ほごログ(文化財課ブログ)

ほごログ

収蔵資料の紹介、更新しました

郷土資料館の収蔵資料を紹介しています。今回は、3点の資料を追加。昨年度の博物館実習生が解説を執筆してくれたものです。そして、現在の春日部を語る上で、重要な資料ばかりです。 #かすかべプラスワン

一つ目は「総桐二つ重ね面箪笥

粕壁の老舗の商家からご寄贈いただいたもので、現在も絶賛展示中です。桐箪笥の部位や素材の解説を詳しく書いてくれています。

二つ目は「春日部市庁舎落成記念手ぬぐい

現在の市役所が完成したときに記念に配られた手ぬぐいです。この図柄を拝借して、オリジナルのスタンプも作りました。絶賛捺印できます。

三つ目は「大正十年七月十五日粕壁町八坂神社祭典記念絵葉書

現在の春日部夏祭りの原型でもある、粕壁の八坂神社祭礼の写真絵葉書です。祭礼の写真としては、わかっている限りでは一番古い写真です。本当は10枚あるのですが、画像では一部のみ紹介しています。夏祭りの季節にでも、展示、あるいは「ほごログ」で紹介したいと思っています。

よかったら、各資料紹介ページの「いいね」ボタンを押してください。更新者の励みになりますので。。。

【 #拡散希望 】体験講座「桐の貯金箱づくり」

令和4年11月20日(日)午後1時30分~春日部市教育センターにて、桐のオリジナル貯金箱づくりを開催します。材料費900円。受講者、絶賛募集中です。お子様でも大人の方でも参加可。 #かすかべプラスワン

写真:桐の貯金箱

写真:桐の貯金箱づくり

かすかべ郷土カルタには「歴史ある 小さな芸術 桐小箱」という札があります。

春日部の桐箱は、江戸時代以来の地場産業であり、春日部の特産品の一つに数えられます。春日部は、江戸時代から農間余業で桐製品(桐箪笥や桐箱)づくりが盛んな地域で、特に明治時代後半には日本でも有数の桐製品のまちへと発展してきました。桐箱づくりは、明治中頃に歯磨き粉用の箱の生産をきっかけとして、大量生産化がすすみました。

体験講座の講師は、春日部桐箱工業協同組合の皆さま。数代にわたって、桐箱づくりの伝統を受け継がれてきた方々です。体験講座では、伝統の作り方、技術を踏まえた桐の貯金箱を作ります。

貯金箱の背面の板(背板せいた)は、職人さんがその場で電ノコを使って、好きな形に切り抜いてくださいます。オリジナルの貯金箱、まさに「歴史ある小さな芸術」となるでしょうか。

小さなお子様も、大人の方もお楽しみいただけます。ぜひ、ご参加ください。

お申込みは、春日部市電子申請、または郷土資料館まで(電話048-763-2455)

【Welcome!】ヴィクトリーインターナショナルスクールの生徒が郷土資料館を見学しました

令和4年11月10(木)にヴィクトリーインターナショナルスクールの生徒が郷土資料館を見学しました。

 

Welcome to Kasukabe History Museum!

常設展示解説風景

宿場解説風景

竪穴式住居や春日部市の貝塚の展示、宿場模型を見ながら学芸員から解説を受けました。解説の後に引率の先生が英語で訳している姿が、いつもの団体見学の風景と違って新鮮です!

 

紙でっぽう作り風景

さらに今日は紙でっぽう作りもしました!みんな上手に折って快音を響かせていましたね♪

自由時間にはおもちゃを遊びつくさんばかりにおもちゃコーナーに集っていました!資料館のオリジナルスタンプも大人気!作った紙でっぽうにスタンプを押してオリジナル色を強める子もいました(笑)

 

時間いっぱい飽きることなく資料館を堪能してくれたヴィクトリーインターナショナルスクールのみなさん、楽しんでいただけたようでこちらも嬉しかったです!

Please come again!

上沖小学校第3学年が郷土資料館を見学しました

令和4年11月8日(火)、9日(水)に上沖小学校第3学年が郷土資料館を見学しました。今回は社会科地域学習の一環として、郷土資料館と羽子板づくりの見学とのことです。

 

上沖小学校第3学年は5クラスと大人数!なので初日が1~3組、2日目が4~5組の見学という2日間に分けての日程でした。

 

常設展示解説

常設展示室では竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)や宿場模型の周りで解説を受けました。

竪穴式住居の炉(ろ)には料理、暖房、照明などの役割があり、1つの設備で複数の役目をもっていたことにびっくりした様子でした。

 

企画展示室解説

企画展示室では、まだ電気が各家庭に通っていなかった約60年くらい前の道具や暮らしについて学びました。炭を使ったアイロンや七輪(しちりん)など、昔の生活は火とともにありましたが、現代では、電気アイロンやキッチンのIH化などもあり、だんだんと火を見る機会少なくなってきました。展示された実物を見ることで、現代との違いを感じてもらえたでしょうか♪

 

千歯扱き体験

自由見学風景

千歯扱き(せんばこき)の体験の時には拍手や歓声が上がり、盛り上がりを見せてくれました!

なんといっても印象的なのが、質問をたくさん受けたことです!「(宿場模型をみて)この通りが商店街のところですか?」「縄文時代と弥生時代の分かれ目は何ですか」などなど、熱心にメモを取りながらきいていました。

質問がでるということは、興味・関心、学習意欲がある証拠です!すばらしい!

 

賑やかで楽しそうに見学してくれた上沖小学校のみなさん、ぜひまた郷土資料館に遊びに来てください♪

【体験ワークショップ】紙でっぽう・ぶんぶんゴマをつくろう!

11月27日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは蓄音機の上演や昔のおもちゃ作りをします。

今回作る昔のおもちゃは「紙でっぽう」と「ぶんぶんゴマ」です。

 

紙でっぽう、ぶんぶんゴマ写真

紙でっぽうは、横長の紙を折りたたんで作る簡単なおもちゃです。のりもハサミもいらないので小さなお子さんでも作れちゃいますよ♪

振ると「パァンッ!」と音が鳴るのでびっくりする子もいるみたいです!

ぶんぶんゴマは、厚紙に紐を通すだけで作れるおもちゃです。紐をねじってから両側に引っ張ることで厚紙をグルグルと回します。うまく回すと「ブゥゥン!・・・ブゥゥン!」と音を立てて高速回転します!ちょっと遊び方にコツが必要なので、何度もチャレンジしてみましょう!

 

体験ワークショップは申し込み不要です。おもちゃの材料も用意してあります!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

 

【体験ワークショップ】

日時:令和4年11月27日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機の上演

   紙芝居

   昔のおもちゃづくり(紙でっぽう・ぶんぶんゴマ)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

考古学講座第2回を開催しました

 

 10月29日(土)に考古学講座第2回を開催しました。

 講座風景

本日は、1.発掘調査の方法、2.層位学、3.春日部市の縄文時代の遺跡についてお話をしました。縄文時代については、現在、様々な研究がすすめられており、ばらばらと一貫性のない紹介となってしまいました。次回以降、型式学や年代の決定のなかでも、縄文時代のことを補足的に触れていこうと思います。

さて、そのようなとりとめのない話でしたので、アンケートに多くの質問をいただきました。そのなかのいくつかをとりあげます。

・春日部は関東ローム層の上の土が薄い地域という話があったが、風の影響か?土の堆積が多い地域では、どれくらい堆積しているのか?

春日部市付近の台地上の場合、関東ローム層堆積後の時代に、ローム層上に土となる物質の飛来が少ないということがローム層までの土層が少ないことの理由です。関東ローム層も長い時間を経て、火山性の物質が主に風の作用によって堆積したものです。講義でも紹介しましたが、ローム層は噴火による火山灰そのものではなく、火山付近に堆積した火山性の物質が風によって、移動し再堆積したものと考えられています。

一方、春日部市の低地部分では、主に縄文海進の影響で、縄文時代以降、有楽町層と呼ばれる層が約40m堆積しています。また火山に近い地域では、火山灰層が厚く堆積します。金井東裏遺跡(群馬県渋川市)では、6世紀の2回の榛名山噴火の2mを超える火山灰層の下から鎧をつけた古墳時代の人骨が発見されました。

 

・神明貝塚の組合せ土器の用途は?

用途は、多く出土している東北の例でも、煮炊きに使われた痕跡はないことから、お墓などに使われたのではと推測されています。詳しいことはわかりません。

 

 ・外国にも貝塚があるか?

海外にも貝塚はあります。中緯度の地域に多いようです。

   

・古隅田川でシジミがとれたが、ヤマトシジミか?

昭和30年ごろまでは古隅田川でシジミがとれたという話はありますが、ヤマトシジミかどうかはわかりません。ちなみに、現在の中川では、松伏町あたりから潮の満ち引きが確認され、汽水域となっています。

 

 ・神明貝塚の人骨の年代測定は行われているか?

骨片から放射性炭素年代測定を行っており、3体とも3988~3834cal.BPの範囲であるという結果が出ています。

cal.:較正された年代を示す。半減期と14C生成量が補正される。

BP:放射線炭素年代測定の基準である1950年から何年前かを示す。

 

来月は、1.分類と型式学、2.春日部の弥生時代についてお話します。

 

幸松小4年生のお手紙に「めがね橋」を学ぶ

先日、幸松地区の水害の歴史について、出張授業にうかがいましたが、幸松小4年生のみなさんより、そのお礼のお手紙をいただきました。出張授業(でばりぃ資料館)では、幸松地区の水害の歴史、とくに幸松小の皆さんにとって身近なめがね橋がただの橋じゃない!ことを説明しました。

どんな話をしたのか、めがね橋のなにがすごいのか、幸松小の皆さんが手紙で説明しながら、お礼を書いてくれました。素晴らしい手紙のお礼として、みなさんに紹介することで、再度めがね橋とはなにかを紹介してみたいと思います。

画像:手紙1

その通り。めがね橋は明治24年(1891)に完成した古い橋です。そして、ただの橋じゃなくて、樋門(ひもん)なのです。樋門は川からの逆流を防ぐために造られました。古さと逆流を防ぐ点が「すごい」と思ってくれたようです。「なくてもいい」のではなく、必要だから造られた、そして今ものこされていること、知ってもらえたようです。ありがとうございます。

 県内で2番目に古いレンガ樋門であるとともに、「めがね橋がさんがい(災害)からわたしたちを守ってくれていた」ことも知ってくれたようです。この点、幸松小の皆さんにとって、すごく重要です!ありがとうございます。

画像:手紙3

幸松小の皆さんは事前にめがね橋を見に行ったそうですが、そのときはよくわからなかったようですが、授業に接して、「せきばしら(堰柱)」「かくおとし(角落とし)」についてわかってくれたようです。そう、ここに板をはめて樋門にすることも理解してくれました。きっと、堰柱と角落としを知っている小学四年生は幸松小学校だけですよ!

その一方で、水害は「ちょっとこわい」とも感じてくれたようです。いやなことから目を背けず、歴史を学んで「こわい」と思うことも大事なことだと思います。ありがとうございます。

画像:手紙4

めがね橋を通学路にする子もいます。板が通るぐらいの「くぼみ」(角落とし)を再確認してくれたようですし、お家に帰ってお母さんにもお話ししてくれたようです。お家の方にもめがね橋のスゴさを伝えてくれてありがとうございました。

画像:めがね橋の絵

板を落として逆流を防ぐ状態の、めがね橋の挿絵を描いてくれた子もいました。堰柱と角落としも描かれ、きっちり板が落としてありますね!ありがとうございます。

画像:手紙4

めがね橋だけでなく、水塚(みづか)や用心船についてもお話ししましたが、幸松地区から江戸城にお米を納めていたという話も少ししました。幸松は米どころで、不動院野のもち米がとくに美味しいお米で、江戸時代の終わりごろ、江戸城の御膳に上納されていました。このことを感想に書いてくれた子がいました。趣旨から外れた、ちょっとマニアックな話題だったので、覚えていてくれて、とてもうれしいです。ありがとうございます。

画像:手紙5

社会科が苦手だった子も面白く感じてくれたようです。ありがとうございます。

社会科の学習は、国語や算数などの教科に比べると後回しにされがちですが、社会の成り立ち・仕組みを知るなかで、自分の位置を知る重要な教科だと思います。埼玉県、春日部市、幸松がどんな地域なのか、それが自分や世界とどうかかわるのかを考えながら、学べば、きっとこれからの社会科学習も楽しくなるはずです。 

授業で説明したこと、きちんと伝わっていたようで、うれしいです。あと、どんぐりをくれた少年からもお礼のメッセージをもらいました。ありがとう。

めがね橋のスゴさ、幸松の水害の歴史について、お家の方だけでなく、知らない人はきっと沢山いるでしょう。今度は、そのスゴさについて、郷土資料館のわたしではなく、幸松小のみなさんが伝えてくれたら、とてもうれしいです。みなさん、素敵なお手紙ありがとうございました。

春日部の #郷土料理 ゆかりの道具

この道具、何だかわかりますか?実は春日部の郷土料理ゆかりの道具です。

写真:鬼おろし

木の枝の又にギザギザに加工した竹片を針金でくくりつけたものです。

市内の豊野地区赤沼の旧家から寄贈いただいたもので、おそらく既製品ではなく、手作りの道具だと思われます。大きさは26cm×16cmくらい。使っていた年代は不明ですが、寄贈当時の調書には「酢つかれという食品を作るときの道具」と記述されています。

道具の名前は「鬼オロシ」。大根を粗くおろすオロシ器です。

何に使うのかというと、スツカレまたはスミツカリ、あるいはスミツカレという、初午の郷土食です。材料には節分の残り豆とダイコンが用いられ、豆は一升枡や湯飲み茶わんの底で擦って割り、皮を取り除く。ダイコンは鬼オロシで粗くおろします。

作り方は二通りあるそうです。一つは、ダイコンと豆を煮てしょうゆ味をつけるもの(ニンジンも加えることもある)。もう一つは、ダイコンと豆を混ぜて酢和えにするものです。

初午の時には、赤飯あるいは小豆飯とともに稲わらで作ったツットコという入れ物にスミツカレとともに入れて、稲荷祠にお供えしたり、お膳として供えることもあるそうです。

参考文献:『春日部市庄和町史編さん資料13 民俗Ⅱ』(平成18年)

 

収蔵資料の紹介ページ公開しています

かつて公開していた当館収蔵資料の紹介ページを、本ポータルサイトに再構築しました。 #かすかべプラスワン

収蔵資料紹介ページは、郷土資料館で収蔵する指定文化財、収蔵品展などで紹介した資料の情報を公開するものです。近年は博物館実習生に資料紹介ページの記述をお願いしており、実習の成果でもあります。

市のホームページにも移行する予定だったのですが、事情があり、公開を控えていましたが、ようやくページの移行作業を終えることとなりました。ただ、文字数の制限等があり、解説や語注などをだいぶスリムにしているものもあります。

収蔵資料にはたとえばこんなのがあります。

桐タンス・桐箱問屋・製造の木崎六之助商店の取引先名簿です。

詳しくは該当ページをご覧ください。実習生が制作したページです。

写真:木崎六之助商店の取引名簿

収蔵資料紹介ページは、このページのメニューバーの「郷土資料館」から、「収蔵資料の紹介」でご覧いただけます。

どれだけの方がご覧になっているのか不明ですが、お気に入りの資料があれば、いいねボタンをご投票ください。担当者のページ構築の励みになりますので。。。

今後は、昨年度、今年度の実習生の収蔵資料紹介を公開していく予定です。お楽しみに。

「2冊の宗門人別帳で読み解く開国前後の粕壁」開催しました

10月23日(日)歴史文化講演会「2冊の宗門人別帳で読み解く開国前後の粕壁」を開催しました。

今回の歴史文化講演会は、地元粕壁で郷土史大川明弘先生を講師に迎え、粕壁宿の宗門人別帳にみる幕末期の宿場の様子についてお話しいただきました。

宗門人別帳とは、江戸時代に宗門改め(キリシタンでないことを証明)と人別改め(戸口調査)を兼ねて、村ごとに作成された帳簿のことです。

先生は、嘉永2年の粕壁宿宗門人別帳を中心に、幕末期の粕壁宿に住む人々の年齢、年齢構成、職業、身分、奉公先などさまざなま統計をとられ、その統計に基づきお話いただきました。

写真:歴史文化講演会の様子

粕壁宿は、江戸時代に市内で最も住民が住んでいた地区であり、粕壁宿の宗門人別帳は他の村のそれと違って大変大部であり、統計的に分析するのが非常に大変です。大川先生は、大部な史料を様々な角度から検討され、緻密なデータを構築して、これに基づいてお話しいただきました。

幕末期というと治安が悪化し、不穏な社会情勢のイメージがありますが、今回の話は、いわば粕壁の人々のライフサイクル、かっこよくいえば身体を通じて、幕末の社会を読み解き、そして、大変興味深い、多くのご指摘をいただきました。

とくに、江戸へ武家奉公に行く人々の存在や、持ち家層が約30%、借家層が70%の割合にあったことなど、現代との共通する点、相違する点が浮き彫りになりました。当時の宿場のくらしの実態を考える上で、具体的なイメージできるものになりましたし、粕壁の町並みの復元や近代以降の粕壁の歴史を見通すうえでも有意義な材料となる重要な指摘だと思います。

会場からは、史料はどこで閲覧できるのか、石高の意味は何か、など内容に深くつっこんだ質問があり、大変有意義なひと時となりました。