ほごログ
郷土資料館体験ワークショップを開催しました
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。
電気を使わず再生する蓄音機の、やわらかく温かみのある音を楽しみ、自分で作ったおもちゃで嬉しそうに遊んでいました。
郷土資料館の体験ワークショップは、平成30年度にも開催する予定です。申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。どうぞ、お気軽にご参加ください。
3月28日(水)埼玉県指定有形文化財「板石塔婆」が公開されます
大王寺別院(だいおうじべついん) の板石塔婆は、年号は刻まれていませんが、南北朝時代(1336年~1392年)に製作されたのものと推定されます。表面には、大日如来(だいにちにょらい)や倶利伽羅不動(くりからふどう)などが刻まれています。これらは「弘法大師が爪で掻(か)いた」との伝承があり、「爪掻き不動(つめかきふどう)」とも呼ばれています。
開催日時:平成30年3月28日 (水曜日) 午後2時~午後4時(雨天決行)
・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)春日部駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル・はやま工業団地」行きで約30分、大凧公園入口で下車、徒歩約12分
・東武伊勢崎線(スカイツリーライン)東武動物公園駅東口から朝日自動車バス「関宿中央ターミナル」行きで約23分、塚崎入口で下車、徒歩約5分
*バス時刻などのお問い合わせは、朝日自動車 株式会社 境営業所(電話:0280-87-0780)
坊荒句遺跡出土の板碑『新編図録春日部の歴史』からのご紹介42
平成4年9月に内牧公園の造成に先立って、公園予定地内の坊荒句(ぼうあらく)遺跡で発掘調査が行われました。調査では、縄文時代の住居跡や貝塚とともに、中世から近世までの墓のあとが44基も発見されました。
11号土壙(どこう)からは、板碑(いたび)7基が墓に対してふたをするように折り重なる状態で発掘され、これらの板碑の下からは青年男子の頭蓋骨が見出されました。遺体を板碑で覆っていたものと想定されます。
板碑に刻まれた年代は、延文2年(1357)、貞治7年(1368)、応安7年(1370)、康暦2年(1380)、応永16年、25年(1409、1418)、永享9年(1437)です。
板碑は明らかに二次的に利用されているので、これらの年代以降に内牧周辺で活動していた人物が葬られた墓と考えられます。
『坊荒句北(1,2次).坊荒句.立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1996年
「中世の石造物」『新編 図録 春日部の歴史』68ページ
古文書解読勉強会の成果(その4)
今回も、郷土資料館所蔵の神間村文書を読みました。
前回までの成果は、上の「郷土資料館からのお知らせ」のリンクをご覧ください。
次回は、4月14日(土)10時~12時(場所:視聴覚センター4F研修室3)を予定しております。みなさま奮ってご参加ください。
【史料番号37】
入置申一札之事
私親九平代より数拾年已来厚思召ニ預り、
彼地江住居罷在候処、此度酒狂之上
用意不成義申出し、心得違之兼々
被仰聞一言之申訳ケ無御坐候ニ付、当村へ
御先達様江相歎き御詫仕候処、早速
御勘弁被成下難有仕合ニ奉存候、然ル上は
向後右様之義無之様相慎、已来不埒
之義仕出し候節は何時成共我等引請、
貴殿江御苦労相掛ケ申間敷候、為後日詫書
入置申処、仍而如件
神間村
安政三年 当人
辰十二月 作左衛門㊞(墨抹消)
古布内村
引請人
金左衛門㊞(墨抹消)
神間村
立入人
弥右衛門㊞(墨抹消)
〔(切取抹消)〕
同村
源兵衛殿
(ひとことメモ)
本史料は、神間村の作左衛門が酒に酔って迷惑をかけてしまい、源兵衛に謝罪した詫び証文。もともとの署名者は4名だったとみられ、奥の1名は切り取りで抹消されている。ほかの3名の印判も墨により消されており、文書の効力を反故にしたことがわかる。古布内村は、現在の千葉県野田市古布内。
大凧会館の被災『新編図録春日部の歴史』からのご紹介41
大凧あげ祭りであげられる縦15m、横11mの実物大の大凧4張をはじめ、日本のみならず世界各地の凧や郷土資料などを展示していた施設です。
しかしながら、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災により被災し、1~4階まで吹き抜けの展示室に設置されていた大凧や他の展示品が破損しました。
建物本体にも大きな被害があったことから、平成26年、大凧会館は解体され、跡地は大凧公園として利用されています。
(大凧公園は現在整備工事中で、3月下旬からの一般開放を予定しています。)
「春日部市の景観1」『新編 図録 春日部の歴史』294ページ
◆東日本大震災で被災した展示室の様子