缶バッジ作り!
缶バッジに使用する絵を的に仕込んでおいたので、自分で狩った獲物(的)を使ってバッジ作りをするというちょっとした狩りの疑似体験にもなったでしょうか。
本日もお越しいただき、ありがとうございました!次回の体験ワークショップは令和4年10月に開催予定です。詳しくは広報誌等でご確認ください。
郷土資料館は適宜換気や消毒を行って開館しております。体調に気を付けながら、またぜひお越しください。
展示解説講座その2「梅田ごぼうの献上」
8月20日(土)講師に二ノ宮幹太先生(宮内庁宮内公文書館)をお迎えして、「明治天皇と春日部」展の展示解説講座を開催しました。
テーマは「梅田ごぼうの献上」。二ノ宮先生は、現在開催中の「明治天皇と春日部」展において、「第3章春日部市域の恩賜と献上」の展示設営を担当いただいた方です。梅田ごぼうは、春日部市内では割と知られた特産農産物。梅田女體神社の石碑もあり、大正時代に皇室に献上されたことが語たり継がれてきました。そのことは、前にも紹介しました。
前回の講座に引き続き、今回の展示解説講座では、現在「明治天皇と春日部」展で展示されている資料を丁寧に読み解きながら、皇室への献上の仕組みやプロセス、宮内省・埼玉県・南埼玉郡・内牧村の間で発信・授受される公文書のサイクルをまじえながら、梅田ごぼうがどのような目的で、何のために、どのように献上されていったのかを、解説いただきました。宮内省や埼玉県には梅田ごぼうの献上に関わる公文書が残されていますが、郡・村には文書がのこされていません。資料が限られているなかで、至極丁寧に史料を解釈され、歴史学研究の鑑のような報告だったと思います。
質疑応答では、地元の石碑に刻まれる「大嘗祭御買上」と公文書の「伝献」「献上」はどう違うのか。梅田ごぼうは実際に供物としてささげられたのか、献上の規定の条文の解釈について、など、かなり鋭い質問が投げかけられました。
また、梅田ごぼうを実際に召し上がったことのある方も発言され、「昭和50年頃に甘辛く煮て食べ、香りがよくおいしかった」と、在りし日の梅田ごぼうの味を会場で共有することもできました。
「伝説のごぼう」と言われますが、梅田ごぼうのことが着々と判明してきた貴重な機会となりました。
受講者の方からは、「公文書から梅田ごぼうのことがよくわかった」「丁寧なお話しありがとうございました」などの感想をいただきました。二ノ宮先生には、ご多忙のところ、貴重なご講演、丁寧なご対応、大変ありがとうございました。
展示解説講座は、引き続き、宮内庁宮内公文書館の辻岡健志先生をお迎えして、「埼玉鴨場の設置について」を解説いただきます。ぜひ、お申込みください。
神明貝塚から発掘された装身具などが市の文化財に指定されました!!
8月18日に開催されました8月定例教育委員会で神明貝塚から発掘された貝輪(かいわ)や耳飾(みみかざり)、そして土偶(どぐう)が文化財に指定されました。
この3点は、平成28年の夏に行われた発掘調査で発見された5号墓に葬られた女性の縄文人が身にまとっていた装身具や副葬品の土偶です。
”貝輪”は外洋に生息する「タマキガイ」が用いられ、右手首にまかれたブレスレッドです。およそ全体の1/2が残ります。
”耳飾”はなんとサメの椎骨(ついこつ=背骨)が用いられ、側面には赤色のベンガラがみられます。椎骨の直径(25ミリ)からは体長3.5m以上、胸付近に相当する部位と推定され、ピアスのように耳たぶに穴をあけてはさみ込んだ装身具です。
”土偶”は粘土で作られた素朴なもので、短い手足と顔には粘土粒によってユーモラスな表情につくられています。右はイラスト化したもので、「ぐうすけ」と名付けられています。
このように装身具を身にまとった縄文人の発掘例は国内でも非常に少なく、3800年前の縄文人の文化や風習をわたしたちに教えてくれます。また、内陸奥地に築かれた神明貝塚まで外洋に生息する生物が持ち込まれていることから、縄文人の往来や交流もうかがうことができます。
この指定により、市内の文化財は68件となりました。
本日より、郷土資料館の常設展示で公開しています!!
#大人も子どもも 「明治天皇と春日部」展
9月4日(日)まで絶賛開催中の「明治天皇と春日部」展。内容は大人向け(歴史好きな人向け?)かもしれませんが、子どもでも楽しめる仕掛けを用意しています。今日はそんな一面をご紹介。 #かすかべプラスワン
まずは、以前にも紹介した「まとめすごろく」。白黒印刷の双六を配布していましたが、わりと好評で、カラー刷りの要望も出てくるほど。学校の先生方に教材としても利用していただきたいくらいです。現在は、ちょっぴり無理をして、カラー刷りですごろくを配っています。
さて、すごろくだから、サイコロがほしい、というご要望もあったので、サイコロを用意してみました。担当者としては正直どうかな~と思っていましたが、早速、小学校のご兄弟が夢中になって遊んでくれていました。嬉しいので、写真を撮らせていただきました。
結構、白熱していました。「まとめすごろく」は、すごろくで展示の内容を総ざらいできる忙しい人向けの仕掛けです。お子様も「近代の皇室と地域の歴史」がわかるかも・・・しれません。
話題はもう一つ。当館の人気コーナーの一つ、体験コーナー。体験コーナーでは、昔のおもちゃで遊んだり、昔の道具を体験できます(もちろん感染症対策は万全です)。実は「明治天皇と春日部」展にあわせて、新たなおもちゃを用意しています。その名も「クロックノール」。
宮内庁が編さんした『昭和天皇実録』の中に、昭和天皇が幼少時代に「クロックノール」という遊びをされていたことが記されているそうですが、詳しいことは不明とのこと。巷では「クロックノール」は謎の遊びといわれています。
このたび春日部市郷土資料館では、「明治天皇と春日部」展に合わせて、「クロックノール」という遊びを再現してみました。色々な説はあるようですが、一説には「クロキノール」と呼ばれる、おはじきとカーリングを合わせた対戦型ボードゲームと解釈されています。そこで、明治36年の文献「クロック術」をもとに、これを作ってみました。すべて職員の手作りです。
これも「遊ぶ子はいるかな~」と思っていましたが、先日、兄妹で仲良く「クロックノール」してくれていました。「わいわい」「きゃーきゃー」言いながら楽しそうでした。おはじきのような遊びは今の世代の子どもたちにとって、かえって新鮮なのかもしれません。
昭和天皇も遊ばれた「クロックノール」(かもしれないおもちゃ)で、遊んでみてはいかがでしょうか。
企画展示「明治天皇と春日部」は9月4日(日)までです。
【草加市立歴史民俗資料館】連携展示「明治天皇草加行在所」
久喜、幸手、杉戸、越谷に引き続き、宮内庁との共催展「明治天皇と春日部」の連携展示の紹介。5回目は草加市立歴史民俗資料館です。 #かすかべプラスワン
「春日部の話じゃないじゃないか!」とお叱りを受けそうですが、春日部市内の歴史だけを切り取っても理解は深まりません。視野を広くもって春日部の歴史も考える必要があります。歴史は地域をつなぐ。そんな思いから、連携展示「埼玉県東部と近代の皇室」は企画されました。
さて、草加市立歴史民俗資料館さんにご協力いただき、今回、草加市でも連携展示を開催しています。
草加には明治天皇の巡幸のときに、草加の大川弥惣右衛門宅が行在所(あんざいしょ)となりました。このことについて、常設展示に明治天皇の巡幸に関わる宮内庁宮内公文書館所蔵の文書や図面をパネルにて展示していただきました。大川家の屋敷は、近年まで現存しており、図面等も残っていたことから、草加市立歴史民俗資料館では、屋敷の模型を常設展示しています。旧日光道中(陸羽街道)沿いのまちでは、唯一「聖跡」の往時の遺構を復元したもの。今回、御小休所、御昼食所の図面が見出されましたので、草加市さんのような模型が復元できるといいなぁと、羨ましく拝見しました。模型と資料をぜひ合わせてご覧いただければと思います。
され、草加市立歴史民俗資料館は、草加の町なかに所在する草加市立草加小学校の旧校舎(国登録有形文化財)を活用している博物館施設。草加市は旧足立郡に立地するため、行政等では埼玉県南部に区分されますが、博物館関係のまとまりでは「県東部」に区分され、埼玉県博物館連絡協議会などでは大変お世話になっています。ミュージアムスタンプラリーの参加館でもあります。
小学校の旧校舎という制約を受けながらも、企画展示をはじめ様々な事業を積極的に展開しており、草加の歴史文化発信の拠点となっています。近年は、東北諸藩の参勤交代の展示、マンモス団地「松原団地」の展示など、草加の歴史的な特徴を捉えた企画展示を立て続けに開催しています。江戸時代の日光道中の歴史、そして高度経済成長期を象徴する団地の歴史も、いずれも春日部にも共通する重要な点。いつも陰ながら、注目しています。
ロビーには松原団地の立体模型が展示されていました。職員さんの手作りだそうです。春日部的には、時間と手間と資料さえあれば、武里団地版をつくりたいなと思いました。本音は「どなたか、作ってください!」ですが。
現在は松尾芭蕉に関する企画展示「草加といふ宿」展を開催しています。
これも気合が入った企画展示。松尾芭蕉の著名な紀行文『奥の細道』の一節からとった「草加といふ宿」という展示名称もかっこいいです。館蔵の資料や各所から借用した芭蕉の句集などを一同に会して展示していました。キャプションも非常に丁寧に記述されており、見ごたえ抜群です。江戸深川を出た芭蕉の一泊目の地は春日部だったようですので、春日部のみなさんも必見の展示です。
連携展示も「草加といふ宿」展も9月4日まで。ぜひ、あわせて、ぜひご覧ください。
◆草加市立歴史民俗資料館「明治天皇草加行在所」
会期:7月20日(水)~9月4日(日)
開館時間:9時~16時30分
休館日:月曜日
住所:草加市住吉1-11-29
電話:048-922-0402
https://www.city.soka.saitama.jp/cont/s2105/030/010/010/PAGE000000000000028926.html
共催展「明治天皇と春日部」展、一部展示替をしました
9月4日(日)まで開催中の「明治天皇と春日部」展も、いよいよ折り返しです。8月9日(火)から一部展示替。後期展示が始まりました。 #かすかべプラスワン
大げさな表現ですが、展示替したのは一点のみ。明治天皇巡幸の錦絵です。明治9年に明治天皇が利根川での鯉猟をご覧になった模様を描く「奥羽御巡幸図会 利根川鯉猟天覧」を、明治9年に明治天皇が蒲生村(現越谷市)で田植えをご覧になった模様を描く「奥羽御巡幸図会 埼玉県田植展覧之図」に展示替えしました。いずれも埼玉県立歴史と民俗の博物館さんからお借りしているものですが、資料保存の観点から、展示期間は1か月との約束があり、このたび展示替えとなりました。
「奥羽御巡幸図会 埼玉県田植展覧之図」は、明治天皇が、蒲生村で馬車をとめ、たすき掛けする農夫の田植えをご覧になったもの。描かれているのは蒲生村ですが、記録によれば、大場村・大枝村(現春日部市)・大泊村(現越谷市)でも同じ光景がみられたとか。馬車は停まらなかったのですが。また、県の行政文書によれば、直前まで大場・大枝での田植えの天覧が計画されていたようです。大場・大枝のあたりでは富士山も一望できてとてもよい景色がみられたといいます。
そういうわけでは、後期展示に登場した「奥羽御巡幸図会 埼玉県田植展覧之図」は、春日部ゆかりの資料とも読み替えられそう。最終日まで展示していますので、ぜひご覧ください。