ほごログ(文化財課ブログ)

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県指定無形民俗文化財「やったり踊り」公開に向けた練習

 7月13日(土)の祭礼での公開に向け、やったり踊りの練習も仕上げとなった、7月7日(日)は午後4時を過ぎたにも拘わらず、気温は34℃。茹だる 外気ではありましたが、小・中学生の小若、そして成人の若衆の気勢の上がる掛け声の下、境内の大銀杏の木陰では、祭礼当日、西光寺から舞を奉納する大畑香取神社に向けて練り歩く「練り込み」、そして神社境内で奉納する「扇子踊り」「手踊り」の3演目を幾度となく繰り返しました。

 練り込み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       ▲大太鼓と笛を先頭に西光寺から大畑香取神社までは

         「練り込み」と呼ばれる舞で移動

 

 

 

 6月から重ねた練習により、小学生低学年の小若も可愛らしい所作を、高学年は堂々とした大きな舞に仕上がってきました。また、小中学生に舞に参加してくれた大学生3名も若衆の呼びかけに応じて久しぶりに復帰し、小若の指導にも手伝ってくれていました。地域の伝統の舞の継承が各世代で引き継がれること、期待しています。

小若 扇子踊り

若衆 扇子踊り

▲扇子を持ち身体を大きく反る躍動感が特徴的な「扇子踊り」

手踊り 小若

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲哀愁の曲調の中で大きな屈伸や跳躍が入る激しさが入り交じる「手踊り」

 祭礼当日は天候が不安の予報ですが、保存会の皆さんも昨年以上の舞が披露できるよう総意で準備を進めております。春日部東口の日光道中で開催される春日部夏まつりと共に、郷土春日部の恒例の夏の行事を現地で観覧してはいかがでしょうか。

とあるおもちゃの開発記録

郷土資料館では例年7,8、10、11、12、1月に“手作りおもちゃクラブ”という、こども向けのワークショップを開催しています。
当日は蓄音機で音楽の上演、春日部に伝わる伝説の紙芝居の読み聞かせ、おもちゃ作りの3本立てです。

 

作るおもちゃは、昔から親しまれているものや、電気を使わずに遊べるものに限定しており、だいだい6~7種類ほど。作るおもちゃは毎回1~2種類なので、年間を通して参加すると、全種類のおもちゃを作ったことになります。
なかなか同じおもちゃを2度作りに来てくれる子は少ないので、担当としてはおもちゃの種類を増やそうと、日々新作の開発に余念がありません。とはいっても年に1種類増やせるかどうかですが。。。

 

資料館のおもちゃコーナー

現在は郷土資料館のおもちゃコーナーにも設置してある、人気の「アレ」をミニサイズにして簡易的に作れないか模索中です。

おもちゃ開発中

作成可能であれば講座で作りたいのですが、材料を揃え、どの程度まで準備しておくかなどの検討も必要なため、お披露目の予定はまだたっていません。現在も開発を進めていますので楽しみに待っていてください♪

 

“手作りおもちゃクラブ”の開催日は広報かすかべや郷土資料館のブログでお知らせしますので、ぜひチェックしてくださいね!

出張授業「縄文体験教室」 in川辺小学校 その2

7月3日(水)川辺小学校へ出張授業「縄文体験教室」を行ってきました。

5月17日は、3年生の総合的な学習の時間で地域を学ぶ学習で学校近くに住んだ縄文人の暮らしについて授業をしましたが、今回は6年生2クラスの授業になります。
歴史の授業は飛鳥時代まで進んだそうです。縄文時代がどんな時代であったか聞くと、なかなか思い出すのが大変な様子。復習の時間にぴったりですね。

パワーポイントに注目する生徒たち

はじめに、春日部市の代表的な縄文時代の遺跡である神明貝塚のビデオをみていただき、次に小学校周辺の歴史についてパワーポイントで説明をしていきます。
今年度の縄文体験出張授業は、現時点で本日が最後…。講師の声にも力が入ります。

 

川辺小学校の周辺は急な坂道が多く、高台の上には縄文時代の貝塚が点在しています。
坂道があるという話にうんうんと頷く生徒たちでしたが、さらに身近な話がでてきました。

吉岡遺跡出土の土器

飛び入りで授業に参加してくれた、縄文土器の登場です!
実はこれは、6年生教室の廊下に飾られていたもので、遺跡から出土した本物の土器。

レプリカの土器とともに並んでおり、職員も大変驚きました。
出土地は学校のすぐそばに位置する「吉岡遺跡(よしおかいせき)」で、縄文時代の貝塚とムラが確認されています。
まさに今日の授業にピッタリですね。この土器の登場には、クラスの皆さんも、先生までもがびっくり!まさか本物だとは思っていなかったそうです。縄文時代を身近に感じるきっかけになりました。

 

続いて、体験コーナーに移ります。

貝殻について説明を受ける生徒たち

石器について説明を受ける生徒たち

土器をのぞき込む生徒たち

体験コーナーは教室前の広い廊下を使って行いました。

実際に縄文時代の石器や、土器や貝殻を触って体験をするのですが、鋭い観察力や着眼点に職員も驚かされています。
土器コーナーでは、みんなに土器を観察し、桜川小学校でも体験してもらった縄目の模様づけも熱心に取り組んでいただきました。また、「土器の黒い部分は火があたったからじゃない?」と、土器の色について考察してくれた児童もいました。

川辺小学校のみなさん、ありがとうございました。


出張授業「縄文体験教室」は、まだまだ授業の受付をしています。
ぜひお気軽にご相談ください!

出張授業「縄文体験教室」 in桜川小学校

6月27日(木)に桜川小学校6年生の出張授業「縄文体験教室」を行いました。

教室内で講師の話をきく生徒たち

今日は6年生の3クラスが縄文体験の授業を受けてくれます。


まずはじめに神明貝塚の動画を見た後に、パワーポイントを用いて、学校周辺の遺跡について紹介。

今日の授業は縄文時代がメインなので、授業の復習となりましたが、みなさん縄文時代の内容をよく覚えていました。
最後にお待ちかねの縄文体験。

 

縄文時代の貝について説明を受ける生徒たち

黒曜石を使って、段ボールを切る様子

今回は縄文土器のコーナーでは、実際に縄目など土器に付けられた文様づけの体験をしてみました。

前回、土器についた縄もようについて質問をもらいましたが、実際にやってみてもらおうということで、はじめての試みです。
紙をよったり、麻縄をよった縄と油粘土を使います。学校の先生にお願いして、粘土を用意してもらいました。先生、ありがとうございます。

まずは職員が実演します。縄の説明をしつつ、それを粘土の上に押し付け転がしていきます。
子どもたちの反応はというと、実際に縄を粘土の上で転がして浮かびあがった模様に、「こんな模様が浮き上がるんだ!」と驚いた様子。

続いて実際に体験をしてもらうと、我先にと手を伸ばして積極的に参加してくれました。

粘土の上で縄を転がす様子

ある児童からは、体験した後に土器をもう一度見て「縄文人は器用なんだね」と一言。

はじめての試みでしたが、土器に対する理解も深めることができたようでよかったです。

桜川小学校のみなさん、ありがとうございました!

昭和は遠くなりにけり

6月30日、企画展「まちをみつめて50年」の展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」を開催しました。タイトルは受講者の方の感想です #かすかべプラスワン

写真:講座のようす

講座では、昭和29年(1954)7月に成立した旧春日部市の市政の歩みを、広報かすかべの縮刷版や、郷土資料館に収蔵されている広報誌の古写真をスライドなどでみながら、振り返りました。

昭和30年代の広報誌には、赤痢や伝染病の注意を促す記事や、自動電話の開設、ネズミくじなどの記事があり、受講者の皆さんと当時の春日部市の状況を想像していただきました。

なかでも、担当者が気に入っている記事は、「なくそう春日部時間」というもの。

昭和34年6月の広報第29号の記事です。以下、引用してみましょう。

六月十日は「時の記念日」です。むかしの時刻は寺院などの時の鐘を鳴らして知らせていました。本市では二十年前の町役場当時からサイレンを正午にならして正しいときを知らせてきましたが集会の時間はなかなか守られず、市教育委員会の会議が比較的よいといわれるだけで、市議会でさえ五月までの成績によると本会議が三、四十分おくれ、委員会など一時間おくれが多いといわれます。公の会議がこのようですから一般の集会などは一時間おくれがあたりまえのように考えている方が多く、いつになっても「春日部時間」の追放ができないのはこまったことです。ラジオの時報に合わせて休みなくたあわただしいサイレンに恥を与えないようお互いのため「時間の励行」を新生活運動の一環として実行しようではありませんか。みなさまの代表新市議会議員によってこんどこそこの悪い習慣を打破していただくよう期待しています。この時間励行は全市民のことしの実践課題としてとりあげられぜひご協力をお願いいいたします。

当時の春日部では、時間を守る人が少なかった。そうした悪習を「春日部時間」と俗称していたようです。市議会をはじめとする公の会議ですらも、一時間遅れが当たり前。現代の私たちにはとても想像に及びませんが、まだ、ゆったりとし、牧歌的であった春日部の様子がうかがえ、むしろ微笑ましくも思えます。当時の春日部市は「田園都市」の建設を目指していました。「田園都市」とは、中心となる市街地が発展しつつも、その周りには農村部が残り、市街地と農村部とが有機的に絡み合うような都市、を意味しているようです。

しかし、昭和40年代ともなると、武里団地の入居開始、地下鉄日比谷線の延伸、埼玉国体会場となる大沼グラウンドの建設、そして、春日部駅の西側の開発などを経て、春日部市が目指す都市像が、「衛星都市」「近代都市」にすり替わっていくことになります。そうした「衛星都市」「近代都市」への「躍進」を象徴するものとして、昭和46年(1971)1月に前の市庁舎(二代目市役所)が完成することになるのです。二代目市役所の建設は、春日部市政にとって画期的な出来事だったのです。

昨年、二代目市役所が役割を終え、旧春日部市の市制施行から70年目の節目の年である今年に、新市庁舎(三代目市役所)が業務を開始しました。牧歌的、かつ近代都市として発展してきた「昭和」という時代が、遠くなり、時代が転換していくのが、まさに今なのかもしれません。