ほごログ(文化財課ブログ)

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南桜井小学校伝統芸能クラブの獅子舞練習

6月20日、南桜井小学校「伝統芸能クラブ」の4~6年生(計15名)が、西金野井獅子舞保存会の会長さんらの指導のもと、獅子舞の練習を行いました。伝統芸能クラブの活動は、今年度で8年目を迎えます。
5月に取材した時には、笛の音は弱々しく、バラバラな印象を受けましたが、練習の積み重ねによって笛の音は大きくなり、染谷会長の笛の音色と一つになっていました。また、舞の練習では、足腰の動きの細かい指導があり、7月22日(日)西金野井香取神社で行われる祭礼に向けて一段と練習が進んでいます。西金野井の獅子舞は、県の無形民俗文化財に指定されています。子供たちの練習の成果もお披露目されますので、ぜひ一春日部市の伝統芸能をご覧になってみてください。



     ~大きな笛の音が教室に響きました~


   ~保存会の方の説明を真剣に聴いていました~

当日は、クラブ活動終了後に「市長とわがまち未来トーク」の懇談も行われました。生徒の皆さんは緊張した様子で、市長からの質問に答え、自分が描く春日部と将来の夢を話してくれました。

「やったり踊り」公開に向けて練習に取り組んでいます!

 来月の7月14日(土)には、埼玉県から指定されています、無形民俗文化財の「やったり踊り」が武里駅からほど近い、大畑香取神社で午後8時から公開されます。
 6月17日(日)には小学生1年生から中学生の30名の小若が祭礼当日に舞う『練りこみ(ねりこみ)』、『扇子踊り』、『手踊り』の3曲の練習に取り組みました。本日で5回目の練習ということもあり、上級生は下級生を引っ張り、元気良い掛け声が練習会場の集会所に響きわたりました。低学年の子供たちは踊りの所作の難しさはあるものの、地域の上級生や指導者である若衆と触れ合う貴重な機会にもなっており、何度も繰り返す練習にも真剣に向き合う様は見学されていたお父さんやお母さんにとっても嬉しい光景にもなっていました(教育委員会の担当にとってもまさに感動!!)。

今年も郷土の伝統の舞が、こうした練習の積み重ねによって確実に伝承されておりますので、ぜひ、1年に一度の祭礼の機会に郷土の伝統芸能をご堪能してみてください。
扇子踊り
 ▲上半身を後ろへ反らし「ヤッタリナー」の掛け声が特徴的な「扇子踊り」。
手踊り
 ▲哀愁的な唱と囃子による「手踊り」。埼玉県でも数少ない『念仏踊り』の一つに位置づけられています。


宝珠花大凧宣伝のチラシ『新編図録春日部の歴史』からのご紹介50

今年の宝珠花の大凧上げは、天候不良のために5月3日は残念ながら中止となりましたが、5月5日には下若組の「平成」、上若組の「感謝」がともに大空に舞い上がりました。

今回ご紹介するのは、大正15年(1926)から昭和8年(1933)ごろに配られた大凧を宣伝するチラシです。
まず目を引くのは一番右に書いてある実施日が「6月5日、6日」になっています。現在と違い、昭和29年(1954)以前は旧暦5月5日の「旧端午の節句(きゅうたんごのせっく)」に近い、6月に凧上げが行われていました。ちなみに平成30年の「旧端午の節句」は、6月18日です。

チラシでは他に、凧の大きさや会場までの鉄道や乗合自動車の運賃なども記されています。
凧の大きさは、『世界無比』といったタイトルがつけられ、長さ8間(約14.4m)、幅6間半(約11.7m)、重量200貫(約750㎏)で、現在の大きさとほぼ変わりません。
また交通運賃は、浅草雷門から粕壁駅(現春日部駅)までの鉄道運賃が1円20銭、粕壁駅から宝珠花までの乗合自動車運賃が30銭、往復で50銭と、往復利用で割安となっていたようです。

大正15年には、このようなチラシ10,000枚とポスター500枚を用意し、東京市(現東京都)、千葉県、茨城県、栃木県などへ2班の自動車隊を編成し、配布したという記録が残っています。


『埼玉県の大凧揚げ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧揚げ』1993 庄和町教育委員会
『埼玉県の大凧揚げ習俗写真・資料集ー庄和町西宝珠花の大凧揚げ』1994 庄和町教育委員会
「祭礼と芸能」『新編 図録 春日部の歴史』114ページ

宝珠花大凧上げのチラシ

興奮・ヤッター! (7月8日まで)春日部市郷土資料館の企画展示

本日、文化財マップ講座(宝珠花編)(主催:かすかべ案内人の会)があり、講座の途中に現在開催中の企画展示の資料解説が行われました。
受講者のみなさんで展示室がごった返しました。

写真:展示室の様子1

写真:展示室の様子2

講師の学芸員により、展示資料のうち、西宝珠花にゆかりのあるものについて説明がありました。西宝珠花関係では「西宝珠花の回漕店の半てん」や県内でも珍しい江戸川に架かる船橋「宝橋」の関係資料が陳列しています。
受講者のみなさん、現物を目の前にして真剣に解説を聞いていらっしゃいました。

そんな「近代の交通・流通」展、会期は7月8日(日)まで。同展では、近代に登場した鉄道をはじめ、舟運や陸運の歴史について紹介しています。
7月7日(土)には解説講座「春日部の舟運」も開催します(詳細は広報誌で)。
こちらもあわせて、お見逃しなく。

塚崎遺跡のカマド『新編図録春日部の歴史』からのご紹介49

春日部市の北東部、塚崎地区にある塚崎遺跡は、古墳時代後期から奈良時代(今から1500~1200年前ころ)にかけてのムラが発掘されています。
この時代の住まいである竪穴住居には、”カマド”と呼ばれる、調理を行う施設が設けられています。カマドは、住居の壁に接した部分に粘土などをドーム状に押し固め、火を焚く部分を作り、ドームの天井部分に調理器具である甕(かめ)を設置する穴があけられます。
カマドをもつ住居跡の発掘調査では、甕を設置する天井部分を左右から支える袖(そで)という部分がよく残っている場合があります。

平成19年度の調査では、現在の茨城県などを中心に製作、使用された常陸型甕(ひたちがたかめ)を袖を支える芯材(しんざい)として使用したカマドが発見されました。
市内では、宝珠花地区をはじめとした市の東部に所在する遺跡で常陸型甕が比較的多く用いられていたようで、当時の人々が、茨城県方面の人々と交流をもっていたことがわかります。
さらに、塚崎遺跡で発見されたカマドの芯材に常陸型甕を使用している事例は、住居施設の資材として使われるほど、常陸型甕が日常にとけこんでいたことを示すものです。

「古墳時代の生活と文化」『新編 図録 春日部の歴史』30ページ

塚崎遺跡のカマド
塚崎遺跡で発見されたカマド
袖の粘土を除去すると、常陸型甕が左右2個体ずつ口を下に設置されていた

カマドから発見された常陸型甕
カマドから発見された常陸型甕
袖に使われた4個体の他に、調理に使われたと思われるものが1個体発見された