2025年9月の記事一覧
幸松小4年でばりぃ資料館と子どもたちの声
9月18日(木)、幸松小学校で出張授業を行ないました。テーマは、毎年恒例になりつつある「幸松と水害」です。昨年度の模様はこちら。
4年生の皆さんには、幸松地区で起きた水害の歴史や、地区の先人たちが水害を克服するために講じた工夫をスライドとワークシートで学んでもらいました。授業の内容や様子は、幸松小のブログで紹介いただきました。
ブログでも紹介いただいたように、幸松地区ならではの、幸松小学校ならではの水害の歴史をお話しました。児童の皆さんは、災害の脅威、恐怖もあり、終始、真剣な表情で、話を聞いてくれました。授業の後、児童から「難しかったー」と正直な感想ももらいました。こみいった話題、初めて聞く言葉も多く、ちょっと難しかったのかもしれません。
後日、授業のアンケートをいただきました。これをみると、もちろん「難しかった」「わかりにくかった」と答えている子もいましたが、おおむね、講師が伝えたかったことを理解してくれているようでした。
今回は、アンケートをいくつか紹介し、幸松小の皆さんがどんなことを学び、考えたのかを紹介してみることにします。以下のアンケートは、印象に残ったことは何ですか、という設問に対する回答です。
まず、授業のメインの話題となった、めがね橋のこと。
「めがね橋はただの橋じゃない」という切り口は、通学路にもなっている身近な橋が災害に深く関わり、災害時に役立つモノという意外性もあり、印象に残る子が多かったようです。
そして、「樋門(ひもん)」であるという説明も理解してくれたようです。
樋門の「樋」はシンニョウの点が二つだよ、と板書した甲斐もありました。4年生では習わない漢字もしっかり書いてくれています。
学年には、農村部の不動院野に住む児童もおり、
地区の古い農家の納屋に用心舟(ようじんぶね)を吊るして、水害に備えていること、身近に感じ、印象に残ったようです。
先生からは、事前に当時の資料を間近に見せてほしいというご要望もあり、当日は、明治43年(1910)の幸松地区の水害記録である「幸松村水害誌」を持参しました。
「幸松村水害誌」は、幸松尋常小学校の先生が執筆したこと、その先生は序文に「過去の災害の悲惨な状況を克明に記録し、その記録を後世の人たちに活かしてほしい」と記していること、この記録が、小松小学校に残されていたことを児童の皆さんに伝えました。
小学校の先生の本とは、「幸松村水害誌」のこと。100年以上前の記録(本)を手に取り、幸松の皆さんにとって貴重なものであることを体感してもらえたようです。
記録もあわせ、幸松地区には、水害(湛水)時の古い写真がいくつものこっており、写真もスライドでみてもらいました。
昔の状況をきちんと理解したうえで、今、そして未来に活かしていくこと、先生やおうちの方と一緒に考えてみてください。
幸松小学校の皆さん、どうもありがとうございました。
9月の考古学関係展示会、イベント情報
9月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。
(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)
(東部地区文化財担当者会リレー展示ー都鳥が見た古代)
・10月24日(金曜日)~11月26日(水曜日)三郷市わくわくライブラリ―(三郷市・パネル展示)
(展示会_閉会日順)
・10月13日(月曜日・祝日)まで 国立科学博物館(東京都台東区)
特別展「氷河期展 〜人類が見た4万年前の世界〜」
・10月31日(金曜日)まで 神川町多目的交流施設(神川町)
企画展「かみかわの古墳を知ろう8~南塚原の古墳2~」
・11月3日(月曜日・祝日)まで 府中市郷土の森博物館(東京都府中市)
「古代国司と国司館~都から来た役人とそのすまい~」
・11月16日(日曜日)まで 柏市郷土資料室(千葉県柏市)
第30回歴史企画展「輝く!柏の縄文オールスター」
・11月24日(月曜日・休日)まで さきたま史跡の博物館(行田市)
令和7年度企画展 「輝く武器・光る技 ー古墳時代の飾り大刀ー」
・11月24日(月曜日・休日)まで さいたま市立博物館(さいたま市大宮区)
第49回特別展「真福寺貝塚-国指定史跡50年-」
・10月21日(火曜日)~11月24日(月曜日)まで 嵐山史跡の博物館(嵐山町)
巡回文化財展比企のタイムカプセル「比企の装い」
*小川町立図書館9月30日(火曜日)~10月4日(土曜日)
滑川町エコミュージアムセンター10月7日(水曜日)~10月11日(土曜日)
吉見町埋蔵文化財センター10月15日(水曜日)~10月19日(日曜日)
・11月30日(日曜日)まで 上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考資料古館)(茨城県土浦市)
上高津貝塚ふるさと歴史の広場開館30周年記念第28回企画展「文字が語るもの」
(講演会・シンポジウム)
・10月12日(日曜日)明治大学駿河台キャンパス(東京都千代田区・申込不要)
資源利用史研究クラスター研究成果公開シンポジウム「土偶研究の新展開II~資源利用史と土偶祭祀~」
・10月18日(土曜日)行田市教育文化センターみらい文化ホール(行田市)
主催:埼玉県立さきたま史跡の博物館(電子申請にて申込要、10月3日まで)
シンポジウム 「埼玉古墳群と古代国家成立前夜」
・10月26日(日曜日)埼玉会館小ホール(さいたま市浦和区)
主催:さいたま市教育委員会(申込不要)
真福寺貝塚 国指定史跡50周年記念シンポジウム/ さいたま市内遺跡発掘調査成果発表会
「春日部市20周年の歩み」(年表)を作成しました
春日部市は、2005(平成17)年10月1日に旧春日部市と旧庄和町の1市1町による新設合併で誕生しました。2025(令和7)年10月1日は、合併から20年となる節目の日です。
春日部市の市史編さん事業では、市制施行20周年を記念し、「春日部市20周年の歩み」と題した年表を作成しました。
年表では、暦年ごとに市の動きや当時の社会の動きをまとめ、関連する写真やコラム、凧文字などを掲載しています。
▲年表のサンプル
現在の市章や市の花・木・鳥、市の歌や市民憲章の制定をはじめ、かすかべフードセレクションの認定や全国的にも有名な首都圏外郭放水路の完成などが、すべてこの20年間の出来事だったことをご存じでしょうか?
年表を見ると、この20年間に春日部市ではさまざまな制度や施設が作られ、新市としての歩みを進めてきた様子がわかります。細かいところまでぜひご覧ください。
年表に関連して、郷土資料館1階のエントランスでは、ミニ展示を開催しています。
20年間の印象的な出来事の写真のほか、旧庄和町の「広報しょうわ」の最終号や「広報かすかべ」のバックナンバーの一部を展示しています。
さらに、「春日部市20周年の歩み」に関するクイズや地名カードも作成しました。
春日部市には意外と読み方が難しい地名がたくさんあります。カードをめくって地名の読み方をあててみてください。
現在、市内では旧市役所本庁舎跡地の整備や春日部駅付近連続立体交差事業などが進められており、まちの風景が日々変化しています。新・春日部市としての20年の歩みを振り返りつつ、これからの春日部市も見守っていきましょう。
歴史文化講演会「粕壁商家あれこれ」開催しました
9月21日、郷土資料館歴史文化講演会「粕壁商家あれこれ」を開催しました。
今回、ご登壇いただいたのは、地元出身の大川明弘先生、山口俊一先生のお二人です。
お二人とも粕壁の商家に生まれ、粕小~春中~春高のOB。春日部のなかの粕壁の人。生粋の「粕壁人」とでもいえますでしょうか。かつての粕壁の面影が失われていくことを危惧され、自ら市内の方々に聞き取り調査をしながら、春日部の郷土史を調査されている方で、郷土資料館の調査・研究にもご協力いただいています。
講演は、まず山口先生から「山口家の盆暮正月」と題して、内出町の山口家の年中行事についてお話しいただきました。山口先生は、ご自身のご記憶をたよりに、屋敷の間取りや座敷の様子をイラストにされ、図示しながらご説明いただきました。先生によれば、昭和40年代から盆迎えの食事や作法が、各家の都合で少しずつ変わっていったこと、昭和40年頃から電車の本数が増え、内出町のメインストリートの岩槻新道(かつての国道16号。現県道2号)の踏切が「開かずの踏切」と化し、通りは車で渋滞し、商家は商売がしづらくなっていったこと、などをお話しいただきました。高度経済成長期、農村部では田んぼが宅地に造成され、景観などが目に見えて大きく変わっていきましたが、商家においても、少しずつ暮らしが変化していったことがわかるお話でした。
受講者の方からは「出身は違うがお盆や正月の行事に共通するものがあって面白かった」「お供えの道具や器具の名称・使い方がわからなくなっていくのはとても残念。記録・記憶を残すこと大いに賛同する」などご感想をいただきました。
続いて、大川明弘先生からは「粕壁の商家いろいろ」と題して、明治から昭和初期に至る粕壁の産業や景観のうつりかわり、商家のマークである家印(店印)についてお話をいただきました。
かつて「粕壁には牧場があった」「醤油醸造所があった」とのお話には会場がどよめきました。100年程前の記憶は地元の方であっても知らないことが多く、これを様々な文献を丁寧に読み解き、また、聞き取り調査を合わせて「知られざる粕壁の姿」を明らかにされるお話でした。
個人的に重要な成果・指摘だと思ったのは、江戸時代から明治20年代ごろまで、粕壁に木綿買次商が多くあり、岩槻道沿いに屋敷が集まっているという指摘です。江戸時代には粕壁・岩槻一帯は白木綿の産地で、江戸では岩槻木綿として流通していました。粕壁には岩槻木綿の買次商が多くおり、かつての岩槻道沿いに木綿商が集まっていたと指摘されました。粕壁の産業を岩槻との関わりから理解する必要性を迫るものと思いました。
さらに、重要なのは、粕壁のあらゆる文献をめくり、粕壁の商家の家印・店印を一覧化されたことです。粕壁に関わる史料を見ていると、家印のみ記され、具体的な商店名が表示されない仕切状や伝票もみられます。大川先生の作成された一覧は、資料整理や調査研究の手引きともなる、重要な成果になること間違いありません。
受講者の皆さんからは「楽しく聞かせてもらえた」「今後の春日部(粕壁)を考える上でも示唆的だった」などご感想をいただきました。また「幸松地区ではどうなのか」「粕壁で一番古い商家はどこか」など新たな疑問も投げかけられました。新たな課題については、今後、先生方と相談の上、郷土資料館でも調査に努めていきたいと思います。
当日は、80名余の方にお越しいただき、市民のみなさんの地元「粕壁」への強い興味関心がうかがえる一日となりました。大川先生、山口先生、どうもありがとうございました。引続き、ご指導のほどよろしくお願いいたします。
【今年も準備中】「なぞとき郷土資料」館鋭意製作中です
“うっかりハマった人だけ面白い”でおなじみ「なぞとき郷土資料館」の第4弾を準備中です。
今年も昨年と同様に、易しめの問題と、難しめの問題を用意しています!
昨年は易しめの問題でもかなり難しく感じる方が多かったようで、そこは作り手としては反省点でもありました。解答が分かったうえで問題を作る製作者サイドと、問題から解答を導き出す参加者サイドの、難易度の感じ方のギャップを埋めるのはなかなか難しいと実感しました。
今年こそ、易しめの問題は気軽に参加できて、少しのひらめきでクリアできるような問題になるよう思案中です!
もちろん難しめの問題は、「難しいのがいいんだよ」というご期待に沿えるよう、例年並みの難易度を予定しています!
あくまで予定です(笑)
現段階で、最終的なゴールは決まっているのですが、そこにたどり着く過程を問題にするのがなかなか難しく、絶賛頭を悩ませています。
ともあれ、今年もこの企画を楽しみ待ってくれている皆さまのために、頑張って作ります!
開催は10月を予定しているので、近づいたらまたご案内します!お楽しみに♪
よくあるレファレンス(先祖調べ)
先日、ご先祖調べの方が東京からお越しになり、ひいおじいさんにあたる方の出生地が春日部市内だったため、その番地を調べたいとレファレンスがありました。もちろん、図書館でも調べることは可能ですが、図書館には戦前の資料は乏しく、当時(明治時代)の資料(原本)がありませんので、なかなか調べるのに苦労するはずです。
しかし、郷土資料館には、古くは旧石器時代から、ごく最近の資料まで、春日部のありとあらゆる資料が集約されていますので、原資料を検討して様々なことを調べることができます。
さて、今回のご先祖調べは、戸籍謄本の写しから、明治34年(1910)生まれのひいおじいさんの出生地を特定したいとのこと。出生地は粕壁町474番地。
そこで、手っ取り早く、昭和8年(1933)刊『地番・地目・地積入 粕壁町地図 全』で該当の番地を探し、当時の字川久保、現在の緑町2丁目付近にその地番があることがわかりました。
しかし、問題は、明治34年生まれということ。粕壁町では昭和8年に耕地を整理し、地番や地積を付けなおしています。つまり、それ以前との地番と異なる場合があるのです。
当日は、資料出納が不能のため、お帰りいただき、後日、最近市民の方からご寄贈いただいた明治30年代の耕地図を確認してみました。すると、碁盤の目のように整然とした地割りの川久保地内は、明治期には全く異なり、地番も別の地点にあることがわかりました。
明治30年代の474番地は、現在の県立春日部女子高等学校の敷地の東側(現在の粕壁東6丁目)付近にあることが判明しました。かつ、地割りはかつて古利根川の堤防や道沿いに短冊状に分布しています。近世の新田開発された土地であったことがうかがえます。また、土地の整理にあたって、曲線状の道は付け替えられ、四角い土地割りにされ、女子高校舎の南側の敷地は字井戸棚居に編入されることになった模様です。現在にも遺る昔の道もありますが、昭和5年には粕壁高等女学校(現春日部女子高)の校舎が竣工されていますので、周りの風景も段々と変わっていったものと思われます。
と、このように、収蔵資料を活用すれば、まだまだ知らない、わからない、忘れられた春日部の昔のことがわかるのです。収蔵資料を生かすも殺すも学芸員次第。郷土資料館には秘められた力が眠っているのです(郷土資料館のポテンシャル)。
春日部の昔のこと、春日部にゆかりのある人物やご先祖をお調べいただくときには、ぜひ春日部市郷土資料館をご活用ください。ただし、当日ふらっといらして、「明治時代の地図を見せてほしい!」「先祖が春日部の地で何をしていたのか調べてほしい!」というのは、資料の準備・出納・資料閲覧場所の確保等を要するため、困ります。
事前にご連絡をいただけますと幸いです。もちろん、資料がなければ、わらかないこともありますので、悪しからず。
9/9 春日部高校「令和7年度SSH」探究総合授業に伺いました
9月9日(水曜日)、県立春日部高校の課外授業、”SS”(スーパーサイエンス)探究総合授業にお招きいただき、午後4時から1、2年生24名、先生3名と共に授業を実施してまいりました。本授業では春高生の探究心を養うことを目的に例年、様々な分野、領域をテーマに据え、既に15年目を迎えるとのこと。今回は、郷土資料館の学芸員から何かお話をいただけないかという、地学教諭の富樫先生から依頼を受け、多様なサイエンス領域の分析をとおして史跡神明貝塚の実態を紐解いている昨今の成果を踏まえ、「考古学と科学分析」と題した授業としました。
歴史の授業でも親しみのない『考古学』について、高校生がスムーズに理解が進むように「考古学とはなんぞや」、「歴史学(文献史学)とのちがい」から解説、サイエンスなどの実例として、神明貝塚の貝層の主体をなす「ヤマトシジミ」を資料とした『貝殻成長分析』、『住居跡の炉跡に堆積した灰層から得られた製塩づくり』、『縄文人骨のミトコンドリア分析(DNA分析)』や縄文人の食生活に迫る『炭素窒素安定同位体分析』、『縄文土器に付着したおこげ分析』などの分析方法や成果を紹介。そして本日の本題として、小学校の出張授業や市民の皆さまの講座でも好評いただいている「黒耀石」の切れ味体験を春高生にも体験してもらい、その後、「黒耀石の産地同定分析」の結果を踏まえ、春日部にもたらされた黒耀石のルートがあったのか、グループ毎に話し合いをしてもらいました。
▲初めて触れる「黒曜石」黒光りしたガラス質の石材にはみなさん興味津々
市内遺跡の最も初期にあたる3万年前、春日部市から至近距離、約80㎞北方にある栃木県矢板市の高原山産を専ら使用していましたが、旧石器時代の後半、1.8万年前頃になると200㎞以上も離れた信州の諏訪湖周辺や霧ヶ峰産へ主要産地が変化、さらに縄文時代になると東京都神津島産が旧庄和町に広がる下総台地の遺跡で出現、そして3800年前の神明貝塚では過半数が神津島産が占める結果となっている。遺跡が立地する台地面の東側、西側でも主要産地が変化、また、隣接する松伏町や蓮田市と同時期の遺跡でも異なる産地がみられたり、主要産地も異なるなど様々な様相にある。こうした分析の結果から、産地から消費地へのルート(回廊)の存否をディスカッション、発表いただきました。「確固たる回廊が存在していれば安定供給され、同一産地になるはず。時代によって異なるという結果からは回廊はないであろう」、「遠く離れた産地から物資をムラ間をとおしたバケツリレー的な方法が想定され、これは回廊があればこそ可能であろう」、当時の狩猟採集経済によるムラ社会を背景に据えた推論をいただき、探究心を深めていただけたのではと、充実した二時間を過ごさせていただきました。こうしたディスカッションをとおし、ひとりでも「考古学」、そして「学芸員」を目指す生徒の誕生につながると、郷土春日部の歴史・文化の継承にも一役を担う人財発掘にもなりましょう。春高生のみなさま、ご静聴と新鮮なディスカッション、ありがとうございました。
《春日部高校ホームページでも紹介されています》
https://kasukabe1899.spec.ed.jp/blogs/blog_entries/view/1739/b05c96b4cde621817ec6c97cb5685e10?frame_id=2748
粕壁宿に『クレヨンしんちゃん』モニュメントが登場
8月23日(土)、春日部市郷土資料館に『クレヨンしんちゃん』のモニュメントが誕生しました。
今回、誕生したのは、市のオリジナルグッズである「クレヨンしんちゃん絵はがきセット」第3弾のうち「粕壁宿」に描かれた姿をイメージした野原しんのすけくんのモニュメントです。カスカベ防衛隊のお友達も、「粕壁宿」の時代(江戸時代)の人々の服装をしており、春日部の歴史や文化を紹介する郷土資料館に相応しい新スポットです。
23日には、モニュメントのお披露目会が催され、市内の子どもたちも参加し、郷土資料館の『クレヨンしんちゃん』モニュメントをお披露目。郷土資料館の前は大変賑わいました。
郷土資料館では2020年ごろから、市のシンボルであるフジの花、特産品の桐箱・桐箪笥、そして粕壁宿の町並みをモチーフに、『クレヨンしんちゃん』のイラストを用いたオリジナルスタンプを制作してきました。現在は、今回のモニュメントとおそろいの粕壁宿デザインのスタンプ(2021年制作)を設置しています。
その後、春日部市観光協会の「クレヨンしんちゃん春日部スタンプ巡り」がはじまり、SNS等を通じて徐々に海外の方にも浸透し、今では中国・韓国・台湾、東南アジアをはじめ、遠くはスペインやマルタ共和国からも『クレヨンしんちゃん』ファンの方が郷土資料館に連日お越しくださり、大変な賑わいを見せています。おかげさまで入館者数は例年の約3倍に増加し、インバウンドの恩恵を実感しています。
外国の方の中には、スタンプを押してすぐ次のスポットへ向かわれる方も少なくありませんが、郷土資料館で春日部の歴史や風土、「春日部らしさ」に関する展示をご覧になる方も多く、春日部をPRする貴重な機会となっているようです。
新しいモニュメントは、春日部市郷土資料館のオリジナルフォトスポットとしても期待されています。ここ数日、来館された海外の方々の様子を拝見すると、多くの方が初めて目にするため驚き、喜び、写真を撮っておられます。今後、SNSで情報が拡散すれば、スタンプ巡り同様に大きな反響が生まれると予測しています。
海外の方も日本の方も、『クレヨンしんちゃん』を通じて「春日部らしさ」に興味を持っていただければ幸いです。
【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】パストラルかぞでリレー展示が開催されています
加須市のパストラルかぞで東部地区文化財担当者会リレー展示「都鳥がみた古代」が開催されています。
東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示(加須市サイト)
パストラルかぞは、1,005席の大ホールと300席の小ホールをはじめ、展示室、和室、研修室などからなる大きな施設です。東武伊勢崎線加須駅から北へ2.2㎞の場所にあります。
展示はクロスパスと呼ばれる生涯学習棟と事務室間の通路で行われています。今回はパネル展示です。
現在の加須市は、平成の合併により、旧加須市、騎西町、大利根町、北川辺町の1市3町が合併したものであり、市の面積は133.3平方キロメートルと東部地区内で最も大きい市です。奈良時代・平安時代の遺跡は、合の川の自然堤防上に飯積(いいづみ)遺跡、利根川沿いの埋没台地や自然堤防上に長竹(ながたけ)遺跡、宮西遺跡、宮東遺跡、新川沿いの自然堤防上に水深(みずぶか)遺跡などがあります。
パストラルかぞには、加須市出身の洋画家、斎藤与里(さいとうより)の作品を展示したコーナーが設置されています。展示されている作品は、斎藤与里の顕彰を目指すためクラウドファンディングによって作成された複製です。
加須市の偉人「斎藤与里」の絵画を、多くのこどもたちにみてもらいたい!(終了しています_ふるなびクラウドファンディングサイト)
斎藤与里は、明治18年に加須市下樋遣川に生まれ、京都で絵画を学び、明治38年にフランスに留学した後には、ゴッホやゴーギャンなどの絵画を日本に紹介しました。
近代洋画の旗手/斎藤与里の紹介(加須市サイト)
斎藤与里(1885-1959)(加須インターネット博物館)
あわせてごらんください。
展示の詳細は下記の通りです。
●パストラルかぞ会場「都鳥がみた古代」
開催期間 令和7年9月5日(金曜日)~9月19日(金曜日)
開催場所 パストラルかぞ 加須市上三俣2255
(東武鉄道伊勢崎線 加須駅からタクシー、徒歩30分、約2.2㎞、 駐車場 約400台(無料))
開館時間 午前9時から午後5時まで
休館日 毎週火曜日
お問い合わせ (0480)62-1223(加須市生涯学習課)
東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中(残部僅少)です。詳しくはこちら
*リレー展示「都鳥が見た古代」は、下記日程で開催予定です。
9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示
10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示
令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示
【臨時休館のお知らせ】
令和7年9月13日(土)から9月16日(火)は、燻蒸作業を行うため郷土資料館は休館いたします。ご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いします。
*13日(土)、14日(日)は、教育センター全館立ち入り禁止になりますのでご注意ください。
*15日(月)は祝日のため休館。
*16日(火)は、郷土資料館、視聴覚センター、教育相談センターは祝日の振替のため休館・休所となりますが、埼玉県鉄道高架建設事務所は業務を行っております。