ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

【手作りおもちゃクラブ】からくり屏風を作ろう!

1月21日(日)に“手作りおもちゃクラブ”を開催します。

今年度最後の手作りおもちゃクラブです!お見逃しなく!

 

今回作るおもちゃは「からくり屏風」です。

“なにそれ?”と思う方も多いはず。

からくり屏風は2枚の板と紙を組み合わせて作る不思議なおもちゃなんです。

 

からくり屏風

こちらはパンダの絵柄。

この面をたたんで、開くと・・・

からくり屏風 回転①

からくり屏風 回転②

からくり屏風 回転③

からくり屏風 回転⑤

からくり屏風 ネコ

ネコの絵柄になりました!

さらに、たたんで開くと・・・

からくり屏風 ペンギン

からくり屏風 羊

さらにペンギン、ヒツジと2枚の板から合計4枚の絵柄が出現します!

そんな不思議なからくりおもちゃ、みんなで一緒に作ってみましょう♪

 

本講座はお申し込み不要、おもちゃの材料は資料館で用意しています。

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【手作りおもちゃクラブ】

日時:令和6年1月21日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機と紙芝居の上演

   おもちゃづくり(からくり屏風)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館にお越しください)

 

謹賀新年 #辰年 ゆかりの資料

本年も春日部市郷土資料館、そして「ほごログ」をよろしくお願いいたします。 #かすかべプラスワン #辰年

新年一発目は、一昨年の寅昨年の卯に引き続き、今年の干支にちなんで、展示室から #龍 に関するおめでたい資料を紹介します。

辰(龍、竜、ドラゴン)に関する資料あるかなぁと悩んでいたところ、灯台下暗し。常設展示にありました。「竜吐水」(りゅうどすい)です。

 写真:竜吐水

「竜吐水」とは、手押しの消防用ポンプ。放水する様子が竜が水を吐き出しているようなので、そのように呼ばれたとか。水鉄砲から発展した小型の手押しポンプを竜吐水と称する場合もあるようですが、小型のポンプよりも、水の勢いがよく、15mほど放水が可能だそうです。木製の手押しポンプは、明和元年(1764)、幕府より江戸の町火消組に下げ渡されて以後、江戸で普及していったといわれます。

常設展示の「竜吐水」には、いくつか銘があり、様々な情報が読み取れます。

まず、本体の水をためる部分には、「打出」「う組」と文字があしらわれています。

写真:本体正面

この資料は、粕壁地区の内出町会から寄託されているものですので、内出(町)の消防自衛組織を「う組」と呼んでいたものとみられます。

本体の側面には、次のようにあります。

写真:本体側面

「明治十七年七月」と大きく刻まれています。また写真右手には「テレキスイ」、写真では切れていますが左手には「請合」「本家 東京神田筋違通新石町 細工人清水弥七」の焼印がみえます。

この竜吐水は「テレキスイ」と呼ばれ、明治17年(1884)7月に、東京神田新石町の清水弥七の手によって製造されたことがわかります。「テレキスイ」は「手力水(てりきすい)」から転じて名付けられたといわれます。清水弥七は、神田新石町20番地で消防ポンプの製造・販売する職人だったようで、明治時代後半に普及していく、鉄製の腕用ポンプ(手押しの消防ポンプ車)の製造・販売にも携わっています。教育センターのロビーに展示している腕用喞筒(わんようそくとう)にも「清水弥七」製造の銘盤が付されています。喞筒(そくとう)とは、ポンプのことです。

市内に残されている消防用具をみると、おおよそ明治時代後半から大正時代初めを境に、鉄製の腕用喞筒に替わっていったことがわかります。このころ、各町村では消防組織を再編し、町村の予算で腕用ポンプ購入しているようで、粕壁町では、町内を十部に分けて自衛の消防組を組織していましたが、大正13年10月24日に町営消防の四部編制になり、各部でガソリンで駆動する消防喞筒を備えます。内出町が属した第一部(上町、仲町、春日町、旭町、陣屋、内出、金山)では、大正12年(1923)3月30日に「ガソリン喞筒(森田式)一台」を3200円で購入しています(『消防発達史 第1編 埼玉県』、昭和8年~10年刊)。

上に紹介した内出町の龍吐水(テレキスイ)が、どれだけ活躍したのかは詳しく知ることができませんが、ガソリンポンプが購入される大正12年(1923)までのわずか40年ほどの間しか、消防道具の主役として活躍されなかったのかもしれません。

この龍吐水の背景をみると、粕壁町=行政主体で消防を行う以前、つまり、地域主体で自分たちの地域を守るため、備えられた道具といえそうです。今日も、防災は自助、共助、公助の3つが連携しあうことで、災害を予防・軽減できるといわれています。龍吐水は、内出町の共助の歴史の証(あかし)ともなる資料といえましょう。

皆さまにとりましても、龍が勢いよく水を吐くように、繁栄の一年になりますようご祈念申し上げます。そして、本年も郷土資料館と「ほごログ」をよろしくお願いいたします。令和6年卯年 元旦

年末年始のお休み・年明けの開館日

郷土資料館は、12月29日~1月3日まで年末年始の休館日となります。

Kasukabe History Museum will be closed from December 29th to January 3rd.

新年は、1月4日から開館いたします。

Open from January 4th.

本年も「ほごログ」をご覧いただき、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 画像:うめわかくんとだるま

考古学講座第4回を開催しました

12月24日に考古学講座第4回を開催しました。

考古学講座

今回は、1.年代の決定、2.春日部市の古墳時代の遺跡についてがテーマでしたが、古墳時代のお話はさわり程度で、前回途中になってしまっていた弥生時代についてのお話をしました。古墳時代については、また次回にお話ししたいと思います。

考古学が扱う年代には、大きな概念として「相対年代」と「絶対年代」があります。地層塁重の法則や型式学から導かれる遺構、遺物の新旧のことを相対年代といいます。これに対して、今から○○年前や西暦など、数字で表現される年代を絶対年代といいます。考古学で遺物などから絶対年代を求める場合、多くは科学的な方法が使われます。

 

現在、数多くの年代測定法が開発されていますが、今回は一番よく知られる放射性炭素年代測定法、年輪年代測定法をご紹介しました。

放射性炭素年代測定法は、アメリカのウィラード・フランク・リビーによって開発された方法で、ベータ線を放出しながら壊れていく炭素14を調べることによって年代を測定します。かつては放出されるベータ線から測定するベータ線計測法が用いられていましたが、近年は、少量の資料でも計測できる加速器質量分析法(AMS法)が主流となっています。AMS法は、炭素12、炭素13、炭素14が加速器により加速され、分析電磁石の中で曲がる際に、重量の違いから生じる遠心力によって曲がる方向が分かれ、3つの炭素がふり分けられます。

また放射性炭素年代測定法で導き出された年代は、炭素14年代の変動を示した暦年較正グラフによって誤差を修正する作業が行われます。グラフの傾きが鋭い部分は年代が絞り込みやすいですが、平らな部分は広い年代となってしまう特性があります。

年輪年代法は、伐採年がわかる複数の木材から作られた年輪の変動パターンを利用して、対象となる木材の年輪が合致する部分を特定し、年代を求める方法です。年輪年代法で年代がわかるのは、木材の伐採年であり、伐採年と資料が使用された年代に開きがある場合や、材木として加工されてしまい、樹皮に近い年輪が残っていない場合などは、年代測定の精度が下がります。

アンケートでは、放射性炭素年代測定の方法は難しくよくわからなかったというお声がありました。私自身もよく理解できていないところがあり、かえって難しく説明してしまったかもしれません。インターネット上でもたくさんの先生が、仕組みなどについての資料を公開していますので、検索してみてください。

  

さて、考古学講座では、毎回、博物館や資料館の考古学に関する特別展や企画展を紹介しています。詳細は各所のサイトをご確認いただくか、資料館でポスター掲示やチラシ配架なども行っていますのでご利用ください。

 (展示会_閉会日順)

 ・ 埼玉県立歴史と民俗の博物館 11月14日(火)~1月14日(日)「縄文コードをひもとくー埼玉の縄文土器とその世界 」(新年は1/2から開館)

岩槻郷土資料館 11月21日(火)~1月21日(日)「縄文時代のさいたま」 

川口市郷土資料館 11月3日(金)~2月25日(日)「縄文のナニコレコレミテ」 

#春日部市役所 よ、さようなら(写真でみる現庁舎)

先日、春日部市役所の新庁舎が完成し、式典が行われました。いよいよ、新たな庁舎への移転が迫ってきましたが、同時に、現在の市庁舎とのお別れもカウントダウンです。

現在の庁舎での業務は、今年12月28日までです。新しい庁舎での業務開始は、来年1月4日からになります。ですから、現在の庁舎に入れるのは、残り1週間をきりました。

現在の市庁舎の建設の建設が決定したのは、昭和44年(1969)6月。当時の市役所は、大正13年(1924)に粕壁町役場として建築された建物で、庁舎が狭く、老朽化が激しかったと報告されています。今後の市の発展を見込み、春日部駅の西側に建設することになりました。建設予定地の写真(昭和44年当時)がこちら。

写真:昭和44年春日部市役所建設予定地

かつては、馬草場(ばくさば)と呼ばれていた農地に市役所が建設されることになったのです。

工事が始まったのは、昭和45年(1970)1月19日のこと(起工式)。

当時の春日部市の人口は、およそ8万人。高度経済成長の時代に人口がうなぎ登りに増加する一方、10万都市を目前にひかえ、都市のインフラ整備が市政の大きな課題となっていました。田中俊治市長(当時)は、「躍進する春日部市の象徴として、市民のアイドルとなるような市庁舎建設に努力」「近代的な市役所として窓口の一本化とともに一段と市民のサービスができるものと確信」と、年頭のあいさつで述べているように、「近代的な市役所として窓口の一本化とともに一段と市民サービスができる」庁舎として期待されました。

次の写真は、昭和45年10月、建設中の市役所です。周辺には建物がほとんどありません。

 写真:昭和45年10月建設中の市役所

写真:昭和45年建設中の市役所

写真:昭和45年建設中の市役所

庁舎が完成したのは、昭和45年(1970)12月21日のこと。

翌46年1月8日には、関係者を招き、落成式が開催されました。

写真:市役所完成

写真:市役所完成

写真:市役所落成記念式典

落成式では、記念の手ぬぐいが関係者に配布されたようです。その手ぬぐいがこちら。

 画像:記念の手ぬぐい

建物の曲線美を見事に描いたイラストがあしらわれています。記念品が手ぬぐいというのが、当時の牧歌的な春日部市を象徴しているようです。ちなみに、この手ぬぐいのイラストを転用した郷土資料館の記念スタンプもあります。

当時の市の広報には、市庁舎の特徴は次のようにまとめられています(広報かすかべ168号)

建物の外部は、長く美しさが保てる暗褐色のタイルと白で統一し、室内は外部のおちついた色とは対象に、明るい色で装ったデラックス庁舎で、県下でもめずらしい優美な曲面の偉容を誇っています。

庁舎の特徴は、一階の部分に、広々とした市民ホールを設けたのをはじめ、窓口事務を必要とする各課が配置され、窓口にきた市民のみなさんが用件をスムーズに得られるようになっています。

広々とし、近代的な建築であることを誇り、「デラックス庁舎」(豪華な庁舎)と称しています。「デラックス」でありながらも、窓口が一本化され、スムーズな手続きができることも売りだったのです。当時、注目された建造物であったことは、以前の記事で紹介したことがあります。

1月9日、10日には、「お気軽においでください」と銘打って、市民公開がされました。そして、市役所の業務が始まるのは、翌46年(1971)1月18日から。出来立てほやほやの庁舎内の写真がいくつか残っています。

 写真:市民ホール

こちらは、市民ホール。

写真:三階

 こちらは三階の事務室。現在は、総務部の事務室として使われていますが、当時は教育委員会が入っていたようです。こちらも、まだ雑然としていません。

とある元市職員の方は、近代的な春日部市の庁舎をみて「都会に来たな」と実感したとか。ここで働いてきた市の職員たちの思い出は尽きないでしょう。

庁舎に対する思い出は、職員だけではないでしょう。市民の皆さんも、出生届や婚姻届、転出・転入など一人ひとりの人生の岐路のなかでの諸手続きのため、市役所に訪れているはずです。

春日部市の人口は昭和47年(1972)9月1日に10万人を突破します。10万人の市民となった赤ちゃんは、市内の備後地区で生まれた女の子でした。庁舎の脇には、これを記念し植樹が行われました。下の写真がその時の模様。庁舎にもその周りにも市民・職員の思い、思い出がある、といえるでしょう。

写真:10万人記念植樹

春日部市役所は、市民や職員の思いとともに、春日部市政の歴史を刻み、今日にまで歩んできました。現代の春日部市の礎となった市役所に入れるのも、12月28日までです。それぞれが抱く思いを振り返りながら、市役所を訪ねてみてはいかがでしょうか。

現市庁舎の歴史を振り返ると、奇しくも現在の市庁舎移転と重なる部分もみえたような気がします。そして、歴史的にみると、市庁舎の建設は市政のエポックともいえそうです。市役所が歴史に幕を閉じ、新たな庁舎での業務が始まり、再び市政の転換期を迎えているといえるのかもしれません。

さようなら。そして、お疲れさま。春日部市役所。