よくあるレファレンス(先祖調べ)
先日、ご先祖調べの方が東京からお越しになり、ひいおじいさんにあたる方の出生地が春日部市内だったため、その番地を調べたいとレファレンスがありました。もちろん、図書館でも調べることは可能ですが、図書館には戦前の資料は乏しく、当時(明治時代)の資料(原本)がありませんので、なかなか調べるのに苦労するはずです。
しかし、郷土資料館には、古くは旧石器時代から、ごく最近の資料まで、春日部のありとあらゆる資料が集約されていますので、原資料を検討して様々なことを調べることができます。
さて、今回のご先祖調べは、戸籍謄本の写しから、明治34年(1910)生まれのひいおじいさんの出生地を特定したいとのこと。出生地は粕壁町474番地。
そこで、手っ取り早く、昭和8年(1933)刊『地番・地目・地積入 粕壁町地図 全』で該当の番地を探し、当時の字川久保、現在の緑町2丁目付近にその地番があることがわかりました。
しかし、問題は、明治34年生まれということ。粕壁町では昭和8年に耕地を整理し、地番や地積を付けなおしています。つまり、それ以前との地番と異なる場合があるのです。
当日は、資料出納が不能のため、お帰りいただき、後日、最近市民の方からご寄贈いただいた明治30年代の耕地図を確認してみました。すると、碁盤の目のように整然とした地割りの川久保地内は、明治期には全く異なり、地番も別の地点にあることがわかりました。
明治30年代の474番地は、現在の県立春日部女子高等学校の敷地の東側(現在の粕壁東6丁目)付近にあることが判明しました。かつ、地割りはかつて古利根川の堤防や道沿いに短冊状に分布しています。近世の新田開発された土地であったことがうかがえます。また、土地の整理にあたって、曲線状の道は付け替えられ、四角い土地割りにされ、女子高校舎の南側の敷地は字井戸棚居に編入されることになった模様です。現在にも遺る昔の道もありますが、昭和5年には粕壁高等女学校(現春日部女子高)の校舎が竣工されていますので、周りの風景も段々と変わっていったものと思われます。
と、このように、収蔵資料を活用すれば、まだまだ知らない、わからない、忘れられた春日部の昔のことがわかるのです。収蔵資料を生かすも殺すも学芸員次第。郷土資料館には秘められた力が眠っているのです(郷土資料館のポテンシャル)。
春日部の昔のこと、春日部にゆかりのある人物やご先祖をお調べいただくときには、ぜひ春日部市郷土資料館をご活用ください。ただし、当日ふらっといらして、「明治時代の地図を見せてほしい!」「先祖が春日部の地で何をしていたのか調べてほしい!」というのは、資料の準備・出納・資料閲覧場所の確保等を要するため、困ります。
事前にご連絡をいただけますと幸いです。もちろん、資料がなければ、わらかないこともありますので、悪しからず。