学校の様子

2023年8月の記事一覧

おおぐろの森中学校のむかしをめぐる

みなさんの中には、この掲示物を見たことがある人がいると思います。

これは東棟2Fにある遺跡コーナーで、おおぐろの森中学校の敷地にどのような遺跡があった場所なのか、よくわかるものになっています。

この地域には、かつて石器時代(20000年前)~縄文、弥生、古墳~中世~近世~明治にいたるまで、多くの人々が息づいていた土地のようです。

掲示物を見ながら、遺跡が出てきた場所は、おおぐろの森中学校の校舎のどんな場所になってるのか少し気になりました。

すべてとはいきませんが、その遺跡があった場所をめぐり、みなさんが生活する校舎のどこか見ていきたいと思います。

 

まず東棟です。左が多目的ホールです。この入口から見て右奥には、縄文時代の竪穴住居がありました。

またこの棟の廊下で、美術室前あたりには、弥生時代の住居があったようです。

それぞれ、縄文時代(4500~6000年前)では、狩猟採集で石器や貝塚があり、温暖化の時期で大畔の大地のそばにまで海が広がっていました。

弥生時代(1800年前)は稲作が始まり、鉄器が使われた時代でした。小さい”ムラ”ができ、それが戦い大きい”クニ”となっていきます。

次に左上の東棟から体育館に出た入口脇には、古墳時代の住居あとがあったようです。

古墳時代は、その名の通り古墳という大きな大王の墓が作られ始めました。

鉄器や土器も質が高まり、また大和政権という全国をまとめるような大きい勢力が安定しました。

戦いが少なくなったことにより、多くの人数を「大きいお墓作り」にさくことができるようになったそうです。

 

真ん中の中庭のバスケットコートの中央には、石器時代の跡がありました。

石器時代は今から20000年前ですね。小さいグループができ、石器を使い、獣を狩って食べたり、木の実を食べたりしていた時代です。

何万年前のここの空気、同じように吸っていた人がいる。とてもドキドキします。

 

右上は、職員室前の廊下です。古墳時代の住居跡がありました。

おおぐろの森小中学校の付近では、22棟の古墳時代の遺跡が見つかっています。

 

外に出ました。2年生の昇降口の角には、貝塚がありました。

テニスコートの真ん中の校舎側には縄文住居です。右のグラウンド奥には古墳時代住居が3つあったようです。

今からこの場所を定点観測のように切り取って巻き戻したら、そこに誰かが写って暮らしている様子が見られます。

どんな話をしていたのでしょうか。

 

校舎の裏側です。左の写真の西棟校舎の角あたりには明治時代の納屋があったそうです。

また真ん中の生物室裏から駐輪場に向かっては、石器時代の石器が出土したり、裏庭の入りには古墳住居がありました。右の写真の奥の角には縄文住居です。

 

ここまでめぐってきて、この大畔の地域で、20000年前から人が様々なムラで生活することができたのはなぜなのでしょう。そこで目に写ったのが下の写真の景色です。

 

みなさんにとって、当たり前に隣にあるものかもしれませんが、ここを支えたのは、この「大畔の森」があることだと思いました。

森には豊かな水、生き物がいること(7月27日の内容でもあります)、そして、ここには道具を作るための木や砂鉄などの資源が豊富にあると思います。

さらに、この地域には、その森が形成するのに十分な雨が降り、気候が穏やかということなんだと思います。

そこに人々が住み着いてきた、その延長上に自分たちがここで学び過ごしています。

だからこそ、「大畔の森」を大切にしていきたいですね。

そして100年~20000年前にこの空間に、自分たちではない人々が生活し、呼吸をしていたというのは確かです。

その人たちは、どんな会話をして、どんなことをしていたのか、どんな歩き方で、どんな場所に行き来していたのか。

少し大げさですが、その人たちにとって幸せってどんなことだったのか、みんなで生きていく上で必要なことは何だったのか。そんなことを考えながら、夏休みのうちに身近な場所からみなさんが訪れる場所まで、自分たちのルーツとなった人々とのつながり対話してみてください。

普段何気なく見ている場所が、また新しく見え、学びとなるかもしれませんね。