カテゴリ:郷土資料館
八木崎小3年生がやってきた
令和元年11月26日(火)春日部市郷土資料館に八木崎小3年生が調べ学習のため来館しました。
総合的な学習の一環で、「春日部じまんを探そう」というテーマで調べ学習をすすめているそうです。

郷土資料館に来た2人は、
・50年前の春日部はどんなところだったのか?
・春日部の地名の由来は?
・昔、大きな地震が起こったときはどんな状況だったのか?
質問してくれました。
2人は、学芸員に話を聞き、展示室にある古い写真や資料をみて、昔の春日部についてたくさんメモをとっていました。とくに、関東大震災について強い関心をもったようで、「このときには避難所はあったんですか?」と自ら考え、質問をしてくれました。
「春日部のじまん」が見つかりましたでしょうか?
さて、皆さんは50年前の春日部についてや、地名の由来、関東大震災のときの状況を知っていますか?
ご存じない方は、ぜひ郷土資料館にお越しください。知りたいことや新たな発見がきっとありますよ。
総合的な学習の一環で、「春日部じまんを探そう」というテーマで調べ学習をすすめているそうです。
郷土資料館に来た2人は、
・50年前の春日部はどんなところだったのか?
・春日部の地名の由来は?
・昔、大きな地震が起こったときはどんな状況だったのか?
質問してくれました。
2人は、学芸員に話を聞き、展示室にある古い写真や資料をみて、昔の春日部についてたくさんメモをとっていました。とくに、関東大震災について強い関心をもったようで、「このときには避難所はあったんですか?」と自ら考え、質問をしてくれました。
「春日部のじまん」が見つかりましたでしょうか?
さて、皆さんは50年前の春日部についてや、地名の由来、関東大震災のときの状況を知っていますか?
ご存じない方は、ぜひ郷土資料館にお越しください。知りたいことや新たな発見がきっとありますよ。
郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪
令和元年11月17日(日)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。
電気を使わず再生する蓄音機の音楽鑑賞では、やわらかく温かみのある音に皆さん聞きいっていました。また、レコード1枚で5分間しか聞けないことに驚いていました。
最後は、出来上がった「ぴょんぴょんカエル」を飛ばしあったり、紙鉄砲を鳴らしたりして、嬉しそうに遊んでいました。
ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
次回ワークショップは、令和2年1月26日(日)に「パタパタ(板がえし)」を作ります。ご参加をお待ちしています。
【歴史文化講演会】万葉の世界を堪能
令和元年11月16日(土)、堀越令子先生をお迎えして、万葉集を読み解く講演会を開催しました。

堀越先生には昨年度に引き続き、東歌(あずまうた)を中心に、万葉歌に詠まれる古代東国の世界を一語一語丁寧に解説いただきました。講演の冒頭に、先だっての即位の礼で話題になった「高御座」(たかみくら)の八角形の屋根や新嘗祭に関する「万葉集」の歌にも言及され、受講者の皆さんは熱心に拝聴され、万葉の世界を堪能されているようでした。


堀越先生の講演会は全2回。次回は11月30日(土)となります。引き続きよろしくお願いします。
堀越先生には昨年度に引き続き、東歌(あずまうた)を中心に、万葉歌に詠まれる古代東国の世界を一語一語丁寧に解説いただきました。講演の冒頭に、先だっての即位の礼で話題になった「高御座」(たかみくら)の八角形の屋根や新嘗祭に関する「万葉集」の歌にも言及され、受講者の皆さんは熱心に拝聴され、万葉の世界を堪能されているようでした。
堀越先生の講演会は全2回。次回は11月30日(土)となります。引き続きよろしくお願いします。
【常設展】神明貝塚の展示
11月15日、西親野井地区にある「神明貝塚」が国の文化審議会から文部科学大臣に国史跡に指定するよう答申されました。このあと、令和2年(2020)2月ごろに、正式に指定される予定です。
郷土資料館では、神明貝塚で発見された人骨や市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」などを展示しています。
また11月24日(日)には、「3800年前の縄文人の食文化」をテーマに、神明貝塚のシンポジウムを開催します。

シンポジウム詳細はこちら
展示、シンポジウムとも皆様のお越しをお待ち申し上げております。

郷土資料館では、神明貝塚で発見された人骨や市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」などを展示しています。
また11月24日(日)には、「3800年前の縄文人の食文化」をテーマに、神明貝塚のシンポジウムを開催します。
シンポジウム詳細はこちら
展示、シンポジウムとも皆様のお越しをお待ち申し上げております。
【歴史文化講演会】消えゆく町の記憶をたどる
令和元年11月10日(日)、大川明弘先生をお迎えして、古地図から明治期の粕壁地区の歴史を読み解く講演会を開催しました。

大川先生は、現在、昭和30年代の粕壁の町並みを復元するため、地元粕壁の方々に聞き取り調査をされておられます。今回は、その成果も踏まえ、古地図やさまざまな文献を合わせながら、粕壁が「近代化」を遂げ、また町の人々がそれを主体的に受け止め、町を発展せしめていった明治時代の歴史を、楽しくわかりやすくお話しいただきました。

担当者が個人的に重要だと思ったのは、近世以来粕壁には白木綿の仲買商が多かったことに着目されたことです。
先生のご指摘に触れた後、手元の近世史料を確認したところ、「木綿糸幷綿類商」や「綿屋」などの白木綿糸買継ぎ商の存在が確認されますし、近隣の藤塚村には農間に「晒渡世」をする者、備後村には「紺屋渡世」の者もおりました。また、粕壁の町中でもわずかな手作畑に野菜とともに木綿を栽培する者や、農間渡世として女性は機織りをしていたという記事も確認されますし、時代は下りますが、かの加藤楸邨も「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」と昭和初めの粕壁の風景を句に遺しており、畑がちの粕壁では木綿作が広く行われていたようです。
産業の「近代化」による町中の業態の変化については、今後詳しく検討していく余地がありますが、近世以来の木綿商の存在に着目されたことは、通説的に語られてきた「粕壁は麦わら帽子・桐箪笥の町だ」とか「米問屋が多い」といった従来の町のイメージを改め、より多彩に描いていくきっかけになるのではないでしょうか。
最後に、来場者から様々なご質問やご意見が飛び交いましたが、先生は来場者のみなさんに「私たちの記憶を遺していくために、皆さんご協力いただきたい」と呼びかけ、今後の調査の協力を仰ぎました。

日々変わりゆく町の姿、つい最近の町並みですらも、私たちの記憶の奥底に眠り、いつしか消えてしまいます。消えゆく町の記憶をたどり、それを遺し、未来に伝えていく取り組みの重要性を痛感させられた、大変有意義な講演会でした。
大川先生は、現在、昭和30年代の粕壁の町並みを復元するため、地元粕壁の方々に聞き取り調査をされておられます。今回は、その成果も踏まえ、古地図やさまざまな文献を合わせながら、粕壁が「近代化」を遂げ、また町の人々がそれを主体的に受け止め、町を発展せしめていった明治時代の歴史を、楽しくわかりやすくお話しいただきました。
担当者が個人的に重要だと思ったのは、近世以来粕壁には白木綿の仲買商が多かったことに着目されたことです。
先生のご指摘に触れた後、手元の近世史料を確認したところ、「木綿糸幷綿類商」や「綿屋」などの白木綿糸買継ぎ商の存在が確認されますし、近隣の藤塚村には農間に「晒渡世」をする者、備後村には「紺屋渡世」の者もおりました。また、粕壁の町中でもわずかな手作畑に野菜とともに木綿を栽培する者や、農間渡世として女性は機織りをしていたという記事も確認されますし、時代は下りますが、かの加藤楸邨も「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」と昭和初めの粕壁の風景を句に遺しており、畑がちの粕壁では木綿作が広く行われていたようです。
産業の「近代化」による町中の業態の変化については、今後詳しく検討していく余地がありますが、近世以来の木綿商の存在に着目されたことは、通説的に語られてきた「粕壁は麦わら帽子・桐箪笥の町だ」とか「米問屋が多い」といった従来の町のイメージを改め、より多彩に描いていくきっかけになるのではないでしょうか。
最後に、来場者から様々なご質問やご意見が飛び交いましたが、先生は来場者のみなさんに「私たちの記憶を遺していくために、皆さんご協力いただきたい」と呼びかけ、今後の調査の協力を仰ぎました。
日々変わりゆく町の姿、つい最近の町並みですらも、私たちの記憶の奥底に眠り、いつしか消えてしまいます。消えゆく町の記憶をたどり、それを遺し、未来に伝えていく取り組みの重要性を痛感させられた、大変有意義な講演会でした。