ほごログ(文化財課ブログ)

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出張授業「縄文体験教室」 in川辺小学校


5月17日(金)に川辺小学校へ出張授業に行ってきました。

今年度の出張授業第1回目となります。

3年生の2クラスの「総合的な学習の時間」に招かれ、「発見!探検!春日部じまん!川辺小学校ちかくの昔むかしの生活」について、学習しました。みなさん元気いっぱいに挨拶をしてくれました。

 

3年生では、歴史の授業をまだ習っていませんが、みなさん興味津々です。
授業の前半では小学校はどんな場所にあるのか、氷河時代にさかのぼってお話を聞きます。

 

 縄文人が住んでいたころ市内には海が広がっていたことを勉強しました。

小学校の周辺に広がる台地には、縄文時代の遺跡や貝塚が多くあります。
自分の家の近くで行われた発掘調査の話を聞いて、身近に縄文人が住んでいたことに驚いていました。

 

授業の後半では、3つの班に分かれて、縄文人の食べ物や道具を触れる体験を行いました。

石器の体験では、黒曜石を用いて段ボールを切るという、切れ味を確かめます。「こんなに切れるんだ!」「カッターよりも切れる!」驚きの声が上がりました。

 

縄文人の食べ物では、貝塚の貝がらと、川で取れる貝がらを見比べてみます。
貝の種類からも、縄文時代は温かい海が広がっていたことが分かります。史跡神明貝塚では「ヤマトシジミ」中心。「食べているシジミよりも大きい」「おいしいみそ汁ができそう~」と、率直な感想が聞けました。

土器の体験では、市内で出土した縄文土器を実際に見てもらいます。
縄文時代は、これがお鍋のように使われていたと話すと、とても不思議そうにしていました。

 

実際に縄文体験をして、当時の生活を想像することができたようです。
川辺小3年生のみなさん、ありがとうございました!6月は6年生を対象とした授業を行います。6年生はどんな感想が聞けるのか、楽しみです。また、多くの小・中学校からの出張授業の申し込みをお待ちしています

「さようなら二代目 #春日部市役所 」配布中

本日より、企画展「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」展(7月7日まで)が始まりました。春日部市の旧庁舎の閉庁を記念した企画展示です。 #かすかべプラスワン

展示は、昭和29年(1954)に(旧)春日部市が誕生してから、旧庁舎(二代目市役所)が閉庁するまでの、春日部市の歩みを様々な資料を展示して紹介するものです。旧庁舎が完成するのが昭和46年(1971)1月のことですので、旧庁舎は春日部市政の大半と月日を過ごしてきました。とくに、春日部のまちが駅の西側に広がり、「近代的な都市」へと歩みを進めていく、その市政・まちづくりの中枢にもありましたので、近代的な発展を遂げた市にとって象徴的な建造物ともいえるでしょうか。この旧庁舎(二代目市役所)が昨年12月閉庁したことを記念し、展示を企画するにあたり、今回、「さようなら二代目春日部市役所」と題するリーフレットを作成しました。

画像:展示リーフレット

一見、地味ですが、そこそここだわっています。

タイトルの「さようなら二代目春日部市役所」の「春日部市役所」の文字は、旧庁舎の玄関に掲げている「春日部市役所」の文字をトレースしています。建築に明るい人に言わせれば、この文字のレタリングが近代建築の風合いを遺しているとか。浅学ながら、旧庁舎は、いわゆる「モダニズム建築」と「ポストモダニズム建築」の狭間に置かれた建造物なのだろうと思います。文字も結構ですが、専門家の方には、まずは建物自体の建築史的な建物の評価をしていただきたいものです。

表紙の写真は、落成当時に「新市庁舎完成記念特集号」として発行された「広報かすかべ」の表紙です。新庁舎の完成が市にとって重要な出来事であったことがうかがえます。展示室では複製版をご覧いただけるようにしていますので、気になる方はぜひご来館ください。

背景は旧庁舎のタイルの画像となっています。リーフレットを開くと、見開きの背景は旧庁舎の内装のタイルの画像だったりもします。

このリーフレットは、ご来館いただいた方に無料で配布しています。旧庁舎や春日部市政をふりかえる機会にしていただければ幸いです。

 

展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」

会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室

入 場:無料

関連事業

・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」

 と き:令和6年6月30日(日)10時~12時

 ところ:教育センター

 申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請

・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)

 と き:5月25日(土)10時30分~、15時~

 ところ:郷土資料館 企画展示室

関連記事

「#春日部市役所 よ、さようなら(写真でみる現庁舎)」(2023年12月23日)

旧市庁舎の池

企画展「まちをみつめて50年」では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎(二代目市庁舎)にスポットをあて、市政のあゆみを紹介しています。 #かすかべプラスワン

写真:竣工直後の二代目市庁舎

上の写真は、竣工直後の二代目市庁舎。鳥瞰の写真で周囲の様子もわかる、大変貴重な写真です。先日、市役所内の担当部署から移管されたものです。あたりに田んぼの形跡があるように、二代目市庁舎は、昭和46年(1971)1月落成し、田園のなかからひとり、近代化していく春日部の町の有り様を見守ってきたといえるでしょう。

そんな、たくましさすら感じられる二代目市庁舎について、いろいろと調べているうちに「昔はこうなっていたのかぁ」と、小さな発見がありました。実は、池があったのです。

池はなんと、正面玄関の階段の脇です。スロープになっている段差を利用して、そこを池にしていたようです。図面でも池があることは確認できていたのですが、半信半疑。しかし、下の写真(昭和49年)を発見し、確信にかわりました。

写真:昭和49年市役所玄関前の池

この池、現在は植栽が植えられ、当時の面影は残っていません。いつ、どのような理由から池が植栽に変えられたのか、現時点では不明です。

へぇ~、と思った次第です。

【どこにあるかわかるかな?】目指せ資料館ハンター!

埼玉県鉄道高架建設事務所と郷土資料館が協力して、
令和6年4月1日(月)に、教育センター1Fに鉄道高架PR展示室を開設しました。

教育センターに入って、エレベーターやお手洗いを抜けたガラス扉の先に展示室があります。

以前は教育委員会の執務室として使われていた空間です。

ちょっと分かりにくい場所ですが、勇気をもって入ってみてください(笑)
鉄道高架PR展示室
展示室には駅周辺の古写真のみならず、粕壁宿のペーパークラフト模型や、古利根公園橋、鉄道高架事業の駅周辺の模型なども展示してあります。

 

そこで!
郷土資料館・鉄道高架PR展示室をよりじっくり味わってもらうために、こんなプリントを作成してみました。
「目指せ資料館ハンター!」
プリント
写っている写真は、郷土資料館もしくは鉄道高架PR展示室内に設置された模型の一部分をズームアップしたもので、その場所を探してもらうというゲーム感覚で楽しんでいただけるプリントです!
写真の中に含まれる色や特徴など、様々なものを手掛かりにぜひ探してみてくださいね!

 

郷土資料館写真

鉄道高架PR展示室写真
プリントは郷土資料館内に設置してありますのでご自由にお取りいただき、挑戦してみてください♪

#企画展 「まちをみつめて50年」準備中

GWが明け、5月18日(土)から始まる企画展示「まちをみうめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」の設営が本格化してきました。 #かすかべプラスワン

今回の企画展では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎にスポットをあて、その旧市庁舎が誕生し、閉庁するまでの市政のあゆみを紹介するものです。

旧市庁舎が落成したのは、昭和46年(1971)1月。閉庁するまで53年間、春日部市政とともに歩んできました。そんな長い期間の市政をくまなく紹介するのは、せま~い郷土資料館では不可能ですから、今回は、市制の周年事業や特徴的な取り組みを中心に紹介する予定です。市制40周年の「かすかびあん」も登場予定。

初日まで、あと1週間。毎度ながら、果たして間に合うのでしょうか。

画像:企画展示チラシ

展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」

会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室

入 場:無料

関連事業

・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」

 と き:令和6年6月30日(日)10時~12時

 ところ:教育センター

 申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請

・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)

 と き:5月25日(土)10時30分~、15時~

 ところ:郷土資料館 企画展示室

県指定文化財”小淵観音院円空仏群”の公開

五月晴れの絶好の行楽日和となりました本日5月3日(金)、小淵山観音院では、埼玉県指定有形文化財“円空仏”が公開され、午前から多くの拝観者でにぎわいました。

観音院全景

本堂の様子

『微笑みの円空仏』とも親しまれ、魅了する木像仏を間近で拝観できる年一度の機会、本堂の静寂の中で思い思いの時をお過ごしできたようです。地元小渕地区の方はもちろん、県内外からもこの日を楽しみにしていたという声を聞くことができました。

聖観音菩薩立像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖観音菩薩立像」一木から彫り出された円空仏では県内最大の194㎝を測る。口元には微笑みがこぼれ、頭巾様の宝冠には阿弥陀如来の化仏が配置されている。

 

 

伝毘沙門天立像 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伝毘沙門天立像」四天王の中でも最強の神。竜頭様の兜の左右に唐草文様が彫り込まれている。 

 

不動明王立像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不動明王立像」右手に宝剣をもち、口元には歯牙をあらわす厳しい表情を示す。県内唯一の立像の不動明王像である。

 

 

本年の公開は例年より一日延長、5月6日(月)まで、午前10時から午後5時まで。また、特別プログラム「宵会(ヨイノカイ)」もご用意されております。(お問合せ先:小淵山観音院 048-752-3870)

この機会に木像彫刻に生涯を懸けて創りあげた円空の芸術に浸ってみてはいかがでしょうか。

#かすかべ地名の話 (4) 花のつく地名 #花積 #西宝珠花

市内の地名の話題。今回は企画展でも紹介している花のつく地名について。 #かすかべプラスワン #地名の由来

市内の「花」のつく地名は、住居表示でも使用されている「花積」「西宝珠花」です。

花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。

しかし、なぜ「花」という言葉が地名についているのでしょうか。花積・宝珠花の地名の由来については、様々な説があります。諸説については花積と西宝珠花の「地名のはなし」の回に譲ることにしますが、「はな」という言葉の語義を調べてみると、「突端」や「先端」を意味するそうです。それが転じて「はなわ(塙)」は台地などの高くなっている土地を指すそうです。顔の「鼻」も顔のなかで突起している部分、あるいは先端ですし、フラワーの「花」も植物の先端に付きます。つまり、「花」とは「突端」「先端」あるいは「台地」の上を意味すると解せます。

翻って、花積と宝珠花の地形をみると、台地の突端に位置しています。地名の由来の定説を決定づけることは難しいですが、おそらく春日部市の「花」は「突端」「先端」あるいは「台地」を意味するものと理解されます。

ちなみに、庄和地区の金崎には「字花輪下(あざ はなわした)」という地名があります。ちょうど国道16号のハンバーガーチェーン店のあたりとなり、南桜井駅周辺に張り出した台地の縁辺にあたります。おそらく、「花輪」はこの台地を指し、その「下」に位置するので「花輪下」と呼ばれたのでしょう。

なお、「花」の地名は、台地が張り出している市域のみならず、他所にもあります。「鼻」の漢字があてられる場合もあるようです。

西宝珠花では、5月3日、5日大凧揚げ祭りが開催されます。「花」の地形も意識しながら、西宝珠花を散策すると、より大凧揚げ祭りも楽しめるかもしれませんよ。

春日部市史 『自然誌編』の頒布を開始します

春日部市史自然誌編

 自然科学(主に地学)による観点にたち、市域の土地の成り立ちや、河川の流れ、地震や台風の自然災害などが、私たちの暮らしにどのような影響をおよぼしたのかをテーマに編さんした新たな市史「自然史編」を刊行しました。

 市内の土地や河川の流れ、埼玉県東部地域特有の地形である河畔砂丘の現地調査、文献や空中写真、古地図の確認による地形の変遷の確認など、6年間の歳月をかけて調査の成果をまとめたものです。

 特に自然堤防を越流した痕跡(クレバススプレー)により、今は人の手により管理されている大落古利根川や古隅田川がかつては度々氾濫を繰り返していたこと、イチョウやハクレンなど市内でよく見られる樹木が、太古に栄え、その後自生種が減り現在では生きている化石植物であること、中世から近世にかけて古隅田川の流れが変わった理由について考察した内容など、最新の学問の成果を取り入れた内容となっています。

 また、「地学さんぽ」と題し、各章の内容に収まらないもので、コラム的な内容をまとめた章もあります。オールカラーで420ページ、巻末には、用語の解説も掲載しています。

 市内の図書館や公民館にも配架しておりますので、ぜひご覧になってください。関心のある方には、春日部市役所本庁舎4階の文化財課や春日部市教育センター1階の春日部市郷土資料館で有償(一冊3,000円)で本日、5月1日(水)から頒布を開始しました。

《頒布している施設》

 市役所4階 教育委員会 文化財課

 市役所3階 市政情報課

 教育センター 郷土資料館

 庄和総合支所2階 総務担当

 道の駅庄和

 ぷらっと春日部

  本書を契機に市内の地形の歴史に興味関心を高めていただければ幸いです。

 

 

 

口絵1 首都圏外郭放水路建設時に現れた露頭と木下貝層から算出した化石口絵11 生きている化石植物第1章第3河道・旧河道、クレバススプレー第3章第8節 図3-53 現在の古隅田川

花積の貝殻坂はどこか!?

4月27日(土)、「*花の彩り*春日部*」展の展示解説講座を開催しました。

今回は、春日部ゆかりの花の話題は他に譲り、「花」のつく地名である花積・西宝珠花の歴史にフォーカスをあてました。

写真:講座の様子

花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。

さて、今回は花積の「貝殻坂」について。花積は花積貝塚が所在することで考古学界では著名な地区です。縄文時代には台地の谷あいに海が入り込み、高台に暮らす縄文人が貝を投棄し、それが貝塚となったわけです。花積に豊富な貝が散在していたことは、江戸幕府の官撰の地誌「新編武蔵風土記」の記述にもみえます。記事は次の通り。

塚 高さ四五尺庚塚と云、この外西北に登り、五丈許屈曲せる坂あり、そこより貝殻多くいづれば貝殻坂とよべるなり

花積地区の発掘の報告書にも引用される一節です。解釈してみましょう。当時の花積(花積村)には、庚塚という高さ4~5尺ほどの塚があったそうです。残念ながら塚の位置は不明です。記事は「この外」に坂があると書かれています。「この塚の外側に」ということなのか、「塚の他に」という意味なのか確定ができないのですが、いずれにしても花積村内に5丈(約15m)ばかり屈曲する西北に登る坂道があり、その坂道一帯から貝殻がたくさん出てくるので、地元の人たちは「貝殻坂」と呼んでいる、と解釈できます。

「もし、花積発祥のアイドルグループができたなら、きっとグループ名は貝殻坂46」

そんな妄想を抱きつつ、貝殻坂の場所を特定せんがため、受講者の皆さんと明治9年の花積村地租改正図をから読み解いてみました。今回の講座では受講者の皆さんに下の絵図を配布し、貝殻坂がどこなのか、を一緒に考えていただきました。

画像:花積村地租改正図

 前にあげた風土記稿の記事を、花積地内のこれまでの発掘成果に照らしあわせ考えると、花積地内には、貝を含む土層が検出された花積貝塚がありますので、貝殻坂は貝塚周辺と推測されます。花積貝塚は、上の図ではちょうど中央の黄色の枠で囲ったあたりです。たしかに、花積貝塚の石碑が立っている地点の裏手にあたる南側には、細い路地があり、ここが斜面になり、坂道になっています。

写真:花積貝塚の裏の道

 この坂道は地租改正絵図にも確認されますので、江戸時代の村の道であることは間違いなさそうです。しかし、絵図でも現況でみても、それほど屈曲しておらず、また「西北」に登る坂というよりは、どちらかといえば東北方面に登る坂道です。貝塚の斜面にあたるので、かつて貝殻が散らばっていた可能性も高いのですが、本当に風土記のいう「貝殻坂」かどうか確定しかねます。

発掘成果を考えずに、「西北」に登り、屈曲する坂道を探してみましょう。花積は、東西寺・二ノ宮神社沿いの南北に縦断する道(越ケ谷道・慈恩寺道)が馬の背、尾根道のように村の標高の頂点になっています。つまり、この道の方向へ東側から交差・接続する道が、西北に登る坂道になるわけです。それを踏まえて、屈曲する道を探すと、図の赤い丸で囲む地点が極端に屈曲しており、また西北にカーブしています。

画像:地租改正図(注記)

丸で囲った道を東側に見た写真です。

写真:斜面の看板

 写真の先が下りの坂になっています。傾斜は5%と急な坂ではありませんが、平坦な春日部市内では珍しい道路標識が設置されています。道路標識で注意を促すカーブと傾斜が、ちょうど丸で囲ったカーブになります。

江戸時代から存在し、西北に登り、屈曲している坂道、ということで「貝殻坂」の要素を満たしています。肝心の貝殻はというと、カーブのあたりは、現時点では遺跡が検出されておらず、貝殻が散っているのかは、舗装されていることもあり、現地では確認できませんでした。

講座では時間がなくお話できませんでしたが、絵図をよく見ると、このカーブには社寺地と同じ色で塗られた土地があります(図では白い丸をつけています)。おそらく、この白い丸の土地に、なんらかの社・祠かあったのではないかと考えられます。詳しいことはわからないのですが、もしかしたら「庚塚」なのかもしれません。推測を重ねれば、このカーブは庚塚の外縁にあたるので、風土記の記事の「この外」とは外側という意味なのかもしれません。

ともかく、花積貝塚の裏の坂道にしても、傾斜5%の道路標識の坂道にしても、どちらも決め手を欠きますので、「貝殻坂」は謎のままです。春日部市内では唯一の名前の付いた坂道「貝殻坂」。今後とも気にかけて追及したいものです。

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」

・5月12日(日)まで 東京国立博物館 特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」

考古学の展示ではありませんが、考古学分野より「国宝 三重県宝塚一号墳出土埴輪」がとりあげられ、ほぼ完全な形の船形埴輪(ふねがたはにわ)が展示されます。

・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」

・6月9日(日)まで  富士見市立資料館水子貝塚資料館難波田城資料館 「ひらいた 考古館」

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」

 

*春日部市郷土資料館「花の彩り*春日部*」展も5月2日までです。「花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。