ほごログ
民俗芸能の秋季例祭ー銚子口の獅子舞ー
赤沼の獅子舞と同じ豊野地区、古利根川上流の銚子口地区におきましても長きにわたる伝統を誇る市指定文化財「銚子口の獅子舞」が継承されています。
現在の越谷市下間久里から赤沼へ獅子舞が伝わった亨保3年(1718)をさかのぼること21年前、元禄10年(1697)の17世紀末に伝授されました。この下間久里から市内に伝わった同系列の獅子舞として、銚子口、赤沼、東中野の3地区があり、三匹獅子の装束やお囃子、演舞について、それぞれ地域性がみられる特徴にあります。
広報かすかべ7月号でもご紹介したとおり、現在、銚子口獅子舞保存会、そして地区では若手舞手の育成に重点が置かれ、市内でも初めて女性舞手による三匹獅子が今夏の例祭で披露されました。
▲女性の舞手による迫力の演舞が今夏に披露されました
▲祭礼の締めでは五穀豊穣と家内安全を祈願した「弊かがりの舞」。幣束によるお祓いが受けられます
時代の流れ、社会状況の変化に伴う伝統芸能の後継者不足は、本市でも各地区での課題となっています。是非、例祭を現地で一人でも多くの方が現地でご覧いただき、郷土春日部の伝統の舞を応援いただきますよう、お願いいたします。
祭礼日時:10月20日(日)午後2時から
場所:銚子口香取神社(銚子口1361)
民俗芸能の秋季例祭ー赤沼の獅子舞ー
実りの秋、五穀豊穣に感謝をささげる秋季例祭が市内各所で行われます。
市の指定文化財「赤沼の獅子舞」を継承する赤沼民俗文化財保存会からは下記のような楽しく賑わいのある”チラシ”が届きましたので、併せてお知らせいたします。
日 時:10月20日(日)13時から
場 所:赤沼香取神社(赤沼770)
秋季の祭礼では、享保3年(1718)に越谷市下間久里から伝承された伝統の三匹獅子舞に加え、「稲荷(とうか)の舞」、「さかなつり」、「鬼退治」、「種まき」など、豊作を祈願、感謝を由縁とし、ユーモラスに満ちた神楽の奉納も見どころです。また、豊野小学校に通う児童による子ども獅子、そして女性3名が太夫獅子、中獅子、牝獅子の三匹獅子を担うという、後継者の継承では新たな取り組みの成果が披露されます。
穏やかで過ごしやすい秋の休日を郷土の伝統芸能の心地よい音色と伝統の舞をご覧になってはいかがでしょうか。
#ハルカイト 見学のススメ(1) #社会科見学 でご活用ください
今年8月にオープンした「ハルカイト」(大凧文化交流センター)。数回にわけて、展示の見どころを紹介します。 #かすかべプラスワン
まずは、何と言っても「大凧あげ」。毎年5月3日・5日に西宝珠花地区で行われる大凧あげは、もはや春日部の代名詞、一大観光イベントにもなっていますが、宝珠花の大凧揚げは、市指定無形民俗文化財、国選択の無形民俗文化財「関東の大凧揚げ習俗」の一つにもなっている、地域がはぐくんできた文化遺産でもあるのです。
2階の大凧文化展示室では、床面にはみ出さんばかりに貼られた、実寸大の大凧のシートをはじめ、大凧揚げの起源や歴史、大凧づくりの過程を模型や資料・パネルで紹介しています。
ところで、埼玉県内の小学校4年生の社会科学習では、県内の伝統・文化や特色のある地域を学ぶ単元が設けられています。春日部市の社会科副読本では川越の川越まつりや蔵造りのまちが教材として取り上げられていますが、県内の市町村では、「春日部の大凧あげ」がテーマや教材として取り上げられることもあるそうです。ハルカイトの大凧文化展示室は、その課題に応えられる、もっとも相応しい施設といえるのではないでしょうか。
市内には、巷で注目されている防災施設・首都圏外郭放水路(龍Q館)もありますので、防災学習で首都圏外郭放水路を見学したのち、県内の伝統・文化を学ぶため、ぜひハルカイトをご利用いただく、そんなルートでの社会科見学をぜひご計画ください。
そして、展示を見学するだけでなく、来館の思い出に写真も撮れます。
こちらは、担当の職員がひねりにひねって出したアイデア、トリックアートで体験する大凧揚げです。手元の縄は本物の縄を使用しており、とても臨場感のある仕上がりになっています。子どもだけでなく、大人の方もはしゃいで記念撮影をされ、好評のようです。
大凧あげは、毎年5月3日・5日の2日間限定のイベントなので、年間を通じて春日部の大凧あげの魅力を発信することは、なかなか厳しい状況にありました。しかし、ハルカイトがオープンしましたから、これでもう、年がら年中、大凧あげ。いつでもその魅力に接することができるようになりました。
子どもだけでなく、大人も楽しめる展示となっています。ぜひ、ふるってご来館ください。
9月の近隣博物館・資料館の考古学情報
9月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。
(展示会_閉会日順)
・10月28日(月曜日)まで 松伏町役場 都鳥が見た古代(パネル展)
・10月31日(木曜日)まで 神川町多目的交流施設(神川町)「鏃のうつりかわりinかみかわ」
・11月4日(月曜日・祝日)まで 松戸市立博物館「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」
・11月8日(金曜日)まで 立正大学博物館(熊谷市)令和6年度館務実習生 ミニ企画展「立正大学のDOGU-土偶ー」
・11月14日(木曜日)まで 国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館(東京都三鷹市)「野川中流域の旧石器時代―ホモサピエンス 氷期の暮らし」
・11月17日(日曜日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)巡回展「栃木の遺跡&発掘調査速報展」
・11月24日(日曜日)まで 埼玉県立嵐山史跡の博物館(嵐山町)ほか 比企歴史の丘巡回文化財展「比企の縄文時代ー縄文時代の道具」
・11月24日(日曜日)まで 群馬県立歴史博物館(群馬県高崎市) 第111回企画展「弥生人は二度死ぬー再葬墓ってなに?ー」
・10月12日(土曜日)から11月24日まで(日曜日) 行田市郷土博物館 第37回企画展「布をまとう―古代人の衣(ころも)―」
・11月24日(日曜日)まで 谷田部郷土資料館(茨城県つくば市) 巡回企画展「中根・金田台地区の遺跡」
・12月1日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市) 令和6年度 企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」
・12月1日(日曜日)まで 観音塚考古資料館(群馬県高崎市)令和6年度 第36回企画展「地方から見た律令国家成立前夜 - 群馬の7世紀史を考える -」
・12月1日(日曜日)まで 大田区立郷土博物館(東京都大田区)「矢を放て!~関東の弓矢、1万年~」
・10月16日(水曜日)から12月8日(日曜日)まで 東京国立博物館(東京都台東区)挂甲の武人国宝指定50周年記念
特別展「はにわ」
・12月22日(日曜日)まで 国立近代美術館(東京都千代田区)「ハニワと土偶の近代 」
・10月12日(土曜日)から12月22日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)「埴輪ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで」
・10月19日(土曜日)から12月15日(日曜日)まで 草加市歴史民俗資料館 秋季企画展 「古墳時代の草加地域」
(現地見学会)
・10月19日(土曜日)山野貝塚(千葉県袖ケ浦市)袖ケ浦市教育委員会
・11月16日(土曜日)真福寺貝塚(さいたま市岩槻区)さいたま市教育委員会
レファレンスがレファレンスを生む
春日部市内の様々なことについて、郷土資料館にお問い合わせいただくことがあります。これに的確にお応えするのも郷土資料館の一つの役割。いわゆるレファレンス(情報探し)です。 #かすかべプラスワン
先日、春日部市内の小学校・中学校・義務教育学校の校歌について調べている方から、調べ方などについてお問い合わせいただきました。昔のことだけでなく、今・現在のことも尋ねられられることもしばしばあります。今のことを理解するためには、歴史を紐解く必要があるわけですから。今と歴史はつながっていると実感させられます。
実は、校歌について調べていらっしゃる方は、庄和地区市民大学のグループの自由課題に取り組まれている方で、市内の校歌にどのようなことが歌われているのか、を調査されているそうです。校歌には、地域の名所・旧跡や自然的な景観が詠みこまれていますが、とくに「富士山」に着目して、市内の浅間信仰にも派生して、様々なことを調べていらっしゃるそうです。そうした観点から校歌を捉えてみるということ、非常に興味深く感じました。
さて、今回は、資料の利用について相談のためご来館いただきました。「学校の校歌ができたころ、かつて校舎から富士山がみえたに違いない。それを証明するために、学校の周りに建物が少ないころの写真を提供してほしい」とのご相談でした。
思い当たるものはいくつかあるのですが、さしあたり、次の写真を提供させていただきました。いずれも昭和45年(1970)に撮影されたものです。
ほごログの読者の方から、画像が小さいというご意見もいただいているので、今回はめいいっぱい大きな画像で掲載します。拡大してご覧いただくのはスマホをスワイプしてください。ちなみ、右クリックでダウンロードもできます(利用は個人で楽しむ範囲でお願いします)。
まずは、豊春小学校。写真の上に横断する道は現在の県道2号(かつての国道16号)です。
校舎はかつての木造校舎。道沿いに大きな池がみえます。古隅田川の旧流路沿いにあたるようです。これだけ大きな池なので名前もあることでしょう。ご存じの方がおられましたら教えてください。
次は、幸松小学校です。
こちらも、かつての木造校舎。円形の体育館は、今も幸松小のシンボルです。
もう一つの円形の体育館といえば、武里小学校。
こちらも、かつての木造校舎がみえます。
いずれも、周辺がまだ住宅地として開発される直前であることがわかります。
白黒ですが、もう少し俯瞰した写真をみれば、さらにその状況がよくわかります。
写真の中央が武里小学校。左上には武里中学校がみえます。注目されたいのは、小学校の東側(右側)の敷地。Dの字を逆さにしたような形で田んぼが広がっています。いまや戸建て住宅が立ち並ぶ備後西の住宅街となっていますが、それは、この写真の少し後のことのようです。
いずれも本邦初公開の写真です。とくにカラー写真は当時はまだ少なかったのでとても貴重な写真となります。
ご来館いただいた方に、これらの写真を提供したところ、大変喜んでいただきました。
校歌・富士山・富士浅間信仰の調査は、記録としてまとめられると聞いています。成果がまとまりましたら、まとめたものを郷土資料館にご提供いただけますと幸いです。なぜなら、次のレファレンスにつながるからです。
そうして、レファレンスは次のレファレンスに続いていくのです。私たち学芸員は、資料と資料、そして資料や歴史と人をつなぐ「コンシェルジュ」といったところでしょうか。またのご利用をお待ちしております。