ほごログ(文化財課ブログ)

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【ロビーに展示中】手押し消防ポンプについて調べてみた

郷土資料館の展示室は狭いので、大型資料は展示できないので、教育センターのロビー展示しています。今回は、ロビー展示の、手押し消防ポンプ(腕用ポンプ・腕用喞筒)にスポットを当ててみましょう。 #かすかべプラスワン

写真:腕用ポンプ

この手押し消防ポンプは、粕壁地区の内出町内会から平成3年(1991)6月に寄託されたものです。

手押しの消防ポンプは、ガソリンなどを動力とする内燃機関が普及する以前のもので、明治時代後半から大正時代にかけて、各地方で主流となった消防ポンプでした。当時の言葉では「腕用喞筒」(わんようそくとう)と呼ばれていました。「腕用」は手動、「喞筒」はポンプの意味です。少しシャレた言い方では「腕用ポンプ」とか「ハンドポンプ」とも。以下、当日の言い方にならって「腕用ポンプ」と呼びたいと思います。

「腕用ポンプ」が台頭する以前、日本ではの放水器具は「龍吐水」(りゅうどすい)とよばれた複数人で動かす手押し式のポンプや、一人で使う水鉄砲型のポンプでした。「龍吐水」については、辰年ゆかりの資料として前に紹介しています。いずれも木製で、給水を水桶で行い、水圧が低かったため、放水量が少なかったとされています。当時の消火方法は、建物を破壊して延焼を防ぐ破壊消防が主流でした。江戸の火消たちが纏や梯子をつかったのも破壊消防のため。火消たちは鳶口や水桶などをもって火災現場に駆け付け、「龍吐水」は火事装束を湿らす程度だったといわれています。郷土資料館には、粕壁地区の内出町で使われた「龍吐水」や「纏」を常設展で展示しています。粕壁宿(町)でも、江戸時代から明治時代半ばにかけて、破壊消防による消火活動が行われていたことがうかがえます。

明治時代の初め、西洋式の腕用ポンプが本格的に輸入されると、国内でも金属製の腕用ポンプの製造がはじまりました。これまでの木製の龍吐水(在来の腕用ポンプ)は、水を桶で汲み、本体に入れなければなりませんでしたが、西洋式の腕用ポンプは、給水用のホースが備えられ、空気の圧力で、放水と給水を同時に行え、また、空気圧により安定した放水を可能としました。

市内に遺される腕用ポンプは、明治時代後半から大正時代にかけて製造されたもので、その時代に、春日部で腕用ポンプが普及していったようです。腕用ポンプの普及により、破壊消防による自然消火から放水による積極的な消火へと、消防のあり方が変わっていきました。

ロビーの腕用ポンプには、次のような銘板が付されています。

写真:銘板

「製作所 東京神田通新石町 清水弥七」と刻まれています。清水弥七は、内出町で使用されていた明治17年の龍吐水の焼印にもあった名です。龍吐水に続き、腕用ポンプも内出町に販売していたようです。市内に遺される腕用ポンプは、いずれも「清水弥七」の製造のようですが、清水については今のところ詳しくは不明です(宿題とさせてください)。

台車にのるものがポンプです。

写真:側面

ポンプの側面には「内出町自警団」と記されています。

ポンプの四角い風呂桶のようなものは「水槽」(すいそう)というそうです。水槽のなかの複雑な機械がポンプの主要部分にあたります。真ん中にみえるのが、「空気室」(圧力タンク)です。その両側には「円筒」(シリンダー)があり、上の「搖桿」(ようかん・レバー)を上下することで、圧力がかかり、水を吸い上げるとともに、放水します。

水槽の側面の「警」の字の下には吸口(きゅうこう・吸水口)があり、これに「吸管」(きゅうかん)と呼ばれる給水ホースを取り付け、水源から給水します。

写真:放水口

水槽の反対面にも「内出町自警団」とありますが、「警」の字の下のノズルが「放口」(ほうこう・放水口)になります。これに「水管」と呼ばれたホースをつけて、消火対象に放水するのです。

通常、腕用ポンプは、通常3名の消防員と、6~8名の「搖桿手」(ようかんしゅ、レバーを操作する人)が一組になり運用されました。使用にあたっては、台車からポンプ本体をおろし、給水ホース・放水ホースをつけ、「搖桿」(ようかん・レバー)の両先端に「木挺」(もくてい・レバーの持ち手)を1本ずつつけて、3~4名ずつ「木挺」を握り上下することで、圧力がかかり、ポンプが稼働します。

さて、「水槽」の後方には次のような文字がみえます。

写真:水槽の後方

「昭和十一年十一月塗替」昭和11年(1936)11月に、塗装をし直し、現在の外装になったようです。残念ながら、もともとの外装や、おそらく書かれていたであろう製造年月日は塗替えのため不明です。

ただ、なぜ昭和11年に塗り替えがされたのでしょうか。調べてみると、内出町のあった粕壁地区(粕壁町)の消防の歴史が、その背景にあるようです。

『消防発達史 第1編 埼玉県』によれば、粕壁町では、かつて町内を10部に分け、腕用ポンプを10台配備していましたが、大正13年(1924)10月24日、町営の消防組を設け、町内を4部編制としました。編制替えがされた背景は、おそらく、直前の関東大震災で県下三大被災地とされた粕壁町の事情があるかもしれません。4部編成の内訳は次の通りです。第一部は、上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山。第二部は、仲町の一部、富士見町、元町、新宿組、三枚橋、新々田、松の木、大砂、大下。第三部は川久保、元新宿、大池、内谷、太田。第四部は内出の一部、八幡前、八木崎、幸町、浜川戸。

すなわち、内出町は、第一部(もしくは第四部)に編成されました。4部編成を前後して、大正12年(1923)3月30日、第一部となる町内会では、ガソリンポンプを購入し、同14年(1925)4月2日には第二部でもガソリンポンプが購入されました。

ガソリンポンプは、その名の通り、ガソリンエンジンを搭載した消防ポンプで、当時の消火用具としては最新鋭のものでした。関東大震災が発生した大正12年9月1日にも、粕壁町では新町橋でガソリンポンプの運転が行われ、粕壁小の子どもたちをはじめ、多くの野次馬が見物をしています。ガソリンポンプの導入によって、手動で動かす腕用ポンプは、追いやられていったようです。また、かつて10部編制の消防組が4部編制となり、腕用ポンプがおのずと余分になっていったようです。そこで、町内会では、町内9か所に自警団を組織し、腕用ポンプを備え、自衛消防に備えるようになりました。

このように、大正時代には、粕壁町では、町営の消防組の組織や、町費で鉄塔の火の見櫓の建設など、町の消防設備・組織が整えられていく時代だったようです。町営の消防組で、消防用具の主力から追いやられた腕用ポンプは、町内会で組織した自警団により、再活用され、継承されていったものと考えられます。

ロビーにある「内出町自警団」の腕用ポンプは、このとき追いやられたものなのかもしれませんが、塗装されているため詳しくは不明です。しかし、いずれにしても、この腕用ポンプの存在は、内出町の自衛消防組織が、昭和時代になっても機能していたことを示すものといえましょう。

これまで、気の利いた説明キャプションもなく、ロビーにたたずんでいた腕用ポンプ。重量物で見栄えもしないので、文字通り「お荷物」だと思っていました。ところが、今回調べてみると、消防の歴史や、地域を自らの手で守り、継承していく町や町内会の歴史を物語る、大変重要な資料であることが(いまさら、恥ずかしながら)わかりました。

詳しいキャプションを付け、生き返らせたいと思いますので、ぜひ実物の腕用ポンプをみてやってください。

主な参考文献 横浜開港資料館編『横浜の大火と消防の近代史』(2019年)/消防発達史刊行協会編『消防発達史 第1編 埼玉県』(1933~1935年)/静岡県警察部保安課編『消防全書』(1926年)/嶋村宗正ほか「手押し式消防ポンプの構造と放水性能」『千葉科学大学紀要』6、2013年

2月25日に凧作り教室を開催します

昨年度開催し好評だった「凧作り教室」を2月25日(日)に開催します。

今回も、講師に春日部市「庄和大凧保存会」の方をお招きし、本格的な和凧を作ります。

  凧作り教室ー骨をつける
凧作り教室(紙に骨をつける)

 

日程:令和6年2月25日(日曜日)午前10時~正午
講師:春日部市「庄和大凧文化保存会」の講師
募集人数:小学生 30人(申し込み順、保護者同伴、参加可)
材料費:一人500円
申し込み
郷土資料館に直接、電話(電話:763-2455)、春日部市電子申請で申し込み

凧作り教室電子申請入口(別ウインドウで開く)

 

申し込み後、下記の期間内に郷土資料館にご来館いただき、材料費(500円)をお支払いの上、凧紙をお受け取りください。

凧紙配付期間:令和6年1月10日(水曜日)~2月24日(土曜日)

(月曜日・祝日を除く午前8時30分から午後5時15分)

講座当日までに好きな絵や文字を書いてきてください。講座会場では、骨組みと糸付けを行います。 

完成した凧

完成した凧(郷土資料館に展示しています)

【手作りおもちゃクラブ】からくり屏風を作ろう!

1月21日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。

今年度最後の手作りおもちゃクラブです!お見逃しなく!

 

今回作るおもちゃは「からくり屏風」です。

“なにそれ?”と思う方も多いはず。

からくり屏風は2枚の板と紙を組み合わせて作る不思議なおもちゃなんです。

 

からくり屏風

こちらはパンダの絵柄。

この面をたたんで、開くと・・・

からくり屏風 回転①

からくり屏風 回転②

からくり屏風 回転③

からくり屏風 回転⑤

からくり屏風 ネコ

ネコの絵柄になりました!

さらに、たたんで開くと・・・

からくり屏風 ペンギン

からくり屏風 羊

さらにペンギン、ヒツジと2枚の板から合計4枚の絵柄が出現します!

そんな不思議なからくりおもちゃ、みんなで一緒に作ってみましょう♪

 

本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【手作りおもちゃクラブ】

日時:令和6年1月21日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機と紙芝居の上演

   おもちゃづくり(からくり屏風)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

 

謹賀新年 #辰年 ゆかりの資料

本年も春日部市郷土資料館、そして「ほごログ」をよろしくお願いいたします。 #かすかべプラスワン #辰年

新年一発目は、一昨年の寅昨年の卯に引き続き、今年の干支にちなんで、展示室から #龍 に関するおめでたい資料を紹介します。

辰(龍、竜、ドラゴン)に関する資料あるかなぁと悩んでいたところ、灯台下暗し。常設展示にありました。「竜吐水」(りゅうどすい)です。

 写真:竜吐水

「竜吐水」とは、手押しの消防用ポンプ。放水する様子が竜が水を吐き出しているようなので、そのように呼ばれたとか。水鉄砲から発展した小型の手押しポンプを竜吐水と称する場合もあるようですが、小型のポンプよりも、水の勢いがよく、15mほど放水が可能だそうです。木製の手押しポンプは、明和元年(1764)、幕府より江戸の町火消組に下げ渡されて以後、江戸で普及していったといわれます。

常設展示の「竜吐水」には、いくつか銘があり、様々な情報が読み取れます。

まず、本体の水をためる部分には、「打出」「う組」と文字があしらわれています。

写真:本体正面

この資料は、粕壁地区の内出町会から寄託されているものですので、内出(町)の消防自衛組織を「う組」と呼んでいたものとみられます。

本体の側面には、次のようにあります。

写真:本体側面

「明治十七年七月」と大きく刻まれています。また写真右手には「テレキスイ」、写真では切れていますが左手には「請合」「本家 東京神田筋違通新石町 細工人清水弥七」の焼印がみえます。

この竜吐水は「テレキスイ」と呼ばれ、明治17年(1884)7月に、東京神田新石町の清水弥七の手によって製造されたことがわかります。「テレキスイ」は「手力水(てりきすい)」から転じて名付けられたといわれます。清水弥七は、神田新石町20番地で消防ポンプの製造・販売する職人だったようで、明治時代後半に普及していく、鉄製の腕用ポンプ(手押しの消防ポンプ車)の製造・販売にも携わっています。教育センターのロビーに展示している腕用喞筒(わんようそくとう)にも「清水弥七」製造の銘盤が付されています。喞筒(そくとう)とは、ポンプのことです。

市内に残されている消防用具をみると、おおよそ明治時代後半から大正時代初めを境に、鉄製の腕用喞筒に替わっていったことがわかります。このころ、各町村では消防組織を再編し、町村の予算で腕用ポンプ購入しているようで、粕壁町では、町内を十部に分けて自衛の消防組を組織していましたが、大正13年10月24日に町営消防の四部編制になり、各部でガソリンで駆動する消防喞筒を備えます。内出町が属した第一部(上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山)では、大正12年(1923)3月30日に「ガソリン喞筒(森田式)一台」を3200円で購入しています(『消防発達史 第1編 埼玉県』、昭和8年~10年刊)。

上に紹介した内出町の龍吐水(テレキスイ)が、どれだけ活躍したのかは詳しく知ることができませんが、ガソリンポンプが購入される大正12年(1923)までのわずか40年ほどの間しか、消防道具の主役として活躍されなかったのかもしれません。

この龍吐水の背景をみると、粕壁町=行政主体で消防を行う以前、つまり、地域主体で自分たちの地域を守るため、備えられた道具といえそうです。今日も、防災は自助、共助、公助の3つが連携しあうことで、災害を予防・軽減できるといわれています。龍吐水は、内出町の共助の歴史の証(あかし)ともなる資料といえましょう。

皆さまにとりましても、龍が勢いよく水を吐くように、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。令和6年卯年 元旦

年末年始のお休み・年明けの開館日

郷土資料館は、12月29日~1月3日まで年末年始の休館日となります。

Kasukabe History Museum will be closed from December 29th to January 3rd.

新年は、1月4日から開館いたします。

Open from January 4th.

本年も「ほごログ」をご覧いただき、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 画像:うめわかくんとだるま